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はてなキーワード: 論文とは

2016-05-29

「あの日」を読んだけど。

だいぶ前に読んだ。読み返すほどの価値を感じないので、初読の印象のみで感想を書く。読み込んではいないので誤解や誤認もあると思う。

自分理系ではないけど、物理生物化学の本が理路整然と書かれていれば、難しい定理公式はともかく、内容はわかる。でも小保方さんがこの本の中で、自分研究内容を度々紹介しているんだけど、なんと言えばいいのかな、「同じ分野を研究している人にはわかるけど部外者にはよくわからない」感じの説明になっていたように感じた。一般の人に向けて出版するつもりの本に書くような親切な説明ではなかった。彼女なりに平易な表現で書こうという努力をしていたのはわかった。でも「教科書通り」でもなく「彼女なりの理解」でもなく、どこかから借りてきた、上っ面だけの内容に見えた。それだと部外者だって何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。

さりとて専門書に書くとすると説明足らずで稚拙な書き方だった。まだあんまりちゃんと研究してない学部生が、同じゼミの子たちと「ねーねー今度のレポート課題ってこんなんだよねー?」なんてランチタイムに喋っているような感じかな。あくまでも私個人が受けた印象ですが。

そして、小保方さんご自身の、研究に対する姿勢も、その印象のままなのではないかなと感じた。一般の人にはわかりにくいような高度な内容を研究している割に、専門家としての認識自覚があまり足りていないような。

繰り返しになって申し訳ないけど私は理系ではない。でも自分の興味の範囲学術論文を数十本読んだりしてきた。研究者の知人も数名いる。

彼らの仕事ぶりも知っているし、書いた論文を見せてもらったこともある。みんなすごく真剣データとってそれをまとめて精密な論文を仕上げていた。

翻って小保方さんはどうかというと、自分が書いた論文瑕疵があったら後から言い訳をするだけで、書き直す機会を与えられてもそれを生かすでもない。

私のような素人でも、論文に使う図表や画像を他から持ってきてしれっと使うのはどうなの?と疑問に思う。

その程度の人が飲み会の席上で、酔った勢いで「ハーバード留学したいですぅ〜」と口走ったらそれが実現しちゃう

アカデミアってそれでいいのか。

彼女自身無自覚に加えて、周りの環境がそれを是正できるほどシビアではなかったことが、一連の騒動の背景にあるんじゃないかなと思いつつ読了した。

ナントカ細胞真相とかそんなんはもはやどうでもいい。行く必要のなかった人、行っちゃいけなかった人がハーバードに行っちゃった。それだけの物語だったんだと思った。

婦人公論もちら読みしたけど、寂聴が小保方さんを擁護して励まして、それに小保方さんが「わかってくれる人がいてよかったですぅ〜」と同調しているだけの中身のない記事だった。

外に出るのも怖いとか言いながら、髪をぐるんぐるんに巻いて、膝上ミニワンピースを着て、首をかしげカメラ目線写真におさまる小保方さんを見ていると、なんつーか、本当に、なんであん研究者とか目指しちゃったん、としか思えなかった。

研究者はおしゃれしちゃいけないとかじゃないですよ。

でもねえ、論文体裁を整えるよりも自分体裁を整える方に興味がある人は、そんな仕事やる必要ないし、そのことを売りにする資格はないでしょう。

2016-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20160528224648

問題点解決のために原因を突き詰める手法ってのは認知療法のみならず科学的な解法だと思うんだけど。

認知療法問題点解決のために原因を突き詰める手法ではないんだが無知晒すバカであった

しか科学的というのはなにをもって科学と呼んでいるのかさっぱり

遺伝子学や生理学として遺伝の悪影響が大きい論文はいくらでも転がってるんだがそれらの悪影響が認知療法などで根本的に大きく解決できるという証明がなされていない時点で科学的でもなんでもないトンデモ

