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はてなキーワード: 中学とは

2016-09-26

精神科医は使えない

中学の時に、アトピーゾンビウイルスと虐めと虐待が原因で、自己肯定感ゼロになり、対人恐怖がひどくなったため、一時期不登校になった。

すると、親が「こいつが不登校なのは、こいつの精神おかしいからだ!」とか言い出して、アトピーゾンビ精神科に行くことになった。全部で十か所くらい行ったと思う。

正確には無理やり連れまわされたんだけど。




不登校だとまともな学校面接で落とすからろくな高校いけないね」と言ってきた余計なお世話だよ基地外

俺、人の心が読めるんだよ、という顔をしながら「今こんな感じのこと思ってるでしょ?当たってるでしょ?(ドヤァ」ってやるだけのナルシスト基地外

不登校?甘えてんじゃないよ!みんな頑張ってるんだ!」と大声でキレる基地外

「ふーん。とりあえず薬出しときますね」と、三分診療で薬だけ出す基地外

「男なんだからしっかりしなさい!男なんだから!男なんだから!」と、そんなアドバイスなら俺でも出来るわって思わせてくれる、性別執拗に拘る基地外

「君、○○(有名人)に似てるね!」と、お世辞で患者のご機嫌を取り、リピーターにしようとする基地外

「頑張って学校いきましょうね~」と、人を小馬鹿にしたような態度をとる女医基地外




彼らを見て、「精神科医って糞だな。患者じゃなくてあいつらが治療対象だろ」と子供ながらに思ったのであった。

シロクマかいう奴がはてな界隈ブイブイいわせてるみたいだけど、こいつも奴らと同類なんだろうな。





精神科医達は誰一人として、アトピーゾンビと一緒にいた親をカウンセリングするということが無かった。

アトピーゾンビ自分虐待されてるなんて考えたこともなかった。気づいたのは最近だ。

この時に精神科医虐待を疑っていたら、まだましな人生だっただろう。最悪である

男女の友情あったんだが

「男女に友情はあり得ない。なぜなら男は女を恋愛対象としてしか見ないから」と言われると凄い違和感がある。

自分は男で、かつてとても仲の良い女友達がいた。その子とはもう疎遠になって、

彼女結婚して出産したみたいな話を地元の知人から又聞きする程度の関係にはなってしまったが、

中学時代、同じ趣味友だちだった二人の関係はどう考えても「友情」としか言いようがなかった。



確かに多感な時期だけに、自分たち二人よりも周囲がその関係恋愛だと勘違いして

囃し立てられたり、あるいは何の権限があるのかクラスで目立つタイプ女子

関係を問い詰めてくるという面倒事に巻き込まれることはあった。

(後で知ったが、その問い詰めてきた女子自分のことが気になっていたらしい)



その仲の良い女友達とは、同じに将来の夢を語りあったり、悩みを打ち明け合ったりしていたし、

同性の友人のように固い絆で結ばれていた、と自分は信じている。

ただ、高校の進学先が違ったことと、自分東京大学に進学したことから

必然的関係は(まだFacebookができる前だから)疎遠になっていったけれど、

それでも少なくとも年に1,2度は会って話をする機会があったし、

お互いの恋愛事情について語り合ったりすることもあった。



彼女に初めて彼氏ができた、と報告されるとき自分のことのように嬉しかったし、

その彼との関係破綻しかけたときは心の支えになったり、求められたらアドバイスをしたりしていた。

周囲からは「悔しくないの?」と煽られたりしたこともあったけど、

当時は心の底から「いや全然」と思っていた。それは今でも変わらない。



ただ、彼女自分に対して恋愛感情がなかったのか、と問われれば、

自分には分からないとしか答えようがないが、恐らく全くなかっただろう。

実際、二人の関係恋愛のような局面になる瞬間も一度としてなかったし、

まるで自分の同性の親友に対する感情のように、

存在のものをただ受け入れ合うような温かみのある関係だったと思う。

2016-09-25

「気に入らない」、それで人権否定しようなんてのは寒い人権意識じゃ

http://anond.hatelabo.jp/20160921171221http://anond.hatelabo.jp/20160924215458関係する話を書く。なお、後者増田http://togetter.com/li/1028423 を元にかかれている。「日本国憲法タグを辿って一番目と二番目にあったやつだ。

 前者は「透析患者自業自得であるから人権否定」に対する批判後者は「特定の嗜好を持っているという理由人権否定」に対する批判である。両者に批判されている言説に共通するのは、「自分が気に食わない人間人権否定」しているところと、「法律定義できない案件」だ。

 まずはじめに、すべての人間人権否定されてはならないというのが、日本国憲法の基本理念なのではないか。三大原則のひとつとして「基本的人権の尊重」を掲げている。憲法によってかなり強く人権尊重が謳われているとみなして良いだろう。

 前者の増田でも語られているが、憲法第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定がある。後者増田では憲法第31条の「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」が引かれている。前者によってすべての人権保護され、後者によってその蹂躙は大幅に制限されている。

 

 自己責任透析患者は殺せなどという主張は、明らかに「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を認めていないと取られかねないし、「生命若しくは自由」を奪おうとしているともとれる。そして自己責任論にもとづいてこれを正当化しようとしても、前者の増田が言うように、「自己責任の線引」は不可能であるから法律によって規定することはほぼほぼ不可能である法律規定できないのなら「生命もしくは自由」を奪えないのは後者増田論法のとおりであろう。特定の嗜好云々にも同様のことが言える。

 さて、上に、両者の言説の共通点を書いた。「自分が気に食わない人間人権否定」に対する批判である

 あくまでなんとなくだが、最近のいろんな「トンデモ」なり、雑なりの言説の問題点には、この気に食わない人間への人権否定というのが根底にあるのではないか

 まずはじめに、「人権」というのは、中学公民などで教えられている事項である。このあたりについては、上のまとめでのコメントにもあった「ピルとの付き合い方」氏がツイッター有用連続ツイートをしてらっしゃっている。

 https://twitter.com/ruriko_pillton/status/77983255997482188およびhttps://twitter.com/ruriko_pillton/status/779832732985663489を参考にして欲しい。まだまだ同氏のツイートは続いている。ここで言われているように、近代民主主義社会というのは、為政者による気分なりなんなりで刑罰を課すことを禁止する社会である。そして、「人の心の中を覗くことはできない」から「内心は規制しない」とある

 ここで考えて欲しい。内心を規制しようとするにはどうなるか。覗くことができないのだから基準を作ることはできない。為政者が「なんとなくこいつは規制すべき内心を持っているに違いない」と思ったという理由しか規制はできない。よってこれも、「基準をそもそも作れないのだから法律による規制はできない」案件であり、透析患者の件の「自己責任定義できないか規制はできない」に通づるものである

