はてなキーワード: 努力とは
――認めよう
俺は非モテだ
だから人生26年目にして結婚の兆しすら見えて来ないのは当然の末路なのかもしれない
しかし、俺は何もしてこなかったわけじゃない
現に、俺は東大を卒業して、偏差値そこそこ高めのメーカーに就職した
というか、俺はまだ何も求めているものが手に入っていない
これを手に入れるために血のにじむような努力もした
少なくとも、もっと何か、別のモノがほしくて俺は頑張っていたはずだ
………………なぜだろう
――考えてみた
でも、答えはすぐ出た
今までの俺の人生を振り返ってみればそんなものは考えるまでもなく結論が見えていた
わざわざ青春の時間を犠牲にしてまで毎日10時間程度の勉強をなぜしたんだ?
俺はなんのために就職したんだ?
わざわざ企業研究までして少しでも年収が高くてワークライフバランスの取れた企業に入ろうとしたんだ?
そんなの決まっている
……俺はバカだ
この歳になるまで気付かなかった
いや、気づいていても自覚してこなかった
――地道に頑張っていればいつか報われると思っていたからだ
しかし、いくら待っても僕の理想のお嫁さんは天から降ってこなかった
――当たり前だ
それこそ今の俺みたいに天から理想の女の子が降ってくることを祈っているはずだ
今の俺がそうだ
叶えるためには動かなければいけない
俺が大学に合格するために勉強したように、大企業に入れるように就活を頑張ったように……
俺が動かなければ始まらないんだ……!
報われたければ動くしかない
――そんなものはない
姫を迎えに行け!
――どうせなら最高のお嫁さんを捕まえてやる!
最高の嫁ってなんだ?
色々定義はあるだろう
ああ、これが成功したとき、俺は本当の意味でこの世に生まれてきた意味を知ることができるだろう
今ようやく俺の本当に欲しいものが見えた
俺はやるぞ、
最高の嫁を捕まえる
待ってろよ、俺の未来のお嫁さん
(読まれそうなら続き書く)
俺は異性愛者だし別に同性婚が許可されようがされまいがどうでもいいんだけどさ
異常なくらい同性婚反対する人が謎だったのよ
そんなら先に俺みたいな独身者とDINKsをぶっ叩けばいいのにって
でもほんと意味不明なくらい狂ったように反対してる人たまにいるじゃん
あれ謎だったしなんか既視感あったのよ
で、今日気づいた
自分になんの取り柄もないゴミだから「日本を愛している!日本人であることを誇りに思う!チョン死ね!」って言ってるやつ
あれってさ、努力して得られるアイデンティティが何一つないから生まれつきのアイデンティティに優位性を持たせたいだけだよね
過激な同性婚反対者も同じだよね 自分がろくな存在じゃないから異性愛者という何の価値もないアイデンティティに優位性を持たせようと頑張ってんだよね
すごいスッキリしたわ
鳥山明特にドラゴンボールって別に作品自体は嫌いじゃないんだけど、
「恋愛なんて低俗なものは少年漫画には不要!恋愛ものが見たければ少女漫画だけ読んでろ!
