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はてなキーワード: あいとは

2016-06-25

はあああネガティヴイケメン男子

心中しようねって泣きながらベッドで抱きしめあいてぇ

2016-06-24

ねこみこれいむあいしてる

うおおおおお~~株で損した~~ああ!!

っつっても八千円だけどな。

ささやかギャンブルとして、今日は500円儲かったな、ありゃ今日は800円損したか

おおよっしゃ今日は1200円ん!!

といった具合で慎ましやかに一喜一憂してた。

8割遊びで、2割はもし万一大当たりして2倍になったら売ってやろw、という気持ちで居た。

もちろん倒産して全額紙切れになってもまあいいやと思えるタネ銭での遊びだ。



でもそんな穏やかな遊びでも八千円のマイナスって笑っちゃったよ。

これが笑いじゃ済まされないヤバイことになってる人も大勢いるんだろうな。

今日くらいの損をぶっこいても余裕の気持ちで笑える範囲でやるのが一番健全だなあ。株は。

美人同人作家とブスのコスプレイヤー

この前同人誌即売会打ち上げ女性が二人いた。

ひとりはスタイルもいい美人で、ひとりは顔のでかいちんちくりんだった。

ふたり並ぶと、エルフトロールって感じ。

聞けば「作家レイヤーです」と言う。

ひと目見てエルフレイヤートロール作家だと思った。

即売会あいだに色々と誘ったみたいで、知らない人の多い打ち上げだった。

会話中、美人は聞き役が多かったがトロール自分語りがすごくてめんどくさいタイプだった。

男慣れしてるサバサバ系を勘違いしているのか、エグい下ネタを平気で言ってくるのでちょっと気持ち悪くなった。

撮影ポージングの話になったとき、誰かが「ちょっとコスプレイヤーさん見本やってみてくださいよ~」と言った。

みんな美人のほうをワクワク見つめたが、居酒屋の個室で立ち上がったのはトロールだった。

バカ正直に「えっ?」って言ったやつがいて、「あれ?もしかして私が作家だと思ってました?」とトロールが言い、

みんなが戸惑っているなか美人は「私はコスプレなんて…とんでもない、恥ずかしいので」と謙遜している。

二人の以前からの知り合いはこの事態にとても気まずそうにしていた。

どっちが作家でどっちがレイヤーか誰一人確認しなかったんだよな。一目瞭然だと思ったから。

まさかこの年増の5頭身くらいしかない顔のパンパントロールレイヤーだと思わない。

そのあとはひたすら盛り下がって、トロールだけうるさくてつらかった。

ちなみに控えめな美人はかなり絵がうまくて有名な作家だった。

神は残酷だなあ。

写真談義に完全に乗り遅れたけど聞いて!

出張から帰ってきたらカメラ談義で手斧飛び交いまくってたことを知ってとても悔しい気分だよ!

僕も手斧で殴りあいたかった!

もう全然旬が過ぎた話題だけど、増田書くよ!



