はてなキーワード: はいとは
さんざん叩かれてるんで「見積もり金額がバラバラなんていう非常識な事態」が起きる最大の原因は「発注者が素人すぎて、発注内容が何を買いたいのかも良く分からない中身、なんていう非常識な事態」だから、ということは理解出来たと思う。
とはいえ素人が一朝一夕に発注仕様をまとめるなんて無理。どうしてもその業務が投げ出せないなら
1.その手の予約システムはweb上にくさるほどある。片っ端からアクセスして予約して使ってみる。
2.そのシステムで予約やらキャンセルやら、その他色々な機能を使ってみる。
3.最後はキャンセルしてばっくれろw キャンセル料くらいは勉強代とあきらめて自腹でw
4.自社のやりたい業務内容に近く、備えてる機能に不足がないシステムが見つかるまで1-3を繰り返す。
5.「実はこんな感じのシステムが欲しいんです」でURLつけて各業者に再見積もり依頼。最低限それに会場数やら頻度やら分かってる全ての数字はつける。
6.こんな依頼の仕方をしたら逃げる所や、リスクを積んで一気に数倍値上げしてくる所が出るだろうが、それが正当なので諦めれ。
7.実システムを例にした所で、しょせんユーザーサイドからいじって判る部分だけだと業者が見積もりにあたって想定したシステム機能は主にバックエンド関連で漏れ落ちだらけのはず。
そのままの金額で作ろうとすると、仕様変更で金が膨らんで後で上に怒られる(もしくは使い物にならないシステムできあがり)のは目に見えてるので、まずは出てきた見積もりの倍くらいの予算感と考えるといい。
8.見積もりで真ん中高めくらいの所を数社呼んで話を聞く。一番仕様の相談に親身になってくれそうなところを選定。
9.選んだ所にぶっちゃけて、リスク積んだ高めの見積もりを出して貰って、それで契約。
10.上には選定経緯や価格の妥当性を追求されるだろうがなんとかしろ。気の利いた業者だと他社の相見積もりくらい用意してくれることもある。
11.実際に仕様を決めるのは価格交渉しながら、とか契約が済んだ後から本格的に・・・という話になるが、わりとそういう業界なので気にしなくて良い。
9.でぶっちゃけてついてくる業者なら、最低赤字にならん数字は出してるはずなんで少々の仕様不備や決定遅れに対する無理は利くはず。
12.拡張性とメンテ頻度は案外費用に大きく利くし、業者側も想像がつきにくい所だから、その辺は自社の担当部門と良く話し合っておけ。
13.業者に仕様書を突きつけられても良く分からないのが関の山。仕様書は仕様書として実際の機能についてはユーザー画面と運用サイドの画面遷移ベースで話し合って合意しておくのがたぶん一番両者間の誤解が少ない。
随分業者に有利な選定方法に見えるかもしれんが、素人が発注して失敗しないようにするなら「これは儲けられそう」と思わせて業者を味方にするしかない。
激しく同意。コンサル料を払ってくれるなら、そもそも設計書書くのが自分たちだから、仕様とちがうとかありえないし。
コンサル料は大抵は期間に対して支払われるから、なんどでも、好きなだけやり直せばいいよ。
しっかり、仕様に落とす。ただ、高いけどね。
ただ、パッケージ売りとちがって、オーダーメイド物は大抵 客の勉強も必要だぞ?
たとえば、オーダーメードでスーツ作るときに全く知識ないと、どんだけ要望を落とそうとしても無理。
まぁ、スーツはできるが、本当に客が欲しいものかどうかは、まぁ、あと2回3回作ってって話にはなるだろうね。
あと聞きたいのは セールスマンはオーダーメードするのか? オーダーメードしない作ってあるものをカスタムメイドだったら、知識要求しないのは当たり前だなぁ?
そして、そういう要望を聞く折衝担当がセールスマンで 作る担当がシステム屋だなぁ。
セールスマン通さず、システム屋に直接発注すれば、それは安くなるけど、セールスマン通してないんだから、折衝がついてこないのもあたりまえだ。
セールスマンはいらいないから安くしろ、だが、セールスマン並みのサービスは要求するってどいうこと?
