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はてなキーワード: 玄関とは

2017-01-17

いい年して10年務めた(といってもバイトだけど)会社をその場の勢いで辞めてしまった

勤め始めたころは、そこは比較的「屑のたまり場」だった。

うつ病の30代フリーター友達いなそうな大学生、暗い顔したバツイチおばさん、旦那浮気されてる腐趣味主婦

こんなメンツばかりだから20代前半フリーターの私でもそれなりに馴染みやすく、当時は友人や彼氏にも恵まれていたのでむしろリア充」のポジションだった。

完全に井の中の蛙ではあるが。

仕事も覚えが早く、当時はバイトの中では一番使えるメンバーだった。

当時、私は彼氏同棲していて、子供が出来たら結婚して辞める予定だった。

みんな肩書はともかくいい人で、私のようなコミュ障でも馴染みやすかった。

しか子供はできないまま時は過ぎ、バイトメンバーは続々と入れ替わった。

フリーターは辞め大学生就職バツイチ実家に帰った。腐趣味主婦だけは残っていたが…

そこに、昔だったらこんな仕事見向きもしなかったようなガチリア充や頭がよくハキハキした人やモテそうな美少女が入ってきた。

就職難だからなのだろうか?

私は、いつまでたっても子供が出来ず彼氏に振られ、ただのフリーターのおばさんとなっていた。

当然、見下しの対象になった。

頭のいいポジションの奴が首謀者で、コソコソとこちらの悪口を喋っては美少女クスクス笑い、リア充がニヤつきながら収める、それがお決まりの流れだった。

趣味主婦は気が強いのでうまくそ対象からは逃れ(彼らからすれば母親よりも年上だから、というのもあるかもしれないが)、完全に私はサンドバッグとなっていた。

はじめの頃の「仕事ができる」ポジも、今では見る影もなく。ストレスからかありえないミスを連発するようになった。

こんな10以上も若い子たちに恐怖心を抱いている自分が情けない。

中学生の頃、生徒にいじめられて辞めていった先生もこんな気分だったのだろうか。

ずっと、情けなくて怖くて耐えていたが、昨日、ついに足が動かず、体が固まり出勤できなくなった。

職場から電話がかかってきても、手が固まり取れなかった。

時間ほど、玄関で立ち尽くしていた。

何とか電話を返し、社長と話し合い、もうこの職場は続けられないと伝え、2月で辞めることになった。

いい年して次の仕事も決まってないのに離職。屑の極みだ。

だが、このままあの場所にいるくらいなら死んだ方がマシだと思ったのだ。

こういう時、頭のいい人なら仕事を頑張って正社員になるのだろうか。愛嬌のある人だったらダメお姉ちゃんポジションとしてうまくやっていくのだろうか。

私にはそのどちらもない。ついでに言えば天涯孤独で帰る実家もないのだ。

これからどうするのがベストなのか私にはわからない。寮付きの仕事を探すか、どうせ妊娠しないなら熟女系のデリヘルにでも行くべきか。

どちらにしても、私はもう一般的な「幸せ」は掴めないのだろう。

妻が家事をしない

 私の妻は専業主婦だ。

 社内恋愛の末結婚し、妻が仕事を辞めて家事に専念したいというのでそうしてもらった。

 会社に残って働いてもらって全然構わなかったし、せめてパートに出るだけでも……とは思ったが、

 私の収入で十分生活はできるし、妻がそうしたいなら、と思ったのでむやみに反対しなかった。


 そうして妻は会社を辞め専業主婦となった。


 最初のうちは良かった。毎日手作り弁当を作ってくれる。帰ってきたら出迎えてくれたし、テレビBGMにご飯を食べながら今日の出来事を話した。私は間違いなく幸せであったし、妻もそうであったと思う。


 二年目。

 弁当冷凍食品が増えた。たまにしか出迎えをしてくれなくなった。妻は先に夕飯を食べていた。少し不満だった。けれども、別に玄関まで出迎えに来い、飯は先に食うななどと言ったわけではないし、妻はこうあるべきなどと強制するつもりもなかった。

 だからそれは「カップル気分」が抜けて気安く接する本当の「家族」になれた証だと、そう自分の中に落とし込んだ。



 やがて妻は家事サボるようになった。私に少しは家事を手伝ってほしいと言ってくるのだ。

 専業主婦家事をするのが仕事だ。「専業」なのだから。それなのに手伝ってほしいとはどういうことか。


 子供はいない。子供がいるならば話はまるっきり変わってくるけれども、そうでない今二人分の家事など大した労働ではないだろう。掃除洗濯も、買い物だって車がある上近所にスーパーがあるんだから全部ひっくるめたって5時間もかかるまい。

 妻が日中どういう生活をしているのかは知らないが、少なくとも会社仕事をしていたときより遥かに気楽な生活をしているのは間違いない。


 家事を手伝うのは良いがその分パートに出てくれというと、怒って拗ねる。モラハラだという。パートしなくてもやっていけるなどという。だが夫婦は対等であるべきだ。古き悪しき時代のように妻が夫に尽くす必要はないし、その逆もまた然りだ。夫婦とは二人で協力して人生を歩んでいくものだろう。


 最初に書いたが、専業主婦になりたいと言ったのは妻の選択であるし、別に共働きになることに抵抗があるわけではない。共働きであるならば、長く一人暮らしをしてきたから、率先して家事をするだろうし、それが支え合う理想夫婦の姿だと思う。

 だのに働くつもりはないが家事は手伝って欲しい、というのは単なるワガママではないのか。夫婦形態が「夫は務め妻は専業主婦をする」ものならば、その分担は、夫が「仕事」妻が「家事」を、となるべきなのに、何故夫が「仕事家事一部」まで担わなければいけないのか。



 口論をして妻への愛はかなり冷めてしまった。今まで口論は当然何度かあったが、今回は到底許し合えるようなものではないと思った。私はともに支え合える伴侶として妻を選び、妻も私を選んでくれた。

 なのに妻は私に寄生して、家事すらしない「主婦」に、ニートになろうとしている。一方的に支えるだけの夫婦生活なんてごめんだ。


 もとから妻は私をATMしか見ていなかったんじゃないか、あるいは他に男がいるんじゃないかとも思った。新婚の時のあの幸せまでも否定するようで陰鬱気持ちになった。



 3月末が結婚記念日だ。3年目になる。

 これからどうすれば良いのかとてもとても悩んでいる。

2017-01-13

達ちゃんは語りたい

ちょうどアニメ放送と被るので若干語ってみますね。

はいってもぼくの場合は軽度であることと、ここ数年ちゃんとした受診をしておらず不正確な部分が多いです。

なにより自己診断の面が強いので話半分でお願いしたいです。ほんと半端者です。

からしましょう。とりあえず職場の話からです。

自分心療内科受診したきっかけは職場でのトラブルでした。よくあることです。

当時20代半ば、事務系と土方が半々の職場でした。特に事務系でそのトラブル遺憾なく発揮しました。簡単にいうとこんな感じです。

事務殆ど書類作りと整理、パソコン分手書き半分という感じです。量はあります新人研修の延長を超えません。この仕事を2年ほどしていましたが、ほぼ毎月同じようなことで怒られてばかりです。

例えばある1ヶ月の内容は「別の部署から仕様書を貰う->物品をパソコン入力->契約->受領->請求書を貰う->書類一式揃えて支払いに回す」とこれだけです。仕様書が遅いとかは特になく、むしろとても早く持ってきてくれます田舎なので契約もいつもの業者ばかりでとても楽ちん。そこそこの人がやれば月の半分は遊んでいられるような、そんな仕事です。

でも僕は、これが全然できませんでした。書類様式を覚えるのも何ヶ月かかったか。常に上長監視し、先輩からアドバイスを貰い、業者も他部署も全て好意的でした。それなのに9割がた僕のところで何もかも止まっていました。点検が終わっていない書類デスクは常に満杯。最後は僕の印鑑すら取り上げられた始末です。

僕を庇ってくれる人もたくさんいました。でも僕の仕事ぶりはその好意を軽く踏みにじります笑顔で泥を投げつけてました。

毎月同じような書類の不備と怒轟の嵐。

僕の安らぎは、たまにある社外での泊まり込みの施設整備でした。その時は何もかも天国だったのです。

もうわかると思いますが、僕は自分のことを客観的に見るのが苦手です。知らないことを知られたくないがために質問もあまりしなかったと思います。そのくせ自分勝手解釈で行動するので優先順位は全てデタラメコンプライアンスに触れるようなことを堂々としようとしたのは2・3度ではなかったはずです。僕は僕を理解せず、周りも人の形をした汚泥をみる表情に変わりました。

当然こんな状況で仕事が長く続くはずがありません。

とうとう本部の人から社内のカウンセリングを勧められ、そこから外部の病院への通院となりました。

僕の幸運は、会社業務比較的緩いことと、そのような精神面での問題に寛容な風潮があったこと、そして通院したのがそこそこマトモな部類に入る(と通院仲間から言われた)ことでした。たまたま駅の看板を頼っただけなんですが。