被写体への愛とか、アマチュア一眼レフ捨てろとか、手っ取り早く撮影できるコツを教えろとか、ひとまずみんな正しいよね。

だけど、写真を撮る上で本当に本当に根幹にある部分について誰もまだ言及してないことがあるよ。

それはね、写真に映る世界は撮り手が見てる世界しかないってことだよ。



だってカメラ透明人間ではないから、その空間には必ず撮り手がいるはずなんだ。

から写真には必ず撮影者と被写体関係性が映るはずなんだよね。

その関係性っていうのが、人が写真を通してみたいものの一つでもあるんだ。

例えば被写体とのダイレクト関係性を写す写真かといえば梅佳代ちゃんだよね。

あん写真コミュ症の僕には逆立ちしたって撮れないよ。

そもそも逆立ちできないし、でももしかしたらそんな惨めな姿を眼の前にしている人との意外な関係性が写せるかもしれないね



被写体との関係性を高い次元成功させているのはアンリカルティエブレッソンだよね。

彼は決定的瞬間を発明した人間として有名だけど、それよりもすごいのは膨大な数のストリートスナップだと僕は思っているよ。

どうしてそんな瞬間に居合わせたんだろうっていう写真もあれば、写ってる人に見つかったら大変なことになりそうなドキドキを感じる写真もあるよね。



被写体に愛があることは大事だけど、被写体に愛がないというのも関係性なんだ。

それをどちらが好ましいかは個人のセンスしかないよ。

商用であることを前提にしないなら、そんなことを気にする必要なんてないんだ。

それよりも何よりも愚かなことは、自らの関係性に目を背けて他人関係性を真似しようとしかしないことだ。

当然関係性というのは人に対してだけじゃなくてものに対しても生まれるよ。

被写体に対してどういう想いがあったかによって見え方だって変わってくるし、感じたままを写そうとすれば撮り方だって変わってくるよね。

そんな他人でも作れる写真いくら量産したって、自分にとって何の意味も持たない。

これだけは断言してもいいよ。



次に機材の話。

関係性の表現に大切なのは、機材の表現力だ。

だって自分の目から見える世界カメラに写る写真とは同じはずがないからね。

から自分の見た世界にどれだけ近づけることができるかを考えて、機材を選ぶんだ。

高ければいい写真が撮れるなら、みんな高い機材使うよね。

違うよね。

君が機材との相性が合わなかったり合ったりを感じるのは、君が見てる世界との違和感を感じているからだよ。

からアマチュアだって一眼レフを使ってもいいし、使わなくてもいい。

どちらでもいいけど、自分が追い求めるべきは、自分の見てる世界表現だと割りきったほうが、余計な機材を買わなくて済むよね。



最後に手っ取り早くいい写真を取るコツ。

それはね、自分自分以外の関係性に恐れず一歩踏み込むことだよ。

ただ周辺が写ってる俯瞰写真だっていいじゃないか

もしそれが自分と周囲との関係性を表現してたなら、それをつまらないと言われたら腹が立つのは当然のことだよ。

だって、人の中に交わるより遠くから冷静に眺めてる事のほうが好きだ。

からレンズ24~50mmの画角帯をよく使ってるよ。

もしその奥さんが自分と周囲との関係性を汲みとって写真に撮ってと言ってたとしたなら、そしたら話は早いよね。

彼女視点から何が見えればを考えればいいんだ。

僕は奥さんのことを知らないからなんとも言えないけど、例えば僕が奥さんと一緒にいる時は、奥さんと子供が楽しそうにしている雰囲気を奥さん目線で撮ったり子供目線で撮ったりするよ。

この人に限って言えば、デジカメじゃなくてチェキを使って撮ったら面白いかなって思った。

暗い部屋の中ならフラッシュが届く距離も限られてくるし、すぐに写真を渡せるから相手リアクションを楽しみながらコツをつかめるんじゃないかな?



最後に、もし写真を楽しみたいならハイスペック防犯カメラになるのだけは止めよう。

そこにいるのはカメラじゃなくてあなた自身だよね。

その風景あなたがいて初めて出来上がった風景なんだから、それをしっかり写真に収めていこうよ!

そうしたら、きっとカメラ役割が記録から記憶に変わっていくと思うんだ!

みんな偉そうなことを言ってる割には、こんな基本的なことも忘れてんじゃない?

xevra先生に限って言えば、自分との関係性が写っていることを知っているか写真を隠し通してる気もするけどね。

だってあんな人を見下げる人と他人との関係性が美しいわけないもの

http://anond.hatelabo.jp/20160624094204

だいたいああい運動立場が向上したとして、LGBTの中でも顔のいい奴だけだよ得するのは。

残りはキモいという理由でもって、性自認とか関係なく疎外される。ヘテロだってそうだからな。

その時はLGBTだってキモい人間を見下すんだよ。

結局、あの手の運動は限られた層のための綱引きしかないわけで、

例えばイケメン(元々の意味で)の人らがやるべきことであっても、俺らはなんも関係ないっすわ。

2016-06-23

銀河へキックオフ見返した

三つ子いいわー

なんつーの、基本他人には攻撃的なんだけど、一旦認めた人間には深い信頼を寄せている雰囲気を醸し出すっつーか

特に最初から三つ子の間には凄く深い絆があることが窺えるところが、デレるとどうなるかわかりやすくていいっつーか

本来はああいうスカして上から目線台詞ばっか言って、しかも細めの鋭い目つきをしたキャラ個人的に嫌いなんだ

でもこれの三つ子は絶妙の匙加減で嫌悪感を抱かせないし

最初ハードル乗り越えてくれるだけあってかなり好感度高い

http://anond.hatelabo.jp/20160623223205

ついこのあい検査で種無しなのが判明した増田(男)がいたな

おまえもそうである可能性はある

希望は捨てるな

自分に負けて同人をやめた

最近よくツイッターで「同人をやめた」文が流れてくる。

やめた人の理由は様々だ。わかるわかる、と思うことも、その逆もある。

読んだ人の反応も様々だ。「参考になる」というひとも、「もとから向いていない」という人もいる。

そういうものを読んでいるうちに、私も吐き出したくなった。

別にかわり映えしない話だし、今までの「やめた」話の中と根本は一緒で、でももっとどうでもいい理由だと思う。

誰かに読ませたい、わかってほしい、というより単に自分がすっきりしたいから書く。

私が同人をやめた理由は、自分に負けたからだ。

私は半年前に同人活動をやめた。でもピクシブは読むし、イベントにも一度行った。買い手として。

書き手としての活動は7年くらいやってた。超ピコ手文字書きだ。

どれほどのピコかというと、1イベント10部売れればうれしくなる程度のピコだ。7年目で。普段は3~5部といったところだろうか。

いわゆる旬ジャンルにいることは少ない。

正しく言うと、入ったときは旬でも、そこから平気で2~3年いるのでいつの間にか流行が終わっているのだ。

1クールアニメに3年一筋でハマっている。もちろん「そんなの全然長くない」という人も多いかもしれないし、それは全然否定しない。

ハマるのはだいたいマイナーCPだ。ピクシブで見かけるのが私の作品だけ…という経験は無かったが、書き手仲間が片手で足りる、作品数は一桁、やっと二桁、くらいの畑にいた。

