はてなキーワード: 煩いとは
砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。
それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。
三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。
三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。
「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。
美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。
よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、
「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。
「もう宅へ帰るんですか」
女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。
「どこかへ行くんですか」
「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。
「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」
美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。
この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。
「なんにもないです」
「そう」と疑いを残したように言った。
「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。
「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。
「いいからいらっしゃいよ」
よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、
「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」
美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。
「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。
「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。
やがて女二人のあいだに用談が始まった。
「あなた、いらしって」と美禰子が言う。
「ええ。あなたは」とよし子が言う。
「どうしましょう」
「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」
「そうね」
なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。
よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。
三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。
「あの木を知っていらしって」と言う。
「あれは椎」
女は笑い出した。
「よく覚えていらっしゃること」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
今度は三四郎が笑い出した。
「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」
二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
「なぜですか」
「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
三四郎はまた話頭を転じた。
「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
「会場で?」
「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
「知りません」
「そう」
「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。
両親が苦手です。これはまだいい。飽くまでも二者間での関係値は好きか嫌いに大別されるもので、全ての人を好こうとも思っていないし、もっと仲の良い友人が身の回りにいるくらい、私の世界は広いから。
父親が苦手。
幼少期、まだツ離れもしていないくらいの頃、殴る蹴るなどの暴行を受けた事は一生覚えていると思います。力で太刀打ちできない弱者を一方的にいたぶるのはとんでもなく卑怯だと思います。この人に対する根源的な不信感はここに由来していると思う。
次に短気な点。この人は本当に瞬間湯沸かし器です。自分にとって不快なことがあるとすぐ怒鳴る、舌打ちする、机かなんかを直ぐに叩く。感情の制御ができない精神的子供とは会話する気も起きない。どこにあるかも知れない相手の地雷探査をしながら気遣いながら会話するくらいなら、そもそもしないほうがいい。
そして何より、対話ができない点。この人は自分の考えこそ絶対唯一で間違っていないと、疑うことをしない。または絶対的な正当性を得た時にしか対話しようとしない。だからこの人と対話する時、対立する意見や批判的なことを言うと、自分の正当性を固めるための弁論、相手の意見を否定するための論破しかせず、話にならない。そもそも子供が親と対話する以上、子供が親を超える正解を出すことは稀ではあるが、親の見せる傾聴する姿勢は子供に安心感を与える。この人からはそういった類の感情を受け取ったことがない。だから私はこの人と対話することを諦めた。何を言っても無駄だと思っている。
母親が苦手。
この人の口が悪いところが特に嫌い。テレビタレントに対してすぐ不細工だと言ったり、私が見ているアニメやドラマを何も面白くないと一蹴したり、そういった第三者へ向けた悪口を近くで聞き続けるのは決して気分が良いものではない。
そして私個人へ向けられる悪口。飼い犬を腹話術人形のように使って、バカだの煩いだの生意気だの、止むことなく言い続けてくる。「自分の発言」として責任を持とうとしない小癪さもカンに触る。
「母の小言」は小言として心得ている。にしても暴言が目に余る。ヒスったりヒス構文を使うのも、そういう生き物だと諦めている。
