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はてなキーワード: 矛盾とは

2017-02-19

幻の品川駅北品川駅よりも南に存在した

京急電鉄前身京浜電気鉄道線の開業時の品川駅北品川駅よりも少し南に存在した[要出典]。少しといっても南に30m[要出典]。こちら本当の品川駅である[要出典]。都電との乗り入れを解消した際に駅を移転し、30m北に移ったので、北品川と改称した[要出典]。現在品川駅として通用している駅は東京都港区高輪三丁目にあり、品川駅と名乗りながらも実は品川区存在すらしない図々しさである。よって、品川駅高輪駅に改名することが望ましいと考えられている[要出典]。このため、北品川駅は、現在品川駅の南にありながら北を名乗るという矛盾を抱えながらも、品川駅に復帰する日を待っているのである[要出典]。

http://anond.hatelabo.jp/20170219120954

2017-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20170218133015

変態という名の紳士」というフレーズがあるように変態であることと紳士であることは矛盾しないんだよな…

2017-02-17

中途採用はやめておけ

中間管理職として3年働いた。今の業界では10年働いている。この3年でとくに感じたのは、中途採用の奴らの9割は使えない金食い虫だということだ。

まず色々な業界を2、3年程度で転職している奴は絶対にやめろ。履歴書いくら立派な企業で立派な経歴で飾られていても、そんな短い期間で転職を繰り返す理由が必ずある。面接時にはこれまで他業界で培った経験を活かして御社で働きたいなんてことをいうが、だいたい企業はその企業業界必要とされる人間を雇いたいわけで、そう簡単に他業界経験が活かせるわけがない。しかも2、3年でできることなんてたかがしれている。

自分に都合の悪いことが起こるとすぐ転職転職を繰り返しているのだ。「自分はA社で〜、B社で〜、C社で〜このような経験をしてきました!」昔語りはいいか経験じゃなくてどんな成果を残して今後どんな成果を会社にあげていきたいか答えんかい

しかしこれらの転職プロフェッショナル達は無駄転職して無駄面接慣れしているので、口からでる言葉は相当な高レベルであることが多いのでタチが悪い。なのでこういう奴らに対してはまず履歴書を見ろ。矛盾が必ずある。そして面接時には矛盾を指摘しろ。それでも納得するようなことを言えるプロ転職はいる。そういうときはうちでどんな仕事をしてどのような結果を出したいか、具体的に提案させてみると良い。だいたいここで綻びが出るから

プロ転職屋はある程度の期間雇ってもらって失業保険が出るようになるとサラサラ仕事を辞めていく。プロ転職屋はそうやって自己都合だけで仕事をしているので責任ある仕事などできない→できないから任せられない→さら仕事を任せにくくなる→プロ転職自身はその程度の仕事しか仕事だと捉えられない。責任ある立場になったことがない人間特に要注意だ。個人的には履歴書をみて最低でも過去5年くらいひとつ職場で働いてきた人でない限り、中途採用はしない。無駄に勤務年数だけ経ちスキルはないまま昇級の恩恵に預かり、その年数だけのために妥当ではないほど多額の人権費がかかり、長く働いたわけでもなく退職金だけ享受するプロ転職屋は自営業しろと思う。そうでもしなければ「自分の働きで金を稼ぐ」ということを学ぶことはできないからだ。

とにかくプロ転職屋には気をつけろ。中途採用を続けるくらいなら新卒を雇ってみっちり教育体制を整えることにコストを割いた方がいい。

プロ転職屋へ。他人が汗を流してくれたおかげで食える飯は美味いか職場文句や不平不満ばかり言ってないか?何か責任のある仕事役職を任せられたことはあるか。ないなら貴方がどんなに職場待遇文句を言っても意味がないんだよ。金を貰うに妥当仕事をしてから文句を言え、それでも状況が変わらないなら転職も止むなしだろう。しかし次の転職先が貴方にとってプラスになるかはわからない。その働き方ではずっとずっと文句を言って石を投げて逃げるだけの生き方を続けていくことになるだろう。

TBSサンデーモーニング』における「事実ひとつ発言についての検

事実ひとつ」という人が、実はヤバイ理由 (1/6)

http://www.itmedia.co.jp/business/spv/1702/14/news040.html

[窪田順生,ITmedia]

  

  

大宅映子はどのような発言をしたのか

このITmedia記事では名指しされていないが、「著名な女性評論家」とは大宅映子のことである

以下に彼女発言を書き起こしする。

大宅映子「あのー、メディアっていうのは中立公正なるものを皆さんにお伝えするっていう。そのためにはしっかりした裏付けというのがあるとされている、皆の共通認識として。で、それをしないと捏造と言われて社会的批判を受けるわけですね。

でも今の状況を見ていると、現場、その場の意見に対して、〔トランプ大統領が〕頭からバーンと、嘘であろうがなんだろうが〔オルタナティブファクトを使いまくって自分に都合の悪い話を〕否定してしまうっていうのがまかり通ってるということがね。しかもそれがネット拡散するっていう。

それで私思ったんですけど、企業の中でもありましたよね。広告でやはり動いているから、ネットの。自分のところの企業に有利になるような偽情報を出すっていうような問題になったりしていますよね。

で、それをどうにかするっていうと、じゃあどこで本物か偽物かっていうのを、今〔ファクト・チェックの格付けをやって〕三角とか黄色とか、プラットフォームがそれを出すっていうのも逆に危ないですよね。判断がね。」

  

関口宏「そう、そこにもオルタナティブっていうのがありますからね……」

  

大宅映子「そうそう。そうすると基本的には私たち一人一人が、メディアリテラシーっていうか、判断力がなければいけないんだけれど、こんないろんなことを全部自分判断なんかできるわけがない。」

  

姜尚中「うーん。まあひとつの試みとして、〔プラットフォームによるファクト・チェックを〕やってもいいんではないか、と僕は思いますけどね。」

  

大宅映子「うーん。やっぱり事実は一つにしてほしいです、はい

  

以降、他の論者へと発言が移る。

  

サンデーモーニング 2017年02月12日より)