河口湖にあるワタミ社長の別荘は、土地購入の時からいろいろ強引で地元の人達はウンザリ。
完成後も、その人柄のせいか、単なるヒガミかw、悪い声ばかり聞こえてくる。
別荘に人が集まれば道路に飛び出すほど高級車がずらり!
予算感がさっぱりわからなかったから、予算感を知るための見積りでもあったんだけど、こんなに各社バラバラだったから余計に混乱しているんです。。もちろん上司は「なるべく安く作れ」としかいいません。とはいうものの、安かろう悪かろうだと困るのは自分なので困るし、こっちが無知なのをいいことにぼったくられるのも嫌なので困っている次第です。
私は自分が収入増を喜び恋人の病気を悲しむからという理由で、大多数の人間が当然同じように感じ同じように振る舞うとは思わない。
大事な恋人が病気になっても悲しまずにむしろ倒錯的喜びを感じる人とか。
「当然じゃない」「非難されるべき」みたいなのは強引だよね。
相手しなくていいタイプの声だよそれ。
君の最初の方の文や一個前の文と比べても差が歴然。
http://d.hatena.ne.jp/Lacan2205126/20120222/1329895239
この記事はとてもレベルが高いと感じましたが、どうも、とある登場人物に対する考察が欠けているように見えて気になったので補足的な意味で。
ヨブ記のすべての登場人物と読者のほとんどが信じたいと思っている、3つの命題を書きだしてみましょう。
A 神は全能であり、すべての出来事は神の意思による。神の意思に反しては何事も起こりえない。
B 神は正義であり公平であって、人間それぞれに相応しいものを与える。したがって、善き人は栄え、悪しきものは処罰される(勝者=正義)
C ヨブは正しい人である
ヨブが健康で経済的にも豊かであるかぎり、これら3つの命題は同時に無理なく信じることができます。しかし、ヨブに不幸が訪れ、財産や家族を失い、健康まで外してしまうとなると、ことは厄介になります。
この3つを、同時に正しいと考えるわけにはいかなくなるのです。どれか一つを否定して、はじめて残り2つを正しいと主張できる、という状態になるのです。
「神」や「ヨブ」が何を指すのかは読者の方々のご自由にお任せします。
個人的には、ワタミの前会長はABC全てが成り立つことを主張しているのだろうと思います。前会長側からすると、この建前が維持できない限り会社組織を維持するコストが膨大になってしまいますから。
「顧客」「読者」というのは、本当はわかっているくせに、3つの命題が同時になりたつことものにしか正統性を認めない。正統性を維持するためには「例外」はあっても、原則として3つの命題は成り立つんだと言い張らなければいけない。なぜかそう考えてしまうようです。3つを同時に満たすのは理想であるから、その理想に向かって今回の件を反省し、改善していくという考えもあると思うのですが、今回はそれが選択されなかった。それは、今回の事件によってもAやBがほとんど揺らがないという自信があるからでしょう。
以前からワタミはネットではブラック企業として有名でした。しかし面と向かって、それこそマスコミがワタミはブラックだ。正統性を認めることができないという流れにはなっていない。それどころか立派な企業として扱い、前会長はまれに見る清廉潔白で誠実な人間ということになっています。ワタミという会社は立派な人がトップを務める立派な会社だ、ということになっている。そしてそれは今回の件でも揺らがない、そう思っているのでしょうね。
なぜかというと、ワタミを批判し、否定するためには、「なぜここまで低賃金で過酷な労働をシなければならなかったのか」「企業経営としてここまでやらなければならない理由は何か」「外食産業全体にのしかかる問題とはなにか」「神様=市場のルールはどうなっているのか」「神様に問題はないのか」と考えていかなければいけないからです。
そして、この問題を考えるのがみんなにとって嫌なことです。 それで、「ブラックであっても必要悪だ」「このくらい耐えられないなんで、自殺した奴がひ弱なだけ」という理屈を述べだす人が出てくるんでしょう。
自殺した人は、それぞれの立場からの主張の道具として引き裂かれ、あるいは例外処理されて切り捨てられ、踏みにじられる。コレでいいんでしょうか?本村洋さんにかんしてはやれ遺族や被害者へのケアだなんだと言ってる割に、問題が変わるとワタミへの、もっといえば前会長への攻撃というお祭りに浮かれているだけの人たちを見ていると、ぶっちゃけかなり胸糞悪いです。