おまえのような認知の歪みを持つ人間認知療法効果を謳うんだからクソ笑えるな

http://anond.hatelabo.jp/20160528024719

から、その統計学否定されてるの。親(家庭環境)の人格形成への影響は1割以下だって

詳しくは元の論文みて。http://anond.hatelabo.jp/20160528024911

http://anond.hatelabo.jp/20160528024329

読めるリンクで探しておいたぞ。しかも、これ結構古くて有名な論文なんだけどな。

http://psycnet.apa.org/psycinfo/1992-97788-000 英文



あと、これは自閉症についてのページだけど、家庭環境の影響について詳しく解説されている。

http://www.synapse.ne.jp/~shinji/jyajya/ronbun/persona.html 日本語

2016-05-26

はてなブログ書く系のジャニヲタ

中高のクラスで○○くんかっこいいとはしゃぎアイコンプリクラにしてるようなジャニヲタも受け付けないが

こちらの方が生理的に受け付けない


ミーハー女が支えるジャンルを好きになってしま

頭の悪いミーハー女と一緒にしないで欲しいというコンプレックスから

ジャニーズジャニヲタについて論文のように難しい言葉で語ったり統計を取った記事はてなブログにアップし

私は頭がいいんですよアピールする語り厨ジャニヲタ

ジャニーズあるあるに見せかけて画像の中に好きなコンビ画像を混ぜて推しているコンビステマ

このコンビが好き、尊いと言っておきながら裏でホモ妄想してる隠れ腐女子


ジャニヲタと言えば○○くんかっこいいとはしゃぐ系のイメージがあるから

論文調で語るタイプが珍しくてはてなブログで持ち上げられてるんだろうけど

コンプレックス腐女子的なのが透けて見える方がはるか気持ち悪い

もはやジャニヲタという名の人種は全員淘汰されて欲しい

舞台俳優男性声優男性アーティストスポーツ選手の方にも当てはまってくるんだろうが

2016-05-25

俺が子供の頃にインターネットがあったら〇〇が高いレベルになったのに

よく見る書き込みだけど、自分子供の頃にネットがあっても自分場合周囲の競争率の高さが可視化されて早めに諦めていた可能性が高い。

例えばオタ系の知識の言い争い、絵かき、調べ物、Youtuber

デジタルネイティブが今何をやってるかといえば、Yahoo!翻訳Wikipediaコピペして論文に貼り付けちゃうそうで。

要するに競って知識を拡充したり腕を上げるためにインターネットを利用するわけでもない。

直ぐそばにある観光地みたいなありがたみのない場所になっている。

物珍しがって吸収したがっていた世代インターネットネイティブじゃないという話が一点。



もう一点はもし今の子供だったら自分がどうするかという話。今までの自分がそうだったように多分周囲の空気に飲まれる。

そういう若者にならんと決意して今の記憶を持ち込めるならまだしも、全消去なら保証しかねる。

周囲がつまらないと感じることを延々と面白がっていた人だったので、本当は流されないことのほうが大事だった。

時代のせいにするな、が分かり始めるのは皮肉なことにみんな人生の後半。それまで殆どの人は大小時代のせいにしてしまう。

http://anond.hatelabo.jp/20160525180152

そりゃ四六時中世界の超天才比較されて論文本数もクオリティもボロクソに負けまくって君らは彼らに比べて何でそんなに無能なの?って詰められ続ければ心も折れるってもんでは。

適当に生きられないのは甘え」って意見はそんなに叩かれるべきなの

日本国内で生まれ育った時点で、産油国でもない平均的な後進国の人たちに比べて圧倒的に膨大な天然資源を浪費して今まで生きてきたんだからさ、そうやって生きてきたんならせめて大人になってからはその放蕩をじゅうぶん埋め合わせできるくらいの社会貢献をしないと、てめぇ何のために日本人に生まれてきたんだよナメてんのか、って思われてもしょうがなくない?

「生まれ持った才能をどう使おうが自分勝手」ああそりゃそうだ私もそう思うよ、それくらいの自由先進国にあってしかるべきだと思うよ。そういう余裕すら維持できないといよいよ日本ヤバいんだろうし、京大出て専業主婦の人がこれだけブコメで荒れてるのも、今はちょうどその瀬戸際に立たされてるんでしょう。

でもさ、先進国にいる我々がそういう余裕を我が物顔で享受できてるその理由というか、何を踏み台にしてそういう暮らし可能になってるのかちょっとくらい思い返してもいいんじゃない?「銃・病原菌・鉄」を読み返すんでもいいけどさ、私たち石油天然ガスバンバンやす暮らしができたのは、別にそういう権利を神から与えられたからではないでしょ?日本人民族として優れてるとかそういうわけでもなく、たまたまいろいろ条件が恵まれてただけでしょ?

それなのに、これが当たり前ですみたいな顔してスマホぽちぽちしてはてブにしたり顔でコメントしたりする奴らがムカつくんだよ。なんでこっちは血痰吐いてまで工学系の博士まで出てみじみじ論文書いてるんだってわけわかんなくなるよ。



なんでみんなその点無頓着でいられるの?自分たまたま日本に生まれたってだけで、たまたま貧しい国に生まれた人たちに比べて物質的に圧倒的に豊かな暮らしが出来ている、っていうことにただの一度も悩まなかったの?後ろ暗さを感じなかったの?ずっと疑問を抱いたことすらなかったの?

