「社会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 社会とは

2016-05-29

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

を拝聴してきたので簡単にまとめたい。感想としてはなんとなくグローバルヒストリーの影響が強いように思った。

ヨーロッパ統合とその起源、そしてのヨーロッパ中心主義への批判といった感じだった。

ヨーロッパ文明担い手という自覚は17〜18世紀台頭するオスマン対峙した事と

アメリカ大陸発見植民地化によって育まれたそうだ。

ヨーロッパは15世紀ら17世紀のまでの間に、2つの前線東方におけるイスラーム

オスマン帝国といの引き続く対立と、ほかの大陸ヨーロッパへの拡張

ーとの関わりで文化的概念として展開した。

こうした争いこそがヨーロッパ地理的文化的概念として作り上げたのである

(What is Europe?より)

ヨーロッパ文明担い手という優越意識を示す例として学校教育国際学会の提唱したコメニウスは次のように述べている

今日ヨーロッパは、帝国宗教、学知、技芸など人類が卓越しているすべての点で、世界で最も豊かな部分であるヨーロッパはほかのあらゆる部分を凌駕し、現在過去のあらゆる時代世代凌駕している。・・・広さの点ではアフリカにもアジアにも及ばぬもの品位においてはそれらを越え、ヨーロッパ比較すればすべて粗野で野蛮にみえる。

こういったヨーロッパ優越意識は18世紀後半にヨーロッパがほかの地域に比べて優位に立つ際に帝国主義と共に顕著になった。啓蒙主義流行した時代であるが、啓蒙主義もまたヨーロッパ中心主義人種差別的な面があったのは注意すべきである哲学者カントは次のように述べている。

アフリカニグロは、将来ばかげたものをこえる何の感情も持っていない。

(中略)

白人黒人というこれらの人間種族間の差別はかくも本質的であって

また文化的に野蛮な非ヨーロッパ啓蒙するという事で帝国主義侵略正当化された。

J.Sミル

>>未だに野蛮な国々は、外国人(白人)によって征服され従属させられるという時期をまだ過ぎていない。

文明国政府は野蛮な隣人をもつことが避けられない。そして野蛮な隣人がいる際には、防衛的な姿勢で満足できるとは限らず…長短の違いはあれ我慢の時期を経た後に、その野蛮な隣人を征服したりせざる得なくなる

<<

と言っている。

アフリカアジア植民地に対する正当化としてさらトクヴィルユゴー発言を載せる

トクヴィル

これらの半ば野蛮なアフリカの国々は、中世の末期にヨーロッパで起こったものと非常によく似た社会発展を今経ているのである

ユゴー

世界の相貌は変化するでしょう。

(中略)

アジア文明を取り戻し、アフリカ人間を取り戻すでしょう。すべては人の労働のもと、世界の全血脈のあらゆる部分で

豊かさが溢れだし、悲惨さは消滅するでしょう。

(中略)

革命を起こす代わりに人は植民地を作るでしょう。文明に野蛮をもたらす代わりに野蛮に文明をもたらすでしょう。

またヨーロッパ内の「野蛮」として排除されたロマジプシー)も忘れてはならない

ロマ研究家のイアン・ハンコックは次のように述べている

ロマニはどこにも登場しなかった。これらの本の著者は誰も、ロマニがヨーロッパ歴史あるいは文化の一部をなすとは考えなかったのだ

ヨーロッパまたは文明標準の拡大

18世紀後半から19世紀ヨーロッパは「啓蒙」を通してヨーロッパというか西洋アメリカなどヨーロッパ大陸を超えて拡大していったが、

ヨーロッパと認められるには文明標準を満たす必要があった。

文明標準には基本的人権保証国内法の整備と法の支配国際法の順守、近代的な官僚機構軍事などに加えて、

植民地の保持、ヨーロッパ的な文化的習慣と野蛮な非ヨーロッパを捨てること、などがありヨーロッパ中心的でほかの地域に対する排他的視点があったことも忘れてはならない。

アメリカオーストラリアといった地域近代化に加えて植民地を得ること(ベルリン会議など)によって西洋国家としてみとめらたのである

また明治維新によって近代化した日本植民地もつことによって初めてヨーロッパ的な文明国としてみとめられたのである

大戦ヨーロッパ統合

植民地で行われた暴力ヨーロッパ還流され2つの大戦で真価が発揮された。

クーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ論やシューマン宣言によってヨーロッパ統合へと向かうが、初期は植民地支配肯定されていたのは留意すべきであろう。