病院のことを話します。

そこはいわゆる心療内科であり、鬱や僕のような人間のためのリハビリを行う施設も併設しているやや先進的な場所でした。

初期に2時間弱のテストを受け、僕に発達障害の傾向があると言われました。残念ながら口頭説明だったので詳しい結果については明確に覚えていません。

そこから色々あり退職準備と併行して自立支援プログラムを受けることとなりました。入院ではなく平日はそこに通院して一日を過ごすのです。治療ですが内容は極めて簡単ものが多く、知らない人が見ると幼稚園老人ホームのような印象を持つかもしれません。

僕はそこでもポンコツでした。なんでも話せますしどんな個性も許される場ではありますが、僕はとにかく無知独りよがりで幼稚でした。職場環境のせいではないことをこんな形で理解するとか、今思い出してもきつい。

自分のことをちょっとします。

僕は心療内科広汎性発達障害と診断され投薬治療も受けました。でも効果があったのかはいまでも疑問です。そもそも心理テストの結果も一般人寄りだったはずですし、退職後にその病院から遠く離れてしまったので今となってはどうなのかよくわかりません。転院先は面倒であまり好印象でなく辞めてしまいました。

僕が他と違っていると感じたのは小学生くらいからです。当時から随分と幼稚な行動が目立つ子供でした。テストの成績が悪いわけではありませんし素行が悪いのではなく、しかし振り返ると妙に浮いていました。

「ふわっと」した感覚が今でも続いています。たぶん精神年齢実年からマイナス10歳くらいかと思います

この歳になっても生きづらさは続きます。とにかく物をなくしがちなのです。子供の頃からこの現象を「妖精仕業」と考えるほどに日常化しています

物をなくすというと勝手に捨ててしまう印象かもしれませんが、違います表現が難しいですが思考身体がずれるのです。無意識下でものを移動しているので、過程がまるで見えないこともしばしばです。自転車ライトを靴の中に入れていたり、手袋を片方だけコートポケットに入れて放置したり。必要ものを手に持っていたのに、玄関先でそれを持っていないことに気づいて部屋とを何往復もします。

誰にでもあることかもしれませんが、僕の場合はそれがほぼ毎日起こります。だから僕の周りにはものが溢れます

必要ないものでも捨てられません。常に目に見えないと危険です。机の中にしまったら次にいつ取り出すか不明なまま時が過ぎていきますしか整理整頓もできないので部屋には書類や本が地層となります

から僕はペンメモ帳を手に持ってどこかに置こうとした場合、できるだけ指差し確認をするようにして脳に刷り込みます

僕にとってペンメモ帳大事ものです。日々の出来事を書くのさえ億劫ですが、これがないと自分の最低限のことさえ空虚に感じます。役に立っているというより精神安定剤です。

心の支えは、同じゲーム仲間だったりこんな風に拙い文章を書くことくらいです。それもだいぶつらいですが。

今度再就職しますが、決して良い結果にはならないと思っています。僕は、僕の中の子供をどうしても躾けられないのです。また同じ失敗をするのかと憂鬱です。

僕は普通の人のように振る舞えない、けれど亜人にもなれない。半端者です。

よく発達した発達障害の人がとてもまぶしい。

2017-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20170106193320

はっきり断ってるのに帰らない、男複数人玄関ドア押さえて、閉めることもできないって状況になって、警察呼ぶ羽目になったことがある

家族に「警察呼んで」って言った瞬間帰ったので、実際に家までは呼ばなかったけど)

ヤクザがバックにいるような会社なのかなと思った

そもそもドア開けないのが正解だと思うよ

http://anond.hatelabo.jp/20170106103435

一人暮らしをしている私の兄弟が今まさに大家さんと不動産管理会社から退去勧告を出されている。

退去勧告と言っても

引っ越し代金は払うから出ていってもらえないか

という強制力のない「お願い」だが、おそらくもうそこの賃貸に住み続けることは不可能だろうから実質的には退去勧告だ。

私の兄弟はもう何年も前から幻聴被害妄想により隣人に対して罵声暴言を浴びせかけたり(バカヤロウ!死ね!殺すぞ!)、穴を開けるほどの勢いで壁を殴ったり蹴ったり、自宅の玄関ドアを蹴り続けたりと大暴れしており、何度となく警察沙汰にもなったし、一度は措置入院までしたのに、なぜか契約更新は滞りなくできていた。

だが、今回の大暴れでは夜中に隣人の家のドアを蹴り続けるという、今までにない直接的な攻撃行動に至り、ついに今回の退去勧告あいなった。

住民の方は相当怯えておられたようである

なお本人はその直後に医療保護入院しており、帰る家がないため現在入院中だ(生活保護受給しているため入院費用はかからない)。

統合失調症は厄介な病気である。何故なら本人に病識がないからだ。

普通賃貸に住むとこのように迷惑をかけてしまうので、次はグループホームに住んだほうがいいんじゃないかと思っている。

むかしばなし

ぼく「アカンなんか変やマジ気持ち悪い死ぬちゃうかコレ」

ぼく「アカ電車乗ってられん」

ぼく「アカ玄関開けたら足動かへん」

上司病院いけ」

ぼく「はい

医者典型的パニック障害ですね」

ぼく「診断書もろた」

上司「ふーん?でも俺はそうは思わない」

ぼく「はい?」

上司「俺はお前と違って新聞とか読むから鬱には詳しいんだ」

ぼく「いや鬱じゃn」

上司「大体俺が昔仕事で行き詰まって鬱(っぽく)になったときも気の持ちようで――」

総務「とりあえず休職手続きしよか」

ぼく「サーセンオナシャス

上司(40代独身)「大体結婚恋愛なんか後からでもできるのにお前ときたら20代結婚なんかして」

総務「部署も変えよか」

ぼく「アザッス」



総務の横槍のおかげで個人的には助かったけど、当時の上司が順調に出世中で

この春の昇進でいよいよ重役に手が届くところまでいきそうと聞いて新年早々暗い気持ちになった

2017-01-02

デリヘル呼んだら、憂鬱が吹っ飛んだ

21時頃、滅茶苦茶憂鬱だった。

死ぬ気力も出ないほどの憂鬱

  

多分うつ病だと思うのだが。

  

更に、今は失業中。

日中に次の職場になるであろうところの面接もある。

ヤラナキャいけないことは終わっているが。

これからの行動はあまりミスも許されない。

  

憂鬱がひどいので、風俗行こうと思ったが、行きつけの風俗年始から

電車に乗っていく気力も低い。

  

で、デリヘルホームページを開いた。

完全に愛に飢えている。

失業してから、週1くらいのペースで風俗に行ってる。

同じ嬢は選ばない。

深い中になるのは嫌だが、女には愛されたい。

  

女の子は、『背が高い女の子』でお願いする。

自分が160センチほどしか身長が無く、身長コンプレックスなので、背が高い女の子相手されない普段鬱屈を晴らすためだ。

だいたい、8割くらいは、高身長女の子をオーダーする。

  

デリヘルが来るまで1時間ほど

俺が住む家は、高級住宅街の高級マンション

デリヘルを呼ぶのは初めてだ。

  

デリヘル嬢が来る。

地下アイドルオタサーの姫やってそうなくらいのレベル

ブス性のあるかわいい女の子

ソファーに座る。

部屋はやや散らかっている。

  

嬢 「本が一杯なんですね。部屋も広い。」

俺 「うわー部屋に女の子がいるってスゲー!」

嬢 「えーっとじゃあ、まずお金いいですか?」

  

俺の年は32歳。いない歴=年齢である

玄関に財布を取りに行く。

  

俺「今ね!玄関見たら!女の子の靴があるんだよ!やっぱ違うわ!全然空気が違ったわ女性ものブーツがあるだけで!」

完全にはしゃいでいる。

  

風呂に行く。

俺は、カツラを実はかぶっていた。ハゲているのだ。

ゆるゆるのカツラなので、鏡を見ると、微妙にずれている。

  

体を洗われる。

  

俺 「やっぱ、完成されたからだしてるね。すごーい」

嬢 「えー、ずぼらだから何もしてない」

俺 「それ美人な人の、何もしてないアピールでしょ。鏡見ても、俺のダルダルからだと全然違うわ!

