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はてなキーワード: ある意味とは

2024-03-19

anond:20240319210059

ある意味正しいけどその立場に立ったら白色テロにやられる覚悟もしないといけないからなぁ

食べ放題の件、TRPGの「マンチキン」を思い出す

より正確に言うと「和マンチ」のほう

マンチキン | ニコニコ大百科

日本にこの言葉が輸入された際、ルール上"GM裁量に任せる"ようなシステムの穴をつき、ルールブックを読み込んだことによる理論武装世間一般の「常識」を利用して、無理やり有利な方向に持っていくようなプレイヤーを指す言葉としても使われるようになった。

(例えば、両腕を切断する大怪我を負った者を変身魔法でヒトデやプラナリアに変え、それの触手が元通りになった頃に魔法を解くことで遥かにローコストで両腕を取り戻させることができるだろう、など。)

こうしたプレイヤーを、原義のマンチキン区別して「和マンチ」という。

往々にして、思いもよらない方法を取るためにセッションをぶち壊しにしてしまうことがあり、ある意味では原義の「洋マンチ」以上に厄介な存在であると言える。和マンチは"公式ルール"という後ろ盾を持っている為、そのプレイ否定することは容易ではないからだ。

ルールの穴をついて自分意見を通し利益を得ようとする点が似ている

しかし、焼肉食べ放題の件と異なる箇所はいくつもあるが……、

例えば、TRPGはおおむね「GMの決定は全てに優先する」というゴールデンルール存在する

例えば、TRPGルールブックにはおおむね「(GM含め※重要)全員が楽しい時間を過ごすことが目的です」のようなことが書いてある

しかしこの世界TRPGセッションではない

悲しいね

TRPGを楽しく遊ぶコツとして「気心知れた相手だけでプレイする」というものがある

しかしこの世界は(当たり前のことだが)気心知れた相手だけ存在するわけではない

悲しいね

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

[]車椅子関連の話見てると、オタクチキンレースした方がいいのでは?

それまで当たり前と思われていなかった権利を得るためには多少強引でも具体的な手段に出て問題化する必要がある。

その結果様々な権利が勝ち取られてきたのであって、決して事なかれ主義の、多数派に阿った穏健なフリーライダーによってではない。

・・・・と言う様な事を考えると、車椅子以外でも、表現の自由関連でも同じ事が言えるのでは?と思えてきた。

オタクローザ・パークス必要なのでは?

 

車椅子やその他差別関連の話題では過激な行動や時に誰かに迷惑負担をかける行動、チキンレースともとれる「現在限界チャレンジし、限界拡張しようとする」ような行動が称揚される一方、

何故かオタク関連、表現の自由関連(だけ?)ではその真逆、「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」と言ったことが叫ばれる。

よくよく考えてみると不思議な事では?

 

いや、不思議ではないのかもしれない。

車椅子の件でも「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」という人は当の車椅子利用者の中からも出てきている。

そうした人々は一般に「保守的」だと言われるわけだけど、オタク達もまた特に最近保守化していると言われる。

まり、「チキンレースしないようにしよう」「なるべく目立たないようにしよう」というこれまでのオタク達の方針は、オタク保守的な傾向の反映だったのでは?どちらも保守が言っているのだとすれば説明が付く。

もしそうだとするならば、そうした保守的な考えが間違っているとするなら「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」といった考えは保守的な誤りであり、

行動に出た車椅子利用者やその他の被差別者に対し、「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」と言っていた保守主義者と根本が同じだという事になるのでは?

