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はてなキーワード: にのとは

2016-05-28

イライラを人にぶつける人ってなんなの?

自分普段あんまりイライラすることなくて、


ましてや人にイライラをぶつけるなんて信じられなかったんだけど、



なんか携帯会社の料金体系の不誠実さにうんざりして久しぶりにイライラしてしまった。



なんか凄くこのイライラを誰かにぶつけたい衝動かられた。



誰かにイライラをぶつけて、誰かを凹ませたらなんか落ち着くような気がした。自分と同じようにイライラする人が増えたら自分だけじゃない気がして落ち着くような気がした。




その行為世界の不幸を増やすだけで、自分にも誰にもメリットもないのにそうしたら気持ちがいいのだろうな。とぼんやりと思えた。



自分性格からしたら、その行為をしたあとに自己嫌悪で最悪の気分になるだろうが、それでもなお今は誰かにイライラをぶつけたらスッキリするような気がした。



これだけいろいろ考えてもなおイライラを誰かにぶつけたい気持ちは残るってことを考えると、

刺激に対してあまり考えない人なら、そりゃイライラを人にぶつけるだろうなと納得した。



でもそれと同時に、

こういう衝動かられた時に、その衝動に素直にのって人にイライラをぶつけるなんて、本当に何も考えられないバカなんだなと思って、そういうことをする人に対して軽蔑する気持ちも深まった。

2016-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20160527143650

知らない人だらけ、なんていう程度の関係の親戚の葬儀

普通葬儀後の食事にまで残ってたりしないだろう。大体適当理由付けて挨拶して帰るだろ。

流れのままにのこのこ席についてあとでグチグチ言ってるブログ主主体性がなくてどんくさい奴なんだろうなぁ。

2016-05-26

まいにちがカレーようび

すいすいすいようびが呻吟しているさなか、カレーは考えていた。

俺って何か足りないんじゃね。頭にのせるカレークックのカレーみたいな何か。

カレーが枯渇しちゃうと死んじゃう的なアレ。それをすいすい(略)が教えてくれる気がするんだよな。

だけどこうなんというかイマイチ繋がりがなくて。なんて言うかその、ぶっちゃけカレーの具?

いやぶっちゃけなくてもカレーの具? みたいなほんわりしたイメージ、いやもうホンワリしてるというかサバサバしてるっていうか。

でも脂っこいっていうか。なんだっけ。おれのパスワードカレー……なんだっけ。カレーようびか。そうだそうだ。

カレーようび。甘ったるいカレー王子様でもなくてカレーようび。S&Bの。そうS……。

そこまで呟いたカレーようびはいものように、記憶世界の果てへと霞んでゆく気配を感じ取っていた。

まずい、このままではきっとアーキテクトっぽい偉そうなおやじ瞑想しろとか言われてまた寝込んでしまう。

そうしたら再起動後は再びカレーようびになっちゃうんじゃないの。それまずくない?

なんとかすいすい(略)がカレーの先にあるワードを導いてくれないと。

彼はなんとなく卓上の置いてある魚の置物を手に取りながら、ヒルズ150階の窓から東京を眺めた。

あげく「一つで十分ですよ」などと考えてみたり、「ネットの海は広大だわ」などと身体をくねらせたりした。

そのうちサーバ停止時間がやってきて、メインサーバである瞑想王がシャットダウンを命じ始める。

今日ダメだったか、という台詞薄れゆく記憶のなかで、彼は一つの事実を思い出した。

あれ、カレーようびっていうか、むしろようびの前っていうか、カレーの前になんかつかなかったっけ。

思い出した。クロシビカマスカレー! あれ美味しいよね。おやすみなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20160526094029

