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はてなキーワード: 同級生とは

2017-01-22

同級生相手じゃないとやだみたいな思想の人にいちいち付き合おうと思う時点でそもそも普通じゃないってところは無視するのかなあと。

2017-01-21

結婚したい、出来ない

今私は大学2年、早生まれなので19歳。

田舎である地元と同じか少しデカイくらいの規模の場所一人暮らしをしてる。

この間成人式に出席したとき友達ではないけど顔見知り程度のコが結婚していてすでに2歳児の子持ちになっていて恐ろしいと思った。その子高校中退していた。多分これから年を重ねるにつれてこの手の話は珍しくない、むしろウンザリするほど話題に上がるだろうな。

翌日汽車で戻りながら、私は結婚出来ないということをぼんやり考えていた。

理由はここで挙げる以外にも細々したものがいっぱいあるけど特にこの3つに絞った。

1つ目は顔が悪いということ(子供を産みたくない)。

次にめんどくさがりということ。

3つ目に結婚に夢見すぎということ。

まず1つ目、私はブス。地味な顔なくせに化粧でマシにならないタイプの一番最悪な顔。中2と高1のとき男にいじめられた。正直これは顔のせいだけではなく舐められやすい態度と鈍臭さが相まってのことだと思った(今考えてみれば)。それで腹の立つ顔(ブス)してるんだからあいじめたくもなるんだと思う。女子友達普通に居た。(あと私はブスなので子供を産みたくない。未来の私の子供が私に似た顔で生まれたら私の子供が可哀想だ)

次に、私はめんどくさがり。

部屋はきれいな時と汚いときがある。

部屋のきれい度はわたしの疲れ度合いと比例している。1度に片付けるタイプだ。始めたら終わるまで一気に片付けるけどそれまでの時間が長い。だから常にきれいな部屋を保つのには向かない。料理も、自炊をめんどくさがってひと月に数回程度しかしないので、部屋の掃除とか料理の腕が求められる(と思われる)結婚は出来ないだろう(誰もそんなズボラな女とは結婚したがらない)。

3つ目に結婚に夢見すぎということ。

でも親は離婚してる。

普通親が離婚してたらあんまり夢見ないだろうと思うかもしれないけれど私は夢見てしまってる。なぜなら私はブス(鈍臭い)で交際経験皆無(処女)なのでそれが美化されてる。

あと最後にいうと

私は年上の人しか好きになったことがない。中学生から今まで、私は中高年のおじさんが好きだった。

何故ならそれは同級生男子と会話することがないので必然的に目に入る男は全て先生になるから。見る回数が多い分好きになるんだろう。単純接触効果かな。悲しいね……。

あと同級生男子は私にとって恐怖の対象で、向こうは私を虐める以外、男にとっての私はどうでも良い存在(眼中にない)ので接触しない。だから好意の抱きようがない。それと母子家庭から足りない部分(父)を補おうとしてるんだろうかっていう予想が自分的にはしっくりくるけどちょっとポエミーで恥ずかしいし、人には言えない。でも上記の理由の方がもっとみっともないのであんまり認めなくない、事実だけども。出来れば目をそらしていたい。

ちょっとまとまってないけどまあこんなにマイナス要素があれば結婚出来ないのは当たり前だと思う。努力しろよって話なんだけど得られるか分からない対価に対してそこまで頑張れるかっていうとそうじゃない。受験勉強や今なら公務員試験勉強なら同じく得られるか分からないけどある一定保証(あるいは水準)はあるから頑張れる。

今の私の武器になるもの(婚活において有利なもの)なんて若さしかない。

これももうすぐ無くなってしまう。

結婚したいなら大学卒業して就職が決まったら即婚活すべきなんだろうな。無理だろうけど。

私がこんなに結婚したい理由は2つほどある。

1つは既婚っていうだけである一定の人間性が無条件で認めてもらえるような、その称号というか身分がとてつもなく欲しい。2つ目は誰かに愛されたい、1人が寂しい(あと○ックスしてみたい、子供はいらない)。書き出して見るとロクでもない理由しかないな。

2017-01-20

薬学部にいて苦しい人達

そろそろ後期試験だろうか。

卒業試験だろうか。

それとも、薬剤師国家試験前だろうか。


私は4年制薬学部最後入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。

留年した人間国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。

書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。



◆なんで留年たかというと

講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。

こちらのほうが致命的である

私が親なら退学を勧める。

しかし別学部卒で自身留年経験のある親は留年を許してくれた。


今思えば、

当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。

自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。

ノートを頻繁に借りに来る友人を軽蔑したりもした。


留年してから自分は本当に惨めだった。

同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。

結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレート合格できたのだけど。


◆その国家試験前の話。

私学なので国家試験前は予備校先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由私たちにはそれがなかった。

今でも納得いっていない(笑)

ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室毎日自習した。

お湯を沸かすためのポット。

味噌汁スープコーヒーお菓子

青本と、過去問

無機質な真っ白の部屋に

これらを持ち込んで占有させて頂いた。

大学入試で入れない日は、ドトールに行った。

こんなに頑張ったのは初めてだった。

大学入学すら追加合格だったし。

考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。

できない、というのはなんとなくだらだらして。

無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。

余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。

ほら、やっぱり真面目系クズだ。


クズにも底が見えた。

毎日毎日勉強していた、7年前の今日

勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して

行ったことのない駅で降りていた。

会社と反対側の電車にのるみたいな感じかな。

風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。

そんな意味不明な1日。


その日以降はまた淡々勉強して、国家試験合格した。

(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物から追い出したいし…なので割愛。)


今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。

受験における全力の努力って本当につまらない。

毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。

解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。


悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。

今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。

そういう風に人間できている。

だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。


◆今、卒試国試前の人へ

6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。

ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。


留年した人へ

ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。

最後は、自分でやるしかない。

もっと残念な話をすると、勉強就職後も続く。

留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。

向いてないと思ったら、勇気ある撤退を。

それは全然悪いことじゃない。

自分人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。


それでもそこで踏ん張るなら、応援します。

上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。

必ず授業にはでること。

頑張れ。




これを読んだ人が、実りある人生を送れますように。

2017-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20170119121433

8歳上の兄弟持ちだけど、上の兄弟と一緒に行動できないことは当たり前のように感じてたな

上の兄弟より同級生と遊ぶ方が楽しかった

増田子供は年齢にかかわらず平等に扱わなければ、という気持ちが強すぎるんじゃない?

