はてなキーワード: 恋愛とは
非モテ煽りやおばさん煽りする恋愛系情報商材屋、サラリーマンや学生をバカにして見下し煽る起業・ビジネス・投資系情報商材屋、転売ヤー…etc
ナンパと投資でそれぞれ別名義で情報商材屋をやってる友人がいたから、あいつらが実は殆ど金もなく女性経験もなくひたすら人の目を引く煽り文を一日中考えてひたすらnoteと Twitter(現X)に励んでいるということを知っている。
それでもあいつらの無責任で人をバカにする態度の文章や煽りには不快にさせられる。
また、俺は転売ヤーが目をつけるカードやグッズやゲームにあまり興味がないので転売ヤーの犠牲になったことはないし客になったこともない。
それでも転売ヤーのニュースややり口を見ると嫌な気分にはなる。
一つ不思議でたまらないが、まじで大したことない小銭のために他人を不快にさせることに一切の躊躇がない人ってどのような人生や経験を踏まえて今の境地に至ってるんだ?
普通に仕事する方が稼げるし、自分で仕入れだのなんだのやるより楽な気がするのだが、どれだけ批判されても普通に仕事するのを拒んで転売や情報商材ビジネスに手を出す心境がわからない。
・「お前、俺が怖くないのか?」な展開の末にようやく人間の彼女ができて脱童貞
・彼女に尽くしまくるが「彼の愛し方は人間というより動物的すぎる」とドン引きしていった
・彼女は拉致されており、解放してほしければ指定した人物を殺せと手紙で脅迫される
・最強吸血鬼だけどみだりに人を殺めたくないので苦悩しながら言いなりになる
・人柄の良いおっさんを殺害した後、ヤケになって自分の腕を切り落とす自傷行為
・実は誘拐犯なんていませんでした、彼女が自作自演で私怨のある者たちを殺すよう手紙送ってました
今時のまっとうな会社ならハラスメント防止規定と共に毎年研修やるので、社内恋愛なんて考えもしないんじゃないかな
まあそれでも勝手に好きになってこっそり恋愛する奴はいるだろうけど、極めてリスクが高いし、堂々と職場結婚しますと言えるような会社は極少数だと思う
鳥山明特にドラゴンボールって別に作品自体は嫌いじゃないんだけど、
「恋愛なんて低俗なものは少年漫画には不要!恋愛ものが見たければ少女漫画だけ読んでろ!
恋愛成就の努力なんてしなくても、強くなれば女が勝手に寄ってきて結婚できるのが正しいんだよ!」
という信者が大量に沸いたのは負の影響だなーと思う
これって、努力して良い大学に入ったのに女が寄って来ないと喚いている自称弱者男性そのもので、多分彼等の思考にドラゴンボールが与えた影響は大きいと思う。
鳥山明自身は恋愛を描かないのは単に恥ずかしいからだと言っていたし、
ラブコメで人気の桂正和と親しかった事からも、別に恋愛ものを見下してはいなかったと思うけれど。
でも結局、オタクサークルを題材にしてもボーイミーツガールに帰着して笹原だけじゃなく二代目で斑目の失恋と恋愛に帰着してたな。
小さい頃から将来の夢は「お母さん」だったのに。
私が子供の頃、周りは一軒家に家族で住んでいて、お母さんは主婦をしていて、お父さんが働いていて、二人から三人、多くて四人兄弟の家が主だった。女の子は年頃になればみんな結婚するものだと思っていた。
二十歳くらいから、地元に残った女の子はどんどん結婚して、子供を数年おきに産んでいた。
二十代は都市で働いている女の子は仕事が楽しい時期で、結婚は三十代前半か、二十代の終わりでいいと言ってた。私は二十七で結婚した。
旦那はずっと不倫をしていた。相手は障害のある子を持つ母親、私より5歳上だった。
子供を作ることを旦那は拒否した。私の家系に障害者がいること、私の精神が未熟だから。私とセックスをしたくないから。様々な理由を着けた。
家政婦、同居人を欲しがったのだ。
誰にも触れられない私は、自分がどんどん透明になり、境目がわからなくなっていった。
私が精神を病んだ時、これ幸いと夫は私を追い出した。
三十歳の時に離婚が成立した。夫は慰謝料も財産分与もしなかった。義母が数十万のお金を渡してきた。それが手切れ金だった。
躁鬱だった。一生薬を飲み続けなければならなくなった。
