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2016-12-10

結局皆、お見合い結婚に憧れている。

 『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマ流行っている。

 要約すると最初便宜上契約結婚を交わして夫婦だんだんお近づきになり「本物の夫婦」になる話だ。

 こういう話は昔から日本人が大好きだ。男向け女向け問わず

 好きでもない相手同棲状態になったり、なかば無理やりお近づきになり、付き合っていくうちに本物の恋仲になる。

 そういうお話バリエーション含め、あなたはいくつも知っている。どれも人気作だ。

 少女向けコミックのそれ系統最近じゃ一月に一作は実写映画化されてるし、

 男性向けの場合は落ちものだとか、ハーレムものだとか呼ばれている(まあただハーレム場合、「好きでもない相手と〜」は一昔前の流行になってるかもしれない)。


 こういう系の恋愛物語がいったいなんで受け入れられやすいかというと、

 それは我々にとって(少なくとも概念的には)馴染みぶかい恋愛形態でもあるからです。

 見合い結婚メタファーからです。


 親や仲人から引き合わされて、ほとんど初対面の相手となんだかよくわからん結婚し、最初は家と家との結婚という感じだったのが、

 寝食を共にしていくうちに個人個人の「夫婦」になっていく。

この世界の片隅に』なんかもそうでしたね。

 あれが理想の「見合い結婚」、日本人の好きな「恋愛物語」のパターンです。


 日本人現在に至るまで実はアメリカ的な意味での恋愛結婚をよく理解していないのじゃないか、と思う。

 いやね、アメリカ人だってから自由恋愛バンザーイ!みたいによろしくやってたわけじゃないんです。

 50年代60年代あたりまでは、結婚相手なんて「ご近所さん」が普通だった。

 特に都市部では出稼ぎにきた移民労働者が、やはり移民であるお隣の娘さんをなんとなく良いな、と思って、デートを申し込んだり、

 あるいはいきなり「娘さんを僕にください」とやってきてそのまま結婚することも多かった(後新聞結婚相手募集広告出したりなんかしてた)。

 「結婚したあとで好きになっていく」パターンは実はわりと最近までアメリカにもあったんです。

 それが変わっていくのが60年代後半から70年代にかけて。

 カウンターカルチャーフリーセックス時代です。

 フリーセックスの方はエイズやらキリスト教保守派バックラッシュやらで廃れていくんだけど、

 自由恋愛のほうは残った。

 なぜなら自由恋愛が「技術的に」可能になったから。

 そう、電話の普及ですね。といっても、

 今みたいに個人につき一つってわけにはいかなかったけれど、約束を取り付けるのは楽になった。

 娯楽も増えたし、公民権運動余録女性地位も向上して女性選択肢もちょびっとながら増えた。

 なんたって50年代までは女性が単身で社会にでる手段なんて絶無に近かったわけですからね。

 やたら女性結婚を急いだのも実家という家庭から逃げ出したいところが大きかったんです。もっとも、結婚実家脱出したところで新しい「家庭」に囚われるわけですが。


 恋愛自由市場化が何をもたらしたかといえば、相手を「事前に」品定めできることでした。

 やはり恋人楽しい人じゃないといや。自分と合う人じゃないと。たとえば、音楽趣味映画趣味。本の趣味が合う人。

 食べ物の好みも重要服装センスも忘れちゃいけない。それに犬派か猫派かも……そうそう、絶対ウンコはもらさない人じゃないとね。


 こうして相手要求するリスト無限に増えていく。このうち一つでも「アウト」だとたとえその他の条件を満たしていてもバイバイさよなら、となりやすくなる。

 要求リストの細分化に貢献したのもやはり技術です。

 特にインターネット以後。フェイスブック以後。

 あなたは見知らぬ他人いくらでも知り合えるようになったし、その他人情報を一切会うことなしにいくらでも知れるようになった。

 メールSNSの発展は新しい人とのつながりを容易にもしたけれど、同時に既存のつながりの切断も容易になった。

 ネットで知り合ったあなたのカレの音楽趣味が最悪だと一分前にわかった? よっしゃ、ならメールを送るんだ。

あなたがそんな人だとは思わなかった。別れましょう」

 それで着拒すれば万事解決あなたは晴れてフリーだ。

 そういう人はまだやさしいほうだ。なかには、別れのメールすらおくらずに元恋人一方的ブロックする人間もいっぱいいる。


 アメリカではカジュアル出会えるマッチングサイトが普及しているけれど、

 日本ではまだ「出会い系」には抵抗がある人が多い。

 でも、なぜかアメリカ式自由恋愛マインドだけは心得ていて、相手への要求レベルは格段に細かく、高くなっている。

 知り合う手段は相変わらずインターネット以前のもの限定されているのに、意識だけはポストフェイスブックと化している。

 この齟齬は、なんだろう。

 といえば、おそらく日本人には「運命の人信仰があるからだと思う。

 「運命の人信仰とは、趣味が全部合うとか食べ物の好みが一緒だから好きなんだとか、そんなんじゃなくて、

 理屈抜きで前前前世から結ばれるべき運命だった人がいるんだよ、という幻想のことだ。


 そう、『君の名は。』だ。


 あの映画現代日本人の恋愛観が非常によく出ている。

 なんだか理屈はよくわからないが唐突に異性と結ばれて、

 わけのわからないまま同居生活を続けるうちに相手のことがなんとなく好きになって

 いつのまにかそれが運命だったということになっていく。

 実は構造的には『逃げ恥』と同じ話なのだ

 お見合いを引きずった現代日本人の恋愛観において重要なのは

 自分の好みと相手の好みが一致することではない。

 自分の好みを相手が事後的に受け入れ、相手の好みを自分が事後的に受け入れることだ。

 それは家父長的な家庭であれば、夫の好むを妻が一方的に受け入れなければならず、逆はないという非対称な関係であったけれど、

 現代恋愛物語ではそれがアップデートされて「お互い様だよね」ということになっている。

 理想論ではあるだろうが、まあ、理屈としてはそういうことだ。


 日本恋愛では、まず運命が先にあり、個人人格はあとからついていく。

 それはおそらく個人人格を認め合う自由恋愛の本義からは外れた思想なのだろう。

 でもまあ、なぜか日本人はそういうのが好きだ。

 結局、皆、自由恋愛最高!を謳いながらも、心の奥底ではお見合い結婚に憧れ、理想化しているのだ。

 



 