明らかに年齢差があるなら、それぞれの成長段階に応じた扱いでいいと思う

2017-01-18

宇宙人みたいに生きてきた

小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしま子供だった。

大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。

責任感がなく、ぼんやりしていて、空気が読めない。

人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。

なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。

今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。

学校に行くようになっても変わらなかった。

同級生たちからからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。

たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。

体育は大の苦手で、球技特にダメだった。ドッジボール最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。

勉強だけは比較的得意で、特に記憶系の教科は得意だった。

でも数学物理は、概念全然からなくて雲をつかむようだった。

父がアル中だったので、大学でなんとか家を出たいと思った。

から、苦手な数学物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。

大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。

就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。

そろそろ、社会から必要とされないダメ存在だということに気づき始めていた。

自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分判断はいつも間違っている。自分宇宙人のようだった。

けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。

その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。

からさまに自分からかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。

結婚し、子供もできた。

それでも、まだ、自分は人をイラつかせてしまう。

ああ、自分おかしいんだな、と思うことが日に一度はある。

自分おかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。

自分は、会話で何を話したらいいかからず、例文を読み上げるように会話をする。

自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。

どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。

また失敗した。

頭がおかしい、人をイラつかせてしま自分

最近自分は何のために生きているかからなくなってきた。

こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。

でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。

変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。

職も、せっかく得た家族も失ってしまうのかもしれない。

一人では生きられない。

宇宙人でも、一人では生きられない。

2017-01-17

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170117-00000105-mai-soci

小学生の頃、同級生の森岡くんが家に遊びにくるたびファミコンソフトがなくなるので、もしかして持って行った?と問い詰めると、「証拠は?ねぇねぇ証拠は?証拠もなしに疑うとか信じらんねーんだけど!」とキレられ、謝れ謝れとがなりたてられ、なんかこっちが謝るハメになったことを思い出した。

将来の不安

自分は進学実績で名の通った高校の二年生だ。ここまで読んで「自慢か」と思う人がいるかもしれない。

だけど、一応私について書かせてほしい。



私が今の学校中高一貫)に入学した時、親族にちやほやされた。

「将来は東大だね」とか「親族一の天才」とか言われて、正直うぬぼれていた。

で、私はこのころ周りを見下すようになっていた。



進学校へ行っている人はわかると思うが、入学していくらかは、学校勉強をせずとも

受験知識でそこそこいい成績が取れる。学校の中でいい成績を取った私は、

同級生まで馬鹿にするようになった。私は勉強で手を抜くようになった。

定期テストはあらかた一夜漬けで乗り切るようになった。

学校先生が「自分の力で勉強しなさい」と言う意味もわからずに、だ。

ちなみに私は中学の時は塾へ行かなかった。塾へ行くのを馬鹿にしていたからだ。



高校生になると、初めて模試を受けることになった。

結果は言うまでもなく、悲惨だった。学校別の順位で、私は半分より下だった。

東大の判定は「D」だった。

私は焦ったが、勉強ができなかった。体が勉強拒否するのだ。

勉強から目を背けようと部活に熱中した。気付いたら陰キャラになっていた。



ついこの間、私は塾へ行くことにしたが、

東大の判定はいまだに「D」だし、

この間のセンター同日試験は900点中700点しか取れなかった。

同級生は750点とか800点とか取っているのに、

やっぱり同級生に追いつくことができない。



ふと立ち止まって、「なぜ東大を目指しているのか」考えてみた。

日本一だし、親が行けって言ってるし、同級生みんな目指しているし……

積極的理由が思いつかなかった。

(ちなみにこのことを同級生相談したら、「高卒で働け」と言われたorz

それでもなぜか東大へ行きたいし、行かなきゃならないという気持ちが私の中にある。

多分「東大目指すのやめろ」と言われても目指してしまうと思う。



もうセンター試験まで一年を切ってしまった。東大二次試験もあと400日くらいだ。

主要科目を固めて、副教科をやって……明らかに一年足りない。

浪人だけはしたくないのに……いったいどうすればいいんだろう。やるしかないんだけど。

進学校(笑)でこの文章力……ひどいですよね。こんな駄文すみませんでした。

0.77%、0.72%、0.67%、0.45%

これは、阪神淡路大震災で、特に被害の大きかった神戸市東灘区神戸市灘区神戸市長田区・神戸市長田区における、当時の人口あたりの死亡率です。ザックリ言うと、これらの地域では、「あの日、200人につき1人死んでいる」ってことですね。

私のフェイスブック友達の数は190人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

LINEの友だちの数は185人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

高校同級生が300人。ザックリ言うと、この中で1〜2人死んでいたでしょう。

小学校同級生は50人。これなら、誰も死んでいないかも知れない。でも、親兄弟を含んだら?親戚を含んだら?兄弟友達恋人は?あのとき担任先生は、何人の教え子の訃報を聞いた?

校庭に仮設住宅が建ち、体育館だけでなく教室の中にも避難者がいる中で、残った数少ない教室や図工室、音楽室で授業を受けていました。部活レギュラーだった同級生が転校してポジションが変わりました。身近なところに死者がいなかった私は、いつもどおり朝起きて「あれから何年経ったか」を確認する。

