「理由」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 理由とは

2017-05-27

出川哲朗の充電させてもらえませんか?が面白いわけ

テレビ東京で土曜20時に放送中の出川哲朗の充電させてもらえませんか?がなぜ面白いかを考えてみた。

普通の旅番組なら旅先の観光地最初から最後まで散策するがこの番組では目的地に行く過程を楽しむため自分も旅をしている感覚になる。また観光地ではない場所を紹介しているためとても新鮮。

出川の飾らないキャラもいい。ゲストとのカラミもそうだが一般の方とのふれあいも見ていてほっこりする。

そして一番の見どころはバイクでの旅というところ。充電をしなければいけないタイムリミットも決まっているため無理にでも一般の方やお店側に充電してほしいと頼まなければいけないためふれあい生まれる。

私も見始めた頃は最新のバイクもっと長く走行できるのではとかバッテリースペアを持っていけばいいなどと思っていたがコレくらい充電が切れやす環境のほうが制約もあって面白い

そもそも一回の充電で走行距離が長いバイクを使うなら電車飛行機で現地へ行けと言う話でw

最近テレビ番組は深夜からゴールデンという流れが多い。その理由は低予算の中でやりくりして面白い番組を作っているからで。モヤさまバス旅も他局で真似されたようにこのバイク旅も先人になって欲しいです。

池の水を抜く番組もそうだがテレ東の低予算面白い番組に今後も期待してしまます

非暴力主義を貫いたガンジーは、提唱してから自身は一度も殴られた事がない事実

彼の思想により彼のシンパがやったデモ行進は有名だが、その行進の先頭に彼が立ったことはない。

まり殴られたのは弟子若者ばかりであり、彼はそれを黙って眺めていただけだ。

この事実を考えてみると、彼も『中年ハッピー』の探究者に過ぎなかったのではないかと思えてくる。

中年ハッピーとは、主に35歳程度を過ぎたあたりの男性の訪れる、無感動感のことを指す。

女性更年期は、意味もなくイライラした気持ちになったり、突如汗が大量に噴き出すなどの現象があるが、それの男性版だと思ってもらっていい。

男性中年場合、なにをやっても面白くなくなってしまう。

ただ『面白い』という言葉日本語だと多岐にわたって使う便利ことばであり、いまいちどういうことさすのかはっきりしないので、英語の『Happy』つまり幸福感に限定しますね。

それまでの年齢までは、仕事でいい成果を出したり、家族恋人食事に行ったり、子供の成長を感じたりすることで幸せを感じていた男性ですけども、どういうわけかある時期を境にその感覚が鈍くなってくる。

なにをやってもいまいちパッしないというか、感動が薄くなる。

Happy感覚生活の中から消失してしまう。

そんな感じ。

そういう状況に陥った中年男性は、どうにかして幸福感を取り戻そうとする。

若い女性浮気してみる、趣味に没頭して成果物blogを作って見せびらかしてみる、日曜大工に目覚めて家族に押しつけ家具を作ってみる、なぜか蕎麦を打ち始めてみるとかいろいろ。

そういうことをやってみても、ほとんどの場合若いときに感じた、万能感とともに訪れる天にも昇るような幸福感~World's is mineな瞬間~は戻ってこない。

絶望しますよね。軽くですけども。

その後、中年男性はどういう行動にでるかというと、その幸福感を所有しているもしくは獲得する可能性のある連中~つまり若い男性~に対して足を引っ張るようなことを始めます