大阪に近いところに住んでいるので、大阪イベントばかり出ていた。

数少ないCPだったけど、書き手さんが西に固まっていたのか、大阪イベントに参加して下さることが多かったのが幸いだった。

買い手として東京に行くこともあったが、ごくまれだった。

そんな中で、東京イベントに初めてのサークル参加を決めた。

読んでくれる人がどれほど少なくとも、やっぱり本を出すのは楽しい

それも、オンリージャンルであればなおさら楽しい

当時(やめる直前)ハマっていたジャンルはやはり旬ではなかったけれど、そこそこ大きくて、半年に1回は東京大阪オンリーが開かれていた。

たまには東京でもいいかな、と思って、日帰りの予定で申し込んだ。

原稿中は仕事の引き継ぎでごたごたして危うく落としかけたけど、「せっかく東京まで行くのに落としたらシャレにならん!」となんとか書き終えた。

出来がいいかいかはわからないが、気に入ってはいた。自分で書いたんだから当然可愛い

サンプルを上げる。ブクマがつかない。

当日売れるかはともかくとして、これまではサンプルを上げるとある程度ブクマはついた。

ピクシブ一桁CPから仕方ない。だけど、少し不安だった。

当日の結果としては、1冊も売れなかった。

1冊しか売れなかったことはあった。1冊も売れないのは初めてだった。

「本が売れない」ことにへこんだわけではない。

それなら、1イベントで3冊しか売れない人間が7年も続けてない。

売れない理由を、マイナーCP本ばかり出していたことに求めるつもりもない。

どれほどマイナーCPだろうが、上手い人の作品は売れる。

自分はその土俵に上がれなかっただけだ。要は下手なのだ

マイナーCPであることは理由の一つかもしれないが、すべてではない。


わたしには10年来の同人がいる。

彼女も私と同じく、ピコ手小説書きだ。

私ほど極端ではないにせよ、メジャー以外のCPが好きという共通点もある。

マイナー、と言いたくないのは、ある一定供給コミュニティ存在するから。そもそもこんな線引きすることも言ってることと矛盾してるとは思う)

活動ジャンルが被ることは10年で1度もなかったけど、萌えを語り、時には愚痴をこぼしてきた仲だ。同人関係無しに遊んだり泊まったりもした。

同時期、彼女大阪イベントに出た。

彼女の本は私相手にもさんざん語った妄想をしっかり形にしたものだ。

サンプルをあげた段階で「過去最高にブクマがついた!」と喜び、終わった後も「いっぱい買ってくれた、完売した」と嬉しそうだった。

嬉しいよな、わかる。めちゃくちゃわかる。私だって過去最高に売れたときは嬉しかった。

初めて、自分がみじめに感じた。

こっちに気を遣えよ、って思ってしまった。

当然そんな義理はない。必要もない。言葉にしなかったけど、それは立派な八つ当たりだった。

ちなみに彼女が売れていたというのは、今回が初めてではない。

彼女文章自分の好みとは少し外れてることもあって、ずば抜けていると感じたことはなかったけど、優しく温かみのある文体で上手だと思う。癖が無くさらっと読めて、気持ち良い。

