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2017-05-25

リモートワーク

導入して失敗してる会社があるけど、そもそも従業員を信用してないor管理が難しい規模の人数が所属している場合ってまだ難しいのでは?

しかも大部分に一気に適用しようとしてない?

あと、会社に来て働くのと家で働くのを比較しても効率的になることはないのでは?

これまでと変わらないのが最上で、そりゃ監視下にいないし、一定の成果すらあげられればなにやってもよさそうな感じするもんだし。それ以上の生産性求めるならリモートワークやるべきじゃないような。

本来なら家庭事情とか出産とかを契機に辞めていた人が辞めずにすんだ場合リモートワークの効果がでた、というわけじゃないのかな?

疑問符がいっぱい。

2017-05-24

組織崩壊すると言うこと。

ビジョンミッションが大切ですとどこぞの戦略コンサルタントがしたり顔してありがたいお言葉をくれるたびに、んなものどーでもいいじゃないかと本気で取り合ってこなかったけれど、いま目の前に広がる組織構成する人の繋がりのこんがらがった状態を見てはじめてビジョンミッション意味があるモノなんだなと納得してきた。いや、正しくは今じゃないな。少しずつもう以前から分かっていたのだけれども、何とかなるだろう的な超楽天的な考え方にぶらさがり見ないようにしていたかも知れない。

あなたは人を殺せと言われて、殺すことができるだろうか?そんなことを実際にいう組織はそうそうないと思うけれど、要は自分が今まで培ってきたいまさら変えられようもない価値観を壊すことができますか?という話。組織崩壊するのは決定的に価値観が合わない人同士が同じ組織の中に存在する場合に起こりやすいのではないか最近考えるようになってきた。価値観根本的に合わない組織に人が投げ込まれしまった場合どうなるか。その人はほぼほぼ間違いなく鬱状態に陥る。考えてみて欲しい。人を殺したくないのに周りからは人を殺してこい簡単だやってみろ人殺すことにより人が評価される社会ではそれが当たり前のように話されているのだ。思えば、前の会社はそれに近い状態だった(決して人殺し強要した会社ではなかった。比喩だ)。恐ろしいのはひな鳥のうちから企業としては一般的でなく平均的にもならないほどのあり得ない価値観をすり込んでいるので「会社とはそうゆうものなのだ」と納得して仕事をしている歯車大量生産されている会社だった。ひな鳥たちはその会社ブラック企業とは思わずに自ら進んで喜んで残業をする。もちろんサービスだ。社員の平均給与募集時の提示金額は嘘っぱちで実際は業界平均よりも低かった。自我があり、自ら考えておかしいのではないか?と疑問を持つモノほど心がやられて病気になり会社を去って行った。心がやられないのは疑問を持たずに目の前に提示されたことを黙々とこなす社員のみ。社長はそれを望み社員もそれを望むというお互いの利害関係が一致する関係が築かれていた。表面上は平和だ。表面的には。そんな会社にも「世のため人のため」を謳ったビジョンミッション提示されていた(そのためにはお前ら馬車馬のように働けと圧力がかかっていた状態だったためか、そのビジョンミッションを空で暗唱できる人はだれもいなかったが)。だからビジョンミッションなんてものは何一つ有用じゃないんじゃないかと考えていた。ビジョンミッション価値観の共有なんてできやしないんだと。でもそれは今所属している企業を見ていると間違っていたのかもしれないと考えるようになった。いまの会社は人を殺してこい!なんて酷いことは言わない。むしろ隣人を愛しなさいと説く。価値観は合っていると思っていたのだったが、なにぶん困っているのは「隣人を愛しなさい」というビジョンミッションに対してとりうる手段が個々人で異なりすぎるのだ。人を愛すためにという大命題のもと私は1日6時間だけ働きますという人。1日8時間は働きますという人。7日で25時間だけ働きますという人。すべて人を愛すためなのですと理由をつける。うちの会社が隣人を愛し続けるために、競合の会社破壊してきますという人もいるのを見るにつけ、それでいいのだろうか?と旗と考える事態になった。やっかいなことに、その行動がもたらす影響を横に置いて考えてしまうと、その行動を引き起こしている動機は皆善意なのだ。人を愛したい。隣人を愛すために愛すために愛すためになのだ。そう、ばっちりとビジョンミッション効果的に効いているわけなのだ。ということで、改めてビジョンミッションは、達成に向けた手段粒度も併せてすりあわせをしておくことの大切さを最近実感している。何より、組織の途中からビジョンミッションを作るのではなく、一番最初に作っておかないと行けないのではないかと思うに至った。ある程度人が集まった状態ビジョンミッションとその達成手段手段方向性までを再構築すると確実に組織がいったんは崩壊する。いまの組織ではこれから改めてビジョンミッション提示することになるので、どんなにお互いに対話を重ねても重ねても価値観が合わない人は離脱するだろう。いやすべきだ。その人が鬱病になってしまっては不幸なのでしかるべきところで離脱してもらわないといけないのだ。