社内で相応の地位になってからは、若い社員にあーだこーだと理由をつけて常に働かせるように仕向ける。

中学部活動顧問になって、クソ味噌に怒鳴り散らして常に走らせる。根を上げて休み始めたら、個人資質攻撃する。

政治家がひとことふたことアンモラルなことを口にしたら、役職を解かれるまでネガティブツイートしまくる。

免許をとってから数年しかたっていないと思われる若者事故を起こすと、喜々としてそらみたことか節で安全運転を語り出す。

嫁の家事に口出しをし始める。

リモコン位置普段位置にないことを、まるで人殺しでも犯したかのように責める。

娘が彼氏を連れてきて結婚したいと紹介したら、絶対に許さん!!と言って見たりする。

などなど。

こんなことをしてもぜんぜん幸福感は戻ってこないんですよね。

しろ数年後に社会の中心世代になる若者の恨みを買うわけだから、確実に不幸になるんだけど。でも、ついやっちゃう

そんな感じの中年ハッピー探究者になっちゃうわけです。

話はもとに戻るけど、ガンジーって男はわりと人間の屑で、自身若いころは若い女喰いまくり性的に超だらしない男だったそうな。

実の父親の死んだか葬儀ときかははっきりとしないけど、同じ時間に別のところでまぐわってたとかいう記録まである

そんな男が中年を過ぎ老人の年齢に差し掛かったころに提唱したのが、非暴力主義とそれを体現する若者デモ行進ですよ。

体が健康若い女を抱けて子供も作れる若人が、警官警棒ボッコボコにされるとかいう、フザケタ状況になるようにうまいこと誘導した。

もちろん自身は殴られることのない安全圏にいて見てるだけ。

それを望むのが、とうの殴られる若者など、彼のシンパときたもんだ。


その状況をどのような気持ちで見守ってたか

ははは。

偉人とかもうね。

何のために小説を書くのか

一連の騒動学問ルール同人ルールの間隙をぬったようなことが現実に起こって、多くの人がざわついているわけだ。

私は社会科学作法を学んだから論文作った側の論理や、配慮が至らなかった点はなんとなくわかる。内容的にも、論文掲載された経緯においてもだ。

一方知りたいな、と思うのが二次創作小説を書き、それを範囲限定してであっても公開する、という心裏だ。

なぜ公式を見るだけでは満足せず、自ら筆をとるのか。そしてそれを、なぜ自分原稿用紙に書くだけでなく、アップロードして同好の士に読んでもらおうとするのか。

一方で、広く露見すると引っ込めたくなる心裏はどこからくるのか。

当たり前に解るような気もする。ただ私はそういうことをしたことが無いからもしかしたら感覚全然違うのかもしれない。

平たく言うと、どういう心裏で筆をとるのか。明確な理由なんてないのかもしれないけどさ。


折角の増田なので、わざと煽り気味に書いてみるぞ。なんで小説書くの?

http://anond.hatelabo.jp/20170527075354

ネガコメを書くやつは2ちゃんTwitterにもいる

はてブ気持ち悪いのはヤフコメやがるちゃんやアルファルファモザイクとかと一緒で投票によって場の総意みたいなものを作ろうとしてるところにあると思う

ノイズとして見逃せという意見がアホなのはこれが理由

ブクマページのそれぞれがラウドネスの異なる存在が乱立する社会環境であって、増幅されてしまったノイズは到底見逃しうるものではなくなっている

このとき増幅装置として働いた人々を批判するか、ノイズの種をまいた人を批判するかはお好みで

エントリーシート、内容の書き分けがだるい

受験動機

・やりたい仕事理由

会社の取り組むべき課題とどうしたいか

分けるのがムズイ

http://anond.hatelabo.jp/20170527124621

いやぁ、なんていうかな。

学生の頃って視野が狭いから、

親や先生が「良い子にしなさい」っていう世界しか知らなかったわけよ。

それで不真面目な子や無能な子が迫害される風景を目に焼き付けてるわけ。

しかも真面目で有能な子ですら理不尽理由迫害されてて、

から命がけでレール上にしがみつかなきゃってずっと思ってた。そうすることでレールの上にしがみつけてると思ってた。

ところが社会に出てみるとどうだ。

ダメな子は排除されるけど、ダメじゃない子も排除されるしサボるし、自分から辞めるのも全然アリだし

自分が命がけで頑張っても報われない、結果でない、しがみつけないしで

こりゃもう悟るしかない。もう何やってもダメなんだって限界が見える。

そうなってすっと今までの緊張が抜けるというか、脱力して、もうどうにでもなーれ自由になる。

http://anond.hatelabo.jp/20170527114738

文科省キャリアを目指す大学生の中で一番嫌われている官庁だと聞いたことがあるがその理由垣間見えた

財務省経産省とか花形官庁行きたかったけど文科省しか入れなかった連中が運営しているんだな

大学へ天下ることだけが楽しみだったけど、その道を絶たれてしまったのね

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

人工知能学会から返って来た人工知能研究者。例の論文の著者の1人とも知合で今回もご挨拶した。家族文系研究者あり。

多分理解されていないところをいくつか書く。

小説分析研究対象ではない。

これは工学論文なので、あくま分析対象フィルタリング手法であり、小説手法入力するデータに過ぎない。

文学研究と異なり、小説の内容については評価を下していない。あくまで、データにどういう文字列が含まれていると、手法がどういう影響をうけるのかについて分析しているだけ、という立場だ。

分析対象手法であって小説ではない。だからこそ、「有害」という内容について評価を下しているかのような表現不適切なのだと思う。

人工知能学会全国大会論文査読なし

人工知能学会全国大会論文査読なしだ。これは、人工知能学会けが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会査読なしである

ただ、その理由が「本会議ボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。

この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。

AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要査読付き国際会議にどれぐらい通したか研究者の業績が決まる。

まり英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメ論文は、国際的評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。

今回の人工知能学会も、多くの論文が、今年、同内容でどこか良い査読付き国際会議投稿された英語論文原稿を、日本語翻訳したものだ。

国内学会査読なしにしているのは、多様な論文を受け入れる意味もあるが、一番の理由は、査読者を確保する事が難しいからだろう。

査読者になるのは国際的活躍するトップの優秀な研究者たちだ。彼らの時間を、国内学会論文査読などに使わせてしまっては、国際競争力が落ちる。

ただ、一応、賞を出す制度があるので、全論文に対し、誰かが読んで評価はしている。

全国大会では学生普通に発表する

そういうわけで、全国大会で発表することに大した業績的意義がないので、学生普通に発表する。

企業研究者全国大会大勢来ているので、優秀な学生が入ればインターンに呼んだり就職勧誘したりする。

全文一般公開するかどうかは学会による

多分、今回問題になったのは、ここだろう。人工知能学会は、全論文PDF一般公開してしまう。

このあたりの対応は、情報系でも、国内学会によってまちまちだ。昔は、CD-ROMを配るだけで、CD-ROMを持っていないと論文が見られないなんて会議や、電話帳みたいな紙の予稿集を配っていた会議もある。

