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はてなキーワード: 存在とは

2017-01-19

「生きてる意味がわからない」の治し方がない

人生が虚しくなったとき、それを治す方法がわからない。

仕事して、お金稼いで、そのお金ごはん食べて、そんでまた仕事してってループに虚しくなることって、誰でもあると思うんだけど、そんなときみんなどうしてるんだ? 基本的には時間解決してくれるのを待つしかないんじゃないか

この前読んだエッセイマンガにこんなシーンがあった。

主婦の人が描いたもので、基本的には幸せなんだけど、ある日洗濯物をたたんでいるときにふと、

「私はこのままこの人のパンツをたたみ続けて一生を終えるのだろうか?」

という疑問が頭を支配して何もできなくなる。

といったもの

結局これは旦那さんと話し合って、「お互いに感謝気持ち言葉に」「何か趣味をみつけて(その人の場合エッセイマンガだった)」という方向で解決されていくんだけど、それって結局時間が経ったか気持ちが楽になったというだけで、突然襲ってくる虚しさには何の解決にもなってなくないか

主婦だとまた別の意味がでてきて余計な議論になりそうだけど、最初に書いたように仕事場合でも一緒で、もしそこに『やりがい』なんてものがあっても、最初ループなかに「褒められる」みたいな要素が増えるだけで結局は同じことなんじゃないか

仕事して、お金稼いで、そのお金家族を養って、家族から感謝されて、そしてまた仕事に行く

うん、ある意味理想的だと思う。

でもそんな生活がふと虚しくなる瞬間はある。

「このまま死んでいくのか?」と。

それも結局耐えて時間が過ぎるのを待って、どうにかごまかして生きていくしかないんじゃないか

こういった話題解決策として一般的なのは、『趣味』とか『生きがい』とかを見つけるというものだ。

でもやっぱりそれも同じじゃないか

俺はマンガが好きで、月に2~5万円くらいマンガ買って読んでる。

面白いマンガはいくらでもあるし、夢中になって読み続けられるんだけど、ふとした瞬間に「こうやって仕事して、お金稼いで、楽しくマンガ読んで」その繰り返しで人生が終わるのかな? と思うと虚しくなる。

何かをつくる系のものも同じ。

副業ちょっと何かつくる系のものもしているんだけど、それもふとした瞬間に「これの繰り返しなのか?」と虚しくなることがある。そういうとき基本的無視してとにかく手を動かしていればそのうち気にならなくなるんだけど、それは死神から逃げ切っただけで、死神自体消滅したわけじゃない。

たぶんこういった疑問を抱え続けてそれでもどうにかやり続けているのがほとんどの人で、そういった疑問すら抱くことなく走り続ける人も一流の人間なかに存在するんだろう。

でも俺はそうじゃない。

陳腐イメージになってしまうんだけど、頭の中でハムスターがずっと回し車の中を走り続けている感覚が消えない。とにかく耐えて気にならなくなるまで待つしか対処方法がない。

このハムスターを追い出す方法ってないんじゃないか

拝啓 校長先生 「これおかしくないですか?」

私一人では消化ができない事だったので増田で吐き出す。増田があってよかった。


テーマ

小学校ブラスバンド演奏会において「未就学児NG」問題について


増田プロフィール

現在、小6、小3、小1、年中の4人の子供と、子煩悩の夫と妻である私の6人家族

夫婦ともにフルタイム勤務。気性は、夫が温厚で私が喜怒哀楽がはっきりしているタイプ

現在、夫に不満はない。育児家事もとてもよく主体性をもって対応をしてくれている。

そのおかげもあり、夫婦の両親は遠方且つ高齢で頼る事はできないが、なんとかなっている。

夫婦音楽が好きで、ファミリー向けのコンサート家族で行く事もある。

夫は中高とブラバンアルトサックスをしていた。私は3歳からピアノエレクトーン声楽をしていた。

現在、小1・年中の子は、ピアノを習っている。

そして小3・6の子は、小学校ブラスバンド所属楽器演奏している。

ブラスバンド保護者活動は、メインが夫でサブが私という役割分担でしている。


ブラスバンドについて

うちの子が通う公立小学校では、小3からブラスバンドへの入会ができる。

小学校内の演奏会には入会児童の全員で演奏をするが、他校も出演するようなホールでの演奏会には高学年のみで演奏となる。

以前は毎年のようにコンクールに出場した入賞常連校だった。

しかし、現在指導者になってからは、年度初めのアンケートで出欠場を決定する事になった。直近3年はコンクールには出場していない。


テーマの経緯

近々ブラスバンドの大きな大きな演奏会がある。

そのチケット購入の際のやり取りがきっかけでこの匿名ダイアリーを書くに至っている。

この演奏会というのが、県の代表として1校だけが出演できる名誉ある演奏会らしい。

全国ではないらしいが、近隣の都道府県から数校が呼ばれているそうだ。

「らしい」というのは、そのような演奏会存在している事をまったく知らず、この度の出演が決まり初めてその存在知ったからだ。

オープンにされていない演奏会なのか、私が小学校ブラスバンド事情に疎いからなのかはわからない。とにかく初耳だった。

小学校最後の思い出として、この名誉ある演奏会へ出演ができる事をとても喜んでいる小6の子は、厳しい練習にも喜んで楽しく取り組んでいる。

そして演奏会には、家族みんなで鑑賞しにきて欲しいと自らお願いをしてきた程である。どれだけ楽しみにしているかがわかる。

小3の子は、小6の子の出場をうらやましがり、自分がまだ3年生で出演できない事を悔やんでいる。

仕方がない事だから、客席から家族みんなでそろって小6の子応援しようとなだめたりした。兎に角家族で楽しみにしている。

ここで少し話は飛ぶが。

クラシックなどのコンサートでは「未就園児はご遠慮ください」と規定されている事が多いのはご存じだろうか?