〔〕は引用者による補足。

大宅はトランプ大統領オルタナティブファクトを使っていることと、企業インターネットで偽の情報を流していることを批判している。

しかし同時に、大宅は誰かが特権的独裁的に情報の真偽を決めることにも批判的だ。インターネットサービスは、プラットフォーム運営会社偏向していることもありうる。そのため、その運営会社事実判定の権限を委ねることは逆に危険だと指摘している。

  

  

  

事実ひとつ」とはどういう意味

最後のところで出てくる「事実は一つにしてほしいです」という発言ちょっと早口だった。大宅は主張をまとめようと急いだ感じがあって、ここで何を言おうとしていたのか視聴者に伝わりづらかった。

しかし、ITmediaの窪田順生がこの箇所を抜きだして『「ファシズム」(全体主義)以外の何物でもない』などとレッテルを張るのはあきらかな曲解である

そもそもこの「事実ひとつ」というフレーズは、大宅がスタジオ発言するより前に、VTRの中で山田健太専修大学教授言論法)がコメントしているものだ。この文脈を踏まえずに大宅を非難するのは適当ではない。

VTRでは、ジョージ・オーウェル小説1984年」が現在アメリカベストセラーになっていることを紹介、そしてワシントンポスト(1月25日)の『"もうひとつ事実"は"1984年"の「現実操作」を連想させる表現だ』という一節を引用して、これがどういう意味なのかを山田解説させている。

山田健太本来事実というのは一つのはずなんですけど、その事実否定するために「もう一つ事実があるよ」ということを言って、最初本来あるべき事実を覆い隠すという意味であります

端的に言うと、自分たちに都合の悪い事実を覆い隠すということです。」

サンデーモーニング 2017年02月12日より)

このVTRが流れた直後だという点を踏まえるならば、われわれは大宅の「事実は一つにしてほしいですよ」という発言を正しく理解することができる。すなわち、『「もうひとつ事実」なんて言って「嘘」ゴマかす政府はどんなヤバいことをするかわかったもんじゃない』という意味なのである

従って、ITmediaの窪田順生がやっていることは曲解であるし、これをあたかも「著名な女性評論家」によるオリジナル発言であるかのように説明するのも間違いである。

  

 

オルタナティブファクトと二重思考

ITmedia記事はくだらないので、いちいち論評するつもりはないが、ここからさきは私見を述べさせてもらう。

番組中では言及がないが、山田教授コメントはおそらく『1984年』に登場する「二重思考」を念頭に置いている。

二重思考 - Wikipedia

  

二重思考(にじゅうしこう、ダブルシンク、Doublethink)は、ジョージ・オーウェル小説1984年」に登場する思考能力であり、物語の中核をなす概念。それは「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」[1]である。作中の例でいえば、舞台となっている全体主義国家では民主主義などは存立しえない、という事実を信じながら、なおかつ、国家支配する「党」が民主主義擁護である、というプロパガンダをも同時に信じることを指す。

二重思考は作中の全体主義国家オセアニア社会支配するエリート層(党内局員)が半永久的に権力を維持するため、住民中間階級である外局員ら)および自分たち自身実践させている思考能力である。二重思考実践していると、自分自身現実認識を絶えずプロパガンダ合致する方向へと操作し、しか操作したという事実をどこかで覚えている状態となる。

「二重思考」とはニュースピーク新語法)による単語であり、オールドスピーク(旧語法、我々の知る英語)に直せば、「リアリティー・コントロール」(真実管理)となる。

「二重思考」についてはWikipediaの項目を読んでもらえば十分だろう。事実がたくさんあると考えたり、そのたくさんある事実をすべて同時に信奉しようとする態度こそ、オーウェルがこの小説批判した二重思考である

1984年』の世界では、政府がでたらめなプロパガンダをおこなったとき国民はその嘘や矛盾に目をつむって忘れてしまうことが要求される。だから政府が言うことはどれもこれも必ず事実となる。そしてすぐ次の瞬間、政府が先ほどと明確に異なるようなことを事実だと述べ始めたとすれば、国民はそれをもう一つの事実なのだと納得して信奉しなければならないとされる。

事実ひとつ」という前提は、この二重思考に陥らないために必要ものである。われわれはこの前提に立脚することで、複数矛盾する話の中から、何が事実であり何が虚偽であるかを探ろうとする。これは政府がでたらめなプロパガンダをおこなったときに、国民がそれに抵抗するための最も根源的な力となるのだ。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216205326

???



横だが、

・おとなしくしてて彼女ができる男も少なくない

彼女が出来ない男の大半はおとなしくしている

とは

何の矛盾もなく両立せんか?

まりあんたの主張が正しくても元増田の主張と衝突せず、反論になってない…

はてな批判してるお前もはてなーじゃんwはてな辞めれば?w」という反応をまたまた発見してしまった…

はてなブックマーク - この件で既に警察に告訴したらいいと思ってるはてなーは親にならないほうがいいと思う。自分がスカッとしたいだけで子供のことなんも考えてない - komamix のコメント / はてなブックマー

はてな批判してるこの人もはてなーじゃん。やめれば?」←はあ?

はてなにいてはてな批判したらいけないってどんな理屈だよ。

俺も増田はてな民を叩く記事を書いたら「増田やってるお前もはてなーだろw」という頭悪すぎる反応がつくんだが。アホかと。

お前ら自己批判してるだろ?例えば「日本のこういうところダメだな」という具合にさ。

それと同じだぞ?日本人日本のことを批判して何が悪いんだ?あ?