ヨーロッパ統合が自らを相対化出来ずにヨーロッパ中心主義から脱却できずに既に終わってしまったヨーロッパ栄光にすがりついているのではないかという非難もある。

Kalypso NicolaidisEurope's post-imperial conditionより

EUとその加盟国再生産されているという意味でのポスト帝国主義的な

考えと振る舞い方の習性を「脱中心化」しなければならない。

それは、ヨーロッパ世界的な覇権を握っていた19世紀から発している態度であり、ヨーロッパ世界情勢の中心、

ヒエラルキーの頂点に以前としてすえ続ける習性である

また現在難民問題ヨーロッパが本当に脱中心化し自らを相対化できるかどうかの試金石であるとして木畑洋一先生は話をしめくくった。

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

を拝聴してきたので簡単にまとめたい。感想としてはなんとなくグローバルヒストリーの影響が強いように思った。

ヨーロッパ統合とその起源、そしてのヨーロッパ中心主義への批判といった感じだった。

ヨーロッパ文明担い手という自覚は17〜18世紀台頭するオスマン対峙した事と

アメリカ大陸発見植民地化によって育まれたそうだ。

ヨーロッパは15世紀ら17世紀のまでの間に、2つの前線東方におけるイスラーム

オスマン帝国といの引き続く対立と、ほかの大陸ヨーロッパへの拡張

ーとの関わりで文化的概念として展開した。

こうした争いこそがヨーロッパ地理的文化的概念として作り上げたのである

“(What is Europe?より)

ヨーロッパ文明担い手という優越意識を示す例として学校教育国際学会の提唱したコメニウスは次のように述べている

"今日ヨーロッパは、帝国宗教、学知、技芸など人類が卓越しているすべての点で、世界で最も豊かな部分であるヨーロッパはほかのあらゆる部分を凌駕し、現在過去のあらゆる時代世代凌駕している。・・・広さの点ではアフリカにもアジアにも及ばぬもの品位においてはそれらを越え、ヨーロッパ比較すればすべて粗野で野蛮にみえる。"

こういったヨーロッパ優越意識は18世紀後半にヨーロッパがほかの地域に比べて優位に立つ際に帝国主義と共に顕著になった。啓蒙主義流行した時代であるが、啓蒙主義もまたヨーロッパ中心主義人種差別的な面があったのは注意すべきである。感とは次のように述べている。

"アフリカニグロは、将来ばかげたものをこえる何の感情も持っていない。”

(中略)

白人黒人というこれらの人間種族間の差別はかくも本質的であって”

また文化的に野蛮な非ヨーロッパ啓蒙するという事で帝国主義侵略正当化された。

J.Sミル

"未だに野蛮な国々は、外国人(白人)によって征服され従属させられるという時期をまだ過ぎていない。"

"文明国政府は野蛮な隣人をもつことが避けられない。そして野蛮な隣人がいる際には、防衛的な姿勢で満足できるとは限らず…長短の違いはあれ我慢の時期を経た後に、その野蛮な隣人を征服したりせざる得なくなる"

と言っている。

アフリカアジア植民地に対する正当化としてさらトクヴィルユゴー発言を載せる

トクヴィル

これらの半ば野蛮なアフリカの国々は、中世の末期にヨーロッパで起こったものと非常によく似た社会発展を今経ているのである

"

ユゴー

世界の相貌は変化するでしょう。

(中略)

アジア文明を取り戻し、アフリカ人間を取り戻すでしょう。すべては人の労働のもと、世界の全血脈のあらゆる部分で

豊かさが溢れだし、悲惨さは消滅するでしょう。

(中略)

革命を起こす代わりに人は植民地を作るでしょう。文明に野蛮をもたらす代わりに野蛮に文明をもたらすでしょう。

"