もちろん、私も知っている。演奏邪魔になる騒音を立てしまい、素晴らしい演奏台無しにしてはいけないからだ。

こんなのはあたりまえだ。誰だって知っている。一般常識といっても差し支えいかもしれない。

長い、長い前置きだった。

ここからが本題だ。


■本題

今回の名誉ある演奏会チケットは、出演校の関係者しか入手ができないシステムとなっている。

ブラスバンド顧問である音楽先生が主となって、ブラスバンド保護者会長が取りまとめを行いチケットを購入することとなった。


チケット購入用紙

 ・高校生以下 いくら  必要枚数記入

 ・大人    いくら  必要枚数記入

 ・合計    いくら    枚数  (未就学児はご遠慮ください)


そこで私は、客席から鑑賞をする家族分を用紙に記入して提出をした。

高校生以下3人、大人2人、出演者1人。未就学児である年中の子の分もチケット枚数に加えた。

その数日後、会長から私宛にメールが届いた。

私の主観で受け取ったメールを意訳すると「未就学児は不可ですが、チケット枚数に間違いはないですか?」というものだ。

私は、いくら名誉ある演奏会だと言っても小学生ブラスバンド行事である

世界に名を轟かすヴァイオリニスト演奏を聴きに行くA席やS席が1万円を超えるような格式のものでもない。

要は、騒ぐような子供は遠慮してねという事だと解釈した。

県や市の演奏会にも同様の記載が見受けられたが特に厳しく取り締まっているような事もない。

いつも通り、常識範囲で我が子の乳幼児が騒ぎそうであればロビーに退散し、ホールから漏れ聞こえる演奏くらいは聞くことができたからだ。

いつもの演奏会とは違うと言っても、優劣を競うコンクールでもない。

県の代表として恥ずかしくない演奏となるよう努力しているといっても、コンクールの金賞を勝ち取ったからこそ出演できるという類のものでもない。

からすれば、最高ランクコンサートホール演奏させて頂ける良い記念に残る程度の演奏会である

そして何より、幸いにも今年の開催ホールが近場であったという事である

記念なのだから小学校ブラスバンド活動の延長線上にあるものなのだから、当然、家族で鑑賞の権利があると解釈をしていた。

それが、だ。

いくつかのメールのやり取りを意訳すると「全国コンクール級の格式あるコンサートなので出演校どこも同条件で、未就学児は会場には入れません」という事だった。

これに対し、チケットの購入の締切もある事だし、減数するにもどういう組合せで鑑賞するのか等、今すぐの結論も出ないので、無駄になってもいいのでこの枚数でと申し込みをした。


結論

今回のこの未就学児NGというのは、あまりにも残酷に思える。

夫婦揃っての我が子の活躍生演奏で鑑賞できません。どちらかじゃんけんでお決めください。」

という事に他ならないと受け取れた。私自身がショックすぎて、小6の子にも伝えるにも言葉がなく、しばらくこの事実を伝えることができなかった。

開催地が遠方であれば、移動・宿泊費の問題もあり諦めもつくところなのかもしれない。

私自身の中で、幸いにもホールが近場であった事がより消化できない思いへと膨らんだことも理解しているつもりだ。

しかし、我が子の演奏を年齢という動かしようのない事情により家族そろって出向けない事に、私は疑問符をつけたい。

小6と言ってもまだまだ子である

晴れ舞台家族みんなに見てもらいたいと思うのは自然な事だと思う。

そして、忘れてはいけないのは年中の子の心情だ。

年齢ただ一つの為に家族活躍を見れないだけではなく、両親の片方に残念な思いをさせてしまうという事実だ。

仮に預け先を手配できたとしても、ひとり演奏を聴きに行けなかった事に対し悲しみが残るようにも思うのだ。

年中の子は、小6の子を慕っており、いつも演奏会を楽しみにしている。キラキラ光る大きな楽器をもって演奏している姿がカッコいいと誇らしく思っている。

からこそ親としても、いつも以上の活躍をしている小6の子の姿を年中の子にも見せてあげたかった。

小学校ブラスバンド演奏会において「未就学児NG」は本当に必要ルールなのかを問題提起したい。

ご一読、有難うございました。

互助会もついに公園デビュー的な色合いを強くし始めたってことか。

昔のはてなじゃ考えられん。昔のはてなはみんな知識人ぶってて、感情的に何処かの派閥へ与することへの警戒心で溢れていた。

いっとき誰かと誰かが味方だと分かっても、俺とお前は意見たまたま合致しただけだから、というクールぶった視野存在していたと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170119084620

慶応大正・ショウワから伝統を考えてみた

昭和時代元号選択肢慶応まれはいなかったのか?