それと同様にはてなにいながらはてなのことを批判するのは何もおかしくない。

痛いところつかれたやつほど、論理的に言い返すこともできないから「はてな批判するお前もはてなー」「はてな辞めれば?」という目先のアホみたいな欠点しか指摘できない。

ネトウヨと同じ。ネトウヨが「日本批判するなら日本から出てけよw」というアホみたいな理屈持ち出してくるだろ。それと同じなんだよ。ネトウヨ並みの思考力。

つまるところ、とにかく気にくわないが論理的に言い返すこともできない。それで出てきたコメントが「お前も○○だろw」という目先のぼくがかんがえた最強の矛盾点みたいな反応。脳みそを稼働した形跡が全くない。

はてな批判してるお前もはてなーじゃんwはてな辞めれば?w」

はてな民でさえ、自らが所属するコミュニティの痛いところを突かれれば、ネトウヨ並みの思考力に陥ってしまうという良い例だ。

今後このようなアホコメが減ることを切に願う。

2017-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20170215203349

ダンディがなかなかゲッツしてくれない→面白い

ダンディが諦めてゲッツする→最高

から矛盾してない

主人公が出てこなくても面白い作品→最高

主人公が出てこない方が面白い作品→最低


矛盾

バグが起こる仕組みを説明する

http://anond.hatelabo.jp/20170214114736

 

1.権威を使う

GoogleMSAppleでさえバグを生み出している

 

2.ハードウェアに喩える

車は完璧に近いように作られているが、整備なしに数年後きちんと動いているかどうかは保証できない

整備とはデバッグのことである

 

3.ユーザーを絡める

ユーザーの行動を全て網羅することはできない

いつだってユーザー破天荒な使い方をする

 

4.プラットフォーム説明する

プログラミングという道具を使っているが

道具が完璧である補償はない

我々が完璧仕事をこなしても、道具がミスを起こす可能性はある

 

5.量を説明する

プログラムは数万行、数十万行のコードでできているが

文字ミスするだけでバグ簡単に作れてしま

たとえば小説一冊を1文字の誤字もなく書き上げることはプロでも難しい

 

6.難しさの質を説明する

小説を1冊書き上げることはできるが、全て矛盾なく仕上げるのは非常に難しい

要素や登場人物時系列を複雑にするほどどんどん難しくなる

プログラムも同じだ

 

7.バグ定義

そもそもバグとはどこからどこまでをいうのか

解釈を広げるとどこまでもバグになってしま

 

8.プログラムとはどこまでか

コンパイラコードエラーを指摘してくれるが

仕様エラーを指摘する者はいない

仕様エラーを残すとそれはプログラムバグとなる

 

9.掃除に喩える

バグのないコードというのは、塵1つない部屋のようなものだ 

そのために努力はできるが、物理的に不可能

 

 

個人的には1が好き

考える必要がない

2017-02-13

親と子でも、なんだかんだ別の人間なんだよ。

親がスゴイからと言って子供もスゴイわけではない。

親がすごくないからと言って子供もすごくないわけではない。

大昔だって親と子供でかなり事情が違うような案件は無くはなかったのだ、

現代のような個人主義の進んだ時代で、ある能力が完全に親のものと一致するなんて早々ないとしか思えないのに

未だに親子を同一人物かなんかと勘違いしてるのではないかというレベルレッテル貼りをしてくる人はなんなんだ。

親が出来ないことを子供ができようが、親のできることを子供が出来なかろうが、「矛盾」という言葉を使って非難されるようなことではないと思うのだが

この考えはそこまでおかしいのだろうか?

メディアミックスされた作品の楽しみ方

色んな媒体作品化された際、どういった順序で見るのが一番楽しめる(個人の感想です)のかを紹介。

 

アニメ漫画→あれば映画小説→あればドラマCD

 

何を根拠に並べているのかというと表現技法情報量について、だ。

原作小説場合であってもこの順番が恐らく一番楽しめる。

小説アニメだと原作との突き合わしによる矛盾とかが出てきてしまい、視聴の障害になりやすい(個人の感想です)。

これがアニメ小説だとアニメで語られなかったことやアニメとの相違点を素直に別作品として受け入れられる(個人の感想)。

よく原作組はアニメの出来にイチャモンや難癖を並べているのも、自分の中で膨らました小説イメージ再現されなかったかである

これがアニメ小説なら最初から別物であると割り切って門をくぐるので余計なぶつかり合いが無い。

からアニメ小説正義

 

その間に漫画があるのは、消化しやすいとか、アニメという絵が付いた媒体から音を無くして入り込む段階とかそんなところ。

ぶっちゃけ小説漫画順序はどっちでもいい。

 

映画位置重要で、予備知識がないと楽しめないものが多い。

本当は最後に持っていきたいところだが、映画現在公開されていくのが観に行く正義なのでやってほしい。

最低限アニメ観ておけば楽しめる構成にはなっているはず。

特に映画公開時期で話題が高騰しているので時間的制約からアニメ漫画くらいしか消化できないだろう。

ドラマCDは本編と関係ないサイドストリーが多いので一番予備知識いると思う。

なので最後に消化するのが一番よい。

 

 

というわけで2017年公開予定、弐瓶勉SFアクション漫画作品映画BLAME!」をよろしく!!!

http://blame.jp/

BLAME!小説ドラマCDがないか漫画だけで予習できるぞ!

ちなみに新装版も発売されているがぶっちゃけ古い方がオススメだ。違いはちょっとした書き直しや表紙の書き直しだが旧版の方が味あっていいです。要らん。

電子書籍でも買えるしアマゾンでもコミック買えるだろう。

あと次の情報も要注意↓ 

2月16日(木) ”ツトムの日”に、『BLAME!劇場アニメ化記念「シドニアの騎士」一挙放送が決定!

シドニアの騎士は有名だろうが、BLAME!はまさに人を選ぶ作品だ。

この面白さを理解できるやつと酒を飲んで喧嘩して絶交する。ドン弐瓶勉ワールド

追記:

冲方丁によるノベライズ小川一水九岡望飛浩隆・酉島伝法・野﨑まどによるアンソロジー、という超豪華メンツによる小説版が待ってるぞ。>BLAME!

こんなとこで宣伝してんじゃねーよ馬鹿野郎

http://www.hayakawa-online.co.jp/new/2017-01-26-172157.html

これか!講談社早川書房!ああ!

