はてなキーワード: 必要とは
サーバー自体が既に汚染されていて、不正なデータがクライアントに送られてるんだろうね。
それでクライアント側ではサーバーから送られてきたデータを信頼して未検証で実行してしまっているんだと思う。
スマホのアプリは対策済みだけど(そもそも子どもの課金には親アカウントの承認必要)
Vのスパチャ・PCゲーム購入しまくりみたいなのはクレカ放置してあったの盗み見る系でしょうな
財布から抜き取るとどっちがヤバいかは諸説あるが、やはり教育の問題に落ち着きそう
その通りなんだよな…
社会が変わっていくのは仕方ないけど、そもそも変える必要がないものを変えた人間には腹が立つ。
同業者の不文律を破って現金掛け値なし薄利多売をやめて他の呉服屋をけちらした江戸の越後屋。
世の中ってのはいつも、周りを蹴散らしてでも自分1人がより多くの利益を得たいっていうバカに勝手に形をかえられてその度に悪くなっていく。
田舎というか街の作り方が適当過ぎて田舎の発展は一企業に任せっきりにしてきた戦後行政の敗北なんだろうな
街をどうやってデザインして維持 or 発展していくってのが基本人口移動によって決めてきたツケだよな
でも経済は(神の)見えざる手によって動かされるから行政だけが乗り出しても駄目だろう
金の匂いをちゃんとさっちする一企業が街のグランドデザインに加担する必要はある
キッコーマソが千葉県野田市に病院作ったりして街をデカくしたとか見るとカリスマが動かすのが一番良いのかねえ
イオングループは「悪しき資本主義の象徴」みたいに扱われているが、やっと黒字という状態でもはや田舎の公共事業みたいなものだった - Togetter
ほぼこれだと思うもの
・件のチートはDebug用にゲームにしこまれたものを改変して(つまりテキストなどをゲーム内の別の場所から拾ってきて)使っただけ
仮に戦績画面のバッジなどのデータをハードコードで指定してサーバーからダウンロードさせる方式であり、ダウンロードさせることができるのだとしても、そうしたAPEXの脆弱性+管理者権限で動くEACの脆弱性とAPEXからEACの脆弱性をつく経路の2つが追加で必要
そして昔から流行ってるらしいBOTを操る機能も上記のDebug機能の一つだと思う
ウォールハックに関してはゲーム内にウォールハックをキャラクター特性として一時的に実現するキャラがいるから誰でも5分で再現可能
本屋自体が少なく、あっても技術書の専門コーナーなんてない田舎住まいだったので、
Amazonで専門書を買って勉強してたんだけど、本当に何も知らないので「基礎から」って本を数冊買った。
しかしどの本も全体のうちの半分は「ハローワールド」と「変数の基本的な使い方」と「ifの使い方」で占められ、
そこを超えるといきなり、コード掲載だけが10Pくらい続く本格的なプログラミングを解説なしでやらされるものだった。
知らない命令とか構文がいっぱい出てくるし、それを一々ネットで調べないと進められないので全部挫折した。
更に本を追加で買って、運良く段取り良く進めていってくれる本にあたったことでなんとかなった。
その後、別の言語を勉強しようとする度に、全体のうちの半分は「ハローワールド」と「変数の基本的な使い方」と「ifの使い方」で占められ、る本に当たるし、そこについては大体どの言語でもやり方は同じで、まるまる読み飛ばすことが多い。
今日日、エクセルをちょっと触ってればifくらいは普通に使うものだからパソコンで仕事する人ならみんな知ってると思うし、シリーズとして「ifくらいまでは知ってるところからスタートする入門書」が欲しいなぁと思う。
今回の件は豪華席的なところで車椅子を持ち上げる必要があったみたいだけどさ
それって、単に介助者を付ければいいだけの話なんだよな
余計なコストかかるやんけって言うかもしれないけど、そういうコストを負担する為に障害年金やらなんやらがあるんだろ
既に金貰ってるんだから、それ使って見に行きなよ
この手の話題もう飽きたんよ
もういい加減にしてくれ
子ども産んでみてびっくりしてる。
ミルクなんか子どもがこんな勢いで飲むなんて、大きい缶もこんなにどんどんなくなっていくなんて知らなかったよ。
子どもを迎えるための準備品もいちいち高かったと感じた。細かいものも次から次へたくさん必要になって買い足してる気持ち。
あと予期せぬ出費として、タクシー台や大人の食費もこんなに増えるとは思わなかった。子どもの世話のために消費した、時間、体力、気力を補うための出費がすごく増えてる。
子どもは可愛いよ?最高。産まれてきてくれてありがとう。これからも大事に責任持って育てます。
でもうちは二人目は無理かもしれない。少子化進むわけだわ。
銀行が個人に貸すより日銀に預けた方が良いから貸し渋りが起きるようになって企業が倒産したり不動産が買えなくなるの?