逃げ恥』がムカつく

ドラマの『逃げ恥』がムカつく。毎週見てるけど、ムカつく。

ガッキー星野源も超かわいいけど、主題歌も好きだけど、ムカつく。



なんでかっていうと、まず「かわいそう」っていうステータスアクセサリーみたいに扱っているから。

高齢童貞SE文系院卒無職も、アクセサリーだ。

「かわいそう」っていうアクセサリー

確かに今は、完璧美男美女恋愛ドラマじゃダメで、

何かしら欠損を抱えたキャラクターじゃないと人気が出ないんだろうと思う。

から、ちゃんとこの人は「かわいそう」ですよーっていうアクセサリーとして高齢童貞とか、無職とかっていう設定にされる。




きっと高齢童貞SEにも文系院卒無職女にも、それぞれの人生として積み重ねてきたものがあって、

プラスの部分もマイナスの部分を背負っているはずなのに、みくりとひらまさからはそういう積み重ねが感じられない。

だって二人とも、仕事恋愛のことしか頭にないように見える。そんなのただのリア充()じゃないか

みくりとひらまさの生活からは、一切趣味のにおいがしない。彼らはいままでどうやって生きてきたんだろう。




ひらまさはまだ、彼の人生の中で積み重ねが見える気がする。

彼が仕事をきちんとやってきたことで、みくりを雇う金銭的余裕が生まれた。



でも、みくりは、彼女が選んで積み重ねてきたものが、彼女をかたちづくっているように見えない。

かわいらしく賢く生まれて、家事をしっかり仕込んでくれる母親に育てられれば、選ばれる。

女は学歴なんかつけるもんじゃないっていうのを地でいってしまっている。

ひらまさがリストラされたら、なにか変わるんだろうか。変わるといいけど。





そもそも、みくりもひらまさも、婚活市場でどう考えても勝ち組だし。

大学院いかせてもらるくらいの金銭的余裕と文化的ものへの理解があるおうちに生まれて、

家事が上手でそこそこ(ガッキー死ぬほどかわいいけどドラマの設定的に)かわいい26歳って、婚活市場で最高ランクだと思う。




ひらまささんだって婚活市場では、めちゃめちゃ人気じゃないのかな。

定職についてて、貯金があって、都内の1LDKで優雅生活してて、

清潔感があって、っていうかむしろ適度にオシャレで、

お店の人や家族に横柄な態度をとらなくて…。


何より、女性に対してちゃんと欲情するけど、その性欲を押し付けてこないって、最高に理想じゃないかと思う。





ひらまささんは、現代王子様だ。最新のリアル王子様。

ロマンチック言葉でうっとりさせたり、スマートエスコートしてくれたりするのだけが王子様じゃない。

わたし幸せにしてくれるのが、王子様。





みくりだってシンデレラみたいだなって思う。

かわいらしく一生懸命家事をやっていれば、いつかお城付きの王子様が迎えに来てくれる。

みくりの「小賢しさ」「分析屋」「自分からなんでも言ってしまう」というキャラクターは、

いまどきの愛されキャラという感じがする。

適度に毒がある人の方がお茶の間に愛されるのと一緒で、人が不快にならない程度の小賢しさがあるくらいの方が

現代ヒロインにはふさわしいし、

まりにもバカなことをやるやつがいないアクション映画みたいに安心して見られる。






恋愛至上主義批判的に描いているようで、結局ロマンチックラブイデオロギーシンデレラストーリーを強化しまくっている。

王子様とヒロインの描かれ方が変わっただけだ。



セックスなしの、お金からまない、純粋恋愛をこのドラマは描き続けている。

ハグしたりキスしたりセックスしたりするまでに昭和少女漫画並みの時間がかかる。

王子様とヒロインが、お互いに好きであることを確かめることを丁寧に描く、少女漫画


家事代行に来てもらった女性と、家事代行先の雇用主が運命相手だったという、なんというロマンチックな話。



書いてて気づいたけど、私が本当にムカついてるのは、ドラマの『逃げ恥』じゃなくて、『逃げ恥』をちょっとでも批判しようものなら、くってかかってきそうなTwitterとかの人たち。

ドラマの『逃げ恥』は現代少女漫画としてめちゃめちゃ楽しくてそれでいいのに、勝手社会的ないろいろを重ねて持ち上げて、

批判しづらいように論陣はってる人たちのせいで、ムカついてしまう。


インターネットでも現実でも、『逃げ恥』のこと批判してる人に全然出会えない。

私は文系院卒で男社会で無理やり働いていて、たぶん小賢しい女なんだろうと思うけど、

素敵な素敵な少女漫画の中に、急に登場人物としてエントリーさせられてしまったような居心地の悪さがある。

みくりみたいに可愛くもないし家事もできないしオタクだし。

ドラマとして楽しんでるのとは別に実存救われねえーって思うけど、それも言えない雰囲気がある。

から金曜の夜に増田なんて書いてる。


ドラマで描かれる「小賢しい女」にすら私はなれないんだなって、悲しいを通りこしてムカつく。

今週、「僕にとってみくりさんは簡単に手放せる人じゃないんです」って言うひらまささんに軽率ときめいている私にもムカつく。

2016-12-07

南場さんの夫は、DeNAを守るために亡くなったように思えてならない

DeNAWelq問題に端を発するキュレーションメディア騒動タイミングで、南場さんの夫が亡くなられた。

このタイミングがあまりにも符号しすぎていて、南場さんの夫はDeNAのために亡くなったように思えてならない。

もちろん本人や周りが意図をもって行ったとは思っていないのだが、運命としてそのようなものを感じるのだ。

人として生まれた意義を感じたとき創業者会社100%コミットし、会社を我が子のように可愛がる。

の子がいない夫妻はよりそう感じているであろう。

我が子であるDeNAを守るため、身をはって守ったのだ。

Welq騒動はキュレーションメディア事業に大きな傷を残し、さら取引先の信頼を大きく傷つけた。

守安社長は、MERY以外のサイトを全て非公開化するという英断をくだし、

その評判がよかったので炎上は沈静化すると思われたが、結局MERYにも大きな問題があったため、

炎上さら燃え広がり、他の事業にも影響が出てくる可能性が出てきた。


そのなかでの今回の訃報である

南場さんにとっては大きな悲しみではあるし、大変な中でWelq問題が起きているため、

2重の苦しみを味わっているだろう。しかし、物事には全て両面があり、いい面と悪い面があると私は思っている。

断言してもいいが、今回の訃報でもってWelq騒動は沈静化する。

なぜならさらDeNA糾弾するものは、死者に鞭打つ人でなしと認識されるため、

まともな人間であればバッシングしづいからだ。

(現にブコメで心ないコメントをするものは大いに叩かれている)

最後に、私は元DeNAで働いていたものとして、DeNAエールを送りたい。

あの会社は働いている人間も優秀な人が多く、必ず今回の騒動を乗り越えてより強い会社になると信じている。

繰り返すが、物事には全て良い面と悪い面の2面があるため、今回の騒動および訃報は必ず

DeNAにとって良いものになるはずだ。

2016-12-05

サンタクロースシュレディンガーの猫的な

観測するまでその場にいるかどうか解らないのだから、つまりは量子を観測して毒ガスを出す箱の中にサンタクロースが居るかは明けてみないと解らないとしても考え方としては生と死が重なってて矛盾をするし、結局マクロ世界ではサンタクロース観測者の存在も含めて存在帰結するのも困難。

また、サンタクロースの移動ベクトルも全てを繋げて地球儀に落としたとしても最終的に出発点に戻るとも言い切れないのだ。

はっきり言えるのはこの世にサンタクロース存在するとは断言できず、また、いないとする論拠もないということで、神も悪魔前世運命も全て都合のいいブラックボックスに他ならない。

プレゼントをねだる君の存在実在を疑うこともないけども、同様にクリスマスのディナーの高値もまた、現実であって、そういえば地球暖かいのは緩やかに核崩壊を行っているからであって、結局生まれてくる子供だってまれてみるまで誰の子供か解らないと言う点では非常にシュレディンガーだよね。