ヨーロッパまたは文明標準の拡大

18世紀後半から19世紀ヨーロッパは「啓蒙」を通してヨーロッパというか西洋アメリカなどヨーロッパ大陸を超えて拡大していったが、

ヨーロッパと認められるには文明標準を満たす必要があった。

文明標準には基本的人権保証国内法の整備と法の支配国際法の順守、近代的な官僚機構軍事などに加えて、

植民地の保持、ヨーロッパ的な文化的習慣と野蛮な非ヨーロッパを捨てること、などがありヨーロッパ中心的でほかの地域に対する排他的視点があったことも忘れてはならない。

アメリカオーストラリアといった地域近代化に加えて植民地を得ること(ベルリン会議など)によって西洋国家としてみとめらたのである

また明治維新によって近代化した日本植民地もつことによって初めてヨーロッパ的な文明国としてみとめられたのである

大戦ヨーロッパ統合

植民地で行われた暴力ヨーロッパ還流され2つの大戦で真価が発揮された。

クーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ論やシューマン宣言によってヨーロッパ統合へと向かうが、初期は植民地支配肯定されていたのは留意すべきであろう。

ヨーロッパ統合が自らを相対化出来ずにヨーロッパ中心主義から脱却できずに既に終わってしまったヨーロッパ栄光にすがりついているのではないかという非難もある。

Kalypso NicolaidisEurope's post-imperial conditionより

EUとその加盟国再生産されているという意味でのポスト帝国主義的な

考えと振る舞い方の習性を「脱中心化」しなければならない。

それは、ヨーロッパ世界的な覇権を握っていた19世紀から発している態度であり、ヨーロッパ世界情勢の中心、

ヒエラルキーの頂点に以前としてすえ続ける習性である

また現在難民問題ヨーロッパが本当に脱中心化し自らを相対化できるかどうかの試金石であるとして木畑洋一先生は話をしめくくった。

http://anond.hatelabo.jp/20160529175713

まりここも現実社会ではボソボソしゃべっててサンドバッグになってるようなキモオタばっかりなんだな

http://anond.hatelabo.jp/20160529141152

そうか、知らんかったのか

たぶん君が知らんだけで、そういう「活動家世界」はそこかしこにあるぞ

左翼だけじゃなくて、右翼宗教も、社会には色んな思想活動がある

そもそも表現活動って、昔から権力体制に対する抵抗や抗議のためでもあったか

日本の慣習について

何日か前にもブログで書いていた人がいた。日本の慣習のなかのあるものデメリットを感じて、「いらない」と思うものを挙げる内容だったと思う。

時代の移り変わりの中で、不必要とされたり、変更が必要因習は確かにあると思う。

例のブログはそこまで至らず、自分が思う「いらない」ものをただ列挙するにとどまっている。だから中学生みたいな印象を受ける。

挙げた因習について、



①何故、今不要なのか? 不要たる社会的要因は何か(例えば年賀状は、インターネットで連絡が密になったために書簡による賀礼の重要性が低下したため、だとか)。

②あるいは、なぜ不要とも思える慣習が存続しているのか。慣習のメリットは。

③廃した場合どういう影響があるか。

現実的廃止するにはどういうアクション必要か。期間やコストは。



というような要素を検討して、実現可能か論じないと意味がない。

そこまで妥当思考を出来ないと、あの文章ブログにする意味がない。中学生でも、あるいはだいたいの大人でもふと思うことだからだ。

そこから突っ込んで、何が今の社会必要で、何が不必要かまで考えなくてはならない。繰り返すがそこまで考えなくてはならない。あの文章を書くならば。

その思考をせずに、文章ネット開陳して恥ずかしくないのだろうか。

色々ある、一見すると不要とも思える因習にも、何か意外なメリットがあったりする。

あるいは、廃することが妥当因習でも、取り除くことが現今の社会では難しいものもある。

そういうところを吟味したブログを読みたいのに。一般人が書いているのだからそこまで求めなくても、と思う人もいるかもしれないけれど。

でも、ふだん働いたり学んだりするなかで、誰しもそういう知見って得られるのではないかと思うのだ。

ただ駄目なところを挙げるんじゃない、そこから思考することは誰もが出来ることだと思うんだ。というか今の社会では、思考力はかなり重要だと思う。

一般人だって自分仕事学業から考え、立論することが大切だ。




日々の生活からディシプリンを積むべきだ、というのが私の意見

そしてあのブログにはそれが微塵も感じられず残念だ、というのが私の意見です。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。