ダルダルな腹と、ゆるゆるなカツラ、嬢のほうが若干背が高くい。

  

風呂が終わり、ベットへ。

ベットシモンズのマアマア高いベットだ。

  

俺 「このベット女の子が来る時がねえ!」

嬢 「え~?」

  

俺 「こういう時、わからないなあ、どうするの?」

嬢 「私もわからない~w」

  

俺 「じゃあ、えっと、好きな体の場所どこ?、、、違うか」

嬢 「wwwwwwwwwww」

  

俺 「え~っと、あ、そうだ、俺、足の裏フェチなんです。これも違うか」

俺 「あ、そうか、キスとかするのかな」

  

キスをする。耳がかわいい

足の裏を見る。

足の裏をグーぱーぐーぱーさせる。

足の指の間をクンカクンカ

  

俺 「耳フェチなんで、耳、いただきます。」

耳をベロベロ舐める

  

まあ、この後は、ソファーに移動した。

俺 「口の中見せて。口の中フェチなんです」

嬢 「それは無理!」

  

俺 「あ、そうだ、オナニー手伝ってよ。」

オナホールを渡す。

PCエロ動画をあさる。

  

嬢は粛々とオナホールでシコシコとやりだす。

俺 「あ~!もったいない!こんな可愛い女の子がいるのに、オナニーさせるとかマジもったいない。君とやれるってなったらオナニーなんかやらせないよ。こんな可愛い娘」

やたら盛り上がりだす俺。

俺 「世の中のオッサンはね、モテないオッサンはね、君みたいな子を見ると、こういうことさせたいって思ってるんだよ!ね!」

  

俺 「そうだ、あのさ、ローションを口に含んでさ、『はーい入れてください』みたいな感じで、君の口をオナホールにさせてよ!」

拒否られる。

玉を攻めさせる。

  

俺 「あー!行くからさ!口に出すよ!」

フィニッシュ

ちなみに、俺はめちゃくちゃな量の精液が出る。勢いも魔貫光殺砲(まかんこうさっぽう、ピッコロおでこから出るビームね)。

嬢が途中で口の中に納まりきれなくなってる。

俺 「俺の尿道にまだ残ってるから吸って!吸って!」

しかし、嬢は口が一杯で飲めないらしい。

  

俺 「ごめんね!」

察するや否や、ダッシュで台所からキッチンペーパーを持ってくる。

尿道に残っているやつを吸ってほしかったが、嬢がかわいそうになった。

俺 「うがい行きます?こっちです。」

洗面所に嬢を案内する。

  

その後はシャワー

嬢は、オタクらしい。

乙女ゲーが好きと。

王子キャラが好きと。

うた☆プリ、バイタミンなど、聞きかじった知識で雑に会話をつなげようとするが、ダメだった。

  

普段愚痴をよく言う感じらしい。

職業デリヘルのみ。

  

さよならー。

  

さよならした瞬間、気づいた。

憂鬱が吹っ飛んでる。

時間的ものなのか、性欲を思うままに嬢にぶつけたおかげか。

  

いやー幸せでした。ありがとう

2016-12-31

隣の家の玄関日の丸が飾られるようになった

隣はおっさん一人暮らしなんだけど、日の丸が飾られるようになった。

最初見たときは「あれ、祝日だっけ?違うよな」程度に思って、そんなに気にしなかったけど、天皇誕生日には日章旗も吊るされてた。

日章旗は珍しいな」と思って、翌日偶然玄関から出てくるところを見たら、サバゲーのような迷彩服を着ていた。

暗黒面に落ちたのかなぁ。

2016-12-29

親に教わったことを忘れたい

世間、周りの目が第一の親だった。私は常にそれに振り回されてきた。

人様に迷惑をかけるな、○○ちゃんが出来てるんだからあんたにも出来る。親は人が宝のように見えると言わんばかりだった。

親の付き合いでヤンママの子供にいじめられ、また他の親はスパルタで、子供は外で遊ぶべきと言われては知らない上級生にいじめられ、小学校入学から人間不信だった。

私が自信が持てるように親が何かさせる反面、比較されて自信を失う日々だった。

あんたのせいで私が頭を下げなきゃいけないと言われた時はもう何もしたくなくなった。

所詮赤の他人であるはずなのに、その他人との比較によって私は悪く言われてしまう。そう思うと友達という存在を喜べなくなった。

小学生は明るく元気という親からアニメから遠回しに伝わってくる理想像からはすでに遠のいていた。

宿題習い事もしてた上で、テストはどちらかと言えばましな点だったがゲーム捨てると散々脅された。理由はわからない。

手伝いをして欲しかった?しかしあの親は効率厨で、予定が狂うのが嫌いなので手伝いさせるなら自分でやる親なのだ

幻聴じゃない?人をそんな風に言うなんて可哀想な人といじめにあって不登校になった後に言われた時は心底ショックを受けた。

なんせいじめにあった当時にあったことは話していたし、玄関で泣き崩れたり、随分表に出していたのだ。相手は女なのに胸ぐらまで掴んできた。同じ女としてこれがまた酷くショックだった。名前オカマいじめられてから女の子らしくしなきゃというプレッシャーの中にいた私にとって恐ろしい事だった。だからやり返しもしなかった。

名指しで親には向こうがやってきたことを伝えたのに、一年後には学級だよりで加害者の話が出てきて胸ぐらつかみ女を褒めだした。さすがにキレた。

小学校の頃から、どこかに連れ去られたいという誘拐願望があったが、今もその気持ちは抜けない。

ちなみに私は医者から幻聴の症状はないと明言されているし、むしろ母の兄が統合失調症になった。

私はあれこれ精神科の症状を持っているが、妹は学習障害もある。そういう家系に生まれしまったのかもしれない。

そんな中で母は何も診断されていないが、それより今は母の記憶を消したいのである。そう思ったきっかけは年賀状は送るべきかという不安からだった。

2016-12-28

いい人と偽善者の違いについて

お店のレジでほぼ「ありがとうございました」って言ってる。

ちゃんと卵割れないようにカゴに入れてくれてサンキューねとか、チョコ買いながら光熱費の支払いってめんどいかもしれんなありがとねとか、なんか機嫌悪そうだけど嫌な客いたのかなドンマイとか、色々思いながら。私のためにレジ打ってくれたことに感謝してる。仕事だとはもちろんわかってるけど、レジ打ってくれたのは事実だし。

宅配便の人にも言ってる。だってわざわざ玄関先まで荷物届けてくれたんだよ?感謝しない理由がない。

不在票入ってた時はほんとごめんって思ってる。わざわざ玄関先まで来てくれたのにいてあげられなくてごめんねと。時間指定できない荷物だったんだよそれ…すまんもう一回来てくれ…すまん……。そして来てくれたら本当にありがとう!って思う。伝える。二度手間してくれてありがとう! 伝えなきゃ気が済まない。

基本的に、「私のために何かしてくれた」ことに対しては感謝したい。何か、がなんだっていい。仕事でも善意でも偶然でも、ありがとう伝えなきゃ気が済まない。

ただ、本当にそれだけの気持ちで言ってるわけではないんだと思う。

言わないと嫌われるんじゃないかって思ってる。「こんな手間かけたのに無言かよこの客」「雨強い中この大荷物持って来たのに不在とかふざけんな」みたいな気持ちありがとうで少しでも減ってくれって祈ってる。誰にも嫌われたくないんだよね。無理だろうとはわかってるけどこれでなんとかならないかなって予防線貼りまくってる。

いい人だって思われていたい気持ちがある。

でも、感謝したい気持ちだって嘘じゃない。本当にありがとうって思ってる。

「いい人」なのか「偽善者」なのか、自分でもよくわかんない。

なにで区別したらすっきりするだろう。

ドアを開けっ放しで暖房ガンガンにかける意味不明行為

義実家帰省すると、高断熱住宅でもない、築30年の普通寒い一軒家なのに、ドアというドアを全部開けっ放しで、玄関ストーブ焚いて、各部屋でエアコン暖房をつけている。意味不明。アホ?

エコからは程遠いこの行為。私はバカ暖房と呼んでいる。

エアコン電気代も、灯油代も勿体無い。冬場は物凄い灯油代がかかってるらしい。

とにかくリビング寒い、寒すぎる。

義父は、家全体が少しだけ暖かくなることに意味見出してるみたいだ。暖めすぎると頭がボーッとするらしい。

誰もいない廊下なんて暖めても意味ないだろーがっ!!リビング寒いんだよリビングが!

確かに私は寒がりだが…。

私が何度ドアを閉めても、いつの間にか開いてる。恐ろしい恐ろしい


こんな家他にある???

誰か対策を教えてくれ。

義理の両親は本当にいい人たちで、それ以外の不満は何もないんだ。

デマ屋の文芸 (10)

前回のつづき)

最後消防署のほうから来られた方はちょっと変り種。

ちょうど30年前、春の夕暮れどき。

家に帰ってきたらなぜか玄関先にピコ太郎に似たオヂさんが立っていまして。

で、前回の作例にあげたのと同じセリフを叫ぶわけ。

消防署のほうから来ました! 包丁包丁、買ってくださ~い!!」て。

そしてボールペンのついた板を私の前につきだしてくる。

板に留められた紙を見ると「新聞購読 申し込み書」。

さらに「これあげるヨ」と、洗剤とテレホンカードが入った袋をそこら辺に置く。

消火器かと思いきや包丁を売ると言いつつ新聞勧誘

最終的にはこのオヂさん、天井に赤いライトが回る白黒の車に乗せられてどこかへ連れられて行きました。

たぶん保護名目で。


オヂさんが無料配布していた球団ロゴ入りのテレホンカードは今でも家のどこかにありまして。

年末引っ越しだやらで大掃除すると何年かおきに発見されて毎回処分保留になります


←その9 | その11→

2016-12-21

夫にからまれ

昨日、夫にからまれた。

『お宝鑑定団』の話をしてからまれた。

夫 「ラーメン屋ラーメン屋が何?」

私 「だからラーメン屋さんの店主が持ってたお椀が番組始まって以来の国宝級やったんやって!」

夫 「は?ラーメン屋関係ないじゃん?ラーメン屋はどうでもいいでしょ?」

私 「え?芦屋お金持ちのお蔵とかじゃなくてラーメン屋さんから出てきたんがドラマチックやん?」

夫 「人の話してないで、自分の話したら?この頃、他人の話ばっかりしてるよ?」

え?他人の話…?ただの世間話じゃない?

