はてなキーワード: 努力とは
うまく学校になじめなくて孤立して、不登校になって受験も失敗して、そんなダメな私にも居場所が出来た!とすごく嬉しかった。
女だから書きこむのはいけないことだと思ってずっとロム専だったけど、スレを読んですごく笑っていた。
そのうちまとめサイトが出来てきて、面白い記事だけを読めるので、そっちばっかりに行くようになった。
その中にも女向けのスレだけを集めたサイトが出来てそこで初めて書き込みをした。すごく緊張した。
レスがついて、本当にうれしかった。実生活では体験したことがない嬉しさだった。
それから、女だってばれないようにこっそりネタ投稿に乗ってみたりしていた。それでも読んだ記事に対して書き込む数は圧倒的に少なかった。
ネットへの依存は深くなったけれど、息抜きにもなって、実生活はむしろ上手くいくようになった。初めて、大学でオタクであることを共有できる友人にも出会った。
このころ、スイーツ(笑)という言葉が流行りだして、この界隈のスレが増えた。私はその論調に何の疑いもなく同意した。
彼女たちは自分とは違う人種だし、コミュ力、容姿では尊敬に値するけど、彼女たちよりたくさん本を読んでいると思ったし、彼女たちよりは勉強に対して真摯に取り組んでいると思った。
また、この人たちにも改善点がある、叩かれる理由がある。2ちゃんのスイーツ叩きは仕方ないことだ、と思っていた。
今度は※が出来た。これはスイーツ(笑)と違って、イケメンとブサメンで対応を変える人に範囲が広がった。これには疑問を感じたが、概ね同意した。
自分自身に当てはめてみて、イケメン、ブサメン、どちらにも全く平等に接してきたかと言われれば、きっぱりイエスとは答えられない。
しかし、外見で人を判断するのはいけないことだ。だから同意。※は不当で叩く権利がある。ブスな自分も嫌な思いをしてきた。
ただ、きれいな容姿に惹かれるのは当然のことじゃないのか?思想は叩けないんじゃないのか?
また、注目を浴びる立場の女性には、容姿を評価するレスが目立ってついていた。また、不幸な事件の被害者さえも評価の対象になっているのを度々目にした。
自分もやってるのにどうなの?と思った。容姿に関して何か思っても言動に移してしまっている時点で※に批判はできないだろう。
そして今、女叩きが流行っている。女のこういう人、ではなく女全体だ。これはどうにも賛成できない。
論旨は簡単に性交渉をする人たち、専業主婦(予備軍)を非難するものだが、その中に女であることを非難しているものが増えてきた。
「女は~だから。」「女は~能力がないから」「女は~のことしか考えないから。」と具体例に当てはめていく。
明らかに的外れなことでも、支持を得る意見がいくつかあった。しかも、それらの書き込みは非常に悪質な誹り言葉にまみれている。
不快だけれど、自分がスルーすれば話は終わることだと、ずっと見て見ぬふりをしていた。そういうレスがつきそうな話題は避けて、面白いネタレスばかり見ていた。
そしてまとめサイトで女性だとわかる書き込みが取り上げられると否定的な書き込みがなされるようになった。
とくに感動系の書き込みは「妄想乙」「創作だろ」と言われるようになった。
これは感動系の持つ性みたいなものなんだろう。女だから、叩かれているわけじゃないんだろう。
女叩きだって書き込む男性の周囲にいる女性が性格が悪いから、うっぷんを晴らしているだけで、本心で思っているわけじゃない。
※だって環境が不幸だと主張しているだけで別に特定のだれかを叩いているわけじゃない。そういう人の性質、それを許す社会を叩いている。
スイーツ(笑)だって目立って商売をしていたから、茶化したくなっただけだろう。
これらのレスは黙ってスルーすればいいだけで、自分が影響される必要はないんだろう。
自分が女に生れて、不細工に生まれて、日本に生れて、うまく社会にコミットできなくて、ネットに依存して、努力が足りなくて、こんなネタにマジになっているのが悪いんだろう。
そしてこういう風に反省すれば許されると思っているのがいけないんだろう。それでも誰かのせいにしているところがあるのがいけないんだろう。
自分が、まさに女みたいな、被害者面した文章でしか、今の風潮に抗議できないのが悔しい。これじゃあ伝わらなくなるんだろう。
とにかく早く女叩きの流行が収まって、昔みたいに安心してネタを楽しめるようになる時が、早く来ることを祈ってる。2ちゃん大好き、やめる気はねーよ。
己が努力を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいればさらに自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。
しかし、人間はなかなかそれができない。
嫉妬しているほうが楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいのと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したらしょりすりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。』
p.116 赤めだか[amazon:http://bit.ly/alyqaK]
心打たれるものがあった。
数年前にはじめて女性と付き合った。
キスはした。でも二人で旅行に行った時、生理中だから駄目!といわれて性交には及ばなかった。
その後すぐにフラれた。
その1年くらい後で、好きな人が出来て告白したら、断られた。
友達関係では良好だったのにそれ以降はギクシャクして自然消滅した。
その1年くらい後で、また好きな人が出来て告白した。今度は彼氏がいた。
と言うか、いないって言ってたのに実はいた。女の子として好きでいて!と言われたけど、
ムカついたので連絡を切った。
その1年くらい後で、別に好きでもなんでもないけど、見た目だけは可愛いヤリマンと友達になった。
所謂、友達としてなら問題は無いんだけど絶対に付き合いたくないタイプ。
結構仲良くなったし二人で遊びもするから、セックスさせてよ!と言ったら、
知ってる人とはしたくないって言われた。なんだそりゃ…
そんなわけで、チャンスも多々あったんだけど、俺は未だに25歳で童貞です。
何が悪いのかも全く分からん。多分セックスアピールってのが出来ないんだと思う。
性的魅力が無いと言うかなんというか。
それとも、俺みたいなブサメンが童貞捨てるのってもっと必死になんなきゃ駄目なのか?
