「利他主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 利他主義とは

2024-02-03

[] 2024-02-03

昨月の電気代がエアコンの消費により膨れ上がり、贅沢は排し、こたつの温もりに身を寄せる中で、寒風に抱かれる孤独感が深遠な情緒となって心に滲んでいた。

冬の訪れと共に、私の日常は厳しい節約の中に変容していった。エアコン暖房に身を委ねる余裕もなく、ただひたすら本に耽ることが、たった一つの慰めとなっている。

温かな空間に身を包み込まれることは幸福であるかもしれないが、時折、静寂に包まれた中で孤独な思いが私を襲う。この静寂の中で、自分と向き合う時間を手に入れることができる。

しかし、その孤独感にも独自の美しさが潜んでいる。熱いコーヒーを啜りながら、心の奥深くに沈む感情に触れることができる。

人は孤独な瞬間に、自己と向き合い、新たな気づきを得ることができるのかもしれない。寒さのなかにある孤独も、時には私にとっての貴重な経験となっているかもしれない。

話は変わり、仕事の進捗は素晴らしいが、給与は低調だ。フルリモートであることが唯一の救いではあるが、生産性向上が報われる給料の増加には至っていない。

からこそ、私は支払われる仕事必死に取り組み、効果的な利他主義実践している。経済的利益を最大限に引き出し、それを適切な慈善機関寄付することで、社会貢献果たしているつもりだ。

葛藤もある。つまり給与が低くても快適な現状に飽き足らず、より高給な場所転職するかどうかの選択肢が浮かび上がっている。

しかしここに悩みが横たわる。今の仕事が快適すぎて、その楽な状況を選び続けているのかもしれない。両親は「転職はしない方がいい」と言うが、私の日々は物価の高騰による節約との葛藤の中で揺れ動いている。

 

追記

私の日記インターネットトロールコメントしているらしいが、大歓迎だ。寂しさが紛れるというものだ。

2024-01-16

anond:20240116003349

効果利他主義批判かな? と思ったけどそう言及してる増田見当たらんな

anond:20240116003349

法哲学議論を参照して「愛らしいから」=「他とは区別される特定属性を持っているか寄付する」という考えが正義にもとることは肯定しつつ,寄付するべきではないという考えを批判してみる.

まず,正義は「等しきものを等しく扱う」ことが本質だとしばしば定義される.

かわいそうなポメラニアンと,かわいそうな黒い大型犬はどちらも「かわいそうな犬」という属性で等しく,両者に対して異なる扱いをすることは正義にもとる行為にあたる.

他方,慈悲,あるいは愛は,「等しきものを等しく扱わない」.

個体属性ではなく,今まさに存在する「この個体」を救うことに関心があるからだ.

「かわいそうな犬」だからではなく,「この」かわいそうなポメラニアンからこそ人は憐憫を垂れる.

法哲学者の井上達夫言葉を借りれば,「愛の本質である個体性への関心と配慮正義普遍主義要請対立する」(井上達夫. (1986). 共生作法: 会話としての正義. 創文社. 117.).←たしか近年新版がでている.

では我々は,正義にもとるということを理由に,特定属性を持つ人々のために自発的に寄附を行うべきではないのだろうか.

何が「等しい」のかを民主的手続きに基づいて決定し,一応の正義を認めることができる主体である民主主義国家による再分配に我々の持つ金銭というリソースは委ねられるべきなのだろうか.

そうではない.

なぜならば,民主主義国家によって達成される正義手続的正義にすぎないかである

「正しい手続きを踏んだから,かわいそうなポメラニアンを救済することにし,黒い大型犬放置することにした」.

これは本当に正義だろうか.

何が正義なのか,何が「等しい」のか,やはりその実体に踏み込んで考える必要がある.

この実質的正義と寄附を考える上で注目すべきが,この十年で存在感を増している「効果利他主義である

昨今のオープンAIアルトマン解任騒動で目にしたことがある諸兄もいるかもしれない.

効果利他主義とは,簡単に言ってしまえば「社会全体にとって最も費用対効果の高い良いことをすべき」という考え方である

ここでの費用には,金銭だけではなく,自分時間労働も入る.

かわいそうだから,というある種偶然に基づいて他者のためのリソース投下をするのではなく,コスパという等しい基準を置いてあらゆる利他的活動比較評価し,最もコスパが良いもの投資する.

これが公平であり,正義なのである

この比較には,「リソース投下に対する社会インパクト定量化できる」のが大前提になっている.

社会科学素養がある人間ならばすぐに気がつくように,あらゆるものを同じ基準定量化することは不可能である

例えば,生命という多くの人が合意するであろう基準に関しても,単に生きていれば良いのか,健康寿命なのか,QOLによって測り方が変わる.

定量化の前提は,効果利他主義限界の一つとして指摘できるだろう.


効果利他主義において,個体性への関心はどのように扱われているだろうか.

便益を最大化することにこだわることは,特定目標との個人的な結びつきを否定することになる.例えば,「家族ががんでなくなったからがんの撲滅に情熱を注ぐ」という行動は否定されるべきなのかという批判に対しては,次のように反論している.

たまたま理由だけで一部の人々のニーズを優先していることになり,もっと効果的に手を差し伸べられる人々に対して不公平である,と.(ウィリアム, M.. (千葉敏生訳). (2018). 「効果的な利他主義宣言! : 慈善活動への科学アプローチ. みすず書房. 42-43.)

そろそろ疲れてきてしまったのでまとめよう.

特定属性を持つという偶然を理由として寄附をすることは正義にもとる一方で,民主主義国家を通した再配分には手続き正義に留まるという限界がある.

実質的正義を追求するには,効果利他主義のような一定基準を持った上で,最終的には自分なりの正義を追求して寄附を行うべきなんじゃないだろうか.

なお,筆者自身効果利他主義者ではなく,単におもしろい考えの一つとして注目しているに過ぎないという点を申し添えておく.

2023-12-12

AIに関する思想対立をテキトーに列挙する。

「複雑化する思想対立適当に分類する」

anond:20231206014025

を読んで、終盤で省略されていた「AI vs 反AI」。

その中でも個人的に注目している思想を“テキトー”に列挙する。


EA(Effective Altruism)(効果利他主義)

世界で最も差し迫った問題とそれに対する最善の解決策を特定することを目的とする。

https://forum.effectivealtruism.org/handbook

AI規制コントロールしつつ慎重に発展させよう!

リスク:難しい、遅い


・E/Acc(Effective Accelerationism)(効果的加速主義)

X(旧Twitter)上で2人の匿名アカウント(ベフジェゾス等)によりEAの対抗して創立されたミーム

https://www.effectiveacceleration.org/posts/mHo5wGDBdKc4WbCwJ/the-effective-accelerationism-2-0-specifications

AIを発展させ続けたテクノロジー恩恵で全部解決

リスク:危うい


・d/acc(Defensive or decentralization, differential acceleration)(防御、分散化、民主的差別化、加速主義)

Ethereum創設者のヴィタリックブテリンにより提唱された。

https://vitalik.eth.limo/general/2023/11/27/techno_optimism.html

AIやCrypto等様々なテクノロジーを使ってEAとE/Acc両者のリスクバランス良く防ぎ、非央集権的で民主的未来を維持する!!


ちゅーことでテクノロジー(特にAIとCrypto)万歳!!

2023-09-06

anond:20230906043646

現代日本において常識人なら持ってる感覚とされている「人に迷惑をかけるな」ってやつ、一見して利他主義から来た思想のように見えて利己主義が産んだそれなんではとも思うねぇ。

強烈に進んだ自己責任論と同じで、「俺に迷惑をかけるな」って思ってる人が表面上や直接的に迷惑を被らない状態を維持するのに都合が良い思想

俺は大抵の事は自分でなんとか出来るって金とか健康状態を維持してる人のための考え方や。

2023-01-14

募金先のおススメ from GiveWell

Colaboの件が赤い羽根共同募金のほうに飛び火しているようです。一般論として、募金する際にはそのお金が何使われているのかをきちんと把握することが望ましいでしょう。とはいえ、数多の選択肢がある中で、どこの団体がどういう活動をしているのか把握し、募金先を選ぶのは簡単ではありません。ここでは、アメリカのGiveWellという非営利団体が公開しているおススメの募金先を紹介します。

GiveWellとは?