私が今日行ったスーパーの話をしたって、ファッションの話をしたってそっちの方が聞きたくないでしょ?

もやっとしたまま「ドラマみてこよ」と『逃げ恥』を見るため寝室へ移動した。

そのまま夫はソファで眠り、寝室へはこなかった。

引きずりたくないので、朝、夫が寝ているソファに座って夫の手を私の膝に乗せながら

「おはよ。『昨日、絡んでごめんね』って謝ったら許してあげる」と言ってみた。

夫 「絡んでないよ。酔ってないし、何言ったかも覚えてるし」

私 「そう。関西人やったら『俺はラーメン屋じゃなくてママの話を聞きたいな〜』って可愛く言うんやで」

と言っておいた。

夫は調子を合わせて「俺はラーメン屋じゃなくてママの話を聞きたいな〜」とリピートしていた。

玄関ハグをして「いってらっしゃい」とお見送りもした。

だけど。

まだ、もやっとしている…。

からしたら、語るべき自分もない下らない女にみえているんだろう。

今日は晴れている。

さて、洗濯物干そう。

回覧板は次の人の家の玄関に置くことになっている。

前の人が変な置き方をしているなとは思っていた。

いつも投げ捨てたような感じで置いてあるし、屋根のないところに投げ捨てられて濡れていたこともあった。

今日帰宅後、靴を脱ぐ前にいろいろやってたら、何かを叩きつけるような音。

直後に玄関を開けたら、隣の人が家の中に入る直前で、うちの玄関には投げ捨てられた回覧板

回覧板さ、うちのでもないし、もちろんあんたらのでもないのにさ。

2016-12-18

管理者権限取れないApple死ね!!!

何なんだよApple

iPhone買ったら管理者は俺じゃねーのかよ。

自己責任管理者やるって言ってるのにAppleは何が不満なんだ?

何がリスクだよクソ。

Jailbreakみたいな不具合を利用する攻撃を使わなくても管理者権限取れるようにしろよ。

家買ったのに玄関が使えず通用口だけ使えるみたいなもんだろ。

コンピューターを売ってるという自覚があるなら管理者権限取らせろ。

おもちゃを売っているというのであればもう何も言わない。

App Storeの異常な程厳しい表現規制を見ると、本当にAppleは親気取りで子供iPhoneを与えていると思っているのかもしれない。

ふざけんなApple

App Storeエロコンテンツ規制するんだったらエロコンテンツが見られるSafariも削除しろよ。

まじいい加減にしろApple


2017年流行語大賞候補

http://anond.hatelabo.jp/20161213000606

2016-12-17

別れた彼女ネックレスを買いに行った

別れた彼女ネックレスを買いに行った。

元々、ネックレスが欲しいと言っていたので『お別れの記念にプレゼントさせて欲しい』とお願いした。


よく覚えてないけど以前、付き合ってた頃にピンキーリングを贈った時にネックレスピンキーリングどちらが欲しいか聞いて、悩んだ末にその時はピンキーリングにしたような気がする。


理由は「24時間365日付けられるから」だったと思う。

その約束通り、寝るときもお風呂に入るときも片時も離さずつけてくれてる。

かれこれ四年くらい前だったと思う。

ネックレスだと、お風呂に入るときに外すからとか言ってた気もする。

その時、冗談で「将来、彼氏が出来たときに俺が送ったネックレスをつけたまま彼氏エッチすることになるかもしれないし、ネックレスはやめとこ」て話もした気がする。

からピンキーリングを贈った。

お小遣いが月に2万しかない自分が、彼女に3万円のピンキーリングを送るのは結構大変だった。

クリスマスに贈りたいから、会社財形を崩してお金を準備した覚えがある。

渡す時に「もし将来別れたとしても、その指輪は捨てずに持っててください。」てお願いした。

別れて二ヶ月程経つけど、約束たからかは知らないけど今も着けてくれてる。

でも、以前は右手に着けてた指輪が今は、左手に変わってる。

彼女にその理由を聞いたけど「なんとなく」だそうだ。

ちなみにここで言う『彼女』とはガールフレンド彼女でなく、三人称彼女である

ネットピンキーリングを左右どちらにつけるのかの意味を調べてみた。

色々ある中で一番しっくりきたのは

『右は幸せを呼び込む』

『左は掴んだ幸せを離さない』というヤツ。

彼女はいわゆる元カレからプレゼントを気にせず使う派の人らしい。

想い出が云々ではなく、使えるから使う派。

こっちとしては、『忘れたくないからしている』と信じたいけど、そもそも忘れたいはずなのでそれはない。

ちょっと、神経が図太すぎやしないか』と思ってみたけど、そもそも自分も15年以上前に元元カノから貰ったキーホルダーを車のキーに付けてる。

今の車はまだキー差し込むタイプの車だからギリギリつけてるけど、キーレスの車に乗り換えた時にはこのキーホルダーもお役御免なのかも。

変なタイミングで外すと、当時の彼女に勘ぐられたら嫌だな、と思ってズルズルとつけてた。

彼女ピンキーリングも、もしかしたらそんな理由で外し時を逃してしまったのかもしれない。

左手につけてると、将来結婚指輪をはめた時に指輪ケンカちゃうんじゃない?って言ったけど別段気にしてない様子だった。

でも、さすがに結婚式の時には右も左もなく貴金属類は外すよね。

そんなピンキーリングを贈ったのと同じようなものをお別れするにあたって俺にも送りたいと彼女に言われたけど、男の俺が四六時中身に付けるような物を持つのは難しいってことでそれは諦めた。