2017-02-11

江戸川乱歩 原作 舞台「孤島の鬼」をめぐる120時間

先週日曜、舞台を観てきた。江戸川乱歩原作の「孤島の鬼」。

感想増田投稿済みだし、最終考察投稿バリバリ編集なのだけど、

先ほど、ずっと一緒に推理に付き合ってくれていた友人が、《原作真相》に1つの答えを出してくれた。

「孤島の鬼」原作に対する現在の私の解釈について

※閲覧にはTwitter連携必要ですが、誰でも読めます



私はこの解釈を読んで、江戸川乱歩まじすげぇ人なんだな、と思ったし、

舞台感想を聞いて原作を読み返した」という超間接的な位置に居る友人にまで影響を与えたこの舞台まじやべぇな、と思った。



この話は、やれBLホモだと騒がれているが、こんなにも『人と人との愛の深い部分について書かれている』ことに萌えている感想は、まだ一度も見たことがない。

腐女子の皆さま、乱歩パイセンの名作は、想像を絶する至高のBL小説だったよ……(震え声)

次の新刊ネタにできるよ……



観劇してから120時間神経衰弱するほど友人と推理を重ねてきて、友人が辿り着いたこの結末に私は本当に感動したので、記念に最後にもう一度観劇しようと決めたのだけど、観劇前に今までのことを日記として残したいと思う。

(友人との推理使用した部分以外は原作未読をまだ貫いているし、私の主観での希望的観測は友人とは少し違うのだけど、それは最終考察とあわせて観劇後にまとめたい。)



どうせ同じ高いお金を支払って観劇するのなら、楽しめた方が絶対にいい。

私はもう「視点を変えれば、世界が変わる」=「つまんなかったものが最高に面白くなる」という瞬間を短くない観劇人生で知っていたので、本作初見では何か視点を歪められてるような印象にすごくもやもやした。

今思い返すと、色々なテクニック…いや、ヒントが散りばめられていた。

作中の探偵二人が言う「常識ではトリックを見落としてしまう、視点を変えるんだ」というようなセリフが印象に残っていたり(大事なことだから2回言いましたの法則。一度だけならスルーしていた)。

ストーリーテラーがやけに観客の目をガン見してくる→目を見るというのは語りかけてくるということで。しかしその眼差しに乗るメッセージは無く、視点誘導にも思えるのに最終的にストーリーテラー非難するような印象で終わる。この矛盾

原作では『簑浦』という名前主人公が『箕浦』であったり。同一人物に別の名前が与えられ『一人二役』であったり。

いかにも裏がある風で、どうしてもひっかけられてるような感覚があった。

「結局胸糞悪いだけだった」作品結構観てきたけど、それらは完全に私との解釈違い…美意識というよりもっと恣意的な『美学』の違いで、どうにも受け入れがたいという点からくる胸糞悪さだった。

でも本作では諸戸に感情移入できてしまったし、そもそも異形とは何かみたいな問題提起の要素もあり、そんな乱歩原作が『美学押し付け』には絶対にならないという妙な確信があって。私は謎解きに踏み出していた。

推理小説は読まないけど、リアル脱出ゲームとかは好きなんです。

(一晩明けて昨日、一緒に脱出できた経験のある頼れる別の友人が、私の沼りっぷりを気にかけて舞台を観に行ってくれた。そして私が完全に見落としていた最重要ヒントを見つけてきてくれた。優しすぎるし天才すぎる。)

(そう言えば原作解釈の友人も、私にとっては自明の理すぎて結構雑に扱っていたヒントが友人にとっては盲点で、そのヒントがあったからこの解釈に至ったと言ってくれた。嬉しかった。)

(そして、盲点とは必ず存在するし、それは本当に自分には見えないだけで、他人からたらこうも軽々と見えるものなのだなと、また一つ得難い経験をすることができた。人生って楽しい。)


終演後からすぐ調べ出して、最初のヒントには帰りの電車内でもう出会えていた。検索上位だった。有り難い。

からそのまま寝ずに感想を書き上げて翌昼増田投稿したのが初見感想

なんで増田に上げたかと言うと、これが《私》の感想であると、他の友人知人に知られるのが恥ずかしかたから。お陰で普段以上に壁打ち感ぱなくて孤独だった。それを全部友人との推理にぶつけていた。この五日間付き合ってくれて原作真相にまで辿り着いてくれた友人マジで有り難う。



自分感想の反応はサッパリだけど、各所に皆さまがどんどん感想を投下されるのでひたすら読み漁っていたのですが、どうにも自分の知りたい解がそこにはないように思えてきて。(感想拝読させていただいた皆さま、失礼な物言いになってしますみません。今回が異例だったのです。通常の演劇作品感想としてはとても楽しく面白拝読させていただきました。公開してくださったことを心から感謝しています。これからも是非よろしくお願いいたします。鍵、イクナイ。)

先述の私の盲点にあったヒントを見つけてきてくれた友人との会話でも判明したのですが、私が求めていたのはどうやら『感想』ではなく『印象』だったのです。

感想とは『事象対峙した発言者の想い』である。対して印象とは『事象対峙して発言者が捕捉できた部分』である

私は自分では見えなかった作品ありのままの姿を知りたかったみたいです。


その点では、原作を読んだけど舞台は見ていない友人と、舞台は観たけど原作を読んでいない私の探偵コンビはなかなか良いバランスだったのかも。

お互い違う表現を見ているか感想だけでは語れないけど、小説舞台作品本質が同じなら、印象と事実も一緒に突き合わせることで対話が成立する。


書いていた続きが寝落ちたら消えていたので、ちょいちょい追記していく。

職場の開発スタイルが古すぎて限界なんだが

IT業界プログラマなのですが、どれだけ技術進歩しても何年も同じ開発スタイルから一向に改善しなくて限界を感じています

例えば次の点が挙げられる

バグ個人責任のせいにする

 ・世渡りが上手い奴は口だけ出して手は動かさな

  ・こいつが手を動かすのは最小限で、なおかつビビりなのでよく確認する

 ・手だけが早くリリースしてから考えようぜって思っているタイプバグを出すたびに個人攻撃される


開発プロセスが雑

 ・レビューがない

 ・仕様最初から作るつもりがなく、毎回担当者が長年の勘で仕様を考える

  ・故にどこかで矛盾が生じる

  ・担当者の長年の勘が頼りなので、作り手としては要求に答えるしかない

   ・仕様明確化されていないので、言われた通りに作るしかない

   ・一部しか担当していないので、一部しか知らないのだがそれを「もう何年もやっているのに担当したところしかできない」と言われる

    ・尚、これに対し口答えは許されない模様

 ・仕様がないので自分なりに担当者確認して作る

  ・このあたりはOKなのだが、その内容は一切ドキュメント化されていないしするつもりもない

  ・いつでもこの仕様担当者の気分で変更できる

   ・変更できるのは問題ないが、言い方が「お客さんがバグ報告がきた」みたいな切り出し方

   ・バグではなくただの仕様だし「作る時にそう言いましたよね?」と言ってもドキュメントがないので根拠なし

テストを書かない

 ・開発スピードが遅くなるから理由テストを書かない

 ・というか書き方を知らない

  ・xUnitすら使えない

MVCを知らない

 ・単語は知ってて理解しているつもりなんだけど的外れ(いわゆる Fat Controller が普通だと思っている)