ただ1点、何故本来安心すべき家庭内で、私は常に暴言や悪態、罵詈雑言を浴びながら、自尊心をズタボロにされながら生きていかなければならないのか。
この人もまた精神的に幼すぎる。
自身に対する他者からの意見や批判を聞く耳を持たない。還暦も間近になって、「なんでそんなこと言われる筋合いがあるの?」とか平気で言う。あなたができていないからだろう…と呆れる。
両親共にまともな会話が成立しない。
そのくせに自分の話は聞けだの何だの言う。
あなたたちのことが苦手だよ。親は無二(無三)なんだから、この確執はどうにかしたいと思ったりもしたけど、多分お互い死ぬまで消えないのだろう。
自分は35歳で公務員。彼女は鬱持ちの30歳で看護師。友達の紹介からぽんぽんと話が進んで付き合った。
話や趣味趣向が合うので一緒にいる時間がとても長く、これなら同棲した方が家賃も安く抑えれるってんで付き合って数ヶ月で同棲開始。
この同棲には彼女両親から付き合い始めたばかりだと強くいちゃもんがついた。いや、もう20台も半ばを過ぎた男女が同棲する事に結構突っかかってくんだなって。この時に毒親、彼女の育ちの悪さに気付くべきだった。
ちなみにこの彼女両親は今でも疎遠で年に数回しか合わない。旅行やお歳暮等を渡してちょっとお茶もらって帰るだけ。その間にもぐちぐち言われるからたまったもんじゃない。
同棲初期は楽しかった。化粧品が出しっぱなしだったり、洗い物はがちゃがちゃ煩い。それでも自分が全部やればいいや、楽しいのが1番だと割り切っていた。料理や風呂場掃除は自分。床等の掃除と洗濯は彼女。
彼女は鬱もあったけど自分は知識がなかったので勉強もした。下がりがちな時はずっと一緒に寝たり、通院の運転もした。というか当初通っていたクリニックは結構悪い噂のあったりして、クリニックの変更もした。結果は当日欠勤と薬の量も大分減って今では通院の回数も減り、仕事でも評価が上がった(これは本人の努力もあるけど)
周りからみたら手がかかる彼女だなと思われるかもしれないが、それでも好きだった。
そんな彼女が浮気をしていた。喫茶店で男と2人で食事に行っているのを見てしまった。
それくらいで浮気って言うなと思われるかもしれないが、これは2人で約束した事で、異性と2人で出掛けるのは浮気だねと付き合う前に決めた。勿論、研修や飲み会前の合流で2人になったなんてのは浮気ではないが。
見かけた瞬間は頭がぐるぐるして変な気持ちになったが、次の瞬間には怒りに変わってそのまま殴りに行こうかと思ったが、ギリギリ残っていた理性で堪えた。見間違えもあるからもう一度見たけど、やっぱり彼女。男は彼女の手に付けたアクセサリーを触っていた。気持ち悪い。
その日の夜、軽く聞いてみた。
今日何処か行った?
家にいたよー。
友達が歩いてるの見たって行ってたからお散歩でもしてたのかって。俺も一緒に歩きたい!
正直に答えてくれたらよかった。別に気の迷いなんてあるんだからごめん、もうしない、LINE等は消すって言えば飲み込むのに、結局嘘をついてきた。まぁそれから自分が疑う気が強くなってしまってLINEが鳴ればスマホに目がいってしまったり、友だちと遊びに行くってのも不安になって辛くなってきた。
その後、結局LINE通知で男性から楽しかった。また遊ぼうねってのを見てより黒。
非通知にする頭はないのかよ。
それでもずっと黙ってる。結局、今の関係が壊れるのが怖いんだ。
正直、鬱持ちで浮気する30台女性。こんな奴さっさと捨てて次行こうと思えればいいんだけど、そうもいかない。だって好きだったから。
ここに書き切れないほど悪い話が彼女両親共にある。抜粋して書くと、
そういった環境で育ち学生時代から診断がつかない鬱病。その後、社会人になり鬱病診断持ち。
まだまだあるし、細かく書いたらキリがない。
今後はもう別れるようと思っているが、なかなか今だって決心が決まらない。早く別れた方がいいのはわかる。でもどうしてもつかない。
苦しむのは自分なのにと思いながらも毎日モヤモヤして過ごしている。
結婚は本気でするつもりで、何度か時間をかけて彼女両親と話たんだけど許しがもらえない。ようは言葉の節々を摘むと自分たちと同居してもらえる人じゃないとだめなんだと思う。同居に関しては自分も、なんなら彼女の方が絶対にやだと言ってる。本当に毒親なんです。
一時期はもう結婚してしまおうかなんて話しましたが、毒親にバレたら何されるかわからないと止まってしまいました。
浮気現場を見てから呼吸が浅い日々が続いていて、正直限界かなとも思う。でも、別れて会えなくなると考えると辛すぎて涙が止まらなくなる。
進むのも止まるのも怖い。35歳にもなってこんな精神状態はキモいのは自分でもわかっているけど、もう本当に辛い。もう息もしたくない。
今日は彼女が仕事でいないけど、アパートにいると気が狂いそうなので取り敢えず歩いたり、ベンチでぼーっとしてる。その間も涙が出そうになる。
コメントありがとうございます。参考にさせていただきます。
確かに前に異性と2人で会うのは浮気ってとは思ったけど、結局パートナーを不安にさせた時点でダメだよねって事で2人で決めた。複数だったら会社や大学の同級生でも咎めたことはないです。
自分は絶対に不安にさせたくないから飲み会始まりとか途中でも料理の写真送ったり、仕事やプライベートでLINE等聞かれても基本個人間での連絡なんてしないのでグループにしてました。勿論、彼女は連絡を取ってたりしましたがそんなことは問題にしたことはありません。
わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。
母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。
そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。
玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話がどんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。
そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。
良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。
わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。
「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」
これが母の口癖だった。
なんだか母はわたしの実家より自分の実家の方がずっと好きなようだった。
というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然好きじゃないだけかもしれないとも思った。
すぐに徘徊と暴言が始まり、祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父はおむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。
母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。
そのうち精神的に限界が来てわたしに愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。
わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。
その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。
葬儀には祖母も訪れ、自分の名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母は祖父の遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。
それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母が火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。
そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。
それからすぐに母の実家をリフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたしは実家で味噌汁の匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。
何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。
わたしは新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。
もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。
そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。
【⚪︎⚪︎トヨコ様】
トヨコ(仮名)は祖母の名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。
中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。
【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います】
数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。
「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」
こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。
手紙が燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。
それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。
その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。
いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。
その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。
「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」
母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛は祖母の故郷だった。
帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。
家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカンと遮断器の煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。
わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。
「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃんと結婚したんだって」
「へえ」
「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」
「うん」
「そうだね」
わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。
その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。
数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。
私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。
九州出身で東京に出てきた自分(女)からすると東北北海道出身の男の方がよっぽどクソ率高い。
叩かれるの前提で書くけど
自分の周りで「あいつ人間としてクソだな」ってやつが東北、北海道出身ばかり。
自分の不倫が原因で離婚して、子どもとの面会交流をしなかったり養育費未払いのやつとか、
女に金を出させる売れないバンドマンとか、
地元の観光交流大使をやってたのに震災後全く地元に帰ってないことを公言してたやつとか。
ちょっと前に話題になった、旭川で川から女子高生を落とした疑惑の事件とか
以前たまたま読んだこの記事のDVモラハラ男性も北海道出身だった。
https://bunshun.jp/articles/-/71971?page=1
東北北海道は生きるのに厳しい地域だから自分を守るために自己愛性が強くなるのか?
寒さが厳しいから家の中でできる娯楽=性欲の発散が娯楽の中心で、我慢が効かなくなるのか?
そんで自己愛性は遺伝したり虐待も連鎖するから、特定地域でその割合が高くなったりするのか?