オタク内部にもそういう人は居たのだけど、それも車椅子利用者の中にもそういう穏健派が居た事を考えるとぴったり一致する。

 

権利を得るためには、多少現場負担を与える行為や、他者(往々にして差別の加担者)にストレスをかける行為美術品等に致命的ではない行為を仕掛けてパフォーマンスする行為等色々な事が現代では許容される。

だと、するなら、オタク権利表現の自由を得る為にも様々な行為が許容されるし、むしろそういった行為こそが必要だという事になる。

そしてそのような行動に出るオタクローザ・パークスに「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」と批判する人々は、差別的な保守主義者という事になるのではなかろうか。

 

 

追記

ブコメを見ていたら非常に色々な示唆に富んだ面白いブコメトップに上がっていたのでサンプルとして取り上げてみたい。

どちらかというと「喫煙権」とかい架空人権に近いんじゃないかな。「喫煙権」は、公共の場所でタバコを吸うというチキンレースを繰り返した結果、多くの市民ガチギレさせて今この有様です笑

色々な論点分岐できる非常にいいコメントだと思う。

「「喫煙権」とかい架空人権」というのがまず面白い架空人権人権架空実在(?)があるのかというのがまず面白くて、全ての人権架空と言う気もしなくもないけど、それ以上に

今回話題に挙げたようなローザ・パークスやその他車椅子等におけるアクションというのは「それまで認められていなかった人権」つまり「それまで架空だった人権」を架空でなくしたアクションだとも言える訳で、

その話題で「架空人権」に対し冷笑的なコメントが支持を集めるという現象のものが非常に面白い

 

更に興味深いのは、このコメントがもし仮に件の車椅子の件やその他差別に対するアクションに対して付けられた物だとしても、多少の改変を加えれば実は実に「ありそう」なコメントになってしまう点。

いかにもな保守主義者が車椅子その他の権利拡張するためのアクションに対し「「喫煙権」とかい架空人権に近い」「公共の場所でタバコを吸うというチキンレースを繰り返した結果、多くの市民ガチギレさせて今この有様です笑」とコメントしている様を思い浮かべてみて欲しい。

この点で図らずも「オタクローザ・パークスに「チキンレースするな」と批判する人と、本物ローザ・パークス車椅子利用者に「チキンレースするな」と批判する人がぴったり重なる」という本増田の主旨を見事に体現しているとも言える。非常に興味深い。

 

更には「多くの市民ガチギレさせて今この有様です笑」と、多くの市民マジョリティがこうした人権の正否を握っていると臆面もなく主張していながら、ここまでスターを集めている点も評価したい。

そう、彼らによれば、車椅子利用者障碍者特定人種性別人権は「多くの市民」が決定するものなのだ

最後の笑も含め、非常に芸術点が高い。

 

この増田で取り扱った人権権利のためのアクションは、それまで存在しなかった権利を生成する、という時間的で動的な権利生成のプロセスである

しかしながら多くの(往々にして保守的な)人々の頭のなかでは権利とは「既に今あるもので十分」であり、これ以上の変化を想定しない静的な構造である

従ってそこでは「架空」と「実在」がいとも容易く区別され、だからこそ「「喫煙権」とかい架空人権」という言葉遣い可能になる。彼らの脳内にはそれまでなかったような権利が生成するようなプロセス、つまりローザ・パークスが成し遂げたような事や、車椅子利用者たちが今まさに成し遂げようとしているような事ははなから存在しない、という訳だ。

悲しいかなこれはひとつ現実であり、このコメントが支持を集めたのはその現実をまさに見せつけている。その意味でこのコメントは非常に示唆的であり、ある意味で意義深い。

 

人々の頭の中に有るのは単に「どちらの味方か」「どちらの敵か」という至って単純な二項対立であり、

権利人権の生成・消滅プロセスでは無いのである

2024-03-18

anond:20240318233307

ルビスって偉そうなのがむかつく

ゾーマある意味こいつが生み出したようなものなのに

ロトだってそう

こいつがいたことが害悪

anond:20240318153959

ベタからこそよかったよな

こういうんでいいんだよって言葉バカにしてるみたいで好きじゃないんだけど

下手にストーリーをこねくり回して分かる人にはわかる映画ゴジラには求めてないので

やっぱりこういうベタ映画でよかったって思うわ

あと、今までのゴジラはみんな身長50メートル超えで人との対比が難しかったけど

今回のゴジラは小さくなった分、なんか狙われたら逃げられないような、ある意味リアルな怖さがあってよかった

ゴジラ-1.0の良かったところ(ネタバレあり)