・新しい知識を覚えるつもりがない

 ・自分達で勉強した最新の知識デザインパターン

 ・新人が入ってくるもこの調子なので2〜3年もすると社内の仕事はできるが若いのに技術力は10年以上前技術者レベルになる(仕事必要なことしか知らないのでそれ以下か)

 ・そして、いつまで経ってもこの開発スタイル改善しない


けものフレンズがバズったので、ついカッとなってやった。

2017-02-09

推理ノート舞台「孤島の鬼」(2017版:江戸川乱歩 原作

昭和文学を、『情愛推理ミステリーとして真相を探します。

推理小説におけるロマンス描写」を、絶対真実な添え物とスルーするのではなく、本当の謎解きは情愛部分にあったのだとみなします。



随時更新


はじめに

私の持論として。一番大事なことは『自分作品スッキリ楽しめたか』という部分であり、正解のない舞台作品考察というものは『よりスッキリした心で作品を愛する』ために行うべきである、と考えている。

作者の真意とかメッセージとかは観客に都合のいい時にだけ引っ張り出せばよい駒であり、エンタメ世界に『解き明かすべき絶対の謎』なんて無いのである

「楽しんだモン勝ちや!」である



その観点で言えば、初見の私の感想は、もうグッドエンドとして十分だった。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

作品構造を分解すると唸るほどしっかり構築されていることがわかり、「ただ自分が見たままを感じ、考察などせず楽しむべき」類いの舞台ということが浮き彫りになって仕方がない。



しかし私は、好奇心と言うか…感動を共有できない淋しさと言うか…出所のわからない衝動に駆られて、本作を『ミステリー』として推理することに踏み込んでしまった。

そしてこの目的で2回目観劇したことを多いに後悔していたのだけど、今わずかばかりの希望の光が見えてきた。

犯人トリック推理する殺人ミステリーではなく、二人の人間の有り様を推理する情愛ミステリー

簑浦も諸戸も幸せになれる最適解。



ですので、自分でも自分なりのトゥルーエンドを目指しますが、時間リミットがあるため、もし同じくこの迷宮にうっかり足を踏み入れてしまった探偵さんがいらっしゃれば、ご助言を賜れると幸いです。

目指すゴールは『スッキリ楽しめて、より作品を好きになる』こと。



謎:世界構造登場人物

本作は深い意味で「原作に忠実」だと感じるのだけど、原作をそのまま演じている訳ではない。

今のところ私にとっての最大の謎は、この世界階層構造登場人物である

私に見えたキーパーツを挙げていく。

世界構造

これらの関係性・正体がまだわからない…

また、注釈の挿入タイミングを正確に記憶していないので、区別が間違っているかもしれない。



登場人物

基本的に諸戸は今回の舞台上では同一存在だと考えていますが、そう見えるだけかもしれないため分けておきます



重要証拠

随時更新

謎:観客の主観による『明言されていない内容のミスリード検証

我々は『なぜ』錯覚していた?

推理中に変動するため随時更新

人物相関

人物像まとめ

前提として、本編はすべて「諸戸」と「簑浦」で代替できる隠喩要素のみで編纂されている。(秀ちゃんの手記、丈五郎過去、など)

また、一般的に「嫌悪感」を感じるもの排除し、極限まで美しく描いている。(ビジュアルはもちろん、諸戸の性的侵略も)

本編の《みのうら》
  • 『私』と『箕浦』が演じている
  • 本編の世界を生きているので未来を知らない
わたし
  • 本編の語り手
  • 原作では「主人公(或は副主人公)」
  • 諸戸と対、ないし鏡のような同等の関係。簑浦?
  • 『私』と『箕浦』が演じている
  • 本編世界の上位存在なので、(少なくとも諸戸が亡くなるまでの)未来を知っている
  • 《みのうら》として本編に介入できる
  • 《みのうら》を操ることができる?

→諸戸から握手を握り返さない『箕浦』に諸戸は驚き『私』を見詰める。すると『箕浦』は諸戸の手を握り返した

諸戸(《わたし》の世界
諸戸
  • 簑浦を同性愛として求めて止まない
  • 自身に対して非常に強い罪悪感や劣等感を抱えており、スーパーエゴとイドのちぐはぐさに苦しみ怖れ震えている
  • 「諸戸の葛藤自意識」と、「諸戸と簑浦」について、2017舞台版では秀ちゃんの手記で語られている。(正面を向いて語っている時の内容は隠喩パーツ)

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箕浦
  • 完全なるノンケ
  • しか同性愛嫌悪していない
  • 諸戸から性愛アピールをまったく感知できない。しかし諸戸が自分に恋していることを頭では理解している。しかしわかっていない。
  • 諸戸を親友と思ってとても信頼している
  • そのため「初代を殺したのが諸戸ではないか」と疑った時、井戸の中で諸戸が性愛の拒絶に唸り雄叫びを上げたのとよく似た体で、のたうち回りながら信頼の裏切りに悶え苦しんでいる
  • 学生時代のあの夜に諸戸が泣きながら請うた「わかってさえいてくれればいい」「どうか僕から逃げないで」「僕の友情だけでも受け入れて」「僕が一人で想っている自由だけでも許してくれないか」という願いを、字面通り叶えようと作り変わった簑浦
  • 諸戸からの接触に拒絶しない
  • 諸戸と共に友情のまま逝くことを井戸の中で受け容れている
  • しかし、井戸の中で諸戸が簑浦に「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と、矛盾する願いを請うてしまったため《みのうら》から追い出される
  • 《みのうら》と《わたし》を演じる
  • 『私』とは別人
  • 『私』とは並列の存在で強弱なし。お互い干渉できる。

