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2016-12-10

ITmediaはてブボタン復活してる

つの間にか。

あれ?昔からあったっけ?

ていうか撤去されてたっけ?

記憶曖昧だ。

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209180151

お前自分の述べたいことが極めてまとまりがなくて伝わりにくいってことを自覚できてないのか?

俺は明確に数学経験主義の側面を含むと最初から書いてるし、それに後々乗っかったのはお前。

元増田の母の言う曖昧な定量化できない問題を取りざたするなら、数学の未知への仮説も無意味化してしまうという指摘もしている。

また元増田母の述べる経験に関しても一般化によって十分に経験的な側面で語れるとする話も明確に述べている。

こちらはもちろん持論は展開している。そんなの当たり前だし納得させられないのはお前の解説不足。

そもそも最初から以下のURL元増田メンタルの話なんてしていない。

http://anond.hatelabo.jp/20161209135641#NoTree



ここでいきなり仮想空間の話や最先端科学話題「飛躍」していて、控えめに言っても草が生えるんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20161209143330#NoTree

2016-12-08

奇妙で残酷作業依頼 - フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016 15日目

この記事「フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016」15日目のポエムです。えっ、まだ12月15日じゃない?あぁ、そんな事もあるかもしれないですねぇー。でも気のせいじゃないですかたぶん。

まず前置きですが、mesaka さんの書いた記事萌えましたねぇ。じゃなくて燃えましたねぇ。まぁ、会社バカにされたっていいじゃないですか。社員プログラマーバカにされたってしったこっちゃありませんよ。Qiita ユーザーにもバカにされ、はてブに晒され、社会からゴミ扱いされたかどうか分かりませんが、フリーランサーはそれでも生きている限り契約を繰り返し日々前進していかねばならないのです。愚痴ることで生きていけるのなら問題ないのです!というわけで、mesaka さんには最終日の日記でも燃料を投下してほしいと思うわけです。よろしくお願い致しますm(_ _)m

前置き終わり。さてさて、僕がフリーランスだった2004年頃に体験した、奇妙で残酷作業依頼のことを書きたいと思います

フリーランスになる前はゲーム会社社員プログラマーをしていました。コンシューマアーケードゲームを何本か開発したのですが、ゲームの発売が近づくと月400時間以上の長時間労働を行います。そんなことを何回もやっていると人間は壊れます裁量労働制裁量ってどんな意味だろう、、、と考えながら3年働き、もうダメだなと思った時に同期の10人は誰も残っておらず、一番最後退職者となりました。その後1年は携帯ゲーム会社ゆるふわな開発を行い、元気がでてきたところでフリーランスとして働き始めました。

フリーランスとしての一般的作業

初めての契約3DRPG を開発している会社と結びました。準委任契約なので会社に出向し決まった時間働き、毎月決まったお金をいただく形です。業務内容はプログラミングとそれに関連する作業となります。関連する作業曖昧ですが、まぁ雑用含めてお仕事するうえでの作業全てなので、社員プログラマーと働き方はそんなに変わってない思います

一般的プログラム作業であれば、例えば MMORPG の開発ではマップ表示を担当しましたが、これはマップ担当3Dデザイナーさんとデータ仕様などを決めていって、あとはプログラミングするだけのお仕事です。この開発ではプログラム全体の設計プログラマーのまとめ役もやっていたので、メンバーへの指示出しやタスク管理プログラミングに関連したお仕事です。

少し変わった作業だと PS2 で発売した 3DRPG のコードを渡され、「VisualStudio で動くようにして。大丈夫、描画エンジンだけ DirectX で動くものを別で用意したから」という依頼だったりします。幸いにして同じような依頼を前職の社員ときに受けていました。その時は PS 用に発売した 3D 格闘ゲームプログラムを渡され「ナムコのSystem12基板で動かせるようにしてよ。大丈夫PSと System12 の違いは CPUクロックが違うだけだから」というものでした。どちらの依頼もプログラムと向き合うだけの作業なのでとても単純なです。CodeWarrior で書かれたコードVisualStudioコンパイルすると2万くらいコンパイルエラーを吐き出すのですが、それをもくもくと修正するだけです。

新人プログラマー教育係もプログラミングに関連したお仕事です。ペアプロで一緒にゲームを開発していくのはとても楽しかった!あと成長していく新人かわいいぺろぺろ。

当時その会社ではまだバージョン管理ソフトを使っていませんでした。社員毎に Sambaディレクトリがあり、そこにプログラムファイルを配置して共有を行っていました。さすがにこれは不味いと思いバージョン管理ソフト提案も行いました。前職では CVSMicrosoft Visual SourceSafe使用していましたが、CVS には悪夢マスターアップ1週間前にデータが壊れる)しか思い出がない事と、Visual SourceSafe無料ではなかったため、当時流行りだしていた Subversion検証したレポート作成し、それをもってシステム管理部門を説得するということもプログラミングに関連したお仕事でした。システム管理部門企業ガーディアンですので、そうそう実績のないソフトウェア会社内の PCインストールさせるわけにはいきません。2004年頃の SubversionRuby など新しい技術を使う Web 業界ではそれなりに認知度があったかもしれませんが、C++ も使わず C のみで開発を行っているゲーム業界での認知度はとても低いものでした。時間をかけじっくりとシステム管理部門を説得していく必要がありますが、これはプログラミングに関連したとてもとても大切なお仕事です。