なんてことを考えてた。
大谷翔平はどこまで活躍し続けるんだというくらいだし、見えてる限りは人間性も素晴らしそうだし
北島三郎も中島みゆきもドリカムもジュディマリもGLAYもサカナクションも北海道。
でも私の周りのクソ男はだいたい北国出身なんだわ。
ちなみに九州の親戚や友人の男は
まあ確かに威張ってる人もいるけどそういう人は男の甲斐性があるからちゃんと家にお金入れるとか、浮気しても帰ってくるとか。
根が腐ってる人はあんまいない印象だけどね。
あとなんだかんだ女が強い。
そんな実感。
沖縄の米国兵士に性暴力をふるわれても、国ぐるみで何件も隠蔽していた件を見て、日本って日本人女性を守らないよね,って思っちゃった。
満洲引き上げの時もソ連兵に女性を差し出してたし、戦後の米国駐留軍には赤線、肉の壁と女を差し出してたし。今も世界のポルノの6割を制作して売りだし、日本人女性のイメージをせっせと下げ、海外からは日本人女性は性的に軽い扱いや嘲りを受けることもあるらしい。
痴漢一つとっても痴漢に怒ってくれる男のが珍しいって頭おかしい。海外なら男達が痴漢を袋叩きにする。
日本人女性を自分のものだと思い込んで煩い割に、守らない。外国に商売で勝てないから、国内の弱者を搾取して売り出して差し出しするしかない。派遣の規制緩和でも海外資本が儲かったが、結局非正規になったのは女性だらけだ。自分の親が要介護になったら他人である嫁にやらせるのも、女をケア労働の盾にしている。手前の親だろが。
そしてなにか上手くいかなければすぐ女のせい、女女女…
正確にはGW明けの7日(火)関西で一番と誉れ高い丹波白毫寺九尺ふじを見に行った。
俺は花にも名勝にも興味がない。
日々ダンゴムシを潰したりタンポポを引っこ抜きまくったりと正常な成長過程を経ている。
その息子が藤の花を見たいと、凄いのが見たいと。
ならば鉄オタでもある息子のために、
スペシャル一筆書きルートを立案、ちょうどJR西の期限切れ前株主優待が1枚残っていた
GW前にわざわざみどりの窓口のある新大阪までわざわざ出向いて、わざわざ行列に並んで、わざわざ購入しに行ってやった。クソ面倒クセェ
窓口で「新幹線はJR東海管轄だから別料金になります」と言われたので新快速で帰りますと変更
GW最終日6日の晩
「パパ、いよいよ明日だね、ぼく興奮して眠れない、グー」
朝、7時、いつもは8時に起こしてもグダグダなのに
「パパ早く起きて、急いで、間に合わないよ」
かわいくない
朝飯を食わせて着替えて出発、まっすぐに歩けない息子、始終ぴょんぴょん跳ねている、どんだけ興奮してんだ、昨今そういうのは流行らないクールにつーんってしなさいと、「ムリ」だってさ
大阪駅到着、特急ホームは混雑する庶民ホームと分離されているので心地よい。
朝10時、まだ勤労者達で混雑する(それほどでもなかったけど)の隣で富裕層のための特急ホームで特急こうのとりを待つ。
黄色い列車(ドクターイエローの在来線バージョン?)が停まっていて息子興奮。
ちなみにグリーン車、なぁに金はある
走り出す
ポケモンGOブームが去りにゃんこ大戦争にハマってる息子は車窓に興味なし、ふぁっく
福知山到着、外に蒸気機関車が見える、どのみち一旦改札を出なきゃならないので出る。
20分ほど駅前をウロウロした後に福知山から在来線普通で市島まで戻る
タクシーで白毫寺へ
運転手に聞いたらGW中大渋滞で3時間かかったんだと、10分で到着、パパの読みは正しかった
