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はてなキーワード: 対象とは

2016-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20161203143642

愚痴を吐きたくなったり悪口言いたくなるのって対象となる誰かや何かのアレさに加えて

荒んだそのとき自分メンタルによるバイアスが上乗せされてるからあんまりまともに受け止められると却って困るんだよね

吐くだけ吐いての一時のストレス発散が目当てなら酒の勢いに任せて「あー酔っ払ってたんだな」って差し引きしてもらうか、

家族だの付き合いの古い友だちだの自分のアレさも知ってて「あーはいはいしんどかったね」ってなだめつつも話半分で割り引いてくれる方がありがたい

そういうやや勝手な期待というか甘えができないすなわち「本当の友達」ではないというのなら増田の言うとおりかもしれない

増田の周囲が同じかは分からないが考え方の一つとして。

2016-12-02

日本死ねへの批判

流行語大賞に「保育園落ちた日本死ね」が受賞したおかげで、このことを快く思わない一派が必死批判してるけど、どれも言葉が汚いか民進党議員が受賞対象になったことを叩く内容ばっかりで、内容については一切触れられてない辺り、当時から言われてたけど、汚い言葉使いを叩く以外、叩ける要素が本当にないんだろうな。

オマケに極力内容に触れないために「保育園落ちた」の部分をカットして、「日本死ね」の部分だけ、取り上げて叩いてる始末だし。

いやあ、自分あんなに隙のない文章を書いてみたい。

思い付きと勢いで書くと、どうしても所々に粗が出るからね。

見直してないから知らんけど、たぶんこの文章もそうなんだろうな。

2016-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20161201213625

どんな対象に当てはまるのかは使ってる本人にしかからない、だいたいの日本人通用するとは到底言えない言葉だってことが確認できたから後はなんでもいいよ

人間センターって一部のユーザー対象なんだな

俺が対象に入ってないやん!人間センター体験たかたから注文したの!

絵が上達する催眠術はないのだろうか

自己暗示と言った方が正確だろうか?

絵を描くにあたって最大の壁が脳内イメージを固定して出力することだと思っているが

世の中の絵の指南書には対象入力(見る)して出力(描く)する方法を明示した本はあるが(脳の右側で描けが代表例)

指南書で鍛えられるのは摸写やデッサン技能でまず入力がないと出力できない

絵はすぐには上手くならないという本でようやく頭の中でイメージして描く力が必要だと気付いたのだが

肝心の想像力を鍛える方法を明示した本がまるでない

全くないわけではないがスピチュアルな怪しい本しかないのだ

Amazon検索すると瞑想の本や催眠術の本はわりと充実してきたように思うが……本を読んでも痛みを紛らわすとか実用的な内容ばかりで絵の実力を120%発揮するとか創造性を高める自己暗示とかはまるでない

マズローの五段階欲求だったか

痛みは生理的欲求第一段階で

絵が上達するは自己実現欲求の第五段階だから難しいのだろうか?

今度はヘミシンクとやらを調べてみるつもりだ……

Twitterで関わってはいけないアカウントタイプ

2016-11-30

頭脳労働って、単純な知識労働?というのか、何か専門知識があるだけでは、なんだか不充分で。

説明力とか。交渉力も、込みでないと、動かない何か。

本でも、プログラミングだけではシステムは動かないとか、(『プログラム技術だけでは動かない 』というタイトルだった)

なんとかってあった。

  

世の中の仕組みというか、対象となる人間を含めた、(平たく言えば、ユーザーなんだろうが)理解必要なようで。

世間全体のシステムを知っている必要があるんだろうなーと。

  

あと、気合いというか、自信に満ちた態度とか。

面倒だなーと思う。

  

生きていくことが、負担で押し潰されそうだわ。

  

説明を求めるのと批判は別の話だろ

~についてよく知らないか説明してほしいってのを、対象への批判と受け取って騒ぎ立てる手合って被害妄想強すぎないか

先生質問に行く生徒は全員嫌がらせ目的に違いないみたいなことを喚かれても全く納得出来ないんだが。



しろ更に知りたいからこそ、質問をしに行く場合もあろうに、やれ嫌がらせだの喧嘩を売りに行くつもりなんだろうだの文句つけるのが

勝手に言うのが正しいとはとても思えん。

[] H23民訴コメント(アンサー)

H23民訴

・全体としてとても読みやかった。

設問1

よく書けてると思う。論理の流れも読みやすいし、俺が言えることはないです。

設問2

権利主張参加については、参加人の請求と本訴請求とが論理的に両立しない関係であることが必要だが、独当参加の場合には、いずれかが当事者適格を充たさないという関係にあることから請求の非両立性が認められる、として、独当参加を認めてよい、らしい。

・二1(2)の、あてはめ部分は、もう少し具体的な説明があった方がいいと思う。なんとうか思考過程とかがわかりにくいかなと感じた。「さらに~」の部分が唐突な感じがしました。「さらに」ではなく「それにより」とか?(もしかしたら俺の理解不足かも)

債権者代位の反射効は、加藤いわく以下のような感じ。

債権者代位訴訟は法定訴訟担当からBFの受けた既判力は債務者Aに拡張される(115条1項2号)。すると、BFが別々の債権者代位訴訟判決が確定した場合、AのCに対する移転登記請求権という同一の訴訟物の存否について異なる内容の既判力がAに拡張されることで、既判力の矛盾抵触が生じる。そこで、このような事態回避するために、ある訴訟担当者が受けた確定判決の既判力は、それが拡張される被担当者を経由して他の原告適格者に反射的に及ぶと解する、とかそんな感じ。

設問3

・1(1)イのあてはめについてだけど、単に不可分債務と述べるだけではなく、不可分債務から民法430条432条に基づき、相続人各人に対して順次義務の履行を請求できる、ということまでいったほうがよりよいかも。ただここまで書かなくても合格レベルではあると思う、けど上位を狙うならかけた方がいいかも?