 しかし、昨今の風潮は何か。なんとなく「自己責任」のやつを助けてやるのは気に入らない、といった「なんとなく嫌だ」という理由で「生命もしくは自由」を規制しようという言説が書き立てられている。自己責任論が極端に語られるのは、何も透析患者だけではないだろう。内心は本当はわからない、というのと、どこから自己責任か?は定義できないという意味類似性を持つ。近代民主主義では、主権者国民である国民はもはやかつての王のような「為政者」だ。その「なんとなく」の気持ち人権規制を訴えるのは、民主主義精神に反する。

 

 以上より、この2つの事例について、「結局自分が気に食わない人間人権を、まともに法的定義ができないような”なんとなく”で規制しようとしている」という大きな問題があるのではないか、と考える。そして、その問題は、「近代民主主義」の精神に反するものである、とも考える。

 前者の増田では、「全員が健康文化的な最低限の生活ができるように、みんなでお金を出し合って支え合っていきましょう」という相互扶助精神が語られている。この精神は、共同体を維持していくのに重要精神だろう。しかし、「気に入らない」で制限を加えようという雑な言説は、この精神否定するものであり、まともな社会から離れていくものであると思う。この「なんとなく」で人件否定、はなにもここであげた2つの例だけではなく、「コミュ障」だとか、「地方民」だとか、逆に「都会民」だとか、ある考えを持つ人だとか、いろんな「集団」に対して向けられてるような気がするし、しっかり考えて欲しいというところである

 もちろんこの程度で例示が十分だとは思っていないが、流石にすべて列挙し続けることは不可能だし、これもそれに当たるのでは、というのがあったら指摘を願いたい。

http://anond.hatelabo.jp/20160925143152

からさ、小学校制服支給すべきなんだよ

もしくは、中学高校も、幅広い制服から好きなものをチョイスできるようにする。

ユニクロが噛めば値段も半額以下に下がり、ブラック企業批判もついにはなくなるだろう。

経済格差可視化されるから制服反対する人に聞きたいこと

ほとんどが私服になってる小学校制服にしようとか思わないのか?(小中の校区は同じ場合いか小学校貧乏ってばれてたら中学から制服にしても無意味

休日私服で出かけるのは放置してもいいのか?(たいてい生活圏同じなんだから学校以外であったらばれるだろ)

授業参観等の親の服装でも可視化されるけどそれはいいの?(子供だけ同じにしても無意味

住んでる家も経済格差あるけど家は共通化しないのか?(服装以外で経済格差可視化されてるだろ)

黒い肌の人は差別されるから白塗りしようという発想は問題だと思わないの?(安い服を着てるからといっていじめるなと教えるのが本来あるべき姿)

社会格差があるのにそこを放置して見えなくするのって妥当解決策なのか?(社会問題報道規制すれば社会が良くなるといってるようなもの

2016-09-24

役人とは、他人人生管理する仕事である

とある件により、「クレーマー問題が再浮上している。今から書くのは、一種の「クレーマー擁護である。ただし、電車問題関係ない。

自分は、今、貧困問題に関わる活動に参加している(ちなみに、いわゆる「デモ」は参加していない)。当然生活保護受給者ホームレス人達と毎週のように接している。汚い身なりだし、クセも強いけど、普通はかなりいい人で、よく笑いながら一緒に過ごしている。もし同じ中学クラスとかだったら、仲良く過ごせたかなーと思える人達ばかりだ。

ところが、そういう人達が、役所に行くと、途端にクレーマーに変貌したりする。実際に知っている人でも、ホームレス役所から住宅を割り当てられたというのに、物件が気に入らず散々ケチをつけて、意地はって路上に入るくらいだった。なんでそんな風になっちゃうのか。

99.9%の人にとって、役所というのは、単に手続きをとる場所に過ぎない。パスポートをとったり、結婚したり、身内が亡くなった時に出向いて、いいところ一時間くらいの付き合いで終わる場所だ。けれど、これが貧困障害家庭内問題(親、子の暴力など)に遭遇した途端、最後の拠り所になる。そして、その拠り所に何かを否定される(申請した手続き拒否される)というのは、政治的死刑宣告に等しい。

というのも、現代役所というのは、人が生まれた時から死ぬまでを徹底して管理する存在からだ。そこから否定されるということは、世の中に存在してはいけないと言われるのと同じだ。

僕の知っている人でも、若いホームレスで、自分関係する団体出会って、ようやく次のステップに行けると思った時に、「役所に行く」と言い残して、その後失踪した。おそらく何か拒否されたのだろう。無事見つかったものの、以前から患っていた鬱を悪化させたみたいだ。

ニュースでも、「旦那暴力に耐えかねて飛び出したけど、その直後に孕んだ子供手続き旦那の娘になると知って、旦那との関係を持つことを恐れて、無戸籍のまま放置した」「生活保護申請を断られ、一家心中しようとしたけど自分だけ生き残った」なんて話を聞くが、そういう際の「役所に断られた絶望感」というのは、経験しないとわからない。自分も、著しい困難にぶつかり、「役所の手を離れると、世の中こんなに住みづらいのか」と実感した。自分に関しては、かなりイレギュラー手続きもとってもらい、役所の人にはとても感謝している。

クレーマーになるか自殺を試みるかは人よりけりだけど、役所との関係はそんなに変わらない。よくある「生活保護打ち切り宣言したら途端に暴れ出した」なんてのは、ある意味断られた方に同情してしまう。

最近は「行政サービス」なんて言い方をすることもあって、自分たちを「サービス業」と任じるような人もいるけど、本当はそうじゃない。彼らは「人間管理者なのだ。それがどうしたと思うかもしれないけど、少なくともそういう論点を持たない限り、行政クレーマー問題は終わらない。それがいやなら、公務員にならない方がいい。

うまく描ききれてないけど、僕の言いたいこと、わかってくれる?

クリスチャンの私が)これから読みたい本リスト

1.自然科学

クリスチャンになると自然自然科学に興味が湧く(ダジャレ事故)。

光文社からたまたま出てたダーウィン種の起源』が分かりやす面白かったため、自然科学古典を読んでいきたい。

あと社会科学系の本ばっかり読み過ぎて飽きてきたのもある。

ガリレオ望遠鏡で見た星空の大発見

星界の報告』の新訳。望遠鏡で観た星空の様を感動と共に書いた本、らしい。あと地動説が論じられてるとか。

和田純夫プリンピアを読む』

ニュートンの『プリンピア』を中学高校レベル数学で平易に解説した本、らしい。別にこの本じゃなくてもいいんだけど、要するに『プリンピア』に何が書いてあんのかをざっくり知りたい。

チャンドラセカール『「プリンピア講義』なる本も定評があるらしいが、難解らしいので警戒している。

2.小説

池澤夏樹編『宮沢賢治/中島敦』(日本文学全集16)

図書館解説だけ読んだら、あの難解な宮沢賢治の内容がものすごく分かりやす解説されていて驚いた。本作はその解説(読み方)に従って作品配列した全集

といってもどう見てもキリスト教に引っ張られた解釈(「完全な自然と不完全な人間の対比」)で、どこまで鵜呑みにしていいのか分からんけど。

ちなみに有名な『雨ニモマケズ』は、昔からキリスト教っぽい詩だなぁと思っていたのだが、モデルの男と目されている人物斎藤宗次郎)がクリスチャンらしい。ホントかどうかは知らんが興味深い。

ヘッセ『クヌルプ』※追記

ブコメで勧められたのを検索してたら発見人生をやり直したいという主人公に神が答えるシーンがものすごく良い。

ドストエフスキー貧しき人びと

ドストエフスキーデビュー作。といっても彼が社会主義者で、ゴリゴリクリスチャンになる前の作品。なぜか光文社から新訳が出た。

どうも金と愛の話らしい。

3.社会科学

シュンペーター資本主義社会主義民主主義ⅠⅡ』

クリスチャンになる前はマルキストだったので、この本には昔から興味があった。

古い訳で分厚くでかいしかなかったので敬遠していたのだが、このたび何故か新訳された。マルクスブーム万歳である

ついでにヒルファディングの『金融資本論』も新訳してください。



とりあえずこんなところ。

このまま生きていける気がしない

幼い頃からずっと人の気持ちのわからない子どもだった。

小学生の頃は他人罵詈雑言ワガママをぶつけながらその自覚がなく、当たり前のように孤立していた。

中学時代にこの言動トラブルを起こしてからは一転して徹底的にいい人を演じるようになった。高校生とき自分からまれてもいないクラス仕事をどんどんやって、聖人扱いされた。だけど受験前に心の余裕がなくなっていった。偏差値が上がらなくて泣いているクラスメイトに余計な言葉をかけて神経を逆撫でしてしまったこともあった。化けの皮が剥がれて、卒業するときは周りの人からしかけられることも少なくなっていた。

大学に入るときにはリセットしようと思って焦りすぎた。空回って周りと打ち解けられず、気づけばみんな仲の良い友達を見つけていた。周りが談笑しているときには何が面白いのかわからない。サークル新歓でも私が喋ると空気が冷える。高校生ときよりずっと寂しいけど、もう取り返しがつかない。誰とも会話がかみ合わない。まともな人間関係が成り立たないのだ。

幸いなことに、長期休みごとに遊びに行くような友達は片手の数ほどだがいる。けれど、その人達にはもっと楽しく笑って遊べる別の友達がいて、私はお情けで一緒にいてもらっているだけな気がする。その友達が悩みを私に話すことがなく、息のあった会話もできないのは、私が自分のことで精一杯で人の悩みを聞いたり、その人の1番いってほしいことを言えるような人間ではないからだ。自覚はある。でも、どうすれば他人気持ちよくなれるのか、私にはどうしてもわからない。頭でわかっていても実行はできない。

そして、私も遠慮と不信感が重なって本当の悩みは言えないし自分は出せない。心を開いていないことを悟らせないように、口からから次へと薄っぺらくてつまらなくてひどい言葉が湧いてきて、止めることも誤魔化すことも下手だ。そのうちに話すことに疲れて、相手にも興味が持てなくなる。そのことを相手もわかっているから、お互いに心の扉は閉じたままだ。

もう20歳になるが、心から笑って話せるのは家族だけだ。精神的に疲れたときに甘える相手母親しかいない。それ以外の人だと、相手許容範囲がわからずに疲れさせてしまうから

周りの同級生は、やすやすと人と打ち解け、スケジュール帳をびっしり埋めて、楽しく生きているように見える。彼らにも彼らなりの悩みはあるはずだ。でも、私はそこにすら到達できない。いたずらにだした話題面白いと思っているのかつまらないと思っているのかわからない。相手話題に素直なリアクションがとれない。何もかも壊れたあとで気づく。

こんな私でも中学ときよりはマシだと思う。結果が残せたとは言いづらいけど、それでもあのとき変われたのだから、とも思う。けれど、20年も続いてきた自分本位な考え方を変えたり、あるいは誰かに依存せずに済むように自分の足で立つことが、果たして社会に出るまでにできるのだろうか。

要領は悪かったけど勉強だけはできたから、そのことで自尊心を保っていたけど、大学に入った今、私より頭のいい人が星の数ほどいることぐらいはわかっている。それなのに自分知識無意識のうちにひけらかしてしまうこともある。技術も社交性もない私に一体なんの価値があるのだろう。頭でっかちで半端な知識を撒き散らす壊れたスピーカーだ。

幸か不幸かギリギリのところでレールからは降りずに生きているけど、そろそろ限界が見えてくる。いつまでも親に甘えて頼り切ってしまったら、いつか親が私を支えられなくなったとき共倒れだ。そのときに親を支えられるような人間になれるだろうか。そして辛いときに支えになる人を、大人世界で私は見つけられるだろうか。そしてその人が倒れそうなときにも支えられるようになれるだろうか。その人を笑わせたい、悲しませたくないと素直に思えて、そのために心を尽くせる人はできるだろうか。

今すぐにでも動かなきゃいけないはずなのに、エラーしてでもトライしなければならないのに、さもなければもっと知識技術をつけて強くならなければならないのに、そのどれも私はできずにいる。永遠に家で何もせず暮らせていけるものだと心のどこかで信じている。そんなことはないのに。

一体私という存在にどんな意味があるのだろう。ネットの海で痛みをごまかそうとしたけど、無数の「ふつうのひと」の言葉ますます無力感自己否定を招くだけだった。こうしている間にも夜が明けて、私はまた1日を無駄にする。足踏みを繰り返す。頭だけが空回ってオーバーヒートする。なんの解決にもならないパニックを起こす。

頭で考えたことを実行するのがいつからこんなに下手になったのだろうか。

このまま消えてしまいたいけど、それも勇気がなくてできない。こんなの20歳の悩みじゃない。真面目なせいで単位は揃っているから、順調に大人世界が近づいてくる。

何者にもなれず棘を生やしたまま腐っていきたくない。嫌なことがあって夜に叫びたくなったので文章にした。

ここまで書いてもなお、見える答えを直視できない自分がいる。

今でもあの区分があるのかどうか知らないけど、中学理科の第二分野、

その中に出てくる「維管束」の問題がなぜかぼくは苦手だった。



何度覚えたつもりになっても、いざ試験本番で、道管と師管の配置がごっちゃになってしまうのだ。



中を水が通っているのが道管で、栄養分が通るのは師管、という役割自体はちゃんと覚えていた。

それなのに、茎を水平に輪切りにしたとき、内側にあるのがどっちだったか100%間違えた。

基本的には成績がよく、主要5教科500点満点で450はまず切らない生徒だったぼくにとって

これは本当に由々しき事態で、何度も何度も繰り返し覚えこんだ。そしてそのたびに間違った。



あるとき友達とその話になって、本当にあれがどうしても覚えられないんだ、と愚痴をこぼした。

彼は笑ってこう言った。



簡単だよ。植物にとっていちばん大事もの、って言ったら水だろ?