実際同じピコ手とは言え、彼女は私が数回のイベント通販含めて1年かけて売り切る量を、1イベントで売るだけの力があった。

だけど、私は勝手に、彼女と同じだけの力のつもりでいたのだ。


ここからは、これまでの「やめた」人と同じことを書く。

わたし同人動機は、好きだから書く、書いたものが形になる、嬉しい。楽しい。それだけだった。

手に取られる量は関係ない。1人でも、知りあい以外の方がスペースに来てくれたらうれしい。

アフターはもちろん楽しいけど、それはメインじゃない。

ありがたいことに感想もらって泣いたこともある。お手紙もらった数は年数の割に少ないと思うけど、全部大事にとってる。

その気持ちが大部分であることは、未だに変わりはない。

だけど、その日1人も立ち止まられることのなかった私は、過去最高に売れたと喜ぶ彼女を妬んでしまった。心の中で八つ当たりをしてしまった。

何度も言うけど、売れる/売れないはCPよりも力の差だと思ってる。

上手い人の作品は、どんなCPだって売れる。

欲しい、と思わせる。知りたい、と思わせる。それだけの力がある。

から売れる。「上手い」ってそういうことだ。

私は、誰一人の手にも本を取ってもらえなかったこと、つまり自分が「下手だ」という評価を下されたことに耐えられなかった。

一番の問題は、自分が「下手である」ことではない。「下手であると認められない」ことだ。

下手だって、それを認められれば「もっと頑張ろう、上手になりたい」と思えるから

私もずっとそう思っていたつもりだった。「彼女に勝ちたい」でも「もっと売れたい」でもなく、純粋もっと自分の筆力をつけたいと思って工夫して、努力してきたはずだった。

本を出す度にちょっと書き方を変えてみたり、好きな本(同人誌ではなく)を真似してみたり。気付かれたことはないけれど、変化は自分がわかる。成功した時は嬉しい。

だけど、「なんで彼女の方が売れるんだ」と妬んでしまった自分いたことに気付いてしまった。

そう感じること自体彼女を見下している。

彼女だってアピールしないけど、きっと毎回いろいろ工夫している。

そんな人に対して、こんな失礼なことを思ってしまった自分は最低だと絶望した。

きっと、その「なんで」の前には「私もこんなに努力してるのに」がつく。

「私もこんなに努力してるのに、なんで彼女の方が売れるんだ」。

自分のために努力しているつもりだったのに、そうではなかったこと。

自分が感じていたいちばんの楽しみと、別の評価軸を持ってしまっていたこと。

友人に嫉妬してしまったこと。

自分の心は、すべて自分プライドに裏切られていた。

そういえば数年前、彼女に「初めて完売した!びっくりした、嬉しかった」と報告を受けたときになんとなく心がちくりとした。

その時に気付くべきだったのだ。私はもう、自分プライドを飼いならせていないことに。


私が同人をやめた理由は、自分に負けたからだ。

自分のもっている、高すぎたプライドに負けたのだ。


たかったあんスタの舞台、見たい見たいって唸ってた私よりも、そうでもなさそうだった彼女が良い日程を当てたことさえも妬ましく思ってしまって、まずいな、って危機感覚えた。私だって小西くんが見れない訳じゃないのに。


誰かに読ませたい、わかってほしい、というより単に自分がすっきりしたいから書く。

ブログ冒頭に書いたこの一文は、私が同人活動をしていた元々の理由と全く同じだ。

ここでもプライドを飼いならせなくなるのは嫌なので、私のはてブはこれが最初最後です。

金と割りきってオッサンSEXする女の子

風俗はわかる。あと、出会い系でワリキリ援交もわかる。



でも、素人無臭動画に出てる女の子たち、

たぶん出会い系アプリで捕まった子なんだろうけど、アホやろ。

お前らの動画世界中拡散されて一生消えへんぞ。

大手AV会社と違って、権利関係曖昧からどんどん転載され続けるぞ。

まともなAV会社と違ってギャラもだいぶ安いらしいし、全然得しないだろ。

あの北海道CMタレントの子も、人生の前半で人生詰んじゃっただろ。

何で脱法的な無修正ハメ撮り動画なんかに出演するかね。



ああ、一人だけ知ってる女の子が出演したことあるけど、

の子ホスト狂いだったし、周りの評判聞くと社会的孤立しかけてる子だったし。

でも、ホスト貢ぐ金が必要なら風俗とか出会い系で援交とかで十分じゃん。

何で無修正AV出演なのか。ああいうのって何か特別メリットあるの?

名探偵増田

今朝のこと。

本降りの雨の中、駅へと向かう道中での出来事だ。



細い道から駅へと続く一本道に出ると、目に飛び込んできたカップルに対して僕は猛烈な違和感を覚えた。

おたがい年は30前後だろうか。

どちらも小奇麗にスーツを着こみ、はたから見ればありふれた社会人カップルである

しかし、この本降りの雨の中にもかかわらず、二人は決して大きいとはいえない女性ものの傘の中に身を寄せ合うようにして歩いていたのだ。

傘は出来る限り女性に寄せられてはいたが、二人の外側の肩はどちらもびしょ濡れだった。



そこで疑問が生じた。

この雨は朝早くから降っていた。つまり玄関を出るときには降っていたはずだ。

猿同然の性欲を持つ学生同士であれば朝からイチャつくの不思議ではない。

しかし二人の落ち着いた格好を見る限り、そうは思えなかった。

夕方には雨が止む予報だったか男性が持っていくことを渋ったのだろうか。

それにしてもそれほどまでに肩が濡れることを女性強要するとも女性が承諾するとも考えにくかった。

なぜ小綺麗なスーツの袖をびしょ濡れにしてまで、二人は小さな傘一つに身を寄せあわなくてはいけなかったのだろうか。



そんなことを疑問に考えながら歩いていると、ふとそのカップルが会話を始めた。

すると更に猛烈な違和感が僕に襲いかかってきた。

女性から男性に向けた言葉タメ口であるにも関わらず、男性は終始、敬語で返答をしているのだ。

ここは住宅街で今は通勤時間だ。

二人は家から駅に向かっていると考えるのが自然だが、その会話からみる関係からは二人は同じ場所に住んでいる間柄ではないということになる。

それならば考えられる理由は一つ。

二人が出発した家は女性のみが住んでいる家だということになるだろう。

それこそが傘が一つしかない理由だったのだ。



目の前の会話において未だに一方が敬語であるということは、二人は別々の場所に住む仕事上の関係であるにも関わらず、昨晩はわけあって一夜を女性の部屋で過ごすことになった。

しかし、今朝はあいにくの雨だ。

一人暮らし女性の部屋には当然男性物の傘はない。

また、たとえ女性物の傘がもう一本あったとしても、男性が一人でさすには抵抗があったのだろう。

しかも予報では夕方には雨は止んでしまう。

コンビニで新しい傘を買っても夕方には荷物になってしまうことにも抵抗があったに違いない。

その結果、二人は一つの女性物の傘に二人で入るという選択に至ったことで、後ろを歩く僕にその理由を悟られるに至ったのだ。

きっと、男性は下着や靴下に至るまで昨日と同じものを着ているに違いない。



しかし、一つ解せないことがある。

一方が敬語を使う間柄であるにも関わらず、なぜそれほどまでに二人は寄り添って歩いているのだろうか。

外側の肩をそれ以上濡らさないようにとするには、内側の肩があまりにもくっついているのだ。

恋人同士というには会話に距離ありすぎる。

仕事上の関係というには肩同士の距離が近すぎる。

一体二人はどんな関係で、なぜ昨晩を女性の部屋でともにしなくてはならなかったのか。

女性の部屋では昨晩何が行われたのだろうか。果たしてスーツを脱ぎ捨てた後も上司部下の関係は崩れなかったのだろうか。それとも男性スキルギャップ萌えトラップの餌食になってしまったのだろうか。