60年代から70年代まで慶応前生まれの人はかなりいた。にもかかわらず、生年の選択肢は「明・大・昭」のいずれかを選ぶことを強制していた。

そういったケースで慶応まれの人々はどれだけ不便を強いられたのだろうか。

雁垂ふたつを書いてなかにラテン文字でKOと書かされたのか、単にKとだけ書いていたのか今となっては確かめようがない。

ただ「普通の人」扱いでなかったことは容易に推察される。

明治以前/以後

なぜか同じ元号でも慶応以前と明治以降の扱いは格段に異なる。

公共放送において慶応以前には西暦を付すが、明治以降西暦換算を視聴者強要する。

これはおかしい。なぜなら、戸籍謄本には文政だの天保だの安政だのが当たり前に出てくるからだ。

伝統」を重んじる立場からは、戸籍同様和暦統一すべしとの異論が頻出するはずだからである

明治以前・以後で元号差別があってはならない。「伝統」を軽視しているとのそしりを免れないであろう。

今後某公共放送には和暦を使うのなら、和暦のみ(もちろん南朝年号北朝年号記載通り使用する)にするか、

西暦に絞るかのいずれか選択することを求める。

必然的に大化以前については「推古4年」のように表記することが「伝統」を重んじる立場からは望まれるはずである

考古学時代については持論は持ち合わせていないのであしからず

なお、宇宙関連の同じニュースの中で海外ロケット打ち上げ年を西暦で、

日本のそれを和暦で伝えるので時系列がわからなくなる点も指摘しておきたい。

意地悪なだけかもしれないが。

さらに細かいところを指摘するとその局の統計には昭和64年数字存在しない。

1989年数字平成元年に紛れ込ませているのだ。

昭和64年平成元年1989年であるが、この命題の逆は真ではない。

これを些末というなら、昭和平成の違いをことさらあげつらうこと自体否定することになり、

ひいては元号制の否定に繋がる。

元号制とは実にセンシティブ制度なのである


大正タイセイ

16世紀ベトナムにて大正という元号が使われていた。読み方は「タイセイとあるしかし、これはベトナム語発音ではあるまい。

ベトナムはもともと漢字圏に属していた。しかフランス植民地支配後はラテン文字使用するようになった。

これはロシア革命後にソビエトの「衛星国」と揶揄されたモンゴルが、モンゴル文字からキリル文字に切り替えた事例と似ている。

同じ漢字である大正」は二番煎じだったともいえよう。

ショウワ

「ショウワ」と読む元号は「正和」と「昭和」のふたつが存在する。漢字は同じものを使わないのが政府方針だそうだが、

読みについての規準はかなりゆるいようだ。したがって「タイカ」だろうが「メイジ」だろうが「ヘイセイ」だろうが字を変えればよいという向きも当然あると思う。

2010年代では「ヨウロウ」はやめた方がよいし「メイワ」は9年になると「迷惑年」になるのではずした方がよかろう。

文化の日」を「明治の日」にすべし、という意見もあるようだが、文化という年号歴史から抹消する意図がわからない。

応仁・文明の乱があるように「文明」も印象がよろしくない。

神武ベトナム使用済みである


おわりに

元号中国古典からある一節を抜き出し、そこから漢語となる二文字構成される。

明和昭和の出典は同じ一節であるが、選ばれた文字の組み合わせを変えたようだ

2017年1月19日現在日本企業が相次いで炎上している。その原因は東アジア近代史に関する認識の違いにあるようだ。

したがって漢籍から漢語を選ぶという作業にご納得いかぬ向きも少なからずいると思う。

前例にとらわれず、日本固有の「伝統」を重視する立場からは、当然日本古典から大和言葉元号とすべし、という意見も出てくるだろう。

個人としては、メートル法尺貫法が混在しているようで、頭の切り替えができないし、

時系列ニュースで混在していると大きな負荷がかかる。

元号方式システム障害を引き起こすリスクを、さらコストをかけて積極的にかかえる点で、合理的でないし、将来に禍根を残すだろう。cf.Y2K

かつて旧厚生省日本の将来人口予測する統計作成されたことがある。

そこに「昭和200年」という記載があった。

100歳を優に超える天皇10人程度(その頃の平均寿命20~30歳)いたのだから

20世紀天皇200歳を超えてまで健在と考えたのも無理からぬことであろう。

さらにいえば、元号制の実態西暦にもとづいたカレンダー和暦という装いを施した体裁だけのものともいえる。

昔、日本は最大のコスト(人的資本)をかけて、最小の便益を得るという経済原理にしたがって戦争を戦っていた。

元号もまたコストの最大化と便益の最小化という原理にしたがっている。

選択と集中を日々唱える方々もこの点では宗旨替えされているようだ。

西暦1年がキリスト生誕の年ではないことも、クリスマスイエス誕生日でないことも今や周知の事実である

宗教色が薄れた上、西暦共通言語である英語公用語化というならこちらにもご配慮いただきたいものである

官公庁においても生年の選択肢は「明治大正昭和平成西暦から選べる時代だ。

外務省発行の公文書たる旅券和暦記載は一切ない。

和暦西暦混同で、昨年渡航先で入国拒否されたとも聞く。

こうした不幸な事故を防ぐ意味でも「伝統」に拘泥するのはいかがなものだろうか。

90年代日本文書の規格がB5版からA4版に変わったことがあった。

B版は和紙の規格からまれ伝統であったにもかかわらず、国際標準のA版に合わせるためだった。

この動きに、伝統を重んじる立場から反対したという話はいまだ聞かない。


おまけ

そういえば前都知事が泊まったホテル領収書は印字されたもの西暦手書きのもの元号記載されていない和暦のものだった。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.結婚はゴールではないのですか?

いい質問だ。

結論からいえばゴールだ。

だが、ゴールではない。

何が言いたいかというと、“どういうプログラムか”という認識の話さ。

例えば「婚活」というプラグラムならば、結婚をゴールと定めることは何ら不自然ではない。

だが、「人生」だとか「結婚生活」というプログラムならば、結婚はゴールではないだろう。

結婚はゴールじゃない」というのは、トラックレースで「まだ周回残っているぞ」みたいな話なのさ。

でもトラックレースなわけではないから、そのあたりで認識の差が生まれるわけだね。



Q.その場合プログラムやゴールは誰が決めるべきなのですか。

そりゃあ、最終的に走者が決めるべきさ。

でも観客だっているから、望もうが望むまいが多少の声援なり冷やかしはあるだろうね。

はいっても主役は走者だし、ガヤをいちいち気にしたって仕方がないだろう?



Q.「結婚はゴールじゃない」と言う人はどこにゴールを定めているのですか。

実は私も知らない。

しかしたら、言っている本人すら知らないのかもしれない。

そもそも存在するのかも怪しいが。

だが、少なくとも“そこ”にはないんだろう。

2017-01-18

時代による変化を許容するべきなのでは

http://anond.hatelabo.jp/20170118112654

http://anond.hatelabo.jp/20170118090843

アニメオタクにしても特に頭良くないのに大学行く人にしても、一昔前ではかなり例外的存在だった。

それが最近の色んな要因によって一般化したけど、古い考えの人からしたら、今なお例外的存在、異常として批判スべき存在と捉えられるものになったままでいる。


それが問題なのではないか時代が変わったことで、事柄性質も変わった。一昔前ではあり得なかったことが、今ではありえることを、許容していくべきなのではないかと思う。

そういう点で、一昔前の感覚物事を語るって意味で、この2つの案件は似ているような気がした。

最低賃金が上がれば庶民暮らしが良くなる・・・わけねーだろ

最低賃金が上がると庶民暮らしは良くなるどころかむしろ悪くなる。

なぜなら最低賃金が上がると暮らしが良くなるという論には、

最低賃金が上がっても、いままでと同じ労働環境で同じ時間だけ働ける」

という間違った前提が存在するからである



①:オーナー1人とバイト5人でまわしているコンビニを考える。

簡単のため、どの時間帯でも時給は一律750円で、24時間2人シフトとする。

(つまりオーナーと5人のバイトはそれぞれが毎日8時間ずつ働いている)

