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はてなキーワード: 登場人物とは

2017-03-26

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今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 45話

やる気のないコマ割は、まあ今に始まったことではないから置いといて。

今回の見所はやはり後半の展開。

まあ正直、今回の第一印象は「ウダウダやっといて最終的に“これ”って、どうなんだろう」って感じだけど。

アグニは頭では理解しているつもりだったが、復讐心は燻っているってことなんだろう。

43話の感想で、「何かしら演じている人物は間違いをしているってことを示している」みたいなことを私は考察したけれども、アグニ演者として脱却した結果の行動が今回のだとするならば、一概にそうでもなさそうだなあ。

アグニの心の中にいる妹が言うには、ドマは演技をしているってことらしいので、その演者断罪するという意味解釈することもできなくはないけれども。

はいっても、妹との対話シーンは実質アグニの自問自答みたいなものなので、これはアグニ自身がそう思っているってことだから、そこまで信頼性に足るものではないが。

やっぱり本作のテーマは「演技」が主体で、善悪は抜きにしても「演じ続ける」か「そこから脱却するか」といったことを中心に語っていくんだろうかね~。



僕のヒーローアカデミア すまっしゅ!! No.68!!

本編でやるとセキュリティがザルすぎるってなるので、スピンオフギャグマンガならではのシチュだよね。

黒霧のコスプレは相変わらず笑わせに来ているが、もうこの漫画での扱いの方向性が定まった感があるなあ。

死柄木がオールマイトやデクの言葉イライラしたり、逆に爆豪の言動に満面の笑みをしたりするのとかは、死柄木の特徴を上手くデフォルメしているなあと思った。



オニマダラ 25話

ありゃ、終わったか

最後主人公セリフ脱力感が凄まじい。

総括としては、最初から最後まで大味な漫画だったなあ。

まあ、何がダメかっていうと行き当たりばったりな展開、演出だと思う。

そして、それがほぼワンパターンなんだから読者は飽きるに決まっている。

「ここで、このキャラを無残に殺す」だとか「登場人物が突飛な言動をする」などといった展開はここぞという時にだけやるから意外性があるのであって、それを毎回やればウンザリするだけだよね。



俺を好きなのはお前だけかよ 3話

主人公役割がしっかり物語への理解を助けて、漫画面白さにも起因しているところは評価したいところ。

やり取りもところどころラブコメ典型踏襲しつつも、あくまでそれを茶化している漫画だということを思い知らせる主人公独白や、素っ頓狂なネタが合間に挟まれるのも本作の個性が出ていると思う。

それにしても今回でタイトル回収きたかあ。

友人とヒロイン二人の仲を取り持つコメディ寄りのラブコメというだけでもプロットとしては魅力的なのに、そこに更にエッセンスを加えて、話がどう展開するか分からなくなってきたなあ。

気持ちとしてはこの「どう展開するか分からない」というのはワクワク感の方が強いけど、話の運び方次第ではテーマが定まらないことにもなるし、現状そこらへんは個人的に警戒気味。

1999年の夏休み

1999年の秋、僕はカンボジアでバドミントンをしていた。その後はスパゲティ・カルボナーラを食べて談笑したり、埃っぽい街を50ccのバイクで徘徊していた。

この国の20年前にはクメール・ルージュが共産化のため、知識人を中心に200万人を虐殺した。10年前はポルポト派とベトナム軍と内乱の真っただ中で、やっと数年前に民主政権国連の手によって樹立されたばかりだった。

とある通りには、ピンク色の電灯が灯る屋敷が建ち並ぶ。ベトナム人少女がいる置屋で、10代前半から後半の彼女たちは$300程度の借金でここに売られ、$5で客と寝る。

少女を買う知り合いについて行った。入り口のドアを開けると黄ばんだ白いネグリジェを着た少女らが、小さい子は走り回り、大きい子は座って話したり、爪を切っていた。

知り合いは買う女の子が決まっていて、早々に奥に消えて行った。どうしようかと思い始めたときに、少女が和やかに近づいて来て、自分の顔を指差し同意を求めたあと、僕の手を引いて階段を登って行った。

手摺のない階段を手を引かれ登る。二階は洗濯場と台所らしく、おばさんが洗濯物を抱えていた。ここで服を脱げ。シャワーだ。とジェスチャーされ、現実感の無い時空だったので言われるまま脱ぎ、セメントの壁から生えているシャワーの冷水身体を洗った。バスタオルを渡され身体に巻き、三階に登った。

