「論理」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 論理とは

2017-03-28

憎しみについて。

factはもうどうでもいいのだろう。

各人が自分にとって好ましいと思われる主張だけを取り入れ(「好ましくない」主張は排除し)ひたすらにナイーヴな、個人のinterestのみにかかわる声だけをあげつづけている。

現代もっとも重視する感情は「ヘイト」だ。「ヘイト」は被害者意識から発する。「わたしが手にするはずの権利利権が××によってそこなわれている」。その××が憎悪対象となる。それを裏付け根拠付けるはずのfact論理手続き正当性といったものは全て無視される(結論の正しさは必ずしもそれに到るまでの手続きの正しさを保証しないというのに)。

自分のinterestをおびやかす(ものとされている)相手――もっといえば「わたしが嫌いなあの人(たち)」――を叩いて、自分存在承認してさえくれれば――それはあくまで「承認」だけにとどまり、その先の恩恵は何一つ(それこそfact論理による)保証をもたないのだが――手続きレベルでなされた詐術や背後の事実関係などをすっ飛ばして、直ちに支持してしまう。

未だに(不幸なことに)「大きな物語」と「小さな物語」の対置というリオタール的な図式は有効で、実感のない「大きな物語」より自分にとってより切実に感じられる(ように錯覚される)「小さな物語」としての"身の周りのこと"を優先する態度だけが前面にあらわれて、その「わたし」「わたしの嫌いなあの人(たち)」「わたしの嫌いなあの人(たち)を――事実裏付け論理的正当性はともかく――叩いてくれるあの人(たち)」の三項からなるごく卑近な図式を通してしか、他のレイヤーに存するはずのあらゆる社会的問題も捉えられない(ああ懐かしの「セカイ系」!)

ライフハックとかQOLとかに端を発する「個人の(あなたの)生活第一!」という恐ろしくプラグマティック思考が幅をきかせ、みんながみんな自分(と、自分と利害を共有する「身内」)にばかり甘くなる。「身内」によって構成された「内輪」の外にいるのは、「わたし(たち)と利害を共有しない」がゆえに「わたし(たち)の生活を害して利を得ている」ものてされて――その判断客観的事実による裏付けは全く必要ない――「ヘイト」を集め、排除された人びとだ。その「排除された人びと」もまた別個の「身内」どうしで固まり、これらの集団はそれぞれ互いを憎み、排除しあう。かくして現代の「分断」の構図は生まれるのであった。

もちろんこの文章もまた、何らの論理的正当性個別的客観的factによる裏付けももたない、何か実体のない相手に対する「ヘイト」と被害者意識から書かれ、そしてわたしとinterestを共有する「身内」に向けて発せられた言葉にすぎないのだが。