このときバイト年収は750*8*365=219万円である

また、人件費を除いた一日あたりの利益は44400円とすると、

人件費考慮した一日あたりの利益は44400-750*40=14400円であり、年間では14400*365=525.6万円となる。

googleによるとコンビニオーナー年収の平均は550万円程度であるので、まあ妥当な値だろう。



②:さて、最低時給が1000円になった。

今までどおり、一日8時間働けるなら、バイト年収1000*8*365=292万円となり年間73万円も増える。

しかし、もちろんこうはならない。

バイト給料が上がった分、オーナー年収は(44400-1000*40)*365=160.6万円と大きく下がる。

これでは暮らしていけないので、オーナー比較的暇な時間を1人シフトにすることを考えるだろう。

例えば、24時間のうち、8時間オーナーバイト1人、6時間バイト2人、10時間バイト1人とすると、

オーナー年収は(44400-1000*(8+6*2+10))*365=525.6万円と前と同じになる。

このときバイト年収は一人が1日あたり6時間働くことになるので、1000*6*365=219万円である



③:①と②を比較してみよう。

オーナーバイト年収は変わらないが、バイト労働環境はどうだろうか。

①の常時2人シフトに対して、②では1人シフト10時間あるが、

すき家の例を引くまでもなく、1人シフトでは仕事量は倍以上になり強盗などのトラブル確率も上がる。

一方で、①より②のほうが労働時間は2時間短くなる。

しかし、、他の店でも同様にバイト仕事量は減っているため求人の奪い合いとなり、

短くなった2時間を使って他で働くのは難しい。



なお、上記の例は比較的に余裕がある場合である

すでに店を維持するぎりぎりまでバイトを減らしている場合には、

オーナー過労死覚悟して働くか、店をたたむかの選択になる。

まり、早いかいかの違いはあれど、どちらにせよ店は無くなる。

店がなくなるとそこで雇われていたバイト給料は"ゼロ"になり、

前述のとおり他の店の求人も減っているため次のバイト先は見つからない。



④:まとめ

以上のように、単純に最低賃金を上げるだけでは、生活は楽になるどころかむしろ苦しくなる。

回避する方法はいろいろ議論されてはいるが、複雑である有効かどうかの評価も難しいのでここでは割愛する。

しかし少なくとも、「最低賃金を上げるべきだ」と主張する際は、

この単純なモデルケースに反論できるだけの考えが必要なことは理解してほしいと思うし、

むやみやたらとバラ色の未来だけを提示する似非政治・経済議論に引っかからないようにしてほしい。



インフレの話が出てたので追記

オーナーはやむなく全商品1.33倍の値上げに踏み切った。

幸運にも近くの全店舗が同時に1.33倍の値上げを行ったので、販売量は変わらなかった。

そうすると、労働環境労働時間も同じでオーナーバイト年収が1.33倍となるので、めでたしめでたし



さて、最低時給が1000円になり、物価が昔の1.33倍になった。

現在(時給1000円で)1時間働いて買えるものは、

昔(時給750円で)一時間働いて買えるものと変わらない。

また、バイト銀行100万円を貯金していたとする。

現在100万円で買えるものは、昔は75万円で買えていた。

バイト暮らしは楽になったのだろうか?

バイトは、「貯金価値が減る(物価が1.33倍になる)前に、貯金をできるだけ使おう」と思うのだろうか?

リポート辺野古から 「抗議活動に日当」はデマ | 2016/8/31 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/143611404971492852

リポート辺野古から 「抗議活動に日当」はデマ | 2016/8/31 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/143611404971492852

ネット掲示板には「反対運動バイトは良い金になる」「日当2万円に弁当が付く日もある」といった書き込み散見される。現地の反対派によると、書き込みの影響なのか、実際に辺野古に来て「日当をもらえますか」と尋ねる人が時々、現れるらしい。

 毎日のように参加している伊波義安(いは・よしやす)さん(74)=うるま市=は、道路に座り込んで抗議していた際、排除しようとする機動隊から「1日いくらもらっているのか」と挑発されたこともあった。「ここに集まっているのは活動家ではなく普通生活者時間を見つけ、自主的に足を運んでいる」と悔しがる。

 反対運動の中心的存在で、10年以上前から活動してきた市民団体「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩(あしとみ・ひろし)共同代表(70)は「そもそも私たちには、日当を払えるだけの資金はない。現地で見てもらえば、何が本当か分かるはずだ」と語気を強めた。(共同通信那覇支局岡田圭司)

宇宙人みたいに生きてきた

小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしま子供だった。

大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。

責任感がなく、ぼんやりしていて、空気が読めない。

人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。

なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。

今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。

学校に行くようになっても変わらなかった。

同級生たちからからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。

たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。

体育は大の苦手で、球技特にダメだった。ドッジボール最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。

勉強だけは比較的得意で、特に記憶系の教科は得意だった。

でも数学物理は、概念全然からなくて雲をつかむようだった。

父がアル中だったので、大学でなんとか家を出たいと思った。

から、苦手な数学物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。

大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。

就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。

そろそろ、社会から必要とされないダメ存在だということに気づき始めていた。

自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分判断はいつも間違っている。自分宇宙人のようだった。

けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。

その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。

からさまに自分からかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。

結婚し、子供もできた。

それでも、まだ、自分は人をイラつかせてしまう。

ああ、自分おかしいんだな、と思うことが日に一度はある。

自分おかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。

自分は、会話で何を話したらいいかからず、例文を読み上げるように会話をする。

自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。

どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。

また失敗した。

頭がおかしい、人をイラつかせてしま自分

最近自分は何のために生きているかからなくなってきた。

こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。

でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。

変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。

職も、せっかく得た家族も失ってしまうのかもしれない。

一人では生きられない。

宇宙人でも、一人では生きられない。

目があるから不幸になる

私は不幸だと嘆く人を良く見る。実によく見る。

じゃあさ、その人達にとっての幸せって一体何があるんだろう?

不幸だ、と嘆く人の殆どにとっての幸福はあまり具体的ではない。

それは一体何故か。

不幸の本質を見間違えているかである

最近インターネットSNSが普及し、他人簡単に見ることが出来る様になってしまった。

他人自分との比較がいとも簡単にできるようになってしまっているのである

その結果、あの人と比べて自分は不幸だ、との意見がでてくる。

まり現代における不幸とは、必ずしも全てでは無いが、少なから比較によって齎される感情なのである

そこには少なから評価というプロセスを介するだろう。

その評価をしているのは、意外と気づけないが、他ならぬ自分自身である事が多いと感じる。

すなわち、不幸な人というのは他人を見すぎる目をもっている、と私は考えている。

比較をすることな幸福や不幸といったランク付けをすることが出来る様になればそのような問題から解放されるのだろうが

残念ならがその感情はほぼ比較からまれものでもある。

コタツに入り、ストロベリーアイスでも食べながら好きな映画を観、幸せだなぁと思うことのできる人間こそが

最も目指すべき存在ではないだろうか。

プログラミングって「得体がしれない」よな

プログラミングって、これから始めてみようっていうとき、なんだか「得体のしれない行為」っていう感覚がありませんか?


ぼく自身は、プログラムを書いてる側の人間で、いまでこそ少しはプログラミング本質的な難しさをわかってる気になってます。でもつい数年前までは、プログラミングは難しくはないけど得体がわからない、という感じでした。

そのへんのコードを組み合わせて動くものはできるけど、何がどうなっているのかは知らんし、ググって分からないものはできない、という方向で、「プログラミングは難しい」と思ってました。


最近になって、プログラミング義務教育必修化の話題とか、コピペプログラマー話題とかを目にするたびに、かつて自分プログラミングに対して抱いていた「得体のしれない行為」という感覚が思い出されてしまい、少しざわざわした気持ちになったので、ちょっとここに書きなぐらせてください。


だいたいが個人的な話なので、そういうのがうっとうしい人は無視してください。


ぼくが世の中にパソコンという道具があることを知ったのは、たぶん中学生ときです。30年くらい前。当時、電気屋の売り場ではけっこうな床面積を使ってワープロ文章入力する専用マシン)が陳列されてました。文章を書くのは好きだったけど、字を書くのが死ぬほどめんどくさかった自分は、ワープロさえあれば自分小説とか書くのになあと思いながら指をくわえて電気屋の店内をうろうろしてました。しかし、ファミコンすら買ってもらえなかった家計ではワープロなんぞ買ってもらえるわけもありません。そのうち巡回してた電気からワープロが消え、それに代わってパソコンのコーナーが広がっていきました。このパソコンというのは、よくわからないけどワープロとして使えるっぽいし、どうやらファミコンを持っていない僕にもゲームができるらしい、おれに必要なのはこれだ、というわけで、中学生だった自分パソコンという存在に興味を抱くようになったのでした。


