はてなキーワード: 能力とは
よくあるトラブルは、 『こういうつもりじゃなかった』で何回修正させられるか?
100回修正したら100倍値段かかるけど?(ラフに)という話。
発注慣れしてると、発注する方が自分の希望をうまく言えるから、少ない修正回数で決められる。だから当然安い。
もちろん、ヒアリングしろよ!悟れよって話もあるが、ヒアリングしたり、悟ったりするのは硬度な技術なので技術料をいただくから高くなる。コンサル料ってやつだな。
名前が売れているところは看板守らなきゃいけないから、逃げられない。だから、まぁ ご新規さんは修正回数多めに見積もって高くなる傾向にある。
ただ、数百万持って行っても逃げる奴は逃げる。
あとよくあるのは、安い=修正効かない。とかだな。イメージと違っても直してくんない。もしくは、修正にかねかかる。
結局、値段よりも人としての信頼関係。
NAVERまとめは、時間はあるが、職歴もスキルもない人間にとって、おそらく夢の様なサービスです。なぜなら、毎日がっつり投稿をすれば、会社に勤めずに月の生活費が稼げるようになるからです。
FaceBookで「気づきをシェア(笑)」するよりも、アフィニートを目指すならNAVERまとめを活用するべきです。
でも、なぜNAVERまとめが、他のネットサービスに比べてお金を稼ぎやすいのでしょうか?
シンデレラが王子様と結婚できた理由は一言で表現できます。舞踏会に参加したからです。いくら良い美人でも人に見つけられなければ、意味がありません。同じように、ネットのコンテンツも人が見に来る場所になければ、PVは稼げません。その意味でNAVERまとめは理想的です。PVは一億4000万を超え、訪問者数は1300万Over。超人気のアフィブログに匹敵する数字です。
要するに、はじめから超人気アフィブログに記事を投稿するような恩恵を得られるのです。NAVERまとめでは、どんな適当感あふれるまとめでも大抵2000~5000のViewを出しています。ブログをまともにやってきた人ならば、ここまでたどり着くのがどれだけ大変か理解できるはずです。
つまり、NAVERまとめは、現時点でブロガーにとって最強の「強くてニューゲーム」です。
すごく単純化して言うと、毎日投稿するようなユーザーなら、10000PVにつき、1200円の収入を得られます。そこそこの内容のまとめなら、5000PVは稼いでいるので、2記事作成で1200円です。2記事作成に1時間かけるとして、一日7時間作業をすれば、8400円です。30日やれば、24万円で大卒新入社員程度のお金が稼げるようになります。
もちろん、この限りではありません。
ネット特有の爆発力で、一つの記事が数十万PVを稼ぐことは「ザラ」にあります。たとえば、ひとつの記事が10万PVを稼いだ場合、それだけで12000円の収入が入ります。慣れてくればこの「ホームラン」を連発できるようにもなるでしょう。
さらに、6ヶ月連続で一定の成績を出し続けた場合、報酬レートがあがります。すると、10000PVにつき、2100円が受け取れるようになります。この状態で、上記の投稿ペースを実行した場合、口に出して恥ずかしくない程度の収入を得ることもできるようになるはずです。
副業、小遣い稼ぎとしても超優秀です。一日1記事を投稿するようなペースで続けた場合、月3万円程度の所得になります。月に1万円を稼ぐアフィリエイターが1%しかいないことを考えれば、この数字がどれほど驚異的かわかるでしょう。
人間の力関係は「選択肢の幅」で決定されます。外食産業に勤めているような従業員は、転職市場で評価される能力がない故に、ブラックな命令を聞かざるを得ないのです。他に選択がないのですから、冗談のような残業時間にも『耐える』という選択肢しかありません。が、『耐える』という選択を続けていると、いずれ『過労死』という選択肢を押し付けられます。
この構造をNAVERまとめは崩すことが可能です。自宅で、それほどスキルがなくても、時間さえあれば誰にでもできる。かつ稼業としてやれば、生活できる程度のお金は稼げるからです。これが「選択肢」となり、ブラック企業からのバカみたいな命令を拒否する根源にもなります。
ネットで誰でもできる「キュレーション」は、ワタミ的なるものへの、とてもスマートな反撃になるでしょう。
参考URL
http://d.hatena.ne.jp/gamella/20120222/1329860995
http://anond.hatelabo.jp/20120223004052
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
学力差の無い集団に入っていたほうが、劣等感を刺激されずに済むじゃない。
>いくら努力をしても結果を出せない
>強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
この書き方では、この二者は同等でしょ? 「社会」が「勉強が出来ること」を「強者の条件」として設定しているから、「いくら努力しても結果を出せない」人間が出てくる。
「社会」が、一人一人の能力の評価を正しく認識できないから、自分の能力をきちんとアピールできない人たちは「結果が出せない」んでしょ。
だいたい、人間は、どんどん変化していくんだから「過去の付き合い」なんか持ち出しても、現在信用できない理由にはならない。
で、今はどうなの? 懇意にしているの?
橋下大阪市長が府知事時代におこなった、自由主義的な行政改革を応援はしていたものの、
島田紳助の盟友だった、という事実のせいで、今ひとつ、彼を信用出来なかった。
なぜ、左翼連中に叩かれながらも懸命に働いている彼を信用出来ないのか、自分を責めたことすらある。
島田紳助は昨年、暴力団との親密な交際が発覚したという理由で引退したけれども、
本当に責められるべきはそこではなく、吉本の女性社員を、人気のない部屋に引きずり込んで、
壁に顔面を4、5発以上もたたきつけ、ツバをはきかける……という、度の越した暴力事件を起こしたことだ。
立場の弱い者に対して、数々の暴言や暴力をふるいつづけていたことが、ときおり報道されていた紳助。
彼の嗜虐性、異常性、卑怯性、利己主義ぶりなどは明らかだろう。
そして橋下は、紳助の暴力行為が発覚した後も、紳助の番組で長い間、人気弁護士として活躍を続けていた。
確かに弁護士は、人格が最低な人間の人権を守るために、活動しなくてはならない場合だってあるだろう。
だが、紳助の番組に出演する主な理由は、弁護士の矜持とは別物だ。
もしも橋下が倫理を重んじるタイプならば、紳助の暴力行為が明らかになった時点で、潔く番組を辞めるべきだった。
しかし、橋下はそうしなかった。
義理もあるだろう。
紳助がよっぽどうまく立ち回り、橋下ら「先生」には、自分も含めた芸能界の汚い部分を見せようとしなかった……
そんな可能性だってある。
それに、もしも橋下が番組を降板していたとしたら。
自分が裏切られたと感じた紳助が、橋下を許しはしなかったに違いない。
当時、芸能界に大きな支配力を発揮していた紳助によって、芸能界から干されてしまった可能性だって、ある。
そのことだけで、橋下という男の人間性を判断してはいけない……と自制していた。
ところが、である。
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
彼らにとっていたわるべき弱者は、強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
真の弱者、無能者や低能者に共感する能力が、完全に欠けているんじゃないのか。
それが彼らに共通する価値観なのではないのか。
努力をしても結果を出せない、という事実に思いを馳せる想像力、共感力が彼らにはない。
怠惰な連中を排除するのにはおおいに賛成だ。
だが、弱者が人並みの努力をして、人並みの結果を出せないことは責められるべきことなのか?
橋下らは、弱者が他人の数倍の努力をおこなうことは当然だというのだろう。
だが、他人の数倍の努力ができるのは、それだけの体力を持ち合わせた者に許された特権。
それが彼らには理解出来ず、共感も同情もできないのだ。
橋下の目には、帰国子女という恵まれた立場でありながら吉本のマネージャーをしている女性などは、努力を怠った無能者に見えたのかもしれぬ。
「無能者へ暴力を振るう人間」を許容できたから、橋下は紳助と盟友であり続けたのではないのか?