このGiveWellという組織名前の示す通り、どうすればWell(効果的に)にGive(寄付)できるのか、という質問に答えています。具体的にはインパクトがあり、対費用効果の高い支援しましょう、というのが彼らの主張です。彼らは客観的証拠分析に基づいて寄付先を選んでいます。彼ら自身ファンドを作り、そこに寄付することもできるのですが、ここでは彼らのOur Top Charitiesというページに紹介されている四つの活動組織 (https://www.givewell.org/charities/top-charities) を紹介します。個々のサイトにいけばクレジットカード経由で寄付ができます。円での寄付ではないので、ドル変換の手数料がないカードが望ましいかと思いますソースレポートなどは元のページを参照してください。要約です。特に僕の意見は入っていません。翻訳が専門ではないので、誤訳があればご指摘ください。

マラリア予防薬

マラリアによってサブサハラアフリカで五歳以下の子どもを年間60万人以上、死亡しています。季節的なマラリア予防薬は、マラリア感染率が高い一年のうち四か月の間に投与されます。これは平均的に5000ドルで一人の命を救うことができるようです。いくつも質の高い研究でこのインパクト確認されています。この活動で推奨されているMalaria Consortiumは信頼できる定期的なモニタリングを行っています

マラリア用の蚊帳

上で述べたように、マラリアサブサハラアフリカ子供たちの命を奪い続けています。蚊帳を吊るしてそこで寝ることで、子供たちはマラリア媒介する蚊に刺されずに済みます。一つの蚊帳はだいたい5ドルかかり、一人の命を救うのに、平均で6500ドルで一人の命を救うことができるようです。いくつも質の高い研究でこのインパクト確認されています。この活動で推奨されているAgainst Malaria Foundationは信頼できる定期的なモニタリングを行っています

ビタミンA欠乏症を防ぐためのサプリメント

ビタミンA欠乏症は子供たちを感染症にかかりやすくし、そこから死に至ることもあります。GiveWellの推定では20万人の子どもが毎年、ビタミンA欠乏症によって亡くなっています。このプログラムビタミンAサプリメントを五歳以下の子どもたちに与えることで、ビタミンA欠乏症を予防します。2021年の推定では、この活動で推奨されているHellen Keller Internationalでは、およそ3500ドルで一人の命を救うことができるようです。いくつも質の高い研究でこのインパクト確認されています。Hellen Keller Internationalは信頼できる定期的なモニタリングを行っています

定期的な予防接種のための金銭的なインセンティブ

2019年、ナイジェリアでは43%の幼児が推奨されるワクチン接種を完了していません。このプログラムでは養育者に金銭的なインセンティブを与えることで、幼児に定期的なワクチン接種を促し、その幼児病気を予防し、死亡率を下げるものです。この活動ナイジェリア北西で行われています。このプログラムでは一人の幼児ワクチン接種を行うためにおよそ160ドルかかります2020年においては、このプログラムは一人の命を平均5000ドルで救えると推定されています。いくつも質の高い研究でこのインパクト確認されています。New Incentivesは信頼できる定期的なモニタリングを行っています

どうしてアメリカでの活動は含まれていないの?

このGiveWellという団体効果的な利他主義意識していて、ドルあたり救える命を最大化しよう、という発想が根底にあります上記のような途上国問題は一人の命を救うためのコストが安く、同じ寄付額でより多くの命を救うことができます過去にはアメリカでの活動別に推奨していたようですが、今はやめているようです。僕自身効果的な利他主義は好きではありませんが、この基準は命が平等だと思うのであればきわめて妥当議論だと思います


最後

GiveWellが紹介する団体を四つ取り上げて、紹介しました。必ずこれらの活動寄付しなければならない、というものではありませんが、妥当募金先が、適切な理由で選ばれていると思います。これを機に、どこに募金するのがいいのだろうか、と考えて頂けると非常に嬉しいです。僕はUNHCR寄付をしていますが、これを見て、ちょっと考えてみようかと思います。本当は日本でもGiveWellのような団体があればいいのですが…。

2023-01-02

anond:20230102163123

効率的利他主義ってのがあって、ちょっとストイックすぎて引くくらいの慈善家がいる。

中には効率の悪いNPOなんかで働かずにゴールドマンとかで億稼いで全部寄付するみたいな人もいる。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート6

収集品の属性

人類は小規模で、ほぼ自給自足し、互いに敵対する部族進化してきたので、好意の追跡の必要性を減らし、これまで検討してきた他の人類の富の移転制度可能にするために、収集品を使用することは、人類の種の期間のほとんどにおいて、物々交換の規模の問題よりもはるか重要であった。実際、収集品は互恵利他主義の仕組みを根本的に改善し、他の種にはない方法人間が協力することを可能にした。他の種では、記憶信頼性が低いために互恵利他主義は大きく制限されている。他の種には、大きな脳を持ち、自分で家を建て、道具を作って使うものもいる。しかし、互恵利他主義の仕組みをこれほどまでに改善した種は他にない。その証拠に、この新しい開発は紀元前4万年には成熟していた。

メンガーはこの最初貨幣を「中間商品」と呼び、本稿では収集品と呼んでいる。刃物のように他の用途にも使える道具は、収集品としても使える。しかし、富の移転を伴う制度価値を持つようになると、収集品はその収集性のためだけに製造されるようになる。その性質とは何か。ある商品価値ある収集品として選ばれるためには、収集品としての価値が低い製品比較して、少なくとも次のような望ましい性質を持っていなければならない:

1. 偶発的な損失や盗難からより安全であること。歴史ほとんどの場合、これは持ち運びが可能で隠しやすいことを意味していた。

2. 価値を偽造することが難しい。これらの重要な部分は、以下に説明する理由から、偽造できないほど高価であり、それゆえに価値があると考えられる製品である

3. この価値は、単純な観察や測定によって、より正確に近似していた。これらの観測は、より信頼性の高い完全性を持ちながら、より低コストであっただろう。

世界中人間は、これらの特性をよりよく満たすアイテムを集めたいという強い動機を持っている。この動機の中には、おそらく遺伝的に進化した本能が含まれている。このような物は、(特に優れた明確かつ近接した理由ではなく)集めることを純粋に楽しむために集められ、そのような楽しみは人類文化においてほぼ普遍的である。直近の動機の1つは装飾であるアリゾナ大学考古学であるメアリー・C・スタイナー博士によると、"装飾は現代人の採集者の間では普遍的ものである "という。進化心理学者にとって、このように、自然淘汰という観点からの最終的な説明はつくが、快楽以外の近親的な根拠がない行動は、遺伝的に進化した快楽が行動の動機になっているという有力な候補になる。例えば、このエッセイの推論が正しければ、希少品や美術品、特に宝石を集めるという人間本能がそうである

(2)については、もう少し説明必要であるコストが高いという理由商品生産することは、一見すると非常に無駄なことのように思える。しかし、永遠にコストのかからない商品は、有益な富の移転可能にすることで、繰り返し価値を高めていく。取引可能になったり、コストが低くなったりするたびに、コストはより多く回収される。最初は全くの無駄であったコストは、多くの取引償却されていく。貴金属貨幣価値は、この原理に基づいている。また、収集品は、希少性が高いほど、また、その希少性が偽造できないほど、価値が高くなる。また、芸術品のように、証明可能技術独自人間労働力製品に加えられている場合にも適用される。

我々は、この3つの要素を兼ね備えた製品発見したり、作ったりしたことはない。アート収集品(この言葉現代文化で使われている意味ではなく、この論文で使われている技術的な意味で)は、(2)を最適化するが、(1)や(3)は最適化しない。一般的ビーズは(1)を満たしているが、(2)や(3)は満たしていない。宝石は、最初は最も美しく、あまり一般的ではない貝殻で作られるが、最終的には多くの文化において貴金属で作られるため、3つの特性をよりよく満たすことができる。偶然ではないが、貴金属の宝飾品は鎖や指輪のような細い形をしていることが多く、無作為に選んだ場所安価に鑑定することができた。貨幣さらに改良されたもので、小さな標準的な重さと商標を鑑定の代わりにすることで、貴金属を使った小さな取引コストを大幅に削減した。貨幣は、収集品の進化のほんの一歩に過ぎない。

旧石器人が作っていたモバイルアート(小さな置物など)も、この特徴によくマッチしている。実際、旧石器人が作ったものの中で、実用性がなく、(1)〜(3)の特徴を備えていないものほとんどない。

ホモ・サピエンスには、役に立たない、あるいは少なくとも使用されていない火打石の不可解な例がたくさんある。我々はクロヴィス族の使えない火打ち石について述べた。Culiffeは、ヨーロッパの中石器時代発見された数百個の火打ち石について述べているが、これらの火打ち石は丁寧に作られたものであるが、顕微鏡写真分析により、切断には使われなかったことが明らかになっている。

リントは、宝石のような特殊目的を持った収集品に先立つ、最初収集である可能性が高いのである。確かに最初火打石コレクターは、刃物としての実用性を求めて作られたはずだ。富の伝達手段としてのフリントの付加価値は、本稿で紹介する制度を開花させるための偶然の副次的効果であった。このような制度は、特殊目的収集品を製造する動機となったであろう。最初は切削工具として実際に使用する必要のないフリントであり、その後、ホモ・サピエンスサピエンスが開発した他の様々な種類の収集である

新石器時代中近東ヨーロッパの多くの地域では、一部のジュエリー標準化され、美しさより標準的サイズやアセイ性が重視されるようになった。商業地域では、このような宝石の量が伝統的な宝石の量を大きく上回ることもあった。これは宝飾品と貨幣中間的な段階であり、収集品の一部が貨幣的な形態をとるようになったのである紀元前700年頃、リディアンの王たちは前述のようにコインを発行し始めた。標準的な重さの貴金属は、市場で、賃金労働者が、あるいは徴税者が、ランダムに選ばれた場所コイル状のワイヤーを切断する代わりに、商標、すなわち造幣局ブランドを信頼して「評価」することができるようになったのである

収集品の属性が、貴金属コイン、そしてほとんどの非現金通貨を支えてきた準備商品共通しているのは偶然ではない。本来貨幣は、これらの特性を、人類先史時代ほとんど全ての時期に使用されていた収集品よりも純粋な形で実現したものである