疑問はまだ尽きない。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ライトノベルは、なぜああい文体が多いのでしょうか。

その界隈で精通している人たちですら、ライトノベル定義にブレがあるしね。

そんな状態のものに、私がとやかく言えることはないぞ。

ただ、それでも言えることがあるならば、表面的な表現手法について批判することに意味はないということくらいだ。

極端だけど、短歌に対して「短い」なんて普通は言わないだろ?

版型が変わればデザインだって変わる、ということだ。

フォントなり行間なり、紙媒体がどうかでも違ってくるだろう。

昔の長編小説をそのままの文章構成で、スマホ(フォ)のような別の媒体で読むとしたら、内容の良さに関わらず大分きついだろう。

から、「小説」と「ライトノベル」は同じ読み物だけれども、厳密には違うのさ。

焼きそばカップ焼きそば関係といえばいいのかな。

ライトノベルの「ライト」が何を指しているかにもよるが、売り手が狙っている主な層は、様々な文学に慣れ親しんだ層ではないのだろう。

であるなら、そこで紡がれるのは活字への抵抗感を考慮した「ライト」なものになるのは自然の流れではないだろうか。

表現手法最適化とは、媒体マーケティングによっても変わる。

もちろん例外はあるのだろうけれど、イレギュラー反論材料としては弱いしな。

読者層が様々なのは分かるが、子供向け番組を観る「大きなお友達」みたいなもので。

彼らがウケることをやることもある、けれどそれは副次的ものであって、メインターゲットは別なわけだな。

賞をとったものの中にはきつい出来のものが多々あり、理解に苦しんだ時期もあったが今はそう思い込むことにしている。

媒体考慮した表面的な手法文体などはそもそも評価対象ではないので、批判対象にならないというのが私の答えだ。

まあ、賞賛対象にもならないということでもあるが。

だが、そんな君にオススメしたい作品がある。

私が書いた、「死んだ日本で生きる私」だ。

ゾンビ蔓延って社会が全く機能しなくなった日本一人暮らしをしている青年が、毎日をよりよく生きようとする日常モノとなっている。

似ている設定で「地球最後の男」があるが、あちらと比較してブラックコメディ寄りな作風と、ブログみたいなノリで書かれる主人公の心情と独白がウリだ。

ライトノベルでありながら、“昔の文学を読んでいるような”気分に浸れること請け合いだぞ。

ねこみこれいむあいしてる

アメコミ

「このキャラとこのキャラがこういう関係でー」みたいなの。

いや、オタクの裏設定遊びとか好きにすりゃ良いと思うんだけど。

要するにCLAMP漫画が実は世界観が繋がっててーとかああいうのでしょ。

よくあるオタク向けうちわ向けのクロスオーバー設定。

アメコミ映画が売れるようになって勘違いしちゃったのかな。

最近なんかやたらと「このヒーロースパイダーマン尊敬してて〜」云々とか、アメコミオタが嬉々として語ってんの。

くそうっぜえ。

なんでそんなクソオタ向けの話が一般に通じると思っちゃってるのかね。

ヒーロー映画なんてわかりやすカタルシスがあって見やすいか興行として人気があるだけなんであって。

普通一般人がお前らみてーなオタクと一緒で裏設定に脳汁出まくっちゃうような客だと思うなよと。

キモいんよ。引くんよ。

アメコミの「話」に魅力があると思ってるようなのはお前らだけなんよ。

派手で迫力があるくらいの理由で見てんのよ普通の客は。

アメコミなんて「話」はしょせん子供向け。

深みのないかっこつけストーリーやんけ。

とか言うとまた、何か勘違いしたアメコミオタが、「登場人物不倫をしたりドロドロで〜」「こんなの子供向けじゃない〜」とか言ってくんのな。

から!それが!子供向けだっつんだよ!

エヴァンゲリオンセックス描いて大人っぽい〜とか言っちゃうレベルの子供に向けて作ってるんだよ!

もうマジキモイんだわ。

中二病はマジ中二で終わらせてくれよ。

漫画キャラクターなんかにマジになっちゃってるのはお前だけ。

アメコミ映画くらいジャンク暇つぶしとして見させてよ。

勘違いするんじゃないっての。

くまみこ vs ガリレオ・ガリレイ

僕「先生、僕はくまみこアニメ激怒している原作ファンの気持がわかりません。同じ話ではありませんか?」

物理学者を辞めてアニメオタクになったガリレオ・ガリレイ「ふむ。では私がこのタカメロンを見てくれ」

僕「まだ食べごろではなさそうですね」

ガリレオ「このメロンを私の胸の高さから地面に落としたら、どうなるかな?」

僕「跳ねますね」

ガリレオ「そうだな。そしてメロンは無傷だろう。では、あのピサの斜塔天辺から落としたら?」

僕「粉々になります

ガリレオ「そういうことだよ。おなじ落下という痛みでも、一メートルの高さから落ちるのと五十五メートルの高さから落ちるのでは強さが違うものだ」

僕「なるほど、またひとつ教えられました。先生

ガリレオアニオタの高みは一歩ずつたゆまぬ歩みによってのみ到達できるのだ……ところでここにわしが編集した『カバネリの無名ちゃんの萌え萌えシーンだけを編集した最強無名ちゃんビデオ』があるのでいっしょに観よう」