まして急に高価な物を買うと

「そんなものいつ買ったの?」ってなるからやっぱ難しい。


から、お互いお揃いの物を買うことにした。

最近彼女が履いてるニューバランススニーカー

俺もずっと欲しかたから、俺も買うよと言った。

でも、新しく二人でお揃いのスニーカーを買うことにした。

足のサイズの小さい俺と、少しサイズの大きめの彼女

玄関に並ぶとどっちがどっちかわからなくなった。

紐を結ぶ穴の位置が一段違うのが目印。

ボロボロになっても、きっと大事しまっておくよ。

お揃いの時計も買った。

お揃いの時計をしてるトコをインスタにアップしたい。

インスタやってないけど。

スニーカー時計も常に身に付けるものではないから、やっぱり肌につける貴金属を贈りたいと思った。

ネックレスを贈る贈らないって話を、この二ヶ月なにかにつけてしてた気がする。

一ヶ月前くらいに時計を見に行った時にも何軒か見て回った。

「将来彼氏からネックレスを貰うことも考えて、そこは空けておいたほうがいい?」って話もしてた。

「重ね付けするから別にあっても困らない」てことで、最終的に買ってもいいことになった。

重ねるんかい

で、今週仕事が終わったあとに待ち合わせて目星をつけてあったお店を三軒程見て回った。

どこのお店もカップルプレゼントを選ぶ男性客で溢れかえってた。

クリスマスプレゼントですか?」

まさかお別れの記念だとも答えられずに、苦笑いしてお互い目を合わせた。

その日は、見るだけにして次の日あらためて二人で買いに行った。

彼女が選んだのは有名ブランド定番ネックレス

デザインは別のお店の物が華奢な感じで好みだったけど、有名ブランドのやつはやっぱ気分が上がるよねって話をした。

俺も最後にそのブランドネックレスを贈れることが誇らしかった。

いつかのメリークリスマス椅子のくだりを思い出した。

石が一番小さいのがいいって言ったけど、もう一つ大きい石のでもいいようにお金を準備した。

四年前と比べて、タバコを止めた分さらお小遣いが少なくなった自分ネックレスを買うお金はなかった。

人生で初めて消費者金融お金を借りた。

彼女には『会社から一ヶ月の給料範囲内で低金利お金が借りられる制度がある』って話をした。

んなもんはない。

お目当てのネックレスのチェーンが少し長いのが気になってたので、少しカットしてもらうお願いをした。

一度切ったら元には戻せないので長さに悩んでいると店員さんが「長さを二段階に調整出来る金具を取り付けることもできますよ」

いや、それ早く言ってよ

その提案、早く頂戴よ。


無事に長さの件は解決してお会計

「長さ調整の仕上がりは二週間後。調整費は商品お渡しの日に頂きます」って、そんときにはもう会わなくなってるかもしれないから、無理言って調整費も一緒に払いましたよ。

から、俺はきっとこのネックレスをした彼女を見ることは出来ない。

少し彼女の好みより長めの未調整のを付けたのしか見られてない。

会計が済んで帰り際に店員さんが「本当に仲良しなんですね」だって

きっと今でも仲は悪くないよ

そんな簡単に仲悪くなるなら10年も付き合ってない。

彼女10年じゃなくて9年半てことにこだわってたけど。


テレビ芸能人円満離婚とか言ってるのを見て

離婚するのに円満なわけないだろ」

「嫌いじゃないならなんで別れるんだよ」って思ってたけど

仲悪くならなくても別れることってあるんやね。



人をなかなか好きになれない俺が好きになった人

熱しにくいかわりに冷めにくい俺

年率7%くらいの複利で好きになってた

彼女は、もう最盛期の5%くらいしかきじゃないらしい

急速冷凍

ううん、そもそも最近全然きじゃなかったって

それどころか

「もうお別れなの?」

って聞いたら

「そもそも付き合ってない」

って言い出す始末

から今の彼氏出会った頃に「彼氏いない」って言ったけど、それは嘘ではないってことらしい。

付き合ってないから。



明日からどうやって生きていけばいいんだろ

そう言うと「あなたには帰る場所があるじゃない」って言われる


今日「またね」って言わずに別れた。

俺が会おうって言えば会ってくれるんだろうけど、あっちからは二度と会おうって言ってくれない。


一番大事な人

幸せになってください

2016-12-15

住民票戸籍の附票の閲覧制限をしてみた話。 ※追記あり

こんにちは。「すう」と申します。

ママなんつーカジュアル言葉が出てきちゃってる昨今、毒親育ちの皆さま方におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

さて。

この度私は、親に住所を知られないようにする支援措置を受けました。

それは

住民票戸籍の附票の閲覧制限」!!

住民票は、まぁ読んで字のごとくですね。

一度でも引っ越したことがあれば、だいたい縁があると思います

バッチリ住所が載ってますね☆

そして、戸籍の附票というのは、住所の移転履歴を記録したもの

あちこち引っ越して姿をくらましているつもりでも、これを毒親に見られてしまうと、今まで住んだ場所がぜーーーんぶバレてしまうってこと。

オソロシィ…

そんなのムリ!!コワイ!!というわけで、ググってググっていろいろ調べて、私も恐る恐るながらもがんばって申請してみたのですっ!

毒親の凸や不法侵入に怯えてるひと、遠方だけどいつトチ狂って押しかけてくるかわからなくて怯えてるひとのお役に少しでも立てればいいなと思って、私の踏んだ手順を記しました。

(長くてゴメンね!でも覚えている限り詳しく書きました。)

※ちなみに私は後者。遠方の上に高齢で凸の心配は低いが、命尽きる前にいつ押しかけてくるかと怯えていたのです。


[手順①]
居住中の住所の役所に問い合わせてみる

近々引っ越すかもしれんってなったとき、そのとき住んでいたA区の市民課に電話してみた。

私「住民票閲覧制限について電話した」

役所のひと「支援担当のひとにかわるねー」

支援担当のひと「かわりました〜」

私「あのね、B区に引っ越す予定なんだけど、その前に住民票閲覧制限ときたい」

支「引っ越すならばB区に転入届を出すとき申請することになるよ。そのときに今のA区の住所も一緒にロックできるから

私「なるほど」

支「ちなみに、引っ越す予定がなく現住所のみをロックしたい場合は、対象者に現住所がバレてないことが前提になるお」

私「バレてるかもわからん

支「んじゃなおさら、B区に引っ越すとき申請してね」

私「ほほう」

支「引っ越す二週間くらい前までに、警察かB区役所内にある家庭相談室に相談実績作っとくとスムーズだよ」

私「おけ、ありがと」


この電話の冒頭で、支援担当女性ちょっと慌てた様子で「ストーカーかい!?DVかい!?」と訊いてきた。

「あ、いえ、自分もう大人だけど、親なんよ」

と答えたら、切迫した感じはなくなり、落ち着いて説明をしてくれた。


[手順②]
引っ越す予定の役所相談に行く

程なくして引っ越す時期がおおまかに決まったので、引っ越し先のB区役所に行ってみた。

窓口は市民課だけど、どこにあるかわからなかったので、入り口にいた案内係のひとに住民票閲覧制限について相談にきた旨を伝えて案内してもらった。

担当部署通路の端っこに設けられたパーテーションで仕切った小さなスペースに案内され、机を挟んで市民課の支援担当さんと向かいあって座った。

まず、誰に対しての閲覧制限かを聞かれ、母親であることを話す。

ここからちょっと記憶曖昧なんだけど、どういう理由かを聴取され、手順の説明を受けた。

ここでは申請理由は省くけど、まぁ堤防決壊して大変だったよね。

こんなこと、見ず知らずのひとに話すなんてことはないと思ってたから、もう大変だった。

担当さんが席を外してる隙に、胸の内をつぶやいたTwitterフォロワーさんにたくさん助けていただいた。本当に感謝

申請に行くときは、誰か信頼できるひとと行ってもいいかもしれん。

最初にA区の支援担当さんから聞いた話では、家庭相談室に相談することになるとのことだったんだけど、B区にあるのは「子育て支援課」というものだった。

多分これは、住民票戸籍の附表の閲覧制限というものが、元々は主にDV被害者に対する支援措置であったことに起因するからかなと思う。

過去虐待対象になったのは2012年のことだそうだ。

私の場合は親から受けた過去虐待での申請になるので、基本的には子育て支援課では受けられないとのことで、まず警察相談窓口に行くように言われた。

もしも警察ダメなようだったら、子育て支援課でなんとかするから再度来るようにとのことだった。

幸い警察署区役所のすぐ近くにあったので、そのままその足で警察署相談窓口に行った。

住民票戸籍の附表の閲覧制限について相談したい旨を伝えると、体格のよいひとのよさそうなおっちゃんが出て来て、隣の個室に案内してくれた。

自分名前と、閲覧制限をする対象者を記入する紙を渡され記入。

それを見ながら、どんなことがあったのか、現在はどういう不安があるのかを聴取され、B5のノート鉛筆サラサラメモしてゆく。

区役所で一度堤防決壊してるので、警察署では比較的冷静に「そんな大学ノート(死語?)に鉛筆でいいんだ…」などと考えながら、

それでもたまに泣いたりしながら訊かれたことを答えた。

おっちゃんは、私があまりうまくしゃべれないのを察してか「申請とき役所から訊かれたら、大袈裟目に言っとくけど、それでいい?」と言ってくれた。私は「お゛ね゛がい゛じま゛ず…」とずぴずぴと返事をした。

話している中でわかったのは、

現在においてどんな被害があるのか、または今現在被害がなくても対象者と接した場合どんな被害が予想されるのか」が肝っぽい、ということ。

最後おっちゃんはちょっと寂しそうに「弟さんとだけでも連絡取るわけにはいかん?」と尋ねてきた。

「弟にも暴力振るわれたことあるんで…」と答えるとおっちゃんはずっこけてちょっと笑いながら

「んならしょうがいね!じゃ、大袈裟目に言っとくから安心していいよ」と言って帰してくれた。

ひとまず事前申請はここまで。

警察署を出てから、再度区役所に向かい、親身に相談に乗ってくれた支援担当のひとに警察署での聴取大丈夫だと言われた旨を伝えて、その日は終わり。


[手順③]
住民票を移すとともに、ついに申請

その後、引越し先の家も決まり、いよいよ住民票を移すときがきた。

住民票の異動届を書き、窓口に渡すときに「閲覧制限申請をしたいんだが」と伝え「がってんちょい待ち」

椅子に座ってしばらく待った。

担当のひとが奥のスペースに案内してくれた。

警察相談である旨を伝えると、申請をしたい理由を再度詳しく訊かれ(内心もうやめてー)、いよいよ申請書類に記入をする。

申請理由は4つの項目があり、

DV被害

ストーカー被害

児童虐待

④その他

とあった。(ざっくりだけど)

私は真っ先に③にマルをつけたが、担当のひとは「違う」と言う。

なのだそうだ。

詳しくは訊かなかったけど、③は現在起こっている児童虐待に対する措置なのだろうかね。

そしてこの支援措置の内容の説明を聞く。

自分以外は住民票の発行ができなくなる。

配偶者が来ても発行不可。配偶者も発行できるようにするならば、配偶者身分証明のコピーを持って申請すること。

申請した役所以外での発行も不可。

配偶者住民票閲覧制限をかけたほうが良い。

代理人発行の委任状なんていくらでも偽装でき、その偽装を調べる術がない。対象者が業を煮やして配偶者委任状偽装して住民票発行請求をしてくる場合があるので念のため、とのこと。

などなど。

申請を受けたあと、役所のひとが警察電話して相談内容を詳しく聞き、支援必要かどうかの決定をするんだって

支援措置が決定されたか否かの通知が3〜4週間後に書留で届くので、きちんと受け取るように、と言われた。

郵便局の保管期間を超える不在や住所が違うなどで返送されてきたら、支援は取消になるんだそうだ。

まだ引越し完了していなかったので、旧居から新居に3日おきくらいにポストを見に行った。

その後、無事に通知を受け取り、内容を確認して終わり。

1年ごとに更新で、来年また申請に行かねばならないのが面倒だけど、これで安穏を得たという感じ。


[最後に]

手順②③ではややこしくなるので省きましたが、私の引っ越し先の住所の管轄出張所になるので、申請窓口も出張所になるから住民票を移すとき出張所に行ってね、とのことでした。

役所にある相談窓口が家庭相談室とか子育て支援課とか

事前相談役所なのか警察なのかあるいはまた別の窓口なのか(児相というケースもあるらしい)

申請は一括して本元の役所なのか出張所なのか

とか。

各署の名称や、相談申請の手順は各自治体で違うのだろうと思います

悩んだら、まずはお住まい自治体に問い合わせてみることです。

私は正直、親を対象にして自分個人情報閲覧制限をかけることに迷いがありました。

閲覧制限までする必要があるのか?