シュレディンガーベイビーと君を置いて僕が宇宙を高速で旅したとすると子供より若い父親存在がね、双子のパラドックスっていうんだけど。

いや、認知とかそういうのはまだ不明未来な訳で、全ての物体ベクトル観測し、予測できる悪魔だってほら、やっぱり解らない事はあるはずだから

仏教的にいえば未来はまだ来ていないのだから今目の前にある現在を精一杯いきる所存というか。

たとえばブラックホールは超高重力なのだから内部は高熱なのかといえばそうなのかも知れないけど、それは絶対重力圏内の全てを吸い込む故に、周囲に大量の反物質を生み出して常にエネルギー的に霧散して消滅に近づいているんだけど、僕らの関係も想いという意味ではブラックホールに似ていて、重いと想いをかけた訳ではないけど、常に目減りを繰り返してって、いつかは何かを生み出すかな。

いや、子供ではなくてね。

[]岩明均原作)・室井大資作画)「レイリ」

とき戦国

武田信玄の死後、勝頼が信長大敗した後

剣達者で死にたがりな少女がたどる運命を描く



面白い

原作岩明均ってのが絵柄、テンポその他で感じられる

作画力も申し分ない

まだはじまったばっかだけどとりあえず少女過去は語られたし、今後どうなるかが気になる

ヒストリエもも原作だけで作画誰かに任せたら・・・かいったら過激派に殺されるかな・・・

あとがき岩明均マンガ制作論とか作品に行き着いた経緯が少し語られててそれも面白かった

ぼかされまくり歴史に詳しくない人間にはなんのこっちゃって感じだったけど

岩明均が好きなら読む価値ありだわ

惜しむらくは一気読みしたいのになかなか続きがでなさそうってところかなあ・・・

なんかちょっとだけ既視感あるなと思ったらあずみだったけど、女で剣達者ってくらいしか共通点なかった

2016-12-04

死の収容所へ 3

http://anond.hatelabo.jp/20161204230447

 様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年ものゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛さらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たち労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだからまさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。

 いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。

 連行にはナチドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド青色警察」、オランダ緑色警察」、フランスルーマニアハンガリー警察ウクライナリトアニアラトヴィアエストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。

 多くの非ユダヤ系住民強制連行を目撃している。玄関から歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。

 駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方ソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可下りるまで何時間も停車していたかである

 すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。

 ヨーロッパ西部バルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパユダヤ人貨物列車ではなく客車移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。

 列車絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」

脱いだ衣類は消毒に廻された。女性衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性女性子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。

 アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれ場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。

 ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。

ナチス・ドイツが構築した排除装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり絶滅収容所ガス室をもって終わった。