2017-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20170327201913

俺が最上級だなんて思っちゃいないっすよ

ちゃんと説明してるでしょーに

論理整合性を追い求め続けるとそりゃ比喩なんて全く無関係に処理できるもんだと

傲慢だよね

http://anond.hatelabo.jp/20170327070448

西洋文学キリスト教が多出すんのは常識的な話で、それと全く関係のないけもフレを持ち出して、

「ほらね、いくらでも恣意的解釈できますよ」という手法は悪意しか感じない。

文脈とは恣意的解釈だ、というツッコミを以前から入れたがってる増田が一人いたけど、

仮に君がそうだとして君自身がそれを再演することで君の無理解がはっきり分かっちゃっただけだと思う。

恣意性を完全に廃止すれば必ずしも隠喩元ネタイコールにならないものばかりになってしまうのだけどね。

これはその増田がいってた主張を元に反論してるんだけどさ。

要するに件の増田は以前から砂糖水の効果についていぶかしがっているわけだ。

じゃあ完全に整合性のある論理世界に生きたらいいんじゃない、という感想しか思い浮かばない。

だいたい件の聖書の話にしたって、話中にいばらの冠とかそのまんま出てきたら関連性に言及すんのは当たり前でして。

論理的に考えるなら茨の冠が出たからと言ってキリストを示しているとはいえない、となるわけでしょ。こんなもんただの暴論ですよ。

まあ別人だったらどう思ってんのかしらんけど。

2017-03-26

いわゆるエリート的な発言をする人が、他の見下している人たちの体験をすべて経験たかのような振る舞いで接する事自体には違和感がある。

あるいは予測できると高をくくっていることにうける不可思議さというべきか。

五感から発生する感情記憶はそう単純なものではないし、今はハイソサエティ文化もかつては下町文化だった。

下町文化といえば粋と無粋が支配するある意味では非論理性の強い世界で、しかしそこにある一種体感価値あるものとして存続して現代に残る。

ヤンキー的なきっぷの良さや向こう見ずは一種カタルシスをもっている。感覚が受ける価値は各ゾンビの中に入ってみなければわからない。

ゾンビだけを見てゾンビだということは多分簡単で、外形から勝ち(価値)が決まっている社会では決めつけやすい。

自分という個別的内面は全能の五感記憶を持っているのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170326163658

せめて論理意味理解しような。

論理的でないのはお前らのような雰囲気に流されて物事判断するやつ。

http://anond.hatelabo.jp/20170326163520

ここに延々と張り付いてる糖質患者論理を求めるアホがいるかよ。

id:kidspong氏の大いなる勘違いid:usausamodeid:vlxst1224も読んどけ)

http://anond.hatelabo.jp/20170324214002

id:kidspong

何でもいいんだけど、元増田の悲痛な叫びをこれ幸いと利用し、平素から溜め込んだはてな民へのヘイトをブチまけるって死ぬほど醜悪だよなと。

この人は大いなる勘違いをしているのだが、元記事ブコメをちゃんと見たのか?

はてな民はお前が危惧してる「元増田の悲痛な叫び」など無視して、大半の人が「爆サイ知らなかった!!!!やみふけえええ!!!!」とはしゃいでる奴らがばかりなのだが?

から、俺は爆サイ知ってる知らない問題ではしゃいでるはてな民無知っぷりと恥さらしを指摘してるだけであって、「元増田の悲痛な叫び」をダシにしてはてな民を叩いているのではなく、はてな民が「元増田の悲痛な叫び」を無視して醜態晒したかはてな民を叩いてるわけだが?

元増田についたブコメを見たか?人気コメントのうち、爆サイ知ってる知らない問題コメントしてるやつは10コメント中8コメント。他の2つは「訴えれば?」と「カジュアルに訴えられる社会になってほしい」というコメント

あのさあ、こいつらのどこが「元増田の悲痛な叫び」に寄り添ってるっていうの?

はてな民へのヘイトに利用してないから!」とか言うならさ、こいつらは「元増田の悲痛な叫び」を「爆サイ知らなかったー」って知識にだけつなげて「やみふけええ!!!」ってはしゃいでる「元増田の悲痛な叫び」を無視した冷酷無比な人たちだよね?おいおい、「元増田の悲痛な叫び」を無視してるのはどっちだ?

id:kidspongくんにもさすがに理解できるよね?元増田の悲痛な叫びはてな民爆サイ知らなかったーやみふけええええ!!!!」 → 僕「は?なんだこいつら?指摘しとこ」 → id:kidspongくん「元増田の悲痛な叫び無視するな!」 ・・・・ねえねえ、「元増田の悲痛な叫び」を最初無視してるのはどっち?俺はそもそも「元増田の悲痛な叫び」を問題として取り上げてないし、元増田についたブコメ群もそうだ。ねえねえ、これでやっと文脈が読み取れたかな?id:kidspongくん、自分勘違いに気づいた?

他のコメント爆サイ知ってる知らない問題言及してるやつらばかり。それでどいつもこいつも口を開けば「闇ふけえええ。新たな闇だ…」という恥ずかしいリアクションばかり。

俺はこのはてな民無知恥知らずな様を指摘してるわけ。どこが、「元増田の悲痛な叫び」を利用しているっていうの?平素からため込んだはてな民へのヘイト?今この場で生まれ無知はてな民へのまっとうな指摘でしかないのだが?