今は、会議参加者しか見ることの出来ない専用のサイトから論文ダウンロードさせる会議もある。

マスコミ文科省大学天下り問題を強く批判できない

理由はほぼ同じ事をマスコミはしてるから

朝日新聞退職した植村隆氏が退職北星学園大学講師をしていた件は、脅迫事件があったのもあって覚えている人は多いだろう。

ところで北星学園大学は、朝日新聞寄付講座を出しているところでもあるhttp://www.asahi.com/shimbun/jschool/chair/

このようにOB受け入れとセットになっている寄付講座はいくつもある

金出してるんだし民間からいいんじゃないの?と思う人も多いだろうが、本来なら若手研究者が獲得できたであろうポジションをろくに研究したこともない人間に渡すという点で問題共通している。

最近まんこ

自分が傷ついたから」という理由非難をして、結果、非難対象が萎縮してしまうっていう事例が多い気がする

非難の内容を読むと、自分の快・不快論理がないまぜになっていて、遣る方無い気持ちにさせられる

http://anond.hatelabo.jp/20170524183932

あの日から無理」

わかるよ。わかる。

けど、今まで別理由で散々断ってきたじゃない。なぜその時期だけ理由変えるのさ。

その理由なら諦めやすいと思ってる?

その理由なら傷つかないと思ってる?

理由が変わったってことは受け入れるつもりはまだあるって思わせたいの?

私になにをさせたいのか。都合の良い時にこっちから都合良く誘えばいいのか。

それって二ヶ月かかるのか。一週間後からまた理由変わるじゃない。

私が望むことは何も受け入れてくれないの?

癇癪だと思って処理してるだけじゃないの?

気持ちを上げてもらうために色々してきたし喜んでもらってたけれど、

それらは気持ちが上がらず都合のよさしか上がってない、って

言えよ。

言ってくれ。

苦しいんだ。

とあるイヤホン初期不良神対応に隠された真実

とあるイヤホン屋で買ったイヤホン初期不良か左だけが聞こえなかった

すぐに問い合わせるとすぐさま新品を送ってくれた

新品は初期不良はなかった、と思ったが

とある箇所に刻印がされていなかった

イヤホン機能には問題ないが・・・

問い合わせたらまた新品送ってきそうだな・・・

そっちが初期不良で聞けないパターンもありそうだし

もういいや

問い合わせる事もせず、リークする事もなく

匿名ダイヤリーいきのネタだこれは・・・”と

日本神対応は嬉しいが、

中国のこの会社製品だけはもう買うまい、覚えたぞ

これだけは言える、

”安いイヤホンにはそれなりの理由がある!”

という事

終わり

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

これの件について、倫理的問題がどうとか法的にはどうだったのかという話については個人的に話が出尽くしてるのでいまさら何か言うこともないけど、個人的論文のものについてとても気になったことがある。

そもそも例の論文の作者は何がしたかったのか、したいことを実現させるために正しい方法を選べていたのか、ってあたり。

というのも問題論文タイトルって「ドメインにより意味が変化する単語に着目した」猥褻表現フィルタリング、っていうタイトルで、文脈や使われる場所によって同じ単語でも実は隠喩だったりするので、そういうものをどうにかフィルタリングできないか、っていう話のはず。

そして序文を読むにフィルタリングがきちんとできていないかフィルタリングしたい、って話でもあるはず。

それなら「フィルタリングされているドメイン猥褻表現として使われている単語」をサンプルにしても「ドメインにより意味が変化する」からフィルタリングされていないドメインでは猥褻表現として使われていない」は可能性があるんじゃないの?

フィルタリングされているドメイン猥褻表現として使われている単語」が「フィルタリングされていないドメインでも猥褻表現として使われている」のであればそれは「ドメインにより意味が変化する単語に着目」してないじゃん。

そもそもドメインにより意味が変化する単語」に着目できてない。着目しているのは「文脈により意味が変化する単語」じゃないの?

それならPixiv小説サンプルになるのは理解できる。

もしも「ドメインにより意味が変化する単語に着目」していると言うなら、AというドメインとBというドメインでは特定単語が同じ意味で使われていることを証明しないとだし、それができないならAというフィルタリングされたドメインで使われている文章は何の参考にもならないし、そもそもAというサイトはきちんとフィルタリングされていないと主張するならその根拠を提出しないといけないのでは?

から個人的には「猥褻表現サンプリングからPixiv文章引用したのは適切」「法的に問題がない」とは思えない。無関係文章を解析する理由なんてないでしょ。Pixivというフィルタリングされたドメインでの文章はこれこれこういう理由で他のフィルタリングされていない別ドメイン文章フィルタリング有用、って納得のいく説明ができるなら法的に問題ないって言ってもいい。

例の論文は、本当に法的にセーフなのか

本題に入る前に、いくつか検討を行うべき点がある。

(1)表現を『有害』と評することについての社会的通念

社会流通する特定表現を具体的に名指しして『有害』と評価する場合、その評価責任は、そのような評価を下した主体が負うのが一般的である

例えば、都道府県の定める条例に基づき『未成年者の健全育成に有害である』と評価された特定出版物を、『有害図書』に指定流通差し止め場合があるが、その指定(あるいは指定基準)の責任は当の都道府県が負う。