人恋しくなって何人かの男性と関わった。
だけど恋はしなかった。好きにもならなかった。
虚しさだけが蓄積される。早く誰かと再婚しないと子を産めなくなる。焦りだけがあった。
三十五歳を過ぎた時、ああ、もうタイムオーバーだと悟った。子供を諦めなければならない。
障害者が産まれる確率が高くなる。元旦那の「家系的に確率が高いからお前が妊娠したら必ず障害者が産まれる。お前は一人で育てられないから虐待するか殺してしまう」という言葉が呪いのように纏わりつく。
「産業廃棄物」と私を呼ぶ声が聞こえる。
三十七歳、周りはみんなお母さんになり、自分だけの人生から、子供のため、家族のための人生へとシフトしている。
年齢的にそれが自然なのだ。この年齢で恋愛もセックスも、生臭すぎてとてもじゃないが私はやれない。おばさんである自分が誰かと裸で抱き合うのなんて恐怖でしかない。化物の捕食シーンでしかない。
お母さんになるのが夢だった。いつか叶えられると思っていた。何歳でも子供を作れる男が羨ましいと思った。もう生きる価値も意味もなんも見出だせないのに何故生きてるのすらわからなくなった。
けど、楽しめなくなってきた。
どちらも夢のような世界を見せてくれるけど、その世界を構成している人たちの人権が無いもののように扱われていて、そういった犠牲もひっくるめて消費している自分に嫌気がさしてきた。
最近も韓国のアイドルがスキャンダルで叩かれてたけど、若くて見た目もよい男女が恋愛するのなんて普通だよね。
それを規制するのってどうなの?と思う。
でも虚構を売ってるんだから、あなたたちはそういう売り方をしてお金を稼いでるんだから、現実を見せないでくれよともやっぱり思ってしまう。
過重労働やパワハラにしても、それが無いのがあるべき姿だと思う。ましてや自殺なんてあってはいけない。
でも、じゃあ過重労働やパワハラの断絶をなんとしても実現すべきかというと、観客からお金を取るほどの質に仕上げていくにはある程度仕方ないんじゃない?とも思ってしまう。そういうものじゃん。
改めて書いてみると、自分はジェンヌやアイドルを自分と同じ人間として見ていない。人形なんだなー
綺麗な人形が動く様を見たいのであって、人形が自らの意思で恋愛をしたり、自らの不遇を嘆いたりするのは見たくない。
夢を買ったのであって、そうと分かってたら買ってないんだけど…となる。
中学の文化祭で合唱曲決めるときに何曲かある候補の中から決める形式だったんだけど、「COSMOS」が俺的によかったのに「大地讃頌」っていう訳分からん曲になったの今もムカつくわ
なんだよヤササヤササって
恋愛要素もあると嬉しい
舞台は「東方projectとか」とか「刀剣乱舞」とかの和風なんだけど、時代物ってわけじゃない
田舎といえば田舎なんだろうが、がっつり田んぼで田舎夏エロゲーみたいな雰囲気でもない
いいもの見つけても巫女にケモ要素があったりして求めてるものとズレる。
モテるのにマチアプを使う理由は、職場恋愛をしたくない、というかもう職場は何件かやってて社内結婚なんてしたら色々終わってしまうので手詰まりなのと、
私生活が趣味で忙しいんで出会う機会もなく、正直現状に不満があるようでないから、まぁ良い人がいればいいなぐらいの気力だからですね。
小学校や中学校のクラスに数人いたような、クラス全員から「恋愛感情を持てない」という理由で嫌われている女だろうか。
ぬいペニとは、女は恋愛感情がベースの好意であることは半ば承知の上で、やらずぶったくりを意識せずに行っている現象
私が思いますのに
女の子と付き合って幸せになるという状況いかんのものは、もちろん、発情期における女の子であってしかも色気づいてかわいい女の子であれば理想的であること論をまたないが・・・
ただ女の子がベッドに横たわってはい触ってくださいというごとき仕事のようなもの、女の子の方から、黙示に、だまった好きといった状態で股間をこすりつけてくる・・・
しかしこれは女の子は始終寝ている、目をつぶっている、女の子の方から何もしてこない、仮令、するとしても、ガンガン攻めるよといった、女の子らしくない言動・・・