日本は本当に素晴らしい国で、どんなグズにでも平等教育を施してくれるんだよ。私だってたいした才能があるわけじゃないし私立学校になんか行かなかったけどこうして大学院研究させてもらってるよ。だったらさ、その罪深い浪費を償わなきゃいけないっって意識くらいもってもバチはあたらないんじゃない?特に京大にいけるくらいの才能もっってんならニートやりながらポツポツ文章売ったり夫との惚気でブコメ稼いだりするだけが能じゃないでしょ??それが"""社会貢献"""って思うなら当人勝手だけどさ、私はそういうのじゃ本当に申し開きできないと思う。どういう経緯があって「生まれ持った才能をどう使おうが自分勝手」なんてことが言えるようになってるのか、その歴史に敬意を払って、それがちょっとでも維持できるように何かするのが日本に生まれ育った人全部の責任じゃないのかな。

2016-05-23

所属したくない

学校が嫌いだった

小学校入学式が終わり、1年1組の教室に入った瞬間から

私は学校が大嫌いになった。 どうして自分が1年1組にいるのか分からなかった。

自分名前存在を無断で使われている不快感が、

ワックス液の臭いと一緒になってムッとこみ上げてきた。

目を伏せると、新品の上履きとお古のランドセルの黒ずんだ肩紐が

ラグラと視界の中で揺れた。

頬の中を噛んで、あとからじんわりと血の味が口の中に広がった。

名札に書かれた名前自分のものかどうかすらわからなくなった。



それからの私は、私自身すらゲストとして扱うようになったんだと思う。

あの瞬間から大学を出るまでずっとだ。



学校も、家庭も、クラブ活動も、塾も、模試の結果表も、小説も、論文も、

ネット掲示板も、飲み会も、mixiも、Facebookも、人混みも女子トイレも、

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、何処にいても、私はゲストだった。

何処にも所属できていなかった。名簿に名前があるだけだった。

周りの人間も、私自身も、私が加わるとどこか居心地が悪そうだった。



匿名性が高ければ高いほど安心して、名前立場が明確になるほど居心地が悪かった。

教室の授業は平気だったけれど、少人数クラスになるとほとんど拷問のようなものだった。

誰かと15分間話すくらいなら、渋谷の人混みの中を12時間歩き回るほうがよっぽど落ち着いた。

国とか、世代とか、誰かが私を含む集団主語に話しているのを耳にすると、

たちまちどこか知らないところに行きたくなった。


そんな私がいま、どこで何をしてどうやって生きているのか、

私自身もよくわからない。

なんとか病院ブタ箱には所属しないでやっていけてるけど、

その理由もわからない。


どこかに所属しない人間は生きてはならないと、誰もが言うくせに、

私を所属させる心づもりは誰も持ち合わせていない。

相思相愛で、全会一致で、誰も私を受け入れない。せいぜい、ゲストだ。

だって彼らと同じ意見。もう今更どうしようもなくなってしまった。

このまま、ただ、部屋の中からぼっと外を眺めて生きていければ、

私は最低限の自由の中でゲストとして死んでいけるのだ。



私の名前が書かれた電気代の督促ハガキが、じっとこちらを見ている。

http://anond.hatelabo.jp/20160522233550

岡部氏が部分的引用しているFRANの論文 http://conal.net/papers/icfp97/ からして

Time -> a型関数が基本で、岡部FRPのような代入は影も形もないですね。

すでに出た https://wiki.haskell.org/Functional_Reactive_Programming

他の論文実装も同じ。

2016-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20160521172848

FRPについての合意について?w ソースは?ほら出してみろよw

ヒント:ElliotをはじめFRP重要論文の大半が発表されてる学会委員長

バカ発見

FRPについての合意ソース出せ、と書いたら、「国際学会の委員長」がヒントの回答らしい。

それが回答になりうるはずもないことくらい理解できるよな?

FRPにについて合意されている、と確認できるソースを出せ、と書いたんだ。できない、でいいんだな?

2016-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20160520154825

ヒント:ElliotをはじめFRP重要論文の大半が発表されてる学会委員長

2016-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20160520164432

薬事法とかに引っかかる効果効能のうたい方をしなければ効果示唆する論文がいくつも出ている、で十分じゃね?