実際に、都条例(「東京都青少年の健全な育成に関する条例」)の条文が変更され、近親相姦描写指定根拠に加えられた際、またその条文を根拠として実際に書籍が『有害図書』に指定された際に、都を批判する声が少なからずあった。表現を『有害』と評価する主体はその評価について責任を問われる、という社会的通念が如実に現れた実例と言えるだろう。

有害情報』はインターネット上に流通する表現についての評価であるが、これも評価主体責任を問われるという点は『有害図書』の場合と同様である

例えば、特定ウェブサイトが、検索エンジンサービスセキュリティソフトウェアフィルタリングソフトウェア等によって『有害』と評価され、アクセスを妨げられた場合、その評価責任を当該サービスないしソフトウェア提供者が負うという点については、広く合意されるところである

(2)予めゾーニングされた表現の『有害』性

どのような表現を『有害』と評価するか、具体的な線引きについては評価主体により差はあれど、大別すれば、「援助交際違法薬物の取引」といった実際の犯罪行為と一体のものと、「(現実架空の別を問わず暴力・性行為犯罪行為描写」といった未成年者の閲覧に不適切もの、の2つである

このうち後者について、評価主体行政ないし公的機関場合表現の自由知る権利とのバランスを取る必要から未成年者による閲覧を抑止する施策ゾーニング)が講じられていれば表現のもの禁止はしないという形を取ることが多く、またそのような施策が予め講じられた表現に対して『有害』か否か積極的評価することは(必要が無く、にもかかわらず上記のような責任無用に負うことになるので)避ける運用となるのが通例である

他方で、ゾーニング必要性の有無を判断するのは表現を発表する側であり、通常これは『有害評価を下す側とは別であるから、『有害ギリギリラインゾーニングが行われることはない。すなわち、表現を発表する側はより大きな安全マージンを取り(安全側に倒して)ゾーニング実施することになり、そして上記のとおりゾーニングされた表現については『有害評価が保留されがちであることから、もし仮にゾーニングされていなかったとしても『有害』とは評価されなかったであろう表現ゾーニングされてしまっている(が、そうとはわからない)という例も珍しくないはずである

したがって、ある表現ゾーニングされているからといって、その表現直ちに(例えば行政公的機関などの評価主体判断に照らして)『有害であるとは断言しえない。

(3)慣行としてのゾーニングに対する表現者意識

業として表現流通させている者(出版社小売店ウェブサービスなど)がゾーニング実施するのは、上記条例をはじめとする法令を遵守することが第一義的な理由と考えてよい。そしてそれらの業者を介して自身表現流通させんとする個々の表現者は、業者との契約規約に基づく形でゾーニング同意し、間接的に法令を遵守することとなっている。

このことは、当該法令理念目的基準について、必ずしも表現者賛同ないし納得はしてないけれども、業者を利用する都合上その定めに従っている、というケースが内包されている可能性を示唆する。より具体的に言えば、表現者自身は「未成年者にとって性的表現有害ではない」と考えていたり「この程度の性的表現は『有害』にあたらない」と考えていたりした場合でも、業者を利用するため業者実施するゾーニング基準に従った結果として(あるいは、閲覧者の利便性を図る手段としてゾーニング活用する意図で、もしくは、自身思想と食い違っても「悪法も法なり」という判断の下)法令を遵守している、というケースがありうる。

同時に、上記のとおり行政公的機関ゾーニング済の表現への『有害評価を保留するので、動機はどうあれゾーニングに従っている以上、自身表現が『有害』にあたることはない、という意識表現者にあったとしても不思議ではない。これは逆に言うと、『有害評価を下されること=ゾーニング努力を怠った粗忽者ないし社会迷惑をかける厄介者レッテルという意味包含し、表現者にとってのスティグマとして機能しうる。

(4)著作者人格権侵害とみなされる引用

著作物二次利用原則的著作権者許可を要するが、著作権法32条により『引用』であれば無許可に行うことができる。正当な『引用』と認められるには「引用部分とそれ以外の部分の主従が明確であること」「引用する必然性があり、その必要な量のみの利用に留まること」「出典を明記すること」などの要件を満たさなければならない。

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行合致するものであり、かつ、報道批評研究その他の引用目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。


しかしながら、著作権法113条6項には、次のような条文がある。

百十三条  次に掲げる行為は、当該著作者人格権著作権出版権、実演家人格権又は著作隣接権侵害する行為とみなす。

6  著作者名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権侵害する行為とみなす。


これは上記の『引用』と矛盾するように見えるが、そうではない。無許可で『引用』することはできるが、その結果として著作者名誉・声望を害したら著作者人格権侵害とみなされる、という形である。つまり理論上は、正当な『引用』であっても著作者人格権侵害になる場合があるとされており、ゆえに「例の論文は『引用』の要件を満たしてるから法的にセーフ」とする主張は、全て誤りである

このような条文があると、否定的な論評・批評のための引用ができなくなるのではないか、と心配する向きもいるかもしれないが、意見表明による名誉棄損を免責する『公正な論評法理』が、上記条文における「名誉又は声望を害する方法」の当否判断にも準用され、否定的な論評・批評のための引用も内容の公益性妥当性次第で免責されると考えられている。