 栄養分も大事だけど、花を育てる時にはまず水をやるじゃないか

 大事ものは中にしっかりしまいこむんだ。植物も人といっしょだよ」



から道管が内側なんだよ、という彼の声を、今でも思い出せる気がする。

それまで必死言葉でだけ覚えようとしていたぼくの頭に、

彼の説明はそれこそ荒れ地に撒いた水みたいにすぅっと染み込んでいった。



その次の期末考査、ぼくは胸を張って解答用紙に名前を書き込んだ。

から教わった知識はちゃんとぼくの血肉になった。

道管が内側、師管が外側。もう絶対に間違わない。

問題用紙が全員に行き渡り先生が開始の合図をする。

ぼくは勇んで解答用紙の端っこをつまみ、今までの雪辱を果たすつもりで一気にひっくり返した。



もちろんそこには維管束の問題があって、いつもどおりに図がついている。

問題文にはこうあった。




「図1は、植物の葉脈を垂直方向に輪切りにしたものである。AとBが示す管の名前をそれぞれ書け」




ぼくは満点を取り損ねた。

2016-09-23

学校一言も発することのできなかった暗黒時代

いま思い返してもただただ悲しくなるが、

小3から小学校卒業まで学校の連中と

文字通り一言も交わしていなかったという暗黒時代がある。




きっかけは、親が強制的少年野球チームへ入団させたことだった。

野球のものは好きだったが、ああいう「集団で何かをやる感じ」とか、

「ノリを求められる雰囲気」とか、とにかくああいうのが大嫌いだったんだ。





少年野球への入団は当時の自分にとって相当な精神ダメージとなり、

周囲に大きな壁を作り始めた。

チームのやつらとは当然口を聞かなかったし、

次第に学校友達とも話さなくなった。

少年野球の奴らに、学校で話していることがばれると

なんかやばい気がしたんだ。





喋らなくなるとそれはそれで厄介な状況になる。

「無口」「無口」「無口」

周囲に罵られる日々。

表情もなかったし、あれは軽度の鬱だったろう。

小3まで遊んでいた友達とも疎遠になっていった。





ある日、ひとりだけいた友達と話しているところをクラスメイトに見られてしまった。

増田くんが喋った!!!!」なんて大騒ぎされるもんだから

それでまた心を閉じてしまう。

そのうち学校ではその親友とも話せなくなった。

まさに八方塞がりである






それでも小学校卒業を迎えるころになんとか立ち向かおうと奮いたち、

中学のころには少し話せるようになった。友達も少しできた。

中学校卒業を迎えるころには、高校ではもっと話せるように頑張ろうと奮起し、

相変わらず友達は少ないながらもまともに会話できるようになっていった。

大学に上がるころにはもう調子に乗っていて、

今でも飲み屋馬鹿騒ぎしたり旅行にでかけたりできるくらいの大切な親友ができた。

彼女もできた。







社交性を取り戻したといったけど、正直なところ今でも

人に壁を作る癖は治っていなくて、心を開くのに最低2年はかかる。

グループ」に属するのも慣れなくて、

社会人にあがってから孤立した状態で、

数人の心許せる同期と飲みにいくような具合である





そろそろオチをつけたいわけだけど、

あの無理やり入らされた野球、結局高校まで続けていたんだ。

鬼監督には罵られるし、先輩にはボロカスに言われるし、

後輩には馬鹿にされるし、同期ともノリについてけなくて孤立して、

あの雰囲気はどうしても好きになれなかったけど、

野球は好きで、ずっと続けた。






そのおかげで半端ない体力がついたし、

高校野球をそれなりに厳しい環境で耐え抜いたみたいなところは、

なんの取り柄もない自分評価してもらえる唯一のポイントになったりもしてる。






親も、息子にまともな社交性を身につけさせたいと思って入らせたらしい。

というわけで、今は親にも野球にも誰にも恨みもなにもなくて、

結局は自分生来ネガティブ性格根本的な問題なんだと思う。





ひん曲がった性格だけど、こんなんでも付き合ってくれる友人にはとても感謝している。





いま同じように学校で周囲に馴染めない子やもしかしたら話すこともできない子も

いるかもしれないけど、こんな自分でもまともに社会でやってけてるわけだからいまは耐えよう。

殻にこもったままでいい。自分がその気になったときまで待てばいい。

その時に思いっきり殻を破ってやればいい。心臓バクバクするけど財産になるよきっと。

2016-09-22

アトピーゾンビ二号が虐めで不登校になった

中学の時、アトピーゾンビと同じく、アトピーゾンビウイルス感染してる奴とクラスが一緒になった。

アトピーゾンビよりも症状がひどかった。

彼は顔と首の肌が赤く、カサカサと乾燥していた。首や体を掻く様は見てるだけで不快指数が高くなった。

おまけに重度のコミュ障で、声が小さく、挙動がキョドッテいて気持ち悪かった。

「こりゃ虐められるな」と思った。

クラスメイトの話によると、もともと明るい奴だったが、小学生の時にアトピーゾンビウイルス感染して容姿が醜くなって虐められるようになり精神おかしくなったようだ。

彼と話したことはないし、どんな人間なのかもよくわからないが、観察した限りでは悪い奴じゃなさそうだった。

から僕は、彼を心の中でアトピーゾンビ二号と呼ぶことにした。




彼はアトピーゾンビと共にスクールカーストの最底辺にいた。

いつも無気力でだるそうな目をしていた。自分のしょうもない人生に嫌気がさしていたのだろう。

悲しいことに顔面偏差値は高かった。だから余計辛かったのではないだろうか。

アトピーゾンビ不細工なので諦観できているが、顔面偏差値の高いゾンビは辛いだろうな。

これさえなければ人生楽しいのにといつも絶望していたのだろう。




クラスほとんどが虐めに加担していた。無関心だったのはアトピーゾンビを入れて三人だけだった。

小学校が同じだった奴が中心となって虐めていた。手慣れていたので、おそらく小学生の時にも虐めていたのだろう。

虐めは精神的なものだった。肌がキモイ風呂入ってんの?、ゾンビw、治るようにちゃんと努力しろよw、お前のまねw(肌を掻く真似をしながら)、無視などだ。

もちろんゾンビ二号を蹴ったり、ボールを投げつけたり、腕パンっていう遊びに強制参加させたりという肉体的ないじめもあった。

容姿に優れていて運動勉強もできて教師の評判もいい奴が「お!こいつ虐めてんの!?俺も混ぜて!」と言って楽しそうに一緒に虐めてた。

人生は生まれで決まるんだなと思った。