追記。
http://www.watami.co.jp/pdf/120221.pdf
本日、一部報道におきまして当社グループが運営する店舗に勤務していた元社員につき労災と認定
とのこと。
顰蹙を買うのは重々承知の上で(いや前会長は本気かもしれないが)こういうリリースを書くあたり、
労災の認定がされることはともかく、それについて
「私に問題がありました」と認めることができない状況にあることが何となく想像される。
おらの地方では、冬に雪が降るんだ。まぁあれだ、日本海側、裏日本地方ってやつだ。裏日本を放送できない言葉というならば、西海岸地方と呼べば、太陽サンサンって、暖かそうでいいと思うんだけど。
冬になると雪かきをするんだ。でも、あらかじめある程度は降ることが想定されているので、早く起きたり、夜中にこっそりと、除雪をするんだ。
近所のおばあさんの家の前とか手伝ってあげたり、除雪車が除けた雪の壁をちょっと崩してあげたりとか、若い分だけ、余計に働く。
そういうもんだし、わざわざ人にいうほどのこともなく、やって当たり前のことをもくもくとやっているだけだ。
雪で大変って書くのもアホくさいので、黙って除雪をこなすだけだ。変な同情は求めない。
変に自己主張する人がくるくらいなら、雪国減税とか日照時間減税とか気候が過酷な分だけ、税制でバランスをとってくれるだけでいいと思う。
最近、わざわざ除雪ボランティアとか、自己主張する人たちがあらわれた。手伝ってくれるのはありがたいんだけど、facebookやtwitterでボランティア雪かきしてます的な発言をわざわざする人ってなんなんだろう。
みんなの役に立つことをするのはいいと思うんだけど、やって当たり前のことを点数稼ぎみたいにいうのも、微妙に引っかかるものがあるんだな。
目の前にいる人が喜んでくれれば、いいわけで、世界中に向かって、「雪かきボランティアする私ってすごい。人事の人見てる」的見え透いた感が、途方もなくいらいらするんだ。
橋下大阪市長が府知事時代におこなった、自由主義的な行政改革を応援はしていたものの、
島田紳助の盟友だった、という事実のせいで、今ひとつ、彼を信用出来なかった。
なぜ、左翼連中に叩かれながらも懸命に働いている彼を信用出来ないのか、自分を責めたことすらある。
島田紳助は昨年、暴力団との親密な交際が発覚したという理由で引退したけれども、
本当に責められるべきはそこではなく、吉本の女性社員を、人気のない部屋に引きずり込んで、
壁に顔面を4、5発以上もたたきつけ、ツバをはきかける……という、度の越した暴力事件を起こしたことだ。
立場の弱い者に対して、数々の暴言や暴力をふるいつづけていたことが、ときおり報道されていた紳助。
彼の嗜虐性、異常性、卑怯性、利己主義ぶりなどは明らかだろう。
そして橋下は、紳助の暴力行為が発覚した後も、紳助の番組で長い間、人気弁護士として活躍を続けていた。
確かに弁護士は、人格が最低な人間の人権を守るために、活動しなくてはならない場合だってあるだろう。
だが、紳助の番組に出演する主な理由は、弁護士の矜持とは別物だ。
もしも橋下が倫理を重んじるタイプならば、紳助の暴力行為が明らかになった時点で、潔く番組を辞めるべきだった。
しかし、橋下はそうしなかった。
義理もあるだろう。
紳助がよっぽどうまく立ち回り、橋下ら「先生」には、自分も含めた芸能界の汚い部分を見せようとしなかった……
そんな可能性だってある。
それに、もしも橋下が番組を降板していたとしたら。
自分が裏切られたと感じた紳助が、橋下を許しはしなかったに違いない。
当時、芸能界に大きな支配力を発揮していた紳助によって、芸能界から干されてしまった可能性だって、ある。
そのことだけで、橋下という男の人間性を判断してはいけない……と自制していた。
ところが、である。
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
彼らにとっていたわるべき弱者は、強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
真の弱者、無能者や低能者に共感する能力が、完全に欠けているんじゃないのか。
それが彼らに共通する価値観なのではないのか。
努力をしても結果を出せない、という事実に思いを馳せる想像力、共感力が彼らにはない。
怠惰な連中を排除するのにはおおいに賛成だ。
だが、弱者が人並みの努力をして、人並みの結果を出せないことは責められるべきことなのか?