私はそこまでひどいことをされていないのではないか

自分は親に対してとんでもないひどいことをしようとしているのではないか

でも私、「すうのお母さんと偶然会ったよ」という地元友人からメールや、玄関開けたら母親が立ってた!という妄想などで寝込むくらいだったんですよ。

これじゃどうにもこうにも、いつ精神崩壊が訪れるかわからんな、という感じで過ごしていました。

体調や精神に不調が出て生活に支障をきたすくらいなら、それをずっと恐れて生きるくらいなら、と申請決断したまでです。

あとは親戚などが親切という名の余計なおせっかいをして母親に転居先を漏らしたりしないように用心するのみ。

今の所、親戚にも引っ越したことを言っていない。別に訊かれてないからな。

もし引っ越したことを話すようなことがあったら、

行政支援を受けて母親に住所を知られないようにする措置を受けているので、住所を教えるわけにはいかない」と言うつもりです。


また、私は閲覧制限をかけると強く決意した後も、問い合わせの電話をする前は

「親を対象閲覧制限するなんて!とか言われたらどうしよう」

とかなり怯えていました。

実際にはそんなことはなく、電話に出てくださった支援担当の方は親切に手順を説明してくださいました。

役所警察相談する前も、

「その程度の被害では申請はできないよ!とか言われるかもしれない」

と震えていました。

これも実際にそんなことはなく、役所のひとも警察のひとも親身になって話を聞いてくださいました。


ちなみに私が母親にされたことは、主に言葉暴力による精神虐待です。

その他には、

・片親疎外

宗教強制

無視や怒りでのコントロール

・たまに身体暴力

・機嫌を損ねると食事抜き

箇条書きで表せるのはこんなもんです。

そのうち、警察での相談で話したのは「言葉暴力」と「たまに行われる身体暴力」のみでした。

当初は、どうせ支援してもらえるかわからないんだったらちくしょう全部話してやるぜ!と意気込んでたけど、涙で言葉が詰まってしまって無理でした。

それでも警察の方は

それはひどいね」

「ちゃんと支援されるようにもっと大袈裟に言っとくから

と私の様子を見て親身になってくださいました。

もう大人になったのに、独立したのに、仕事してるのに、家庭があるのに…

毒親自分人生コントロールして絡め取ろうとしてくるのを必死で避けて生きているひとびと。

自分と、自分の大切なひとを守るために行動していいんです。

もう大人になりました。いつまでも毒親の陰に怯えて暮らさなくてもいいんです。

申請はめんどくさいし、支援決定したあとも住民票発行とかに制限があったり1年ごとの更新だったりと、何かと不便だけれど。

超☆安心できますよ〜♪

まずは関係各所に相談してみてください。

案外、ポンっと飛び越えられるハードルかもな、と感じられるはずですから


2016/12/18 追記

大切なことを忘れていました。

閲覧制限をかけても戸籍大元のものは閲覧できるので、例えば結婚した離婚した、子どもが生まれた、というのはわかってしまうそうです。

配偶者名前子ども名前、わかってしまます

ただ、現住所は住所は記載されません。



みなさん読んでくださってありがとう

ブクマコメントありがとう

「誰か困ってるひとがいたときのために」という方もいらっしゃって、ありがたい限りです。

必要なひとに届けてください。ありがとう

私も消えてほしいと思ったことのある発達障害の子どもをもつ母です。

増田さんへ

悲痛な叫びを聞いたので参考になるかどうかわからないけど、書いてみる。

私は小学生男児の母。発達相談では異常なし。でも明らかによその子より大変だった。動き回ると止まらいかと思えば、何時間もボーッとしていたり。他人から目を離せなくなるらしく、じいーっと見つめたまま固まってたり。言葉の遅れも相当あり、わたし学童をやめさせて放課後学校カリキュラムを付きっきり教えるために長年勤めた会社をついにやめた。保育園6年間は乗り切ったのに‥‥いや、むしろその保育園時代仕事が忙しくて子供の発達に気づいてやれなかったことを悔やんでいる。

子供の様子をめぐる私の心情は増田さんとほぼ同じ。死にたい、死んでほしいと心を何度もよぎった。

怒りすぎて子供おもちゃを投げ捨てたり(あとですごすごとと拾いにいく情けなさよ)子供の手をあげてしまったりしたこともある。夜玄関の外に立たせたら勝手にどこかにいっちゃって、警察をよんで探す騒ぎになって、警察には虐待の恐れあり、と児相を呼ばれたこともある。

そうなって、わたしは家でもう無理無理無理って泣き叫んだら、夫が子ども病院に連れていってくれた。発達相談ではらちがあかなかったけど、病院での診断はすぐでて、自閉スペクトラム症発達障害と分かり、コンサータの投薬が始まった。その後半年立ってまだ夕方以降のどたばたがひどく手に負えないので(コンサータの効き目は10時間)夜にリスパダールを追加されて、今は落ち着いている。

子ども精神薬を投与することに賛否あるけど、本人が「薬を飲むようになって授業中みんなのざわざわがきにならなくなって授業に集中出きるようになった」と喜んでるし、病院でも「どちらかというと親御さんのための薬です。これで一日中怒って終わりっていうことから解放されるならその方がこどもにとってもいいのです」って言われたから投薬に迷いはない。


で、子どもとは別に私自身も精神科に行った。発達障害児の子育てで鬱っぽいので診てもらうつもりだった。でそこで出た診断は「双極性障害ですそれも20年以上。ずいぶんしんどかったでしょう?」でビックリした。

今までも子どもを生む前に当時の人間関係仕事の疲れから鬱を患って入院したり通院したりしたことがあったけど、まさか双極性障害とは思ってなかった。まあ思い当たることは今になればたくさんあるけれど‥‥。

子育てしんどいとき、何度も病院に行きたいなーと思ったけど、発達障害の子供のことばの学校社会機能訓練といった療育のものすごくお金がかかるので、精神科薬価の高さを知ってるがゆえにとても自分病院代まで手が回らなかった。

しかし、私の今の病院自立支援医療証の申請の仕方を教えてもらったので、お陰で月5000円以内に収まっている。

(ちなみに子どもにかかる費用を補足すると、ものすごく面倒な手続きして、ようやく障害児通所医療受給者証というのを市に申請したので、収入に応じて月5000円程度の負担社会機能訓練に通うことができる。これは、療育手帳支給要件に当てはまらなくても医師診断書申請できる。うちは療育手帳もってない。じっさいそ支援を使って半年つれていったけど、内容があわず、今は補助金対象外の訓練所に通っている。言葉の遅れもことばの学校を各小学校で開いていることもあるのでそこでうまくあうなら費用はかからない。ただしうちは残念ながら補助対象施設にあうところがなかったので、年間20万円かかる。)


こういう子育て事情は人それぞれだし、住んでる地域によっても違うから参考になるところだけつかってくれたらいいと思って書いた。

今のところ私が言えることは「もうダメ、無理です」って叫ぶことから全てはほぐれていくてこと。

から増田さんもあの叫びきっかけに何かが少しずつほぐれていくことを願っています

トラバの仕方がわからなくてただ書いたら、ちゃんと増田さんの投稿にひっぱってくれている?人がいて感謝

2016-12-12

最後にしたセックスを覚えていない

昨日は丸一日布団から出ることができず、今日はまったく作業に手がつかなかった。感情の整理のために文章に起こす。



最後セックスをしたのは三年半前、大学二年生だった頃のことだ。その年の頭にできた二つ上の彼女とした。

サークルで知り合った彼女はお世辞にも美人とは言えないが、いわゆる可愛い系の女の子で、特に付き合ってからはこちらのほうが歳上なのではと錯覚するほどだった。とても可愛かった。付き合っていた時期は私が大学一年から二年ということもあり、性欲に身を任せて彼女とひたすらセックスをしていた。徐々に彼女下宿に入り浸ることになり、付き合って半年弱の別れる寸前にもなると週四日ほど泊まることもあった。半同棲生活だった。