なーーーーーんか勘違いしてるよね?id:kidspongくん?「元増田の悲痛な叫び」を無視してるのは俺じゃない。どう考えたって元増田ブコメに湧いたタイトルしか読んでないような「爆サイはじめてしった~」というアホどもだろ。

元増田の悲痛な叫び」に寄り添いたいなら、まず元増田ブクマカたちを批判しようね?「君たちなんのためにブクマつけてるの?「元増田の悲痛な叫び」を無視して爆サイ存在がどうので騒ぐな!」ってね。元増田についたブコメ読んだか?自己責任論者から元増田の悲痛な叫び」をステマ扱いするもの、ただの田舎disにつなげてるものまで多種多様ゲスがいるぞ?「元増田の悲痛な叫び」を無視して、さらに「元増田の悲痛な叫び」を追い詰めてるゲスどもは俺じゃなく、元増田イナゴのように張り付いた大量のブコメ群だろが。まずはそこから批判しような?

君の正義感はご立派なのだろうけど、まず、大前提として物事文脈というものを踏まえて正義感を発揮してほしいんだよね。他人を「死ぬほど醜悪」と罵るのは結構だが、批判的外れではその正義感の拳もただただ無意味暴力になるからね?

id:kidspongくんみたいな勘違いしてる人は、トラバブコメ合わせてもまだ君とトラバのアホみたいな人しか出てきてないよ?普通の人はここの文脈読み取れてるから。頼むから自分他人とズレてるかも?とかコメント投稿する前に考えてね?君は君の偏見ブコメにちょろっと書いてストレス発散きもちいーって感じなんだろうけど、こっちは君が撒いたデマを訂正するために文字数を割かなきゃならないだからね?頼むから今度から文章をしっかり読んで、「自分は間違ってないかな?」と確認してコメント投稿してね?ね?頼むよ?id:kidspopngくん?

そしてこのブコメに「的を射てる!」とばかりに星つけてるid:usausamodeくんもしっかりちゃんとブコメ記事を読んでね?批判する矛先間違ってますよ。あとこの人も「ステマかと思った」というコメントと「爆サイ」知ってる知らない問題に終始したコメントしてるよね。id:kidspongくん、「元増田の悲痛な叫び」をこの人も無視してるよ?ちゃんと批判しといてね?

あと目についたのは、id:vlxst1224くんかな。id:vlxst1224くんも元増田につけたブコメは「爆サイ知らなかったー。二度と見なくてもいいっぽいw」というコメントで、僕のエントリにつけたブコメは「ネラーが暴れてるだけだろ」という論理性一切皆無の何の反論にもなってないただ見下してマウンティングとろうとするだけの難癖コメントだったよ?あれれ、id:kidspongくん、この人も「元増田の悲痛な叫び」を無視してるねー。君のブコメに星つけてるようだけど、一切意味がわかってないみたいだね?ちゃんと批判しとけよ?「元増田の悲痛な叫び」を無視してるid:vlxst1224id:usausamodeを。

あと念押して言っておくが、元記事ブコメにいた、「爆サイ知らなかった!やみふけえええ!!」と言ってるだけのアホや自己責任論者や「元増田の悲痛な叫び」をステマ扱いするもの、ただの田舎disにつなげてるやつ、バナーだけ見て「DQN田舎ヤンキーwww」とか笑ってるアホなどの多種多様ゲスもきっちり批判しとけよ?「元増田の悲痛な叫び」を無視して、さらに追い詰めてる真のゲスはこっちだからな。id:kidspongくんのような思わず怒りに震え他人言論で殴ってしまうような正義の心があるならわかるでしょ?こいつらが「死ぬほど醜悪であることが。もしかして「お前が批判しろ」とか言っちゃうのかな?適当に殴れる増田を殴っておいて自身の主張に丸々当てはまる批判対象者は他人任せにするって、さすがにそこまで性根が腐ってるとは思ってないので、よかったら元記事ブコメゲスどもを批判しておいてね?親切にも本当の「元増田の悲痛な叫び」を無視してるやつらの存在を教えてあげたんだしね?俺はきっちりと「お前ら馬鹿なことで盛り上がってんじゃねえよ!」って批判しといたよ?ま、そんな気概もないだろうし、id:kidspongくんが自身の間違いを自覚してくれたら僕はそれでいいよ?元増田への思いやりをこじらせて他者が書いた文章エクストリーム誤読して「死ぬほど醜悪」と罵っちゃう、そんな失態をやらかしたとid:kidspongくんとそれにスターつけてるブクマカさんたちには自覚だけはしてほしいね