・(2)イについても上に書いたのと同様に、共有権は数人が共同して有する一個の管理処分権であり、それが紛争対象となっているから、とか書いた方がより良いと思う。

なお、結論妥当性のところで加藤が言ってたのは、NはMの認諾調書のみではLMに対して建物収去土地明け渡しを強制執行できないから、現実的不都合はない、ということだった。

2016-11-29

日本に抵抗の文化ない」などという言葉を有難がる人達は多分、

沖縄に抵抗の文化はない。現に基地を喜んで受け入れている」

朝鮮半島に抵抗の文化はない。本気で抵抗すれば日韓併合は避けられた」

などと言ったら反論するんでしょうよ。何故対象が『福島』だと違うのか

http://anond.hatelabo.jp/20161128234150

愛の欲求を3つに分類すると、

「母との一体化」「恋人との一体化」「芸術との一体化」

となるとかいうと話があって。


絵を描く時、それが評価されるかどうか以前に、自分対象が一体化できたら満足感を得られる。

そこにあるのは、他人視線ではなく、自分対象とが一体化したいという基本的欲求


作品名前が載るというのも、対象と一体化したいという基本欲求に答えてくれるものなのではないかと。


はいえ、恋人選びでも、他人からどう見られるかを気にしがちなのも確かだね。

面倒くさい感情だけど、そういうものだな。

もちが禁止されてから10年が経った

もう今では、餅を販売することも、自宅で作ることも所持も許されない。違反した人には、懲役3年以内の刑に処される。

禁止された理由簡単過去に多くの人が餅で喉を詰まらせ、餅が人を殺してきたからだ。

自身まさか餅が規制されるとは思ってなかったが、様々な運動事件が(餅規制派にとっては)うまくハマってしまい、餅が規制されることになった。



きっかけは、ある自治体住民に対して、野外での餅つき禁止したことだった。

これは、表向きは集団食中毒を防ぐため、とのことだったが、明らかに餅による死亡事故責任を負いたくない自治体責任逃れだと批判が集まった。

この時の世論は、「餅つき日本の伝統。できないのは残念だ」という思いがほとんどであった。

このニュースが全国ニュースで流れ、はてぶで炎上し始め、餅つき禁止おかしい、伝統を守れ、という意見が流れ、抗議集会が各地で開かれることになった。

趣旨としては、餅つきという日本の伝統を守り続けるために、衛生管理をしっかり行い、みんなで餅つきをして安全性アピールしようと言ったものであった。

しかしながらこの集会が最悪の結果になってしまった。全国20か所で行われた餅つき会において、餅で喉を詰まらせた死亡事故が15件発生してしまった。

この最悪な事件は、先のニュースもありショッキング事件として大々的に報道された。

このあたりから世論おかしくなり始めた。

まず餅の喉詰まらせによって家族を失った被害者団体が結成され、とても大規模な人数となった。

毎年食べ物で喉を詰まらせて亡くなる人は5000人弱いるが、そのうちの20%近くは餅によるものである

それが毎年起こるのだから被害者団体が大規模になるのも、当然である

被害者家族たちは、

「餅を詰まらせて亡くなった時は、とても残念に思った。餅を食べる際の不注意が原因なので、仕方ないと諦めていた。」

「今思えば、餅を食べなければ死ぬことはなかった。こうした憤りをどこにもぶつけることができず、当時は苦しんだ」

という声に共感を覚え、どんどん被害者団体に加わった。



それとは別に政界の方でも、与党への支持率の高さに少しでも攻撃材料が欲しい野党らが、こんにゃくゼリー規制の時の議論を引き合いに出し、国会審議に持ち込んだ。

趣旨としては、「なぜこんにゃくゼリー規制の際に、30倍もの危険性を持つ餅を規制しなかったか。」とのことだった。

海外では餅は、サイレントキラーと恐れられ、内閣府食品安全委員会が発表している「食品による窒息事故についてのリスク評価」でも、お餅は最も危険食品ひとつとされており、お餅こんにゃくゼリーの30倍、飴の5倍ほど窒息事故の頻度が高いことが知られている。

こうした危険性を認知していたにも関わらず、規制に乗り出さなかったのは怠慢だと攻撃し始めた。

これらの出来事きっかけに、「伝統か人命か」という議論が巻き起こることとなった。

被害者団体は、「伝統を守るためなら人を殺してもいいのか?」をキャッチフレーズに、餅規制署名100万人規模で集め、国会へ提出された。

どんどん大きな動きとなっていく中、与党では何かしらの餅に対する規制検討すると発表した。

当初の案では、特に死亡事故が多い10歳以下の子供、60歳以上の老人を対象に、家族等がいない状況での単独での摂取禁止する方向であった。

また餅パッケージの1/3以上に危険である旨を表示することも義務付け、餅税などを検討していた。



しかしながら、年内に結論が出ず、翌年の国会に持ち越しとなった。これがまずかった。

来年以降餅が規制されるかもしれないとの危機感から、いわゆる駆け込み需要が起きた。

特に60歳以上の老人が餅を買い込み、大量に消費した。無理もない。今まで習ってきた日本人伝統規制されようとしていたのだから

その結果、その年始で餅を喉につまらせて亡くなる人は例年の3倍以上、1000人にも上った。

事態を重く見た国会は、急かされるように1月中に餅規制法案を可決。60歳以上の人は、家族同伴、もしくは一緒に食べる人がいる証明がないと餅が買えなくなってしまった。

また餅を食べられるのは10歳以上ときまった。餅の消費を抑えるため、もち100gあたり30円税金も課されるようになった。



こうして餅に対する初めての法規制ができてしまった。それ以後は雪崩式のように規制が強くなっていった。

税収増加も目的として、餅税が徐々に上がっていった。その結果、餅は嗜好品になり、タバコや酒と同じような扱いになっていった。

他にも色々あったが、徐々に餅を食べる伝統が失われ、餅を食べる危険性だけ目立って攻撃されるようになった。

かつては危険性があっても伝統から、という理由で見逃されてきたが、それもなくなり、とうとう10年前に餅は全面禁止されてしまった。



寂しいような気もするが、どうしても餅が食べたいという人は、新しく開発された、詰まりにくい合成餅で我慢している。はっきり言って合成餅はマズイ。

だけど完全に餅がなくなったわけではなく、たまに餅所持の現行犯逮捕された、というニュースが出る。

つい最近なんて、長野の過疎村に集団移住して、こっそりもち米を栽培、餅を作って食べていた集団摘発された。

周辺で餅つき大会を開くなど、餅コミュニティーを作っていたとのことだ。恐ろしい恐ろしい

http://anond.hatelabo.jp/20161129014642

嘘ニュースサイトは「ここは嘘ニュースサイトだ」と周知するだけでいい。第三者は。

後はデマ流された対象が訴えるなりなんなり対処すれば。

 

【警告】勤務期間中はてなを利用している弊社ユーザー

システム管理者です。

弊社社員のうち、複数人が勤務期間中はてな日常的に利用していることは既に管理ログで把握しております

本日の昼休みまでは経過措置として不問に処しますが、

本日13時以後にまた日常的な利用が発覚した場合には担当上司に報告し、

逸脱が甚だしい場合職務専念義務違反で減俸等の対象となる点を予めご承知おきください。

エンタメがなんなのかわからずじまい

娯楽それぞれ

http://zokugo-dict.com/04e/entame.htm

エンタメとは「娯楽」「気晴らし」「余興」「演芸」「軽い読み物」といった意味英語"entertainmentエンターテインメント)"の略である意味エンターテイメントと同じように使われており、単に語呂のいい形に簡略化されただけであるエンタメ映画ドラマアイドル小説パチンコゲームと様々なもの対象に使われるが、同じカテゴリーにあってもそこにエンターテインメント性(娯楽性)がなければエンタメには区分されない。例えばニュースを扱うサイトの中で政治経済事件を主に扱うサイトエンタメサイトに分類されないが、芸能映画スポーツなどエンターテインメント性が強い記事が中心のサイトエンタメニュースサイトとして扱われる。人気お笑い番組エンタの神様」のエンタはここからきている。

ここでは娯楽性。



https://goo.gl/BU3nJq

 エンタメとは、エンターテインメントentertainment)の日本式略称で、人々を楽しませる行為パフォーマンス)を意味し、主にその場かぎりで消費される演劇映画芸能などについていう。絵画建築作品のように希少性と永続性がないので、エンタメ提供者は、なるべく多くの人々に比較安価価格で見てもらうことによって日銭を稼いでいる。また、演劇寄席芸能などは、文学書籍)のようにいつまでも自分の手もとに置いて楽しめるものでもないが、たいして関心のない団体ツアー客や、何度も同じ演目を見に来る物忘れの激しい客をたよりに糊口をしのいでいる。音楽映画などは、パフォーマンスを記録したメディア販売され、子どもをだまして大量販売に結びつけることも可能なので、演劇芸能関係者よりはお気楽生活を送っている関係者も多い。(CAS)

文末に首をかしげるが、単語意味については「人々を楽しませる行為」、としか書かれていない。



エンターテインメント-Wikipedia

https://goo.gl/K98F6m

エンターテインメント(英: entertainment[1][2])は、人々を楽しませる娯楽をいう。抽象的な意味もつ言葉であるが、楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜きレジャーなどが類語となっており、エンターテインメントにはそういった意味合いを含む。似た意味を持つ言葉としてアミューズメント(英: amusement)も娯楽を指して使用され(アミューズメント施設など)、エンターテインメント範疇に含まれる。

ここも娯楽ですよ、としかいっていない。



Yahoo! 知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213791332

エンタメ小説とはエンターテイメント小説、すなわち娯楽や読む人を楽しませることを

目的として書かれる小説です。娯楽小説通俗小説大衆小説とも呼ばれます

文学とは、それらも含めた言語により表現される作品一般を指します。

小説、詩、俳句短歌日記随筆戯曲などが含まれます

もう一つ、純文学というのもあります。これは大衆小説と相対する言葉で、

娯楽や商用よりも芸術性に重きを置いた小説のことです。

ですが純文学といわれる作品商業成功を収めたり、

完成当時は娯楽的だったものが時を経て文学的評価されるなど、境界曖昧です。

ここは結構正しいこと言ってる。正規文書じゃないけど。

まり映画などをすべてエンタメとして捉える上記辞書系の定義と違い、それ以前の小説世界エンタメ定義されている。

現在文学的、という言葉映画アニメも再評価されつつあることを考えると無視できない。



エンタメには“中二病”的要素が必要不可欠?』

http://www.oricon.co.jp/special/47728/

ここはどう考えてもエンタメ=従来のアクション映画などの娯楽思考の強い作品、というステレオタイプが見える。

進撃の巨人ピックアップされていて非常にエンタメ性質がわかりやすい。



時代によってかわる芸術定義

http://www.stonetherapyschool.com/periods_art.html

知恵袋と同じように時代によって変遷する、という意見

ドンキホーテが例に上がっている。



ライトノベル定義/ラノベ作家になるには』

http://syousetuka-naruniwa.com/category4/entry16.html

ライトノベルというのは主に若年層を中心に人気を博しているエンタメ要素の強い小説です。

ここでは明確に文学的ものではないラノベ、という感覚的発想が見える。



ピュアサイドチェイン ‏@quisye 11月20日

何か言った気になりたいなら適当エンターテインメントとかドラマとかって曖昧ふわふわした語に詰め込んで、「ドラマ性が薄いかエンターテインメント性も薄い」みたいに言えば済んでしまう。もちろん定義へったくれもないから紙より薄い言葉なんですけど。

公共性の薄い個人発言無断引用なので埋め込みとか目立つ方法はひかえた。

公共性定義とかそういうのは突っ込まれても困る。

この人の中では定義のものの鍵はドラマ性と言ってる。



いったいなんなの?

色々見てみると明確な定義はない代わりになんとなく芸術性及び思索性が皆無なものエンタメと呼び、

後にエンタメ化することはなくても後に文学化することはあり得るとよめる。

この世界の片隅に』は文学へと変質しかけてるし、後年『君の名は』が文学扱いされるには苦しさがある。

三国志とかエンタメかつ文学じゃん、とか言い方はあるだろうけど、

三国志演義に限ってはエンタメでも区切りとしては間違っていないように思える。

たとえば新海誠を語る文脈上において勉強の側面が強くなってきたら、文学的な扱いを受けるかもしれない。

あるいは今だって新海誠作品方向性は語られて文学的芸術性やら思索なんかを生み出そうとしている。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1472797135219.html

そして文学的ってなんだよ、という話がまためんどくさい。これはこれでだいぶ未定義で、

少なくとも今回の件ではコトバンクの「文芸作品にみられるような趣があるさま」に近い。

実際古典化してお勉強の側面が強くなると何故かエンタメ文学なっちゃうところがある。

エンタメ的な動きの激しさ、積極的に楽しませようとする進撃のような要素、

思索や情感をメインとしない話という意味君の名はエンタメだけど、

この世界の片隅に』ってそうなのかなという疑問符個人的には残りまくる。

http://anond.hatelabo.jp/20161128081913

昔のScrapbook記事-セックスなんてくそくらえ

2007年06月記事

クローズアップ現代」という侮辱的な番組によってあたか芸能界のように取り上げられたブロゴスフィアますますその愚かさを加速していく中、それと時を同じくするかのように、ネットしか場所がない人々の厚顔無恥さ、ずるがしこさ、卑劣さ、自らの無知を少しも恥じないその傲慢さは、まったくとどまるところを知らないように見える。

インターネットの普及によりあらゆる場所で「言論」が可能になった結果、小学校の作文以外に一度も何かものを書いたこともなく、書くことについて考えたこともなく、何一つ読むに値するものが書けなかった数千万人の人々が、雪崩を打つように二流・三流の知性の吹きだまりであるこのブロゴスフィアにも流れ込んできた。前述の番組はそれを加速する以外の効果を何ももたらさなかったのである

痛いニュース」のようなブログはまさにそういった知性のない人々が石をぶつける先を煽り立てる旗振り役である。そのペンキで描かれた派手な旗の下には、人の失敗を嘲ることしかしない臆病で、腰抜けで、ネット以外に居場所を与えてもらえなかった頭の弱い社会ゼロの人々が大量に群れをなして集まり自分よりさらに弱いものを叩こうと口元に青い微笑みを浮かべて、今日キーボードに向かっているのである

この手の人々にとって、対象は誰であってもいいのである。そのとき一瞬弱みを見せたものの頭を踏みつけ、かりそめの優越感を抱くことができればそれで満足なのである。「スターウォーズ」が大好きなIT屋が夢と希望ばかりの嘘八百を並べ立てて作ったインターネット提供したのはこのような人々がその癒されない鬱憤、不満、ストレスを発散するガス抜き手段であり、何のリスクも取らずにワンクリック嘲笑罵倒悪口を投げつけることができるシステムしかなかった。

まりネットにおける民主的平等は何一つ建設的なものを生まなかったということであり、この認識重要はいくら強調してもしすぎるということはない。そのようなネットにおいてしばしば叩かれる存在というものがある。それはたとえばTBSであり朝日新聞である。言い換えれば社会的強者であり、言論の場を形成するメディアである。そしてインターネットが育んでいる嫉妬文化の中では、彼らがネットしか場所のない人々の憂さ晴らし対象となるのはやむを得ないことでもあった。

妬みに嫉みはネットを動かす巨大な車輪の一つであるインターネットはもはや公共のための善意の道具であることをやめ、すでに嫉妬心による凶器であり、もはや危険水域にまで達していると断じてよい。ここにあるのは善意という名前の悪意であり、公器という道具を自分矮小自意識を満たすためだけに利用し、自分たちより高いところにいると勝手に思いこんだ存在に対して、無差別に石を投げてそれを恥ずかしいとも思わない人々が、毎日のように大量生産される世界なのである

そして当然のことだが、この手の人々は自分の気がすむと、あっという間に自分たちが叩いていたものに対して興味を無くしてしまう。たとえばTBS朝日に関して、いったい悪口罵詈雑言以外で、継続的、徹底的、社会的に、こういった組織現実的改善するためには何をしたらよいのか、真剣に考えた人間が一人でもいたのだろうか?

むろん誰一人そんなことを考えなどしなかった。嫉妬に裏打ちされた正義感を燃やす人々の相手ははっきりいって誰でもよく、私情でしかない恨み辛みをその日だけ相手にぶつけられればそれで満足だったのであるネットしか場所がない人々にとっては、相手朝鮮人でも、フィリピン人でも、在日でも誰でもよいのであり、ここには強きをくじき弱きを助ける義侠心などどこにも存在しないのだ。

あるのはただ、人を貶めようする暗く、陰気で、ろくでもないいじけた精神であり、21世紀日本を覆い尽くしているのは、まさにこのような白痴化した世界、心の暗部ばかりが増幅され、雰囲気という強制力を持った場により、圧倒的多数の顔のない人々と同じ方向に向かって個人が走ることを抑圧された形で強制される、かつてたどった道をまたしてもたどりかねない、自己反省することのない危うい言論空間、それがネットでありブログなのである

このようなネットテレビ局新聞社が舐めてかかるのはまったくもって当然のことだ。そしてその見解は正しい、とブロガーである私は苦々しく思う。その苦さはつまり私たちは負け戦に参加しているのにもかかわらず、自分たちがあたか官軍でありいくさに勝っていると、ほとんどの人間がノンキに考えているということである必要なのは負けを認めることであり、戦いののちに笑って倒れることではないのか。

しかしまだやるべき事もある。私の役目はブロゴスフィアにとどまり一枚の地図を描くことであり、一個の眼球となることであるネットしか場所のないあなたたちは、これからどこに行くのだろうか? そしてあなたは、どこに行くのだろうか?

今となっては叫び尽くされた感のある記事だけど、当時は2ch文化全盛で、ネット中が2ch空気一色だった頃の警鐘

そういう意味同意してスクラップしたんだと思うけど、多分上記の意図で保存してたんだろうという記憶しかない。

サイトは消えてるので転載していいかどうかもわからない。言ってることは古いけどまっとうなので個人的はいいかな。

作者的にどう思うかはわからんけど、実害はないとおもう。

2016-11-27

掛け算の順序には意味がある

私は,某国立大理学部数学科学生です.先日,掛け算の順序問題についてどう思うかと友人に尋ねられました.その際に,友人と議論したことを踏まえて,私の意見をまとめておこうと思います.

1. 掛け算の順序には意味がある.

 掛け算の順序には意味があります.インターネットには「掛け算の順序には意味なんてないのに,うちの子担任意味があると教えている! 文章題の採点も,"正しい順序"の式を書いていないと間違いにされてしまう!」と激怒する親御さんが度々現れますが,文章題の採点基準については後述するとして,なんにせよ,掛け算の順序には意味があります.

 小学校では,「3×4」を「3+3+3+3」で《定義》しているはずです(もちろん,「3×4」を「4+4+4」で《定義》してもよいのですが,そのように教える先生はいないでしょう.この文章では,以下「3×4」を「3+3+3+3」で《定義》しているものとして話を進めます.)つまり,「3×4」は「3+3+3+3」という《意味》であり,「4×3」は「4+4+4」という《意味》です。掛け算に意味がない,つまり「3×4」と「4×3」は同じ《意味》だと言う人は,「3+3+3+3」と「4+4+4」が同じ《意味であると言っているわけですが,そんな馬鹿げたことがありうるでしょうか.

 「でも,実際に3×4=4×3になるじゃないか!」と言う人がいるかもしれません.確かにそうなります.しかし,「3×4=4×3」とは,言い換えれば,「3+3+3+3=4+4+4が成立する」という定理なのであって,全く非自明なことです(敢えて"非自明"という言い方をしましたが,乗法交換法則を,小学生にも分かるように説明できる大人は,そう多くないのではないかと思います).

2. 文章題を「正しく」理解するということ.

 小学校における文章題の採点で最優先すべきは,「正しく」理解していない生徒にマルを付けたり,「正しく」理解している生徒にバツを付けたりすることがないようにすることです.

 さて,文章題を「正しく」理解するとはどういうことでしょうか.例を出して考えてみましょう.

問題:1皿につき5つの飴が入っており,皿は全部で3皿あります.さて,飴は全部でいくつあるでしょう.

解答例A:5×3=15 答え15個

解答例B:3×5=15 答え15個

 ここでは,実際の教育現場先生がこれらの解答をどう扱うべきかという話はしません.これらの解答を書いた生徒がこの問題をどのように捉えていれば,この問題を「正しく」理解している,あるいは「正しく」理解できていないことになるのか,という話をします.

 解答例Bについてのみ議論すれば十分かと思われますので,解答例Aについては各自で考えてください.

 解答例Bを書いた児童が, 例えば以下のように捉えているならば,この問題を「正しく」理解しているとは言えません.

生徒X:飴が1皿につき5個入っていて,皿は全部で3皿ある.従って,飴の総数は5+5+5=3×5=15個(※掛け算の《定義》が分かっていない)

生徒Y:数字の3と5が出てきたから,3×5=15個(※最も危惧すべきパターンです)

 逆に, 解答例Bを書いた児童が, 例えば以下のように捉えているならば,この問題を「正しく」理解していると言えます.

生徒Z:飴が1皿につき5個入っていて,皿は全部で3皿ある.従って,飴の総数は5+5+5=5×3,ところで掛け算の交換法則から,5×3=3×5=15個

生徒W:皿は3皿ある.もしも1皿につき1つの飴が入っていたとしたら飴の総数は3である.ところが,実際は,飴は5個入っているから,飴の総数は3+3+3+3+3=3×5=15個.

 要するに,「3×5」という立式をする際に,「3+3+3+3+3という計算をするのが妥当な状況である理解している」あるいは,「5+5+5という計算をするのが妥当な状況である理解しており,かつ,掛け算の交換法則理解している」状況のとき,「3×5」と立式した生徒は,この文章題を「正しく」理解していると言えます.

3. 実際の教育現場での採点基準について.

 2.での議論を踏まえれば自明に分かる通り,立式だけでは必ずしもその立式をした児童文章題を「正しく」理解しているかどうか判断することはできません.従って,別の方法判断せざるを得ないわけです.私は,式を書くスペースの他に,図や文章説明する余白を設けて,児童記述させればいいのではないか,と思います.授業中に,そういう説明の仕方についての指導も行えばなおよいのではないでしょうか(式を書くだけでなく,その説明もするという訓練はとても大切なことですし,理解度が深まることも期待できます).もちろん,式は正解になりうるが説明欄が意味不明という状況もあるでしょう.そういう児童に対しては,個別に「これはどういう意味なの?」と訊き,十分な答えが得られたら正解にしてあげるべきだと思います.「そんな時間や労力はない!」などと言われそうですが,理解していない生徒がマルをもらったり,理解している生徒がバツをくらったりする現状は,やはり異常ではないでしょうか.

追記1.

ですから先生は,掛け算の《定義》を児童にきちんと伝えておくことが必要だと思います.

追記2.

インターネットには,Zは可換環から云々との意見がありますが,小学生にとって自然数は,極めて素朴な対象として存在しているのであって(人類にもかつてはそうだったのでしょう),従って小学校算数は,小学生にとっても直観的に明らかな事柄から,内容を自然拡張するようにカリキュラムを組むべきだと思われます.掛け算を習ったばかりの小学生にとっては,「×」は可換環Zに定義された乗法ではなく,前の数を後ろの数の回数だけ足すという記号です.

他人に興味を持てなくなった。

他人に興味を持てなくなった。

人が何をしようが、誰を好きだろうがはっきり言ってどうでもいい。

恋が面倒くさくなった。ときめかなくなった。タイプ人間が分からなくなった。

恋人がいなくても寂しくなくなった、自由になった。

LINEが面倒くさくなった、SNSに触れなくなった。誰が何を更新しようがどうでもいい。

アイコン写真自己満足を褒めるのも飽き飽きした。

なぜ、いつから、そうなってしまったのか分からない。

気持ちを偽って生きてきたからなのか。

他人のことがどうでもよくなってしまった。



一度だけ、猛烈な片思いをした。

同じ中学校クラスメイトだった。誰にも好かれる明るい人で、親友になることができた。

隣にいれるだけで幸せだったけれど、愚かなことをしてしまった。

告白をしてしまったのだ。彼ははっきりとした拒絶をしたわけではなかった。

ただ目を見開いて、その後おかしそうに笑った。

冗談やめろ」

本気だと言いたかったがヘタレ自分にはそれ以上言葉を告げることはできなかった。

それから距離は少しずつ、確実に、離れていった。

今、LINEにその人の名前はない。

自分好きな人自分を好きになってくれるとは限らない、同性なら尚更。



少しずつ、他人距離を置くようになった。

全てを他人に見せることはなくなった。

カミングアウトをすることも、本来自分を見せることもなくなった。

そうしたら急に他人がどうでもよくなってしまった。

笑って、笑って、少し泣いたけど、怒ることはなくなった。

元来短気な性格だったけれど、他人に怒りを見せることはなくなった。

今は周囲には穏やかと言われている。



他人に無関心になってしまったが、性欲はあると思う。

キスしたいとか抱きたいとか今でも普通に思う。

愛する人を抱きしめてみたいと思う。でも、過程を踏むのが面倒だ。

メールLINEマメな方じゃない。

関係継続させるのが面倒だ。

自分結婚しないし、これから恋人ができるとも思えない。

本当に思い切り、歪んでしまった。



ある女子は僕と話すことが楽しそうだった。

「〇〇ってほんと面白いよね」と笑顔で言った。タイプだなーとも続けた。

ごめん、僕は君のことなんて本当にどうでもいいんだ。

サークルメンバーから2人でも会ってるだけで。

いや嘘だ、本当は友達として好きだった。

その帰り道で告白された。嬉しいかと思ったけど、ちっとも心が動かなかった。

彼女と付き合ったら、何かが変わるのかもしれないとふと感じた。

白い肌に可愛らしい顔、僕は君になりたかったと一瞬だけ思った。

前にいるのが男だったら、性的対象だったら、僕は喜んでいたのだろうか。

キスはしただろうし、セックスもしたかもしれない。



以前は、タイプ男性を見たら胸がときめいてしょうがなかった。

けれど、もうそんなときめきさえなくなった。

この先、社会人になって、年を重ねる度に感情がすり減っていくのかと思うと、唾棄したくなる。

もちろんそんなことはしないけど。

他人に無関心なのは継続させることの面倒くささを知ってしまたからだ。

そのため、ワンナイトラブ出会い系利用も考えた。

性欲を全く知らない相手で解消したらどうなるのか興味があった。

でも恐怖心があるのも確かだ。

なんかそれに手を出したらヤバいみたいな固定観念自分にはある。

ほんっと面倒くさい人間である



自分でも消化しきれない、もやもやを吐き出した。

リアルでこんなことを話す気には絶対にならないし、仮に話したとしても相手ドン引きだろう。

なんてことはない、ただの大学生の戯言だ。

ヨナラニッポン(※フィクションです)

2016年日本で働いていた。

日本に行けばお金が稼げる。そのうえ先進国技能技術知識を身に着け、故郷凱旋して自国の発展に貢献できる」

そう聞いて、幼い頃からの憧れだった日本に行けるならと、あまり深く考えずに多額の借金をして日本へ飛び込んだ。アジアのなかで欧米列強に肩を並べるほどの豊かな国を築くほど優秀で、かつ、未曾有の天災が起きても一致団結できるモラルの高い日本の人びとに、最親日国の友として色んなことを学びたいと思っていた。

そんな思いでやってきた自分が置かれた状況は、予想だにしなかったものだった。

彼ら日本人は、私達のパスポートを取り上げて「言うことを聞かないと強制送還だ」と言い、技能技術知識のまったく身につかないキツい労働を半ば強制的押し付け最低賃金を下回る報酬しか払おうとせず(未払いやサービス残業も横行)、「外泊は直ちに強制帰国、違約金50万円」や「恋愛は警告。聞き入れない場合は違約金20万円」などという独自ルールを作り、私達の人としての権利を縛った。

この状況に愕然とした。日本の人びとは日本人同士で助け合うものの、外国人途上国限定)を人として扱ってくれなかった。彼らを友だと思っていたのは自分だけで、彼らからすれば農耕馬かなにかと同じ感覚だったのだ。

騙された。

いや、正直安い労働力として期待されていることは承知していたが、人として接してもらえないとはゆめゆめ思わなかった。

もちろんなかに制度趣旨理解して高い技能を伝播してくださった企業や、友として接してくれた人びともいたようだが、それはほんの一握りで、日本国際社会国連国際労働機関から再三の是正勧告を受けてもなおこの人権侵害労働強制を続けていった。

知っていたら絶対にこんなところに来なかった。

そんな過酷環境に耐えきれず、失踪する者があとを絶たなかった。失踪者たちはパスポート労働許可もないまま窃盗などの犯罪グループに加わった。かばうつもりはないが、彼らには借金があり、もはやそこしか逃げ場がなかったのだ(※日本に来るためにブローカーなどに借金をするが、その額は母国で何十年働いても返せる額ではない)。

年々我が同胞犯罪検挙数が増えていくとともに、日本人の私達に対する態度や扱いはますます厳しいものになり、ますます失踪が増え・・、という憎しみのスパイラルに陥っていった(※2016年国籍別で中国を抜いてトップ犯罪検挙数・検挙率となった)。

そんな両国関係悪化していく状況のなか、犯罪に走ること無く三年間の労働期間を終えて母国に帰った自分に残されていたのは、人を罵る日本語バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ」、それだけ。結局、金も技能もなにも残らなかった。朝から晩まで会話を必要としない農作業で、宿舎と言う名のブタ小屋共同生活同胞だけの暮らしだったので語学を学ぶ機会はなかった。それに、好きになれない国の言葉積極的には覚えようとはしないだろう。

いま思えば、人生いちばん伸び盛りの時期に、なんて無駄時間を過ごしてしまったのだろう。どうしてあのとき日本になんか行ってしまったんだろう、そう深く後悔したものだ。

それから10年、我が国経済成長5〜7%前後を毎年キープし、安定的な発展を遂げた。多くの人々が一家に一台自家用車を持ち、家電嗜好品を買い求めるようになった。運良くこの成長の波に上手く乗った私は、不動産で財を成して国内トップ20に入る資産を築いた。政府関係者とも太いパイプを持つことができ、国政にも多少の影響力を持つようになった。

この一億総中流の消費市場で躍動しているのは、中国韓国、そして欧米各国の企業だ。クールジャパン実態はただの冷徹日本人だったことがわかり、ASEAN諸国からの「憧れ」を失った日本ブランドは各国で輝きを失い、次第にシェアを落としていった。

日本企業自国市場が縮小していくなか、アジアの成長する市場でモノを売っていくしか生き残る道がないことを誰もが分かっていたはずなのに、あのとき私達を隷属させた代償として自らのブランドを毀損し、その機会を逸してしまったのかもしれない。

新聞でチラッと読んだが、高齢化がより一層進んだ日本では社会保障やら国防やら国政の課題もさることながら、屋台骨だった自動車産業米国IT関連企業に食われるなど、経済もいろいろ大変らしいがそんなのどうでもいい。

日本と聞いただけで、あの奴隷主のように振る舞う日本人を思い出して気分が悪くなる。もう二度と行くこともないし、とにかく日本にも日本人にも関わりたくない。日本プロダクトは一生買わない。

ヨナラニッポン。

バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ。


2016/11/29 はてブから

たくさんのはてブありがとうございます

興味を持って頂いてとても嬉しいです。

日本にもこういう皆さんがいることを、あの国の人びとに伝えたいと思います

ベトナム人刑法犯が中国人抜く」中国人件費上昇等諸々の事情外国人技能実習制度対象中国からベトナムに変わった結果。私たちベトナム人申し訳ないことをして、彼らを犯罪に追い込んでいるのだ

ほんとおっしゃる通りで、世界で最も親日国(97%親日である国の人々をわざわざ追い込んで反日を量産している状態です。

ずいぶんとアホだなと思いますし、日本未来(=若い人たちのこと)を全然考えていないですね。

途上国工場でやっていたことが、労働者を招くことで実態が見えやすくなったのだろうね。オチ日本的奴隷労働自国民をこき使う経営者になっていたがよかったかも <<

2016年11月現在ですと、これほど過酷現場だとさっさと辞めますので成り立ちませんね。

人材流動性めっちゃ高いですし、何より残業より家族との食事を大切にする民族ですゆえ。

借金をさせた上にパスポートを奪って流動させないところが日本業者さんのあくどいところですね。

からこそ反発も大きいです。

技能実習制度で学んだ「技能」が母国でどれだけ活かされているか政府が成果を全然アピールしない時点でお察し。

お察しの通り、今まで会った方で「役に立った」と言ったひとは0人です。

日雇いやってるから実際の現場で見る光景は壮絶だよ。若い女の子日本語学習の機会すら与えられずに機械の隙間から噴出するスチーム浴び続けて顔面水疱塗れにして毎日12時間以上5000円の日当で働いてた。

そういうことを見聞きした同国民はすごく怒るんです。

日本人よりも人と人との距離が近くて、血のつながっていない他人なのに親戚の子みたいな感覚で怒ります

また、仰る通り大抵の現場が「日本語学習の機会すら与えられず」なんですよね。

これも結果的に「日本に行った意味はなかった」になる要因です。

>もろノンフィクションやん。 大丈夫だよ、あと数年で 日本人九州の大噴火で 大半死ぬから

いやいやいや。死なないでください。

>これだけ日本語が書けたら金になる

ありがとうございます

もっと上手く書けるよう精進してまいります

さよならニッポン、また来てジャポン

重めのエントリー一服の清涼剤をありがとうございます

>シン・ニホンシネ

もったいない言葉です。

でも、日本に死んでほしくないので書いている向きもあります

http://anond.hatelabo.jp/20161126203842

脱税はほどほどにな。

実際に税務調査が入ると飲食した相手との商取引実態まで調べられるよ。

個人事業の経費の対象って厳しいからね。

2016-11-26

chomado とその "囲い" を叩く人間は終わっている

まずはじめに断っておくと、自分は chomado ではないし、また chomado の "囲い" でもない。

chomado, あるいは chomado によくリプライを送る人間を "囲い" と称し、ボコボコに叩く人々を Twitter でよく見る。彼らを見ていると本当に腹が立つが、その理由自分でもよく分かっていないので幾つか思いついたものを書き出す。

  • 普段は「大きい主語は使わないべき」だとか、(上にも書いたが)「技術に誠実であるべき」とか言っているにも関わらず、自分からそれをどんどん破っている。

ここに挙げたような理由意識した上で "囲い" をボコボコに叩いてる人間ほとんどいないだろう(そう言われると腹が立つかもしれないが、chomado とかに自分らがしていることと同じことだ)。

こういう「叩く」行為正当性が与えられる理由があるなら教えてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20161126103808

から違法栽培は取り締まり処罰対象にし、特区のみ許可する、と

それが現時点で既に難しい、というか破綻している

取り締まるためのコスト許可地と完全に切り分けることもコストが掛かりすぎる

で、許可はされないだろう、と

http://anond.hatelabo.jp/20161126043806

先生だって交換法則くらい知っている。

これだよね

ネット上だと少ない情報でそれ以上ソース確認せずに自分脳内判断する人ばかりなせいか基本的相手馬鹿として扱いがち

そのほうが楽だし自分オナニー対象とにするには最適だから

根っから逆張り野郎なので

掛け算も足し算も順序はある派。

x+dxをdx+xとか書かれたらキレる。

掛け算も、小学校ルールと逆順に書くときは、「掛ける数は演算子」だと認識するようにしている。

「3.9+5.1=9.0」は減点対象 小学校算数の“奇習”が議論に

これも「9.0は減点」に賛成派。「有効数字ガー」とか言ってるバカがいるが、有効数字を考えるなら、例えば「3.9+5.01」なら8.9を正解にして8.91は不正解にしないと整合性が取れない。算数じゃなくなる。

畢竟これらの議論は、「数学的に同値だが形式的に異なる記述について、それらに異なる文脈的意味を持たせたり、一方のみを「適切」とすることにどれほどの理があるか?」という問題帰着する。この観点を持つと、「理あり」とされているものは実は多くあることに気づく。

たとえば分数の約分。ふつう最終的な解に「2/6」と書けば減点対象だ。(でも、この書き方だって有用性はある。ピザを6等分した後なら「ああ二切れ分だな」とすぐわかるが、「1/3」だとわからない。)

小学校なら「帯分数」とかいう謎の書き方もあった。あんな奇妙な書き方、中学校以降で書いた覚えがないのだが、小学校少なくともある時期は「5/3」というような答えは減点対象だったと記憶している。

こういった「既約分数で答えよ」「帯分数で答えよ」という暗黙ルールは、「足し算・掛け算はこの順序で書け」「小数点以下の0は省略せよ」というのと本質的に同じだ。数学的に同値な書き方のうち、一方をなんらかの意図強制させているのだ。

どのルールにも、それを強制する意図がある。「約分できることに気づかせる」「5/3は1+2/3であることを理解させる」「かける数とかけられる数、という役割の異なる数字があることを認識させる」「なるべくシンプルな形で書くことを心がけさせる」など。それに意味あるかないかは、教わった小学生たちが決めることだ。小学生たちから自分判断する」ことを奪っちゃいけない。

ネットに渦巻く算数教育への批判には、なんというか愛がない。小学校教員の知性への信頼も、小学生たちの知性への信頼も、全然ない。「こんなことを教える先生は頭がおかしい」「小学生にはこんな教育は混乱を招くだけだ」。そんなはずはない。先生だって交換法則くらい知っている。

小学生にも、もっと自分考える力があるはずだ。「掛け算は交換法則が成り立つが、割り算では成り立たない。なぜか?」「かける数とかけられる数には違いがあるのか?」こういった問いかけに、自ら考えさせることこそ教育だ。子供が持ってきた答案用紙に×がついているのを見て、「先生が間違っている」という「答え」を教えてはいけない。「君はどう思う?」と問いかけることから教育が始まる。