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はてなキーワード: 練習とは

2017-03-24

同人に向いてなさすぎて辛い

二次創作同人誌描いてるけど描けば描くほどこれ大丈夫かなってなって

こんなの恥ずかしい発表したくないってなって

でも申し込んじゃってるから新刊さなきゃいけないってなって

イベント会場でこんな本にお金払わせてすみませんってなって辛い。

もう本当に全てにおいて自信なさすぎて辛い。

義理で買ってくれる人も何人かいるけど申し訳ない。


キャラクター解釈とか苦手なくせに同人やってんのも意味分かんないし

台詞キャラっぽい台詞出てこないし

絵描くのは好きだけど漫画全然描けないし

こんなんで何が伝わるのか分かんなくて辛い。


原作が好きで好きでどうしようもなくてこの気持ちをどうにかしないとやばい!ってなって同人やってるはずなのに

作品自分に寄っていくのも辛い。


それでも描かなきゃ全ての技術は上手くなんないから次の妄想をもうちょっとマシな形で表現するための練習だと思って同人描いてる。

いつまでも100点の作品が描けない。

自信ない。辛い。誰か作品肯定してほしい。誰かって誰だろう。

自信欲しい。でも褒められても自信にならない。嬉しさと想い出にはなるけど。

作品自体がよくないとやっぱ駄目だ、ほんと駄目だ。

自分肯定できなきゃ駄目だ。本当に駄目、辛い。

自信が持てる作品を描けるようになりたい。早くなりたい。


原稿やりたいか私生活ほぼ全部費やして

仕事も締切前はあんまり入れないようにして出来る限り人生同人に傾けてる。

もちろん赤字。初動40冊弱。

売れるより自信のあるものが描けるようになりたい。


コミュ障交流苦手なのでツイッターもやらなくなった。

みんなみたいにワイワイしてみても楽しいより辛いが大きかった。


同人ってなんだ?

同人絶対向いてない。

なんで同人やってるんだろう?

でも同人やらないと、止まると死ぬマグロみたいに死ぬと思うからやるけど。


次の新刊死ぬほど自信がない。誰にも見られたくない。

人生矛盾ばかりで何がしたいのか分かんなくて辛い。

同人活動がやりたいんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20170324091151

付き添ってもらって練習したけど現実はままならんもんだなぁ…

電子体温計端末の朝増田酢魔差あの積まん体験追い他心で(回文

まりにも早く寝すぎたせいで

昨日ははっと起きてみたらまだ昨日だったという、

1日がまだ終わっていないのに、

日付が変わってないのに超早起きした気分。

流石に、あと何時間か寝れるわって寝たんだけどね。

朝起きて

電子体温計端末を手に取り

体温を測ってみた。

まりにも早く測れるそれは

3秒という信頼してもいいのかしらと思ってしまうほどの早さ。

とりあえず、

3回測って平均値を出すことにしたわ。

平熱。

念のためもう一回、

測ろうとした矢先、電子体温計端末の電源が切れる。

電池切れかしら?

ガッデム!

私はそのあまりにもばつの悪いタイミングに怒りを覚え、

その電子体温計端末を窓から放り投げ捨てた!

でも、

その電子体温計端末には

テニスを一人で練習する人が使うボールのように

ゴム紐が付いているタイプの最新の電子体温計端末だったので、

投げ捨てた瞬間、即、手元に戻ってきた。

私は反射的にその電子体温計端末を素手で掴むと思わず言ってしまった。

ガリクソンかよ!!!