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325111312

ネット流行りの定型文使って論理性一切なしの煽りしかできない知能指数が本当に低そうなトラバだな

けものフレンズもこういったネットの頭空っぽバカに懐かれて可哀想だな

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323194513

個人差はあっても総体的には、「男は論理的」だろ。

少なくとも、生理のような肉体的な要因で気分や判断にムラが出ないぶん、男の判断のほうが論理準拠している確率が高い。

2017-03-22

努力成功

努力成功するための必要条件なんで、努力しても報われないことがあるのは、まあ、辺り前ですが。

そんな論理よりも、ただ単純に、ゴールを目指すにはスタートを切らなきゃならんのですよ。

昨日よりも今日、そして明日カメの歩みのようにヨタヨタと、前に進むだけなのです。

http://anond.hatelabo.jp/20170322213141

じゃあ自分が例として挙げた記事は、2スクロールからそこまででも、ってことなのか。

数字を示してくれてだいぶありがたい。

しか論理飛躍があると長短関係なく負担になるしそういう考えもあるか。

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321151506

自分論理サイドだと思い込んでる感情的な子がさっきから一人紛れ込んでて、元増田を「お前の頭が悪いだけ!バーカバーカ!」つって叩いてる

一度(論理サイドである自分の)敵と認定した以上、元増田必然的感情サイドでなければならない

http://anond.hatelabo.jp/20170321150547

??

元の文章は、少なくとも自分には

感情論的になってる人にあくまでも論理的で押し通そうとしてるから怒らせたというふうに解釈できたが。

で、おまえ論理的のつもりだけど実際は非論理的なんだからだめんだろとか

あるいは感情論論理で納得させるとか無理なことにこだわるなよとか

そうやって批判されてるって感じに読めたけど、違うんですか?

何でもかんでも論理では解決しない。

何でもかんでも論理解決すると思ってる人間が、あくまでも「論理」に以上に拘って

人を怒らせるなんてのは聞く話。

現実として人間感情の部分のある生き物なんだから、ある程度その要素の左右されるのは仕方ない。

豊洲の件みたいな公の話なら、感情に訴える人間が叩かれるのはわかるが、個人的ちょっとした会話に些細な感情が混じったぐらいで

いちいち文句言われるのはそれこそ理不尽ではないか

論理的に筋が通っていても、それでは納得出来ないってのが「自然感情」だよ。「勝ち負け」なんてのはその最たるもの

どーせ頭のいいはてなーからしたらまた現実以上を想像して理想を編み出せない馬鹿が云々論になるのかもしれんが

だいたい、「お前は非論理的馬鹿だ!よって無効!」って封殺する人間だってその馬鹿に言わせりゃ相当不快だ。

対して頭の良くない人間がそういう方向に行ってしまうのはもう仕方ないんだから、それを論理的に同行するなんて不毛だろうがと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170321134026

http://anond.hatelabo.jp/20170321140349

よくわからない人間から的はずれかもしれないけど

「正しいか正しくないのか」ってんは事実関係のことで、それと感情問題はべつなんではないの?

豊洲の件で「安全ではあるが安心できない」ってのあるじゃん

元増田はこの例を使えば、「安全です!」としか(仮のその説明論理手であろがなかろうが)言ってないから、安心できない人をキレさせてるんでないか解釈したが。

感情論理を分離できない性質人間案件って感じか。

http://anond.hatelabo.jp/20170321135423

よくわからんが、はたから見てると理論破綻してるひと相手に怒鳴ってる人とか見たら

なんでこの人論理破綻してるようなひとと自分から同じレベルになりに行くんだろうかなあって思うよ。

相手論理破綻してるから自分の勝ちだって思うのは別にあそこまで長々と書いて叩くことでもなかろうにとは思うけど

からって自分感情的になるってのはなんかなあって、周りとしては思う場合もあるんじゃね。

当事者立場だと気付かないだろうなあってのは認めるけど。

2017-03-20

最近の若者をみて思うこと

昔の道路写真警察資料を見ると、気付くことがある。免許を持つ若者が少ないということだ。徒歩が多くいたほか、自転車を使う人がかなりいたし、駐車場駐輪場コンパクトだ。今の日本のように、公共交通マイカーオートバイかの構造はない。寛容性があるから選択肢も多かったのだ。