多くの会社はいったん崩壊するべきなのかもしれない。

2017-05-23

2年間通ったアイドル現場他界した

たまたまネットで見かけたPVを見たその日から、彼のことが頭から離れなかった。

動画を見るうちにどんどん夢中になり、今までアイドルなんて興味もなかったのに現場にも通うようになった。

はじめは気が向いたとき程度だったが、気づけば現場のために毎週夜行バス東京地元を行き来する生活をしていた。

CDリリースされれば握手会写真撮影のために同じものを120枚以上買った。

そのうち本業だけではお金が回らなくなり、夜職を始めた。

=====

推しは繊細な人だった。見る人によっては病んでるようにも見えるかもしれない。

元気で明るいキャラではあったが、追っていくうちに自己肯定感が低く小さなことで悩みがちだと感じるようになった。

何度も何度も握手会でかっこいいよ!今日ダンスよかったよ!と言っても、調子よく茶化されたり全力で否定されたりしてその度に悲しくなった。

ブログ活動のこと、今後のことについて悩んでいるのを見ては自分も病んだ。

でも推しのことでこんなに悩めることが幸せで仕方がなかった。

悩んで悩んで、それでも笑顔で頑張っている推しが心の底から好きだった。

繋がりたいとかそういう感情はなく、ただただ傷を隠して輝こうとする推しが人間として大好きだった。

ずっとずっと活動を休止するまで追い続けると信じて疑わなかった。

そんなこんなで追い出してから1年半ほど経ったぐらいから、推しは活動の幅を広げていった。

もともと所属していた別のグループアイドルしてではなくイベントをすることも多くなっていた。

このころから以前に比べて病んだり悩んだりといった発言が少なくなっていった。

本当にアイドルとしてではない活動が今のやりたいことであると伝わってきた。

それがどうしても許せなかった。私は葛藤しながらもアイドルとしてステージに立つ推しのことが一番好きだったのだ。

自分が一番好きな推しは、彼にとっては一番好きな自分ではないことがたまらなく悲しかった。

周りの道丹は他グループ現場にも足を運んでいたが、私はついに一度も行かなかった。

素直に応援できない自分が嫌でどんどん病んでいった。

気づけばあれだけ毎週通い詰めた現場にも行かなくなっていた。

同時期に他界隈のイベントに行くようになった。

推しを作る気はなかったが、明らかに私はそちらに心が向いていた。

でもあれだけ好きで時間お金も費やした推しから心が離れているのを認めたくなくて、周りのオタクには忙しいから行ってないだけで他界推し変もしないと強がっていた。


そんな状態のまま半年が過ぎた。

私が彼を推す前から彼らが目標にしていた大きな舞台でのライブがあった。オタク仲間から誘われ、当日券も出ており、何度も行こうと思ったが、結局は行かなかった。

私が好きだった推しとは変わってしまった推しがそこにいたらどうすればいいのだろうと不安だった。

もう好きなふりはできないと思って、大きなライブが終わった次の日に私は上がるともなんともつぶやくことなtwitterアカウントを消した。

スマホにいっぱいの握手会レポート写真は消せなかった。

今にして思えば、推しが幸せそうなのを一緒に喜んであげられなかった時点でオタクする資格はなかったと思う。

最後まで見届けられなくてただただ申し訳ないが、推しの今後の活躍を祈っている。


もしこれを読んでいる中に3次元の推しがいる人がいたら、推しの幸せは全力で喜んであげてほしい。

私も次に推しが出来たら、今度はちゃんと推してあげたいと思っている。

http://anond.hatelabo.jp/20170523113050

まず前提からして間違ってる

「ムカつくやつは殺したい」と「思わない人間」も普通にます

そこ自分基準で考えすぎ

 

そしてなぜ実行しないのかというと単純な話、それをやると自分不利益になるから

社会ルール公益性っていうのはちゃんと個人総体的利益に直結するようにできている

じゃなきゃ民衆否定するから維持なんてできない

信号を渡らないようにすることは結局自分らが得するから守ろうとする

生活保護とか刑務所更生施設とかも結局やったほうが全体が得する=個人にとっても得するから

倫理的に良いとか悪いとかはそういうマクロミクロ的な利益客観的説明する教育者存在しないのと

こどもには理解しづいから「どうとく」の授業で教え込まされる、それが親の教育しつけであったり

日本には宗教がないっていうのは道徳形成に神を使わないか

元来宗教っていうのは社会ルールを浸透させたいけどお前みたいなバカにも分かりやすツールとして使われてきた

でも日本には神がいないから代わりにそこは「世間様」になってる

世間様に悪いと思われることはすんなってことで教え込まされてる

 