まあ、そんな私は元気って訳。

昨日は、早々に事務所を出てあとは若い娘に任せてしまたから、

今日はとっておきのスイーツでも差し入れしようかしら。

ティーテイムが楽しみだわ。

うふふ。




今日朝ご飯

またまたポテサラサンドタマサンド

サンドイッチテーマパークみたいな、

サンドイッチランドって言うのがあったら行ってみたいわ。

デトックスウォーター

今日はホッツ白湯アンド梅干しよ。

いい塩梅だわ。

養生しなくっちゃ。




すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-03-23

疲れた

もう疲れました。

昨日から両親は名古屋にいます

妹の大会応援。遊びではないとは言え、私も行きたかったです。

土曜日に帰るそうです。

その間私はバイトです。

両親が名古屋で美味しいご飯を食べている間

妹と団欒している間

私は冷凍チャーハンを食べ

ぐーぐるで「自殺 方法」「自殺 飛び込み」「自殺 簡単

などと調べています

行きたい学校がありました。

東京の真ん中にある学校です。

お金がないから辞めてほしいと言われました。

妹が私立校寮生活をしているからでしょう。

まあかく言う私も通信制高校に通っているんですけど。

そのせいでお金ないんですけど。

でも今だけはその話ナシにしません?

さておき。明日バイトです。楽しくはないけど辛くもないバイト。行きたくはありません。

明日は私だけが仕事です。

わたし名古屋行きたかったな。

わたしと妹ジャニヲタなんですけど、妹は大阪公演行けるんです。

私も大阪コンサート行きたい。

妹は飛行機に乗って行きましたよ。

はいつも高速バス東京なのに。

親は毎月わたしを一人にして妹の大会応援に行きます

妹のことは好きです。大好きです。

からこそなんか嫌

妹だから可愛がられて当然だけど

可愛いから甘やかされて当然だけど

練習頑張ってるからお金出して当然だけど

せめてわたしも行きたい学校に行きたい

死のうかなって思ってます

新幹線なら一発かな。

とか言って多分ヒヨって何もしません。

きっと目の前で新幹線が横切るのを眺めて、次の電車に乗って仕事へ行くんだと思います

辛い。

改行とかもうどうしたらいいのかわからん

たすけてー

旅行なんて行ったことないし

なのに妹とお父さんとお母さんは名古屋で遊んでる

三人の中ではそれは旅行になってるのかな

あー妹だけ中学卒業旅行友達ディズニー行ったの思い出した

わたしなんて最後に行ったの中学修学旅行だわ

わたし友達ディズニー行きたい

大阪コンサート見たい

名古屋行きたい

なんでひとりにするのー

高校生だけどさ

一応さ

子供じゃん

何もしないと思ってるのかな

男連れ込んでるかもよ

自殺するかもよ

失踪するかもよ

心配してないのかな

頼られてるのかな

信じられてるのかな

重いよー

まだ子供だよー

みんな春休みで遊んでるのにさー

わたしだけバイトだよー

誰か助けてよー

合唱コンクール存在から人前で歌うの嫌いだったけどノリでカラオケに行ってみた

僕は先日3年間通った高校卒業した。おめでとう。

お世話になった先生に心からお礼を言い、わざわざ持ってきた一眼で教室写真を撮り、さあみんなと帰るぞ、ってとこで友人に声をかけられた。

カラオケ行かない?」僕は在学中、この誘いを70回くらいは断ってきたのだ。

中学生の頃、余りにも音痴だったせいで合唱コンクール練習~本番までの時間、肩身の狭い思いをした僕は人前で歌うことが怖いんだ。って説明をすると納得して帰ってくれた。70回くらい。

その日は違った。18歳の、対して発達してない頭で、インターネットに染まりきった考えで、必死に考えた。

5分くらいあと、僕の足は最寄駅のカラオケ屋に向かっていた。最後から、という理由で行った。生まれて初めて持ったカラオケマイクは思ったより重かった。

時間かして終わった。すごい楽しかった。

合唱コンクールと違って音程を求められないし、好きな歌を歌っていいし、「ちょっと○○くん前に出て歌ってみて」って言われないし、「なんでこんなことができないの」とも言われないし、「お前のせいでバラバラなんだよ」と詰められることもない。

友達と行くカラオケ最高だった。最後はみんなでハレ晴れユカイを歌って終わった。みんなも行こう。

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170321193517

なんでも新人 経験の浅さのせいにしてうざいのはなんで?

そんなに上級がすごいなら店舗わけてほしい

混ぜて経験させないと接客経験あがらないから?