また、今では考えられない程に車やバイクを持つ若者も多かったが、たとえばそれで通学する者はいなかった。もし今のような非寛容主義論理昭和に当てはめれば、都市部の一部を除いて学校駐輪場学生の乗り物ばかりになっていなければおかしい。しかし当時の若者空気を読むことの前に普遍的価値があることをわかっていた。

今の自転車乗りが四六時中ずっと子供貧乏人だらけで、理由が「持つものにふさわしくないから」というのは、そもそも気がくるっている。若者向け二輪車の数が減ってるにもかかわらずユーザー数が2012年以降突然増えたのも、今時の風潮の影響だからだろうが、そもそもその前に普遍的倫理常識文化価値に立ち返るべきだ。



たとえば1990年代2000年代がそうであったように、バイク所持そのものを止めさせるのもいい。道路交通の数を減らし、当然公共交通への負担は増えるわけだが、今はバスがあるので誰も困らない。

そして、大人交通も、例えば自転車制限されても誰も困らない。どうせ今の大人は貧しい人や自転車すきでもない限り自転車ロードバイクなんてみっともないから乗らないんだし。自転車は全部若者に渡したほうがいいし、実際アジア自転車乗りの大人は一部地域を除いて少ない。欧米は危ういけど。

平民ないし持つ層も、公共交通の混雑や車内での外国語の多さに辟易する暇があったら、そんな風習を改め、自転車オートバイマイカーで移動した方がいい。

鉄道交通業界商売根性の件のようなことがあるくらいなら、鉄道既得権を守ることは無謀で限界なので諦めるべきで、公共性ありきに回帰することでゆるやかに最適化していくほうがいい。そうして他の公共交通などでカバーしつつインフラへの負荷を緩やかに減らそうよ。

2011年原発業界と同時に鉄道公共交通ビジネスは突然死した。福島原発地震津波や爆発で死んだら、日本各地の原発が止まり原発だけでなく、鉄道みたいな電気依存する交通インフラバブルも一端全て終わった。2012年に「所謂暴走族がほぼ撲滅状態になった」という建前の元にバイク3ない運動事実上死んだ。いまはJR九州のあの列車成功バブルが復活し、一部の原発運転再開したが、多分この状況も決して安泰ではないだろうと思う。

今度、突然死が起きるとしたら、それだけの話ではなく、社会が、文化が、そしてそれらすべてを束ねる現代文明が倒れるリスクがある。というか、日本右派立憲君主制度が倒れれば連鎖的にその庇護にある日本の伝統社会が一気に終わる。これは本当に怖いことなので、「終活」と「進化」を始めてほしい。

男には弱者特権がある

女が声を上げるために「男の方ガー!」

男にちょっとでも何かあると「男女逆なら大問題ナノニー!男性差別!男の方が弱者女尊男卑!!」と喚き散らし、世間にも「男はつらいね女はずるいねよしよし。フェミリベラルは何やってるんだ!」と同情してもらえ、

さらに「男性差別女尊男卑」を言い訳ネットで好きなだけ女ヘイトを撒き散らすことができるという特権が。

男は強者特権を手放さないまま弱者特権を手に入れてしまい、どちらの論理からでも女を殴ってくる

2017-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20170319203653

どこにもその雑な理論が頭いいなんて書いてないようにみえるけど。

元増田文章解釈が違ってそうなのはわかるが。

元増田は明らかに自分のことを馬鹿馬鹿だって必要以上に強調して気味が悪いレベルだし

自分論理こそ頭いいやり方だとかそういう論調には思えんが。

サーバルちゃんはESFP型

ちなみにESFP型と相性が良いのはINTP型。

INTP型は屁理屈屋で内向的な癖に計画を立てるのは苦手だから人生全く上手く行かず常に自分論理否定される可能性について怯えている臆病で基本的には役立たずなアスペタイプ