Q.もしタバコが誰にとっても安全なモノになったとき喫煙エリア禁煙エリア嫌煙家などはなくなりますか。

そんなタバコを吸いたい人がいるかはともかく、答えはNOだ。

誤解している人もいるが、それがルールマナーとして運用されていることとは本質的には関係がないのさ。

過去に回答したように、タバコ有害性とかの「合理的理由」は、あくまで「分かりやす理由」であって必須要素ではない。

合理的理由があるかどうかで決められているなら、この世のほとんどのルールマナーはなくなっているからな。

ルールマナー本質的価値は、「多種多様人間が同じ社会で生きていくうえで、トラブルの元になるものを未然に防ぐ」ものだったり、「環境を最高ではないけれど、それなりには快適にするためのもの」だ。

合理的理由があるか」ということは重要じゃない。

仮に合理的理由があったとして、それらルールマナー運用する人たちが、それを把握して運用しているとは限らないしな。

しろ、そういう人たちでも行使できるように制定されるわけだが。

もちろん、君個人の「気になる」「気にならない」だとか、そのルールマナー客観的にみた正当性なんてこと私は知らんよ。

あえて学ぶべき教訓は、「良くも悪くも世界自分中心に回っていない」といったところだ。

ルールマナーは君を守るために作られたわけではないが、それに助けられることもあるんじゃないかな(逆の可能性もあるが)。

それに納得するか、感謝するかは君の自由だが、ルールマナー本質的価値必要性理解して週末を過ごしてくれたまえ。

……なんだか、過去の回答と似たような内容になってしまったな。

ネタ切れじゃないぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20160529042340

文面自体から漂ってくる感じだけで判断すると、ものすごい思い上がりとしか言いようがない。

まず自分が救う側に立ってこういう人間になることはないという勘違いに満ち溢れているし、いつぞやもしかしたら自分自身おかしくなるかもしれない、という可能性を除外している。だからこそ「救ってあげる」的な上から目線思考が脳裏をよぎってしまう。

加害者がもともと二次被害だってのは別におかしい考え方じゃない。本来加害者にならないで済んだ人もいるだろう。

あくま元増田救世主的な偽善性に満ちてるから嫌だという話をしている。

さら社会保障的な立場から言えば、そういう男性の選別から治療にかかる費用なんかどこで捻出するんだろうか。

一部でも反社会的行動を取りそうな人間が入れば直ちに収監されるわけだ。場所必要だしね。

残念だけどおかしなっちゃったマイノリティとして社会黙殺されるしかないんだよ。誰も救えはしないから。

とりあえず今を生きている

まだ20代大学生という身分ではあるが、正直自分としてはそう感じていない。

大学自体に憧れなんてなかったし、結局は高校教師家族から口酸っぱく言われてやってきただけだった。

本当の自分なんて理解してもらえてなかった。



小学校5年生まで勉強普通にやれていた。だが、学校に行くことが当たり前としていた自分の中では、学校のもの苦痛に感じていた。

生徒であっても担任から人格否定され、同級生達が馬鹿にしてくる理由が分からない。

その頃から生きる意味さえも見失い、毎晩コンクリートの壁に何度も頭突きをし、5メートル程の高さのあるベランダ真下を見るようになった。



親に勝手に入らされた習い事も相当のストレスだったが、それ以上に平日の朝を迎えることが自分にとっては絶望に感じていた。

大きな理由が「日記帳」だった。

その日記帳には指定された字数を書かなければならなかったが、当時の俺は家族と一緒じゃないと出掛けられなかったし、ゴールデンウィーク休日はずっと家にいてもおかしくない生活だった。

そんな自分だんだん書かなくなり、当然怒られるのと同時に頭部を殴られる。あの時は苦痛しかなかった。毎朝出るにも吐き気が増し、何の理由もなく夜更かしすることが多かった。