ちょっと脱線したが要するに意識無意識で理性が利己的な判断をした結果が

「ムカつくけどこいつを殺さないでおく」

という判断になる

まり結局のところ利己的に判断しているにすぎないから理性で抑えられる優しい人ではない

それは法律道徳そいつの凶暴性に勝利しているだけでそいつ自身の凶暴性はちゃんと担保されている状態

から信じて送り出した法律道徳が負けた瞬間にアヘ顔になってそいつ包丁で暴れたり首をしめて殺したりする

人間の本性は絶対に変わらないからこそ対抗するために法が生まれ

薬であり飴である法を舐めてる限り大人しくしていられる

それが統治社会

戦争が起こるのは異なる統治社会同士だから相手を殺してもオッケーになる

同じ飴を舐めてる奴同士で殺し合うのは法が保障している利益を損失するからNG

 

ちなみに法、集団間での決め事やルール、しきたりの歴史は古く

マンモスを食べ歩きしてる時代から埋葬する=弔う習慣が確認されている

動物にしたって集団行動するものボスがいてそいつが法になる代わりに

所属する個体はその恩恵を受けるから逆らわない

それと全く同じ

他の動物ボスに逆らわないように大人しくできてるのにボスに逆らう猿はそれが本性

逆説的に言えば本性を隠せない時点でそいつ人間性が露呈しているのであって

理性=その人の本性だとしても第三者に元の性質が露呈した時点でお前の主張も覆されてる

まり酒に酔って暴行暴言してる時点でそいつの理性が本性だとしてもそいつの理性はくそってことになる

本当に理性あるなら酒をほどほどにしておくとかできるだろ

2017-05-22

ワンチームっていうけど

所属、志、技術力、評価給与形態、勤務体系まで異なる者同士をかき集めて

一方的に「お前らワンチームとなってサービスつくれ!」って言われてもワークする訳ねーよ。

ワンチームなんて響きの良い言葉を繰り返し聞かされて胸糞悪い。

お前、それ免罪符ちゃうぞ。

給料下げられた。

給料下げられた。

今年から新たな給与制度導入された。

年功序列をやめ、評価に基づいて昇給等を決めるものだ。

上司面談を行い、目標を設定し、半年ごとに進捗を確認し、年度末に評価を得る。

俺が得た評価減給

業績は目標を大幅に上回ったのにも関わらずだ。

その理由は「主体性がないから」。

「与えられたことしかしていない。」「コミュニケーション能力がない」と言われた。

意味が分からない。

ここ1年、ずっと自発的仕事をしてきた。

所属部署業務5割以上は俺が担ってきた。

新しく入ってきた社員には分かりやすマニュアルを用意したうえで仕事を教えた。

同僚や違う部署の人から質問されたら、どんなに忙しくても手を止めて答えた。

同僚や他部署人間たちとも良好な人間関係を築いた。

部署を悩ませてた諸問題解決してきた。

ちゃんと客観的な結果を残した。

それなのに減給された。

素敵な指示書とともに。

指示書にはつらつらと俺の人格否定する言葉が並んでた。

それらを改善するための行動計画書を作成するように指示された。

すぐに分かった、だれがこの評価を下したのか。

入社1年目の時に課長だった人だ。

あの人は俺を個人的に嫌っている。

目標設定の際も現在の直属の上司に、散々俺の目標についてケチをつけていた。

上司に嫌われた人は仕事できても出世できない。

そんな日本企業における常識は知ってる。

きつく当たられることも仕事のうちだってことぐらい苦いけど呑み込んでる。

だけど、結果出してるし、周囲に具体的な害を与えたわけでもないのに、減給にするなんてやりすぎじゃないか

これはパワハラと言ってもいいんじゃないか?