廊下のドアを彼女が開けると、そこは一畳の部屋だった。不快ではないけれど空気は湿り、床は万年床で、壁も電灯も薄暗いベージュ色だった。奥の壁の角に小さな机、の上にはラジオ。

誰とでも、回数を重ねても、せっくすの前は緊張して慣れない。ドキドキして挙動不審になる。正座して座ると彼女も座り、僕の顔を覗き込み、笑った。軽くキスをされ、ネグリジェをたくし上げて脱ぎ、と、ここからはあまり覚えてない。彼女はふつーに若く可愛らしかったけど、感情は伴わなかったから、教科書的なせっくすを可及的速やかに終わるよう努力した。彼女はショーツは履いてなくて「股間にチューブから出したゼリー的なものを塗っていた」か「何もしてないのに入るのかな入るんだ」のどちらか。コンドームは自分で付けたか付けてもらったか記憶曖昧

基本的彼女たちは国連やら世界保健機関やらが救援物資として配る避妊用ピルを飲んでるから、時になかなかいけないと、抜いてパチンとコンドームを外し、そのままでいいよ。とされるけど、判断は間違えない。

僕が正常位で頭の中のデータベースから、読んだ成人コミックのエロいシチュエーションや場面をフル検索して早々に射精しようと腰を振ってるあいだ中、彼女は少し笑顔で、興味深そうに僕の顔をじっと見てた。

3分からず終わり、大袈裟に息を切らす。振り。をすると、両手を首の後ろに回され、僕の上半身を支えていた腕がかくんと折れた。

その後、彼女の横に仰向けで寝た。いま居る場所隣の女の子、した行為、など賢者時間あいまって頭の中がスパークして、どういう表情をしていいのかわからないし、天井を見上げながら、記憶喪失の人がいまの状況を思い出そうとしてる、よくある映画登場人物みたくなった。

一畳の部屋なので僕の左腕は彼女の右腕と触れ合っているし、彼女は手をつないで、ぎゆっと握った。ここが何処で僕が誰であろうとも、手から伝わる暖かさから、隣に誰か、女の子で年頃で裸の、がいることは確かだな、と物事を難しく考え始めかけたとき彼女身体を横に起こして、また僕の顔を興味深そうに覗き込んでいた。自然彼女の左脚が僕の左脚に乗り、膝がちんこに触れて、状況的には悪くないのに恥ずかしいので(なんで出っ張ってんだよ!)と八つ当たり気味に思った。

彼女は静かに笑いながら、私の方を見なさいよ。とずっと僕の瞳を追うから恥ずかしい。けど顔は見たいから、視線を移す振りしてちらっと見ることしかできない。なんて自分が不甲斐ないので、開き直って意を決して視線を合わせる。と向うは余裕の表情で視線をそらしたくなる。のを堪えると、指でぴこんとちんこを弾かれて、ぁうっ…としたときに軽くキスされた。

頭がぼーっとしたまま二階に降りて、一緒にシャワーを浴びて洗ってもらって、そこから1人で帰ったか知り合いを待ったか憶えてない。

因みにここまでは、書きたいことの前振りなので続く。

次の日、その知り合いに会うと「うん、昨日の娘は良かったよ。なんかね、こうね…」と熱心に話し始め、あーなんか嬉しそうだな。と、どんな娘だったか見てもいないのに顔を思い出そうとするところで「だからさ、今日は持ち帰っちゃおうとか考えてるんだけど、あいぽん君も、ほら、昨日の娘なんかと」と誘い水を差されたので、またお店に一緒に行く。

この知り合いは、見た目は爽やかで会話の物腰も柔らかく、秘かに彼のことを好きな女子は多いんじゃないかなと思う、くるり岸田繁似の青年だか、所謂ロリコンだった。ここでロリコンと書いてしまうと、赤いランドセルを背負った低学年の女子の胸に(;´Д`)ハァハァ するとか、弱者である幼女支配することで性的欲求を満たすようなステレオタイプロリコンが頭に浮かばれるだろうが、彼の恋愛観は同性を好きになってしまゲイのそれと同質な哀しみ。だと僕は思っている。深く話し合ったことはないので想像だか。

また来ちゃったよという照れと、好きな女子に会えてニコニコしてる知り合いを他所目に、昨日の女の子を目で探すけどいなかった。休みか他のお客さんの相手か、そんなこともあるしと、座っていた2、3人の女の子の顔をざっと見て、なんとなく長く視線が合った娘を選んだ。

この娘のことは記憶にない。ファンキーに明るかったくらい。彼女たちは親の借金のカタに異国に連れて来られ、数百円で男と寝なければいけない毎日だけど、生まれた時からそうした環境文化の中で育ち、それが当たり前ならば、明確な理由もなく毎日勉強させられ、友だちとも遊べない生活のほうがおかしい。と、すうっと納得できるような明るさ。

