はてなキーワード: さしみとは
冷製パスタのレシピを見て、「ああ、いいなー」って思ったけど旦那が前に冷製パスタを作るなって言っていたことを思いだしげんなりした
旦那は食べられないものが多くてこまる。辛いもの、もずく、スーパーのさしみ、ドライカレー、魚卵ほんと色々
以前、コープのミールキットのルーローファンを食卓に出したら「まずい」と言っていたのにコープのTVCMにルーローファンが出てきてそれを見た旦那が「あれ、おいしそう」って呑気に言ってて私が「あれ、あんた不味いって言ってたじゃん」って突っ込んだ
作ってもらった料理をまずい、食べたくないって言う方は簡単だけど、言われた方はメンタルがズタズタになるんだわ
旦那が作った料理がおいしくないと思ってもそれをストレートに言ったり、不愉快な顔をしたりしない
シチューを作ったときにジャガイモが溶けてドロドロになってても顔色も変えずに黙って食べた
そうすると、グラタン皿にバターを塗ったりする手間が増える…とか作る人の手間のことをわかってないから好き勝手言う
鶏肉と玉ねぎとほうれん草のグラタンにしようとしたら「マカロニを入れろ」と言う
マカロニ茹でる手間が増えるし、残りのマカロニを消費しないといけなくなるのわかってますかあなた
マカロニって少量売りしてないよ
自分に食べたいものをあるなら、自分で作るべきで、家にごはんを作ってくれる人がいるのなら、ごはんを作ってくれる人に全部任せたらいいのよ
あれから週にパンを1,2回焼くようになった。チーズパンにベーコンを入れたり、生地に黒ゴマを混ぜたり、こまかなアレンジだけでだいたい同じものを焼いている。物忘れおじさんはすぐに焼き上げの時間を忘れるので、だいたいのレシピ (https://anond.hatelabo.jp/20210317160645) を書いておいて本当によかった。
ぼくはパン焼きたいおじさんであると同時に、とつぜんお昼ごはんを作り始めたり、晩ごはんに突然一品料理を増やしたりする迷惑系おじさんでもある。
そんなぼくは、インターネットのおかげて簡単にレシピが調べられたり、本屋さんにもレシピ本がたくさんあるなか、料理ができないという人の気持ちがよくわからない。レシピがあれば大抵の料理(材料の入手が難しかったり、ケンタッキー・フライド・チキンみたいな、圧力なべで加圧しながら揚げるみたいな、怖い工程がない限り)は作れるじゃあないですか。フフン。
このあいだは、戸棚にしまいっぱなしの乾燥ポルチーニ茸の賞味期限がせまっていたので、フフンフフンとしながら「ポルチーニ茸のリゾット」を作った。
ポルチーニ茸の香りがたっていて、ものすごくおいしいリゾットが出来上がった。
ぼくは子供と、おいしいね!おいしいね!と、にこにこしながら食べていると、おくさんは怪訝そうに「これ、キノコはいってる?」と聞いた。
台所をみたらもどしたポルチーニ茸たちがボウルの中で、生き残った喜びを分かち合っていた。
レシピがあっても、ぼくは、人は、人類は、料理ができないこともある。謙虚に生きていこうと思います。
(戻したキノコはあとでアヒージョの具になりました。シイタケの佃煮のような味でした。)
おくさんが「テレビで良いっていってた(*1)」から「レンズ豆を買ったけど食べ方がよくわかんない」とのことなのでここ(https://www.sapporobeer.jp/feature/recipe/0000001560/)を参考にして調理した。(*1 たくさんテレビで見た話をされたけど覚えていない。なんかイイらしいので、否定しないで受け入れることにした)
これもリゾットっぽい味がするので、白ワインで煮たらなんでもイタリアンでまちがいないなとおもった。ニンニク多めにしたらスペインだ。
おじさんはおじさんになると蕎麦を打ったり、スパイスカレーを炊いたり、燻製を作ったり、パンを焼いたり、魚を捌いたりする。ぼくもおじさんらしく、魚を捌いたりする。
日曜日には、大き目のマダイが3匹釣れたので、その日の夜は刺身と炙り刺にした。そんで、普通のお刺身は不人気だったので、月曜日の夜は炙り刺と湯引きして昆布締めにした。(もういっぴきはあげてしまった。)
本当はカルパッチョにしたかったけど、許されない圧を感じた。月曜日はおやすみだったので、昼はお庭で一人バーベキューをした。おじさんはおじさんらしく生きている。
帰宅したら偶然にも「またレンズ豆が食べたいから作ろうと思ったけど、作り方がよくわからない」とおくさんに聞かれたので、これ書いておいてよかった。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