なお、会社から社員にならないかとの提案を頂いたのですが、当時はフリーランスという契約のみで結ばれた、ときには人情のかけらもない綱渡り状態スリルと興奮を感じていたため断りました。24歳という若さのためか、それとも前職で壊れた頭がまだ治っていなかったのかはわかりません。

そして奇妙な作業依頼

そのようなプログラミングプログラミングに関連する作業を行っていたところ、プログラマー全体を統括するマネージャーから奇妙な作業依頼を受けました。それはとある社員プログラマースキルチェックをして欲しいというものです。


新人教育でもなく、サポートしながら一緒にゲームプログラミングを行っていくのではなく、スキルチェックです。スキルを見るならペアプロでもしてゲーム実装を行っていくのが良いと思ったのですが、製品にそのプログラムを入れたくという事で却下されました。また、スキルチェックに僕の時間をあまり使ってほしくないそうです。まぁそりゃそうだよねゲーム開発に時間使わないと。そこで、既存の開発とはまったく関係ないプログラム課題を出して実装してもらいました。


しかし、まず課題説明するところから問題が出ます。こちらの説明を全部紙にメモっているのですが、話が先に進むとメモれないとのことでメモり待ちが発生しました。口頭で2分くらいで伝わる仕様10分くらいかかります。全部話しを聞いてから後でメモるのではダメなのかなと思ったのですが、どうもこのやり方でしか話が聞けないようです。


翌日に進捗を確認たかったのですが帰ってしまっていたので、次の日の朝に進捗を確認するとまだ実装中とのことでした。分からないところがあれば聞いて欲しいと伝え、作業を続けてもらいます毎日こちらから進捗を確認するのですが、もう少しでできるという返事を貰う以外に特にアクションを起こしてきません。そんな状態で1週間が経ちました。ちなみに課題は1日くらいで実装できるものと想定していました。そして、この状況をマネージャー説明し、チームメンバーに入れれるかという質問には難しいと答え、作業は終了となりました。


そして、その社員プログラマー退職していかれました。

社員解雇

フリーランス解雇簡単です。しかし、社員解雇というのはとても難しいものです。金の横領など分かりやすい行動をとった場合は別ですが、プログラミングスキルが低い事で一方的解雇しようものなら逆に訴えれて終わりです。僕の今まで関わった会社さんでも、解雇した社員が訴えを起こさない代わりに和解金を要求し成立したケースもありました。スキル不足の社員解雇するなら、社員にその事を納得してもらい円満退職してもらうのが良いと思います。納得してもらうには情報必要です。「○○を依頼しましたが、あなたは達成できませんでした」という情報をいくつも集めて納得してもらいます退職していかれた社員プログラマーフリーランスの僕のところに来る前、2人の社員プログラマーのもとでスキルチェックを受けていたそうです。僕で3人目だったわけですね。それら3人分の評価を伝え、納得してもらい退職してもらったのだと思います


なんにせよ、一連の流れの中で僕は社員印籠引導を渡すという残酷作業をしていたわけです。正直楽しい作業ではありません。このような不幸なフリーランスを増やさないためにも社員の方々には採用時のスキルチェックをしっかりと行って頂きたいと思う次第です。というかそいう首切り作業社員でやって。。。あ、でも外部委託した方が会社としてメリットが大きいか

フリーランスのその後

こちらの会社さんがある意味消滅と言ってしまえるような状態になったので別の会社社員として働いたものの、また頭がおかしくなってたのかフリーになり、受託用の個人会社まで設立し、その会社も今年で閉じ、今はサンフランシスコ英語勉強趣味プログラミングをしています。あまり普通ではないので最初会社でアホになってからそれが治ることはなかったようです。長時間労働マジ怖い。

自己紹介が遅れましたが akiraak といいますQiita に糞ポエム晒すのは公衆衛生上よくないと思い増田に排泄した次第です。Qiita ではこんなのを書いています

TensorFlowで株価予想シリーズ

ディープラーニング面白いのでみんな遊びましょう!

2016-12-06

絵かきとパソコン

絵かきの友達パソコンを修理したりする度に、

「なんでこいつらはパソコンのことを画材として扱わないの?」って思う。

アナログで絵の具や紙をちゃんとした場所に保存したり、筆のメンテナンスをするように、

パソコンもちゃんとメンテナンスしろっていうか知識を身につけてくれ。




あと「パソコンならどんな効果簡単にできる」と思って仕事を振ってくるヤツもちゃんと勉強しろ

勉強する姿勢のある人の指示はどんどんわかりやすくなるけど、

とりあえずパソコン作業は人に任せとけばいいだろみたいな姿勢の人はいつまでたっても「パソコンでちゃちゃっとなんとかしてよ」みたいな曖昧な指示を出してくる。

知識がないにしても勉強する姿勢が見えるのと見えないのでは印象が違うよ。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161203200232