怠惰を改めない左翼でもなく、弱者を侮蔑する右翼でもなく、真実は真ん中にあるのじゃなかろうか。
怠惰を改め、無能者の努力を評価する。努力をおこなった強者は果実を得るが、その分、低能者の失敗もカバーする。
そして、お互いが尊敬し合う……それが私の目指す社会であり、橋下を応援出来なかったのは、彼と目指すべき理想が異なっていたからなのだ。
つまり会社への忠誠心とかじゃなくてひたすら高い能力のある人を望まないと潰れる会社か。
巷には就活用のノウハウが山ほど転がってるけど、どう考えても足りない所がある。
人事だって社内の様子は知ってるので「ああいう人が一杯居たら嬉しいな」「ああいうクズを社内に蔓延らせたら終わるな」という視点があると思う。
大抵の会社にいるその「クズ」は「働かない理由を何とか見つけてクビにされない程度にのらりくらりと生きたい給料泥棒」とか「社内政治が第一目的でその為なら会社の転覆をも厭わないアホ」とか「周りの士気を削ぐのが生きがいなナルシスト」とかでそいつらを増やしたくないのは間違いない。下手にクビを切れないこの社会では、そんな奴らばかり入れたらドロ舟の崩壊は進む一方だ。
でもそういう「クズ」達も新卒の時は目を輝かせて「有能な私を雇えば御社の業績が良くなること間違いなしです」と喧伝して入ってきた訳で、異口同音に同じ事を言う新卒の言葉から本物を発掘するのは難しい。
だから「クズ」が時々見せる兆候には目ざとい。「本心では全く働きたくない」「何とか騙して給料だけ貰えればいい」こういう思考が垣間見えたら即祈る。そういう思考をするのは自由だけど、毎年1000万近い大金を会社が拠出してまでホワイトカラーとして養ってやる理由にはならない。そもそも働く気のない人に頭脳労働は任せれないので、自ずとそういう人は肉体労働に就いてもらうことになる。
「クズ」は働きたくないでも高い給料は欲しいという思考で生きてるから、そこから捻り出てくる戦略は能力アピール。学生時代にどんな能力や知識を身につけたかを面接で得意げに話す。バスケ部の主将だったとかなんかの論文で賞を貰ったとかバックパッカーとして漫遊して珍しい知見を得たとか。
こういう話をするのはあんまり良くない。
企業は「どんな高い能力を持っているか」ではなくて「会社のためにどれだけ力を発揮してくれるか」にしか興味がないから。
その視点のない「クズ」候補は延々と自分のレベルの高さの話しかせず、それでどういう働きをしたいかについての視点の話は全くしてこない、働きたいと思ってないからそんな話ができない。
まぁ人事はそういう「クズ」を避けるためのフィルターを持ってるから、そのフィルターを抜けるよう考えないとダメ。クズは過去の経験や名誉を武器にしてくるから、同じ戦略を取ったら疑われる。
結局は「就職後もサボらず会社の利益を考えて行動し続けれます」という言葉にいかに説得力を持たせるかというプレゼンテーション勝負だと思って掛かったほうがいい。
http://d.hatena.ne.jp/illusion566/20120221/1329823404
方法論は大企業向け、というチグハグ感があって、原則論になりえないと感じます。
むしろ転職向けって感じなのかな。新卒採用を前提にしてるならちょっとコレジャナイ感が強いです。
少なくともさっきの記事の原則を守れば、
就職活動においてわけもわからず1次で落とされるってことはほとんどなくなると思う。今書いているESのチェックリスト的な使い方もできると思います。
これって一次面接とかそのレベルを目的にしてるよね。最終面接で受かる人間の思考じゃないよね。
当たり前だけど、ベンチャー企業でもない限り
新人にそんな「自己PR」と「志望動機」で「即戦力です(キリッ)」みたいなの言われても、
再現可能性という名前の「俺流問題解決力」よりも、
会社のやり方を効率良く学んで発展させて行ってくれる学習性獲得能力の方がよほど大事だから。
っていうか一時期の就活本にたしかにいっぱい載ってたね、再現可能性。
多分お勉強好きな人なんだと思うけど、その教科書もう使えないから捨てたほうがいいよ。
院卒とかドクターならともかく、
大卒程度の中途半端な能力を一生懸命アピールする奴って一番「使いにくい」印象与えるからな。
だって、その能力が生かせない仕事になったら急に腐りそうな気がするもんな。
そもそも強い動機を持ってない奴が、アピールに足る能力を持ってるとは考えない。
もちろん志望動機は聞いてあまりに変なやつなら弾くこともあるけどさ、
基本的に、言葉でどうこう言えるような志望動機なんか参考にならないよ。
サービスだから、一番印象がいいのは何か教えておいてあげるわ。
会社は今どういう状態で、だからどういう人にどういう働きをして欲しいかを
本当に理解してくれて、だからこそここで働きたいって言ってくれる人ね。
企業があなたを採用する理由は、あなたがその企業の利益拡大に貢献できるから。正直あなたの志望動機自体はどうでもいいんです。
では、なぜ聞くのか。それはあなたの能力が発揮されるフィールドが自社にあるのかどうか面接員がイメージするためです。
面接員は自社の事業内容や風土について思いを巡らせながら「この能力、うちで発揮されるかな」「どこの部署で発揮されるかな」ということを考えています。
あなたの文章もそれっぽいことは書いてるんだけれど、まだ「雇ってもらいたい学生さんの思考」でしかない。
まだ会社との距離感が遠い。まだまだ観念的。なによりも目の前に人間についての興味がないというのが致命的。
どれだけ口で偉そうなことを言ってても、それは学習された知識であって、ほんとうの意味で思いやりがあると感じられない。
「利益拡大に貢献できるから」じゃないんですよ。そんなもん、面接で判断できるわけないし、しようと思ってない。ベンチャーはどうかしらんけど。
言ってることはあんまり変わらないんだよ。無理をしろって言ってる。
いや全然違うだろ。
こっちは会社とは関係ない事で精神的問題を抱えた人に今までと同じように仕事しろと言ってる。
下の方、※欄に面白い事書いてあるな。
いやさ、上司は「君を守る」って言ってたけど
30代で転籍って早くね?
君の言う通りだ。
判断能力のある人間が生きたいと思う限りは生きているべきだが、
判断能力がなくなったり、またあっても死にたいと思ってるなら、
死ぬ方が良い。
だから、誰かが俺を気付かぬうちに殺してくれないだろうか、と願っている。
しかし個人的には、この狂った主張がどのようにして生み出されるのか、というのが結構興味深い。
一周して、いつみても「まるで成長していない・・・」様子がすごい、というか、興味を覚える。
この人は今回に限らずマジキチ発言が多い。
思うだけならともかくわざわざそれを発言してるあたり、
いつぞやの「ソースは後から探しますおばちゃん」みたいなただの感情をぶちまける馬鹿と違って、
他人からツッコまれても、自分は論理的だというポーズを崩さないので、真性ではないかと考えている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
今の時代だと「認知1 亡き妻を愛している」と「認知2 再婚する」は矛盾しない。
なにかの宗教に属していたり、
あるいは幼少期に何かトラウマみたいなのを経験とかしてるとこの部分は矛盾として認識される可能性はある。
つまり、もっと相手のことを理解しようとする、自分の認識に疑問を抱く。
ところが、この人は今までの発言を見るかぎり、
認知不協和が怒った時に、自分の認識を疑うという能力が全く無いように感じられる。
いわゆる学習能力ゼロである。特に自分が正義、みたいに考えてるなら馬鹿といっても良い
そこでどうするかというと
「認知1 なき妻を愛している」を変更して「認知3 亡き妻を愛していない」とするしかない。
彼は自らの思考の修正、あるいは情報の不足を補うという行動が禁じられている以上、
一度発生した認知不協和については、「相手に対する認識をねじ曲げる」ことでしか解消する事ができないことになる。
そう考えると、生物学的にはどうか分らないけれど、なんらかの障害を抱えているという人になり、
専門的な知識のない私たちとしては「>そっとしておこう」が適切な対処ではないかともう。
まぁ私も彼がなぜこのような思考や行動を取るのかについて
「幼少時にトラウマでもあるんじゃないの?」などとゲスな推測をして認知不協和を修正しているのだけどね。
とにかくこうでもしないと不愉快を感じて「馬鹿」とか「キチガイ」という処理をしてしまうのでなぁ。
しかし、彼がこういう思考をとる理由はまあ適当にこじつけられる。
それを思うまでは信条の自由として認めるとしても、なぜわざわざ実名有りのプロフィールで発言する?なぜ?