下の階に戻り、女の子の間にちょこんと座り天井の隅を眺めてたら、昨日の女の子が僕に向かって真っ直ぐに歩いてきて、彼女の顔を見上げる僕の頬をばちん平手打ちした。打たれた時に(あ、他の女の子と寝たからだ)と気付いたけど、後から知り合いにも「他の女の子と寝たからだよ」とルール的なものを教えてもらった。だって君がいなかったからと言い訳けようと彼女を見ると、体は真剣に怒ってるけど瞳の奥と口の端しは笑っていて、僕らを見る数十人の女の子も笑っていた。

バンド結構面白いんだけど

巷では頭キラキラ星とか誰得シリアスとか言われてるし、ソシャゲも協力システム仕様問題抱えたままイベント始まって2chスレ崩壊してたりするしであんまいいイメージないけどこのアニメ結構楽しいぞ。

登場人物個性的っていうか攻めの姿勢があるんだよ。

まず主人公からしてギター触りたいからと質屋の娘に粘着しまくっていつの間にか毎朝そいつの家で朝飯食うようになるような図々しさを煮詰めたようなクズなんだぜ。

凄くね?

アニメ不快な展開出すことが危険視されるこの時代主人公のもの不快キャラって冒険でしょでしょ?

バンドの他メンバー純粋な善人が1人いる以外は主人公粘着されるまではパーフェクトボッチで盆栽いじりとネットサーフィン趣味高機能自閉症・頭にチョココロネが詰まっているとしか思えない電波女・その電波女も主人公も全く太刀打ち出来ない究極電波っていう恐ろしい構成

主人公の頭のおかしさだけでもけいおん超えてるレベルなのに他のメンバーまで大部分ヤバイんだぜ。

かなり気合の入った電波アニメだぜ。

主人公チーム以外もヌイグルミに喋らせるテンプレ不思議ちゃんとかその不思議ちゃん介護されるレベルアッパーキチガイとかが出てきやがる。

たとえば「今日すきやきなんだー」「誕生日なの?」みたいな会話は序の口で、自分で「声が小さーい」と言っておいて大きな声が返ってきたら「店に迷惑だー」と言い出すような頭のおかし空間が広がってるんだ。

このアニメ脚本おかしさはヘボットとタメ張れるね。

ボット見ててバンドリ見てない人は絶対見たほうがいい。

ライブ要素なんてほとんどおまけ、このアニメ本質電波脚本

それに気づかずに一度は離脱仕掛けた自分が恥ずかしいよ。

2017-03-25

森友問題におけるネットメディアに対する不満

いわゆる「森友問題」は、昨日の証人喚問で最大の盛り上がりを見せたように思う。

俺も、「乗るしかない、このビッグウェーブに」との精神から証人喚問の数日前から情報収集を始めた。

まず、新聞をチェックしたのだが、新聞半月分ためては捨てていたので、ひと月前の問題の発端がわからない。

テレビ新聞も、これまでの情報を当然の前提に積み重ねられているので、目の前の情報の全体的な位置けがしにくい。

そこで、「テレビ新聞オワコン時代ネットだな」と、グーグル先生に頭を下げたわけです。

しかし、検索に引っ掛かる情報新聞社HP。または、事実評価区別もできてない党派性バリバリの信頼できない個人ブログ

ハフポも話題バズフィードも、単発記事が整理されることなくただ並べられているだけ。

これさ、もっと社会問題を後追いしやすいように何とかならないの?

バズフィードとかがさ、これまでの記事を整理するようなまとめのページを作ってほしい。

時系列で何があったのか。登場人物は誰か。問題点は何か。

10年くらい前はさ、炎上が起きたら比較的充実したまとめwikiがすぐに作られていたじゃん。

もしかして、俺が知らないだけで、バズフィードとかが何かやってるの??