比較するからだし 基準曖昧すぎだからじゃないの

正しいものが正しくあるというのはそれを取り決めている範囲内だけなので

時計って機械は中身はどれも同じ規格で決まり機能でできてる

まじめで型にはまり切った仕事動作をするだけの単調なもの

でも表面入れ替えただけで商品多様性をもってるようにみえるけど

正確に時を刻まないふざけた文字盤の時計ふつうにいらない

正確に時を刻むだけでなんの変哲も無い時計は最低限時計としては必要とされる

そういう価値役割だとおもうんだけど

http://anond.hatelabo.jp/20161202181525

自分かと思った


全く同じ感じで金曜休んでしまった ついでに休職して復帰したという状況も似てる


職場に連絡入れるのが精いっぱいでとにかくそれさえできたら一仕事終わったって感じで起きたら夕方だった


どうしたら改善できるのかはわからないけど納期前のきつい時期は意外と休まなかったか明日休むとすごく困るぞ的な意識はあるのかも


そのかわりそれが終わったらガクッとダメになって動けなくなったわけだけど


はい特にそういう状況がなくても普通に行けない日もあるから単に疲れがどうってのだけでもなさそう


なんとなくスケジュールとか仕事内容が曖昧な日のほうが休んでしま確率が高いような気がするので


うまくタスク管理できてれば少しましになるのかも?(あくま自分の話ですが)


でも基本的には休んでいいんじゃないかと思ってる 有休余ってるし



あと関係ないんけど休職した時は「今日休んだらもう辞めるしかないな、行ったら続けられるんだろうな」ってぐるぐる考えてて


「行けない」って思って「もうだめだ、辞めよう」って思ったらなんか少し安心して、ずっと布団の中なのに寒いような感じでぶるぶる震えてたのをなんとなく思い出した


だるくて行けないとき すごく重くて沈んでいく感じの時と、この寒いような感じの時があって もしかしたら原因がちがうのかも

http://anond.hatelabo.jp/20161204005748

係り受け曖昧で何言ってるのか分からん

連続で重複投稿したことから考えるに君は頭に血が上っている

そんな人にかける言葉は一つである

「シコって寝ろ」

2016-12-03

山本一郎が叩かれてるけど

まあネットの傾向からしたら嫌われる役どころだけど、双方に対する事実確認って普通に必要だよねとも思う。

二人の話は噛み合ってないし、町山さんもネイバーまとめなんて引っ張り出さんでもと思う。

やたら「撤回がー」とこだわってるのも、タブーを扱ってるっていう高揚感からだと思うし、どうも冷静でないように見える。

最初の町山さんのツイートだけ信じて、あーだこーだ言うのもなんか違うと思うし、やっぱ確認必要でしょ。

それがネットで口酸っぱく言われてるリテラシーってものなのでは?

今回ネットで叩かれてることの事実関係確認たから叩かれてるけど、その逆だったらむしろ賞賛されてたんじゃないの。



最低でも、契約関係がどうなっているか大川Pへの直接の取材事務所への確認テレビ局への取材、町山、山本への取材、くらいは揃えないとわからない話ではある。

心情的には応援したい側はわかりやすいし、善悪単純化やす問題だと思うけど。



ていうか、町山さんが証拠を出せば一発なのに。

関係者迷惑がかかる」というならなぜ最初からこういう曖昧なことを言い出す。

結局、本質的問題解決する気もなく、愚痴ってるだけになっちゃってる。

2016-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20161201115116

三重近畿東海曖昧になってるんだけど、大阪とは奈良に隔てられているか名古屋に擦り寄るしかないんだよな

http://anond.hatelabo.jp/20161201053650

「ち」が音便で濁る場合は「ぢ」と表記するのが基本規則で、合成語の元の言葉を把握しやすくするものなんだよ。

カナ文字表音文字から音だけ表せばよいという気持ちわからんではないが、表音文字つっても、厳密には音声を表してるんじゃなくて「音韻」を表してるんだ。

音韻説明するのに典型的な例としては「ん」がある。 例えば「しんぶんし」はヘボン式ローマ字では "Shimbunshi" と書く。 「ん」は音声としては "m" の場合も "n" の場合もあって実際に違う音を出している。 しか日本人はこの違いをほとんど意識することなく同じ音だと思っている。

ならば逆に、音声として同じ「じ」と「ぢ」を同じ音と認識しているかというと、出自が違う音がたまたま同じ音に発音されていると考えるのは自然なことで、統一してしまうのはちょっと乱暴な話だよね。

そうは言っても、時代を経ると区別曖昧になっていくのだろうけど。

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************


さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

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さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-30

ちょまどさんは気の毒なんじゃないか、この施策に何の得があるのか

いつものやつなんじゃないかと。

マイクロソフトさんってオタクを取り込んで支持層を広げようとして失敗する、っていうモーションを何度か繰り返してますよね。前も二次元キャラを作ってスベってませんでしたっけ。

ちょまどさんのツイッターを見るとマイクロソフトに入って何ヶ月目だ、なんて書いていてやたらマイクロソフト自分を一体化させているし、髪を切っただの何だの、それに対するリアクションを含めて、完全にマスコットキャラとして作り込んでますよね。

これってちょっと前に流行った二次元キャラを使って企業広報して、ネット住民を味方につけようっていう戦略を、そのままやっているだけですよね。ただ、それを「マスコットキャラなんですよ!」と言わずに、「エバンジェリスト」とか言って曖昧にして、技術者なのか何なのかよくわからなくしている。しかも、実在女性がやっていて、それに下心まるみえ取り巻きがついているか気持ち悪く感じるわけで。

しかし、マイクロソフトさんはそういうマスコットキャラ集客して、いったい何の得があるんですかね。悪目立ちにしか見えません。なんか「若者支持層を拡大する施策を打ってくれ」って誰かが命じられて、その誰かが「ほら、これだけフォロワーついてますよ!」と上層部ドヤ顔するために連れてこられたとしか思えません。