僕「いまどき『萌え萌え』もキツいですが、VHSというのもアナクロすぎてステキですね」

ガリレオ「十六世紀生まれからパソコンオンチでのう……ん? 誰かこっちにきよるぞい」

僕「すごい形相ですね。警察かな?」



警官A「警察だ」

ガリレオ「ほんとだ。すげえなお前」

警官B「貴様ガリレオ・ガリレイ教授だな? 署まで同行してもらおうか」

ガリレオ「え、なんでですか」

僕「あれかな。最近児ポ法的な何かに抵触したおそれ」

ガリレオ「あ、あれはあくま趣味使用であって」

警官A「余罪は署で聞こう。目下の罪状窃盗だ。このタカメロン千葉県旭市農場から盗んだものだと認めるな?」

ガリレオ「ううっ……(ガクリと膝をつく)。そのとおりじゃ……私がやった……。私は……どうしても許せなかったんじゃ……子供の頃に母に対してあんなことをしたあいつを……」

警官A「おい、立たせてしょっぴけ」

警官B「さっさとこい!」


ピーポーピーポー


僕「まさか先生犯人だったなんて……」

名探偵「悲しい事件でしたね……くまみこがキチンと終わっていれば彼もこんなことをしなくて済んだはずだ……」

僕「まあ嘆いててもしょうがないし、形見メロンでも食べましょう」

名探偵「そのメロン、まだ食べごろではないようですが」

僕「大丈夫大丈夫(パク)……まずううううううううううううU!!!!!!!!!!!!!!!!」



[ED: くまみこ DANCING!!]


檻の中のガリレオ・ガリレイめっちゃハッピーデイズ〜!♪ やっぱハッピーデイズ〜〜!!!♪」

想像力」はけして人間を救わない。

 よく貧困やなんかの社会問題系の記事で「一番の問題想像力の欠如だ」みたいな言われ方がされている。

 しかし、想像力とはそんなに万能なものだろうか。

 そんなに簡単想像できるものだろうか。

 人間基本的自分の見たもの経験したものについてしか考えられない。

 それ以上の領域踏み込むためには類推だとか連想だとかが必要で、それにしたってある程度の下知識が求められる。

 そういうものをぶちやぶって想像力を飛躍させるレベルともなると、これは一つの才能だ。だから小説家なり漫画家なりで金を取れる。


 誰もが小説家になる必要はない、弱き隣人に思いを馳せるのにそんなに大したコストはかからないと人は言うかもしれない。

 だが、大したコストなのだ

 社会問題を考えるうえで必要とされる「想像力」とはすなわち、「他者の痛みについての想像力」だ。

 痛みこそ、自らが体験あるいは目撃しないと想像することができない最たる感覚だ。

 実際にその痛みを体験したものでさえ、いったん過去としてしまえばすぐに同じ痛みを味わっている他者に対して冷酷に振る舞える。ルサンチマン。卑近なところでは、体育会系年功序列がいい例だろう。


 そもそも共感に訴えるロジックは、その感情を共有できない人間包摂できない問題を抱えている。

 共感能は誰にでも備わっているようで、グラデーションがあるものだ。映画で人が刺されるシーンを観て自分まで同じ箇所がキリキリ痛むような人もいれば、サイコパスと呼ばれる人々はまったく共感というものを持たない。その二つの極のあいだで我々は「すぐもらい泣きしてしまう人」や「反応が薄い人」として生きている。

 たしか共感に訴えるショッキング事件は、短期的には法改正などにつながりやすい。しかし、よほど特異でセンセーショナルなケースでないと大衆は食いつかない。たとえば未成年集団で残虐な事件を引き起こす、だとか。

 そこが難しいところだ。貧困など、恒常的で身近な問題共感通用しにくい。


 状況を良くしたいのなら、我々に「想像力」などないと認めるところからはじめるべきだ。

 人間他者に対して無関心なのは今に始まったことではない。その状況を了解したうえで、どうやってゲームに勝利するかだ。

 となると、やはり構造的に問題の根を断つ方法を見つけなれけばならない。なるべく人的コスト必要としない方法がいい。

 てっとりばやく、ゲームルール策定する側に回れれば話は早い。

 権力

 権力

 権力を手に入れろ。


 増田たちよ、栄達せよ。


 日本支配するのだ。


 そうして、クソを漏らす自由を。


 そうして、朝の山手線すっぽんぽんになる権利を。


 ハイルしなもん

 ジーク増田


 増田たちよ、権力を手に入れろ。

 