20世紀新機軸は、政府による不換紙幣の発行である。(「フィアット」とは、それまでの金や銀をベースにした通貨のように、基軸商品裏付けられていないことを意味する。) 不換紙幣は、交換手段としては一般的に優れているが、価値の保存手段としては非常に劣ることが証明されている。インフレで多くの「たくわえ」が破壊された。前述の収集品に共通する希少品やユニークアート作品市場が、前世紀にルネッサンスを迎えたのは偶然ではない。我々の最も進んだハイテク市場の一つであるeBayは、これらの原始的経済性を持つ物を中心にしている。進化過程重要役割果たしていた頃に比べて、我々の富に占める収集品の割合が減ったとしても、収集品の市場はかつてないほど大きくなっている。収集品は、我々の本能的な欲求を満たすと同時に、安全価値の貯蔵庫としての古代役割果たしている。

結論

一方的もの相互的なものも、自発的もの強制的ものも、多くの種類の富の移転には取引コストがかかる。自発的取引では、双方が利益を得る。真に無償の贈り物は、通常、親族利他主義行為である。このような取引は、何かを作るという物理的な行為と同様に、一方または両方の当事者価値を生み出す。貢物は勝者の利益になり、損害賠償判決被害者利益になるだけでなく、さらなる暴力を防ぐことができる。遺産相続は、人間次世代親族財産を渡す最初動物となった。これらの家宝は、商品取引担保や代金、飢えをしのぐための食料、あるいは結婚の際の花嫁代金などに使われた。このような移転を行うためのコスト取引コスト)が十分に低いかどうかは別問題である。このような取引を初めて可能にしたのが、収集である

ほとんどの動物が非親族との遅延互恵的な協力関係を築けないという「囚人のジレンマ」を解決するために、収集品は我々の大きな脳と言語を増強したのである。それは、どの人が何をしたかというエラーと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際のエラーである一族部族のサブセットを形成する、小さくてすぐに地元に帰れる親族グループ、または大家族)の中では、我々の大きな脳はこれらの誤差を最小限に抑えることができたので、世間の評判と強制的制裁が、相手が将来協力したり欠陥を犯したりする能力によって提供される限定的動機に取って代わり、遅延した互恵関係の主な執行者となったのであるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスホモ・サピエンスサピエンスも、同じように脳のサイズが大きかったので、地元一族の全員が、他の地元一族の全員の好意を把握していた可能性が高い。小さなローカル親族グループの中では、収集品を取引に使うことは最小限だったかもしれない。部族間では、好意の追跡と収集品の両方が使用された。部族間では、評判に代わって収集品が完全に互恵関係執行者となったが、暴力は依然として権利執行に大きな役割果たしていたし、高い取引コストのためにほとんどの種類の取引ができなかった。

一般的な富の貯蔵と富の移転手段として有用であるためには、収集品は、少なくとも1つの制度に組み込まれ発見製造コスト複数取引償却されるような閉ループのサイクルを持つ必要があった。さらに、収集品は、単なる美しい装飾品ではない。身につけられる安心感、隠したり埋めたりするためのコンパクトさ、変えられない高価さなど、一定機能性を持っていなければならない。そして、その高価さは、現代コレクター収集品を鑑定するのと同じように、譲渡を受けた人が確認できるものでなければならなかった。

本稿で示した理論は、これらの文化で交換される「貴重品」にこれらの特徴があるかどうか(あるいはないかどうか)を調べ、これらの貴重品が移動するサイクルから得られる経済利益を調べ、(現代を含む)さまざまな文化でこれらの特徴を持つ物に対する嗜好を観察することによって、検証することができる。

前例のない協力の技術により、人類地球上で最も恐ろしい捕食者となっていた。彼らは移り変わる気候適応したが、一方で、アメリカヨーロッパアジアでは、狩猟気候の変化によって、何十もの大きな群れの獲物が絶滅に追い込まれたのである現在地球上のほとんどの大型動物投射物を恐れているが、これはたった1種の捕食者に適応したものである。また、狩猟よりも採集を中心とした文化も大きな恩恵を受けた。ホモ・サピエンスサピエンスは、骨が弱くなり、脳の大きさが変わらないにもかかわらず、地球上のより多くの地域に、ネアンデルタール人10倍以上の人口密度で住むことができた。この増加の多くは、効果的な富の移転言語によって可能になった社会制度、すなわち貿易結婚相続、貢ぎ物、担保、そして復讐のサイクルを弱めるために損害を評価する能力に起因していると考えられる。

原始時代貨幣は、我々が知っているような現代貨幣ではなかった。現代お金機能の一部を担っていたが、その形は家宝宝石などの収集品であった。これらの使用は非常に古くから行われており、収集品を探求し、収集し、作り、展示し、鑑定し、大切に保管し、売買するという欲求人間普遍的ものであり、ある意味では本能的なものである。このような人間欲望集合体を「収集本能」と呼ぶことにする。多くの古代人は、貝や歯などの原材料を探したり、収集品を製造したりすることにかなりの時間を費やしていたし、多くの現代人は、趣味としてこれらの活動にかなりの資源を費やしている。その結果、具体的な実用性とは異なる、初めての確実な価値の具現化、そして今日貨幣の先駆けとなったのである

原始人がネックレスをつけた理由 パート4

墓場を超えた親族利他主義

交易需要供給時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易交易に基づく経済制度ほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族形成、死、犯罪戦争勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事需要供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易のものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚相続紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的貨幣動機付けと育成に役立ったのである

ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産株式債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンスサピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点であるさらに、熟練した部族一族は、余った消耗品耐久性のある財産特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。

考古学からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族リーダー戦争部隊リーダー狩猟部隊リーダー、(近隣の一族部族特定人物との)長期的な交易パートナーシップメンバー助産師宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族責任ある特権的地位称号を表すニーモニック役割果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。

マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティ不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的互恵動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式好意共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。

初期の西洋商人宣教師は、原住民子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人契約納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマス誕生日プレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度権利義務を表す豊富言葉を「ギフト」と訳していたのである17世紀アメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである

モースや現代人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物であるしかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的言及している無料または非公式ギフトを全く意味していない。現代人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様権利義務システムを指しているのである先史時代文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位相続すると、その地位責任特権相続人に課せられることがあった。)

ある種の家宝相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループ形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。

家庭内取引

収集品によって可能になった小さなループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資はるかに大きいことと、それに関連する人間結婚制度に関するものである一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類普遍的ものであり、おそらく最初ホモ・サピエンスサピエンスにまでさかのぼることができる。

親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間無駄にすることになるのが普通である子供への忠誠と献身は、主に義理家族、つまり一族によって強制された。結婚一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節献身約束に加えて、富の移転も含まれていた。

男性女性結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手選択氏族によって大きく左右され、氏族リーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族花嫁一族花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパインド一夫一婦制でありながら格差の大きい社会上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力はるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパ伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。

一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族パートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁結婚させるか(一夫一婦制社会場合)、より多くの花嫁結婚させるか(多夫一婦制社会場合)する。結婚だけのループでは、原始的貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである

相続訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合結婚)と需要供給の3つの一致が必要である譲渡可能耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎一族新婦一族現在欲求を、新郎新婦間の価値ミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しか政治的恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦一族への継続的奉仕義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎一族新婦一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダント指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化一般的であった。約23%の文化(主に現代文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。

残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である

原始人がネックレスをつけた理由 パート3

飢餓保険

ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法理由モデル調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義リスク考慮した生存副産物相互主義、遅延した互恵主義取引現物でない交換、その他の選択モデル血縁利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブ生存、遅延型互恵主義貿易現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給リスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。

食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるか価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。

しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。

局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代収集品が登場したことで、多くの文化可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族個人間で持続的な交流信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠から確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食重要取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。

添付の図で示されているシナリオ仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである旧石器時代ヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。

トナカイバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパ旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族メンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターン精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンカモシカ狩猟サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部フィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイ牧畜に特化していた。

旧石器時代もっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソンジャイアントナマケモノマストドンマンモスシマウマ、ゾウ、カバキリンジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米ヨーロッパアフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代絶滅させられたか、あるいは人間人間の発射物を恐れるようになったのであるしかし、サピエンスサピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米ヨーロッパアフリカを歩き回っていた頃は、専門性はるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパ旧石器時代考古学証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。

このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。

大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである

このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一有益取引可能であるだけでは不十分だということだ。相互有益取引の閉ループ特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコスト償却する。

前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合フルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法専門家になることで、部族は莫大な生産利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティヨーロッパ草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである

このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:

1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。

2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。

3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。

4. 単一の獲物種に特化することによる生産性の向上。

食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。

アフリカ南部クン・サン族は、他の現代狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初ネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人限界土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。

他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能アイテム製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカ発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズアクセサリーが多く取引されている。

クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンド領地に入り、そこで狩猟採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリーアンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。

解剖学上の現生人類は、意識的思考言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的思考言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族メンバー単一取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的設計されたというよりは、むしろ進化したものである制度儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化機能観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様神話観点から説明していた。

食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族狩猟跡と別の部族の消費パターン比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族親族集団境界特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代世界各地で一般的に行われていたと考えられる。

今のところ、収集自体の移動による間接的な取引証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。

残念なことに、ほとんどの時代場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引コスト償却しなければならなかった。

このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類先史時代において、富の移転取引だけではなく、おそらく最も重要ものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要ものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンスサピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである次世代への富の移転について説明する。

原始人がネックレスをつけた理由 パート2

鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである人間にとっては、好意の返礼、物々交換貨幣、信用、雇用市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である動物互恵利他主義においても重要である。例えば、サル背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?