橋下らは、弱者が他人の数倍の努力をおこなうことは当然だというのだろう。
だが、他人の数倍の努力ができるのは、それだけの体力を持ち合わせた者に許された特権。
それが彼らには理解出来ず、共感も同情もできないのだ。
橋下の目には、帰国子女という恵まれた立場でありながら吉本のマネージャーをしている女性などは、努力を怠った無能者に見えたのかもしれぬ。
「無能者へ暴力を振るう人間」を許容できたから、橋下は紳助と盟友であり続けたのではないのか?
怠惰を改めない左翼でもなく、弱者を侮蔑する右翼でもなく、真実は真ん中にあるのじゃなかろうか。
怠惰を改め、無能者の努力を評価する。努力をおこなった強者は果実を得るが、その分、低能者の失敗もカバーする。
そして、お互いが尊敬し合う……それが私の目指す社会であり、橋下を応援出来なかったのは、彼と目指すべき理想が異なっていたからなのだ。
122 :以上、自作自演でした。:2007/08/08(水) 15:04:44
実際、被告少年の生い立ちや人生を映画にしたほうが文芸的には価値があると思う。
母親と近親相姦?「お前そっくりの子供を産みたい」と、主人公(小学生)に言う母親。
父親に言われるままに、部屋の片づけをする主人公12歳。
いじめにあいながらもなんとか高校を出て就職するも友達はいない。
絶対的な孤独の中で、未熟すぎる少年は、誰でもいいから話し相手がほしくて犯行におよぶ。
「死刑囚が出てこなくなるのがうれしい」を
「出所」ではなく「新たに発生しなくなる」に取るのが?
「死刑囚」は定義からして出所できない。死刑になるのだから、娑婆に出てこない。
つまり、わざわざ「出所しなくなるのが嬉しい」と記述する意味はない。
よって、「死刑囚が出てこなくなる」は、「発生しなくなる」の意に取る方が自然。
それでもちょっと表現として苦しいが、原文がそうなんだから仕方がない。
さらに元の文では「凶悪犯」だったが、改変に意味はあるのか?
まず、「凶悪犯が二度と世間に放たれないのがうれしいな」っていう人は
当人の利害の感覚であるというだけで、「当然である」ということにはならない。
ツリーの大元の増田では、そのような主観の類が「当然である=非難を受ける謂れはない」とされている。
ところが、もちろん、謂れはある。それを指摘している。
述べなおすのは面倒なので適宜ツリーを追ってもらいたい。
君は持って回った言い回しや言葉遣いをやめたほうがいい。知性が追いついてない。
自分でも何言ってるかわかんなくなること多いでしょ。
私は正確であろうと努めているにすぎない。知性がないからこそ。
美希
無印では美希がハニーと呼ぶのは恋愛に疎い美希が「真剣に彼氏だと認めた」相手だけなのに
アニメではちょっと親しい同僚程度のPをハニーと呼ぶようになってしまった
実際デート回以降の美希とPの会話を見てもただの同僚でしかない
しかも無印では美希がPをハニーと呼ぶのは2人でいる時だけと約束したのに対し、アニメでは人前でも堂々と
美希の「ハニー」はそんな軽いものではないのだから、アニメのPが9人を同時に担当していて
美希だけと恋愛関係になることができないなら、「ハニー」をアニメに出してしまってはいけなかった
残りに12人が全員売れてなかった時期に、ファンクラブがあって熱心なファンがいるほどの人気
でもなぜかデビューから3ヶ月前後でアイドル引退、プロデューサーに
その理由も本人の葛藤も何も語られていないのに、「今私がやるべきことはPだから」と
アイドルの律子が好きだった律子Pへの死刑宣告だけは律子の口から言わせる外道脚本
雪歩
アニメで日常生活が困難なほどの男性恐怖症に改変され、後半は空気
でも二次創作によくある、真に発情するフヒ歩だけはしっかり抑えました
女の子みたいな格好の真に対して「誰もそんな格好の真ちゃん求めてないよ」なんてセリフ、
雪歩と真が好きなら絶対言わせないと思うんだけど…
春香さん
SPや2でも見られた、なぜか必要以上に落ち込むネガ春香さんがアニメでも健在