2016-06-22

アニメ原作の最大の違い

原作は来週や来月には続きが出るけどアニメは二期発表まで続きがない。

そのため原作通りに話を進めて最終話に「後でフォローする前提のバッドエンド回」を選ぶとその作品はそのままバッドエンドで終わってしまう。

たとえるならレイニーブルー刊行終了になるマリア様がみてるだ。

それをやってしまったアニメがある。

その名はくまみこ

アニメ版くまみこ最終回は要約すると「1クールあいだずっと都会に憧ていた主人公がある日都会の人間から石を投げられる幻覚を見てしまい都会に絶望して村に引きこもる事を選んだ」という救いようのない話だ。

原作にもこれとほとんど同じ話があるのだが次の回で「よく考えたらやっぱり村の外行きたい」と言って今までの都会に憧れる少女に戻る。

だがアニメにはそれがない。

主人公は都会への失望感を胸にさびれた村で生涯を終えることを選んだトラウマ持ちの女の子のまま終わる。

そこに未来はない。

原作付きアニメを作ることの難しさは「アニメアニメとして完結させること(たとえ2クール目を作る予定だとしても)」の難しさなのかも知れない。

北朝鮮中国が攻めてきたらどうするのか・・・じゃあ安倍総理が暴発して戦争始めたらどうするの?

北朝鮮中国が攻めてきたらどうするのか・・・じゃあ安倍総理が暴発して戦争始めたらどうするの?

よく安保論議日本を守るため、とか、北朝鮮中国が攻めてきたらどうするのか、と言う議論を聞く。

もっともらしいのだが、

それなら

安倍総理暴走していきなり戦争始めちゃったらどうするのか。

このように書くと、「そういうことは、あり得ない」と返ってくる。

ところが「安倍総理暴走して戦争を始めることがない」と言ってるネットの人たちは、

他で「韓国人は殺せ、中国人は殺せ」と書いている。

「誤射のフリをして中国ミサイルを撃ち込め」などというのまである

またひどいものになると安倍自民党ネットサポータが書き込んでいる「キムチ速報」には

徴兵制にして在日韓国攻撃させて殺し合いをすればいい。あいつら馬鹿から。説得すればやってくれる」

と言うのまである。2013年に書き込みを見つけて絶句した。

安倍総理はこれを見て大喜びなのだそうだが、日本大丈夫なのかと思う。

野党は共闘して安倍自民党を倒すべき。

白猫プロジェクトが落ちぶれていくさまを見るのが楽しい

どこを見ても最近は見るに耐えない状態になっていて楽しい

声優として出ている人がリアルイベントで泣きながら「今後の運営に期待しましょう」とか言うくらい落ちぶれてる。

ソシャゲなんて問題だらけだけど、出演者がそんなことするの聞いたこと無いよ。

ネタだけど杉田土下座してたし。

 

毎月のようにインフレして過去キャラがどんどん投げ捨てられていくのは心地良くない。

1年以内に始めた人たちもようやく好きなキャラが捨てられる側になってクソゲーだと認識したようだ。

ざまぁみろ。

 

浅井プロデューサー特に嫌いだ。

キャラを演じてるのが露骨過ぎてうざい。

黒猫ニコ生放送時は素で楽しそうにしててさらにうざい。

白猫のニコ生時はあんな顔したことないのにね。

ユーザーヘイトを集めるためのピエロかもしれないけどあいつがTwitter始めてからろくなことがない。

調子こいてたから道を踏み外すのも遠くないだろうと思っていたけど早かった。

 