俺の努力じゃ全然足りないのか?誰か助けてください
ttp://www.taro.org/2010/02/post-713.php
予算委員会、なんせ当選以来初めてだから、いろいろと準備したり、なんやかんやと忙しくしていた。
へぇーっと思ったのは、質問は要旨対応です、ということ。
他の委員会は質問を通告し、答弁の準備をきちんとさせる。予算委員会は要旨だけ前日に通告し、数字等が必要なものは別途通告する。
さすが予算委員会、他の委員会とは違うなあ、大臣もこれだけで答弁しているんだと感心していた。
アメリカ出張前に質問を作って、とりあえず馬淵副大臣には手書きでゴメンネと渡しておいた。センターを指名停止にするのかとか、費用負担をセンターにさせるのかとか、事前に渡しておけば、委員会当日までに馬淵副大臣が指名停止やなんやかんやをやっておいてくれるだろうと。
案の定、指名停止になり費用負担についても動きが出てきた。(指名停止五ヶ月は短いだろという新たな質問が付け加わるが)
で、他の質問は、今日の昼過ぎに要旨にして渡した。
で、厚木の県央経営者会で六時半から講演。終わったところで古川元久副大臣から電話が入る。「おーい、明日答弁頼むね」と電話に出ると、「たろうちゃん、助けてよ」。
「どうしたの」とたずねると、「質問が要旨しか来なくて、霞ヶ関が大変だ」「あったりまえだろそんなの」どうも話がかみ合わない。
どうやら予算委員会は要旨対応というのは、自民党国対が勝手に決めたことで、そんなルールにはなっていないらしい!
「他の党はみんな質問通告してくるけれど、自民党だけは箇条書きで三行とか書いてあるだけで、みんな霞ヶ関がそれ見ながら想定問答を考えて...」「えっ、そうなんだ。今厚木だから、小田急ですぐ戻る」
結局、夜の九時に各省庁の担当者(二十五人ぐらいいた)に議員会館にご参集いただいて質問を一つずつ通告する。
僕は、外務委員長の時に、質問通告が遅い委員は与野党関係なく、部屋にまで文句を言いに行ったり、もう一度やったら本会議の委員長報告に名前出すぞと脅したり、通告を早くして霞ヶ関の残業を減らす努力を国会もしろと旗を振ってた。
自民党、他の議員はどうなっているのというと、みんな下向いて苦笑いする。
谷垣総裁、これはぜったいにおかしい。野党になったからといって、こんなくだらないことをしていたら、国民の支持を得ることはできない。
知らなかったとはいえ、申し訳ない。古川さん、ありがとう。
すごく釣りっぽいからまともに返すのアレだけど
漫画でメシ食いたいなら、投稿でもなんでもつづけりゃいいじゃないのか?
現状ヌルい生活なら、尚更やりやすいじゃないか。
認められてから転職すりゃいい。
そういう所に金つぎ込んで自分の無能さを叩き込まれてからでもいいんじゃないの?
無能なのは分かってる、って言うかも知れんけど
ウダウダグズグズ言ってるのは
どこかで自分への夢に頭がお花畑になってる証拠だよ。
まあ、カタカナ職業に憧れ病っていくつになっても抱えている人は少なくないけど
大概の人はその中でやっぱり「埋もれている」んだよ。
まぁ失敗したって言われれば存在自体が失敗作だよな。
じゃあどうすればいいの?一生治らないんだけど。
これは本当に、考えて欲しい。努力じゃどうしようもないものを背負ってる人も居るんだッてこと。
本当にどうしようもないようなら、来世に期待してみたらどうだろうか?
もう大人なら、自分の障害を利用して同情を利用したりとか、障害を就職に利用するだとかのメリットもあるんでない?
