「曖昧」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 曖昧とは

2016-08-29

自分は褒めることをしない

自分は大抵のことを褒めることをしない。

映像系の頭の悪い学部にいるため、映画を見ることがまぁある。

基本的に褒めることはしない。

どこがクソだったかを探す。

具体的な部分でもでも曖昧でもとにかく文句を言いたくなる。

ストーリーがクソだったとか、昔のフランス舞台なのに出てくる牡蠣の種類が違うだとか、美男美女セックスするだけだとか、見ているやつがムカつくとか。

何かを褒めるのは好きではないのだ。

そして、大抵観客の見てくれのマトモさに切れる。

持ち上げるということは大政翼賛の復活のように感じる。

また、何かを持ち上げるということは何かを貶すことになると考えている。

見てくれの良い女を褒めれば、それは容姿が醜い女はダメだというようなものなのだ

何でも文句を言って、友人は少ないし揉めることも多いが満足である

自分容姿が良ければ、他人が褒めることも許容できたかもしれない。

学生であるが見てくれが悪い人間は持ち上げられなかったし、これからもない。

自分は持ち上げれらないということだ。

酷い目にあった。

容姿が良ければ、自分も持ち上げれらたはずである

から、何かを褒めることも許せたのかもしれない。

2016-08-28

そろそろ「逆張り認定厨」がうざい

シンゴジラ君の名は否定的意見が出ると「ほら逆張り厨〜」とかいって相手バカに見せようと人格否定する人間増えすぎじゃね?

この世に出た作品一定数嫌いな人が出るのは仕方ないことでしょ、中原昌也はジョンレノンイマジン大嫌いらしいし

記憶曖昧なんで違ったら謝る)

イマジンは(音楽映画という全くジャンルが違うものであることをあえて無視して言う)当然シンゴジラとは比較にならないほどのネームバリュー賞賛を得ている作品だが、それでも嫌いな奴はいるわけだ

本当の逆張り厨は「肯定的評価場所否定的なことを言う傍、否定的評価肯定的擁護を考えなしにする輩」のことじゃなかったか

つの間に手軽に相手を殴るような言葉になってしまったんだ

[]

今回は少年ジャンプ+

読切祭の残り感想

あと、「金未来玉杯」ってのがやっている模様なので、それに絞って感想を書く。

金未来杯」にはエントリーできないけど面白いギャグ漫画を集め、その1番を決定する企画らしい。

金未来杯」じゃなくて、「金未来『玉』杯」ね。

低劣だけれども、キライじゃないよ、そういうの。

SOCIAL GUARDIAN

読切祭の八つ目。

ふぅむ、流行に乗ったテーマではあるけれども、設定を捻るだけでなく盛り上げる展開も含めつつ、ストーリーもそれなりに面白いと思う。

まあ、まあ色々と粗があることも否めないが。

ストーリー構成からテーマを考えるに、バトル部分が本旨ではないのは分かるんだけれども、あっさり気味なのはやっぱり残念かなあ。

あと、セリフ回しが……個人的にはあんまり

まあ、でも読切祭の中では個人的に上位だよ。

さて、読切祭の総括だが、前回含めて色々と粗探しとかしていたけれども、なんだかんだ全体的にレベル高かったと思うよ(玉石混合な世界漫画を読み続けている身としては)。

総合的な漫画力で「ハトコネコ」、テーマに甘えずストーリー構成で魅せてくれた「SOCIAL GUARDIAN」、キャラクター人格気概を感じた「こっち見て片山先生」、面白いコンセプトの「冬春の仕事」あたりが自分の中で印象深いかな。




キングカイザーエンペラー

未来玉杯 エントリーNo.1

キャラの強い主人公で終始引っ張っていくタイプね。

ギャグマンガとしてはセオリーだな。

破天荒主人公言動が、最終的になんだかん人々を引き付けるという構成は好きだけれども、ギャグレベル普通範疇かな。



たちあがらない勇者テンツ

未来玉杯 エントリーNo.2

設定を活かしたギャグストーリー展開をもう少し期待していただけに、それが残念。

ギャグ方向性ときたまズレているというか偏っているというか、天丼ということを考慮してもワンパターンに感じる箇所もあったり。

まあ、でも軽妙なやり取りはノッてて面白いと思った。



ストロングリリィ

未来玉杯 エントリーNo.3

ギャグマンガから、やるからには過剰な言動キャラクターという自覚の塊を持った「ストロングスタイル」という、まあコンセプト自体は悪くないと思う。

だが、ギャグほとんどが唐突尊大というか、いまいちピンとこない。

テーマ曖昧としていて、コンセプトが機能しているか微妙

ネタ選びや、ギャグ一貫性がないのが、そう感じさせる要因だろうね。

作者自身よく分かっていないというか、扱いきれない状態で描いてしまったという印象を受けた。



吸血童貞タナベ

未来玉杯 エントリーNo.4

ノリと絵柄だけならコロコロとかの小学生向けで連載してそうなタイプだね。

けれど「吸血」の定番ともいえるのか、明らかに「アレ」を髣髴とさせる暗喩的な表現も含まれている。

まあ、それがコンセプトともいえるし、それ自体面白いんだけれども、シチュエーションなり登場人物だったりとかを練って、もっと話を転がしたりして面白く描けたんじゃないかという気がする。

終始テーマに沿っているのは好印象だけれども、舞台というかシチュエーションの都合上イマイチ盛り上がりに欠けるってところが難点か。

大喜利ネタの一つくらいの範疇なんだよね。



人間の達人

未来玉杯 エントリーNo.5

ワー、カワイイー。

……ぐらいしか感想書くことないなあ。

動物擬人化ものだとか、萌えだとかの定番アイテムが、それ以上の役割を果たせていない。

ネタ選びもノリも凡庸で、退屈なものが多い。

設定だとかテーマを踏まえると、むしろ及第点以下だと評価してもいいほど活かせていない。



綾樫くんは飼っている

未来玉杯 エントリーNo.6

面白い、というより楽しい漫画といった感じ。

こういうファンタジー的な要素に、それっぽい理屈を付けるのって楽しいからね。

ちゃんと、前編でネタとして提供される設定が後半の展開で活かされている構成なのがよろしい。

総合的に纏まってて、これといって言いたいことはないんだけれども、強いて言うなら構図とか、コマ割とかかなあ。

あと、1コマに人物が占める割合が多めというか。



さて、金未来玉杯の総括。

ギャグマンガに絞った企画だったのだけれども、当初の私が予想していたのとは趣が異なるマンガが多くて、嬉しさとガッカリ半々って感じ。

投票は~……どうしようかな。

総合的なクオリティならば「綾樫くんは飼っている」だけれども、あくまギャグマンガという土台に乗っけて評価するならば、軽妙なやり取りの「たちあがらない勇者テンツ」とか、テーマで紡がれる内容が一貫している「吸血童貞タナベ」、キャラの濃い主人公ガンガンいくオーソドックスタイプの「キングカイザーエンペラー」も捨てがたい。