血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだコウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数価値見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなた背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。

大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単問題以上に、そもそも好意価値推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物相互利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。

現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様有機物や、身だしなみなどの刹那的サービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題さら悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的相互に不信感を抱いていたかである

貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓危機に瀕していた人類は、狩猟採集もっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀経済学者カールメンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的貨幣進化することを初めて説明した。現代経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。

物々交換には利害関係の一致が必要であるアリスピーカン栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴ栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスオレンジ栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。

さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品状態記憶しかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初取引互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。

関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品サービスがn個ある場合物々交換市場ではn^2個の価格必要になる。5つの商品であれば25個の価格必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格必要となり、一人の人間管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値基準としても機能する。(後者問題は、暗黙の保険契約」とともに、競争市場存在しなかったこから価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)

物々交換必要なのは、言い換えれば、供給スキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるか効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である

原始的貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。

多くの狩猟採集民が使用していた原始的貨幣は、現代貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府印刷した紙幣硬貨よりも広い範囲定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイ意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的ものではない。収集品の第一の、そして究極の進化機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能である。私は、コイン時代以前の富の移動手段議論する際に、「原始的貨幣」や「原始的貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。

富の移転による利益

人々、一族、あるいは部族自発的貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているかである価値についての彼らの信念は、例えばその商品サービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正であるものの、利益存在については通常正しいものである特に初期の部族貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易ほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。

個人一族部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト取引コスト)が、取引価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引可能であるしかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。

取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意スポット取引だけではない。これが、貨幣起源進化理解する鍵となる。また、家宝担保にすることで、取引の遅延による信用リスク回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償請求する原告や、結婚斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリー平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的貨幣収集品)よりも効果的で重要ものはなく、また初期のものでもなかった。

H.サピエンスサピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシス駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパ占領した証拠からサピエンスサピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画多種多様精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントネックレスなどである

これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。

新参者であるH.サピエンスサピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンスサピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである

ここでは、コレクションアイテムが、自発的無償相続自発的相互取引結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたか説明する。

これらの種類の価値移転はすべて、人類先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代貨幣比較して、原始的貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡可能になることもあった。そのため、部族は、宝石収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。

富の移転重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:

1. 事象移転された財の供給移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?

2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループ形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度必要なのか。貨幣流通の実際のフローグラフ真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である多種多様取引の間で一般的流通することは、人類先史時代ほとんどの期間、存在しなかったし、これから存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコスト償却するのに十分な取引価値を付加しなければならない。

まず、今日の我々にとって最も身近で経済的重要取引を見てみよう。

原始人がネックレスをつけた理由 パート1

概要

貨幣前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物解決できない協力の問題解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。

お金

17世紀イギリスアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコ栽培し、世界的な海軍商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである投資家王室は、農民要求に応じてコインで支払い、農民自身物資を買わせ、さら天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。

植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民お金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず自分たち生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。

貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。

入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム現在ニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリスアメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地貿易は盛んになった。

ワンパムの終わりの始まりは、イギリスアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人大量生産技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州一時的法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカ貝貨言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コイン紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手クレジットで支払うようになった。我々は、自分たち種の起源に触れてしまたことを知らなかった。

収集

ネイティブ・アメリカンお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在ワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。

しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物最初に作ったわけではないし、シェルマネー発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダント発見しており、それがネイティブ・アメリカンお金の代わりになっていた可能性があるからだ。

1990年代後半、考古学者のスタンリーアンブローズは、ケニアリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズキャッシュ発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノン旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。

現代の亜種はヨーロッパ移住しており、紀元前4万年から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっとから行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術時間必要だったのであるから収集してネックレスを作ることには重要選択利益があったはずである

実質的貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣使用している文化であっても、事実上すべての人類文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである

進化と協力、そして収集

進化心理学は、ジョン・メイナードスミス重要数学発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から共進化する遺伝子の集団モデルを用いて、単純な戦略的問題ゲーム理論「ゲーム」)で使用される善悪戦略コード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合競争相手提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的問題である囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的問題である「鷹と鳩」などがある。

スミス理論重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争レベルで行われているということである遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性生物学原材料過去進化歴史考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略コード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンス比喩使用であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応であるスミスはこれらの進化したナッシュ均衡進化的安定戦略と呼んだ。

性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的モデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミス理論説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。

旧石器時代人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリハチコロニーなど、動物が協力するのは親族からであり、親族にある自分の「利己遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係存在する。ドーキンス説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲーム典型的な結果である詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。

しかし、動物世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主共生体に進化した場合である寄生虫宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり寄生虫宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲーム成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのであるしかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。

寄生虫宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫宿主が同じ体を共有し、共生生物進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由関係を断つことができる。しかし、クリーナフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。

最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。

このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族であるしかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループコウモリ個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係コウモリを拘束するのに役立つ。

人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題であるドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義正式トークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。

人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである

顔や好意記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである

パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933

パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926

パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017

パート5: https://anond.hatelabo.jp/20210906130125

パート6: https://anond.hatelabo.jp/20210906130158

2021-03-28

シンジの精液をマンコに塗りたくる女(シンエヴァネタバレ感想

鈴原サクラ少尉について。

ヴンダーに戻ってきたシンジビンタしてうれし泣きをする場面と、エヴァに乗ろうとするシンジを銃撃する場面がシンエヴァでの主な見せ場ですね。


前者ではQでの悪印象が反転します。彼女の「エヴァにだけは乗らんといてくださいよ!」は序盤のおさらパートでも採用されており、Qのトラウマ発言フラッシュバックでも関西弁なのでやたら目立っていた印象。しか彼女を振り切って脱走し、フォースインパクト未遂まで起こしたシンジをうれし泣きしながら「あほあほ!」と抱きしめるサクラ

アスカの「女房か、あんたは」のツッコミで、観客も「黒波は退場して、アスカケンケンとくっついて、シンジサクラ結婚するんだな」とわかる親切仕様

アスカシンジ君身元引受書にサインさせるのってそういうことですよね。

でもシンジくんは「あれ?チョーカー付けなくていいの?」くらいの反応。カヲルと黒波を看取った男だ、面構えが違う。


あと、サクラ視点だとDSSチョーカー付けたまま出てったシンジエヴァに乗って覚醒したわけで、あの時シンジは死んだと誤解してたのかもしれません。

マリは帰艦してたけど、顛末までは知らないだろうし。

サクラチョーカーの記録から首パァンしたのは別のパイロットだと知りますが、シンジの目の前で人が死んだのに、なぜ戻ってきたのか理解できないサクラ

生きてたのはうれしいけど、エヴァに乗ってほしくないから戻ってきたのは複雑なんでしょう。シンジさんはケジメつけるために覚悟完了してるわけですけど、誰もそのことには気づいていない感じ。

チョーカーなしで対爆隔離室に保護軟禁)されるシンジ。青葉だかが放置してネルフに利用されるよりはいい、みたいなこと言ってたが、船に乗せたことでシンジエヴァに乗せるという選択肢が生まれたことは事実


この後、アスカに渡されたトウジ一家写真手紙を見てサクラがすすり泣く場面があります

ツバメが無事生まれたことを喜んでいるのかと思ったのですが、ゲンドウの最終計画を阻止できなければ死んでしま家族を想って泣いているんじゃないかともいわれており。

いずれにしろ彼女家族を想う気持ちは強く、家族ニアサーで喪った悲しみも深いものだったと推測できます


第二の見せ場、シンジへの射撃について。

食事シーンでミドリ(ピンク)が「射殺許可出てるんだからいざとなったら撃つ」

疫病神シンジ)のせいで家族殺されたのに、みんな身内に甘すぎ。艦長も信用できない。再生だって元は誰のオシッコかわからないのに、清めればすむなんてそんなわけないじゃん」的な発言をして、ヴィレクルーに窘められます。この後シンジエヴァに乗ろうとして撃たれますよ、という前フリと、シンジを許せない遺族代表としての発言ですな。

唐突なオシッコ発言のせいで某所で飲尿キャラ扱いされる風評被害を受けるわけですけど、もとは汚水なのに、なかったことにして平気で飲み干すなんておかしい!ってのは結構鋭い。そうするしかないってのは頭でわかっているとしても。

その後、サクラシンジに「何かあったら赤いボタン押して呼んでください」と電話するのを、ミドリにらむシーン。おそらくサクラミドリの相部屋ですね。

「こいつも、清めればすむと思って…!」みたいな表情してますサクラシンジの傍にいない理由や、シンジへの思いやりを示す説明パートだと思うんだけど、ミスリードと前フリも兼ねてるんですね。

ネルフ妨害のためセカンドインパクト爆心地に向かうが、冬月の計画にハマって打つ手なしのヴィレ

普通に会いに来て元部下とは普通に話すけど、息子が来たら逃げるゲンドウは見どころの一つ。

インパクト阻止のためにエヴァに乗る決意をするシンジ

当然銃を向けるミドリ

でもやっぱり撃てない。

パァン!

「碇さんはエヴァには乗りません!」

ここでミドリと観客の度肝を抜く展開。サクラシンジの足元を撃つ。そんな素振りなかったっしょ!?

シンジさんはエヴァに乗ったせいで自分も周りも不幸にしたってのは、トウジやヴィレクルーとも共通認識ですね。

でも乗らなくていいじゃなくて、力づくでもエヴァに乗せないのってのは女房特権

でもケジメのためにひるまないシンジさん。

「いいえ、サクラさん僕をエヴァに乗せてください」


「無茶言わんといてください!怪我すればエヴァに乗らんで済みますから」パァン!