最近の「ノマドな人々」を見ていると、昔の自分や未来の自分を見るようで、いろいろ身に覚えがありすぎて、正直こっちが恐縮してしまう。そんな自分から彼らの特徴を描出してみる。
彼らは、大体中の上か上の下くらいの知性の持ち主で、普通にやらせると、一通りの仕事ができるスキルはある。そもそも、ソーシャルメディアを活用して自分をアピールすることが出来る時点で、普通の人よりよっぽどアドバンテージがある。ただ、特定の領域で飛び抜けた能力を持っている訳ではない(ここがウイークポイント)。
にも関わらず、彼らがなんでバッシングされるような挑発的な言動をしてしまうのか。彼らは、自分のポジションがわからないのである。どうしたら、一番自分が成果を出せるのか、そのポジションはどうやったら見つかるか、それがわからないのである。なので、彼は共通して「実績が少ない」。だけど、自分に人よりかは能力がある事はわかっているので、そのいらだちからどうしても叫んでしまう。
別に卑屈になれと言っているのではなくて、本当に「人に世話になる感覚」がわからない。だから、「よろしくお願いします」「お世話になりました」のやり取りが出来ない。そのおかげで、せっかくの人脈もダメにしてしまう。
結局彼らは、「甘え下手」「愛され下手」なのである。人と適度な距離をとったり、相手を信頼したり、されたりするタイミングというのがよくわからない。だから、無駄に反発したり、自己主張が強く出てしまったりして、一部の人から反感を買ってしまう。
彼らは「自分を認めてほしい」のである。「こんなにいろいろな可能性を秘めた自分」「こんなにいろいろな事を知っている自分」を買ってほしいのだ。でも、残酷な事に、投資の事業はたくさんあれど、人に投資をする事は無い。投資家によっては「人に投資する」というかも知れないが、それもモノがあっての投資である。そうでなければ、稼ぐ奥さんの元で主夫でもするしかない。
はっきり言えば、「何か作れ」である。なんだかんだで関わりを持ってみようと思う人もまだいるので、今はまだチャンスがある。だから、事業の計画書でも書いたり、実際にソフトを作ったりして、「これが俺だ」というのを作るしかないのだ。そうすれば、まだ事態は良い方向に進む可能性がある。そうでなければ、子供扱いされて、今後とも肩身が狭い思いをするだけになってしまう。
一言つけて加えておくと、個人的には「能力がある人」は自信過剰でも選民思想でもなんでも持ってていいと思ってる。てかむしろ持ってたほうがいいくらいだ。その能力を積極的に社会に貢献するよう活用して欲しい。下手に謙虚だとその才能が埋もれちゃう恐れだってあるくらいだ。こんな出る杭打つ国だし。
で、思うのはそうでないたくさんのその他の「何者か気取りの」自信過剰の人達。何なのあれ?特に見た目がいいでもない、頭がいい訳でもないみたいだし、とりわけ話がおもしろいわけでもない。それでも何かを持っているのかなと思って少し探るように質問を重ねてみても本当に何も出てこない。けれども態度だけは尊大で、自尊心丸出しでなんだか自分のこと好きなんだろうなあという感じが見え透いている。
いや、もちろん自分のこと好きなのはいいですよ、ただそれと客観的に見た能力は別ですから。完全に。結果出してりゃあなたが自分のこと好きだろうが性格悪かろうがこっちはそれなりに評価するし、何もできないならそれに見合った態度でいて欲しいんですよね。上に書いたみたいに能力があって少し控えめな人とか本当によくいるんですよ。特にこの国では分別がある人程それをひけらかさないし、見せびらかさないよう目立たないよう腐心してることがすごく多い。そういうの時になんにもできないのにでしゃばる人がいると集団の最適配置が狂うんだよね。
もちろんここまでだけ書くと仕事のことなのかな、みたいになるけど、そんなでもなく、人とかかわる限り、複数人で関わる限りは本当によくある話。みんなで行く旅行先決めるとか、チームでのスポーツやってる時とか、ただみんなでおしゃべりしてるときだってそうだ。本当に上手くこなせたり、おもしろい話ができるやつじゃなくて、なんだか勘違いしてる奴がどうにもみんなの時間を奪って行ったりする。もちろん八分にしちゃえば?みたいな話もあるけどそういかない立場だったりそれも可哀そうかなと思ったりすることもあるんだよね。
みんながそれなりに、過剰でなく適切に空気が読めればいいんだろうけど難しいよなあ。教育というので改善できるわけでもなし。ああいうデリカシーみたいなのってどういう要因で決まってるんだろうかと本当によく不思議になる。
http://anond.hatelabo.jp/20110824130137
を読んだ。中々オモシロく読んだけれど、このヒトはちょっと「起業家」ってモノを勘違いしているフシがある。
僕は起業家で、インポーターである。海外から売れそうなものを日本に持ってきて、何らかの付加価値をつけて卸す。
また、自分自身でも最終消費者に売りつけるルートも持っている。そういう仕事をしている。
二十代後半の割りには良い収入を得ているし、それを得るためには徹底的に自分を売り物にしてきた。
考えても見て欲しい。輸入をやるには「カネ」が要る。どうしようもなく初期資金がなければ話にならない。
他に何が要る?ルートがいる。煩雑な貿易実務をやるためのスタッフも要る。無論、語学も要る、専門知識が要る。
そして何より、人脈が必要だ。ちなみに、これで必要なものの半分である。ここまでが「輸入するため」のもの、
この後に同じだけ、あるいはそれ以上の「売るため」の要素が必要になる。
最も、アイティーって世界はこういう泥臭い要素の全く無いすばらしくステッキーなところなのかもしれない。
いいコンテンツは羽根が生えたように消費者の下へ飛んで行き、製作者には莫大なカネが転がり込む、
そんな夢の国なのかもしれない。その夢の国では営業も要らず、また広告も価値を失い、ただ商品の本質だけが評価されるのだろう。
また、初期資金も要らずアイデアと技術は現金とほとんど等価であるようだ。すごい、素晴らし過ぎる。
泥臭い田舎モノの商人であるところの僕には全くわからないことだ。
しかし、僕が思うに元増田は起業家の未来を憂う前に、自分のオツムの具合をなんとかした方がいい。
そして、彼の意見に賛同した人たちは、とりあえずクスリを抜くことを進める。ラリってるよ、あんたたち。
起業家なんてものは「自分を偽装して売り込む才能」が全体の99%で、あと1%は誤差だ。
すばらしいコンテンツがあれば、それに越したことはない。しかし、「微妙なコンテンツ」でも売り込むのが、商人だろう。
そもそも、「すばらしいコンテンツ」なんてこの世には無いのだ。「すばらしいと多くの人が思うコンテンツ」があるだけだ。
商人がすべきことは「すばらしいコンテンツを世間に広める」ことではない。
「手持ちのコンテンツを世間に素晴らしいと思わせる」こと、そして儲けること。目的はこれ以外に無い。
逆に言えば、そのためなら何だってする。自分は天才で、これから先莫大な儲けをもたらす。
協力者や出資者、あるいはスタッフにそう思わせなければ、社長業なんてやれない。出来て当たり前なのだ。
「カンファレンスとかに呼ばれて、”僕は起業家だ。”というどうでもいいプレゼンをする」
ことこそ、起業家の最大のお仕事なのだ。それが資金を引っ張り人脈を形作る。
逆に言えば、どれだけいい商材を持っていようと、これが出来なきゃハナシにも何にもならない。
更にいえば、「自分でコンテンツを作る」なんてのはスマートじゃない。他人が作った、あるいは発見したコンテンツを
横合いからカスメとって収益ベースに乗せてこそ「起業家」だろう。
最近の起業家はなんかきもちわるい。「イノベーション」だのなんだの、ワケのわからない横文字やら人名を駆使する一方、
「どうやって初期資金を引っ張る?」だとか「税金どーする?」だとか「スタッフをなるべくカネかけず確保する」とか
その辺を全く見かけない。コンテンツそのものなんてこれをクリアしてからでお釣りが来るだろう。
起業家にとって一番大事なものはコンテンツでも能力でも技術でもない。出資者と協力者だ。
「自分を売り込んで偽装する」ことこそが起業家の本質だ。だから、起業家を目指す人たちは
どんどんブログで自分を売り込め、twitterで信者を量産しろ、出資者をふん捕まえろ。