アカデミー賞取ったから観に行ったミーハーです。

まぁもうネタバレありで良いっしょってことでネタバレありで良かったところまとめる。

ストーリー

1.敷島自分意志脱出レバーを引いたこ

正直、橘が起爆レバー脱出機能も紐づけて死ぬつもりだった敷島を生かすという流れだと思っていた。

2.橘が脱出レバーのことを敷島に伝えたこ

ほぼ上と同じ。

自暴自棄になっていた敷島を見た後も敷島の生きる意志を信じた橘に拍手

俺なら起爆スイッチ脱出機能つけちゃう

3.あーなんだよ典子生きてるとかリアリティねーってなった後の絶望

ゴジラ敷島を逃してはくれない。

2作目があったら次はゴジラ後遺症問題(+復活したゴジラ)かな?

4.ベタだけど熱い

わかりやすい前フリ(ゴジラ敷島因縁付け)、中盤(愛する人を失って自暴自棄になる)、終盤(ピンチになるけど最後なんとかなる)だったけど、これでいいよね。

鬼滅もこのシンプルさがウケたわけだし、ベタベタで良い。

映像

1.ゴジラ怖い

銀座に襲来したとき、一緒に観に行った彼女が俺の手を握ってきた。(のろけ

2.戦艦とかメカがかっこいい

艦これで観た!が何度かあった。

3.統一感があった

多分、家の中とか以外は全部VFXだったのでは?統一感があって良かった。

その他

1.怪獣宇宙人映画によくある意味ないエロがない

これは-1.0の良いところというよりゴジラの良いところよね。

ゴジラ全部観てないから知らんけど。

2.音楽

今流れて!って思ったときにいつものアレが流れてくる。最高。

総合評価

パンツが見れなかったので☆1です

原発再稼働の世論でまたブクマカが吹き上がってるけど

双方混ぜるの好きだな、と思う

これ多分

規制委の信頼度が上がったということなんだと思うけどね

なんでもダメ

なんでもOK

というわけではないというのが浸透してきたか

本当にヤバいやつはあらかじめ止めるはず、となれば

審査通ったやつはいいよ、になるのはある意味自然では

良くも悪くも

偽装改竄不正オンパレード柏崎刈羽と、すでに再稼働している伊方なんかを同一視するのは間違ってる

2024-03-17

乙武さんにはある意味感謝してる

今回とは関係ないけど障害者にもどうしようもないドクズはいると証明してくれた乙武さんは

障害者聖人でも何でもないと固定概念を打ち破ってくれたのである意味では感謝している

anond:20210705144522

まぁわかる

ある意味マーケティングを頑張って、ターゲットに寄り添いすぎた作品って、意外性や作家性が抜け落ちて陳腐だよな

2024-03-16

「肉が美味しそうに見える」というのはある意味すごい

人間に置き換えると、肥えた人の皮を剥いで筋肉の部分を陳列しているようなものなのでは。

人間本能としてヒトの内臓には拒否的反応を示しそうなものであるが、それとよく似たものに対して「美味しそう」という印象を抱くのは、よく考えると不思議ものである

anond:20240316140721

自衛隊違憲論なんて今時左巻の連中でさえいやーそんな事言ってませんけどごにょごにょ…ってなるのにある意味すごいな

今更自衛隊無くすとかそれこそ一般市民理解得られないだろ

2024-03-13

anond:20231027213715

[文献]自称性同一性障害と本物をどう見分けるか

精神科,18(3):326-329,2011

https://ameblo.jp/mydreamchaser/entry-12330537320.html

自称性同一性障害と本物をどう見分けるか

針間克己

性同一性障害本質的に「自称である

まず指摘すべきは、性同一性障害とは、ある意味において本質的にはそもそも自称のものであるという性質を有するということである。すなわち、性同一性障害とは、客観的事実としての性別が明らかに男性ないし女性であるにもかかわらず、主観的には、その性別とは反対に自己性別認識し、ジェンダーアイデンティティを有する疾患なのである。この「主観」を「自称」という言葉に置き換えるならば、医者を含めた周囲の認識いかんにかかわらず、自分性同一性障害だと自称することこそ、性同一性障害の根幹的な特徴だと言えるかもしれないのである

さまざまな性別違和の中で、どのような程度、種類のもの性同一性障害といえるのかは、診断基準の中で必ずしも明確にされているとは言い難いため、なにをもって「本物」と診断するか、その境界不明瞭なのが実状である

女装すると興奮してマスターベーションする」のように、性的興奮を目的として、女装するものや、コスプレのように楽しみ、気晴らしを目的として異性装をするものもいる。彼らの場合自分自身の身体や、普段性役割に関しては、強い違和感はない。ただ、「女装した時により一層女性らしくなりたいから」といった目的で、女性ホルモン投与を希望したりするものなどもいる。

プロでも本物と偽物の区別自体が難しい、というか明確な根拠はない世界ってわけやね

anond:20240313121817

ある意味ゾーニングがしっかりされているか必要以上に叩かれないで済んでいる状態だわな

みんな黙祷してる?

私はしない

祈る・想うってあまり意味がわからないので

正直、黙祷は助かる

職場なら黙ってパソコンの画面を眺めていれば終わる

電車ならスマホを見て、終わるタイミングでさも今スマホを見始めましたみたいな顔をすればいい

これがもし歌祷だったら「あなた声出てなくない!?」と詰められたり踊祷だったら息切らして踊らなきゃいけないのかもしれないけど黙祷は静かにしていれば咎められることはない

私が目を閉じずに画面を見てることに気づくのは同じように黙祷してない人だから問題にならない

ただ、黙祷に反発してる人と同類に思われるのは心外

誤解しないでほしい

私は黙祷を嫌だと思ってるわけじゃない

自分が14時46分に目を瞑って祈ったり被災地被災者の方に想いを馳せる意味はないなと思ってるだけ

支援もするし募金もする

意義もわかる

風化させないこと

忘れてないよとメッセージを発すること

それをみんなでやるのは社会にとって大事なことだ

から黙祷してないことはちゃんと気づかれないようにしている

まあそれをネットに書いちゃったらある意味台無しなんだけどみんなはどう思ってるんだろーと気になって書いてみました

2024-03-12

anond:20240312173129

大泉洋キムタクではバックボーンが違いすぎる

ふと思ったんだけど、大泉洋を水どうで楽しんでる連中は、ある意味ずっと大泉をまともに役者として見てないのかもしれんなぁ

キムタクキムタクで、「何やってもキムタク」ってのは、ある意味そういう稀有役者としてのスキルじゃねぇか?と思わんでもないというか、

例えば田村正和なんかも「何やらしても古畑」だったように思う

anond:20240312171420

まず「理想の絵」が人々に評価される根拠自体どこにも求められないからね…

理想の絵にたどり着いたとて、ある意味そこでやっとスタート地点に立ったことになるのかもしれない。

一発で人々からも「理想の絵」と認められたならいいが、多元観測能力者でもないなら狙ってそんなことできんので、それ以外の場合ほとんどだろうし、人々の評価を見ながら『理想の絵』とは何か、考えを改め続けなければならない。

anond:20240312165123

美人すぎるは確かにひでぇ

ただ、元々はネットスラングというか、狭い範囲で内に向けて使われてた言葉なのに、

その使い勝手の良さからマスコミに注目されて社会的認知されてしまったっていう、

ある意味不幸な言葉な気もする。

ホントマスコミオッサンはろくな事をしない。

中年になって自分自分以上にも自分以外にもなれないって分かって楽になった

ある意味諦めなのかもしれないけど収入肩書きも今の状態で満足だし

今更飛行機パイロットにもF1レーサーにもプロ野球選手にもなれないし

これ以上もういいだろって気がする

山崎貴という「修行しない寿司職人

タイトル釣り


山崎監督っていきなり監督になったというか、よくある「下働きやって助監督やって20年くらいしてから監督」みたいなルート辿ってない人なんだよな。

VFX極めてそっからいきなりメガホンとって、そっからアカデミー賞まで行った。

なんか本人もどっかのインタビューで「下働きしてないか申し訳ない」的なこと言ってた記憶ある。

修行しないでも寿司職人になれるみたいなのがちょっと話題になってたけど

山崎監督場合VFXは極めてたけど監督になるための「一般的修行」はしてないかある意味ちょっと当てはまるよな。

寿司職人になる普通ルートとは別の、たとえば魚の生態を極めたさかなクン寿司職人になったみたいな感じみたいな。

そういえばスラダン原作者がいきなりメガホンとって第一作でアレができて興行収入一位みたいなのもあった。

しかしたら日本映画の実写があんまりアレなのって(もちろん名作も多いけど平均したまあさあ……)これが原因なんじゃないん?

あいう育成方法してたら監督にペコペコの太鼓持ちみたいなのしか上にいけなさそうだし、しょうもない腰巾着みたいな発想しか出てこん人が多くなりそうじゃん?

別分野でヤバげな才能の人がリーダーシップの部分だけちょちょっと学んで監督なったほうがとれるんじゃね?覇権とか。




追記

思いのほかトラバブクマ集まったな。みんなサンキュー

メガホンと覇権で思い出したけど、ちょい前に日本映画覇権とるのは時代劇しかねぇ!!!!みたいなやつ書いたけど(検索めんどいので!リンクはねえ!)

みんな、SHOGUNたか!?

まあ日本映画じゃなくて海外制作だけど。てかメガホン日本人じゃないけど。あと映画じゃなくてドラマだけど。いやそんなんどうでもいい。どえりゃあモンがでてきたで。

あとさあワイの予想2%くらいカスった気せん?時代劇だし!ひろゆきプロデューサーに入ってるし日本スタッフ参戦しとるし5%くらいは日本映画だし!

山崎監督永遠ゼロはてな人ゼロ)を全米公開したいみたいな噂を聞いたけど

やっぱワイが全米メガホンしてほしいのは「BALLAD 名もなき恋のうた」なんよ。ジダイゲキタカシハリウッドリメク!!

あとさあ「山崎監督アカデミー獲ったのはVFXから!低予算がウケた!ストーリーはクソ!」って言う人めっちゃおるけどアカデミーが低予算で工夫すりゃいけまっせみたいなわけないやろ。

予算がウケたは山崎監督日本人TOKUYUUのKENSONだぞ!ストーリーそばかウケだからGENCHIでは。

イラクとかアフガンで心に傷をおった復員兵めっちゃおんねん。リアルにめちゃ刺さりよんねん。



追記

追記ひろゆきプロデュースShogun見る気が二割減。ホントなの?

マジなんやなーこれが。Wikipediaものっとるで。https://ja.wikipedia.org/wiki/SHOGUN_%E5%B0%86%E8%BB%8D (親切)

2024-03-11

anond:20240310131703

2024年3月11日、ワイの日記やで。

今日も一日、あの社会に疲れ果てたわ。ワイのことを理解しようともしない、冷たい世界で何とか生き延びてる感じやで。低学歴で定収入、そんで気持ち悪がられるおじさんやってのがワイの立ち位置。正直、こんな生活、誰が望むんやろうな。

ある意味で、ワイとは正反対存在フェミちゃんや。彼女生粋フェミニストで、男を根底から憎んでる。女性が常に男性より優遇されるべきだという考えを持っているんや。ワイらがどんなに話し合おうと、根本的な部分で決して理解し合えないんやろうな。それが社会や世の中の全てに対するワイの憎しみをさらに深めるんや。

でも、こんな日々の中でも、ふとした瞬間に見える光がある。例えば、ワイとフェミちゃんが、たとえ一時的でも共通の敵に対して同じ立場に立つことがある。それが社会不公平さに対する怒りや、権力の乱用に対する反感なんかや。そういう時、ほんの少しでも「ワイらも同じ人間なんやな」と感じる瞬間がある。

だけど、結局のところ、その一時的連帯感もすぐに霧散する。ワイは再び社会や世の中への憎悪回帰する。フェミちゃんもまた、自分の信じる正義のために戦い続けるんやろう。

今日もまた、この日記を書きながら、ワイは自分の居場所を探しているんや。誰かに理解されることを望むわけじゃない。ただ、この世界でワイがワイであるための意味を見つけたいだけや。

明日もまた、同じように生きていくんやろうな。変わらない毎日やけど、ワイはこの戦いを続けるしかないんやで。

それで今度は「吉住は元々面白くなかった」事になるのかな?

松本はそうなったよね(勿論、一部の人にとっては、だが)

自分松本の考える笑いの一部に暴力的もの権力のもの弱者を笑うものやその他不適切な物等々あったと思うのだけど、

つのまにかそれが「松本の笑いとは」と全体化され、さらにいつのまにか「面白いかどうか」と言う別の問題混同される事になった

そう判断した人達を説得しようという気は無い、というか無理だと思う

なので今回も、吉住のこれまでのネタも含めて同じ事になるのかな?というただの予想

 

簡単に言って彼らは2段の変換を行っている

まず一部の笑いの性質を「松本の笑い」全体に拡大する「全体化」

それから主に政治的不適切か、倫理的問題か、あるいはどちらの党派に味方するものか、といった問題を、面白さという個々の感性依存する問題混同する「すり替え

この2つの操作が誰に対しても平等適用されると仮定すると、吉住も勿論対象になる

今回の吉住のネタは既に(主に左派間で)政治的不適切という判断は固まったようだから

その評価はこれまでのネタも含めて「吉住の笑いとは」と全体化され、

さらに「面白いかどうか」という問題すり替えられて「吉住は元々面白くなかった」、という結論になるのかな?と予想する

 

ただ、これはあまり言いたくはないのだけど、吉住は女性芸人で、しかも(私個人主観で言わせて貰えば)そこらへんの凡百の男性芸人より普通に面白トップ層に届き得るある意味では希望の星なので、

「手加減」されて「今回のネタだけ面白くなかった」と、全体化の方は免れるかも知れない(すり替えの方は既に行われているのを見かけるので難しいかな)

ただ、それって吉住に対してもほかの女性芸人に対しても凄く失礼だし、理屈も通らないので考え直して欲しいなと思う、もう一度全体化とすり替えが本当に適切かどうかも含めて考え直して欲しい

 

最後自分個人の感想を言わせて貰えば、吉住のネタはこれまでのものも含めて自分は凄く面白いと思うし、好きだ

今回のデモネタ自分にとっては面白かった、個人的には決勝ネタより好きかな、個人的な好みで言えば街裏ぴんくより面白かったので自分的には優勝は吉住だった

個人的にはもう、女性芸人などと芸人の中から女性をわざわざ分けるのはナンセンスだと思っている、ヨネダ2000や蛙亭イワクララランドサーヤ、そして吉住などなど一線級の才能がすでに揃っていると思うから

その「面白さ」の価値、「面白さ」がほかの価値観に従属的なただの付属物ではなく、独立した別の価値であること(それ故に同時に、面白い事は倫理的に免罪されることも意味しない)を認めてあげて欲しいなと思う

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