そんなこんなで数か月たっぷりクラスメイトに虐められたゾンビ二号。

彼が初めて学校を休んだ時、クラスがざわざわしていた。

教師教室にいないときクラスメイトの一人が「やったーwww」と両手を挙げて喜んだ。

それを見たクラスメイトがつられるように、

「ざまあみろw」

「もう学校こないでほしいww」

あいつがいない教室最高w」

キモイから虐められて当然だよね!」

ちょっとからかっただけで不登校とかww」

自殺すれば社会がきれいになるねw」

自殺してくんないかなーw」

「また学校来たら虐めようぜw」

いいねーw」

「虐められたくないなら努力しろって思う」

「ねー!不潔な自分が悪いのにね」

こんな感じのことをクラスメイトのほぼ全員が言いまくっていた。

教室が悪意に満ちた笑い声に満ちていた。

クラスメイト達の満足げで醜悪な表情をみて人間は醜いな。と思った。

同時に、次は自分が虐められる番なんじゃないかと恐怖と不安でドキドキビクビクして死にそうだった。

幸いにも虐められることはなかった。虐められなかった理由は今でも不明だ。






本当のことを言うと虐められなかった理由はなんとなくわかる。

アトピーゾンビいじめに加担していたからだ。

家柄がよくて容姿に優れた恋愛勝ち組クラスメイトに、「お前もやれよw」とボールゾンビ二号に当てるゲームに参加させられた。

日々のアトピーゾンビウイルスストレスを晴らすかのように思いっきりぶつけた。

「おぉー!いいねーw」とクラスメイトは喜んでいた。

ゾンビ二号は少し泣いていた気がする。

同じスクールカースト底辺人間に虐められるのがつらかったのか、同じウイルス感染している人間なのに自分は虐められてあいつはされない理不尽だ、とでも思ったのだろうか。



その後、アトピーゾンビアトピーゾンビウイルスの痒みと痛み、受験期の激しい虐めが原因の鬱と対人恐怖と学習性無力感で見事受験に失敗。

関東ごみ高校という五流高校入学することになった。

アトピーゾンビ二号が今何をしてるかは分からない。人生絶望して、もしかしたら自殺たかもしれない。まぁ生きているより、そっちのほうが幸せだよな。




どんなに善良な人間でもアトピーゾンビウイルス感染しているというだけで周囲から理不尽仕打ちを受ける。

まぁ、惑星地球は健常者専用の娯楽施設だから、非健常者が排除されるのは当然だよね。終わり。

君の名はを見た直後に現実を味わった話

さて、君の名はという映画を見に行った。内容はCMで思っていたよりもハードな展開かつ壮大で、それでも男女の青春部分も大事に書かれていて面白かった。最後も読後感爽やかな終わりで、なんというか良い夢を見た気分になった。


しかしその見た直後に、夢は夢で現実はそう簡単に壮大にもドラマにもならないと言ったことを実感する出来事があった。

実は地元映画館で見たのだが、自分はその後一緒に行った兄弟と、映画館と同じ建物ゲーセンにふらっと行った。

そして家族ゲーセン店員さんにクレーンの景品移動させに頼んだのだが、その店員小学校以来の同級生だった。

最初見た時ビックリした。うわあ。流石地元。昔の知り合いに思わぬところで会う。

しか自分中学地元の方に行っておらず地元同級生とは疎遠状態で、なんとなく小学校同級生には特別な思いがあったので見かけた時は妙に懐かしい気分になった。

そして、その刹那「おっこの知ってるけど疎遠になってけれども数年後再会って状況ちょっと君の名はっぽい!」とか思ってしまった。

だがしかし現実はそんなにドラマチックではない。相手はこちらに全く気付かず、自分もそもそもその同級生とは小学校時代から仲が良くなかったため、そのままあえなく何も起こらず、(と言うか恐らく話しかけられても困った)ゲーセンを後にした。

もしこれが虚構だったら自分は超美少女で、相手cv神木隆之介で、何かしらの運命やら因縁があってここから始まる壮大な青春ストーリー…!となったことだろう。

しか現実はそうそうそんなドラマチックストーリーは起こらないんだなあと、君の名はで良い夢を見た後だったので少し現実がしょっぱく思えたのでした。

しかしそれでも現実現実で悪くはないのだが。

2016-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20160919221323

昨日、これを書いた元増田です

とりとめなく思ったことを書いただけなのですが、ここまで反響が多くてびっくりしました

やはり、みなさん、国語の授業には色々思うところがあったのですね

自分も色々参考になりました。ありがとうございます

元増田トラバには、もう個別に返信したので、

はてブコメントで気になったものピックアップして、この話題は終わりにしま

ボトムアップでは細部に拘泥して大意を読み取れない

端的に言ってすみません、これは、パーツを「繋ぐ」工程問題があるパターンです

そして、上手く「繋げ」られないのは我々国語教員の教え方の問題でしょう

ただ、思うに、大意が読み取れないのは、細部に拘泥しきれていないのではないでしょうかね?

要するに、ある「細部」を読み取ったは良いが、また別の「細部」を正しく読み切れていないから生じるのだと思います

どっちも使え

はい。その通りです。現にセンター試験は4つの大問を80分で解かなければなりません

評論古文20分では無理なので、漢文小説は15分で解けと生徒に言っています

この場合トップダウンの読み方をするしかありませんが、元増田で書いた通り、

トップダウンの読み方と言うのは、ボトムアップの読み方が出来て初めて習得できるものだと思います

例えを出すなら、

知識のある人が頭が良いわけじゃなくて、頭の良い人は総じて知識を持っている、という必要十分の問題と似た感覚です

それを無視して、トップダウンの読み方だけを授業に持ち込むことには疑義を示したい、というのが元増田趣旨でした

世の中まともな文章だけじゃない

はい。その通りです。自分が書いているようなクソみたいな文章もあります

ただ、「読みやすさ」のクソさと「内容」のクソさの峻別が出来るようになってほしいと、国語に関わる者として強く願っています

ですから、「読みにくい」文章でもなんとか読めるように、内容を吟味したうえで「クソ」と言えるようになってほしいと思っています

時々、「読みにくい」を「内容がクソ」とイコールで繋げたがる人がいますが、自分はそうは思いません

しろ、読みやすくて内容にも優れている文章が見つかる方がレアではないでしょうか?