なんだか気持ち悪い界隈だし、巻き込まれている人は気の毒だ、という印象を与えている現状は、PRとして失敗なんじゃないでしょうか。

2016-11-29

エンタメがなんなのかわからずじまい

娯楽それぞれ

http://zokugo-dict.com/04e/entame.htm

エンタメとは「娯楽」「気晴らし」「余興」「演芸」「軽い読み物」といった意味英語"entertainmentエンターテインメント)"の略である意味エンターテイメントと同じように使われており、単に語呂のいい形に簡略化されただけであるエンタメ映画ドラマアイドル小説パチンコゲームと様々なもの対象に使われるが、同じカテゴリーにあってもそこにエンターテインメント性(娯楽性)がなければエンタメには区分されない。例えばニュースを扱うサイトの中で政治経済事件を主に扱うサイトエンタメサイトに分類されないが、芸能映画スポーツなどエンターテインメント性が強い記事が中心のサイトエンタメニュースサイトとして扱われる。人気お笑い番組エンタの神様」のエンタはここからきている。

ここでは娯楽性。



https://goo.gl/BU3nJq

 エンタメとは、エンターテインメントentertainment)の日本式略称で、人々を楽しませる行為パフォーマンス)を意味し、主にその場かぎりで消費される演劇映画芸能などについていう。絵画建築作品のように希少性と永続性がないので、エンタメ提供者は、なるべく多くの人々に比較安価価格で見てもらうことによって日銭を稼いでいる。また、演劇寄席芸能などは、文学書籍)のようにいつまでも自分の手もとに置いて楽しめるものでもないが、たいして関心のない団体ツアー客や、何度も同じ演目を見に来る物忘れの激しい客をたよりに糊口をしのいでいる。音楽映画などは、パフォーマンスを記録したメディア販売され、子どもをだまして大量販売に結びつけることも可能なので、演劇芸能関係者よりはお気楽生活を送っている関係者も多い。(CAS)

文末に首をかしげるが、単語意味については「人々を楽しませる行為」、としか書かれていない。



エンターテインメント-Wikipedia

https://goo.gl/K98F6m

エンターテインメント(英: entertainment[1][2])は、人々を楽しませる娯楽をいう。抽象的な意味もつ言葉であるが、楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜きレジャーなどが類語となっており、エンターテインメントにはそういった意味合いを含む。似た意味を持つ言葉としてアミューズメント(英: amusement)も娯楽を指して使用され(アミューズメント施設など)、エンターテインメント範疇に含まれる。

ここも娯楽ですよ、としかいっていない。



Yahoo! 知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213791332

エンタメ小説とはエンターテイメント小説、すなわち娯楽や読む人を楽しませることを

目的として書かれる小説です。娯楽小説通俗小説大衆小説とも呼ばれます

文学とは、それらも含めた言語により表現される作品一般を指します。

小説、詩、俳句短歌日記随筆戯曲などが含まれます

もう一つ、純文学というのもあります。これは大衆小説と相対する言葉で、

娯楽や商用よりも芸術性に重きを置いた小説のことです。

ですが純文学といわれる作品商業成功を収めたり、

完成当時は娯楽的だったものが時を経て文学的評価されるなど、境界曖昧です。

ここは結構正しいこと言ってる。正規文書じゃないけど。

まり映画などをすべてエンタメとして捉える上記辞書系の定義と違い、それ以前の小説世界エンタメ定義されている。

現在文学的、という言葉映画アニメも再評価されつつあることを考えると無視できない。



エンタメには“中二病”的要素が必要不可欠?』

http://www.oricon.co.jp/special/47728/

ここはどう考えてもエンタメ=従来のアクション映画などの娯楽思考の強い作品、というステレオタイプが見える。

進撃の巨人ピックアップされていて非常にエンタメ性質がわかりやすい。



時代によってかわる芸術定義

http://www.stonetherapyschool.com/periods_art.html

知恵袋と同じように時代によって変遷する、という意見

ドンキホーテが例に上がっている。



ライトノベル定義/ラノベ作家になるには』

http://syousetuka-naruniwa.com/category4/entry16.html

ライトノベルというのは主に若年層を中心に人気を博しているエンタメ要素の強い小説です。

ここでは明確に文学的ものではないラノベ、という感覚的発想が見える。



ピュアサイドチェイン ‏@quisye 11月20日

何か言った気になりたいなら適当エンターテインメントとかドラマとかって曖昧ふわふわした語に詰め込んで、「ドラマ性が薄いかエンターテインメント性も薄い」みたいに言えば済んでしまう。もちろん定義へったくれもないから紙より薄い言葉なんですけど。

公共性の薄い個人発言無断引用なので埋め込みとか目立つ方法はひかえた。

公共性定義とかそういうのは突っ込まれても困る。

この人の中では定義のものの鍵はドラマ性と言ってる。



いったいなんなの?

