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はてなキーワード: 奇跡とは

2016-11-30

この無数に重なり合う世界の片隅に。

終盤唐突差しまれる、被爆したとおぼしき、右手がずたずたになって、左手少女と繋いで焼け野原を歩く女性



これは、すずだ、と。

これは、本当の、すずだ。

すずさんは、広島で、子供かばって、被爆したのだ。



普通に、当然のように、そう思った。



始めに言っておくんだけど、多分こういう解釈はあちこちで出てて、多分「原作読めば分かるけど、それはこうだよ」って否定されてると思う。実際、原作を読めばそれだけで氷解する、阿呆みたいな、とんちんかんな、暴走妄想なのだと思う。

別にそれでいい。

ただの、原作未読で、映画も一回しか見てない僕のモウソウだ。「トトロで、サツキとメイは実は死んでました」のたぐいの話だ。



ただ、僕には、そう見えてしまった、ということをメモっておきたかった。



終盤に唐突に現れる、焼け野原を歩く女性は、すずだ、と思った。

本当のすず。

現実のすず。

今、そうであるすず。



じゃあ今までのは全部夢だったのかな。すずの妄想だったのかな。彼女はとても夢見がちで、どこかぼんやりしているのだ。



でも、思い返すと、すずが妊娠したんじゃないか?ってなった時、医者から出てくる様子が映されたのみで、どうなったか結論が何も出てこない。

勘違いだったのか?

食べ過ぎとかか?

生理不順か?

それとも……流産した?



それは、劇中では語られてない。まるで、触れてはいけないことのように、一切触れられない。



世界はこの時、分岐していたのではないか



流産した世界と。



無事に月を重ね、広島に帰って出産し、育て、そして……そして原爆に遭い、子供かばい、右手を失い、ほどなく死に、ウジに、ハエたかられる世界と。



たとえば、お義父さんがすずと晴美を米軍機の銃撃からかばったあとに、ばったり倒れたまま起き上がらないシーンがある。直後、徹夜してたために爆睡しちゃったのだ、と笑い話になる。

たとえば、すずが海と軍艦を絵に描いてると、憲兵に目をつけられ、手帳は取り上げられ、家まで押しかけられて家族皆が詰問される。直後、このすずさんが間諜って、そんなあほな!と笑い話になる。



シリアスになると、直後にお笑いオチになる。



本当の未来は違ったのではないか。あの時、お義父さんは米軍機の銃撃で死んでいたのではないか憲兵に目をつけられたすずは、そのまま連行拷問の末、獄死したのではないか



そうなった未来をすずは、棄却し、そうでない未来選択し直していたのではないか



どうやって?

そりゃあ、右手で。

すずの想像力の源、生きる力、癒やしの力、生み出す力で。



から、晴美の事故を、やり直せなかった。一緒に右手を失ったから。もう、左手でいがんだ世界しか描けなくなったから。



から原爆も。



でも、じゃあ、あれは、一体なんなのか。原爆焼け野原で、「本当のすず」が連れていた少女は。その子と「すず」が出会い、引き取るのは。



どうともしようがない。合理的な上手い説明など思いつかない。ただ、いくつか思うのは、もう世界線というか、時空は入り乱れてるように思う。原爆エネルギーなのか、なんなのか。



すずは幻想右手を取り戻して、いがんだ左手風景は消えて、そして鬼いちゃんは南方で毛むくじゃらの化物になり、ワニの嫁さんをもらって、過去の人さらいとなって、すずと周作を出会わせる。

貧しい生家から裕福な家に奉公に出され、奉公から出奔し、草津の家で座敷童になり、遊郭に拾われ、遊女となった、(そして「今」は空襲で死んでしまった)ひとりぼっちのりんの隣に、すずの幻想右手は、自分の姿を描き入れる。