そしてお金を借りる必要が無い人は国債買ったりしてますます儲かるの?
こう単純じゃ無いと思うけど俺の知らないところではみんな金持ちになって物価上昇に対応出来てるのかな?小売もボーナスステージ?
具体的にはトイレに行けない試験を受ける場合、受験前1時間の間にトイレに10回くらい行くし、そうでなくても1日10回以上トイレに行く
なので他人と行動しているときに「すまんトイレ行ってくる」がめちゃくちゃ発生する
まあトイレなんかみんな行くんだが、トイレ行った10分後にまた「すまんトイレ行ってくる」が発生したりする
このときの俺の感情は「待ってくれてありがとう(負い目なし)(言うだけ無料)」ではない
「ごめんなさい」は言う
「待たせてごめんなさい」もいうし「意味わからんくらいトイレいってごめんなさい」の気持ちもあるし、「俺じゃなければこんな面倒な思いさせなくて済んだのにな」の気持ちもある
そもそも俺はこのシチュエーションが嫌いなのでなるべく他人と行動をしないようにしている
だからそもそもごめんなさいを言う頻度が少ないので、耐えられる
でも他人に迷惑をかけている自覚はある(そんなこと感じる必要はないですよ、みたいな話はあるだろうが、「なるほど〜じゃあ平気でいよっと」とはならない)(だってみんな迷惑かけられると怒るじゃない?)(俺も外でタバコ吸ってるやつがいると「くせーな」って思う)
いつも通りに複雑で、久しぶりなのでつい迷ってしまった。
立ち止まっているとすれ違いざまにぶつかり「すみません」と思わず謝った。
いつもこうだ。
競争の激しい東京ではついていけないと、心を地元に置いてきた。
そうしないと東京では戦えないのだ。
心は必要だと思うのだ。
お察しの通りうちはそこそこの放任主義ではあった。
金だけはあったから、読みたい本は何でも読めたし
やりたいことを何でもやらせてもらえたけど。
ただ平成前期の頃でまだ社会が、子どもを教育する意志を持っていたことが大きかった。
手帳持ち寸前の超ド級のADHDだが、学校でも、習い事でも、親戚にも鉄拳制裁で教育してもらえた。
イチ社会人として人様に迷惑を掛けることなく生活出来ているのは、どう考えてもそのおかげ。
物心ついたころにはお前は障がい者だ、やれ薬を飲め、やれ特別学級に行けって。
本人たちの努力は?少し頑張ればきちんと世間様とコミュニケーションを取れるようになれるのに。
"まともなコミュニティ"ってのは関わることがない人間からしたら
評する評さない以前に、死ぬまで存在を認知する権利のないコミュニティなんだよね。
そもそも、今回のように世に出回らない。
うーん…いちいち個別具体的な事例を教えているとでも…?