まあ、後で決めよう。

2016-08-25

共感羞恥』という言葉共感する人が多すぎる話

もともと10パーセントという話で。「へ~10パーセントなんだ。でも自分それかもしれない」的な風にツイッターで広まっている印象。

しかしどうも見ていると、それに該当する人が多すぎる。10パーセントってこんなに見えるのか。

いや、あの表を見た人たちの反応は10パーセントを優に超えているのではないか

そもそもあの表だけ見ると1「映画ドラマ漫画をまともに見れない」2「ドッキリ番組が苦手な人はそれが理由」3「感受性が強すぎる。すぐ泣く人と同類

くらいしか読み取れない。

1は慣れて無いで片付きそうだし

2は可愛い程度のいじめ要素に過剰反応してるだけだし(事実自分もそれが嫌いで見ないが、許容はしている)

3はそのままだし

なのでグーグル先生に連絡してみた。検索ボックスを使って。

英語論文が出てきた。くじける。しかリンク先を見る。日本語だ。安心した。(きっとこの症状にも名前があるのだろう)

大学院の出したショートレポートだ。とりあえず欧米でこの研究が進んでいるけど、日本でその話が積極的研究されているわけではないらしい(その言葉を知らない人が多いわけだ)

しかし難しい。数式とか出てきた。どうも性差とかの問題女性の方が感じる機会が多いらしい。しか日本では女性羞恥を良しとする文化があるので、否定的にとらえる感覚は少ないとも。馬鹿にはなにが書いてあるかさっぱりだ。

しかしどうもこれを読むに、まだ「共感性」と「羞恥感情」の関連があるとは、しっかり確認されていないらしい。

実はこれ、その辺が曖昧なので「観察者羞恥」とも呼ばれているらしい。おお、なんかしっくりきた。

また別の話も読んでみた。

ここでは「日本犯罪抑制する道徳の中に、羞恥がある。羞恥を良しとする教育がある」とも出てきた。

なるほど……つまり欧米では羞恥」という認識日本とは違い、日本よりも浸透していない。だからこそその研究が進み、名前までできたのか。

するともしや、日本では当たり前に存在し、認識されている感情なのではないか?(例:日本しかない肩こりみたいな)



そして馬鹿は易しい言葉を求めて、togetterにたどり着いた。

『"恥をかくシーン"が苦手な人たち』

http://togetter.com/li/889708



テレビよりもツイッターですでに大きく話題になってたのか。テレビツイッターの後追いになってるのかは分からない。

自分が読んだショートレポートも挙げられていた。

ここでまとめられている話の結論としては「よくある話」だ。

なので最初に戻る。果たして本当に10パーセントなのか?

共感羞恥ある!と言っているフォロワー(多かった)は、自分の目からすると平々凡々の少し自己主張が激しい人に感じた。

良くも悪くもだ。好きだからフォローしているのは大前提。でも良くも悪くも、こういうネタに乗っかりやすい人たちのようにも思う。

今回この「共感羞恥」が共感できる!と広まった背景は「10%」がキーワードだと思う。



人間感情を、国籍も分からない500人の男女(年齢差は10から80代までとある)の意見だけで一纏めにすることは、とても乱暴ではないか

10代と団塊の世代なんか、お互いほぼ宇宙人と話しているのと同じだろう。育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない。夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね。

多分この感情羞恥を良しとする世代と良しとしない世代、そして自己愛が過剰(研究論文の中にいつも一緒に自意識の話が出てきた)、大きな羞恥経験をした、または羞恥を飲み込めない経験が浅い若者に多く見られる(もしくは前述した漫画映画普段まり見ないので慣れていない)症状。もしかすると当たり前の感情なのではないか

アンケート世代を変えてみたら…1020代に限ってみたら、10%どころの話では無いのだと思う。

個人結論としては「研究者は当たり前のものに直ぐ定義名前をつける」。



もし日本でも一応研究されているが、結局のところ病名でもなんでもない「共感羞恥」がありふれた話だとしたら、なぜこんな風に広まったのか。

自分が少数者に行くことに優越感を感じることは、少なからずあることだと思う。この場合10%が少数だろう。

あとは、言わせないでくれ。



さてこれを書いた人は、共感羞恥共感するのか?

答えは「物による」。超面白い映画ドラマ漫画なら、羞恥シーンでも見ちゃうよね。しかあんまつまらないと、目も当てられないよね。

そういう程度なんじゃないの?と思う一方で、もしかたらこれに凄い悩みを抱いている人も居るのかもしれない。

そういう観点では、興味深い研究ですね。存在自体否定したいわけじゃ無いよ。



参考文献:SMAPセロリ

2016-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20160823230040

そりゃ、価値観の違いを見て論戦ふっかけるのと同じ理由だ。



自殺ってのはいうなれば「死んだ方がマシ」という判断だ。

俺みたいなのは「それを言っちゃお終いよ」という立ち位置だ。



死んだ方がマシって言えば、どんな成功者だって死んだ方がマシだよ。

人生どんなに成功したってどうせ最後には死んで無に帰るんだし、

「終わったら全部ボッシュート」ってゲームにいつまで付き合うんだって気にもなるよ。



けどまあ、「そうは言っても自分から死ぬのもどうにも気分が良くない。義理も欠くし・・・。皆なんだかんだで頑張ってるだし俺だって・・・

という割と曖昧理由で死を退けてるわけだ。

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」というのは、割と大きな命題で、そうそう答えを持ってる人なんておらんのよ。

万人が納得する生きる理由なんてものは、お釈迦様だろうがイエス様だろうが、地上でひねり出した人なんていないだろうよ。



そういう状態でどうにかこうにか騙し騙しやってる時に、「死んだ方がマシだから死にます」とか言い出す奴がでてきたら、

そりゃあ文句の一つも言いたくなるよ。

お前、それを言っちゃお終いだろって。

「死んだ方がマシ」って理屈が通るなら、そもそも生まれてくる事自体間違ってんだよ。

理屈に従ってちゃ生きてらんねえんだよ。



こっちも損を承知で生きてるんだから、一人だけお利口さんに楽になってんじゃねえよって、

「一番簡単解決方法に飛びついてんじゃねえよ」と言いたくなるよ。



から自分が死なない、死ねない理由ぶつけて止めるんだよ。

道ならぬ恋(笑)におちた女の独り言

道ならぬ恋、というヤツに今現在の私は身を置いている様だ。

様だ、等と断定を避けたのは私自身この状況に大いに迷っている有様で、認めたくもあり、しかし認めたくもないという思いの間で立ち尽くしているからに他ならない。

頭を整理するためにも、と言うことでこんなふうに書き出し始めた。

そんなもんチラシの裏にでも書くか穴でも掘ってその中に喋らんかい、と思われるかもしれないが、恋愛ごとに悩みを募らせる女性のご多分に漏れず、私にもどうしても誰かに話を聞いて欲しいという構ってちゃん根性がある。