それが出来ない奴がどんな良いコンテンツを開発したり発見したりしても、そんなもの絶対売れない。
起業家ってのは「売る人」だ。「作る人」じゃない。別に作ったっていいが、売ることが最終目的だ。
儲けを出す起業家だけがいい起業家だ。それ以外はゴミだ。素晴らしい技術や発想を持っていたところで、
そーいうゴミがいるおかげで、僕が儲かるんですけどね☆
思いだして欲しい、あなたは小さい時に誰かに頼まれたりしてとお願いされてした事で怒られた事はないだろうか
もしかしたら嫌だったけれど断れなかったのかもしれないし、単に怒られるような事だとは想像もつかなかったのかもしれない
そしてこんな風に怒られる「○○君にそうしろって言われたら何でもするの?先生が死ねって言ったら死ぬの?」
誰も死にたくはない、むしろこれは死にたくなかったからこそ他人の指示に対し自分で考える事なく従ったという側面も
あるのではないだろうか、幼い子供にとって親の存在は計り知れない程巨大だ、親にとっては大したことのない一言が
酷く子の精神に影響を与えもする、例えばこんな光景を見た事がないだろうか
と、誰しも一度や二度、いやそれ以上このような事を言われ泣き叫び許しを請う子供の姿を見た事はあるだろう
子供にとって親は絶対だ、従わなければどうなるのか、産まれてきたばかりの幼子は、親から見放されるという事が
即ち死を意味する事を本能的に理解できていて、必死でしがみつき傍に置いておいてもらおうと懇願する
そして、恐怖から逃れるために、従う事を覚え、親の言う事に対し判断する事や疑う事、自分の頭で考えて
本当に従うべきなのかどうなのかを考える事をしないようにする、なぜならそんな複雑な思考をまだ大した経験もない
小さな子供が行っても時間がかかるし、そもそも簡単には答えはでないし、判断の元となる経験がない
そんな思考をしている余裕があったら、怒られないようにするにはどうしたらいいか、そして“そのまま従う”事で
恐怖という問題から自分を守る、そもそもそうするのはよく聞くように“まだ分別のつかない子供”だからである
そしてその分別のつかない子供が“他者に従う事”を自分の判断で答えがでない事に対して適用しはじめる
それが、前述した「○○君にしろと言われたら何でもするの?」の答えだろう
決して何でもするわけじゃなく、自分の知識と経験で判断できない事だから従ったまでであり
死は生命の本能として理解できるからこそ自分が死ぬような依頼に対しては拒絶できるのだと思う
そして悲しきかな、幼児や児童はこういった思考に基づいていたとしてもそれを説明できるという事は稀であろう
それでは、親の立場になりもしかしたらしてしまっているかもしれない虐待、洗脳について考えてみよう
もしあなたに子供がいるならその我が子に対し何かを強制したことはないだろうか?
人間の子供はとても弱い、また弱く生まれる事で社会能力を吸収する期間を設けたともいえよう
そんな大事な吸収期間に強制を強いられた子供は何を身につけるだろうか
例えば、泣き叫ぶ我が子を無視したり、他の事を優先し後回しにし放置し待つ事を強制した後に面倒だなと感じながらあやしたり
例えば、親の都合、親の価値観で、託児機関に預け父母との別れの悲痛な悲しみを与え強制的に他人の下に預けたり
例えば、断乳、親の都合で設定した期間、個々の子供の成長速度を無視し周囲に合わせた機関が妥当だろうか
例えば、食事の強制、貴方の栄養管理が妥当だろうか、子供の舌は添加物などに敏感なのかもしれない
本当に必要な物を不味いと感じるだろうか、また逆に美味しいといって食べ過ぎる事から予想される弊害もある
例えば、教育の強制、お習字やそろばん、ダンス、水泳など、本当に行きたくて行っているだろうか、塾に行かせる理由とはなんだろうか
悲しい事だが、一緒に居る時間を減らす目的で教室や塾に行かせる親も居る
本当に子供のためになると思っての強制だろうか、また嫌々やった事でその子の身に付くのだろうか
例えば、子供はあなたが主観で選んだ玩具をすぐ飽きるかもしれないし、子供が自分で選んで買った玩具もすぐ飽きるかもしれない
飽きてはいけないのだろうか、飽きてなお面白くもない玩具で遊ばなければならないのだろうか
飽きるという事はその玩具の性質を理解したからじゃないだろうか、いつまでも何十年も飽きなかったらどう思うだろうか
また、もっとその玩具で遊びたいのに正当な理由なく時間規制を設けてそれを強制していないだろうか
子供は幼少期に満たされない満たされる事がないと判断した欲求を覚えると、成人後自分の自由でその欲求を満たそうとしても
満たせない可能性がある。テレビゲーム等の遊ぶ時間に厳しい規制があった人ほど、一生飽きることのないゲーマーになるのでは
ないだろうか
例えば、お手伝い、将来できないと困るという理由で本当は自分が楽したいという思いを達成していないだろうか
なぜ、皿を洗う必要がある、なぜ掃除をする必要がある、なぜ他人を助ける
自分のため、他人のためにそうしてあげたいという気持ちがあったからこそ生まれた人間の行動ではないだろうか
頼まれたからしなければならないのでもないし、命令されたからやらなければならないのでもない
それらの行動が自分また誰かの為になると思ったからこそする行為であり、人が人であるなら自然に発生する気持ちである
それらの気持ちが自然に発生するのを期待し待つ事をせずに、押し付けられ精神の発生過程にまで指令を下されたら
そうしてあげたいという気持ちが出て来難くなるのではないだろうか
してあげようと思っていたのに、言われてしまうとやる気がなくなるという気持ちはだいたいの人に経験があるだろう
その貴方の中に自然に発生した“言われるとやる気がなくなる”という気持ちが確かなものなら、きっと貴方の子供も
同じように思うはずだ、たとえ、たとえ自分の言葉、自分の文章構成能力でそれら意思を明確に親に伝える事が叶わなくても
世の中には様々な強制がある、どうして我が子にだけは怒りや不満の感情や、身体的痛みを与えたり想像させる事で強制してよいのだろうか
確かに子供は見境なくあっちへそっちへ勝手に行ってしまうかもしれない、親が安全を管理した危険の無い空間に留める目的で、子供を移動したり
柵を設ける事とは意味が違う、それらをしなければもっと危険な状況に陥りかねないからだ
では、果たして自分より強制力のある存在、保育園では保母や保育師、幼稚園教諭、学校なら先生、クラブなら監督やコーチ、塾なら講師
社会に出れば、上司や先輩、それらの自分よりも支配力のある人間に従う事、命令通りに行動する事が全て正しいのだろうか
自分の判断は介さないようにした方が自身の為になるのだろうか、確かに、判断材料に欠けたり判断の時間がなく言われた通りにしなければ
ならない事をあるだろう、しかし本来の目的と違っていたり、当初の約束とは違う事を貴方は支配者から要求されるかもしれない。
貴方は“貴方自身”を大事にしているだろうか
例えば、お使いや使いっ走りを貴方の意思を問うことなく頼まれたり命令されたり
例えば、何か他の誰かに迷惑になるような行為を業務上させられたり
例えば、人格を否定されたり
確かに、自分で考えることなく上からの指示や強制、命令を疑う事なく実行する能力は、奴隷として非常に優秀かもしれないし
統率者の倫理感、目的達成能力、社会正義に適っていて、貴方の想像を超えて貴方自身にとっての幸福にもなるのなら良いのかもしれない
しかし、どうだろう
筆者の主観かもしれないが、言える所で本当の気持ちを言ったり、不満ばかりがたまっていないだろうか
貴方は貴方の本当の気持ちを大事にしたいからこそ、そういった本音や不満がでるんじゃないだろうか
何かが間違っている、そう何か漠然とした思いがあるんじゃないだろうか
共感、他者を感じる事、他社の気持ちを自分のことのように感じる事
他人の喜びや楽しみを自分のことのように喜び楽しみ、他人の悲しみ、苦しみを自分の事のように悲しみ苦しむ
そんな人として大事な感覚をなぜかあまり使わないように使わないようにする親子関係が非常に多いのではないだろうか
社会生活は複雑で多重に絡みあっている
何かの社会的生活様式や行動を子供に理解させるのは非常に難しいので
本来の順序説明が面倒になり端折って、簡単な怒りや痛みから守る事を動機にした
行動の理由説明をした方が楽なのかもしれない
貴方は怒る時、怒る感情の理由や前提として
気持ちの奥底に“悲しみ”がないだろうか?