ならば、もうひとつ世界の流れの、原爆惨禍に遭ったすずは、そうならなかった世界の流れのすずに、自分の娘を託すぐらいの事は出来たのではないだろうか、と僕は思うんだ。



その程度の奇跡は、起こせてもいいんじゃないかと思うんだ。

2016-11-29

この世界の片隅にと節子

節子、それドロップやない、キャラメルや。

火垂るの墓の節子はただひたすら可哀想という印象が強いんだけど

この世界の片隅に を見て、節子の別の世界軸を見た気がした

もし火垂るの墓この世界の片隅にあったなら、節子はどれだけ幸せだったか

多分片隅の節子も、現状証拠的にすずさんより長く生きているとは思えない

でもきっとあの片隅なら、死ぬまでは幸せ時間を過ごしたはずだと思う

一つ言えるのは節子も「あの子」もきっと確かに居たということ

そこには希望があり、希望があるから人は生きていけたんだろうと思うのだ

この世界の片隅には節子のような子と、「あの子」のような子が居る

つの映画絶望希望を見た

そして自分たち希望奇跡の先に生きているのだと、初めて気づいた気がする

2016-11-28

自分が今まで無事に生きてこれたという事実奇跡しか思えない

私の家にはテレビがないが、実家、友人や恋人の家、旅行先や出張先のホテルなどでテレビをつけると、

何らかの犯罪おかしたり、あるいは巻き込まれて死んだり怪我をした人についての報道がよくされている。



それを見るたび、私が今まで無事に生きてこれたという事実奇跡しか思えなくなる。

サーカスの綱渡りのように、恐ろしいほどギリギリバランスを保っているように感じて怖くなる。



私はとても不注意な人間だ。

病院に行ったことはないが、多分何らかの発達障害なのではないかと疑っている。

しか生活に支障はない(忘れ物は多い)。

今は、私は自分という人間特質をかなり把握していて、問題が起こらないように気をつけて生活できている、と思う。



子供の頃は本当にひどかった。

どういう訳なのか今の自分から想像がつかないのだが、とにかく自分の身を危険晒したがっているとしか考えられない行為をしていた。

例えば…



学校彫刻刀セットをもらったら、自分の膝で試し切りをして血だらけになる。

ごつごつの岩に高いところからダイブして全身血だらけになる。

あえて車のドアやエレベーターの扉に手をはさむ。

道路で、車が通りかかると走って近づいて、轢かれそうになるスリルを楽しむ。

風呂溺死一歩手前まで息を止める一人遊びをする。

少し高いところから飛び降りて、頭から着地する。



思い出しただけでもこんな感じだ。多分忘れていることもあるので、まだまだ余罪?はあるだろう。

頭は3ケタを超える回数ぶつけていると思う。ひどい場合には車に轢かれてふっとんで頭から着地して、救急車で運ばれたこともある。

私の親は教師で、すごく厳しかったが上記のことで心配はされても怒られたことはなかった。

馬鹿ではあったが、わざとやっていたわけではなかったからだと思う。

田舎で、学校は少し荒れていたしヤンキーみたいな子もいたけど、

親に迷惑をかけたらまずいという抑止力がはたらいて、自分は品行方正を心がけていた。



今は20代後半だが、今までずっと健康のものだし、犯罪おかしたり巻き込まれたりすることなくここまできた。



犯罪などの危機(したりされたり)を回避する能力というのはどのようにして養われるのだろうとよく考える。

私のような不注意な人間が、今までどうして無事でいられたんだろう。

それは、やっぱり環境だろうなと思う。

ここでいう環境というのは、家庭のことだ。

私は、前述したように子供の頃はかなりヤバめの奴で変な人オーラ全開だったと思うので、結構嫌がらせをされたりした。

でも、両親の仲が良くて、いつでも見守ってくれて励ましてくれたから、

無意識のうちに色々な場面で踏みとどまって危険から逃れることができたのだと思う。



こういった表現には反発をおぼえる人がいるかもしれないが、

今、私や君が立っている「こちら側」と、犯罪に関わってしまった人がいる「あちら側」の境目は

きっとすごく曖昧で、けれど確実に存在する。

私は、「あちら側」に行きたくないし、他の人にも絶対に行ってほしくない。

だけど、全員が恵まれた家庭に生まれることはできない。



私は結局親と同じように教師になった。

まだまだ未熟でできることも少ないが、自分の生徒たちが「あちら側」に行かないよういつも気を配っているつもりだ。

だけどニュース今日も「あちら側」に行ってしまった人のことを報道しているのだろう。

私はちっぽけな一人の人間に過ぎないので思い上がりも甚だしいのだが、そういうことを考えるとものすごい無力感に襲われる。

そして、自分が今にも「あちら側」に行ってしまいそうな気がして怖くて仕方なくなる。




私と同じように考えている人はいるのだろうか?

邦画奇跡の年を振り返って

早いものでもう12月。今年も終わり。

最近は、映画から不沙汰してたけど、シンゴジ・君の名は。聲の形この世界の片隅に、は見た。

良かったので、それぞれ、合いそうな両親・親戚・友人に、ギフト映画券送ったりもした。

それで思ったのは、

・細部までのコダワリの作り込み

作家

がうまく噛み合えば、後はSNStwitter)が良さを伝えてくれる時代になったんだなぁと。

ただ実写ではハリウッドには勝てる気がしない。

なので、上記を実現するのは日本ではアニメが最良の手段だと思う。

実際、シンゴジ以外は今年の当たった映画アニメだったし。今後も邦画興行収入トップの多くはアニメが占めるんだろうな、と。

あとはアニメ制作側の人的リソース問題しょうもない作品を大量につくるよりも、売れると見込めるものリソースを突っ込んで品質を上げた方が、トータルとして収益性は上がる気がする。当たりハズレがあるのは興行という側面からみて仕方ない部分もあるけど、数打って戦略的トータルで収支を見込めるようにするには、大規模資本がバックについている必要もあるだろう。

そんなわけで、今後の東宝さんに期待。

もう一度だけ、恋がしたかった

はぁーーー、もう一度だけ恋がしたかった。

もう恋愛遊びするには幾分か歳を取りすぎてしまった。



先日、若い人は恋愛セックスより結婚して落ち着きたいという願望が強いとのニュースがあった。

自分はもう完全におっさんなので、とりあえず結婚より恋愛セックスがしたい。

好きな人に好きって言ってニコニコしていたい。

手を繋いで街をぷらぷら歩きたい。

家でゴロゴロしながら二人でゲーム映画を楽しみたい。

二人で電車飛行機に乗って旅行とか行きたい。

休みの日は二人で晩ご飯の買い出しにスーパーへ出かけたい。

寝るときから朝まで裸で抱き合ってベッドの中で過ごしたい。

そんなことを幸せに思える相手ともう一度出逢えたら。

なんて思って、もう何年が経ったのだろう。



今思えば恋人という存在ががいることのなんと奇跡だったことか!

ああ、人並みの幸せいかに贅沢であったことか!

日本だけでも1億数千人がいるうち、たった一人と一人が出会い時間を共にする。

恋愛関係や、結婚制度ではなく、まさに、出逢えたことの奇跡である

かつての恋人たちの手を離してしまった自分の、なんと愚かだったことか!