最初に言っておくと、“擁護”という言葉、muchonovさんこそが批判されているというフェイズにおいてその様に用いられる“擁護”という言葉は、ただの批判回避でしかありません。『「xx批判」に対する批判』を「xx擁護」という事にしておくと、あくまで批判されてるのはxxだけという事に出来て、「xx批判」こそが批判されてる事実を誤魔化せる、そういう小手先のテクニックです。これはその意図の有無に関わらず、です。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
いやいや、意味わかんないですよ、これ。
だって「発端」のブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov)は
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
ですよね。
それに対してこちらが、それは“事実上の『私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”だよねと指摘して、そこにmuchonovさんから返ってきたブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699974732078626146/comment/muchonov)が
そうかなあ? 自分は著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。
この時点で、もうだいぶ「????」なんですが、これについてこちらが『“著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える”様なmuchonovさんが“コンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャン”とか言っちゃうの、さすがに意味不明すぎでは。』と指摘して、それに対する応答が上の増田なわけですよね?(こちらへの応答だけのつもりではないにせよ)
日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
とか仰ってますけど、笑ったの、他ならぬmuchonovさん自身ですよね。その“笑われても構わない”って、それ「笑う側のmuchonovさん」からしたらつまりは「“表現の自由戦士”たちは、おとなしく我々に笑われてろ」の意味なわけですよね?うん、やばいですね☆
って、muchonovさんの中では、「著作権」と「表現の自由」が、かめはめ波の撃ち合いか何かみたいになっていて、「著作権」の方が勝ってる…という様なイメージなのでしょうか?
もう何度も述べてきている事ですが
「表現の自由」で最も重要なのは『価値観の自由競争(市場)』。『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。
です。
これは、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。
また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります。
ですから、もしこれを否定しようとするならば、『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルだと思います。
つまるところ、その根幹が「自由市場」である以上、各々の「私的所有(財産)」を認める事は「表現の自由」に織り込み済みだと考えるべきです。「表現の自由」vs「著作権」、どちらの方が“優越する”か(アクセルとブレーキ、どちらの方が強いか)みたいな話とは違います。
ですから、“日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして”も、「私的所有」を認める事に“ギャップ”はありませんし、もちろん笑われる理由も存在しません。
これはmuchonovさんに限った話ではないと思いますが、恐らく『「権利がある」というのは、「その“権利”を行使した時に不評を買わない権利がある」の意味ではない』という事を理解されていないか、もしくは失念されています。
他の言い方をすれば、『「ルール」に従うか/逆らうか』と『「ルール」を肯定するか/否定するか』は、それぞれ別の事柄だという話でもあります。
(一応言っておくと、個人的には例の“お願い”について、曖昧であり「忖度学級会」を誘発するものだとして、2018年6月時点で批判的にコメントしています。)
また、「私的所有」を認めるという事は、その是非(その「大きさ」の妥当性や、そもそもの有無等)を問わないという意味ではありません。それは「表現の自由」とは別個の問題として論じる事ですし、今回の流れで言えば、もう少し著作権に関する是非は、議論の俎上に載ってもよいだろうと考えます(個人的には著作権はもっと「小さく」していくべきだと考えていますし、むしろ逆に「大きく」なる傾向のある現状については危惧しています)。