そんなことがあったが無事に小学校卒業し、中学に入ってリセットはされる筈だった。

馬鹿にされることは変わらない。「そんなことの何がおかしいんだ!」と言っても結局はあいつらの暇な玩具みたいな存在しか見られてなかった。

救いとしては今でも飲み交わしている文系部活の友人達だ。もし彼らに会っていなければ、自分は本当の孤独になっていたのかもしれない。



高校時代は正直思い出すことがない。

それは「受験」というもの理解していなかった自分のツケが回ってきたのと当時の学校教育システムに疑問を持たなかったことだ。

私立高校だったが最終的に思い出すのは「まるで監獄のような所」という印象でしかない。

教員の中には授業の途中で変更された人もいたので名前すら覚えることがなかったからだ。

部活運動部所属してみたが、大して記憶には残らなかった。それよりかは自分が好きでやり通していた趣味の方に力を入れていたのかもしれない。



結局自らのねじ曲がってしまった人格を変えることはできなかったが、中学時代に戻りたいという後悔が残っていた。

後悔の一つとして親友ではないが、ある女子生徒が自分を褒めてくれたことを今でも時々思い出す。

ただの思い違いではあるが、別の意味で緊張して頭の中でおかしいと思うくらいのレベルだった。



恋煩いとは認めたくないが、その頃見ていた夢にはある女性が映り続けていた。

少々ぼやけてはいたが、話しかけてくれた彼女容姿に似ていたのだ。

ある時は連絡先を交換、またある時はマラソン大会応援から見える姿、同級生からアプローチを掛けられている彼女をずっと凝視田舎の駅で二人揃って話し合っていたりしていた。

それまではB級スプラッター映画のワンシーンみたくグロテスクな夢しか見ていなかった自分としては何故か寒気がした。

もし彼女に会えるとしたらあの時できなかった「普通の会話」をしたい。叶わないただの願望ではあるが、ただそれだけである



そして、現在派遣バイトで多少の小銭を稼ぎ、好きなことに投資している。

強制ではないので休めるし、少し金銭的に余裕が持てるようになれたと実感している。



ただ、問題視されるのは就職先の事だろう。大学生としてなったからにはモラトリアムを金で買ったも当然である

自分不器用人間からそれ以上に他人に認めてもらう力がないといけない。日本社会学歴新卒制度によって決定することは変わりない。

世の中には高卒でもある程度の地位幸福を持っている人がいることを知ったし、共依存までとはいかないが、協調社会の中で生きる為には自分営業として売る術がないといけないと思う。

若い人達学校に行くことが当たり前であるかどうかまでは分からないが、これだけは譲れないというプライドの持てるモノを一つでも身につけてほしいと願っている。



こんな長々とした支離滅裂文章を見て共感する者なんていないと思うので個人的に好き勝手で書かせてもらった。

とりあえずつまらなくなってしまった現代で生き続けていきたい。

http://anond.hatelabo.jp/20160528103041

責任について重く考えすぎなんだよ

あくま仕事だろ?仕事なんて自分が生きるために仕方なくしてること

それで死んでしまったら働く意味が無い。

社会の目なんてどうでもいい。責任なんて実体のないものより自分という実体を大切にしろよと

2016-05-28

世間の中も世間の外も地獄から世間死ね

しか世間が死んだところで俺に居場所など無いのだ。最初から無いのだから

 

去年は社会に見放された人間世界に降りてみたが、

そこはお互いを否定しないというドグマに囚われた人々が有害人間排除できなくなっている新しい地獄だった。

こんなどうしようもないコミュニティでは世の中どころか自分すら救えない…

そう思って見切りをつけたまではいいけれど結局居場所を見つけられずにいる。

この世は地獄だ…

 

結婚はできなくていいけど誰かに承認されなければ死んでしまうだろう。

ただ、金を出して誰かに承認されたところで金が出せなくなったら承認されなくなるだろうし

結局は承認欲求のものを殺していかなければならないのかもしれないなあ。

そう考えてみたもののそこまで立派な人間になれそうもない。

どうすればいいんだろう…

アイドルなんかいますぐ全員やめろ

ストーカーにめった刺しにされたり、握手では飽き足らず空気を売るという暴挙にうって出たアイドル市場に関して書いていく。

日曜日の朝10時からフジテレビ放送されているワイドナショーという番組

その番組古市憲寿さんが言っていたことにひどく共感したことを覚えている。

アイドル宛てに送られたプレゼントぬいぐるみの中に盗聴器が仕掛けられていたというニュースをうけてのコメント

アイドルファンよりアイドルが怖い。化け物に見える」と言っていた

僕も同じように思う。アイドルという生き物が怖いのだ。10代や20代前半で技能的に承認される術はないにも関わらずテレビの前に現れ私の存在承認してと、歌って踊る様は時に化け物のそれに見える。