恋愛成就の努力なんてしなくても、強くなれば女が勝手に寄ってきて結婚できるのが正しいんだよ!」
という信者が大量に沸いたのは負の影響だなーと思う
これって、努力して良い大学に入ったのに女が寄って来ないと喚いている自称弱者男性そのもので、多分彼等の思考にドラゴンボールが与えた影響は大きいと思う。
鳥山明自身は恋愛を描かないのは単に恥ずかしいからだと言っていたし、
ラブコメで人気の桂正和と親しかった事からも、別に恋愛ものを見下してはいなかったと思うけれど。
女性が男性の振る舞いに対してアレルギー反応のようなものを見せるとき、そこには自閉傾向のサインが隠れていることが多い。
たとえば食券式飲食店以外に入店できないとか(事前にシステムが分からず、臨機応変な対応ができず、店でパニックを起こすので)。
たとえばポケモンカードやゲームの高額課金は否定しないのに、衣類・食品・住居に対する日常支出についてはかなりケチで、常識的な金額の消費であっても「節約を怠っている愚かな浪費」とみなして全否定するとか。
自閉があると生活の傾向としてあらわれる特徴があって、それを察知すると女性は激烈に拒絶したりする。
自閉は遺伝しやすいし、他者を手酷く否定してしまうことが多いという加害性を伴う障害なので社会適応がかなり難しくて、
IQが高く偶然フィットする職業(研究職や芸術など)が見つからない限り、不幸な人生になる確率がものすごく高い「個性」。
アメリカでは自閉だと職が得られないことが多い、自殺率が何倍も高いなど、まったく希望がない統計データが出てる。
どういう振る舞いをしようがモテる生まれつきの上位15%の美形でも、何をやっても無駄な下位15%の不細工でもない、
真ん中70%のゾーンの容姿の人がやっている「モテテク」みたいなものって、ほとんどは「自分は自閉じゃないです」っていうシグナリングみたいなものなんだよね。
忍耐力・自己抑制・社交性・精神安定のポイントが高いです、自閉傾向ないです、人に興味あるし、パニック起こさないです、みたいなサインを出してる。
婚活エージェントみたいな人のアドバイスも、自閉っぽく見えないようなふるまいを会員にさせようとしている。
でもまあ、偽装なんだよね。
軽度の人については「モテテク」や婚活エージェントのアドバイスに従ってみたり、従っているうちに自然と発達したりして(そういうことも軽度なら結構ある)、
偽装がきっかけになった発達で、徐々に定型寄りになっていくかもしれない。そうなったら幸せな結婚生活なども可能かも。軽度の当事者からのこういう報告は存在する。
こういう人が努力厨みたいになるケースもあるけど、スタート地点が軽度だっただけだよ。生まれつき定型の人と比べたら努力が必要だったかもしれないけど、
軽度だから努力でなんとかなったっていう生存者バイアスみたいなもんだから。
重度だったらアドバイスに意味なんかまったくない。努力も無駄。療育と努力でなんとかなった軽度が、重度にマウントとるのはやめようね。
そもそも結婚の手前、人としてただ生活していくところで躓くのが重度の自閉というものだし。そして治療の方法は無いわけだし。
強度行動障害の患者の動画とか見てください。ドキュメンタリーあるので。あれ打つ手ないです。
「初心者向け婚活アドバイス」みたいなものに対して初手で怒りの気持ちがわく人は、傾向として自閉だと思う。これは女性向けアドバイスに怒る女性であってもそう。
怒る反応って正常じゃない。男性でも女性でも。ツイフェミもアンチフェミも四六時中正義の議論をしすぎで、被害者意識も強すぎるので、自閉の特性がありそうなのを感じる。
重度の自閉の人はそのまま「結婚」そのものを否定していてほしい。「定型発達者のほうが間違っている」という認識のままでいい。
「すっぱいぶどう」みたいな揶揄は無視していい。異性ヘイターのまま生きてもらって結構。
実際、「結婚は正しい」というのもおかしい考え方だと思うし。向いている人だけがすればいいんだよ元々。
重度の人は結婚しても不幸だし、相手も不幸にするし、何より子供ができてしまうと子供が一番苦しむことになる。
親ガチャに失敗した、親から虐待を受けた、モラハラを受けた、こういう投稿を見ていると自閉親と自閉子がどっちも折れることができずパニックを起こしあって憎悪しあってることが多い。
そういう人が、「結婚には価値がない、異性に搾取されるだけ、馬鹿がする行為」って考えていたほうが、社会・個人双方のメリットになる。
男女平等が進んで世の中の様々なことが可視化され、専業主婦に1000万の価値なんて全く無いことが証明された昨今、出産と改姓が女性のほうが明確に負担が大きい(だから男は一生女をケアして支えろ←ここ重要)と主張するための最後の砦になっている。
出産は男から見ても大変だし言いたいこともわからんでもないが、最近の改姓に対する被害者面っぷりは正直オーバーリアクション過ぎて笑ってしまう。
最初は手続きが面倒とか職場で困るとか妥当なことを言っていたのが、今は改姓によって今まで生きてきた自分という存在を否定された(泣)、必死に努力して生き続けた自分の人生を丸ごと奪われ、他人の名字になり誰かの所有物になってしまった。私のこれからの人生は誰かの所有物なんだ(泣)みたいなそりゃ流石にオーバーすぎるやろって意見がワラワラと出てくるようになった。
思うに、これは前述の通り男女平等が進んだ結果、女性が被害者面できる慣習が少なくなり結果できるだけ深刻に被害者アピールをするためにどんどん表現がオーバーになっていったのだと思う。そのうち女性に改姓を迫るのは人権侵害とか言われそう。
でも選択的夫婦別姓が導入されるとただでさえ少なくなった被害者面ポイントがさらに少なくなるからそれには反対するんだろうなー。
同じく計測器と、鏡を首にかけた人と、模範的な声量でしゃべる人としばらくの間一緒にいてください(鏡で自分の計測器の値もチェックして、相手の計測器の値と近くなるように努力しろ)。
???「現在天下は治まり、正道は栄え、善人多く悪人少し。無視と沈黙で虚栄心を抑えてやらねば、悪事は減らないだろう。嘘松を萎えさせ、無駄な努力をさせないのだから、これもいいではないか」
私の故郷は、海抜六〇〇メートルの丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。
竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。
腹が立つのはフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれにフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。
私は五人兄弟の次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。
その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場を経営し、腕輪やクシを作っていました。
その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区の夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。
工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。
そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。
その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。
戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。
ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。
星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。
こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。
終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシンの注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。
これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。
ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州の炭坑で二ヶ月ほど働かされました。
石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。
そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。
日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死の覚悟で日本へ戻ってきました。
一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社を設立し、自転車のハンドルグリップをセルロイドで製造し、販売しました。
以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。
その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会からの資金融資は韓国人業者としては第一号だと思います。
一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています。
私は、金属、木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品は世界のブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています。
一九六〇年頃、日本と韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関の祖国産業視察団の一員として、初めて祖国を訪問しました。
懐かしい山河の景色、幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。
その感激もさめやらぬ時、町から一キロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気も水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。
《故郷のために何かしてやりたい》という衝動にかられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして
事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木やスピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。
人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れず世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています。
これまで、通産大臣や府知事、税務署長などの表彰を受け、韓国政府からも国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます。
現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売と韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています。
◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイ・スポーツ用品を製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー・水泳用品を主力としたスポーツ製品を製造・販売し、輸出による外貨を稼いで祖国の経済発展に寄与しています。最近は中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています。
兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。
私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金を支給しています。
その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています。
いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。
振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子供夫婦、韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。
三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。
外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。
私たち韓国人は、税金も人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というものは生存競争のなかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。
私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。
何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。
はやく地上に上がってこいってさんざん言ってるのに
「地上に上がってこないことを祈ってるんだな」
っていってるのがもう何もわかって無くて
苦笑しかできない
「トラウマさえ克服できればお前らなんか」
このように「トラウマのお陰でプライドが維持できてる状態」というのは極めて不健全すぎるから
せめてそこは切り離したほうがいい。
己のプライドは相手に関わらず保てるようにしておいたほうがいいと思う。
そうしないと「なかなか思い通りにいかなくてプライドが傷つきそうになったとき」「プライドを守るためにトラウマや、トラウマを与えた存在にすがりつく」
願望をずっと口にしたり
なので、
私にバカにされるのが悔しいとか
いい加減アレの人への嫌がらせみたいな
しょうもないことをやめて
昨日はフェミちゃんからの予期せぬ優しさに触れて、ちょっとだけ世界の見え方が変わった気がしてた。でも、今日になってみれば、またすぐに現実に引き戻されたわ。
朝から世間の冷たさを感じる出来事があったんや。電車でのこと。ワイが座ってたら、隣に座ったサラリーマンがワイを一瞥して、すぐに席を移ったんや。その目つきや、態度に、ワイへの軽蔑が満ち溢れてた。まるで、ワイが何か悪いものを持ってるかのようにな。
こんなことはしょっちゅうやけど、今日は特に堪えた。昨日感じたほんの少しの温かさが、一気に吹き飛んだ感じや。ワイがどれだけ努力しても、この社会の目は変わらん。低学歴で定収入のワイを、世間はいつも冷たい目で見る。
それで思ったんや。この社会、この世の中の全てを憎む気持ちは、やっぱり簡単には消えへん。人間の持つ偏見や差別、それによって人が傷つけられるこの現実がある限り、ワイの憎悪も消えることはないんやろう。
昨日のフェミちゃんとの出来事は、確かに心に残ってる。けど、それが社会全体の冷たさや、無情さを変えるわけじゃない。ワイ一人の感情が、この広い世界に何かを変えられるわけがない。
だから今日も、ワイは社会を憎む。この社会が、もっと公平で、誰もが平等に扱われるような場所になることを願いながら。でも、その願いが叶うことは、この先もなさそうや。
どうせワイはこの社会の一部として、ただ生きていくだけ。でも、せめてこの日記に、ワイの本音を残しておくことくらいはできる。誰かがいつか読んで、少しでもこの世の中に対する思いを理解してくれることを願うやで。
先日、
オッペンハイマーという話題の映画が日本に帰る機内の新作映画にラインナップされていたので早速みてみた。
日本で賛否両論が起こりうるということで、昨年、日本での公開が見送られていた映画だ。
もっとも来週あたりようやく公開されるようだけど。
当初、配給会社が忖度して日本人向けには見せてくれなかった、となると、一体どんだけ鬼畜な内容なのか?などと、
妄想が先行していた分だけ、みた印象としては、拍子抜けとなった。
オッペンハイマー個人のパーソナリティを軸に、冷戦など彼をとりまく社会が興味深く描かれていた。
政府や社会が科学者一個人を利用し、偶像化してゆく構造的な背景をのぞかせるような映画だった。
ネタばれになるので、詳しくは書かないけど、水爆開発の反対と公職追放、このあたりの描写が映画としてはクライマックスだ。
ステレオタイプにオッペンハイマーをみれば、彼の道義心と公職追放がセットになって語られがちであるが、実際にはいろいろな経緯が絡まり合っていた。
原爆投下という途方もない人道的な問題に対して、誰かに代表させてそれらしい答えを出させようとする世間(みている観客も含めて)の空気が鏡のように反射してみえる映画だった。
この映画では終始、オッペンハイマーのパーソナリティを軸に展開していたので、その摩擦が却って浮彫にされた形だ。
そもそも歴史上の人物は、未来のことなどわかるはずないのだから、後世の人権感覚など何も知らないで生きている。
しかし、後世の進歩的な歴史観は、歴史上の人物の善意悪意をそれぞれ振り分けてして断罪・総括してしまう。ヒットラーを絶対悪にするみたいにね。
しかし、特定の個人の悪人面しかみたがらないような歴史観では、非人道的な行為の実像はみえるはずもない。
その点、本映画では、本人をよそに、後世の歴史観にとって都合の良いレッテルやらロールモデルが押し付けられてゆく、
という構造が見え隠れするという意味ではよい出来映えだったと思う。
しかし、結局のところ、一体何が日本で賛否両論を巻き起こしそうな映画なのか、分からなかった。
プロットが複雑なこともあって、一度見て全部を理解できるような映画でもない。
ただ、映画を見終わったあと、そういえばトルーマンがそれほど登場しなかったな、と自分の不満ともいえる感情がくすぶり、ふと、
でもそれって、ヒール役の邪悪なトルーマンをみてカタルシスを得たいだけだよな、と我にかえって気が付いた。
日本で賛否両論を巻き起こしそうだという忖度って、まさにこういうことだろうと思った。
忖度そのものが、原爆投下が非人道的でありその野蛮さが強調されるべきだとする歴史観に知らず知らずのうちに飲み込まれていることが想像できた。
原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーが主人公の映画なら、ぜひ彼に原爆開発を後悔させたい、苦悩させたい、とする心情、そういう懺悔がなければカタルシスが得られないとする心情ー
そういう道徳的な片鱗を少しでも見出したいとするのは、結局のところ未来がどこに向かっているか知る由もない歴史上の人物の顔を無理やり後世の人が考える正しい方向へ振り向かせようとする努力のようなものだ。映画のなかで彼に反省させてステレオタイプなオッペンハイマー像に満足したい、というのが日本で起こりうる「賛否両論」の実像だとすれば、それこそ、オッペンハイマーに何かの役割を担わせようとする自分を反省する意味でもこの映画をみるべきだ。
映画に描かれなかった広島や長崎を強調させたいとする空気があるとすれば、皮肉にも、それこそが本映画で見てとれる構図、
歴史上の人物を自分の持っている史観に都合のいいようにヒール役にしてみたり、ヒーローにしてみたりする空気の元凶だということを再認識した。
アカデミー賞で白人俳優がアジア人俳優に失礼な態度とった話題あるやん
あーそうなんやーとか、
そんな感想で閉じたんだけどさ
「ああいう見えないみたいな扱いよくある!」
「私もされた!」
「これは大問題!」
みたいに
なんか話の結びとして変なこと言いだしてる奴が多いのよな
みたいな
いやそれはちげーんじゃねーの?っていうね
そもそも俺らは在外日本人アカウントがうっすら嫌いなんだよな基本的に
アイデンティティや国籍を移民先の国に移したのにそっちの言葉を頑張らず
その後何年たっても日本語メインで発信してる奴はその時点でろくでもねーわけだが、
そういうのの中でも目立つ奴等がだいたい日本や日本人への態度悪いじゃん
「しつけーしうるせーよ」とか
「日本を見限ったようなこと言いつつ何故延々日本語書いとんねん」とか
なのにこんなときだけ
「この国で私達は差別されているの!」「日本からも声を上げて!」
って、お前どういうつもりなの?っていう
お前は困った時に助けてもらえるほど誰かに好かれてるつもりだったの?みたいな
「いや日本より遥かに進んだハッピーな国におすまいの筈でしょ?」
くらいのことしか思えないよね
それは嫌な国ですねえってだけの話だからいちいち心配はしないやん(日本に来て日本人差別してたら殺すけどさ)
もしくは移住した日本人たちの努力不足闘争不足ってことでしょ?
なんでそんな話までイシューとして日本に投げて寄越されなきゃあかんの?
それぐらいどう考えてもお前等の問題、お前等が頑張ってねで終わりっしょ
お前がアメリカ人(orアメリカ居住者)としてアメリカを良く(貢献)するんだよ!
って話じゃん
「私の住んでる国と比べて日本は差別的だ後進だ」ってマウントされて、
「私の住んでる国でアジア人差別があるぞ日本は身の程を知れジャップ努力が足りない」ってマウントされて、
要するに在外日本人アカウントの話って全部が不快だし全部がてめえ勝手だから
もうおめーらの話なんか聞きたくねーよって感じなんだよな
こういうことがあった時だけ「いじめられたの!これは私たちみんなの問題だよね!?」って泣きついてくるのなんなん?
おめーらはおめーらの選んだ国でおめーらの人生頑張れよっていう
おめーらの選んだ国に問題あるなら改善するのがおめーらのその国への貢献だよっていう
そういう素朴な感想を抑えがたいんだよね
その国の良いとこは我がことみたいに使って日本にマウント掛けてくるくせに
その国の悪いとこは自分で改善の労を取らずに日本に助け求めるってなに?
「佐賀がバカにされてるよ!これはみんなの問題!」って地元に泣きつく感じ
その東京もんは佐賀もバカにしてるかもしれないが、まず舐められてるのはおめーだろ
てめーで戦えよっつーか
見下しながら甘えんなっつーか
上司がリモートワークでは成果をまともに確認できないのをいいことに、
マクロで適当にマウス動かしておいて、自PCでエロ画像生成ガチャしながら増田をしてたら二時…。
大きい会社じゃないので全社員がこんなことしてたら潰れると思うんだけど、
コロナ禍を生き抜いてしまったので、みんなは影で頑張ってるのかも知れない。
みんなすまぬ。
みんなの努力、ワイが食いつぶしてる…。
これって両面あってさ
「お前が頑張ったのはお前が恵まれてたからで、その環境にいれば誰だって努力はするんだから、お前の努力そのものは無意味だ」って
そしたら当然、似た恵まれた環境でも頑張らないやつは腐るほどいるわけだから、「いやいや頑張ったからに決まってんじゃん、環境に言い訳せんとって」ってなるわけ
反対に頑張れなかった側は、頑張らなかったことを個人攻撃されているように感じている
「なんで頑張らないの?怠けてるんじゃないの?」って
そしたらもちろん「日々の暮らしでお金のことで精一杯だったり、親に殴られないようにすることで精一杯だったり、落ち着いてもの考える時間も場所もないのに、何をどうしろっていうんだよ」って思うよね
その両方の言動があふれかえっているところに、ご新規が入ってくると当然どっちの立場だとしても自分が否定されているように感じてしまう、というだけ
どっちが先に、とかじゃもはやないよ
BtBなら大丈夫だよ!←コレって、運がいいだけの人の話みたいですね
取引先の担当者がクソ野郎に変わってから毎日胃がムカムカしている。
なんでも親会社から出向(つまりは左遷)されてきた人間らしい。
とにかくヤバイ。
自分のやってる仕事を理解する気が全くなく、先を見通す能力も全くない。
いつも不機嫌そうにしているし、言うことがコロコロと変わる。
BtBはムカつく取引先を切れるからストレスがないよ!←コレって、経営者感覚って奴を身に着けたつもりになってるだけの口先野郎の妄想らしいです
仕事をする相手を選ぶのは大事だが、選ぶ権利が自分にはない場合もある。
会社としては切れない取引先であればあるほど、向こうもそれを分かって舐めた担当者を配置しがちなのでこっちはどんどん疲弊していく。
使い捨てにしてくる会社なんてこっちから辞めればいいよ!←コレ、派遣社員でジョブホッパーしてる人が落ちる所まで落ちていくまでの流れらしいです
本当、仕事ってのは疲れる。
覚えている範囲だと、中学生くらいから褒められることがとにかく嫌いだ。
そして本日、久しぶりに人に褒められてとても不快な気持ちになったため、いっそのこと深掘りしてみようと思った次第である。
相手が悪いのか、言葉が悪いのか、シチュエーションが悪いのか。
原因をみつけて今後の人生で避けていこう。
・どう考えても煽りの"褒め"などはみんな苦手だと思うので今回の話からは省く。
どんなシチュエーションでも言われたくない褒め
1.頭いいよね、物知りだよね
2.要領いいよね
3.育ちいいよね
想像してみてほしい。
3については1.2とはちがい、めちゃくちゃ育ちが悪いのを自覚して、努力で最低限のマナー等身につけたのに、親(育手)の功績にされていることに腹が立つのだ。
元はクチャラーだし鉛筆の持ち方も箸の持ち方もめちゃくちゃで、障害者をみたらモノマネするような育てられ方をしてるのを知らずに、親を上げるな!と腹が立つ。
ちなみに「育ち良さそう」であれば嬉しい。
4.行動力あるね
5.すごい(単体)
4.5の2つについては、基本的に不快だが、友人や自分をよく知っている関係性の人から言われる分には嬉しい場合もある。
そしてこのふたつについては、なぜ不快になるかよくわかってない。誰か考察があれば教えてほしい。
唯一誰に言われても嬉しいのは、
これは人一倍要領が悪い分、努力してきた自負もあることや、数字は客観的にみて事実であるため嬉しい。
家族、友人、尊敬している上司から褒められる分には1.2以外のことで褒められる分には素直に喜べる。
逆にそれ以外の人からだと、持ち物以外褒めないでほしいと思っていることを自覚した。
褒めることでコミュニケーションが円滑になる場面ならわかる。社会人だしね。
しかしそうだと感じない部分の褒めは意図がわからないため不快だ。
こうして文章に起こすと、数字に出ない能力に関する部分を褒められるのが嫌なのか?
しかし自分も「〇〇さん飲み込み早いですね」などと感想半分褒め半分で後輩に言ってしまったことがある。
そのとき後輩は喜んでいるように見えたけど、実は不快だったのかなと反省。
ただ、結果だけ褒めるのは良くないという論調もあるし難しい。
結局自分の考えすぎなのもわかるけど…と、
最終的になにがいいたいかというと、
褒められるの嫌いな人いる?
いたら何をor誰に言われたら嫌か教えてほしい。