故にこの場を選ばせて頂いた。

前置きが長くなったがこれより先は一人の女が悲劇(笑)に身をやつした己に酔いしれているだけの何の面白みも無い独白だ。

読むも読まないも、自由にして頂きたい。





さて、非常にありきたりな話ではあるが、私が私のこの恋を道ならぬ恋と呼ぶ理由は恋の相手が既婚者で子供いるからだ。

幸いにも、相手が私に対して恋愛感情を抱いていない事と、私にも理性とそれを上回る恐怖心があるお陰で明確に道を踏み外している訳では無い。

ならば別に良いではないか、と思われる方もいらっしゃることだろう。

問題が無ければ、誰が誰を好きになるのも自由だと。

私もそう思っていた。

恥ずかしながら、私は過去に幾度かの恋の中で既に恋人がいる人を好きになった事もあり、その理論で武装して開き直った事もあった。

しかしその言葉を発している時の自分は、大体が「苦しい恋」に酔いしれていた。

悲劇のヒロインであるかのような、大層な自惚れだった。その人が好きだったのではない。私は苦しむ私が好きだった。



だが、苦しみというものは、外的要因だけからなるものでは決してない。

その外的要因を受け、それらが内的要因へとシフトして初めて本当の苦しみに転化する。

私にはそれがわからなかった。



私が恋心を抱いている人は、私より二回りも上の他部署上司だ。名を仮にAさんとしよう。

部署とは言っても、私の属する部署とはかなり密に連携を取るので、Aさんとはほぼ毎日顔を合わせる。

私が去年新入社員として今の会社入社してから、何かと絡んできてくれた人だった。

最初は何の想いも無かった。互いにからかいあってふざけるだけの他愛も無い関係だと信じてやまなかった。

どちらかと言うと、兄を慕うような、いや、年的にいえばむしろ父親を慕うような感覚に近かっただろう。

ただ、私は年上の(失礼を承知で言うと)いわゆるおじさん世代と昔からウマが合いやすかった。

なのでAさん以外にも、そういう風にからかいあう男性上司は何人かいた。なので別段その気持ちに不信も抱かなかったし、周囲からも「おじさん達と仲良しな子」程度にしか認識されていなかった。