はいえ、だからといってパソコンを買ってもらえるような家計ではなかったわけなので、カタログを熱心に眺めるだけの毎日が続きました。その当時の自分にとって、パソコンが欲しいといったら、それはNECを買うかエプソンを買うかという選択でした。冨士通からパソコンが出ていることは知りませんでした。マッキントッシュっていうやつもあって、このPerformaっていうやつはなぜか安いとか、よくわからないけどシャープとかソニー独自パソコンを作っているぞとか、そういう情報パソコンに対する認識のすべてでした。当時の自分にとってのパソコンは、電気メーカーから発売されている商品一種であり、ラジカセとかテレビと同列の存在でした。


なんでこんな話がプログラミングにつながるかというと、ひょっとして自分プログラミングにずっと感じていた「得体のしれなさ」の源泉の一つは、こんなふうにパソコン電化製品として見ていた当時の感覚の延長だったのかもなあと思ってるからです。


ラジカセなら、CDだのテープだのを入れて再生タンを押せば、そのハードウェア機能物理的に体感できます。それに対してパソコンは、プログラミングちょっとやってみても、その行為と、そのハードウェアとが、感覚的に結びつきません。もちろん、プログラミングというのは、物理的なデバイスに結びつけて考えなければできない行為ではありません。しかし、パソコンを「カタログ商品」として見るところから入ってるばかりに、そこでやるプログラミングという行為ハードウェアとの結びつきが見えにくい状態に、なんとなく居心地の悪さを感じていたように思うのです。


もし自分スタート地点が、パソコンを使って文筆やゲームをするところだったら、パソコンは文筆やゲームのための箱だったでしょう。その後でプログラミングを始めていたなら、プログラミングという行為を、文筆やゲームに関連した創造的な活動として学べたかもしれません。


ところが実際には、自分はつい数年前まで、パソコンという電化製品に対する漠然とした行為としてプログラミングを捉えてた気がします。


プログラミングを始めたのは、高校生になって誰も使わないFM77が部室に置いてあったので立ち上げてみたらF-BASICインタプリタが起動したからでした。とくに何をプログラミングすればいいかもわからなかったので、教科書雑誌コードを転記したり、ループで線画を書いたりして遊んでいました。大学に入ってからも、授業でFORTRANとかLispをやらされたけど、基本的自分目的をもってプログラミングするのは数値計算くらいのものでした。そのころになると、本で情報を探して(まだインターネット検索は使い物にならなかった)適当コードをつなぎ合わせるのがプログラミングだと思ってました。そんなん面白くないなあ、とも思ってました。


この感覚、完全に、いま揶揄されているコピペプログラマーのそれだったと思いますちょっと話はそれますが、ブロック遊びとか砂場遊びって、ほとんどの人はわりとコピペプログラミングと似たような感覚でやってるんじゃないでしょうか。パーツを勘で組み合わせたり、とにかく砂を盛っていったりすれば、家みたいなのができるよね、という感覚プログラミングは、自分にとってそれに近い作業でした。学生のころは、内心、自分にもパソコンサンプルコードさえあれば何かすごいものを作れるかもなあ、くらいに思っていたふしもあります


自分バカでした。パソコンがあるとかないとか、関係ないのです。パソコンさえあれば、なんて思う者に、本当のプログラミングがわかるはずがありません。


そんなこんなで、自分はまともにプログラミング経験しないまま社会人になったわけですが、幸いにもプログラミングに対するこの感覚は、仕事パソコンを日々使うようになってから徐々に変わっていきました。

具体的には、パソコンが、自分の中で「カタログ商品から武器」へと変わりました。それと同時に、プログラミングという行為が、武器開発という位置づけになりました。

武器というのは言い過ぎだとしても、ちょっとしたプログラミングは確かに業務上課題を打開しました。それなりに計算機科学教科書を読んで勉強をしたこともあって、いつのまにかプログラミングに対する「得体のしれなさ」も解消してました。


結局のところ、自分にとっては、プログラミングという行為の「得体のしれなさ」から解放されるまでにずいぶん長い時間必要だったことになります自分がそうだったからといって他人もそうだとは限らないですが、たとえば小学校で形だけプログラミングを教わっても、分かるとかわからないとか、好きとか嫌いとか以前に、なんかモヤモヤした気持ちになるだけの子もも少なくないんだろうなあ。それは不憫だなあ。


かといって、自分がいまプログラミングで少しは戦えてるのは、そのむかしパソコンに憧れがあって、得体がしれないなりにプログラミングをする機会が若いときたまたまあったからでもあるので、そういう機会になるなら小学校で形だけでも教えるほうがいいのかなあとも思います


オチがないので、このへんで。

http://anond.hatelabo.jp/20170118131712

『(シンプルな)Perl』という表現が、暗にシンプルではないPerl存在示唆し、

それは初心者には解読困難であることを示しているのだ。

口開けばずっと愚痴ばっかりの親を捨てたい。

実家ママンがやってる趣味が、セミプロでもお金はかせげていなくて、やっぱり趣味なんだけど、世間体はずっといいけど、家族からみると同人よりずっと迷惑なんだ。数百本の無農薬バラにかこまれていないと生きていけないなんて、バラ農家に嫁ぐしかなかったのに、どうしてサラリーマン結婚したの。家族にとっては、家をド辺鄙でクソサムなところに構えさせられて、いくら広くても馬糞とトゲと害虫だらけの庭で、キャーッて逃げ出してもおかしく無いと思う(成人するなり全員逃げた)。そして父は図書館読書趣味で家も指定のところに立ててやって金銭的には母をめっちゃ甘やかしてるのに全く母は気づいていない。そこが一番つらい。着るもんもブランドにこだわりあって「いいもの」を買うため年行ってからネットオークションにハマったりしてる。もう感覚が違う。たぶん昭和あの世代は全員ブルボン王朝の出のお姫様なのだと思う。こんなことで凹んでもうしわけないけどこの年になっても親がつらい。自分で好きで背負ったことに自分愚痴いってくる家族つらいです。

仕事しながら「好きでやってる同人だ」ってだれにも愚痴わずがんばってる若い人のほうが尊敬できると思うのは年齢バイアスなのかね。いや、若い人も散々愚痴いう人はいるんだけど、親のよりあんまり不愉快に感じないの。いっぱい背負いこみすぎんなよっていったらちゃんと通じたり、情熱があるからかなあ。距離感かも。遠慮しぃしぃおっしゃるし。