とりあえず、障害をもっていてイジメられて生きてきたなら「イジメいくない!」という活動をする上では説得力もあるし、たぶんプラスに働くと思う。金にはならないかもしれないけど、そういう社会的な活動で私生活を充実させることに意味がないとは思わない。
随分と平和な暮らしをしてきたんだな。あてつけでもなんでもなく、純粋に羨ましいと思う。
でも、いじめられた事もいじめた事もないなら、その程度の考えて「いじめは無くさないほうがいい」なんて軽々しく言わないほうがいい。
っていうか実際その方法やった事無いだろ。机上の空論だよ。
まだ生きているなら自分のやり方のどこが悪かったかを考えてみればいいんではないか?推測がついたら同じ失敗をしないためには、どうすればいいかの案を考えて生きていけばいいかと。
だからさ、どうしようもない事ってあるんだよ。
例えば自分なんか生まれつき障害を持ってるわけ。
もう生きてるだけで、そこに居るだけでひとこともしゃべらないのに「キモイ」とか言われるの、すぐ的になるの。
子どもの時なんてすれ違っただけの奴から砂かけられたり、知らない子ども数人にいきなり囲まれてどつかれたりした。ただ歩いてただけなのに。
まぁ失敗したって言われれば存在自体が失敗作だよな。
じゃあどうすればいいの?一生治らないんだけど。
これは本当に、考えて欲しい。努力じゃどうしようもないものを背負ってる人も居るんだッてこと。
もしもいじめが正当なもので、いじめられるほうが何とかしないといけないものだとしたら、自分みたいなのは死人かそれに等しい生活しか送れないと思わないかな?想像できないかもしれないけど。(想像力無さそうだし・・・)
人をいじめて良いってのは自分みたいなのを殺していいのと同じだよ。
ユダヤ人だかの言葉に、迫害されても迫害されるほうにはなるな、的な言葉があるらしい。
昔はふざkねんなって思ってた。迫害されてるほうが損だと思った。
でも今は、昔は本当に苦しかったけど、誰かを傷つけなくて良かったと思ってる。
いじめは良くないよ。あっていいはずがない。
全然モテなくていいし女になんて全く興味がないってやつは結構変人扱いされてたんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100209065146
ヨーロッパに行った時に思ったのが、アラビア系もアフリカ系も、
日本という国は小さい国土だけど戦争吹っかけるわ電化製品とか作っててすごいわ、なんかアニメ作っててすごいわ。
とは思ってるみたいだけど、それは努力と言うよりもどちらかというと運で掴んだ物だと思ってるみたいだった。
同時にそれだったら自分たちの方が数倍エラくて憧れてもらえる対象だと思ってる。歴史もあるし。
王様はこんなに長い間いてエライんだぞ!という事を言ってくる人も居る。
(天皇家の事を話すと少し静かになる。日本ではエンペラーは居るけど彼らは政治に関与しちゃダメ、って話をすると凄いビックリする。)
だからちょっとでも邪険にするとアジア人やヨーロッパ人ビックリの勢いで自己主張から入る。
間違いを訂正すると、まず自分が正しい!という主張から入るので、
論理の筋道立てて、どうやって相手に間違ってると気付いて貰えるかの
ルートを組み立ててからじゃないと、間違いの訂正するのも一苦労。
という人が多かった。マスター所持者とか何年も働いた後でもこうなのだから現地の小学校とかカオスなんじゃなかろうか。
意識差は男女でも隔たりがあって、女子にも同じ様な感覚の人も勿論沢山いるけれど、
20代くらいで外国に来てまで勉強しようというのは親の意識と財力と社会的立場がデカイ上に
更に婚期を逃してたり、勉強することが人生の生き甲斐だったりと、やる気に満ちあふれた人の方が多い。
ので自己主張は強いけど、自己責任力も結構しっかりしてる精神的マッチョが多かった。
そして彼女たちは口を揃えて上手い事ヨーロッパに残りたいと言う。
故郷は世界で一番素敵な所だけれど、帰りたい場所ではない。わがままな人多いし。社会が上手く廻ってないし。
日本に帰ってきて気付いたのは、自分一番で悪い事は皆人のせいという考え方の人は世界中どこにでも結構居る事。
ヨーロッパにいるアフリカ人とかだと、こっちが笑っちゃう程明るく、後ろ暗い事何も無く
鼻につく位自分の事が大好きで、もしかすると或意味お前本当に一番かもしれないと思うような話っぷりの人が多いのに、
日本のそういう考え方の人は普段は全くそういう自己主張が無いのに、ある日の日記の文章に突然現れたり、
酔っぱらってる時の言葉の端々にいきなりそういう思想が見え隠れしたりする。
自分が実は悪いって本当は分かってるのに、目を逸らしてるだけの人も居るし、自分が悪いって事を認識出来ないって人も居る。
でも普段は、他のルールに沿って、シチュエーションに従って他人を立てる事を知っていたりするから、戸惑う。
反対に日本を出てしまうと自分が自己主張すれば勝ち!間違ってても勝ち!という責任回避!勝ち!みたいな発想の人に出くわす。
出くわす率で言ったら日本の数十倍とか数百倍だと思う。
日本の社会ではそういう考え方は受け入れられない、かっこ良くないのは分かってるから大っぴらに言えないんだろうけどね。
反対に自分の知ってる北アフリカとアラビア系の人だと、そういう考えでも言ったらスバラシイという所があると思った。
利己的になりたい人は居るんだろうけどそれを表に出すまでの筋道が
アフリカ(まあ北部の人しか知らないが)やアラビックの人と、日本人だと大分異なるから、
今のアフリカ諸国の様にならないんじゃないかなあ。
まあこんな事書いている自分だって、
悪いコトは他人のせいにしたら楽ちんって思うようなそういう所あるんだろうけれど、
今が頑張れるならいいじゃないかと思う。
その今がこの社会ではあまり頑張れないような気もしてきてるけど、これは又別の話。
相手に合わせるとか言っておきながら
反発とか不満の「解決策」を相手に求めている時点で
全然アウトじゃん。
合わせるなら、合わせる努力をするべき。
できないなら、そもそもできない(するつもりがない)事を言い訳にしない。
横からだが、あなたの言ってることは本当に正しいと思う!!!!