何よりもAさんには妻子があるのを私は知っていて、からかいあってはいても大きく踏み込むような事はしなかった。



だがある時、それは起こった。

年末部署混合の飲み会が行われた。

何度か部署混合の飲み会は行われていたのだが、Aさんが参加するのは初めてだった。

初めて同じ席で飲めるという事で、私はガラにもなくはしゃいでいた。

この頃には既に周囲からも「Aさんと仲良くコントやってる賑やかし要員」という感じに扱われていたので、私もその役を演じようとしていた節がある。

少し遅れてAさんが参戦する頃には、私もほろ酔いで上機嫌この上なかった。

わざわざ席替えをして、Aさんの隣に腰を落ち着けていつもの様にからかいあった。

だがこの時はほろ酔いで羽目が外れていた分、私の方がAさんをからかっていた。

恋人にするならAさんが良い、等と間抜けなことを口走った記憶もある。

しかしその後、再び席替えをして私は別の先輩の隣の席へと移動した。

もうこの時には完全に出来上がっていて、記憶も正直曖昧だ。

ただ、何席か離れたところにAさんがいるのをちらりと見たのだけは覚えている。

私の記憶は一度そこで途切れた。



気付いたら私は吐いていた。

正確に言えば吐きそうになっていた。

だが寸でのところでAさんがおしぼりで私の口元を抑えてくれていた。

私が吐きそうになっていたのを誰よりも早く気付いたAさんが、慌てて私の所へ駆け寄ってきて口元を抑えくれたのだ。

しかも一度はおしぼりでなく、そのまま素手を差し出していた。

彼は私が堪えられずに吐いた時には、それをそのまま素手で受けるつもりだったのだ。

吐き気朦朧としながら、私は近くにあるAさんの体温を感じて、ただただ混乱した。



この人は何故気付いたのか。

何故駆けつけてくれたのか。

何故躊躇わなかったのか。



その後は女子の先輩にトイレで介抱して貰いしこたま吐いて、そのまま帰宅の途に就いた。

翌日は当然二日酔い。起き上がれもせず、辛うじて這うようにトイレまで行きそこで一日を過ごした。

しかしそんな中でもAさんのあの体温がまだ近くにあるような気がした。

心臓がざわついた。



大きな温かい手のひら、耳元で何度もかけられた身を案じてくれる言葉、今までに無い程近い体温、洗剤の匂いに微かに混ざった煙草香り



しまった。

好きになってしまった。



瞬間そう悟った私は、吐きながら涙も鼻水もボロボロ便器に零して泣いた。

嘘だ。

それが私が一番に考えたことだ。

目の前が真っ暗になった。

初めて感じた絶望だった。

始まった瞬間に終わる、しかし長く続く恋が始まったのを感じたせいで、だ。



苦しみは外的要因だけからなるものでは無い、と私は前述した。

外的要因と内的要因の二つが揃った時、初めて苦しみは始まる。

叶わぬ恋をしたから苦しいのではない。叶わぬ恋が叶っても叶わなくても、どこにも幸福が無いことに気付いて苦しくなるのだ。

叶わぬ恋であり続ける事が相手幸せであることに気付き、既に蓋もできない程に大きくなっていた自分の心を持て余し続ける。

まるで真綿で首を締められているような、そんなある種心地良さを纏った不快感が心に根を張る。

根は奥深くまで伸びて、やがてどうしても取り除けなくなる。

そうしたら最後

何度芽を摘み取っても、根から再び新しい芽が生えてくる。

繰り返す。



不倫を望んでいる訳では無い。

離婚して欲しい訳でも無い。

それなのに、心のどこかで叫ぶ声が聞こえるのだ。

「愛して欲しい、私を選んで欲しい」と。

その度に根は深くなる。



幸せになって欲しい。

でもあの人の幸せを願う度、心がジクジク痛んでいる。

私の隣で幸せになってもらいたくて、けれど私の隣ではあの人は幸せになれない。

矛盾した感情思考

私は怖い。

この感情のままにあの人を傷つけてしまうのが、不幸にしてしまうのが怖い。

どうか私がこのまま臆病者であることを願う。

あの人の何をも壊してしまわないよう、優しいあの人を傷つけてしまわぬよう、ただ恐れ、縮こまって生きてゆくことを願う。




こんなくだらない文を読んでくださった方、本当にありがう。

我が身可愛さの胸糞悪い文章で、大変申し訳ない。

ここにこうして公開した事で、心が幾らか軽くなった。

頭の整理もついたし、今後も周囲及びAさん本人にもこの感情がバレないよう上手くやっていける自信もついたところで、この文章の締めとしたい。

2016-08-21

荒らし

http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000781884/#19907238

イベントビューアーに何かないか」とか「リソースモニターで何か変な動きをしている奴はいいか」とか具体的な助言を何一つ与えてやらず、「通話中に勝手通話アプリの新しいインスタンスが立ち上がる」というような(Windows Phone horrorとでも言うべき)怪奇現象が起きているにもかかわらず、それが「対処可能で当然であるかのようなことを言っている。要は「俺は起きてないからお前のも起きないはずだ」と言っているだけで、ただの荒らしと何ら変わりない。それとも自分の考えをうまくまとめることのできない、ちょっと足りない奴なのか?

通話中に通話アプリの別のインスタンスが立ち上がるとか、どんなプラットフォームでも対策して当たり前のことだし、もし同じことやろうと思ったらどうすればいいかと考えた時、OP提供している情報自分の浅知恵から想像のしようがあまりない。強いて挙げるとすれば画面が顔に当たって何かの操作が行われてしまっていることだろうが、「電話中に電話をかける」という言い方がまだまだ曖昧なので、いまいち疑わしい(通話アプリ自身が新しいインスタンスを立ち上げるということはないはずだ)。

初期化インストールしてきたアプリを全部列挙して、そういう怪しいことをしそうなアプリが一つもなければ、あとは知り合いの詳しい人か店員のところに持っていって再現性を確かめるか、一部始終を動画撮影して公開するしかなさそうだ。

と、自分にできることを全部挙げてみるのは簡単ことなので、それをしない奴は荒らしと決めつけても差し支えないだろう。

Windows 10アップデートできなかったら、それこそ何のためのWindows Phoneなのか…。8.1はもうサポート終わってるんだから…。そもそも10アップデートできないという問題に遷移するだけじゃないか、8.1に戻して直ったとしても…。やっぱり自分の言っていることが非論理的だってことに気づかないで言っているに違いない。

要は誰にも対処しようがないと言ってもらって安心したいだけなのに、自分が見当もつかないことを言いたくないのか、あるいはそういう心理に対する妙な反発や嫌悪でもあるのか、全部OPのせいにすることに終始している。こういうガジェットを使いこなして全能感と多幸感に浸っているのかもしれない。人間心理機械ほどの不可解さはなさそうだ。

2016-08-20

IT系エンジニアPG,SE,コーダーなど)だから日本語が下手なのだ勘違いしていた

彼らと一緒に仕事をする、ディレクタと呼ばれる職種をしている。定義業界、業種などで曖昧だと思うが、どういった仕事かは想像にお任せする。

はじめて彼らと仕事を始めた時に一番困ったのはコミュニケーションだった。返事がまず出来なかったり、いきなり感情的だったり、冗長意味不明文章を書いてきたり…。それまで自分仕事をしていた社会人相手とはプロトコルが異なるなーと思ったのが第一印象で、周りからは「エンジニア」ってそういう人種から

と聞かされていた。仕事は非常にしづらかったのだが何とか根性で付き合って仕事をこなしていった。

数年経、会社はなかなか大きくなり成長し始めた。

そうするとエンジニア新卒転職組が増えて来たのだが、彼らと話をして気づいたことは、話が普通に通ずるのである

私が彼らと馴染んだのか?

実はそうではなく、単に日本語力やコミュニケーション力の問題だったのである

新しく来た社員は一応、スクリーニングされてきているので、学歴経験などもとりあえずベースはある。

ところが以前一緒に仕事をしていたら彼らは有象無象経験(単に自己流だったり、零細ソフトハウスだったり、言い方は悪いかもしれないが…大卒ではない人達であった)の人達で、もちろん全員が全員では無いが、ほぼ日本語がまともに理解出来なかった。


なんてことを最近ちょっと過去を振り返り思い至った。

まぁ仕事一歩引けば全員いい人たちで、その有象無象とも付き合うのも楽しいといえば楽しかったのだけども。

2016-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20160819130910

そもそも「定義付け」なんてもの現実世界日常会話で行ったら気持ち悪いと思われるのが関の山だ。

ネットリアル境界線曖昧になった今、そんなことをしようものなら気持ち悪いやつというレッテルを張られ、

定義付け」自体気持ち悪いやつの行う気持ち悪い行動となり、

ここ以外はまあまあ同意かな

ネットでの議論不毛理由

ネットでは日々様々な議論が行われているが、アウフヘーベンまで昇華しているものは稀で

ほとんどが、それぞれの主張をして、自分けが正しいという信念を持ったまま何も変わらずに終わり、

相手理解力をけなして自己肯定感を強化するだけにとどまる。

 

なぜネットではそのような不毛な議論が行われるのだろうか。今回はそれについて書きたい。

 

言葉には「揺らぎ」が存在する。

ヤバイ」という言葉シチュエーションや言い方によって幅広い意味を持ち、人によって解釈の幅がある。

これは他の言葉も同様である

 

にもかかわらず、ネットでの議論はこうした言葉定義に厳密さを求める姿勢が少なく、

それぞれが自分なりの解釈、時には都合のいい解釈レッテル貼りをすることで議論がかみ合わなくなる。

そうした結果、相手バカ認定することになり、各々がバカと過ごすのは時間無駄結論づけられる。

 

こうした定義に関しては地理で例えると非常にわかやすい。

例えば「青森」という単語を出したとしよう。それは青森県全域を示しているに他ならない。

しかし、人によっては「青森東北」と解釈し、東北という意味で捉える。

青森りんごがおいしいよねと話していても、そうとは限らないとか、きりたんぽの方がおいしいなどという答えが返ってくる。

また、その抽象化した概念に関連したレッテルに置き換わることがある。

青森東北福島原発」くらいまで飛躍してしまう人もいる。

青森話題を出しているのに、東京電力が!放射線が!という突飛な単語が出てきてびっくりすることもあるだろう。

彼らにとっては「言葉の厳密さよりも、自分がその言葉から何を連想たか」の方が重要で、それがその言葉の本当の意味になってしまっているだ。

 