なぜあの美しく輝いていた時間を手放してしまったのだ。

この愚かな自分を受け入れてくれた素晴らしい人に背を向けてしまったのだ。

恋に落ちた自分も愚かだが、恋を終わりにした自分も愚かである



もう、歳も歳。しか収入も貯蓄もない。

素直に言って、結婚恋人も諦めている。

出逢いの場も時間も機会もない。

何より、自分に人を幸せにするだけのウツワがないことに気づいてしまった。

少なくとも、今の人生において、もう一度恋愛に落ちる機会はないと思っている。

過去の恋があまりに大きく、前を向くには重たすぎた。



もはや、恋の仕方も忘れてしまった。

あの奇跡のような感覚を、あともう一度だけ味わいたかった。

今は、幸せそうな夫婦恋人たちを見るのがただただつらい。

いや、幸せそうな姿を眺めるのは嫌ではないのだ。

付き合い始めた、結婚した、子供が生まれた……。

そんな報告を聞くのは、とても幸せなことだと思っている。

他方、そこに辿り着けなかった自分の姿を見ると、どうしても惨めになってしまうのだ。



もはやほとんど忘れてしまったあの感覚

誰かを想うという、ただそれだけでこみあげてくる多幸感を、もう一度だけ味わいたかった。

2016-11-26

「"この世界の片隅に"は反戦映画ではない」→ネトウヨ「その通り!!!!」



それでは、このツイート賛同RTを寄せてる方のタイムラインを御覧いただきましょう、ドン

http://pbs.twimg.com/media/CyMRah9UkAEgh5u.jpg:orig#.jpg


サンプルは春山春斗https://twitter.com/halt_haruさんでした。

2016-11-25

ふつう

ふつう恋愛してふつう結婚することが、私には奇跡みたいに思える

ふつうってなんだ、そこには理想が多分に含まれている

手袋増田なくす区灘須磨を六打て(回文

手袋をなくすときはいつも片方だけ。

おはようございます

秋が深まる中、

なんだか切ない入りね。

国道沿いに落ちている軍手はいつも片方だけ。

そんな感じ。

同時に2個落としってのは滅多にないかしら。

寒い寒い手袋しーよっ!ってなったとき

手袋が片方なかったら悲しいわよね。

私以前どっかに落としたときに、

仕方ないかと諦めていたんだけど、

引き返して見に行ったら

誰かが柱に手袋かけて置いててくれたので、

ちょっとしかったな。

拾った人はもしかしたら、

探しに戻ってくるかも知れないか

まりよそに移したら困るかも、って

そっと、とりあえずその場近くの安全なところに

置いてたりしてくれる阪急東8番街の奇跡的なことがあるわよね。

世の中まんざらでもないなって思っちゃう

そんなハートウォーミングストーリー

デパ地下の閉店間際の半額以下セールの時も

世の中捨てたものじゃないなって思うわ。

あの変にスーパーよりもハンパない強気な割引率が魅力的!

から

昨日は今旬山菜おこわとから揚げ買っちゃった~。

ラッキー

うふふ。




今日朝ご飯

どちらかと言えばもう飽きてきたおにぎり

おにぎり革新的なグッとくる具の中身を研究中よ。

しか野菜が高いわね。

葉物が高いのよ葉物が。

白菜も相変わらすだけど、

物価優等生タマゴも最近高くって困っちゃうわっ!

こないだ激安タマゴ!って手に取ったらウズラの卵だったわ。

これじゃあまりに小さいわよね。

デトックスウォーター

オレンジ最近高くて躊躇しちゃう

顆粒オレンジの元って言うのがあったらいいのになって

小林製薬級に思っちゃいました。

でも、

こういうときコタツみかんが安く感じちゃうので

コタツミカンウォーラーね。




すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2016-11-24

松坂大輔一言言いたい

そもそも松坂ホークス選んだことが1番の間違いだったと思う。これは活躍できていたとしてもそう。ホークス入った時点で色々な歯車が狂いだした。松坂ヒーローだった。憧れの存在で、スーパーマンだった。当時野球をやっていた少年はみんな松坂活躍一喜一憂していた。

ヒーローに対して、ファン絶対に像を思い浮かべると思う。こうあってほしい。こうあるべき。みたいな。

それをやり遂げ続けるからヒーローなんだと思う。イチローだって年とともに衰えるし、野茂松井晩年は本当に衰えてた。それでも彼らが未だにヒーローであり続けられるのは、成績云々でなくて、ファンに対しての像を裏切らなかったから。清原なんてある種はその像を裏切ってないと思う。あれは彼に抱かれていた一種ヒーロー像だったかもしれない。

2014年オフ松坂ホークス入ると聞いて、僕はその瞬間に「何やってんだよ」と思った。その理由は、ホークスに入った松坂が、たぶんヒーローでなくなると思ったから。

さっき書いたように、ファンヒーローに対して像を重ねる。こうあってほしいと。そして同時にストーリーを語る。「ここまで来る道のりにはこんなことがあった」と。そのストーリーが太いものからヒーローになる。もちろん結果も伴うけど、それと同じく文脈ものすごく色々な要素を含んでいて、それがみんなに語られる。

もし松坂ホークス活躍していたとしても、活躍の度合いによるけど、たぶん多く語られるものでもない。それはたぶん望まれているストーリーではないから。

日本に帰ってくるという話がでたときベイスターズオファーを出したという記事を見て、ベイスターズに入った松坂想像した。ベイスターズに行けば間違いなくスターであり続けられたと思っている。というかそれを見たかった。今と同じく故障で働けなくても、もっと応援されてんじゃないかって思う。それは望まれている像に当てはまっていたはずだったから。