今まで恋愛と無縁だった27歳のオタクだけど重度の恋煩いにかかった

今までアニメパソコンに湯水の如くお金をつぎこんできたオタクだけど、

クリスマスも近くなってきたし、ふとこのままでいいのかなって思いが煮え立ってきて、出会い系登録してみることにした。



出会い系ってよくない噂いっぱいあるじゃん

業者サクラに貢がされるとか、いわゆる「釣り」で、実際に会いに行ったら男どもが待っていてプゲラされたりとか。

でも、どうせこのまま生きていても女性恋愛する機会なんてないだろうし、なんかモテない人生に嫌になって死のうかなって思ってたところだったので、

どうせ死ぬなら出会い系死ぬ気で頑張ってみて、それでも駄目なら死ねばいっかって思った。

いやまあ本気で死ぬつもりはないし、死ぬのは怖いし、どうせなら本気で不老不死技術が生きている間にできてほしいと願っているくらいだけど、

どうせ駄目なら死ねばいいって考えると精神的に楽になるじゃん。そんな感じ。



ステマ目的じゃないので、どの出会い系登録したとかは書かないけど。



とりあえず登録して、何人かにメッセージを送った。でも全然返信は来なくて、やっぱり自分モテないんだなって思った。

出会い系って、自分顔写真を載せるわけよ。

正直言って、自分不細工だ。それは自分の27年間の人生証明している。



高校生の時、かわいい子(A子とする)が自分休み時間に話しかけてくれたんだけど、別の女の子(B子とする)が来て、

「A子さ、そんなのと話してて楽しい?笑」みたいな感じで馬鹿にされたりしたこともあったよ。

「そんなの」ってのは俺のことね。ものすごい屈辱だったね。

B子は「いやーなんで?別に話しててもいいじゃん」ってフォローしてくれたのが、また優しいなぁって思ったりして。

B子ギャル感のある子で、身長も172ぐらいあって、明るい性格クラスの人気者で、

とても自分の手が届く子ではなかった。

B子は珍しくカースト意識がない子だったか自分にも話しかけてくれただけで、B子には普通に彼氏クラス内にいた。

まともに女の子と話した経験B子を除くと事務会話以外はほぼゼロに等しい。



話が逸れたけど、自分出会い系サイト顔写真を載せた。

今は顔写真修正できるアプリとかあるじゃん

あいうので不細工な部分は隠して結構盛った写真を作って、載せたわけよ。

それでいざ準備も整ったし、女の子たちにメッセージをしてみた。でも、返信がない。



一応、数人だけメールが返ってきたけど、まるで自分に興味がないような感じで、そのあとのメールは一日も続かなかった。

これって、思っている以上に精神的にダメージ大きいよ。プロフィール写真を見て、男としての価値がないって突きつけられているようなもんだから

その時の感情絶望というに等しく、行き場のない怒りと恨みが自分の中にふつふつと沸き上がった。

ああ、やっぱり出会い系でもうまくいきそうにないな、やっぱり出会い系なんかやめて死のうかなって考えていた矢先、

ある女の子(C子)からメッセージが届いた。



C子には自分からは送っていない。

こんなに無視されている自分でも、興味を持ってくれる人がいるんだってものすごく気分が舞い上がった。

しかも、その子写真がとてもかわいくて、自分が今まで見てきたどんな知り合いやアイドル声優よりも、自分にとってタイプの顔だった。

運命だと思った。



返信を考えているうちに、3時間ぐらい経ってしまったが、落ち着け落ち着け自分に言い聞かせながら、平静を装った文章をなんとか作り上げ、最初の返信を送った。

自分とC子はお互いに社会人というのもあり、メールのペースはかなり遅い。2日置きぐらいのこともあった。



それでも一通一通のメールがとても楽しくて、ああ、生きていてよかったなって思った。

数日メールでのやりとりをした。ある程度して、LINEを交換した。

お互い、LINEには顔写真を載せていたので、それがお互いにとって出会い系に載せている以外の写真を見るきっかけとなった。

C子は、LINE写真出会い系写真とあまり変わらず、かわいかった。

一方、自分はと言えば、出会い系に載せたものと比べて、かなり不細工だ。

出会い系に載せた写真を見て興味を持ってくれて、LINE写真を見て、「なんだ、詐欺写真だったのか」って思われてしまうのが一番怖かったのだが、

不幸にもその予感は的中してしまったようだ。

LINEを交換したあと、C子からの返信ペースはかなり遅くなった。

返信の文章も、かなりそっけなくなった。



今も、来ない返信を、神に祈るような気持ちで待ち続けている。

せっかくの日曜日だってのに、朝からC子のことばっかり考えて、何もかも手につかない。

これまた悪い予感なのだが、もう返信は来ないような気がしている。



出会い系に手を出すまでは、モテないことはつらいけど、趣味仕事は充実しているし、まあいかぐらいの気持ちだった。

でもC子とメールを始めてから、C子のことで頭がいっぱいになって、返信が来ないことに落ち込んで、C子に好きになてもらえない自分不細工さを恨んで、

とにかく頭の中にごちゃまぜの感情がこれでもかというぐらい押し寄せてきて、精神的に相当きつい。

これはどんな感情なのかと、お得意のインターネットで調べてみると、これは「恋煩い」というもので、「恋の病」とも呼ばれるものにかなり近いと思った。

普通恋煩いなんて、中学生か遅くても高校生ぐらいで卒業しているものなのだろうが、いかんせん自分にはそれを発症する機会なんてなかった。

そのため、恋愛で病むなんて信じられなかったし、そんな奴はどれだけ豆腐メンタルなんだよって思っていた。

でも、今じゃ自分のほうが豆腐メンタルだ。

C子とメールをしていた時の気分の舞い上がり方も、今の落ち込み方も、C子を思ってドキドキする気持ちも全て人生で初めてで、自分の中で処理できる感情を大幅に超えている。

クラス女の子や、アイドルを見て、かわいいな、付き合いたいなって本気で思ったことは何回もあったけど、そういうのとは全然違う。

返信が来ないなら、もう一回送ってみるとか、もういっそ無理やり会う約束をこぎつけて、会ってもらって判断してもらうとか、いくらでも方法はあるだろうが、

C子に嫌われたくないと思ってしまって、中々勇気が出ない。



ああ、なんで自分はこんなに不細工なんだろう。勇気がないんだろう。自分は駄目な奴だ。



顔が微妙でも、もっと上手な返信でC子を楽しませられていれば、LINE交換後も変わらない関係でいたのかもしれないが、

女の子文章でやり取りした経験なんてほとんどないし、Google先生に聞いてもC子を楽しませるピンポイント方法なんて、当たり前だが出てこない。

ものすごく少ない引き出しを全力で吟味して返信を送っても、

あとから「いや、完全に間違えた。ここはこう返すべきだったのではないか・・・」「この間違いでC子につまらないって思われちゃったらもう返信来ないんじゃないか・・・」と自分ミスを責める気持ちが湧いてきてしまって、それもつらかった。




とにかくこんなことは知り合いにも相談できないし、でもどこかで吐き出さないとこの感情自分が押しつぶされると思った。

ふと、はてな匿名ダイアリーがあったなぁ、って思い出して、今これを書いてみた。

完全に思いつくままに書き殴っているので、言葉遣い稚拙だったり、時系列文章としての流れに矛盾があるだろうが、

それでも書いていて、随分と気が楽になった。



でも、C子への気持ち全然消えなくて、やっぱりつらい。

いい年の男が、こんな女々しいことを書いてて、自分でも情けねえなって思う。



C子との恋が実らなかったら、もうこの出会い系サイトは辞めて、オタク趣味仕事の日々に戻ろうと思っている。

そのぐらい、今はC子しか見えなくて、C子以外の女の子には興味が向かない。




出会い系サイトを始めるまではこんな気持ちは全く感じたことがなかったのだから、前の生活に戻れば、

そのうちC子のことなんか忘れて、恋愛なんてしなくてもいいって思えてた日々に帰っていけるんだろう。



くそうなればいいのに。

恋愛という新しい世界を知ろうと思って飛び込んでみたけど、知らなければよかったって思ってしまう。

そのぐらい、恋煩いはつらいものだって学んだよ。

2016-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20161201134759

なあに、みんな「極東の蛮族」で括られる運命なのさ。

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


**************


君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************


さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-29

MASUDA - はてなオールスターズ

釣りに戸惑う情弱な僕

通りすがるスパムの雨

本当はブコメ以上

頭弱い阿呆である



止めど流る注目エントリー

消せど燃ゆる暴露エントリー

あんなにブクマついた

トラバを見たことはない



人は誰も星求めて 糞に彷徨運命

そして書きなぐれ Oh My Diary

ネタが切れるまで



はてブ開くと素直にお喋り出来ない

増田みんな侘しさに

I know..怯えてる.Hoo…

メタブ付けた瞬間から虚しさ止まらない

鏡のような増田見て

思い出す一人きりの俺



http://anond.hatelabo.jp/20161129215100

劇場版艦これ、すごくない?

ネタバレあり感想です。

脳内整理のために書き殴ったメモです。だいぶしっちゃかめっちゃかです。










良かった点

戦闘シーンが良かった。

全体的に艦娘固有の艤装が活きていた。

最初の第八艦隊戦闘とかもう最高。古鷹の腕ってあん甲冑みたいになってたんだな。普段名前に隠れてるから全然知らなかった。めちゃくちゃカッコええやんけ。

天龍の刀が活きてたのも良かった。牙突みたいな構えしてたからそういうことすんのかなー、って思ってたら結局普通に発砲する。これがいい。あれは実際に敵を斬るためじゃなくて、印象づけておいてプレッシャーを与えるための武器なんだな。案外クレバーだ。怖いよ天龍ちゃん。

あとは何をおいても大和の発砲シーンですね。超火力・超迫力。やっぱり大和はこうでなくちゃ。まさに最終兵器

艦娘以外も良かったです。艤装の細かい稼動とか、見ててテンション上がった。

妖精もいい仕事してましたね。戦いの場には似つかわしくないビジュアルだと思ってたけど、それがむしろ張り詰めすぎかねない空気緩衝材になってて良かった。

妖精の空戦シーンもよかったしね。いっぺん翼を「クイッ」ってやってから旋回するやつとかね。あれめっちゃカッコよかった。




艦娘の描かれ方が良かった。

全編通じて、「それそれ!それが欲しかった!」って感じ。ポンコツは一人も居ない。ハラショーしか言わない娘とか、終始一人遊びしてる娘とか、男もいないのに行き遅れキャラでいじられる娘とかが居なくて本当に良かった。

個人的には金剛姉妹が良かった。TV版ではほとんどギャグ要員だったけど、今回は軍議の一端を担う重要役割金剛はなんだかんだで政治力ありそうだし、気も回りそうなんだよな・・・軍議にもしれっと紅茶出してたし・・・

大淀も良かったです。公式からは「スレンダーなお姉さん」という印象を受けるけど、今回の劇場版では完全に中学生体型。身長軽巡とそんなに変わらないし、頭身・肉のつき方・顔の丸さなんかも中学生のそれ。長門かだれかと並んだときにはそれがますます際立って、もうかわいくて辛抱たまらんかった。

他の艦娘も、TV版のようにやたらキャラが尖っていなくて良かった。ゲーム内のセリフも、無理なく混ぜ込まれていた。

あと艦娘同士の絆の描写もよかった。睦月如月関係はもう「睦月依存しすぎちゃう・・・?」と心配になるくらい痛々しかったけど、それが良かったし、

加賀も良かった。あのお互いを認めあっているものの素直にそれが言えない距離感な。この関係性がフレッシュでよかった。艦これベタベタ百合だけじゃないんや。

ほかには大和が座るとき描写、あれがなんだか面白かったな。普通体操座りするときって、いったん見苦しい動作が入るんだよね。手を後ろについて支えたり、急にドスンと腰を下ろしたり。でも、大和が座るときはそれがなかった。重心が一定したまま、スッと座る。あり得ない挙動だけど、美しい。あの描き方はアニメではよくある手法なのだろうか?それとも、女の子が完全に理想化された「艦これ」だからここまで徹底したのか?なんにせよ、ちょっとしたこだわりが感じられて嬉しかった。