今の社会は放置する方向なのよ。知的障がい者として。触らぬ神に祟りなし。
その時々の社会なわけ。
今回で言えば、50皿食べることが許されないのなら
それを明記しておくのが筋、と言っている基地外どもがおかしいことは
昔はそういう人間はぶん殴られて「お前はズレてるぞ」と教えてもらえた。
今は、教えてあげたのに恩を仇で返すモンスターだらけになって
そもそも、知的障がい者に知的障がい者を育てられるわけがない。
それすら許されない社会になった。
で、いっちょ前のツラして俺にも生きる権利がある、と。
単に放置していると面倒だから、誰彼構わず手帳を授けてシャブ漬けにして
ひまわり学級のアパルトヘイトで解決しようという世の中になったわけ。
そもそも世の流れについていけなくなるし、その速度はさらに速くなっているし
最近のしらけ世代以下の老害どもは新しいことを取り入れようともしないわけ。
だからそんな、親だけで教育ができると思い込んでいる傲慢な人間に
親は無くとも子は育つ、そういうことを理解して欲しい。
実装を進めて、あとの方で「やっぱこうして」といって後戻りの工程が発生すると穴を掘って埋めるような感覚になる。
こういうのは効率性を低下させるので、関係各位と調整して情報を揃えたほうがいい。
もし情報が限定的にしか揃わない場合は、非常に簡易的なプロトタイプを触ってもらって、「こうしたほうがいい」という声をもらう。
情報として基本的なのは、UI設計とデータ設計だろう。これらが煮詰まった段階でデータフローのシーケンスを特定していく。
例えばUIの担当者が外観の設計を渋っているときは、入出力だけでも特定し、その入出力のプロトタイプを作っておいたほうが良い。
というタイトルに対する答えではなく、門外漢の自分がどう考えるかというのを吐き出してみたい。
私自身の前提知識としては、世界史の小話的に、東インド会社によって茶の中国からイギリスへの輸出が確立する中で、ウーロン茶よりもさらに「発酵」をさせたお茶が人気となり、それが紅茶の起源となったというものがあった。そのため、茶が発酵の程度によって分類されるというのは誤りという情報を見て、①そもそも自分の知っていた小話が間違っていた、②根拠となっているISOの分類はあくまでも統一規格として分類上の正確性を必要としているだけ、という2通りの可能性が思い浮かんだ。
そこで、ざっとwebを検索する限り、比較的信頼度が高いサイトでも少なくとも日本語情報では発酵程度を分類の指標にしているものが多くみられた(サントリーなどの大企業サイトや農水省のコラム、JASの紅茶飲料の分類など)。他方で、ISO以外に紅茶の分類を発酵程度で行うことを否定する公的な情報はパッとは見当たらず、この時点で、少なくとも、日本国内においてそのような分類で考えることで法令等に違反することはなさそうだという考えに至った。紅茶の起源の小話については、定説はなさそうだが、概ね自分の認識と同じような話が多くみられ、これを積極的に否定するような話はなさそうというところでいったん腑に落ちた。
もちろん、国際規格での定義がある以上、それに反しかねない情報に問題がないとは言わないし、実際にかなり発酵の程度が弱いものであっても紅茶とする例がある以上、日常用語としても完全発酵茶=紅茶とするのは問題を含んだ用語法ではあるだろう。もとになったサイトでは、「発酵させるか、途中まで発酵させるか、しっかり発酵させるか『のみ』が異なります。」としていて、さすがに修正が必要になる記載だろうとは思われる。しかしながら、これをデマの拡散とまで断ずるかのような反応もあり、その点は、どこまで意識してそのような強い反応をしているのかが気になるところではあった。そもそも、紅茶という言葉は定義が先にあったわけではなく、歴史の中で使われてきた言葉を現状に合わせて分類することで定義づけられたに過ぎない。日常生活において、完全発酵茶=紅茶と理解していて困る場面がそうあるとは思えず、むしろ、世界史のダイナミズムを感じる一つのエピソードにも繋がるものである。どういう意味で、なぜ誤りであるのかということまで含めた理解が大切で、ISOという根拠を示されただけでそれ以外を全否定するという姿勢も、やや極端に過ぎるもののように思われた。
そこはワイ的にあんまどうでもよくないのよな
結論から書けば、『ゲームチェンジの度に殺りあったり煽り合わず、お互いを尊重しましょう』で終わるけど、
やっぱどう考えても、物理で生産に携われない人間がそこそこ稼ぐの欺瞞では?って思う
まぁいつかはその辺解決してくれる物も作られるかもだが、それは今日じゃないよね?