色々見てみると明確な定義はない代わりになんとなく芸術性及び思索性が皆無なものエンタメと呼び、

後にエンタメ化することはなくても後に文学化することはあり得るとよめる。

この世界の片隅に』は文学へと変質しかけてるし、後年『君の名は』が文学扱いされるには苦しさがある。

三国志とかエンタメかつ文学じゃん、とか言い方はあるだろうけど、

三国志演義に限ってはエンタメでも区切りとしては間違っていないように思える。

たとえば新海誠を語る文脈上において勉強の側面が強くなってきたら、文学的な扱いを受けるかもしれない。

あるいは今だって新海誠作品方向性は語られて文学的芸術性やら思索なんかを生み出そうとしている。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1472797135219.html

そして文学的ってなんだよ、という話がまためんどくさい。これはこれでだいぶ未定義で、

少なくとも今回の件ではコトバンクの「文芸作品にみられるような趣があるさま」に近い。

実際古典化してお勉強の側面が強くなると何故かエンタメ文学なっちゃうところがある。

エンタメ的な動きの激しさ、積極的に楽しませようとする進撃のような要素、

思索や情感をメインとしない話という意味君の名はエンタメだけど、

この世界の片隅に』ってそうなのかなという疑問符個人的には残りまくる。

http://anond.hatelabo.jp/20161128081913

2016-11-28

自分が今まで無事に生きてこれたという事実奇跡しか思えない

私の家にはテレビがないが、実家、友人や恋人の家、旅行先や出張先のホテルなどでテレビをつけると、

何らかの犯罪おかしたり、あるいは巻き込まれて死んだり怪我をした人についての報道がよくされている。



それを見るたび、私が今まで無事に生きてこれたという事実奇跡しか思えなくなる。

サーカスの綱渡りのように、恐ろしいほどギリギリバランスを保っているように感じて怖くなる。



私はとても不注意な人間だ。

病院に行ったことはないが、多分何らかの発達障害なのではないかと疑っている。

しか生活に支障はない(忘れ物は多い)。

今は、私は自分という人間特質をかなり把握していて、問題が起こらないように気をつけて生活できている、と思う。



子供の頃は本当にひどかった。

どういう訳なのか今の自分から想像がつかないのだが、とにかく自分の身を危険晒したがっているとしか考えられない行為をしていた。

例えば…



学校彫刻刀セットをもらったら、自分の膝で試し切りをして血だらけになる。

ごつごつの岩に高いところからダイブして全身血だらけになる。

あえて車のドアやエレベーターの扉に手をはさむ。

道路で、車が通りかかると走って近づいて、轢かれそうになるスリルを楽しむ。

風呂溺死一歩手前まで息を止める一人遊びをする。

少し高いところから飛び降りて、頭から着地する。



思い出しただけでもこんな感じだ。多分忘れていることもあるので、まだまだ余罪?はあるだろう。

頭は3ケタを超える回数ぶつけていると思う。ひどい場合には車に轢かれてふっとんで頭から着地して、救急車で運ばれたこともある。

私の親は教師で、すごく厳しかったが上記のことで心配はされても怒られたことはなかった。

馬鹿ではあったが、わざとやっていたわけではなかったからだと思う。

田舎で、学校は少し荒れていたしヤンキーみたいな子もいたけど、

親に迷惑をかけたらまずいという抑止力がはたらいて、自分は品行方正を心がけていた。



今は20代後半だが、今までずっと健康のものだし、犯罪おかしたり巻き込まれたりすることなくここまできた。



犯罪などの危機(したりされたり)を回避する能力というのはどのようにして養われるのだろうとよく考える。

私のような不注意な人間が、今までどうして無事でいられたんだろう。

それは、やっぱり環境だろうなと思う。

ここでいう環境というのは、家庭のことだ。

私は、前述したように子供の頃はかなりヤバめの奴で変な人オーラ全開だったと思うので、結構嫌がらせをされたりした。

でも、両親の仲が良くて、いつでも見守ってくれて励ましてくれたから、

無意識のうちに色々な場面で踏みとどまって危険から逃れることができたのだと思う。



こういった表現には反発をおぼえる人がいるかもしれないが、

今、私や君が立っている「こちら側」と、犯罪に関わってしまった人がいる「あちら側」の境目は

きっとすごく曖昧で、けれど確実に存在する。

私は、「あちら側」に行きたくないし、他の人にも絶対に行ってほしくない。

だけど、全員が恵まれた家庭に生まれることはできない。



私は結局親と同じように教師になった。

まだまだ未熟でできることも少ないが、自分の生徒たちが「あちら側」に行かないよういつも気を配っているつもりだ。

だけどニュース今日も「あちら側」に行ってしまった人のことを報道しているのだろう。

私はちっぽけな一人の人間に過ぎないので思い上がりも甚だしいのだが、そういうことを考えるとものすごい無力感に襲われる。

そして、自分が今にも「あちら側」に行ってしまいそうな気がして怖くて仕方なくなる。




私と同じように考えている人はいるのだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20161128135949

質問してそんな回答がくるのって、質問のしかたが曖昧すぎるんじゃね?

「どうしたらプログラミングが上達しますか?」みたいな質問しないと、いきなりそんな返事する人いないでしょ。

この世界の片隅に興行収入

ヒット!って無邪気に言うのは簡単だけど、もうちょい皆数字に誠実に向き合ってくれ。


単館系映画としては異例の・・・

みたいなこと言ってる人もいるけど、初動63館公開って結構規模大きいからな?

最近は単館系映画も公開するところが多くなってその辺の境界曖昧になってるんや。


こういう適当なことやってるとメディアステマしてるみたいな糞みたいな噂はやって失速しかねなかったりするからな。

いまんところは上昇傾向だけど、下手すると後々の映画評価に傷をつけかねないから注意してくれ。

下手こくと、糞みたいな粘着アンチが現れてレビューとか崩壊する。


つうかネット記事書いてる人はその辺の数字全然意識してないけどあれなんなの?