今回、ついにシャレにならないニュースが飛び込んできた。アイドルがそのファンにめった刺しにされるという目を覆いたくなるほどの悲惨ニュースだ。


ニュース単体で見れば狂った犯罪者奇行だとしか言えないがアイドルという商売リスクが最も最悪の形で表れてしまった。

存在承認人材承認

アイドル存在承認であり人材承認ではない。社会には家族のように存在のものを求められる場合仕事などで要求されるようにその人の能力が求められる場合がある。

前者が存在承認後者人材承認だがアイドルのそれは存在承認にあたる。歌がうまくなくてもそれすらかわいい、トークができなくてもいい、社会人としての最低限の能力であるコミュニケーションスキルでさえ塩対応とかわいがられる。

何もできないと書くとたいへんな語弊があるがある程度、無条件に承認されるのがアイドルだ。そして本来家族しか持ちえない存在承認不特定多数から集めれば時にストーカーのような強固でゆがんだ愛情を持つ人間が現れるのも自然といえば自然だ。今回のニュースだけの話ではない。そういうふうに出てきたストーカーは悪であることは間違いないが赤の他人異常な愛情を持つという観点から言えば悪く言えば幼稚でありよく言えば純粋といえてしまう。犯罪行為文句なく悪である家族に接するように他人と接する人間のことを果たして悪と断じて良いのか僕にはわからない。むしろアイドルという商売が持つ構造的な問題のほうが大きいように見えてしまうからだ。


なぜCDを何百枚も買う人間がいるのか?

これも存在を認めてあげるという観点説明がつく。こちらはストーカーのような悪とは違いむしろポジティブ意味もあるが我が子に与える教育費を厭わないようにアイドルCDを何百枚も買う人間ストーカーと同じだ。どちらに振れるかだけの違いでしかない。CDを買う人間ポジティブストーカーになる人間ネガティブ意味を持つが問題はその感情を揺さぶアイドルという振り子のものなのではないかと思えてならないのだ。

今一度、こんな承認欲求が取りざたされる社会なのだから確認すべきことがある。「誰から承認される人間などいない」ということを。歴史を振り返ればキリスト仏陀ですら批判されかのソクラテスですら裁判にかけられて死んだ。アイドルは笑う。よく笑う。それはうしろめたさなどないような素敵で透明感のある顔で笑う。

しかしそれでもなおかわいくないと本気で思う人間がたしかにいる。けれどそれは無視すべき声ではないのだ。アイドルであっても関係ない。そういう人間を捨て置くのは得策ではない。承認においては絶望することが人間には必要なのだ。さればこそきちんと人と接することができるようになる。


無様なアイドル

有吉弘行テレビグラビアアイドルは実際に表にでてくるとがっかりするといっていた。彼は毒舌を売りにしているのでそれは差し引いて評価しなければいけないのだろうが上記のようにグラビアアイドル内面性のなさというものグラビアアイドルになるという精神性によるところが大きいとも言っていた。

この言動が芸なのか本音なのかわからないが女性アイドルSNSなどを見てみてもいわゆる人の含蓄がにじみ出ているようなブログついったーは見たことがない。自分を殺すような物語も聞いたことがない。彼女達は愛される能力は非常に高いのだろうが愛する能力に関しては幼いのだろう。

マネージャーがつき不特定多数から愛される様はまさにアイドルなのだろうが、彼女たちはその人間性においては何様でもない。ピュエリリズム体現している姿はむしろとても無様だ。

砂を噛め。愛されるのではなく愛するほうがはるかに尊い。アイドルなんかいますぐ全員やめろ。

煙草お酒の害について

 もう何週目だ、というくらい定番話題だけれど、ブクマコメントなどを眺めていると、煙草に対してあれだけ厳しいはてな民の方たちが、お酒に関しては随分寛容なので不思議に思う。

 まず、本人の受ける健康被害ということは、自業自得というかそれこそ基本的には本人の問題なので一旦後回しにするとして、やはり煙草嫌いの人たちが一番に指摘するのは副流煙だろう。これは直接的に他人健康被害をもたらすので、問題にするのはよくわかる。

 一方、お酒には確かに副流煙的なものはない。しかし、煙草を吸って前後不覚になり暴れるとか、記憶が飛ぶとか、めちゃくちゃな運転をする、などいうことはない。酔っぱらいによって引き起こされた幾多の暴行暴言等を考えると、お酒他人の心身に与えている影響は煙草とくらべても決して少なくないはずだ。副流煙バンバン吸ってもガンになるには大分時間がかかるが、酔っぱらいに車で轢かれれば一発であの世行きだ。