-

『私』
  • 同性愛嫌悪している
  • しか学生時代再現を諸戸と行っていた際、あの夜の諸戸の嘆願を哀しそうな顔で聞いている。
  • あの夜のせいで学生時代で諸戸との関係は終わったと思っていた。実際に以後彼は井戸まで《みのうら》役を降りる。
  • 諸戸が『箕浦』演じる《みのうら》と接触した時、諸戸に向けて嫉妬するような軽蔑するような視線を向ける。それは秀ちゃんに恋した『私』が「軽蔑するかい?」と問いかけ「恥はないのか!?」と返した諸戸(《わたし》の世界の方)が向けた視線と似ている。
  • 『私』が諸戸に「嫉妬している?」と尋ねてしまったがために、諸戸が抑え込んでいた愛欲が暴走する

-



随時更新

世界構造考察

随時更新

情報求む

  • 冒頭の『妻の傷』は「右側」と言われたか位置を明言してない気がするが…)
  • 石田さん演じる箕浦は、『諸戸』と呼んでいたか
  • 諸戸は2回、自分嫉妬告白している。対初代と対秀ちゃん。その告白の様子と、それを聞いている『私』と『箕浦』それぞれの様子と反応はどうだったか
  • 手記の中での秀ちゃんと吉ちゃんの服に汚れはあるか
  • 島で会った秀ちゃんと吉ちゃんの装い
  • 発狂した丈五郎について「私はあの景色が忘れられそうにない」と語っていたのは誰か?(舞台版での役者と正確な言い回しだけでも大変助かる)
  • そもそも原作内での「書き物」(本編)が、簑浦と諸戸の共著である可能性が非常に高いのだけど、その辺りの原作考察情報

→本編は経験談の体なのに、諸戸のセリフにも括弧を入れて諸戸のモノローグが挿入されている。簑浦のモノローグはほぼ《私》であるのに、諸戸のモノローグはしっかり《僕》

根拠資料

観劇2回目の備忘録http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

(着眼項目リスト理由http://anond.hatelabo.jp/20170207171941

観劇2回目で受けた印象:http://anond.hatelabo.jp/20170209051208

初見感想を書いた後のメモhttp://anond.hatelabo.jp/20170207200710

2回目後の本記事に収まらないメモ:随時更新

参考資料

http://anond.hatelabo.jp/20170209193938

想像しろ。そして物語れ。疑問は仮説をぶつけて検証するもんだ。「何の話をしているか?」 分からないことがわからないのはよくある話だ。しかし、だからと言ってわからないままでいたら何も進展は望めない。

大胆でも矛盾があってもいい。まずは仮説だ。「もしかしてドナルド・トランプのことを言ってる?」「そうだよね、プロテインだよね」などなど。自分が今持っている話題の中から候補に挙がるものをいくつか述べてみるのだ。

そうすれば、相手からレスポンスをもらえて話をつなげられることだって出来るのだから

やる気が出る社会にしてくれよ

なんか上司から「もう少しやる気を出してくれよ」って言われたんだけど、これって俺のせいなの?


なんかやる気って個人努力でどうにかなるものって風潮があるけどさ、まわりの人とか社会からの影響のほうが大きいんじゃないの?安易個人責任にするの止めてほしい。


「あれやれ、これやれ」って指示されたら、大抵の人はやる気なくすよね。最初は失敗するかもしれないけど、それくらい許してくれよ。最初からミスするなって言われて、更にやる気を出せって矛盾してるだろ。


それに頑張ったって先行きがどうなるかわからなかったら、頑張る意欲だって無限に出てくるわけないじゃん。どっちかというと、頑張ろうって気がなくなるよね。


俺はそういう社会に順応しているだけなんだけど?

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる


率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。



初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……



時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます



冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。



『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者


初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。



箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)



初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。



初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。



諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。



諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。


子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。


しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。


ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?



深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?



手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。



島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者



五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。



水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…



それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。



諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。



井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…



助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。



あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。



それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。


諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。



今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170206220753

矛盾とか稚拙な部分はたくさんあるけど、それを上回る大きなプロットがあればOK。

千尋の神隠しだと、なんで親が豚になったのかとか、あの異世界はなんだったのかとか、意味説明するだけ野暮。

嫉妬で粗探ししてるんじゃないかな。

フィクションで何を表現しているのか、というのが重要

これであってんのかな

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

使い慣れてないからこれであってるかわかんないけど、増田です。

いろんな人が読んでくれたみたいで嬉しい。

いくつか追記する。本文が長過ぎるからこっちに。

辞めるなら無敵じゃん?っていうのは、個人的にはその通り。辞めてもいいって思ってからは、処分食らってもまぁいいだろ、こっちも好き勝手やろうって気持ちではある。しんどいけど。

でもこれは私が結婚していて、なおかつ旦那が同業者理解があって、辞めても何とかなると思っているからで。

そんなに簡単には辞められない人は、もう彼らと付き合っていくしかない。(ぶっちゃけ教員しかやったことがない人間が完全に異業種に転職って、かなり難しいと思う。)彼らを殴ったら、それこそニュースになって大変な目に遭う。そういう同僚たちや、同じような状況にある同業者たちの気持ちを込めたエントリでもあった。

それに付随して、次年度はとりあえずやろうと思っていることについて。これは、いま自分が抜けたら頑張ってる一部の生徒と、同僚たちを放り出すことになる気がして、それはそれでしんどいから。きちんと引き継いで整えて、頑張ってる生徒や同僚の負担不安は少なくしたい。関わった以上は。

自分でもアホだなー矛盾してるなーとは思うんだけれども。

基本的教員仕事って、みくりさん的に言うと愛情とか、やりがい搾取によって成り立ってるから、生徒のことが可愛いなら頑張れますよね!?成長見られて嬉しいから耐えられますよね!?っていうので成り立ってるから危険なんだけど。