そんな状態でも売上はそこそこ上がっててソシャゲすげえと思う。

さっさと色々と規制しろ

音楽政治を持ち込むな」のほうがマシだと思う。それと白人至上主義



逆張りじゃないです。






音楽はそもそも反体制」「音楽はそもそも政治的

みたいなのは硬直した権威主義しかないんですよ。




そもそも、音楽に「そもそも」なんてものはない。

たとえば、二百年前の日本人一般的音楽観と、今の日本人音楽観は全然違いますよね。ほとんどの人はそれが普通だと思ってますよね。

だったらそれは、百年前と今の音楽観が違っても問題ないということだし、ということは、五十年前と今が違ってても問題ないということになる。

だとしたら、今現在、さまざまな音楽観が並存してても、まったくなにも問題がないということになる。




音楽政治を持ち込むな」の人たちは、ただ単に「政治的主張が前面に出てくるパフォーマンスが好きじゃない」

って言ってるだけなんですよ。それ自体別に悪い事じゃないはずです。




音楽はそもそも反体制」「音楽はそもそも政治的

みたいな人たちは、そういう多様性否定してるんですよ。

そういう人たちが言ってることは、

政治的主張が込められた音楽が偉くて、そうではない音楽は偉くない」

政治的主張が込められた音楽を好む人間は高尚で、そうではない音楽を好む人間は下等」

という感じになってるんです。




音楽なんて結局は個人的な好みの問題です。だから

政治的主張が前面に出てくるパフォーマンスが好きじゃない」

というのも全然OKなはずなんです。

でも、「音楽はそもそも政治的」の人は、そういう個人的な好みのあり方を否定してるわけです。




音楽とはそもそも~~」という論理構造は、

自分は正しい音楽の在り方を知っている」

という論理構造になるわけです。

そこが問題なんですよ。

「正しい音楽の在り方」なんてものはないはずです。





というかやっぱり、ああいうのって、「白人至上主義」のような気がします。

白人文化が優れていて日本のは劣っている、白人評価されるものが偉い、

欧米では政治的音楽パフォーマンスがいっぱいあるのに日本にはない、だから日本ダメ




欧米権威主義というか。欧米ではこうなんだからこっちが正しい、という論理構造なんですけど、それって全然論理的じゃない、という。

そういう欧米権威主義が幅を利かせてることに対する反抗、という側面もあるような気がする。





欧米ではこうなんだから…」を文化論の根拠にするのは、もういい加減やめようよ、ということです。

KENSHIN

先日、母親叔父三回忌に向かう途中、某人気戦国武将を祀る神社近くのコンビニに寄った。

もっとも、神社に用があったわけではなく、ただ小雨が降り始めたので、念のためにビニル傘を買おうとしていただけだった。

イケメン武将を祀る神社の前には、歴女ないし腐女子的な女性散見され、殿様のお陰で地元経済が潤っていているな、と実感する。



傘を買い終わり、ふと道を挟んだバス停に目をやると、冴えない容貌若い男女の姿が目に入った。

典型的オタクルックで痩せぎすな男と、似たような服装肥満体の女。この女性歴女腐女子だろうか。

最初他人同士かと思ったが、互いに談笑する様子を見ると友人同士かもしれない。

いや、女性が口をつけたペットボトル男性にも勧めていたので、どうやら恋人同士のようだ。



自分はそろそろ40歳近いが、結婚どころか交際経験すらない。若い頃は悩むこともあったが、最近は悩むことすら少なくなった。

から、失礼な言い方ではあるが、お世辞にも見てくれが良いとはいえない男女が仲良さそうに談笑をしている様を見て、

何年かぶり嫉妬、あるいは劣等感のような感覚を覚えたことは間違いない。なぜあいつらに出来て、俺はダメだったんだ?



かつての俺は努力はした。外見も磨いた。色んな手を尽くして出会いを求めた。だが、誰ひとりデートの誘いすら承諾してくれなかった。

誘いを断ったある女性に、思い余って理由を尋ねたことがある。もううんざり、と吐き捨てるような声で答えられた。

「魅力を感じないんです、人として」。 そこで心が折れた。すべて諦めた。

女性が去った後、自分は地べたに這いつくばって、駄々をこねる幼児のように泣いた。誰もいなかったのが不幸中の幸いだった。



ほどなく、そんな劣等感を笑い飛ばそうと、からかい半分に母親につぶやいた。「ほら、あんな見た目の悪い連中でも、恋愛しているんだね」。

母は答えた。「そうね。『為せば成る』のよね」。人差し指が遠くにかすかに見える「毘」の文字を指していた。

自分はその指先を見ないふりして、無言で歩き出した。

http://anond.hatelabo.jp/20160621051242

石を投げられるのも意味不明でもなんでもないな

被害妄想というのはああいうもんだ

痴女と寂寥

たぶん人生で初めて痴女のような人と出会った。地元の駅を出てしばらく家に向かって商店街を歩いていると、わざわざスカートをまくってわざとらしく尻を出し、人影の居ない脇道に曲がった女がいた。中肉中背でガールズバー勧誘にしてはやや太めだが、十分に見栄えのする女性だ。何かの間違いだろうと脇道を眺めていると、誘うように何度か尻をまくって、僕を住宅街の奥へ奥へと誘い出す。角の手前で息を潜めると、そこにいるのは分かっているのよと誘ってくる。そして途中から住宅街の中にある駐車場に入ったので、これはさすがに潮時だろうと通り過ぎた。すると彼女は僕を探すように、通りへ出てキョロキョロとしている。追っかけるほどの勇気はなさそうだが、ここで尾行されるのも怖いので自分から向かっていった。彼女は身じろぎもせず僕のことを迎えてくれた。マスクで顔立ちは分からなかったけれども、目尻を見る限りは若いし、目鼻立ちも悪くない。この時間に何だろうか。「どうしたの?」と聞くと彼女は「お金がなくて困ってるんです。咥えさせてもらえませんか?人気のないところで」一緒にいるところを見られたくないと感じながら、ふらふらと脇道に入り「こんなところ人目だらけだよ。どこからきたの?」というと西の方を指す。「お金がなくて困ってるんだったら、これで帰りな」と、小銭入れから出した千円札差し出すと「そういうのじゃないんです、咥えさせてもらえませんか?」という。この子に咥えてもらえるんだったら悪くないかもと思いつつ、地元であるが故に人目が気になる。この子はどこから来たんだろうか?そう遠くないところからであれば、今後の近所づきあいとして面倒すぎる。「うーん、やっぱ、ちょっと無理かな」と断ると、彼女は残念そうにとぼとぼと商店街の方へと消えていった。終電前、彼女大事な書き入れ時を浪費してしまって申し訳ないと思いつつ、見送るでもなく自宅へと歩いた。彼女は今ごろ無事にスポンサーを見つけられただろうか?人生の貴重な機会を棒に振ってしまった気もしつつ、誘い込まれながら享楽に身を任せることもできない自分中途半端さを残念に思いながら、これでよかったのだと自分を納得させるために、さっき目の前で起こったことを書いてみる。