 また、煙草臭いというのも不快ものだけど、お酒臭い、正確には酒そのものではなく酔っぱらい臭いというのも相当不快だ。深酒した翌日の人の口臭たるや、喫煙者のそれに勝るとも劣らない。そういう口で寄ってこられると、殺意すら覚えるほどだ。ただ、酒は社会通念上昼間から飲んでいたらそれ自体諌められるのに対し、煙草は年中無休という違いはある。飲酒状態他人に近寄らないというなら、煙草ほどの害は確かにない。

 最後に、本人への健康被害だが、アルコールも相当なハードドラッグであり、常習者の受けるダメージ煙草にも劣らない、というか、飲酒量によっては煙草よりはるか危険なのではないかと思う。ニコチン依存廃人になり一家離散、という話は聞いたことがないが、アルコールではしばしば発生する。もちろん、アルコールも常習しなければそこまでの事態にはそうそう陥らないし、対して煙草普通年中無休で毎日吸うものなので、この量・頻度の違いというのは確かにある。逆に言えば、煙草だって月にニ三箱つきあいで吸っている程度ならそこまでの健康被害はないだろう。

 別段全面的禁酒せよ、とまでは言わないけれど、他のドラッグ類に比べてアルコールはあまりにも甘く見られている。酔っぱらいに対する態度も、少なくとも欧米に比して日本はかなり甘い。せめて煙草に対するのと同じ程度の厳しい包囲網をしくべきだ。その上で一部の愛好家がマナーを守って楽しむのであれば、それはそれで良いと思う。煙草だってそうしてもらえれば特に文句はない。

 ちなみに、大麻や他のそれほどハードではないドラッグ類についても、同じ程度の扱いにゆるめて良いんじゃないかと思っている。

 アルコールは深く日本の文化と結びついており、また酒造産業保護ということも考えなければいけないけれど、伝統未来永劫のものではないし、古くから受け継がれているものがすべて正しい訳でもない。少しずつでも改めていくべきなのではないかと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20160528124348

危険動物に襲われる危機のあった時代なら 大きなおっぱいは逃げるのに不利になるので淘汰圧が働いたんでしょうけど

今は安全社会に暮らせるようになったので、いくらでも大きくなる可能性があるんでしょうな。

社会性のない時代は、おっぱいが小さくてあまり母乳がでない家系は淘汰されやすかったかもしれないが、

それも乳母という存在によって、母乳の出が悪くても問題なく育てられるようになったし。



ちんこは、おそらく太すぎると挿入できなくて、子孫を残せないという淘汰圧はあると思う。

問題無く挿入できるサイズなら、少々長さが足りなくても子供は出来る。

http://anond.hatelabo.jp/20160527180630

そんな奴なんか、

公務員社会と接したことないか学生のまま精神が止まってるっていうの本当だったんだ〜」

と心でほくそ笑んでみればいいよ

相手に飲まれちゃ駄目だ



バブル期子どもが「公務員なんてろくに給料が上がらない。小心者しかなりたがらない仕事ばかり」といってたんだろ?

それくらい景気が良くなればいいのになあ・・・

2016-05-27

事件の反応みてるとPSYCHO-PASSみたいに犯罪係数人間管理する社会ガチで望んでそうなやつ多いんだな・・・

http://anond.hatelabo.jp/20160527175202

社会全体の利益を追求するために、個人の幸福は少なから犠牲になってもやむを得ない



公共の福祉

娯楽強制で嫌いにさせようなんて甘いよ

子供オタクにしない方法」として「子供に親が選んだゲームアニメ漫画強制的やらせたり読ませたりして、その感想や、どこまで進んだかを逐一報告されせ、ノルマに達成しなかった場合は叱りまくる。つまりそれらを『勉強』と同じ次元にさせればいい。」と書いてあってかなりゾッとした。

https://mobile.twitter.com/blue_mizuho/status/734710902428049408

のしつけ方法、時々話題になるけど無意味から耳を貸さないほうがいいよ。

なんせ複数児童効果ナシを確認済みww

具体的にどういう人がどうやって確認したのかは書かない(書けない)けど、

簡単に書くとだいたい下のような状態です

施設子供ゲーム時間増加に困る保護者が増える

とある人物が、複数名にこのしつけ方法を試そうとする

全然だめ

理由。この方法だと児童が「感想や進捗状況を真面目に報告する」というルールを守ることが前提。でも、そもそも社会生活に影響出るほどゲームに夢中になるような児童は、ほとんどがそのルール自体無視するので無理。

