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2024-10-30

通信制大学オンライン講義を受けているんだけど

シラバスに「ZoomBoxなどの利用が必須ですので、利用方法確認した上で受講してください」って書いてあったのに、

使い方が分かってない年寄りZoomチャット欄で騒ぐせいで毎回講義開始が遅れる。

一人だけなら「まあ中にはそういう変な人もいるよね」で済むけど、それが何人もいるから始末に負えない。

学問に励もうとする年寄りですらこれとか、世の中一体どうなってんだろうと怖くなってくる。

2024-10-29

選挙に行ったことがない

イキリじゃない。

しろ行きたい。というか行った方が良いことは十分理解している。


ただ、マジで何も分からないし、何も知らない、選挙のこと。

「誰に投票するか迷った時はこうすると良い」とか「公約はここで見比べると良い」とかよく流れてくるけど、そもそも選挙の仕組みを全く理解していない。


衆議院とか与党とか野党とか左翼とか、なんも分からん。なんか色んな党があってそれぞれに属してる人たちが戦ってて、、、参議院衆議院のどっちかがどっちかを監視してるとかそういうのだった気がする、、、

シンプルに中高行ってないからこの国の仕組みを全く理解していない。年に何回も選挙あるのなんでだ。今は何する人を選んでるんだ。解散ってなんだ。総理大臣は直接選べないらしいのなんで?


行った方が良いことは分かってる。でも学のないバカはお呼びではなくない?公約とかちゃんと分からない状態適当投票するならしない方が良くない?

とか考えてる間に時間切れになる。なんか気付いたらいつも終わってる、選挙そもそも「近々選挙あるらしい」から選挙当日までが早すぎる毎回。毎回慌ててあわあわして終わってる。


それくらい調べろと自分でも思う。でもバカから調べ方すら分からん

そんで最悪なんだけど、仕組みを1から勉強するとか、分からん単語を1つずつ調べるとか、そういうことをする気力が、無い。今回も行った方が良いよな…選挙行かない若者めっちゃ叩かれるし…ってとりあえず「選挙 〇〇区」って自分の住んでる地域でググって区のHPとか読んでみたけど、マジで何言ってるかなんも分からんかった。小選挙区…?比例代表…?なんかあれだっけ、東京人口が多いか当選する人も多いとかそういうの…確か…


不登校中学通信高校を終えて今も通信(週3登校)の大学生してて、正直講義に付いていくための予習復習とかで毎日が精一杯だ。小6の時に学校行事国会議事堂とか行ってちゃん勉強した頃の記憶なんて吹き飛んでるし、その頃に比べて脳が萎縮してるから本読むのもメッチャ時間かかるし、今もうマジで選挙とか政治とか…そういうのに割けるリソースが無い。


選挙、何が億劫って「自分の一票で国が変わる可能性がある」ことなんだよな。自分が投じたところで何も変わらない、じゃなくて、何か変わってしまうかもしれない、だからこそ責任持って慎重に参加したいと考えちゃう。でも調べないから何も分からないままだし石橋を叩いて割るどころか石橋の前で怯えてる状態。まぁ投票しないのはしないのでやべー奴が当選する確率が上がって結果的自分投票しなかった一票が国に悪い影響を与えてしまっているので罪悪感は募るんですが。(ただ適当投票した人間当選して国をメチャクチャにしたらと思うとそれよしマシだと思ってしまう)


あとほんとに匿名しか言えないけど、正直政治にほんとに参加したくない。なるようになってほしい。知らんぷりしていたすぎる。今ガチガチに養われてるからこそ言えることだと思うけど、マッジで国に一切の不満が無い。それも選挙へのモチベが無いことの理由の一つ。なんか裏金とか色々あるらしいし、自分好きな人(アーティストとか漫画家とか)が国の制度に苦しんでる(よく分かってないけどインボイスとか色々あるらしい)のを見ると自分応援したいなと思わなくもないけど、それが「選挙調べるのむずいめんどいしんどい」の感情に勝てない。自分以外の元気有り余ってる人が代わりに糾弾しといてほしい…今人に反対する気力ないし…


何が言いたいかって、若者選挙行ってほしい人、まず「選挙の仕組み」から教えてくれんか。誰か。他力本願申し訳ねぇ。政治ってこういう仕組みで回ってて、政治家ってこういう仕事してて、こういう役割の人たちが振り分けられてて、今はこの役割の人を選ぶ選挙してて…って。選挙のたびにそういう基礎的なことから丁寧に教える風潮が出来てほしい。バカでもわかるサイトとか教えてほしい。(舐めたこと言うと本を調べて選んで入手して読むまでの気力がない。)

選挙政治に興味が無い訳ではないけど、何からしたらいいかからない…って若者を振り落とさないでほしい。選挙ってなんなのか、国がどうやって回ってるのか、何のために選挙に行くべきなのか、選挙で何がどう変わるのか、全部教えてほしい。

こういう自分みたいな若者多分いっぱい居る。行ったほうがいいのは分かってるけど、選挙ことなんも分からんし…って考えてる奴ら。知らんけど。

学校行ってないようなバカ政治参加すんなって感じだったらすみません。行きません。


選挙行ってほしい大人の皆さん、マジでどうかよろしくお願いします。


(あと行ったことが無いって書いてるけど選挙権獲得してまだ2年だし、献血とかは結構行ってるからあんま叩かないでほしい)

2024-10-27

[] ナマポでヤク中だった母親と絶縁した時の話

「親子は血が繋がった他人

これは僕の根幹の考えである

最近、親ガチャ毒親という言葉が以前より目にする機会が増えたように思う。

この記事を書くことを思い立ったのも、Xでとある漫画が流れてきたからだ。

簡単にいうと、お金にだらしなくヒステリック母親子供が振り回され、主人公女性JKリフレに手を出すという話。

僕の母親はまさにこんな感じの女性だった。

離婚してから定職につかず生活保護

光熱費家賃給食費の延滞は当たり前

・虚言癖、自傷ヒステリック

逮捕歴は5回以上、刑務所入りは3回(詐欺万引き、薬物使用etc

漫画のようなここまで強烈な逆ギレはされたことないため、そこだけはうちの母親の方がまともかもだが...

実際に親が警察のお世話になっていることから客観的に見て毒親にあたる母親に育てられたわけだが、32歳の今、結婚もして自分はとても幸せ暮らしている。

なぜそうなったか、いくつか要因があるとは思うが、

①早々に一人暮らしして独立したこと

②たくさんの大人に関わったこ

③絶縁したこと

3点が影響が大きかったと断言できる。

そのため、毒親や親ガチャで悩んでいる方向けに、何か一つ考えや行動のきっかけになればと思い、経験談を書いていこうと思う。

▫️前置き

・これは私個人経験であり、すべての状況に当てはまるものではありません。この選択が誰にでも正解というわけではないことをご理解ください

【18〜20歳無職母親に愛想をつかし独立

まず、18−20歳の頃、生活保護を受けていた母親と、血が半分繋がった妹を置いて独立したことが初めて距離を置いたタイミングだった。

少し遡り、高校3年生の夏、再婚した義父と母が離婚をして、母、妹、自分の3人ぐらしとなった。

その時、妹は2歳だったので、母は定職につくまでの間、生活をするために生活保護申請をした。

僕は公務員になるための専門学校体験講義などに行っていたが、母が離婚したことによって道は閉ざされ、高卒で即働く以外の選択肢がなくなった。

まぁ、正直卒業してからまた勉強したいと意欲的には思っていなかったので、早めに働くつもりではあったが、自分で決めるのではなく親の影響で道が閉ざされたことに対して、理不尽だと感じたのは覚えている。