駐在の憂鬱

とある国で駐在妻をしているが、恐ろしいほど駐在妻同士で価値観が合わなくてしんどい

大体の人が結婚旦那所属収入海外駐在可能性を考慮した上で結婚している。

悪い言い方をすれば自分人生旦那寄生して過ごしている。

そのため会話をしていても話に深みがなく薄っぺらくて辛い。

会話の大部分は誰それの奥さんがどうのとか、旦那さんがどうのとかである

あとはなぜか学歴の話も上がる。

一方で私は会社の一時休職制度を利用して駐在に帯同している。

駐在している国の第一言語の取得はもちろんのこと、キャリアプランに有利なことは全て行なう

自分の将来のキャリアプランや成し遂げたいこと、こどもの将来の道筋教育費、教育論に関するオススメの本など

こんなことを話せる人がいない。

特に女性キャリアに関しては女子大に出て商社インフラ男子を捕まえた人がすごいという価値観蔓延しているので、

もちろん私の価値観とは合わない。

どちらの話題が崇高であるとか、陳腐であるとか、人の価値観によって違うので、それはここでは問題でなく、

ただただ日本語自分が話したい話題、討論が出来ないのが辛い。

2017-05-20

気になる子がいる

どんな子かというと

いつも一人でいて馴れ合おうとしない

トイレにも一人で行く

休み時間自分の机で常に下をむいて勉強をしている

からといって成績がめちゃくちゃいいわけでもない

クラスには学年一位の子別にいて、その子は割りと明るくてフレンドリーな感じ

ひたすらひたむきにがりがり勉強してる

朝も早くきて勉強してる

こないだ学校帰りの駅までの道すがら見かけてがんばって話しかけてみた

おもったよりも楽しくおしゃべりできたと思うけどやっぱりどうしてもこえられない壁を感じる

ももっと仲良くしたい

仲良くなりたい

なんで、ってきかれると困る

別に理由なんてないか

ただ気になる、仲良くしたいって思うこと自体理由

着替えのときとか体育のときかいつも気にしてしま

自分所属してるグループはあるけどあの子はいつも一人だから

強さへの憧れもあるのかも

近づきたい

少しだけでいいか

http://anond.hatelabo.jp/20170520135211

友達が少ないことは他人と比べて劣っているわけではない

そして、友達と遊ぶことだけが理想の過ごし方とは限らないから、自分時間自由に使うのも大事なことだと思う

それでも誰かと一緒に居たかったら、何かのコミュニティ所属すればいいんじゃないかな

自分最近引っ越してきて、会社の知り合い以外に友達いないけど、近くにある卓球教室に行き始めた

年代の人はいないけど、年配の人に地域のことを教えてもらったり、地元中学生練習したりしているとすぐに時間が過ぎるし、かなり気持ち的には充実してる

終了

IngressはEnlightenedとResistanceの双方が成り立って成立するゲームである。従って、片方が潰れた時点で終了する。

おめでとう。EnlightenedはResistanceに勝ったのだ。

現行のResistanceはBluePlanetJPが仕切っている。

Tokyo Anomalyの敗北の原因となった連中であるTokyo Anomalyは負けるべくして負けている。

Tokyo AnomalyでのBluePlanetJPの作戦はたったこれだけである

ResWue https://ops.irde.net/iitc/reswue.user.js

poponta http://ik1-317-18986.vs.sakura.ne.jp/iitc-plugin/poponta.user.js

ResWueはオペレーターがフィールダーにどこどこに行けと指示するツールであるレスラーという隠語で呼ばれている。

popontaは免疫計算ツールである

あとは免疫情報登録するデータベースがあったらしいが、これは開始10分でサーバーが落ちている。

オペレータがpopontaを用いて免疫情報を取得する。その情報免疫情報データベース登録する。

それらの情報を基に本部から指示がResWueを通じてフィールダーに送られる。

これ以外は全て現地の裁量とされた。

免疫情報データベースは開始10分でダウンし、ResWueも開始1時間後に2時間にわたってダウン。

このダウンに対し、本部はResWueのミラーサーバーを探る作業をし、フィールダー対応を一切しなかった。

まりフィールダーは一切の情報なしでAnomalyを戦っていたのだ。

ResWueはミラーサーバーの利用はすぐには出来ない。このことを本部は知らずに2時間もの間、数千ものエージェントをほったらかしにしていたのである

この様な事態があり、BluePlanetJPはAnomalyから外れることとなった。

だが現在BluePlanetJPが仕切っている。Setouchi Anomalyで大敗北を喫したからだ。

Setouchi Anomalyは西日本方面Resistance集団が仕切っていた。

"高松に絞ってポータルを8割取れば勝てる"