ここまでのまとめ



本題

例の論文では、R18としてゾーニングされた10作品を標本として利用しているが、ゾーニングされていることをもって直ちに有害であるとは言えず、またその作者らが自らの作品の『有害』性を自認していることにもならないため、「この10作品は『有害である」との評価自明ではない。

にもかかわらず、論文ではこれら10作品を「『有害情報』のフィルタリングアルゴリズム学習データ」と位置付けており、このことはつまりこれら10作品が『有害情報』の代表であるという評価を下しているに等しい。その際、法令制度あるいは他者によって定義された『有害評価準拠する旨の記載がないため、この『有害評価論文著者が主体的に行っているものと解され、その責任論文著者が負う。

これら10作品が『有害情報』の代表例として紹介されたことは、作者らにとってスティグマとして機能することが懸念され、名誉・声望を害したと言えるのではないか

整理すると「論文著者が主体となり10作品を名指しで『有害評価したことが、10作品の作者らの名誉・声望を害したと疑われる」。

論文ではこれら10作品に含まれ性的表現引用批評しているとは言えるが、『有害情報』の代表例としてこれら10作品を名指ししたことについて十分に補強できるだけの論理が築かれ『公正な論評法理』に適う内容になっているか、といえば、議論が分かれるように思う。少なくとも「論ずるまでもなく法的にはセーフ」とは断言できないと考えるが、どうだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170525111046

獣医学部の新設が不要だという理由が明確に書かれているよね。

需要無視して人数を増やしたのがロースクールで明らかに失敗している。

獣医師と同じく弁護士は足りない地域があることは前から言われてきたけど

増やしまくっても地方には弁護士は行かない。

その上この状況が広く知られると志望者が減ってきている。

獣医師資格を持っていても従事していない人が少なくないのに

これ以上有資格者を増やしても歯科医師のようになるだけ。

大学や専門大学院に行って資格を取っても生活できないのであれば

困るのは当の学生人生が終わってしまう。

そんなもの特区で作ろうと考える方がどうかしている。

俺の母は幼い 精神年齢がだ

母は70をこえてなお仕事をしており、同年代と比べてもかなり元気な方だ。脳みそもはっきりしていてそこそこの知性はある。ボケてもいない。しかし、精神年齢はそれとは対称的だ。精神疾患専門用語を避けると「精神的に未成熟」と言っていい。心は子供身体は老人。

具体的な例をあげようとしてもうまくいかないのはしかたない。自分自身で母の言動表現しきれるのは無理だと思っているからだ。ただし会話をしていると以下のような傾向が見れる。

あげるとキリがない。古臭い表現では自己中となるだろう。とにかく怒りっぽい上に論理的な話が殆ど通じず、言葉暴力相手ねじ伏せることしか頭にない。客観的事実相互理解ではなく、自身主観こそが何よりも正しいと思っている。そのくせ警察等の公権力客観的事実には勝ち目がないとわかっているらしく、それらを避け続けている。

彼女が爆発するのは特に家の中だった。私の祖父母を持ち前の言葉暴力によって完全に支配し、実質的家庭内ヒエラルキートップであったのだ。手を出せば噛まれると知って、不用意なことをしなかったので彼女はずっとその地位にいた。

彼女の夫であり30年近く連れ添った理解者であり家族であり、つまり私の父親は「彼女出会った当初から精神年齢が)幼い様子だった」と語ってくれた。つまり結婚する前から彼女にはその性質があった可能性があるのだ。半世紀も前にこんな怪物が街なかで今よりも元気に活動していたと思うと悲しくなる。

彼女の弁護をすると、彼女は嫁ぎ先である我が実家借金返済のために多額の財産を手放したと聞く。それは父親も認めており、幼かった私自身もそのゴタゴタに巻き込まれものだ。だから彼女が嫁ぎ先とその人間をよく思っていないのは物心ついた時からわかっていた。

なにせ、彼女自身旦那さえも名字で呼ぶのだから高橋家ならば「高橋さん!」と呼ぶ。激高すると名前を忘れるらしく、息子である私さえも「高橋くん!」呼ばわりだ。

彼女にとっては、自分と家の人間は完全に区別されるものらしい。

はいっても、母の言動は極めて異質だ。モンスタークレーマーモンスターペアレンツ典型例を犯したこともある。機嫌が悪いという理由レストラン店員小一時間も怒鳴ったのは今でもおぞましい記憶として残る。

つい先日も野良猫の餌に関して母はトラブルの渦中にあった。野良猫に餌を与えている女性を母が注意(※本人談)したのだが、母は猫のエサ以上に自身侮辱した相手女性言動の方が気に食わないらしい。私が相手を泳がせて情報を聞き出そうとしても、その様子を自身への裏切り行為と捉えたらしく激高していた。自分が気に入らないことはなんでも食って掛かる。どんなにコンセンサスを取ろうとしても自分主観を曲げることは決してない。わがままも1時間となえれば通じるとおもっているようだ。

彼女は強い。自身主観で捉えたことを徹底的に相手押し付け喚き散らすこと。これが彼女の唯一の武器であり、誰も崩せない鉄壁の防御だ。論理的攻撃もなにもかも捻じ曲げる。自身が不利になれば悲劇のヒロインを演じて相手を別の角度から侮辱する。誰も攻略できない。