・流血表現が良かった。

そう。今回の映画、流血表現あったんですよ。流血。艦これで流血。なかなか思い切ったなあと。いや、ストーリーもっと思い切ったことしてるんですけどね。

最初鳥海が流血したのを見て「あ、血出るんだ」と軽くショックを受けたけど、彼女を皮切りにそれ以降みんな続々流血。海の色もあいまって絵面の陰惨さがすごい。

でも、なんだか艦娘が血を流してると安心するな。「あ、彼女らも僕らと同じなんだ・・・」って。「赤い血=人間の証明」みたいなのってホントにあるんだなあ。

もちろん絵面に陰惨さを加えるための血も良かった。如月が「なんで消えないの・・・」って言いながら血が出るまで腕をこすってるとことかね。あと睦月深海棲艦に顔を掴まれて押し倒されるあたりも良かった。ここは血が出てたかどうか覚えてないけど。いや、ともかく今回リョナ心をくすぐるようなシーンがやたら良かったな。おびえ方がいいというか。




ストーリーの筋が一本通っていて良かった。

これが一番。TV版は何がしたいのかさっぱりわからなかった。「深海棲艦はなぜ存在するのか」「吹雪はなぜ特別なのか」といった謎も投げっぱなしだったし。

しかし、今回の劇場版は、そうしたいくつかの謎をできるだけ解消するという筋が一本通っていたぶん、非常にわかやすく楽しめた。

艦娘が戦う理由」みたいなのも良かったよね。護りたいもの云々と大層なことを言っていたけど、結局一緒に戦ってる仲間のためっていう。このへんがちょっとリアルに感じられて。マブラヴかなんかに「前線で戦ってる兵士たちは、国のためとか大義のためじゃなく、結局仲間のために戦っている」みたいな話があったけど(うろ覚え)、そういう感じで。

轟沈艦を出さないことが将来の勝利につながる」という設定も良かった。将来への希望が見えたし、この戦いにも「将来に繋がる重要な緒戦」という意味が見いだせた。これだけの戦闘轟沈が出ない理由にもなったし。

深海棲艦まわりの設定について、一部では「公式世界観名言しちゃっていいの!?」なんて騒がれてるみたいだけど、公式っつってもメディアミックスの一環だし、まあほとんど二次創作と扱いは変わらないでしょう。

気合の入った二次創作アニメを、1800円で、総集編同人誌より安いくらいの値段で、楽しむことができる。これだけでもだいぶすごいことだと思うけど。

上のような楽しみ方ができるのは、TVアニメ版がひどすぎたおかげなんですけどね。ちょっと卑屈になりすぎてる気もする。



悪かった点

深海棲艦に迫力がない

う~ん、「深海棲艦は轟沈した艦娘の成れの果て」という設定上、深海棲艦が親しみやすい絵になるのはしょうがないのかもしれないけど、にしても弱々しい。

単体ではかよわそうだし、かといって物量もないし、いまいち脅威に感じられなかったな。結局「僻地の小競り合い」って感じに見える。ゲーム内でも史実でも、そんな生易しいものではなかったはずなんだけど・・・




それくらいか。案外思いつかなかった。あとは下の疑問点が残ったことくらいですかね。



疑問点

・結局深海棲艦まわりの設定ってどうなってるの?

深海棲艦は轟沈した艦娘からまれ艦娘轟沈した深海棲艦からまれる」「深海棲艦は元いた場所に帰りたいと思い進軍を続けている」というのはわかった。

でも大元の「なぜ深海棲艦は発生したのか」というところがおぼろげにしかからなかった。いや、わかったつもりでいたんだけど、誰も言及してないかだんだん不安になってきた。

ので、ここからほとんど憶測になる。




おそらく、今回の艦これでは、深海棲艦が発生した理由は、

大戦で沈んだ艦が、自らの存在を人々から忘れられないために、自身の闇の感情記憶である深海棲艦を作り出し、光の感情記憶である艦娘と戦わせているから」というものなのだろう。

言うならば、この戦いはすべて、実艦が生み出した狂言だったのだ。

深海棲艦と艦娘無限輪廻を繰り返し戦い続けることで、人間軍艦の恐怖/輝かしさを覚えてもらう、思い出してもらう。

その際パワーバランスが偏って戦争が終わってしまわないように、艦娘たちは実艦と同じ場所で沈む運命にある。

しかし、その「運命」システムを崩す鍵となったのが吹雪であった。

・・・う~ん、これがぼくの深読みでなければ、ずいぶんエグい設定だなあ。

でも、めちゃくちゃ面白い設定だ。ゲームとも符合する。艦娘美少女である理由もわかるし、深海棲艦は艦娘しか倒せない理由もわかるし・・・

この設定を、ファン層が広い「艦これ」の、全国公開劇場版に持ってきた度胸。これが一番劇場版艦これのすごいところだと思う。

これだけでアニメ1クールくらい作れそう。それをなぜTVアニメ艦これ・・・なぜ・・・




でも、そうすると、


・「提督」とはいったい何者なのか?

艦が自身を覚えていて貰うために狂言とも言える戦争を創り出しているのだったら、

人間深海棲艦に被害を受け、艦娘応援するだけで役割にそぐうはず。

それなのに、わざわざ人間に「提督」というポストを用意してやるのは、いったいなぜなんだろう?

それとも、「提督」は人間ではない・・・

そうすると、具体的な見当はつかないな・・・吹雪を重用するところから、この戦争を終わらせる意思をもったものらしいということはわかるけど・・・

なんとなくTYPE-MOONでいうところの「霊長」とか「アラヤ」みたいなもの想像してしまうな。さすがにこれは妄想だけど。



吹雪はなぜ「希望」なの?

これが一番よくわからんかった。

闇の感情記憶と分離してるから・・・みたいな説明がなされてたような覚えがあるけど、それで他の艦娘と何が変わるのか?

TV版の最終話のような、「運命を変える鍵」になりえる理由がそれなのか?

最後精神世界描写は、結局吹雪が実艦吹雪の闇の記憶を消し去ったということなのだろうか?