2発目はミサトさんが庇って腹で受けるが、動揺しながらもまだ銃はかまえるサクラ

シンジエヴァに乗らなければ人類は滅びていた、責任はすべて自分が取る、とミサトさんが説得するが、

シンジさんは恩人で家族の仇なんや!」と激重感情吐露し、なおも撃つつもりの女房

ミドリ自分の足元を撃って「もういい!明日生きることだけを考えよう!」

銃を落とし座り込むサクラマリ騒動がひと段落したタイミングでスッと出てくるんだけど、女房発言の時にもいなかったし意図的に接点なくしてる?

「なんで艦長撃たれてんだニャ!?」くらいは聞くかもしれないけど、アスカも取り込まれてるしそんな余裕はないのかも。

この後艦長に応急処置をして、処置中の「弾は溶けますから…」発言で(溶けるから何なんだよ)という疑問を観客の心に残すが、ほぼセリフなしでフェードアウト

普通に仕事して、無事脱出します。

ケガをさせてでも止めるという鉄の意志、恩人で親の仇という愛憎の深さをさらけ出して、その後出てこないのが人気の秘密かもしれない。

あと、「明日生きることだけを考えよう」ってのはちょっと気になる。言葉通りだとシンジのことは忘れろってことじゃん…。まぁ、切り替えて今やることをやろう、ってことともとれるが。

仇なのにシンジに向けるのはほぼ恩義で、それでいて恩だけじゃないじっとりした重みがあるのもいいですね。

ここで、シンジエヴァに乗らなきゃインパクト止めれないじゃん!ってのはよく突っ込まれポイント。すでにフォースは発生してほぼ打つ手なしの状況だし。

エヴァに乗らずこのまま二人で…(BGM:甘き死よ、来たれ)ってのも考えられなくはないけど、溶ける弾と応急措置セットで助ける気はマンマンなんですよね。

その場合マリマイナス宇宙ゲンドウと追いかけっこしてもらえばなんとか阻止できるかもしれないけど。

世界より自分大事な人を優先するってのは、ニアサーシンジとか、補完計画ゲンドウと同じなんですよね。その結果結局世界愛する人も両方失うわけです。

で、今回はシンジ自身犠牲になることを選ぶ。

冬月やマリユイのおかげで結局は助かるわけですが。


サクラエンドについて。

サクラシンジへの重い感情を知った後だと、8歳の少女碇シンジ管理担当医官になるまでの14年間はいろんな意味ヘヴィーだったと想像できるわけですよ。

そう考えると一途さヤバいし、シンジ14歳のままずっと寝てたせいで、目覚めたら8歳の親友の妹が14年間自分を想い続けてた22歳に変わってるってのは恐…感動的だと思うんすよね。

あと、シンジがケガをさせた少女医官になって治療する側に回るのとか、シンジが初戦で助けた子が最終戦で引き留めるところとか、

父親和解して自分父親になるとか、サクシンエンドって色々きれいにまとまるし。





こっからサクラちゃんあん関係ないっす。

贖罪とかケジメってのはQとシンでのテーマになってるんすよね。

Qでは「槍でヤリ直す」ことですべてなかったことにしようとしたけど失敗して、カヲル君は爆死。

シンではトウジの「遺族の言葉を受け止めるのも医者のケジメや」の言葉に影響を受けて、命がけでケジメつけようとする。

ミサトさん贖罪自分からしなきゃダメみたいなこと言ってたし。

アディショナルで「過去はなかったことにしない」ことにするのは、ニアサーで生まれた縁を知ったのもあるけど、やっぱ自分の行動に責任を持つってシンジ君なりのケジメなんでしょうね。



三村一見のどか田舎だけど、実態ニアサーの遺族が集まった難民キャンプみたいなもんなんすよね。

知らん人同士の寄せ集めというところも、田舎というより都会っぽい。

やってることはバガボンド農業編なんだけど、村の住民全員吉岡一門の遺族みたいな。



あと、委員長や第三村マダム子供たちが黒波を通じてシンジを立ち直らせるとことか、他人の力で鬱から立ち直るみたいなとこもあったり。

ユーロネルフ殉死職員や加持さん特攻も、自己犠牲文脈ではあるけど利他主義でいい方向に回ってるというのもあり。

死んで花実を残すのは黒波もですね。シンジも周りに助けてもらったけどその覚悟ではあっただろうし。


駅のシーンはやっぱりまだマイナス宇宙じゃないかなぁ。じゃないとチョーカー付けてるのがおかしいし。向いのホームにチルドレンいるし。

無事第三村に帰った描写はするけどその後は映さない(自由想像してね)ってのは徹底してるし。

マリイスカリオテマリアってのはイスカリオテユダマグダラのマリアかなぁ。普通に聖母マリアかもしれないけど。

マグダラのマリアイエスの妻とも娼婦ともいわれてて、裏切り者ユダもだけど聖人だけど罪人でもあるわけで。

大学時代にそんなあだ名付けられるってどうなんだとも思うが。

2021-02-12

はてな政治を語るなら読んでおきたい必読書100選

anond:20210210225201

「100選」って書いたけど、多分50冊もないわ。トラバブコメで埋めてくれ。順番とかは重要度とかではなくて、単に思いついた順。

外国人著者

スティーブン・ピンカー暴力人類史

スティーブン・ピンカー21世紀啓蒙

ジョナサンハイト社会はなぜ左と右に分かれるのか』

チャールズ・マレー 『階級「断絶」社会アメリカ

タイラーコーエン 『大停滞』

ピーター・ターチン 『国家興亡の方程式

ブルース・シュナイアー 『信頼と裏切り社会

デヴィット・グレーバー民主主義の非西洋起源について』

ロビンハンソンケヴィンシムラー 『人が自分をだます理由

マイク・サヴィジ 『7つの階級

ゼイナップ・トゥフェックチー 『ツイッター催涙ガス

A.R.ホックシールド 『壁の向こうの住人たち』

ダグラス・マレー 『西洋自死

ティム・ウー 『マスタースイッチ

セススティーブンズ=ダヴィウィッツ 『誰もが嘘をついている』

ジョージ・ボージャス 『移民政治経済学

ウォルターシャイデル暴力と不平等人類史

ジョシュア・D・グリーンモラルトライブズ』

イヴィッド・ハルバースタムベスト&ブライテスト

ウィリアムマッカスキル 『<効果的な利他主義>宣言!』

リチャード・フロリダクリエイティブ資本論

D.C.ギアリー 『心の起源

ロバート・B・ライシュ最後資本主義

ジェフリーミラー 『消費資本主義!』

トマ・ピケティ21世紀の資本』

日本人著者

森本あんり 『不寛容論』

渡部悦和 『米中戦争

井上達夫リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』

樋口直人、永吉希久子 『ネット右翼とは何か』

橘玲朝日嫌い』

境家史郎 『憲法世論

浅羽通明 『「反戦脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』

倉本圭造 『日本アメリカに勝つ方法

倉本圭造 『「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?』

金成隆一ルポトランプ王国

金成隆一ルポトランプ王国2』

梶谷懐、高口康太 『幸福監視国家中国

木村忠正 『ハイブリッドエスノグラフィー

吉川徹 『現代日本の「社会の心」』

山岸俊男ネット評判社会

東京大学社会科学研究所付属社会調査データアーカイブ研究センター人生の歩みを追跡する』

翻訳

John R Hibbing 『Predisposed』

Charles Murray 『Human Diversity

Thomas Frank 『People Without Power

Douglas Murray 『The Madness of Crowds』

Jonathan Haidt 『The Codding of the American Mind』

Geoffrey Miler 『Virture Signaling』

Thomas Piketty 『Capital and Ideology』

2021-01-31

anond:20210131185717

可哀想だけど私も正直理解できないこと多々あるし苛立つのわかるわ。全て自分本位利他主義で生きてないから腹が立つのかな。協調性を学ぶ機会?が少なかったのかもね。進化生物学的に排除される類型みたいなところがあるのに夜行型で能力が高いから生き残ってるのかな、多分。

2020-06-14

anond:20200614185834

さて、後半やるか…。なんかもう嫌になってきちゃうな。ここから先、自閉症はおろか発達障害さえ出てこない代わりに、「男らしさ」がマジックワードとしてメキメキ頭角を現してきます。「男らしさ」の指標論文によって様々であり、その点にrei氏は意識的かどうかは怪しいところですが、少なくとも段落ごとに「男らしさ」の内容が変転していきます。では読みましょう。

そして当然であるがチー牛顔はモテない。

知らんがな。次。

テストステロン値の高い男性は顔の横幅が広くなる傾向にあり、テストステロン値の低い男性は顔の横幅が狭くなる傾向にある。そしてチー牛の元となったイラスト男性も面長であるが、先進国女性全般に「面長の男性らしくない男性を嫌い、横幅の広い男性らしい男性を好む」傾向が確認されている。例えば、米国若い男女を対象としてスピードデート研究を行ったところ、男性の顔つきの男らしさが短期的な関係に対する女性の関心の差異の34%を説明していることが示された。

https://ink.library.smu.edu.sg/cgi/viewcontent.cgi?article=2727&context=soss_research (論文d)