どでかい趣味を背負い込んでそれを第一人生大事なところを決めておいて、プロにはならないのなら、家族にはもうちょっと遠慮して。支えてくれた人が倒れそうなら感謝しながら支えようよ。なんか感覚がほんとおかしい。ガッシャガッシャン割り続ける陶芸家かよ。陶芸家には失礼なたとえだけどさ・・どんなにわがまま陶芸家でも「大きな窯がついている老人ホームなんか存在しないから端から引っ越す気がない、病院いくのも大変、弱ったお父さんにあいたければ子どもたちがこっちに会いに来なさいよチラッチラッ」とか言わないと思う。父はそれで人生を納得しているのか無口すぎてもうわからん(母のことを、ボケ前兆として人格が変わってきたのだとおもってる節がある)。かなり諦めてるとは思う。あと、何かを察知したのか、遺産は片親が死んだらもう片親に全部行くって直筆遺書かかせたんだって。父が先に死にそうだから遺産全部母に行く。

これどうしたらいいの。虐待じゃないのか。

ドキンちゃんの悲哀

子供がハマってるので毎日のようにアンパンマンを見ているのだがドキンちゃんの扱いに胸を痛めている。



みんなが楽しんでいるところに「ハーヒフヘホー!」とバイキンマン登場。

みんな「バイキンマン!」

ドキンちゃんドキンちゃんもいまーす!」

毎回これ。みんな「バイキンマンドキンちゃん!」とか言ってくれない。言ってくれないか彼女自分存在を主張せざるを得ない。

ネットスラングで言うところの“キョロ充”みたいで見ていて辛い。しかバイキンマンは1人でも悪事を働くがドキンちゃんは1人で悪事を働くことはあまりない(毎回クソみたいなワガママを言ってバイキンマン悪事を働かせているのだが)。オマケみたいな扱いをされて当然なのかもしれない。



もう一つ辛いのはあんなに「食パンマン様〜」と目をハートにしているのに、当の食パンマンは全く気にしていない風なところだ。好かれていることに気付いてすらないのではないかと思う。ドキンちゃんも直接好きと言ったことはないようだ。バイキンとして身の程を弁えているのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20170117145503

最初からFPSではない。

増田がどれくらいプレイしているかわからんけれども、

1日10マッチ以下しかプレイしない程度のプレイヤーだと勝率50%としても偶然偏ることなんてザラにある。

から1日単位で連敗しようが連勝しようが自分の動きを磨けていれば気にすることはない。

困ってるプレイヤーはまずはプレイ時間を増やさなければ本当のところは見えてこない。

あと、3人PTの話に絡んでいくと、レート2000未満はまともなピックという概念存在しない。敵も味方も動物園

からこそ3人で組んだときはウルトを合わせるのが一番大事

司令塔のサポ入れつつクラウドコントロール+火力コンボで大きなチャンスメイクができれば連勝も近い。

生活保護受給者にはクズもいる。だがそれも含めて救わねばならぬ。

これが言えない人道主義者は、これから世界ではもう生き残れないだろう。



小田原市生活保護に対する職員威迫

人道主義見地からすれば言語道断問題だ。

だが今のこの世の中では、このような朴訥な人道主義破綻危機に瀕しているという事実からもはや目を背け続けるわけにはいくまい。

恐らくあの役所の窓口には、相当タチの悪い札付きのクズ受給者が出入りしているのだろう。

たとえいなかったとしても、いるだろうと思われるだけで危険なのだ

実際、生活力のない人間の中には、倫理観道徳観も低い連中が多い。

だがそれはニワトリタマゴかの話であり、貧困で窮するからそそうならざるを得ない人間大勢いる。

だが、彼らを叩く人間にとってみれば、そんな理屈などどうでも良いのだ。

不正を働き、

のうのうと庇護を受ける人間を、

磔にして石を投げたくてウズウズしている欲求不満の鬱積した人間大勢いるのが今の世の中なのだ



これは日本に限った話ではない。

欧州委員会の高官の娘が、難民レイプされた挙句殺害された事件があった。

難民弱者であり庇護すべきだという主張だけでは、

今の世の中に張り詰めている怒りのフラストレーションは収まりはしないのだ。



認めねばならない。

守るべき人々の中にはクズもいる。

クズ所業から目を背けてはならないのだ。

そして、だが、それも含めて守らなければならないのだと。

クズ存在を認めることで、

差別主義者が更に勢いづくかもしれない。

だが、そうした人々の怒りすらとも対峙しなければならない時期に来ているのだ。

こうした現実から目を背けた結果が、トランプ旋風を生み出したのではないのか。



人道主義者は今、途方もない困難な時代にいる。

究極的には、

トランプ安倍内閣投票するクズ有権者すらも、救わなければならないのだから

婆ちゃんが亡くなった

2017年1月17日

とうとう婆ちゃんが亡くなった。

思えばここ10年くらい死ぬ死ぬ詐欺を繰り返してきたけど、今度は本当。残念だけど。



97歳、老衰ホームで看取られての大往生、死に方としては理想だと思う。

でも先週発した(と教えてもらった)「まだまだ生きたい!」

という言葉の裏はどんな心持だったんだろう?なんてふと考えてみる。



来世という死生観は実はあまり持っていなくて、

から今生切だと思えば、周囲の人間と別れるのが寂しく、といったところなのだろうか。

なんとなくそれが当たりだとは思う。

爺さんと死に別れて60年以上経っていて、あちらで再開といってもピンとくるはずも無く。



それでも振り返ってみれば、ひ孫を7人も見られていること、金銭的な不自由経験していない、

と、事故で爺さんに先立たれたことを差し引いても幸せ人生だったと思う。



自分でも今生切という死生観を持っているのだけど、

婆ちゃんの魂みたいなもの存在しなくて、もう完全にこれきりだと思うとやっぱり寂しい。

婆ちゃんも、だからあの言葉が口から出たんだろう。



ここ1,2年は衰弱が激しくて、記憶の中にある婆ちゃんとはだいぶ違ってきてたけど、

うそんなに長くないとは思っていたけど、いざその時が来るとやっぱり実感が湧かないや。



思い出そうとすると浮かぶのは、こたつで一人パズルに勤しむあの姿、

テレビを見て、あと俳優が好き、あの女優が嫌い、とぶつくさ文句をいう様、(基本イケメンが好き)