別にユニットで活動してるわけでもないのに、合同ライブの練習に全員が集まらないのを
文句ならライブの練習時間も取れないくらい仕事入れまくったプロデューサーに言え
そして仲良し事務所の馴れ合いじゃなく、ファンの方を見ろ
千早の歌唱力の高さは、弟の死と両親の不仲の中で自我を保つために
弟が好きだといってくれた歌に依存し、ひたすら歌だけを練習し続けている結果だけど、
アニメじゃそういう自分に厳しい部分を見せずに「歌以外の仕事はしたくない」部分だけ見せて好感度だだ下がり
しかも後半は他の子がメインの回にもあからさまな伏線を貼りつつメイン回が2週に渡って露骨な優遇
原作では弟の死を直接見ていないのに対して、アニメでは事故現場で弟が死ぬのを目の前で見ていたことに改変
歌姫という割に中の人の歌唱力がアイマス声優では中の下なのはさすがに可哀想なので触れないでおいてあげよう
真
父親に言われて習っていた空手を、痛い思いはもうしたくないからと初段でやめて、
誰かと殴りあったり傷つけあうのは嫌いなはずの真が
アニメじゃ護身術も心得てるプロのSPとガチで戦ってふっ飛ばして勝利
中華街を滅茶苦茶にしたことに対して、石油王が弁償してくれるからと反省ゼロ
あずささん
声優のたかはし智秋さんは「あずささんは一見天然のように見えて熱いソウルを持っているから
髪を切ったことについてゲームでは何の説明もなかったけどアニメではきっとドラマが」と言っていたが
結局アニメでもまともな説明はなし、1話から最後まで天然なだけでした
プリンを15個も食べて、皆が犯人探ししてるのに最後まで自白せず隠し通した酷い人に
無印にはない、大酒飲みの設定も追加
最低ランクでも「厚化粧で人前に出るのは嫌」と言っていたはずが
アニメでは誰もが一目見てドン引きするような化粧で自信満々で人前に
真としょっちゅうケンカしていたけど、その内容もほとんど真のほうが正しくて伊織が突っかかってるだけ
真と伊織のケンカは後半にいいコンビになる伏線かと思えば2クール目では特に絡みなし
やよい
体力では765プロでも3本の指に入る元気っ娘のはずが、
アニメスタッフは「体が一番小さい=一番弱い」という認識なのか、
ダンスレッスンでもついていけなかったりとなぜか足手まとい要因、2クール目に入ってからはまともな活躍なし
無印では「貧乏な家計を支えるためにアイドルをやっている」のを恥ずかしがるが
アニメでは亜美真美に貧乏を笑いものにされても全く気づかない池沼っぷりも発揮
基本的に空気で双子のよさもアニメではまったく描写されなかったが、
唯一やよいの貧乏を笑いものにしているシーンでだけ存在感があった
や「え~?プリンなんて知らないよ?」
亜「なぁ、全部話して楽になったらどうだ?」 真「田舎のおっかさんが泣いてるぞ?」
や「お母さんウチにいるよ?」
真「君が悪いんじゃない。『貧乏』が悪いんだ」 亜「プリンって物を、食べてみたかった…」
や「あたしプリンくらい食べた事あるよ?昨日だって家族みんなで食べたんだから!」
亜「またまたぁ」 真「あり得ないっしょ」
クレームに正しく対処するためには、そのクレームに対して「正しく恐れる」ことが大切になる。
恐れかたは、少なすぎても、多すぎても、トラブルを生む。正統なクレームに「毅然とした対処」を行うことはトラブルを生むけれど、ちょっとしたクレームに対して大きすぎる反応を返すこともまた、同じぐらいに間違っている。クレームを恐れることは大切だけれど、必要な大きさだけ正しく恐れて、恐れた大きさに見合った対処を行わなくてはいけない。
同じ不快の表明であっても、それが技術者の人格や、現場の対応に対する不快なのか、あるいは技術者の技量や開発方針に対する不快なのかで、対応は異なってくる。
技術者の人格や対応に対する不快が表明された場合には、まずはその不快に対して謝意を表明しないといけない。不快に対して最小限の妥協を遅滞なく行った後、「その状況を維持します」と表明するのが正しい対処になる。不快を突っぱねれば間違いなくトラブルになるし、こうした不快に対して大きく反応しすぎると、今度は開発ができなくなってしまう。