また、兄は生みの親の方の父を頼り、大学に行っていたこともあり、表では気にしないふりをしても内心では不公平だと思っていた。

自分が中3の頃、母は詐欺で捕まり、その時にさんざん泣かされたので、母親には愛想は尽きかけてはいたが、まだなにも知らない2歳の妹を守りたい一心で働くことを決めた。

公務員試験にも無惨に落ちたり、就職面接も3〜4回落ちたが、なんだかんだその年の12月に家から近くの職場で、正社員として雇ってもらうことが出来た。

会社ではちょいちょいパワハラみたいなのも受けたりはしたが、親よりマトモな大人ってたくさんいるんだなということを思ったのを覚えている。

新入社員自分一人の給料では3人分の家計は支え切れず、続けて生活保護を受けていたので、自分正社員として働き、加えて母親精神病病院に通いながらゆくゆくは定職につき生活保護から抜ける、というのが共通目標だった。

しかし、結局母親は2年もの間、ほぼ定職につくことができなかった。

母親が働かない限り生活保護から抜けられなかったので、稼いでも稼いでも家にお金を入れるばっかりで、自分の使えるお金は増えていかなかった。

18歳の頃、手取り14万円で働き、10万円、家に入れていた。

20歳の頃には、給料が増えて手取りは16万円くらいになったが、家には11万円くらい入れていた。

世帯収入が増えると、当然生活保護費は減らされるので、その分家に入れる金額が増えるので給料が増えても、むしろ損な気持ちになっていった。

なにかがきっかけというわけでもなく、なんで自分新社会人でいびられながらも会社に行き続けてるのに、自分が信じて支える母は仕事にまともに行けず、適当理由をつけて、数ヶ月で仕事を辞めるという日々が続いていた。

20歳大人になったばかりの子供が、言い訳ばっかりして仕事に行けない親を叱りつける、という歪んだ日々も続いた。

自分自己嫌悪したこともあった。

そんな陰鬱とした日常から抜け出したくて、母親と妹を置いて、その時付き合っていた彼女実家の近くに一人ぐらしで引っ越した。

まり20歳で早々に独立したのだ。

この時、妹と母親を置いていくことはものすごく抵抗はあったが、それよりも自分人生がこのまま改善が見られない母親の面倒を見ていくことだけで、終わってしまうことがたまらなく怖かった。

貯金をする余裕もなく本当に貧乏お金がなかったため、家賃3万円台のレオパレス系の物件を借り一人暮らしスタートしたが、初めて自分決断をし生活を選んだことで充足感で満ちていた。

【21〜23歳:母親万引きと薬中になり家庭崩壊、妹が母親の元を離れる】

一人暮らしを始めてからも、小さな妹を残してきたことが気がかりで2〜3ヶ月に一回くらいのペースで、実家に顔を出すようにはしていた。

ただ、本当に家の散らかりようが酷かったのは覚えている。

しょっちゅう電気水道が止まったり、たまにご飯に虫が入っていたりと。

それを発見するたびに母親に注意をし、妹には色んな世界を知ってほしくて、できる限り遊びに連れて行くようにしていた。

公園に行く時もあれば、スケートに行く時もあれば、自分の家でSwitch遊んだりした時もあった。

そんな日常の中、唐突に家庭が崩壊した。

母親が妹の前で万引きを行い、警察通報され、妹が児童相談所に行ってしまったのである

子供の前で犯罪行為を行ったということで、児童虐待と見なされた。当たり前の話だ。

今回の話の主軸とはずれてしまうので経緯は省略するが、この間家庭の立て直しのために毎週のように実家に行って最大限の努力をしたが、それでも最終的には母親が薬物にハマったことにより、猶予をもらっていた児童相談所からも厳しい決断を下され、離婚した義父(妹にとっては実父)のもとに行くことになり、もう2度と母親の元に妹が戻ることはなくなった。

その時まで、自分独立したことは正しかったと自分に言い聞かしていたが、この時は本当に後悔の念に駆られていた。

「"自分がいたら"、万引きをするのを防げたのか?」

「"自分がいたら"、薬物中毒になるのは防げたのか?」

「"自分がいたら"、妹が児童相談所に行くことはなかったのか?」

今となっては、結果的父親のもとに行って良かったと諦めはついているが、この離婚した父親の元にはすでに不倫相手との間の子供がいたので、妹が疎外感を感じるんじゃないかと怖かった。

自分感情としても、信じたくなかった。ただただ、嫌だった。

しかし、無力な自分には何もすることができず、自分人生の中での最大の挫折をし、心に傷を負ったまま普段生活に戻って行った。

そのころに今の妻となる女性SNSを通じて出会い、反対に自分と同じく家庭問題で悩んでいた妻を精一杯支えることで、心の傷が少しずつ癒えていった。

一方その頃母親は、メンタルクリニックで知り合った男と一緒に暮らしていたが、そんな状況でもしょっちゅう犯罪を繰り返し、5年前後刑務所生活を送ることになっていた。

【30歳〜:出所してきた母親に絶縁を伝えた】

普段生活に戻った後、妻と結婚した翌年だった。

母親が5年ぶりに出所したとのことで、叔母経由で連絡があった。

叔母の家にいる母とのLINE通話で少しだけお互いの近況を話した。

自分結婚したこと

・母が今住んでいる場所病院に行っていること

・「更生」するために意気込んでいること

最後、どこに住んでいるか聞かれたが、それは言えないと断った。

結婚した妻と一緒に数年前に新しく住んだ家にはどうしても来てほしくなかったかである

独り身だったら決断は変わったかもしれないが、絶対に妻には迷惑をかけたくなかった。

新しい携帯電話番号も伝えなかった、事実上の絶縁である

電話越しの声のトーからも母が悲しがっていたのはわかったが、妻との生活と天秤にかけた時に自分意思は固かった。

LINE通話事実上の絶縁宣言をしただけ。

たったそれだけの行動で、今まで10年以上縛っていた、自分の心の荷がストン下りた。

自分人生から母親がいなくなった。

ちなみに今年、刑務所から父親宛に手紙が届いたらしく、それでまた刑務所に入ったことを知ったのだが、「ああ、やっぱりな」という感想しか出てこなかった。

【終わりに】

毒親、親ガチャ問題は様々なケースが存在するので、全部のケースで当てはまるとは言えないが、自分人生客観的に振り返った時に、下の3つがターニングポイントになっていた。

①たくさんの大人と関わる(親戚、仕事趣味の繋がりなど)

一人暮らしして独立する

③親と絶縁する

まず前提として、僕は人より鈍感であるため、へこむことはあっても、精神が病むことはなかったので、心に傷を大きな傷があり、精神状態があまり良くない方はまずは病院に行ってみたほうがいいだろう。

実際に妻は家庭問題最初まり精神状態が良くなかったので、最初は一緒に病院に行っていた。

ただ、一方で薬や病院もあまり頼り過ぎも良くないと自分は考えているので、良きタイミング仕事友達などで人との繋がりを増やし、徐々に社会復帰できれば一番ベスト

妻は、バイト自己肯定感や自信を取り戻し、保育の専門学校友達ができ、今は保育園仕事に悩みながらも、精神状態が大きく崩れることはなく立派に自立している。

精神状態問題なかったら、①のたくさんの大人と関わるという段階にステップアップする。

僕の場合仕事で会った人の影響が大きく、「親よりまともな大人ってたくさんいる」という事実と色んな考えに触れることによって、親の悪い影響を受けなくて済んだと思っている。

ただ、仕事ぶっちゃけ「ある程度ピックアップ選択ができるガチャ」みたいなものではあるため、そのほかにも親戚の家に転がり込んだり、今ならSNSで繋がった趣味が会う大人と会うのもいいだろう。

僕はスプラトゥーンというゲームが大好きで、ゲームをしながら色んな人とSkypeDiscordを通じて話したり、しょっちゅういろんな人とオフ会で会って交流関係が広がった。