強制しても普通に楽しんでしまうので無理。だいたい、勝手に家庭で強制しても、社会はそれを強制する空気感を持ってないし、結局娯楽について社会的競争って児童生徒が楽しむ分には発生しにくいからね。勉強仕事とは違ってさ。ここがでかい。なんだかんだで娯楽は娯楽のまま。もしくは興味が別の娯楽にうつるだけ。

→むしろノルマ(作文や大人への報告)の方を嫌いになる。

から、作文や報告を嫌いにさせたいんならやってみれば。

http://anond.hatelabo.jp/20160527173123

個人幸福の追求を当然の権利と考えたのが間違い。

社会全体の利益を追求するために、個人の幸福は少なから犠牲になってもやむを得ないという思想のもとに生きていればこんな風にはなっていなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20160527150135

から社会性がないんだって、お前

普段付き合いがないからこそ途中で帰るのがマズイんだろうが

酒と一緒にスポーツ規制しろ

タバコ非難され消えかかっている。

次は酒とスポーツだ。

酒もスポーツ犯罪者予備軍の温床になっている。

昭和脳が喜んでこれらを持ち上げていたようだが、実質、クズしかこれらを喜んでいない。

スポーツをしている人間犯罪行為や素行の悪さはよく知られている。

スポーツ規制して、運動ができない子どもにも配慮しろ

体育なども不快から規制しろ

クズ人間を生み出すスポーツ規制すべき。

スポーツを有難がって観戦している時代遅れ共も糾弾していくべきだ。

スポーツなんて犯罪者予備軍がやるもの時代遅れスポーツ排除しろ

スポーツと酒、これらの規制必要だ。

絶対に許すな。






逆にもっとアニメを普及させるべきだ。

アニメを見ているネット民の皆様を見ろ。

正しくて善良で能力が高くて人の気持ちがわかる道徳的人間しかいない。

これもアニメを嗜んでいらっしゃるからこそだ。

アニメを嫌いな人間がいるはずがない。そんな奴は叩け。矯正しろ刑務所にぶちこめ。

アニメを見てネット民の皆様のような正しさと善良さを手に入れよう。

アニメもっと社会に普及して義務化させろ。

性に主体的であることを強要する一億総変態社会

http://anond.hatelabo.jp/20160527041103

ブコメトラバコメみて思ったんだけど、この増田、指摘されてること、ちゃんと自己分析できてるよ。



パンフォーカスよりも、被写体深度が浅い写真が好きなことを思い出しました。

>それでも軸上色収差が許せない、そんな心の狭い人間なんです。



この一節はカメヲタじゃないと意味不明だと思うけど、俺なりに言い換えると、



一般人のような柔軟な価値観と広い関心事で生きることよりも、自分の狭い価値観の中の方が居心地がいい。

ただし、好きなことであっても、少しのノイズも許せない。そういう了見の狭い人間です」



って感じの意味だろ。指摘されるまでもなく、十分過ぎるくらい理解してるんだよ。人としては色々問題もあるけど、彼女作ってセックスまで持ち込んで、その上で「つまんねー」と評価したんだろ。努力していないわけじゃない。何もせずに思い込んでるわけじゃない。本人なりに努力してそう結論付けたんだから外野が偉そうに「もっと性的主体的であれ!」とけしかける必要なんて全く無い。そもそも、生まれてきたすべての人間が性に主体的で貪欲である必要なんて全く無い。増田みたいのは本来意味で自閉的に生まれついてるんだろう。LGBTと同じで、そういうのも認めてやれよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160527143544

無知ゆえにパッと見可愛いが実はそんなことな馬鹿な奴と関わると本当に時間無駄にした気がする。

地頭がよければインテリでも気持ちのいい奴はいる。

学力によってある程度中身の密度可視化される社会のほうがいいよ。

G7のG

サミットのたびに、高校とき社会系の教師が、「G7G7!なんてかっこつけて言ってるけど、あれただのグループ・オブ・セブンの略だにょ? だから別にかっこよくもなんともないにょ」って言ってたのを思い出す