プロでもたまにヒットとか言ってるやん。

SNSで広めた作品は容易にSNSに牙をむかれるからな?

クチコミで広がりつつある。」

とかそういう風に言葉には気を使わなあかんのや。

著名人が絶賛。とかだったら嘘ついてないからありやな。


ちなみに個人的感想としてはめちゃくちゃ面白かったです。

2016-11-27

トリコさんとインターネットの最強の病

 は、匿名であることでも、まとめサイトでもなくて、

 いったん見たり読んだりしたらそれだけでおしまいなところだと思う。

 要するに、対話継続しない。

 コミュニケーションがはじまらない。


 まあそういう意味SNSはまだマシな方なのかもしれない。

 深刻なのはブログだ。

 ホッテントリtwitterRTなんかで

「こんなバカがいるぞ!」

 と晒されれば、そのブログ過去記事やそれ以降の記事なんかチェックされず、

 ただひたすらバカとして叩かれまくる。

 その記事たまたま曖昧だったり、よくわからなかったり、ある種の人々の癇に触れるようなものだったら即アウトだ。

 それ以外の記事いかに誠実で、理知的で、有用なことを書いていようが無視されて、

 一発で「こいつはアホ」だとインターネットで晒されて消費される。

 仮に著者が「ああたしかにあの記事はよくなかったかもしれないな」と反省してちゃんと弁解してももう遅い。

 余程話題になった人か、有名人がやってるのでもないかぎり、継続してそのブログをチェックする人なんていないからだ。


 誰の話をしているというか、有名はてなーであるトリコさんの話だ。

 先日、彼は

戦争と敗戦ですごく傷付いてたんだって認めたほうが良い気がする - 山下泰平の趣味の方法

 という記事を書いたのだけれど、これを読んだ人たちが起こった。

 twitter でこんな感じで批判された。


ざっと読んだだけだけど、この国が主にアジアの人たちをたくさん殺したりいろんなものを奪ったんだという加害の視点が全くなくてひどい。/戦争敗戦ですごく傷付いてたんだって認めたほうが良い気がする


戦前の加害責任にあまり無頓着だったので80年代ごろから自省的な視点が出てきたって流れを正反対に語ってる。戦後歴史まで修正されるというわけか。


何の感想なのかさっぱり分からない。

何を元に書いた文章なんだろう。

歴史記事でも読んだのだろうか。

認めたら、どういう結論に持って行きたいか見え透いて嫌。


 要するに、コトリコネトウヨに与する糞野郎だと思われたわけだ。

 気持ちはわからないでもない。

 たしかに当該記事は全体的にふんわりしていて、論旨がわかりにくい。

 コトリコさんは最初自身twitterで「日本語の読めないクソ野郎が」みたいな感じで怒ってきた人たちに対して怒っていたけれども、

 自分でも何か思うところがあったのか、そのあとでそのツイートを削除し、新しい記事を立てた。


近代の資料を見せられた時に - 山下泰平の趣味の方法


 箇条書きにしているので、言いたいことがわかりやすい。

 わかりやすくしたところで、怒ってきた人たちは「いや、私たちが怒ってるのはそういうところじゃないんだよ」と反論してきて、

 コトリコさんも「やっぱりあいつらはクソだった」と爆怒りしそうだけど、

 それはそれでいいんだと思う。

 怒りあうのが対話というものだ。


 コトリコさんはえらい。

 怒られて、一旦ぶちぎれたのに、

 ちゃんと内省して、気持ち説明しようとした。


「そんなつもりじゃなかった、というのは全然弁解にならない」という論法流行っているけれど、

しか差別とかはそういう面があるけれど、なんでもかんでもその論法を当てはめるのは極端すぎる気がする。

相手が歩み寄れる徳と知性を持っているなら、「そんなつもりじゃなかった」を聞くのも悪くないんだ。

「そんなつもりじゃなかった」相手に傷つけられた、ということは、自分の気持をわかってもらえなかった、ということでしょう?