実際、話題になった「馬名のパブリシティ権」の話は、その辺りが問われた件だとも言えるかもしれません。もちろん逆に、「せやかて、やっぱ馬名については馬主が優先的ステークホルダーであるべきやろ」と主張するのも、それはそれで一つの考えでしょう。
どうであるかと、どうあるべきかは、やはりそれも別の事柄なのですから。
muchonovさんは二者の関係を「権利者と利用者の力関係」と述べており、もちろん嘘ではないのですが、それ以前にまず「供給主体と需要主体」の関係である事を忘れてはなりません。
コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。
供給側としては、コンテンツに対する需要がなくなってしまう事こそが最も恐れる事態の一つであり、つまり(馬主のご機嫌よりもよほど)需要側のご機嫌こそを気にしなければならないわけです。趣味で製作しているアートか何かではないのですから。
恐らくは、だからこそ曖昧な“お願い”なのであり、また2018年6月20日なのでしょう(せめてアニメ放映中には冷や水を浴びせたくない、夏コミが控えてる、ゲームはしばらくリリースできそうにない…というタイミング)。
そしてもし、muchonovさんが記した様な「逆転現象」が起こるのだとしたら、それこそが「惚れた弱み」であり、正に元増田が述べていた状態そのものなのです。
「お客様は神様」と「殿様商売」との間で揺れ動く、その実に「自由市場」的な動きの中で「表現」の在り方も変動するというのは、むしろとても「表現の自由」的である、とすら言えるでしょう(元増田に、そこまでの考えがあったとは思わないし、個人的にはやはり「忖度学級会」には否定的だが)。
にもかかわらず、それを“バカみたいじゃん。”と切って捨てるmuchonovさんの発言のほうが、よっぽど“バカみたい”なのではないでしょうか。
HanPanna 価値観の自由競争というのはrag_enさんの造語なので、法学だと思わないように(もし学説があれば教えて下さい)"思想の自由市場"について知りたいならコチラのブログのが良いです。https://arecolle.hatenablog.com/entry/2021/03/06/124923
“法学”ってどこから出てきたん?というか、『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つでしかないよ(大切だけどね)って話、してありますよね?ちゃんと読んでます?
なんか理解されてないようですけど、その箇所への反論は「ちゃんとできるようにしてある」んですよ。つまり『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明してみせればいいだけなんです。はい、頑張ってください。
まぁ、HanPannaさんが同じ話題でやらかすの、これで3回目ですし、間違った事でも言い続ければ押し通せるみたいなの、完全にオカルトなんで勘弁してください(HanPannaさんに許可を頂ければ、過去のやりとりも晒しますよ)。
あとリンク先、よりにもよってU.G.R.R.の人かよ…ギャグで言ってるのか?ってのが正直な感想ですけど、ぶっちゃけ謎の(マジで謎の)出禁を食らってるので(とはいえ、さすがに閲覧不可は無視するが)言及は避けておきます。やさしみ。
Silica ところでこの"価値観の自由競争"の中では寛容のパラドックスはどうなるんだろう、この人の言う"SJ"的な価値観がその競争に勝利したらどうなるの?
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
初心者への添削やアドバイスをやってる人で、学び方などがロジカルなので上手い人なんだろうなあ、と思いつつ動画を聞いていたが、なにか内容に違和感がある。数日後Pixivを拝見すると、ちょっと神絵師とは言えないレベルで閉口までとは言わないにしても正直尊敬するほどでもない。検索するとやはり山ほどいるアンチ。
1番は正しいとも言える。ただし2番めをふんふんと聞いて氏の絵を見るとかなり違和感が出てくる。
まずさいとう氏自体神絵師ではない。はっきり言ってルーキーレベル。その内情の殆どが立体が取れずペタッとしている件。これはつまり1番めをおろそかにして勝手に2番めを実践してるから、という事がはっきりわかる。そして何よりまずいのは、できないからまずは模写するのであって、できない時点でできない絵を別角度から描くということ自体不器用な人には難しい。違う絵柄には方言が存在していて、その方言を別角度から理解して描くという事自体応用力がある。つまり初心者~中級者というターゲット層に適してない。
そもそも氏自身の上達が遅いのだから、練習法にも説得力は生まれない。