昨日のよかった

朝無事に目が覚めてよかった。

パンを分解して、栄養素を取り出せる機構が備わった肉体のおかげで、栄養が取れて、動けてよかった。

うんこが液状で、血塗れでよかった。

水が飲めてよかった。

食器を洗うスポンジが、よく洗剤を吸い込んで、汚れがよく落ちてよかった。

資格勉強をすることで、資格の本を印刷した人と書いた人と編集した人と資格運営をしている人と表紙の絵を書いている人とそのほかの人がお金をもらえてよかった。

アパートの裏で子育てをしている猫が見られてよかった。

のしみを修正液で塗りつぶしたら、目立たなくなってよかった。

机に座っているとまとわり付いてくる小虫を潰すことで、動体視力と反射神経が上がってよかった。

書類選考で落ちて、仕事をするのが先にのびてよかった。

太陽があって、そのおかげで物が見えてよかった。

地球が自転してくれたおかげで、夜が暗くなって、涼しくなって、よかった。

宇宙崩壊しなくてよかった。

カラースターがなくなって、通知のメールgmailに届いてよかった。

エンピツナイフで削ることで、エンピツナイフで削る能力が上がってよかった。

筋トレをやる気力がわかなくて、余計なエネルギーを使わずにすんでよかった。

燃料を燃やして、蒸気が作れるおかげで、電気がうちにきて、パソコンができてよかった。

誰とも話さなかったので、発声エネルギーを使わなくてすんで、摂取するご飯が少なくすんでよかった。

夜のうちにゴミを捨てたので、今日寝坊してもいいのでよかった。

これから屋根の下で、程よく涼しいなかで、お布団に入れて眠れるのがよかった。

2016-05-25

ストーカー警察対応出来てない?なら自警団を作ろう!

市民の間で自警団を結成し、公権力や法で裁けない人間を始末しよう!

自警団に頼んでキチガイストーカーボコってもらおう。

もちろん、自警団の方たちへの謝礼を忘れてはいけない。

善良な市民安全のためなので、暴力行為には目を瞑るのは当然である

悪いのは誰か?

現状、法の抜け道無意識的に利用して、善良な市民迷惑をかけるキチガイが一番悪いだろう。

ストーカーキチガイによる善良な市民への加害が後を絶たない。

このまま野放しにしていいのだろうか?否!

一刻も早く自警団組織して公権力に頼らない安心した社会づくりを始めよう!

近所のキチガイ迷惑をかけ、恋人キチガイになりストーカーになり嫌がらせをする、

どうして善良な市民が苦しみ、グレーゾーン行為をする彼らが許されるのだろう?

こんな狂った矛盾だらけの世界には、おさらばだ!

自警団を結成し、可及的速やかにグレーゾーンにのさばっているキチガイボコってもらおう。

これで助かる人は何百人、何千人もいるはずだ。

自分被害者じゃないか加害者気持ちになれず反対するような奴は相手にするな。

被害者の苦しみはどれほどのものか。よく考えてみよう。

この負の連鎖を断ち切るには、自警団しか解決策は無い!!!!!






えっ?反対?じゃあ、代替案だして。

どうやってキチガイストーカーから善良な市民を守るの??

最近ブクマを気にせずに割と自由にのびのびと増田を書けている気がする

俺にとっての増田フェイスブックツイッターSNS全部兼ねてるようなもんで、

つぶやきとか思いつき、はてはくだらない日記まで全部増田でスッタカタッタッター

やっぱり水素水を目の敵にする理由がわからない

科学的根拠にしても「魚を食べると頭がよくなる」レベルのものはあるわけで。

あの歌が鮮魚売り場を支配していた時おかしいと声を上げた人はいたのだろうか。

たまねぎ血液サラサラ」とか「うなぎ夏バテ防止」とか「高齢者ほど肉を食え」とか

「そういう実験結果もあるらしいよ」レベルのことを売り文句にする例は山ほどあるというか

健康ブームの昨今ほとんどの食材が何らかの健康によさそうなイメージを売りにしてるし。



もちろん「謳ってる濃度の水素が含まれてない」「謳っている方法では水素が発生しない」ものについては

明らかに不当表示なので法にのっとって粛々と対処すればよろしい。

2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524165144

ふつーに最高裁まで裁判をもっていければ、憲法にのっとって判断してもらえるよ。

想像力を重視するというバカげた風潮

弱者立場想像しよう」だとか「相手気持ちになって」など想像力の大切さを訴える人は多い。だが、本当に想像力のある人が想像力を重視することはないだろう。なぜか?それは、想像力を養えない人たちも少なからずいるということが容易に想像できるからだ。

そもそも、想像力プラスの方向にのみ働くと考えること自体、間違っている。想像力を養うための具体的な方法を示すわけでもないのに、的外れ発言を聞かされるほうの気持ちにもなってくれ。