だが、問題は私の方にある。

そんな母なので心療内科に通わせることは不可能だ。明日天皇制王政になったほうがまだ現実的だと思えるくらいに。だからそんな母に対しては、周りの方が適切な距離感を持って接する必要がある。相手が変わらないならばこちらがどうにかするしかない。相手の安い挑発に乗って口喧嘩に発展してしまうことが最も危険行為なのだ

それが自分にはできていなかった。血脈なのか私も母のような性質を受け継いでいるのか、冷静で理知的なことができない場面が多い。

どうしたらいいのか。

朝、目が覚めると自分の姿を目の前にして天に昇っていたらいいのにと思っている。

ラジオ局営業独り言

ラジオ営業マンにも当然色んなタイプ人間がいるのですが、

優秀な(売上げが多い)営業マンに非常に多いのはニコポン営業と言われるタイプ

「この2017年に⁉︎」という感じですが、そうなんです。

別にラジオに限らず営業職では、コミュ力重要な要素ですが、ラジオ場合は最たるものだと思います

というのもラジオ媒体効果効率定量的に出すのが難しいメディアでして。

webはもちろん細かい費用対効果を測れますし、TV毎日発表される視聴率リーチなどはこまめに取れます

対してラジオはと言うと、

首都圏ですら、

2ヶ月に1度、日記式で行われるビデオリサーチ調査のみ。

(radikoストリーム数を諸々制約があり勝手に出せないのです)

私自身、「ラジオ広告効果がない」とは全く思いませんが、効果検証がしにくいメディアであることは確かです。

web広告がこれほど普及したなかクライアントとしても、効果評価しづらいメディアクライアント社内で承認を得るのも一苦労で、よっぽど刺さる企画じゃないと実施は難しいわけです。

それを何とか企画性やら新規性話題性なんか組み込んだ提案に仕立てて売ってるのですが、相手も人である以上、最後に効くのはやっぱり人と人との関係性みたいで。

しょっちゅう会合やったり、ゴルフやったり、プライベート趣味に付き合ったりで関係性作って、細かいフォローで最終的には「困ってるので助けてください」で決めてくるまでに仕上げるんですよね。

ちなみに会合なんかは高級店とかじゃなく、わりと普通のお店ですね。お金ないんで。

その代わり優秀営業気遣いはすごいです。支払いやらタクシー手配やらはもちろん客が気づきもしない手際ですし、お土産なんかも、客1人1人の趣味、趣向、家族構成出身地諸々を雑談から拾っといて全部頭に入れたチョイスしてきます

とまあ、長々書いてますが、どれも基本的だったりよく言われることですね。

だけど、それを全て完璧にやれるかと言われると、少なくとも私にはできないです。

そしてニコポンが多いのもう1つの理由が社内環境にもあります

基本的放送局は編成サイドが営業サイドより力関係は強く、基本ディレクターがNOと言ったらNOです。

(それが「番組に合わない気がするから」という感覚論で、子ども言い訳みたいでも)

編成が強いのは、公共電波を預かるものとして「まず第1はリスナー利益に」という点で正しいと思います

(よく編成と営業の力関係は51:49が理想と言われます)

しかし、民放として収益を上げるということを全く理解していない外部制作会社の雇われディレクター感覚論でも全てがNOにされることもあるので営業としては堪ったもんじゃありません。

そこでニコポンのコミュ力が発揮されるわけです。

ディレクターはじめ社内各所と良い関係性を築き、私がデータや論拠を示しながらも拒否された企画を「ひとつよろしく頼むよ!」で通してくるんですよね。

要はできる営業マンは社内外問わずコミュニケーションが潤滑って当たり前のことなんですが、

これだけ「主観的な」環境にあるラジオだと際立っているというお話でした。

最後に私がそんな営業になりたいかと聞かれればNOだけお伝えしてお別れ致します。

乱文ご清覧いただきありがとうございました。

いつごろからオタク批判されても腹が立たなくなった

昔は俺もオタク馬鹿にする言論に怒ってた、オタク文化は最高だと思ってた

でも最近はそういう気力が全く無くなった、理由オタク自身がいろいろな偏見臆面も無く振り撒く事が多くなったからだ

はてな比較的そうでもないけど、ツイッター2ちゃん表現規制に反対!と言いつつレディコミ、ヤンキー漫画規制しろと言うような類のダブスタを口にするやつ、それだけならまだしもそれに加えてネトウヨだったりミソジニーだったりする人間が多くなりすぎた

挙句アニメキャラアイコン人種差別をしつつオタク批判には顔真っ赤にするような輩、これが本当に駄目だった

そんなわけでそういう連中を多く見てきて、最近になると見当違いなオタク批判に熱り立つオタクを見つつ(でも俺らも十分に身勝手よなぁ)と思うようになってしまった

2017-05-26

めっちゃ歩きスマホしてる

先日、歩きながらビール飲んでる人の増田話題になったが、私はめっちゃ歩きスマホしてる。

歩いてる間中イヤホンを着けてスマホの画面に目を落としてゲームやら読書やらはてブやら株価チャートチェックに明け暮れているのだ。

ついでに言うと、歩きタバコもする。流石にこれは常にしているわけではないが、路上喫煙禁止ではない場所歩きタバコ。吸殻はケータイ灰皿に入れる。

一般的に想定されるはてなーが見たら批判されそうな行為連続だか、不思議と注意されたことはない。歩きスマホなんか、新宿駅とか渋谷駅など、人がごった返している場所でも常に行っているけれど、他人にぶつかりもしなければ、絡まれもせず注意もされない。