自然な女子小学生が黙って近寄ってきて股間をこすりつけてくるといったやうな古代原始の日本しゃくわいに見られるような男女の恋愛関係、言葉がなく男女がお互いに自然と近寄ってきて
ぬいペニ現象(ぬいぐるみペニスショック)とは、女性が恋愛対象外の男性から好意を伝えられたときに感じる嫌悪感を表したネットスラングである。
元々は一スラングであったこの言葉も、いつの間にか男女間の恋愛における失敗例として共通認識へと昇格してきた。
気になったのは、この現象は男ばかり言及されており、女性バージョンについて、分かりやすい説明や名称が未だに見当たらない事である。
「ぬいぐるみだと思って仲良くしていたら〜ペニスが生えてきました〜チクショー!!」の独特の嫌悪感を男性が感覚的に理解しようとしても、ぬいぐるみが日常的に存在する感覚やそこに性欲が割り込んでくる違和感を把握しにくいのだ。
逆に言えば、『ぬいペニ現象は、男性にとっては⚪︎⚪︎のようなもの』という、我々男連中にも直感的に理解出来る表現があれば、「確かに自分もこうされたら嫌だな」「女性はこういう点を好まないから、アプローチを変えよう」と考えるようになれると考える。
精巣捻転じゃないよ、ぬいぐるみにペニスが付いているのだから、それを反転させる一番シンプルな案。
【結果】
駄目。そもそもこれで通じるならさっさと答えは出ている。
まず大前提に男性陣にはぬいぐるみがある日常にピンと来ない。あまり持っていない。
あとペニスの言いやすさに比べてヴァギナは言いにくい。ヴァの後にギを持ってこないでほしい。
実物の構造も浮かびにくい。ぬいぐるみにペニスはセロテープでもあればくっ付けられる簡単外付けアタッチメントなのに、ヴァギナになった途端「埋め込み型?性器が発生したのか?もともとの部分にあった綿は?」と構造上の不具合が立て続けに発生する。
比喩でピンと来ないなら、シチュエーションそのものを逆転させれば嫌でも通じるのでは?
よくあるぬいペニ現象の典型例として「男友達を異性として意識していないので、2人で宅飲みをしたり愚痴を聞いてもらったりと普通に遊ぶ仲だったが、突然その男性から恋愛感情や性欲を向けられ困惑した」これを逆転させる。
具体例:「異性として意識していなかった女友達といつものように宅飲み。ゲームしたり愚痴を溢したりとダラダラ過ごす日常だったのに、ある日急に俺のことを男として見てると告白!!更に彼女の有り余る性欲を俺に向けてきて…」現象
【結果】
Hunter辺りが出してる女優3人で3本立てのメイクとヘアセットが簡易的で部屋着がタンクトップのAVだ。
嫌悪感とかとは違う方向に展開が進んじゃうので駄目でした。
元のぬいぐるみ感をいい感じに置き換える必要があるので、生身の異性を表現から外した方が良さそう。
ぬいぐるみのことはよく分からないけど、異性と思っていない可愛いモノから急に性欲が覗き出したら流石に男としても戸惑いや恐怖を感じるのではないか。
またこの案はゲームやアニメにおける相棒ポジションという概念を、男なら誰でも理解出来るというメリットもある。
具体例:主人公と共に旅をする相棒のマスコットキャラクター、レベルアップして苦難を乗り越えた末に見事ラスボスを倒し相棒と抱き合い喜ぶ。ラスボスを倒した経験値により最終進化すると…あれ?思ったより人間っぽくて、可愛い…っていうか!!!え〜〜〜〜〜!?!?!?お前、女だったのか……!?
【結果】
最高最高最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
今まで微塵もそんな素振り見せなかったじゃん!!だからこっちも当たり前に過ごしてたのに!!
それが実は女の子でした〜〜〜!!それらしい口調も無かったから勝手にオスだと思ってた叙述トリック!!
そういうの摂取すると心が豊かになるんだよな〜〜〜〜〜!!作者に一杯食わされたいわ〜〜〜!!!!!
最近の作品だとネタバレになっちゃうから、昔の作品で言うところのBLEACHの夜一さんとかね〜〜〜当時衝撃だった〜〜〜〜!!!