ネットで口うるさいお前らって多分INTPだと思うからお前らがサーバルちゃん大好きってのも何だか分かる気がするわ。

2017-03-18

典型的キチガイってこの論理を読んだうえで言ってるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170318020958


人間関係しかしやがらない。

歴史に学ぶということ

教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。

経営者管理職自己組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。

桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人時代に再び戻された。

今でも、兵士民間人区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しか現実には、民間人普通に兵士として使われる。

大東亜戦争」では、通称赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵軍事工場普通に空爆しても、そこで非戦闘員労働している。学徒動員かいうのは、職業学生軍事産業就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである

国民一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)一般人犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代戦争までさ。

前近代戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道知行するという補填が行われている。そうして大名移住して開拓したり、下級士族屯田兵転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。

絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人ビビったんだが、ビビたからなおさら無差別殺戮してきたさ。そいで、広島長崎原爆実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。

歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公時代から変わっていないしな。丁稚奉公時代から未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑

景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。

既得権益者の逆ギレと、日和見菌パラサイト

安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。

近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチン安倍トランプも生み出されている。

自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれ人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である

残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから友達(笑)である。妻や恋愛友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。

既得権益者は、贅沢な地位民主党政権時代抑制され、被害妄想に陥った。恵まれ身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコント漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金ケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。

逆ギレである

ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)

けど実害が甚大だから困る。物凄く困る

社会の既成構造政体があって、そのなかで権力権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。

同様に人生牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能みえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。

残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。

男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。

保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実封建制度。この封建制度ってのも、たかだか近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。とき儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト社会構造。そして、そうした構造奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。

こうした遺物洞察して反省して革新しないと、いつまでたっても人類はクソ未満なんだろうと思う。

2017-03-11

さよならAC

2011年3月11日、未曾有の大災害東日本を襲った。影響は各方面に及んだ。福島原発は爆発し、首都圏を含む広域な交通網は打撃を受けた。多くの人が亡くなり、多くの人が家をなくした。

この震災を受けて、企業各社はCM放送自粛した。震災時のCM放送が法によって規制されている訳ではなかったが、CM放映による非難企業自主的に避けようとしたのである。代わりに、テレビ局人畜無害ACCMを流した。 繰り返されるCMにより、ACは一躍その名を高めていった。

震災から一週間が経った。震災による犠牲者は一万人に迫ろうとしていた。テレビでは未だACCMばかりが流されていた。企業としてはそろそろ通常のCM放送したい気持ちだったが、もし自分会社けがそうすることによって「不謹慎だ!」と言われてしまってはたまったものではない。ネットではとあるACパロディ動画があげられていた。それは冷静に見れば面白くもなんともないものだったが、きっと他に見るものもなかったのだろう、驚くべき再生回数を記録した。その人気にあやかろうとしたのだろう、次々とACCM関連の動画アップロードされた。大の大人が「ポポポポーン」と叫ぶという、滑稽とも見苦しいとも取れる動画群であったが、人々はそれを不謹慎とは受け取らなかった。

二週間が経った。各国から支援が続々と寄せられていた。人々は(被災していなかった地域を含む人々は)それを見て「A国は素晴らしい」だの「K国はやっぱりクソ」だの言っていた。その頃、国会ではある法案が審議にかけられていた。アンチコマーシャルメッセージ法案通称AC法案である。この法律では、震災復興を達成したという判断政府が下すまで、企業テレビCM放送禁止規定していた。何故こんな法律が審議されることになったのかはよく分らない。しかイメージダウンを恐れて企業法案に反対できなかったし、当然のことながら猛反対の立場をとるテレビ局各社は盛んにこの法律弊害を訴えたが、震災報道ヘリコプターを使って被災者迷惑をかけたり、衝撃的な映像をまくし立てるように放送し続けたりしたテレビ局視聴者は既に愛想を尽かしていた。結局AC法案は難なく両院を通過し、テレビで映るCMACのものだけになった。