松坂はその時代においては、常に最高の選手だった。そして同時に、常に逆境に相対する選手だった。

高校2年生では自身暴投で先輩の夏を終わらせた。乗り越えて春を制覇、夏はPL相手に延長17回を投げ切り、敗戦濃厚の準決勝奇跡的に逆転勝ち。最後ノーヒットノーランで優勝。プロに入って最初話題となったのは「リベンジ」。語られやすい話は逆境ばかり。でもそれを乗り越えて頂点に立ち続けたかヒーローだった。

松坂ホークスに入ったとき、既にホークスは頂点のチームだった。そして何の縁もゆかりもない。どちらかというとライバルのはずだった球団だ。ベイスターズに入れば、まず横浜高校時代活躍を思い起こさせる。「ベイスターズ松坂が帰ってきてくれた!」と。そして松坂高校時代にはベイスターズへ入りたいと話していた。ベイスターズには同級生の盟友、後藤武敏もいる。また、ベイスターズには優勝経験のある選手は少ない。メジャー帰りの経験豊かなベテランもいない。色んなものが伝えられることが想像できた。仮に選手として活躍できなくても、貢献できることが多く想像できる。

それでも松坂ホークスに入った。いまや常勝球団であり、もはや巨人並のヒールになりつつもあるそんな球団に。そこで生え抜きスターを育てていくべきホークス松坂のような選手を取ったこと、松坂のようなヒーロー像を重ねられている選手がそれと全く反する選択肢を選んでしまったこと。全てが悪手だったと思う。そして今この惨状である

それでもここまで堕ちたからこそ、期待される部分がでてきた。とりあえず来年少しでも投げられる兆しを見せて、あわよくばクビになって横浜に入ってほしい。今なら西武でも良いと思う。そして活躍してくれたらと思う。そしたら松坂が、もう一度ヒーローに戻れる気がする。早くクビになってくれ。頼む。そして次を見せてくれ。そう願っている。

このままでは疲れてなめてやってた奴で終わる。そんな松坂で終わってほしくない。

http://anond.hatelabo.jp/20161123124646

正統派
バラード
独特の雰囲気

ちょっとふざけてる
ダンサブルだったりノリノリでエンタメ要素強い

陽気を通り越して暑苦しい感じ
シャレオツ
忍殺系

コテコテアニソンではないが......

アニソン以外の世界でだいぶ評価確立した大御所アーティスト

全然絞れていないように見えるが、これでも絞った。だいぶ豊作なんじゃないかと思う。

2016-11-21

この世界の片隅に」を観て、眠れる狸が目を覚ました



この世界の片隅に

何となく評判が良さそうなのと、こうの史代原作だというのとで、

北海道じゃ知る限り今のとこ札幌の1つの映画館しかやってないけど、観に行ってきた。



もう言葉も出なかった。



帰り道の途中、あーでもないこーでもないと、頭の中で感想をひねり出そうと頑張ったんだけど、とにかく上手く表現できない。

ただただ、素晴らしい。この「素晴らしい」という言葉も何か陳腐ものに聞こえて、却って作品を貶めてしまってる気がする。そんな感じ。



もちろん、個々に素晴らしい要素を取り出すことはできる。

背景がとにかく綺麗で、建物や草花、人々の描写が緻密で、登場人物たちも何か温かな感じで、

物語も、すずさんという主人公を中心に、戦時中市井の人々の暮らしが丹念に描かれていて、

それでいて、あの時代、あの戦争というものに、いわゆる普通の人々がどう向き合っていたのかを考えさせられる。

さら自分が言わなくても、もういろんなところで考察感想があがっているから、これ以上言及する必要はないだろう。



それでもどうしてこの映画がこんなにも心を打ち抜いたのか、説明できない。

自分表現力が乏し過ぎるから上手いこと言えないだけなんだろうけども、何とか自分言葉感想を言いたいなぁ~と考えて考えて、



そこで思いついた!