例えば、子供がそんあ方向に行ったら大事な子供が怪我をするかもしれない
例えば、そんな計算能力や文字の汚さでは将来誰かの為に何かしたいと思った時にそれをできないかもしれない
例えば、食の偏りが身体の健全な発達を阻害して、不健康等の元となり病気などで苦しむかもしれない
きっと、それらの起こりうる未来を想像し自分も悲しくなるし、子供にそんな思いをさせたくないと思うから
親として教育しなければならないと思っているはずだ
子供は自分が素直で正直である以上に、親である貴方にも素直で正直であることを望んでいる
大人になると他人の前で悲しんだり涙を見せるのは、恥ずかしい事かもしれない
でも子供の前ではどうか素直になってほしい、正直になって欲しい
たとえ貴方の説明が難しくて理解できなくても、表情や態度から何かもっともな理由があるのだろうと理解するだろうし
そういった経験がいずれ本当の理由を理解する時の助けになるはずだ
まず、親である貴方自身が自らの“悲しみ”“苦しみ”に素直になって、そう思うからこそ
子である貴方にもそんな思いはさせたくないと、させたくないからこそそうして欲しいんだと伝えてあげて欲しい
そして、これを読まれている貴方は、既にそんな時期はもう過ぎた、子育てはもうしてしまった終わったよと思う方もいるかもしれない
そうならば、貴方の娘や息子も貴方と同じ苦しみを将来の子育ての中で感じるかもしれないし、子育ての最中であるなら
今まさにそういった思いを感じているかもしれない
人はコミュニケーションを取る動物だ、その能力だけで今の社会を築きその恩恵に預かっていると言えなくもない
是非、素直な気持ちで過去を振り返り、その思いを子や娘と共有して欲しい
ここまで読んだ貴方にはその勇気がある、過去を振り返り、もし乗り越えて成長したいという思いがなければ
こんな駄文をここまで読む事はなかっただろう、人はいくつになっても成長できる
よりよい自分を想像し、また過去を振り返り思いを共有すべきだと考えるからだ
そう考えるからこそ他人の書いた文章を読み、自分の経験と照らし合わせ、そして何かを得ようとしているじゃないか
僕は貴方が本当にしたい事をすべきだと思うし
みんながそうあるべきだと思う
どこかで何かが少し噛み合わなかった事で、自分で考え、自分で判断し、自分の思いを成す事を
阻害してしまいっている要因があるのなら、それは自分の手で取り除く事ができる
とても勇気の入る事だ、自分自身を振り返るただそれだけでも既に多くの勇気を振り絞っただろう
メール、手紙、チャット、電報、FAX、また人から人へと間に人を介して伝えたり
人は様々なコミュニケーション手段を持っている
貴方が貴方の思いを誰かに伝えるだけでも、貴方は成長できるだろう
それは今日かもしれないし明日かもしれない何ヶ月後、何年後かもしれない
私が私らしく貴方が貴方らしくあるべきであるように、皆がそうあるべきだ
自分に正直に、自分に素直に、そして周りの人間にも素直に正直に
そういう世界を創っていこう。
@awaikumo
「やってくれると思ってたのに」とか「やってくれないから」などと
言い出すのにそろそろ私の気持ちの限界がきている。
私が新入社員の時からその上司と部下の関係になって早3年になる。
私が新入社員の頃から正直、指示や命令などが少なく、その上司をまたいでその上の上司(課長)から指示を受けるということが多かった。
それも本来は直属上司がしてないといけない仕事が新入社員の頃から私にまわってきていた。
その上、それについて何も連絡もうけてないのにいきなり「今日期限の仕事は出来てるか、聞いてるか」とその上の上司から
言われて初めてしったということもいつものようにあり、なぜか私がやらされるはめになっていた。
それについて強く上司にいっても「うん、わかった。」「ありがとう。」などといって終わり。
それでもあんた上司というか社員か!!と言いたいのを我慢してきた。
それがどんどんエスカレートしてきて、上司が自分でするといっていて途中までしかしてなかったことも
「やってくれると思ってたのに全然してくれないから」などと言い出してきて、さすがにきれそうになった。
そりゃあ、指示待ち人間になっているかもしれないが指示も命令も連絡もなければ動きようがないだろう・・・。
何も知らない人間がなんでもしていたら、それは人間じゃないだろ・・・。
その上、上司に仕事上私では調べようがない必要な質問すると「俺もわからないから」といわれる始末。
「だって、どうしたらいいかわからないし、やり方わからないもん・・・。
〇〇(←私)にやってよー。」とか言い出す有り様・・・。
なにかあると「教わってこなかったもん。大学行ってないから学んでないもん。」とか
言い出すのは本当にやる気をそがれるからやめてほしい。
社会人になって教えてもらえないのを理由にしてはいけないとまだわからんのかと・・・。
その上本部から新しく教わったことを覚えてくださいというと、「別にいいよ、〇〇がやってくれればいいもん。」と。
私がいなくなったら誰がするんですか。担当社員はお前か私しかいないんですがと。
私が異動になったら、あんたが教えないといけないんですがと・・・。
そんな私の気持ちが表れていたのか、部長に「この頃元気ないけど大丈夫か?」と言われ、
個別に応接室に呼び出されて
「Aの部署の仕事、好きか?人事にもまだ何も話もしてないし、君のところの課長にも何も相談していないんだが、
もし好きじゃなければちょうど人がいなくなって他のBという部署が困っていて、
君なら能力もあるし、能力を発揮できると思うからやってくれないか」
と言われたりもしました。
ただ仕事自体は今の部署の仕事が好きなので、評価はありがたいけど丁重にお断りしました。
http://anond.hatelabo.jp/20111223010012
勝手ながら一人ではないと励まされていました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
以下便所の落書き。
やらせない女は負け。
単純に、「セックスしたい男(彼氏)にセックスしたくない女(自分)とセックスできる女(お店の子)を選ばせたら、後者を選んだ。選ばれなかった自分涙目www」という話。
でもやっぱり無理だなんかきたないよきみ。
「風俗から帰ってくるの待とうかと思ったけど、私に対するデリカシーないし性病うつったらどうすんのふじこふじこ」という話。
で、私の話。
クリスマス前に戻ってきた娘はまるで腫物のようwwwケーキうまいwwwwチキン最高wwwww
で、心の広い素晴らしい友人がぼろぼろの私に付き合ってくれたのですが、
ざっくり斬られました。「処女をダシに使うんじゃない」と。
「結婚してくれなきゃ処女あげないぞ星」ってただの取引、脅しじゃんと。
目からうろこでした。
あと性行為に夢を見すぎでした。そんな今どき「みんな初夜に初めてしたいはず☆」って、みんななわけあるかと。
結局、私が性行為へのもろもろのハードルを下げられず、彼氏とは別れました。
ただ本番していないってだけなので(ほかのこと頑張ったんだけど駄目でしたー)、中途半端な処女もどきだけが残りましたとさ。
元彼の話。
「本当に風俗行くつもりはなかった。ただ俺の本当の気持ちを知ってほしかっただけ」
「あの日はA男(共通の知人)のところにいた。飲みすぎて寝過ごして帰りが翌朝になっただけ」
A男「昨夜は一緒にいた。本当に(元彼)は(元増)のこと好きだから嫌わないでやって」
「本当にごめん。クリスマスだってプレゼントと某ホテル用意してた」
元彼の中だと、
私「行かないで! 私頑張るから」
元彼「某ホテルとってあるんだ」
私「嬉しい!抱いて!」
となるはずだったらしい。
お前いくつだよ! 社会人だろ!