スピードデートっていうのはいわゆる婚活パーティ。この論文dでは、顔つきの男らしさを、テストステロンに影響されると考えられている顔の縦横比で表しているみたいです。多分婚活パーティでの女性の反応と男性の顔の縦横比の関係を調べたんでしょう。で、rei氏は"先進国女性全般に「面長の男性らしくない男性を嫌い、横幅の広い男性らしい男性を好む」傾向が確認されている。”と書いてますが、この主張の出典はどこですか?論文dの先行研究に触れてる部分にもDiscussionにも、国の発展度合いは女性の嗜好と関連性がある、といった記述は見受けられません。関連性が本当はあるのだとしても、米国内の研究だけを例に挙げて、"先進国女性全般に"と言い切るのは流石に通らないです。もっとも、顔の縦の長さや横の長さが女性にとってなんらかの関心を引く要素の一つであることは間違いなさそうです。これはさすがに誰か気づいて指摘してるだろうと思うんですけど、この論文dを出したのは米国大学ではなくてシンガポール大学なんですよね。ざっと見た感じ、アメリカで行われたともアメリカ人を対象にしたとも書かれてません。次の段落に移ります

また顔つきの男らしさは童貞卒業の早さを予測する因子であることが示唆されている。言うまでもない事であるがチー牛顔は遅い。

https://psycnet.apa.org/record/1994-44767-001 (論文e)

論文eの題は"Dominant looking male teenagers copulate earlier.”、和訳すると支配的な見た目の10代の男子はより早く性交する、ですね。このリンククリックしてもらうとわかるんですけど、Abstract(要約)しか書いてません。本文はどこでしょうか?試しにCitation引用)って書いてる下のあたりのリンクを踏んでみましょうか。でもやっぱりAbstractしかありません。実は、論文ってタダで読める訳じゃないんです。検索して出てきた論文を読みたいと思っても、お金を払って電子ジャーナル学術誌を購読しないと読めないことが多々あります大学生や研究者の場合基本的大学が代わりに費用負担しているので割り当てられたメールアドレスを使えば無料で読めます。私も大学アカウントサインインして読みました。大学生や研究者でなくても大学図書館に行ってコピーすれば印刷代はかかりますが、可能でしょう。しかしこのご時世、ほとんどの大学図書館は解放されていませんでした。以上を踏まえると、rei氏は電子ジャーナル個人購読していると考えられます。なんと素晴らしい心がけ!一般企業勤務年収700万の会社員であるrei氏が支払う購読料で出版不況に喘ぐ学術業界はきっと大助かりのことでしょう。みなさんにこの感動を伝えたいあまり、すっかり前置きが長くなってしまいました。では論文eの内容を概説します。

アメリカの7thGrade、8thGradeの男の子日本で言えば中一中二の男子に対して、男子の性行為経験の有無、身体男性成熟度、リーダーっぽい支配的印象の程度、イケメンな印象の程度の四要素間の相関を統計的処理にかけて調べました。その結果、身体男性成熟が進んでいて、支配的な印象を与える、イケメン男子ほど性的活動が活発な傾向があると判明したそうです。

論文eは捉えがたい「男らしさ」を多面的定義づけ、そして「男らしい顔つき」の男子はより早く性交渉する機会があると分析したわけで、なかなか面白いなあと思ったりするんですが、それをrei氏は"顔つきの男らしさは童貞卒業の早さを予測する因子であることが示唆されている”の一行で済ませてるんですよ。まとめ方が雑。情報取りこぼしすぎ。ちなみに論文eによると支配的な顔つきの男子イケメン男子眼鏡をかけていない傾向があったそうですが、この記述から眼鏡をかけているチー牛顔の男子性的経験に乏しい、とまで言えるのかどうかは正直よくわからないです。次の段落に移ります

しかしながら、チー牛顔がここまで忌避されるのは「豊かな先進国から」という事情もある。たまにインターネットでは「所詮この世は弱肉強食強ければ生き弱ければ死ぬ」みたいな事を言う人間がいるが、この世は弱肉強食ではなく適者生存であり、また社会が豊かで平和からこそ、そのように言ってられる面がある。人間戦争災害時など本当に弱肉強食環境下では、所謂「群れ」になる。そして野生動物の群れを見れば分かる通り、群れ内では弱肉強食摂理は働かず、互助相互監視役割分担といった形で群れ内は「平和」な形になる。これは考えれば当然の事であり、本当に厳しい環境下において同じ種で争っている場合ではない。要するに個人主義は社会平和である事を前提とした価値観なのだ

色々トンチンカンなこと書いてるrei氏のこのnoteで、最も意味不明な箇所がここです。何を言いたいのかマジで把握できなくて、読むだけで一時間くらい費やした。ここまで可読性が低いのはいくつか理由が考えられて、まず接続詞おかしい。段落頭、「しかしながら」は逆接の接続詞のはずですね。前の二段落rei氏が言いたかったであろう主張は「女性は男らしい顔を好む」のはず。しかしながら、この段落では突然、「平和社会状況であることが人々の行動に与える影響」の話が出現します。新規情報です。新キャラです。「しかしながら」の前後で予想を裏切るような意味内容の反転は生じていません。もう一つ指摘するとすれば、対立軸不明確な言葉遣いである点。「先進国ときたら「発展途上国」、「弱肉強食ときたら「共存共栄」、「個人主義」ときたら「全体主義」もしくは利己主義の逆という意味で「利他主義」。こうした対義語リードされてあっち行ったりこっち行ったりしながら議論を進めていくのが一般的なリズムな訳です。現代文の定石です。ではもう一度読んでみましょう。

……………。何が書いてあるか、何を主張したいかわかりましたか?私にはわかりません。とりあえず”この世は弱肉強食ではなく適者生存"の部分に着目してみましょう。なにやら進化論じみた雰囲気しますね。弱肉強食適者生存進化論については、科学史哲学史関連の書籍出版している吉川浩満氏のインタビュー記事がとてもわかりやすかったので、ちょっと長いですが紹介させていただきます

https://synodos.jp/science/17264

この記事によると、弱肉強食世界認識モデルに組み込んでしまうのは素人あるあるらしいです。rei氏も度々モテ/非モテ論の文脈位置付けられる文章を書いていましたね。インタビュー記事は続いて「適者生存概念歴史的経緯へとトピックが移ります吉川氏によると、ダーウィニズム進化目的生物序列を認めない立場なのだそうです。そして、絶滅を免れて生き残った生物種のことを適した生物、すなわち適者であると定めましょう、というダーウィニズムの考え方を端的に表すスローガンこそが、「適者生存」なのです。生存する者を適者とみなす適者生存」とは、ダーウィニズムにおける議論の出発点にすぎなかったんですね。これをひっくり返して飲み込んでしまうと、お前は適者でないか生存できないんだ、俺は劣っているか勝負競争に負けるんだ、となってしまます。これはよくない、本当によくないですよ。優生思想ど真ん中、ナチスドイツの大虐殺。そんでもってこれがrei氏の手にかかると非モテから結婚できないんだという同語反復に陥っちゃうわけです。

わかりましたかrei氏は語の意味をまともに調べることすらせず、雰囲気だけで文章を練り練りしてるんですよ。キリがないんで次行きますね。

それは異性選好においても同様であり、34か国の異性愛女性4483人のサンプルを使用して、社会的、生態学的、経済的変数女性の顔の男らしさの好みをどのように予測するかをテストするかを調べた研究では、国の健康指数人間開発指数が高い国でより強くなると報告された。男らしい顔に対する女性の好みは、子孫の生存率が高く、経済状況がより好ましい条件の下でより強いことを示している。

https://www.nature.com/articles/s41598-019-39350-8論文f)

アッ!前段落最後の部分、"要するに個人主義は社会平和である事を前提とした価値観なのだ。”の意味がわかりましたよ。社会危機的状況に陥っているとき生存を目指して仲良く男女協力して生殖に励むけれど、現代平和で裕福な先進国ニッポンにおいて女性利己的に振る舞うために男性的魅力に乏しいチー牛顔の人々は選ばれないのだ、ってことですね?世が世なら俺たちには女があてがわれるはずだった、でも時代がそうさせなかった、とrei氏は言いたかったんですね?うぅ、頭がクラクラしてきた……。いや、確かに人間動物一種だけどさ、何もそこまで野山の猿やジャングルゴリラと同一視するのはやりすぎでないか?なんだよ、"男らしさの好みをどのように予測するかをテストするかを調べた研究”って。日本語になってないじゃん……。

この段落については、他の方からも指摘がありました。

https://note.com/hiroko_yayane/n/n7970f9279b51

 6/17追記リンク先が謎の理由消滅していましたが、新しく書いて頂いたみたいなので貼り直しました。

 

字数が厳しくなってきたので次の段落いきます

そして男らしい顔つきの男性攻撃性、不正行為自己中心的衝動性、欺瞞搾取的行動など「所詮この世は弱肉強食マインドを持つ傾向があることが示唆されている。要は豊かで自由で安定した先進国になるほど優しい男性モテなくなる傾向が存在するのだ。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4388848/  (論文g)

論文gでは、顔の縦横比と攻撃性の関係しか見てません。先進国の話もモテ/非モテの話もしてません。"要は"以下の部分は導けないと思います

それにnoteタイトルは「何故、我々は三色チーズ牛丼顔なのか?」でしたが、なぜか結論は「先進国ほど優しい男性モテなくなる」に着地しているんですね。

話がめちゃくちゃズレていってるんですよ。rei氏もそれに気づいてないんですよ。

でね、ようやく全部読み終わったと思うじゃないですか。まだ喋らせてください、まだあるんですよ。この記事本当にすごくて、本文の下にあるコメント欄を見てみましょう。

修正リンクこちらになります

https://www.nature.com/articles/s41598-017-09939-y#Sec17論文x)