そういえば自分の中で同じくらい心を打ち抜いた映画があったなぁ~と。

それと「この世界の片隅に」で、なにか共通するものがあるんじゃないかなぁ~と。



それは…「平成狸合戦ぽんぽこである



はぁ?「この世界の~」と「ぽんぽこ」を一緒にするんじゃねぇぞカス

とどちらのファンにも言われるかもしれないけど、言われても仕方ないんだけど、

少なくとも自分はこの映画を語るのに、「ぽんぽこ」という“触媒”が必要だった。



平成狸合戦ぽんぽこ」は高畑勲監督が手がけたご存知スタジオジブリ作品だ。

内容をごくごく簡単に言えば、ニュータウンの開発で自分達の住処を失う危機に面した狸たちが、必死の抵抗を試みて敗れる物語である

でもここに出てくる狸たちは、そんな深刻な事態なのにどこか暢気でズレていて、人間との「戦争中」だけど恋も遊びも楽しんでいる。

そしていよいよ追い詰められていく中で、ある者は徹底抗戦を唱え玉砕し、ある者は自分たちを受け入れてくれるこの世の楽園(そんなものはないのだが)を目指して旅立ち、

主人公を含むその他の者は、人間社会への同化を試みることを決意するのである



この作品、たくさんの風刺メッセージが込められていて、解釈も様々ある。

そして自分が感じたのは、「(それでも)生きていく」というものだった。



ニュータウンの開発。それはそこに暮らす狸たちにとって、自分たちを取り巻く環境価値観を一変させる脅威だったに違いない。

からこそ必死に抵抗するのだが、しかし圧倒的な力の差に敗れ去ってしまう。ただ、それでも―

主人公を含む一部狸たちは、人間社会の中で、人間価値観の中で、「(それでも)生きていく」ことを選んだ。



映画最後の方で、主人公はかつて豊かな森であったろうゴルフ場の片隅で、小さな宴会を楽しむ昔の仲間を発見し、再会を祝う。

その小さな幸せを楽しむ向こう側には、絶望的なほどに圧倒的支配者となった人間の暮らす街が広がっていた―。

なんだか救いがないように見えるけど、でも、不思議希望も持てるラストだと思った。

きっと狸たちは、もう今までの自分たち世界は取り戻せないけども、それでも新しい世界のどこか片隅に自分たちの居場所を見つけて、

しなやかにしたたかに生きていくだろうから



さて、「この世界の片隅に」はもちろん「ぽんぽこ」とは全然違うんだけど、

でも根っ子の部分で重なるんじゃないかなぁ~と、少なくとも個人的には感じた。

自分たちを取り巻く社会価値観環境が変化する中で、それに戸惑ったり抵抗したり適応したりしながら、それでも生きていくということは、人間普遍的テーマだと思うから

この映画はその普遍的テーマを直接言及するわけでなく、戦時中市井の人々の日常という形で描いてるものから

何か上手く捉えられず表現できないんだけど、心を深く揺さぶるんだと思う。



余談だけど、今まさにこの現代にこの映画が出たことは、タイミング的に奇跡なんじゃないかな。

というとオーバーだけど…でも、世の中が激変し過ぎて、正直自分不安を感じてるよ。

テロの多発、英国EU離脱トランプ大統領誕生等々…。あん政治的な話を持っていくとこじれるからこれ以上はやめとくけど、

いったいこれからどんな世界が訪れるんだろうか、全然からない。

からないんだけど、考えるのを止めて狸寝入りしちゃ駄目なんだろうな。

からないなりに現実と向き合って、「(それでも)生きて」いかなくちゃならない。



何だかやっぱり上手く言えないけど、そんなことをあらためて感じさせられた。

2016-11-20

ずっと一緒にいたいよ

今日、「ずーっとずっとだいすきだよ」というハンス・ウィルヘルム著の絵本を読んだ。

涙が止まらず、飼い猫の「ちーちゃん」を抱いて自分を落ち着かせた。


最近この手の話にとても弱い。

どうしても、ちーちゃんが脳裏にちらつく。

映画戦火の馬」を観た時も、アルバート(主人公)がジョーイ(馬)を思う気持ち共感し過ぎて頭が痛くなるくらい泣いた。


馬鹿だなぁ、と自分でも思う。

それでも人生の半分を共に過ごしたちーちゃんは、いつだって私の心の真ん中を陣取っている。

家出したときも、学校に行かれなくなってしまったときも、お父さんが死んじゃったときも。辛いときも、幸せときも、ちーちゃんはそこにいてくれた。

人に媚びず、気が強く、融通がきかない。獣医さんが苦笑いするくらい飼い猫らしからぬ飼い猫、ちーちゃん

最近は私が甘やかし過ぎて「こいつがいればなんとかなるだろ」感がはんぱなく、駄目な猫になるとお母さんによく言われている。


でも、しかたないよ。

可愛いんだから

ちーちゃんは生まれたことが奇跡で、いまこの時を生きいているという事実尊い存在で、「天使がいる…はっ、ちーちゃんか」と「可愛い子がいるな~嘘でしょ!? ちーちゃん!? 昨日より可愛くなってるとか凄い」は私の十八番なんだから