さぁあの階段を登れば待ちに待った藤の花!ドンと来い、ワクワク最高潮
。。。びみょー
満開過ぎていたのは仕方ないし承知はしていたが
びみょー
大人の俺ですらびみょー
息子は大びみょー
息子よすまん
息子は空気を察してか「でも見れてよかったね」
でもってなんだよでもって、5歳の気遣いきっつー
いやいやいや、立派なんですよ、ぜんぜんアリです、3時間並ぶ価値は、まぁアレだけど、俺はたぶん二度と行かないと思うけど、ディスるつもりはなく、人生で一度くらいは見に行ってもいいかなぁ、俺は二度目は無いけど、まぁ価値観は人それぞれだし、こういうのもいいんじゃないかな。
ともかく、気を取り直して周辺を散策したり裏山を冒険したり、それなりに楽しかったです。
息子もご満悦でした。
父がこれほど時間と金と労力をかけていることに価値を見出して欲しい。
「47年後キミが52歳になったときに愛するパパがここに連れて来てくれたことを思い出しなさい」と教え諭した
ポケGOを開いたらジムがあった。電車待ち暇なので息子とジム攻撃
ポケモン滞在3日目て、田舎すげぇな、ウチだと2時間で狩られるぞ。
と思ってとりあえず乗っ取ってホクホクしてたら1時間後に戻ってきた。
なんでや
一時間に一本の在来線普通列車で福知山まで戻る、列車の扉を自分でボタン押して開閉させるシステムに息子感動。
さて次の特急はしだてまで2時間ほど待ち時間、ちょっとマージン取りすぎた、失敗
駅前に図書館があった、最近息子は「ぜったいおしちゃダメ」シリーズにハマってる
近所の図書館でいつも貸出中、ここならあるんじゃないかと、貸出中だった
ぜったいシリーズは8冊出版されており7冊はウチの本棚にあるのだけど一冊だけ開けてある、特に意味はない、なんとなく。
王将を出て土産物屋に入ると明智光秀の家紋のマスキングテープがあり、息子は「藤の花だ、これママのお土産にする」と言い張る
ちゃう桔梗やと教えたが納得しない、藤の花だと、いいよなんでも。250円、高い。
乗車時刻になりホームへ
キター
。。。
え?こっち?黒いのちゃうの?287系やん、そこらの特急と一緒やん
いつも京都鉄道博物館に行くとき京都駅の隣のホームで見かけるあの黒いやつに乗りたいの!
黒いやつに乗れるって息子と約束したんだもん
空気を察した息子が
「でもこれもいいよね」
振り子すら着いてねぇふつーの287系
今度黒いやつ乗ろうな
Wikiったらはしだて全部があの黒いやつじゃないのね、なんだよそれ詐欺じゃん騙された
ふぁっくしね
とにかく乗る、走り出す
京都から先ノープラン、疲れてるしサクッと新幹線で帰るか、エクスプレス予約はと
あれ?ログインできない?
あぁちょっと前にクレカがサ終とかなんとか、切り替えて、紐づけやり直し?
面倒くさそう。
17時過ぎ平日GW開け京都→新大阪の新快速なんて絶対に乗りたくない
WESTERで見たらちょうどいいはるかがあった、最初から買ってりゃ株主優待で安かったのに、まぁいいや。ぽちっとな、何号車にしようかしら。
京都駅33番ホームに到着だからはるかはホーム挟んで真横で乗り換えなのよね、うふふ。
今乗ってるはしだてが4号車、進行方向向かって東京側が5号車、ルール通りね。
って事は、はるかを一番後ろの9号車にすれば京都駅の乗り換えスムーズ、新大阪で下りた後もスムーズ。
京都駅、ズゴー
ホーム端から端まで歩かされた、9号車、一番前やんけ、死ねよぼけかす、まじファック
なんではるかだけ番号逆振りなの?ねぇなんで?バカなのしぬの?