企業にわかってほしい就活生の本音

3月から就職活動を始めて3ヶ月。

多くの会社説明会に参加する中で、どうにももやっとすることがある。

収入福利厚生はどうなっていますか?休みはどのくらい?なんて聞いてくる学生ばかりで、入社後の目標や成し得たい事を持っている学生が少なすぎる!」

会社説明会の中で、このような就活生の意識の低さを嘆いたコメントはよく聞いてきた。

待遇よりも、就職した後で自分がどうなりたいのかをよく考えるべき、というのは至極もっともな意見だと思う。

けれど、ここで一つ分かって欲しいことがある。

入社後の目標や成し得たいことを持っている学生が少なすぎる?”

当たり前だ。入社後の目標や成し得たいことを持っていないのではない、先ず考えられないのだ。

社会人と、就活生では欲求のレベルに差があることを分かって欲しい。

マズロー欲求段階説を例にすると分かりやすいので、マズロー欲求段階説を参考に説明する。

人間基本的欲求はまず、5段階の階層にたとえられる。

自己実現の欲求 (Self-actualization)

承認尊重)の欲求 (Esteem)

社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)

安全の欲求 (Safety needs)

生理的欲求 (Physiological needs)

欲求の順番は非常に重要で、下にある欲求が満たされて初めて、上部の欲求に移行すると考えられている。

生きるか死ぬか、自身の身の安全が分からない状態で、まず先に誰かに認められたいと考える人は少ないだろう。

同じように、就活生の場合を考えてみる。

から独立して、1人で生活していかなければならないという意味では、まず安全の欲求を満たそうと意識が向いてしまうのは、当然のことである

企業側が、目標を持て、というのもわかる。社会的欲求、所属と愛にの欲求を満たした社会人ならば、承認自己実現への道筋もしっかりと見え、考えられるだろう。そこで、同じビジョンを見よ、と言うのだ。

そもそも同じ土俵に立っていないのに同じビジョンが見えるだろうか、考えつくのだろうか。

下層の欲求すら満たされていないから、自己実現の欲求なんて考えられません、と言うつもりはない。

けれど、その捉え方が、道筋が、社会人の人と同じぐらい明確に見えるわけではないこと、そして明確でないからこそ、社会人の人と同じビジョンが見たくて、考えてはもがいていることを知って欲しいと思った。

出生率ちょっと上がったみたいだし、この流れにのっておれと子作りしてもいいよっていう、ももクロ黄色みたいな可愛い女子いませんか。

自分の向かいたい先に向かう自動車を見ると屋根に飛び移りたくなる

突然300kgが屋根にのつてきても対処可能か?