自分の気持をわかってもらうために、相手気持ちも聞きにいく、というのはコミュニケーションのあり方としては常道なんじゃないんですか。


そもそも「そんなつもりじゃなかった」という人の八割は

ナイフで刺したら漠然相手が大怪我するだろうな、とは考えてたけど、死ぬまでとは思わなかった」

みたいな人です。

程度問題として「そんなつもり」じゃなかったのであって、「それがナイフだとは思わなかった」とはまず考えていない。

ナイフだと思わなかった」と弁解する人はほんまもんバカか、うそつきです。


そういう意味において、コトリコさんは「そんなつもりじゃなかった」とは言っていない。

「おれの持っていたコレを見て、ナイフだと怯えていた人が出てきたけど、俺的にはコレはカステラです」

淡々とそれがカステラである理由を補強する特徴を述べているにすぎない。

誠実だと思う。

それを読んで、「なんだやっぱりこいつはナイフカステラだと勘違いしてる狂人じゃないか」と考える人も出てくるだろう。

トリコが持っているものナイフカステラかの判断はどうつければいいかは、まあ、読んだ人とコトリコさんの問題だ。

そういうものが、対話で埋められていくギャップなのだと思う。


でも、コトリコさんを批判してた人はコトリコさんの新しい記事を読まないんだろうなあ、と思う。

たぶん、みんなコトリコさんのブログを初めて読んだ人で、twitter で「こんなバカがいる」とそれまでの自分経験に基づく類型に押し込めて消費して、

相手にも聞くにたる「言葉」があることを想定しない。

まあ、それは敵にしろ味方にしろバカばっか相手にしてきたせいで、

そう判断するのが「合理的」だからなんだろう。


他人存在想像しないバカの内心を忖度する必要はない。

それはそのとおりだとおもう。

でも、そのバカがこちらの気持ちを慮って行動を取ってきた場合

その言葉には一聴の価値がある。

それは誰でもわかっていることなんだろうけど、

不幸なことにインターネットというプラットフォームでは、

いったんバカ認定したらその人間言葉永遠に聞かないでいいことになっている。

誰が悪いわけでもないけれど、

病んでるな、と思います

http://anond.hatelabo.jp/20161126152737

表現の自由(第21条)のはてないちゃもん感すごい。

集会結社及び言論出版その他一切の表現の自由は、 保障する。

2 前項の規定にかかわらず、 公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、 並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

公益曖昧から表現の自由制限されるとか本気でいってんだよあいつら。

だったら現行憲法

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住移転及び職業選択の自由を有する。

公共の福祉曖昧から職業選択の自由がないわけ?

自民党に反対したいだけだろお前ら。

羨ましい。

ピクシブで私よりもブックマーク数多い人が羨ましいし、楽しそうにツイッター交流してる人が羨ましい。

勿論私よりもブックマーク数が低い人だってたくさんいる。いるけど、やっぱり上が気になる。貰ったブックマークはすごく嬉しい。嬉しいけどどうしても他人と比べてしまう。

二次創作ヲチがそこはかとなくあるのも、こういう理由なんだと思って、自分のことが嫌になった。

好きなもの好きなようにしか書いてなくて、それを理解したり「私も好きだよ」って思ってくれる人しかついてこないのは当然なのに、多く理解されてる人がいると「私だってこう思ってるんだよ、ねぇ分かってよ」って人に押し付けたくなる。作品が好きなのか評価されたくて創作ちゃうのかが曖昧になってくる。そんな自分が嫌だ。

ツイッター交流タグも流すんだけど、見てもらえないまま流れてく。でもそもそもが捻くれてて仲良くなれる気もしないから、仕方ないのかもしれない。

壁打ちアカウントだよ〜って言ってて、数千、万超えフォロワーがいるとそんなの壁打ちじゃないじゃん。ってすこしいらっとしてしまう。私も「好き」を共有したいけど、うまく話せないしタイミング逃すし人の好き嫌いはっきりしすぎててそこから先が仲良くなれない。

自分に都合がいいフォロワーが欲しいのだなあと思ってやっぱり自分は屑だと悲しくなった。

2016-11-26

chomado とその "囲い" を叩く人間は終わっている

まずはじめに断っておくと、自分は chomado ではないし、また chomado の "囲い" でもない。

chomado, あるいは chomado によくリプライを送る人間を "囲い" と称し、ボコボコに叩く人々を Twitter でよく見る。彼らを見ていると本当に腹が立つが、その理由自分でもよく分かっていないので幾つか思いついたものを書き出す。

  • 普段は「大きい主語は使わないべき」だとか、(上にも書いたが)「技術に誠実であるべき」とか言っているにも関わらず、自分からそれをどんどん破っている。

ここに挙げたような理由意識した上で "囲い" をボコボコに叩いてる人間ほとんどいないだろう(そう言われると腹が立つかもしれないが、chomado とかに自分らがしていることと同じことだ)。

こういう「叩く」行為正当性が与えられる理由があるなら教えてほしい。

4つの性別を持つ鳥「LGBT自然界がエール」的なブコメ散見されるが牽強付会ではないか

4つの性別を持つ鳥「ノドジロシトド」 - GIGAZINE

http://gigazine.net/news/20161125-sparrow-with-four-sexes/

http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20161125-sparrow-with-four-sexes/

この鳥の研究では、遺伝子規定される性・セックス生物学でも性をジェンダーと言うが、社会的性との区別のために

質的性をセックスとここでは呼ぶことにする)がつがいの行動として発現していることがわかった。

一方、人間LGBTは、先天的な要因であれ後天的理由であれ、主に社会生活上の立ち位置という意味での

性・ジェンダー問題であり、本人そして受け入れる側の社会問題である

仮にLGBT固有の遺伝子発見されたとして、遺伝からしょうがない、おまえ遺伝子持ってないのにLGBT名乗るなよ、

となったら逆にジェンダーフリーネスに反するのではないか

「性の定義曖昧さ」という言葉をは、ジェンダー人間社会的性・性的嗜好セックス遺伝子的な性の現れ方の多様さ

あいまいなままに混同して自説有利に誘導するのは不誠実。

同性愛自然に反する」への反論として「ノドジロシトドは4性だ」をぶつけるのは後ろ弾だろう。

おなじようなことを反LGBTにやられる覚悟がないならやめたほうがいい。

2016-11-25

逆に夢の世界こそが本当の現実で、何もかもを創造することもでき好きな事が可能

それは肉体の脳がオフ化しているときにだけシミュレートを解除して夢(真の現実)にゴーストを引き戻させているのか、

そして再接続する際に記憶の消去が曖昧だと、ようするに夢を無理やり思い出そうとするとおかしくなりやすいのもこちらの世界記憶の引継ぎを無理やり行おうとした結果エラーしているのかもしれない