2017-01-16

婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

今年87歳になった婆ちゃんに、

正月田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。

当時「この世界の片隅に」のすずと、

同じような年齢で戦争経験した婆ちゃんに本当のところは、

どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。



婆ちゃんは7人兄弟の三女。

婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて

物心いたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。



婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業成功していたらしく

家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、

戦争前に事業に失敗。

家は途端に貧しくなったらしい。



たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、

小学校先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て

婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。

当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、

授業料免除手続きなどをするなど、

本当に熱心に動いてくれたらしい。



結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて

全寮制の女学校に行けることになった。

戦争は、そんな女学校時代に起こった。



戦争が始まる前、日本満州での事業で盛り上がっていたそうだ。

大陸未分化な国を日本配下に置いて発展させることは、

とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。

学校では、天皇陛下神様と教えられて、

天皇陛下の元、男子兵隊さんになるのが当然だと思っていた。



近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。

婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、

子供心にショックを受けたそうだ。



戦争が始まっても、ばあちゃんの日常は変わらなかった。

普通に勉強していた。ただ、農作業時間が入ったそうだ。

女学校同級生みんなでさつま芋を育ててたらしい。

そのうち、普通の授業の時間はなくなり、

富山工場女学校の全員で働きに行く事になった。



毎日10時間ミシン兵隊さんの洋服を塗っていたそうだ。

女学校勉強できなくなるのは残念だったが、

天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだかしょうがないと言っていた。



徐々に女学校日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、

戦争はずっと勝っていると思っていた。

新聞ラジオ毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。



そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。

芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。

お腹が空いて寝れない日が普通になった。

友達とは、毎日食べることばかりを話していた。

炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。



そんな日常の中、空襲が婆ちゃんの工場を襲った。

焼夷弾が次から次へと降ってきて、

花火のように火を吹き上げるんだそうだ。

婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。

町中が灼熱地獄のように暑かった

ただ、ただ、山の上に逃げた。



当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、

一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。

結果、それが婆ちゃんの命を救った。

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。

そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。

川に逃げた人はみんな死んだ。



空襲が止んで、友達は半分も残らなかった。

婆ちゃんの働いていた工場も完全に破壊された。



その後、近くで何度か空襲があったらしいが

運良く婆ちゃんの所には直撃せず、

次の工場への移動が決まり、準備を進めていた。



そんな矢先、唐突戦争は終了した。

天皇陛下の敗北宣言を聞いた時、

戦争に負けた悲しみよりもなによりも、

もう爆弾が降ってこないことが嬉しかった。



もう、爆弾が降ってこないんだ。



と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて

本当に本当に辛かったんだなあと、

聞いてる俺も泣きそうになった。



その後戦後の本当の食糧不足や、

食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、

だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。



今の日本海外若い人たちが

戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと

から恐ろしくなるし、

あん経験を俺や俺の娘にはさせたくないと

強く言っていた。

2017-01-14

意識が低いので最近 facebook投稿したくない理由

ここ最近facebook投稿しづらくて、twitter原点回帰しているという話をよく聞く。

自分もそのうちの一人だ。

見ている分には友達の近況などしれていいけれど、でも自分投稿したいという気持ち

1年前と比べるとかなり減っている気がする。

大体のポストはこんな記事。そういうクラスターに入っているだけかもしれないけれど。

「こんなすごい人と一緒にいます(タグを添えて) 」

海外出張いってきます、かえってきます空港タグを添えて)」これが一番

カンファレンスに登壇予定です」

ニュースに出ました」

Noteでこんな記事かきました 」

「昔でいうRSSリーダ的に読んで意識高そうな記事シェアしました」

といった、ポジショントークまざりの話が 多すぎる気がする。

もうちょっと前のユルフワな、足折れたとか、ここのお店が美味しかったとか、家族写真がきれいーとか

どうでもいい和やかな雰囲気がすきだった。

今はそんなことをつぶやこうと思っても、周りの意識が高いつぶやきに比べると、

「いやまてよ、こんなこと書くよりも、なんかすごいことをしている、常にアンテナはってますよというオーラを出さないといけないのか?」

と我一瞬冷静に事態を振り返り、投稿をやめる というのが最近である

また、個人的可愛いと思っていた女の子写真をググって、そのリンク先がfacebook上にあり、

そこを眺める といったソーシャルネットワークという映画ザッカーバーグ氏の昔のような風景も、

いまでは、可愛いもしくは意識高い女子というのは、Instagramに上げるのみで、プライベート写真更新はかなり減っている気がする。

facebook社としては、買収したサービスであるinstagramトラフィックが寄り付く分にはID統合されているのであれば、広告面としては問題なっそう。

そしてfacebook機能としても

同窓生枠だけに投稿する」といった、セグメント別の投稿ができないので、

地元同級生意識高いクラスターが納得するであろう最適な投稿確立できなくて、

結局Read onlyになっているような人が多いような気がしている。

アメリカ人と話して、facebookやってる?と聞くと、

「ごめんね、facebookは本当にprivateな人のみでやっているだ、Linkiedinでつながりましょう」

とよく言われて、それがアメリカでの使い分けらしい。

日本だと、その使い分けができず、ビジネスプライベートが完全に一体化しちゃったおかげで、

まとまりがなくなってきているから、最近多い使い分けとしては以下となっている模様。

facebookでは意識の高い情報を見て、シェアする場所。他の人に興味もないので退会。

twitterはどうでもいいつぶやきとよさそうなリンクをとりあえずshareするOpen bookmark

Instagramはその瞬間きれいな写真をとって残すのと、オシャレ感をポジション投稿する場所としての Open photo storage

といった使い分けをしている人が多いのではないかなーと思っている。

とここまで書いて定量的情報をみていたら、

まったく同じようなことを半年前くらいに書いている記事をみつけた。

http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160622-OYT8T50037.html?page_no=1

IR上だと、asia pacificでくくられてしまっているので、

日本情報はよくわかりませんが、

参考になりそうなFBIR資料はこちら

https://s21.q4cdn.com/399680738/files/doc_presentations/FB-Q316-Earnings-Slides.pdf

それにしても今日は腰が痛い。

2017-01-13

私はかつて、腐女子叩きをしていた。


腐女子に恨みがあったわけでは全くない。

しろ数少ない友達腐女子だったくらいだ。とてもいい子で、とても良くしてもらった。

それなのに腐女子叩きをした。

ひょんなことから腐女子アンチサイトを見て、最初は「うわぁ…」と思ったが、読んでいるうちに面白くなった。読むのが止められなくなった。

そしてそのうちに、「多くの腐女子偽善的で独善的恥知らずマナー知らず、人の気持ちを考えず、百合NLを見下し、言い訳責任転嫁ばかりする人たち」と思うようになってしまった。

百合NLが好きな私は、腐女子に見下されているのだと感じるとともに、腐女子と違うという優越感が得られた。違わなければならなかった。腐女子マナー啓発動画サイトなど「味方」はいっぱいあり、腐女子側の「百合NL自重はどうなんだ」という反発も「腐女子はすぐそうやって責任転嫁するwww」と言っていればよかったから。