彼女就活ストレスを発散するためなのか、年度が変わったあたりから彼女から身体を求められることが多くなった。その頃には彼女とのセックスにも慣れてきて、お互いが満足するまで何度もセックスをした。所詮サル大学生ということもあり、単にセックスができることが嬉しかったし、何より彼女に求められてそれに応えることができることが嬉しかった。付き合い始めはセックスをするために付き合っていたところもあったが、その頃にはきちんと彼女と一緒にいることに幸せ見出していた。セックスのあとによく結婚しようねと幼稚園児のような幼稚な約束を交わして、そこからまたセックスすることもあった。本当に幸せだった。

彼女就活もあと面接を数回残す段階になった頃、私は彼女と別れた。

はいものように彼女下宿合鍵で入り、あまり自炊をしない彼女キッチンで夕食を作りながら面接終わりの彼女を待っていた。米を炊き始めたところで彼女が帰ってきた。しばらくして夕食ができあがり、食事をしながら面接感触が良かったとか、次の面接はいついつでおそらくそれで終わりとかそういった会話をした。

その後、彼女のあとにシャワーを浴びてごろごろとしているとムラっとしたので、いつも通りセックスをしようと彼女に抱きついてセックスを迫った。いつも通り彼女は受け入れ、その日も好きなだけセックスができると思っていた。しかし、その日は違った。抱きついた腕が優しくほどかれた。

「ごめん、今日は疲れてるの。先に寝るけど、今日はナシでね。ごめんね」

疲れていてもなんだかんだでいつもするじゃないか文句を言いながら彼女が入ったベッドに潜り込み、胸を揉み、服を脱がそうとした。ここでいつもの彼女と違うことにやっと気づいた。

「本当にごめん。今日だけは休ませて、ね?」

やすように頭を撫でてくれた。このとき今までに覚えたことのない感情に襲われた。彼女セックスを拒絶されたことが引き金となったのか、彼女もっと支配したいという気持ちが強くなった。

正気に戻ったときには彼女が泣きながら怯えるように震えていた。汗と涙で彼女身体は湿っていて、彼女の膣からは精液が溢れ出ていた。彼女が何度も小さな声でごめんなさいと許しを求めていた。混乱した。目の前の光景が何を意味しているのかわからなかった。そして、私は逃げるようにゆっくりとその場を離れ、自宅に戻った。自室についても何がなんだかわからなかった。

私は彼女レイプしたのだ。そう気づいてからはもちろん彼女下宿先に行くことはなくなり、会うことはおろか連絡すら取らなかった。私も、そしておそらく彼女の方もお互い気持ちの整理ができなかったのだろう。

彼女に連絡をしたのはあの日から二週間ほど過ぎた頃だった。一度きちんと話をしたいと短いメッセージを送った。返信がなくても仕方がないと思っていたが、五分もしないうちに彼女から返信が来た。彼女の方も話したいので一度彼女下宿先に来てほしいとのことだった。

下宿先に着きインターホンを押すと彼女がそっとドアを開けた。久しぶりだね、と優しく微笑んでくれた。

机を挟んでから少しの沈黙の後に話を切り出した。つらいかもしれないが、あの日のことを話してほしいと聞いた。彼女はうっすらと笑みを浮かべ、ごめんねと前置きをしてからその時のことを話した。

端的にまとめれば、別人のように豹変し、首を絞められ、レイプされて、とても怖かったとのことだった。

あの日見た状況からすぐに考えられたことだったが、本人から言われると息ができなくなるほどつらかった。彼女はあの時もこの話をしてくれたときも恐怖にさらされていたのだろう。そう考えると、目の前にいる彼女の浮かべる笑みがどれだけ彼女を追い詰めているのかを訴えているように見えた。私は本心から彼女に謝ったが、どんなに謝っても私自身その謝罪形式的ものしか思えなかった。

それからほどなく、彼女との関係を断つ話がまとまった。彼女からはまだ頑張れると交際継続することも提案されたが、無理をし弱った声で発された提案には賛同できるはずもなかった。こちらから別れを申し出ると、少し目を潤ませながら少し安堵が混じった声で、そっか、ごめんねと彼女は言った。

合鍵を返し、玄関彼女と別れの挨拶を済ませて、彼女と別れた悲しみや彼女を恐怖にさらした自分の不甲斐なさに対する怒りもそこそこに、私の母親への憎しみが心に染み付いた。


彼女と連絡を取れなかった期間、あの日から数日もしたら DVレイプについて調べる様になっていた。どうやら DV をしやす人間は両親との中が悪かったり自身DV虐待を受けていたりすることが多いらしい。調べていると段々と自己嫌悪に満たされていくとともに、幼少期母親から受けた行為について鮮明に思い出すようになった。

私が小学二年生の秋、母方の祖母の死をきっかけに両親の仲が悪くなり、頻繁に母がヒステリックを起こし父と激しい喧嘩をするようになった。私や姉が止めに入ると母は、この子達を泣かせているのはあなたのせいだと父に激しく怒鳴り、喧嘩はより激しくなっていった。それから子どもたちはあなたに近づけさせないと母は宣言し、同じ家に住みながらもほぼ別居状態になった。

家庭内で完全に父との交流が絶たれて一年ほどが経ったとき、台所で夕食の手伝いをしていた時だった。母に、そろそろ父と仲直りをしてもいいのではないか子供らしく思ったことを率直に言った。

母は、なんでそんなことを言うのと小さな声で囁き、私を蹴り飛ばし包丁を突きつけた。目の前の光景に身動きが取れず、全身が恐怖に包まれた。

あなたのためなのがどうしてわからないの」

母の叫びとともに顎に包丁があたり、血が流れた。直後、母親正気を取り戻したのか包丁を引き、涙を流しながら謝ってきた。それからは、ここまで苦しんでいる母はえらいに違いないと思い込み、母の言うことに従い続けた。母の要求に応えられたときには喜びさえ感じた。

しかし、高校二年のときにそれがある意味での洗脳であることに気づき、母に悟られないように家庭内で少しずつ母との距離を置いていった。自分で考えて自分気持ち自分で行動する、オトナになるためにはそれが必要だと思った。多少の反抗心も芽生えたが、また母をヒステリックにするのはこちらが無駄被害を受けるだけだと押し殺していった。

母による支配からは脱していたと思っていた。特に大学に進学してから自分意志で好きなだけ勉強できたのもあり、完全に自由の身だと錯覚していた。だが、現実はそこまで甘くなかったのだ。母による支配は私に後遺症のようにしてこびりついていたのだった。未だに母から支配を振りほどけていない自分に呆れ、怒り、苦しんだ。そして、よくも好きだった人を傷つけさせたなと、母に対する激しい憤りを感じた。



彼女妊娠することもなく無事就職し、きちんと生活をしていることを彼女の友人経由で聞いた。それを聞いて安心し、悔しいけれど彼女固執することなく生きていこうと心に誓った。そうは言うものの別れてから最初一年は未練が残りどうか復縁できないか方法を考えることもあったが、大学四年に進級するころにはもうすっかり諦めていた。彼女彼女らしく生きてほしい、そう思えるようになっていた。

それはさておき、ここ半年ほどでとある女性に興味を持ち始めている。大学の友人の高校の頃の友人で、Twitter 上でしか縁のない人だ。顔も名前も知らない人に恋をする、なんともまあ現代っ子である

彼女のいわゆる裏垢は私の他数人のみがフォローを許されている。そのアカウントでは彼女の家庭の事情が語られることが多い。彼女はしがらみに負けずに自分らしく強く生きようとしていた。そこに憧れて、おそらく惚れている。

地理的には遠距離となるのでなかなか踏み切ることができていないが、一度会って話してみて、できれば交際したいと考えている。しかし、その段階になるとまた改めて恐怖を感じる。また付き合って、愛している人に暴力を奮ってしまわないか、そう思うとより積極性が削がれていく。

付き合ってみなければわからない、そう思ってはいものの、以前付き合っていた彼女の事例と同様あるいはそれ以上に悲惨事態に陥る可能性があると考えるとどうしても前へ進めない。自分自分制御すればいいのだけれど、それができる保証がどこにもないという事実が行く手を阻む。結局、母による支配後遺症に悩まされ続けている、あるいは、未だに支配から脱却できずに苦しんでいるのだ。今もどこかで、人を支配するには恐怖を与えるしかない、そう思っている自分が潜んでると思うと、とても付き合える気がしない。付き合いたいけど、付き合うのが怖い。感情が入り乱れ、よく混乱する。



付き合っていた彼女と別れてからは、きちんと好きな人を愛したい、そういった気持ちを強く持つようになった。死ぬときにはせめて、最後にしたセックスはどのようなものだったかをきちんと覚えてあの世に送られたい。

2016-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20161211194129

先日、帰宅した際に部屋の中が曇ってひどく薬品臭がしたことがありました

階下の大家さん宅で防虫剤でも焚いたような感じの臭いです

大家さんから特に連絡もなく、臭いも1日経てば消えたのでまあいいかと思ってたんですが

ひょっとしたらゴキ用の防虫剤だったのかなと今思ってます

ハッカ効果あるんですね!