「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してほしくないというのが自分の考えです

もう一度言います、「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してしまうのは悪です

小学校中学高校じゃ授業のやり方が噛み合うわけない

おっしゃる通りです

小学校先生方というのは、非常にまじめな人が多く、丹念に、一生懸命にやっていると思います

ですが、小学校高校にもなると、言葉遣いから表情、距離の取り方まで、もういろんなことが違うのです

それ以前に、この業界は「他人仕事には口を出さない」という空気が強いですけどね

これはトラバですが消されていたのでここで

読解偏重をやめろ。話す聞く書くの練習をさせろ

はいすみません。「書く」訓練に関しては、本当に足りないと思っています、返す言葉がありません

他方で、「話す」「聞く」は、音声言語の発信と受信に対応していますが、

現実問題として「話す」「聞く」を言語だけで行うことは稀で、非言語コミュニケーションが伴う場合ほとんどです

一般的コミュニケーションにおいて、非言語的なものはその7割を占めると言われています

国語教育がそこまで立ち入れるかはなはだ疑問ですし、立ち入る必要もないと思います

しろ、純然たる「言葉(言語)」のみでどこまでコミュニケートできるかの限界線を知ることの方が大切だと思います

---

この業界は、どこまで行っても、場数を踏んで、手探りでやってくしかないのです

正直、わからないことばかりです

しかし、国語に限らず、教育現場は今、変わろうとしています

良い結果になるか悪い結果になるかは、蓋を開けてしばらくしないとわからないでしょう

また、純然たる「教育」が、どの程度社会に対して影響を持つかを正確に測定するのは無理です

それでも、「少しでもマシな」社会を作るために、自分にできることをやらなければなりません

日頃「つまらない」授業をしているバチが当たったせいかお茶が気管に入って噎せ込んで噴き出してしまいました

終わりにしま

同性の友人に「尊敬してる」って言われる

中学時代に学年中の女子いじめられた経験からか、女性恐怖症みたいになっちゃってて同性の友人ってものすごく少ないんだけど、

数少ない同性の友人に「増田のこと尊敬してる!相談に乗って欲しい!」ってご飯誘われた!!嬉しいー!!

女子同士でご飯食べに行ってお話するっていうの、すごく憧れてたから(嫌われるのが怖くて自分から誘えない…)、

誘ってもらえて嬉しいなぁ。いっぱいお話聞いてくるぞー!

2016-09-19

いじめられるとホラ吹きになる。強姦しか異性とかかわれなくなる。モラルがなくなる。

”僕がこういう人間になったのは、日本学校教育を偶然にも受けなかったから、という気がする。小学校ではイジメられる→中学入試が終わったあとは漫画ゲームばかりで深海魚→高3で一念発起して独学で受験勉強大学指導教官アメリカ教育受けた人→留学外資系企業英語仕事作家投資家

藤沢数希大先生はいじめられいたんですかw

性格悪くて、空気の読めない厳密な精神医学的な意味アスペルガーほぼ確定ですものねw

更に性格捻じ曲がってしまってかわいそうとは言えご愁傷様ですw

国語教育

現職の高校国語教員

国語の授業というのは現在変わりつつあるらしい

今の20代以上の人なら、きっと、現代文の授業は、

形式段落意味の上で大段落に分けて、第一段落…のように形式段落ごとにちまちまと読解した覚えがあるだろう

自分も未だにそのやり方を続けている

これは、小学校先生に言われれば、古式ゆかしい方法論らしい

アクティブラーニングなんかが好きな人はたぶん生理的に受け付けないんだろう

しかし、自分はこのやり方を変えるつもりは今のところない

現代文(特に評論)の読解には、大きく分けて2つの読み方がある

1つは、トップダウン式の読み方で、全体をざっと理解してから細部に及ぶという、いわば演繹的な読み方である

もう1つは、ボトムアップ式の読み方で、細部を精読してそれを有機的に繋ぎ合わせるという、いわば帰納的な読み方である

多くの国語教員後者のやり方を取ってきた、特に中学高校教員

今、それが古式ゆかしいと批判されて、トレンディではないらしい

トレンディであるかないかじゃなくて、もっと別の方法から自分トップダウン式の読み方を授業に持ち込むのは反対だ

まずもって、トップダウン式の読み方というのは、まともに書かれた文章をまともに読もうとするとき、まともに使うことは稀であるように思う

それこそ、難関国立大の2次試験程度だ

そして、トップダウン式の読み方というのは、何より、それを履き違えた形で身に付いてしまうと、

自分の都合のいい/自分が読める箇所だけを繋ぎ合わせて何となく理解した気になって、こんなもんだろう、と都合のいい物語勝手に作り上げてしまう」

危険性が、ボトムアップ式の読み方より強い

それに、ボトムアップの読み方すらできない人は、トップダウンの読み方なんて絶対無理

しろもっともっと、細かい部分をきちんと読み込めるようにしないとダメだと思うぐらい

時代の流れだとか言うけど、

過去より現在が常に正しくて、未来もっと正しくなる」って考え、進歩主義以外の何物でもないと思うんだよね

「新しいものから」とか、「時代の流れなんだ」とか、それは主張の正当性を裏打ちするものではないと思う

「進んでる」とか「遅れてる」とかそういうフレーズ価値判断と絡めて使う人は大抵、論理的正当性を主張できないから、進歩で殴るしかない

から自分はこのままつまらない授業を続ける予定

昔できたことができない

中学の頃、ピアノが弾けるのはクラスで4、5人だった。

高校に入ったら半数くらいの人がピアノを弾けて、大学に至っては女の子殆どピアノ経験者だった。習い事を5つ習っていた私は変わった家の子から普通の人になった。

中高生の頃は、誰かの役に立ててるのかな、と思える場面がそれなりにあった。しかしそれだって高校生の頃には中学時代には感じなかったしんどさみたいなものを感じるようになってきていて、自分キャパティでは、大学に受かったとしてもきっと色んなことがうまくいかない、漠然とそんな気がしていた。

そして予感は的中し、ついに大学では無能な役立たずの落ちこぼれになってしまった。

リーダーシップってなんだろう。大人になった今の自分より、中学生自分の方がよほどいいリーダーだった気がする。環境が変わっても同じ自分で居続けることがこんなに大変だったなんて。