(1)市中銀行は日銀に金を預けておくと減っていくだけだから必死に貸出先を探す
(3)仕方ないので住宅ローン金利を下げてお得感を出す作戦をやる
(5)日銀がマイナス金利を解除したので日銀に預けといても資金が減らない
(7)安い金利で貸し出すのも手間ばかりかかって儲けが少なくて無駄なので金利を上げる、かもしれない、上げないかもしれない、それは誰にもわからない
常識や暗黙の了解や空気みたいな尺度を棍棒にして人を叩くなと言う。
しかしねえ。
少なくとも、無限に注文できるわけじゃないってことは阿呆にだってわかるはずなんです。倉庫の容積も牛の絶対数も有限なんだから。
ってか、goldheadさんご自分でも言うとるやないですか。
たしかに「50人前」は過度に見える。
おっしゃるとおり、50人前は過度なんですわ。無限には注文できない、50人前は過度。これが暗黙の了解でなくて何でしょう。
だいたい、食べ放題に相撲取りやプロレスラー、腹をすかせた体育会系の男子高校生が押しかけてくることだって、普通に予見できることだろう。
店だって当然それは予見しているでしょうし、10人の団体が50人前を頼んだんなら1人あたり5人前であって、その程度なら許容範囲かもしれません。しかし、ひとりひとりが50人前ずつ計500人前を注文したら多少人間のできた店長さんでもキレていいと思います。
(ってか、相撲取りやプロレスラーの団体は部屋や団体の看板をしょった社会人なので、あえて店と軋轢を生むような注文はしません。お互いハッピーに食べられる店を選ぶでしょう。高校生は知りませんけど。)
それはともかくとして、goldheadさんのご認識でも、1人前から50人前の間のどこかにボーダーがあることは確かですよね? 50人前でとうとう店がキレたってことは30とか40あたりでしょう。それはボンヤリにじんだ線かもしれないし、線を引けと言われて初めて検討される線かもしれない。でも、ボーダーが「存在すること」は誰にとっても明白です。どこにあるかはともかく、存在することだけは確かなんです。
しかるに、「上限数を断っていない以上、好きなだけ頼んでもいいはずだ」と居直るのは、ボーダーがあることを知っていながら、あえてそのボーダーがないものとして振る舞っていますよね。これ、正しい態度だと思いますか?
特に断りがなくても、ボーダーが存在することが自明である以上はどこかで自発的にブレーキをかけなきゃいけないことも事実です。
普通の人はブレーキをかける必要なんかありません。ボーダーがあることを理解していようがいまいが、店が設定したボーダーに達する前に満腹になるからです。というか、食べ放題のメニューはそうなるように組み立てられています。少食の人、大食いの人、あれこれバランスよく食べる人、偏った注文をする人、さまざまな客がいますが、平均をとれば確実に儲けが出るようなボーダーを設定しています。
自発的にブレーキをかけなきゃいけないのは、ボーダーを大幅に踏み越える能力を持ち、かつその自覚がある人だけです。数はごくごく少ないです。
くだんの人物はブレーキが遅かったのではありません。ブレーキを踏まなかったことを責められています。40とか50という数字に意味はありません。この人のようにボーダーがあることを知りながら故意にボーダーを踏み越えるような注文したりgoldheadさんのように「上限が明記されていない」と居直ったりするようなめんどくさい客は(ブコメにもたくさんいるように見えますが)実際にはほんの一握りであって、普通はそんな例外的なやつらのためにいちいちメニューに但し書きなんかしたくありません。それこそが風通しのいい社会です。
暗黙の了解があるというなら見せてみろ
見えないから暗黙なのですが、これはまあ、先生が出席をとるときに「欠席のやつは手を挙げろ」というような矛盾ギャグなのでしょう。でもあえて明文化するならば
ふつうの人は焼き肉食べ放題で上限を気にする必要はない。満腹するまで食べてよい。だが規格外の大食漢は自発的に手加減しろ
になると思います。
当たり前すぎませんか?
こんなこと、いちいち書かないとわかりませんか?