しかしたら、私の姿を見たり、傍を通過することで発狂したり迷惑を蒙って泣き寝入りしている人がいるのかもしれないが、幸福なことに、そのような他人事情を訴えられたこともない。また、歩きスマホへの当たり屋にも遭遇したことがない。

もしも、私の行いのせいで迷惑を被って泣き寝入りしている人がいたら、是非直接声をかけて欲しい。私としても自分利益を優先して他人迷惑不快感を強いるのは本意ではない。その場合はすぐにあなた様の利益を優先して、そのような行動を慎みたいと思っているのだ。

それにしても、誰にも注意されない。やはり、マナー程度を振りかざして他人を注意するような行為を慎む、奥ゆかしい人々がまだまだ大半であって、頭に「私はあなたのせいで不快です」と言う見えないハチマキを巻いて、「マナー」とやらを理由他人行為に踏み込もうとするような、勇気に溢れたバイタリティのある方々は日本には少ないのかもしれない。

確かにそのような、コントロール不能な他人行為を正したいと言う情熱の元に生活をしていたら、かなりの労力を払わなければいけないし、疲れるだろうし、常にイライラして精神衛生クオリティを落として生活しなければならないから、割に合わないのだろう。

考えてみれば、私も他人電車ベビーカーで乗ってこようが、何を飲み食いしてようが、化粧してようが、前を歩く人がビールを飲んでようが、タバコを吸おうが、ガラガラを引いてようが、自分に直接危害を加えられない限り(または、私がどこかに移動することで避けられる限り)大して気にならない。

とは言え、自分一般化するつもりもないから、他人マナー違反行為が気になるなら、頑張って正して欲しいとも思う。それを止める気もないし権利もないと思っている。

とにかく、日本人の大半であろう、慎しみ深い人々のおかげで、私は歩きスマホ歩きタバコも堪能し、自由謳歌できるのだから、大変ありがたい事であるありがとう日本日本イキロ

ちきりんが言うとおり蓮舫代表よりも小池百合子都知事の方が話し上手

蓮舫さんと小池さんの人気差のひとつ理由は、しゃべり方だと思う。蓮舫さんの話し方はすごく芝居がかってて不自然。まるで昔の左翼アジテーション演説みたい。小池さんはできる限り「自然な話し方」に聞こえるよう意識してるのが好感度を上げてるんだと思う。

https://twitter.com/InsideCHIKIRIN/status/868088953647255553

ちきりん女史が指摘しているが一理ある。

たくさんの中国人と付き合ったわけでないが増田観測範囲では、中国人は嘘をつく時は力強く雄弁に語り、本音は「テヘッ♡」って感じで漏らす傾向にあるような気がする。

蓮舫女史もそうなのだろう。それにサヨクに影響されている?から「まるで昔の左翼アジテーション演説みたい」になるのかな?

対する小池百合子都知事エジプト留学経験のある才女でテレビ東京ワールドビジネスサテライトの初代キャスターなので人の心を捉えるのは上手なのだろう。日本人的に迂遠迂闊にホンネとタテマエで話をせずに、ストレートにわかやす目的めがけて話をする。

華僑よりも印僑の方が商売上手で、印僑よりもアラブ商人のほうが商売上手だという小咄があるくらいなので、蓮舫代表小池百合子都知事にかなわないだろう。

ちふれって

私の中では商売よりも福祉に近いようなイメージだった。

お化粧をするのが女性としての当然の権利だと思っている人達の中でも何らかの理由自分お金をあまりかけられない女性達を、救済する為のもの、って感じで。

そもそもターゲットが化粧をするのが当たり前と思ってる層なので、最近女磨きをしてなくてヤバい!?とか揺さぶりをかける様な広告を打ったのは、現ちふれユーザー宛てではなくて新規客獲得のつもりだったんだろう。

化粧をする自由・しない自由、両方あるというのが世の当たり前になったらちふれは滅ぶ。

きっと、団塊のおばあちゃん達が要介護になって好きにお化粧出来なくなったり亡くなったりしたら、ちふれも一緒に消えるよね。

今は若い人でもちふれプチプラコスメ一種として使ってるみたいだけど、それは今だけしか出来ない事で、そのうち出来なくなるんだ。

プチプラ自体は残るだろうけど、安くてもそこそこのクオリティ・そこそこ安全、ではなくなる。パッと見良さげでも身体に悪い原料が使われてるとかいうのばっかりになるんじゃない?

それなりの品質の物にはそれなりの対価を。

お化粧をする事が当然の権利ではなく個人自由になったら、当たり前だけど化粧人口は減るし好き者ばかりが残るせいで求める水準はどんどん上がるからお値段も爆上がり。

これからまれ育つ人達で金に余裕が無い人達は、化粧品に手が届く事はない。

彼らは生まれつき自由だが、最初から自由を知らないのと同じだ。

そもそも多くの人間アドバイスなんて求めてない

http://anond.hatelabo.jp/20170525225105

会話術とかにもあるけど、「こうしたらどう?」的なアドバイスばっかしてくる奴はうざがられるだろ。

その時その瞬間に心の底からアドバイス求めてる人は少数で、そういう人に直接ベストタイミングで言うならいいが、それができないならそもそもするなって話。

広告がうざがられる理由はまさにここで、たとえそれが善意からのものであろうと、不特定多数に発信してその中で食いつく奴を探してるからこそ疎まれる。

魚の視点から見たときに、べつに食いたくもないのに何度も何度もルアーをぶち込んでくる奴がいたら、そらうざいから逃げていくわけだ。

でも広告ってのはそこらじゅうにあるわけで、魚じゃない人間はキレて文句を言い始める。

善意であろうと悪意であろうと、他人様に気安く自称有益アドバイスとやらご提供してんじゃねーよってことだ。

おまえら電車の中で誰彼かまわず、「いい話ありますよ」みたいに話しかけてみろ、確実にうざがられるから

個人がやってうざいことは企業がやってもうざいんだよ。

その情報が正しいかどうかはまったく関係ない。

2ch増田の対比をぼんやりから、なんとなくまとめつつ

はてな2ch風土の違い

2chはでは荒れたら誰かが自治するのに増田は止めないの、無法地帯じゃない」という書き込みが数週間前に見られたが、

自分から言わせれば一対一のやり取りに不特定多数殆ど賛同否定を表明しつつ襲いかかる2chの方が狂気的だと感じる。

彼らは概ねやりあってる二人に構うか完全無視という両極端な態度をとる。

邪魔から他所でやれ、と言い出し始めると異口同音にそれに従うし、一人が冷やかし始めたらそれに大勢が乗っかる。

この意志のなさがフーリガンやら大衆扇動的で非常に無秩序で恐ろしい。

増田の傾向

増田で割って入る時もぶら下がって異口同音意見を言ってやろうというケースは少ない。

その場合元増田釣りおかしいケースが多い。

そもそも増田においては異口同音場合、流し読みする文化がある気がしてならない。

季節の変わり目に自演して過疎時間にツリーをぶら下げまくる人間もいるが、こういう人間は定着しない。

こいつらまだやってんのか、とたまに言う人間もいるが、殆ど増田マイペース記事更新する。

基本的に無関心の極端な張り方(「意図的」な無視)は関心の裏返しだし、冷やかしも過度なコミュニケーションの一形態だといえる。

まり増田場合、本当の意味他人に無関心で心が冷え切っているという側面はあるのではないか。もちろんこれは傾向で全員ではない。

全体主義2ch個人主義増田

密接に関わろうとする意味増田ブコメ狙いを含め利益主義的で、2ch地域密着ヤンキー

(=かつて論じられていた母権社会という意味)ではないのか。

言い換えれば増田個人主義2ch全体主義だといえまいか

全体主義なのでルール徹底にはうるさいし、空気読みや振る舞いにまで口を挟まれる。

ところが外世界での倫理に反することでも、彼らの全体主義内のルール内であればいくら調子に乗っていても咎められない。

全体主義であるから主義一貫性がなくとも空気合致していれば満場一致となる。

組織の(スレッドの)健康的な運営第一であり、マイノリティ黙殺されマジョリティに組み込まれるべきだという暴力がまかり通る。

空気がご都合なので満場一致にし易いとも言える。ところが増田場合左翼的個人主義的であり、

必ず全体主義的な狂気に釘を刺す歯止めを効かせようとする。

故に個性という側面においても2chでは昔からコテハンなどの個性を嫌がるし、増田では面白がりながらも個性を受け入れている。

特定id増田出現や某先生暴言などもある種ユーモアをもって受け入れられている)。

なぜ長文文化か、なぜ短文文化

上記の理由により2chでは個々人が深く考えることより同調強要されるため、短文となる。

増田では個人が深く考察するために自ずと長文化する傾向にある。

黒歴史直視できない人間の傾向について

よく中学生時代の痛いノートを元に黒歴史だとダメージを受けるタイプの話がネタにされている。

これに筆者は違和感を感じていた。

なぜか。

黒歴史を作っていた中学生時代の私」と「現代を生きる私」は既に同一人物であって同一人物ではない。

なので過去の私が行ったことは既に現在の私と連続性がないので私が精神ダメージを受ける理由もない。

(未だに痛々しいノートを量産しているなら別だが)

例え他者過去の私と今の私を連続性のある同一個体として認識したとしても

それは他者から評価であり私の内在的自己認識性について何ら変化を与えるものではないかである

 

えー、分かりやすくいうとおしめしてた頃の私と今の大人の私は既に違うのでおしめされてて恥ずかしいなんて思うわけもないという理屈

世話をしていた親からしたら同じかもしれないけど、こっちにとっては別人。

 

えー、詰まる所黒歴史ダメージを受ける度合によってそのダメージを受ける精神性が中学生時代から実は進歩していないってことになる。

時が止まっているからこそダメージも大きくなるということで。

黒歴史を茶化してダメージを減らそうとする行為のものが新たな黒歴史になっている。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん