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2017-03-25

anond:20170325014712

寄付がどーたらと、特に違法性がある訳でもない事を

国会で審議する理由意味不明

こんな不必要な事で一日に3~4億の経費を国会で使いまくってる

土地取得問題ですら違法性が見つからないまま

普通確証得てから騒ぐもんじゃないのかな

安倍政権倒したい一心野党マスコミ

次々倒せそうなネタに飛びついては自爆しているだけに見えます

2017-03-24

カウンセリングに行く勇気がない人はどうしたらいいのか

俺の病名教えてくれよ。

上京してすぐに打ちのめされた。

部屋探し中に東日本大震災が起き、混乱のさなかで決めた物件がとんでもない湿気ハウスで、いつ漏電してもおかしくないと業者の人に言われたので契約キャンセルしたら、感じの良い大家の婆さんから散々罵られた。

この経験は俺に東京への強烈な苦手意識を植えつけた。東京人間は信用出来ない、腹の底ではきっと俺を……

しかし、くだらないプライド地元に帰ることな孤独に生きている。友達なんかできるもんか。



でも、それでも、友達を作るチャンスはあった。

面白くて尊敬できる、個性的女の子と仲良くなりそうになって、何度か大学から最寄り駅まで一緒に帰ったりもしたが、「俺は死ぬまでこの人の面白さの全てを理解できない」という多面的しょうもない考えと「俺はこの人より面白くなれない」という劣等感が頭をグルグル駆けまわった結果、彼女コミュニケーションを取ることができなくなった。

笑いの趣味が近い、物静かな文学青年と仲良くなりそうになった時は、「嫌われたくない」一心で連絡を絶った。

趣味は合わないけど、なんとなく波長が合いそうな気がした高校同級生と再接近した時は、彼に誘われて入った同級生たちのグループラインでの彼の発言が俺に対するあてつけにしか思えなくなって絶交した。

これ絶対心の病気だろ。

カウンセリングに行くのが一番だということは理解している。でも、行く勇気がない。何言われるかわからないし。傷つくかもしれないし。何度も行こうとしたけど、結局いけずじまいで7年目。

病名なんだろう。薬飲めば治る系のやつだといいな。薬出ない系は辛そう

2017-03-18

報道しない自由」を許してはならない

日本メディアには「報道しない自由」が溢れている。なぜこうも「報道しない自由」が行使され続けるのか。それは国民マスコミには報道の自由編集の自由があるからと半分諦めて抗議をしないかである。なぜ抗議しないのか、それは国民が「自由」という言葉意味をよく理解していないからだ。

自由定義を難しく考えれば、その説明は本一冊では足りないくらいである。しか私たちがよく使う自由意味は単純に「束縛されることな勝手気まま」という意味殆どである。それではなぜ勝手気ままにできるのか、それは世間で正しいと認められているか自由勝手にできるのだ。公園散歩するのは自由だ、なぜならそれは世間で正しいと認められているかであるしか私有地勝手気ままに散歩することはできない。

報道においてはまだ正しいかどうか分からないことも多いが、多分正しいであろうと判断して報道している。しかしもしその報道が間違っていたならば謝罪責任を取らねばならない。自由とは常に正しくなければならないし、責任が伴うものである。つまり自由意味とは単純に“正しい”と考えればいいのだ。自由とは正しいか自由なのです。

おかし報道に対して抗議をすればいつも「報道の自由がありますから」「編集の自由ですから」と返事が来る。しか自由という言葉にひるまずに「その報道は、その編集は正しいのですか」と聞き返せばいいのだ。「報道しない自由」に対しても放任せずに「それを報道しないことは正しいことなのですか」と追及すればいいのだ。

例えば中国圧政に抗議してチベットでは百人以上の坊さんや尼さんがガソリンを被り焼身自殺をしている、世界中国圧政を知らせたい一心からしか日本国内マスメディアでは中国に遠慮して殆ど報道されることはない。欧米では知られているのに日本人ほとんど知らない。これに対して私たちは「これを報道しないことは本当に正しいことなのですか?」と強く抗議すべきなのだ

基本的自由なんて言葉無視すればいいのです。「報道の自由だ、編集の自由がある」とマスコミが言っても「ハイハイ日本には自由保障されています、どうぞ、どうぞ自由気ままに報道してください、しかしその報道は本当に正しいのですか?間違っていたら責任を取ってくださいね」と反論すればいいのだ。

皆さんも「報道しない自由」を見つけたら「それを報道しないことは本当に正しいのですか」と抗議、追及してください。「報道しない自由」など絶対に許してはならないのです。

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

結婚して10年たつけどいまだにいつHしていいのかわからない

当方は夫で夫婦でそろそろ40って感じで子供は2人。俺が言うのもなんなんだけど奥さんはかなり美人

結婚から毎日オナニーしてたし俺は毎日でもHしたいんだけど、ほぼ断られる。

なんか同僚とかが話してる週1とかのペースまじ信じらんない。どうやってんの?うちは多くて2か月に1回だし約1年開いたこともある。

理由はいろいろなんだけどだいたい

1. やだ

2. お風呂に入ってない(疲れて次の日の朝入ることが多い)

3. 月のもの

こんな感じで、基本的にはなんかこうお膳立てがないというか、雰囲気がそうじゃないのにHに突入するのがいやなんだそうだ。

わかるんだけど、奥さんは早起きして上の子弁当つくってて、日中は小さい子の相手家事でくったくたになって、そのあと夜にそうなるのってほぼ無理ゲー

から俺がなんとなく無理やりキスしてるうちにー、とか、布団の中に隠れてて寝にきた奥さんにいきなり襲いかかったりとか、そういうノリでなんとか押し切る感じで夫婦生活を始めてる。

それはそれで奥さんもまんざらじゃない……、みたいのはほぼなくて時々マジで切れられてしまう。泣かれたこともある。ごめんなさい。

ただ、そうしなかったらHに至れる気がしない。

真剣な話し合いもしたし、私はもともとH苦手だから浮気してくれてもいい。しょうがないと思う。みたいに言われたりしたけど、いやそうじゃなくない?

行為にさえ突入すれば、嫌がってる様子はないと思うし、普段はろくに触らせてくれない美人の奥さんが俺に体を許してる、って思うと本当にすごい興奮する。

めったにHできないから、性行為マンネリで、みたいな悩みはまったくないし、Hしたい一心で奥さんの負担を減らすためにあれこれ腐心してるし、これはこれでいいのかもしれない。

ああ、でももっともっとセックスしたいよう。

追記)

いろいろアドバイスなどありがとうございます

Hを早く終わらせたいっていうのは、俺がそう感じなくてもぜったいあると思う。ただ、奥さんの場合、次の朝はやいとか、そういう心配があるならしない、というスタイルなのです。

今書いてて思ったんだけど、奥さんもともと体弱いし、Hの次の朝しんどくて起きれないとかわりとある

からそれも考えるとよけい億劫というのは理解できるのです。

Hに至ればいやじゃなさそうなのは大丈夫?っていうのは直接的、間接的にそうとう確認したんだけど、本人曰く性的快感乱れるのが恥ずかしくて自分嫌悪してしまうとか。

しかにご両親が性に対して相当保守的な方々で、奥さんをみてると端々に潜在意識まで教えというか躾が染み付いてる感じがする。下ネタにすごく拒絶反応でるとか。

なので、子供寝てる横でキスするだけで嫌がる。だからいつそういう雰囲気になってもいいように今日は!という夜は別室に布団しいて避妊具用意してる。まあ99.9%空振りなんだけど。

というわけで俺本人が嫌がられてるわけではない、はず。友人たちから子供からも仲良しすぎるっていわれるくらいだし、奥さんも俺が仕事やすんでデートとかするの喜んでくれてる。

俺がひとりでゲームしてるとくっついてきたりするし。その延長でついその夜に体を求めたくなるのが俺で、あー嬉しかった!で終わるのが奥さんって感じかなあ。

奥さんが泣いてしまうのは、Hそのものが嫌というわけじゃなくて、ほぼ俺の無理解が悲しいという理由。今まで5回ほど、だいたい2年に1回起きてる。

なんで俺がそうしてしまうかというと、基本100%だめって言われるので、もうちょっと探りたい、もうちょっとだけ!って感じで、いつの間にか一線を越えてしまう感じ。

申し訳ないです。

2017-03-12

ブルブル病

さっきイッテQ観てて、出川が綱を渡る時に足がブルブルしてて、

「はじまったよー」「誰か止めてくれよー」とか言ってて、それを見ながらゲラゲラ笑ってたんだけど、



そういえば、私もブルブル病。



3年前に転職した会社の朝礼、順番に日直がまわってきて、本を朗読させられる。

朗読し終わった日直が誰かを指名して、指名された人はその本の内容について感想を述べる。



一見感想を述べる人の方が難しそうだが、私は朗読すらできない。

周囲は優しい人達ばかりで、誰一人厳しい目で見てないのに。

それなのに朗読ができない。出川の様に足がブルブルと震え、声が上擦り、過呼吸の様な状態になる。


入社してすぐにその症状に気付き、恥をかきたくない一心で、心療内科に行った。

あがり症の方は意外に多いですよ!」と、お薬を出してもらった。



日直の日の朝、薬を飲む。

薬が効き始めるのが1時間くらいか

「薬はちゃんと効いてるのか?」と、ドキドキしながら朗読を始める。



順番に日直がまわってくるんだけど、私の前の人が当日欠勤すると、私が日直をやらなきゃいけなくなるかもしれないので、

自分が日直になる前々日からキドキしてる。

そのドキドキを消すために薬を飲みたいけど、

飲むと気怠くなって、眠くなる。仕事に支障が出るから「ここ!」って時以外が飲みたくない。




日直じゃない日も、指名され感想を言わなければいけないかもしれないので、気が抜けない。

「またブルブルが始まるんじゃないか。」「指名されませんように。」と、願いながら1日が始まる。

指名されると、ブルブルと何かしゃべってる自分がいる。

なんとかしゃべり終わっても、なぜかしゃべり終わった後にブルブル病がやってくるから不思議だ。




そんなこんなで、なんとか乗り切りながら、もうすぐ3年が経つ。

人としゃべる事はとても楽しいし、仕事やりがいがあって好き。

まれ環境にいる事も実感しているのに。




だけど、朝礼の事を考えるとそれだけで鬱になり、会社行きたくないと思ってしまう。

なんとか克服したくて日々模索してる。朝礼の事ばかり考えてる自分バカみたいでツライ。

2017-03-10

本日仕事帰りにとある飲食店で注文後、本を読んでいたら

盛大に味噌汁シャワーを浴びた

店長はじめ店員達が平謝りの中、考えていたのは

「うわーなんか晒しプレイみたいだ。早く帰りたい」

だった

幸い火傷もなく、二十年も着て「もう捨てたほうがいいかな」と思ってた上着と

今週末洗濯しようかと思ってた作業着味噌汁臭くなったのはいいとして

問題は読んでいた本

半分ぐらいが味噌汁まみれになってしまったので正直こっちを

弁済してほしいところだったが店長によると

クリーニングしかでない」とのこと

なんだそりゃと思ったが、前述の通りとにかく帰りたい一心だったので

それ以上問い詰めることはしなかった

急に被害食らうと案外怒るとかごねるとか出来ないもんなんだな

その後注文した料理は完食し「無料でいいです」という店長適当に説得して

代金を払って帰宅

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170305022101

私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。

よくある2chアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒いガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、

どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。

それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。

それに、主体性ウーマンパワー的なもの巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…

そういった作品テーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの

でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、

個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性アンテナが反応しない。

結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人ブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。

人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業必須

もちろん、そこまでする気がなくても、あくま自分感性に従った感想もつことは自由だけれど、

そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。

とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。

視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。

また映像表現であることに由来する難しさもある。

すべて、とは言わないまでも大部分が文章説明されている小説とは違って、映像作品表現やその意図曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。

また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。

そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品侮蔑するのはたしか自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。

そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。

こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面disするような人やメディアが減ってほしいと思う。

私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンバカにしたくない。

はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディア攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。

そういう人が増えてほしいんです。

いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。

ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザーはてなユーザー意識してほしいと思いその一心で書きました。

2017-03-03

ダメな子ほどカワイイ

うちは片親で、母は女手一つで私達をよくここまで育ててくれたと思う。

その点では尊敬している…というか感謝しているのだけど、

借金しか作らない金食い虫で貧乏神の兄の肩を持つから、本当に嫌気がさす。

うちはさっき言ったように片親で、割りと本気で金がない。

私は、大学に行きたかったけど経済的理由でやっぱり行けなかった。

今思えば、奨学金でもなんでも使ってみれば良かったんだろうけど、当時はそんな考え全然思いつかなかった。

うちは金がないから、とにかく学校は諦めて、さっさと働きに出ないとって、すぐ諦めたのがいけなかったのかな。

まぁいいや。

でも、兄は専門学校に行ってる。親の金で。そのせいでうちには余計金がなかった気がする。

親が働いて働いて、年に200万くらいする学費を払ってた。

本当にギリギリになった時、ちょっとから流行ってる「過払い請求」の手続きで、まとまった金が入った。

これで少しは楽になるかなって思ったら、その返ってきた金で母は兄にバイクを買った。

100万だか200万だかするような、何が良いのかわからん煩いバイク

おかしいと思った。

専門学校を出て、兄は仕事のために大阪一人暮らしを始めた。

そこでの仕事を「どうしても苦手な人がいた」という理由で、一日だかひと月だかで辞めた。

母は兄に仕送りをするようになった。

兄はそれでも金が足らなくて、母が買ったバイクを売った。

仕送りをするのにも苦しくなって、結局兄は地元に帰ってきた。

暫くはこっちで仕事してたけど、そのうち彼女妊娠させたとかで結婚した。

まぁ、その結婚は結局、仕事を辞めたかっただけの女に騙されただけで、妊娠もしてなかったし半年離婚したけど。

兄は婚姻中に、女の方が全然働かなかったから、生活費がどうので結局またアホみたいに借金してた。

一人暮らしの期間も含めてたかだか一年とかだし、金の使い方おかしいんだと思う。

母にそこまでの金がないのも分かってたからか、親戚に金を無心しに行って借金が発覚した。

どうにもならなくなり、結局債務整理手続きをして、今も地道に借金返してるらしい。

私は当時、破産をしたという話を聞いていたけど、破産ではなく債務整理だと。

いっそ破産にしてりゃあ今頃もう少しまともだったかもしれないのに。

離婚後、少しして、母に金が勿体無いと説得されて兄は実家へ戻った。

破産したって聞いてた時期に、仕事するにも何するにも車が必要だとかで、以前過払い請求している関係で、もうローンが組めない母に頭を下げられて、私の名前で兄が車を買った。。

私はびた一文払っていないけど、母の負担が増えただけだし、こんなことしなきゃ良かった。

当時は、もう本当に関わりたくない一心で、これで縁を切ってもらうって話だった。

結局縁は切れてない訳だけど。

なんで日本法律って、親兄弟の縁が切れないんだろうね。切りたい。

結局、今は債務整理やら何やらで、月々8万くらい返済を続けているらしいけど、クソみたいな仕事しかしてないせいで母への無心が尽きない。

先日、仕事から帰った母が、仕事に行っている筈の兄が家に居たことに驚き事情を聞くと、2月いっぱいで仕事を辞めたらしかった。

金もないのに。

結局、一時しのぎの為に私名義で買った車も売られた。

300万したのに。50万にもならなかった。買ってまだ2年?3年経ってないくらいだと思う。

一回事故ってるから事故車扱いで価格が低いとかそういう話されたけど、絶対もうちょっと頑張って探せば値は上がったと思う。

本当に悔しい。

こんなのと血が繋がってることが悔しい。

母は「もうお金はない」って言いながら、兄への援助をやめない。

何年もやめない。

自分の息子だから」と借金の肩代わりもやめない。

もう手を切れって言っても、見捨てない。鬼にもならない。

そのために、あなたは娘と絶縁する事になるのに。

将来、あなたの面倒なんか絶対見れないようなクズのために、定年まで、定年しても働き続けるんだね。

私は、もうすぐ地元を離れる。友人は寂しがっているけど、もうこの家に関わっていたくない。

親戚へも誰にも行き先を告げるつもりはないし、もう二度と連絡も取らないつもり。

金を搾取され続けるのは、もうこりごり。

どうして母も、親戚も、あんクズ大事にしたがるんだろう。

どうしてあいつにばっかり金かけるんだろう。

2017-02-23

大人階段を登ったのだろうか

年下の彼氏がいる。

若くてかわいくて自分まで若返ったような気持ちに浸っていた。

若い彼との性行為はとても楽しくて疲れを知らない彼に抱かれ、若いというだけでこんなにも性行為はパワフルなのかと思い知らされた。

そんなある日、酔った勢いで彼に日頃の不満をぶつけてしまった。

それが彼には堪えてしまったらしくしばらく距離を置きたいといわれた。

関係は元に戻ったが、依然と同じように接していても言いようのない距離感ができてしまった。

前のように戻りたい、その一心で内心は必死に、しかし今までと同じように彼に接してきた。

少しずつ距離感が戻ってきたある朝、久々の性行為に及んだ。

いつも通りパワフルなセックスを期待した。しかし、そうはいかなかった。

彼が途中で萎えしまったのだ。

年下の若い彼氏だったためか、途中で萎えことなんて一度もなかった。

しかし、今回は萎えしまったのだ。

ほかの誰でもなく、彼本人が一番自分行為最中萎えるという事態に驚いていた。

若くて萎えるなんて知らなかった彼を初めて「萎え」させてしまった。

こんなの初めてだわーとか年取ったのかなとかいものように彼はおどけて笑っていた。

「こういうのって気持ちの変化によるものらしいね…」彼がポツリと呟いたのが聞こえてしまった。

2017-02-22

Twitterとかで「自殺」という単語が出てくるたびに胸が締め付けられるような気持ちになるので適当に落としておこうと思う。



私は昔片親で、学生時代に親が自殺した。

親は数年前から精神病を繰り返していて、すでに病気にかかった状態の親に慣れつつあった私は「今回はいつ頃治るのかな」と思っていた。

精神病になって自分を見失ったかのような行動をとる親はとても怖かったけど、でも親は親だし、どんな親でも大好きだった。

将来はたくさん稼いで、今苦労させてしまっている分、私が楽をさせたいと思って毎日学校に通っていた。

そんな折に親が自殺した。



正直、あの時のことは思い出したくもないし、あまり泣かない子供だった自分が人目をはばからずに泣いた。

思い出したくないことって割と頭の中に染みついてるのか、今でも結構な頻度で思い出す。

遺書、あったのかな。子供だった私には伏せられたのかもしれない。あったのなら見せてほしかったけど。



閑話休題、私は親が死んでしまったことよりも「自殺」したことに絶望した。

「ああ、自分で死を選んじゃうくらい辛かったんだな」とか「軽く考えてた昔の自分を殴りたい」とか、後悔のオンパレード

親の死に顔を見て「憑き物が落ちたような顔してる」とか言われてもやるせない気持ちでいっぱいだった。

私の我が儘でしかないのだけど、私は親がいるだけで幸せだったし、親が辛いなら私が幸せにしたかった。

「たくさん不甲斐ないところを見せた」って申し訳なさそうにしてたこともあったけど、私全然気にしてなかったよ。

なんで勝手絶望して勝手に死んじゃったの。私、今の方が不幸せだよ。信じらんない、馬鹿



あれから数年生きてきて、クソみたいな生活を送っている私だけど「自殺」だけは絶対にしないと決めている。

「こんなクソみたいな生活してるんだから死んだ方が世のためなんじゃないか」と思う日もあるけど、あの悲しみをまた兄弟に味合わせたくないという一心で生きている。

自殺は甘え」だとか全然思わないし、むしろ自殺するまで追い込まれしまったんだな」と思うけれど。

でも、あなた自殺したらとても悲しい。あんなに幸せだった思い出も全部寂しいものなっちゃう。

今でも、こんな気持ちになるなら一緒に死にたかったなって思うよ。私はずっと親に囚われてる。



最後に。

速度違反をしながら信号無視して交差点に突っ込んでくる車を見かけると「轢かれてやろうか」と思うので、そんなことしてる人はこれを機に改心してください。

2017-02-16

清潔感があるだけで人はモテると思う

誰にも言えない悩みがある。

彼氏の部屋が臭い

臭いといっても男臭いわけではなく、柔軟剤や洗剤やそれらが混ざり合いすぎて部屋に入った瞬間「もわっ」とくるにおい。

それを感じるようになってから自分の家も見直すようになった。

多分私もにおってはいるんだと思う。

無臭の自信は全くない。

しろきょうだいにお前の部屋くさいよ!と言われたことすらある。

しかに、私の兄の部屋は、潔癖症ぎみなこともあって空気クリーンである。(しかし男臭はする)

部屋の空気を正す秘訣は兄に聞けばいいのだと思う。

最近自分の部屋にヴィレヴァンで買えるお香を置いている。今は一番人気らしい、チャンダンという香り(古着屋のにおい)

部屋を片付けていて、久しぶりにスティックを出してみたら、それだけで気分がとても和らいだ。お湯を沸かしてお茶でも飲もうという気になった。

きれいな部屋と、いい香りというのは本当に精神衛生上良い効果をもたらすのだとわかった。

話がめちゃくちゃ逸れたが、部屋から出たごみをまとめている時に、私は自分が好きだった先生のことを思い出した。ファブリーズや歯磨き粉の上についているラベル一心不乱に剥がしごみ袋に突っ込んでいるときに、先生が「こういうの絶対気になる(から購入後すかさず剥がす)」タイプであると言っていたのを思い出したのである

先生は白いリネンシャツやネイビーのスウェットやたまにビビッドなカラーニットを着て教鞭をとられる髭が顎に少し生えた非常にクリーン男性である(メディアインタビューでよく目にするデザイナーIT系クリエイター想像していただけると近い)

先生は私だけではなく、女子生徒にまんべんなくモテるが、その理由は非常にクリーンなことにあると思う。

女子生徒からしたら30代〜50代のおじさんの先生は大体良い印象は抱かない(申し訳ない)が、

そのなかで髪も肌も靴も香りも(多分うっすらと香水をつけている)(髭はあるけど整えられていて、服もスウェットだけどシワひとつなくユニクロ広告外人のようなイメージ)気をつけていて清潔感に隙がない先生がいたらそれは皆良い〜〜!!と感じるのである

それだけで好印象を抱く理由である

20代でも、髪肌爪服靴鞄香りすべてに気をつかえている人はそういないと思う。

私も生粋の面倒くさがりなので(むしろどこなら気を使えていると自信をもって言えない)化粧よりも新品の服よりも自分が持っているパーツをきれいにすることから始めたいと思う。


ちなみに清潔感がなくてもモテてる奴いるじゃねーかよ!!というのは私も思うことなので、別の機会に検討したい

清潔感があるだけで人はモテると思う

誰にも言えない悩みがある。

彼氏の部屋が臭い

臭いといっても男臭いわけではなく、柔軟剤や洗剤やそれらが混ざり合いすぎて部屋に入った瞬間「もわっ」とくるにおい。

それを感じるようになってから自分の家も見直すようになった。

多分私もにおってはいるんだと思う。

無臭の自信は全くない。

しろきょうだいにお前の部屋くさいよ!と言われたことすらある。

しかに、私の兄の部屋は、潔癖症ぎみなこともあって空気クリーンである。(しかし男臭はする)

部屋の空気を正す秘訣は兄に聞けばいいのだと思う。

最近部屋にヴィレヴァンで買えるお香を置いている。今は一番人気らしい、チャンダンという香り(古着屋のにおい)

部屋を片付けていて、久しぶりにスティックを出してみたら、それだけで気分がとても和らいだ。お湯沸かしてお茶でも飲もうという気になった。

きれいな部屋といい香りというのは本当に精神衛生上良い効果をもたらすのだとわかった。

話がめちゃくちゃ逸れたが、部屋から出たごみをまとめている時に、私は自分が好きだった先生のことを思い出した。ファブリーズや歯磨き粉の上についているラベル一心不乱に剥がしているときに、先生が「こういうの絶対気になる(から購入後すかさず剥がす)」タイプであると言っていたのを思い出したのである

先生は白いリネンシャツやネイビーのスエットやたまにビビッドなカラーニットを着て教鞭をとられる髭が顎に少し生えた非常にクリーン男性である(メディアインタビューでよく目にするデザイナーIT系クリエイター想像していただけると近い)

先生は私だけではなく、女子生徒にまんべんなくモテるが、その理由は非常にクリーンなことにあると思う。

女子生徒からしたら30代〜50代のおじさんの先生は大体良い印象は抱かない(申し訳ない)が、

そのなかで髪も肌も靴も香りも(多分うっすらと香水をつけている)(髭はあるけど、服もスウェットだけど)気をつけていて清潔感に隙がない先生がいたらそれは皆良い〜〜!!と感じるのである

それだけで好印象を抱く理由である

20代でも、髪肌爪服靴鞄香りすべてに気をつかえている人はそういないと思う。

私も生粋の面倒くさがりなので(むしろどこなら気を使えていると自信をもって言えない)化粧よりも新品の服よりも自分が持っているパーツをきれいにすることから始めたいと思う。


ちなみに清潔感がない奴もモテてんじゃねーかよ!!というのは私も思うことなので、別の機会に検討したい

2017-02-13

何もかもがしっかりと積み重なった雪の層。

その下に、小さな蕾が眠っている。

空は暗く雪ばかりだった草原に、今年は珍しく日が射した。

しかし、長年積もった雪はお日様の微かな暖かさではちっとも溶けて行かず、むしろ少し溶けた分だけ雪面は醜くなっていった。

やがてお日様は雲に覆われ、またいつも通りの日常が戻った。



蕾が人生で二度目にお日様の暖かさを感じたのはその二年後だった。

蕾は二年前の悲劇を思い出し、怖じ気付く。

しかしその暖かさは、お日様のように皆に薄く平等に与えられておらず、蕾だけをひたすら暖めていた。

それは暖かい人の手だった。人の手は自らの手を冷たく冷やし、それでも雪をとっぱらった。

蕾はその人の手が見たかった。その人の手が見たい一心で、今度は自ら雪を溶かすようになった。

さらに水の代わりに与えられた養命酒が、蕾の冷え性改善し、雪を溶かす助けになった。



雪はまだ降るー。

しんしんと降る雪を見ていると時々、自分が雪に埋もっていた頃を懐かしく思い出す。あの時私を散々苦しめ、そして守ってくれていた雪の壁はもう無い。

しかし、どんなに雪が降っても、もう雪に埋もれることはないだろう。



一面の雪原の、そこだけ土が見えていて、小さなさな花が、こじんまりと咲いていた。

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。


 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。


 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。


 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。


「1位を取ったらデートしてください」


 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。


 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。



 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。


 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。


 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。


共犯者だよ、君も捕まる」


 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから


 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。


 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。


 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。


 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。


 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。


 せんせぇ、さようなら


 はいさようなら


 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170208220105

 1997年から行方不明になり、北朝鮮による拉致可能性が排除できない「特定失踪者」とされていた福井県若狭町元町職員男性(51)が昨年6月、県外で見つかったことを受け、町は25日、個人的理由失踪職務上の義務違反したとして、死亡退職としていた措置を取り消し、懲戒免職処分にしたと発表した。

 町は失踪中に支払った5年分の給与返還を求める方針

 男性は97年4月、「B&G(若狭町)の艇庫に行く」と言い旧三方町役場を出たまま行方不明に。車が放置され、カヌーがなくなるなど当時の状況から、県警は2002年から拉致可能性を含め捜査した。しかし、昨年6月、県外で無事が確認され、自ら失踪したことがわかった。

(略)

 男性には不明直後から5年間、給与支給されたほか、04年4月の時点で死亡退職とみなし、県市町総合事務組合退職金支給した。森下町長は「捜索に多くの方が協力し、迷惑をかけたことは誠に遺憾」とコメントした。

 現在、県外にいる男性弁護士を通じてコメントを発表。失踪理由について、ナホトカ号の重油流出事故対応に追われて「尋常でない精神状態で、逃げ出したい一心で身勝手な行動だった」と謝罪。「後悔の中で、拉致という大きな問題に広がり、帰ることをあきらめた」としている。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20170126-OYT1T50030.html

2017-01-31

AVデビューに俺の名字を使われた

かなり訳が分から困惑している。

しかも下の名前本名漢字を変えているだけなので、知り合いが見たらすぐに分かるはずだ。

ゲーセンで知り合った中卒の女で、当時から確かに悪い噂はあった。

飲んだ勢いで告白されたとき相手にはまだ彼氏がいたのだが、高校出たばかりの自分童貞を捨てたい一心でその誘いに乗ってしまった。

実際に付き合ってみると感情の起伏が激しくかなり扱いづらい部分はあったが、それでも浮気もされずに何年か付き合うことになった。

同棲まではしてみたものの、仕事が忙しくなって相手ができなくなると、突然同棲をやめると言いはじめて、それから連絡がとれないままに別れてしまった。



悪い噂というのは、とにかく片っ端から男に手を付けるというもので、本人にも問いただしてみたことはあるがそれなりの数の男と付き合っていたらしい。

付き合っている最中もこちらの気持ちお構いなしに求めてくることが多く、贅沢なことかもしれないが、正直仕事との両立は厳しいと感じられるほどだった。

別れてから2年ほど経った今、まさかこんな形で相手の今を知ることになるとは思わなかった。

はっきり言って何故そんな風に自分名前が使われているか理由が全くわからない。

復讐?それとも未練?

いずれにしてもそんな激情のもとに別れを迎えたような恋愛ではなかったはずだ。

金遣いも性欲も、AV女優になりかねない素養は多分にあったとは言え、これはなかなかにきつい。

当時のゲーセン仲間も縁遠くなっているから構わないと言えばかまわないのだが、こんなに気持ちが悪い経験は初めてだ。

とりあえず理由が知りたい。うっかり読んでくれたりしないだろうか。

茅ヶ崎駅にあった大船軒

20年前ぐらいの大船軒のそばというかつゆが最高だった

熱々のつゆに七味いれて一口飲む

なんともいえない甘さと出汁が口の中に広がっていく

なによりおっさんどもが丼を片手に持って一心不乱にそばを流し込んでいく姿

帰り際に給水器でタンブラー一杯の水をゴクゴクと飲み干し無言で立ち去っていくさま

今風の立ち食いそばじゃ見ることが出来ない風景だった

2017-01-30

非モテ不細工風俗にハマった話

俺は不細工からか、まあモテない人生だった。

他にも原因はあったと思うが、モテなかった。

高校まで共学だったが、彼女は当然ながら女友達すら一人もいなかった。

大学田舎を出て関西のCラン大学一人暮らしを始めた。

頑張ってサークルに入ったりもしたがすぐにやめた。

当然モテなかった。

大学に入って1年ほど経った頃「おっぱぶ行ったけど最高だったwww」みたいなまとめを読んだ。

自分はもう高校生じゃない、エッチなお店に行っても許される年だ。

すぐに近くのおっぱぶを調べた。

地元田舎と違ってお店は大量にあった、関西に来てよかったと思った。

次の日には財布に5000円を突っ込み、調べておいたおっぱぶに向かった。

多くの場合、こういう所に初めて来る時は友人に連れられてのことが多いと思う。

しかし俺は一人だった。

当然緊張した。

店の前を2往復した後、やっと入り口を開けることができた。

すぐにボーイが出てきたが、何を言っていたか全く覚えていない。

前払いの5000円を渡す手は震えていた。

怪しいムードのお店で、すぐに女の子が出てきた。

正直こういう店の女のレベルなど信じていなかったが、めちゃくちゃ可愛かった。

挨拶の後いきなりキスされた。

当然ながらファーストキス

おっぱいも、見せて、揉ませて、吸わせてもらった。

10代の客は珍しいと、女の子は話を盛り上げてくれた。

この世の天国のような時間だった。

おっぱぶは基本的に抜きがなく、ファーストキス、そしてファーストおっぱいを終えた俺は駅のトイレに駆け込んで一心不乱にシコった。

ありえないぐらい出た。

しばらくしてまたおっぱぶに行った。

他に趣味もなく、地元を出た俺には友達も少なかったため、バイトによる金はあった。

余裕がでるとすぐおっぱぶに行った。

おっぱぶに何回か通った後、当然ながら他の風俗についての情報も漁った。

初おっぱぶから二カ月、俺はホテルヘルスを利用した。

初のヘルス嬢はめちゃくちゃに可愛かった。

ヘルスは本番行為禁止だが、初めて女の子シャワーを浴び、初めて女性器をいじり、初めて女の子に抜いてもらった。

当然ハマった。

童貞風俗に行くとハマる」なんてことをネットで見たが、童貞どころか女友達すらいない俺はまさにこの状態だった。

しばらくして別の嬢で本番行為経験した。

まさか自分がなるとは思っていなかった素人童貞になった。

19の冬だった。

そこからは歯止めが効かなくなった。

コンビニバイトを増やし、食費を節約し、お金ができたら風俗に行った。

じいちゃんからの小遣いも風俗代に消えた。

地雷嬢にあたってもめげなかった。

新たな店もどんどん開拓した。

箱へル、デリヘルピンサロソープ、一通り経験した。

関西で有名な飛田新地にも行った。

可愛いしかいなかった。

この頃には、女をオナホしか見れなくなった。

金があればいくらでも可愛い女を抱けることを知った。

一度だけ、ネトゲで知り合った彼女ができた。

不細工彼女なので当然ブスだった。

付き合って2週間で我慢できずに風俗に行った。

結局こいつとは3回会っただけで、セッ○スもしないまま自然消滅した。

努力して彼女を作っても、不細工にはブスしか捕まえられず、金もかかった。

風俗に行く方がマシだった。

素人を抱く興奮もあるのかもしれない、それでも風俗に行った方がコスパがいいと思った。

結局、俺はバイト風俗大学生活を終えた。

経済学部なのに何も経済勉強しなかった。

そして、就活には失敗した。

4月から正式フリーターとして生きていくことになる。

この大学生活に後悔がないと言えば嘘になるし、将来への不安がないと言うのはあまりに愚かだと分かる。

だが、ヤリチンになれるほどの容姿コミュ力もない。

大企業に入れるコネ能力もない。

このまま年老いて、フリーター生活を送りながらたまに風俗に行く独身生活を送るのかもしれない。

2017-01-24

ウメハラ氏にどうしてもいいたい一言がある

慶應丸の内ティキャンパスでの講義話題になっている。

僕もストリーミングで全てを拝見した1人だ。

彼の尖った人生において学びを得ていく話は確かに興味深くどれもが深く共感できるものだった。

ただ話を聞き終えて尚、彼がもう一皮むけるためには、一つ、まだまだ深い呪いが残っているような気がしてならなかった。

過去、彼とは何度も直接あったことがある。

話をしたこともあれば対戦をしたこともあり、ほとんどは運とは言え少ないながら勝利したこともある。

それは彼がまだ無名だった頃から世界名前を轟かせる少し前くらいまでの時期の話だ。

まり僕は、彼がゲームセンターに自らの居場所発見するに至った要因である大人たちの1人というわけだ。

とは言え、おそらく彼は僕の名前はおろか存在すら覚えていないだろう。

なぜなら、彼の周りにそれだけ多くの人間存在したということでもあるし、それ以上に、彼は人というものに全くと言っていいほど興味を示さなかったからだ。

彼が常に見ていたのは、彼の回りにいる人間の人やなりではなく、その人が操るキャラクターであり勝負の中身であり勝つための手段だったのだ。

講義の中で、大人たちがゲームセンター危険場所と言っていた理由を、彼は子どもたちから面白いものを遠ざけるためと語っていた。

それはたしかにそうなのだが、そうではない一面もある。

なぜなら、僕がゲームセンターに行き始めた頃は、確かにそこは危険場所だったからだ。

昼夜問わずに不良やチンピラたちがたむろし、こどもはもちろん、大人だって迂闊には近寄れない場所だった。

自身だって何度も怖い目に遭ったし、カツアゲなんてもの日常的なことだった。

ゲームに使う以外のお金や貴重品を持っていかないことは当たり前の自衛手段だった。

しかし、そうまでしてそこに行くったのは、やはりそこに面白いゲームがあることを知っていたからだ。

からゲームセンターを居心地の良い場所に変えようと、さら大人たちと協力しあって安全ゲームセンターを作り上げるための努力をした。

入口を作り変え、照明を明るくし、見通しを良くして死角をなくし、それでも尚入り込んでくる悪意と正面から向き合って戦ったのだ。

ゲームが好きで、そんなゲームを誰に邪魔されるでもなく心ゆくまで楽しみたい。

そんな一心で戦い続けた大人たちだからこそ、ゲームを好きだといって入ってくる子どもたちを大切にしたいと願ったし、そんな子どもたちに自分意見を持てと教えるのは当然のことだといっていいだろう。

対戦格闘ゲームブームが訪れた裏には、ただそのゲーム面白かったからという理由以上に、それまでにゲームセンターゲーム愛する人間のために取り戻した大人たちの努力があったという事実が隠れているのだ。

ただ、そんなことを押し付けたいがためにこの文章を書いているわけではない。

でも君は、こういった事実を聞いてもただ「ふーん」と言って聞き流すだろう。(今は分からないが、少なくとも当時の君だったなら間違いなくそうしていただろう。)

君の講義の中で気になったこと、それは、君の親御さんからの教えの一つである「人に迷惑をかけるな」という言葉だ。

確かにそれは考え方としては立派なことだ。

でも君は、人に迷惑をかけなければ何をしてもよいと思ってはいないだろうか。

ならば聞くが、君が人に迷惑をかけていないと思う行動は、本当に誰にも迷惑をかけていないのだろうか。

それとも、自分さえ迷惑をかけていないと思うのであれば、相手迷惑と思うのは勝手なことだと考えてはいないだろうか。

言うまでもなくそれは間違っていることだ。

なぜなら、人は生きていく以上、必ず誰かに迷惑をかけ続けるものからだ。

そしてその教えが本当に正しいことだとしたなら、人に迷惑をかけているかもしれないという理解力ある人間より、人に迷惑をかけている自覚の無い厚かましい人間ばかりが幅を利かせる世界になってしまう。

事実、今の世の中はそういう人間が強く、理解力のある優しい人間ばかりが肩身の狭い思いを強いられているのだ。

君は確かにゲームが強かった。

しかし、強すぎたのだ。

その強さが誰よりも苦労した結果に得られたものである以上、その強さを誰も否定することができなかった。

から、君に勝てないことでゲームを辞めてしま人間が数多く生み出されることになった。

君はそれを自己責任だとばっさりと切り捨てるだろう。

他でもない君の一言からこそ、それに反論できる人間は誰一人としていないのも事実だ。

でもね、一言言わせてもらえるなら、ゲームセンターゲーム好きのために苦労して取り戻した大人たちにしてみれば、それは迷惑だったんだ。

目の前でゲームを嫌いになる人間が生まれる瞬間を見てしまうことは、そんな大人たちにしてみれば何よりも辛く悲しいことなんだよ。

それをあえて口にしないのも、大人たちは人間が生きていれば迷惑をかけてしま存在だということを知っているからだ。

から、「人に迷惑をかけるな」という教育は、考えとしては立派だけど、教えとしては間違っている。

から君にいいたこと。

それは、「人に迷惑をかけていることに日々感謝を忘れてはいけない」ということだ。

人に迷惑をかけるより、迷惑をかけていることを自覚しないことのほうが罪だ。

もし君がそのことを少しでも理解してくれたなら、これからプロとして、世界中ゲーム好きが憧れる存在でい続けて欲しい。

それがゲームが好きでたまらなかった大人たちに対する、一番の恩返しになるのだから

人に指図されることを誰よりも嫌う君にこんなことを言っても何の意味も無いことははるかから知っているけどね。

いつもゲーム真剣に向き合ってくれていてありがとう

これからも一人のファンとして、一人のゲーム好きとして、心から応援しています

2017-01-05

戸田奈津子尊敬されるための唯一の方法

インタビュー字幕翻訳者戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」

https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e

 

を読んだ。全体的には一方的自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。

 

「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。

 

それは時代というか当時の映画産業要請でもあって、戸田個人責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもの自分を虚飾したい一心で、本質的には作品奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事表現されている「字幕翻訳女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳師匠発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。

 

せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから個人の早業を自慢するよりも、字幕質的向上のために制作・配給側が用意する時間予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分大事からだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者なっちゃった人で、その上根っからダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。

 

戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているもの脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語ちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。

 

どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体のものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト時間人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである

 

そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品ファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕女王」を産んだのだ。それは映画というもの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。

 

多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由ほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアけが字幕翻訳者理解不足を責めているのではない。字幕スクリプト情報量100%伝えろという不可能要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事競争できているか問題なのだ

 

そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品最後工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品無理解字幕がつけられていることに耐えられない」という作品ファン心理考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画ファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンル仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間リソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?

 

戸田字幕映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田字幕翻訳単独作業である理由として、「セリフ言い回しリズム統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフ言い回しリズムを敢えて変えることで、登場人物心理的変化や場面転換を表現する映画原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフ統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数視点必要になることだってある。脚本演出意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。

 

ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作翻訳者スクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田字幕作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。

  

現在洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体戸田翻訳者待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフ聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身字幕翻訳質的向上のために翻訳者待遇改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道言い訳を垂れ流している場合ではない。

 

さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである

2017-01-03

大体の新年番組年末増田撮影悦定酢魔につまんねが見群版年始の異体だ(回文

子どもの頃はなんか年末年始特別番組って、

ちょっとクワクしてみてたけど、

あれって、

だいたい年末年末進行で録られたものだと知ってからなぜか白けちゃったわ。

大人の事情てんこ盛りね。

からまり最近はお正月テレビ漬けって訳でもないのよね。

新春深夜枠で一挙放送される、

浜田雅功版の釣りバカ日誌とか毎年楽しみだったのに!

地で行くハマちゃんみたいな感じがいいわね。

ゲスト出演されてるダチョウ倶楽部さんたちが

毎回恒例、岸壁の上から押すな押すなよと言って、

ハマちゃんに押されて三人海に落ちちゃうのが毎回笑っちゃうわ!

そして、上島さんが救助されて、

救命措置されるんだけど、

そのとき、口から水が噴水みたいに出てくるんだけど、

ここはやっぱり釣りバカよね!

さな魚も一緒に出てきちゃうのよ~ウケる!!!

もう、笑いっぱなしよ。

もう、来年は釣ってはいけないにしちゃえばいいのに。

とてもたくさん釣れると評判の釣り場に行って、

釣れたらアウトなやつ。

でも考えてみたけど24時間の尺が長すぎるわね。

それなら30分ぐらいでいいわ。

あと、そうそう。

芸能人の隠し芸、

山瀬まみハンドベル毎年楽しみにしてたのに。

それももう無いじゃない。

インディージューンズとか!

テレビってそういう伝統は惜しげも無く受け継がないわよね。

まあ、紅白がいい例だけど。

私、野村よっちゃんが出てたら絶対見るもん!

近藤マッチのバックミュージシャンをやるヤツ。

大昔、野村よっちゃんバラエティ

ちょこっと出てきたときに、

ギンギラギンの1フレーズ

ギターで奏でたのを見たあの沸き上がる瞬間の感動が欲しいわ!

熱いテレビがいいわ!

でも最近スポンサーがらみもあるし、

厳しい視聴者クレームもあるから

民放地上波は大変よね。

というか、

テレビ見てないという割りには、このテレビ熱。

ちょっとカロリー高すぎたわ。

うそう、

香港友達の家に寄せてもらった折に

お礼のお手紙を書くわ。

住所教えてもらったの。

私は中国語簡体での文字しか書けないけど、

香港は繁体だけど簡体も普通に読めるらしいわよ。

すごいわね。

あと、ビックリしたのが

香港郵便番号がないんだって

香港いから、それなくても住所で充分なんだって

知らないことばかりね。

あ!そうそ

世界の話で思い出したけど、

なるほどザワールド春の新春スペシャルもことしないわよね!

うふふ。

今日は何を観ようかしら。




今日も遅く起きた朝なので、

お昼ご飯と朝ご飯を一緒にしちゃいましょうかしら。

キャベツ一心不乱に刻んで

お好み焼きもしてみたいわね。

ちょっと考えるわ。

デトックスウォーターは、

スーパーはお正月関係なく年末年始

好調営業よね!

ちょっと、お正月価格乗ってるけど。

ま、とにかく便利だわ。

香港にもたくさんジャスコSCがあって、

そこにもビックリよ!

取り急ぎ、

ホッツウォーターしましょう。

ホッツ緑茶ウォーターよ。




すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2016-12-19

アドバイス

忘年会上司に言われたことが胸に刺さったので、ここに書き記す。


俺は地元金融機関に働く普通サラリーマンだ。

だが、父親地元会社経営しており、俺の会社とも融資などの取引がある。

働いている中で父親話題になることもあったが、込み入った話を社内でしたことはなかった。

それでも上司たちは俺の境遇を把握しており、直属の上司とその事について込み入った話をすることになった。

この話題に触れる時、一抹の不安があった。

元々、一生この会社に勤めあげるという考えもなかった。

しかしこの話をすることで、自分が足かけで入社してきたと思われるのがなんとなく嫌だった。


その上司は俺にこう説いてくれた。

から10年、親父さんの会社に入るための修行として一心不乱に業務にあたること

親父さんには前もって、修行を経て継ぐつもりであることを前もって宣言すること

この10年はお前にとっても大事な10年であり、他の社員とは異なる意識を持つこと


俺は来るべく自分の将来にどこかで恐怖を感じていた。

会社が将来安泰という保証はないが、自分が継がなければならない事もあるかもしれない。

まれ環境だと思うが、その責任の大きさに怖がる自分もいる。

自分立場について思っていることを伝え、上司は上記のアドバイスをくれた。

親切心以外にも、他の思惑があった上での言葉かもしれない。

それでも俺は、その言葉に救われた。


これからその10年の修行に取り組んでいく所存である

地下鉄の車内にいた浮浪者に唸った

電車が到着すると、目の前の車両だけ妙に空いていた。

その時間帯は通常でも座席に数名がまばらに座っている程度の混雑具合なのだが、その車両には人が一人しか座っていなかったのだ。

すると目の前に並んでいた数名が何かに気付いたように並ぶのを止め、別の場所へと移動していってしまった。

それを不思議に思って車内に乗り込むと、その疑問はすぐに解決した。

座っていたのは見るからに汚れた衣服を身にまとい、髪も髭も任せるままに伸ばしたままの若い浮浪者で、社内には鼻を指すような異臭が充満していたのだ。

わたしのあとに乗ってきた乗客は一瞬で顔をしかめるとすぐに別の車両へと移動していってしまった。

それを見ながらこれは誰かが注意しなくてはいけない問題だと思い、なんと声をかけようか彼の方に目をやると、彼の手に握られているものが目に入った。

彼がそれを意図していたのかは知らないが、料金と日付けが印刷された面がしっかりと見えるようなかたちで彼の手に切符が握られていたのだ。



これには思わず唸ってしまった。

山手線のように循環しているなら不正乗車が容易に疑われるが、これは都内を横切っていく地下鉄の車内だ。

手に握られている切符記載されていたのは、進行方向に矛盾のない、わたしが乗り込んだ駅の3つ手前の駅名だった。

まり、彼は乗車する権利を持っているのだ。

わたしは彼をどんな理由でこの車内から追い出すことができるのだろうか。



世の中にはマナーというものがある。

お互いが気持ちよく過ごすために必要な、いわば暗黙のルールだ。

確かに彼は匂いと不潔さという、公共の場において明らかなマナー違反をしていると言える。

しかし、世の中には容易くマナーを破る人間もいれば、自らのルール押し付けてくる人間もいる。

どこまでのマナー違反ならば乗車を拒否することができて、どこまでのマナー違反であれば個人の持ちうる権利だと言えるのだろうか。



多くの人間にとって見れば、わたしマナー違反の客をつまみだした英雄と称されるかもしれない。

しかし、彼本人にして見れば、それは世の中の常識押し付けるという一方的暴力にも感じられてしまうかもしれないのだ。

その生活が彼が望んで陥ったものではないとするのであれば、ここでわたしが彼を車内からつまみ出すことは果たして正義と呼べるのだろうか。

すぐに答えを出すことができないわたしは、とりあえず自らの行動の是非を問うためにも彼と同じ車両にいようと思い、扉を挟んで斜め前の席に腰を下ろした。

同じ権利を持つ者同士、追い出すことも出ていくこともおかしいことのように思えたのだ。

彼はそんなわたしことなど気にする様子もなく、相変わらず切符を持ったままどこか一点を見つめている。



次の駅に差し掛かると、先ほどとは違い乗客普通にこの車両に乗り込んできた。

しか異臭に気がつくと車内を見回し、浮浪者がいるとわかるとやはり何も言わずに隣の車両へと移っていってしまった。

おそらく、乗り込むときわたしが目に入ったことから、車内の異変を察することができなかったのだろう。

確かにその浮浪者は臭かった。掘り下げるまでもない浮浪者特有匂いは、一駅を通過しても相変わらずに鼻を突いたままだった。

もちろんその匂いは耐えられるものではなかったが、しかし、その疑問と向かいあいたい一心で、わたしはその場を離れることができなかったのだ。



そうこうしている間に電車は次の駅に到着した。

すると浮浪者の彼は立ち上がり、車外へと降りていった。

どうやらここが彼の目的地だったようだ。

やはり、彼は自らの権利を全うしたに過ぎなかった。

しっかりと料金を払い、自らの移動の権利行使したのだ。

ならばわたしがするべきことは何だったのだろうか。

くさいということを理由健康的な食事で培った肉体で彼を車外に追い出せば、それは正義という名の暴力と同一だ。

混雑していた車内であれば遠慮を促すこともできたかもしれないが、全く混雑してないこんな状況であれば多くの健康的な乗客車両を移動すれば席からぶれることなく済む問題だ。

お金わたしシャワーを浴びろといったところで、そんな支援継続的にできるわけでもないなら明らかな偽善だ。

それにもし彼が空いている時間帯を選んで、迷惑を最小限にしようと考えていたのであれば、これ以上のない気遣いだったと言えよう。

結局のところ、何かを嫌だと感じたなら自らが避けて通ることしかできないのであって、それが嫌ならその場にい続けることしか出来ないのだ。

なぜなら、そこにある権利は対等であり、等しく切符代を払った電車乗客しかないのだから



もしこれが異臭ではなく、人前でのメイクや、折りたたまれないベビーカーイヤホンから漏れ大音量音楽、大声の通話座席の独占、床への座り込み匂いの強い飲食、大きく膨らんだリュックサックなどだったらどうだっただろう。

今まではそんなこと一つ一つに嫌な顔をしてきた自分ではあるが、今回のことを受け入れられたのだからこれからは全てを受け入れることができるだろう。

わたしの行動が正しかたかどうかは分からないが、そういうことに寛容である世の中であって欲しいと思う気持ちが芽生えた出来事だった。



そんなことを考えていると、締り際のドアに若い女性ギリギリで駆け込んできた。

間に合った安心感と走ったことによって上がってしまった息を整えるように大きく息を吐いてから深呼吸をした直後、驚きと恐怖と怒りと嫌悪が複雑に入り混じった視線わたしに投げかけてきたのがわかった。

わたしではないと言いたかった。しかし、この状況を簡潔に説明できるような時間も余裕も話術も持ち合わせていなかったわたしは、困惑視線を返すことが精一杯だった。

すでに怒りに支配された靴音を響かせながら隣の車両へと移っていく女性の後姿を目で追いながら、浮浪者が降りたあとは自らも車両を移る必要があるという知見を得たことに取り残された車両で一人唸っていた。

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