う~ん。納得するにはちょっと理由が弱いような・・・





なんだか最後の方はほとんど妄想になってしまったけど、感想としては以上です。

いや~、いいメディアミックスでした。久々に艦これにワクワクさせられた。




追記:タイトル修正いたしました。

カテゴリーをつけるつもりだったのですがうまくいかなかったので結局削除しました(かわいい

2016-11-28

[]

聖痕を読んだ。氏の小説をそれほど多く読んでいるわけじゃないか的外れなのかもしれないけど、比較的綺麗な筒井康隆が楽しめる作品だったような気がする。

はいえ、描かれている作品の設定は結構深刻。主人公である貴夫はその美貌ゆえに齢五つにして暴漢に襲われ性器を切り取られてしまうのだから

要するに幼くして無理やり去勢されてしまうんだけど、ホルモンなんかの関係却って生来の美貌が高まることになってしまって、波乱万丈な人生を送ることになる貴夫少年は幼少期から様々な困難に見舞われていく。

こんなような物語の立ち上がりと、裏表紙にあるあらすじがエロスを強調していたのと、独特のちょっと読みにくい文体とが相まって、後半にはおどろおどろしい展開が待ち構えているんじゃないか最初は思わされてしまった。

結果としてそういう読後感を味わう羽目にはならなかった。むしろ明るい家族小説を読み終えた気分。物語の終わり方から漂ってくる余韻は、結局のところ人間賛歌になっているような気がした。

登希夫の成長や、自らの出自を知った瑠璃と夏子が対面する場面、津波に襲われた子供たちの声が消えこときの貴夫の思いや、被災地での運命的な再開など、後半はドラマチックな場面が盛沢山だった。

ずっと旅のラゴスに似ているなと思って読んでた。旅のラゴスが一人の男の貫徹した人生を描いていたのに比べて、聖痕ひとつ家族と彼らに関わった人々の泥臭い人生を描いていたように思う。

性器を失い、根源たる欲を欠いた貴夫の周りで、人々は愛おしいほど欲にまみれて大らかに生きていたもの

あとがきに描かれていた、なぜ去勢されている主人公を題材として選んだのかとか、年齢や物語年代のことについてはよくわかんなかった。最後金杉君の長台詞メッセージがあるのかな。よくわかんない。

想像してたのと違って結構笑えたし、リベラル視線から描かれた人生観なり家族観のおかげで胸が温かくなる小説だと思った。

今年の話題アニメ三本の恋愛について

相手が美形じゃなかったら発展しなかったであろう、というツッコミはこの物語には通じない。

何故なら完全フィクションであり、現実には起きえない現象に巻き込まれからだ。

二人は赤い糸で繋がっている。ある世界を救ったりもする。

すなわちそれは運命。二人が美形なのも、運命だ。美形でなければならなかったのだ。

まぁ人は理屈こねなくても恋をするもんである、というリア充常識をはっきり描いている。

滝くんと三葉どうぞ結婚してください。

クリスマスには秒速5センチメートルです。



これはリアル世界で起こっていることを前提としているので、相手が美形じゃなかったら発展しなかっただろうというツッコミが成立する。

しろそこを乗り越えられていないのは、正直作品メッセージとして扱った題材が題材なだけに残念である

ただ主人公必死過去を清算しようとする行為ヒロインがそんな主人公になびいてしまったところ。

まさしく少女漫画王道花より男子」の道明寺つくしに対するアピールと同じであるし、

少女漫画好きが、この恋愛観を求めているということは紛れもない事実であろう。ちょっときゅんとするとこもあった。

しかしやはり現実的に、二人には後々別れてほしいと思いますまる。



三作の中で二人の出会いもっとファンタジーっぽく、しか関係は三作の中では一番リアル

相手が美形じゃ無かったらツッコミ」だが、周作がまずリアルに置き換えたら美形かどうか怪しいし、すずさんも超美形部類ではなさそう。

周作が実際のところ顔がどうであれ、すずには選択肢が無かった。(周作は幼いすずの顔を見ているのだが…うろ覚えだろう。まぁ超可愛いけどね)

周作の過去やらすずの幼馴染やら、清算する暇も無かった出来事が二人を苦しめたりもするが

その苦しんだ結果が夫婦仲を深めていって…熱々カップルを見せつけられてしまった。

三作の中で一番リア充映画である。きすもしてるしせっくすもしてる。痴話げんかもするし愛情表現たっぷりである

義姉並みにリア充爆発しろリア充爆発しろ、と思ってたら空から爆弾が降ってくるので注意。

夫婦仲良く長生きしててください。




番外編

おっぱい。あららららぎさんが羽川を選ばない理由はなんとなくわかった。



今更感がある

あの世界は軽率に新種が産まれてそう

2016-11-27

運命のように君を愛してる

3ヶ月、嫁と見続けた韓流ドラマ運命のように君を愛してる」を

今朝観終わった。

あっちのドラマは1話が1時間と長いし、20話もある。

週2回放送してるんだってさ。

すごく面白かったなぁ

達成感もあるし

寂しさもあるし

ハッピーエンドだったので、すがすがしい気持ち

韓流たくさん見てきている訳じゃないけど、

評価をみてると、ラブコメディア最高峰と言っていいんじゃないかな

良いドラマに当たった

主役のチャン・ヒョクチャン・ナラは、最高の役者だね。

ただ、最後、「韓国家族」で話題になった画像

ほぼ同じシチュエーションが出てきて、少しぞっとしてしまった

http://blog.livedoor.jp/aokichanyon444/archives/55413334.html

2016-11-26

だが待って欲しい、課金できる余裕の財力で運命コントロールしているとはいえないだろうか

2016-11-25

ネタバレ注意】『君の名は。』のもやもや

めちゃめちゃ今更なんですが、『君の名は。』を観てきました。びっくりしたんですけど、もう上映から3か月くらいたつの都内だと結構本数やってるんですね。前前前世が流れた所のスピード感でぐわっと物語に引き込まれて、2時間しっかり堪能いたしました。

ただ、見終わってから一つだけもやもやしていることがあって、それは「あの後2人は幸せになれるのか?」ということ。瀧と三葉がラストシーンで再会して、たぶん雰囲気的にあの二人は付き合うことになるんだろうけど、それってなんていうか、「神様に外堀を埋められた感じ」じゃないですか。時間をも越えて入れ替わった二人、しかもどうやらその運命は何世代も前から決まっていたらしい。そんな重たい鎖をつけられたら、この先何があろうと関係を終わらせることが出来そうになくないですか。

思春期の多感なころに特別共通経験をしていたから、当時はそりゃ恋に燃え上がっていただろうけど、数年後、お互い社会人になって再会して、そのままずっとその気持ちが続くものだろうか。末永くあの二人が続いていけばいいけれど、もしすれ違ったり、コノ人ジャナイ感が出てきたとき、重たい運命の鎖を振り切って彼らは別の道を行けるだろうか。むしろ過去運命的な出会いにとらわれて、苦しみながら二人で沈んでいってしまうのではないだろうか…。そんなことを思いました。

いつまで経っても成功しない。

私の周りには夢追い人が多い。

 

で、大半が20代後半や30代に突入しても、結果が出ずに燻っている。

そしてそういう人は、自分がやっている事に全て意味があると思っている。

 

もっと具体的にいうと、時間が有限であることに気づいていない。

某いまでしょ氏が言うには、努力定義とは「正しい方向に、十分な量を重ねる」なのらしい。

「正しい方向」を誤ったまま量を重ねているのだから、それは望む結果がでなくても仕方ないのだ。

しかし彼らはその事実を知ったとしてもこう弁明するだろう。

「この時間は●●のために必要経験。」

「●●があったから今の自分がある」


何事もそうだが、現状を疑う力を持っていないもの搾取される。

不条理運命なのであるわけですな。

2016-11-24

逆に考えたら

anond:20161123235437

だってホモフォビアの人が居るしその人からの印象はすでにこれ以上悪くなりようがないということ。

 