納豆は体にいい」とか「青魚は体にいい」とかも同レベルっしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20160520150937

この前、誰かが増田論文リンク投稿してたからそれ探して読め。

http://anond.hatelabo.jp/20160520150830

ちなみに私の知っているFRPHaskellの各種FRPライブラリとか

(つい最近変わったようですが)Elm等の各種言語と同じで、

様々な論文コードとも一致しています(kenokabe氏の解釈以外)。

あなたFRPは違うのかもしれませんがご参考まで。

http://anond.hatelabo.jp/20160519142942

何度も指摘されているが「岡部氏のFRP」は同じメンバ変数tに何度も値を上書きしてるだけの

FRP以前に関数型でもない普通命令プログラムいくら論文曲解したり哲学とか言い訳しても

客観的には単なるメンバ変数への破壊的代入。オブジェクトconstをつけたところで

メンバ変数constにはならない。


http://kenokabe-techwriting.blogspot.com/2016/05/ocamlgui-esumii-camloebanonstarter.html

__items.t = __value.t

コードで、これがもし破壊的代入ならば、

const ListElement = __Element(__([__items])

.__(() => ......

というように、「破壊」されたはずの、過去の__items.tすべてのデータアクセスして列挙表示できてるのは何故?

説明どうぞ?

http://anond.hatelabo.jp/20160520072553

住井さんをはじめ、岡部さんが批判する相手は、議論となっている関数型プログラミング定義などが、まるで世界的に合意がされており岡部さんのみが異端だという主張ばかりしており、あまり

信用できません。

観測できる事実、という言葉を借りるなら、この住井氏の所属や業績を踏まえると、世界合意という観点で言えば圧倒的に住井氏に分がある印象を受けます

明らかに国内のみがフィールドの人じゃないですしね。

一方、岡部氏には世界はおろか、日本国内でもキャリアと言えそうな業績は何一つ無さそうです。論文も講演実績も無さそうですね。

700円のiOSアプリは公開していたようですが、これは特筆性に乏しいですね。

あと、さすがに国内の一部のコミュニティー圧力で、大多数の人間圧力を恐れて発言できないんだ、

という主張には無理がありませんか。

それほど大多数に支持される言説ならば何も恐れることもないですし。

だって住井氏などの言説は「少数派」というのが岡部氏の主張なんですから

そもそも日本学者はそんな弱い人ばかりじゃないですよ。

変わり者も多いですし、

住井氏が明らかにおかしなことを言っていたら、とっくに批判する学者の二人や三人は出てきます

特に住井氏は海外でも活動されているので、そんな「世界合意」の得られていない事を言い放ってたら死活問題に発展するでしょう。

http://anond.hatelabo.jp/20160519175956

観測できる事実として、岡部さんと住井さん、nonstarteさんの振る舞いが目立ってきた頃から

国内ネットでは、地雷、滅多なことを言わないほうがいいという風潮がありました。

しかも、「純粋関数型」が何か?というさえ、海外では関数型プログラミング界隈の著名人

たとえば岡部さんが引き合いに出す論文エリオットはじめ、合意が取れていません。

http://conal.net/blog/posts/the-c-language-is-purely-functiona

「nonstarter氏や住井教授のようなエントリの内容は、日本国内でのみ少数の合意が得られてるに過ぎず、海外では主流ではない。」

よって、これは岡部さんのほうが公平な現実について発言しており、が正しいと判断します。

住井さんをはじめ、岡部さんが批判する相手は、議論となっている関数型プログラミング定義などが、まるで世界的に合意がされており岡部さんのみが異端だという主張ばかりしており、あまり信用できません。

http://anond.hatelabo.jp/20160506231736

kenokabeさんは故意無意識か、自分の有利なように論文曲解していますが、

「面倒なんで全部訳しませんが」と言ってる部分に、氏には都合の悪い真実が書かれていますね。

>Conventional imperative programming captures these dynamic values only indirectly, through state and mutations.

伝統的な命令プログラミングは、これらの動的な値を状態と変化を通じて間接的にしか捉えていません」

まさにtimeengineプログラムに頻出するフィールドtが「状態」、tへの破壊的代入が「変化」ですね。

2016-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20160518171946

何度も指摘されているが「岡部氏のFRP」は同じメンバ変数tに何度も値を上書きしてるだけの

FRP以前に関数型でもない普通命令プログラムいくら論文曲解したり哲学とか言い訳しても

客観的には単なるメンバ変数への破壊的代入。オブジェクトconstをつけたところで

メンバ変数constにはならない。

 

じゃあOCaml純粋関数型や(本当の)FRPで複雑なGUIアプリが書けるかと言うと、

理論的には不可能ではないかもしれんが、もともと非純粋なので

誰もそういうライブラリを整備してないから、ライブラリから作るのは

まあ面倒だろうし、わざわざ非純粋関数型言語純粋関数型のGUIを作る動機

現時点ではまずないだろう。これもすでに指摘されているとおり。

 