二人きりになったときに嫁の文句をいうところ、

もうちょっと老成したら?なんて小学生の頃から思っていたりはしたけど、

そういうところもひっくるめて好きな婆ちゃんでした。



もっかい会いたかったな。薄情な孫でごめんなさい。

もしもあちらの世界があるのなら、いつかまた会いましょう。

2017-01-17

私がダンオタになった理由

私はダンオタである

一年前の今日、某テーマパークに行きパレードに出演している男性ダンサーを好きになった。

ダンオタというのはテーマパークダンサー好きな人たちのことで、だいたいどこのテーマパークにもいる。夢の国にも、関西映画の国にも、忍者村にだっている。

流行りの服装で一眼を持ってショーやパレードを待っている女の子がいたら、ほぼダンオタだと思って間違いないだろう。

では、何故どこのテーマパークにもダンサーオタクはいるのか。それは私がのめり込んでしまった起因でもある。

ダンサーは、パレードの主役じゃないからだ。

一般的テーマパークには多くのキャラクターがいて、ショーやパレードの主役はそのキャラクターたちだ。

ミッキーキティちゃんエルモアンパンマンなどなど、テーマパークで行われるショーの主役は彼らであり、彼らを中心に物語が描かれる。

キャラクターだけいればショーは成立するのでは、そう言われればそれまでで、最もその通りなのだが、テーマパークの広大な敷地のすべてにキャラクターを配置することはまず不可能だろう。そして、それが可能だとしても、絵面は寂しくなりそうだ。

そこで、テーマパークダンサーが現れる。主役のキャラクターを引き立て、ショーを盛り上げる。あくまでも、引き立て役であり脇役なのだ

なら、どうしてそんな脇役にオタクがつくのか。

私は元々ゴリゴリジャニオタだった。月に一回は何かしらのコンサート舞台に行き、自担くんの出演舞台は全通もした。チケットいくらかかったかはもう想像できない。大学生の時ですら、年間3桁の額を使っていた。

自分の服や化粧、食費は最低限で、バイトをいくつも掛け持ちしていたし、友達ゼミ飲み会には一切参加しなかった。今思うと、悲しすぎるキャンパスライフである

しかし、それでもよかった。365日のうち300日はどこかで踊っている自担くんが大好きで、彼を見に行けるなら他のことな必要なかった。

どうして自分自担に対し盲目的でいて、そこまで必死に頑張れていたのか理由は分かっていた。

私の自担は、Jrだったからだ。

ジャニーズJrというのは、デビューしている先輩もしくは後輩のバックで踊っているダンサーのことで。Mステなんかで嵐が歌っているとき、やけに背景がうるさいなと思ったことはないだろうか。そういうときバックで踊っているのがJrだ。

Jrでいる間は事務所をいつ辞めるのかは自由で、昨日までいたのに今日はいなくなっているということはザラな世界だ。しかも、いつ辞めるという知らせは一切ないどころか、辞めたかどうかすらはっきりと分からない。

そんな儚い存在ジャニーズJrが目指すものはみな一様にデビューだ。CDデビューをして初めてJr卒業する。それまでは、バックダンサーという立ち位置しかなれない。

そう、コンサートの主役を引き立てる脇役なのだ

長くJrをやってデビューすると、こう言われがちである、「Jrの方がよかった」。せっかくデビューして事務所を辞める心配がなくなって、なおかつCDを買ったりコンサートツアーをやったり、活動する場所はどんどん増えていくのにだ。そして、何より夢にまで見た主役になる。

しかし、広いステージの真ん中でマイクを握る姿より、ステージの片隅で踊っている姿の方が良かったと思えるのだ。

世の中、なんでもそうだと思う。漫画人気投票で主役よりも脇役の方が人気なことは多いし、コンテストで優勝した人よりも審査員特別賞の人の方が売れたりする。真ん中に立ち、スポットライトを浴びることだけが魅力ではないのだ。

ライトが一切当たらない暗がりを見ている人はいて、その暗がりにいる脇役を見つけたときは何とも言えない優越感がある。主役は誰にだって見える、というか見せるためにいる。主役が見えることは当たり前で、見えたときの感動はそう大きくない。

大勢の人が主役を見ている中で、私は脇役を見ている、私だけが脇役の演技を知っている。その感覚が常に私を頑張らせていた。

Jrは夢を持つ、目標を持つ。その誰にも見えない夢を私は応援たかったのだ。

Jr好きな人がみなこんな理由応援しているとは限らない。たまたま私の自担舞台仕事バックダンサーが多かっただけで、バックにつかずテレビに出て活躍しているJrの子もたくさんいるし、そういう子のファンは違う感覚を持ち合わせているはず。

ただ、少なからずこういう感覚もあるということだ。

そして、件のテーマパークダンサーだが、彼らもまるでジャニーズJrのようだなと私は感じた。

テーマパークという枠に囚われ仕事を与えられ、主役になることを夢見ながら脇役として仕事に徹し、いつの日か音もなく目の前から消えていく。

誰かに気づいてもらいたいと思いながら懸命に踊る姿は、見た人の胸にそれは刺さるだろう。

私の場合も、「笑顔かわいい人だなぁ」と思って見ていたら目が合って、手を振ってもらったのが始まりだ。「見つけた」「見つけてくれた」の瞬間である

そんなこんなで、テーマパークダンサーJr担の性癖に見事にジャストミートした。

皆が皆、同じような気持ちダンオタをやっているとは思わない。ダンスが素敵だったから、顔がかっこよかったから、理由は人それぞれだが、ショーの脇役を見て好きになった境遇は同じなはず。

まり脇役脇役いっていると怒られそうなのだが、ダンサーもショーの重要な一部だということは分かっているので悪しからず。

そんな私も盲目的にテーマパークのしきたりを守りながら追い続け、今現在は顔と名前を覚えられているところまでいった。パレード最中に目が合うと「あっ」という顔をされ、今も「見つけた」「見つけてくれた」の関係は続いている。しかし完全にその立場は逆転し、今は私が見つけてもらう側になっている。なんでもそうだが、オタクが優位でいられるのは一番最初、好きになった瞬間だけであるから、これはもう致し方ない宿命だ。

これは私事だが、ダンオタというのはジャニオタに比べれば懐に優しい趣味だが、ダンサーというJrよりも一般人に近い存在オタクをしている性質上、メンタルが抉られる事案が多いなと感じる。距離が近いため、手紙に書いた内容が次の日のパレードに全てダイレクトに反映されるのだ。そのレスポンスの速さたるや、自動返信サービスかと思う。