もし周りに頑張ってる先生がいたら、言葉にして直接伝えてあげてほしい。頑張ってるんだね、大変だね、ありがとうって。特にお子さんがいる保護者の方々。

それだけでかなり救われるはずなので。


あ、ちなみに私自身はまだ鬱だとかは診断されてない。慕ってくれる生徒もいる。だから何とか明日も、もう今日だけど、出勤するよ。頑張り過ぎないようにするよ。

妻が不潔すぎてつらい。

最近よくケンカする。

コミュニケーションがうまくいかない。

例えば、ある件でAと言っていたことが、類型の別件ではBと言う。矛盾があるのだ。

そこで、両件はあれこれが共通する類型と言えるので、BではなくAもしくはA'ではないか提案すると、

いくら共通項が多かろうがある点で異なるのでBだと言う。そう決めたらそうなのだそうだ。

こういう例が数多あり、ストレスが溜まっている。

物事関係性を多角的に観察して抽象化し、他の類型事案に適用してみることは、僕にとっては当たり前の思考方法だ。

感情をなるべく削ぎ落とし、点と点を線で繋ぎモデル化することが必須となる。

妻のように、ある一面にのみ焦点をあてて条件反射対応することは、矛盾が生じて対外的な信用を失いかねないだけではなく、

種々の矛盾が重なることで自由思考制限がかかってしまったり、経験から知識への変換効率悪化するように感じている。

最近妻と会話をしていて目に浮かぶのは、様々な事案が雑多に散乱し、その個々に感情が付着することで論理的分別することができず、

「思い出」で溢れかえった妻の頭の中のゴミ屋敷だ。

それぞれの感情が混ざり合い漂ってくる腐敗臭

何か重いものが入った箱には「重い」、

涙が滲み出るビニル袋には「ステキ」、など、

何が何だかからず全て投げ捨ててしまいたくなる。

家族として生活するには感情の共有が欠かせないのは承知だが、こうも不潔な人と家庭を運営していくことに不安を感じている。

以上、臭いものうんこ臭い肥溜め上梓

2017-02-07

追記の疑問に疑問返し



>そういうレッテル貼りうんざりしている人いるみたいだけど

>こういうのって効果ないの?

そのレッテルを、何の根拠があって似非正義だと決定しているのかが

ある個人判断に依ったり恣意的だったり勝手解釈可能な以上、

議論の筋がブレるだけで効果はむしろマイナスだと思うけど?



>僕の都合の良い解釈かな??

うん。増田が「正義のヒマ人」になっているように見えるし、勝手なことを言ってんなぁと感じた。

何故増田に、それが意義のある議論似非正義かを決める権利があるの?



問題提起ではなくて、問題を軽いノリで扇動してる人のこと

こういう人に問題がある場合もあるとは思うけど、

これを線引きする作業自体が、すでに「正義のヒマ人」の罠に落ちてしまリスクがある

源に増田自身も、自分がそうなっていると言ってるよね?この自己矛盾回避できると思う?




http://anond.hatelabo.jp/20170207014913

仕事が出来る人と評価されたい人へ

社会人って案外楽しいんだよってエントリーに対していやいや無能だと社会人地獄だよ、というエントリーも立ち上がっていて考えさせられたことがあったので考えを整理するためにもメモ

私-29才、転職1回、現在外資系金融系、年収750万(年収高めだが福利厚生無しです)

結論から言うと私は社会人楽しい派。理由お金自由を手に入れたってことが一つ、人間関係が楽になったっていうのがもう一つ。

「でもどうせ、お前は仕事出来る側の人間なんじゃないの?」

勝ち組寝言でしょ?そんなの分かった上ででも仕事が出来ないと責められたりして地獄なんだよ」って言われそうだけど、誤解を恐れず言えばはっきり言って普通仕事なら、誰でもできるよ!

(会社創業する、とかまだ30代の若手なのになのにいきなり社長に任命される、とか超絶ブラック企業であり得ないノルマを課される等、よっぽど極端な仕事内容はこれに限りません。)

あ、あと大事なことですが仕事の出来る、出来ないに学歴も全く関係ないす。「いや私発達障害です」とかそういうのは流石によくわかりませんので専門家の指示に従った方がいいです。

そんな訳ないじゃんと思いました?では「仕事が出来る人と'評価される'人になるため」の極意を伝えましょう。

注意して欲しいのは仕事が出来る人になる方法ではなく、あくま仕事が出来る人と評価される人になるための方法です。

1.職場の人とはい関係を築きましょう。

仕事の基本ですが、出来てない人多すぎ。例えば出社したら自分から笑顔で毎朝挨拶してますか?席に着くまでに全体に向けて一回、席に着くまでにすれ違う人に個別に数回。笑顔で!挨拶しましょう。座るときに両隣の人にも個別挨拶できたらベストですね。

人は自分に無条件に好意を向けてくる人に対して敵意で返すことはできません。逆に自分に敵意を向けてくる人に対しては、敵意を返すことに対してのハードルが一気に低くなります。駅の雑踏で人とぶつかられた際のことを想像していただくといいかもしれません。すみませんね、と笑顔申し訳なさそうに一声かけられたケースと舌打ちをされたケース、あなたの反応はどのように変化しますか?