じゃあそのお客は熟練の人たちからみた下級者の

練習台にさせられてるってわけかな

アパレル上級者って客うざがらせて下級者から

うわまえはねてる仕事ってことなんだね

模写練習するにはデュアルディスプレイのほうがよさそうだなあ

もういっこディスプレイ買うかなあ

競技プログラミングのすすめ

4月から大学生になってどこのサークルに入ろうかと悩んでいる人に、競技プログラミング存在を知ってもらうために書きました。

競技プログラミングとは?

プログラミングコンテストとは、「与えられた問題いかに素早く、正確に」解くことができるかを競うものです。

AtCoder Regular Contest 70より引用

厳密な定義はないような気がしますが、問題が与えられて、入力に対する正しい出力をするプログラムを書く競技です。

競技プログラミングのことを省略して競プロ、競プロをするひとのことを競プロerと呼んだりします。

ACM-ICPCという大学対抗の大会や、様々な企業主催するオンラインオンサイトコンテストがあります

どうして競技プログラミングをするの?

様々な理由がありますが、一番は楽しいからだと思います

逆にしばらくやってつまらないと思ったら向いていないかもしれません。

以下にぱっと思いついたメリットを挙げておきます

  1. 就職に有利(らしい(詳しくは知らない
  2. プログラミングができるようになる(業務とはかなり異なるけど
  3. オンサイトイベント交流できる
  4. twitterで知り合いが増える
  5. いろいろなアルゴリズムに詳しくなれる
  6. 英語ができるようになる(海外サイトを使うことも多いので(要出典

どうやって始めればいいの?

環境設定が結構大変ですが諦めないで!そこは本質じゃないので。最初は標準のメモ帳でもいいと思います


大学サークルがある場合は先輩方に聞いてみるといいと思います(丸投げ。

少し情報が古いかも?Twitterなどで検索してみるといいと思います。(「oo大学 競技プログラミング」みたいな?

http://acm-icpc.aitea.net/index.php?2016%2FTeams%2F%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB

別にサークルがなくても一人でも始められます

基本的にわからないことはググれば8割ぐらい出てくるので自分で調べましょう。

http://judge.u-aizu.ac.jp/onlinejudge/finder.jsp?course=ITP1

このサイト解説も載っているので初心者でもわかると思います

http://judge.u-aizu.ac.jp/onlinejudge/description.jsp?id=ITP1_1_A

たとえばこの問題では"Hello World!"と出力するようなプログラムを書くことになります

以下のサイトで何問か練習してみましょう。

初心者から初級者へ

文字数がたりない。

プログラミングコンテスト攻略のためのアルゴリズムデータ構造

通称TLE本。初心者向け。わかりやすい。

プログラミングコンテストチャレンジブック

通称蟻本。すごい。むずかしい。すごい。

https://atcoder.jp/

毎週日本語コンテストを開いています

とりあえずABCに出てみましょう。

http://judge.u-aizu.ac.jp/onlinejudge/

いっぱい問題があります

http://codeforces.com/

いま一番ユーザーの多いサイトです。(英語

http://aoj-icpc.ichyo.jp/

ACM-ICPC練習向けのサイトです。

http://kenkoooo.com/atcoder/

AtCoder練習向けのサイトです。

終わりに

なにかあったらコメントいただけると幸いです。

この記事自由に使ってもらって構いません。

2017-03-21

ニュース番組スポーツを含めるべきではない

「誰々がどこでこんな練習を始めました〜」とか

「このチームがこんな活動をしてました〜」とか

宣伝とか広告になってる

少なくともニュースではない

明らかに公平性を欠いているし、ニュース番組の一枠として報じるような内容ではない

大会で優勝した」というのも、その結果だけを淡々と報じてくれればいいのに、なぜかそのサクセスストーリーみたいなものが流れたりする

そう考えると、なぜスポーツニュースの中に含まれているのか、疑問で仕方がない

http://anond.hatelabo.jp/20170321172138

世の中には不幸や苦労が満ち満ちているから、自分だけ幸せになるのは罪というような圧力

これは感じたことないけど

苦労が少ない人間は人としてレベルが低く、発言権はないような空気も感じている

これは感じる、てかそう思ってた。

中学高校とも厳しい運動部に入ってたんだけど、帰宅部ヘラヘラ遊んでる人より毎日練習してる自分の方が偉いと思ってたし、人間的に成長できてると思ってた。毎日嫌々練習してたのに。

別に苦労した方が偉いってことはないよね、と今更思ってる。

国は若者に「田舎死ね!」というのか

息子が大学受験に失敗した。

私は今、日本かどうかも怪しいような地方都市に住んでいる。

長くなるから経緯は省くけれど、私はおそらくこの化外の地で一生を終えるだろう。無念だ。

からこそ息子には東京大学に行って欲しかったし実際受験したのも地元で一校、あとは全て東京大学だ。

結局、合格したのは練習がてらに受けた地元の中堅大学だけ。東京大学は全滅だった。


私の願望を優先させて無茶な大学受験させたつもりは無い、と思う。

志望校については高校担任とも予備校講師とも、もちろん息子とも相談したけれど、

それは概ね「ありふれた挑戦」程度のもので、特に忠告も警告もなかった。


先日、受験後初めて担任と会うことがあった。

さすがに居心地の悪そうな顔をしていたが、それは「夢破れた保護者」に会ったからというだけでは無いらしい。

私の息子だけではなく、高校全体で大学合格者が急減しているというのだ。特に首都圏大学に限っていえば前年比で合格者は半減だそうだ。


どうしてこんなことになってしまったのか?

担任は「大学収容定員厳格化という国の政策問題」と言っていた。

どうやら国は大学の定員を厳格化することによって地方創生を目論んでいるらしい。


首都圏大学には全国から受験生が集中するため、現状では定員はオーバーするし、なにより地方の過疎や高齢化は進むしで良いことが無い。

そこで、大学の定員を締め上げ合格者の数を少なくすれば、地方に残る若者が多くなり地方活性化につながる、というロジックだ。

定員を超過すると補助金が減らされるから大学も本気で取り組んでいて、結果、地方民にとってこんな厳しい状況になっている。


ほんと、オブラートに包んでも言っても国は馬鹿だと思う。

そもそも地方田舎に人が集まらないのはそこに娯楽も魅力も金もいからで、まずそっちを改善する方が先でしょうに。

なのに「格の劣る地方民は都会にでてくるな!若い力で一から何も無い地元を盛り上げろ!」って、若者屯田兵か何かと勘違いしているんじゃ無いか

さすがに残酷すぎる。


もちろん定員厳格化地方受験生だけではなく、首都圏受験生にとっても影響は大きい。でもいざ浪人となった時、経済的にも環境的にも地方民は

あらゆる意味首都圏民より振りであり、また政策目的から考えるに「地方民狙い撃ち」と言っても良いだろう。


塾の講師から

最近地元志向の生徒も増えていますし、地元大学に進学した方がお父さんにとっても安心じゃ無いですか?」なんてアドバイスを受けたけれど、

地元高校から地元国立に進み、地元個人予備校講師をやり、首都圏に一度も出たことも無いお前が何を言ってるんだ、と思う。

彼は東京の「近さ」を知らない。

娯楽でも勉強でも仕事でも、東京はあらゆるものが近い。

美術館の新しい展示だって、有名コラムライター講習会だってちょっといかがわしそうな特殊バイトだって簡単アクセスできる。

この「近さ」は並みの若者が成長する上で必要不可欠なものだと、私は思う。

それに、インターネット日本中面白そうな事を見るだけ見ておいて、実際には体験できないなんて牢屋から空を見るみたいで悲しすぎるだろ。


「親御さんも安心でしょう?」だって

確かに不安は無いわけでは無いけれど、自分安心のために息子を何も無い空間に縛り付けるほど傲慢ではない。それは虐待だ。


息子が望む限り私は彼をバックアップしようと思う。浪人か、仮面浪人か。

地方民らしくお金に余裕があるとは言えないが、息子に家族共々仲良く田舎で一生を終えるなんて惨めな思いはさせたく無い。

もうちょっとだけ、頑張ろう。

2017-03-17

負け犬

俺は、気がついたら、

「どうせ俺よりも金持ち仕事ができてイケメンスポーツできて英語ペラペラ高学歴モテモテでの奴がいっぱいいるんだろ」

という諦めに似た思考が染み付いていた。