腐女子アンチスレにも常駐した。自分レスを褒められることもあって、嬉しかった。

だが、その腐女子アンチスレはたびたび女叩きの流れになった。それが不愉快だった。

ちなみに腐女子叩きの前は恋空叩きにハマっていた。流行っていた「恋空」を読んだばかりの時は、評判と違って泣けなかったが、特段ひどいとも思わなかった。

ネット恋空が叩かれているのを見て、泣けなかった自分優越感を感じるとともに、恋空を好きな同級生たちを「スイーツ(笑)」と見下して優越感に浸れた。また、この作品に傷ついたという強姦被害者の話を読んで、青少年の性の乱れを危惧するレビューを読んで、恋空叩きは正義なのだとすら思った。恋空を叩くレビュー面白いし、優越感にも正義感にも浸れていいことずくめだった。

今はツイッター腐女子の方たちと交流して、自分も少し腐ってBL二次創作を読むようになった。だが腐女子と名乗ることは怖い。どんなに、同じ腐女子を含む話の通じない人たちのバッシングに晒されるかを知っているから。自分がかつて腐女子の方にしてしまったことは消えない。今は自重押し付けには反対だし、腐女子の方が少しでも自由創作できるようできることはしたいと思う。

また、恋空についても、かつては「こんなスイーツ(笑)映画に感動とか日本オワタwww」と思っていたのが、今では恋空に感動している人を見ると「汚いネットの評判に毒されない人がまだたくさんいる」と日本希望を持つようにすらなった(まあ恋空叩きブームはとっくに終わったんだけど)。

多分、女叩きや韓国叩きをしている人たちも同じなんだろう。大勢でその対象を叩くことで多数派安心感、悪い集団を叩いている正義感自分はその集団とは違い優れている、周囲の人たちよりわかっているという優越感、単純な愉悦を得られる。更に「自分たちがその集団から迫害されている、見下されている」という被害者意識が合わさる。同士や自分が書き込むごとにどんどんヒートアップするのだ。

この場を借りて、腐女子恋空ファンの方達には深くお詫びしたい。

http://anond.hatelabo.jp/20170113104823

から、当時の大人オタクはGALSなんざ見向きもしていなかったんだよ

当時既に20代だったが、全く話題にもなっていなかった



当時の高校生以下なら本人がオタクだろうとギャル同級生が身近にいただろうから

大人よりは馴染みがあって当然だろうし

そういう世代大人になってオタク業界に影響を及ぼすようになっただけでは

やれたか委員会、頼む

もう3年前になります中学同級生と会うことになりました。

たまたま昔の仲間であつまる機会に、彼女も来たのがきっかけです。

実は昔、彼女のことが好きでした。

肥大した自意識、過剰な心配、低い自己評価。恐れのあまり、結局、当時の自分告白すらできなかったのですが。

仲間との飲み会では、連絡先だけは交換できました。

さすがに社会人になっていましたから、それぐらいはできました。

後日、特に期待しないではいたのですが、彼女から連絡がありました。久しぶりに会わないかと。

僕は二つ返事で会おうと言いました。

二人で居酒屋に行きました。しかし、話はといえば、彼氏愚痴でした。

出会いきっかけを聞いている時が、一番辛かったです。それでも、僕は一生懸命聞きました。

それが唯一、僕が彼女にできることでしたから。

減り続けるお酒。心なしか増えた、彼女からのボディタッチ。

そして迫る終電時間

僕の家は近く、終電時間が早いのは彼女でした。

しかし、彼女時間を気にするそぶりもありません。話を聞きながらも、迷いに迷いました。

このまま黙っていればいいのか、しか彼氏がいる手前、伝えないところで変わらないのか、いや、変わるのか。

はたまた、彼女はわざと気づかないふりをしてるのか –– 。

結局僕はギリギリになって、「あっ、時間だよ」と今気づいたふうに伝えました。

良心と下心と期待がはじき出した精一杯の時間でした。かなり走らないと間に合いません。

悩みに悩んだ僕の選択でしたが、彼女にとっては一瞬でした。

「あ、走らなきゃ!」

ごめん、またお金渡すね。と行って彼女荷物を手にとり、颯爽と店の外へと消えて行きました。

あのとき時間を伝えていなかったのなら、僕はどうなったんだろうと考えずにはいられません。

「気をつけてね、またね。」それが唯一、僕が言えた返答でした。







数日後、また彼女から連絡がありました。別れたと、悲しそうでした。

少し喜んでしまった自分に、罪悪感を覚えました。

結局、お金返すねと言われ、会う約束をするまでの間でしたが。

約束の日、彼女は車で来ました。そのとき、僕は一瞬で悟りました。

今日は飲まないし、すぐ帰るんだなと。

しかし嬉しい誤算ですが、すぐには帰りませんでした。

そして、結果としてはいわば終電時間が過ぎた夜更けまで、二人で話し込むことになったのです。

深夜の公園がこんなに楽しく思えたのは、これが初めてでした。

休憩にと座った狭いベンチで、思いがけずつくっつく形となり、胸が高鳴ります

思い切って、昔好きだったことを伝えてみました。

「えーっそうなのー?!」と驚いて、その後に照れたように見えました。

さらに思い切って、手を握ってみます

握り返してもらえました。

もうこれはさすがに行くしかないと思ったのです。もう遅いから、彼女の車を運転して、送ってくよと言いました。

車の保険大丈夫だったのが、本当に幸いでした。

運転席に座り、彼女に家の住所をきき、そして調べるふりをして僕がGoogle Maps一心不乱に打ち込んだキーワードは、「ラブホ」でした。

「どっかよってくー?」運転を開始して早々、何気なく言ってみました。

本当にこれでも精一杯だったのです。

永遠とも思える一瞬の沈黙を破った彼女言葉は、「…うん」でした。

僕の運転する車はそのままホテルにinしました。

どこの部屋にしよう、というようなセリフを、優柔不断な男だなと思われたらどうしようと思いながら言った記憶があります

まかせる、が彼女の返答でした。どの部屋が良いかからなかったので、とにかく空いてる部屋を適当に選びました。

こんなふうになってるんだねー、というような会話を振りながら部屋に向かいます

そして無事部屋にいたり幸福の扉を開いたとき、僕はある失態に気づいたのでした。

0.2mmの壁を、車内に置いたカバンの中にカバンごと忘れてきてしまったのです。

「あ、ゴム忘れた」と言わずはいられませんでした。そうです、言ってしまったのです。

じゃあやめとこっか。それが彼女の返答でした。

なんたる失態。男子に生まれ男子として生き、男子として生をまっとうせんとする者にあるまじき行いをしでかしてしまいました。

深夜の公園楽しい会話、冷めやらぬ手の温もり –– 。すべてが涙となって今にも溢れ出さんとしています

まさか、ここまできてこんなはずでは…!!!