2017-03-22

向井秀徳当事者性による二重性批判


「俺がそこにいた!」

初期ナンバガ歌詞を振り返るとこういう文体が多い
omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ

これは一人称の文に見えるが、実は三人称
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物第三者視点から見る必要がある
まり三人称視点登場人物としての「俺」を描写していることになる

だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的記述した三人称、となる

自分自身物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井映画監督を目指していたそうだが、
カメラファインダーという隔たり越しに登場人物描写する手法もうなづける

だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしま
その対象が持っていた熱や存在感当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まり向井は冷たいと感じた
そういった客観性集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる

語り手の俺が登場人物としての俺や少女描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか

ではザゼンだとどうなのか
カメラ技術進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳カメラ技術もこなれてしまった
だが、世間当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
から語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない

そこで向井リフレインに注目する
同じ場所言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマコマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井カメラシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ

はいえこ主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在ザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか


ブログツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ

詩や短歌俳句の良さが分からない

短歌俳句に比べれば詩は分かるような気もするのだけれど

やっぱりわかった気になるのはよくないと思う

ダウンタウン浜田が夜の7時からやってる番組俳句のコーナーが人気らしくたまに見たりしている

そこで出てくる俳句の良さが分からない

短すぎて分からない

伝わらない

先生添削しているのだが良くなっているのかもよく分からない

どうやら見ていると俳句というのは短い言葉キーにして

色々なもの自分想像して楽しまなければいけないらしい

短い言葉から連想して自分の頭のなかでその情景を作り出すようだ

短歌文字数で言えば俳句よりも長いので情報量は多いのだろうけど

やっぱりわからない

からないものはわからない

基本的には俳句と同じようなものなのだろう

想像深読みして楽しむのだろう

詩はその二つに比べるなら文字数が増えることが多いので

読んだ人間はさまざまな情報から想像できるのだろう

詩もきっと自分の中で想像したり言葉リズム言葉遊びを楽しんだりするのだろう

自分は詩を読んでみてもやっぱりよく分からない

自分想像することが嫌いなのかと言えばそんなこともないと思う

マンガ小説アニメやその他色々な創作物を見て

自分だったらあの場面はこうするとか

こうした方がもっと面白くなるとか

新しい登場人物を考えたりとか

こういうバックグラウンドがあったりとか

泣けるようなエピソードを考えて実際自分でも泣いたりしている

ここで一つ思いついたのが

情報量の差だ

俳句短歌や詩などは少ない情報から想像することを楽しむらしいが

自分は大量の情報を得てから想像するのが好きなのだ

まり方向性の違いだろうか

2017-03-19

涙そうろう

これはもう、生まれつきの体質としか言いようがないんだけど、異様に涙腺が弱い。

どれくらい弱いかというと、

会社上司ちょっと強めに叱責されただけで目に涙が浮かぶ

②誰かに嫌なことを言われ、言い返そうとしただけで目に涙が浮かぶ

漫画とかアニメ登場人物が泣くシーンを見ると絶対もらい泣きする

(それがどんなに陳腐演出でも関係ない)

③はともかく、①と②は中々難儀だ。

一度、飲み会の席で仕事に関する意見対立があった時に、最終的にガチ泣きしてしまったことがある。

正直死にたかった。

いい年したおっさんボロボロ泣くなんて、気色悪かっただろうな。

別に泣きたくて泣いてるわけじゃないんだけどな。

感情が少しでも昂った途端、自動的にジワリときしまうのだからどうしようもない。

治療法とかないのかな。

2017-03-17

小説登場人物や出来ごとの整理。

村上春樹小説が楽しめないんだよね。みんなどうやって本を読んでいるんだろう。

有名な1Q84いや、情景描写というか、一つ一つはいいけど、20ページぐらいでなんか、ふーん、って感じで止めた。

タクシーで高速に乗っておりて道路公団の話とか出てきたのは、憶えているけれど。

短期記憶が、弱いらしくて、どうも個別のことを、整理して記憶するのが苦手で、主筋が見えないとなかなか、分からない。

から人生自体も楽しめないのかなって思ってしまう。

  

辛うじて、最近読んだ長編小説だと、宮城谷さんの晏子ぐらいかなー。それも

人物相関図・家系図みたいなのを、チラシの裏に書いて、なんとなく、読んだ。

司馬遼太郎のも、割と話というか、説教臭い話があるからかなー。

登場人物が、個性的だったり名前や筋を、どこかで聞いていて予備知識があるからよみやすいのかな。だいたい人間関係処世術テーマにしているし。)

  

ビジネス書とかは、読めるんだけど。

漫画単行本とかでも、もくじの前に、あらすじや登場人物の顔が描かれていて、ざっくりと、おさらいが出来るけど。

そんなに漫画では苦労しないけど。

小説は、苦手になってる。。

  

ーー

村上春樹1Q84

ウィキで、あらすじを読んで、うわ。全然イメージしていた話と違うなーと。ちょっと、びっくりした。。

  

  