独立と絶縁については、似たようなもんだが、独立だけで済むならそれが一番。

しかし、僕は絶縁までしないと本当の意味で心の荷が下りなかった。

絶縁したおかげで、たまにこうやって思い出して文章を書くことはあっても、自分人生におけるウェイトはすべて自分と妻と愛猫で占めている。

僕は独立したことにより、結果として妹に悲しい思いをさせて苦しんだし反省もしているが、絶縁まで済んだ今となっては、自分に抱えきれない問題だったと諦めがつき、後悔はしなくなった。

それだけ、親という一人の大人を変えるのは難しいことなのだ。

最初に申し上げたとおり、僕のスタンスは「親子は血が繋がった他人」。

どうしても抱えきれないなら、自分人生を選び、縁を切ればいい。

あなた人生なのだから

2024-10-25

ワイ「ち、チノちゃん送信中にアンテナさないで!」

チノ「うるさいですね……」スポンッ

ワイ「あ、あぁ~ッ!」ジュワッ(ファイナルが飛ぶ音)

チノはい今日アマチュア無線業務は終わり。お疲れさまでした」

ワイ「うぅ……あ、ありがとうございました……」

数週間前、念願のアマチュア無線のリグを購入したのだが、『よくわからないうちにオフバンド送信してしまうのでは』という懸念の声があり、結果、チノちゃんが定期的にワイのリグのメンテナンスをしてくれるようになった。しかチノちゃんはなんだかワイのことがキライみたいで、いつもいつも送信中にアンテナを引っこ抜いて、おサイフがイタイイタイなのだった。

ワイ「トホホ……チノちゃん可愛いのに送信中にアンテナ引っこ抜いておサイフイタイイタイなんだから……あーあ、どうにかしてチノちゃんのリグのメンテをやさしくて気持ちものにしてもらえないかな~、ん?」

深夜なのにチノちゃんの部屋から明かりが漏れている。

チノ「よいしょ……よいしょ……」

ワイ(ち、チノちゃんが、自分の部屋でワイのアンテナのSWRを調整している!?

チノ「ふぅ……こんなものですかね……。今後はもっとSWRをあげないと……」

ワイ「チノちゃーん!」バターンッ!

チノ「ひゃあッ!?

ワイ「チ、チノちゃーん!ごめんよーッ! チノちゃん毎日ワイのためにアンテナを調整してくれてたのにワイはそんなことも知らずに……ッ!ハフッ!ハフッ!同軸ケーブルが焦げたにおい!」

チノ「ど、ドサクサにまぎれて匂いを嗅がないでください!」

ワイ「ご、ごめんねチノちゃん……!」

チノ「べ、別にアンテナを調整するなんて普通です……。それが私のお仕事なんですから……。それに、ワイさんのCQに答えてくれる人がまだ少しいますから…」

ワイ「す、少しでも反応してくれる人が居て嬉しいよ!チノちゃんのその気持ちだけでワイは十分無線を楽しめてるよ!あっ、そ、そうだ!チノちゃん! 6mの呼出周波数を聴いて!」

チノ「こ、こうですか?」

ワイ「そう!それじゃあ今から電波出すからね!チノちゃんが調整してくれたアンテナで50Wでぴゅっぴゅっするからね!ちゃんと受け止めてね!」

チノ「えっ、えっ?」

ワイ「ウオーッ!チノ!!こちらはJL1…!!」 ジュワッ(ファイナルが飛ぶ音)

チノ「ひゃあッ!」

ワイ「くっ、ふぅ……!す、すっごい煙出てきたーッ!なんで!?なんで!?

チノ「それはね……わたしがSWRを極限まで高くしたからですよ!電波が飛ばないように!」

ワイ「え、それって……はわわ……あ、あの……もうちょっとだけ、詳しく教えてもらってもいいですか?」

チノ「もちろん!」

その後、ワイは一晩中チノちゃん無線講義を聞いて次の日の朝は起き上がれないほど疲弊していた。

その日以来、アマチュア無線をするときチノちゃん呼出チャンネルでワイを名指しして「今日オフバンド送信するなよ」と言ってくるようになったので終わり

2024-10-23

やっぱ、桜井さん好きだわ。これぞ、クリエイターの鑑。

ちゃん収益化してお金稼いで欲しいとも思うけど、クリエイターを育てるためのコンテンツ知識お金取らないのマジでかっこいい。これに倣って、他の業界著名人も何か出してくんないかな。

そういや、東大講義無料で見れるよね。今思い出したわ。

2024-10-17

あれはセクハラ電話だったのか?

20ちょっと前、私がひとり暮らし一年目の女子大生だった頃の話だ。

当時は、携帯電話も持っていたけれど自宅の固定電話もまだまだ現役で、ネット回線セールスとか支持政党アンケートとかそんな電話がかかってくることも珍しくなかった。

ある日、まだ明るい時間帯だったと思う、電話がかかってきた。大学研究のために広く電話アンケートを行っているという。

当時私は大学一年生で、講義前後にお邪魔しますと先輩学生教室に入ってきて、卒論アンケートに協力をお願いしますなんて言われるのがしょっちゅうだった。だから、この電話にも(はいはい。またアンケートね、協力いたしますよ)程度のものだった。

肛門性交についてアンケートをとっている」という。若い男性の声で、誠実さとたどたどしさが混じり合ったような、いかにも緊張した真面目な大学生みたいな声だったと思う。

だいぶニッチ研究だなあ。とは思ったが、なにぶん当時は大学毎日のように、

背中に触られたらくすぐったいか。5段階でどのくらいのくすぐったさか。

手の甲に触られたらくすぐったいか。5段階でどのくらいのくすぐったさか。

自分で手の甲に触ったらくすぐったいか。5段階で(略)。

実験者と被験者で30分ほど歓談し、もう一度触ってみる。親しくなった後でくすぐったさに変化はあったか

…なんて実験を、相手を変えて延々と13時から17時過ぎまでやってたのである

実験だのアンケートだのは、心を無にして淡々と進めるに限る。でないと、いつまでも終わらないし帰れない。というのがすっかり身に染み付いていた。

肛門性交をご存知ですか?」「知ってます

肛門性交のご経験はありますか?」「ないです」

肛門性交にご興味はありますか?」「ないです」

淡々一問一答である

パートナー肛門性交してみたいと誘われたら、応じますか?」「いやー、わからないですね」

家族、ご友人などに肛門性交したことがあるという人はいますか?」「いやー、わからないですね」

アンケートは以上です。研究にご協力いただきありがとうございました」「おつかれさまでしたー」

受話器ガチャ



あれ、えっち電話だったのかなあ。

今でも、教授から変なテーマ割り当てられちゃった可哀想学生さんだったんじゃないかと思ってるんだけど、

えっち電話だったのかなあ……

2024-10-13

村上春樹作品ポリコレガン無視云々で思い出した恩師との会話

ノルウェイの森キモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたこしか覚えていない)。

そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反キモい小説禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。

それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。

恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアル留年するレベル卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。

昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月大学早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。

挨拶やら近況報告やらを経て、話題A先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生退職理由について「学内の過剰な『コンプラポリコレ意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。

私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラポリコレ重視派」というか、フェミニズム共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。

私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。

A先生は、最近学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。

そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHK地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写暴力自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。

大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキング経験咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」

といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。

また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。

「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」

と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。

ポリコレ」つまりポリティカル・コレクトネス」とは本来政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮対象となるのはあくま現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクション評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品非難対象となっている。

だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラポリコレ意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。

1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。

最後に、フィクション受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。

私は昔から小説漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物クラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定グループ所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み自己肯定感が下がっていった気がする。

それでも、私の基本的スタンスは「傷つくのは受け手事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的フィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクション同義ではないのか。