はじめのうちは、些細なことばかりだった。

勉強を頑張ったところで、毎晩塾に通っているあいつには勝てない。

スポーツを頑張ったところで、身長が高いあいつには勝てない。

楽器を頑張ったところで、幼少期からみっちり練習してきたあいつには勝てない。

俺には何の才能もない、努力したって無駄だ。勝てっこないんだからと、逃げてきた。

だが、このようにして、

どうせやったって無駄からやらない、という選択を続けてきたところ、およそすべての事柄について「どうせ俺なんか」と考えるようになっていた。

見下ろしても虚しくなる。見上げても虚しくなる。いつの間にか、自分という基準が最低になっていた。

3月の田舎者

上京して20年くらいが過ぎた。あの日の3月を思い出す。この春上京するだろう田舎者に伝えたい。東京暮らしもっとも変わるのは、

失敗しても大丈夫

になることだ。

私の出身地では、高卒で某大手電機メーカー工場採用されれば「正解」だった。そのため、高卒の子供をもつ親は工場に勤める人に採用の口ぎきを依頼したりした。私はそれが嫌で、自宅から遠い進学校を選び、そのあとはさっさと上京した。母は高卒でその工場に勤めてほしそうだったと思う。父は私が進みたい道を選んで欲しそうだった。錯覚かもしれないが。

上京してからはいろいろ面食らう毎日だったし、失敗は山ほどやらかした。それでもなんともなかった。田舎なら私の中では終わった話でも、まわりが延々口にし続けるだろうと思えて心底嫌になった。

結局、その安心とされた大手工場は数年前に閉鎖され、実家限界集落になり、住民税では公務員給与も払えない自治体となり、道路は補修されず、山ののり面は大雨で崩れたまま自然に帰っていく緩やかな消滅軌道に乗っている。ふるさと納税なんてしたくもない。早く消滅してほしい。

失敗を許さな田舎は、結果的に誰も行動をおこさなくなった。

から上京する田舎者にたったひとつ忠告は、学校仕事が始まる前にSUICA練習を終えてほしい。

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-16

運動会のほろ苦い思い出

創作ダンス練習さんざんやったし完璧と思ってハイハイって感じで本番やったら本番でミスってめっちゃ恥ずかしかったこと

http://anond.hatelabo.jp/20170316131621

自他の区別がついてたら運動会自由参加になるでしょ?

自他の区別がつかないアスペがそうやって運動会正当化するのめっちゃワロ

いや、結果がどうこう以前に、参加しないって事前の練習も含んで意味が無いってことだから

教育においてくっそムダな時間大人快楽のために滅私奉公ってサイアクでしょ。

金ももらえないのにフェラさせられてるレベル虐待なんだけど、

自他の区別がついていないアスペ親は自分の心地よさを最優先させるから仕方ないね

そろそろ行かなきゃ

そろそろ行かなきゃ

ああああああ

苦行だ!終わったら音楽家練習時間について記述から

考察しやう

2017-03-14

昨日のしくじり先生ソニン

あれ、俺じゃん。



まったく興味がない仕事に対して、『やりがいあるから』とか言われて任せられて、やる気がまったくないのに表面上超やる気だして、誰もいないところに行ってストレス発散するべく呪詛を五分くらい東京/南海震災にかけてからの、ニコニコ顔の練習してからまた作業



なるほど。

毎日毎日、『なにやってんだかなぁ、俺』症候群にかかってる根本はそういうところにあるのね。

プログラマが持っていたほうがいい技能

手書きで素早く直線をひく技能絶対にあったほうがいい。

俺はアルゴリズム神秘キャリアを賭けるんだ的な人は別として、大抵のプログラマUI について考えたり意思を高速に伝えたりする必要が常にあると思うのですが、そこでガタガタの絵しか描けないと本当にめんどくさい。