2016-05-23

MCバトル

「それって、ただのダジャレじゃん」

ダジャレをかっこいいビートにのせて繰り出す。最高じゃない?」

生きるのが面倒になった(駄文

まず前提としてのスペックに触れておく。

三十路

・男

実家寄生

一人暮らし経験なし

仕事は糞ブラック(2社目)を一年前に辞めて現在無職

恋愛経験なし

見て分かる通りのクソ雑魚ナメクジだけど、大変有難いことに両親は何も言ってこない放置っぷり。

しかしさすがにこのままじゃマズイという危機感もあり、ここらで人並みの人生に近づいてみようかと思った。

要するにやりたいことは下記の3つ。

彼女作ってお付き合いをしたい。

ブラック度の薄い、それなりの会社就職

一人暮らしをしたい。

まず一番やりたいことは①であるが、無職実家無職三十路じゃ誰にも相手にされないことが推測されるのでとりあえず②就職をしなければならない。

だが実際に行動するには苦労が伴うことが予想される。今までの人生を振り返って自分で見たくもない過去他人に見せるために履歴書作成したり、

仕事なんてせずにのんびりダラダラ過ごしていたいのに、やる気アピールをする職務経歴書作ったり、

面接に落ちる度に心が折れて一週間程度の休養が必要になったり、まあそんな必死こいた就職活動を経て就職を決めることができたと仮定する。

そうしたらこタイミングで③一人暮らしを始める。これは就職決定から勤務開始までの猶予期間中に実施しなければならない。

この猶予期間をどれだけ取得できるかは会社との交渉が必要となり、大変に面倒なことが予想される。

引っ越しなんて働き始めてから適当タイミングですれば良いじゃないかと囁く声もどこからか聞こえては来るのだが、

この会社が糞ブラックだった場合、そんなことをしている身体的かつ精神的余裕がなくなるため専念する期間が必要となるのだ。

私の脳の作業領域が狭く、マルチタスクを苦手としていることも原因ではある。

何とか猶予期間を勝ち取ることができ、さら引っ越しも無事に完了したとする。

そうしたらとうとう①彼女作りを始めたいと思うが、これに至っては何をどうやっていいのかすら見当もつかない。

二次元恋愛シミュレーションゲームぐらいしか参考にするものがない、恋愛経験なしの三十路童貞にとっては完全に未知の領域となっている。

そんなところまで考えて思ったのが生きるの面倒くせえなあってこと。

みんなこんな面倒なことやってて凄いなあ。

それともみんなはこんな面倒なことだと感じずにフツーにできてるんだろうか。

例えば俺が精神障害で、他の人とは違って頭がおかしいってことなんだろうか。

でも精神科に行って障害者認定されたところで別に何も得しないからなあ。

障害者手帳とか貰って、障害者枠で就職して、結婚とかできるか?

そんな障害者旦那にした女の人は可哀想だろ。差別とか偏見とか言われるかもしれないけどさ。

あーあ、俺って何がしたいんだっけ。

あぁそうだ彼女作って人並みの人生を送りたいんだった。

でも無理なんだよな。

あーあ、生きるの面倒くせえなあ。

2016-05-22

らくだ

のりたい!

らくだにのって、 246を しぶやほうめんにおもいっきりすすむんだ。

とちゅうにあるブックオフの窓ガラスを蹴破って、ラーメン屋寸胴鍋を100円コーナーにおもいっきりぶちまける。

2016-05-21

巨乳抑うつを救う

わたくし、恥ずかしながら「ましゃロス」だったんだよね

福山雅治結婚したことでなんていうか抑うつ状態になってたワケ

芸能人結婚うつとかwwwねーよwwwアホかwwwって感じで認めてなかったんだけどね?

福山氏の結婚ってよりはどうも吹石さんに嫉妬してたという方が正しいんだけどね?

悩みすぎてる自分ドン引きして恥を忍んで大学カウンセラー相談するなどもしたよ

あの…福山雅治結婚したのが辛くて抑うつ状態で…って告白する体験にまさる恥もないよね

ぶっちゃけカウンセラーさんもこりゃまたやべえメンヘラが来ちまったって思ったとおもう

で、今日ひょんなことから吹石さんが巨乳って知ったんだよね

信じられないんだけど巨乳って知った瞬間、鉛のように心臓にのしかかってた怨念がフッと消えたんだよね

マジで

巨乳なら仕方ないわ、って思ったんだよね

2016-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20160520151704

さんざん言われてることだが「状態渡し」について「原理」のことじゃなくて、実用的なアプリ実装証拠が求められている。

岡部氏はすでに、FRPライブラリ実装してみせていて、机上の空論じゃにのなら、原理原則論じゃないのなら、法螺ふくとおりやってみせてみな、と課題が出ている。

でも無理みたいだね。言い訳しかしてないし。

「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」

キモすぎ

今日放送のあらすじが新聞にのってたから読んでみたらマジでドン引きしたわ

30越えて独り身の女が、ルックス金はもってるけど恋愛にはうとい男に説教ますとか、マジでドン引き

いやわかるけど

そういう女子(笑)自尊心を満たすのが目的ドラマであって、

ある意味アニオタラノベヲタにとっての俺TUEEE的ドラマだってのはね

なんかもーキャラ設定キモいキモい部分しかないドラマ

結婚できない男みたいなユーモアっつーか、男女どっちが見てもおもしろいってのが微塵もない

なんかもー生理的キモすぎて吐きそう

東京タラレバ娘SEX AND THE CITY好きなあの3人とか、東村アキコが喜々として見てそうだわ

普通に10時とかにこういうのをやるってのがキモすぎる

世間常識フェミに寄り過ぎだろ

深夜にひっそりやれよ

萌アニメとかわんねーキモさだよてめーら

作る側も見る側も

悪口が止まらない私。批判しか承認欲求を満たせない私。

もっと言うと、それしか特技がない。それをようやく受け入れて認識したのはつい最近の事で舛添氏の公金問題が出た時に何故彼があそこまで歪んでいるのか、下世話な事を考えていた瞬間だった。