終わりがあるから生きているということが尊いとわかってはいるけれど、出来ればずっと、ずっと一緒にいたいよ。ちーちゃんがくれた幸せを私はまだ全然返せてないんだから


ずーっとずっとだいすきだよ 」を読んで良かったとは思うけど、こんなにセンチメンタル気持ちを引きずってしまうとは。


しかたないので、ちーちゃんをもふろう。

2016-11-19

女の子にフラれた時の気持ちメモ

好きになった女の人がいて、それはもうどうしようもなく好きで

思いを伝えないと今後の人生において幾つになっても後悔すると思ったので

告白をした。大袈裟に言えば人生を賭けていた。


でもお断りされてしまった。

今後、僕と彼女が結ばれる確率はとても低いだろう。


自分の思いがどれだけ大きくても相手にとっては

そんなこと関係がないのだということを痛感させられ

つくづく人間ってよくわからないし、

世の中にたくさんいるカップル達はものすごい

奇跡の中付き合っているのかと思った。


今後僕に違う彼女ができて結婚したとして

僕は彼女を忘れることができるのだろうか。

世の中の失恋経験のある既婚男性は昔の失恋

どう折り合いをつけているのだろう。

引きずっている気持ちを持ったまま家庭を持って

子どもを育てているのだろうか。

はたまたそれ以上に素晴らしい恋愛をして

今が最高に幸せと思えるのだろうか。


今の自分には後者を歩める自信がない。

失恋をすればするほど次の相手に対するハードルは上がり

次は絶対に結ばれたいという思いか

更に幸せから遠のくような気がしてならない。


ただ、前向きな気持ちとして言えることは

今後もしも自分に対して好意を寄せてくれる女性

現れたとき、この気持ちを知ってしまった以上

その女性に対してかなり真摯に向き合いたいし、

僕に少しでも好意があればその女性に寄り添いたいと思った。


あとは今後、あの時こうしていればという

蓋を開けたら意味のなかったタラレバ思考

陥いることはないだろうという点だろうか。


20代ももおしまいなのにこんなことになってしま

今後の人生不安しかない。


人間もっとドライ交際をしているき気がするし

こんな感情ほとんどの人が10代後半に

捨ててしまっているような気がする。


今の気持ちは大切にしたほうがいいと思い、

だらだら吐き出したメモ

2016-11-18

自担と同じ大学に通ってたって話。

今のジャニーズはどんどん高学歴化が進んできていると思う。デビュー組でもジュニアでも、有名な大学を出ていたり、大学院に通っていたりする人もいる。

私の担当だった人も、当時大学に通っていた。私は大学入学した当初、自分大学ジャニーズがいるなんて知らなかったし、ましてや彼の存在さえ知らなかった。

しかしひょんなことから、私は彼を知り、彼のファンになった。ステージの上で、キラキラした笑顔で踊る彼をとっても好きになった。

好きになってから彼のことをネットなどで調べているうちに、彼が大学に通っているということを知った。もっと調べていくうちに、彼が私と同じ大学に通っているかもしれないということが分かった。だけど所詮ネットの噂。いくらなんでもそんなことあるわけない、なんて思っていた。大学に通っていることは本人も公言していたからそれは事実として、私はそれ以上のこと、どこの大学で何学部なのかなどは特に詮索しなかった。


それから3か月たったある日のことだった。

今でも覚えている。


金曜日の、3限終わりだったと思う。

3号館だか4号館だかの階段

4限の教室へ移動するために、友達と話しながら階段を上っていたときだった。

階段下りてくる人に見覚えがあった。でも別にサークルの人でも同じ学科の人でもない。

その人の顔を見たとき漫画みたいに、本当に鼓動が大きくドクンと鳴ったような気がした。


自担だ。




階段から下りてきた自担は、当たり前だけどステージ衣装ではなく、普通大学生の格好をしていた。

普通大学生の格好をし、普通大学生友達普通に会話をしていた。

3か月前わたし所詮ネットの噂だと信じなかった情報真実だったと、私はその時自分の目で確かめて知った。




その衝撃の出会い以降も、何度かキャンパス内で見かけることがあった。学年も違うし学部もどうやら違うらしかったので、授業がかぶることはなかった。

キャンパス内で自担を見かけるときは、本当に奇跡みたいな偶然が多かった。昼休みにご飯を食べるためにたまたま入った空き教室に彼もお昼を食べにやって来たり、試験前日に友達に「試験問題の回答を一緒に作ろう」と呼びだされ食堂に行ったら近くのテーブル自担友達と一緒に勉強をしていたりしたこともあった。

でも何度見かけても、私は話しかけることは絶対にしなかった。というかできなかった。

友達に「話しかけなよ!『ファンです!』って言われたら向こうも嬉しいと思うよ!」と何度も言われたが、私はできなかった。

大学内で見かけた自担はどこからどうみても正真正銘「普通大学生」だった。ある意味ジャニーズオーラ」というものは全くなかった。

大学に通っている自担は、仕事の一環でも何でもなく、完全に彼のプライベートだ。そこに踏み込んで、「ファンです!」と言うのは違うと思ったし、彼にとっても迷惑だろうと思った。



自担と私が同じ大学に通っていると知ってからも、私は自担を見にコンサート舞台などに行っていた。

だけどいつからか、ステージに立つ自担を見て違和感をもっている自分に気が付いた。

はいから自分が、ステージに立ってキラキラ笑顔で踊っている自担を「○○大に通っている大学生」というフィルターを通して見ていることに気が付いた。

ステージに立っている自担と、大学に通い真面目に勉学に励んでいる自担ギャップというものリアルに感じてしまい、感じすぎてしまい、とても戸惑った。

そして私はいからか、アイドル自担が好きなのか、大学生自担が好きなのか、分からなくなってしまっていた。それはとても怖いことだった。

そしてもっと怖かったのは、「私は自担と同じ大学に通っているんだ」という謎の優越感を持っていたこと。彼のプライベートのぞき見しているような罪悪感や戸惑いを感じているのと同時に、ある種の優越感を感じていた自分は、本当に馬鹿らしくて卑しくて嫌だった。


私はアイドルが好きだ。アイドルプライベートは、雑誌などで近況を知る程度で良かった。

からはいつのまにか、「自担と同じ大学に通っている」ということすら嫌になってきた。そして私は程なくして彼の「担当」を辞めた。

ステージキラキラしている自担が本当に大好きだったから、大学で見かける彼は別の存在として割り切って応援できれば良かった。でも私はそれができなかった。

彼が「担当」でなくなってからは、もうキャンパスで見かけても何とも思わなくなった。アイドルの彼を見に行くこともなくなったから、キャンパスで彼を見かけてもそのギャップすら感じなくなった。不純な担降り理由だとは思うけど、少なくとも私自身にとってはこれで良かった。



その後彼は卒業した。そして私も来年の春に卒業する。

2016-11-17

この世界の片隅に」は「ものすごい」作品

この世界の片隅に」を昨日観た。昨日は感想を言える状態ではなかった。

まだ自分の心をまったく整理できる状態ではないけれど、感想を書く。

この感想が人の目に留まる可能性は少ないと思うが、もし未見の方がおられたら、この感想を見ずにまず映画を観ていただきたい。ストーリーネタバレほとんどしていないが、これから私の書く情報がない状態で、この映画体験してほしいので。

また、この文章自体興奮冷めやらぬ中書いているので、改めて落ち着いたり再見して考えの変わることもあると思うが、整理されていない最初の印象というのも重要だと考え、勘違いなどがある可能性を承知の上で書き残したい。



この世界の片隅に」は「ものすごい映画」だった。「良い映画」「泣ける映画」ではなく、「ものすごい」のだ。

私もいい年なので、良い映画、泣ける映画を観て涙ぐんだ経験はある。しかし、映画の印象的なシーン一つ一つ思い出す毎に涙がこぼれる映画が、この世に存在するとは思わなかった。