2016-09-18

そうはいうけど中退18歳のブログは読めば読むほどきつい…

http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/04/01/020344

このプロフィールとかなんなんだ

ページ丸ごと粉みかんみがしゅごい

人生挫折を味わった高校生

高校では吹奏楽部に入部。

部活に入るかは自由だったので、帰宅部にしようと思っていたけれど、何となく吹奏楽部に入ってしまった。

そしたら、なかなか大変な部活で夏の大会は全国目指してずっと練習状態

中学から楽器を吹いてる子もいるなかで高校から始めたぼくは全くついていけず怒られる毎日に。

そこで自分が甘やかされて育てられてきたことを心底実感しました。

起きたことも感想も文のまとめかたも中学生夏休み日記

マジで全部こんな感じで読むのが辛い

ブロガーって文章を操るんだろうにこの中学生日記でどこへ討って出るつもりなんだ




これははっきり言うべきだと思う

このブロガーからは「18歳なんてみんな馬鹿」という優しい一般論とは別の馬鹿さを感じる

「18歳なんてみんな馬鹿」という時の「馬鹿」は若者経験の乏しさから来る判断の突飛さを指すのだと思うが

からはそういうのとは違うもっと端的な、はっきり言うと低学力・低知能的な匂いが漂ってくる

プロフィールページに目を通しただけでも俺の言ってることわかるはずだ




勢いつきすぎた青春ほとしりとか言うより

微妙に足りない人が悪い奴に騙されてる」っていう典型的詐欺現場に見える

青春映画と言うよりヤミ金ウシジマくんだ




こんな子を「プロブロガー自己実現しようよ!」とか誘って大学辞めさして

ここから更にセミナーに通わせたりつかいっぱにしたりしてしゃぶろうという奴等はほとんど犯罪者じゃないのか?

我々が見てるのは犯罪現場じゃないのか?




「18歳なんてみんな馬鹿」というこの場に相応しくない一般論を当てはめてこのような悪事スルーしていいんだろうか…

2016-09-17

添い寝

いつ頃から添い寝に憧れるようになった。

中学高校?時期は良く覚えていない。

もちろん、セックスにも憧れたが、それ以上に添い寝がしたかった。

ただただ、好きな女の子添い寝する。添い寝・・・

 

機会にはなかなか恵まれなかった。

童貞喪失したのは20台半ば。

やった後に添い寝になったことはあるが、それではダメだ。

ただただ、添い寝する。エッチなんかしてはダメだ。

と言うか、その相手とは性的関係になんてなってはいけない。

そして、その相手可能な限り理想的女性でなければならない。

つの間にかそんな妄想まで抱くようになってしまっていた。

 

しかし、本能がそれを許さない時期がしばらく続いた。

どうしても勃起してしまい腰が動き出しセックスに挑んでしまう。

心の中で「これではいけない」と何度呟いたことだろうか・・・・何度も、って程ではないけど。

 

そうこうしているうちにとうとう結婚してしまった。それが三年前。

後はもう、不倫するか離婚するかしかない。

人生にまだ長い時間が残されているが、果たして成就できるのだろうか?

私と一緒にいてくれた空想女の子の話

父と許したその日から、その子存在は急速に薄くなった。

今でも思い出せることは思い出せる。

でも、彼女が私の近くにいたときは、もっと、本当にそこにいるように想像できた。

空想の中で話した声は実際耳で聞こえるように。動く表情、髪や体温ある身体の質感。鮮烈にイメージできたのに。

中学時代から高校生時代まで、父親との折り合いが大変に悪かった。

理不尽に当たり散らされていた。私は彼を人間の屑だと軽蔑し、憎悪していた。

父親反面教師にして、ああならないように生きることを人生目標にしていた。

同時期から毎日同じ空想物語日常のふとしたときで流れるようになった。

の子は私と違い、とても才にも容姿にも恵まれている。

そして彼女は無関心な父親に褒めてもらうことを切望し、自分能力を発揮し続けて、ボロボロに擦り切れていく。

物語パターンが二つあって、一つは父親彼女状態気づき和解する。もう一つは、徹底的に彼女を道具として使い、「あれは娘ではなく優秀な部下」と切り捨てる。

どちらの流れの話になるかは日によって違った。

元々空想しがちで自分物語登場人物を作って楽しんでいたような人間だったが、この空想存在感はもはや空想ではなかった。

登場人物存在の質感、感情すべてがリアリティーを持って私の中にあった。

心理学的に見れば、自分の父への愛情飢餓が表出されたものだったのだとは思う。

私の状況と空想世界彼女の状況は違うけれど、「父」がどちらもファクターだった。

彼女は私の代わりに父親仕打ちに傷つき、叫び愛情を乞い、もがいてくれた。

現実の私はとてもそれができる状態ではなかった。

彼女代替として、私の感情の処理をしてくれていた。5年間。

詳しい事情割愛するが、大学生になってから父親和解した。

空想の中で彼女がし続けていたようなことを現実ででき、ため込んでいたものがなくなったのではないかと思う。

そこから、ぽっかりとその空想世界とその中の彼女を思い出せなくなってしまった。

思い出せるが、その空想五感で感じられなくなってしまった。

恐らく私の中の、彼女の役目が終わったのだ。

もう会えないのが悲しい。今の自分が思い描けるその空想物語彼女は、私の分身ではない。

当時の彼女とは違う存在で、あくまでも空想世界の一登場人物にすぎない。

自分が作り出した存在だけど、彼女は私の支えだった。しかし、自分が作った存在からこそ、今も自分のどこかにいてくれると思える。

たか空想と思われるかもしれないが、私は彼女感謝しているし、実際存在していなくても友人や親より私の近くにいてくれたのは空想世界のあの子だった。

リアルの知人たちに話せるような思い出ではないので、ここでまとめておく。

エロゲって衰退したよなあ

http://anond.hatelabo.jp/20160917014220

10年前、俺がまだ高校生だった時代エロゲオタクの必修科目だった。

当時のアニメオタクは、アニメというよりほぼエロゲのことしか頭に無かったと言っても過言ではない。

中高生童貞オタクたちも、未成年ながらこぞってエロゲをしていた。(入手経路は、年齢詐称amazonで購入、割れなどが主)

中高生オタクたちは休み時間放課後パソコン研究会漫画研究会などの文科系部活動の部室に放課後まりエロゲソフトエロゲ専門誌などを持ち寄り語り合っていた。

生徒会なんてやる奴はガリ勉キモオタが多いから、生徒会室でも生徒会長エロゲ専門誌を読んでいるなんて話も、俺が中学高校の頃によく聞いた。

バカな奴なんかは学校パソコン室にあるwindowsXPエロゲインストールしたのが教師にバレて、こっぴどく叱られていた。

中高生ならずとも、10年前当時はエロゲといえばネットオタク象徴する存在だった。

ネットをやっていれば、「新作のエロゲが発売日に完売!」のような記事トップニュース扱いで一般的ニュースサイトにあがって来るので、別にエロゲアンテナを張らなくても自然に知ることだった。