地理で考えれば、このような変換がおかしいことは明確だ。

これが、実態を持たない形而上の議論というのはこういうおかしさを確認するのがむずかしくなる。

例えば一橋自殺事件に対するコメントでも、ゲイに対するそれぞれが持つレッテル常識客観的議論を妨げている。

彼らの中での常識に反している=異常=排除すべき のような流れになっていることも少なくない。

政治議論についても同様だ。

彼らは言葉定義自分たち解釈の「揺らぎ」について把握しようとしない。

指摘をしたとしても実態をともなわないため、図で示して明確にまちがっているということを表現しづらいのだ。

 

ネット上では愛知県東日本と考えている人と西日本と考えている人がその違いを把握しないまま、東日本の県の数はいくつなのに

あいつは数も数えられないのかと憤慨しているのだ。

 

しかしながら、こういう「揺らぎ」を理解しようとするものは少数派だろう。

そもそも「定義付け」なんてもの現実世界日常会話で行ったら気持ち悪いと思われるのが関の山だ。

ネットリアル境界線曖昧になった今、そんなことをしようものなら気持ち悪いやつというレッテルを張られ、

定義付け」自体気持ち悪いやつの行う気持ち悪い行動となり、

彼らをまともな議論に導くことは困難になるだろう。

結局、授業でディベートなどを導入し、言葉の「揺らぎ」を自覚させ、定義付けの重要さを頭がこり固まる前に刷り込ませるしかないのである

それまでは、ネットでの議論なんてもの不毛で、一部のまともな人の間でしか生産性を持たないのである



ーたけを

2016-08-18

社会問題としての広がる女装裾野

少し前に男の娘という言葉流行ったが、そのムーブメントは去ったように思われている。

http://matome.naver.jp/odai/2134149251375308901 『男の娘ブームです!』

http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1405243950/ 『男の娘ブームとは何だったのか

しかし僕はどちらかといえば定着したのではと考えている。ある一定市民権を得て、男の娘というジャンルムーブメントから離れて、女装、もしくは女装子という一段階上ステートとしてくくられたのではないかと思う。

少し近接してしまいそうなので先に断っておくことがある。

世間ではLGBTについて、ジェンダー課題について議論されているようだ。僕はあまり調べていないが、そのような特集がよくあるようである

心のことであるとか、様々な議論がなされているのだけれども、僕はもっと深いところでの事情があるのではないかと思っている。

ここではそのような課題について気論するつもりはない。

それでは何の話題なのかというと、性別境界曖昧になっているのではないかという疑問が主題である

若い人はセックスをしないというけれども、データでもそれは少しづつ出てきている。

http://matome.naver.jp/odai/2142314033149402301 『草食系絶食系へ退化?若者セックス離れが止まらない!!』

http://saras-media.com/12982 『20代処女高齢処女が増加中?年代別・処女割合が明らかに』

調べ始めたのが最近だろうから昔のデータとの比較はできないだろうけれども、それでも肌感的にも自分は同じように感じている。

ただし、スーパーマジョリティー、スーパーメインな人たちというこれまで(もこれからも)メインカルチャーど真ん中にいる人たちが世の中の大部分を占めていることは間違いない。そしてそういう人たちは上記記事には当てはまりにくいだろう。

しかし、その傍ら、女装中性的、もしくは無性といった輪について、20年前であればスーパーマイノリティだったジャンルスーパーとはつかないマイノリティになってきているのではないだろうか。それこそ20年前であれば、人口比0.0いくつ%という数が、下手をすると予備軍を含めると1%台まで急伸しているのではないか想像している。(あくま想像範疇であることに留意されたい)

かといって、新宿二丁目の規模が100倍になっているかと言われればそれは違う。むしろ横ばいか、下火なのではないだろうか。

【最もゲイで溢れていた1990年代と比べると、目抜き通りは閑散とし、人通りは減っている[要出典]。異性愛者向けの店舗オフィス、そして異性愛女性の客が増え、ゲイタウンとしての特色も薄れてきている。(抜粋出典wikipedia : https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿二丁目)】

2丁目はまた別の機会にきちんと調べる必要がありそうだが。

ここから先はほとんど僕の勝手想像上の物語だ。

そこでまた仮定になってしまうが、変身願望と十把一絡げにしてしまうのは間違っているような気がしないでもないが、女装は単純に化粧をして、女物の下着と洋服を履いて着て、オネエ言葉を使い、一時的女性の偽物になりたいのではないかと、考えてみた。また、現代女装において、ゲイ必須の項目でなくなったこともあるのではないだろうか。

自分に置き換えて考えてみる。(自分女装をする、限定バイセクシャルである

女装をすることに対し、一時的な非日常感を味わいたいわけではない、自分がそれでは継続的に留まるべき性であるという責任も持ちたくない。かといって、男性であることを意識したくない。体の良い逃げだとも考えられるが、そうすることで自律することを怖がる自分をなんとか支えているのではないかと思う。

たまたまかもしれないが、女装さんのフォロワーを見ていると、決して異性と上手に、もしくは世間と上手に渡っていけている人間が多いとは思えない。これは僕個人の一所感である

話は変わってしまうが、女装をしたいという人間が増えているような気がする。僕の過疎放送に来てくれる中にも、少なくない数の、女装をやってみたいんですがどこからやればいいかからなくて、という質問が寄せられる。僕は暦だけは長いが、何も教えられるようなことはないと思い、うまく言語化できないのだけれども。

これは、またあくま憶測しかないのだが、学校社会といったものとうまく馴染めない、もしくは馴染んでいるつもりなのだが、心ここに在らずといった、自分三人称視点で見てしま人間が、自分肯定する手段の一つとして、女装という選択をとったりするのではないだろうか。

昔で言えば一人でゲーセンスコアラーとかしていたような、もう少し最近ならヒトカラが好きな層、そんな人たちが、違う選択肢として取るのではないだろうか。

ゲーセンはあまり明るいニュースもなく、カラオケ自体も、以前に比べて減っているように思う。

その代わり、もうニコニコ生放送は古いかもしれないが、ツイキャスやショウルームなど、自分から少ない人間に発信できるメディアは、どんどん増えている。自己承認欲求をかむアウトすることはしないがインターネットならばさらけ出せるという人間が増えているのではないか

ユーストや、YouTubeなどと決定的に違うのは、コンテンツを作っていくのではなく、自身コンテンツとして売っていこうとしている点であろう。

これは、エロライブチャットとあまり違いはない。言い方は悪いが、安く身売りをしているのだ。

そうすることで、数字も伸び自尊心は保たれる。

これまで明言してこなかったが、女装する男性は、多くはヘテロセクシャルだと僕は考えている。女装同士は友達にはなれど、性的交渉相手ではないのではないだろうか。どの程度がバイゲイMTFノンセクシャルなのかはわからないが。今の所調べようがない。