曖昧おじさん

仕事出会ったおじさんが酔ってるのかってくらい曖昧状態

大声で独り言を言ったり俺今トイレに行こうとしてたんだっけ?などと尋ねて来て困る

仕事はちゃんとできてるけどなんなんだろう

今年の紅白歌合戦が楽しみだ

三十二才無職だが、

録画していたNHKニュースを観ていると紅白出場者の発表会見の様子が流れていた

きらびやか衣装に包まれ

アイドルタレント歌手俳優アナウンサー達がそれぞれの紅白に対する抱負を語っていた

無職になってからというもの

日々、現実感をなくし自己存在意義世間の有り様がなんなのか判然とせず

毎日曖昧ぼんやりとした日々を送っている

社会のなかで人目を避け透明となり義務感や焦りから目をそらしてうまく斥けようと努めてきたおかげでもある

こうした日々を送るおれの眼にも上記の華やかなテレビタレント達はひときわ輝いてみえ

ああ、おれもこのような快活で恵まれ人間として世にでてみたかったと、自然と羨望の眼差しでみてしま

無論、彼らのプロ意識や修練はおれなどには想像も及ばないものだろう

若くして抜擢され成功するアイドルグループ

年齢を重ね着実にキャリアを重ねてきたベテランや中堅

斬新な切り口で今年、一世を風靡した人達

輝かしい晴れ舞台に選ばれた彼らの今年の集大成を是非この目で見届けたいと思った

せめて今年の紅白を見届けるまでは生きねばならぬ、とさえ思った

はいえ、年末年始といえば子供の頃からゲームに熱中していて、今まで一度もちゃんと観たことがないので本当に観るかどうかはわからない

マニア指向というかあまりミーハーものに興味を持たない気質もあった

いやいやしかし、そんなことはない

今年こそ、この熱は決して覚めないだろう

紅白人達テレビ画面の向こうのスタジオ

おれのお茶の間から熱視線を待っていてくれ

2016-11-23

ダメモトで愛の告白をしたら予想外すぎる返事が返ってきた

僕(Aさん)は35才のさえないおっさんである



身バレが怖いので曖昧申し訳ないが、趣味の場で、ある女性Bさんに出会った。

彼女は僕の10才下で、大人しそうでいっつも本を読んでいるお嬢さんである

初めはなんとも思っていなかったのだが、声が凄く可愛いのに気付いて気になり始めた。

そのうち、ごくたまにしか見せない笑顔とか、優しいところとか、恥ずかしいときに見せる仕草とか

そういうのを見ているうちにとても好きになってしまった。



10才も下の女性アプローチするのは正直どうかとも思ったが、

まり恋愛経験がなさそうだし、彼氏もいないようだし、追い詰めすぎず押せばいけるかもしれないと踏んだ。



色々と頑張って、つい先日何度目かの二人での会合(つまりデート)を開いた際に告白をした。

Bさんは真っ赤になってうつむいて、そして思案しているようだった。




こりゃだめかな。

そう思ったとき、次のような幻聴が聴こえた。

「Aさんは性欲が強いですか?」

まりにも、この場に、そして彼女にふさわしくない台詞だったが、まぎれもなく彼女の口から出た言葉だった。

あれかな。Bさんは結婚まで貞操を守り抜きたいタイプなのかな。

僕としては彼女の考えを尊重たかった。そこで、普通だと思うけど無理強いしたりはしない、と答えた。

Bさんの表情が、なぜか少し曇った。

その後、小さな声でためらいがちに彼女が語ったことはあまりにも驚愕すべき内容だった。

まとめると、

①Aさん(僕)のことは嫌いではないが、まだ出会って浅いので好きかどうか分からない。でも気持ちは嬉しい。 ←わかる。

②私(Bさん)はとても性欲が強い。 ←そ、そうなんだ

③私としてはお付き合いすることに前向きだが、会った時は毎回セックスすると約束してほしい。 ←?

ということだった。

いきなりこんなことを言われても戸惑うだろうから、次に会った時に返事を聞かせてほしいと言って彼女はすぐ立ち去ってしまった。

こう書くと、彼女がいきなり糞ビッチに豹変したかのように思う方もいるかもしれないが、要約するとこういうこと、という意味

本当はかなり婉曲に表現されているので誤解しないでほしい。




フェイクを入れてあるので、きっとこれは彼女が見ても分からないと思う。

しかし、真実を曲げて書いているわけではない。

僕は本当に困っている。



清楚な彼女にそのような一面があったことは非常にショックだった。一瞬幻滅しそうにもなった。

だが同時に興奮もしている自分に気がつき、結果的には「悪くない」と感じた。



僕は彼女が好きで、彼女と滅茶苦茶セックスしたい。

でも、毎回セックスできるだろうか?

約束というのは神聖ものだ。いい加減に考えてはいけないと僕は思っている。




どうしたらいいのだろう?







11/24 

Bさんは、今までお付き合いした男性は一人しかいないようです。

僕も彼女本が好きで、特に澁澤龍彦や谷崎や川端安部公房の本の話を結構しました。

これは僕の考え、というかそうであってほしいという妄想なのですが

そういったちょっとエロティックな要素のある小説を僕が愛読しているとのことで、打ち明けてくれたのかな…?と。