挨拶ランチタイム、日々の仕事の中での接し方、飲み会好意を振りまくのです。そして出来れば心の底から好意を抱きましょう。人間ひとつはいいところがあるのでそれを見つけるようにすれば意外と好きになれますよ。社内の人から好きになって貰うだけで仕事がやりやすくなります。社内の人を好きになるだけで仕事に行くモチベーションになります

とは言ってもあくま仕事上の付き合いでですから学生時代のように濃密な感情必要ないです。あーいい人だな、この人もいい人だな、よっしゃ今日はあの人と飲み行くか!ぐらいの軽いのりで付き合えるようになれば必要十分。内面を曝け出して本気で人生相談するような人間関係は社外で築けます

2.仕事は休まない(事前申請有給休暇は除く)

過度に休むと当然ですが信用を失います自分の休暇状況を振り返ってみて、月曜や仕事が忙しくなるタイミング休みが集中しているような人は要注意です。「嫌なことから逃げる逃げグセが付いている人」というレッテル貼りをされることに直結するからです。このレッテル貼は意外と厄介で、人はあなたのことを信用しなくなったり、仕事を任せられないようになったり、アウトプットが同じでも上司や同僚から評価が下がったりします。尚、心の強さは簡単に鍛えることができます自己啓発本(7つの習慣ラッセル幸福論)を読みましょう。カウンセリングに行ってもいいかもしれません。

あとは行きたくないと思ってもえいや、で行ってしまうことです。行ってみると大したことはないし、行ってみてやっぱり無理だったら午後休を貰えば済む話なので。

体調が本当に悪くて高熱が出ているとき普通に休むしかないと思います。但し十分体調管理には気をつけましょう。例えば今年インフルの予防注射しまたか毎日から帰って来たら手洗いうがいをしていますか?

二日酔いによる体調不良そもそも論外ですが、もし二日酔いになってしまったとき自己責任なので午前中だけでも来て最低限の仕事はこなしてから帰りましょう。

ちなみに私は微熱ぐらいでは休みませんし、事務仕事なので普通に仕事はこなせます。また、そういう人は意外と多いです。それを奨励する訳ではありませんが休みに対してそれぐらいの認識でいる人からあなた休みがどう見られるかぐらいは想像した方がいいと思います休みが多い人は他のもっと休みが多い人に視点を合わせて物事を考えがちで、どんどん自分に甘くなって行くのかと思います

事前申請有給休暇はどんどん取って有意義な休暇を楽しみましょう!その方が仕事行きたくない病で休んでダラダラ過ごす一日よりもはるか有意義ですし、事前に引き継ぎをした上で休めば周囲に迷惑も最低限しかかかりません。

3.仕事の進め方

すみません営業事務仕事しかしたことがありません。以下はそうした仕事しか当てはまらいかもしれません。

拙速は巧遅に勝る」を意識しましょう。100%仕事はどっちにしろ1人ではできません。締め切りまでに提出し、その後に100%になるように社内でブラッシュアップしていけばいいのです。「締め切りを守る」をまず優先して仕事を進めましょう。そんなこと言っても仕事が多すぎる!と貴方はいうかもしれませんが、同じ時間でその仕事をこなせてる人が社内にいませんか?

最低限のpcスキル知識必要ですが、それは多くの人が普通に仕事をすれば身についていると思います。(社内で必要とされるレベル比較して明確に劣っている場合はまずそのスキルを磨きましょう。)

仕事が遅い人はなんと言っても無駄が多いです!!特徴はメールが多い、メールが長い、電話が長い、社内向けの資料を過度に凝りすぎている、社内会議を過度な人数/頻度で開催したがる、優先順位を付けられていない、手を抜けるところを抜かないです。

そしてこれらは全て完璧主義不安から来ていらケースが多いです。

完璧主義者の場合拙速は巧遅に勝る意識して仕事しましょう。

不安感、つまり責任を取りたくないあまり、社内への根回しや確認必要以上に行ってしま場合は「限られたリソースの中でベストを尽くしたのだから自分は何一つ悪くない」と割り切ってしまうことです。判断に迷うときもあるかと思いますが、迷ってる時間無駄です。「プランaとプランbがありますがこういう理由プランaを選びました。問題があればいつまでに連絡ください。」とメールでチームや上司に送っておきましょう。ここでチームや上司にどっちがいいでしょう?と相談したりましてや会議を開催するのは悪手です。(会議を開催するとなると資料の準備が必要になりますし、場所時間アレンジ必要になりますポジショントークに陥ったりもします。)

当たり前ですが上司基本的には不安で、責任は取りたくないと思っているのです。相談会議議論を長引かせる割に得られるものが少ないです!せめて「プランaとプランbがあります自分はこういう理由でaがいいと思っていますがこれで進めていいでしょうか?」という形で相談しましょう。

今までの話と矛盾するように聞こえるかもしれせんが、会社として大きな判断必要とする事項についてはなるべく早めに、承認会議の前にプレミーティングを開きましょう。これは各会社によって異なり、肌感の中でやるしかないのですが...例えば投資するかしないかを決める会議があるとすれば投資する前提で細かな事務をずらずらと進めていたのに投資しない、と決定されてしまえばその事務が全て無駄になるので早めに根回ししてしまいましょう。

最初に述べた自分で決めちゃった方がベターな事項は、細かな判断の方です。例えば契約書の文言をどうするか、など。不安感が強い人は安易に多くの事項を後者に分類しがちですが、殆どの事項は前者に分類されます。例えばキメの問題だよね、という事項は全て前者です。

4.転職推奨!

すでにエントリーにありましたが、どれだけ頑張っても評価がついてこない場合は、そこが貴方に向いていない場合がありますので気軽に転職しましょう。得意なスキルを活かせる職場が必ずあります。ただしお金大事なので出来れば年収が上がるか同等のところを転職先として選べれるといいですね。お金である程度幸福感は買えます

転職活動では大手はなるべく避け、自分が行きたい業界に特化した転職業者採用しましょう。新卒時の「学生時代に頑張ったこと!」「圧迫面接!」「将来の夢!」みたいなバカバカしい就活と違い、何のスキルがあるのか、どういう仕事をしてきたのか、どういう仕事をしたいのかを伝えるだけの活動なので転職活動全然辛くないです。シューカツの辛かった記憶が重荷となり転職活動を躊躇っている人がもしいたら、是非まずはその一歩を踏み出してみてください。

http://anond.hatelabo.jp/20170206220753

物語の根幹にかかわる矛盾とそうでない矛盾に分けられていて

男女入れ替えの矛盾はそれを否定すると全てが成り立たなくなるので意図的な除外をされている

ガンダムミノフスキー粒子なんて現実にないでしょ?なんていうのはトンチキ扱いされてまともに相手されないけど

2足歩行である必要ないでしょ?という矛盾には食い付かれる

ようは作品を消化できる話題に発展するかどうかの違い

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