適当Web サイトアプリケーション構造を素早く手書きで模写する練習みたいのをしているといいことがあります

2017-03-13

ちょっとサーバルちゃんになる練習しようかな

増田でどんなエントリにも肯定的にそうだね!すごーい!とかで返すっていうの

ニコニコ栗田さんっていう2コマ宣伝漫画が好き

栗田さんでエロ妄想する練習してる

2017-03-12

時間を決めて文章が書けない

文章を書く練習ってどうやってすればいいんだろうねー

長文ブログをささっとかける人尊敬する。

どうやって練習したのか教えてブロガーさん

英語耳をはじめます。 1日目

リスニングのための発音練習だと、やってやろうじゃないか

今日2017/03/12からはじめます

現状:

TOEIC 800点

ノンネイティブの言っている事:なんとなくわかる。けど、インド英語は無理。

ネイティブの言ってる事:30%ぐらいわかる。先週の会議イギリス人確認済み。

Walking Deadでの会話の内容:20%ぐらいわかる

TED:正直、あんまりからへん。悲しい。

http://www.ted.com/talks/derek_sivers_how_to_start_a_movement?utm_campaign=&utm_source=direct-on.ted.com&awesm=on.ted.com_f0QYE&language=ja&utm_content=roadrunner-rrshorturl&share=185d4bf04b&utm_medium=on.ted.com-none

新卒博士アカポス公募記録

はじめに

 私はなんとか新卒高専教員になれたので、ここに記録を残しておきます。これから後輩の役に立てば嬉しく思います

 指導教員コネ仕事を紹介というのもこの業界にはあるらしいですが、不幸にして私は一切そのような機会に恵まれませんでした。ですから、全くのコネ無し公募(jrecin)のみの結果です。


基本事項
  • 分野:

 いわゆる就活の機・電・情のくくりで言えば「電」。

 就活を始めるまでは「ポスドク任期付きドンと来いッ!」とか思っていました。しかし、いざ就職を初めて色々と自分の周りの環境を見ていたら任期付きポスト結論先延ばしして競争に打ち勝っていくことは無理(自分性格に合わない)と判断したので、任期なし(パーマネント)のポジションだけを狙うことにした。

 博士の進路としては「アカポス大学短大高専)、企業、国研、その他」に大別されると思います。私は企業バリバリ稼ぎつつ管理職を目指すキャリアパスにも魅力を感じず、「三度のメシより研究がスキッ!」という熱血研究者でもなかったので、博士を活かすなら教員かなあと思ってデモシカ教員を目指しました。

 ということで、狙いの分野は「アカポス」かつ「任期なし」一本で勝負しました。

 D3の夏に初めて、卒業直前に内定をもらい終わりました。

 内定がなければ無職覚悟

 学部卒の就活では集団面接に行くと「東大京大が居て、自分学歴が一番低い」と言われている程度のレベル大学新卒博士高専卒ではない。

 カネはあるが人材の質はピンキリといった感じでした。博士学生が滅多にいないので情報が手に入らないとうのが絶望的に不利な条件でした。結論としては研究向きの環境ではなかた。

 プロシとフルペーパーではフルペーパーが圧倒的に重く評価される分野だったので、フルペーパーの数でいうと1本でした。レター等はなし。その他、国際会議国内会議が数本。

 TAとかRAが少々。

 なし。一切なし。


応募実績と結果

高専:応募13、面接7

大学:応募2、面接1


高専 A 推薦状有り 書類通過 面接落選 (面接官の数が3名で最少だった)

高専 B 推薦状なし 書類落選      (とくに印象なし)

高専 C 推薦状なし 書類通過 面接落選 (専門外の担当授業のことに聞かれ、全然答えられなかった)

高専 D 推薦状なし 書類落選      (履歴書手書きが応募要項にあった)

大学 E 推薦状なし 書類通過 面接落選 (教員公募でも高専大学では雰囲気がかなり違うことがわかった)

高専 F 推薦状なし 書類通過 面接落選 (年齢限定公募だったので結構期待した)

高専 G 推薦状なし 書類通過 面接落選 (推薦も紹介も必要ない珍しい形式公募だった)

