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はてなキーワード: 奇跡とは

2016-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20160923124336

なぜ3次元女性はあまりさせてくれないんだろうね。

まりいからみんなブコメしょうがないにゃあ」が出て来るわけですよ。

あれはネット上ではあるけど一応3次元モニタの向こうにいるってことで奇跡的な出来事なのです。

最近出没されているスーパーサセコサンならお分かりになるのかな。

させてあげると男はびっくりするくらいご機嫌になる。

逆は100%ではないけど女性がさせてあげる分には高い高い確率でひとりの人間幸せにすることができる。

から女性あなたの持っている資産有効活用してほしいなと願うわけです。

ジョン・レノンの「Woman」はそういうことを歌にしたものです。

2016-09-23

新海誠作品次回作への不安

君の名は。」の興行収入が100億円を突破した。

この成功の要因については様々な説明がなされており、どの説明面白いものばかりだった。

海自身は、この100億円突破について、かつてインタビューで「怖い」と述べており、

次回作へのプレッシャー懸念されるところである



これまでの新海誠作品を振り返ると、反省改善を繰り返しつつ、自らの作家性を活かして新作の制作を行っていることがわかる。

今回は、多くの人々が指摘するように、物語プロット脚本作成第三者の目を強く意識したことが、功を奏したといえるであろう。

特に客観的意見を募るも最終的には監督のやりたいことを重視させた東宝川村元気の功績は大きかったのではないだろうか。



さて、ここから表題の件について述べる。

新海誠という監督は、作家性の強いクリエイターではあるが、今回の一件からわかるように第三者意見を柔軟に取り入れることのできる監督である

そして、観客が自分に何を期待しているのかについても自覚的である(これは、「星を追う子ども」の経験から得たものであると思う)。

したがって、物語の内容に関しては、面白いかは別にして、下手なものは作らないだろうと思うのである

さて、では私は何を不安視しているのか。

新海誠作品は、その物語に特徴がある一方で、美しい映像編集評価されている。

今作も、これまでの新海作品同様、美しい風景描写が惜しげもなく用いられていた。

そして、今作では、これまで新海誠作品の弱点とも言われていた「人物」の描写に関して、スタジオジブリ出身安藤雅司作画監督として参加し、もはや敵なしといった布陣になっている。

しかし、である

前回の増田にも書いたが、どうもアニメ業界保守本流たる安藤と新海は相性が良くなかった。

それは、新海の出自経験不足に起因するところであり、仕方のないことでもある。

安藤インタビューからは、アニメーターとしてのこだわりが強く感じられるが、新海はそのこだわりが理解できていない。

もちろん安藤も新海の価値は認めている。

しかし、「次回作は観客として」、「次回作若い人と」などの発言から、今作での苦労が垣間見えるのだ。



今作で、新海誠アニメ業界保守本流あいみえることとなった。

新海誠作画に関する多くを安藤に任せる形にしていたようである

アニメーターとして確固たる地位を築いている安藤を、畑違いの新海がコントロールするのは難しい(前回の増田に対するブコメでも指摘があった)。

新海が、安藤を信頼して任せたというのもわからないではない。

そして、新海誠次回作に対する不安はここにある。

おそらく次回作でも、安藤とは限らないが、アニメ業界のいわゆる大物と組むことになる可能性は高い。

新海は、今作の反省をどのように活かすことができようか。

物語については、「星を追う子ども」で多くの批判を受けた。そして改善した。

私は、「星を追う子ども」で起きたことが、絵作りや編集に関して生じるのではないか危惧している。

アニメーターに任せすぎることで、新海の良さを殺してしまうのではないかという不安がある。

安藤の「次は若い人と」という発言は、このままでは絵作りの点で新海が安藤アニメーター)の作家性に喰われてしまうという意味もあったのではないか



随分と適当なことを書き散らしてきたが、私は新海誠の大ファンだ。

中学生の時に、「雲のむこう、約束の場所」の予告を死ぬほど見て、本編が公開されてからは小遣いをやりくりして何回も見た。

それ以前から新海誠に注目していて、毎度マウンティングしてくる友達が、「君の名は。」のヒットに泣いている。

「俺の新海誠が~」とか言ってるので本当にどうしようもない。でも気持ちはすげー分かる。

遥か遠いところへ行ってしまった。

うれしいような。哀しいような。

セカイ系の彼方へと、ゼロ年代を引き連れて、あずまん宇野が決裂する以前、あの震災の影響のない世界線に旅立ちたい。

でもね、奇跡はおきないんだ。

あずまん宇野は変わってしまった。ネット世界も変わってしまった。

震災が起きなかった、なんて有りえないんだよ。

震災は起きたんだ。

から、やっぱり、瀧君と三葉は出会っちゃいけないんだ。

かといって、秒速みたいじゃ駄目なんだ。

秒速のその先は、奇跡じゃダメなんだよ。

奇跡運命じゃなく、ましてや決断主義でもシンゴジでもない。

よくわからんが、そんな物語を期待していたんだよ、俺は。



以上



追記:誤りを訂正しました。ブコメにてご指摘ありがとうございます

追記2:「前回の増田」とはhttp://anond.hatelabo.jp/20160921161913です。

追記3:誤りを訂正しました。ブコメにてご指摘ありがとうございます

2016-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20160922121716

これ、個人的な印象は全く逆なんだよなあ。

今、未婚の人の中には結婚する気がある人もない人も、どっちか微妙な人もいるけど、

しろ、そういうのが十把一絡げに「結婚したいけど○○(金とか出会いとか)が足りないから……勢」

として扱われていることにこそ違和感があるよ。



出会いがない」というのも、この不景気結婚に適した人の絶対数が減ったことが最大の問題であって、

マッチング問題二の次だと思う。

なぜなら、民間がすでにそういうサービスを整えているから。

どうしてもハイスペの男と出会いたいなら、専用のサービスでクソ高い金を払えばよろしい。

近いうちにリクルートまで本格的に参戦して、おそらくさらに洗練されたシステムになることだろう。

それで理想相手結婚できるかは別としてね。

そこまで民間ビジネスとして成立させてるのに、今更公の支援として何が必要なんだろうか?

よほどのクソ田舎で、民間業者すらろくにいないのなら、それこそお役所が手を挙げるしかないだろうけど。



それから、公のやることに効果があるとも思えない。

うちの田舎でもやってるけどさ、関東から女性呼んできて、ツアーついでに地元の男とお見合いさせるやつ。

あれ意味あんのかねえって正直思うよ。旅費の補助出した分、食い逃げされておしまいじゃんあれ。

だいたい、奇跡的にカップル成立したって、いきなり遠距離なわけじゃん。どうするんだよ。

2016-09-21

ギャルに大切なのはギャル的なメンタリティなのだと気づいた

ギャルや白ギャルな見た目をしていてもギャルメンタリティが無いのであれば僕はここまでギャルに惹かれたのだろうか?

様々な面でルーズであり、フランクに人と接する人間。僕はそういった人に惹かれているのかもしれない。

だがそうするとギャル的なメンタリティとあのギャルとしての見た目のバランス奇跡的だと思える。

あのエロティシズム溢れる外見とエロティシズム溢れる人間性、その両方がマッチしている存在ギャル

ギャル的なメンタリティからあの格好なのか。ギャル的な見た目だからギャルメンタリティになったのか。ギャルとはそもそもなんなのか。

はぁああ~、、、ギャルと付き合いてえ。。。。

「私、広瀬すずに似てるって言われる」って女

100%ブス。

広瀬すずかわいい

ただ「えー似てる芸能人?んー、広瀬すず?とか?よく言われる」

そう言う女は大体ボブのブス。

自分もボブのブスを褒めなくてはならない状況に陥った時、

広瀬すずに似てるよね?」

って言うからだ。ごめんな広瀬すず

君がボブやめたら、もう言わないから。今ボブか知らんけど。

うわ

調子に乗ったボブスが「よく言われるけど私の方が100倍ブスだよ〜」

とか言い出した。

てめえ奇跡的に髪型が同じだけのブスが同じ土俵にあがったつもりか殺すぞ。

100倍どころじゃねえからな?