「お忙しいところすいません、号車番号なんですがね、いまはしだてから乗り換えて、ボクの常識だとJRの号車番号は東京起点で離れたほうを若番と覚えておりまして、古くは天皇の乗車の位置がどうのとか、ともかく、なんでこれ逆なの?おせーて」と訪ねたところ
「なんでですかねぇ、和歌山管区で下方向に走るから?かな?わからないです」、だってさ
ともかく、新大阪到着
新大阪駅で改札を通ろうとしたらゲートが閉まった、うへ、なんで
そうだ思い出した、京都で降りる予定だったんだ
新快速で帰ると言いながら予定は未定でその場臨機応変ネットで買えば良いやと
最初から大阪→福知山経由、新大阪乗車券で購入してりゃ無駄な出費はなかった
この場合単に大阪→新大阪だけの乗車料金にしかならん(よね?よく知らない)
あーんもう、無駄金、ムカつく、お金無いのに。今日だけで2万くらい使ってるのよ
かつ、新大阪で息子が腹減ったとぐずりだした。
どうしても今すぐカレーが食いたいと
入った店に子供向けのカレーがなかったのでハッシュドビーフを新味のカレーだと欺罔して食わせた。少し食ったが美味しくなかった。
息子も俺もクタクタ、タクシーで自宅まで帰りたいが、金ねぇ、頑張って歩け
地下鉄で、
偉っそうなリーダーがいてね。
普通はこの手法は最後の手段として使用するもんでしょう。他の方法を試して、それでもダメだった時に最後の手段として上司経由で指導するもんでしょ。
リーダーとしていろいろ試行錯誤してから、最後の手段として上司に報告とかすべきでしょ。
この問題、相手も正しい。ミスはダメなことなのだから。自分は強くは相手に言えない。ミスしたのは自分なのだから。しかし腑に落ちない。
いろいろ考えてみたが、騒音トラブルなどの近隣トラブルで例えると次のようになる。
横の家が21時頃なのに煩い。
どちらも正しいだろう。
人間関係を築く必要のない赤の他人になら、①がベストだ。相手も不快にはならない。
しかし、相手が子ども会などで接点を持つ可能性がある相手だと、いきなり警察に通報するのはカドが立つ。②がベストになる。
この事例はとても近いと思う。人間関係を築く必要があるかないか、の違いだ。つまりこれは、リーダーには人間関係を築く気がない、ということだ。リーダーを仲間と思ってるのがダメなのだ。リーダーは第三者の人。客先の嫌な人、と思えば良いのだ。
ひとまず、作業をするとミスをする可能性が増えるので、なるべく作業することを控え、何度も確認を行うことでミスを発生させないようにした。これまでは自主的に目についた問題は積極的に対応してきたが、依頼があったものだけ直すようにした。
そしてこんな働き方は性に合わないので仕事を辞めることにした。
ミスについて:
ミスをする人=能力の低い人、ではない。人間誰しも作業をすれば必ずミスは発生する。確認すればミスは減るが、それでも限界がある。バグのないシステムはない。
私はそこそこ仕事が早くミスもない人、と職場に思われていたはずだ。仕事を辞めると伝えた時は引き留めが入ったし、○○さんがいなくなった後が怖いです、なども言われた。
まずは例え話からさせてくれ
派遣でめちゃくちゃ頑張ってくれる優秀な派遣さんを、今度正社員登用して管理職候補にしようという案が持ち上がったとする
その事を派遣さんに伝えると、管理職候補としての立場は受け入れてもらえて教育に進もうとした
しかし、正社員登用は断り派遣としての雇用のままで居たいという
理由は再契約や保険の手続きが面倒で、嫌になったらすぐやめられる権利は残したい、管理職の給与に加え残業代も今まで通り欲しいとのこと
こちらとしては正社員でないと裁量権も給与の増額もできない旨を伝えるも拒否
さて、本題に戻ろう
家庭を企業と見た場合、夫婦別氏を望むのは派遣さんの立場の人間である
嫌になればすぐ離婚できる権利を残しつつ、自分の給与は自分のもの、生活の保証は旦那に任せてでも家計には煩いほど口を挟みたい
そんな人が本当に信頼できるだろうか?
同じ会社の人間ではなく、これではただ同じビルに入っている提携先ではないか
家庭の運営に口を出したいのであれば同氏にして家族になるべきであると思う
また、別氏になれば姓が無くならないと言うのは詭弁だ
戸籍筆頭者しか氏名を残せない以上、別氏にしたところで家族と姓を別にした人間の性は数十年後には消えてなくなることに変わりはない
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
着想を紙に落さぬとも王膠鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。
この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺糸賺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
自分の裸を晒すより、触れてきた音楽や小説を知られることに抵抗感を覚える
何を見て、何を感じ、どのような世界を構築してきたのか
かつて、真名を知られることはその者を支配する事と同義であったという
ここは一人部屋
誰も入れない