いらぬ噂によると、もう彼には新しい子ができたのこと
本当幸せになってください。そして二度とこっちくんな。
私はまだしばらくひきずってます。
まだ好きなんだよー大っ嫌いだけど。
あなたにとっての虐待の定義とはなんだろうか、被害者が加害者の保護下であるという関係を除けばあらゆる虐待は存在するが、今回は主に成人と未成年の間、親と子の間に存在する虐待について論考していこうと思う、なぜなら家庭というのは非常に外部と隔たれた空間であるからだ、教育の場であったり労働環境での虐待と比較するとお互いの利害に関係のない第三者の目に触れる機会は一気に減る、その分陰湿であったり陰険になるなどの諸問題は生ずるが同じ様な虐待が発生した時に他との比較が容易で無いという点において、また未だ家庭内部の隠され閉ざされた空間で行われている虐待についての個々の認識を明らかにしていく事が、この世から虐待による悲痛、声にならない声を浮き彫りにしまた被害者自身がより客観的に自己の被害状況を分析し気持ちの整理をつける事でより良い明日へと繋がる事を祈り進めていきたいと思う。
虐待の種類
虐待にも様々なものがあるが、一つに基本的には相手の事を思っているか?という漠然とした表現にその発生源を求める事ができる。もう一つは、相手の事を思ってしているという認識の行為が結果的に同じ結果を生じさせているという虐待について、また意図的、偶発的を問わず“何か”をしなかったという事が虐待になる事もあるので、それらを比較しながら論拠していきたい。
一、【故意】例
二、【過失】例
例えば、子供が他人の所有物を不当に取得した時などに“叩く”などの痛みを与える事で子供の犯した不当な行為を是正させようというもの、これでは罪を犯してはならない理由が“叩かれる”からだとの理解を子に与えかねない。裏を返せば叩かれてもいいくらい欲しい物であれば不当に他人から奪っても良いという事になってしまう。人間なのだから例え時間をかけてでも、物には“持ち主”という所有の概念があり、他人の所有物を正当な理由なく勝手に奪ったり何かしてはいけないと教えるべきだ。こういうと小さな子供にそのような説明をしてもわからないという人がいるようだが、行為の是非は痛みが伴うかどうかだと理解させてしまう可能性を与える行為こそ余計に子供が所有の概念を理解する事を阻むだろう。
三、【認識ある過失】例
意図偶発問わず放置に至った時に、その放置によって苦痛が子供に生じるかもしれないと認識しながらも「もう我が子の年齢なら大丈夫だろう」と本人を介さない判断で放置した結果、実際は子供が精神的苦痛等を生じていた場合の虐待
※本人の事前の意思を汲んだ上での放置で、実際に子供に苦痛が生じても生じなくても、第三者から客観的には虐待と判断される場合も有る。
四、【未必の故意】例
意図偶発問わず放置に至った時に、その放置によって「子供に苦痛は生じる」と本人を介す介さない問わず判断し放置した結果、実際に子供に精神的苦痛が生じていてもいなくても構わないと思う虐待
他にも虐待時の心模様は分析できるが、虐待による不都合が生じるかどうかという点では、これらの行為が多岐に又、継続的に行われるかどうか、そして被虐待児の個体差に寄ってでしか判断できない事とより効果的な虐待ラインの線引きをする為に虐待の回数、頻度、継続性やその子供の人生に不都合が生じたかどうかは度外視し“その行為が虐待なのかどうか”に的を絞って進めていきたいと思う。
それでは、ここから思いつくままに、もっとイメージを換気しやすい実例を列挙していきたいと思う。
一、お父さんと息子がプロレスごっこをしていて上手く技が決まり泣き叫ぶ子供に対してもなかなか技を解かなかった。
一、食事を親の許容時間内で食べられずゆっくりと遅い食事スピードの子供に対して、精神的な怒りを顕わにし、その怒りを子供に伝えた。
一、兄弟喧嘩をした子供に対して、親の判断で判決を下し、制裁として一度の食事を与えなかった。
一、何時にお客様が来るからそれまでに部屋いっぱいに散らかった玩具を綺麗に片づけておいてねと子供に頼んだのに、その時間になっても部屋を片づけていなかった為、児童の頭部に真上から握りしめた拳の中指第二関節の先を尖らせた部分を振り落としそれなりの痛みを与えた。
一、子供が学校から持ち帰ったテストの結果を見ると20点と書かれてあった、問題内容や平均点などがどのような状況なのかは関知していないが主観的に悪い結果だと思ったので「なにこの点数は?」と冷めた表情で悲しみを子供に伝えた。
一、子供達数人を祖父母に預け遠方に行くことになった際に、お土産を買う事になった、その際個々の子の長男、長女、次男、二女などそれぞれにお土産を買う際に、自分の子に対する好きの程度が“ひいき”としてお土産の質にも反映された。
一、子供が食事に対して好き嫌いを顕わにした時に、栄養学的な事、勿体無い事、また添加物や農薬、化学調味料等による影響を考慮せず、また食べる事や残す事を“怒り”や“恐怖感”と共に子供に迫った。
一、子供に玩具を買い与える等の条件を設けてお手伝いさせたり、肩を叩かせる等した後に、その約束に対しての意識をおざなりにし約束をまだ守っていない。
一、子供に早く寝ないとお化けや怪物、悪魔に襲われるなどと自分の信じていない事実を信じこませ嘘の恐怖感で持って子供を自分の意図した時間帯に寝かせてしまおうとした。
一、家庭内でだれかの所有物が紛失した際に、証拠なく過去の行動等から子供のだれかが盗んだのではないかと疑いそれを子供に伝えた。
一、子供が嫌がったり、将来思いだした時に嫌だと感じる可能性がある行為を何らかの脅迫や脅し、また体格差による優位条件を利用して行った。セックス等
等々、枚挙に暇が無いが、突き詰めていくと、同意や相互の了解、約束の無い事で自分の保護下にある者に対して怒りの感情や、隠避の態度、また虚偽の同意や相互の了解、約束で保護下にある者の言動を操作したり、当初は嘘のつもりはなく結果的に不本意であったとしても謝罪無く保護者の立場を利用して子供の意思、期待を蔑ろにする行為を虐待と定義する事で、確かに、ほとんどは大した事のない軽度の虐待ばかりが散見するとは思うが、その浮き彫りにした小さな声の中から、継続的であったり深刻な状況に陥っている児童を露わにする事で虐待親からの保護活動がより進むのではないだろうか。
次に、虐待をされた側の福祉ではなく、虐待をしてしまった側の福祉を考えてみよう。確かに、認識の無い虐待の方が子供の悲痛は重いだろうが、罪悪感を認識しつつも己の言動を制御できず我が子に対してしてしまうという行為としての虐待の加害者も罪を理解しているという点においては周囲が手を差し伸べるべきではないだろうかと思う。何度も閉ざされた家庭内の出来事である事は強調するが、親自身が現在において健全であると因果関係の立証なくして自分の生育環境を我が子にも模倣するという事は大いにあり、その今現在健全である事はわが身が程度の差こそあれ受けた虐待が今のわが身の為になったと解釈しその虐待行為をまた我が子にしてしまうと言う物だ。
良かれと思いやっている事なのだがこの場合本人の気分もなぜか優れないという事が多いように思う。どうも本当はこんな事はしたくはないが、我が子の将来の為に体罰や強制、十分に説明のできない因果関係の不明な理由によって我が子の言動を統制するのは止むを得ないを自己を正当かするのだが、なぜか当の親自身は心のどこかに陰りを想わせる精神状態に陥ってしまう。
こんな時、もしも閉ざされた家庭でしかも虐待というナイーブな情報について共有でき、また素直な気持ちで自分の行為が虐待なのか虐待でないのか話しあえる場、意見交換できる場があったらどうだろう。
子を持つという事は責任が伴う。
ないものは仕方がない、生殖の自由を制限することもまた違うであろう
親になったからといって、社会は一律に保護者の責任を追及しても良いのだろうか?