技術者の技量や、開発方針に対する不快が表明された場合には、一切の妥協してはいけない。開発者は常に「ベストを尽くしている」ことが前提であって、ここで妥協を表明することは、開発側が「ベストを尽くしていなかった」と受け止められてしまう。開発側は常にベストを尽くしており、それに対して不快や不安が表明されたのなら、その人と交渉を続けることは間違いなくトラブルに結びつく。開発に対する不快が表明された際には、速やかに他のソリューションを当たってもらうように誘導しなくてはいけない。
進捗の説明や、開発それ自体に関する説明は、丁寧に行わなくてはいけない。進捗自体に関する説明は、それがどれだけ面倒であっても必ず有限で、丁寧に対処すればいつか終わる。際限もなく終わらない可能性にいらだってしまうと、相手を不快にしてしまう。たとえばデスマプロジェクトを5つ受け持てば、炎上の話を5回繰り返すことになるけれど、これは我慢して同じ話を丁寧に繰り返さなくてはいけない。
何らかの譲歩を求めて、「とりあえず不快を表明する」タイプの人は難しい。不満が無くても瑕疵を探索するし、瑕疵を見つければ譲歩を求める。どこに突っ込まれるのか予測できない。譲歩を求める相手に対して心がけることは、一刻も早い「妥協の表明」になる。「特別扱いしろ」という相手に対して、「特別扱いをさせていただきます」と速やかに表明してみせなくてはいけない。ごくわずかだけ下がってみせることで、相手の瑕疵追求の意志が和らぐ。下がりながら応対して、その後また元の場所に戻る。下がり続けてはいけない。追い詰められてしまう。
自分の現場ではやっていない、あるいは不得意な開発について、客先担当さんやマネージャから「この開発手法はできないのですか?」と問われた場合には、「できません」と答えなくてはいけない。「それはよくない手法です」とか、「やってやれないことはありません」といった答えかたは危ない。
やっていないことに詳しい人は少ない。詳しくないことに対して、開発者が「専門家の言葉」としてあやふやな感想を述べてしまうと、言葉が一人歩きをはじめてしまう。もしも何かのトラブルに巻き込まれてしまうと、そうしたあやふやな感想が、「あの開発者はプロダクトを囲い込んで開発工数を奪った」といったトラブルの種になってしまう。
情報工学の範囲を超えた、精神論を強く希望するお客さんと話すときにも、注意すべきことは変わらない。自身がどれだけ情報工学に詳しくても、対峙する精神論がどれだけいい加減なものに見えても、知らないことに対して git push する人間があやふやな感想を述べてしまうと、将来的にトラブルを招く。「自分はそれに対してこう考える」を述べる際には、「これは個人としての感想ですが」のような前置きを入れて、技術者としての立場を明示的に遮断してから「こうだと思います」を表明しなくてはいけない。
相手を怖いと感覚した人間は、相手に「恐ろしさに見合った賢明さ」を期待してしまう。それがトラブルの種を生む。
原因がよく分からないトラブルに対応した担当者は、分からないその状況を、恐ろしいと感じる。「恐ろしいから」バグレポートを上げる決断をためらって、「この問題はマジやばくなったらだれかが見つけてくれるだろう」と、自分以外の人間にある種の賢明さを期待する。結果としてシステムは、「専門家である技術者」から端末を切断されて、書かれたコードを信じて、状態が悪くなるまで通常に稼動してしまう。
口うるさいお客さんのマネージャが視察したときなどは、「あの人と喋るのは、資料がちゃんと揃った後日にしよう」という思いが頭をよぎる。口うるさいマネージャは、同時にたぶん、もっとも大きな不安を抱えた人でもあって、不安に対する対処を怠った結果として、取り返しのつかないトラブルを招くことがある。
技術者が厄介な状況を感覚したそのときに、技術者の感覚はすでにいびつになっている。危ないと感覚したそのときには、だからむしろ危ない何かに近寄る態度で対処を行うと上手くいく。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-4774.html