そうですかぁ?という素直な感想。下手な絵が自分の手から出てきたら一瞬で理解できますよね。一生懸命取り組んでも頭打ちなものには時間をかけるだけ無駄、このくらいの認識は最大でも三年やってりゃ身につくこと。サラッと描いうまい絵が出てくる人は詳細に描いてもうまい。常識的な話。
最近のイラストはかなりマシだけど、この人の自己申告どおりに考えたとしても画力はジワのび。言ってしまえば普通だと思う。あと風景にごまかしが多くて決定的に描けない人だとも思うけど、彼いわくモンスター絵師から人物絵師になったということで、風景はノータッチなんだろう。デザインは豊富なので記憶力がいい人だし、加工は上手。ただし加工に頼って彩色がいい加減で浅いもののほうが多い。欲しい絵はDLしちゃう人だけど、この人のはもうちょっと待ってからかなあ、という印象。全体的に言って背景の描けないさしみん(たいら)くらい。
すべてが悪いわけじゃなくて、何が悪いのか逐一メモする、原因追求するというあたりは共感する。みんなやってるしあたりまえなんだけどね。はっきり言って。そこは初心者向け動画だから仕方ない。この人流に無意識で反復するのは意味ないよ、と言ってるのはわかる。さらに、自分なりに描いているときこそが一番弱点が露呈しやすいから、実践しつつ復習する態度もわかる。これは本当に重要。ただしそれだって基礎がないとやっぱりイロハのイから無理。
氏の言ってる内容で最大の問題だと思うことが、模写から違和感を探して原因と結果を書き込む、という練習法を否定してること。個人的に言えば模写から成り立ちを逆算してメモするほうが10倍勉強になる。
界隈でよく言われてることが売名野郎ってことなんだけど、ここはプロとして食ってゆくためにやってるのでうまくやってると思う。ただ納得はさせてほしいかなあって。
私はお刺身を食べる際あまり醤油をつけないのだが、それは別に通ぶっている訳ではなく、実家に居た時に使っていたお刺身用の醤油と、世間一般の刺身醤油が全く違った味で、ただ単に塩っぱくて気に入らなかったからだ。
白身魚やイカ等淡白なお刺身にたっぷりかけ、むしろ漬け込み、ご飯に乗せ、勝手にプチどんぶりを作って食べるのが大好きだった。
ホタテはそのまま何もつけずに食すのが1番美味しい。それは変わらない。
だがしかし、今朝何故かあの甘い醤油の存在を思い出し、どうしてもあの醤油で食べてみたくなった。
大好きなホタテと大好きな醤油のコラボレーション。美味しくない訳がない。
とりあえず検索をした。
普通の刺身醤油やたまり醤油が並ぶ中、「九州の刺身醤油は甘い」という情報が目に入った。
記憶が少し蘇った。母がそんな事を言っていたような…。言ってないような…。
確証を持てなかったので、直接母にLINEを送って聞いてみることにした。
「熊本の刺身醤油、あんたが気に入ってそれでしかお刺身食べなかったから、永嶋さんに頼んで送ってもらってた。もう付き合いもないし、手に入らないよ。」
永嶋さんとやらが誰なのか全くわからないが、とにかく熊本のお醤油らしい。
問題は銘柄だ。どうせなら実際食べていたブランドそのものがいい。
パッケージに「さしみ」とひらがなで書いてあった事は覚えている。画像検索で出てきた、これかなと思える2枚を母に送ってみる。
「あまり記憶にないけど2枚目のほうな気がする。どっちでもいいんじゃない?」
全然違ったらがっかりするのはこっちなんだから真剣に考えていただきたい。どうせなら完璧を求めたい。あの甘味…コク…。
だがここで問題が起きた。
これじゃないかと思われた醤油が鹿児島産なのだ。熊本産ではないのか。
本当にこれなのか。永嶋さんに騙されていないだろうか。
「そこまで知らないよ。そんな事よりそっちコロナで〜(以下略)」
もう完全にどうでもいいという返信になってしまった。もう母には頼れない。
Amazonに1000mlサイズが売られている事を確認。しかも今頼めば明日届く。迷わずポチった。
うちは母子家庭で、決して経済的に恵まれていた方ではなかった。
そんな中でも食に関してだけは豊かだったと勝手に思っている。
好き嫌いが激しく、幼少期は病弱で、保健の先生に「ご飯食べれてる?」と心配されていた私に、それなりの量を食べさせる事は苦労したであろう。
とにかく食べろと色々試されたり甘やかされたりした結果、今でも好き嫌いが激しく拘りが強い。だがしかし、色々なものを食べさせてくれたお陰で、何故かはるばる鹿児島から送られてきていた醤油でお刺身を食べさせてくれたおかげで、
ありがとうお母さん、そして永嶋さん。
1話目みたときよく1時間やろうって思ったなって見てたら、一般人が車で突っ込んできて勝ってめっちゃ笑った。ちょくちょく主人公補正が不自然で面白い。BGMが末廣さんなのでかっこいいぞ。
まどマギっぽいけどちゃんと違うものって感じで良い。背景の近未来感がすごく好き。
・映像研には手を出すな!