制度養子渡りあるくのは犯罪者の身元消し手段としても行われるので政府?にマークされやす行為

ポジ種交換者たちはどうせあまり長生きしない

・残った堅実なゲイ社会

異性愛だってドロドロしてる人はドロドロしまくるしアセクシャル性交渉自体がイヤな人もいるし

個人が安住の地をみつけるかどうかは運命

そういうとこは似たようなものじゃないのかなーとおもうけど。

2016-11-22

この名前に生まれてよかった

 同姓同名友達がいる。山田花子山田華子くらいの違いはあるので、正しくは“ほぼ同姓同名”になるのだけれど。血液型も生まれ年も同じで(私たち早生まれで、私たち出会ったとある集団におけるその年の生まれは私と彼女だけだった)ちょっと運命めいたものを感じている。すべての人に運命出会いというものが用意されているのだとしたら相手彼女だろうな、と思うくらいに。

 先日、ふたり旅行をした際、彼女から「男じゃなくてごめん」と謝罪された。「私が男だったら、私たち絶対に付き合っていたよね」と。それから前世はまちがいなく夫婦だったということや来世ではたとえ男同士に生まれていたとしても結婚しようというようなことを話した。私と彼女は慣れない日本酒をそこそこのペースで飲み終えたあとで、完全に酔っ払っていた。素面ならば彼女同性愛嫌悪感を示す性質だろう(と私は思っている)。それでも、否、だからこそ彼女言葉はほんとうに嬉しかった。

 いつか、彼女結婚したら同姓同名ではなくなるのだと思うと寂しい気持ちになる。できるだけゆっくり彼氏を見つけてください。そうして、ゆっくり結婚してください。ただ、友達として忠告しておくと、長瀬くんは現実にいるけれどいないようなものなので諦めたほうがいいと思います

2016-11-20

食用牛の一生(平均的なの)

http://www.mazimazi-party.com/entry/cow

まり牧歌的すぎてつっこもうかと思ったがヤボなんで増田に書く

今は食用牛のほとんどは人工授精であるhttp://chiharuh.jp/?p=2915

自然交配させて父牛母牛と同じ牧場で仔牛が育つ牧場も全くないわけではないが、いい肉質の仔牛を産んでもらうために、だいたいは人工授精

まれた仔牛は6ヶ月から遅くとも12ヶ月ぐらいになると今度は肥育をする牧場ドナドナされていく。

1年半くらいかけて体重6〜700kgぐらいまで育てて出荷される。

母牛父牛は、肥育されて出荷される仔牛より長生である

特に父牛は子種をぎりぎりまで搾り取られる運命のため長く生かされる。

北條リン物語

映画この世界の片隅に」を見てきた。

私はこの原作である漫画が不朽の名作であると思っていて、それを2時間の間口の広い映画として結実させた片渕監督は素晴らしいし、

映画は大変な傑作であるなと思いながらも、原作ファンとしてやはりどうしても白木リン物語割愛されていることが残念に思う。

そして、こちらのブログを読んで、ユリイカを買ってきて読んだ。


ユリイカこの世界の片隅に感想 【片渕監督の込めた「すず」という少女への愛】

http://www.club-typhoon.com/archives/8332896.html


短く綴られた理由にとともに

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「そこをつくらないと話にならないよ」って文句を言う人が出てきて、また続編をつくれるかもしれない(笑)

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という一文があった。

そうか、そうであれば存分に、めんどくさい原作ファンとして「話にならない!」と言わせてもらおうと思う。


以下、原作映画ネタバレどころか個人的妄想まで含まれるので、未読・未見の方は読まないことをお勧めします。


*****


すずは、絵を描く人である

基本的にはおおらかで、健やかな人であるけれど、少しぼんやり天然なところがある人として描かれている。


たぶん絵を描く人には同意してもらえると思うけど、絵を描くのが好きな人の一部は、現実自意識の間に透明のキャンバスというかレイヤーを持っていて、現実をそのレイヤーを通して見ているようなところがある。

それがない人と比べてほんのわずタイムラグがあったり、レイヤーおかしな働きのせいで見えている世界が違ったりすることがある。

ただ、それは彼女現実直視できないということではない、表には出さないがむしろ人一倍繊細に世界を感じる感受性を備えているのである。そのことは波のうさぎや白木リンとのエピソードなど、随所に現れていると思う。


そして、この物語の影の主役「白木リン」。

ほんの少し運命が違えば(具体的には周作の母が足を悪くしなければ)「北條リン」であったかもしれない女性である


周作はどうやら上官の付き合いで遊郭にあがりリン出会い、そして良い仲になった。ただ、おそらく身請けのための支度金の問題や、親族の反対にあい、そうこうしているうちに母が足を痛めたために、家に女の働き手がどうしても必要になった。そこで周作は「幼い頃出会ったあの女性であれば」と無茶を言ったのだと思われる。半分以上、探し出せなければそれでよい、という気持ちもあったのではないか

それがすずに対し後ろめたい北條家の秘密であり、何も知らずそれを受け入れるすずに対する周作の姉、径子の苛立ちの原因でもあっただろう。

径子は、おそらくそ性格からしてこうした企みに反対だったのだろうと思う。(映画の径子は本当に良かった)


結局のところ、原作においてその秘密はバレるのだが、すずは「代用品」であったことをただ心にしまう。

それはのちに明らかになる、すずにも水原に対して秘めた思いがあったことと対となっている。

けっきょくそれは周作とすずの初めての喧嘩、という形でお互いに秘密をかくしながら本音晒すという場面に行き着く。

それまでのすずはどこかまわりへの遠慮や壁を感じさせるところがあったが、それ以降、すずはリンに(周作がどうやらリンの嫁入りのために準備した)リンドウの茶碗を渡すまでに強くなる。この場面、そしてそのあとの桜の中のすずとリンは本当に美しい。


その後のリンとすずの交流は微笑ましくも緊張を孕んだもので、戦火が激しくなってくる状況と相まって本当に言葉にならない。家と家族をめぐる問答など、これらの場面はやはり2時間映画に収めるにはあまりに複雑で美しくも悲しく、どうやっても難しかったと思う。

ただここにこそ、この物語の奥深い、それでもこの世界の片隅に生きていかねばならない悲喜こもごもの、この物語の核があったのではないか


舞台である戦時の状況はより深刻になってゆき、やがて大きな悲劇がおきる。

映画はそこにフォーカスをあてて、話をわかりやすく整理している。それはおそらく興行として正しく、そして映画から原作へというルートを大きく開いているのだろう。それはおそらく、成功している。


ただやはり、原作読了したあとに、北條リン水原すずだったかもしれない「もしも」を思いつつ再読した時に感じた、大きな驚きと感動につながっている部分、それが映画にないことが、私はやはり残念でならない。


エンドロール原作に近しいコマ形式の紹介はあったし、おそらくそれは「ゼイタク」な話なんだろう。

ただ、私はやはり「この世界の片隅に」には白木リンエピソード必要で、文字どおりそれがないと「話にならない」と思う。


私はこの作品が大好きで、映画も素晴らしかった。この素晴らしい作品が、この世界にあってくれて良かった。

ただ、やはりこの作品映画から触れた人は、原作も是非読むべきだと思う。ぜひ、リンさんの強さと美しさに触れて欲しい。

まりですね、第二回クラウドファンディングまだっすか?