これは彼らの中では本当にそう思ってるのかもしれない。
なぜかというと背後の文脈にこういうのがあるからだ。
とにかく一週間全力でやらせる」
村上「一週間」
ワタミ「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
ワタミ「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。
『無理』という言葉は嘘だった」
村上「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」
この文脈があると「善意で」「限界を超えるよう強要する」という構図が発生する。
そして、実際に壊れてしまった後でも「残念です」以外の感想が出てこない。
今でも本気で彼は「私は社員思いです」「私が町長です」みたいな感覚じゃないかと思う。
善意で壊滅的な結果をもたらす人って一番怖いよね。
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65649956.html
『この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい』
言ってることはあんまり変わらないんだよ。無理をしろって言ってる。
ただ、こっちの場合は、ホントに無理だったらやめてもよいと思ってたし、
必要とあれば、彼にとって必要なサポートをする意思があったのだろう。
あとなんだかんだいって結果論って気もする。
最後まで頑張れてなんとか結果を出せたからこそこの言葉はイイハナシダナーになるけど、
意地でもうんと言わせるという熱意が感じられる。
村上さん、反論はできなかったけれど、「僕には無理だなぁ」って言えただけでも凄いと思った。
俺だったら、「え、あ、はい」とか言っちゃいそう。
「刑務所の維持費は制度の維持にかかるコスト」という一文を読んで、
なぜ「じゃあ刑務所はいらないんだなwww」という感想になるのか、
心底不思議だ。
分かりやすく言えば、
という話だ。
いろいろと考えている人はいるけど、本当のところ何の根拠もないんだよ。あったんだけど無くなったと言うべきか。
五行説が生まれ、陰陽と結びつき、年月日時の干と支にそれを振り分けた。
世界の全てが陰陽と五行に分類できるという考えから、特定の年月日時に生まれた人がその陰陽と五行の影響を受けるだろうと推察し研究した結果、何かしらの相関関係がありそうだという結果が集められた。
今は陰陽も五行も信じられていないのだけど、この何かしらの相関関係がありそうだ、という感覚だけが残っているというのが現状。
はいわかった
結局なんでもわかる風なことを吹いておいて
「近くの星が…」とかゴニョゴニョ言うか「なんでこうなったかわからない」と居直るか、
があんたの流派なのね。
最初から性質の話してるじゃん?君もそれがわかっているからこそ「ニートの素質」って言葉使ったんでしょ?
こいつらの法則では良い年月日時の筈の人が不幸になったら
「あー、周囲に強い星があったね」って言い出すだけ
言えないんだよ、これが。見方にはいくつか流派があるんだけど、見方自体にはルールのようなものがあるから、いい加減なことを言うとそのルールを把握している者かはら見透かされてしまう。
あと、成功しやすそうな人は分かるけど、成功するかどうかってのは四柱推命では分からない。これは失敗する人、社会生活に不適合な人間を見つけ出すことに特化した占いだと思ってる。
なんかちょっと目を離したすきに途中から選手交代してるんで、いちおう。
あの凶悪な犯人が出てくる、
あれと類似の凶悪犯が出てくる、
あれと同等の凶悪犯が出てくる、
一つ目の「出てくる」は出所、残りは発生の意味で捉える。
死刑が防げるのはせいぜい一つ目。日本全国規模で集計した再犯率のコンマうんケタ単位の低下。いや流石にコンマは上回るか?
残りは大して防げない。類似・同等の凶悪犯の発生、事件の発生は防げない。
クッキーの抜き型が生地をくりぬいて同じ形のクッキーを量産するように、
条件が揃えば同じようなのはいくらでも出て来得るわけで、そこをどうにかしないと「世の中ひとつよくなった」とはいえない。
あなたの実家のお隣さんが実は今回の犯人の言動に深い共感を示しており、かつストレスで破裂しそうになっている爆弾のような人間を身内に持っていたとして、死刑になったからって彼らの考え方がいきなり変わるわけがない。
そして出所を防いだとしても、その件で益を得るものは(被害者遺族の心情救済を除けば)ものすごく少ない。
死刑にバンザイした連中のうち九割以上の生活は劇的に改善されたりとかしない。
何も変わらない。
何も変わらないのに何をそんなに喜んでいるのか、そして何故それが「当然のこと」とされてしまうのか。
個人的には、今回の死刑の価値は遺族の救済の一点にあると捉えている。
前例となるような判例を作ったことは、今後の流れは変化させるだろうがまだ良し悪しが判断出来る段階とは思わない。
ただ、戦い続けてきた遺族にはひとつの区切りになり報いになったことと思う。
人間が多少なりとも報われるのは一般的に言って喜ばしいことなので、喜ばしい。それだけ。
言い方は悪いが他人事というか、他人様のことなので我が身のように喜ぶことはできない。
我が身に起こったらたぶんこんな喜びのかたちはしていないだろうし、そこのところは混同できない。
彼らの喜びを喜ぶ権利が私にはない。
彼の中でその異常性が芽生えていった背景や成長過程も詳しく知っておいて、
コスパを言い出すと何も出来なくなる虞があるのでそっちはおいておくとして。
防犯と言う観点だとそうだけど、「予防」や「教育」の観点だとどうだろう?
少なからず生育事情があったことは間違いなく(言及もされている)、また犯行直前の異変も、「あとから思えば」レベルでは気づかれていた(NHKのニュースでの取材の範囲では))。
生育事情から来る「ゆがみ」への「気づき」や、それに対する学校や行政(児相とか)のフォローの追跡と研究は、似たような環境で育っている子どもが同じ道を歩まないようにする為の強力な参考資料になるだろうし、犯行直前の様相の研究は、(行きすぎてはいけないという前提の上で)警察による声かけ対象の参考にすることが出来る。
無論、そういった犯罪を完全に滅するというのは不可能だろうけど、何もやらないよりはなんぼもマシだし、「犯罪が起きた時点でみんな敗者」と本村氏が言うように、犯罪は起こらないのが理想で、起こさせないのが重要。
本村洋さんが会見で語っていたように、
洋さんが被告に望んでいることは「ただ殺されること」ではなく、
「境地に」達して精神性が出てきちゃった結果の望みやコメントであって
普通の人は同じ心境に達するのは無理だし
そんなこと望む必要も無いと思うよ。
プロゴルファーはバーディやイーグル出してもなお深い内省が続いていくだろうけど
一般人のゴルフはバーディ出したら「すごい!やった!」で終わり。
これは不幸にも、本村さんや遺族の重い作業として続いていくが
(だって実際、世間がそれを自分のミッションだとして、福田死刑囚に何をどう働きかけんの?
別にからかって聞いてるんじゃないから具体的な回答の用意があるなら書いて欲しい。あるの?)
そして、なぜこのような残酷な事件が起こってしまったのか分析する必要も有るわけだ。
そもそもいきなり他人の家に押し入って女性を殺害して犯し、
これは不幸にも、本村さんやにとっては必要性のある課題になってしまうだろう。
だが「そんな辛いことをこれ以上は耐えられない」と放棄しても彼等を責められる人間はいない。
犯罪心理の専門家も学問的興味や必要性を感じれば分析・研究するだろう。
彼の中でその異常性が芽生えていった背景や成長過程も詳しく知っておいて、