一ヶ月が経った。とある実業家による億単位義援金や、さるスポーツ選手によるツアーの賞金全額寄付宣言世間では話題になっていた。テレビ局スポンサーに働きかけるのに必死だった。自社のCM放送されないのに企業お金を出すなんてことはおかし論理だったが、それを認めたらテレビ局は立ち行かなくなってしまう。結局、「番組内で可能な限りスポンサー商品を紹介する」ということに決まった。出演者スポンサー企業ロゴ付きの服を着ることが常識になったし、番組の中でそれまでの流れとは関係なく唐突商品の紹介が始まることになった。それでもスポンサーから今まで通りの料金を徴収することは叶わず、経費削減の為にギャラの高い大物芸能人は締め出され、金のかからない素人芸人の起用が急速に高まっていった。ネットではAC関連動画の盛り上がりが、最高潮に達していた。

三ヶ月が経った。全く前例のなかった計画停電が行われ、都心優遇ぶりに一部の人々は憤慨していた。結局テレビは何とか放送を続けられていたものの、以前との差は歴然としていた。番組の内容もそうだが、間々に挟まれCMが全てACの為、テレビ自体一種カルト宗教的色彩を帯びていたのであるAC側もCMバリエーションを増やしはしたが、それも焼け石に水と言える程度のものだった。もはや国民ACの名を知らぬものなどいないという有様だったが、多くの国民は良い感情を持っていなかった。余りにもCMが繰り返された為、段々ネットACパロディにする人も減ってきた。

半年が経った。さる地方テレビ局が、番組内で東北地方のお米をセシウム米と表示したことが大変な物議を醸した。ただてさえスポンサーからの金が期待できなくなっているのに、その上この不祥事ではもはやなす術がなかった。結果、番組のみならずテレビ局までもが潰れた。テレビ局が潰れるなんてことは前代未聞だった。この事件の後極度にテレビ局各社は不祥事を恐れるようになり、人々の反感を買いそうな発言ますます避けるようになった。ネットでは、(直接的な関わりはなかったものの)ついにACは局を殺したと言われた。

一年が経った。大震災の模様が改めて各メディアに取り上げられた。問題は未だ山積みであったし、それとごろか原発を中心とした被害は更に拡大していったが、人々はというと大震災のものより、原発は推進すべきだとか廃止すべきだとか、与党を変えるべきだとか変えないべきだとか、そういった話題に興味を持っているらしかった。AC以外のCMが消え失せてしまったことも、もはや当たり前のこととして受け止められつつあり、誰かが思い出したようにACネタにした動画を作るだけだった。

二年が経った。被災者を除くと、人々は既に震災に関する興味を失っていた。時代は変わった。震災後急速に衰えていったテレビに代わってインターネットが主要なメディアと見なされるようになった。人々はテレビを見なくなり、テレビACCMしかやらないことなんてもう誰も気にしていなかった。企業は力を失ったテレビに代わってインターネット上での広告に力を入れるようになった。ユーザーの好みにピンポイントで合わせた商品宣伝から、見るだけでお金が貰える斬新な広告までもが生まれた。それはかつてのテレビCM以上に多彩で、ユニークで、興味深いものだった。テレビなんてものパソコンが使えない情弱だけ見てればいい。そんな声が強くなっていった。

 五年が経った。この年大震災テーマにした映画が公開された。それは大変な好評を博し、歴史に残る名作とまでも言われた。しかし、人々は未だ故郷に戻れぬ仮設住宅暮らしを強いられている被災者がいることを知らなかったし、被災地寄付することなんて思いもよらなかった。震災は感動という名のビジネスの道具となっていた。同じ年、政府によりAC法案の解除が発表された。瀕死テレビ業界はこの宣告に狂喜したが、すぐに期待は裏切られた。なぜなら、AC法はこれより四年後、2020年東京オリンピックの開催と共に解除だということが知らされたからだ。明らかに、国が立ち直ったことを国内外アピールするための政府戦略だった。このころになると、テレビは見てはいけないものとさえ思われるようになり、まだあどけない子どもたちが何かの拍子にテレビを見て、「ポポポポーン」なんて言った日には親から叱られる始末だった。