そこに、責任という耐えがたい重圧感を与える事が、自らの育児教育能力を自己判断し自信が持てなかったり自己否定の念の押しつけられた時、弱者である子に対し“教える”という行為をしなければならなくなった時に怒りの感情が“怒る”という形で子に向けられてしまうのではないだろうか。
“怒る”について考えてみよう。
子供が何か良くない事をした時に「コラーッ」と怒った場面を創造してみて欲しい。
それは、子供がスーパーで売り物を食べ始めてしまった時かもしれないし、子供が自分で行きたいと言って行き始めた何かの教室を勝手に休んだ時かもしれない。
私や貴方はいったい何に怒っているのだろうか?
子供が確かに一度はしてはいけない事だと理解したのに、私欲のために再三した事が許せないという怒りだったかもしれないし、貴方がせっかく拠出した習いごとの月謝を無駄にされた事かもしれない。他にも様々な解釈はできるが“怒り”がなぜ生じるのかをよくよく考えてもらいたい。
そこに“悲しみ”はないだろうか?
人は悲しくないのに怒る事はあるだろうか?
元の感情として、自分が悲しくなる何かをされた事や身内が誰か他人を悲しませてしまう事が悲しくて、そんな思いはしたくないから“怒る”のではないだろうか?
子供には貴方や私が怒る理由を理解するのは難しい
まだ悲しい気持ちから怒りに転化したという実体験も希薄だろう。
これを読んでくれた貴方には
どうか
どうか素直な感情で我が子と接して欲しい
悲しい時には悲しい気持ちを我が子に伝えよう
あなたがそんな事したら、お父さん悲しいよ お母さん悲しいよ って
私や貴方がが無碍に他人を悲しませたいなんて思わないように
子供の純粋が気持ちとして、他人を悲しませるような事はしたくないという純粋が感情がある事を期待しよう
怒りは「快」「不快」という根本の感情よりも一段階上の複雑な感情だからだ
例え我が子にでも、悲しい思いをさせられたら「悲しい」気持ちを表してみよう。
きっと、わかってくれるはずだ
今からでも遅くない 例え貴方の子供が既に成人していたとしても
本当はどう思っていたのか? あの時は悲しかったんだよ だからあんな事をしてしまったんだと
また貴方の子がさらにまた子に対して同じ事を繰り返し、子が将来、あなたと同じ苦しみをする事を回避する為に
勇気を振り絞って、例え過去の事であっても当時の本音の素直な気持ちを話してみよう
きっと、貴方を許してくれるはずだ 貴方はもっと楽に生きるべき存在なのだから
@awaikumo
まずここが間違いなんだよ。やつらは絶対に「事故は起こりません」なんて言わない。
100%おこらないとは言ってないだろうけど、安全だとは言ってたから間違いじゃないだろう
結局お前はばかだから、自分で判断できないから「信用しない」んだよ。ちゃんと判断能力があれば、政府のこの発言は信用できる、これは信用できない、と区別できる。
元増田からの話の流れからすると、個々の発言の信用性じゃなくて政府や電力会社の信用度が原発任せられる水準に達してるかどうかの話だろう
まずここが間違いなんだよ。やつらは絶対に「事故は起こりません」なんて言わない。「安全に配慮しています」「事故の起こる確率を下げていきます」これだけ。
(結果として嘘の発表はするかもしれないが)嘘をつく意図はなかった、と言い訳できるように、つねにアリバイを用意している。とにかく責任を取らなくてすむことが重要、というアルゴリズム。
絶対安全とかそういう言質を取られるようなことを言うのは、頭の悪い地方自治体の首長とか町会議員。
それにマニフェストを実行しなかったから政府を信用しないって、それじゃあ自民党時代は信用してたの?してないだろ?
結局お前はばかだから、自分で判断できないから「信用しない」んだよ。ちゃんと判断能力があれば、政府のこの発言は信用できる、これは信用できない、と区別できる。
ホッテントリに上がっていた以下の記事と記事内にあった動画を見ました。
大阪教育基本条例はアメリカで破たんした落ちこぼれゼロ法とそっくりと指摘した報道番組VOICEに逆上する橋下氏
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-776.html
このブログ自体は、記事一覧(http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/archives.html)
を見るかぎり反橋下記事で埋め尽くされていますので、そういうスタンスのブログであり、大した検証や理解もなく自分に都合のよい情報に飛びついただけであろう、という事は分かります。
アメリカのNo Child Left Behind Act(落ちこぼれゼロ法)について失敗であったと断じ、ことさらネガティブなイメージで報道していますが、一体何を根拠にこんなことを言っているのでしょうか。
動画内に登場するDiane Ravitch教授が著名な学者あり落ちこぼれゼロ法支持から不支持に変わった人物であることに間違いはありませんが、それはあくまで彼女個人の思想の問題です。
(Why I Changed My Mind About School Reform - http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704869304575109443305343962.html)
動画では彼女のコメント以外に失敗と断じた根拠が一切示されていません。
グラフの一つすらも出てきません。実際見た方の中には違和感を覚えた方も少なくはないと思います。
それはある意味当然でしょう。
現在、アメリカでは落ちこぼれゼロ法で示された教育改革の方向性はむしろ加速しています。
確かにオバマ大統領は落ちこぼれゼロ法の撤回を決めましたが(http://tpmdc.talkingpointsmemo.com/2011/09/gop-pounces-on-obamas-education-changes.php)
それは当初設定された、2014年までにアメリカ全土の学生全ての学力レベルを一定以上に引き上げる、という目標値が高すぎたためにその目標を断念したというだけです。
学力テストがなくなるわけでも以前の教育制度に戻るわけでもありません。
更に、校長と教員の評価システムについては今後も推し進めるとしています。
Under Obama’s new plan, states can request flexibility from specific NCLB mandates, but only if they are transitioning students, teachers, and schools to a system with college- and career-ready standards for all students and developing built-in accountability that reports the lowest performing 5 percent of schools and the 10 percent with the largest achievement gaps, as well as teacher and principal evaluations that include student performance.
この教員評価システムは現在、全米で強く進められている政策で(http://ameblo.jp/terada1963/entry-11039010391.html)
例えば、フロリダ州マイアミでは、学力テストの結果を元に教員にボーナスを支給するとしています。
更に複数の州で導入されている教員評価システムでは教員の長期雇用保障をなくし、毎年更新する形にするともしています。
The law also eliminates long-term job protection for new teachers, instead putting them on one-year contracts.