想像するに、童貞というキーワード気づきをもたらせてくれるのではないかと思った。

女装をする人は、もちろん例外はあれど、ほとんどが独り身の男性である童貞ではなくとも、童貞感覚を持った人間童貞観念を捨てられない人間なのではないかと思う。自己愛が強く、他人から愛情を上手に受け止められない人が多いのではないかと思う。もしくは他人から愛情というのはデータ証明されるもの言葉や行動など)が伴わないと感じ取りにくいのではないだろうか。

脱線してしまった。童貞というキーワードを持ってくるには少し理由がある。

比喩として童貞を失うということは、大人への強制的な一歩を踏み出させるものではないかと思う。

また、僕が師事させていただいた教授が『日本という国は、年齢に比例するように年を取らなければならない社会である』というようなことを言っていた。そのように、すべての行動に責任を取っていかなければいけない社会なのである

もちろんこれは成熟した成人であれば、何を当たり前のことを、となるのかもしれないが、成熟した人間がどんどん減ってきているのだと仮定すると、(あえて厳しい言葉で書くと)未成熟人間が取るべき責任から逃れる方法模索してもおかしくないと考える。

責任というと、あまりにも重いものに感じるかもしれないのだけれどもうまいたとえが見つからない。

さて、そこで冒頭の性別あいまいになってきているという話である

この国において、終身雇用制度は終わりを迎えようとし、世界的に見ても賃金の低い国になりつつある。

そんな社会で生まれ持った持つべき男らしさというものから身を離そうとするのは不思議なことではないのではないだろうか。

嫁を取り、社会に貢献する義務を果たしたくないと思っても仕方がない。

かなり突飛な発想であることは意識しているが、あえてここでは上記のように締めくくらせていただく。

そのうえで、そのように責任を負いたくないモノと社会とがもう一度きちんとささあえあっていけるインフラ必要だと考えている。

それは産業であり、インフラであり、思想である

女装者が、女装者として生きていかなくてもよい社会づくりをするのか、女装者として生きても十分な責務を果たせる社会を作るのか、それはわからない。

ただ、こうあえて書いてしまう。

上記はれっきとした社会問題なのだ

http://anond.hatelabo.jp/20160818112855

しろ曖昧に扱って問題無い事柄曖昧にしておいて厳密にしなけりゃならないところに注目するのが知性ってもんだ

おばけ嫌いをいつの間にか克服していた

幼少の頃、おばけが死を考えることよりも怖かった。

人並み以上には心霊体験もしたし、怖しい夢に眠りを奪われるのはざらだった。

人の言うところの霊感とはこのことなのかと喉の奥においやり、心霊スポットには目を伏せ神仏氏神様に足を向けることもなかった。

ところがしばらく忙しさに時を忘れていると、いつのまにか過剰なまでの恐怖心が身体に残されていないことに気付いた。

それまではどれだけ子供だましだろうとも、心霊という情報が脳に入り込むだけで、呼び起こされる記憶によって一瞬にして背筋から緊張が走り出てしまっていた。

それなのに、今は子供だましを子供だましと落ち着いて見られるようになっていたのだ。

多感な頃に比べれば確かに心霊現象わたしを恐怖させるようなこと稀になった。

相変わらず悪夢が時折わたし現実へとはじき出すことはあるが、それを目覚めて尚心身が恐怖するようなことはなくなった。

なぜだろう。

世の中がわたしを恐怖させようとする度、それに屈しない自分をしばらくの間不思議に考えていた。

そうして辿り着いた結論は2つだった。

多感なころは欲求に突き動かされるままに数多くの必要悪生活をともにしていた。

目的のために傷つく人がいることは摂理と考えていたし、生物運命を掌握できることは人間権利だと信じていた。

それがそうでないということと、そうしなくても生きられるだけの知識経験が身についたことで、知らぬ間に必要悪に頼る必要のない生活を送っていた。

まり心霊わたしを襲う正当性解決していたのだ。

そしてもう一つの理由は、心霊なんかよりももっと、背筋から熱を奪う存在が身近に寄り添っていることに気がついたことだろう。

時を忘れるほどの忙しさは、同時に我をも忘れさせていた。

一体何年の間、光の差さな下水の中を行き先もわからないまま手探りで這い進むような生活を続けてきたのだろうか。

人間しからぬ生活わたし精神から人間らしい部分を削り落とし、人間しからぬ精神わたし身体から人間としての営みに必要な部分を奪い去ろうとしていた。

ただでさえ朦朧とした記憶曖昧になっていく中で、一体いつまでわたしわたしわたしと感じていられるのだろうか。

怖いものを怖いと感じるわたしが失われていく怖さでさえも、もうまもなく失われてしまうのだろう。

今の総理大臣が誰なのか曖昧

安倍さんなんだけど、でももしかしたらいつの間にか選挙があって、

自分の知らない内に別の人になってるんじゃないかと少し不安になる。

それくらいもう政治ニュース全然見てない。

毛嫌いしてるとかではなく、純粋に見る機会がない。

視界に入ってこない。

もし「今の総理大臣は誰ですか?」と質問されたら、

「えっ安倍さんでしょ?違うの?」と言うと思う。

自信がないので

「〜でしょ?違うの?」

が付く。



自分のような国民ばかりなら政治家としては楽なんだろうなと思う。

2016-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20160817025735

ねえ、あんた私と結婚する気あるの?どうなの?



って問い詰めるパターンはわりと耳にするが。

ここで曖昧な返事を返す男は切った方がいいらしい。

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816165405

妄想は帰ってどうぞ。

あくまでも二次の作り手の自主的な線引き

いつも”オタク”で一括りにされると集団意識があるように扱うなとか言うくせに”二次の作り手”なんて曖昧もの持ち出さないでくれる?