ファンサされたり、干されたり、機嫌の良い悪いですぐ態度をころっころ変える一般人に振り回される毎日だが、それでも楽しくてやめられずに1年経った。

ちなみに私の自担くんは今もJrだ。デビューはもうできないだろうと言われている。

脇役だろうとなんだろうと、私は好きな子はいだって主役だった。

スポットライトを浴びることを夢見て踊る姿は、誰よりも輝いていたし、この子を好きでいることは自慢だ。

Jrテーマパークダンサーも、儚い存在だけど何よりも強い存在感を放つ。それが人を惹き付ける魅力なんだと思う。

自担くんは今日劇場で踊っている。テーマパークダンサー今日パレードに出演している。

きっと、今日も誰かの主役になりながら。

はいふりBOTは結局何がしたいんだ

現物簡単に参照できる以上モノの悪さを覆い隠す手段なんて存在しないだろうに

2020年予言してみた

2020年日本はこうなるでしょう

  1. 鉄道ほとんど公有化私鉄JR公営化されている。
  2. 景気はかなり良くなっているが、自公政権存在しない。
  3. 鉄道趣味が地下に潜っている。鉄道などの公共交通の乱用は処罰対象になる。
    1. 公共交通福祉施設みたいな扱いになり、免許欠格者や未取得者にはフリーパスが発行される。(当然日本人限定)
    2. 鉄道オタクの多い外国人日本人に白い目で見られる。
    3. 行き過ぎた政策世界中から批判される。
  4. 道路拡張や車やバイクの電動化が進み、モータリゼーションがまた発生している。
    1. 免許関連費用2010年よりも10分の1の費用になっている。
    2. 自動車税2010年の半分になっている。
    3. 車両の増加に加え都市部人間車社会適応せざるを得ないので交通事故数が悪化
    4. ガソリンディーゼル車都市部では登録できなくなっている。
    5. 車の増加に対応するため、自転車の通行できない道路が増加する。
  5. 学生運動暴動が多発している。治安レベル昭和末期水準に後退する。
    1. 学校政治思想に触れることは、大人世界で地下社会に触れること並みの危険行為とみなされる。
  6. 天皇制はなくなっている代わりに大統領制が存在する。
  7. 障がい者差別は下火になっている代わりに、オタクヤンキーギャル障がい者扱いされる。
    1. まりにも趣味嗜好が一般人と違うだけで健常者認定されない。
  8. 賃金労働環境欧州水準並みに底上げしたが…。
  9. 政治家大企業はお堅い人ばかりになる。
  10. 外国人差別ほとんどない。
  11. パチンコ合法カジノの普及で淘汰された。
  12. 東京オリンピック時の外国先進性に驚き、日本の古いものを蔑む文化流行する。
  13. 人口は増加に転じている。(ただし、世界的な人口増加は途絶える)
  14. 2000年代から2010年代富裕層人口インフレストップして減少に転じる。
    1. 中間層が復活し、富裕層の一部が中間層に取り込まれる。
    2. 貧乏人も一定数は中間層に取り込まれるが、残りはお察し下さい。
  15. 宗教施設は激減している。
  16. おそらく与党民進党共産党になっている。
    1. 学歴は以前にましてインフレ化が進む。韓国のような状態に。

http://anond.hatelabo.jp/20170117115317

そもそもアイドルを好む人ってなんなの?

女性性的にモノ化した存在を消費するなんて恥ずかしいと思わないの?

リポート辺野古から 「抗議活動に日当」はデマ | 2016/8/31 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/143611404971492852 編集

■【リポート辺野古から 「抗議活動に日当」はデマ | 2016/8/31 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/143611404971492852 編集

リポート辺野古から 「抗議活動に日当」はデマ | 2016/8/31 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/143611404971492852

ネット掲示板には「反対運動バイトは良い金になる」「日当2万円に弁当が付く日もある」といった書き込み散見される。現地の反対派によると、書き込みの影響なのか、実際に辺野古に来て「日当をもらえますか」と尋ねる人が時々、現れるらしい。

 毎日のように参加している伊波義安(いは・よしやす)さん(74)=うるま市=は、道路に座り込んで抗議していた際、排除しようとする機動隊から「1日いくらもらっているのか」と挑発されたこともあった。「ここに集まっているのは活動家ではなく普通生活者時間を見つけ、自主的に足を運んでいる」と悔しがる。

 反対運動の中心的存在で、10年以上前から活動してきた市民団体「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩(あしとみ・ひろし)共同代表(70)は「そもそも私たちには、日当を払えるだけの資金はない。現地で見てもらえば、何が本当か分かるはずだ」と語気を強めた。(共同通信那覇支局岡田圭司)

FGOのappMedia最強鯖ランキング問題について思うこと

日曜日ぐらいに、現在ピックアップ中の”山の翁(キングサン)”がappMediaという所がランキングで6.0(現在最低が5.5)という低評価をつけたことでちょっとあれている。

コレはいわゆるGameWithがエアプウィズと言われているようにスマホゲーム界隈で元々から問題になっていた。

 

あたり前のことだけど、開発がものすごく頭使ってパランスを取ることに終始徹底したとしても、残念ながら「強キャラ」「弱キャラ」っていうのはできる。そしてスマホゲームではリセマラという行為が当たり前で、ゲームをする人が最初にやることになってしまっている。結果的に、リセマラはこの「強キャラ」を引き当てる事につながる。

そこで、ゲーム攻略メディアはそういう人向けにランキングや点数をつけて優劣をつけるわけだ。

 

Twitter勢の言い分はこうだ。「弱いキャラなんて存在しない。役割が違うだけ。役割をわかって運用する事で最強は変わる。こんなランキングをつけて初心者偏見を植え付けないでほしい」。

FateというゲームはFGOが発ではない。そこそこの歴史があってFGOが存在している。そこで好きなキャラに低評価をつけられたらムカつく。そういう感情があることは前提の上で、一番避けたいのは「なにもしらないトーシローがFGOだけで好きなキャラのディスをする」事だとおもう。

 

両方の意見を聞いた上で俺が思うのは、やはり「ゲーム攻略メディア」を見ない事にする。それに尽きる。

ゲーム攻略メディア広告費で運営しているので、ゲームをはじめようとする初心者からページビューがほしい。だからランキングとか作る。つまり、過剰な見出し必要なのだ。つまり今回のように「最強」とかつけとけば見られることをしっているし、実際ランキングはこういったゲーム攻略メディアの主要コンテンツのように思える。自分運営しているわけではないが、こんなめんどくさいしいちゃもんつけられまくるコンテンツ大事に作り上げるのは一番ページビューが見込めるからだと思う。

から、見ないほうがいい。そして、はちまJINのようなまとめブログのように「見ているやつは情弱」ぐらいの風潮を界隈で作り出せばいい。

何人もの個人が意義を申し立てたところでゲーム攻略メディアは金に成ることをやるだけ。ユーザーには寄り添ってくれない。グラブルwikiぐらいユーザーwikiゲーム攻略メディアを出し抜ける状況が一番良いんだけどね。

大金持ちにはやたら煩い日本人

日本人はうるさくなりすぎだ。貧乏人でない人は非国民扱いばかり。日本人の歪んだ規律正しさや真面目さばかりを守ることで、結局、自分たちの首をしめている。リッチ層の紹介にしても、富裕層と言う理由での叩きばかり何回も見せられる。私たち日本人先祖方は、汗水流して豊かな社会にしようと取り組んできたものだが、なぜそれを否定する風潮が続いているのか。これでは私たち未来をもてないし、ましてや左翼的な発想を持つ人々も生まれない。日本人向上心は上がらない。今の貧しい人に「貧乏=恥ずかしい」という意識がないのは、まさに向上心を抑圧する社会存在しているからだ。

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