このように、もしアメリカの教育改革を持ち出すのであれば、どちらかというと橋下さんに味方するものといっても良いくらいでしょう。
もちろん現段階でこの政策、教育改革が将来、成功であったと評価されるのか失敗であったと評価されるのかそれは分かりません。
しかし、それを
タイトルが若干意味不で申し訳ないのですが、先日SI下請け業者のSEのオッサンがうちのPMにクソほど怒鳴られていたので感情の赴くままに書き残す。
当方製造業のシステム部門でプロパーとして働いている。もう6年になる。
業務システムを自前で作っているわけだが当然システム部門だけで作るわけではなくシステム子会社や外注や派遣さんなどと一緒にわりとでかめのプロジェクトを進めている。
で、うちの外部SEが作った仕様書に対する叩き方はいつもこうだ。
「業務を理解しているのか。要件はユーザーに確認したのか。」
「いい加減なことを言うな!!」
要件って本来はプロパーがやるべきことなんだけど、システム規模のでかさとプロパー要員の都合からシステム子会社も同じ立場でやっている。
アサインされたばかりの子会社のオッサンでも関係ない。お前は本当にうちの業務を理解しているのか。他部署のキーマンに確認したうえでこの仕様を作っているのか。うちの製品を理解しているか。製品の歴史を理解しているか。工場での現場作業を理解しているのか。いやいやいやいやいやいやいやそんなん無理やんか、外部のオッサンに無理やん、プロパーほど知ってるわけないやん、(おれもそんなに知らんし)、いやいやいやいやいや勘弁したってくれや理解しているていのお前が調べろや、ていうかおれらが調べようや。
そして具体的な指示は出さない。協力的な提案もしない。整理して調べて確認して仕様書を書いてこいとしか言わない。一つでも不明瞭なところがあれば怒鳴り倒してやり直し。再レビューを何往復もさせる。そして納期が遅れる。品質はこれで上がっているのか知らない。外部SEさんたちは狭いタコ部屋に詰め込まれて毎晩遅くまで仕事している。すいませんという言葉が無意識的に何度も口をついて出るようになっている。
料理で例える。
オーナーの叩き方はこうだ。
「我々はお袋の味を出したい。でもお前の料理は全然お袋の味になってない。
お前はうちの死んだお袋の味を理解しているのか。
うちの兄弟や親戚たちに味の要件を確認したのか。」
「いい加減なレシピを作るな!!」
いやいやいやいやいやいや知らんやんか、おまえんちのお袋の味なんか知らんやん。
作っても作ってもお袋の味じゃないと叩かれる。ベテランの料理人がプロとして作ってきた味をオーナーの感覚に合わすなんて、これがプロの料理人としてやるべきことだったら僕は自分がいいと思う味をお客に自信を持って出したい料理を出す。僕だったら嫁子供がいて給料が0になってもやめるわ。精神衛生上死ぬ。
感覚に近い非言語的な味なんか正確に人に伝わるはずがない。頭のよさや経験や料理の腕だけでそこがカバーできるのか疑問だ。知らんやんは逃げ言葉なのか、頭悪いからなのか、能力が低いからなのか、根性がないからなのか。いやオーナーの要求が理不尽だろ、叩いて叩いてなんとなーく近い味が出てくるのを見越しているならばオーナーは料理人をバカにしすぎだ。人の人生をなめすぎだ。
料理人は自分の考えた味を自分のポリシーと感性に則って提供することが本来のあるべき姿だろう。それで売れなかったらまた試行錯誤すればいいし、売れれば成功してお金持ちになればよい。修業期間は置いといたとしても、人にどうこう言われて作って雀の涙ほどの給料もらい続けるなんて、そんなプロの仕事があるのか。僕はできない、プロとして自信が持てない、ノタレ死んでもいいから自分の味を自分で考えて自分の感性に基づいて料理を提供したい。メニューも自分で考えたい。店の内装も自分で考えたい。その上で実力がなければ極貧の中でも試行錯誤し続ければよい。僕はそういう人生を選びたい。
で、僕らプロパーの下々はそんな光景を黙って見ている。あー今日も怒鳴られているなと思いながら見ている。当然仕事に集中できない。
もちろん僕らも同じように厳しく怒鳴られるんだけど、外部のSEさんには酷な話かなと思ったのです。
おまえががんばれやって、はいそうですね。
まだ6年目だからこんなこと思うのかもしれないし考え方が甘いだけかもしれないけど僕はSI下請けは何があってもやりたくないと誓ったのでした。そして趣味でやっているアプリ開発がとんでもなく高いモチベーションでさくさく進むのでした。
☆アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャー・ホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。
横浜美術館で松井冬子さんの講演を聴いた。彼女の個展「世界中の子と友達になれる」の関連イベント。
11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから。
13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方から「レジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。
講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文のタイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。
とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。
松井さんの話によると、彼女は博論を2006年に執筆して、2007年2月に教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。
で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分のプレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。
講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。
不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係があやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。
と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、
~
他者との接触は私に痛みをもたらすよね。
でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。
そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。
~
こんな感じでした。
この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアンハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動性自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)
余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒を企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。
私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。
ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独な幽霊が、少女コミックの主人公のようなものだという話。少女が運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会いが存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。
私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。
松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。
全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っているのは、自意識過剰の中学生だ。
一方、松井さんは、無理やり日本語をねじまげて珍妙な言葉づかいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか。
彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。
彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンのイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニストの上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。
ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこの分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。
残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーションも能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。
長くなったついでに一つ。
私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女の自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル?
私自身は、特に彼女に同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120216/1329397597
これからは、「仕事を提供できる人が求められる時代」が来ると思う。
「仕事を提供できる人」とは、必ずしも人材派遣会社ということではなくて、雇用を創出できる人ということだ。
いうならば「ジョブメーカー」。これからはジョブメーカーの時代である。
これは間違いない。
多分、この記事のテーマであるウロボロスをイメージして書いてるんだと思う。
全部の文が同じ事を言っている。
前の文のおしりを後ろの文が食べて、またその文のおしりを後ろの文が食べて、グルグル回っている。
ジョブメーカーならぬ無限文章メーカーである。文章のウロボロスである。
何時まで経っても終わらないので、最後に「これは間違いない」で切るところもセンスが光っている。
彼はこの一見不毛なだけにしか見えない悪文の手本のような文章によって、IT業界の不毛さをわずか4行で示しているのだ。
「この文章にイラっとした人は、ウロボロスがいかに不毛なことかわかったはずだ。
そして、その不毛さを解消するためには、わたしがガツンとぶった切るしかない」と、解決策まで含めて表現している。
彼にとって重要なのは、文章としての美しさではなく、文章によってより深い真実を直感的に云々かんぬん
とにかくなんというセンス。これは間違いなく270万部作家のオーラ!
それはともかく、アフィリが無いことや、
彼が主張する「次世代に求められる能力」の内容が変わっていることから
ハックルさん的には次の本を出す予定なのだろうかな、などと期待が高まる。
お笑いスクールでの指導などを踏まえた、エンターテインメントやプロデュース部分について触れることということであれば、
いよいよ彼の本丸部分が解放されるということになるのだろうか
まぁ、テストを兼ねて、っていうか、ここには今回しか書かないような気もする。
まぁそれなりの大企業の系列でバブル期の入社だからかれこれ20年。
見回すと平均年齢は50歳弱でもう終わってるよね。数年前に中途採用取ったけど、なぜか「即戦力」とか言って同世代ばっかりとるからすでに守りに入ってる。頭が固いから新しいことが怖いんだろう。
そして不景気で仕事がへると日本的雇用で人も減らせないし「なにもさせないわけに行かない」って貧乏根性で個人の能力に関係なく仕事を分けだす。おかげで元の仕事を人に配りまくって社内ニート。で個人の能力・仕事量・成果に関係なく8~900万給料出す。まぁこのままじゃそのうちつぶれるだろうなぁ。ホントに若い世代がかわいそう。