エロゲ主題歌なんてのは、「電波ソング」と揶揄されるほど常軌を逸した、明らかにふざけている歌詞のものが多く、そんな歌が登場するたびネットで話題になった。「巫女みこナース」なんて、当時のネットユーザーならエロゲプレイ経験が無くとも全員知っているだろう。

まだ携帯着うた配信サイト運営のためのエイベックスの子会社しかなかったドワンゴが、着うたサイトテレビCM巫女みこナース採用したほど流行した。今考えれば、ポルノ商品テーマソングテレビCMで一日中放送するなど、BPO案件モノである

また、今のオタクアニソン初音ミクカラオケで歌うのが普通だが、当時はアニソンエロゲソングがやっとカラオケに数曲入り始めたばかりの頃である。それまでオタクの間で「アニメオタクカラオケするならセガカラ(注・当時はゲームメーカーセガカラオケ事業をしていた)」というのが共通認識だった。だが、確かにセガカラは他社のカラオケよりアニソンの曲数が多いとはいえ、自社ゲーム、それも主にサクラ対戦の曲ばかりが大量に入っているので著しく偏っていた。

アニソンなんて便器にこびりついた糞ほどしか入っていないUGAや孫悟空なんかにオタクが入ると、歌える曲が無くて葬式状態だった。

そんな状況の中で、DAMが2005年頃にネット流行っている曲、アニソンエロゲソングを一気に大量追加してくれたお陰でオタクカラオケで遊べるようになった。

10年前のオタクは、やっと思う存分遊べるようになったカラオケエロゲソングばかり歌っていた。

とにかく、当時はネットをやればエロゲ話題が常に入ってくるような状況であるはてブでも大層エロゲ関連の記事がバズりまくっていた。

オタクの常識ネット象徴であったはずのエロゲが、いつのまにか完全に廃れてしまった。

俺がエロゲネットが盛り上がっていたという最後記憶は、「きしめん」と「ふぃぎゅあっとである。それ以降、ネットエロゲ話題にすることはパッタリと無くなってしまった。

それこそ、2006年ドワンゴニコニコ動画を開始して以降のことだ。開設当初のニコニコ動画は、とりあえず2chで流行したネタ転載するだけの動画サイトであり、2chネタとしてエロゲソングなどで盛り上がっていたが、徐々にニコニコ動画独自コンテンツができあがるにつれエロゲは忘れ去られた存在となってしまった。

ニコニコ動画開設以降、オタク流行の中心がニコニコ動画になってしまった。ニコニコ動画内で忘れ去られたエロゲなど、ニコニコから入ってきた新世代のオタクたちに伝わらなくて当然である

今の若いアニメオタクは、エロゲは一切しないという。エロ同人誌エロマンガである

エロゲソングも「ふぃぎゅあっと」以降、どんな曲が出てきたのかなどの情報をまったく知らない。ネットオタクが盛り上がっている音楽は、エロゲソングから初音ミクに移り変わってしまった。

もう、エロゲ時代に取り残された遺跡になってしまった。今ネットエロゲについて語っているのは、青春時代エロゲ全盛期を経験し、それが今でもそのまま趣味として続いているオッサンだけである

10年前に高校生だった俺がエロゲ全盛期最後世代であると思うので、今エロゲについて語っている一番若い奴でも30歳だ。完全にオッサンだけの趣味になってしまった。

オッサンしか愛好者がいないというのも、ダサいというイメージに繋がっているだろう。

スマホ向けにDMMがエロいゲーム配信しているらしいが、ネットで話題になるほどメジャーという印象もない。スマホに移行しても尚話題にならないエロゲ。もう、復興は二度とないと思う。

2016-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20160916203131

高校事務室あったけど中学は一人で手続きやら多分給料計算みたいなのもやっててメチャ大変そうだった

でも教師も完全ブラックだし全体的にマンパワー頼りすぎる

http://anond.hatelabo.jp/20160916170617

私は中学生徒会主催ビデオ上映会だったなぁ。。

当時はまだ著作権とかよくわからなくて、校内で勝手テレビビデオを流してた。

ナウシカ公開から4年後くらいかな。

性転換に夢を馳せる人たち

ええか、自分が性転換してイケメン美女になれると思ったら大間違いだからな。

よく考えてみろ。

中学時代クラスの何割がイケメン美女だった?

お前のルックス偏差値はどの程度だ?

お前が不思議な力で性転換したとしてもな

微妙で地味で冴えなくて、コミュ力がないとモブキャラだ。

なんで現在のお前が冴えないのに性転換したらイケイケなんだ?

なんでそんなに巨乳になれると思ってる。

なんでそんなにすらっとした長身になれると思うんだ。 

 

元々の性別でもフラストレーションコンプレックスを抱えているやつなんてわんさかいる。

自分美女だと思い込んでるブスや、ポテンシャルはあると思い込んでるキョロ充チャラ男ばかりだろうが。

いか

性転換したらこうなるだなんて思うな。

そんな妄言SNSで垂れ流すな。ましてやリアルで直接言ってくるな気持ち悪い。

時間があるなら勉強でもしてろ。

お前は今日何をした?何が昨日と変わった。

うん。そうだな。

そんな冴えないお前だからこそ現実逃避ちゃうんだろうな。

とりあえず、女装とか男装とかコスプレとかするのはやめて、

本の一冊や二冊読んで大人になるんだ。

お前が見下している底辺とやらやらやパチカスとやらと全く変わらんぞ。

 

20過ぎてその思考は痛々しいっての。

したがきがきがき

小学生の頃からクラブチームに入りスポーツを続けていた。監督指導方針「ゲーム」に重点を置くことだったので練習は嫌いじゃなかった。

練習中の経験値もあるけれど、あまり深く考えずにほぼ直感だけでプレーしていた。


小学校中学年のころにかるい虐めにあった。すべてのことに真面目にやりた過ぎて、周囲との温度感があわなかったのかな。

つらかったけど面白いことを喋るようにキャラが変わった。人を笑らせているといじめはなくなってた。

自分感性直感自己防衛を覚えた。

中学に入って市選抜に選ばれたことが自慢だった。

部活に入ってすぐに上級生との練習に参加させてもらえた。

自分感覚は常に正しいと信じていた。


勉強はやればできた。何という万能感。今考えれば公立中学勉強なんてやればそりゃできるくらいのものしか無いとわかるだろうに自分を心の底から

世の中を舐めていた。