これは教育の問題。とか風呂敷を大きくすると怪訝な顔をされるかもしれないが、本当に教育の問題だと思う。
だって、学校では先生の言う事に従順に従うように教育される。学校や先生を「疑う」という事もできない。学校や先生を疑えば、場合によって同級生からも「いかにも反抗」ってレッテルをはられる可能性さえあり、生徒も先生も含めた学校という杓子定規な環境そのものが、ものすごい害悪で、本来すごく大切な「疑う」ことすらネガティブに教育される現状。
それどころか、なまじ先生にも問題がなく、先生はとりあえず命令をする、生徒はとりあえず命令をこなす、というなぁなぁな関係が続いて、そこに大きなトラブルもなければ「疑う」という発想すら起こってこないわけだ。
そうなれば、教科書的な「頑張ればきっと努力は報われる」とか「本音をキチンと伝え、心を開けば、きっと人はわかってくれる」って事を気持ちとして、心の奥底で信じるようになる。もちろん、それが全てじゃない、汚い社会もあるけど、誠心誠意生きていれば、その正しさはまわりまわって、いつか自分の評価に返ってくるんだ、という価値観を、みんな心のどこかで信じてるんじゃないかと思う。
これは、まったく間違った事だ!!!
予想するに、過去の学校は今よりもっともっと環境が悪かったし先生の質も悪かっただろう。だから、その理不尽さにまみれたなかで子どもたちは「大人に対して都合のいいウソをついて適当にやりすごす」という事が正しいことだ、という事を学ぶわけ。
でも今の学校では、それが学べない。本当に学校の意図している通りの子どもがスクスクと大体育つわけ。例外もあるけど、大体はみんな心の中で「国は信頼できるもの」だと思ってるし「警察は泥棒をやっつけてくれる」と思ってる。それを信じきって疑おうとしない。(真偽の問題じゃなくて、疑い自分で考えようとするかしないかの問題)
それで一番の問題が、そういう現状と教育の乖離を論理的に理解したところで、心に埋め込まれた感情が言う事を聞かない!という事だ。
例えばうつ病とかの神経症になる基本の心理状態って「~したい」と思うけど「~ねばならない」の葛藤から生まれると言われてる。
「就職したい」「就職せねばならない」と思うわけだ。ここでの就職する意志に葛藤はない。(ただしニートは除く)
でも就職するためには、あらゆる偽りのある、今まで教育で教わってきた信念を根底から覆す、180度違う理屈・現状が待ってるわけ。ここで葛藤が生まれる。
教育によって、正直に素直に生きていれば、自然と評価はつくだろうと心の奥底でそういう価値を信じてる状態で、でも実際は正直であったり素直でいられない。そんな感情を重視してたら就職できなくなるからだ。ここで戸惑いと葛藤、そして虚無感が生まれる。
「とりあえず就職できたけど、こんなウソだらけの”とりあえず”の就職で本当に大丈夫なんか?」って心の奥底でしっくりこない。形式だけ就職してるけど、「だから?」みたいな感じになる。
本来働くことはもっと自分で意思を持って行動を決めるべき・・・とか、そういう軌道修正の理論はいくつもあるけど、今はそれは問題じゃなくて
一番の問題は、こうやって教育と現場があまりにも乖離していって、人に悪影響をあたえてる事実があるということ。そして、それは今後ますます増えていって社会問題になるとおもう。
本音と建前の使い分けを、昔は両方学べた。だけど今は親も含めて建前しか学べず育つ子どもがとても多い。それはすごい害悪なんだ。
社会は汚いところもあると思いながら、それでも社会は信じられるものだと考える事はすごくよくない。社会は綺麗であるべき、と思いながら、それでも社会を信じられないからこそ自発性が促される。今の教育は建前を教え続ける事で必要なことと全く逆なことばかりを教えてる状態になってる。それが一番問題でよくない。
そういう人たちが、自分や他人の協力をへて、いかに社会を信じてはいけないか、自分で物事を考えなくてはいけないか、って事を学べる機会が今はすごくない。
そういう「なんでも自分で考える」って事を支えて、自己表現を育てないといけないのに。そういうのができない現状が、すごい辛いと思う。というか事実オレは辛い。
余談だが、TPIEっていうコーチングの教育プログラムがこういう葛藤の打破に使えるんじゃないかな・・と思ってる。興味ある人はぐぐるといい
http://anond.hatelabo.jp/20100208175244
メンタルクリニック行ってきた。
トラバくれた人ありがとう。
会社に行けていなかったのは、
・仕事に集中できない
・気分が落ち込みがち
・何をするのも億劫
・仕事以外の遊びや飲み会も億劫。彼氏以外と連絡とりたくない。
・やたら胃が調子悪い。むかむか。きりきり。吐き気。特に出勤前。着替えて化粧しても会社行きたくない。
という、登校拒否児のようなお恥ずかしい状況で、行けてなかった。
正直、甘えてるんだとも思う。仕事は超激務なわけではなく、いじわるな人がいるわけでもなく、むしろ、職場環境は良いし優秀でいい人が多い。ただ2年近くやってきた今の仕事内容がどうしても好きになれず、空虚で、意味を見出せない。周りの優秀な人は自分の強みを生かして働いたり、社内での自分の道を見つけたりしているが、自分は特に強みもないため期待(売り上げ数字)に応えるだけのような気がしている。売り上げ目標は達成してるし、その点では期待に応えて問題なくうまくやれている。しかし、自分は、コマだ。虚無感と劣等感にさいなまれている。もちろん、好きになれない仕事ながらに、自分も周囲の役に立つよう、貢献できるよう、努力はしているが、空回り気味というか、、、、自分がやっててうまくいきかけていることを他の人が専任業務としてやるようになり、手放さざるを得なかったりとか。
そんなこんなでどんどん仕事が億劫になり、さらに、働くということと自分を結びつけるのが難しくなった。自分は本当はやればできるはずなのに、なんか弱っちくてそれが嫌だし、自分は何がしたいのか、とか、働くってなんだ、とか、そういう根本的なことばかり考え込むようになった。
頑張れば仕事行けるけど、自分いなくても仕事回るし・・・とか、胃の辺りがすっげー気持ち悪いし・・・とかで、会社休みがちになってしまった。
で、今日(つーか昨日か。月曜)、思い切ってメンタルクリニック行った。(ちょっとした勇気が必要だったが。)
行くと、おじいちゃん先生だった。色々思い悩んでいることが仕事に関することだったから、ちょっと涙ぐみながら、就職からこれまでの話と何が辛いのかをかいつまんで話した。すると、「うーん。どうしたもんかね。うちじゃあね・・・」と、お困りのご様子。確かに、若干の食欲低下があるものの摂食障害なわけでもないし、睡眠障害があるわけでもない。どうやらメンタルクリニックでは門前払い?のようだ。ちょっと、あっけにとられてしまった。正直、カウンセリングに行くべきかメンタルクリニックに行くべきか悩んで、とりあえずカウンセリングは高いからメンタルクリニックに来たのだが、こんなに突き放されるとは思ってなかった。
そこでとりあえず、誘導尋問ぽく、「こちらのようなクリニックとカウンセリングはどう違うのですか」的なことを聞いた。すると、「病院では症状を見ながら薬などを使って目の前のことをとりあえず良くしていく。カウンセリングでは過去からさかのぼって、何故そうなったのかを話す。」と言われた。「では、コーチングは」と聞くと、「あぢゃーー。コーチングってのはねえ・・・・。あなた、トレーニングだよ。こうなるっていう目的があってそれに対して訓練する。ジョブコーチみたいな」という答えが返ってきた。で、アンケート(学歴、経歴だとか親の職業だとか家族構成だとか色々書かされた)を見ながら、「うち(の医院)でもカウンセリングオフィス作ってるから、こっち行って」「あなたの場合は優秀だし洞察力もあるから。カウンセリングは洞察力もあるような人にこそ有効だから」みたいなことを言われた。最後に「ってことでー、薬も出さないよ」と言われたので、「吐き気止め的なものください」と頼んだ。これで終了。
なんか、弱ってるからって、安直にメンタルクリニック行ったのが間違いだったみたい。
カウンセリングってたけーよ。1回1時間1万とかするじゃん。それを定期的に受けなきゃ効果がないわけでしょ。金銭面の負担がでかすぎる。普通に働いてても、かなり厳しいんだから、もしもっと鬱っぽくなって働けなくなってしまったらカウンセリングなんか通えるわけがないじゃないか。
ってことで、結論は、「自力でなんとかしろ」ってことでした。
ひとまず、仕事に立ち向かいつつ、考えを整理せねばならない。でも、仕事辛い・・・。
有給使ってまとまった休暇をとろうかなあ・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20100207000211
これを書いたものです。若干、感情的に書きました。
>そういう企業を下に見てる人はベンチャーしたほうが良いと思います
自分が就活していて感じたのは、企業の方が自分たちを下に見てるんじゃないかと
いくら人事が「僕たちと君たちは対等な立場なんだから」って言っても建前にしか聞こえない。
だって、買い手市場になって去年とは全く違う状況なんだから。
この時点で、雇う側(企業)>雇われる側(学生)と言う構図が出来てる。いつの時代もこの構図はあまり変わらないのでは?
そりゃ、説明会で質問タイムになっても、会場が( ̄- ̄) シーン…ってなるわ。
その状況を見て、「積極性に欠ける」「主体性が無い」とか言われても困ります。
はっきり言って就活はバカらしかった。
大嘘ついて内定ゲットもあったし、正直に熱意を持って本音を言ったらアウトっていうのあったし。
頑張れば頑張るほど報われるっていうのも実感できなかった。
それは、今まで学生生活4年間リア充で努力してきたやつが落ちているの見てても思った。
でも、行きたい企業、したい仕事が出来る企業に段々落ち始めると、希望が絶望ではなくて失望に変わる。最後は絶望ですけど(笑)
そうなったら、企業に求めるものは変わってくるのが本音ではないかと。
そういう面白い子も、本当に何もしてこなかった子も、就職活動で等しくすごく苦労するわけだけれど、
だってリーマンショック(1年半前)から就職は厳しいって言われてたのに
何もしてこなかったんでしょ?
ということ以外の面白い活動に熱を上げてる学生さんだっているよね?
そういう面白い子も、本当に何もしてこなかった子も、就職活動で等しくすごく苦労するわけだけれど、
就職では評価されにくいタイプの努力をしてきた子を否定するようなことは言わないであげてね。
個人的には、就職活動のためにせせこましい小手先の努力をしてきた子なんてつまらないから採りたくないよ。
真面目な子かもしれないけれど、面白いことができる子かどうかはわからないよね。
よくよく考えてみれば、『自分から友達?を誘って遊ぼう』ってことを子供の頃からほとんどしてこなかった。
まったくなかったってわけじゃないけれども記憶にあるのが小学校の時で途切れている。
ほとんどが『誘われて』一緒に行くかっていう状態。
うーん、、、なんでだろうか、、、
自分から誘うという感覚が今でもまったくない。いや、むしろ今は誘いたくても誘えないというのが事実。でも、無理してまで、、、
(そのくせ寂しいのがどうしようもない、、、)
『誘われて』だって『誘われなければ』人と交流することがないってことだし、『誘われて』もいつも躊躇しちゃう。躊躇の連続で誘われなくもなり、、、
仕事は仕事でちゃんとやるけれども(自分ではやっていると思いますが)ことそれ以外の面での人との関係構築?に関しては、まったくといっていいくらい『結ぼう』といいう感覚が自分の中にない。常に接していて常に会話をしていて、、、という人でもどこかに去ってしまうなんてことになったらそこで終了。連絡を取りあおうともしない。連絡が来てもどこかで途切れてそのまま、、、
で、連絡を取ろうかなと思うときもあるが『今更、、、』できまづくてできない(しない)
20年以上もそんなことが続いている。病気なのかと寝つきが悪くなるときがある。(わずかでも眠れているんですがねw)
そんな人間に結婚相手を自分で見つけてきてくれなんて言わないでくれ。無理だ。あきらめてくれよ。
『年齢によるしばり』
なんてあるはずがないって昔は考えていたけれども、何年もできなかったことがそうそうできるようになるものでもないし、できるように努力しようとなるものでもない。
http://anond.hatelabo.jp/20100208193838
そういう努力をした結果、他人が褒めてくれるのなら、元増田の努力を認めているわけで、素直に「ありがとう」って言えばいいんじゃないかなあ。
俺自身、専門学校卒のSEなので、親子そろって受験というもの自体が人生初体験。
パソコンオタクがそのまま仕事になってる人生なので、受験についてのアドバイスはできないし、学歴のメリットも説明できない。
自分は頭はよくないけども「好きな事を仕事にするための努力は惜しむな」って事だけが、唯一教えられる事なので、
子供が「科学者になりたい」という夢を持ったなら、サポートしてやりたいと思ってます。
子供には「低学歴でも楽しく生活できる」という実例と、「やりたい事あるんなら自分の意思で頑張れ」「好きな事で飯食える人生は楽しいよ」って事が伝わればいいかなってスタンスです。
第1章 基本編
1 ラクをして成果を上げるのが基本中の基本
5 「ぜひ続編を」に即対応できるよう、素材は使い切らない
6 外部の人に自分の仕事のおもしろさが伝わらなければ、それはつまらない証拠
7 よくわからなかったら現場に行って考える
8 気になったら、まず買う
9 自分に対する相手の優先順位を上げてもらうことが仕事の基本
10 全体像と個別の処方箋を混同しない
第2章 インプット編
11 「つまらない」と思ったら、できるだけ早く撤退する
12 情報収集にのめりこまない。情報とは「出合う」ものだからである
14 若いうちはテーマなしで一日一冊、四〇代は一日で五冊
15 興味がわいたことは講演やセミナーに出て、全体像と情報源を一気に押さえる
16 書棚一本の本がたまったら、新しい分野を開拓できる
17 ブログを世界中の井戸端会議における、「立ち聞き」として活用する
18 ウソには必ず理由や背景がある。それを探るとインプットが効率的になる
19 発行部数数千部のメルマガや専門誌や白書類にたくさん目を通す
第3章 ネットワーク編
21 いざという集まりには万難を排して参加する
22 アイデアは他人の頭で揉んでもらう
24 会いたい人にはできるだけ向こうから望んで会ってもらうように仕向ける
25 お願いした場合は「いつでも」と言う
26 予測がつかなかったら、親しい友人と賭けをする
27 人から薦められたものは、無理をしてでも即日取り入れる
28 期待値を下げる
29 自分の実力をマッピングしておく。身の丈を知ったうえで見栄を張る
30 先輩の一言アドバイスには、とにかくまず従ってみる
第4章 撃退編
31 締切日に納品しても、返信がないような会社とは仕事をしない
32 依頼には即決で答える
33 愉しめない喧嘩は避ける
34 自爆しない
36 クレームは、成長に不可欠なもの(一割)と、無駄(九割)に分かれる
38 三日かかることは一日でやる
39 「苦手なこと」は人の手を借りて解決する
40 NG上司に煩わされない
第5章 独立編
41 本当に「良いもの」は自分で売ってみる
42 出された問題はすべてその場で解決の方向と、「いつまでに」を明確にする
43 今の仕事を30年後にもやっているかを自問。もしNOなら続かない
44 自分の仕事が黒字になっていなかったら、絶対に会社を辞めない
46 最初から必ず黒字にする
47 「この社と切れたら自分がアウト」という取引先は作らない
48 「やりたいこと」を周囲に話しておく
49 「好き」を安さの言い訳にしない
50 独自の販売回路をもち、その売り上げは五年で二倍が最低ライン 第6章 継続編
51 好きな仕事を増やすために、好きではない仕事を毎年二割ずつ削除する
52 「なるほど」と思ったことは、二四時間以内に「やる」メドをつける
53 過去を振り返らない
54 「何をしないか」を明確にしてゆく
56 一発屋でなく、人気(売り上げ)×継続の面積を広げていく
57 貯金しなくても良いようなキャッシュフローを、常態化する
58 問題を見つけたら、必ず即日解決の糸口を見つけておく
59 継続させる小さな工夫を
60 自由に生きるために健康を維持する
第7章 組織編
60 今いるメンバーを前提にする。「上手くいかない」のを彼らのせいにしない
62 会議や集会は、参加者全員が「待ち遠しい」仕掛けをつくる
63 自分の「忘れグセ」を前提に、「忘れても、できる」仕組みをつくる
65 コーチはするものではなく、優秀なコーチに短期間「つく」のが近道
66 どれくらい時間がかかるかは先に訊く。ギャラも先に決めておく
67 インセンティブを高める工夫だけで、成果が上がる場合は予想外に多い
68 毎日仕事が終わったら、机の上と周辺を完全にリセットする
69 「約束の優先順位」を見直すクセをもつ
70 休暇中も仕事をしたほうが、のんびりできる
第8章 時間編
71 会議は一企画につき二度だけで終える
72 決裁は火曜日の午前一〇時半から、と決めておく
73 探し物は一ヵ月で合計一時間以内に
74 人を待たせない。待たされても怒らない
76 よほどゆとりがない限り、正義に多大なエネルギーを注がない
78 出欠を迷うイベントには行かない
80 もう腕時計をしない
第9章 アウトプット編
81 ノウハウはどんどん公開する
82 「好き」をお金にしてゆく
85 数値目標とその根拠を明白にもつ
87 「新鮮でおもしろいこと」は三〇秒で説明する
88 毎晩アルコールが欠かせない人は伸びない
90 「必要でないこと」は極力やらない
第10章 生活技術編
91 死以外の悲劇は、一〇年後に必ず人生の肥やしになる
92 子どもができたら、「仕事で二〇年後にブレイクする」準備を始める
93 昨日と違う今日、今月と違う来月、来年と違う再来年にする
94 加齢とともに遊び時間を増やしてゆく
95 最悪の事態を想定し、その兆候が出たら動く
96 よほど親しい人以外にはプレゼントをしない
97 ドタキャンは月に一度だけ、と決めておく
100 大切な人は命がけで守る
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51056338.html
気持ち悪いと思われる方も多いだろうから、注意して頂きたい。
元々仲が良かった。姉とだけじゃなく、母と兄を含めた(母子家庭)4人全員が仲が良かった。
抱き合ったりなどのスキンシップは普通の事だし、中学生、高校生になっても家族全員で映画に行ったり、深夜まで語りあったりしていた。
その時点で他から見れば変な家庭なんだろうが、しかし、自分の異常性はそういうレベルの物じゃなかった。
初めて疑問を持ったのは、高校生の時に、姉とセックスする夢を見て夢精した時だった。
何かの間違いだと思った。それまで姉に欲情した事など一切無かったのだから。
あれは姉じゃなかったはずだ、と思い込もうとした。しかし、それから何度も、姉とセックスする夢を見た。
当時、私は誰かと付き合ったりした事が無く、セックスしたいという欲求は平均的な高校生と同様にあったはずなので、その欲求が、引き起こした事に違いないと思う事にした。
誰かを好きになって、付き合って、セックスを経験すればこの夢ともおさらば出来るはずだと思った。
だが、まずにして私には誰かを好きになるという事が出来なかった。学校の人間だけじゃなく、TVに出ている女性芸能人などにも、付き合いたいという欲求を持った事が無かった。(性的欲求を覚える事は多々あったが)
それなら好きじゃなくても、付き合うという事を経験して、セックスさえ出来れば治るかもしれない。
私は、他の3人の家族とは違っていて、優しさと献身に満ち溢れていて、誰からも好かれ、悪であるなら誰とでも戦う、という素晴らしい人間性の真逆だった。そういう自分をひた隠しにして、女性となんとか付き合おうと必死に努力した。
しかしまた夢を見てしまった。それ所か、普段姉と接する時に邪な感情を抱いてしまった事があった。
そして、初めて姉と弟がセックスするエロ漫画でオナニーしてしまった。(今までは絶対しなかった)
私は、寝ている時寝言で大声を出すらしく、それを聞かれるのが怖くなった。
そして、姉の体をジロジロ見たり、姉で妄想したりするようにまでなりたくはなかった。
だからそうなる前に卒業と同時に家を出た。
私は、姉とどうにかなろうとは思ってはいない。
この間、家に帰って姉の車を借りた時だった。一枚のプリクラを発見した。
彼氏とキスしていて、プリクラには2年目の記念と書いてあった。
それを見ても「ああ、そうか」と思っただけで嫉妬心などはなかった。
姉は幸せになるべき女性であり、結婚出来たら良いなと本当に思った。
ただ、私はひたすらに怖い。姉を愛してしまい、未だ姉以外の誰も愛せない自分が。
これから一生姉への思いに囚われて生きていくのかと思うと、怖くて仕方が無い。
twitterで楽しく会話をしてる人たちを見ると羨ましい。
どうやらその人達はtwitterユーザー同士でskypeでなんかやり取りしてるらしく
その感想がTLに流れてた。
結構前からフォローしている人が「会話の内容はこんな感じだったw」とか言って
相関図を出してきたが、知らない人ととか出てきてチョット寂しかった。
たまにその人は「恋人とかいないし・・・、非モテで友達もいないし・・・」とか言ってるけど
俺の知らないところで友達がいっぱいいて楽しそう。
俺はあまり他人と仲良くすることができないし、リアルでもなかなか会話ができず
まぁtwitterに限らずネットで幸せそうな人がいても、それを温かく見守り、その「幸せそうな人」に
なるよう努力すべきだといつも考えてるけど、、、
うん、そのなんかこう('A`)になっちゃう
人と接するのが苦手だし面倒くさいけど他人が気になる、このジレンマは解決できないものかな。
モチベーションを上げる方法なんて、無い。
やる気。
バイタリティ。
似たような単語だけども、要は全部「自力で努力する事が出来るか」ではないでしょうか。
ジョセフ・ジョースターも「ガンバルとか努力するとかって単語が大嫌い」と言うくらいです。
僕だって嫌いです。誰だってそー思う。
好きな事にただ黙々と打ち込んで、勝手に結果がついて来る時ってありますよね。
それは客観的に見れば「すげー努力してる」という様に見られるのですが、本人は至って「努力したとは思って無い」んです。
ただ単に、興味があって楽しかったから、のめり込んでいっただけ。
努力ってのは、直感的に苦手だったりイヤだと感じる事を『我慢して』、無理やりに継続して克服・突破する事ではないのかなあと。
事実、今まで自分が今までの人生において色々と優秀な結果を残して来た過去を振り返っても、
全部が全部「楽しかったからのめり込んで、結果が勝手に付いてきただけ」だったりするんです。
「苦手だったけど我慢して続けた結果成績を収めた」なんてこと、一度も無いです。
好き嫌いで言うところの「美味しいと思えたから嫌いな食べ物では無くなった」みたいなもんです。
嫌いなものを無理やり食べ続けてても、好きに変わるわけないんです。
何かしらの切っ掛けで美味しいと思わない限りは不味いままなんです。興味すら沸かない。
得意な事は自然にできる。
自分では「大したこと無い、私には普通にできる事だ」、と思っていても、
他の人から見たら「私には出来ない凄い事」と言うように認識の違いが結構あったりします。
そこは謙遜する必要も無くて、自分の強みとして認識していれば良いんです。慢心する事無く。変にプライドを膨らませる事無く。
だったら、自分の得意分野で頑張って、知るほどに次々と勝手に湧き出る興味の触手を伸ばしていって、更に自分個人の強みというものを生かせばいいんじゃないだろうかと。
「自分が苦手と思ってる事」は、「それに関しては普通にできる」と認識してる他人様に任せて、いとも簡単にサラっとこなしてもらえれば良いんじゃないでしょうか。これこそ役割分担。
苦手な人が頭を茹らせて苦戦している時間が勿体無いのではないかと。得意な人に任せた方が円滑に進むし、得意分野にて別の仕事に関して最大のパフォーマンスが活かせるのではないかと。
苦手な事を無理やりやらさせられたら、そりゃモチベーションなんて上がるはずも無い。
自然と興味が沸いた事に向かって突き進めば、結果として
(我慢の強制を他人に強いる事が大好きな日本人が大大大好きな言葉である、)
「努力をした」という事になる、のでは無かろうか。
本人は得意分野を夢中でガシガシ掘り進んでるだけで、
苦手な人から見たら本当に苦痛な作業なのに、みたいな。
短所を克服するよりも、長所を伸ばせるだけ伸ばそうってのが俺の持論です。
モチベーションは勝手に沸きあがるものであって、本心では嫌だと思っている事に対してはモチベーションなんて上がるはずが無いんです。どんなに理論的に頑張らなければ行けないという考えを後付けしても、義務や強制になれば逆にモチベーションは下がるのではないでしょうか。
つうわけで、モチベーションを上げる方法なんて、ありません。
好きな事だったら寝食を忘れるほどに好きなだけ打ち込めれる。勝手にモチベーションなんて上がってる。
その自然に沸きあがるモチベーションの個人差こそが、「オンリーワン」なのでは無いでしょうか。
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海外勉強サイトでの英会話を投げ出していた事に気づいてもう一度取り組もうと思ったものの、
目標や原動力など沸きあがるモノが得に無かったので、なんでかなあとボーっと考えてた結果
自分の中から生まれた拙い考えを書き起こしたのが、上記の拙文であります。
お目汚し失礼致しました。
駅の柱にもたれて虚空を睨んでいるおじさんを見ると、その人の心中やこの先のこと、彼の母や父や友人や少年時代を、想像して辛くなる。
寒空の下にかがみ木箱を一つ置き、「くつみがきます」という立て看板を置いて商売をしているおじさんの、下手な字を勉強した時のことや、今の彼の楽しみや、昔の彼の趣味を想像して辛くなる。
立て看板を持って雑誌を売っているおじさんの傍を通り過ぎる時、もし財布の中の小銭を彼に渡したら彼の声を聞いてしまうだろう、声を聞いたらきっとすごく後悔するだろうと想像してそっぽを向く。
この時期は毎日辛い。凍死するホームレスのニュースを聞くと辛い。自己責任論を聞くと辛い。どうしようもないことが辛い。ささやかな幸せという言葉が辛い。不平等が辛い。
できないんじゃなくてしないんだよ、しないからこうなるんだよ、そんな言葉を聞くと辛い。しないことは辛い。努力できない人は辛い。努力しない人は辛い。努力しても報われなかった人は辛い。
生きるって辛い。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。
憐れで仕方がないんです。悲しいんです。けれど私は悲しむ以上のことをしません。正確に言うとできません。人に同情している私が何か慈善活動的なことをしたら、悲しい気持ちが取り返しのつかないレベルの変化を起こしそうでできないです。
具体的にどんな変化なのかというのは分かりませんが、ただ、私はずっと悲しんで、憐れんで、辛いと思っていなければいけない気がするんです。そしていつか世の中のために死んで、初めて、私の色んな償いが済む気がするんです。
前段階である同情などで手を差し伸べたら、人を見たときの心がちぎれるような感覚がなくなってしまいそうで怖いです。
もうずっと悲しい。悲しい。悲しい。