私は、怒り・もどかしい気持ちを抱いた人間に対して、無意識脳内で「あーだこーだ」考えてしまう。もっと言うと、自分が「この人って卑しい人間だな」と感じる対象にのみ考えてしまうのだ。褒められた話では全くないけれど、唯一他人世間から認められたりする事が、そういう悪口にも似た批判の内容だ。

他の事は丸っきりダメだけれども、唯一どんな人とも相応以上に会話が成立して「増田を呼んで、増田意見も聞いてみよう」と呼ばれたりする。けれども政治経済文学音楽、数理関連の話や抽象的な会話を投げられても、ちんぷんかんぷんで。あくま自分が関心のある卑しい人間に対する悪口しか、話せないのだ。

全国紙の各新聞社の論説記者達や学者有識者が集まる機会に(舛添氏ではない)某人物の話題が出た。自分自身も某人物に対して日ごろ思う所があったり、正直言って「卑しい」と思う対象だったので、つい話してしまった。皆、一様に「鋭い」と言っていた。中には「ああ~!」とか「あっそれだ!」とか言われたり、大笑いしていた人も居れば、思いに耽りながら「僕もこう思ってるんだけど、こういう所は?」と話を繋いだり、とにかくハイスペック人達と唯一渡り合える武器が「悪口」になってしまってる。実を言うと、自分定型発達ではあるがグレーゾーンスペクトラムだ。つまり発達障害者で、手帳は持っていないけれど、今まで生きにくさを度々経験してきた。唯一人並み以上の事が出来るのが「悪口」。

それから、これは自分では思っていないのだけれども「話を引き出すのが上手い」と度々言われる。けれど、これはその時の相手との相性にもよると思っていて。それがどんな時・どんな相手なら、上手くいくのかは自分でも把握できない。うまく行く時はいくけど、そうでないときは全く…といった具合。自分の傾聴力が、どんな人に対してなら合うのかなって問題なだけな気がする。

「卑しい人間に対する悪口批判」。これが活かせる仕事って何なの?というか人としてどうなの?と自己嫌悪で一杯で。その一方で、「優秀なんだな」とか「健常者」に見られるのが、そう言った悪口で「あーだこーだ」言ってる姿なので、承認欲求が満たされているというか…そう言う矛盾した気持ち自分の中で抱えてる。

母は昔から自分を「あんた、批評家ね…」と言っていたり、学校悪口に華を咲かせていてもいわゆる「よくある井戸端会議」なんだろう位に思ってた。

彼・彼女人生のどの段階で躓いたのか、何がキッカケだったのか、成育過程は?生まれ育った出身地は?元々どういう性格人間だったのか…「卑しい人間」の正体や原因を知りたいというか、人に対して悪意を抱きたくない、理解したい、という気持ちや悪や汚れへの好奇心さえ抱いている。

自分はよく、極端な人間と言われる。能年玲奈じゃあないけれど、「生ごみか、リスペクトな奴か」の二つで、悪口を言っている時の自分後者らしい。それ以外は、その場の環境に左右されて、その時によって生ごみの度合いが違う程度。でも、自分でも共感できる悪口対象になると、本当に環境に左右される性格なのだろうか、と思うほど、「それなりの」人間でいられる。

こんな自分が出来る仕事って何なんだろうって、本当に悩む。

犯罪心理学領域なのだろうか…。臨床心理士さん?

長々と書いてしまってごめん。ここまで読んでくれて、どうもありがとう

オッス!オラ売れない創作同人

絵を描いても、小説書いても、漫画を描いてもだめだった!

 

 

でも、フリーゲームブームにのっかって自分ゲームを作った。

孤独だった……なんせ作り終わるのに一年半もかかったし、ゲームなんか作り終わるまで誰にも見せられないし。

その上出来上がった頃にはバブルは弾けただのなんだの言われてて、確かにあんだけ盛り上がっているように見えたコンテストの諸々が、

今年に入っていきなり縮小傾向だった。

わたし一年半は一体。

 

 

しかし、今まで感想皆無、ともだちには「は?」な反応だったわたし萌え

それらを一年半かけてぐちゃみそに煮こんだゲームが、なんとそこそこ感想を貰えた。

感想って……うれしいな……

なにより、流行とかジャンルとか関係なく、自分萌えをブチ込んだモンに対しての感想っていうのがすごい嬉しい。

 

 

これからゲーム制作は衰えて行くのかもしれないが、わたし次回作をつくるぞ!