電子頒布なんて今でも溢れてるんだっていってるだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20160816185819

だったらその場で警察に突き出せよ

曖昧冗談扱いしている時点で同意と取られても仕方がない

そんな精神年齢中高生みたいなことばっかり言ってるからいつまでもガキなんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20160816161928

大騒ぎするか、しないかなんて曖昧基準なんてお呼びではない

「女湯」に女以外がいればイレギュラー

2016-08-15

昔は暗黙の了解子供を連れて来てはいけないところというのが決まっていた。

コンサート会場、ライブハウス喫茶店お酒を出す店、喫煙者が多い店。

最近ではそういう境界曖昧になっているのでトラブルが起きやすいんだと思う。

あと、犬猫は大好きだけど寺社仏閣に畜生を平気で連れてくる人が多くてびっくり。

2016-08-14

そいつも弱かったんだろうと思いますよ」

以前から気になっていた串焼き屋に夫婦で行って来た。

ハラミタンレバーを頼んだ。残念ながらハツは品切れだった。どれも新鮮で、火の通り加減もちょうどよく、ぷりぷりとした食感で旨かった。

他の料理もどれもおいしく、期待通りの良い店だなあと満足していた。

ただ、隣の客が少し気になった。どうやら店員の先輩であるらしい。こないだの休みは何をしていたとか、誰それの披露宴の余興をどうするとか、ずっと話し込んでいる。狭い店のカウンター席の隣なので、否が応にも会話の内容が聞こえてくる。

そのうち、ひとりだった店員ふたりに増えた。そちらの店員も客の後輩のようだ。皆20代後半くらいに見える。

客と店員距離が近すぎる店は正直あまり好きではないが、まあ次からカウンターに座らなければさほど気にならないか、と思った。

ふと客が、ある事件のことを口にした。某大学ロースクール学生が、学友にゲイであることをアウティングされたのち、心身共に支障を来し授業中に大学で転落死したという、大変痛ましい事件のことだった。

客は、世知辛いねえとか、大変だねえとか言っていたが、それだけではその言葉意味曖昧だった。でも、亡くなった学生に対して好意的ではなさそうなのは何となく解った。

それに対し、後から入った店員が言った。「でもねえ、そいつも弱かったんだろうと思いますよ」



客はその後店員ふたりに酒を一杯ずつふるまい、私が帰る少し前に帰って行った。帰り際にもその客と店員とは同性愛者を嘲笑するような軽口をふたことみこと交わして笑い合っていた。



不思議だ。目の前のカウンターに座っている他の客が当事者である可能性は全く考えないのだろうか。

自分たちのような、何も考えずに同性愛者への差別感情を剥き出しにして笑いものにするような人間がいることが、同性愛者の辛さの一片であるかも知れないと想像もしないのだろうか。

その辛さをチラリとも考えたことがなさそうなのに、転落死した学生を「弱かったんだろう」と言えてしまうのが、不思議だ。



何か言いたかったけれど、何を言えばいいのか言葉が見付からないまま、夫とふたりで店を出た。

腹が立って仕方なかった。

旨かっただけに残念だ。もう二度と行くことはない。

2016-08-11

先ほど日本の全都道府県地図上で覚えた

所要時間は30分もなかったと思う。結構すぐ覚えられるものだ。

36年間も避けて曖昧にしておいたのがアホらしい。

既に覚えてるものとの位置関係と大きさで順番に見たら簡単に覚えられた。




個人的に手ごわかったのは石川県三重県あたりで、最も何があるのか知らない、関心のない県だった。

よく地味県と言われる佐賀は「長崎の手前」だし、

紛らわしいと言われる2県は近畿から下って「鳥取島根」の順だから一度で覚えた。

京都日本海側まで伸びる縦長の府だと初めて気付いた。大阪は小さい。香川も同じぐらい小さい。

自分関東に住んでいなければ1番覚えにくいのは関東中部だと思う、ごちゃごちゃしてるし。




効率よく覚えるのに重要なのは

自信のない県をあてずっぽうで答える(脳内で)のをしないことだと思う。

自信がなかったら何も考えすぐ答を見る。

間違った答を思い浮かべるとそれが残って正答との区別がつかずいつまでも迷う元になる。

間違った答を入れないように気をつければ覚えるのは結構かんたんだ。

2016-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20160809000640

上(下?)の回答から続きです。「2:相手に重い荷物を背負わせてしまう」について。

世の中には「言うまでもなく秘密」という物事がある。「告白」はそれに入る、と俺は思うけど、これも男女差なんだろうか…。

女性の間で恋バナが重要なのはわかる。ただ、そこにも「線引き」がある。あなたも「ゲイであるというプライバシー他人のモノだから、それは喋っちゃいけない」と分かっている。

しかし、その先が曖昧しか分かっていない。



『「ゲイであるというプライバシー」は他人のモノだから、それは喋っちゃいけない』かつ『「愛を告白された経験を話すときでも」それは喋っちゃいけない』んだよ。(「普通コイバナ」での話ね。親友に一対一でとかは別)(その親友がまた別の親友に話すのは無しよ。それはあまりにも口が軽すぎる)

これはできないことではない。事実俺も、俺の友人の女性も「同性から告白されたことがある」とまでは言ったが、名前までは出してない。

「誰々に告白されたんだ~」と言いたくなる気持ちは分かる。俺だって増田で「俺は男から告白されたことあるんだぜ~」と言ってるわけで。ただそこに「相手名前なんて必要ない」の。

自分のモノである「愛を告白された」という経験を喋りたい気持ち」と「相手プライバシー」を天秤にかけたら後者が十分に重いの。そのことに思い至らないってのはやっぱりまずい。

普通に応対してれば「上手くボカして喋らないとまずい場面」まで進まない。その状態まで話が進んでしまっているということは「自分経験を喋りたい気持ち」>「相手プライバシー」と既になって各種情報を出してしまたからこそストップがきかない状態まで行っちゃってるわけ。

自分告白された当事者になったことろで大抵は「同性から告白された。その人は~」という三人称で事は済むの。

だって単なる情報としてなら「誰々がゲイだという情報」が絶対必要だなんて人はいないよ。名前を教えてくれなきゃ友達やめる、なんて人がいたらその通り友達やめた方がいい。



何より、秘密を伝えるにしても時と場所が大切。これは元記事でも一番重要視されていた部分。

1:いままでの人間関係を壊したのは告白した側なのだから、今までと同じように(普通の同姓の友人として/普通の親子として)付き合うのは「もうムリだ」って言われても仕方ない

これはその通りだと思う。

2:秘密という重い荷物を背負わせたのは告白した側であり、告白された側は背負いたくて背負ったわけじゃないのだから、お前の秘密を守るのは「もうムリだ」って言われても仕方ない

確かに「お前の秘密を守るのは「もうムリだ」」と言うのは許されると思う。繰り返すけど、時と場所相手絶対に考える必要がある。例えば義理の母との関係だったら家族会議で知らせることになっても仕方ないと思う。でも「これは家族外に知らせるようなことではないな」という思考が働くよね。それと同じくゲイの友人の場合も、どこまでが許される範囲なのか一度考えてから相談しようということだ。

