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2017-02-23

増田たちがあんまりにも男が!女が!

って罵りあうから鈴木いづみの女しかいない社会小説を思い出しちゃった。

”女と女の世の中”だっけ。

何故鈴木いづみの本はハードカバーばかりで高いんだろうか。



ステマだよステマ

みんな読みなよ。

社会は「ガイジ」と真剣に向き合わなければならない

ガイジ」という言葉不適切だとかそういう話はここでは棚上げする。

とにかくガイジ扱いが残念でもないし当然な異常者がいること、

そして彼らが善良な人々を攻撃する事例が後を絶たないことに危機意識を持たなければならない。

芸能人特にアイドルは恐らく昔からガイジの被害に遭ってきた。

しかし、SNSの発達によって普通の人もガイジの標的にされるケースが増加している。

もちろん、社会には数多くのガイジが潜んでおり、日常生活を送っていても被害に遭うリスクはある。

ガイジは平気で他人を傷付け、罪の意識がない。他罰的で、自分は常に正しいと思っている。

ガイジは知能の低いサイコパスなのかもしれないが、正体が何であれ危険存在である

彼らは決して対岸の存在ではなく、いつ隣や背後に現れてもおかしくないのだ。

独身に大増税して既婚子持ちに金を配る これで少子化解決

社会全体で子供を育てる感覚になると思う

独身から後ろめたいとかそういう感覚が一切なくなることも利点

お床(40)だけど奢られた事しか基本的にない

奢り奢られの話があるが、自分経験を話しておきたい。

40男性無職転職先の仕事始めまでのモラトリアム)。過去仕事は多岐に渡るが基本的営業みたいな仕事。業種も多岐にわたる。

不思議なことに私は基本的に奢られたことしか無い。基本的にっていうのは。さすがにデリカシーある大人なので

・年下(男女問わず)は基本的にこちら持ち。一部出してもらうことぐらいはあるけど。

仕事の席ではTPOに合わせて

などなどは奢り・奢られの線がクッキリと出ているのでここらへんは外した上で。

微妙な線ってあるじゃないですか。

例えばフラットな席(趣味の集まりとか友人の紹介とか)みたいな所で。年齢差は上下数歳とか。

こういう基本割り勘みたいな席の話ね。

私が今回話をしたいのは、こちらの話。私の30から40までの実体験。

割り勘の席なので、「さて、に、に、に、せんえん」とか思いながら財布に手を伸ばしつつの時間が来るでしょう?

で、黙って座っているじゃないですか。

そうすると年齢不詳お姉さま方がどんどん私に奢りだすのです。

「お床さんの分は私に払わせて」って。

何と摩訶不思議。私気づいたら、すっかり奢られキャラ

トータルで数百万円は私の分を払ってもらったような。そんな人生

さすがに30超えているので、若いツバメにどうこうなんてのは無いわけよ。こちらもそれなりに社会経験もあるわけで。

ただ恐らく共通項があって、奢る女性は皆さん強烈なキャリア(30以上は必須かな)志向基本的に未婚。そして外国人。実際に仕事も皆が想像するレベルキャリアではない事が多いのです。(多分年収も私より遥かに上)

なんか男性社会で勝ち上がるために(これらが必ずしも必要だと、僕は思わないけども)な所作をそのまま彼女たちが行って社会の上に上がるのを横で見ていて何か不思議な気分になる。

40を超えたお床にも彼女たちは今後、奢り続けてくれるのだろうか。今後とも会計時に沈黙を守るそんな日が来たらいいな、なんてさ。

コスプレパジャマと同じ

コスプレの是非を巡ってまたぞろ話題になっているけど、根本的な問題はこれだと思っている。

たいていのコスプレは布がしわくちゃで安っぽくて原色ギラギラ子供っぽい付属物(猫耳おもちゃ)がついていて、とてもまともな大人のする格好ではないというのが根本的な嫌悪感に繋がっている。

パジャマで外出することは法律で禁じられていないが、パジャマ電車に乗ってるやつがいたら「うわっなんだこいつ…」って扱いをされるのは当然だし、そういう扱いは許されている(是非は別にしてな)。

また、ヨレヨレ布地&ギラギラ原色の服ってのはめちゃくちゃ目立つ。視界に入るだけで「うるさい」と感じるほどに目立つ。ラーメン屋で隣に座った人がずっと電話で話してたら「うるせぇな」と思うだろう。それと同じなんだよ、現状のコスプレイヤーって。