大学 H 推薦状なし 書類落選      (よく応募要項を見ると、分野が細かく指定してあった)

高専 I 推薦状有り 書類落選      (年齢限定公募で推薦状をつけていたので期待した)

高専 J 推薦状なし 書類落選      (専門分野のかなり近い教員いたことを応募後に知った)

高専 K 推薦状なし 書類落選      (応募書類テンプレが他の学校とかなり違った)

高専 L 推薦状有り 書類通過 面接辞退 (高専Oの内定を受けたので辞退した)

高専 M 推薦状なし 選考辞退       (同上)

高専 N 推薦状なし 選考辞退      (同上)

高専 O 推薦状なし 書類通過 面接通過 (内定をもらった)

書類作成

 周りに経験者が居ないと本当につらいです。しかたがないのでネット上の情報だけを頼りに書いてみて、アカポスとは関係ない友人に見てもらいました。面接にすら呼ばれず「負けが込んでくる」と自分書類は全く見当はずれなのではないかという不安に襲われましたが、信じて応募を続けるとだんだん落選にも慣れてきます

 論文別刷りの他に論文概要要求するところが結構あります論文の内容を読むつもりはないということでしょうか。

 他の就活体験記事ですと、指導教員の推薦状作成について触れられていないことが多いのですが、ここに一番苦労しました。基本的に推薦状の全文を私が作成して、指導教員印鑑だけをもらうスタイルだったので、推薦状は「第三者視点で書く自己PR」と割りきりました。

 公募締め切りから面接日時通知までは2週間というところが多い感じでした。面接に呼ばれる場合にはTELで来ます落選場合郵便(書留、普通郵便)でした。内定の連絡は即日TELでありました。返信用封筒封筒宛名書きの「(氏 名) 行」を様に書き換えないものや、差出人の書いていない封筒で送付された不採用通知もありました。


模擬授業面接準備

 高専模擬授業面接というパターンが多く、模擬授業はだいたい20分で教科書指定してくることが多かった。学部の授業で習った以来の復習だったので、苦労した。やはり博士論文を作りながら準備をしていたので、準備不足となることが多かった。少なくとも1周間は練習を見て、模擬授業模擬授業を3回程度やるとだいぶ慣れてきました。学校レベルによって模擬授業用の教科書レベルにかなり差が有ったので、これは今後授業をやる上でのいい経験になりました。

 大学面接は流石に今後の研究を中心に質問をされましたが、高専教育(授業、担任、寮監、部活)の質問が大部分を占めた。

 あとは想定問答を練習して、面接マナー練習してという感じで独学でした。


質問対策

 高専のことを知っているかどうかを問われることが多かったので、高専出身者への聞き込みやネット上での情報収集を行いました。面接の後半では、「高専出身でないのに大変よく高専のことをご存知ですね」とまで言われるようになった。研究についても教育についても、新卒なので「ポテンシャルはあります!」という雰囲気の一点突破で想定問答を検討しました。

 面接でよく聞かれる質問

こんなかんじです。


おわりに

 なんで博士課程まで来ちゃったんだろうね? って何度も悩みました。これからは、なんで教員なっちゃったんだろうね? って悩むのかと思います

 ちなみに女性限定公募には応募できないほうの性別でした。就活中は追い詰められていたので何度も「この股間のイチモツさえなければ面接まで行けるのに...」とか悩んでいたのですが終わってみると何だったんだろって感じですね。あまり思いつめないことが大事です。

 もう、二度と就活はやりたくない。






参考文献

完璧博士就活記録です。私より業績もビジョン戦略もあるので、私の記事なんかより参考になります(きっと)。

新卒博士の話ではないですが、応募から面接の期間など公募プロセスの様子を参考にしました。

新卒高専教員になれるんだという希望や、高専で働いて感じたことなどを参考にしました。

大学教員公募が主なスコープかと思いますが、過去ログなど見るとひと通りの疑問点に対する答えがありました。スレからたどり着く52連敗氏のページから元気ももらいました。言うまでもありませんが、情報玉石混交なので直感的に取捨選択を行うことが必要かと思います

  • jrecin

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