まりこの二つを加味しても

悩んで悩んで「やっぱ隠しておけない。みんなにも知って欲しい」ってなってもそれも仕方がないじゃないですか

の「"みんなにも"知って欲しい」という部分は間違っている。(言葉のアヤで「誰もかれもという意味ではない」と分かっていたらごめんね。読んでると「普通コイバナ」で伝えてしまうのも仕方がないと読めたので。)

記事でも指摘されていたように「親友相談するのは許される」が「LINEグループ送信することは許されない」友達同士での普通コイバナでだってダメだよ。

同じ秘密を漏らす場合でも前者なら「秘密を漏らしたひどい人間だ扱い」は誰もしない。「告白されたことを親友相談する」てのは古今東西定番だしね。そういう相談ができる親友がいるのはいいことだ。でも友人間LINEグループは勘弁して。

これネットの闇の核心に触れてるんじゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20160809152948

偏差値ではないけど、この感じ、既視感ある。

2ch辺りでアニメアンチたちのアニメ批評なんかを眺めてる時も、理解の断絶を感じることが多い。

アニメ言語化しないぶん、より意図を汲み取れないで妙な邪推してしまう人が多いよね。

 

私が思うに、こうした現象メカニズムはこう。

偏差値というか、ASD傾向がある人あたりが、想像力障害ゆえに突飛な解釈をする→

長文で説得を試みられてもコミュニケーション障害ゆえ納得できない→

反発してますます偉そうにネガティブ解釈喧伝し、目立つ→

感化される人も増える、ってサイクル。

 

ものごとの妙味って複雑で多面的な要素が絡み合っているものから

言葉説明するのは困難だし長文になる。

でも言語化できないまでも、おおかたの人はなんなく汲み取れるんだよね。

本筋のメッセージ性とかの大事な部分を。だから総体的評価ができる。

ASD気味の人は些細なシーン接続齟齬とか曖昧さがあると、

もう脳内補完をしてあげる事ができなくなり、理解が途切れてしまう。

からそこで全てが台無しのように感じてしまうし、

結局自分の思い描いた筋書きしか受け入れられないようになってしまう。

 

このようにファジーな文脈解釈をするのに高度な脳機能必要となる一方で、

作品ネガティブな印象を与えるには一面的なことを短文で罵倒するだけで十分。

健全メンタルの人でも、その一面のネガティブ解釈に注目してしまえば、

他に読み取れたはずの多面的要素を容易に意識外に押しのけて、

まるで陰謀論に取り込まれるかのように感化されてしまう。

 

こういうネガティブサイクルが、ネットのそこかしこで見られる。

それでどんな話題においても、プロ水準の造詣の深さや視野の広さを持っている人の声よりも、

素人のパワフルな罵詈雑言の方が支配的になるし、正義面をするのもうまい

一番象徴なのはヤフコメかな? でも最近ブコメも大差ないかな。

 

まあ、啓発が進んでる分野では、ネット素人意見プロのそれに近くなる場合もある。

たとえばエスカレーターは歩くなとか。

はいえ、それはただ素人集団条件反射的に流れに乗っているだけで、

彼ら一人一人が毎回書き込むたびにプロ並の思索を巡らしているわけではないようにも感じる。

 

こういうところが、ネットの闇でありネット限界だと思うのよね。

 

  • 追記

ASD自閉症スペクトラム障害アスペルガー症候群をさした言葉です。

トラバで指摘されて気づいたけど、

ASD特有っぽいやたら神経質な指摘をする人と、その指摘に乗っかってDisを始める人は

必ずしも同一とは限らないと思う。

ASDの人を害悪扱いする意図は一切なくて、

現象としてそれっぽい指摘が発端になりやすい、という話。

普通そこをそんな卑屈な捉え方しないだろ」って思うような意見

意外に浸透しちゃう理由説明たかっただけです。

2016-08-09

世俗習俗となっているEM

EM効果科学的に証明されていようがいるまいが関係ない。

EM存在し、その効果を信じる人々の信仰は誰にも排除できないのだ。



EM老人会婦人会町内会といった市井の人々の素朴な信仰なのだ

彼はらEMで金儲けをしようとしているわけではない。純粋善意で、EMの啓発を行っているのだ。



そこにいくら非科学的だ、オカルトだと正論をぶつけたところで、彼らには通じない。



彼らにEM非科学性を信じさせるには、一つの方法しか無い。彼らにEM科学的に万能だと信じ込ませた人から否定言葉だ。だが、それは絶対にありえない。

もはや彼らにとって、EMは、それぞれの地域にある鎮守稲荷天神観音といった世俗習俗文化と同一のものになっているのだ。



はたして地方の小さな自治体が、その素朴な信仰を無下にできるだろうか。

幼稚園保育園、小中学校は、地元と密接に関わらざるを得ないのだ。

地元婦人会老人会町内会との良好な関係が、そこに通う児童生徒の教育・養育環境に大きな影響を及ぼすのだ。



EMを苦々しく思っている役場担当もいるだろう。

だがしかしEM公然否定することはできない。

EM否定地域コミュニティ否定に繋がるようになってしまったのだ。

はいえ、公にEM肯定することもできない。

EM肯定的意見ネット流出させてしまえば、袋叩きに遭ってしまうからだ。



EM宗教的だ。だが、宗教として認識されていない。

EM宗教だと、広く認識されていれば、役所人間公然排除できるのだが。



実は、EMの正しい使い方というのがあるのかもしれない。

将来、ある条件下において、EMに含まれる菌の相互作用で、ある効果を発揮することが解明されるのかもしれない。

しかし、その解明されたものは、彼らにとって、もうEMでは無いのだ。

彼らにとって、EMとは、曖昧模糊とした存在でありつづけなければならないからだ。



このような存在になってしまったEMは、健康生命への危険性が立証されない限り、その存在否定することはかなわないだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20160808230448

コミュニケーション能力とかそもそも定義がよくわからん言い回しから



前者は「交渉能力」や「ディレクション能力」、「ファシリテーション能力」や!

結果を求めることや生産性を上げることと、調和を求めることは、必ずしも合致はしないんや!

後者文字通り「周りに合わせる能力」や!

調和を求めることと、生産性を上げることや結果を求めることは、また別問題や!



ちなみに、上記の様々な能力は、人や状況によって意味が変わってくるで!

これを適材適所できちんと相手に伝えられる、または受け取れる力が「コミュニケーション能力」や!



まりコミュニケーション能力が高い人は、「コミュニケーション能力」という曖昧言葉を「あまり使用しないんや!

どうして「あまりなんやって!?

「周りに合わせる能力」も高いからや!



でも安心し!

コミュニケーション能力が高い人は、使用した場合も後からきちんとフォロー入れてくるで!

何でやって!?

交渉能力」や「ディレクション能力」、「ファシリテーション能力」が高いからや!