以前買ったやつがあるので、早速玄関先に何滴か落としておこうと思います

情報ありがとうございます

http://anond.hatelabo.jp/20161211190403

蚊取り線香、やっぱ効かないですか

というかゴキは部屋の外・玄関のドア外側に張り付いていたのです

部屋の中で見かけたことはないので、建物自体問題なんじゃないか

はい掃除はしなきゃなあとは思ってる汚部屋ではあります

2016-12-09

今朝うんこ漏らした

花粉症持ちの私はこの時期からヨーグルトを食べるようにしている。

乳酸菌アレルギーを抑えると聞いたからだ。事実、私の体質には効果があるようだ。

朝食の最後に昨日買ったヨーグルトを食べた。

さて出勤だ。しかし少し歩いたらお腹が痛くなってきた。朝から冷たいもの食べるもんじゃないな。

スカシっ屁をすれば治まるか、、いいや、こりゃウンチの方だな。近くのコンビにまで間に合うか、、冒険は止めよう。

近所を一周して家に戻ってきた。カバンから鍵を出す、一緒にUSBメモリーも出て道路に落としてしまう。

USBメモリー無くした日には情報ダダ漏れ人生詰んでしまう。何でこんな時に、、

玄関を入ったときには臨界だった。このとき「汁」が少し出た。汁くらいならケツ拭いてパンツを変えれば済む。

この際、土足で上がる、靴脱いでる場合じゃない。

滑り込みセーフ、ゲリゲリゲリピー、、と思ったらゲリ便の半分は便座に出てた。

半べそ泣きながらシャワーでケツを流して、「へー温水便座でも分解できるようなってんだー」と妙に関心しながら便座の便を拭く。続きは帰ってからやろう。

から自分ウンコこねて、遅刻かよとか気が重いまま歩き始めると、途中でうずくまって倒れている人がいて、周りに「大丈夫ですか?」とかやってるじゃないか

「あー もしもし?人が道に倒れていてね、人を呼んでたりして少し遅れま・・・

というわけで、人助けした英雄気取り出社したわけだ

ではメリークリスマス

どなた様も良い年をお迎えください

SMAP解散報道における8月10日から13日の時系列が奇妙。

同年8月10日午後4時3人のメンバー社長解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長SMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。



8月10日の件】

週刊新潮2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散魑魅魍魎」という記事掲載された。記事は「総力取材特集」と銘打っている。しかしこの記事はいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。

記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこ記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。

そして翌日午後4時、蓋を開けてみるとジャニー氏の元に木村以外の4人がやってきて1時間半近く面談。(p.25)

この「翌日」は2016年8月10日のことであるしかしこの日はジャニーズグループABC-Zのコンサート国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数ファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバー面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?



この8月10日ジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソース事務所であるSMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこ情報提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所経済的損失は計り知れない。もし16時からジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?



8月12日の件】

8月25日発売の「週刊文春9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソースであると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長ジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。



12日にジャニーズ事務所からSMAP解散」についてマスコミレクチャーがあったことは、芸能レポーターTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所マスコミレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。



しかし、12日は中居TBSリオ五輪生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である



12日に香取が収録したのは8月24日放送佐々木健介とのロケと、8月31日放送渡辺直美とのロケの2本である佐々木健介8月12日ブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ますとあることから、昼の12時ごろにはロケスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木香取、及び番組レギュラー山崎弘也の目撃談がTwitter投稿されている(この日のロケフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木香取山崎の目撃談がTwitter投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。



その後、20時過ぎには代々木公園渡辺直美香取山崎の目撃談がTwitter投稿されている。その後渋谷ロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎番組宣伝するための動画撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。



注1:

8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、

解散発表前日の十三日朝、リオ五輪番組に出演するために自宅を出た中居を直撃した」(p.29)

というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である



文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。



8月10日から13日の件】

報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。



10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚コメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事であるジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレント意志尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日スマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。



しか事務所は翌11日には役員会を開いて解散正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉メンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉ハワイ家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。



そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属中居櫻井TBS日テレ五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。



どのように発表するか、CMスポンサーTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。



注2:

「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所

連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)

2016-12-07

カートバーンと同い年に死のうと思っていた

20代前半は毎日死にたいと思っていた。

リスカもしたしオーバードーズも何度か。

親とも友人ともうまくコミュニケーションが取れなくて、誰にも心を開けなかった。

外に出れずぶくぶく太って、自分が醜くて仕方がなかった。

しかし、気付いたら27で大学卒業し、東京でほそぼそと働いていた。

気付いたら、ひねくれ者だけど優しい彼氏が出来ていた。

気付いたら、あんなに止めれなかった過食嘔吐をしなくなっていた。

気付けば私は28歳になっていた。

数年前に拾った子猫毎日玄関までお出迎えしてくれて、寝るときはベッドに潜り込んでくる。

昨日帰ってきたら彼がクロネコヤマトダンボールを買ってきたらしく、猫の宅急便が完成していた。

猫はまだ入ってくれないけども。


死ななくて良かった。

まだまだ生きる。

2016-12-06

田舎銭湯で感じる違和感

出張地方に行ったとき余裕があれば銭湯に入るのが私のささやかな楽しみ。この前行った銭湯になんかモヤっとしたので、メモしとく。

ネットで調べると、ホテルから結構近くに銭湯が有ったので直行すると住宅地の裏路地という感じの場所だった。建物の大きさは普通の民家と変わらないので、男女と書かれた暖簾がなければ、割烹料理か何かと勘違いしそうな佇まいだった。道路に面した壁に入浴料金が書いてあって、その横に手のひら大のホワイトボードがあり、「入浴マナー上月間」と書いてある。正確にはなぐり書きというか、パッと見で落書きと見間違える汚さだった。まだ、このときは若干の違和感を感じつつも都会に比べると安めの入浴料に嬉しく思っていた。

ガラガラ引き戸を開けると右側に下駄箱、左側にカウンターがある。カウンターに行って、お金を払おうとすると、そこに居た受付の兄ちゃんがロボットのように言った。

下駄箱に靴を入れて鍵をフロントに預けてください」

しかに、そういうシステム温泉は多いので納得した。しかし2畳ほどの玄関スペースに傘、靴などなど明らかに銭湯家の私物と思われるものがおいてある。1人か2人しか、お客は入っていなかったが傘立てはパンパンだった。なんか嫌な気がしてきた。それでも下駄箱に靴を入れ、その鍵を持っていつ洗ったかからないタオルが床に敷かれた上を通ってフロントに行った。

脱衣所へ向かうと、建物構造新築のもので清々しいが、不思議光景が目に入った。部屋の隅にはどう考えても利用客のものとは思われない私物が積まれていたし、自宅にあるような洗面台の棚には無造作に歯磨き粉とイソジンがそれぞれ複数個置かれていた。そして洗面台と壁との10cmほどの隙間に、シャンプー放置されていた。一体誰が何のために置いているのか。ゴミなのか? 友達の家にでも遊びにきたのかと錯覚した。そして、銭湯独特の石鹸臭がするわけでもなく、生活臭がした。祖父母の汚屋敷に行って、風呂に入らされた幼少期のつらい記憶フラッシュバックし、このまま帰ろうかと思ったが入浴料は既に払っていたので、留まった。床も壁も綺麗に掃除されていたので、リフォーム済みだということを自分に言い聞かせた。

浴槽も、洗い場も6人程度の小さめだがそこは至って普通だった。さっさと体を洗って湯船に入ると、激アツ湯だった。ふと壁面を見上げると、壁画が書いてある。ヘタウマというのだろうか、柔らかいタッチとでも言うのだろうか、普通銭湯壁画に期待される精緻さというものをこの壁画は全く満たしていない。素人落書き、あるいは職人を雇うカネすらなかったのかと疑いたくなる。そして、この銭湯も例によって山が描いてあったけれど、どう見ても富士山しか見えない山に文字地元の山の名前が書かれている。絵に文字を入れて説明するのは銭湯壁画としては最悪の部類に入ると思う。そして、山の手前ではハナタレ小僧が3人ほど草原キャッチボールしている。丸坊主少年は本当に腹が立つほど憎い顔つきでこっちを見ていた。隅の方にハゲオヤジチョコッアクセントで描かれていたが、もはや意味不明だ。一体どんなセンスをもってこの絵を作ったのか、私は理解に苦しんだ。乱雑な玄関私物放置された脱衣所と合わさって、不快な思い出になった。

体が温まったので、さっさと湯から上がりホテルへ一目散へ帰った。こんな銭湯だったらボロホテルユニットバスの方がよっぽどマシだと後悔したが、これもまた旅の思い出と言い訳している。私は、築ン十年のボロ銭湯でも楽しく入れるが、この銭湯では一体なにが自分不安にさせていたのか。

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