 震災から九年が経った。遂にテレビCMが復活する時が来たのである。既にテレビは最盛期を思えば哀れになる程衰退しており、CMを復活させたところでかつての威光を取り戻すことが不可能なことは誰の目にも明らかだった。各局はなんとかスポンサーを見つけようとしたが、もはやあえてテレビで自社のCM放送しようと考える企業はいなかった。「もうこの業界は終わりだ」最後希望を打ち砕かれた業界関係者たちは嘆いた。

 そしてその日がやってきた。オリンピックの開催とともに、首相によって震災から復興が全世界に高らかに宣言された。AC法も解除された。人々は56年ぶりの首都でのオリンピック熱狂した。散々興味がないと言っていた人までも試合の経過を見守ったり、見たことのない程人で溢れかえる東京に驚いていたりした。オリンピックは、成功裏に終わった。

 その一方で避難者は七万を下らなかった。福島出身の子供に対する苛めも収まらなかった。東北地方の食に対する信頼も回復しなかった。原発放置されたままだった。しかし、そんなことに心を痛める人はもういなかった。人々は震災被害なんてものは遥か昔に回復したものだと思っていたのだ。

 それから人々が震災のことを忘れるのに時間はかからなかった。いや、震災のことだけじゃない。この九年間で人々はテレビを忘れた。テレビだけじゃない。テレビで嫌というほど繰り返されていたACのCM―かつてはネタにして面白がった、それから先は忌み嫌うものとして見なしたCM。特異な状況であれほど繰り返し放映され、国民全員がこの先忘れることはないだろうとさえ思ったCM。そのCMのことすらも、震災に関する全ての記憶とともに、忘れていたのだ。

2017-03-09

何故、今回の茂木の主張はおかしいのか?

茂木健一郎Twitterが盛り上がっている。(一番盛り上がっているのは茂木自身だ)

なにやらTVに出ているコメディアン国際的水準に満たない陳腐な笑いに辟易してるらしい。(笑い話では無いようだ。)

しかし、なにやら今回の主張は違和感がある。なぜ、コメディアン国際的水準に合わせないと日本芸人オワコンになるのだろう。ネトウヨがこの論理を使えば国際的に見たとき日本憲法国際的水準を満たしていないかオワコンだ、となりそうなものである。(実際にあったよね。)

冷静に見て、明らかに今回の茂木の主張はその国固有の文化に対する感性が発揮されていない。

本来茂木日本マスメディア殊にテレビ報道に対する姿勢が、今回の主張のような論理であったはずだ。この先茂木は、政治報道お笑い映画音楽小説コラム......と続いてついには日本人精神構造欧米人に達していない、キリストを崇拝すべきだ、とも言いかねない感じもある。(あるいはない。)

兎に角、なぜお笑い固執するのか訳がわからない。

私の診断はこうだ。マスメディアに対する積年の恨みを書いていたら突然テレビ日本お笑い怪獣東大生と仲良く馬鹿をやっていた。茂木東大生劣化を憂いつつトランプ代表されるような、各国のナショナリズムの高まり、および人種差別運動の拡がりが駆け巡り、アカデミー賞での気の利いたユーモア(少なくともアメリカでは気の利いたという事になる)と、こんな日本不安に苛まれている時に実に緊張感(ここで言う緊張感とはお笑い芸人の芸に関するものではなく、政治に関する鋭い批評の事である)のない笑いに、、、キレたのである

日本お笑いの真っ当な批評別にあるはずだ、と思わせるくらいに茂木の主張が陳腐なのはこのような理由からだろうとしか思えない。(陳腐というのは日本コメディアンと一括りにする乱暴さと、先述の固有の文化に対する感性の薄さである。)

お笑い芸人達が鎬(しのぎ)を削って作り上げた真っ当な日本の笑いが今後も、例え憲法改正され日本が何処かの国と戦争しても、ヘイトますます勢いを持っても、茶の間にあり続ける事を願うものである

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん