「生活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 生活とは

2016-09-28

コンテンツへの理解が浅すぎるkawangoにはまじで失望した

 ライトノベル主人公努力しちゃダメなんです。読む側が自分投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。

――恋人能力努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。

 そうです。今は努力できる立派な人物主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学の世界でもそうなってきていると思います。


http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html

カドカワトップのくせして、この理解はまじで浅すぎやしませんか?

本当にいい作品を送り出す気があるのかと、100回は問いたくなる適当物言いにイラッと来た。


そもそも、最初からチートを持って最強になることを「俺tueee」と揶揄されていたりするのはここ数年だけで、ジャンプなら北斗の拳るろうに剣心バスタードにBOY、過去の作品をあげればきりがない。みんな大好きガンダムアムロだって最初からワンランク上の人種だったわけですよ(あぁ、若い子的にはコーディネイターキラ・ヤマト君の方が)。最強主人公が昔から愛され続けているのは明らかだ。

努力に対して気後れする」というのは、どう考えても浅すぎる考えなので、ただのサラリーマンオタクである俺が、超主観的にけれどkawangoよりはまともに、「最近ラノベ」っていうのを推論してやろうと思う。

ちなみに、全て根拠のない仮説だから、定量データ大好きなコンサルマンは読まなくていいぞ。己の中のロジックで書き殴っているだけだ。

正直こんなことすること自体、市場に対しての傲慢であることは理解したうえでだが、「カドカワトップの発言」に怒りしか沸かないため、久しぶりに筆を取る。


自己投影がしやすいのは「努力云々」ではなく「異世界転生」の方である

努力云々が拒否されているかは正直わからん。少なくとも言えるのは、将棋の天才が努力する「りゅうおうのおしごと!」は最近ラノベではピカイチ面白いってことだ。そして、幼少期からガチ人生を変えようと努力を重ねて、家族を守るために死にものぐるいになる「無職転生」もまた名作であることを俺は支持する。

俺が言いたいのは、自己投影は「努力できる立派な人物」にしづらいのではなく、「異世界転生」にしやすい、ということである。しやすいなんて言葉も生ぬるいくらいに「ファンタジー自己投影出来る現代最強の装置」と言っても過言ではない。

ファンタジーという題材自体、本来は自己投影には不向きなものだ。なぜなら、今の自分と照らし合わせて「そこにいる」ことを想像することが難しいから、ということは理解できるだろう。

我々が住んでいる現代、つまり高層ビルが屹立し、夜も煌々と電気の光が輝き、インターネット交流を重ねる世界」と「石畳を馬車が走り、騎士団が剣を振りかざし、魔法世界の理である世界」では、あまりにも違いが大きすぎる。そこで生まれ育った主人公感情移入するのは、本来はしづらいもののはずだ。

ただし「異世界転生」は違う。

自分が今いる現代、と、異世界であるファンタジー世界が、まずつながるところからスタートする。たったこれだけ、これだけで高水準の自己投影を得ることが出来る。

それは突然足元に現れる魔法陣か、はたまた気づいたら目の前に迫りくるトラックなのか。きっかけはどちらでも良い。今の自分が、異世界に行けるという想像力カジュアルに補間してくれるのが「異世界転生」である

何故か。

第一に、主人公がまんま現代に存在してそうな、ふつ~~うな人物であることが重要だ。もちろん最初から古武術マスターして、スキルを盗む能力を授かるような人外主人公もいたりするが、基本は自分を重ね合わせられる主人公である高校生帰宅部で友人は少ないが仲の良い親友もいる。進学はどうしようと悩む2年生。趣味ラノベ。ほら、想像やすいだろう。

第二に、異世界転生ってほんとにあるかもしれないだろ?という、諧謔が含まれるちょっとした夢である。死後の世界なんて誰もわからんし、宇宙にある元素だってまだわからん。もしかしたらマナを利用した魔法陣は発生するかもしれないし、事故で死亡したあとには神様スキルを選ばせてくれるかもしれない。

「異世界転生」なんてねーよ、と鼻で笑うことは可能だが、誰もそれを証明することは出来ないのである。だからこそ、現代と異世界のつながりを、「ないな」と思いつつも受け入れることが出来ているのだと、俺は考えている。

ほら、スパイラルマタイすると本当の自分になれるんだろ??

重要なことだからもう一度言うけど、「現代」と「異世界」をカジュアルにつなげる「異世界転生」は紛うことな物語発明である最初トラック走らせた人には3,000ガバスあげたい。


いつかは覚める。「異世界転生」が流行っているのはブームでしかない

「異世界転生」がすごいものであることは説明した通りだ。かくいう俺も、毎日仕事帰りにはブックマーク登録しているなろう作品を消化しつつ、健気にスコップしたりもしている。本屋の棚にならぶラノベも、以前よりも増えたなと感じることはある。実数はしらん。マーケティング大好きくん調べてください。けれども、これは現代の若者云々のような下らない推論なんかによるものではなく、あくまブームの1つだと俺は考えている。

ところで、俺は30代前半のおっさんだったりするわけだが、中学生にはじめてブギーポップを読んでこの世界に足を踏み入れた。かどちんの作品は今でも全部読んでいるけど、ハートレスレッドが俺は大好きなんだ。あの頃は「セカイ系」なるものが流行っていて、なんだか薄暗いイメージ作品が人気を集めていた。細かいこたぁいいんだよ!と言わんばかりに、世界観設定などをあえて曖昧にして、読者に考えを委ねるような作品だ。正直俺はTVアニメエヴァンゲリオンが嫌いである。新劇場版は好きだぞ。

まぁつまり、今とは確実に違った主流だったと考えてよいだろう。

オタクの狭い世界でいうとその後に泣きゲーメインストリームを走り、鍵と葉をプレイしないオタクオタクに非ず、と総括しはじめるオタクもいたハード時代だった。その後はいわゆる「新伝奇(この言葉あんまり好きじゃないんだけどな)」と呼ばれる作品にわかに注目を集め、PCゲーでは月姫Fateラノベでは戯言シリーズ、禁書、シャナが生まれていった。まだ少し薄暗さやきな臭さみたいなものが世界に漂いつつも「物語曖昧にしない設定」が練られた作品が多かったイメージだ。そんな中、生まれでたゼロの使い魔最先端だったんだろう、異世界転生の走りだった。お悔やみ申し上げます。

物語ムーブメントはここでもまた変わっていたわけだ。時代時代においてムーブメントはあり、「異世界転生」もその系譜の1つであると考えても不自然ではないだろう。美味しいものがあれば、それを食べ続けたいと思うのは至極当然の話しだ。最高の自己投影が出来る「異世界転生」をひたすらむさぼるのも、ただの欲求の発露だろう。

人間は成功体験にもとづき、欲望を繰り返し続ける生き物らしい。ソーシャルゲームの初期ガチャでURが引けるのは、その辺の心理ゲームに応用している可能性があるから気をつけるといいぞ。俺はFGOに毎月1万円課金している微課金兵だから、安心していい。

1つ面白いものを引き当ててしまったら、次に何かが来るまで、同じ成功体験を求めて同じものを摂取する。それは俺が辿ってきたオタク人生を照らし合わせてみても、超主観的に正しいと主張させていただく。

正直「異世界転生」は飽きてきたんだけどな。


コンテンツ消費にかけるカロリーの許容値は下がり続けている

最後にこれも超主観的な仮説だ。

エロゲisコンテンツの頂点。SF小説isオタク原書ラノベis心のフレンド。最高の1冊は「天冥の標」と豪語する俺だが、最近コンテンツの摂取にカロリーが高すぎて億劫になってきてしまった。

昔のエロゲと言えば、長いプレイ時間を経て没入感が高まり、最高のカタルシスを最後の最後にぶちかまされる、そんな作品に90点が付いたものであるゲームもそうだ。長時間プレイするRPGは食指が伸びない、仮に触れたとしても10時間ギブアップ。本気でコンテンツと向き合うのに気力が必要なのだ


なぜかと考えてみると、コンテンツとの向き合い方が昔と大きく変わってきてしまったことに気づく。

例えば、インターネット。不覚にも、kawangoのdwagnoが作り上げた「ニコニコ動画」は短尺でコンテンツを楽しめる世界観を作り上げた。1本5分~15分程度のユーザークリエイティブな動画が数多く投稿され、それをつまみ食いする時代2007年くらいから始まった。当時はアイマスのXBOX版プレイ動画をただただ見ていた記憶がある。その後に初音ミクや東方、まぁニコ動周りは色々とブームが起こっただろう。id3万番台の古参だからたくさん見てきたけど、今はたまにはてブに上がる動画を見るだけである

アニメでいえば10分尺が増えてきた。ややもすれば5分。手軽に見れる極致と言って良いだろう。あいまいみー作品構成は完璧だった。神アニメと言って良い。

デバイススマホ利用がメインユースである。スキマ時間にいじって、Twitterを見たり、ソシャゲのスタミナ消費したり(最近スタミナ系減ったね)、もちろんニコ動Youtube商品宣伝見たりするのも楽しいだろう。若い子ならsnowとかsnapchatとかもあるな。comicoリライフが地味に好きだから、毎週土曜日更新が楽しみだったりするよ。

それが気づくとスキマ時間だけじゃなく、家に帰っても弄っていたりする。これを読んでいる皆もそういうことが何度もあったはずだ。

そうやって俺たちは、気づけば「カジュアルに消費できるコンテンツ」ばかりを楽しみ、それに慣れてしまった。「うわ、これ疲れそう」なんて言いながら積んでいるコンテンツ、皆はないだろうか?俺はある。たくさんある。以前は何を差し置いても、翌日の仕事に差し支えたとしても、徹夜してでも、読む。プレイする。そんなコンテンツが、いまや時間のある時に消費するかと積み積み。

もちろん時間があればいい。気力を振り絞って得られるカタルシスが最高であれば、なお良しだ。ラノベ読んでてよかった、エロゲやっててよかった、この年になっても年1くらいで感じる瞬間だ。

でも、その時間はいつの間にか、生活を縛るカジュアルコンテンツ侵食されてしまっているのが現実であるカロリー計算をした瞬間に、さすがにラーメン二郎は無理、と避けてしまうのは年を取ったからではなく、現代の生活カジュアルコンテンツに束縛されているからだと俺は考えている。

そんな中、最近ライトノベルやなろう小説には、カロリーに優しいコンテンツが多い。それが「安定して人気の出る作品であるというのが持論である。(爆発的ヒットではなく、一定数さばけるという意味である)


ポイントは2点である。「期待値を裏切らない」「スキマ時間に読める」

小説はそもそもコンテンツとして消費にかかる時間が長い。ハズレを引いてしまった時の時間的損失は読み手にとってつきまとう課題である。それを解決しているのが、昨今のラノベパッケージであると理解している。

表紙、タイトル、帯、あらすじで、中身を想像出来る。そしてそれが期待値とずれないことが重要である。大ドンデン返しみたいな疲れるものはいらない。想像した快楽を得られ、時間というコストに対して最大限のパフォーマンスを出したいのだから。なろうの作品を読む前にタグをチェックして「ハーレム」を探しているそこの君。君だよ君。

そして、ここまで何度も述べているように、カジュアルに読み進められるパッケージとして、なろうの形式は最適化されている。1話あたり5,000~10,000文字の文量は便所でうんこしながらでも読めるだろう。通勤中であれば、2,3話読むことも出来る。区切りもつやすい。はてブで糞みたいなエントリーを読むのと同じユーザー体験で、自分が好む小説を摂取できるのだ。そりゃあ楽な方楽な方に行きたくなるのが人というものだ。

kawangoの話はラノベのくだりだけはまじで許せなかったが、大筋同意できる意見も書かれている。

まりユーザー自分の好むメディア自分に都合のよい物語を選び始めているということです。もちろん昔から、人々は基本的自分にとって心地よいメディアを選んできたわけですが、まだ選択肢が少なかった。ところが今は、どんどんパーソナライズ化が進んできて、自分が信じたい情報、接したい情報だけが集まってくるようにするということが、ネットを通じてできるようになったということです。

心地よい作品を得たい、これは今に始まった話ではなく昔からそうだ。それを加速したのはネットであり、生活リズムによるものだと俺は考えている。

ジョブスのせいでエロゲをまともに出来なくなったからあいつは地獄に行けばいいと思う。まぁiPhone7は買ったけどな。


こういう状況をぶち壊すのがあんたらの役目なのでは?

そうは言っても、先にも述べた通り、コンテンツムーブメントはいつか終わりがくると俺は思っている。あれだけ若いオタクの間で跳梁跋扈した東方ですら空気になりかけ、俺が大好きだったKeyだっていたるんが退社するんだ。時代は流れていく。それはもう人の手では止められるものではない。

その転換点は、代替となる成功体験でしかないだろう。

ブギーポップではじめて感じたライトノベルという時代の到来。雫、痕、ToHeartからはじまったビジュアルノベルの胎動。なろうで形作られた異世界への特異点

生まれ、壊され、生まれ、壊され。その繰り返しの中で、コンテンツは洗練されて進化を続けてきたのだから、今を変えていくのは強烈な快感を与える新しいコンテンツでしかない。

オタクコンテンツトップランナーであるカドカワもといKADOKAWAが、それを担わずして誰が全うするというのか。「努力できる立派な人物主人公だと、読む側が気後れする」だって?まじで言ってんのかあんたは?

そんな下らない仮説を振りかざして、閉じたコンテンツ世界を作り上げるのがあんたらのやりたかったことなのか?違うだろう?

今のライトノベルには面白い作品がたくさんあるぞ。エイルン・ラストコード読んだか?ライトノベルで熱血ロボットとか新しすぎだろ。最高にアガる作品だぞ。正直アニメ微妙だったけど、天鏡のアルデラミンも読んでて震えるわ。風呂敷たたみ始めるの早すぎてちょっとおっちゃん心配だけどな。

あんたの会社の社員めっちゃチャレンジしてるんだぞ。わかってんのか?

にも関わらず、トップあんたがその斜に構えた態度でいるとか、作り手とユーザー舐めすぎだろう。看板背負っていることを、どうか自覚してほしい。

俺はあんたが作ったニコニコ動画という世界にはじめて触れた時、新しい時代の到来を感じたんだ。実際に、2000年台後半はニコ動時代だった。コンテンツのあり方を変えた1つの要因だったことは確かだろう。

サービスでもいい、コンテンツでもいい、もう一度それを作り出すくらいの気概を俺たちユーザーに見せ続けて欲しい。閉じこもった推論だけ振りかざしていたら、そこに未来はなくなってしまうんだから



どうか。期待しています。

透析エントリのせいで頭いたくなったから、今日も休むわ

有休全部なくなったから今回から欠勤扱い

ゴミクズ派遣公的支援なし

貧困糖質生活して透析患者を目指そう!

姉が某カルト教団に入信していた

1ヶ月ほど経過して気持ちの整理が付きかけたので書く



実家に帰ると姉が長期旅行に出ていた、もう1ヶ月以上家に居ないらしい

母曰く「韓国研修に行った」とのことだった



東京に帰る前日、姉の近況を聞かされた

・昨年末結婚相手を連れてきたがそれきりなんの進展もなさそうだったということ

マルチ商法っぽいことにひっかかっているのではないかということ

・定期的に変なNPOから封筒が届くということ



封筒にかかれている団体名を検索するとカルトっぽい匂いがぷんぷん(○○被害者の会とか集団訴訟とか



それで「ああ変なものに引っかかったんだな」とおもったが別に引き戻そうという気にはならなかった



姉は家族でもはみ出し者で、俺が実家に居たときでも俺含め家族とは殆ど会話はなく、仕事から帰っても部屋に居るばかり

俺が地元を出てからもそれは続いていたようで、結婚もせず、かといって自立するでもなく実家寄生する生活をおくっていたようだ



実家での最終日に母から姉の相談事をされ、それなら確かめスッキリしたほうがいいのではないかと姉の部屋をさぐってみた

姉の部屋など高校時代小沢健二アルバムを黙って借りて以来忍び込んだことはない



だって姉に家族の情も興味がなかったか

俺にとって姉はやたらとツンケンして黙ってるか、金切り声を出すかのめんどくさいだけの人間しかなかった



姉の部屋に入ると老人夫婦の写真が入った写真立てがテーブルにおいてあった

母曰く、この写真を拝んでいるところを何度もみたとのことだった



本棚にはあの時無断で拝借したCDの他に、いかにもマインドコントロールされてる人間が好みそうな自己啓発本数十冊

(というか、どうしてこの手の人間は「数十冊も読んでまだ足りない時点で自己啓発本意味がない」事に気づかないのか



写真立ての中の写真本棚写メで取り、後で本の題名を調べてみた

10年以上前にあれこれ騒がれたカルト教団関連のものだった、しかもその教団自体が発行しているもの



人夫婦は主題カルト教団設立者とその妻だった

こいつらに拝んでんのかよ、イカれてんなとおもいつつ、まあもう10年以上会話もしてないしどうでもいいかと思った



とは言えここ数ヶ月家を離れているというのが気になり、本棚写メに映る題名からヒントになりそうなもの検索していった

するとその教団には集団生活をする施設があるというのを見つけた



そこのウェブサイト集団生活に関するページを見ると、写真の中に姉が写っていた



マジかよ、いや、何となくそうかなと思ったけどこんな感じで分かっちゃうのか

っていうか数年ぶりに顔みるのがこんな形かよ

なに質素な服着て似たような幸薄そうな奴らと集団生活してんだよ

っていうか集合写真に写ってるけどよーくみるとお前他の奴らとちょっと距離あるじゃねーか、治ってねーじゃねーかよ



家族からカルト信者が出ちゃったよ

一族からタタリ神がでてしまった」っていうオッコトヌシさまの気持ち今なら分かるわ、クソったれ

俺まだ結婚してないのにな、兄弟カルト信者がいるとかマジ瑕疵物件じゃねーか



正直姉の目を覚まさせて家族に帰ってきて欲しいとか全然思わない

もともと仲良くないし、姉のために1ミクロンでも労力を割きたくない(カルトから脱会させるのって労力いるんでしょ?



姉が稼いだ金であればどれだけ吸い取られても別にどうでもいいし

あちらにそういう共同生活施設とかあるならさっさとそっちで暮らして欲しい(無いと思うけど



だが「姉が今後も継続して俺の姉である」というのだけは勘弁して欲しい

向こうから家出て絶縁するか何かの拍子に死んでくれないか

http://anond.hatelabo.jp/20160928005843

いやでも、そういうふうに「金がすべてじゃない、金より大事ものがある!」っていう増田だってアメリカの子供のために毎月の給料の8割を寄付したりしないでしょ? (2割でさえアフリカの大半より富裕層に当たるわけだけど)。

そういう指摘に対して「国が違うじゃないか!」と反論するのならば、それはもちろん国が違うけれど、その種の「金を払わないために相手自分カテゴリ所属が違うのだ」という理屈なんて、いくらでもわいてくるよ。国じゃなく、性別でも、年齢でも、居住地でも、資産額でも、何でもいい。

もしそういうカテゴリじゃなくて人類平等人権倫理問題だというのならば、世界人口の上位5%以内に入る日本人としての富と収入生活犠牲にしてボランティアすべきだし、そうでなくカテゴリ所属のなかでの公平を叫んでいるだけなのなら自分恣意的区分け押し付けるのと同様、他人恣意的区分け押し付けられるべきだ。

日本左派が周囲をまったく説得できないのは結局上記のような理屈のなかで「俺にもっと金や利権をよこせ」以上の説得力ある話を展開できてないせいだとおもうよ。

2016-09-27

結局さ、経済的子育てが難しそうな人たちは無理して子供育てなくていいんじゃないかな

親の生活が苦しいのに子育てしようとするから虐待みたいな痛ましい事件が起きたりしてそうな気がするし(根拠はないけど)

経済力の高い、裕福な人たちがもっとたくさん子育てしてくれればいいよ

重婚でも婚外子でもいいからさ

そのほうがみんな幸せになれるんじゃないか

今日摂取カロリー

昼食

弁当 750kcal 前後

間食

クッキーの類 4包

みやげのクッキー

みやげのゼリー

せんべい 2包

合わせて550kcal想定

夕食

日本酒 300ml

もやし豚肉エリンギレンチン

メンチカツ

合わせて650kcalくらい?

1600kcalオーバー

間食の時点で厳しいとは思っていた。

夕食抜きでトントンだなと。

しかし夕食も暴食とは言わないまでもそこそこ食べた。

評価プラマイゼロくらい。

半年前に受けていた検診の生活習慣チェックが封書で届いていた。

すっかり忘れていたが、何気に目標は達成していた。

からないものである

とりあえず明日からまたがんばろう。

伝統工芸職人単身赴任ありきで結婚を打診するのはワガママなのか

以前、このエントリを上げた増田です。28歳になりました。彼氏は30歳。

転勤族営業マン伝統工芸職人結婚できるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20151116225708

その後進展があり、悩みの坩堝に嵌ってしまっているのでこうやって書いてみている。



彼はあれから半年海外出張に出ていた。

日本を発つ前「戻ってきたら結婚の話をしたい」と言っていたが先日帰国。予告通り本当に結婚の話をしてきた。



・彼の条件

1年後に東京に転勤。その後5年以上は京都に帰ってこない →京都に戻ってくるのは35歳以降になる

東京に行っても週の半分以上全国・海外出張がある →家を空けることが多い

幹部候補生の様な制度があり、その特別枠で教育予算(?)が組まれている。

今後10年以内に自主退社する場合は300万円を会社に支払わななくてはならない →転勤族からは逃れられない

(その分他の同期よりも圧倒的に早く多くの仕事をこなしてきており、予算を使って色々経験させて貰ってはいる)

子どもは欲しい。できれば家族皆一緒に暮らしたい

自分で言うのも恥ずかしいがバイタリティはある。勉強も好きだし仕事も好きだ。会社から期待もされてる。しっかり稼ぐと誓う。その分付いて来てサポートして欲しい。


はっきりとした言葉では言わなかったが、つまり職人の道を諦め、専業主婦として転勤先に付いて来てほしいと言うことだった。




彼が海外に行っている半年の間、私はずっと「職人を辞めなければならないのか」と考えていた。

伝統工芸士を目指して早8年になる。

厳しいが心優しい師匠と、何でも話せる奥さん。尊敬する先輩方と頼ってくれる後輩たち。皆本当に好きだ。

まだまだ怒られっぱなしだし勉強中だが、今年度からは新しい工程もさせて頂けるようになった。毎日疲れるが楽しい

前の増田にも書いたが、私はこの仕事が本当に本当に楽しいお客様家族応援してくれている。

師匠は「何十年続けても尚完成された仕事が出来るわけでは無い。長く長く手を動かし続けて欲しい」ということで産休も育休も設け、時短勤務も受け入れてくれている。

給料事務員くらいだったが、やれる工程が増えたので今年度から大幅に昇給した。


うちの会社の最高齢は78歳だ。私も78歳の大先輩の様にずっと続けられたら。あんなのも作りたいしこんなのも作れる様になりたい。色んな希望がある。



私は彼のことも心から尊敬している。「こんなに素晴らしい人が何故私を愛してくれているのだろう」と思うことがある。

モノの見方食べ物飲み物生活リズム、ありとあらゆるものが、ぴったりではないがしっくりくる人。夫になった姿が自然と脳裏に浮かんでくる人。会うと自然気持ちが穏やかになる人だ。


この人と結婚して家庭を持てたらどんなに素晴らしいだろうと思う。



彼と結婚したい。でもずっと地元職人を続けたい。子供も欲しい。

彼にも仕事を諦めて欲しくない。皆の期待に応えられる人なのに勿体無い(それにまず300万円なんてとても無理)

なので、単身赴任ありきの結婚を打診したいと思っている。



しかしそれを私が打診するのは……どうなんだろうか。我儘だろうか。

・彼より会社規模も給料知名度も圧倒的に小さな仕事を続けるために、激務の彼に尚一人暮らしをさせるのはあまりにも酷な気がする。


・仮に私が夢を諦めて彼に付いて行ったとして、待っているのは、慣れない土地パートをしながら、週の半分以上家にいない夫をひとりポツンと待つ生活であって、それはちょっと分が悪い気がする



私は何を諦めたら良いのだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20160927200102

はじめまして。私は透析室で働いている技士です。

死臭というのはおそらくは、酢酸透析液の匂いですね。

妙に甘ったるくてイヤな感じがする匂い

.

働き出してからたくさんの人が亡くなりました。

週三回毎回顔を会わせるので透析患者さんとはよく話をします。

新人の私にも仲良くしてくれた人、好きな野球チームが勝つと血圧が上がる人、

いつも横柄な態度な人でも感染して弱っていくのを見ると悲しくなります

.

透析患者さんは抱えている進行していく病気に加えて、

週に何度も針を刺され、4時間以上も拘束され、

食事制限され、おまけに医師には生活態度にもあれこれ口を出され、

ただ息をするだけでこんなにも辛い思いをしなければならないのか、という思いです。

.

透析やめたい、好きなもの食べたい、と皆言います

シャントPTA(透析を続けるための手術みたいなもの)も、痛いからしたくない、と。

.

私は、もう少しだけ頑張ろう、皆と一緒に頑張ろう、と声をかけます

延命治療を続けた先では辛い思いをして死ぬだけの人もいるけれど、

すこしでも幸せな思いをして、報われて欲しいと思う。

仕事とは関係なく透析患者さんには長生きして欲しいと思っています

生きているだけで、あんなに頑張っているんだから

報われて欲しいと思う。

けど、本人の努力や頑張りではどうにもならない、医療限界毎日感じています

.

.

長谷川さんには、お前が死ね。そして臓器を提供しろ、と本気で思っています

.

苦労自慢が羨ましい

苦労自慢が楽しそうで羨ましくて仕方ない

給料が低くて生活が大変だとか言いつつ、自分より仕事が出来ない様に見える上司を貶して酒を飲んで

わいわいと語り合ってる人が楽しそうで羨ましくてしょうがないんだ

考えてみれば中高生の頃も試験前になって慌てて勉強して試験前の徹夜自慢とかヤマが当たったのどうだのと、楽しそうに話してるのも羨ましかった。

赤点取って先生に泣きついたりして、先生と深くコミュニケーションが取れているのを見ては、とても羨ましいと思っていた。

俺にとっての試験なんて日々の予復習さえ出来ていれば90点以下を取る事なんて至難の技しかなく出来て当たり前で、そんな風に楽しむ余地ゼロだった。

先生担任でもなければ、無言で答案用紙を返してくれる存在しかなくて、会話した事のない先生の方が多かったよ。

英語先生が好きだったんだけど、赤点取った奴が楽しそうに、先生に向かって「○○ちゃん助けて!」なんて言ってるのが羨ましくてさ。

受験もそうだった。T大なんて受かって当たり前でしかなくて、A判定が出たとかE判定だったとか、そんな事で一喜一憂する楽しみもなかった。

合格した感動なんて一つもない。それが当たり前の結果だったから、まぁそうだろな、と思った記憶しかない。

就職も当たり前の様に、普通に目的だった第一志望に内定を貰った。

その企業に入るために1年前から準備してきたのだから、当然でしかなくて嬉しさなんて何もなかった。





大人になった今も、かつての学友などが、仕事の苦労や給料の安さ、職場環境を嘆くのを聞いてると楽しそうで羨ましいと思ってしまう。

日々、山あり谷ありで、そこには生きてると言う物語がある。

俺は、毎日、毎月、毎年の単位目標を設定し、数年後の未来を想定して、日々着実にこなしてきてるだけでしかない。

計画通りに30になる前に1千万に到達して、株で財産運用を行って増産しつづけてと、すべてが思い通りに進行している。

そこに、みんなの様に酒でも飲まないとやってられん、とか言うような苦労なんてないんだ。

上司職場環境がどうであれ、その中で自分遂行しうる目標基準は決められる。その目標職場環境下方修正された所で、大きな障害にはならない。

どんなものでも使い道はあるのだ。それが俺にとっての当たり前だった。

さな問題は日々修正すればいい。そこに波乱はない。

思えば、俺の人生はそういう計画立案と実行の繰り返しで、いかようにも積み上げてこれた。

いつだって今できる事を当たり前に行い、その積み重ねから予測される結果を、当たり前の顔で収穫してきたのが俺の人生だった。

日生れてきた我が子に語れる様な波乱万丈な物語もなければ、壁に阻まれた苦労もなくて

あらゆる結果は、それが当たり前の通過点でしかない。




中学の頃、野球をやってたんだけど、自分には才能はない=プロにはなれないと即断して、辞めてしまった事が悔やまれ

必死努力しても、順調に目的を達成できない悔しさを、一度くらいは味わってみるべきだった。あれは無駄時間ではなかったかもしれない。





でも、ただ一つ、嬉しかったことは我が子が生まれたことだ。これだけは、俺一人では決してなし得ない目標だった。

の子は、きっと俺の計画通りには、成長していかなんだろうな。だって、俺じゃないんだものな。

人生の中で現れた初めてのイレギュラーを心から歓迎したい。

上手くいかない事を一緒に楽しめたらいいなと期待が膨らむよ。

何か俺に出来ない事、ひとつ計画通りに進まない事を、我が子の前でみっともなく失敗できる何かを探してみようかな

費用対効果子供を産むのは間違い

と言っている人達が、

同じ舌で「経営者目線仕事しろ」「コスパを考えずに仕事を受けるな」「無駄のある生活をするのは愚かな人間」と言っているのはおかしいと思います

仕事日常生活においては無駄を徹底的に排除しろ教育しておいて、子育て出産については無駄を気にするなというのはどう考えても矛盾です。

偉い人達はその無駄のない生き方と、無駄を許容する生き方をどう折り合いつけているんでしょうか?

もう大学に行く意味がなくなった

現在20歳大学生

ではあるが、レベルとしては中の下レベルの「大学」というより「ほったらかしにされた施設である



大学に行けば人生が変わる」といったことがあったかもしれないが、

大学進学率は現在50%、つまり本来なら行くことはなかった馬鹿でも入れるようになった時代

そんな時代あの手この手でなんとか学生確保に専念しているが、日本大学は本当に多すぎる



そんな中で社会的認知が少ない大学に入っている自分ではあるが、

まり勉強できる環境としては整っておらず、進学率が9割を豪語するだけの所である



なので履修できる授業は1コマ2つしかないのなんてザラで、単位20以上そこから選ぼうにも自由ではない

1限の朝一から講義から普通に私語多いだけで教員が注意する始末、だが学生は出ずに駄弁る

中の下レベルのためゼミ強制的に組み込まれている、だが雑談交じりの会議をするだけで1時間半の無駄

こんな授業が必修になっているから落としたら留年確定



これを大学と言っているのだから恐ろしい

さら自分キャンパスにあった学部一つが募集停止にもなったんで不安しかない

というよりそんな所に入った自分が悪い



もしこの日記を見て何か感じてもらえたら幸いであ

大学に行きたければ、最低でもニッコマレベルマンモス大学に入ってそこで学生生活を楽しんでほしい

大学が淘汰される時代ではあるが、必要とされる研究機関けが残ることを心から願っている

人工透析患者の母とその子である自分

「じゃあ死なせてくれ。殺しに来い」

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1609/23/news067.html

これの概要をざっくり説明したらウチの母はそう吐き捨てた。

20代後半。

母60代後半。透析歴13年くらい。

昔は週2回3時間で済んでいた透析も、いつだったか、何かのタイミングで週3回4時間になった。

ウチの母は生活習慣がどうこうっていう糖尿ではなくて、遺伝子レベル問題なので

ハセガワなんちゃらさんの言う中には入らないんだろう。

食事制限だって優等生すぎるくらい守ってる。

「もう少し好きなもの食べてもいいと思うけどね」なんて担当医に言われたレベル

だけど、ハセガワなんちゃらさんの物言い不快なことに変わりは全く無い。

真に言いたいことは医療費がどうのこうのという感じなんだと思うけど、

とにかく過激だなと思った。

炎上芸なんて揶揄されてるから取り合わないほうがいいのかもしれないけど、

何ていうか残念だなあと、ただ悲しかった。

小学校に上がった頃にはすっかり「母は病弱である」というのが刷り込まれていて、

授業参観とかそういうものは、気がついたら全部父が参加していた。

4年生のときに3ヶ月ほど入院したのがきっかけで、

その後も度々、いろんな理由で入退院を繰り返した。

目が見えづらいから手術するんだよとか、そんな風にしか理由を聞いていなかったけど、

今振り返ると糖尿病の進行が関係していたんだなあと、ぼんやりわかる。

なんで透析することにしたのかは単純で

「この子(私)が成人するまでは」と、思ったかららしい。

宣告受けたのが私が13歳だったと思うから、7年か。

今年の冬で14年目に入るんだから、もともとの予定の倍は生きてるね。ありがたい。

一度だけ透析室に入ったことがある。

あとになって一緒に入った父に聞いても首を傾げられたけど、

「死臭ってこれか」と思った。なんとも形容し難い、甘い匂い

あの匂いはもう感じたくないな、と頭の隅で思った。

(実際に死臭なんてもの存在するのかどうかは知らない。あくまでも私の感覚での話)

一番強くそ匂いを感じた場所にいた人は、1年経たずに亡くなった。

母が透析をしているうちに作った友人だった。

仲良くしていた患者さんのうち、4人目が亡くなった時点で、母は友人作りをやめた。

ハセガワなんちゃらさんの記事ではなんかものすごい言い方されてたけど、

娯楽のために出かけることなんて年に数回あるかどうかってレベルなんだよね。

なぜなら、透析をすること自体が体力を使うことだから

酷い日は透析から帰ってくるとそのまま寝込んで起きてこられないこともある。

医療制度さまさまだなと思うことは多い。

手続きはまだまだ煩雑で、窓口に来るのは本人じゃなきゃだめとか、問い合わせのたらい回しとか、

お役所仕事いい加減にしろって思うことはあるけど、恩恵はありがたく受けてる。

透析に関して、「しんどい、やめたい」と零されると、なんて返したらいいのかわからない。

やめていいよとは言えない。「死んでいいよ」って意味になる。

でも、その一方で苦しみながら生きているのはどうなんだろうと思う。

正しい答えなんてものが無いことを抱えながら生きている大切な肉親に

「死んでくれ」なんて言えるわけがないんだけど、

ハセガワなんちゃらさんはそれにはっきり答えをくれるのかな?

安楽死とか尊厳死とか、そういう議論って今行政ではどうなっているんだろうなあ。

ハセガワなんちゃらさんのお陰で、久々に考え込んでしまった。

まあそういう意味ではありがたいってことにしておこうか。

ここまで読んでくれて、ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20160927191502

ずっと独身で1人で過ごすよりは

『狭い実家に数世帯が貧しく仲良く介護して』って生活のほうが充実してそうなんだよな

人間って結局は社会的な生き物で集団生活して生きてきたわけだから独身で生きていくって悲しすぎるんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20160927182505

そうだね。

将来的に子供がいないと生活が厳しくなっていくかもしれないね


それでも、今の日本は本当にとても恵まれていて、子供が働かなくても維持できる経済状況の家庭が多い。

(ああ、これは子供には良くない事かもしれない)


好きな事が言えて、選択できる自由がある、この国がとても素敵に思います




財政が厳しくなる推測は、今のグラフが落ち込んでいるから、将来も落ち込むと思っているだけ。

実際は今の私達の行動次第で未来が変わると思っています

※とても難題です

http://anond.hatelabo.jp/20160927181154

選択肢が増えたんだ。

過去子供を増やして、将来の働き手としないと、生活が立ち行かない時代だった。

今は、子供を産まなくても、生活できる社会になったんだ。

父親タトゥーを入れていた



タイトルまんまなんだけど、

父親背中タトゥーをいれていることがわかりショックすぎる。



入れているのがわかったのは、父親腎臓病気で寝たきりに近い生活になり、

ヘルパーさん頼むと高いから、、、と、入浴を手伝ったことから



散々入浴を嫌がっていたので、はじめは遠慮しているのかなと思っていたけど、

だんだんと何か隠し事があるのかなと「ふふふ」と思っていたが、

まさか入れ墨を入れているとは思わなかった。



背中に、鳳凰が羽ばたいている姿に、「水の江瀧子」と彫ってあり、

吹雪花札短冊のようなものも舞っていた。



そもそも、鳳凰はターキーではないし、

しかも、よぼよぼになった父の背中で鳳凰が、

烏骨鶏みたいになっていた。

障がい者犯罪

煽りとかじゃなくて本当に知りたくて質問するのだけど

知的障害とか精神障害がある人が犯罪を犯した場合、罪が軽くなったりしてるじゃん?

そうするとすぐに「権利と義務はセットだ。罪を犯しても罰せられないのならば(罪を犯す機会のある)通常の生活制限するべき!」という意見が出てくる。

それに対しては「知的精神障害者犯罪率は一般人と比べて高くない。障がい者からと言って一律に生活制限するのは不適切」という回答がある。

ここまでは理解共感もできる。

でも一度犯罪を犯し、障害者からという理由で刑を減免された人が普通暮らしに戻ることはどうにも納得ができない。

一般人と同様の日常生活を送るのならば罪を犯した際の罰も同様に受けるべきだし、刑(義務)を減免されるならやはり権利も減らされるべきなのではないかと思うのだが…

ということで知りたいのは

1) 精神障害などで刑を減じられた人はその後は元通り普通生活に戻っているのか?(刑務所ではないにしろ隔離された病院とかに入る?)

2) 普通生活に戻る場合、どういう根拠でそうなるの?(「一般人における○○と同じ考え方」とか)

障害についても刑法裁判についてもシロウトなので用語の間違え等はご容赦いただけると幸いです。

当たり前だけど、堅実な生活。人並みなことの出来る人生

三人寄れば文殊の知恵

転職を考えるのなら、自分の親しい人三人に、状況を説明して一緒に考えて貰ったら。

凡人の意見でも、十人十色とも言う。類は友を呼ぶで、朱に交わって赤くなったヤツばっ

かりもあるだろうが、聖書のことばに、滅びに到る道は大きく開いていて、そこから

入っていく人が多いといい。命に到る道を見つける人は少ないともいい。

縁は異なモノ味なモノともいうし。袖振り合うも多生の縁ともいうし。

『良縁は、心がけ次第。仕事恋愛も』。これはホント

一本道を歩いていて、二叉、或いは三又に分かれた、分かれ道に来たとき、同行者がい

て、二人はそれぞれ違う道を選んだとして、その未来が、その個人にとって、幸福

感じるかどうかは、個々の感じ方によって違うだけ。

『しあわせは、自分こころが決める』便所の日めくりカレンダーにもなった、書家

相田みつおのこの言葉は、本当だとアタシは思うね。

人生を選ぶ「選択」するじゃなくて、与えられた天命を受け取る。受け入れると自分

考えて半世紀以上生きて来て、今、悔いはないね

住めば都。適材適所。“一所”懸命。

トラベラーボヘミアンジプシーフーテンには、解らない感覚だろうね。

三匹の子豚の話に、わらの家を建てて狼に襲われ、次に木の家を建ててまたしても狼に

襲われ、最後煉瓦の堅固な家を建てて、三匹は幸せ暮らしましたとある

じぶんの立脚する砦、足下は堅固にしようと考えてこれまで、働いて生きて来た。

インチキ不動産から家を守ってね!(爆笑

日本子供を作るのは罪だと思う

NHKの「縮小ニッポン」が話題になっていた。ついたブコメもほぼ絶望しかなかった。みんなが言う通り、この国の将来は悲惨ものしかならないだろう。そんな中で、私はこの日本で「子供を作る」という選択をしている人はなんて罪作りなんだろうと思っている。



これからまれてくる子供は、絶望しかない日本暮らしていくことになる。この日本子供を作るということは、子供地獄に突き落とす行為となんら変りないように思う。本当に子供のことを考えるのであれば、日本子供を作るべきじゃない。海外移住してから、もしくは海外移住できる目処を立ててから子供を作るべきだし、日本を離れる意志のない夫婦子供を作るべきじゃないと思う。相当な資産があるならまだしも、普通の人は衰退する日本子供を作るべきじゃない。



なぜ相当な確率で不幸が約束されている状況で子供を作ろうとするのか、私には理解できない。それは単に「子供が作りたい」「子供がいる生活がしたい」「子供を生きがいにしたい」という親の身勝手なだけで、地獄に放り出される子供はたまったもんじゃないと思う。

2016-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20160926112012

自分の入ってたサークルちょっと天然気味の子部長になった

彼より大人世間慣れした器用な子もいたし、彼より甲斐甲斐しく面倒を見るタイプの子もいた

先輩によると天然の彼が部長になった理由は「その方がまとまるように思うから」ということだった

サークル全体として見た時に、彼・彼女が適任だった、ということはあるんだと思う

役職につかない=報われない、という解釈もなにか悲しい

あなた代表にするとあなたばかりに負担が集中するから、という判断だってあるのかもしれない

変な自己評価自分を縛るのはやめて、良い風に考えよう

残り少ない学生生活サークル活動を楽しもうぜ

聲の形を見て思ったけど小学生の時の友達と遊ぶの気持ち悪くない?

遊ぶというか正確には当時のメンバーを集めて、関係を再構築していくのが見てて苦手だ

あの花もそうだったんだけど、高校生になっても学校もバラバラなのに集まる自体が異常だと思ってしま

思い残した事あるからってぶっちゃけうそんなん忘れてもよくね?つか今の生活をしていたら忘れてるだろ

現在友達関係もあるというのになんで過去友達を優先するんだよおかしくないか

なんていうか息苦しいというか旧友なんて偶然会うなり同窓会で会うなりしてあとは噂とか聞いたり下手したら結婚式葬式まで会わないでしょ

それをいちいち連絡をとりあってまで会って過去みたいにまた楽しもうとかちょっとないわーって思っちゃう

ボールさえあればすぐに遊べれたあの頃とは違うんだよ、そもそも話題とか合わなくなってきてるだろ?

というかある程度年を取ると考えも変わってきてこいつこんなんだっけ?とギャップもあるだろうし

思い出は掘り起こさないからいいんであって、いつまでも過去引きずるなよ前向けよ

嬌声コレクション

40 台中盤のそれなりに円満夫婦。去年の夏にふと思いつき、以後妻との性行為中の音声を時々録音している。それがそれなりの数になってきた。本当はハメ撮りしたいのだが許可してくれないので音声だけで満足している。とは言え、結婚から 20 年近く同じようなセックスをしてきたので、いつも変わり映えしない音声が続く。なのであまり聞き直したりはせず、単なる性生活日記に終始している感じ。しかしこの音声を有効利用できないもの現在思案中。

http://anond.hatelabo.jp/20160926193434

災害生活基盤失った人が再び収入を得られるまでの間、公的支援に頼るのはオーケーだよ。

生活保護者をバカにしてる人って自分は生涯何もないと思ってるのかな?

津波地震によって財産は全部なくなる。

もちろん会社営業できないし仕事も失う。

そしたら生活中に貯金も使い果たすと思うけど

通帳も身分証もないと貯金を引き落とすのも難しいわけよ。

明日は我が身だけど大丈夫なのかな?

10年前のあの日、俺はKくんに電話を掛けることができなかった

来年で30になる。

 

子どものころ海外に行って別れて、久しぶりに地元に帰ってきたKくんはモデルを目指すという話を噂で聞いていた。

そして当時一番の親友だった俺と会いたいという意図を聞いた。

一方、俺は学生ニート引きこもりと化していた。

どうにかしなければならないと思いつつも完全に対人恐怖症になっていた。

電車の中の女の子たちの笑い声ですら動悸がして、非常にストレスになる、今思えば完全に病気だった。

あえば当時10年ぶりの再会となるが、俺は旧友とは誰とも会わなかった、会いたいと思わなかった。

その時、成人式親友だったやつと目があい、頑張って明るく挨拶したが無視されたのを思い出していた。

こんな俺をみてもコメントに困るだろうし、俺もK君の中の思い出を汚したくないし、何よりとても辛いので会うことができなかった。

会わなければいけないことは頭では分かっていたが何もできなかった。

都合が悪いふりをして会わなかった。

ドアには電話番号が書いてある紙がかけられていた。

 

それをアパートに持ち帰って電話を掛けようか、夜中に考えた。

考えて考えて、やっぱり電話を掛けるべきだと思ったが、とても何を話せばいいのか想像が付かない。

どう受け答えすればいいのか全くイメージができない。

何を言えばあの頃の思い出を汚さずにキラキラとさせたまま期待を裏切らずに電話を切れるのか考えた。

しかいくら考えても答えはでなかった。

つの間にか俺は真夏暑い夜の空の下にいた。

家の前のアスファルト道路の上に、靴を履いてパジャマ姿で立っていた。

携帯電話を片手に、視線を何度も地面と空を往復させて考えた。

長い時間が経ったように思えた。

答えは出なかった。

10年前の俺はKくんに電話を掛けることができなかった。

 

それからしばらくはそのことがずっと心のしこりで残り続けていた。

俺はというと頑張って大学卒業して何とか就職して働きだした。

勤務中でも増田が書けるだけの緩い職場だ。

もちろん忙しいときはそんな暇はないが。

何とかまともな社会人になってきたところでふとそのことを思い出した。

 

名前特殊なだけあってネット簡単に今の近況を調べることができた。

モデルを目指している人間ブログツイッター本名でやらないわけがいからだ。

特定やす情報もいくつか揃っている。

5分もかからずに特定できた。

10年前の俺にはできないことをしている。

今度ライブをやるらしいが、あいにく見に行くことができない距離だ。

特に大きな病気もせず活動を続けてきたんだなということがわかった。

残念ながらTVドラマに出まくるとか大ヒット歌手になるというところまでは行っていなかったが。

何か一言でいいから伝えたい気持ちが強くなった。

 

でも、10年前の俺の電話を掛けることができなかった俺と、

今の俺は何が違うのだろうか?

今でも俺は自分武器を取られたらオロオロして自信を無くして取り乱す人間だろう。

少し仕事ができるようになったせいで偉そうな精神性と虚ろな自信を身に着けたから、

今連絡を取りたいとか応援したいとか思い出しただけだ。

要は、自分に必至じゃなくなったか他人人生ちょっかいかけたくなったのではないか

今朝からそのことを仕事をしながら考えていたが、

どうしてもその疑惑が晴れることはなかった。

 

俺が伝えたいことはこうだ。

10年前Kくんに電話をかけなかったのは決して嫌いだとか関わり合いたくないからではなく、

今の汚物のような俺がモデルを目指す君のキラキラとした思い出を汚しかねないと判断たからだ」

「そして汚さないように交流を持つということも当時の俺の能力では不可能だったからだ」

「もし、嫌われたとかそう思っているのなら誤解だ、10年間何も言わずにすまなかった」

「今はバンドしたり歌手をしたりして幅広く活動してると思うけど、もし機会があればライブを見に行きたい、頑張って」

10年後である今の俺に、これを誤解なく、かつ円満に伝えられるだけの自信はなかった。

 

どうやら俺は10年前の俺と同じように、あの当時から10年後の未来の俺は同じように、

きっとまた連絡を取れずに終わるのだろうか。

俺が自分の心のしこりである重荷を解き放たれたいという欲求があるのか、

それとも未だに自信がなく怯えているのか、

あの当時自分の選んだ選択を一生責任を取って肯定するべきなのか、

難しいことを考えずに連絡を取り、何事もなく終わるのを期待するべきなのか、

Kくんにとって何が望ましいことなのか、古傷をえぐることにならないのか。

 

10年前も10年後も俺は答えを出すことができない。

Kくんが増田なわけはないが、

万が一にも増田なら、

あの時俺が会わなかったのは、どんな顔で会えばいいのか分からなかったんだ。

電話を掛けなかったのは、どんな話をしたらいいのか分からなかったんだ。

そして今も連絡を取れないのは、もう自分が何を本当に従っているのかも、

何をすれば一番正しい結果になるのかも、判断できないからだ。

 

すまん、Kくん。

立派になったら連絡を取ると誓ったが、

俺には一生無理かもしれない。

どうすればあの時と10年間を軽く謝って応援できるのかイメージが付かない。

俺は何も変わらなかった。

とても悲しい。

夢を叶えてください。

家族と仲良さそうだし、健康そうでよかった。

もし行ける範囲ライブがあったらこっそり顔出しますね。

本当はもっと文通していたかった。

でも日本語を忘れかけていると書いていたのを見て、

もうこちらでのことは忘れて新しい生活になじむのを優先した方がいいのではないか

そのとき僕は思ってしまった。

お金もかかるし、続けるだけの勇気も知恵も無かった。

いっしょに遊んだこととか、今でも全部覚えてる。

本当にありがとう

また、いつか。

 

Wより