2016-09-20

うわきしても良いんだという心の持ちよう

ろくに女性と付き合ったこともなく晩婚だった自分にとって、新婚時代は本当に幸せだった。

人に愛され、頼りにされるということがこれほどまでに充足感のあるものだとは思ってもいなかったのだ。

だけどそのバランスが崩れたのは子供が生まれからだ。

子供のことは愛しているし心の底からかわいいと思う。だから子供を恨むようなことはない。

ただ、嫁さんは変わってしまった。変わらざるをえないのだと理解しているつもりだ。

子供の世話に明け暮れて山のような家事をこなしている。

当然僕も手伝っているが、それでも限界がある。

そうして追われる日々を送っている嫁さんにしてみれば、極稀にできる時間自分のための息抜きしか使われない。

少なくとも、嫁さんにとっては僕との時間はむしろ重荷になっていたのだろう。



二人が愛し合って結婚をしたのだから、当然浮気は罪だと思っている。

実のところ、父親浮気をあろうことか母親と目撃してしまったことがあり、そのことが一つのトラウマでもある。

からこそ嫁さんに何度か二人の時間を作ろうと提案してみたのだが、ことごとく断られてしまったどころか、これ以上わたしに期待しないで欲しいと泣き出してしまったことがあった。

誰かに頼られることはもう沢山なのだろう。僕は頼られるほどに頼りがいがあるとは思えないのだろう。

そんな中で僕ばかりが嫁さんに期待しているようでは、それは彼女にとって重荷でしかないというのは分かっていたつもりだ。

でも僕も一人の人間であり男だ。

人に愛されていたいし、人に頼られていたい。

一度その気持ちよさを知ってしまったのだ。今更知らない自分には戻れない。



その前後から浮気をしたいという気持ちが芽生えるようになった。

しかし、その都度そんなことをしても誰ひとりとして幸せになれないと自らの考えを戒めた。

そうして自分を追い込んでは、相手になってくれようともしない嫁さんを恨むようになってしまった。

それから喧嘩が絶えなかった。

なぜ自分ばかりがこんな思いをしなくてはいけないのかと嫁さんにきつく当たってしまうことが増えたからだ。

程なくして僕らは離婚をすることになった。



それから数年が経ち、久しぶりにとある同級生と飲む機会があったのだがそこで目からウロコが落ちる話を聞くことになった。

そいつが言うにはそういう時は「浮気してやる!」と思えばいいということなのだ。

はじめは何を言っているのか今ひとつ理解できなかったが、そんなことで自分を責め、相手を責めるくらいなら浮気をしてもいいと考えたほうが遥かにましだというのだ。

そして彼はさらに続けた。

「それにいざ浮気をしてやろうと思ったところでそんなに簡単にできるものではない。その時初めて嫁さんの大切さがわかるんだよ。」と。

まるで鈍器で頭を殴られた気分だった。

確かに自分見たく平凡で面白みのない男に、どうして不倫などというリスクを犯してまで付き合う女性がいようというのか。

自分はいつの間にか、できないことを棚に上げてしない自分を優位な立場に置こうと考えていた。

それでいて自分ばかりが苦しんでいると勘違いをしていたのだ。

その証拠に、離婚してからと言うもの未だに彼女の一人もできていないではないか



既婚男性は今の奥様との出会い奇跡を忘れないで欲しい。

そうしてもし浮気を罪だと毛嫌いしているのであれば、まずはそんな自分を許すことから始めてほしい。

あなた子育てに忙しい奥さんに邪険にされたとき湧き出る怒りは、それが原因かもしれないから。

http://anond.hatelabo.jp/20160920111201

江添亮さんは、レールから外れているんじゃなくて、人格規格外なんだよ。



就職結婚奇跡しか思えない決まり方をしてるので、

から見たらレールから外れてると思えるかもしれないが、

それ以前に人間性が良くも悪くも他人と違いすぎる。規格部外品。

2016-09-17

ラサーのこと

当時そこそこハマっていたGTOの影響で「やべー、ヤラハタなっちまったよw」などと友人たちと自虐的にはしゃいでいたことを今でも時折思い出す。

愛すべき彼らは全員めでたく結婚した。結婚式はどれも極めて感動的だった。

対して、私は未だ童貞だ。

ヤラハタどころの騒ぎではない。ヤラサである魔法使いになれるという都市伝説もあるが、そんな救いは当然なかった。

ラサー男を待ち受けていたのは、魔法などという甘ったれファンタジーではなく、極めて地続き的などうしようもない現実だった。

前髪の大多数は生えることを諦め、年に一度の健康診断では「肥満」だの「高尿酸血症」だのとディスられ、脇と足と耳の裏が存在感を主張し始める。

努力次第で何とかなる部分もあるし、もうどうしようもない部分もあると思う。

しか重要なのは、今更見た目をマシにする努力を行う意義を見出せないということだ。

私は23歳で運転免許を取得した。当時の免許証を未だに持っているのだが、写っているのは(あくまで今の自分比較してだが)それなりにシュッとしている若者だ。

でも、こいつでも駄目だったのだ。このシュッとしたいい感じの青年でも、箸にも棒にも掛からなかったのだ。

それなのに、今更「そこ」を目指したところで何になるというのだ。

痩せてようが、髪があろうが、比較的臭くなかろうが、どうしても女性と付き合えなかったのが私という男なのだ




……なにか雑音が聞こえる。

ソープへ行け。話はそれからだ」

童貞の大抵の悩みはソープに行くことで解決する。なるほど、よく聞く言説だ。

実際、私も真に受けた時期があった。

まずは捨ててみよう。「初めての女」などに拘ってる場合ではない。そう思い、私はプロのお店で経験を積むことに決めた。28歳の頃だ。

いきなり本番は怖いから、まずは練習のつもりでピンサロを予約した。

念入りに身体を洗い、歯茎から血が出るくらいの勢いで歯を磨き、ヒゲを剃り、鼻毛を切り、ついでに指毛まで抜いた。

そうして挑んだ初風俗は、結果から言えば、実質的には2分で終了した。

その店では、嬢と顔を合わせたらすぐにシャワー室に連れていかれ、身体の隅々を洗い合うというサービスがあった。そこでもちろん、ちんちんも洗われたのだが……。




「あっ、すいません、ちょ、ちょ、あっ……」




私はシャワー室であっさりと射精した。

自分早漏だということをその時初めて知った。

一応、90分コースだったため、その後もすべてのサービス身体舐め、フェラチオ、素股等)を受けることはできた。

しかし、私は「射精しないこと」だけに全精力を注いでいたので全く楽しくなかったし、それにも関わらず、結局5回も射精してしまったという体たらくだ。

私の中に僅かに残っていた自尊心は完全に崩壊した。

私は早漏。どうしようもなく、早漏セックスもまともにできない身体に産まれ落ちていたことに気づいた28の夜。

奇跡的に女性セックスができる状況に持ち込めたとしても、私は所詮シャワー室で射精してしまう男だ。

恐らく、フラれはしない。私なんかと付き合ってくれる女性のことだ。きっと優しく笑って許してくれるだろう。

しかしだ。彼女の宙に浮いた性的興奮はどうすればいいのだ。可哀想だろう。

……いや違う。そういうことではない。

単純に「私が」嫌なのだ。情けなすぎて想像しただけで死にたくなる。それが全てだ。




こうして私は、童貞でありながらすっかりセックス恐怖症となってしまった。

一応、改善しようと努力はしている。

TENGA」だ。「TENGA」の刺激に慣れることで、少しでも「持ちこたえる」ことが出来る身体になりやしないだろうか。

そう思い、50回以上再利用できるタイプの「TENGA」を購入した。5千円もした。

最初は10秒程度で射精した。

しかし、毎日根気強く使用することで、少しづつ持続時間は延びた。

今では1分半は耐えられる。

ちなみに、射精した後の「TENGA」はもちろん、水洗いして乾かす作業必要となる。

テンガを水洗いしている瞬間、私はいつも死ぬことを考える。

しかし、その後すぐに眠気に襲われるため、「まあ、いいか。どうでも」といった気分で次の日の何も起きない一日のために休息につくのだった。




つづく

バカが多すぎて会社辞めた

毎年のように有能人材が辞めていくという状態が続いていて、その結果残ったのがバカばかりで嫌になったので遂に会社を辞めた。

前々から「これはヤバイ流れ来てるな~俺も辞めよう」と思っていたものの、俺自身にはやりたいことが特に無く、親に相談しても「やりたいこと無いなら、もう少し辛抱してお前の力になるもんがないか探してみろ」と言われたし、おまけにこの会社に入れた事自体が俺にとっては奇跡みたいなものだったので、じゃあもう少し頑張るかあと思って働き続けていた。

自身目標と頭の自身の無さから、ここまで残ってたのもバカだと思うけど、俺よりバカが多いと流石に辛すぎた。




■俺を苦しめるバカ一覧

・なんでも同意するバカ … (おそらく)自分が責められてるなと感じた時に同意して話を終わらせる。会話にならない。
 先輩「2週間前にお願いしたのに1日前に無理ですってあなたに予めお願いしても無駄なんですか?」バカ「そうですよねぇ~」おわり。

・『しまった』バカ … 何かにつけてしまってしまっている。しまってしまわないように予め注意しておいても、『しまった』。

・態度を変えるバカ … お気に入りからの依頼はすぐ処理するのに、気に入らない奴の依頼は期限ギリギリまで処理しない。たまに遅れる。

自虐バカ … 極めて小さいミス自虐するバカ。その日の気分の浮き沈みより「死にたい」が出てくる。このバカが入ってから抜け毛が増えた。

雑談バカ … 他人仕事をしていても構わずしかけてくる。5分程度ならともかう、10分、20分ザラであり、ただただ邪魔

圧力バカ … お気に入りの人以外には無愛想を通り越して高圧的。態度を変えるバカの亜種。幸か不幸か仕事はデキる。

先延ばしバカ … ミーティングで決まった内容をとにかくやらない。理由を聞いても答えない。本当によくわからない。

ストレスバカ … 何かが自分の思い通りにならないと、ボリューム大きめの声で不服を言い、キーボードを叩く力がうるさいぐらい強くなる。当然周りの雰囲気が悪くなる。

・固執するバカ … Aという事柄が出来ないと、例え今出来なくて良いものでもAをやり続ける。他のことやれと言ってもなかなか聞かない。

意識低いバカ … お金や信用問題に関わることでも、なあなあで済ませようとする。ミスって叱責されてもその態度は不変。

・要領が悪いバカ … 「要領が悪いから」と言って断るバカ。確かに仕事は遅いが凄く丁寧な仕事をするので、任せたいのになかなか任せられない。

説明下手バカ … 依頼時に理由目的を何も説明しないかコミュニケーションエラーが発生して人間関係を悪くする。下手なだけなのでバカの中ではまともな部類だが間を取り持つのは俺。




正直こんなバカはどこにでも居るし、一部明らかにメンタルを患ってる奴も居るんだけれど、その割合が増えて普通に仕事をしようとしてる人間が減ると、有能上司が辞めたせいで普通に仕事してる人間が昇進させられてしまい、そのバカたちの面倒を見させられる。

彼らの意識を変えてやろうとしてみるも、もはや新人でも無く30,40歳でそんなもん直るはずもなく、人を増やしてくれと言ってみるも、増やして維持できるだけの仕事が無いと上司談。

多分続けてたら体力面とメンタル面両方で俺が参ってただろうな。

ぬこウォッチ

https://kabutan.jp/stock/news?code=3935&b=n201609130380

ディア<3935>が6連騰。同社は12日、事前登録を受け付けている新作ゲームアプリ蒼の彼方のフォーリズム―ETERNAL SKY―」について、Android版の配信予定プラットフォームを従来の楽天アプリ市場からGooglePlayに変更すると発表しており、これを好感した買いが入っている。

 楽天アプリ市場が12月12日にサービスを終了することに伴う変更で、iOS版に関しては予定通り。また、リリースなどの詳細に関しては後日発表するとしている。

頭の中で分かってる積りになってる事は、案外ちゃんとわかってない。端的に紙の上に出力してみる事はとても大事だと思う。今回も、「プラットフォーム変更は好感されてるが、本当にそうか?」という疑問を書いておけば、電話一本で悲劇は避けられた。


これ。勿論、長い目で見たら、グーグルプレイで売った方が収益は上がるに決まってる。だけど、目先で考えたら、更に費用が増え売上げは後ろ倒しになる。でも僕自身株価に騙された。取り返せないにしろ楽天とは争う姿勢を見せた方が良いと思う。


まあ、俺はボンクラには投げて欲しいからいちいち反論しないけど、既に上場安値圏まで沈んでる株を、ここから更に売り煽る理由は大抵一つしかない。騙されちゃいけない。まあ中には本気で心配してる良い人もいるかもしれないけど、そういう奴らが相場を分かってるとは俺には思えないな(笑)


今でも俺は、投資を開始した時点での自分分析が間違っていたとは思っていない。間違いだったのは、投資後に出てきたプラットフォーム変更という材料真剣に考えなかった事と、株クラスタで生き残ってる人間レベルを読み誤っていた事だ。そこそこできる奴しか、もう生き残ってないと思っていた。

建玉に利が乗っているからといって、自分分析市場判断が正しいとは限らない。誤ったトレードでも利益が出る事はあるし、その逆もある。プラットフォーム変更を好材料とした僕の判断は(目先的には)間違っていたし、昨日ストップ安まで売り込んだ市場判断も、おそらく間違っているだろう。



結果としては大損したけど、5月のそーせいの決算信用全力で持ち越した事は全く後悔してない。翌日高寄りした時には、ガッツポーズを決めていた。高値更新出来てれば、3万は最低試しただろう。あそこで降りろとかいう奴は1万前後でとっくに降りてるし、そんな奴の言葉は俺的には聞くに値しない。

だけど、あの大陰線で目先の勝負はついてしまったのに、意地を張って持ち続けた事は誤りだったと思っている。これまで何度も奇跡を見せてくれたそーせいなら、もう一度立て直してくれるだろうと信じた。最終的に諦めたのは、ほえさんも述べてた6月13日だ。あの安寄りで反騰可能性が完全に潰えた。

5月に掴んだ人たちが、投げるか現引きせざるを得ない年末が、そーせいの次の勝負所だと思っている。天使さんもそれを見込んで、年内の高値更新予言しているのだろう。東一が決まれ反騰もっといかもしれないが、上場高値を狙うなら先送りのほうがいい。そこで投げる奴がきっといるからだ。

久しぶりのそーせい話終わり。そーせいで貰った相場の金が、また相場でなくなったところで俺は何とも思わない。どっかから種銭引っ張って、また次のそーせいを探すだけだ。骨の髄まで相場を楽しむために、俺は相場を張ってる。無い袖は振れないし、借金返せないからって命までは取られないしね。

自分に酔わないで表現なんかできる訳ねえだろ? 自分が見て詰まんねえもの書いて何が楽しいんだよ(笑)

2016-09-16

シン・ゴジラ君の名は。を観た

どっちも口コミというかTLで評判よかったから行ってきた。

普段映画はそんなに観ないからこの1ヶ月のうちに2回も映画館へ足を運んだこと自体奇跡みたいなもん。


共通点が1つだけあって、どちらも終わった後に「もう1回観たい」と思った。

でもその理由全然違う。

シン・ゴジラは「もう一度同じストーリーを辿りたい」

君の名は。は「よくわかんなかったか確認させて」


前者は積極的お金を払って登場人物と再会したい気持ちがある一方で、後者もやもやしてるけどお金払うほどではないと思ってしまっているというのが現状。君の名は。に関してはきっとネタバレブログとかで納得させるんだと思う。



シン・ゴジラが評判通りの面白さだったか調子乗っちゃったけど映画面白く感じるかどうかなんて人それぞれでしかないよね。

わざわざお金を払って映画館へ行くってかなりの能動行為からストライクゾーンテレビドラマより狭くなって当然。



君の名は。は私の好みじゃなかった。それだけのことかもしれないけど。

あーあー観なきゃよかった。おかわりシン・ゴジラにすればよかった。

むかしむかし、おじいさんとおばあさんはまだ居なかった

むかしむかし、君たち人間の考えも及ばない太古の昔、おじいさんとおばあさんはまだ居なかった時代の話だ。

…いや、君たちの概念でいうところの「おじいさん」や「おばあさん」がいない、といった方が正確だろう。

君たちの足元で鞭毛を使って泳いでいる一匹のアメーバ

そいつが途方もない時間の先に生きる君たちのおじいさんとおばあさんになることになるわけだが、今はそんな話どうだっていいだろう。

こんな昔には桃を実らす樹木もなければ、桃太郎だってまれてやしない。

考えるのも止めたくなる時間を経た先、君たち人類のおじいさんとおばあさんにあたる生命体が現われることになる。

何千回も繰り返してきた生物たちの進化だが、性別を有する生物というのは失敗だ。

性別、いわゆるオスとメスとに区別されて呼ばれるが、彼らは常にお互いを求めて1つになりたがろうとするきらいがある。

それはもともと一匹の生命体だった頃の、細胞の奥深くに刻まれた太古の記憶なんだろう。

しかしそんな願いも虚しく、彼らはこの先も、そして永遠にお互いを分かり合うことはない。

自分こそがオリジナルだと言わんがばかりに、お互いを否定しあった先に救いはないのだから

さて、この時代多種多様生命に溢れ、むせ返るほど豊かな自然はエデンを彷彿とさせるくらいだ。

苦労が売られ、その苦労の度合いに価値が見出されている時代相だからこそか、おじいさんは山へ芝刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯のためだけに家を後にする。

これから川でおばあさんが遭遇することは、あのエピメテウスすら知ることができない、言わば歴史奇跡ともいうものだ。

おばあさんが川で洗濯をしていると、表面には産毛を生やし、ほんのりと紅く色づいた果物川上から流れてくる。

それは君たち人類「桃」と名づけたものだった。

人としての貪欲性のためか、あるいは承認欲求作用したのか、または川に流れる桃に対する猜疑心のない愚かさが故なのか、おばあさんは我を忘れて桃に飛びかかる。

桃はゆっくりと、そして着実におばあさんの手によって岸に運ばれる。

してやったりと言わんばかりの、あのほくそ笑んだ顔を私は忘れることができない。

To be continued...

2016-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20160915123058

電源とメモリハードディスク全部壊れてて、エスパーで直したことがある。

電源が最後悲鳴とばかりに一度起動した瞬間にメモリが判明、その次の起動の瞬間電源がヘタって一切起動しなくなり電源が判明。

デュプリケーターに刺したHDDカッコンHDD故障判明と、ありえないくらスムーズ特定できた。アレは奇跡

しか自作(というか修理)初回時w

日本はというと、神風がふく奇跡1%あるけれど、あまりにも国民の心がけ汚れきっていると、その1%もなくなってしまう。

Xデーを迎えたあとは、政治国家機関崩壊

外国人政治を行うようになり、

中国人韓国人中東北米南米

さまざまな民俗が入り交じる多国籍国家へ。

2016-09-14

手を握り返された世界の僕への私信

生憎の雨はまるで自分の心の中から滲みでたかのように思えた。

まとわりつく湿度はまるで全身が呼吸するかのように心の外と中とを行き来している。

あの角を曲がった先の居酒屋で、女性と会う約束をしていた。

曲がり角の手前に立ち、呼吸を整えようとする。

これから断崖絶壁を覗きこむような覚悟と緊張感で足元がおぼつかない。

こんな状態では踏み外して奈落に真っ逆さまになってしまう。

すこしでも落ち着こうとケータイを取り出すとメッセージの新着を知らせるランプが光っていた。

素早くロックを外すとメッセージが表示された。

”お店が臨時休業でした。駅まで戻ります。”

読み切ると同時に声が掛かる。

「あ!ちょうどよかった!早かったですね!」

意表を突かれて取り繕った笑顔を返すのが精一杯だった僕の心に、底抜けに明るい声が鈍く刺ささる。



突然会いたいと言ってきたのは彼女の方からだった。

お互いが人の親になり、忙しさを理由に連絡を取らなくなって3年が過ぎた頃だ。

こちらの気持ちなど構う様子もなく、一方的熱量に溢返った言葉たちが並べられていた。

逢いたい。声が聞きたい。話を聞いて欲しい。

その言葉どれをとっても、今の疲れ果てた自分には麻薬のように魅惑的だった。



僕が結婚をする前、彼女とは不倫関係にあった。

結婚を条件に上京してきた彼女にとって、都会での生活は何もかもが苦痛だったそうだ。

しかし、仕事接待に明け暮れる夫は彼女を癒やそうとはしなかった。

そんな彼女が僕に対して癒やしを求めてきたことが、二人の関係の始まりだった。

働き盛りだった僕も疲れていたが、僕に癒やされる存在がいるということが、僕にしてみれば最大の癒やしになった。

そもそも独り身が長い僕にしてみれば彼女の重荷にならないように付き合うことは簡単だったし、今までの生活やしがらみに疲れた彼女にしてみればそこから離れて素直になれることだけで十分に癒やされていたのだろう。

夫の仕事の帰りが遅いことをいいことに、一緒に食事をしたりカラオケで歌を歌ったりする毎日を過ごしていた。

ただ、身体関係はたったの一度しかなかった。

その一度もあったといっていいかは難しい。お互いが裸になって抱き合っただけで終わってしまったのだ。

なぜだか分からないが、いざそういう関係になろうとしたときにお互いが急に冷静になったのだ。

求めていたことはこれだったのだろうか。それをしてしまうことでこれからの付き合いが慣れ合いになってしまうのではないだろうか。

もはや戻れない所まで来ているつもりだったが、高いと思っていたハードルを不意に超えてしまったことで拍子抜けしてしまったというのが正直なところかもしれない。

ただ、彼女に対する愛が本物なのだという確信に変わったのはむしろこのことがきっかけだった。



略奪愛は何度も考えた。慰謝料がどれほどになるかわからないけど離婚させたいと真剣に考えていた。

しか彼女は何度も結論をはぐらかし、それを理由に会うことを拒んでもいつの間にか現れては、気付いたらまた一緒の時間を過ごしていた。

そんなふうに憎めないところが彼女の一番やっかいなところだった。

自分に素直だといえば聞こえがいいが、自分がそうだと思ったら相手の考えなどお構いなしに真正から突っ込んでくるのだ。

いつまでたっても彼女結論を出す様子はなく、つかず離れずの日々ばかりが過ぎていった。

それもこれも自分がしっかりしないのが悪いのかもしれない。そう思って、別の女性との結婚真剣に考えるようになった。

程なくして、知人の紹介で知り合った女性とまさにトントン拍子で縁談がまとまることになった。

まさに奇跡的な出会いで、実に出会いから結婚まで半年もかからないほどだった。

その事実彼女に伝えると、僕の期待とは裏腹に彼女は無邪気に喜んだ。

そして、彼女から妊娠を聞かされたのはそれからすぐのことだった。



結婚してからは順調に子供を授かることができた。

彼女とは忘れた頃に送られてくるメールでほそぼそとつながっていたが、ある日生まれ子供を見たいと言い出した。

妻とも会いたがっているようで、いわゆるママ友が欲しいというのだ。

冗談ではないと思いつつも、いつも通りの押しの強さに僕はあっけなく折れてしまった。

はたして当日はい地雷が爆発しないかと生きた心地がしなかったのだが、母親になったことで責任感が目覚めたのか、そもそも僕に興味をなくしたのか全ては杞憂のまま時間は過ぎ去っていった。

結局ママ友になったわけでもなく、それっきり連絡もよこさなくなりこのまま自然と離れて忘れていくのだと思っていた。



ある日テレビを見ていて心臓が止まるほど驚いたことがあった。

CMで人の良さそうに振る舞う無名女優彼女にそっくりだったのだ。

大げさに目を見開いて驚く様子や、目尻のシワを構う様子を感じさせないような満面の笑顔、肉厚な唇を表情豊かに動かす大きめの口。

忘れていたはずの感情血液が注ぎ込まれて鼓動を始めるかのように、彼女を求める気持ちが目覚めていくのが分かった。

妻は子育て疲弊しながら結婚生活に慣れ、僕をないがしろにし始めた。

僕は妻から愛され続けられるように家事子育て積極的に参加したし、妻の疲れを少しでも癒せるように外に連れ出したり話に耳を傾けたり妻が楽しめそうなものは何でも用意した。

同時に、僕は妻のことを好きで居続けようと毎日努力をし続けた。妻の何が魅力なのかを考え、思い出し、再確認する毎日だった。

でも、妻が僕のことを好きでいてくれる努力をしてくれているかは疑問だった。

結婚して7年。二人目の子供を授かってから4年になるが、それ以来身体を交わすことはなかった。

何度か誘ってみたものの、願いが受け入れられることはなかった。



こんな状況だからこそ彼女からの誘いははっきりと断ったのだが、熱量と無邪気さに押し切られてこの日に至ってしまった。

今足を踏み外せば僕は全てを失って奈落に落ちるだろう。

こんな憔悴した状態で崖の上を歩くのが危険なことだというのは子供でもわかることだというのに。

僕のそんな気持ちもつゆ知らぬ様子で、彼女は無邪気に自分のことを話し続けた。

僕の話す言葉一つ一つを本当に嬉しそうに聞いては、無邪気な笑顔を見せていた。

僕の精神は何度も僕の身体を離れ、彼女の手を握ろうとしていた。

その度に僕の手は空を切り、彼女の手は蝶のように気ままに舞い遊んだ



長い長い綱渡りを終え僕らにタイムリミットが訪れた。

お互いには家庭があり待っている人間がいるのだ。

この日彼女に会うことは当然妻にも伝えてある。むしろそうしたほうが自分が足を踏み外さな保険になると思ったのだ。

それに、隠れてコソコソ会えるような器用なことは自分にはできない。

楽しくなかったといえば嘘だ。でも、それを楽しんでいいのかどうかはずっと疑問だった。

大げさな話をすれば自分人生は何のためにあるのかという話になる。

でも、そんなことをいちいち考えたい気分ではなかった。



彼女は満足できたのだろうか。彼女が望んでいたのはほんとうにこうして気軽に話すことのできる状況だけだったのだろうか。

僕の気持ち彼女はどう思っているのだろうか。

僕がどんな気持ちでここに来たのか、彼女はわかっているのだろうか。

そんなことを考えていると、いつの間にか僕の手は無意識彼女の方へと伸びていた。

いや、本当は彼女気持ちを試したかったのかもしれない。

僕の手は、彼女の胸の高さまで来ると平を上にして開いた。

彼女はその手を不思議そうに見ている。

そのまま数秒の時が過ぎ、僕は苦笑いとともにその手を引っ込めた。

彼女もつられて笑い、別れの挨拶とともに改札へと消えていった。



僕が今いるこの世界は、彼女がその手を握り返さなかった世界だ。

からほとんどのことがいつもの通り進んでいる。

今朝はまたリビングで眠り込んでしまったことに対する小言を妻に言われ、問題が起きるまで大してやることのない職場でこうして文章を書いている。

彼女が僕の手を握り返した世界では何が起こっているのだろう。

大げさな話をすれば自分人生は何のためにあるのかという話をもう少し落ち着いて考えてみたいと思う。

2016-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20160913133655

最後の場面、ふたり奇跡的に再会できて、めちゃめちゃセックスするシーンが想像できちゃったせいで大泣きしたよ。

2016-09-12

新米臨時講師学校について書く

私は今年の四月から臨時講師として教師になった。

臨時講師とは教員採用試験に受かっていない人達で、教員採用試験に受かった人達仕事はほぼ同じだ。

担任も持った。奇跡的に顧問ではなく副顧問になった。

この時点で私に与えられた仕事は生徒達からしたら正規教員と同じだ。

しかし、講師なので教員とは違い、学校内で教員組織としての仕事は軽い。

因みに私は夢や熱意を持って講師になったわけではない。

ただなんとなく就職したくなったので、教員免許を活かしてみただけ。

なので学校の仕組みも何も知らない。

今もよくわかっていないことばかり。

正直、この自分決断軽率で、許されるものではなかったと思う。

臨時講師になって驚いた。

講師研修を受けてから教師として生徒の前に立つのではない。

私の場合履歴書教育委員会に提出し、赴任校が決まったので挨拶に行き、数日後には新任式で挨拶をしていた。

臨時講師研修は、もう様々なミスをして疲弊しきった頃に行われた。

生徒や保護者にとって、臨時講師から教員採用試験に受かっていないからということは関係ない。

生徒が私の姿を見たその日から私はただの教師だった。

校舎の配置も、学校の仕組みも、授業の作り方もわからない、本当に右も左もわからない私への反応は幸いにも優しかった。

一年目だから。」

保護者や生徒はそう言ってくれた。

しかし、学校という組織は私を許さなかった。

先生としての自覚が足りない。」

そう私は責められた。

当然だと思う。

だが言い訳をするなら、研修を受けていない状態専門用語を使われてもわからなかった。

大学で教わってきた授業の作り方は現場ではあまり役に立たなかった。

ここでは私が今まで学んできたことは通用しなかった。

私にできることは生徒に対して真摯対応をすることだけだった。

何もわからない手探り状態のまま、生徒の話に耳を傾け、どうやったら生徒の成績が上がるか、どうやったら生徒が良い人間関係を築けるのかを考えて行動した。

他の先生達にも何度も何度も相談した。

結果、私は生徒から好かれた。

保護者の反応も悪くなかった。

しかし、多くの先生からは嫌われた。

職員室に行くといつも注意を受けた。

朝7時半に学校に行き、夜11時に学校を出る毎日

土日も部活で、私には休みはなかった。

気が狂いそうだった。

いつしか、土日の朝になると涙が止まらなくなるので、土日に部活に行く回数が減ってしまった。

そんな日は片付けることもできない汚い部屋の中で、ベッドに腰掛け学校からこっそり借りてきた正規教員向けのマニュアルを泣きながら読んで過ごした。

教員採用試験に受かったものだけに与えられる権利が十分な研修

からなかったものや受けなかったものには責任しかない。

私はこの講師という仕組みはおかしいと思う。

講師なんて雇うべきではないのだ。

自分の子供が十分な研修も受けていない人間無責任に委ねられる。

こんなことがあっていいのだろうか。

講師は私のような勉強不足のクズばかりというわけではない。

どちらかというと熱血で夢を持った人達が多いように思う。

しかし、私はこの講師達が好きではない。

講師は夢ばかり語り、方法論を無視することが多いからだ。

熱意もあり、教師になりたいと心から願う人達が、こんなにも教育について知らないものかとがっかりした。

四月から成り行きで勉強を始めた私より、教師になりたいと思う人達の方がすかすかなことに絶望した。

これは自分肯定しているのではない。

部活を休むクズとは違い、熱血できちんとしていればしている人達ほど時間がないことを表しているのだ。

講師でありながら、まるで闖入者のような存在の私から見て、学校という組織は異常だ。

研修も受けない、何も知らない人が教師の皮を被って生徒の前に立つ。

その皮を被った教員モドキを教員として内部から責め立てる。

そしてその教員モドキが大きなミスをしたとき世間はそれを許さない。

ミスなんて許されてはならない。

そんな環境に私達教員モドキは紛れ込んでいる。

講師は鬱になっても保障はされない。

私達は使い捨てだ。

から私達は教員サンドバッグになる。

教師になんてならなければよかった。

毎日毎日そう思うが、明日も生徒は登校する。

明日もまた私は教壇に立つ。

生徒のことを考えるからこそ、生徒への申し訳なさで押し潰されそうになる。

何も知らない私を先生と慕う生徒達。

申し訳ない。

本当に申し訳ない。

http://anond.hatelabo.jp/20160912092740

そんなフードファイターみたいなやつらが店に集う奇跡はまず起きないんだから

食べきれない量を注文してくれるのが店にとって次善の展開だろ

http://anond.hatelabo.jp/20160906090504

おう、月曜からこんな増田を見つけてしまった・・・

いか?君は既に美少女を宿している、その心の中にだ。

君が生まれた時から心の美少女存在したし、

君が美少女であることを求め続けてきたのなら当分の間は心の美少女は健在であるだろう。

彼女もきっと喜んでいることだ。

見てくれのことでそこまで憂うことはないさ、君は心の美少女によって軽やかな気持ちになる瞬間を体験しなかったか

心の美少女と君自身シンクロするとき、その奇跡は何事にも代え難いピュアネスなのだぞ。



さて俺も一眠りしたらブルマを履いてオナニーとするか

当分の間は休みなのだから

2016-09-10

風呂屋の牛乳自販機って

昔は基本100円だったけど、いまは130円とかじゃん。

あれおかしくない?

 

脱衣所がよくある100円入れて使い終わったら戻ってくるロッカーでさ、

自然100円を握りしめてるかポケットに入れた状態で通りかかるから

100円で売ってるのを見て「おっ牛乳飲もうぜ」ってなるんであって、

それを130円にされちゃうと、

「あ、牛乳飲みたいな、でも財布出すのめんどいし、小銭なかったらやだし__」

とか逡巡してる間に自販機の前を通りすぎてしまうわけだよ。

ものすごく商機を逸失してると思わないか

 

俺は思ったね、たとえ量を減らしても、一本あたりの利益がキツくても、

100円で飲めるという線だけは死守すべきだったと。

「ちょうど100円持ってたしつい__」需要を取り逃がしてしまっては、

早晩自販機の維持もおぼつかなくなるだろうと。

わざわざ十円玉を3つ揃えて牛乳を飲んでくれる奇特な人はいないだろうと。

わざわざ精霊石を3つ揃えて時の神殿を開けてくれる奇特な人はいないだろうと。

その頃から10年以上経つけど、

あにはからんや、今なお130円牛乳自販機は健在である

奇跡か。

君の名は。」の東京至上主義死ぬ気持ち悪い(追記有)

君の名は。」を観た。映画としては面白かったが、監督東京至上主義的発想がにじみ出ていて気分の悪い作品だった。以下ネタバレこみでどこが気持ち悪かったか書く。




まず、三葉が飛騨に住んでいるのに東京の話ばかりするところが気持ち悪い。飛騨は一応岐阜の一部であり東海地方であるテレビ名古屋ニュースが入るはず。ならば、まず三葉が向かうべき都会は東京ではなく名古屋のはずである。もちろん、東京名古屋では都市の規模に明確な差があるけれど、「カッフェ」はたくさんあるし雇用も最低限はある。実家の様子を見に行くことを考えれば名古屋就職するという選択肢も考えられるはずで、そこがすっぽり抜け落ちているのが不思議だ。小説版では三葉が名古屋のことを「大きな田舎」と表現する場面があるらしいが、当たり前だが飛騨よりは名古屋のほうが何倍も都会だ。三葉たちが困っていたのは「カッフェ」がないこと、雇用がないこと、訳のわからない因習があることだ。それらから逃れるためだけならば東京ではなく、岐阜市なり名古屋市なり富山市なり近くの地方都市に引っ越せばいい話である。(岐阜富山雇用が少ないかもしれないけれど)三葉が「田舎」を脱出したいという気持ちはわかるが、その向かう先が「東京」である必然性は感じられなかった。

次に、三葉たち糸森村の若者たちが最終的に三人とも上京するというのが気持ち悪い。繰り返し書くが、三葉たちが「田舎から脱出するなら名古屋に引っ越すという手段もある。それなのに三人が三人とも東京に出てくるのはなぜなのか?また、百歩譲って名古屋飛騨と同じレベルの「大きな田舎」だとして、「田舎」に彼らが残らなかったのはなぜか?糸森が消滅したとして、その地元愛着があるなら欠点はあれど飛騨に残るという考え方も抱けたはずだ。特にテッシーは親父が土建屋でその跡を継ぐという選択肢も考えられたはずであり、岐阜就職することもできたはず。東京に行った三葉と地方に残ったテッシーという対比もできたのに三人とも上京してしまうというのが腑に落ちなかった。

そして、彗星が墜落したあとの三葉とテッシー夫婦以外の糸森町民の姿が描かれないのも気持ち悪い。町は半分くらい吹っ飛んだが避難完了したはずで、三葉の妹やおばあちゃん、親父さんは生き残ったはずである。それなのにせいぜい三葉の親父さんが週刊誌に載ったことがわかるくらいで妹やおばあちゃんの後日談はない。あたか彗星によって三葉たち以外の糸森町民は抹殺されてしまたかのようだった。また三葉たちは生き残ったが、糸森という文化彗星墜落によって消滅してしまった。これは瀧が過去を改変する前も後も実は変わっていないように思えた。田舎文化田舎に残った人たちを瀧は実は救えていないのではないか

(そもそもおばあちゃんや妹は生き残ったのかという疑問もある。ラスト付近で瀧が彗星被害について振り返ったとき、彼は「突然の避難訓練によって、奇跡的に『ほとんど』の町民が生き残った」といった。この言葉からわかるのはあの彗星墜落によって少なからず死者が出ていたということである。その死者の中にテッシーの親父や三葉パパや四葉が入っていた可能性も後日談が描かれなかったから十分ありうる。神社土建屋といった「田舎因習」の象徴である彼らを監督は観客にはわからない形で彗星で消し去ってしまっていたのかもしれない。)





自分意見を整理すると以下の二つ

①「君の名は。」の世界には「東京」と「ど田舎(=飛騨)」しか存在しないのが気持ち悪い。地方都市存在無視している。

若者たちは必ず「東京」へ行かなければならず、彼らが抜けだしてしまった「ど田舎」は描く必要がないという思想気持ち悪い。東京は必ずしも「地上の楽園」ではないし、若者たちが抜けだしても飛騨に残った人たちの生活は続いている。「田舎」は「東京」へ向かう若者たち踏み台ではない。

この二つは監督の「東京至上主義から出てきているのではないか東京以外に日本に都会はなく、あとは全て「田舎である。「都会(=東京)」は素晴らしく、「田舎(=東京以外)」はくそったれであり、若者は必ず上京しなければならない。自分は新海監督のファンではないので彼が今までどういう映画を撮ってきたかよくしらない。だけど、「君の名は。」を自分なりに解釈するとこういうメッセージがあるように思えて仕方ない。そしてこの発想は「東京以外」にすむ自分としては非常に気持ち悪い。セカイ系だなんたら言われてる人らしいがその手の批判もむべなるかな、と思ってしまうような映画だった。





・追記

一部ブコメに返信




「miruna 軽井沢田舎ボンボンにはTOKYOあんキラキラに見えるんだよきっと。ファーストフードの豊かさを無視してブルジョア高校生がクソ高いカフェお茶してトラットリアバイトするんだから。」

これは全くその通りだと思います自分がなんでこんな増田を書いたかというと恐らく新海監督は長野のご出身(それも関東圏にかなり近い)なので都会=東京なんですよ。彼の原体験にはど田舎長野)と都会(東京しかない。近くに札幌福岡名古屋のようなそこそこ都会な都市がない。だから地方都市をぶっ飛ばし若者がみな東京にすい寄せられていく話を書いたんだと思います。でもそれは福岡名古屋札幌のほうが東京より近いエリアでは微妙事情が違ってくるはずなんですよね。だから本当はご自身出身である長野東部舞台にされたほうがしっくりくると思います



「Phenomenon あんだけ飛騨を美しく描いてるのにその解釈②はないんじゃない」

この点については「星の降る夜に”『君の名は。』(ネタバレ) - 私設刑務所CHATEAU D'IF http://chateaudif.hatenadiary.com/entry/2016/09/09/232626」というエントリー自分以上にわかやす解説しています

新海誠本人の田舎への郷愁景色のみで、ヒロインの言う「都会に行きたい」、東京大好きが本音というところだろうか。彗星には世界が滅びる鬱映画メランコリア』的な破壊衝動も感じる。人が死ぬ必要さらさらないけれど、場としての田舎は滅び去れ! 災害描写3.11メタファーなのだが、滅びるのが予言通り、みたいな乱暴さもあり、ババアの教えや伝統芸能が、街が救われることプラス自分恋愛のために存在した、というのはすごいナルシシズムだ。 ”

ヒロインや友人ら主要登場人物はみんな東京へと去り、親以上の世代のその後は語られないあたり、まさに「親殺し」の物語であったとも言える。”

メランコリア」は未見なのでよくわかりませんが、自分は「君の名は。」を観て「アクシズが墜落してしまった逆襲のシャア」みたいな映画だなあ、と感じました。人は死ななかったわけですが、彗星の落下自体「奇跡」回避できなかったということは、実はかなり絶望的な映画なのではないか、と。彗星の落下は自然現象ですが、その落下を設定したのは監督自身です。彼には田舎人間若者以外)を全て抹殺したいという願望があったのでは?少なくとも私は田舎に対する愛着は感じられませんでしたね。



とにかく自分事実誤認四葉彗星の死者数)をたくさんしているということもわかったので、もう一度見返したいと思います。そしたらまた追記を書くかも

2016-09-09

拗らせヤンデレが自滅したはなし

別名と言うか、長々と書いてみると。拗らせた承認欲求依存嫉妬心独占欲を爆発させたヤンデレ、その根源に巣食い続けた劣等感のはなし。

今こうして自分で並べても笑える程に、救いようのない要素だけで生成された恋の寿命は、三年に届かず終わりを告げました。大層に書き出してみましたが、結局何があったのかと言えば、好きな人を失いましたという、20文字にさえ満たない、世間一般に転がっているような、何の変哲も無い話なんですけど。

そんな、何の変哲も無い話だからこそ、タイトルを付けるにあたって、ヤンデレと言えば多少はライトに聞こえるだろうかと希望を籠めて。それでも結局は、どうしようもない程構ってちゃんな我儘メンヘラが、独りの人間を食い潰した話です。追い詰めて追い詰めて、限界がきて縁が途切れて、そして、私も自滅しましたという笑えない救えない話です。

それでも、この文章を書き切ることで、この喪失感が埋まりやしないだろうかという期待をしています。悲しいです。苦しいです。でもそれ以上に、この恋がもう駄目だったのだという事を、誰より私自身が理解しているつもりです。そう書きながら、それでもやっぱり苦しいですと続けたくなるぐらいには、依存していた心はどうしようもなく、矛盾していて。

それから、もうひとつ私自身、時間がある時は常にネットの読み物を漁っていて。匿名のまま、色々なことに真剣に長文を書いている人がいる。そういうのを読むのが、好きなんです。以前Twitterで見掛けたんですけど、文字や長文を読むことに依存していて読み物のジャンルは問わない、っていう状態。私、それも当て嵌まるなぁって想ったので…どうしようもないこの歪んだ恋のなれの果てが、とあるヤンデレの恋の顛末が、ネットを漂う読み物のひとつになればいい、と想っています。こんな想いは有り得ないと一笑に付されるのでも構わないし、この歪んだ欲求が誰かに共感して貰えるなら、それはそれで凄く嬉しいこと。勿論匿名ダイアリーなのでそれを私が知る術はおそらく無いんですけど、それでも、このメンヘラ日記が誰かに見て貰えるのなら、この恋が誰かの時間潰しになるのなら、なんて願望も抱いています

わたし最初にあの人と出逢ったのは、共通趣味世界で、その場所Twitterでした。

まずはその上手さに本当に驚いて、心底、凄いと想いました。ただ見惚れて、あの人にしか出来ないことに、心から惹かれた瞬間のことを、未だに強く覚えています。この人と関われなかったら後悔すると想って、勇気を出して声を掛けて、関わりを持てるようになって。そこから幾つかの幸運が重なって、あの人に、私の出来ることも認めてもらうことが出来て。一緒に、趣味に携わることが出来て。

毎日毎日Twitterでお互いにすごい熱量でその趣味のことを話すことが出来るようになって…本当に幸せでした。仕事が終わって、あの人がTwitterに浮上するのが本当に毎日の楽しみで、どちらともなく声をかけ、楽しい会話が始まって…眠る瞬間までそれが続くんです。本当に、睡眠さえ惜しい程、ずっと喋っていたいぐらいでした。あの時期、私の思考回路自由時間もすべてあの人の為にあったと言い切れますし、憧憬尊敬混じりの好意は、募る一方でした。たくさん時間を重ねて、私自身も、あの人の思考回路を占められていた自信があります。恋情ではなかったとしても、好かれていた、という自負も。本当に、私の一目惚れに近かったので…奇跡みたいな話だと、状況だと、ずっと想っていました。ずっと、夢中でした。まるで夢のような日々が、あっと言う間に始まって、私の日常侵食していきました。

だけど、奇跡はやっぱり奇跡で。私にとっての夢は、長くは続きませんでした。

その趣味世界で、あの人は、私より素敵な人と、出逢ったんです。それはいつか起こることだと理解していましたが、本当にあからさまなぐらい、毎日たくさん話していたTwitterでの会話はぱたりと止みました。あの人は、新しく出逢った人と毎日時間を重ね、私としていた時と同じように…いいえ、それ以上の熱量で、沢山の言葉をその新しい人に向けました。趣味は私ではなくその人とやるようになり、私が構って欲しくて、お話がしたくて近付いても、ええと、その頃はまだ星のマークでしたので、星が飛んでくるだけで。やるせなくて、悲しくて悔しくて寂しくて、どうしようもなくて。私はその時、一回目の失恋しました。

所詮Twitterでの話し相手を失っただけだ、と笑われるかも知れません。それでも、会話をする内容や頻度、趣味世界の話。文字はその人に惹かれるには充分な要素であると、私は想います。あの人に向けていたのがその時点で好意だったのか、恋情だったのか、その当時の私にも、今想い返してみても、断言は出来ません。それでも、欲しくて欲しくて堪らない人が私の方を向いてくれない、明確に"興味を失われた"その感覚に、涙が溢れて止まらなくなりました。毎日毎日、あの人がTwitterに居るのに、私とは話さずに、新しい人と、趣味に夢中になっているその姿をぼんやりと見ているその日々が、辛くて苦しくて、息を止めてしまいたいと想って。それでも、Twitterから離れることは出来ませんでした。心の何処かで、あの人が私の方を向いてくれていたのなんて最初から奇跡だったのだからと諦めを付けようとしている自分自身が居るのに、それに堪えることも割り切ることも出来ず。新しい人が私よりずっとずっと上手な人だったので…劣等感も悔しさも、仕方ないと想う心も。全部が、綯交ぜになったまま、ただ、其処に存在し続けました。

そして、私自身も、誤魔化すように、また違う誰かと出逢いました。そして、趣味の話を、あの人以外の人と、とりとめも無く喋っていました。文字は凄いと想います。笑っていなくても、笑えます。心が沈んでいても、テンションは幾らでも取り繕えます。そんな風に、Twitterでは誤魔化しながら、現実世界では泣いて吐いて、眠れなくて、ただひたすら、あの人が恋しくて、悔しくて。私は飽きられたんだ、捨てられたんだと泣いて喚いて、だけど新しい人の上手さに叶う気もしなくて、幸せそうに楽しそうに趣味に耽るあの人を見るしか出来ず、絶望するように目の前が真っ暗になって……失った喪失感で一杯の、日々でした。

それから、日を重ねましたが私とあの人の立ち位置は、共通趣味世界の仲間、のままでした。私が一方的に抱いた喪失感失恋感覚も、悔しさ寂しさ、嫉妬心も…言葉になる事は無く、消える事も無く、勿論あの人が知ることも無く…ただ、私の胸の内で、私の心に影を落とし続けていました。時折言葉を交わすことはありましたが、あの人が夢中なのは、新しい人でしたから。幸せそうだなと想いながら胸の何処かが酷く痛み、けれど私よりずっと上手な二人を見て、お似合いだなと感じて。苦しみながら、憧れながら…そんな、矛盾を孕んだ生温い日々を送っていました。

そんな日々が変わったのは、知り合って数か月経った頃。奇跡の夢から覚めて、絶望の淵に立って。

それでも、私があの人を好きなことは変わらないし、趣味だって辞めるつもりはない。そんな、一方的に私だけが居心地の悪い関係は、突然新しい道を見出します

既存趣味の…変化版?に、二人で手を出す事になったんです。匿名で、伏せに伏せて今更、なのですが…例えるなら、パン作りが趣味だったなら、二人でお菓子作りにも手を出すことにした、とか。ネットゲーム趣味だったなら、二人で新しいサーバーにも行くことにした、とか…調理ゲームなどの趣味としての大きな枠組みは変わりませんが、何にせよ"二人だけ"の、ことが出来ました。それは私にとってとんでもなく幸福なことで、近くで見るあの人の出来ることに、やっぱり改めて憧れ惹かれました。その憧憬に加えて今度は、その素晴らしいことが、私だけ、独り占めが出来るんです。新しい人ではなく、私となんです。そんな感覚に、嫉妬で喘ぎ、苦しんでいた自身が満たされ癒されるような、快楽を味わいました。好意も恋情もすべて含めて私はこの人が好きで、関わっていたくて、話がしたいんだ、という気持ちが、確固たるものに変わりました。

其処からは、また、幸せな日々が始まりました。飽きられ捨てられたと想っていた、それでも好きだった、あの人との関わり。大きな枠組みが同じとは言え、やはり今までの趣味範疇からは少々外れていたので、二人とも新しくTwitterアカウントを取りました。二人ともいずれ誰かをフォローする予定ではいましたが、その時点ではお互いにお互いだけをフォローしているアカウント。そこは私にとって堪らなく居心地が良い、幸せ増長させる秘密場所になりました。

毎日繰り返す、共通趣味世界の話は昔の熱量を想い出して堪らなく胸がときめきましたし、そのアカウントは二人だけと言う気易さからか、少しずつ世間話も入るようになって。あの新商品が美味しかったよだとか、今度どこでどんなイベントをやるみたい、だとか。他愛ない日常世間話はまるでLINEのような一対一の会話で、Twitterで新しい人は勿論誰かに向けて話されるのとは確実に違うものだと感じて、私は至上の喜びを味わいました。

あの人が私と、私とだけ喋っている、ということ。嫉妬を拗らせて鬱屈させていた私が、あの人を独占出来るその時間依存していくのに、時間はかかりませんでした。けれど、同時に。過ぎたる幸福は、抱いてはいけない欲を育てるのも、早かったのです。

私は次第に、あの人が、今まで通りのTwitterアカウントで喋ることに、恐怖と苛立ちを覚えるようになったんです。

どうかしていると、笑われるでしょうか。あの人の自由を奪う行為に、賛同はきっと得られないでしょう。解っています、解っていても、それでも、尚。脳裏にこびりついた、また捨てられるという恐怖が、私の心を蝕んだんです。

また奇跡が起こって、私はあの人と二人の場所を手に入れて。これ以上無い幸せを味わいながら、その幸せは、いずれ弾けるものなのだと心の何処かで想っていて。あの人がまた新しい誰かと出逢うのはいつだろう、私には抗えない、勝てない、私よりもっとずっと上手な人と出逢い、その人に惹かれるのは、いつだろう?また、私との会話をぱたりと辞めてしまうその時は、いつ訪れるんだろう…?

そんな恐怖が日に日に増していき、あの人が今までのアカウントで喋っていると、その恐怖と焦燥感で一杯になるようになりました。あの人に捨てられる、飽きられてしまう恐怖が、あの絶望が、どうしても忘れられないんです。奇跡が覚める瞬間のあの足場が崩れるような、あの感覚を、二度と味わいたくはなくて。新しい人と出逢ってしまったら、私が勝てないことは目に見えていて。

まりの恐怖に、私は、あの人に、二人の場所に居る時間を増やして欲しいと、今までのアカウントに行く頻度を少し減らして欲しいと、お願いしました。それは、強制力のあるものでは無かったと記憶しています。ただ、二人の場所が大好きで大事であること、たくさんの人と繋がっているTwitterアカウントで皆に囲まれている姿を見ていると、寂しいこと、嫉妬してしまうこと…。今想い返しても、少し甘えたような可愛い我が儘だった、と想います。勿論、自分可愛いと言っているのではなく――後々言うことになる言葉に比べれば、かわいいもの、と言う意味で。

結果的に、この行為は私を泥沼に落としました。

最初に私がその葛藤を、恐怖を…嫉妬独占欲に言い替えてあの人にぶつけた時。その我が儘をあの人は喜んで受け入れてくれました。そして同時に、あの人が新しい人と出逢った頃、私自身その孤独に堪え切れずに誤魔化して他者と関わっていた頃。あの人も、他者と関わる私に対して嫉妬をしてくれていただなんて、リップサービスだとしても嬉し過ぎることを教えてくれました。私は、堪らなく幸せでした。そして、憚ることなくあの人に好意を伝えることが出来て、あの人からも、好意が返って来て。二人のTwitterアカウントは、本当の意味特別で、秘密場所に、なりました。迷うことなく二人の関係を恋だと定義付け、二人で趣味世界に没頭しました。お互いが、お互いのものになったんだと、幸せで、日々が満ちていました。あの人に感じる憧憬混じりの恋情はもう私の一番根の深い場所まで侵食していて、あの人が二人のTwitterログインしてくれるのを今か今かと待って、二人の時間に躊躇いなく依存して…あの人が喋るたびに、通知が来るようにして。専用の通知音が、私の幸福を彩りました。

から、きっと忘れていたんです。夢が覚めるものだと言うこと、奇跡が長くは続かないことを。もしくは、見ない振りを、気付かない振りを、していたのかもしれません。

そもそも、私の我が儘は叶えられたとは言っても、その言葉に―二人のTwitterに居て欲しいというお願いに、強制力はありません。今までのアカウントログインしたところで、私以外の人と本来趣味に没頭したところで…それを責め咎める権利など、私には最初から無いのです。

元々他者に囲まれることも、評価されることも好きなあの人は、今までのアカウントも変わらず利用していました。二人のTwitterにも勿論来てくれてはいましたが、私自身も今までのアカウントで喋っていましたし、割合は日によって変わりました。

今、本当に、此れを書いている今、想い返せば。これで満足出来なかった時点で、この恋は、いつか終わる運命だったのだろうと、私は想います。私は、幸福の量にも、恐怖の量にも、堪えることが出来なかったんです。あの人が今までのアカウントで喋っていると、恐怖で恐怖で、堪らなくなりました。叶えて貰った筈の我が儘では物足り無くて、納得出来無くて。不安は益々色を濃くするばかりでした。だって、また新たな人に出逢ってしまってからでは遅いのです。もっと素晴らしいことの出来る人に出逢い、惹かれて、あの人が私のことをまた捨ててしまってからでは、遅いのです。私が、その新しい人に勝てる訳は無いのです。だからこそ、二人のTwitter時間は堪らなく安堵して幸せで、もっと此処に居て欲しいと願うように、なりました。

それからの私は、恐怖と絶望に憑りつかれ、唯一の希望が二人のTwitterだ、と定義付け、お願いを繰り返すようになりました。いつものアカウント趣味の話をして盛り上がっているところに水を差すように帰って来てとコールしたこともありますし、今日はあちらのアカウントに行かないで欲しいとお願いしたこともあります今日だけはのもので居て欲しいとお願いし、それが表面的に叶えられ、私は仮初の満足を得て…そして、翌日になればまた不安に駆られ…気付けば、私のお願いは、お願いと言う枠を随分と超えるようになっていました。今日は行かないで欲しいと言う回数は日に日に増え、ある時は酷く甘い言葉で、ある時は、酷く乱暴な言葉で。まるでDVの飴と鞭のように、私はあの人を、追い詰めました。

好意嫉妬独占欲を盾に、私の歪んだお願いは時として命令染みた強制力を持つようになりました。あの人が他者と関わろうとしたら、私も同じように他者と関わって、嫉妬しまたかと問うてみせて、それなら二人でTwitterに籠りましょう、嫉妬するのは痛いでしょう、と…身を以て感じさせるようなこともあって…まさに、泥沼でした。私は、あの最初に"捨てられた"感覚から、抜け出せていませんでした。あの人を、根底から信じられなかったんです。いつか誰かに惹かれ消えてしまう人なのだと想い込んで、もう、その固定観念から、抜け出せなくなっていたのです。私の行動はエスカレートし、あの人の行動を制限し、出来ることがどんどん消えていき、いつしかTwitterアカウントに割く時間は逆転して――二人で、二人の居場所だけに引き籠るようになっていきました。

それでも私の膨らんだ恐怖は拭い去ることが出来ず、私は二人の居場所に居ても尚不機嫌で、苛立ちが隠せなくなる日が、増えてきました。お互いに没頭していたはずの趣味の話も出来ないことが増えて。そんな日々が、楽しい筈がありません。あの人は楽しさを求めて今までのアカウントログインし、私は其れを見て益々苛立ちと恐怖を募らせて…まるで、鼬ごっこです。沈み始めた泥沼は底無し沼のようで、私も、きっとあの人も。正解が解らないまま、お互いの可能性を、殺し続けました。

何処かで、きっと満足出来るラインがあった筈なんです。だけど私は、それを見付け出すことは出来なかった。満足することは、出来なかった。あの人は私の歪んだ独占欲嫉妬を受けながら、他者と関わることを辞めはしませんでしたが、それでも出来る限り、私に愛を誓ってくれました。でも、それって、とてもとても中途半端で、生半可で、生殺しなんです、と書いてしまう私は、やっぱり冒頭にも書いた通り、救いようのない、ヤンデレメンヘラだと想います

でも、だって、私はこんなにもあの人が欲しいのに、私はあの人だけで構わないのに、あの人と二人きりで趣味に没頭していられるなら、それだけでも幸せなのに。どうしてあの人は、私を愛していると言いながら、他の人を見るんでしょう。そんなに、他の人と行う趣味楽しいですかと問いたくなって、そうですよね私なんかと一緒に居るより楽しいですよねと、黙ったまま、傷付くんです。勝てる訳が、無いから。あの人が他の人と関わるたび、私よりずっとずっと凄い人と出逢って、どこかに行く為じゃ、ないんですか?どうして、私を見てくれないんでしょうか、と、恐怖から来る理不尽で身勝手欲求が、抑えられないんです。劣等感が身動きを取れなくさせて、あの人に、誰より愛していると言って欲しい、認めて欲しい、何処にも行かないと言って欲しい…と、私の存在意義は、どんどんあの人から言葉に委ねられました。承認欲求を満たして欲しい、独占欲嫉妬を慰めて欲しい。そんな風に、転げ落ちていきました。

何度も何度も責めました。何度も何度も謝ってくれて、二人の場所に居ると誓ってくれました。それでも、あの人は想い出したようにいつものアカウント趣味世界を拡げては知らない誰かと出逢って、愛されそうになるんです。気が気じゃなくて、私は、いつも、あの人を監視していないと、落ち着いていられなくなりました。その頃にはもう、私の余裕なんて微塵も残っていなくて、私とあの人の趣味の話は殆ど無くなっていました。悪循環だ、と気付いた時にはもう遅く、趣味の話なんて残っていない、ただあの人の存在に執着して二人の場所に籠り切り固執する私と、息苦しそうに、私とは趣味を共有出来ないと判断して、いつものアカウントにもログインし続けるあの人が、残りました。今、想い返しても、可哀想だ、って想います妄想に憑りつかれてしまった私の心も、その我が儘に振り回された、あの人も。

そんな悪循環から抜け出す術があれば、それを私が知っていれば、この文章にも起承転結が生まれて、もしかたらこの恋はハッピーエンドを迎えられたのかも知れません。もしくは、少しでも泥沼から抜け出せたのかも知れません。けれどこれは、私の歪んだ恋心が終わるまでの顛末ですから、結局は"このあとも、あの人が限界を迎えるまで、この地獄のような鼬ごっこは繰り返されました"と、作者が放り投げたような展開しか、待っていません。

私は、趣味世界に二人で没頭したくて、あの人の存在が行動が誰に与えられることが許せなくて、何処にも行かないように安心したくて、生活のすべてを呟くように義務付けました。お願いのつもりでしたけれど、暗に脅迫いたことを含んでいる言葉など、命令しかないと、今は想えます。それでも、私は、そうしないともう自分を保っていられなかったんです。帰宅したら二人のTwitterに来て、眠る瞬間まで、居て欲しい。会話をしながら、その返事が1時間以上空くのは堪えられませんでした。誰かと連絡を取っているかもしれない、もしかしたら見えないだけで、いつものTwitterで誰かとDMしているかもしれない…。そんな妄想に憑りつかれて、居ない時にはただひたすらあの人を責め、あの人の存在に餓え続けて。言い争うことも毎日のようになっていき、互いの言葉はどんどん酷くなり……そして、決定的な終焉を、迎えました。言っていいライン、と言うのは確実に存在して、それでも餓えて麻痺して、心の何処かで被害者を気取っていた私は、その地雷を、踏んでしまいました。それはあの人にとって堪えられる言葉ではなく、けれど其れを言うに至ったまでの経緯も私にとって堪えられるものではなく。お互いに追い詰めて、お互いに限界を迎えて……当然と言えば当然の、結末でした。

あの人は私と関わりたくないと言い、私も、もうこの恋を続けてしがみついても幸せになどなれないと、想います。この先、私が癒える方法など私自身では想い付きもしませんし、それはつまりあの人の自由を許せないことです。息苦しい想いだけを、させることになるのです。私も、裏切り続けられ疲弊し、泥沼に沈んだままです。追い詰め、逃げ、それを責め……そんな悪循環しか戻れないと、お互いに解っていて、だからあの人は私との関わりを無いものします。そして私はそれを上手く出来ずに、この文章を、書いています

依存しきっていた、毎日交わしていた言葉が無くなって、私の日々は表面上、穏やかです。

ただ何もせずとも、ぼんやり時間は過ぎていきます。けれど、壊れてしまった私の箍はどうしようもなく、今でも、あの人が何をしているのかを考え、頭のおかしヤンデレから解放されてきっと幸せなのだろうと想うのに、一言でいいからまたあのTwitterで喋ってくれないだろうかと待ち、いつものアカウントはいかないで欲しいと、願ってしまうのです。

愛しています、と、愛していました。どうか私のことを忘れて幸せに、と、今すぐ私と死んでくれたら良いのに。今、あの人に向ける言葉は何を想ってもぜんぶが矛盾していて、自分の往生際の悪さに、辟易しています。この恋に未来は無かったと、泥沼だと散々書き連ねてきたのに、それでも尚、この恋さえあの人さえ居れば私は他に何も要らなかったのにと、未練がましいことばかり想ってしまって、でもその数分後には、最低だと、あの人が私にしたきたことを反芻しては心の中で罵って。私はどうしたいのか、もう解らないまま、この文章を書き終えようとしています

私はこの恋をまだ教訓には出来ていませんから、お説教染みた、愛した誰かを大事にしてくださいだとか、相手を信じてだとかをこんこんと語る気はありません。この文章は何処まで行っても私の歪んだ恋愛録でしかなく、フェイクが多分に含まれている時点でその記録としても殆ど価値は無いものです。それでも、この飽きる程に長い文章が、愛しくて愛しくて堪らなくても上手くいかなかった、拗れて病んだこの愛情存在していたことが、このネットに残れば良いなあ、と想っています