あさくさしみたいな丸っこい子好きなんすよ。
・群れなせシートン学園
すっごく面白いし、狼のランカちゃんの声すっごくかわいい。EDかわいい。
・number24
オリジナルアニメでラグビーってことでトライナイツみたいかなと期待したけど全然しっかりしてた。ちょっとBLっぽいけど気にしなければ絵もきれいだし、話もしっかりしてるし、EDのショタも可愛いのでオススメ!ただキャラ多くて覚えきれない。ラグビーします!
・痛いのは嫌なので防御力に極降りしたいと思います。
2話から面白くなるし百合だし、いいアニメだよ。主人公と友達のプレイスタイルの差分化がしっかり表現できててすごい!友達のバトルパートすごい!
シュール。動物形態と人間形態がコロコロ変わるし、人間形態でも動きが動物っぽかったり見てると混乱してくる。話自体も結構おかしい。元ネタもこんな感じなの?
・ARP Backstage Pass
貴重なダイナミックコード枠。いろいろおかしい。トライナイツみたいな普通に作画がちょっとユニークなアニメよりダイナミックしてる。Cパートで普通に話してるんだけど、レイジくんが視聴者目線でつっこんでくれる。今期一押しです。
・バビロン
醤油だけで食べるのもったいないと思ってこの一年いろいろ試した。
週3回買い物に行くので週2~3回の頻度で食べている。
年間よく買うのは、トンボシビ・カンパチ・ブリ系。後はちょっと気分が良いときや安いときは盛り合わせ。
・塩レモン
レモンの絞り汁に塩をいれるだけ。某Youtuberがやってた。
多分、白身の魚じゃないと合わないと思う。サーモンとかイカみたいなのにはよかった。
・塩ライム
上記のやつのライム。こっちのほうが酸いので好み。でも赤身は全く駄目。
全く駄目。だめというか「あ、味噌マヨネーズだな」という感想しかない。
・豆板醤
ほぼほぼ満点。味噌マヨネーズほどの「調味料が主」感は無いものの主張はしてきて、かといって素材を台無しにしない。
赤身にも合う。ただ、調味料自体がサラッとしていないので塗る量に慣れないと微妙。
「あ、豆板醤マヨネーズだな」という感想。学ばないのか、俺は。
「ユッケだな」という感想。いや、ユッケを目指したんだからそうなる。
鮪の血合いなど臭い部位でよくやる。
・わさびしょうゆ
昨日これで食べたけど「あ、これだな。」という感じ。飲み会なんかで刺し身出てくるたびに「あ、これだな。」となる。
(追記)
醤油+○○は大体試してる。(例:醤油マヨネーズ等)というか、醤油マヨネーズとか回転寿司ならサーモンそうなっちゃうし。なので無限にあるから最後のしょうゆわさび以外除いた。
醤油はpatoほど試したわけではないけど、patoの記事で九州の醤油は試した。そのうえで、地元の伊賀越というメーカーの刺身醤油が昔から使ってることもあり一番自分にあってると思うので醤油は伊賀越のさしみたまり。
酢+味噌:酢醤油は試したけど酢味噌はやってない。今度やってみます。(ちなみにつけてみそかけてみそはやった)
ドレッシング系:ごまだれとかはいいかもと思った。試してみます。
ただ、やっぱジャブジャブつけてちょうどいいぐらいの味になってほしいと思ってマヨネーズで割ったけど駄目だったので、