もっとも「岡部氏」は「お絵かきアプリ」も「FRP実装が必ず必要となります。」と自分ブログで断言し、

その反例としてOCamlやらHaskellやらのコード直ちに書かれた以上、また話を逸らすのも大概ではある。

http://anond.hatelabo.jp/20160518231631

はてなユーザーが小保方氏を叩いていた理由STAP細胞論文非科学だったか

窃盗事件が不起訴だろうと無実だろうと、ユーザーが関心を持たないのは当然

観測範囲が違うのだから

2016-05-18

小保方晴子起訴ニュースホッテントリにならないはてブ

理研からES細胞窃盗」の告発 嫌疑不十分で不起訴 | NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160518/k10010525941000.html

小保方晴子氏が理研からES細胞窃盗していたとして、元理研研究者から刑事告発され、警察捜査を経て書類送検されていた事件

神戸地検は「窃盗が発生したという事実自体が疑わしい」として不起訴しました(笑)

このことから刑事告訴までした「事件」そのものが、STAP論文と同じく「捏造」された可能性が高くなりました。

告発した理研の元研究者の方は、さっさと記者会見開いて謝罪したほうがいいのではないかと。

小保方氏の弁護士は、刑事告発により「著しい名誉毀損を受けた。告発者には謝罪してもらいたい」と述べております

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201605/0009097092.shtml



しかし、ニュースネット配信されてから随分時間が経っているのに、今までの「小保方」関連の記事と比べて、はてブに上がるのが遅い遅いw

小保方氏の名誉を正しく回復する記事は全く目に入らなくなってしまってるんでしょうな。

オカルト板で

久しぶりに2chでスレ立てしてみた。

不思議な話や怖い話が好きだし、少し貢献のつもりで、

あわよくば、まとめとかに取り上げられたら良い自己満足になると思ったからだ。


で、レスがだいぶついて来て、ちょっと疲れてきた。理由は、とにかく、自分の主張を喚きたいだけな奴、自分が持っているイメージ(実際は存在しない)だけで批判したい奴が現れたから。個人的に、オカルトは娯楽としてすごく楽しい。旧帝の文系修士を持つ程度の浅学な身ではあるが、人々の間で、どのように事実理解され、どんな相互作用で新解釈が生成されていくのか、興味深いと思っている。しかし、言葉は悪いが、あまりの頭の悪さに辟易としてしまった。

オカルト好きということが、端的に、情報リテラシーの低さ、もっと言えば識字率問題であると思った。イメージとしては、単語文法を最低限だけ理解できるサルが、画面の向こうにいて、とにかく衝動のままに喚いている。字を読み、打てるだけ。それでも良いのかも知れないが、LINEのりんなでさえ、もう少しまともな受け答えをするんではないかと思った。端的に事実誤認も多い。典拠として査読付き論文を挙げたら、wikipediaに書いてあると反論されると、ちょっと白目剥きそうになった。基礎文献を指示しても読みやしないし、知りもしない。たぶん、ドイツ語ラテン語ギリシア語はおろか、英語でさえ出来ないのだろう。

そう思うと、道端で乾いている枯れた雑草の欠片に真剣に向き合っているような気分になり、我に返った。まだ猫をなでながら、犬をモフりながら、ひとりごとを言う方がよい。オカルト陰謀論にハマり、一日画面の前に張り付いている人というのは、または彼らの思考回路なり論法というのが、まさにオカルト的だなと思った。

なんというか哀れだ。

ということで、休憩おわり。仕事にいってくる。

2016-05-17

読書感想文ノススメ

とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分備忘録として。



最近大学生お話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。

で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接のものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。

彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文ゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである

まり、ある程度客観的指向性のある、極端な話マニュアル化簡単可能表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。



彼らの「自己PR」はまず、感情言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである

より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなもの履歴書でいいのである

次にいわゆる「盛り方」があまり稚拙である嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。

先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。

しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)



総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直結論提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である

はいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というもの存在する。

大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己内面表現のものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。

もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである

そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分内面他者視線というものバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である



読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象感想意見などとを区別するとともに、目的意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象感想意見関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要作業ではなかろうか。これらの中には論文作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実対象とするそれだけでは、我々は「自己内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。

確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しか教育就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである



自己表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。

その方法論として、今一度読書感想文というものがどういうものだったのかを見つめ直すのも良いかもしれない。