2016-11-18

若くなくなった女が生き延びるには

2003年、神さまは私に「三十五歳」という年齢を与えてくださる。

一生に一度しかない「三十五歳」をどのように過ごすか、

運命の鍵を握っているのは他ならぬ私自である

2002年12月、34歳の鷺沢萠神奈川新聞に上記の文で締められる短文を寄稿した。

結果的に04年4月、35歳で自死してしまうのである

今日の突然の訃報を聞いて、咄嗟連想したのはこのことだった。

出産が難しい年齢になったから?

容色が衰えていくから

個体としての制約もさることながら

若い女としてのニーズ」がなくなっていくこともダメージの一因では。

特にフリーランスで働いていれば、より強く痛感していた可能性がありそう。

なかなか「年齢なんて、ただの数字」と言い切れる女性作家は出ないね

生涯独身(予定)のままバランス崩さずに作家活動してる人なんて群ようこくらい?

猫か、猫なのか(表題)。

2016-11-17

漠然とした不安というもの

昔、20代前半の頃、漠然不安だった。

自己嫌悪して何も知らないくせに世間を厭い、死ぬことばかり考えて精神科に行こうと思って予約したけれど、それもキャンセルして、グダグダとして、考え尽くした挙句、もうどうでもいいやと思って、テントと着替えをバックパックに詰めて東北北海道を3ヶ月くらい放浪していたことがあった。

ちょうど市橋容疑者が逃亡記の本を書いた頃で、それに影響されたという事もあったのだけれど。


金がなかったから街や山の中を転々としながら、公園海岸道の駅テントを張って過ごした。疲れた時はたまにネットカフェに泊まった。

別に何か、運命出会いみたいなのは、一切なかった。楽しくもなかった。

それどころか毎日不安で仕方がなかった。

今夜の寝る場所が見つかるかだとか。

台風で、真夜中テントが吹っ飛ばされそうになったりだとか。

山奥で、朝方起きたら寒さで死にそうになったりだとか。

いつまで放浪するんだろう、家に帰れるのかな、だとか。


でも毎日そんな具体的な不安ばかりだと、次第に、家を出る前にしてた漠然とした不安なんてものはどうでも良くなってきていて、というか、とにかく今を生き抜く事に必死になっている自分に気づいた。

それに気づいた時、家に帰る事にした。


その経験自分が変わったとかは一切思わないけれど、それ以来あまり漠然とした不安に捉われるような事はなくなった。

今も、仕事や家庭での具体的な不安毎日、山のようにあるけれど。

ゴキブリをつまんで捨てられる理由

キッチンゴキブリがでたと妻が叫んだ。

妻との生活の中でゴキブリと遭遇するのは初めてかもしれない。

一箇所にじっとしている様子を見ると、この家で生まれ育ったのではなくどこかからの長旅で疲弊しているようだ。

僕はティッシュペーパーを数枚手に取ると、退路を塞ぐように立ち一呼吸に手を伸ばした。

それが運命であったかのようにゴキブリティッシュペーパーの中に収まり、僕は甘く握ったままそれをトイレに放り投げると水で流した。

妻はその姿を賞賛する。しかし、虫を手でつかんだことに対する嫌悪感のようなものを眉間にもにじませているようだった。



勘違いしてほしくないのは、これは生命に対する冒涜ではないということだ。

子供が生まれからしばらくしたある日、僕は蚊を叩いて潰すことにはばかりを覚えた。

彼にも魂があり、この血を吸うこと、つまり生きる権利を持っていると考えたからだ。

授かった命の重さと、この生命の重さにどれだけ違いがあるというだろうか。

夕刻に食卓晩御飯が並ぶと、目の前には死体を切り刻んだ破片が更に何度も残酷手段を加えられて並べられていた。

それらはまぎれもなく命だったものだ。

僕のためらいはあっけなく空腹に負け、箸はいもの様に死体を刺し、細かく分けては命だったかけらを僕の口に運び続けた。



蚊を殺したからと言って口にするわけではない。

口にしたからと言って、殺された魂が救われるわけではない。

そこに殺生と不殺生の違いを見つけることはできなかった。

ベッドに寝転びながらそんなことを考えていると、おもむろに自らの腹をぶち破って植物の芽が顔を出した。

それはみるみるうちに部屋の天井を突き破り、大きく育っていった。

その植物が育つのと同時に、僕の身体は細く痩せこけ意識は遠のいていく。

薄れ行く視界の先に見える植物の枝先には、様々な生命が実り始めた。

たわわに実ると重さに絶えきれなくなったのか、大きな一匹の魚が僕の顔めがけて落下してきた。

それを避けるように身体をひねろうとした時に僕は目を覚ました。

そうか。自分も同じなのだ



その日から、命あるものから命を奪い取ることにためらいがなくなった。

今とは、今をいきる命のためにあるのだということを理解たからだ。

ゴキブリをつまんで捨てることにためらいがないのは、その生命を奪うことが今の自分たちが生きることに必要なことだとほんとうの意味理解しているからだ。

それは同時に、自分の命さえも今を生きる存在から造作もなく奪われることがありうるという覚悟でもあった。

多くの人はそんな単純な摂理を忘れてしまっている。

人間けが他の多くの生命コントロールできる尊い存在だと勘違いしている。



今の世界において、人の命を奪うことは即ち自分の命を脅かす行為でもある。

からは人は人の命を奪うことに抵抗を感じている。ただそれだけのことでしかないのだ。

しかし、それは直接的に行われないだけで、法を侵さな範囲はいくらでも横行していることでもある。

生きるということを正しく理解するとはそういうことなのだ。

から僕は不殺生はしない。それが命のあり方にほかならないからだ。

2016-11-15

[]11月15日

○朝食:ヨーグルト

○昼食:助六

○夕食:汁なし担々麺ミニ天津飯(カニが入ってたよ!)



調子

はややー。

仕事適当にこなした。

若干、本当に若干だけど鬱の波がきてるようなので自愛したい。

とりあえず、金曜日ぐらいに自己休暇とりたいなあ。

(いや、ポケモンSM発売日とかそういうことじゃなくて、単にスケジュール的に取りやすいのが金曜日なだけでして……)



FE覚醒

17章「死の運命」までクリア

疾風迅雷」が楽しすぎて、脳汁ドバーです。

これこれ、こういうバランスでいいんだよ、頭とか使わずガンガン敵を倒すのが爽快なんだよ。



ポケモンARサーチャー

トルネロス捕獲まで進めた。

目標は、テレパシーギラティナすりぬけミカルゲの二匹なので、まだまだ先は遠い。

バッジとれ〜るセンター

ノー課金

ポケとる

ランキング報酬サメハダナイトをもらった

アバゴーラ捕獲

ファイアロー捕獲

ポケモンサファリが水タイプで一貫してるので、水タイプメンバー構成しようとしたら……

なんと、水タイプメガ進化枠を誰も持っていない!

というわけで、まずはサファリの前に、メガカメックスミッションカードをこなして、メガカメックスを使えるようにするため、ミッションカード攻略

ところが、このミッションカード、かーなり難しい。

スタミナどころか、コインをぶっこんでもクリアできない!

メガスタート+制限時間アップみたいな組み合わせでもクリアできない!

め、メチャクチャシンドイ……

パズルポケモン-1を使ったろうかな、9000コインとかメチャクチャかかるけどさあ。

ポケモンコマスター

ログボのみ。

なんか六連が引けるらしいけど、興味なし。