ま〜た何をどう修正したのかよくわからん論文リンクが貼ってありますね。

私が読んだ時には既に修正されていたんですが、他の方のツイートによると、もともとrei氏は、コルチゾール値が高くなってテストステロン値が低下するから発達障害男性は「男らしくない」顔つきになるという論証の根拠として、結論真逆論文を引っ張り出していたみたいです。

https://twitter.com/reefedgeswim/status/1265592680915931136

この論文xは、タイトルの「ASD男児及び女児における顔面形態学的な超男性化傾向と症候学との関連」からわかる通り、一番最初に読んだ論文aの結論ASD男性の顔は両性具有で男らしくない」とは反対のことが書かれています時系列的には論文aの方が先で、論文xは後。そしてDiscussionの中で論文aと相反する結果について考察しています。その考察によれば、論文aの実験2の対象として選ばれたのは二十歳前後の男女であるのに対し、論文xの実験対象は三歳から十二歳の児童であることが重要な違いを生んだ可能性があるそうです。思春期の間に男性は血清中のテストステロン値が女性と比べて爆発的に増加します。この思春期におけるテストステロンがなんらかの働きをしたせいで相反する実験結果が出た可能性がある、というわけです。しかし、これまたややこしいことに、成人の顔の形に関して出生前テストステロンが与える影響の方が出生後のテストステロンが与える影響よりも大きいとする論文もあるそうで、研究者の間でもどちらがどうだと確定的な結論は出ていないっぽい。

文章誤リンクの件に話を戻しましょうか。可能性の話をしますが、数多くの論文渉猟しているrei氏のことですから、貼りたい論文と題が似ているのを間違えて貼っちゃったのかもしれませんね。訂正前の論文タイトルは"Hypermasculinised facial morphology in boys and girls with Autism Spectrum Disorder and its association with symptomatology”で、訂正後の論文は"Enhanced Cortisol Response to Stress in Children in Autism”です。Autismとin、二つも単語が重複してるじゃないですか!論文タイトルは全体の要旨を簡潔に書き表したものですから、その中の重要単語が二つも同じであれば、内容が近い論文だったような…と曖昧記憶が生成されてうっかり取り違えてしまうことがあってもおかしくないでしょう、とでも言うと思ったかちゃん論文読み込んでるやつがこんな凡ミスするわけねえだろ。だいたいさ、何が正しいのか誰もわからない研究フロントラインで色んな科学者が仮説を立てて検証してディスカッションしてるような事柄の、おそらくこうかもしれない、って部分を、論文からパーセント正しいんだとピックアップしてるのありえん不誠実でしょ。今後まだまだ検証余地があるって書いてあることを揺るぎない事実として取り上げちゃってるってこと、わかりますか?

reiさん、あんまり疑いたくないんですけど、本当に論文読んだんですか?

おまけ

rei氏の書く文章noteでもtweetでも、どういう意図なのか全くわからないけど、ほぼ全て漢数字が半角数字に置き換えられてるんですよね。でも恐ろしいことに、このチー牛顔を取り上げたnoteでは、3色チーズ牛丼顔と書いてないんです……。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20200614190033

2020-06-02

ケチ年収1000万のリアル(あるいは寄付のすすめ)

https://anond.hatelabo.jp/20200530164357

やや乗り遅れたが↑にならいケチ年収1000万のリアルを書いてみる。

32歳男・独身都内在住・年収1000万強。

家賃について

家賃10万、1K。

駅近でオートロック宅配ボックス独立洗面台とかはあるけど、多少高めの学生マンション程度。

在宅勤務の環境が整っていないので少し辛かったが、平常時は特に不便な点はない。

普段食事について

ホワイト企業時間はあるので、朝夜は自炊が多い。

オフィス周辺のランチ相場は高く昼食に平均1000円弱かかっているが、コンビニ飯は辛いのであきらめている。

飲み会などの食事について

チェーン店disられがちなので避けるけど、一人あたり5千円くらいの当たり障りのないお店がメイン。

コンビニスーパーでの買い物

ついつい値段は気にしてしまう。自炊が面倒な時は半額惣菜を狙いにいく。

近所のスーパー2軒の半額シールが貼られるタイミングを熟知していたが、コロナ時短営業タイミングが変わってしまい悲しい。

ビール第三のビールだけど、ワインはやや贅沢して成城石井1000円代のものが多い。

ファッション

ユニクロ

たまにzozo used。(ただし、50%以上割引された売れ残りを狙う。)

女性関係について

合コンの時は周りの付き合いもありほぼ払っている、そもそもまり行かないけれど。

普段は割り勘、というかケチに加えて男女平等思考も強いので、割り勘を嫌がるような人とはどうせ長く続かないと思い付き合わない。

金融資産

貯金+ideco+積立NISA+αで年200万くらい。

車について

東京免許不要

寄付について

これが書きたくてこの増田を書いたわけだが、年間100万くらいしている。

マラリア予防・寄生虫除去・現金直接給付などに取組む最も効率的NPOであれば数十万円で一人の命を救うことができると言われているので、自分仕事で稼ぐ金で一年に1~2人の命を救えると考えるといいことをした感()が安直に清々しいし仕事へのモチベーションも高くなる。

効果的な利他主義」の論者のシンガー収入10%を寄付するのが倫理的義務と言っていて、難しいことはよくわからないけどそれにならって寄付している。

本当は倍くらい寄付してもいいかなと思っているが、将来の不確実性を考えるととりあえず金融資産にして余ったら老後にまとめて寄付すればよいかなと思っている。

そして寄付が板についてくると、消費する際に寄付で救える命とのトレードオフが脳理をかすめるようになり、半額惣菜ばかりを買ってしまケチ生活で満足できるようになる。

結論

寄付はいいぞ!

2018-07-01

anond:20180701163203

それは低能先生こそが真の利他主義を実現してるからだろ

自分悪名を被って、ネットリンチを返すことでその愚かさを知らしめようとする

いいカッコをする偽善者とは一線を画してるな

anond:20180701162120

低能先生利他主義だぞ

ブクマ蔓延ネットリンチをやめさせようとするカウンターを展開してただけ

ブクマ増田にいる誰よりも他人の為に犠牲を払える人間だった

一方お前らは凝りもせずネットリンチを繰り返す

本当に救えない奴ら

2017-08-31

ウホ病のネーミング

あいつもウホ病じゃね?

◼︎ウィリアムズ症 (通称:ウホ病)

あなたは「ウィリアムズ症候群」という病気を耳にしたことはあるだろうか?

この病気一言で表せば「自閉症正反対」で、人間を「友好的過ぎる」状態にするという。

■「あまりにも友好的な」症候群

別名をウィリアムズ・ボイレン症候群ともいうウィリアムズ症候群は、約27の遺伝子を含む7番染色体わずかながら欠けていることによって起こると考えられている。

1961年アメリカ医師J.C.P.ウィリアムズにより報告され、約10万人に1人(最近研究では約2万人に1人が発症するという説も)の割合発症する。「妖精のような顔」と称される上向きの鼻、広い額、小さな顎、大きな耳などの特徴を示す場合が多い。

そして患者は、かなりの割合で心疾患と軽度から中等度の知的障害も抱えているというが、しかしその一方では優れた音楽の才能を持ち、出会う人すべてに愛情を示す。

興味深いことに、シェイクスピア時代道化師の多くは、ウィリアムズ症候群だった可能性があるともいわれている。

しかし、ウィリアムズ症候群の人々はあまりにも愛すべき性格を備えているがゆえに、社会では難しい局面に遭遇してしまう。

彼らは見知らぬ人を抱きしめたり、他人唐突褒め言葉や熱のこもった愛情を示すことがあり、それに不快感を示す他人も多いからだ。

また、一人で行動すると見知らぬ人にお金携帯電話を貸してしまうこともあるという。

■人懐こい犬とウィリアムズ症候群の人々のDNAには類似がある

近年、科学者たちは犬の遺伝子ウィリアムズ症候群遺伝子構造との間に不思議な関連性があることを発見した。

2010年進化生物学者のブリジット・フォンホルトと彼女の同僚は、狼と犬の異なる進化特性を探すため、225頭の狼と85種912頭の犬のDNA検査した。

そして同研究で、犬とウィリアムズ症候群の人々のDNAに、ある類似性が見られることが判明したのだ。

研究者たちが注目したのは、WBSCR17と呼ばれる遺伝子だった。

犬の場合、この遺伝子またはその付近存在する遺伝子は、進化過程において狼よりも人懐こくなるために重要役割果たしていることが判明した。より人懐こい犬種には、WBSCR17遺伝子の発生率が高かったのだ。

そして、ウィリアムズ症候群患者場合、彼らに欠けている遺伝子配列の近くに、このWBSCR17遺伝子位置しているという。

以前より、ウィリアムズ症候群の子どもを持つ親から他者との間に壁を作らないわが子は、まさに犬を思わせる」などの声が上がっていたというが、遺伝子レベルでの解析によって、この奇病の原因が少しずつ判明してきているというわけだ。

まだまだ研究は途上だが、科学者たちはさらに謎に迫りたいと考えているようだ。

■高度な遺伝進化

さて、人間に最も近い霊長類動物の1種であるボノボは、交尾コミュニケーションの道具として使い、彼らの社会構造平和に維持していることで知られている。

そして我々人類は、社会的利他主義を学ぶことによって、自らの狂暴な性質によって招きかねない種の破滅から逃れてきたという神経生物学研究結果もある。

ウィリアムズ症候群の子どもは他人への共感性が高く、警戒心を持たず、また人種的偏見もない。

一般的には幼児でさえ、自分と同じ人種を好む傾向があることを示す研究結果もあるが、「人種によって人を測る」神経回路がウィリアムズ症候群の子どもたちでは欠損しており欠陥のある人格といえる。

ウィリアムズ症って言いづらいから、勝手に「ウホ病」って呼ばせてもらうわ

「ウ」ィリアムズ 症

知的障害入り=ア「ホ」

同性にも異様に親密 → ウホ病な

ウホ病患者って具体的にどういう奴なんだ?