この映画を「観た」というのは正しくない。この映画は「体験する」映画だ。映像・音声の中にちりばめられた何かが作用して、主人公すずの人生を観客が「体験させられる」のだ。だから、後でいくつかの印象的なシーンを思い出すだけで、何かしら感情が「あふれざるを得ない」のだ。

ストーリー自体は、複雑でも何でもない。あらすじだけ読んでも、たいして感動するポイントがあるわけではない(まあ、あらすじとはそうしたものだが)。戦時中の設定であり、ましてやあの広島を題材に採っているから、何かしら悲しいシーンが入ってくることは予想できるし、邪推して「お涙頂戴映画だろ」と言うことはできる。そして、実際にそういうシーンはある。しかし、この映画のすごさは、私が思うに、そういう大枠のストーリーのものではない。

観客は、主人公すずの人生を、バーチャルリアリティのように(と書くと厳密には間違っていると思うが、他に言葉が浮かばない)「体験させられる」のだ。広島と呉の人々の営み、嫁入りした先での苦労、鳴り響く対空砲、町と軍艦を焼く敵機の容赦ない爆撃、無慈悲な時限式爆弾の爆発、そして原爆かがやき衝撃波楽しいこと、嬉しいこと、誰かをいとおしいと思うこと、不安、悲しいこと、喪失感、悔しさ、怒りも、観客は「体験」させられる。それも、普通映画とは違う、もっと深いレベルで、だ。

そのような「疑似体験」が観客側にあればこそ、一見物語上盛り上がりのないシーン、いわゆる「泣き所」ではないシーンの一つ一つを思い出して、涙がこぼれる。だからこの映画は、映画を観ている時だけでなく、印象的なシーンを(喜劇的なものであっても)思い出すだけで胸に迫るものがあるのだ。

昨日、家に帰って虎の子の古備前徳利で酒を飲みながら、「この世界の片隅に」に関する映像片淵監督、主演ののん氏のコメントなどを読み漁った。当然、いくつかのシーンを思い出す。そうするともう、ただもう「思い出す」だけで涙がこぼれるのだ。

私の人生で、こんな思いをさせられた映画は、他にない。

体験させる」仕組み・仕掛けについて、私には残念ながら分析する能力知識も不足している。ただ、映像音楽にちりばめられた何事か(例えば入念な取材に基づく非常に精緻映像や音声など)が、言い方は悪いが催眠術サブリミナルのように観客に「効いて」来るのだ。

非常に限定的な例えで悪いが、漫画ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる登場人物である岸辺露伴スタンド能力ヘブンズドアー」。露伴漫画を読んだ人を本に変え、その人の記憶を読んだり、書き込みをすることで人を操ることができる能力。私にとって、この映画は、そのうちの「書き込みをすることで人を操る」に近い影響力を発揮した。しかし、それは何らかの超能力によって発現したのではない、片渕監督が、資金のめどすら立たない6年前から、おそらくある確信をもって様々なものを積み重ね、それに対してスタッフキャストが力を発揮した結果なのだ。私は、その事実に身震いする。こんな「効果」を持った映画が「ものすごい映画」でなくて何なのだろう。

私は昨日youtubeに挙げられた公式の「予告編」の、すずと周作のキスシーンだけでも何度も泣いた。話の展開的に、このシーンが、いわゆる何らかの悲劇の「フラグ」というわけでも何でもないのにも関わらず。普通の「泣ける映画」であれば、、この後周作には何らかの不幸が起こらねばならない。しかし、この映画ではそうはならない。しかし、それでもこのシーンが私には泣ける。

なぜ、私はこのシーンで泣いてしまうのだろう、と私は酒を飲みながら考え、そして気が付いた。この映画で得た「体験」は、それほどに強く主人公すずの人生を私の心に焼き付けてしまったのだ。それは、「すずの人生が我々71年後の日本人と地続きである」というレベルを超えている。これは、私の人生の中では「異常」な体験だ。

大げさなことを書いてしまうが、私は上記のことをもって、この映画が、人類が到達可能なある限界点に到達したか、少なくとも片足をかけている世界最初映像作品ではないだろうか、とすら考える。少なくとも私は、このレベルに達している映画を他に知らない。

(もしかしたらごく短い映像作品では世界のどこかに存在するかもしれないと想像はする)

実は、わたしはこの映画原作は未読である。私が体験した要素が、どれだけ原作から来ているか現時点ではわからない(原作はもちろん今後読むつもりだけど)。

この映画も一回観ただけで、いろいろ取りこぼしや考え違いもある可能性は高い。特にストーリーに対する評価がまるでできていない(これも重要なはずなのだ)。

また、万人に私と同じような「体験」を保証することもできない(そもそも万人向けの作品など存在し得ない)。

それでも、このアニメ映画が「ものすごい」作品であることは、疑いない。そしてこの映画はその「ものすごさ」ゆえに「尊い」。まさしく、神の技に到達した、少なくとも手をかけた奇跡的な映画なのだ

ライブ

祖母某国民的アイドルファンで、ファンクラブにも入っている。

奇跡的にドームチケットが当たり、私と一緒に参戦。すばらしいアリーナ席

ペンライトうちわも持ってノリノリで楽しんだ。途中までは。

コンサート中盤、近くの席の人が、具合が悪くなったらしく嘔吐。服とかカバンとか汚した様子。

しばらく自分で処理した後、それでもやっぱり彼女最後まで見たいのでしょう、座ってそのまま観戦。

嘔吐して気分も良くなったのか、途中から立ち上がったり座ったり。まあまあ元気そうだった。

でもね、嘔吐って匂いがきつい。本当にきつい。

私も祖母も口には出さなかったが、吐き気との戦いの後半となった。

そりゃ、せっかくのアリーナ席最後まで見たいのはわかる。

でもさ、匂いまき散らしながら動くのやめてほしい。彼女が動くたびに、私たち匂いで死にそうに。

MCもあったし、いくらでも退席するタイミングはあったのに。なんで帰らないの!?

てか、動くな。立ち上がるな。あなたが動くたびに、後方に匂いがすごい。。。。。

祖母、年齢的にもたぶんコンサートラスト

終わった後に「つらかったわね・・・」とつぶやいていた祖母

なんていうか、コンサートいくなら、体調管理はしてほしい。無理しないでほしい。帰る勇気を持ってほしかった。

2016-11-15

いままで起こったことがないなら奇跡なんて言葉はい存在していないって言ったのは誰だったか…覚えてない

2016-11-14

[]

ロボスーツもぐりと超時空エンジン同時にやろうとおもって一応性交したけどスーツ強化って意味では失敗した

一度も脱出しちゃいけないっつーことだったから事前に住人外してATK屋つめこんで100Fのぼるってのがやれないと思い込んじゃってたから、デフォの住人のまま100Fいっちゃった

ちなみに100Fまではそれなりにスムーズだったけどまさかの99だか98Fだかで主力二人のうち片方(魔法回復担当)を油断して死なせてしまった

でもまあもうひとりが強いか大丈夫だろうと思ってたらアイテム神2クソ強かった

どうしようと思ったけど奇跡的に無敵のジオシンボルがあったからもうひたすらそれにおんぶにだっこで勝てた

無敵なかったら勝てなかったし100Fの苦労が無駄になってたな・・・

その後銀河ブレードのレアにもぐってたらレジェンド銀河ブレード盗めたからそれにもぐってまけんよしつなねらってるところ

うーんしかし返す返すロボスーツ強化に失敗したのが悔しい・・・

まあ時間さえかければ取り返せるものではあるんだけど

うーんエトナ編のバール倒せるかなー

ぽりこれ!

廃部寸前のロザンゼルス高校アメフト部奇跡の復活を描く青春アニメ

黒人イスラム教徒LGBT障害者などの女子高生らを中心に繰り広げる学園コメディ

2016-11-11

便所で奇跡がおきた

ちょっと硬めのうんこしたら、直立したまま便器に落ちた。

水を流したら、それがマドラーのようにグルグル回りながら流れていった。神の奇跡をみた。

2016-11-09

トランプヒラリー

  トランプヒラリーテレビ討論は白熱し深夜まで続き、途中の休憩時間で二人とも小腹がすいたのでパン屋に立ち寄った。けど運が悪いことに二人とも財布を持ってくるのを忘れていた。ヒラリーは少しためらった後、店主が見ていない一瞬の隙を突いて手を伸ばしケーキを三つポケットの中に忍ばせた。そして隣のトランプを見て「私がどれだけ賢いのかわかったでしょう。店主にバレることなく、しか無駄お金を使わずに済んだわ。大統領の座を射止めるのも私ね」。トランプは「お前はなんてやつだ。目的を成し遂げるためなら盗みまで犯すのか?俺に任せればもっと誠実な方法解決できるのさ。見てろよ」と言ったと思うと、店主のところへ行き「俺が共和党候補トランプだ。お前に驚くべき魔術を特別披露してやろう。そのためここにあるケーキを一つ頂戴しよう。」と頼んだ。店主はとても興味を持ち、言われるままにケーキ差し出した。トランプはそのケーキペロッと飲み込むとさらにもう一つ要求した。二つ目もペロッと平らげ、続いて三つ目も胃袋に入れるとさすがに店主も少し訝しげに思い、トランプにいつになったら魔術を見せてくれるのかと尋ねた。トランプはすかさず答えた「まさにたった今奇跡がおこったんだ!さっき食べたケーキは三つともヒラリーポケットの中にある...」

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161107151343

子羊よ、なぜなどと問うてはならない

あるがままを受け入れるのだ

さすれば奇跡はおきようぞ

レズの悩み

彼女いるのに他の女の子と触れ合いたい衝動が止まらなくてつらい。



セックスしたいだけならお金払うなりで解決するんだけど、そうじゃない。

優しくされたいしドキドキしたい。でも性的気持ちゼロではないので多少お触りしたいとか思うと友達には頼めない。

彼女とはセックスしてるし生活安定してるし仲良しだしなーんの問題もない。

なのになんで満たされないのか自分でもわからない。



自分クズなのかな〜。クズレズか〜。

正直浮気するチャンスがあればしてしまうとは思う。

褒められた行為じゃないしバレたり不安にさせたりしたら最高にクソ野郎だけど

一切悟られず死ぬまで隠し通せたとしたら一体誰がそれを責めるのだろう。だれも認知してない罪は存在していないのと同じでは。

脱線するけど風俗ビジネスでやってる以上、マッサージ整体に通うのと変わらないと思ってるんだけど少数派なんだろうか。

そんなに性行為のものって特別なのかな。



レズだって全ての女性性的な目で見てるわけじゃない。友人の中で性的な目で見てしまうことがある子は2人しかいない。

もちろんそのことを本人には言わないけど、私がレズってことを知った上で仲良くしてくれてるし旅行とか温泉に行く仲。

ノンケって聞いてるけどそういや2人とも彼氏ができた話聞かないな。可愛いのに。



要はその友人のどっちかとなんやかんやあって5分とは言わない3分でいいから体触りたいって話だよ!

奇跡的にレズ素養があって奇跡的に浮気に寛容という奇跡起これ。

今日も隣で彼女が寝てるしめちゃくちゃ可愛いと思うけどこの欲求はそれとは別だ。