誰がこんなとんでもない作戦を考え採用したのか全く意味不明だが、Setouchi Anomaly本部資料に堂々と書いてある。

結果、高松に絞っても得点率はEnlightenedが上回るという結果に終わった。

やっぱ俺たちがいなきゃだめだなと言わんばかりにこのタイミングでBluePlanetJPが入り込んでいることを確認している。

これで何も出来ない集団が完成である

現行のResistance本部はおおよそ50名が所属していると聞く。

Global Shardの対応を行ったのも彼らだ。結果は書くまでもない。惨めの一言

本部の中は誰なのかというと、Global ShardのResistanceポスターを数時間内に共有していた連中で確定だろう。

Tokyo Anomalyで指揮をとった連中も含まれている。

現行のResistance本部は誰にも意思決定権がない。全員が持たない。

最初に持ち上がった案がそのまま適当に出力される。中身がない。

から外部から意見が入ることはない。ただただ上から物事を言うだけ。

そのくせ本部なんて存在しないと意味不明妄言を吐く。

これで勝てるわけがない。

BluePlanetJPといえば情報漏えいが一番目立つ問題だった。

Anomalyの作戦内容がだだ漏れなのである。ResWueの情報すら明らかに盗まれている。

おそらくGlobal Shardも漏れていたに違いない。

そして今後全てのイベントにおいて作戦内容が漏えいすることは確定だろう。

BluePlanetJP SlackにEnlightenedがいたように、本部ハングアウトにEnlightenedがいると考えていいのではないか

こんな状態で誰がResistanceに協力しようと思うのか。

地元で弾の撃ち合いをしていた方がよほど楽しい

しか現在Ingressにおいて地元での弾の撃ち合いは塵活動いである。

現状、Resistanceは中規模作戦を実行する人材にすら逃げられている。

作戦をしては失敗、成功してもしこりが残る。何も出来ない。数群れて辛うじて地元を守っている状態

挙げ句の果てとうとう利用規約違反行為を推奨しているIR※※が出現している。

Resistanceは潰れてしまったのだ。本部という自慰集団によって。

これにより2陣営による戦いが不成立となり、Enlightenedの勝利と冒頭で表現した。

実際今後のイベントは全てEnlightenedの勝利で終わるだろう。

それともNIAのお膳立てでResistance勝利イベントが出現するのだろうか。いつぞかのイベントのように。

2017-05-19

左翼売国奴

外国と比べて、日本左翼国旗を仰がない、他国日本を売る売国奴などと聞くが

こういう言説の問題なところは、今の日本の国政と「自分達・自国で作り上げた国」と比較しているところだ

現在日本体制は、アメリカによって作られアメリカ規定した国家制度アメリカ庇護のもとで存在している

つまるところ、おおよそにおいて、国家象徴するものが「自分たちのものである」と言う点が希薄なのだ

全てにおいても、特に国旗国歌にしても、「アメリカにとって都合が良かったから」と「アメリカに許されたから」でしかなかった

自分たちのものでない以上、自分たちアイデンティティとはなりえないし、それが象徴として認めえるかは、「自分たちで作り上げた」民主主義国家と比して感情の複雑なものになる

個々人の許すか許さないかに大きく左右される

占領からまり、そこから日本には「アメリカ所属するか」と「アメリカ所属しないか」に分裂していて、ずっとそれが続いているだけの話だ、愛国だの売国だのと言う話ではない

アメリカ以外がロシアであり中国であることはあるがは時代によって変遷するが、結局のところ、両翼の思想において国の主体としての日本と言うものは実のところ存在せず、いわゆる右翼のいう所の愛国と言うもの虚構

大まかに、アメリカ統治を認めるか=右翼アメリカ統治を認めないか左翼と言う構図でしかなく、アメリカを認める=(現在の)日本肯定する=(虚構としての)愛国となるだけだ

売国奴と言う理屈も、中国ロシアを敵とする前提があって、それに利するから売国奴となるが、そもそも中国ロシアが敵であるというのはアメリカと組するという前提から生じている

アメリカと手を切って中国ロシア協調すれば、それだけで単純に立場が逆転する

宗主国アメリカとするか中露とするかの違いでしかない

もちろん、中国と組すれば即座に占領地になり、チベットのように虐殺圧政を受けるという危惧も当然だろうが

北朝鮮北ベトナム、バングラディッシュと、隣接した社会主義国中国有効ながら属領とならずにいる国もある

しろチベット反中国だからこそ攻め込まれ支配されている(勿論、侵略による圧政など否定すべきだが(ここは強調しておく))

個人的に、どっちかマシかと言えば自由主義に組するアメリカではあるのだが

それでもアメリカ所属することを愛国と言い張って、宗主国選択で競い合ってるだけの相手売国奴などと、どちらも国を売ってるだけの状況で偉そうに言える言葉ではないように思える

国を愛してるとかじゃなくて所属してる組織で後ろめたさ感じてるんだろ

でもそういう人間を説得するのも左派の役目の一つな気はするんだけど煽ってる奴が多いのは残念

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

警察水道だけじゃない…県境をまたぐイオンモールはややこしい

京都府木津川市奈良県奈良市にまたがるイオンモール高の原読売テレビ『ワケあり!レッドゾーン』では、境界協会小林政能さんが警察管轄が分かれること、水道料金は両市に払うことを説明していたけれど、イオンモール高の原にはそれも含めていろんなルールが。

分かれる警察管轄

イオンモール高の原が、同じく市境をまたぐ奈良登美ヶ丘、京都桂川四條畷と違う点は、警察管轄が分かれるということ。そのため、両府県警は造成工事のころから協議を続け、事件事故に備えてイオン(当時)に境界線を引くよう申し入れをすることになった。その結果、イオンモール高の原だけ通路階段駐車場、そして電機整備室にまで線が引かれている。

ただ、もし府県境の真上で万引きなどが起きたとき権限争いが起こるかと言えば、あらかじめどちらの警察担当するか決められており、通路に線が引かれていても専門店の中にはない。駐車場担当が決まっているのか、車止めが2色に色分けされている。

実際には京都府警がまず急行

電話を両市から引くことはないため、実際にはどこで事件が起ころうともモール内の防災センターを経由して京都府警に一報が入ることになり、京都府警がまず駆けつける(携帯電話場合奈良県警のことも)。

巡回には両方からやってくるが、防犯訓練やイベントは両方のときと片方のときがある。

消防点検京都側におまかせ

防災訓練消防点検などは京都側が担当する(よそでも同じで、例えばイオンモール京都桂川だと京都市Honda Cars 奈良中央 高の原店だと奈良市)。

消防車は両方から

火災発生時も警察同様、電話関係京都側に入電するが、そこから奈良市消防局にも出動要請する(携帯電話場合は逆もあり得る)。一方、救急は入電した側が出動し、いつも両方から来るということはない。

税金は面積按分

固定資産税は面積に応じて両市が分け合う。法人市民税奈良市側の店が木津川市に申告する問題が起きたが、両市が協議した結果、実際の店舗位置判断することに。一方、地方消費税は入口が京都府からと全額府に計上されていたが、奈良県が数億損をしていると府と総務省に猛抗議したため、その後は面積比で分けられている。

最低賃金京都府だけど

奈良側でも京都府最低賃金適用される。ただ、以前は「高の原店に研修に行った時奈良最低賃金がどうたらって裏に書いてあったんだけど」といった声も。

プレミアム商品券は使えたり使えなかったり

スク革や東京カルチャーカルチャーなどで、京都側で使えないと紹介された奈良県商品券奈良側では使えるのかというとそういうわけでもない。地方消費税の税収が少ない奈良県は、奈良側のみ参加を認めているので、平城遷都1300年記念プレミアム商品券(2010・2011年)、せんとくんプレミアム商品券2011年)では県の方針に従ったが、生活応援せんとくんプレミアム商品券2014年)、せんとくんプレミアム商品券2015年)ではなぜか全店舗で参加を見合わせた。一方、奈良市京都側でも使用を認めたが、マクドナルドについてはイオンモール奈良登美ヶ丘(奈良県生駒市奈良市)の生駒市側では使えるのに対し、何故か高の原では不可。

モール全体の住所はひとつだけど個々に違う番地が

商業施設の住所決めは法務省管轄になるが、法律上の決まりはない。高の原京都側のフロア面積が広く、事務所京都側のため京都府木津川市相楽台1-1-1。大店立地法に基づく届出先も店舗部分がより多く属する方の都道府県となる。

一方、登記は2か所にしており、モール内でゆめはんな歯科クリニックとポシブルはなぜか住所が奈良市右京1-6-1で、サンマルクカフェレシートだけ奈良市。また、京都府の住所も木津川市相楽台1-1-1と相楽台1-3が混在しているが、店舗の入れ替わりに伴って相楽台1-3は減少しつつある。

市外局番は単純

木津川市の0774。公衆電話も同じで、置かれているタウンページ京都府宇治山城地区版。イオンモール高の原のある平城・相楽ニュータウン京都府奈良県奈良市)は、ネットが普及するまでタウンページが分かれていることが不便だった。

水道は両方から

奈良市水道局京都府水道の両方から供給される。京都側は水道代が高いことから地下水を利用する企業も多いが、イオンモール高の原では使用していない。

分別ルールが2つ

搬入口は京都側と奈良側がある。また、廃棄物は発生した市ごとに別々のルールで分けないといけないため、ごみ集積所が2か所。

映画館奈良側なのに

映画館奈良市側にあり、『Yahoo!検索大賞2016』奈良県部門賞にも選ばれたが、興行場法条例に基づく営業許可京都府が出し、府の青少年健全な育成に関する条例適用され、生活衛生同業組合京都興行協会所属している。そのため、近鉄奈良駅近くの映画館が閉館した際には、徳島市映画館がなかったのに「県都で唯一 映画館ゼロに」と報道され、山口市映画館がなくなってからも、なぜか奈良市けが新聞全国放送バラエティ番組ロケットニュース24ちちんぷいぷいなどいろんなとこでないない言われる羽目に。

保健所

基本的京都府山城保健所管轄

計画停電

2012年関西電力計画停電では、緩和対象だった。

高さ制限

建設時、古都の眺望を守るため奈良市側のみ31m高度地区指定されており、木津川市側は制限を設定する考えはないとした。しかし、隣接する用地(現在の増床予定地)の売却を前に、木津川市都市計画審議会で高さ制限と斜線制限を設けた。

子育て支援パスポート事業

もともと5店舗が『きょうと子育て応援パスポート』に協賛。その後、『なら子育て応援団』の協賛店が登場し、さらに『きょうと子育て応援パスポート』も奈良を上回る数に増加したが、イオンモール高の原公式サイトでは奈良のものけが案内されている。

図書館

イオンモール高の原が建つ平城・相楽ニュータウン京都府奈良県奈良市)には奈良市北部図書館があるが、京都側の住民は貸出ができないため、建設が予定されているイオンモール高の原の増床棟に図書館のスペースを設ける話がある。しかし、東京オリンピックによる資材高騰で計画は進んでいない。

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518154357

最近コンサバ定義不明所属バラバラ存在

あらゆるところから自分らに都合のいいもの引っ張り出してパッチワークしそう

 

その結果なんざ知りたくもないがね

http://anond.hatelabo.jp/20170518145434

お前…酷いぞ…最初眞子様の事なんて1ミリも書いてない上に割とお前の話ばっかで…

挙句合コンした事無いだとか社会人で初なのも珍しくも何ともないぞ。ICU校風がそうだとしてもICU以外でも所属クラスタ次第では普通の話だぞ。

意見交換会合コンと言い換える冗談気持ち皇室への真面目な敬意は時にせよ場合にせよ分けてる人は多いからな。手前勝手に菊の御紋で他人様を殴る様な真似は控えなよ。

最後に、紳士的な合コンしてる人達の事も思い浮かべような。

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517210700

日本のいわゆるエリート層は、子供の時からいかにして「他の人が作り上げて完成した内容をより効率よくやるか」によって人間としての価値を決められて来るからな。

日本Googleを作る」発言も、既にGoogleという完成されたビジネスモデルがあるからそれを効率よくやれば同じように成功できると信じて疑わないんだろう。

アメリカ名門校では経済的多様性を重視してすげー貧乏な片親家庭でも入学枠を設けているけど、日本名門校じゃ金持ち自慢の成り上がりコネ子供を押し込めてるから個性どころか自分たち所属している所得者層以外のことなんてハナから視野に入ってない。

時々フィクサーみたいにコミュ力が異常に高い貧乏家庭出身人間がそういうやつらの中に取り入ることはあるけど、そういう層に入った途端にもといた貧乏人層を卑下して搾取する側に回ってしまう。

日本クリエイティブなんて育ちませんよ。

2017-05-16

最近増田殺伐としてる理由

IT格差地域格差・酒煙草等の自分が優位に立てる話題サンドバックにして叩いて満足

最近自分所属クラスタ話題になったせいで蜂の巣をつついたような騒ぎで喧喧諤諤

2017-05-15

国、地方にかかわらず、安倍自民党はめちゃくちゃ

国、地方にかかわらず、安倍自民党はめちゃくちゃ。

 1 週刊文春が昨年1月にスクープ 極右ファシスト安倍晋三パリテロが起きて俺はツイてる。」

 2 安倍自民大西氏がまた暴言今度は「巫女のくせに何だ」と一般市民攻撃「誘って札幌の夜に説得をしようと…」とも

    自民党大西英男衆院議員は24日、所属する安倍派の総会で、衆院北海道5区補欠選挙(4月24日投開票)で自民 公認候補への支援を依頼した巫女(みこ)が「自民党は好きじゃない」と語っていたことを紹介し、「巫女のくせに何だと思った」と個人攻撃さらに、「巫女さんを誘って札幌の夜に説得をしようと思った」性欲チャレンジ発言も連発した。

 3 安倍自民党世界一安全とほざく高浜原発4号機緊急停止2・29 安倍自民党世界一安全とほざく高浜原発4号機緊急停止2・29送電スイッチ・オン⇒ピヨピヨピヨ警報

  

 4 災害を喜び高級料理を食べて「あははは」と笑う安倍

 

 5 平沢勝栄戦時中アジア虐殺しまくった旧日本軍を「英霊」と祭り上げる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に所属。よくも「保育所落ちた日本**」のブログを「汚い言葉」などと言えたものだ。安倍自民党にはあきれて開いた口がふさがらない。

 6 安倍自民党今井絵理子・実は女子中学生風俗へブチこんだ内縁の夫がいた

安倍自民党公約の「ウソ」 

今井絵理子シングルマザーでがんばってます⇒実は内縁の夫がいた。

今井絵理子は障がいのある子供のためにがんばります⇒その内縁の夫は女子中学生風俗へ。

などなどまだまだたくさんある。

http://anond.hatelabo.jp/20170515161815

恋愛で同じような状態になり、恋愛を諦めた。

圧倒的大多数の人が結婚している社会で、いかに一人で生きていくかを考えている。

圧倒的大多数の人がどこかの企業所属している社会で、いかに生きていくかを考えるのも一つの手だと思う。

2017-05-14

どの程度信じるか

こないだスポーツ万能説以外を認めないおかしな人に当たったんだけど、信じる範囲って難しいじゃない。

たとえば、こういう問題がある。

  1. Wikipedia記述が怪しいかブリタニカ百科事典を買う。
  2. ランサムウェア流行ってるのでポートは塞ぐが、セキュリティが万全であるかどうかわからないし、自分でも安全だと思えない。専門家の言うことをひとまず信じる他ない。
  3. 食料品が安全かど言うかはわからないので、農家に赴き育てているところを実地で見学しつつ納得して購入しなければならない。

自分経験がある以上、認知バイアスなどを考慮してもそれを信じる他ない。

信じるものがない人間は指針を失うという問題もある。

例えばある仕事をなした経歴を持つ人が、俺はこの分野に絶対の自信があるんだと言ったとしよう。

ところが時代の節目にあたって全く通用しなくなってしまった。それはその人が悪いのか?

頭は硬いかもしれないが悪くはない。上述した専門家の話にしたところで、ある程度肩書で信用する他ないところも出てくる。

またその専門家の言説を保証する所属や経歴までついてくる。この肩書興信所でもなければ多くの場合確認しようがない。

冒頭のおかしな人は、仮説で進むしかない事項に対してレメディ並みの信心だと言い切る人物だったのだけど、

大変違和感があったので、「それじゃ根幹までたどればお前が今存在してる理由から不確かだ」、と投げつけてはいる。

最もその言い分は相手馬鹿すぎて通用しなかったが。

しか自分が慎重にも仮説扱いにしている事項は実体験を含むものだった。

何歩も譲っていると言わざるをえない。

まあ、いちゃもんに対してこうして真面目に考えるのもやりすぎかも知んないけど、

ただWikipediaに関しても、下手すりゃ海外の元ソースだって信用ならないケースだってありうるわけだ。

どこまで根っこをたどるのかと。

全然元を知らない人が誤認識で述べたことが広まって、常識として定着した挙句段々と変容してゆく、ということだってありえる。

座長を断ればよかったああああああ

研究会につまらない論文投稿してしまった…一応論文としての体裁はなしているけど、研究費取るために書いた予備実験で、とにかく出来が酷いんだ。

あああああ、座長を引き受けてしまった学生セッション学生論文の方が、トップカンファレンスに通っていて、俺の論文の百倍おもしろい。

偉い先生の前で、お前が座長をした学生の方が、俺の論文の百倍優秀であることがバレてしまう。

あああああ、あああああ…

座長を引き受けなきゃよかった。でも、学生セッション座長から学生を育てるために必要としてもらえたのかな、と思ったんだよ…

しかしたら僕に恥をかかせるための策略だったのだろうか…?

まぁ、確かに、僕が恥をかいたところで、僕の所属機関ではこんなつまらない研究しかやっていないと思われるだけの話だから、頼んだ側には一銭の損もないわけだ。

そうだったら時局を読めない自分ミスだ…あああああああ…ごめんよごめんよごめんよ…

失敗したなぁ…大失敗だ。

2017-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20170513203707

慰安婦設立文官(っていうか軍所属か)だった中曽根元総理謝罪しに行ったほうがいいのね

インドネシア台湾日本府に慰安婦呼ぶように申し付けてるだね

その後、台湾日本府でどこかの寮長してただね

中曽根

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