一方で、ゴスロリは「そういう(特殊な)趣味の人」として、近寄りたくはないけどまぁ、別にいいよね的な扱いを受けている。それは「見た目のうるささ」が実は少ないからだ。ゴスロリファッションの多くは縫製や布地、色彩が落ち着いているし、持っているアイテム時代にそぐわないとはいえ、現代現実存在するものばかりだ(バッグ、傘など)。近寄りたくはないけど、「なんでそんな変な恰好してるの!」と言い出せない雰囲気はある。ドレス着物の延長線上にゴスロリはある。

しかアニメコスプレは、子供のお遊戯パジャマの延長線上に位置している。まずそれを認識してほしい。

また、人間は知らないもの忌避感を感じる。人間に限ったことではないが。コスプレイヤー批判され、白眼視されるのは、「よく知らないもの」だからだ。

というわけで、コスプレイヤーに言いたい。

安っぽい布地、おもちゃみたいな付属品原色ギラギラ下品な色、キッツイ髪色、痴女/痴漢のもの露出は仲間内だけにしてくれ。公共の、「よく知らない人」の前に出るときは、気合を入れてしっかりした布地(ユニクロレベルでいい)、まともな縫製、現実的な色彩、人間として認識できる髪色、社会性を持った生命体としてまっとうな露出具合にしてきてくれ。それができて初めて「そういう変わった趣味の人」扱いをされる。

そこから始めてほしい。

海外コスプレサミットでは、キャラクターの格好を現実的ものに落とし込んだコスプレをよく見る。そういう方向はどうだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170223122057

からさあ、相手が年下ならおごるのは当然だし

何らかの(嫌でも食事に行かなければならない)義務のしがらみだのがない限り

おごっても良いと思えるくらい好ましい人間でなければわざわざ誘わないだろ

相手が嫌でも誘わなければならないしがらみがある人間だとしても

そういうしがらみがある相手におごらないケチ上司とか思われるのはそれはそれでまずいだろうし

元増田がそこまで考えない社会性がない馬鹿とは思えないけどな

http://anond.hatelabo.jp/20170223091140

努力不足なやつを自己責任としてほっておく」

と、そいつらが自暴自棄になって犯罪だとかに走って結局社会全体にマイナスをもたらすから

それよか税金で救ってやったほうが治安面でも割に合うって何度言えば、って感じだな。

優しい人であるって?

これまでの人生、優しさというものに疑問を感じずに生きて来た。

自分のび太ADHDというのもあり、いじめられたり、無視されたり、また一度自分と遊ぶ約束をしても、友達が別の子に誘われたらあっさり断られるような存在だった。

当時は自分はどうしていつもこういうポジションなのか、悩んだ。

自分に原因があるのかもと思って、ちゃんとしている子のしていることを見ては、ああしてみたらこうしてみたらと試行錯誤もした。

でも、大人になりADHDと分かり、その特性を知れば知るほど、自分がそういうポジションだった理由がわかった。

今でもいじめではないものの、仲良くしていたはずが、あっさり縁が切れることがあったりする。

自分の取り柄といえば、優しいことだと思っていた。

相手気持ち立場に立って、自分だったらと考え、相手気持ち理解するように努めたり、

自分ADHDからこそ、ちょっと変だと思うことも、相手特性やいろんな環境の違いなども考え、尊重するように努めたりして来た。

友人が困っていたら、話を聞いたり、手を差し伸べたり、そうやって人と人は優しさでしか繋がれないと思って生きて来た。

優しい=いいこと

優しくない=よくないこと

という子供の頃に教えられた、人に優しくしなさいという当たり前の教えを、疑いもぜずに生きて来た。

自分がされて来たことを振り返ると、優しくない人は多いけれど、

それは優しくない側がよくない行為をしたということであって、

優しい人間でありたい、優しいのは良いこと、長所という考え方で当たり前だと思っていた。

しかし、最近になってふと思った。

世の中の優しさというものは、自分メリットがある場合しか使わないのではないか

例えば、誰かに優しくして、その優しさが自分にとって得になる場合は優しくするが、

優しくしたところで、自分にとって得がない場合は、優しくしない方を選ぶのではないか?と。

そう考えると、無視なども、自分にとって得しない相手に対しては邪険に扱っても良く、

自分メリットがある人間に対して、優しさを使って、もっと得をしよう、という考え方なのではないかと。

そうなると、社会的弱者障害者発達障害者など)に対して優しくしてもメリットなどはなく、

現在そういった社会的弱者に優しくする人は、いわゆる建前上実施している社会福祉による収入の得られる者のみであって、

無償で、優しくするのが良いという理由だけでそういったメリットのない相手に対して理解し助けるといった優しさは机上の空論なのではないか

正直者は馬鹿をみる、とか

優しい人間は損をする、というようなものがこの世の本質であり、

人々が多様性を認め、尊重し合うことを良しとするような考え方は所詮理想論であって、不可能ものではないのか?

「人に優しくしよう」

大人子供にそう教えるが、なぜメリットもないのにそんなことを言うのか。

事実、他の子おもちゃを奪う、自分のしたいようにやる子の方が生きやすく、得をする社会であって、

本音ではそれをわかっていながら建前上、一応そういった声かけをしているだけ、と言うことなのだろうか。

もし、メリットのない優しさなど損で不利なものであるとするなら、

自分も得にならない優しさなど捨て去るべきなのだろうか。

相互関係ではない、一方的な優しさだけを持って、

世の中の優しさには期待せずに生きるというのはあまりにも過酷すぎる。

ソクラテスは言った。

人は道徳的でない行いをしている時、実は内心傷ついていると。

メリットのない優しさを切り捨てることは道徳ではない行為ではないのだろうか。

そういう優しさを行使しない分、税金を納めて社会的弱者を守る福祉事業支援しているのだから良いということなのだろうか。

長年信じて来た、優しさというものを捨て去ったら、

自分は一体、何を心の活力として生きていけば良いのだろう。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.利用規約を守れない、社会通念を理解できない愚か者がいるなら、利用規約などいらないのでは?

いい質問だ。

答えはNOである

なぜなら、利用規約とは愚かな人間でも分かるようにだとか、愚かな人間にそれを守ってもらうためにあるのではない。

社会通念を理解きぬ愚か者をつけ上がらせないためのモノだからである

世の中には色んな……本当に色んな消費者がいる。

顧客の知能をいちいち選別していられない以上、企業側は色んなケースを想定して運用しなければならない。

ルールシステムをがっちりしないと足元を掬われることになるのだ。

そして、よほどのことがない限りは社会通念を理解きぬ消費者よりも、そんな消費者対策の詰めが甘い企業が悪いというのが現代社会通念なのである

もちろん、愚か者のためにどうするかを考えるのは企業の方なので、そういったエピソードが出てきたら私たちのような野次馬は、愚かな顧客も詰めの甘い企業をも肴に焼酎をかっ食らえばよい。

ああ、私は下戸なので遠慮しておく。



Q.以前、胸メガネで儲けようとしていましたが、最近はそういった商売はされていないのですか。

いい質問だ。

最近、私が始めた商売は「造チョコ」だ。

アイドルなどにたくさんのチョコが送られているのは知っているよな。

あれは基本的に食べられることなく全て捨てられているらしい。

現実的に考えて、恐らく送っている側も食べてもらえるとは思っていないだろう。

実在しない人物二次元キャラクターにすら送るケースも珍しくないらしいからな。

まあ、ああいったものは送る気持ちを具現化したわけで、それ自体問題じゃない。

だが、やはりチョコが勿体ない。

そこで私が考えたのは造花ならぬ「造チョコ」だ。

食べてもらえないなら、最初から食べられない物でも問題ないはずだ。

素材は全て可燃性で、燃やしても変な成分が出てこないものばかりで地球に優しい。

もちろん、「造チョコ手作りキット」もあり、個性を出したい人や手造り派にも応える。

ゆくゆくはチョコだけではなく、贈答用に使われることの多い食べ物も扱っていく。

これは売れるね!

追記:先を越されていた。あと企業から暗殺者差し向けられたので、しばらく身を隠すことにする。

それが大言壮語なんだが

評論家予言通りになった社会なんか見たことがない

紙のエロも残るしゲームは知らんけどあの古臭い形で延々と残るだろうよ

50年後、今の1020代が60~70歳になる頃の社会現実的な形)を想定し、そこまでの道筋を落とし込んでいくわけですよ。

宇宙侵略するメリットってほとんどねーな

40光年先に生物の住める星がありますって言われてもわざわざ侵略しようって気にはならんわ。

希少鉱石採掘するとか珍しい生物密輸するとかの目的があったとしてわざわざ侵略するほどじゃない。

軽く植民地支配するとしても、普通にそれなりの歴史を歩んでたらその歴史上の経験からまれるような手を取る選択はまずしないだろ。

そう考えるとフィクションでお馴染みの宇宙帝国ってマジで何なんだろうな。

宇宙全体を支配できるほどになった文明社会子供の考える悪役レベルとか笑っちまうわ。

何がローグワンだよあほくさ

多様性が力という理屈

みんなが力を合わせれば強いとか言えば、聞こえはいいんですけどね。

けど現実アニメじゃないしジャパリパークでもない。

例えば、学校身体障害者が一人いたら、そいつのためだけにスロープ作んないといけない。

効率という点で考えたらまず割に合わないから、できれば養護学校に行ってもらいたい。

でも最近空気だとそういうわけにもいかいから、採算度外視でやらなきゃいけないわけです。

それが正義から



いやね、バリアフリーなんか無駄だとか、そういうことを言う気はないんですよ。

社会正義のために、余裕がある限り行わなければならない」というのは理解してるつもりです。

ただ、それは社会に余裕ができたか可能になったというだけのことで、

どこでも同じことが通るわけじゃないと思うんです。お前それサバンナでも言えんのかと。

それを多様性効率の面でも正解みたいに言うのはさすがにちょっとなあと。

だいたい、どんなに優しいこと言ってる人だって自分の畑に雑草が生えたら引っこ抜くでしょう。

人権がなければ当然そうなる。つまりあくまでもこれは人権問題なんですよ。



まあ、ヒロインの顔も体型も髪型性格も同じアニメがあったらたぶん流行んないだろうけど、

それとはまた違うでしょうし。

http://anond.hatelabo.jp/20170223012319

まーた男声優社会特有シモネタ専門用語だよ。

USBとかにもあるようなオスメス含めて滅びないかな?

性差別だよね、普通に。息苦しいとかいう人は窒息死してればいい。

職業にまつわる専門知識を開示しても、調べて知識収集した奴らにPVで容易に負ける社会もの

どれだけ詳しそうに知ったかできるかが大事なんだよ。殆どの閲覧者にとってはね。

いじめを受けている人に。

こんにちは



そしてこの文章を読んでくれて、ありがとう

最近目にする若い人たちの自殺ニュース。これを目にしていじめられた経験を持つ私も何か書きたいという思いが昂ぶり、書いてしまったのですがあいにく筆まめでなく、

うまい文章ではないかもしれないですが、少しでもよんでくれたらうれしいな。



まず、あなたに伝えたいのは、いじめられていることが情けないとか、思ってほしくないっていうこと。

いじめ生物の性だ。人間以外の生物では弱った個体がほかの個体から攻撃されるなんて日常茶飯事。

こいつらがいじめるのは単に自分より弱いように見えるから

あなたが受けているいじめもこれと同じで、優しいあなたは弱いように見られてる。

から動物的ないじめ本能に突き動かされてあなたいじめる。

わかるでしょ?いじめっ子動物本能を理性によって抑えられていないんだ。

でもあなたは理性があるから、深い恨みはあってもいきなり殺したりしない。

そう、動物人間を隔てる最たるものである理性という点において、あなたは優っている。

自信をもって!





次にこう考えてほしい。動物園という施設がある。

たくさんの動物がいるけど、ある一つの種は絶対に展示されない。

それは人間だ。アリストテレスはかつてこう言った。「人間ポリス動物である」と。

そうなんだ。ポリス的、つまり社会的理性的動物である人間はその知性によって他の動物とは比較にならないほどの真の意味での社会性をもって、

動物園ではない自由社会暮らしている。

動物園の檻の中で暮らす人間あなたは見たことがあるか?

やさしさという人間を特徴づける性質を兼ね備えているけど、何かの間違いで檻にいるあなたは、

他の動物が持っている腕力であったり、体の大きさがないため、弱い個体とみられていじめられる。




それがどうした。あなたのいるべき場所はそんな本能のみに従って動く動物がいる檻の中じゃない。




外に出よう。それは逃げることじゃない。本来いるべき場所に戻るだけなんだ。




そして自由な外の世界あなたを歓迎する。あなたのいるべき場所なのだから




そしていつか思うだろう、なぜあんな檻の中にいたのだろうか、外はこんなに楽しいのに、と。

私もようやくそう思えるようになりました。




つらい思いをしているあなたに届き、そして少しでも私にとってこんなにうれしいことはありません。

そして、顔も見たこともないあなたですが、あなたのことを応援している奴がネットの向こう側にいることを知ってください。

もちろんネットの向こう側でなくても、あなたのことを大事に思い、話を聞いてくれる人は必ずいます

これは慰めじゃありません。事実です。どうかそういう人にあなたの思うところを話してくれること、それが私からあなたへの唯一のお願いです。

一人ではありません。そのことをどうか覚えていて。

2017-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20170222214201

横。杓子定規な最適解はそうだと思うけど、これはこれで相互監視型の疑心暗鬼社会なっちゃうわな

こころの病で病院へ行った

死にたい死にたいと思ってしまったり(こんなことは考えたくない)

自分でしゃべっている言葉と頭の中で考えていることが違う(頭の中では自分を責めている)

自分の額を殴る。

仕事ができない。(物理的に無理。仕事の内容を喋れない。しゃべる仕事です)



もうこりゃあ死ぬしかないな。と思っていました。

限界を訴え、早退する間際、管理職に今の状態を打ち明けた。

薬でなんとかなることもあるから病院に行けと言われたのが昨日。

今日1日休みいただき、予約なしで診てもらえる心療内科精神科を探し、ドキドキしながら院内へ。



初診ということで、問診票を書く。

精神状態を見られるのだろうと思って、マークシートレベルのもの覚悟(そして期待)していたのだが、

症状に関しては「今困っていることを書いてください」これだけ。

他の症状はともかく、死について考えてしま・・・ということを、書くべきか、10分近く考えていたと思う。

ここで隠しても仕方ないと、小さく、「死を考える」と書いた。



待合室。

5,6人が診察を待っている。

患者さんは、フツーの人たちに見えた。

何が彼ら・彼女らをここに向かわせたのか、まるで見当もつかなかった。

風邪をひいたか病院に来るのと同じ、社会生活の一環として、ここにいるような佇まい。

1人くらいは、身なりもどうにもならないような人が居るんじゃないかと何か期待していたが、そんなことはなかった。

自分は、社会に適合できていないと感じていたから、勝手に疎外感を感じてしまった。

心の中は何を考えているかからないけれど・・・



さて、ほどなくして、看護師さんに呼ばれ、初診ということで、診察前に色々聞かれた。

両親の年齢、兄弟家族のいる県、症状について(いつごろからか。問診票に書かれたことを少し詳しく)

死についても、慣れているのか、適度な距離感を保ちながら話すことができた。



もうしばらく待って、診察。

ふつう、「どうされましたか?」と聞かれるものだと思うのだけれど、そうではなかった。

「ご両親は埼玉におれらるんですね。埼玉のどこですか?」

いきなりの実家で面食らう。ほかにも、一人暮らしはいからか、とか、仕事は何年目か、とか、

診察と関係あるのかないのかよくわからないことを聞かれた。

その後、問診票にも書いた「困っていること」について。

医者はいえ、初対面の人に、あまり打ち解けて話すといったこともできず、たどたどしく

症状を伝えたと思う。

最終的に、死にたくなるようなことがあれば、もう一度病院に来てくれと言われ、

薬を処方されておしまいだった。

話してみてわかったことは、ここまできても、自分は「大丈夫」そうに見せようとしてしまうということだった。

わかってほしいのか、ほしくないのか、まったく。

医者は病名は言わなかった(し、この程度では病名はつけられないだろうと思う)が、

治りますから、負けないでくださいね。と励ましてくださった。



その後は、薬局に行って薬をもらい、代金を支払って帰った。

心配してくれた家族管理職にも報告。



夜になって、夕食のようなものを口にして、薬を飲んだ。

とても勇気必要だった。

ロラゼパムレクサプロという薬。

薬について調べたりするうちに、残りの時間は過ぎていった。

疲れた一日だった。



そういえば、ずーっと病院に行きたかったのだ。

死にたくなってしまう。仕事ができる状態でなくなってしまう、

という状態対処しはじめることができた、ということで、

少しばかり、ホッとしている。

モンスター経営者モンスター社員

素晴らしいビジョンを掲げ、素晴らしい事業をやり、成長中をアピールする経営者なかには、比較コンプライアンスが分かっていない、ガバナンスが効いていない会社が多い気がする。

社会を変えると言いながら、残業管理はされていない、社員評価は誰に気に入られたかどうか、ビジョンが素晴らしいから、社会貢献しているから、社員満足度が高い、そして平均給与は安い。

こんな嘘ばかりの会社経営者を見抜けない人もたくさんいる。

また昼間から大した仕事もせず、SNSいいねをして、移動中はスマホゲーム。でも残業代は出ると思っている、情けない社会人も多い。

日中電車スーツきて、スマホゲームしている人、たくさんいる。真面目に働け。

社会おかしくなっている。失われた20年とかいう、当事者意識の低い期間を経て、みんな他人のせいにしたくなっているかもしれない。

改めて、我々自身が、日本人社会を作り、会社を作っていることを自覚する必要があると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170222121906

辛かったねぇ。大変だったねぇ

主張する女を排除する社会から日本

女性は男が相手だろうと気にせずどんどん言いたい事を言えばいいと言いわれる反面、女なんだからもっと男をたてろと言われる事もある。

フェミニストを主張する女性は、はてな場合は既婚者か子持ちが多く安定したポジションと言う安全地帯の中から主張している。

これを「私も主張していいんだ!」と捉えると男性中心に動いている社会から排除される。

嫌なら日本から出て行くしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20170222110006

この社会が30年も無能人間を生かしてくれる優しさに溢れていたことを実感するべき。

ゲイオープンで恵まれてるけど生きづらい

カミングアウトなんて言葉自分には合ってないくらい、そもそもクローゼットもなくて、親、友達職場自分ゲイだって知ってて、彼氏も紹介しまくってて、

幸いにも、強い差別劣等感ゲイであることに関して与えられないで、アラサーまで生きてきたけど、

生きづらくない、なんてこともなく、結局生きづらい。

オープンなだけであって、クィア的でない、積極的権利獲得家なわけじゃない。というかオープンってなんだ。隠す意識ほとんどなく来ちゃったよ。

からLGBT」界隈で浮く。自分マイノリティとしての思いみたいのはあるんだけど、「LGBT」のテーマあんまり重なっていなかった。

ホント批判とかじゃなくて、もう、なんか自分ぬるま湯甘ったれて恵まれててすんません、ってなる。話せなくなる。

権利とかもちろん保証されたいし(彼氏同棲してから将来の不安とか考えるようになった)、遺族年金裁判も気になるし、

でもこういうのってマジョリティ政治参加な気がして、葛藤する。んなのどっちでも正しいのに、オープンで恵まれてる自分葛藤してるのとかクローゼットの中だ。クローゼットあったわ。

いや、彼氏に話すけど。いや、でも夫に妻に政治の話をするのか? いや政治の話ではないし。なにこれ。社会通念との軋轢? いやマイノリティ社会に溶け込めないマイノリティ

というか恵まれてるのか?

……恵まれているのかって考えると、恵まれてるんだよな。生きてるし。自殺する人、多いからつらい。

まれてたら、恵まれない状況になるまで健康に生きるしかないのか。

法律が変わるのはいつも悪いことが起きてからから、本当に真面目に政治のいい国の国籍を取る方が現実的なんじゃないか、とか考えちゃうのいやだ。


この前、フェイスブック結婚ラッシュ見てて、けっ!って思って、自分結婚指輪買ってプロポーズしたぜって投稿したら(実際去年同棲中の彼氏にした)、

いやそんなにユーザーいたの? 普段いいねって2、3件じゃん!って突っ込みたくなるくらい桁が二つ違ういいねとかがついて、俺そんな友達いた?ってなった。

なんか、こういういいねが1万集まったら、内縁関係認めまーすとか、保険は無理だけど年金は認めるよとか、遺産関係以外のお金簡単に認めらんなくてねぇ、戸籍上の表記くらいはさせましょとかしてくれればいいのに

あー、政治的


逆に、じゃあノンケ友達女子友達に、話せるかって、いや話した所で……ってなる。話すけど。

そういえば昔、高校同窓会公務員になった同級生に、みんな(性的少数者)がまとまれ法律はすぐ動かせるでしょ?とか言ってきたけど、

いや、もうホント誰かまとめてよ、ってなる。

クローズオープンも正しいのに、両立できないの疲れる。

いや確かにクローズ社会的障壁だと思う。でもなんかそうかな? 別に言いたくないことを言わされる必要ないし。

なんで秘密にするのかって話になると、体裁とか学校とか思春期とか教育とか価値観とか親とか、色々言われるし、全部しっくり来るし。

それ聞いちゃうと、よくもまぁ自分は全部かいくぐってきたなって思うし。

ずっとクローズでもいいじゃん。って本当に思うから本当に会う人に言ってるんだけど、

オープンのお前に言われたくねぇ、みたいになるから、結局そもそもオープンのお前に言われたくねぇって面と言ってくれる関係の人としか話してないな。

そう考えると、別にオープンなわけじゃなくて、生きやす人間関係の方へ流れていってるのか。

嫌なやつからは逃げてる。ということは、やっぱり自分マイノリティ性ある?

いや、嫌なやつとか普通に他の人と変わらない率でいるよ。戦う時もあれば、逃げる時もあった。

贅沢なのかな。贅沢なんだろうな。

とっととゲイとか普通になんないかな。

オープンだと、ゲイとか初めて会ったとか言われんの。バカなの?

たかもしれないけど、って添える人、ありがとう精神的波風立てないの大事

でも、オープンとしては、そもそもオープンに話したいわけで、別に取り立てて自分ゲイであることが重要でないわけで、

もっとね、さらっと流そう。

と上からで言ってみても、そもそも、さらっと流せる人だと思えた時点でしか言ってないわ。ちんちくりんだわ。

中学ん時はめっちゃ喧嘩したな。喧嘩しといてよかったな。キモいかいうやつにブチギレてたな。

なんでゲイであることに自信あるんだろうと考えても、別にないし、自尊心も大してないし、鬱になったことだって普通にあるし、鬱治ってんのかって言われたら治るとかってもんじゃねぇしって言い返すし、

あーでも一つは親はあるんだろうな。

12歳の時に言った時、ダメだったら家を出てどうにでも生きてやろうって思ってたな。そういう意味では自分普通じゃないって自覚してたな。

拍子抜けした。

今になって母と話すと、当時は母はそういう相談ダイヤルとかも使ってみたり、LGBT家族的なのも調べたりしてたらしくて

(当時、親に衝撃を与えていたのを気づかなかった。気付かなかったもんだからそれから親の前でもイケメン筋肉芸人とかに普通にハマったりしてた。ポスターとか貼ってた)

そういうとこでの色々な違和感とかも感じたり、もちろん違和感だけじゃなかったけど。違和感があったからこそ(多分俺がゲイであることに悩んでなかったから)、

最終的に、俺は俺だしいっか、ってなったらしい。


うん、恵まれてる。


生きづらいだなんて、口が裂けても言っちゃいけない。



でも政治的オープンゲイによる強制オープンはよくないって常々思うから自分はそういうオープンにはなりたくないなってクローズ友達の前で少し気をつけてるかも。

なんで俺がゲイ同士に挟まれにゃならんのだ。



もう、極端、やめよう!

オープンクローズも同じように保証しましょ。現状通りか。

えーでも、金持ちになって子育てとかしたいわ。悪影響とか言われても知らんわ。国内に敵がいるなら海外で育てる。

そんなに金ないや。

まれるの早すぎたのかなぁ。同性で子供つくって育てる未来の方が生きやすかったかなぁ。

ゲイで、オープンで、同棲してて、

それ以上を望むなってプレッシャーは嫌だし、じゃあ権利獲得に尽力しろっていうのも。

グラデーションの性のように、政治的グラデーションゲイでいいじゃん。ってか政治的グラデーションノンケばっかりだよ世の中。

いや、何が言いたいんだろう。

わりと、普段からこの微妙オープン性のせいで極端な意見ばかり聞かされてるのかもしれない。

ノンケからしかり、女子からしかり、クローズからしかり、クィアからしかり、

アメリカみたいな劇的変化もいいけど、まぁ、なんか取り立てて、とっとと普通になればいい。

恋人がいない人はコミュニケーション能力のない社会不適合者」と

恋人のいる人は恋愛うつつを抜かす不まじめな社会不適合者」

コンビネーション、どういう人間なら社会に適合できると言いたいんだと。

2017-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20170221213121

こういうどこまでも自分の事しか考えてない、ひたすら自分お姫様のように扱えと

妊娠しただけのゴミ」が喚き散らしまくるせいで社会がどんどん息苦しくなるんだろうな

恋愛離れの原因は「男らしさ」「女らしさ」というレールが無くなったからでは

ほとんどの人間は「男らしさ」「女らしさ」というフォーマットに沿わないと恋愛ができないんだと思う。



大昔の時代は「男らしさ」「女らしさ」の価値観が強固だったんじゃないですか。

相手は男だから強さ逞しさを求めていい」「相手は女だからお淑やかさを求めていい」…的に

相手に「男女像」というもの求めてることが、まあ、許されていたんじゃないですか。(そりゃパーペキに許されたとは言わないけどさ)

「男だから~」「女だから~」と価値観押し付けることができた。



しか現代はどうだ?ジェンダーフリー男女平等、反セクシズム。

基本的相手に「男らしさ」「女らしさ」を求めるのはアウトな価値観時代です。政治的に正しくないです。ポリでコレじゃないです。

相手が男だからって強さ逞しさを求めてはいけない」「相手が女だからってお淑やかさを求めてはいけない」

…これを破る者は基本的モラハラセクシズムハラスメンターです。

要するに『相手に「男らしさ」「女らしさ」とかカンケイなく一個人として見るべし』…というのが現代における恋愛規範と言えましょう。



が、これこそがまさに、恋愛難易度を爆上げさせてしまった要因なのではないか、と思う。

簡単に言うなら「相手を読み解くまでのコード多すぎる」

上記の通り大昔は「男らしさ」「女らしさ」というごく単純なコードにより、ある程度は相手のことが『分かりやすかった』(そりゃパーペキ単純化されてたとは言わないけどさ)

だが「らしさ」というもの忌避される現代では、「相手を読み解くコード」が非常に複雑難解と化しているのだ。

相手が○○だからって××と思ってはいけない」「△△と決めつけてはいけない」「■■と扱うな」

あぁ^~コードが分かりづら杉るんじゃぁ^~…トライアンエラートライアンエラートライアンエラーブライアンエラー

…もういい、疲れた恋愛ってめんどいしいいや…

…って感じが昨今のありがちな恋愛離れ像だと思うのですよ(←すげえ単純化してんな)



結局ね、逆説的に言って大昔は「男らしさ」「女らしさ」というもの保証があったからこそ、

万人にとって恋愛はある程度単純化されていて、参入障壁が低い文化であった…と思うんですよね。



いや、上記を読んでムカムカする人がいるのは分かりますよ。おまんら「男らしさ」「女らしさ」に頼らんと恋愛もできんのかいシバくぞワレ!?

でもね、でもね…そういう「男らしさ」「女らしさ」に頼らなくても恋愛できるあなた方は「恋愛強者」なんですよ。

でもその「恋愛強者」は、正直すっげぇ少ないと思うのですよ。残念ながら。

人間というものほとんどが「恋愛弱者」で、「男らしさ」「女らしさ」に頼らないと恋愛できない。

しかし「男らしさ」「女らしさ」に頼ってはいけないとなったら、「恋愛離れ」に至るしかないのですよ。

悲しいけどこれ現代ナノヨネ(チュドーン スレッガーサーン!!!



いやいや、誤解せんでほしいんスけど、このエントリの主張は

「大昔の男差別社会に戻るべきなんじゃ~~~!」とかそんな極端な保守主義者みたいなことを言いたいわけではないデスよ。

私はむしろ男女平等な世の中を望んでおります

あと、「なんでそんな恋愛離れを嘆くのだ。恋愛しなくても別にいいじゃん」と意見する人もいるだろうが、それはとりあえず後のお話



ただ、言いたいのは、「男女平等を推し進めたか恋愛する人が減ったんじゃね?」

男女平等恋愛ができるのは少数の恋愛強者のみ。大多数の恋愛弱者は「男らしさ」「女らしさ」に縋らざるを得ない」というだけの話。

恋愛人口男女平等トレードオフ

男女平等を推し進めよう!その上でみんな恋愛しまくろう!」なんて無理無理カタツムリ

●『男女平等推進!それで恋愛する人が減ってもしゃーない!』か

●『恋愛しまくろう!男女平等とかどーでもええんじゃい!』か

どっちかしかないんじゃないか?…というだけのお話

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