以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。

2024-10-12

大学生パチンコパチスロをやるな

大学時代パチンコパチスロで作った借金さっき返済し終わったから書く。書き殴りの駄文からそこはすまん

大学時代パチンコパチスロにハマった

元々チー牛趣味なので好きなアニメの台を打ちに行ったのが始まりだった。

ビギナーズラックってほんとにあるんだなと今になれば思うけど、1000円が1万円になった。

そっからは転がるように転落。

気がつけばサンドに万札突っ込むのは躊躇わないのに晩飯に500円出すのを渋るようになった。

バイトと親の仕送りでどうにかギリギリ…って時に新台10万負けた。

5万以上入れてからは正直記憶がないし、単発で10万入れて1000円ちょっと返してもらうという馬鹿時間を過ごした。

最近は決済アプリで金借りが出来たりする。学生扶養ギリギリまでバイトしてたから30万まで借りれた。消費者金融避けて実態消費者金融のとこで借りてるんだから笑えるよな

人は借金すると限度額まで借りるって聞いてて、正直そんな人を馬鹿にしてました

簡単に30万限度額まで借りてました。ほんとに怖い。

俺は依存症じゃないし笑とか思ってたけど、講義サボって打ちに行ったり、大学研究すらやらない時期もあった

手元に5000円しかない時に1パチで増やそうともした。

親に嘘ついて金もらって打ったこともあったな。いまだに言えないけど、早いとこ親孝行でなんかして気持ちだけでも返したい。

せいぜい30万の借金で〜〜って思われるかもだけど、誰にも言えない恥ずかしい借金って情けなくなるしほんと恥ずかしいよ。辛いよ。しんどい

パチンコパチスロ打つ友達との会話とか並び打ちとか確かに楽しいけど、絶対他のことした方がいいぞ。

レア確率とかモード推測できて何になる?パチ屋以外でなんか役に立った?

パチスロとか演者かになるならともかく、その時間バイトしたほうが期待値高くない??

ぶっちゃけたまたまスロで勝ちまくって奇跡的に返済できた依存症脱出出来てない新卒だけど、まず学生パチ屋入るな。近づかな。

入ってもいいけど毎日行くのやめろ、途中で金下ろすのもやめろ。天井狙いする立ち回りならそもそも打たねえ方がマシな場合多いぞ。

つんなら財布の中身の軍資金でやりくりしろ

生活を削るな

俺も依存から脱出できてない自覚ある。

今も打ちたい台とかあるし、SNSで流れてくる勝ち報告見ると明日行くかーとも思うよ

でもあんなの一握りだぞ

おんなじ日に何万人とやってたまたま上澄み引けた人が自慢してるだけだぞ。お前がそうなれる自信はどっから来てんの?

遠隔とか店長スイッチとか信じてないけど、賭け事は基本胴元が勝つように出来てるんだから辞めとけ

サンドに突っ込む1万を口座に叩き込んだ方がマシじゃないか

社会人になって自分で稼いで突っ込んでるならともかく、親に何か施されてる間は賭け事なんてしない方がいい

俺みたいになるな

俺も最初3万とか借りて限度額まで借りたんだぞ

親に言えねえ金の使い方はするな

これ読んだ賭け事やってる学生が少しでもマシな道を歩めるように祈ってる

2024-10-11

ぬるま湯アカデミアとJTCを駆逐したい

最近Twitter(X)で「アカデミアはぬるま湯だ」と嘆くツイートを目にして、思わず共感してしまった。ああ、私だけじゃないんだな、こう思っているのは、と少し心が軽くなった。

正直に言うと、私はアカデミアが苦手だ。「頑張る」のハードルが驚くほど低く、しか特権意識だけは人一倍強い。生産性を感じない人が多い。

大学時代から私は研究が好きで、文系分野でトップを目指して走り続けた。修士課程の頃には実績の数も抜きん出ていて、周囲から「優秀な若手研究者」として評価されていたし、私自身も博士課程に進んでからもこのままトップを走り続けるのだろうと、漠然と信じていた。

博士に進んでからは、視野を広げるために積極的に他分野の講義民間企業インターンに参加し始めた。就活はしない予定だったが、アカデミアでのポジション確立されたら外の世界を知る機会はもうないだろうと思い、社会勉強のつもりで足を踏み入れてみた。

そこで私の人生は一変した。

まず最初に、インターンでは今まで出会たことのないような優秀な学生出会えた。全国から集められた優秀な学生たちはキラキラとやる気に満ち溢れていて、ストイック能力が高かった。今までアカデミアで出会たことがないタイプの人たちだった。彼らと出会って、外の世界にはこんなに優秀な人たちがいるのかと驚いた。

私はアカデミアにいる人が好きじゃなかった。なんだかじめじめしていて、ガッツが足りず、本気を感じない。コミュニケーションもどこかおかしいし、全体的にバランスいびつで、言葉は悪いけど「社会不適合者」が多い印象だった。

インターン出会った人たちは爽やかで元気よく、アベレージの高い人々だった。頭も切れて体力もあり、歯を食いしばってでも努力して大きなことを実現してくれそうな雰囲気だった。

できない理由を並べ立ててはすぐばてる、「精一杯頑張っている」と言いながらそのハードルが低いアカデミアの人たちとは全く違った。

私はこのインターンを通して、外の世界の魅力に気づいてしまった。

他分野の講義では文系学問の舐めっぷりを実感することになった。理系講義では内容が濃いのはもちろん、毎回の課題の多さと試験がしっかり行われている点に驚きがあった。

私のいる文系分野では毎週の課題基本的になく、期末に既成事実作り程度の2000字のレポートが1つ出るくらいだった。まさか「しっかり勉強している学部」では1回の講義で3000字のレポートが出たり、期末が試験プレゼンレポートの3つでセットだったりするとは思わなかった。

理系と比べて文系は本当に「何もしていない」に等しいなと痛感した。大学時代でかなり差が開いているだろうなと思った。もちろん、他の文系学部ではしっかり勉強しているところもあるのだろうが、私のいた学部はゆるかった。

他分野の講義を受け始めた当初は、あまり実学っぷりに、世の中にはこれほど社会に役立つ学問があるのか…と驚いたりしたものだが、そのうち理系にも世の中の役に立っていない(と言われそうな)分野はあるのだなと気づきはじめた。今まで文系ばかりが「役に立たない」と批判されがちだが、理系にも似たような問題を抱えている分野があるのだと知った。「文系理系わず、役に立たない学問はある」と結論付けた。

このように過ごしていると、今まで身を置いてきたアカデミアがだんだん矮小に見えてきた。

本気をやっていないな、と思うようになった。

表向きは研究価値を声高に主張するものの、実際にその価値説明する能力に欠けているところ。「学問価値自明のものだ、蒙昧め」と言わんばかりの閉鎖的な特権意識。外の世界説明責任を感じておらず、接点を持とうとしないところ。

もっとアカデミアは外の世界に開かれるべきだし、適切な評価基準に基づいて判断されるべきだと思う。しかし、現実はそうならないだろう。これ以上頑張りたくないだろうから自分たち権利を守るために、自分たちが頑張らなくて良いように抵抗するんだろうな。

外の世界では、世の中を実際に良くするために歯を食いしばってでも本気をやっている人がいるのに。

最終的に私は、アカデミアの甘さが嫌になり、博士課程まで進んだにもかかわらず民間就職することに決めた。しかし後悔はない。外の世界の方が、優秀な人はたくさんいるって分かったから。

民間就活ではJTCにも嫌気がさした。

社員たちは平々凡々で自立心がなく、組織従順自分から何もしない。それでも特権意識だけはある。一体今まで何を成し遂げてきたんだろう、と疑問に思うようなふわふわした話し方と、しまりのない表情の社員が多かった。私は自立して明確な成果を出しながら走りたいと思った。

結局、私に初めて衝撃を与えたインターンから内定をもらった。そこは世界舞台に、本当に優秀な人たちと働ける環境だった。

出会った社員たちは全員がストイックで、甘えがなくて、数多くの修羅場をくぐり抜けたかのような覚悟と本気を感じさせる人たちだった。この場所なら、ベストを尽くしてもっと強くなれると思った。そして世の中のために実際に役に立てるような気もした。

研究とは離れてしまう。これから人生どうしようかな。

私は今まで研究に本気だったから、何をしていこうかまだ分からない。

本当のことをいうと、アカデミアがもっと優秀な人たちがいる環境だったら、残りたかったな。研究自体は好きだったから。

アカデミアに優秀な人間が集まるようには、私の仕事ではできないだろうから、せめて外の世界アカデミアがもっと開かれるように、そして甘えた人々が引き締まるような働きかけをしていこうかな。それに加えて、JTCの社員たちにももっとシャキッとするように変革を起こせたらな。こういう仕事ならきっとできると思う。

でもこれって、闇落ちだよねと思う。アカデミアやJTCを許せないというネガティブ感情で動くのだから社会のためにも私のためにもならないな。

これから私、どうやって生きていったら良いんだろう。

クソデカリュックを持ち歩く彼女

大学に付き合って3年になる彼女がいる。

彼女はいつでも大学に行く用のクソデカリュックを持ち歩いてる

講義終わりのデートなら分からなくはないが、夢の国デートにまで持ってきたのはさすがに引いた。

中に大切なものが入ってるのかと思えばそうでもない。

3年間分のレジュメ落書き高校ときプリントまで入ってるファイル図書館の本。ほぼ紙。あとはスマホと財布とノーパソだが大事ものと言えばそれしかない。

お泊まりときも持ってくる。下着やら着替えは2、3泊分くらい俺の家にあるので、クソデカリュック必要ない。

お泊まりならいいんだけど、渋谷とか池袋まで遊びに行くときも持ってくるのが一番キツい。服屋とか入ると明らかに邪魔になってる。ちょっと芋っぽい垢抜けきれてないところが可愛くて好きなんだけど、これは芋すぎてこっちが恥ずかしくなる。

去年、大学生がよく使うデカトートバッグをあげたんだけど、前に家に行ったら未開封のままクローゼットに入ってた。無地のやつだからダサいから使いたくないとかじゃない。彼女シンプルデザインのものが好きだし。そのとき、聞いたら「これを背負ってないと不安」だという。多分、精神的な何かだと思う(実際かなり情緒不安定)

明日彼女はクソデカリュックを持ってデートに行く。

2024-10-10

JNPC (今日知ったYouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/@jnpc

日本記者クラブYouTubeチャンネル

有識者最近の国際情勢など分かりやす解説してくれる講義が好き。

質問タイムの時にけんか腰で粘着してくる個人会員のおじさん嫌い。

2024-10-03

今日は大雨だった

それで昔を思い出すことがあったので、ちょっと書いてみることにした。

俺がまだ大学生だった頃の話で、その日は雨模様が変わって急にどしゃ降りみたいに振り出した。

俺は傘を持っていたか問題なかったんだけど、駅を出て少し歩くと向こうから歩いてくる女性が居た。

女性は傘を持ってなくて、大雨の中をびしょ濡れになって歩いてて、俺は思わず彼女のもとへ行って自分の傘をさした。

どうしてそんなことをしたのか。

元々俺は人見知りだし、人と関わるのがそれほど得意な方でもない。だからあのとき行為咄嗟に取ったもので、無意識にそうしていたというのが多分一番正しいと思う。何より大雨に打たれながら歩く人をそのまま見過ごすことができなかった。本当にただそれだけのことだったと思う。

女性は当然驚いて「え?」って感じで俺を見つめてきて、気まずかった。俺も慌ててしまって、しどろもどろになりながらも大雨の中を傘もささないで歩いていたからとか、そんなことを言ってたと思う。

それから少し話をして、彼女の家がそれほど遠くないことが分かった。家まで送っていきますと申し出ると女性は少し悩む素振りをみせて、それからお願いされた。送る道中はもちろん相合傘状態で、その間は何を喋ったか全然覚えてない。それほど会話もなかったと思う。何より俺は非モテで、そういったことに慣れていなかったので、とにかく緊張してた。彼女アパートにつくとそこで別れて、連絡先を交換した。

翌日のことだった。本当にびっくりしたのを覚えてる。彼女の方から連絡があって、もしかして◯◯?と大学名を言われ、当たっていたのだ。そして彼女も俺と同じ大学で、一年先輩であることが判明した。同時に、お礼に学食を奢るから来てと言われて一緒に昼食を食べたんだ。そこで色々と話して、どうやら彼女の方は俺のことを何度か見かけたことがあったらしい。

俺の方は先輩のことを知らなくて、ちょっと傷ついたみたいだった。俺は多分学年が違うからとかちょうど取ってる講義時間が違ったからですとか、とにかくテンパりながら色々言った。

先輩は冗談だよって笑ってくれて、そのとき笑顔が美しい…というか、なんか凛とした雰囲気の人なのに可愛くて、印象的で、今でも覚えてる。

それから交流が始まって、お互いはっきりと告白すると言ったことがないまま先輩と付き合い始めた。

そうなんだよ…こうやって、改めて書き出してみて分かったんだけど、そういえば告白してなかったな…ってことに気がついた。

でも全く告白をしていない訳じゃない。ただ順序が少しおかしいというか、告白は一度きりで、「結婚してください」と俺から言ったときだけだと思う。

今日、また大雨だった。駅に向かって歩いてるとき、傘もささずに歩いている年配のご婦人が居た。大雨の中、その人だけが雨に打たれていて、俺は気づけば女性を傘に入れていた。驚かれて、俺はテンパりながらまた説明して、それで二人で駅まで一緒に歩いていった。ご婦人は気さくな方で、よく話しかけてくれて、それで10分くらい楽しく駅まで歩いた。駅に着くと深々と頭を下げてくれて、感謝の印だからデパ地下お菓子まで頂いてしまった。

申し訳ないのでいいですよと言うとご婦人は「嬉しかたから、いいのよ」と言ってくれた。

それでさっき帰って妻にそのお菓子を渡したら「どうしたの!?」って驚いたから、ことの顛末説明した。

そうしたら「10年前と変わってないね」と微笑んで言ってくれて、なんだか胸がぎゅっとなった。

本当に嬉しかたから、思わずここに書いてみた。

それと高説を垂れるみたいで悪いけど、ちょっとした優しさが人を幸せにするなら、その幸せ自分にも必ず帰ってくるよというのを、もし共感してくれたら俺はすごく嬉しい

2024-10-02

私の馬鹿馬鹿しい人生を紹介しま

地元美術予備校に通う 2017,

2018年 フランス行く(留学) 三月 八月カンボジア行ってビジネス展開 カンボジアはうまくいかない

フリーター高校生 よい短歌を書く(これだけよかったの)

2019年6月22日から天の声聴こえ地元美術予備校高校不登校向け学習支援室に入る(統合失調症のさきがけ)

2020年3月,藝大一次合格

東京美術予備校2020年度4月〜すぐ病んで行かなくなり七月八月強制送還十月予備校前で救急車呼ぶなど迷惑千万 十月十二月入院

地元に帰り地元の塾 2020年冬季のみでFラン福祉合格

Fラン福祉大学 2021年度 前期のみ通うが休学し退学 病んでる。編集者から原稿依頼きて原稿書くが界隈から反応なし、悪いか(笑)(病んでるな〜…病んでるな)

東京美術予備校(Aとする)オンライン 2022年度春〜出禁(都合よく多分カモにされたんだ。馬鹿だったな。わたしの成績は底辺に近かったずっと。最高で二票しか入らんかった。三浪になのに)学研全然講義に参加していなかった。うどん屋バイトも入れるが3、4、5、6の四ヶ月で十万しか稼げず。ずーっと怒られてた、ずーっと病んでる。死にたい

小学生のままで時間止まっている。ま、じ、で。小学生が働いてるみたい。まじでなんで生きてるん?