恋愛物語ヒロイン容姿がかわいくなければ感動できない

四月は君の嘘」を読んで感動した。

でもそれって、かをりちゃんがかわいいからなんだよな。

かをりちゃんがかわいいからきゅんと切なくなるけど、ブスだったらと思うと……。

君のいる町」も面白かったよ。

ヒロイン柚木かわいいじゃん。でも、ブスだったとしたら……。

「グッドエンディング」もそれなりに良かったよ。でも、ヒロインがブスだったら……。

3月のライオン」もまだ完結してないけどいいよね。

ヒロインかわいいし。でも、ブスだったらたぶん読んでない。

物語ってのは登場人物かわいいから感動できるんだよな。残酷だよな。

恐る恐る

けもフレの海外ブログへの日本人コメントで、「ディストピアなのに登場人物イノセントで」、と知ったかぶってるのが怖かった。

イノセントって単語サリンジャーフィッツジェラルド村上春樹継承する文脈中の文脈で、

下手に口にすると文学方面から猛烈なツッコミが入る系なんだが。

もちろんイノセンス押井守は分かってタイトルを付けてる。

彼はイノセンスについて、ことわざだけで物語形成することは出来ないか、というヒントを語った。

ことわざとは脈々と引き継がれてきたもので、イノセンスは今までの物事を繰り返している。

まり純粋さなんて怪しげなもんだ、というメッセージともとれる。これは一義的もので他にも当然議論余地はあるだろう。

けもフレ以前のサリンジャーフィッツが描いたイノセントイノセント故に狂気的で、狂気であるから世界否定しようとする。

フィッツの『グレート・ギャツビー』は世間的な社交界を開く面々を白眼視し、ニック曰くの高潔なるジェイを変彼の中で祭り上げる。

もし仮にけもフレがイノセンス文学ならば、狂気的なイノセンス故に前段階の文明は灰燼に帰したのだという描写があったり、

今の関係性を狂気的な手法で維持するといった、イノセンス帰結を描くのではないかと思われる。しかし本当にそうなのだろうか?



追記:ブコメツッコミならともかく鬱陶しいだけなんですが。

2017-03-16

親が友達世間話をしていて

親戚か孫かよくわからんけど、〇〇ちゃんは偏食で自分の好きなものしか食べないとか、挨拶もできないとか、××ちゃんのほうは挨拶もできてなんでも食べるみたいな話をしてるのな。

で、しつけができてない子がDQNネームで、できてるほうが普通名前だったら「ああやっぱり」って感想なんだけど、登場人物の子供はもちろん親のほうまで全員DQNネーム時代を感じた。

2017-03-13

セカイ系って完全に廃れたよな。最近アニオタセカイ系を受け付けないらしい

http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1489385843/

141 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイ 2671-aizu)[sage] 投稿日:2017/03/13(月) 17:18:44.15 ID:t0Auu9QE0

物語の都合上主人公周辺しか登場人物が出てこないとか珍しいことじゃないのに

当時はアニメ漫画お約束ご都合主義科学的に説明したり合理的理屈

つけるのが流行ってオタクとしてもアニメ漫画子供向けの程度の低いもの

見られてたことに不満があったからただ描くのが面倒だから省略されていただけのことに

何か重大な意味があるみたいなこと言われてまんざら嫌な気分でもなかったけど

みんなそんな大げさなものじゃなくてそこまで描くのがめんどくさいだけだってわかってたか

2017-03-10

情熱ってなんだ

今の時代作品愛とか制作側の情熱がきちんと感じられるものでないと受け手に届かないとか何とか言われているが、

たとえば「制作側のやりたいことを情熱をもってやりきった結果作中のキャラの多数が無様を晒したり酷い死に方をした」みたいな作品ってそういう文脈だとどう判断されるのかなとふと思った。

作者の言いたいことを表現するために作中の登場人物が駒化してしまうこと(そしてそれが批判されること)ってよくあると思うのだが、そういう話こそ作者の主張やら情熱やらがうるさいぐらいに全面に出てしま場合も多いわけで。

情熱は認めるけどキャラに対する愛がないから云々」あたりで落ち着くのかな。

日本人は幼稚な逆張りヘリクツの前に「阿Q」を読み返せ

日本人は「阿Q正伝」の小説を知らないのだろうか。この作品主人公は「底辺階層」だった。この小説の教訓は、中国人レベルの低さに対する檄文という訳だが、「日本民族云々」と思考停止する日本人は今こそこそ読み返すべきだ。日本大衆代表格「ポストギャルポストヤンキーマイルドオタク」の民度外国人に例えれば何だ?