そもそも異性から向けられる好意に対する嫌悪感の抱きやすさは、男女差があまりにも大きく、
ネーミングや比喩表現の問題以前に、その感覚を逆転させ、男性が自分のものとして理解する事が困難であった。
無理に自らの立場で理解しようとせず、あくまでも『そういった感情を持つ女性が一定割合存在する』と認識をするくらいが丁度良いのかもしれない。
原作の序盤を見てもらえれば分かるが、「勇者御一行のその後」をほっこりほのぼのと展開させるはずだったと思われる。
勇者との恋愛要素も当初はなく、編集に言われて仕方なく勇者に会うという目的を作らされ、また旅をさせられるようになったのではないか。
こち亀風の時間経過があってないような、そういう日常ものの作品を作る予定だったと思われる。
ところが、人気が出てアニメ化まで果たしてしまった。アニメ化が決まった当たりからであろう、休載が非常に多くなった。
鬼滅の大ヒットを受けて、「少年漫画はやっぱバトルよ!」とのご意向を与えられたのではないかと推察する。そして、苦手なのか意志に反したのか、ネームの作り上げに苦労しての休載が増えたのではないか。
私が言いたいのは、この作品はバトル要素、すなわち強さの格付け、その整合性や魔法、特殊能力の解析、謎解きが主眼の作品ではないということだ。
今じゃユーチューブに「フリーレン解説!!」と無数の動画があがり、誰が強い、この魔法はなんだ、きっとああいうものだろう、みたいな考察で盛り上がっている。
アニメを見たが、あの作風ではそりゃ鬼滅みたいなバトルものと思っても仕方のないものだった。
しかし、当初はそのような作風ではなかったし、また原作を見る限り、バトルものに100%舵を切りなおすつもりが作者にはないように感じられる。ギャグ漫画から伝説のバトルものに移行できたドラゴンボールとは違うのだ。
こんな悲しい批判コメも見た。実際、バトルものとしては動きがなくお粗末だと思う。でもバトルものではない作品におまけ程度の戦闘が入るならあの程度で良いし、実際私はあの戦闘描写になんら違和感も不足感も覚えていない。
結局のところ、フリーレンをバトル漫画としての評価をしてほしくないという個人勝手な願望である。
バトルがつまらねぇ?ならバトルをふんだんに盛り込んでやるよぉ!
能力が欲しい?ほんなら小難しい設定作って魔法をいっぱいだしてやるよぉ!
こんな舵取りを「私」はしてほしくないのである。
フリーレンが過去を思い出しながらほっこりしつつ、丸っこいフェルンがプンスカしてればいいのである。作中にある通り、フリーレンが贅沢に時間を無駄遣いしながら日々を過ごしてほしいのである。オレオールになどたどり着かなくても良いのである。
正確にはプロデューサーではなくエグゼクティブプロデューサーらしい(製作指揮ね)
「ハマスの野蛮人とその支援者を例外なく跡形もなくなるまで爆撃しろ。豚の残り滓と一緒に土に還してしまえ」
「停戦なく、妥協なく、容赦なく #KillThemAll(ハッシュタグ、皆殺しにしろ)」
アカデミー賞受賞作の君の名前で僕を呼んでに対しては24歳と17歳の男性同士の恋愛を描いたことに対して「良心の欠如」と発言したが彼は60歳のときに19歳の女と付き合っている。
同性愛を公言して結婚、代理母出産で授かった俳優の男児が女性的な格好をしていた写真を見たジェームズの発言。
「こりゃあスイートだな。まあ待っていろよ。この可哀想な子どもが成長し、お前たちが何をしでかしたのか気付く日をな。そして、お前たちの切断遺体をガレージの冷凍庫に詰め込む日を待つがいい。」
オッペンハイマーにどのような形であれ関わっているのは確かで、しかもオスカーの舞台で謝辞を送られるような製作指揮という立場なことは、洋画、ノーランファンは隠そうとしているし、映画と無関係だ!とアピールもしている(まあエグゼクティブプロデューサーを無関係と言う人なんか常識的にはいないのでジェームズと同じく極論だろうけど)
まあそれでも受け取り方はトランプ支持者とそれ以外では違うもんだし人それぞれって感じですかね