別の東京美術予備校(これをBとする)、2022年度夏期講習より参加。目をつけられて9月出禁(病んでるから?笑)「だれがみるの?こんな絵」と笑われる。これが現実。有名な画家先生から

2022年度後期より統失発症

東京マンションでじっとする、ネットを見て病むをくりかえしている。あんなに応援してもらったけど藝大受験のプレッシャーわたしには険しかった。いくつかの店を出禁にされる(居酒屋ホテル

休養 2023年度2-7月入院 状態悪い

地元の塾 2024年度 4、5月のみ通いあとはサボるふわふわしていて覚束無い。

七月八月自殺未遂

九月三十日短歌の賞に間に合わず自殺未遂。ぱっくりと手首切る。常に自殺したい。

過ぎたことはすぐに忘れる。ただのかまちょメンタルヘラった女、それが私

自爆テロっぽい 特級呪物すぎる

ぐだ〜〜〜って病気と向かい合いながら病んでる。私本当になんで生きてるんだろう(笑)アハハ

時間と金無駄遣いお疲れ様でした

そろそろ現実見て死にましょうか(笑)

アハ、疲れた

結婚できないよ多分。派遣バイトもうまくできないし死にたいな〜死にたい

ずーっと逃げてるし、うまく行かないと思うとすぐたたかわず逃げるし、基本的に逃げて逃げて逃げて逃げつづけてちょっとけがんばると糖質発動ってどゆこと。

まじで社会の澱やんね

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

https://anond.hatelabo.jp/20241002005940

一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

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一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

三四郎はそれなり寝ついた。運命与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京火事はこれで二へん目である三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか講義最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなもの白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師ちゃんとこっちを見ている。白紙丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。

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 広田先生病気だというから三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、

「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである

先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である先生もすぐ起き直った。

「なるほど」と言っている。

「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから危険です」

 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。

「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」

「ええ、もうよろしい」

 三四郎風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。

「柿を買って来ました」

 広田先生書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

 三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分寿命わずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎蕎麦などを食う時のように、気がさえない。

 広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである

「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」

 三四郎は礼を述べて書物を受け取った。

寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生安心して柔術学士談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇悲劇として味わう余裕がない。ただ事実報道として読むだけである自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒はいたか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。

だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。

「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセント墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」

 これはハイドリオタフヒアの末節である三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。

 贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である三四郎はこれから曙町原口の所へ行く。

 子供葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのであるしかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである

 曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣きれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからいくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。

 玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。

 描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。

「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。

「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、

「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、

「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。

 それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しか足音はしない。

 静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間画家意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。

「また苦しくなったようですね」

 女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。

 原口さんは丸テーブルそばまで来て、三四郎に、

「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。

 絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから素人三四郎が見ると、なかなかりっぱであるうまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着人間でないとみずから証拠立てるだけでも三四郎風流である

 三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。

小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」

九  与次郎が勧めるので、三四郎はとうとう精養軒の会へ出た。その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田のお光さんのおっかさんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包みが届いた時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚へ入れておいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う。三四郎が着なければ、自分が持っていって着そうな勢いであたから、つい着る気になった。着てみると悪くはないようだ。  三四郎はこのいでたちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。与次郎の説によると、お客はこうして迎えべきものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった。第一自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい受け付けの気がする。制服を着てくればよかったと思った。そのうち会員がだんだん来る。与次郎は来る人をつらまえてきっとなんとか話をする。ことごとく旧知のようにあしらっている。お客が帽子外套給仕に渡して、広い梯子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向かって、今のは誰某だと教えてくれる。三四郎はおかげで知名な人の顔をだいぶ覚えた。  そのうちお客はほぼ集まった。約三十人足らずである広田先生もいる。野々宮さんもいる。――これは理学者だけれども、絵や文学が好きだからというので、原口さんが、むりに引っ張り出したのだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振りまいたり、フランス式の髯をつまんでみたり、万事忙しそうである。  やがて着席となった。めいめいかってな所へすわる。譲る者もなければ、争う者もない。そのうちでも広田先生のろいにも似合わずいちばんに腰をおろししまった。ただ与次郎三四郎けがいっしょになって、入口に近く座を占めた。その他はことごとく偶然の向かい合わせ、隣同志であった。  野々宮さんと広田先生あいだに縞の羽織を着た批評家がすわった。向こうには庄司という博士が座に着いた。これは与次郎のいわゆる文科で有力な教授であるフロックを着た品格のある男であった。髪を普通の倍以上長くしている。それが電燈の光で、黒く渦をまいて見える。広田先生坊主頭と比べるとだいぶ相違がある。原口さんはだいぶ離れて席を取った。あちらの角だから、遠く三四郎と真向かいになる。折襟に、幅の広い黒襦子を結んださきがぱっと開いて胸いっぱいになっている。与次郎が、フランスの画工は、みんなああいう襟飾りを着けるものだと教えてくれた。三四郎肉汁を吸いながら、まるで兵児帯の結び目のようだと考えた。そのうち談話だんだん始まった。与次郎ビールを飲む。いつものように口をきかない。さすがの男もきょうは少々謹んでいるとみえる。三四郎が、小さな声で、 「ちと、ダーターファブラをやらないか」と言うと、「きょうはいけない」と答えたが、すぐ横を向いて、隣の男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとかなんとか礼を述べている。ところがその論文は、彼が自分の前で、さかんに罵倒したものから三四郎にはすこぶる不思議の思いがある。与次郎はまたこっちを向いた。 「その羽織はなかなかりっぱだ。よく似合う」と白い紋をことさら注意してながめている。その時向こうの端から原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するにはつごうがいい。今まで向かい合わせに言葉をかわしていた広田先生庄司という教授は、二人の応答を途中でさえぎることを恐れて、談話をやめた。その他の人もみんな黙った。会の中心点がはじめてできあがった。 「野々宮さん光線の圧力試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」 「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理実験はそううまくはいかない」 「インスピレーションには辟易する。この夏ある所を通ったらばあさんが二人で問答をしていた。聞いてみると梅雨はもう明けたんだろうか、どうだろうかという研究なんだが、一人のばあさんが、昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨していた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村さん、小説だって、そうだろう」  隣に田村という小説家がすわっていた。この男は自分インスピレーション原稿の催促以外になんにもないと答えたので、大笑いになった。田村は、それから改まって、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――  雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。と言うのである。  一座は耳を傾けて聞いていた。なかに三四郎は腹のなかで、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだろうと、上京のさい、望遠鏡で驚かされた昔を思い出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さい声で与次郎に聞いてみた。与次郎は頭を振っている。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「ええ、水晶の粉をね。酸水素吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」  三四郎は「そうですか」と言ったぎり、引っ込んだ。今度は野々宮さんの隣にいる縞の羽織批評家が口を出した。 「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」 「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」  批評家はだいぶ感心したらしい。 「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」と言った。 「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」と広田先生が言った。 「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口さんが笑っている。 「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」  野々宮は、ついまじめになった。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」と言った。この一言で、人々はもとのとおりビールの気分に復した。広田先生が、こんな事を言う。 「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生説明しなければならなくなった。 「だって、光線の圧力試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然献立のうちに、光線の圧力という事実印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」 「しか浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」 「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだからそれからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。 「すると、物理学者は浪漫自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士比較を持ち出した。 「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織批評家言葉であった。 「そうかもしれないが、こういうことは人間研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。 「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間しからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」  小説家はそれで黙った。今度は博士がまた口をきいた。 「物理学者でも、ガリレオ寺院釣りランプの一振動時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートン林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」 「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。v※(アキュートアクセント付きE小文字)rit※(アキュートアクセント付きE小文字) vraie. なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」 「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。  食後には卓上演説も何もなかった。ただ原口さんが、しきりに九段の上の銅像悪口を言っていた。あん銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者銅像でもこしらえるほうが気が利いているという説であった。与次郎三四郎九段銅像原口さんと仲の悪い人が作ったんだと教えた。  会が済んで、外へ出るといい月であった。今夜の広田先生庄司博士によい印象を与えたろうかと与次郎が聞いた。三四郎は与えたろうと答えた。与次郎は共同水道栓のそばに立って、この夏、夜散歩に来て、あまり暑いからここで水を浴びていたら、巡査に見つかって、擂鉢山へ駆け上がったと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰った。  帰り道に与次郎三四郎に向かって、突然借金言い訳をしだした。月のさえた比較寒いである三四郎ほとんど金の事などは考えていなかった。言い訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思っている。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情をいろいろに話す。その話し方のほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分の知ってるさる男が、失恋の結果、世の中がいやになって、とうとう自殺をしようと決心したが、海もいや川もいや、噴火口はなおいや、首をくくるのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃を買ってきた。買ってきて、まだ目的遂行しないうちに、友だちが金を借りにきた。金はないと断ったが、ぜひどうかしてくれと訴えるので、しかたなしに、大事の短銃を貸してやった。友だちはそれを質に入れて一時をしのいだ。つごうがついて、質を受け出して返しにきた時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなっていた。だからこの男の命は金を借りにこられたために助かったと同じ事である。 「そういう事もあるからなあ」と与次郎が言った。三四郎にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である与次郎は、 「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎はなおおかしくなった。 「笑わないで、よく考えてみろ。おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう」  三四郎は笑うのをやめた。 「それで?」 「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」  与次郎はよく知っている。三四郎はふんと言って、また高い月を見た。月のそばに白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いいや」 「いつまでも借りておいてやれ」  のん気な事を言う。三四郎はなんとも答えなかった。しかいつまでも借りておく気はむろんなかった。じつは必要な二十円を下宿へ払って、残りの十円をそのあくる日すぐ里見の家へ届けようと思ったが、今返してはかえって、好意にそむいて、よくないと考え直して、せっかく門内に、はいられる機会を犠牲にしてまでも引き返した。その時何かの拍子で、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜の会費もそのうちから出ている。自分ばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円残っている。三四郎はそれで冬シャツを買おうと思った。  じつは与次郎がとうてい返しそうもないから、三四郎は思いきって、このあいだ国元へ三十円の不足を請求した。十分な学資を月々もらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘をついたことのない男だから請求理由にいたって困却した。しかたがないからただ友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれと書いた。  すぐ返事を出してくれれば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりはことによると来ているかもしれぬくらいに考えて、下宿へ帰ってみると、はたして、母の手蹟で書いた封筒ちゃんと机の上に乗っている。不思議なことに、いつも必ず書留で来るのが、きょうは三銭切手一枚で済ましてある。開いてみると、中はいつになく短かい。母としては不親切なくらい、用事だけで申し納めてしまった。依頼の金は野々宮さんの方へ送ったから、野々宮さんから受け取れというさしずにすぎない。三四郎は床を取ってねた。  翌日もその翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかった。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間ほどたった。しまいに野々宮さんから下宿下女を使いに手紙をよこした。おっかさんからまれものがあるからちょっと来てくれろとある三四郎講義の隙をみて、また理科大学の穴倉へ降りていった。そこで立談のあいだに事を済ませようと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏は野々宮さんだけで専領していた部屋に髭のはえた人が二、三人いる。制服を着た学生も二、三人いる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日のあたる世界をよそにして、研究をやっている。そのうちで野々宮さんはもっと多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎ちょっと見て、無言のまま近寄ってきた。 「国から、金が届いたから、取りに来てくれたまえ。今ここに持っていないから。それからまだほかに話す事もある」  三四郎ははあと答えた。今夜でもいいかと尋ねた。野々宮はすこしく考えていたが、しまいに思いきってよろしいと言った。三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気のいいものだと感心した。この夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然としてもとのとおりの位置に備えつけてあった。  次の講義時間与次郎に会ってこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、 「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」とまるで自分から事が起こったとは認めていない申し分である三四郎もこの問題に関しては、もう与次郎責任を忘れてしまった。したがって与次郎の頭にかかってこない返事をした。 「いつまでも借りておくのは、いやだから、家へそう言ってやったんだ」 「君はいやでも、向こうでは喜ぶよ」 「なぜ」  このなぜが三四郎自身はいくぶんか虚偽の響らしく聞こえた。しか相手にはなんらの影響も与えなかったらしい。 「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって、同じことだ。ぼくに金が余っているとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸しておくほうがいい心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記しはじめた。二、三行書きだすと、与次郎がまた、耳のそばへ口を持ってきた。 「おれだって、金のある時はたびたび人に貸したことがある。しかしだれもけっして返したものがない。それだからおれはこのとおり愉快だ」  三四郎まさか、そうかとも言えなかった。薄笑いをしただけで、またペンを走らしはじめた。与次郎それからはおちついて、時間の終るまで口をきかなかった。  ベルが鳴って、二人肩を並べて教場を出る時、与次郎が、突然聞いた。

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「あの女は君にほれているのか」

 二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手玄関から図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。

「よくわからない」

 与次郎はしばらく三四郎を見ていた。

「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」

 三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実のものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である三四郎は首を傾けた。

「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。

「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」

 三四郎の顔は彫りつけたようにまじめであった。与次郎一口

「知らん」と言った。三四郎は黙っている。

「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。

「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。

 三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、

「せんだってありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。

 手紙文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものであるしか感謝以外には、なんにも書いてない。それだから自然の勢い、感謝感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙ポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままであるそれから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。

 二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。

 表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。

 三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。

「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」

「そう、お遊びに?」

「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」

「いいえ、私も御用なの」

 両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである

バイオリンを買いましたか

「どうして御存じ」

 三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。

いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」

 三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎非難した。

 二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。

 三四郎下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。

 きょうは夜だから屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。

「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリン和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。

 三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。

「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝があってよ」

「そうか」

「うれしいでしょう。うれしくなくって?」

 野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。

ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。

「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」

 三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。

「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会演芸会に連れて行ってちょうだいって」

里見さんといっしょに行ったらよかろう」

「御用があるんですって」

「お前も行くのか」

「むろんだわ」

 野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめ必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、

「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、

「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。

「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別とあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」

 野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。

「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。

「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。

「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活ありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。

「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。

「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしか佐々木に貸したんですね」

 三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないか一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。

佐々木馬券を買って、自分の金をなくしたんだってね」

「ええ」

 よし子はまた大きな声を出して笑った。

「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」

 三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。

「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。

「よくってよ」と妹が拒絶した。

「よくはないよ」

「よくってよ。知らないわ」

 兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。

だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」

 三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。

 人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。

 下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしか与次郎以上の風である

 三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。

2024-10-01

七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎ちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろししまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあい与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しか先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生しかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生太平である先生高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代青年と違って自我意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身目的である。それ自身目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎自分感受性人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善しか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語あくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっと優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたか教場講義を聞くと一般の感を起こさせる。しか三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関足音がした。案内も乞わず廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎書斎入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調であるそばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎それから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから形式はまったく不必要である目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸有益談話を交換する。そんなものである。  広田先生一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないかもっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらいかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあい大学運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかい展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由いかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人希望なんだもの団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリー下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎広田先生西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に

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与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

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三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

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 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

高専進学ってそんなにお得なのか?

高専卒業してからしばらく経つのだが、定期的に高専はうんぬんですごいみたいなXの投稿が流れてくる

実際のとこ世の高専卒のみなさんってその選択に満足しているのだろうか?

自分高専卒業後に大学編入をして、以降は普通大卒ルートに乗って社会人になっているので、キャリア的な不満は一切ない

高専卒でそのまま働いている人たちはみんな早婚で20代で2人子供がいる人もよく見かけており、それなりに幸せそうには見える。学生時代女性に縁がなさそうだったやつも子供がいたりするので、実質男子校に5年間幽閉されても恋愛面での影響はないのかもしれない

一方で学業的の不満はたくさんある。

5年間の学生生活講義フル単要求され、受けないという選択肢がない。

きちんと出欠を取るのでサボることも難しく、それでいてどの科目も宿題があるので放課後も忙しい。高専は進級要件が厳しく全単位の平均点数が6割を超えてないと留年したりするが、自分高専は下限の学生に合わせた救済措置がある。課題プリントの点数が最終点数のn割、中間期末試験の点数の10-n割が最終点数として計算されるケースが多かった。

まあ大学講義でも似たようなシステム採用してたりしますが、編入学志望の学生大学受験関係ないことにかなり時間を割かれるので厳しいわけです

編入志望的にもう1つ苦しいのが成績決定のシステム

高専は四半期に10科目以上の講義を受講し、それぞれの最終点数平均で席次が決まる。体育や第二外国語みたいな科目の点数も席次に影響してくるので、本当に5年間学生生活コミットしないといけない。それに加えて受験科目の勉強必要なので拷問

厄介なのが、就職希望学生もいいとこの推薦が欲しいので成績ガチ勢になる。席次を上げるのが受験生活で1番苦しかった

推薦入試はこの席次の点数配分がめちゃくちゃに高いので受験までの4年間きちんと努力しないといけない。

特に苦しいのが、旧帝大などハイレベル大学そもそも一般受験を受けるために推薦が必要となるため、受験勉強に全振りすることができないところ。よく編入生は優秀なんていわれたりするが、単に受験難易度が高いか本来の適性の大学に進学できていないだけでは?と感じる。一方で地方駅弁レベル大学はそれほど受験需要が高くないので、クラスで下位の学生が数ヶ月勉強して受かってたりする。上を見るときついが、とりあえず進学したいならたしかコスパのよい選択肢かもしれない

正直、普通高校から理系進学したほうが楽だと思う

編入のペーパー試験過去問を公開している大学が少ない(特に旧帝大など)ので情報量格差が大きい。それだけでも赤本というもの存在する普通受験が羨ましい。他にも模試が定期的に開催されるので自分の適正感を測ることもできるし、お金さえかければ学習塾でみっちり対策できる。編入試験基本的に宅弁なのでね、内省力とか調査力が高くないと受験競争に勝てない

そして高専5年のうち後半の2年は無駄

高専はどこも金がない、まともな論文指導ができる教員もいないし、講義熱量教員によって露骨に違う。授業時間の半分くらい高専卒は優秀、大企業コスパよく入社するのが幸せ連呼する教授のせいでその専門科目が嫌いになった

大学図書館のような時間を忘れて学業に専念できる空間もないし、そもそも専門科目が難しくなる時期は受験生なのでそれほど授業に集中できない。編入生は在来生よりも専門科目が得意っていうのは当時から大嘘だと思っている。東大講義資料クラウド構築して〜とかやってたりするのを見ると、高専ではBASICGOTOしてましたとは言えない。

レポート作成も全部手書きだし(多分地元では今でもそうだと思う)、なにかと無駄が多い。大学はなにかと勉強するためのストレスが一切ないので楽しすぎワロタだった

あとはサークル活動もしょぼいし、恋愛模様も少ない。というか年齢層が中学卒業したてから大学4年生(専攻科)の年齢まで在籍している空間なので、校内恋愛が本当に歪で気持ち悪い。16歳と20歳恋愛していることもザラだし、学校見学にきた中3と連絡先交換して付き合ってた奴はマジでキモかった。女性が希少すぎるのでとんでもないブスが高飛車になってたりして、男女双方に悪影響すぎる。女性理系進学が推されている昨今ではあるが、自分が親ならせめて大学理系学科進学にしときなさいと伝える

社会人になってから久々に高専出身人間にあうと、みんなどこかズレてるなと感じることが多いが、いつまでもあの頃のノリで会話ができるのは嬉しかったりする。愚痴っぽくなったが、それなりに悪くはない選択だったと思っている

2024-09-30

https://anond.hatelabo.jp/20240930202150三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘講義最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。

 手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。

 平太郎おやじ石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那大学校はいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。

 大学制服を着た写真をよこせとある三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。

 三四郎手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。

 三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して旧歓をあたためる。

 第二の世界のうちには、苔のはえ煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊いである。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である

 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるからいである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。

 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻一般である三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。

 三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかからつの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。

 結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから思索の労力を打算して、結論価値上下やす思索自身からみると、それほど平凡ではなかった。

 ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性翻訳するといろいろになる。――三四郎広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである

 三四郎論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったかである

 翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分交番の前まで来ると、ばったり与次郎出会った。

「アハハハ。アハハハ

 偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番巡査さえ薄笑いをしている。

「なんだ」

「なんだもないものだ。もう少し普通人間らしく歩くがいい。まるでロマンチックアイロニーだ」

 三四郎にはこの洋語意味がよくわからなかった。しかたがないから、

「家はあったか」と聞いた。

「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」

「どこへ越す」

西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」

 与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館ロマンチックアイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。

 あくる日は約束から天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。

 玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろ茶の間で、茶の間の向こうが勝手下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。

 三四郎掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。

 大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分おかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である

 そのうち高等学校天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎ベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。

 二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである

 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。

「失礼でございますが……」

 女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。

 二、三日まえ三四郎美学教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきであるしかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。

広田さんのお移転になるのは、こちらでございましょうか」

「はあ、ここです」

 女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。

「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。

「まだ来ません。もう来るでしょう」

 女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである

 上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

あなたは……」

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。

掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから三四郎自分おかしくなった。すると女も笑いながら、

「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、

あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。

 名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町から谷を越すとすぐ向こうである三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。

あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。

「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。

「まだある」

それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、

「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越し荷物はなかなかやってこない。

「なにか先生に御用なんですか」

 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である

「私もお手伝いに頼まれました」

 三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。

「砂でたいへんだ。着物がよごれます

「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、

掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。

「まだやらんです」

「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」

 三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツ雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。

「あって……」と一口言っただけである

 三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。

 女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいなである。女は箒を取った。

「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。

 美禰子が掃くあとを、三四郎雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。

 三四郎バケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。

ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。

「なんですか」とバケツをさげた三四郎梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎バケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。

「なんですか」

「なんだか暗くってわからないの」

「なぜ」

「なぜでも」

 三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。

「まだあからなくって」

 美禰子は反対の側へ行った。

「こっちです」

 三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。

 裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、

「まあ」と言った。

 やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾バケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。

「何を見ているんです」

「あててごらんなさい」

「鶏ですか」

「いいえ」

「あの大きな木ですか」

「いいえ」

「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」

「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」

 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。

駝鳥の襟巻に似ているでしょう」

 三四郎ボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、

「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーア説明してくれた。その時三四郎は、

「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、

「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、

「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。

「なぜです」

「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」

「そうですか」

「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」

あなたは高い所を見るのが好きのようですな」

「ええ」

 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。

 ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。

 三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。

「早いな」と与次郎がまず声をかけた。

「おそいな」と三四郎が答えた。美禰子とは反対である

「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女車屋ばかりでどうすることもできない」

先生は」

先生学校

 二人が話を始めているうちに、車屋荷物おろし始めた。下女はいって来た。台所の方を下女車屋に頼んで、与次郎三四郎書物西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。

里見お嬢さんは、まだ来ていないか

「来ている」

「どこに」

「二階にいる」

「二階に何をしている」

「何をしているか、二階にいる」

冗談じゃない」

 与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、

里見さん、里見さん。書物をかたづけるからちょっと手伝ってください」と言う。

「ただ今参ります

 箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。

「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。

「二階のお掃除」と上から返事があった。

 降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろし書物がいっぱい積んである三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。

「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。

「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。

 美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。

「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

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