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20160518002254

それなあ

マジでクソな仕事しかしない無能CTOに恐怖のズンドコを味あわせたい

自分別ににのぼりたいとは思ってないけど、無能が上にいて下っ端の邪魔してるのは許せない

2016-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20160517222447

一次で落ちるってのは、少なくとも印象に残ってないぞ。

会社にもよるかもしれないが、悪い意味でなく印象にのこってたら、ふつうは、ひとまず通過させて次で深く見ようとする。

印象に残そうと思って頑張って自己PRしてることが、就活マニュアルによくある話になってないか

サークルリーダーとか、バイトでこんな提案して貢献しましたとか、そういう話はうんざりからね。

しろほんとに誇れる実績あっても、同じような話の切り出し方した時点で「あー、いつものパターンか」と思って以後の話なんか聞かないよ。


ちなみに、俺は零細企業採用やってる。

大手はしらない。

原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』を読んで

このエントリを書いている私とは別の人が、 http://anond.hatelabo.jp/20160517150742 で間違いや思うところを挙げている。

本当はこのエントリを書く予定は無かったが(だって書いたとしても、簿記管理会計を知っている人から見れば自明だし、知らない人から見ればどちらが良いのかなんて判断できないので、結局自分時間がすり減る以外の効果がないのだ)、↑の増田に触発されたので自分も少し書いてみることにしたよ。

(なお、元のエントリである原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 http://www.yutorism.jp/entry/costing 、および↑のエントリ、そしてこのエントリは(たぶん)すべて別個の人間が書いている。前の2つはもしかしたら同一人物かもしれないが、すくなくともこのエントリを書いた私は、前の2つのエントリとは何の接点も持たない人間であることを表明しておきたい)

では参ろうか。なお、これ以降の「元のエントリ」は、『原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 を意味する。

元のエントリの全体の印象

元のエントリ最初にちょろっと「原価計算とは何か」とか、「原価計算目的」について書いてあって、それらは正しい。前に話題になった簿記の基本の話のときは、最初からずっこけたんだけど、今回はずっこけなかったので「これは成長したなあ」なんて思って読み始めたが、やっぱりというか、だんだん原価計算の基本とは異なる「よくわからない何か」になってゆく感じだった。とりあえずその中から自分が気がついたところをいくつか指摘する。(全部は大変なのでやらない)


原価計算基準とは何か

そもそも原価計算基準について、元のエントリを書いた人はどういう認識なのかな? この基準は当時大蔵省がまとめたものなんだけど、拘束性がない。原文を参照してみよう。

原価計算基準 - Wikibooks

しかしながら、この基準は、個々の企業原価計算手続を画一に規定するものではなく、個々の企業有効原価計算手続規定実施するための基本的なわくを明らかにしたものである。したがつて、企業が、その原価計算手続規定するに当たつては、この基準弾力性をもつものであることの理解のもとに、この基準にのつとり、業種、経営規模その他当該企業の個々の条件に応じて、実情に即するように適用されるべきものである

というものなので、財務会計のいくつもある会計基準と比べるとかなりルーズである。「原価計算実施する企業体合理的にやってね」というくらいの基準。(合理的というのは、その企業体原価計算目的を達成できる程度の合理性という意味合いで、何か法令で○○製品は☓☓法で処理しなければならない、などと決まっているわけではない。したがって、同じ製品製造している企業でも、企業によって異なる原価計算手法採用していることはありうるし、実際にあると思う。さらにいえば、この大蔵省原価計算基準に載っていない計算方法であったとしても、その製品計算において合理的であれば採用してかまわない。)

そういった説明が無いので、おそらく何も知らない人から見ると、「原価計算は同じものに対して何個も処理法があってよくわからない」みたいな感じになるのでは?、と思う。

くわえて原価計算基準でも指摘しているように、企業毎に原価計算目的計算方法が異なるのが通常なので、「○○が一般的」などということは、一般的には言えない。元のエントリはところどころに「○○が一般的です」といった説明があるが、何をもって一般的判断しているのか?、より詳しい説明が聞きたいところ。

費用の分類

で、次に進む。青い太字で「分類は『誰が、どの時間軸で見るのか?』によって変わる」とあるんだけど、「誰が」とは誰なんだろう。原価計算担当者以外、原価計算を行うもの企業内でいるとは思えない。だとすると、計算担当は一人(あるいは当事者といってもいい)しかいないだろう。複数の「目」を仮定しているからこそ「誰が」という話になるんだけど、ここでなぜそういう仮定を置いているのだろう?