文学に限らなくても、非ファンタジー作品に出てくる日本現実の町並みが登場する小説群に出てくる登場人物はまさに日本平民や下層そのものだった。日本は恥ずかしながら、国民人格ライトノベル登場人物民度階層は昔の携帯小説登場人物並みに劣化しているのである。だから中国人韓国人を冷笑することは絶対にできない。「瑞穂の国」の現実を考えた方がいい。

オタク向け作品を例にするまでもなく、欧米ならハリウッド作品隣国であれば韓流など、私が親しんだことのあるサブカルチャーには必ずや現実風刺があった。そういえば日本最近ドラマは単なる社会風刺である。私からみれば一昔前の韓国ドラマのものだ。

現代日本人の正体は日本国籍を持ったコスモポリタンで、彼らの云う右翼は、愛国心が極めて低く、日本以外に誇れるアイデンティティのない悲しい人物である天皇制をぼろ糞にいえる左翼のほうがずっとましだ。

そんな連中は、歴史的文学レベルからやり直す必要がある。日本民族云々とホルホルする前にまず、「阿Q正伝から読み返せ。こんな連中に発言権を与え続ければ日本環境はろくなことにならないぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20170310140225

増田が、自分の言ってることが正しいと本気で思ってるなら、ゲーム界は終わらざるを得ないと思うぞ

モニョるつがいることを理解して欲しい」、オーケー理解しよう、おかしなこだわりを正当化して、コアゲーマー以外を削ぎ落としたい層がいるんだなあ、そういう人が多いとゲームやるの嫌になってくるなあ、ってね



文壇の人が、純文学芸術で、「登場人物共感した」って感想を鼻で笑ってるの見たら、もう本とか読みたくなくなるよね

増田がやってる活動はそんなのやで

ライトノベル純文学より売れるのはおかしい、もっと敬意を払うべき!って活動とそっくりや

ゲーム作品なのはいいけど、コアゲーマーがそれを主張して、ライトユーザーローカルルール適応して、あげく糾弾し出すとか地獄絵図だよう

2017-03-09

絵が描けなくなった

最近絵が描けなくなった話を書こうと思います

どこにでもいる、インターネットお絵かきマンだった女です。

あとたぶん絵が描けなくなった理由もよくあるパターンだと思うけど、反省意味も込めて人目につくようなところに残しておきたいと思ったので。


数年前からとあるアニメにはまり、久しぶりに絵を描きたいと思ったのと話し相手が欲しかたかツイッターを始めた。

絵の趣味小学校で止まっていたので、ツイッター始めた当時はめちゃくちゃ下手くそだったと思う。

それでも好きで楽しくて絵を描き、アニメ放送されれば感想だの考察だの毎日アレコレ呟いてた。




ある時相互だったフォロワーがあげてた絵に衝撃を受けた。

別に特別うまいわけでもないんだけど(もちろん私よりはうまかったけれど)、すごく魅力的な絵を描いていた。

あとなぜかわからないけど彼女は前から私の絵をよく褒めてくれてた。気がする。

私も彼女があげた絵にたびたび感想を言うようになった。彼女の絵が本当に好きだった。

これもなぜかわからないけれど、なぜか彼女は私を気に入ってくれてて、DMや他のSNSでやりとりすることも少なくなかった。

彼女のほかに好きな絵描きもたくさん増えたが、「こういう絵が描きたい」と思えたのは彼女の絵だけだった。




それから益々アニメにもハマり、絵をたくさん描いた。

自分で言うのもアレだけど、器用だったので絵はすぐに上手くなった(と思う)。

難しい構図や背景の描き方を習得するのも楽しかったけど、

なによりも自分の手で作品の感動したシーンとか、登場人物幸せにしたり楽しませたりできるのが最高に楽しかった。




そんな頃から彼女が絵に反応をくれなくなった。絵をあげる回数も少ないなと感じた。

彼女はだいたいいつも忙しそうにしてたので多忙なんだろうと思った。

それでも彼女は時々は呟いてたし、DMリプライでは近況報告とかアニメ感想をくれたりもしてた。

私が絵を描くにつれて絵柄や雰囲気はもちろん変化していたので、絵に魅力がなくなったかなぁとも思った。

フォロワーから感想や反応はどんどん増えてったしそれは嬉しかったけど、やっぱり彼女からの反応はなかった。

「あとは彼女からの反応があればこの絵は完璧なのに!」と考えたこともあった。




まあ多忙なのか或いは私の絵に興味がなくなったんだろうと思いつつ、いつもみたいにアニメの最新話に感動して絵を描いてツイッターにあげた。

あげるまで気が付かなかったけど、絵をあげる前と後のTLで彼女が浮上してた。

やっぱり絵に反応はなかった。彼女以外からはそこそこ反応をもらった。

その代わり彼女は、皆は絵を描いているけれど私は絵を描く気が起きない、みたいなことを呟いてた。

なんか全部どうでもよくなってこっそりツイッターやめた。




でもアニメはやっぱり好きで、とりあえず彼女のことは忘れて好きなように絵を描こうと思った。

全然描けなくなってた。

もちろん下手になってたという意味ではない。描きたい絵がない。何を描けばいいかからない。描き始めても完成しない。

なにより絵を描いていても全然楽しくなかった。びっくりした。

しばらくして彼女から連絡がきたりもしたけど、適当に返信してあとは無視した。





今。

まだ時間を見つけては絵を描いてる。まだ1枚も完成してない。

なんとなく描きたいなと思ってペンを握るけど楽しくなくて全部途中のまま。

絵以外の趣味もあるからそっちもやりつつ絵を描いてるけど楽しくない。絵以外の趣味楽しいアニメ楽しい。絵は全然楽しくない。





色々と考察も書こうかとおもったけど文章かくのって結構疲れるね!

私が勝手に執着してしまったんだから絵を描けなくなったのは彼女のせいだとは思ってないけれど、もう二度と関わりたくない。早く忘れたい。

最後にと思って彼女アカウント名で検索かけて呟き眺めてたらそこそこ絵描いてて楽しそうにしてた。

やっぱり彼女の絵は魅力的でちょっと泣いた。もう見ない。



楽しく絵が描きたい。

村上春樹騎士団長殺し』の南京虐殺記述について

 村上春樹騎士団長殺し』新潮社南京虐殺記述は、この作品登場人物免色渉の台詞として出てきます

(以下引用

「(前略)正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者あいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいますしかしし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」

 もちろん私にはそんなことはわからない。」

引用おわり)

(「私」とは、この作品主人公である画家の「私」のことです。)


「『しか四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?』」と免色渉が言っているにも関わらず、あえて数字について紹介すると、

四十万人」と言っている歴史学者はおそらく加藤陽子氏。(正確には「犠牲者数については、数万人~40万人に及ぶ説がある」)

「十万人」と言っている歴史学者はおそらく笠原十九司氏。(正確には「10万人以上もしくは20万人に近いかそれ以上」)

 他に、中国政府見解は30万人以上(南京軍事法廷判決数字が元)、東京裁判判決20万人以上、秦郁彦氏は4万人上限、板倉由明氏は1万5千人程度としている。

 日本政府見解外務省HP)は、

「1 日本政府としては、日本軍南京入城(1937年)後、非戦闘員殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えていますしかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています

 2 先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。

 3 こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日内閣総理大臣談話の中で明確にしました。」

2017-03-08

[]

オッドマン11を読んだ。ひっでぇ(誉め言葉)漫画だった。



次。幸せのマチを読んだ。岩岡ヒサエ漫画ほっこりするし全般的にあたたかな内容なんだけれど、ところどころにひりひりする内容を忍ばせてくれるのがいい味出していると思う。

一冊で簡潔なので気軽に手に取ってもらいたい。ひなびかけた商店街舞台にした若者たちの奮闘と恋愛主題を置いているんだけれど、それを見守るとあるキャラクターたちの眼差しが素敵な作品だった。



次。春と盆暗を読んだ。なんかよくわからないけれど、とても魅力に満ち溢れている漫画だった。

一応は恋愛漫画に分類されると思う。でも、全体的に妙に掴みどころがないというか、登場人物たちがありがちなキャラクターからずれているので、不思議読書感を味わえる漫画になっていると思う。

ふわふわとしていて、でも何かしら本質を捉えていそうな物語が好きならあり。もちろん、読み取れていないだけで相応なメタファーが隠されているのかもしれないけれど。




次。おんさのひびきの新装版を読んだ。銃座のウルナの三巻が見つからなかったんだよ。でも、これはこれで素晴らしい作品だった。

内容としては文学小説を読んでいるような感じがちょっとした。登場人物それぞれに懊悩があり苦悩があり煩悶がある。それでも生きていかなければならない子供たちの姿を、精緻に切り取っているなあって思った。

エトもマコも順基も、きっと大人になったらそれぞれの内面で、それぞれの関係性で、何かが変わってしまうのだろう。それでも彼らの十年後ないし二十年後が読んでみたくなる漫画になっていた。

SNSばっかやってる大学教授の下で学びたいですか? (YES / NO)

YES (9%)

NO (80%)

場合による (11%)

YESと答えた人の理由

「事前に人柄が知れて良い」(18歳男子高校生

「ウケルツイートが多いと信用できるw」(20歳男子大学生

NOと答えた人の理由

自分も彼らの家族と同様にネットで晒されそうで不安」(19歳女子大学生)

「彼らのつまんない受け狙いツイート登場人物に利用されたり話のネタにされたりするかと思うと最悪」(22歳男子大学生

ぶっちゃけネットにハマってるって時点で信用できない」(18歳女子高校生

ダメ大人典型って感じ」(15歳男子高校生

SNSばっかやっててSNSに脳が支配されてる人から学ぶことはなさそう」(14歳女子中学生

「そんな師事する人の見たくないところまで見たくない」(19歳女子大学生)

「暇なの?って思う」(24男子大学院生

場合によると答えた人の理由

「それは場合によるでしょ」(21歳男子大学生

SNSキモかったら敬遠するし、そういうリトマス紙として役立つ」(23女子大学院生



ソース:僕の脳内

http://anond.hatelabo.jp/20170307225826

なるほど。感情移入という言葉はあまり正しくないというのは確かにという感じかなぁ。

まさに「「キャラに読者が引っ張られる」的な概念」も必要なのだが、なんというか、国語問題でありそうな「この時のこの登場人物の心情を述べよ」とか「この時なぜこの人物がこういった行動をとったのか説明せよ」みたいなのを見ている側が自然と読み取れるような人物描写は、やっぱ上手い作り手は出来てる気がするんだよね。

例に挙げられてる「人間味のある矛盾した行動原理キャラクター」というものが出てきたとしたら、ちゃんと描写されてれば見ている側はそれをしっかりと受け取れると思う。

けど、ダメキャラクターは、「なぜいきなりそうなる?」という風に見ている側を置いてけぼりにするような行動をとったり感情を見せたりするものだと思うんだよなぁ。

話は逸れたけど、結局元増田の言う「感情移入できなかった」というのは、「キャラに魅力を感じられなかった」くらいの意味だろうと思うんだが、見ている側を引き込むようなキャラ作りや人物描写というのは、ブコメバカにされていたほど陳腐ものではないと思うんだよな。評価軸に持ってくるのはアレだけど。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307221419

作品内で人物像やその背景を描写して作品に触れているうちにその登場人物に没入していくことは、感情移入だと思うんだけどなあ。

これの反対は、人物描写がめちゃくちゃでキャラもブレブレで行動原理理解できないし矛盾があるみたいなキャラクターだけど、そういったキャラ批判するときってやっぱり「感情移入出来ない」になりそうだと思う。

まあ「キャラで読者を引っ張る」というのは近いけど、

金持ち貧乏の例は、やっぱ共感だと思うんだよな。

あと俺は元増田文章別に擁護してないし、同じく「ご都合主義」という元増田の指摘も元増田文章の中で特に嫌いなところだ。

感情移入ってそんなにバカにされるようなことか?

絶賛されている今敏のアニメが全然つまらなかった。

この増田に出てきた「感情移入」という言葉を巡り、なんかここのブコメで「感情移入(笑)」って感じでバカにされてるけど、そんなバカにされるようなものじゃないだろうと思うんだけど。

感情移入ってつまりは、その物語登場人物に興味が持てたかどうかにつながると思ってたんだけど違うの?

出てくるキャラクターが善人だろうと悪人だろうと、どんな体験をするどんな物語だろうと、感情移入というか見ている側に没入させるようなキャラ作りって大切だと思うんだけど。

共感とも自己投影とも違うものなんじゃないの?

この増田に対して、「今敏登場人物を魅力的に描く作風ではない。映像が主な魅力」とか「それはキャラクター描写問題なのではなく、自己投影共感といったあなた個人感覚なのでは?」といった反論ならわかるのだけど、「感情移入(笑)」ってだけで片づけるのって雑過ぎない?「人物描写があまりうまくないと思った」というのに対して、言葉尻に噛みついてるだけじゃん。

もしくは、俺の考えてる感情移入はみんなが考えてる感情移入定義が違うのか。

あるキャラクターについて、劇中で一貫性だったり背景を上手く描写させていて、見ている側に「このキャラクターはどうなるのだろう」と興味を持たせるようなのって「感情移入」じゃないの?もしかして別の言葉がある?

http://anond.hatelabo.jp/20170306235007

登場人物への感情移入とかストーリー面白さや説得力を求めているんならそういう評価をされている映画を観ればいいと思う。

面白い、つまらないの尺度で測れない作品ってアニメ実写問わず、というか映画に限らずたくさんあるよ。

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