…天は僕を見捨てることはしませんでした。部屋の片隅に販売機があったのです。

枕元に備えつけのものは使いたくありません。たとえやれたとしても。

そこで僕は手持ちの小銭を詰め込んで、オリジナルを買いました。

彼女の心が冷え切ってしまったのではないかとすごく心配でした。

3個パックで割高な箱を手に持ち、僕はベッドへと歩み寄りました。









さて、少々長くなってしまったが、やったか委員会だれかいれば頼む。

2017-01-12

自己中で何が悪い

テクニックで人集めができる社会

情報が賢い者からそうでないものに流る時代ではなく、現代愚かな者が欲しがる情報を作り出す時代である

雑誌アフィサイト作成に携われば、そのテクニックは誰でも身につけられる。

簡単に儲かる仕事、都合のいい恋人が見つかる物語、作られた夢、難病が治る魔法利己的な人を肯定する思想

これらはすべて、愚かな者が求めているモノなのだ

俺たちはそれを垂れ流してやり、金を得る。

 

でも、人類の将来に必要であろう治安の持続を考えれば、これらは毒にしかならないのも知ってる。

グレーな仕事をしてきた同僚も、家族を持ってからかなり丸くなった。

自分の周りのことだけを考えるだけではダメだという危機感を俺に語るようになった。

犯罪すれすれの仕事をしてきた人間がだ。

だが、俺もその言葉に納得するようになってきた。

社会還元することの大切さをようやく分かってきたんだ。

進歩の無い安定は、海辺砂の城を作り続けるような人生に思えてくる。

守る者ができ、その安全について考えていくと、やはり(みせかけだけでも)利他性が重要だと経験で学んだのも大きいだろう。

 

町の安全を守っていた同級生が、俺の羽振りのよさにバカバカしくなって仕事を辞めてトラブルを起こしたり、

大手に入った優秀だったやつが、冴えなかったコンプレックスを爆発させて今では工場で働いていたりする。

自己実現多様性個性、本当の自分

そんなものは、実は俺たちがけしかけた商品の一つに過ぎない。

最近ではその毒牙にかかった連中を見るたびに後ろ暗い気分になる。

お受験のために着飾るオバサン、奇抜な格好をして闊歩するにいちゃん、ネット自分の信じたいモノだけを検索するオッサン

毒に冒されたままだといつか回り回って自分以外のものも滅しちゃうぞ、と。

 

俺も歳とったなあ。

LINEイジメは見えにくいから、とかいバカ親をみて息子に伝えたいこと

子供スマホ持たせるとLINEでのイジメとかあって心配

昔と違ってLINEイジメなんて大人の目に見えないから怖いでしょ?

から子供にはスマホもたせたくないのよ・・・という人がいた。


アホか。

イジメってのは、昔から親や教師の気づかないところでやってるから深刻化するんだよ。

親や教師のわかるところで、あからさまに力を誇示するような見上げた不良は、そもそも陰湿いじめはやらないもんだ。

LINEはおろか、ネットなんて存在しなかった太古の昔から子供の様子がおかしいことに気づける親は、ちゃんと子供いじめられていることにも気づいたさ。

それは、多分、LINEのイジメになっても変わらない。

過去、何人ものいじめられっ子が、親や教師に気づいてもらうことはおろか、自分から言い出すこともできず苦しんできたんだよ。



オレの息子はまだスマホをほしがる年ではないが、「まわりはみんな持っているからボクもほしい」と言い出したら、できれば持たせたいと思う。

まあ、オレの息子だからいじめっ子になる危険よりいじめられっ子になる可能性が強かろう。

が、いいか、息子よ。

パパの時代イジメとちがって、LINEでいじめっ子からひどいことを言われたら、それを「証拠」に残すことができるんだ。

スクリーンショット、という機能がある。

LINEでひどいことをしつこくいってくるやつがいたら、ちゃんと証拠を残しておけ。

それを見せて、パパやママ相談してくれ。

まあ、パパは頼りないし、言いたくないと思ったら、先生でも良いし、児童館のお兄さんでもいい。

もし本当に「このままだと殺される!」と思ったら、おまわりさんに相談したっていいんだ。

パパの時代は、周りの同級生が口をそろえて「そんなことありません」といえば、ひどいイジメもないことにされてしまったりしたが、スマホをうまく使えば、そんなことはなくなる。

お前はい時代にうまれたな。


いかスマホみたいに新しい機械がでると、なんやかんや文句をつけて「昔は良かった」という大人がいるが、そんな大人の言うことはあんまり信用するな。

こういう便利な道具が、どうすばらしいかというと、パパのような貧弱な人間(そしておそらく、その遺伝子を継ぐお前も、そんなに屈強な男にはならないだろう)でも、うまくつかえばすごい武器になるってことだ。

まあ、頑張れよ。

知識なんか要らない

自分は大抵の知識不要だと思っている。

上手く大学入試に通り過ぎて、難易度の高い大学に入ることが大切なのだ

そして、他者よりも良い立場について優越感を得るのがいいのだ。

別に知識が何か役に立つというよりも大学に入ることだろう。

慶応大学にご進学された、高校の時の同級生の顔が可愛い女の子幸せなのだろう。

知識というのは大抵の場合、多くの人間にとって不要だし、彼女たちにだって不要だ。

ペニスでもしゃぶったり、キレイに立ち回ったりして上手くこなすのだ。

一番大切なのは容姿よく生まれことなのだろう。

自分は頭が悪くて、大した三流大学の四流学部しか入学できなかったが自分は益々知識など要らないと感じることが多い。

結局は、ウェイウェイして楽しく過ごせることが大切なのだ

それはお顔がよく生まれることが必須だ。

別に高江でヘリポート建設されようが、人々の自由が狭められそうな状態でも彼らは楽しそうだ。

別に同級生の女や彼らは上手く立ち回れるから良いのだろう。

自分だってそうなりたい。

自分容姿が心底醜いから、世間からサンドバッグにされたり濡衣を着せられるリスクが高い。

そして、孤独だし惨めである

知識もどきをつけて、なんとかしようとしている。

それはとても虚しいし、容姿がよくなりたいと欲するのだ。

持病の治療薬で酷いニキビ跡やらがついて、美容整形外科では服用している免疫抑制剤で断られた。

自分は虚しくニュースでも見て、見てくれの良い人間を見て泣く。

30歳、独身年収600万

同級生たちは半数以上が結婚している。

いままで正直女には不自由したことなかったけど、結婚したいと心から思えるような人にはめぐり合ってないし、彼女がいるいまも浮気しまくっている。

結婚はしたいし、子供もほしいけど、「今じゃない」って思ってたらもう30歳になってしまった。

あせるべきなのか、このままでいいのかすらわからない。

2017-01-11

一ヵ年皆勤までもう少しだが、高校を休んだ、日記

僕は風邪をひきにくい体質だ。病弱そうな見た目の風邪をひかないタイプ人間だと思っていただきたい。

スポーツもあまり好きではなく、外出時は義父の車に乗って遠出をするので、怪我もしていない。病気も滅多にしなく、多少調子が悪くても軽い頭痛程度の私は、毎日毎日律儀に学校へ行った。おかげで一ヵ年皆勤まであと少しだった。教員に「努力すれば出来る子」としてみてもらいたいからでもある。

ところが、だ。

天国のような冬休みあいにく終わり、始業式のためだけの儀式的な学校に行ってから、どうも調子おかしい。気にせずその日は眠ったが翌日の朝、起きた時にはっきりと体がだるかった。布団を頭からぶっても寒かった。吐き気がした。

僕はがっかりした。僕も風邪をひくんだな、と思った。僕は母に頼んで学校を休んだ。

学校を休ませてほしい、熱はないがはっきり体調が悪い。その言葉さらっと出てくるまで何度か言い直した。一日休んだからといって学校での僕の立場が変わらないのは知っているが、皆勤を逃したくない、教員に「出来る子」と思われたい、という思想は僕を形作る大切な要素の一つで(僕はこの時それを初めて自覚した)、休みたい、というにはかなり葛藤した。

母は滅多に体調を崩さない僕の白い顔と、乾燥した唇からとぎれとぎれに漏れ出る言葉理解し、はっきりと動揺していた。母は心配そうな顔をして、派遣先会社へ向かった。

一人ぼっちの家の静寂に耐え切れなくて音楽を流した。P-modelアルバムを、ずっとリピートで流した。3回目のリピートに入ろうとした時に、僕は卒業アルバムを開いた。

小学生の頃、今とは比べ物にならないほど体の弱かった僕は、1~2ヶ月に一度は風邪をひいて、学校を休んでいた。普段学校に来るな、と僕に吐き捨てていた同級生は僕が学校を休むとなに学校休んでんだよ、と言ってきた。


耐え切れなくなってアルバムしまい、羽毛布団をかぶった。なに学校休んでんだよ、か。ひとりごちた僕は、何から逃げようとしているのかもわからないまま、布団の中でうずくまった。

2017-01-10

定期的に見る夢

にぎやかな昼休み、1人で弁当を持って廊下に立っている。おそらく体に害がある薬剤を持った同級生に追いかけられる。誰か助けて!!と自分叫び声で目が覚める。

高校卒業して社会人になり、友達上司に恵まれていて幸せなはずなんだけど。いつまで似たような夢にうなされるんだろう。

女ぶるのが恥ずかしかった

発育が良かった。子供の頃は周りからいつも頭一つ身長が抜けてた。

可愛いねぇよりもスタイルいいねぇ将来はモデルさんだねぇと言われた記憶がある。

母親趣味からふりふりの服を着ることはあまり無かった。

アメリカの子供みたいなオーバーオールとか帽子とか、男の子ファッションをしていた気がする。

あとセーラームーンではあみちゃんが好きだった。なのでピンクや赤ではなく青色を選んでいた。

髪の毛も短くしていた。これは何故かはよくわからないが、中学生になるまで男の子みたいな髪型だったと思う。

小学生になってあるとき親の趣味で赤いワンピースを着た。スカートも履いた記憶冠婚葬祭くらいしかなかったので少し「どうなんだろうこれ」という感情はあったが

その時大好きだったアニメ魔女の宅急便』に感化されキキ気分で赤いカチューシャをして街へ繰り出した。

同い年くらいの見知らぬ男の子が、私を見て言った。「男女」と。

私は酷く傷ついた。そしてまた同時期に背が高いことを同級生男子からかわれ、つらくなった。

それから私は制服以外でスカートを履かなくなった。ふりふりの服も着なくなった。

身体つきは成長して女らしくなるのも早かった。それが私のコンプレックスを加速させていった。

先ず胸を隠すように猫背になった。だぼっとした服を好むようになった。

女の子の選ぶような服は選ばなかった。男女兼用とか、とりあえず男の子っぽい服を選んだ。

でもずっと女の子みたいな服を着てみたかった。

似合うなら着たかった。だけど私には絶対似合わないと分かっていた。

高校卒業して、少しだけ環境が変わったこともあり、女の子らしい服装を着るようになった。でも似合ってないよなぁと思っていた。

ただこの時の私と言うのは元気と若さからくるもので、似合わなくてもいいやという感覚を持っていたと思う。

でも成人式は出なかった。スーツでも出ればよかったのかと思う。しかし私は同級生たちに可愛らしい振袖を着た姿を見られたくなかった。

その後の卒業式で袴を着ることになった。袴なら、まぁ。制服みたいなものだし。

でも気が乗らず、選びに行ったときはもう着たい袴は無くなっていた。

母親は私がそんなことを思っているとは知らないだろうが、どうも女の子らしい服装をしてほしいという欲はあったようで

母親のために着たくない袴を選んで、着て、写真を撮った。

写真も苦手だから、表情も固まっているなんとも酷い写真があがってきた。袴も似合っていない。

この時もう可愛らしい格好なんてするかと胸に誓った。

今はフリフリの服だけは着ていない。ザ・男の服もどうしても似合わなくなったので、カジュアルボーイッシュ無難な感じをさまよっている。

でもふと思うのだ。私は今じゃ誰がどう見ても女だし、私より身長が高い人はたくさんいる。

今ならザ・女の子の服を着ても誰も文句を言わないのではないかと。

それでも、多分自分文句をつける。似合ってない。私を見る人たちが私を笑っているのではないかと。



もうこうなってはどうしようもない。改善策も無い。私はこのコンプレックスを抱えて生きていくしかないのだ。

しかしわりと、いや結構つらい。いっぱい泣いたし、喜ぶような場でも自分服装ストレスを感じるばかりだ。

から今のうちに、子供がいる親には伝えてほしい。(経験上、からかうのはいつも男の子だった)

女の子性的外見にとやかく言わないでと。その子はきっと、一生をひきずるくらい傷つくからと。

せめて反面教師的になればいいと思うのです。

美人JD風俗嬢を引いた結果wwwwwwwwwww

会った瞬間から大はしゃぎ。

  

「魔材JDンゴ!?!?!?」って感じで絡みまくった。

JDJDで、「広いおうちですね~。どんなセレブ住んでるんだろーって思ってたんですがあ」

俺の家はマンションの1室なので、別に大したことは無いが、JDビビる

風呂かわいい感じ。

「え!?こんだけ改装してるってことは、買ってるんですか?」

「うん。早くお風呂入るんゴ!!!

  

マジでJDンゴ?」

「いちおーそうですねー」

可愛いんゴ!!!絶対同級生に居たら話かけられないんご!!!!」

「え~?話かければよかったのにねー」

ムサイ部活やってから無理だったンゴ……

一緒に筋トレとかしてたアメフトとかラグビーの人たちは悪羅悪羅系でモテてたんだけどね……」

「私はエグザイルとか苦手かなあ」

ジャニーズやろ?」

「顔じゃないからw綾野剛とかかなーイケメンは苦手」

「ンゴ……」

どうやらノーチャンスみたいだ。綾野剛ってイケメン枠じゃなかったんだね。

  

おふとぅ~んに入る。JDさんの骨盤が浮いている。痩せすぎやんな。

鼠経部分の動脈がドキュドキュと簡単に触れる。

もしかして医者さん?」

「そうだよ」

「触り方がそれっぽい~。お医者さんってもっと高級風俗とか行くと思ってた」

「んゴ……」

  

JDさんが、(^ω^)ペロペロと乳首とかを舐めてくれる

「ンゴォ~ンゴォ~」と喘ぐしかできないアラサーおじさんの僕。

JDさんが、僕の息子さんを握る。(^ω^)ペロペロお~!!(^ω^)ペロペロお~!

イケメンキスする時しか許されない美人JDさんの唇がキモブサチビのチンチンにキスしてるんゴ!!!とんでもないんゴ!!!!」

「そんなことないよー」(^ω^)ペロペロJDがのたまう。

  

このままでは簡単いかされてしまう!!

JDさんの手を取る。

「ユーハブアペーンゴ」と言って、僕の息子を握らせる

「ユーハブアッポーンゴ」と言って、僕のタマタマを握らせる

「ンッ!!!アッポーペンゴ」と言う。

JD空気を読んで笑ってくれる。

「何?玉がいいの?」

「そうンゴ!」

JDさんが、(^ω^)ペロペロと玉を舐める

「玉咥えてほしいんご!」玉をくわえるJDさん

「念じてほしいんゴ!『お姉ちゃん妊娠してあげるからね~、ちゃんと可愛く産んであげるからね~、ママのおなかの中においで~』って念じて欲しいんゴ!!!

JDは含み笑いしながらも、目を閉じて念を送っているのか、(´~`)モグモグとくわえる。

「逆の玉もお願いんご!じゃないとかわいそうんゴ!『お姉ちゃんバッカリずるい!』って言ってるんご」

(´~`)モグモグと逆の玉も咥えるJDさん。

  

マンマン見たいお!!!見せてお!!!

顔面騎乗してもらう。

チューチューとマンマンを舐めながら、じーっとJDさんの顔を見る。

「なんだか、赤ちゃんみたい~」

「頭なでなでしてほしいナリ」

よしよしヾ(・ω・`)と頭をなでてくれるJDさん。

俺はバブミを感じる。

ママ~僕の精子妊娠してほしいんゴ~」

「それじゃあ近親相姦じゃん?w」

  

「ねえねえ!俺が告白するから、OKしてんご?八百長で。」

「え~wこの格好で~wいいけどさーw」

ずっと好きだったんゴ!付き合ってほしいんゴ!デートとかしたいんゴ!!!!」

「え~じゃあ~私もずっと好きだった~。あwだったとかいっちゃった」

「嬉しいんごー」

「え~この後デートの話とかするんじゃないのー?w」

原宿とか行きたいんゴ!!!んあ~こんなカワイイ娘、同級生絶対手が出なかったんゴ~青春取り戻してるんゴ~」

「手だせばできたのにね」

絶対無理ンゴ~……君に似てるかわいい女の子と話できたの、大学卒業旅行で初めてだったんゴ」

「え~なんて話したの?」

「『増田君は普段何してるの?』に対して、『囲碁センターとか行くンゴ、まだ子供で将来有望そうな子に勝って、その子プロになった時に他人に自慢するために、子供狩りしてるんゴ00』とか言ってたくらい……」

「なんか渋いwwwwwwwww」

  

「ンゴ……69したいンゴ」

  

69したときに、指を入れようとすると。

ダメだよ、(-。-;)濡れてないと入らないの」

「ンゴ……じゃあもういいんゴ……」

「お前、しゃぶれよマジで

「なんか、口調変わって怖い……」

「濡れないって言われて傷ついたンゴ!!!!」

「そ、そうじゃなくて、ナカナカ濡れないの私……」

いきなり不機嫌になり、オラつきだす僕。

  

「オラあ!妊娠しろよぉ!!!お口で妊娠しろよぉ!!!!」

「てか、交渉しないの?15でいいよ?」

「え???本番やれるんゴ???

「てか、1でもいいよ」

「いらないんゴ。お口で妊娠させるンゴ。僕の子妊娠してもらうんゴ!!!!」

決断早いなあwwwwwww」

  

腰がビクビクとなる。

「ンゴ~!!!!!ンゴン!!!!ン~ンゴ!!!!ン~ンゴ!!!!!ンゴ!!!!」

どぴゅどぴゅと出ている。

「モットもっとしゃぶるん!!!まだまだ出るんゴ!!!出るんゴ!!!

と思ったら、JDさんが口をはずす。

「もう出たよ」

「まだ全然出てないんゴ????出てないんゴ????」

だって、苦いもん、嘘つかないよ、分かるよ。ティッシュ

ティッシュにベッと吐くJDさん。

においをかいでみるが、分からない、これ精液のにおいか???

「分かんないなぁ」

「そりゃそうでしょw」

  

「どうする、シャワー

「浴びるんゴ……」

  

シャワーを先に終わり、ネットJD名前を調べる。

サイトに載ってない。

嘘の名前を教えたんだ。俺にもう一度会いたくないためか?

サイト名前ないんだけど?」

「あ~私顔写真載せてないんだよね」

「次に指名できないんゴ?もう会えないんゴ?僕は君のこと好きンゴ!!!!」

「ちゃんと、前当たった子なんだけどーで会えるよ」

絶対嘘だ。

勤務時間とかわからいから無理じゃん。

  

後味悪い感じで終わった。

http://anond.hatelabo.jp/20170110153910

名古屋人だが、同級生女子京大に行きたいと行ってたのが

祖母女の子なんだから名古屋に残るべきみたいなこと言われて名古屋大学に行ってるという話があってだな……

しか京大なら、名古屋場合から通えないこともないという点を考えると……

妻がバカで辛い

離婚しよう、と言われた。

 

1年間の単身赴任の後、赴任先に妻子が合流した。

合流後、そろそろ2年になる。

妻は5時台に早起きして朝食と弁当を作り、洗濯のあとパートに出かける。よくやってくれている。

 

増田40代、妻30代、子ども3人。

一番上の子高校受験関係で、夏までに妻の実家近くに戻ることにした。

増田単身赴任を続ける。

ここまでは双方合意

 

離婚理由を聞くと、

「働きたくないでござる」

 

 

詳しい聞き取りの結果はこうだ。

 

まあ、つまり、あれだ。

偽装離婚を持ちかけられているわけだ。

 

 

目下の悩みは、こんな思考の人と添い遂げられる自信がなくなったので、

本気で離婚したいと思っていることだ。

養育費はそれなりに払う。

 

その場合、どちらを選択すべきか、、、

正直めんどくさい。

 

 

参考までに、偽装離婚後の生活費を詳しく計算するとこうなる。

 

収入の部

婚費(家賃込) 200,000円

子ども手当    35,000円

児童扶養手当   58,330円

児童育成手当   40,500円

 

支出の部

学校幼稚園 15,000円(5000*3)

年金 0円

健康保険 0円

住民税 1,000円/月(もっといかも)

医療費 無料

家賃  3〜5万円(相場14万円前後

食費・被服費・雑費 それなり

 

 

(確かに妻が働かなくてもやっていけそうだ。。。)

 

 

 

追記

夫もバカだの何だの好き勝手書いてくれて、どうもありがとうございます

週末に、また妻と話せると思うので続報があればその頃に書きます

 

入れ知恵がどうの、と書いてくれた方がいましたが、

妻の親族地元の友人?に同様のことをしている人達がいるみたいです。

倫理観はその人の属する集団の平均に等しいといいますが、推して知るべし、です。

 

婚費という言い方は適切でないかもしれませんね。

出す側のこちらからすると養育費というつもりもないですし、

仕送り、と読み替えて頂ければ。

 

友人から公立の小中学校に行かせても給食費や教材費がかかる、と教えてもらいました。

修正しておきます

 

転居先の自治体では高校生から医療費応分負担があるそうです。(ひとり親家庭医療費無料

修正しておきます

 

 

13JAN/2017

みなさんへの返信をまとめました

http://anond.hatelabo.jp/20170113124025

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20161225234917

そういえば小学校同級生が某週刊誌セミヌードになってたのだが意外と抜けなかった。

2017-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20170107105508

ヤマギシ民間でしょ……。それに連中のやってることは現在社会と断絶したカルト宗教に近いものだし。

バカ達の善意カルトになる構図こそお前が見て学ぶべきものなんだから

本当に真面目にその問題意識持ってるならよーくヤマギシ会でも研究してろっつーんだよ。

自分の言ってるのは国主動でもっと緩やかなもんだよ。

うんうん具体性のないぼんやりした思いつきなんだよね。

少なくともお前みたいな馬鹿が考え付くようなことは

行政がよっぽどまともな検討現実的に取り組むからバカ発言は要らないよ。

あと個人負担がひどくなる核家族って観点は間違ってない。

相互扶助社会では子育て負担は減るでしょ。

はいはい

ぼやーーーっとしたメリットを思い浮かべてるだけだよね。



ところで「核家族問題点」なんて古び切った話でな

過去50年はその手の話をいろいろしてるよ。

なのに核家族から大家族に戻らないのなーんでだ?

(わかってるよ、馬鹿の対だな脳みそではそんなこと考えるのも調べるのも耐えられないほど嫌だってことはw)



で、お前は俺を否定する際に仮説も立てずに全否定してるわけだけど、お前自身はお前が述べるところの馬鹿ってことでいいかな?

俺はてめえの主張に付いて

脈絡なし

・仮説がぼんやり

・仮説を補強する根拠も揃えてない

現実を調べる姿勢すらない




というダメだしというか指導をしてあげました。

こんなの高校生レポートでも言われたら恥ずかしいレベルのことです。

なのに一つも改善を示せませんでしたね。

お前の主張というのはその程度のものです。




お前の主張の根拠や実現可能性はお前が立証するんだよ!wwww

そこに何もなかったら却下おしまい

何の材料も示せない主張に対してなんで否定する側に根拠が要るんだ?

わけわかんねえこと言ってんじゃねえよ。

中学生ディベート授業でもお前は同級生から邪魔から黙ってろ」って言われるレベルな。




基本的論理ディスカッションも弁えてないか低学歴なんだよお前は。

どこの大学出たのか言ってみろ。




ていうかヤマギシ会ですらあれだけのコミューンを形にしたんだから

お前みたいな馬鹿よりはるか仕事が出来て頭いい人間がそろってたんだからな。

あのカルトを下に見れるていどの頭脳もないだろお前は。

天下国家なんか語らなくていいから目の前の仕事をちゃんとやって一生暮らせ。

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