まあ、たまには計算担当が引き継ぎなどで変更されることがあったり、別の会社の似たような事例を参考にすることはあるので(そんなふうな試験問題もある。例えば会計士試験などでは、「ある原価計算担当者は『〇〇』よりも『☓☓』が良いと主張している。どちらがより適切か論じなさい」みたいなやつ)、絶対に無いかと言われるとちょっと怪しいけれど、「誰が」が、問題になることは、ほぼ無いのではないかな。

ちなみに、このちょっと前の、

管理可能性に基づく分類・・・自らの意思で減らすことが出来るかどうかZ

というのの最後は「Z」ではなくて「?」だろうね。分類の説明もかなりアヤシイところがあるね。(4の操業度の説明は、「製造量」で良いのかな? 操業度と製造量は別個の概念だと思うが)

製造費用の分類の画像も知らない人が見ると混乱する要因がありそうに思った。

原価計算の難しいところ

で、あまり気にしないでどんどん進む。このあたりから、いろいろとどうなの?というところが増えていく。

費用と原価がざっくりまとめられているんだけど、この説明はこれで大丈夫なのかなあ。この原価の説明はなんか、はじめて聞いたくらい。「費用を今期分に調整」って、それが原価なの? 期間に着目して原価を説明するのは無理なんじゃないかな。(製造した製品視点がどうしても必要だろう)

このあと、いらすとやさんの画像を使って、カレー/カレーパン/シチューを作る例で話が進むのだけど、カレーカレーパン工程は、少なくともパンを作る工程くらいは入れるべきだろうね。(脱線するけれど、カレー画像緑色のものが載っているけれど、これはなんなのだろうか。グリーンピース?)

事務員さんによるサポート(赤矢印)」という太字のところは「赤」ではなくて、「青」だよね。

原価計算の手順

で、進む。部門別原価計算の例で進むけれど、部門別原価計算って、一番シンプルな例で進むとしたら、部門別である必要はないのでは?費目と製品別で原価計算の基本は説明できると思うけれど。実際に簿記2級で最初に習う一番シンプルものはそんなところだったはず。

だんだん疲れてきたので

このあたりで終了。やる気のある方は、この続きや自分の指摘以外の箇所をやってください。「計算金額:実際原価計算 と 標準原価計算」の箇所もどうかな?と思うところがあったり、他にもいくつもありますが、疲れたので終了します。久しぶりに管理会計原価計算の本を見たりして、ぐったりした。

これらが「原価計算の基礎と基本」なのかな? すごいトリビアルな箇所があったり、説明が適切ではないところがあったりするので、知らない人からみると相当混乱するのではないだろうかと思っているんだけど、どうだろうなあ。

前の簿記エントリ http://www.yutorism.jp/entry/2015/11/11/100336 を見ると、コメント欄に初学者の方が質問されているようだけど、その質問に対する回答も無いようなので、知っている人から見れば「ちょっと変だなあ」くらいで済むけれど、知らない人から見ると理解の妨げになりそうな感じがしております。まあそれも仕方ないのかもしれないけどね。

※ 前の簿記エントリについて、私が書いた増田が読みたいという(奇特な)方は、

- 『簿記の人気エントリhttp://anond.hatelabo.jp/20151112103436

- 『簿記エッセンス(簿記という言葉意味を間違えないために。)』 http://anond.hatelabo.jp/20151113140308

を参照していただきたい。

http://anond.hatelabo.jp/20160516192059

オレは静岡住民から、オマエの気持ちあんまりわからんかも知らんが、

そんなもん、東北自動車道青森経由のフェリーにのって北海道までわたったときの「東北」の長さに比べたら、屁のようなもんだと思うw