小学校の時、男に抱きついてホモって言われてた友達とか、会社の同僚の男で営業なんだけど、保険勧誘してすぐ抱かれちゃうのとか、ああいうのもウホ病なの?

https://anond.hatelabo.jp/20170831084107

「ウホ病」患者急増の謎

ウホ病っぽい芸能人って誰かいる?

◼︎ウィリアムズ症 (通称:ウホ病)

あなたは「ウィリアムズ症候群」という病気を耳にしたことはあるだろうか?

この病気一言で表せば「自閉症正反対」で、人間を「友好的過ぎる」状態にするという。

■「あまりにも友好的な」症候群

別名をウィリアムズ・ボイレン症候群ともいうウィリアムズ症候群は、約27の遺伝子を含む7番染色体わずかながら欠けていることによって起こると考えられている。

1961年アメリカ医師J.C.P.ウィリアムズにより報告され、約10万人に1人(最近研究では約2万人に1人が発症するという説も)の割合発症する。「妖精のような顔」と称される上向きの鼻、広い額、小さな顎、大きな耳などの特徴を示す場合が多い。

そして患者は、かなりの割合で心疾患と軽度から中等度の知的障害も抱えているというが、しかしその一方では優れた音楽の才能を持ち、出会う人すべてに愛情を示す。

興味深いことに、シェイクスピア時代道化師の多くは、ウィリアムズ症候群だった可能性があるともいわれている。

しかし、ウィリアムズ症候群の人々はあまりにも愛すべき性格を備えているがゆえに、社会では難しい局面に遭遇してしまう。

彼らは見知らぬ人を抱きしめたり、他人唐突褒め言葉や熱のこもった愛情を示すことがあり、それに不快感を示す他人も多いからだ。

また、一人で行動すると見知らぬ人にお金携帯電話を貸してしまうこともあるという。

■人懐こい犬とウィリアムズ症候群の人々のDNAには類似がある

近年、科学者たちは犬の遺伝子ウィリアムズ症候群遺伝子構造との間に不思議な関連性があることを発見した。

2010年進化生物学者のブリジット・フォンホルトと彼女の同僚は、狼と犬の異なる進化特性を探すため、225頭の狼と85種912頭の犬のDNA検査した。

そして同研究で、犬とウィリアムズ症候群の人々のDNAに、ある類似性が見られることが判明したのだ。

研究者たちが注目したのは、WBSCR17と呼ばれる遺伝子だった。

犬の場合、この遺伝子またはその付近存在する遺伝子は、進化過程において狼よりも人懐こくなるために重要役割果たしていることが判明した。より人懐こい犬種には、WBSCR17遺伝子の発生率が高かったのだ。

そして、ウィリアムズ症候群患者場合、彼らに欠けている遺伝子配列の近くに、このWBSCR17遺伝子位置しているという。

以前より、ウィリアムズ症候群の子どもを持つ親から他者との間に壁を作らないわが子は、まさに犬を思わせる」などの声が上がっていたというが、遺伝子レベルでの解析によって、この奇病の原因が少しずつ判明してきているというわけだ。

まだまだ研究は途上だが、科学者たちはさらに謎に迫りたいと考えているようだ。

■高度な遺伝進化

さて、人間に最も近い霊長類動物の1種であるボノボは、交尾コミュニケーションの道具として使い、彼らの社会構造平和に維持していることで知られている。

そして我々人類は、社会的利他主義を学ぶことによって、自らの狂暴な性質によって招きかねない種の破滅から逃れてきたという神経生物学研究結果もある。

ウィリアムズ症候群の子どもは他人への共感性が高く、警戒心を持たず、また人種的偏見もない。

一般的には幼児でさえ、自分と同じ人種を好む傾向があることを示す研究結果もあるが、「人種によって人を測る」神経回路がウィリアムズ症候群の子どもたちでは欠損しており欠陥のある人格といえる。

http://tocana.jp/2017/08/post_14267_entry.html

ウィリアムズ症って言いづらいから、勝手に「ウホ病」って呼ばせてもらうわ

「ウ」ィリアムズ 症

知的障害入り=ア「ホ」

同性にも異様に親密 → ウホ病な

ウホ病患者って具体的にどういう奴なんだ?

小学校の時、男に抱きついてホモって言われてた友達とか、会社の同僚の男で営業なんだけど、保険勧誘してすぐ抱かれちゃうのとか、ああいうのもウホ病なの?

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205214125

利己主義者たちが利他主義者を製造コントロールする社会で、

利己主義者を滅ぼしたところで、第二第三の利己主義者が現れ再び現世に災いをもたらすだろう。

からこそ私は増田盲目利他主義者たちに自律共存の教えを説き、真なる目覚めへと導かなければならない。

目覚めた彼らは利己主義者の意図理解し、適切に拒絶することができるようになるだろう。

そして各個人は自ら生きる術を磨き、略奪ではなく共存によって繁栄を目指すユートピアが作られるはずである

2015-09-24

ジャック・アタリ(2008)

ジャック・アタリ氏のNHKインタビュー

①~⑤まで順序立てて進行せず、もしかすると同時進行になるかもしれない。

①第一の波 「アメリカ支配崩壊

アメリカは、自国赤字解消やインフラ整備のため、世界から撤退

アメリカにとってかわれば、悲劇が起こる。

②第二の波 「多極型秩序」

20が良い例で、20カ国がそれぞれ統治する。また、「国家グローバルな市場よりも弱い」。

各国間の国際協調グローバルに勝てない。

自国国益を守るのに精一杯。

③第三の波 「超帝国

グローバル市場帝国になり、全てが民営化

その中で、二つの力が強大になる。

一つ目は、「エンターティメント」国民大事物事から目をそらさせるため。

二つ目は、「保険世界リスクから身を守るため。

インターネットが人を監視する技術革新が行われる。

政府からインターネットを通じて、厳しく監視される社会になる。

監視対象は、あくまでも「物」であり、「個人」の自由を損ねるものであってはいけない。

④第四の波 「超紛争

気候エネルギーの変化が起こり、様々な地域紛争がおきる。

誰もコントロールができない。

市場無秩序化される。

紛争において、ノマド遊牧民族=定住しない人々)が重要役割を果たし移動する人が増える。

ノマドは三種類に分けられる。

A)超ノマド世界中どこでも行ける人、全世界で1千万程度)

B)下層ノマド(非常に貧しい人達世界で30億人)

C)パーチャルノマド(定住者だが、TVやインターネット仮想パーチャルを楽しんでいる人達

人類において貧困層の拡大がおこる。

市場メカニズムによる方法は失敗する。

痛みで国が混乱。

⑤第五の波 「超民主主義2060年頃~

別の統治方法が考えられる。

それは、「利他主義」=人は他人を援助することによって幸せになれること。

トランスヒューマン重要役割を担い、新しいエリートとなる。

2015-05-20

自己犠牲について

http://anond.hatelabo.jp/20150520224717の追記として

それでも、自己犠牲に先はないよ

 むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。

するとある日いたちに見附みつかって食べられそうになったんですって。

さそりは一生けん命遁にげて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、

そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、

もうどうしてもあがられないでさそりは溺おぼれはじめたのよ。

そのときさそりは斯う云ってお祈いのりしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。

それでもとうとうこんなになってしまった。

ああなんにもあてにならない。

どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉くれてやらなかったろう。

そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。

こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸さいわいのために私のからだをおつかい下さい。

宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」より、「九、ジョバンニの切符



宮沢賢治作品には、自己犠牲精神が深く根付いている

それは彼の宗教観仏教(特に法華経)やキリスト教に影響されている

私は、彼の作品を非常に好ましく思う

その一方で、酷く嫌悪もしている

どうして蠍が自分の身を食わしてやらねばならなかったと思い、食わせられなかった事に後悔しなければならなかったのか

その自己犠牲精神は危うい

蠍の存在価値存在意義存在理由も、いたちによって担保されるべき事柄ではないはずだ

蠍は蠍個人の理由によって生きればよいだろうし、それを他人がとやかく言うべきことではない

それなのに、どうしてさも、いたちに食べられなかった蠍には存在意義がないなどと言い放つの

そうした極端な利他主義の辺縁に、本当の幸いや人生の意義はあるのか

他人尊重とはつまり自己確立から始まるのではないのか

そして何より、自分存在意義を売り渡しているのが気に食わない

自分他者境界が弱すぎる

自我漏洩をしている場合ではないだろう

境界パーソナリティ障害ではないのだから、自他の境界くらいはっきりしたまえよ

誰が自分を許し、罰し、救い、貶めるのか

自分自身以外にあり得はしない

 春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。自覚てゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我

坂口安吾著「余はベンメイす」より


結局、自己犠牲の行きつく先などたかが知れている

自分を投げ打つ事でしか自分確立できないなど、本末転倒であると言わざるを得ない

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん