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2017-01-18

おだわらしのあれ

市の予算なんだから職員があれこれ考えること自体異質だな

公共工事なんて予算めいっぱい使い切ってるのに

公共事業より大切な人の生活に目くじら立てるなら公務員辞めなよ

不正だったら粛々と調べて警察被害届だせよ

おまえら役人風情の正義云々で市民を苦しめるなんて片腹痛い

小田原市は遊びで生活保護攻撃



小田原市は遊びで生活保護攻撃小田原市職員生活保護不正受給者への「カス」「なめんなよ」とアルファベット英語表記されたジャンパーを着用していた問題事実上生活保護受給者への恫喝ではないのか。これでは生活に困ってる人は相談しにくい。遊びで恫喝してるとしか思えない。遊びでやってるのかという指摘があったというが、それは正しい。

小田原市は遊びで生活保護攻撃

小田原市は遊びで生活保護攻撃小田原市職員生活保護不正受給者への「カス」「なめんなよ」と英語表記されたジャンパーを着用していた問題事実上生活保護受給者への恫喝ではないのか。これでは生活に困ってる人は相談しにくい。遊びで恫喝してるとしか思えない。遊びでやってるのかという指摘があったというが、それは正しい。

夫がデレた

結婚から自分一人っ子から1人の時間が無いとダメだ、ほうっておいてくれ、なんて言ってたもの日常の中でそんな時間がたまにあればいいんだな、ということで結婚した。

結婚後、夫はいきなり冷たくなりソファーで彼の隣に座るのさえ嫌がるようになった。ちょっと甘えてみようと手を彼の腕に添えようものなら、すぐさま手で払われた。

もちろん、性生活は一切無くなった。

すごく悲しかった。

初めて大好きになれた人だったのにこの結末か、そのうち離婚なのかなぁと考えていた。

結婚前は優しくて頭の良い大好きな彼だったのに、その時は近くに座るにもビクつくようになってしまった。


はい暴力に至る雰囲気は無かったので、私も勇気を出して何度も話し合いを持つようにした。理系な彼に伝わりやすいように淡々と現状とその先にある未来、お互いの気持ち、歩み寄る方法を整理していった。そのうちに少しずつ改善されていった。

彼も初めての「誰かとの暮らし」に戸惑っていたそうだ。


そして今、夫は完全にデレている。

勉強とかで別の部屋にいると飲み物を口実に会いに来てしばらく横で本読んでる。

おはようおやすみハグを求めてくる。

外では絶対出せないようなデレっぷりで、かわいくてかわいくて仕方がない。ガッキーも言ってたけどかわいいは最強。

仕事をしてるときぴしっとしてるのになぁ~

体は大きいのになぁ~

かわいいかわいいかわいい大好き。

リーガーだった。(自己保存用)

リーガーだった。

つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約サッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。

山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま選抜に選ばれて、地元広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。

田舎中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブ練習をしていた。中学校卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。

サッカー部部員100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部寮生活上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除雑用もこなした。なぜか女子マネ雑用ほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。

3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後全国高校サッカー選手権スタンド応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。

大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグクラブアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグ活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカー真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活顧問コネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず邪魔から帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約オファーが届いた。

C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学女の子から告白されたりした。

ガラガラ会議室入団会見をして、住み慣れない土地寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約オファーはなかった。そしてサッカー選手引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。

プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号ユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号ユニフォーム応援イベントに来てくれた。

引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブから斡旋で、某民間企業インターンシップ半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。

年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報高校時代のチームの結果が載った新聞記事サッカー部員として大学パンフレットに載った時の写真入団が決まった時の記事Web配信されたニュース記事印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。

偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052

キャッシュttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)

魚拓 archive.is/3Xff2

2017-01-17

妻が家事をしない

 私の妻は専業主婦だ。

 社内恋愛の末結婚し、妻が仕事を辞めて家事に専念したいというのでそうしてもらった。

 会社に残って働いてもらって全然構わなかったし、せめてパートに出るだけでも……とは思ったが、

 私の収入で十分生活はできるし、妻がそうしたいなら、と思ったのでむやみに反対しなかった。


 そうして妻は会社を辞め専業主婦となった。


 最初のうちは良かった。毎日手作り弁当を作ってくれる。帰ってきたら出迎えてくれたし、テレビBGMにご飯を食べながら今日の出来事を話した。私は間違いなく幸せであったし、妻もそうであったと思う。


 二年目。

 弁当冷凍食品が増えた。たまにしか出迎えをしてくれなくなった。妻は先に夕飯を食べていた。少し不満だった。けれども、別に玄関まで出迎えに来い、飯は先に食うななどと言ったわけではないし、妻はこうあるべきなどと強制するつもりもなかった。

 だからそれは「カップル気分」が抜けて気安く接する本当の「家族」になれた証だと、そう自分の中に落とし込んだ。



 やがて妻は家事サボるようになった。私に少しは家事を手伝ってほしいと言ってくるのだ。

 専業主婦家事をするのが仕事だ。「専業」なのだから。それなのに手伝ってほしいとはどういうことか。


 子供はいない。子供がいるならば話はまるっきり変わってくるけれども、そうでない今二人分の家事など大した労働ではないだろう。掃除洗濯も、買い物だって車がある上近所にスーパーがあるんだから全部ひっくるめたって5時間もかかるまい。

 妻が日中どういう生活をしているのかは知らないが、少なくとも会社仕事をしていたときより遥かに気楽な生活をしているのは間違いない。


 家事を手伝うのは良いがその分パートに出てくれというと、怒って拗ねる。モラハラだという。パートしなくてもやっていけるなどという。だが夫婦は対等であるべきだ。古き悪しき時代のように妻が夫に尽くす必要はないし、その逆もまた然りだ。夫婦とは二人で協力して人生を歩んでいくものだろう。


 最初に書いたが、専業主婦になりたいと言ったのは妻の選択であるし、別に共働きになることに抵抗があるわけではない。共働きであるならば、長く一人暮らしをしてきたから、率先して家事をするだろうし、それが支え合う理想夫婦の姿だと思う。

 だのに働くつもりはないが家事は手伝って欲しい、というのは単なるワガママではないのか。夫婦形態が「夫は務め妻は専業主婦をする」ものならば、その分担は、夫が「仕事」妻が「家事」を、となるべきなのに、何故夫が「仕事家事一部」まで担わなければいけないのか。



 口論をして妻への愛はかなり冷めてしまった。今まで口論は当然何度かあったが、今回は到底許し合えるようなものではないと思った。私はともに支え合える伴侶として妻を選び、妻も私を選んでくれた。

 なのに妻は私に寄生して、家事すらしない「主婦」に、ニートになろうとしている。一方的に支えるだけの夫婦生活なんてごめんだ。


 もとから妻は私をATMしか見ていなかったんじゃないか、あるいは他に男がいるんじゃないかとも思った。新婚の時のあの幸せまでも否定するようで陰鬱気持ちになった。



 3月末が結婚記念日だ。3年目になる。

 これからどうすれば良いのかとてもとても悩んでいる。

修論を終えた感想

 無事に修士論文を提出し、諮問の日程も決まった。


 大学によると思うが、ウチの場合修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。


 よくある適当私大阿呆学部卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズ学部時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学卒業してから放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。


 文系修士博士無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的無意味無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味人間には、意味のあるものだ。


 幼少期から思春期青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係軋轢となる。


 もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。


 4月から博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。

 もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。

 21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。


 修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界他者自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。


 修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。

性別女性に変更して10年ほどが経った

いろんな方々のおかげで今の生活がある。



公的書類から性別欄がどんどんなくなり、本来受けるはずだった苦しみはどれだけ軽減されたのだろうか。

医療機関など理解のある一部のところでは、戸籍とは異なる性別記載してくれるところもあった。

性同一性障害に悩む人たちのグループを紹介してもらい、そこでは傷のなめあいなどもあった。

(言い方は悪いけど、年齢・元の容姿の面で多くの人よりわたしはまだ希望があると少し気持ちが楽になったりもした)

性同一性障害の診断をもらえたのも、国内での手術ができる今も、性別変更の手続きができるようになったのも、そういった活動をしてくれたいろんな方がいたおかげだと思う。



今、同じように性の問題で苦しんでいる人たちにも、早く、少しでも心が穏やかな生活を送れるように祈っている。



今もどんどんジェンダーフリーが進んでいる。

今後は同性間での結婚も認められたりするのかな。

同性、なんていう言い方すらなくなるかもしれない。



でも内心は、もうやめてくれと思っている。

矛盾しているし、自分勝手なのはわかっている。



だけどわたしははじめから「男女2つの性で分けられた世界女性として暮らしたかった」のだ。



昔あれほど憎かった「男は男らしくを求められる世界」と同じ「女は女らしくを求められる世界」に今は幸せを感じるのだ。



性はグラデーションじゃなくてよい。

看護学生

看護学生してて思ったこと。

もちろんプライバシー保護は大切なので、掘りいったことは書きません。

ひとつの例として受け取ってもらえればと思います


わたし

看護大学4年、もうすぐ国家試験

教員陣は怖い人が多い

・なんとかなるから大丈夫と思ってる

ヘタレ

・きらいなことは行動計画発表


まず、大学でのこと。

1年の頃からフルコマでびっしり勉強が始まり医療ことなんてちんぷんかんぷんながらも頑張って覚えた解剖生理学

途中に挟まれ技術演習。血圧測定のテストではダブルステートで教員と聴いた。よくできていた人にも粗探しをされ、文句しか言えないのかと思った。

2年くらいになると文系大学で現れる〝全休〟。そんなものはなかった。「起きたら2限始まってたあ〜」なんて有り得ない。1限すら落とせない。絶対に、這ってでも1限に行く。単位を落とすことさえ許されない。実習が始まるから授業どころではなくなってしまう。わたし大学ナース服を着る時は黒髪でなければいけなかったので、大学生活はほぼ黒髪夏休み染められるのが嬉しかった〜。


3年から始まる領域別実習。(2年生からのところもある?)

教員が鬼に見えた。

病棟へ行き、行動計画指導者に見せる前にまず教員チェックが入る。

「なんで?」

「は?」

あなたは昨日の夜何をしてきたの?」

教員言葉が痛かった。わたしを見る視線も痛かった。逃げ出せるもんなら逃げ出したかった。

毎日2時間くらいしか睡眠時間が取れないくらい、必死に受け持ちさんの疾患と症状を見比べて立てていた行動計画。こんなに必死にやっても褒められることはなかった。

それがやっと終わっても次にやってくるのは指導者への行動計画発表。指導者2人+教員2人VSわたし、なんてこともあった。実習の中でいちばん嫌いな時間だった。グループメンバーがズタボロに言われてるのを見て、ああ……わたしもこうなるんだ……と毎日思ってた。

アセスメント看護計画教員からコメントが心に刺さるものが多くて毎日泣いていた。甘えかもしれないけど、もっと言葉の棘をなくしてほしいと思った。


唯一実習で癒されるのは患者さんとの時間。本当にありがとうと言いたい。ベッドサイドが病棟いちばん落ち着く場所かもしれない。まあそれでバッ!とカーテンが開いて教員が現れた時はもう\(^o^)/こんな感じだけど。

そんな患者さんだけど、アセスメントして計画を立てるためにこんなこと聞くの?みたいなことまで聞かなければいけない。根掘り葉掘り聞かれて患者さんは嫌じゃないかな?とか、わたしだったら聞かれたら嫌かもしれないな、、なんて考えながらお話をしていた。聞いてきたことをアセスメントに加えても、不足があって指摘される。ここ聞かなきゃ!って思うけど、どうやって聞けばいいんだろう…とかなり悩んだ。病態よりもコミュニケーションに悩むことが多かったかもしれない。御家族から聞けることは御家族が面会に来られた時しかチャンスがないからもう必死(笑)きっと変な言葉になってただろうな〜。


指導者への報告の仕方とか、ケアの手順とか、調べてきてもやっぱり実際の病棟とは違う。仕方ないけど悔しかった。


あとは、ナースステーションの居心地の悪さ。記録部屋を用意してくれる病院ならまだいいけど、それがないところはナースステーションにいるしかいから頑張って看護師さんたちの邪魔にならない場所(隅の方)を探して居るけど、邪魔じゃないかな?ここ使うかな?といつもら気にかけていてナースステーションは好きな場所ではなかった。実習に来てごめんなさいといつも思ってた。


あと、やることがなくなる、もしくは何をやればいいかも分からなくなると始まる病棟散歩(笑)教員指導者に見つからないように病棟をうろうろした。だって何したらいいかわかんないんだもの。聞くにも「なぜ私に聞くの?」って言われるから1度聞いたらもう聞けない。うろうろするしかない。


領域別実習が終わって卒業研究。いわゆる卒論のようなもの。3年生の2月とかから始めて、国試勉強とか就活しつつ10月に完成させる。文系大学と比べるのもおかしいけど、わたしは同時進行でやることが多いから、卒論くらいでなんであんなに文系大学は騒いでるんだろうって思った。

最後に。

鬼の教員だらけで大変だったけど実習は休まず行ったし、単位ひとつも落とさなかった。普通のことだけど。なんとかなるもんだと思った。寝れなくても、病棟で泣いても、怒られても、なんとかなる。大学生だけどあまり大学生らしい生活はできないからそこだけ覚悟必要かな。


で、今は国試直前。

こんな時間に起きてることも、こんなの書いてることもあまりよろしくないです。でもなんとかなることを信じて頑張ります


追記です。

なぜ度々患者さんへ許可をとるのかについて。

インフォームド・コンセント(事前に説明許可を得ること)ぜったい!と教えられているので、何をするにもまずは「次にこれしたいのですが、いいですか?(簡単に言うと)」と聞かねばなりません。

それもきっと患者さんからしたら、いちいちうるさいなあってなりますよね。でもそれをしないと、教員指導者(学生指導看護師)から「え?許可とってないの?ならできないよ」と言われてしまます。なかなか難しいことばかりで……。

受け持ち患者さんに受け持ち開始の時に「毎回許可をとらねばならないため、何度も聞いてしまますすみません」と聞いたりしたらいいのかもしれません。ただ、全く余裕もなく毎日焦って不安でぐちゃぐちゃになっているので、できないだろうなっていう思いもあります。もうわたしは実習が終わってしまったので、就職してから学生を受け入れる側になったときに気をつけていきたいと思います学生が受け持たせていただくとき患者さんへの説明が、「嫌なことは断っていいです」スタンスなのであまり説明のことは説明されてないと思うんです。やらなければいけないですね。

ソシャゲをやめた

先日、それまで夢中になっていたソシャゲをやめた。

それまで私は某ソシャゲ中心の生活を送っていた気がする。毎日ログインしてログインボーナスを回収する。時間が経つと体力が回復するので、

その度にログインして体力を使い切って、時間経過でまたゲームができる時間になればまたログインする。それの繰り返し。イベントがあれば一日中張り付いていたような気がする。

私が好きだったのは、課金が当たり前のゲームだった。

イベントで上位報酬を獲りたいならまず課金をしなければ、ランキング上位なんて夢のまた夢だし、

効率的ゲームを進めるにはレアリティの高いカード必要になってくるのだけれども

それを引くにもゲーム内で貯められるアイテムだけでは限界がある。

レアリティの高いキャラクターを引きたくば課金、欲しいキャラクターカードがあれば課金

という人が何人も何人もいるのだ。それに打ち勝たなければランキング上位にいることは不可能なのだ

そしてゲームイベントとは何でも一緒だと思うのだけれども

課金しただけではランキングは高くならないのだ。長い時間沢山遊ぶためのアイテムを金で買って、ひたすらひたすら時間をかけて画面を叩いて、ランキングを上げる。

お金をかけてプライベート時間を費やして、そしてひたすらひたすら、画面を叩く。

それでも高いランキング順位が取れれば嬉しかったし、欲しいカードが取れたときガチャレアリティの高いものが引ければ飛び上がって喜んだ。

やめるきっかけになったのは皮肉なことに推しイベだった。自分の一番好きなキャラクターカードイベント報酬になっているイベントのことである

やっぱり私はひたすらひたすら、画面を叩いていたのだけど。

前述した通り、それなりのランキング順位に載る人は大抵、お金を注ぎ込んで、時間を注ぎ込んで、ゲームをしている。

その時は人気のキャラクター報酬だったこともあって、層が厚くて、所謂ボーダーが高いイベントだった。

運の悪いことに丁度忙しい時期で、それでも合間を縫って画面を叩いていたけれど、順位が上がらない。むしろ順位が下がっていく。

こんなに時間をかけているのに。こんなに頑張っているのに。

焦りと悔しさで必死になって、イベント中頃に、急にふっと力が抜けた。もうどうせ無理だと悟ったからだ。

プライベート時間犠牲にしてもお金をかけてもおそらく目的は達成できないままなんじゃないかと、そう考えた瞬間、急に疲れ切ってしまった。

生活でかなりストレスが溜まっていたのもあって、やけになって、もう嫌だ、どうせ取れないし、今回はもう無理だ、今回っていうかもう頑張れない、と、勢いのままに大好きだったゲームアンインストールした。

そうしたら、フッと楽になった。

今まで時計を見るたびあと何時間で体力が全回復するからまた叩かなければ、と考えていたし、

イベント期間に用事がある時や人と会うときもどこかでイベントがあるのに今も順位が下がっていくのに、と焦っていたし、

順位一喜一憂して、ああまた今度もダメだやっぱりお金時間もある人には勝てないんだーと投げ捨てそうになったことも何度もあった。

それが急に無くなった。無理してたんだなあとようやく気づいた。

確かにゲームには楽しさも嬉しさも沢山あったけれど、私はどうしても、あのイベント義務感と焦燥感に耐えられなかったのだ。

一緒にゲームを楽しんでいた友人にはもう辞めてしまったことを言えてなくて、今でもそっと話を合わせている。

でも多分、私生活ちょっと余裕ができたとしても、あのイベントのために全てを投げ打つ生活には戻れないだろうな、と思う。

ゆるやかに朽ちていく

帰る家がある。

明日食べるものが買えないと困ることはない。

いざとなったら実家、親が助けてくれるだろう。

そういった感覚で生きていて、なんとなくがんばることをやめてしまった。

一度は家賃はおろか食べるものに困る生活を送ったこともあった。大学入学してすぐ、家賃敷金を払って、教科書代や最低限の生活必需品を買ったら貯蓄が尽きてしまった。奨学金もすぐにはもらえず、仕送りも当然もらっていなかった。

バイトを始めたが、給料の支払いは約一か月後。

口座に残った数百円を大事に使いながら、バイトのまかないで生きていた。

そんな中でも、なぜか生きる道がないわけではないという漠然とした安心感はあった。

契約時に数ヶ月分の家賃を予め支払っていたからかも知れない。一か月後には給料が入る予定だったからかも知れない。バイトに行けば食事にありつけたからかも知れない。

けれども実家、親に対するある種の信頼感のようなものは揺らがなかった。

一浪しても受験に失敗して、それでも通う大学に納得できなくて一年の時には仮面浪人もやった。結局それも失敗に終わったからそう思うのかも知れないが、その時でさえぬるい努力しかできなかった。

自分の現状には全く納得がいっていないのに、本気になれなかった。大学に入って3年が経った今でさえ現状に納得はできていないが、それでもずるずると研究室に配属され、ぬるい努力を重ねて生活をしている。

そろそろ就活を始めなければならない時期になってきたが、がんばる必要性もあまり感じない。

もう一度、医学科を受けなおしたい気持ちもあるが、それも中途半端気持ちしかない。

食い詰めることもなく、家賃に困ることもなく、かといってなんの達成感もえることなく、ゆるやかにゆるやかに危機感がとかされてゆく。

こうして何者になることもなく、ゆるやかに、ゆるやかに朽ちていくのだろう。

2017-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20170116105727

本来的な意味から言えばミニマリズムって物質的なこととか自分の興味のないこととかに囚われずにシンプル自分の満足を追求しましょって思想でしょ。

別に物を極力買わない、持たないことをよしとするってことではない。

調理器具の話でいえばその調理器具によって自分生活の質が向上しそうと思えば買う、前のは捨てる。

前のを買ってまだ時間が経ってないしもっと使わないともったいないとか余計なことは考えないってこと。

我ながら興味深い夢を見た

疲れて布団に入ったものの、仕事の考え事や家族生活音でなかなか寝付けなかったときのことだ。

少しずつ現実と夢の境が曖昧になり始めた頃の出来事だった。



突然現れた見ず知らずの人間から語りかけられることがあった。

それは眠りにつく直前まで考え事をしていた内容で、ある種その解答とも言えるものだった。

しかしそれが他人から語りかけられたことによって、目から鱗が落ちるような感動がありつつも素直には納得ができずに、同時に懐疑的に構える自分自覚した。

ところが、その直後、家族生活音によってわたしは突然夢から現実に引き戻されてしまった。



そこでおかし感覚に襲われた。

先程他人から語りかけられた考え事に対する解答とも言える内容は、眠りに落ちる直前にまさに自分が思いついたものだということを思い出したのだ。

しかし、それが夢の中では眠りに落ちると同時に自分が思いついたという記憶はすっかり忘れ去られていた。

その上で、それが突然他人によって語られた情報として自らに届けられることになったのだ。

たまたまその直後に現実に引き戻されたおかげで、偶然自らが思いついたことだという記憶を取り戻すことができたが、もしこのまま夢を見続けていれば、その情報は夢の中の第三者から与えられた情報として自らの記憶に定着していたことだろう。



一種の恐怖とも思える事柄だが、それ以上に興味深いものでもあった。

基本的人間は、自らが思いついた考えに甘い。

そこには発見した喜びがついて回ってしまうからだ。

しかし、他人意見に厳しいのもまた人間である

例え素晴らしいと言える考えだったとしても、ひとまず疑ってかかるのが性というものだ。

その証拠に、腕の立つセールスマン宗教家が答えを口にせず、そこに辿り着くしか無い情報だけを提供して自らが答えに辿り着いたと誤解させることで、巧みに人々を操ることはよく知られていることだ。

自らの発見ポジティブでなくては行動ができなくなってしまうのも、他社の発見に対して素直に従えないのも、生存目的とした生物宿命と言ってもいいだろう。



よく夢は思考を整理するためのものだと言われている。

もしその前提が正しいとするのであれば、この仕組みは実に理にかなっているものかも知れない。

顕在意識の中で発見してしまったものは、記憶が明確である以上、自らの発見であることを否定することは困難である

しかし、そもそも記憶曖昧潜在意識の中で発見したものであれば、自らが発見したという記憶を、仮想第三者発見した情報だと書き換えることはそれほど難しいことではないだろう。

そうしてその情報が、例え仮想であっても第三者から届けられるということで、自らが思いついたときよりも冷静に吟味することが可能になっているのだ。

こうした機能を持つ生物と持たない生物とがいて、どちらが生存に適しているかは言うまでもないことである



そこまで考えて、この出来事を掘り下げていけば人工知能に夢を見させることが可能ではないかという仮定に行き着いた。

そもそも人工知能に夢を見せる必要があるかという疑問があるのは確かだが、しかし、情報を自らの発見第三者から発見とで受け取り方を変えるとした上で、さらに自らの発見の一部を第三者から情報として吟味し直すことができれば、より人間的な思考に近づいたと言えるだろう。

それが人工知能として優れているかどうかは別として、生物的な人工知能としてはリアルものと言えるのではないか

人工知能電気羊の夢を見る日も、もうそう遠くないのかもしれない。

「死んではいけない」という呪い

「なんで死んだらダメなんですか?」

こう言う問いを投げかけると返ってくる答えは往々にして決まっている

世界には生きたくても生きられない人がいるから」

「親にもらった大事な体だから

「誰かが悲しむから」 など

宗教ならば、「神から貰った命を人間判断で断つことは許されない」とでも答えるだろう

たとえどんな反論が出ようとも、完全な答えは出ないだろうし

本当に死のうとしている人には無意味である

そしてこういう問いを投げかける人は「病んでいる人」として扱われる

私は別に死のうとも思ってないし、死んではいけない理由を追求しようとしているわけでもない

私が言いたいのは、自分根底

人生詰んだらその時死ねばいい」

という考えを持てば楽に生きられるということだ

必死受験勉強して大学に行って少しでも良い企業に入ろうとするのも

結局は「安定した生活を送るため」であり、突き詰めればそれは「生きるため」であり

そのレールに乗ることがいか重要かを幼いころから叩き込まれ

一方、そんな世の中に生きづらさを感じたり、どうしてもレールに乗れなかったりした人には「弱者」の烙印が押され

レールに自分を無理やり押し込むか、堕ちていくかの二択を迫られる

堕ちていくのはみんな嫌だから、結局はレールに自分を押し込んで

苦痛を訴え、目標を見失いながらも、ただ「生きていく」ために生きていくのである

「生きていく」ために自分を殺しながら生きていく

それは本末転倒ではないだろうか

そうするとこんな考えが浮かぶ

「辛い辛いと言いながら生きるより死んでしまったほうがマシではないか

「死んでしまえば悩みも苦しみも消えるのではないか

しかし「死んではいけない」というよく分からない呪いがかかっているせいで、大抵の人は自殺するまでには至らない

生物本能なのか、この呪いはなかなか強い

しかしそこで先程の

人生詰んだらその時死ねばいい」

という考えを持ったらどうなるか

まず、自分が生きる最低ライン自分で決めてしまうことで、それを基準として考えられるようになる

「ここまでなら死ぬ必要はない」

「こうなったら死んでやる」

誰も死にたくはないので、どうすれば死なないか考えるようになる

そうすると自分人生に何が必要で何が無駄なのか分かった気になる

そして生きる希望が湧いてくる。目標が見えてくるのだ

もし私が人生で失敗して、その時に本当に死ねるとは思わない。多分普通に生きているだろう

自殺していった人たちの苦しみは、それ以上の、形容できないほどのものだろうから

そして他人自殺を勧めているわけでもない

ただその考えを持つだけで、自分がこの人生の中で本当に何がやりたいのかを

探す気力が湧いてくるのである

終わりを意識することで始まりが見えてくるのだ

2017-01-15

この生活がなくなってもいいです。

住む場所仕事場から遠くてもいい。

お金がなくたっていい。

六本木で遊べなくたっていい。

服も買えなくたっていい。





ただ、好きな人のところにいたいです。

http://anond.hatelabo.jp/20170115213750

お、結局DQN対応正当化して、一人の人間を踏みにじったわけね。それも「ムカついたから」という極めて幼稚な理由でね。

何一人で熱くなってるの?

まあ、NHKの集金ソルジャーの事まで気を使って生活してくれよ、せいぜい。

お前はいいやつだよ、ほんと。頭さえよければだけど。

「何一人で熱くなってるの?」というネットで使うと最高に悔し紛れ感のある言葉おもしろいけど。

文章の大半がレッテル貼りと雑な煽りで具体的な反論がすでに指摘されているものばかりなところからして、よっぽど直情的に生きてるんだろうか…。

こんなのが自分の親だったら嫌悪感半端ないだろうね。まあこれは個人の感想だけど。

少し説明するという「気遣い」すら出来ない人間だしね

http://anond.hatelabo.jp/20170115211856

元増田だけど、対応する義務必要性もないじゃん。契約してないんだし。

NHK非常識時間訪問してきた事にムカついたのに、何一人で熱くなってるの?

まあ、NHKの集金ソルジャーの事まで気を使って生活してくれよ、せいぜい。

お前はいいやつだよ、ほんと。頭さえよければだけど。

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。


オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。


「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。


不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。


(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

人には絶対に言えないこと

私は母が嫌いだった。教育熱心でいい子であることを強要されるのが嫌でたまらなかった。子供時代はもちろんのこと、大人になってからもアレコレと口を出され、それを内心では激しく罵りながらも、精神的未熟さ故に拒み通す踏ん切りもつかずに母の庇護のもとにあった。



そんな親子関係が突然、逆転した。



とある事情で母が障害者になった。1人では満足に生活も送ることもできない。それを見て私はかつてない程の優越感を味わった。「あぁ、もし今ここで私が背中を押したらこの人は転んで立ちあがれないのだな」という事実がとても心地よかった。生物としてこちらが完全に強者になったという優越感。それは過去の恨み辛みを全て帳消しにできるくらいに強烈に幸せ感覚だった。

そろそろ30になるので保険の1つでも入っておこうと思って調べたのだけど、

自営業執筆業で年収150〜300万をウロウロ)生活が厳しい時はバイトしてる

貯金はあまり出来てない。50万くらい。

スポーツジムに通ってるので現状は健康

あんまり長生きしたくない。

って条件なら民間の終身医療保険ベストなのかなぁ。

個人的には共済のほうがお得だなーって感じがするんだけど、60まで今の仕事が持つかもわからないし、生活が苦しい時期が来るのかもと思ってる。

妊娠がこわい

子供を欲しがる主人に積極的避妊を申し出られず、毎月二週間ほど妊娠の恐怖とひとり戦っている。それがもう一年くらい。

日々の体の変化に敏感になり、すべてを妊娠に結びつけてしまう。生理がくるとほっとする。ときおり恐怖に支配され涙が出る。

結局は生活が変わるのがこわいという私の自分勝手気持ちなのだと分かっている。それにしんどいのが嫌だ。痛いのが嫌だ。そうしてまた自己嫌悪する。多くの女性が通った道だ。私より若い人もいる。私は未熟だ。でも恐怖が拭えない。

この恐怖といつまで戦うのだろうか。妊娠するまで?出産するまで?出産適齢期を過ぎるまで?

私の心さえ片付けば、生活を変えることができるのに。

2017-01-14

未来の働き方をしているけどなかなか快適だ

フリーランス40代

30代までの働きでマンションを買い、寂しくもわびしい一人暮らしをしている。

仕事は週3日程度やって、会社員時代の半額程度の収入

それ以外にちょこちょこ投資。ローリスクローリターン中心のロングホルダー。

家ではアマゾンプライム会員で見られる映画音楽、たまに書籍を購入。

鍋料理に凝って何日も鍋を食べたり、

外に行って仕事がてらコーヒーを飲んだり、

楽しい毎日だ。

思えば、子どもの頃読んだマンガの中にある

通勤しないで家で仕事」「遊んで暮らす」にかなり近い状態になった。

そこまでの贅沢はできないけど、今の生活かなり快適。

ジャニーズジュニアヲタク世界

 誰にも明かしたことがないが、つい数年前デビューしたグループファンをほそぼそとやっている

といっても別にコンサートに行くわけでもなく、グループメンバーが載っている雑誌を買ったり

出ているテレビ番組を見て楽しむ程度のいわゆる「茶の間である

数年テレビ雑誌を見ていれば、応援しているグループ以外のジャニーズのことも少しずつ分かってくる

そういう流れで、バックで踊るジャニーズジュニアにも興味が湧いたのである

 少年倶楽部というジャニーズが出ている番組で私はあるジュニアに興味を惹かれた

それからジュニアのことも途端に色々知りたくなった 

ジュニアが出ている番組殆ど録画たし、雑誌で読むコーナーも増えた

しかし、茶の間にとってジュニア情報量想像以上に少なかった

デビューしたグループならば週1回は確実にテレビで見れるし、

雑誌にも数ページ分はコーナーが確保されているため、これまでの私は情報欲求が満たされないことは殆どなかった

情報不足になった私はジュニア情報ネットで探し、「タレコミ」という掲示板2ちゃんねるなども見るようになった

 いろいろな掲示板を見て思ったが、ジュニア掲示板はかなり荒れている

どの掲示板でも殆ど平和に語られているスレ存在しない かならず誹謗中傷存在している

とくにジャニーズヲタクにとって僻みの対象となるのが「推され」である

新人ジャニーズが突然テレビで出番を獲得したり良いポジションをもらうとたちまちのうちに「推され・ゴリ推し」認定をされる

こうなってしまうとどんなにそのジュニア能力が高くて推されに値する人物だったとしても、そのジュニア自体評価してもらえない

私がファンになったジュニアもいわゆる推されであり、読んで気分の悪くなるような悪口しか書かれなかった

( 私には推されどうこうの区切りがよくわからなかった 実力・人気以上に出番が多いジュニアなんていくらでもいる

それなのになぜだか「ゴリ推し」認定をされない人材がいくつかい

法則として ①一度デビュー漏れなどの「辛そうな」思いをしている ②デビューしてから一定期間露出が少ない ③雑誌で「人気」投票順位が高い

④色白 ⑤飛び抜けて顔が整っているわけではない ⑥最初に組んだユニットセンターではなくサイドやバックについている

こういう人材は何故か能力以上の出番を貰っても誹謗中傷されることが少ない)

 しかし、それ以上に驚いたことは、ジャニーズジュニアとそのファン実態

この情報化社会現代においても相等ローカル世界ジャニーズジュニア世界には存在している

1番最初に驚いたのが「れつ」と呼ばれている出待ち概念

詳しくは分からないが、コンサートなどのでたジャニーズは、その後、会場近くで列を組んで出待ちしているファンのために

その列に向かい軽いコミュニケーションファンとの間に交わすようだ

そこでジュニアによってはこっそりと次の自分の出番の話をしたり、あるいは高価な貢物を貰ったり、ファンとの連絡先の交換をする

(よくジャニーズスタバドリンクを飲んでいるイメージがあるが、あれはどうやらファンスタバカードを貢いでいる影響もあるようだ)

そして、そのような情報ツイッターなどのSNSで限られた相手との間でのみ流通する

(ファン同士で秘密パスワードを付けた掲示板を作る。私もツイッターに入り込んで情報を得たりした。)

信じられないことに、ファンの中にはそのような「現場でのつながり」によってジュニアとの交友関係を獲得するものや、

果ては肉体関係を獲得するものもいるようだ

(別に私はジャニーズからといって性欲真っ盛りの期間に鬱憤を一人で発散したりホモに走ったりするのもどうかと思うので否定はしないが)

 私はジュニアのことを詳しく知るまでは、ジャニーズジュニアはほんの一握りの出番の中で、ファンを獲得するために奔走するレアキャラ

露出が少ない彼らのファンなど存在しないと思っていた 彼らは貧乏プライベートを捨てて必死ダンス歌を練習する苦学生のような想像をしていた

しかし、彼らはスタバカードでタダでドリンクを飲む 貢ぎとジュニアとしての稼ぎで高級ブランドを身にまとう

各々に濃いファンがいて彼らと直接の交流を交わす 可愛い女の子が見つかればちょっと恋愛をしてみたりもできる おもったより華やかな世界

 そしてファンデビュージャニーズよりももっと近い距離で彼らを応援する コンサートには出待ちし、奥様の井戸端会議の様に

SNSタレコミ情報を交換する お金自分を貢いで彼らを豊かにさせる

 そんな実態を知って私は掲示板の荒れように妙に納得する 自分彼氏・息子のように近い存在が狭き狭きデビューの門を争っている

そりゃあ新人面白くない 自分彼氏・息子が1番で出番なんて誰にも取られたくない 自分けが詳しく知っている存在でありたい

私はそんなジュニアとそのヲタク世界を知り「茶の間自分にはテレビ雑誌露出の多いデビュー組以外無理だ」と悟った

私の生活は元に戻った。今日も録画番組をみて、雑誌を読み満足する。

しかし、一つだけ日課が増えた。ふと思い出して、タレコミを覗く。

今日も荒れてるな」 茶の間の私は今日もほくそ笑む。

ゲーマーだった私が思うこと

昔は暇さえあればゲーセンに行き、帰宅してもゲームをずっとやってた

ゲームにつぎ込んだ金はうん百万円なのは間違いない

でもある日をさかいに何かがあったわけでもないのに微塵もゲームに興味がなくなった

しろ興味がなくなるを通り越して馬鹿がするものしか見えなくなった

今の生活に不満があるわけではないが、もっとはやく気づいていれば別の人生もあったんだろうなぁと思う

これに対してどういった反応がつくかも予想がつく

私がゲームにのめり込んでいた時にこんなことを言うやつがいたら罵詈雑言を浴びせていただろう

でもそれでも言いたくなる、お前いつまでゲームなんかやってんの?と

ある日はたと目が覚めた時にそういえばあんな事言ってたやつがいたなぁと思ってくれればそれでいいか

セックスレスメンタルクリニック行ったらADHDと判定された

夫とどうしてもセックスできなくて、悩んでメンタルクリニックに行ってきたん。

メンタルクリニック先生の診察始まって、夫との性生活の悩みを話してたら、診察から3分も経たないうちに先生から

ADHDという単語が出始めてさ。

先生から質問夫婦の性生活というよりは私の私生活についての話になってきて。ADHD可能性があるからってことで診察後にテスト受けさせられたん。

2回目の診察の今日、結局ADHDと判定されて...お薬生活が始まったのよぉ。

セックスレスの悩みだったのに何か不審なところがあったのかなぁ。

今日寒い気持ちも辛いなぁ。

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