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乙武洋匡さん、銀座の「TRATTORIA GANZO」に「車椅子だから」と入店拒否される
子供や障害者や要介護者を連れて行く時は、ファミレスであっても日時を言う前に受け入れて貰えるかどうか聞くことが普通だと思ってたから、そもそもバリアフリーに対応してないことを責める人が多いのに驚いた。
手足が不自由な障害者の方の意見を聞いてみたいな。もちろん一枚岩ではないだろうけど、乙武さんを支持する人の方が多いのかな。
乙武さんがこれまで小さな飲食店に行く経験がなかったとは考えられないし、これまでは予約時に何も言わずとも受け入れて貰えてたんなら、都会の個人飲食店は凄いよなぁ。地方じゃ考えられない。
子供や要介護者を連れて食事に行くことがたびたびあるけど、予約時にそれを言い忘れてた場合、入れないならあっさり引き下がるし、予約に穴開けてすみませんとこちらが謝るし、「車椅子、もしくは要介護者(障害者)を上まで運んでくれ」とは言わないし、そこまで食い下がった上できつい対応されるなら仕方ないと反省するタイプなので、乙武さんの言い分は全くわからなかった。
例えば入れないとわかった時点できつーい対応されてたなら店側もうちょっと何とか…となるだろうけど、ぶっきらぼうに「入れません。サイトに書いてましたけど」くらいなら普通(よりちょっと悪いくらい)じゃないのかな。少なくとも店名挙げてツイートはしない。ホテルのレストランじゃないんだから。
大体、「上まで運んでくれ」って、事故があった時はどうするつもりだったんだろう。うーん。もやもや。
これ乙武さんだからみんな盛り上がってるけど、たとえば他の無名な障害者だったら全然話は違ったんだろうなあ。
特に知的障害者とか。車椅子以上に入れないお店ばかりだし、身体障害者と違って同情度も低い低い。
とはいえ、可能なら全てのお店がバリアフリーに対応していて、全ての人が人間の抱え方(どうすればうまく抱えて運べるか)を理解しているような社会が理想だとは思う。
いくら車椅子や義肢があっても障害をフォローできない場面は多々あるので、障害者も、そうでない人と同じように食事を楽しめる社会になって欲しいな。
どんな人でも、どんな障害者でもね。
なんだかんだいーつつ、付き合い続くひとと
その違いって、
「 ふゎっ と全部がどうでもよくなってしまう一瞬」 が
有るか無いか、な気がする。
大問題にして激論交し合うほどでもない
我慢ならないわけじゃないけど
積極的に愛せるってわけでもない短所とか、
そういう小さなストレスの堆積が
一瞬、どうでもいいことに思えてしまう、そういう瞬間。
(もちろん、実際どうでもよくなるわけじゃないんだけど。)
気まずくなった日の夜中に、
なんか、全然顔に似合わない
ふと油断した隙に
破顔100万ドルの笑顔向けてくる(ズキューン) とか、 とかとか、、
「水に流す」といってしまうと、
慣用句としてつかわれるシチュエーションがわりと限定されてしまってて、
なんとなく、イメージと一致しない。
だからあえて、「トイレの水が流される一瞬」みたいに喩えてみる。
「なかったこと」にできるわけじゃない。
そういう「一瞬」の繰り返しで
ふたりの間にある問題を
でもさ。
怒り未満の小さな不満がグラグラ煮立って
小さな心に溢れかえってる、そういう感情の渦巻きが
一瞬にして霧消する。
その「瞬間」の有無って、やっぱ大きいと思うんだ。
酒飲んで帰ってきて、おならをしたら異様に臭かった。
そういうえば酒飲んでる時も異様におならが出てたので、
何も付着してなかった。
「いつもきみは学歴で差別をしている」http://anond.hatelabo.jp/20130519031625
を書かれた方と
それを
「いつもきみは学歴で差別されるところにいる」http://anond.hatelabo.jp/20130519040954
と改変された方は
同一人物なのでしょうか?
セルフ改変で、多角的な視点からみせようといった制作意図があるのかもしれません。セルフ改変の場合は、一読者として、何の異存もありません。
ただ、万一、前者と後者の投稿者が同一人物でないのなら、この改変行為には強い不快感をおぼえます(横からですが、個人的に)。
他人のテンプレートを利用しながら、
その人の過去の生き様を学歴でしか判断できない場所にきみはいる
そういって、仕事ができないきみは同い年の上司に陰で笑われている。
いつも君を支えてくれる人にひとかけらの眼差しも投げることはない。きみを見ているたくさんの人に気づくこともなく、振り返らなかったあの人にいつまでも意固地になっている。
というような自前のヘイト感情を織り込んでいく。ひとのふんどしで相撲を取りながら、寄生主を内側から食い尽くす。極めて悪趣味です。揚げ足を取るなら取るで、ふんどしくらい自分で縫ったらどうですか?
人はどんだけ意識が高かろうが、結局見たいところしか見ないものだし、しょうがねえ。
逆にきみは人種で差別をする場所には行こうとしない。黒人であれ、中国人であれ、白人であれ、先入観を持つ場所には行こうとしない。
その人の過去の生き様を学歴でしか判断できない場所にきみはいる
地方の偏差値の高い高校を出て、早慶に行く人間が、同じ借家に住んでいる。
そういって、仕事ができないきみは同い年の上司に陰で笑われている。
東京に出て、社会人になって、地元の時よりもたくさんの人と出会うことになったときみは言う。
その人がどんな人で、どんな考え方をするのかはちょっと話をすれば見えてくるよと思い込んでいる。
でも、きみは日本人を語るアダルトチルドレンだから、直接的な質問は怖くてできない。
だから、ちょっとずつ、ちょっとずつしか相手のことを知ることはできない。それを、他人は演技がうまいからさとうそぶく。
人を知るのにはとても長い時間がかかり、その人と仕事をするのは将来大きな事故になるかもしれないと怯えている。
何年も努力をしてきたか、何年も地道なことをしてきたか、そしてそのようなグループと過ごしてきたか、
そういってきみはいつも過去を見て、今目の前にいる人のことを、自分の周りの人びとを、いつも君を支えてくれる人に
ひとかけらの眼差しも投げることはない。
きみを見ているたくさんの人に気づくこともなく、振り返らなかったあの人にいつまでも意固地になっている。
きみは口に出してはいないけど、心の中で、学歴を判断基準にしていることが顔でわかるから。
「何歳で東京に出てきたの?」⇒浪人して大学入ったこと気にしてんのかな、こいつ?
「フェイスブック教えて」⇒お前の大学、友達で分かったけど隠すことないのに
「へー、東大の院を出たんだ?!」⇒研究内容とか聞かないで黙っちゃったよ、どうしよう…
いつも、僕たちは学歴で差別をするところをきみのためだけに用意しているんだよ。
止めとけ。「問答形式」のままで聞き手にうまく伝わっているように思うならそれでいいと思う。
コミュニケーションの基本は、その場にいる一番馬鹿な人間に話し方のレベルを合わせることだ。
つまり自分が相手の立場に立って理解できないことを相手にやるな。
さらにいえば、ポスター発表などしているときに目の前に立っている人間が自分よりも頭がいいことを期待するな。
それが事実だとわかっていても、だ。結果としてその方がうまくいくから。
そもそもこの回答が個人的に大嫌い。
かつてこんな言い方を自分もしていたが、幻滅してやめた。3つ理由あります、と言って2つまでしかわざと聞かなかったときに
3つめはなんですか?と聞き直す回答者のなんと数が少ないことよ。一文くらいの軽い説明を二回挟んでも、だ。
それに、この回答方法では効率は上がるかもしれないが、あまり遊びがない。
質問する側にとって回答を受けることはそれだけで願ったりだが、回答者にも答えることで相応の対価を得るはずだ。
しかし質問者にリードを渡さないこの答え方からさらに+αの質問を投げかけられるやつはそうはいない。
結局話は戻るんだけど、質問者がどんなに馬鹿でも新しい気づきを得られるようなそんな答え方をすべきだよ。
そしてそれは、「一答形式」ではなくて、「問答形式」だと思う。それがコミュニケーションってやつじゃねえの?
純正の天然も数パーセント配合のサークラ(予備軍?名前がつけづらいんでこれにする)に女々しい貢ぐ君が物品買い与えてて吐き気がする。
サークラにはサークル内に彼氏いるのに、彼氏の目を盗んでデれてるのが女々しいやら根性なしでイライラする。
「ひどい恋愛ばっかりでもう女の人信じられないです…」とか言ってたけど、いやいやそれって自分で信じられないフラグ立てて回収して回ってるだけなんじゃないの。「傷付きやすいんです」とか「みんなの嫌われ役でいいんです」とか言ったり「一人になりたい、こんなときがあってもいいよね」とかTwitterでpostしてみたりして、なんなんだよもう…
うちのサークルは30人もいないくらいの弱小部だから、指導者ポジションの人が貢ぐ君になっちゃ困るんだよ。しかも自分から指導者ポジションに立ってるくせに色恋沙汰でやりづらくしてんじゃねーよ。
これまでも、本番前に風邪をひいたソリの合わない同学年の女の子の前でモノ投げて泣かせるし、気に入らないことあるとモノぶつけながらズカズカ帰ってくし、新入生の前でも平気で部内の悪口言うし、こんなに好き勝手やってるくせに飲み会に誘われないと機嫌悪くするし、クソとしか言い様がない。そういえば、貢ぐ君って親がプ●●ス新車で買ってくれたり、「金銭を払ってもらうことで相手のメンツを立てる」っていうことを知らない人間だしな。なんか価値観がクソなのかもしれない。
貢ぐ君は私がキレてることを態度でなんとなく察してるみたいだけど、もうかける言葉も無い。呆れる。だけど、このまま放置してても状況は改善するのかよくわからない。じゃあ貢ぐ君サークルやめりゃいいじゃんって思うけど、実際技術や指導面ではいてくれないと困るからそれもまたジレンマだ。最高学年は3人しかいなくて、私と彼のほかのもう一人はご飯行った先でTOEICの問題集広げちゃう感じの、まあなんかそういう感じの人だからどうしようもないし。
自称ガラスのハートだかなんだか知らんけど、「テメー頭おかしいんか」くらいは言いたくなっちゃうよ。彼の側近の後輩には「先輩(=貢ぐ君)はだぶんどうにもできないんで、増田先輩が大人になるしかないですよ」って言われたけど、大人ってなに?
見守るのが最善の道だってわかってるけど、不道徳アレルギーなのかもしれないけど、許せないんだ、本当に怖気がするし動悸がするレベルで許せない。
こんな様子じゃ、結婚した相手がもし統合失調症を発症したら地獄だから結婚したくないし、
産まれた子供がもし統合失調症を発症したら地獄だから子供も作りたくないね。
http://anond.hatelabo.jp/20130518144029
私はブス喪女だけど、単体のイケメンを見ようが、カップルのイケメンを見ようが、全然辛くないよ。
告白したこともされたこともなく、交際経験もない、当然ながら処女の30代女。
でもイケメンの人生に立ち入りたいとか、想われたいとかって、全然執着がないんだよね。
女から一切憧れられないのには、辛いなと思う瞬間がある。
憧れられるのは「仕事が出来るうえに良い結婚をしたおしゃれな美人」ばかりで、
ガリ勉みたいな仕事の仕方しかできない、泥臭いダサ喪女の私はどうしても軽んじられる。
才能無いし、頭が切れるわけでもないし、プライベート充実してないし、仕方が無い。
誰からも憧れられることはないし、慕われることもない。
避けられてはいないけど、「よく働くから居ると便利」程度に思われてそうだ。
そこはやっぱり素敵な服がよく似合う美人だったらなぁと思うよ。
おしゃれな服が似合う美人だったら、働き方が泥臭くてもそれもまた魅力の一つになるじゃない?
ブスが泥臭く働いてても、「あーあ」ってだけだよ。
私は恋愛がしたいというより、良い容姿を持つことや、良い結婚をすることによって、
社会に認められ、憧れられたり慕われたりすることに執着している気がするよ。
「ブスでかわいそー」「なんか働き方が必死ー」「あんなんじゃなくてよかったー」
こういう風に軽んじられること、下に見られることが何よりも辛いと感じてる。
アニメが原作絵と違って気持ち悪いと評判の惡の華。1話を見て興味を持ち、ネットであらすじを探って、原作本を全巻購入し、幾度と無く読み返してもまだ飽き足らない。子どもじみた中学生らしい登場人物が、思春期特有の心理状況を抱えながら、自己を萌芽させ、徐々に顔つきも大人びてくる。当初はギャグテイストの悩みや災難も、次第に力を帯び、心をえぐり、魂をすりつぶすほどの痛みになる。登場人物は傷つきながらも正気を失わず、自分の心が発するの声にしっかりと耳を傾け、美しくも悲しい物語を紡いでいく。マンガやアニメの主要な購買層が求めている作品ではない。思春期で思い悩む少年少女とってのバイブル、恋愛や社会との関わりの中でひどく傷を負い、いまも人知れぬ痛みを抱える人々にとっては、癒しの物語となるだろう。
高校生編はまだ途上なので評価は避けたい。蛇足にならないよう願いたい。常盤さんと付き合うことになったが、仲村さんが登場するならば春日には破滅しかない。常盤さんという人物が、高校生となりある程度社会性を身につけた仲村さんとしての役割を担うならば、仲村さんは永遠に登場してこないだろう。
中学生編は、3巻の峠を境に前半と後半に分かれる。前半は主人公が、あこがれの娘の体操着という、無意識の海に落とし込んだ財宝とも言うべきものを盗むことから始まる。思春期は幼い子供だった時代と別れ、自我が覚醒する時期。親や学校、友人らと同一の存在であり、他とは異なる自分というものがなかった幼い自分に別れを告げる時期。未知の財宝を奪うという行為は、通常の意識よりも深いレベル、無意識から発せられる。さらに、住み慣れた世界から自己を引きはがす未知のモンスターが登場。深淵からの使者、仲村佐和に秘密を握られ、否応なしに「自己の覚醒」へと突き動かされる。すべての出来事は現実と同じく、良い結果と悪い結果の両方をもたらす。そして自己の表現とは属する社会の道徳とは相反するものになる。すべての結末は死、解体、別離。カミソリの刃先のような危険で細い一本道を命がけで渡る春日の姿は、一種の英雄譚のようだ。
自己の表現すなわち仲村の呼ぶ「変態」が本作のテーマか。分かりもしないボードレールをこれみよがしに見せつけて俺は他の奴らとは違うんだと悦に入る気持ち悪いネクラうじうじ男、春日。彼が未知からの召喚に応じ、キリストの受難のような試練を受ける。思わずあこがれの佐伯の体操着を盗み、思わず嫌われ者仲村をかばい、思わず佐伯をデートに誘って思わず告白する。仲村に本当の自分を黒板に書けと言われ、一度は断るものの、仲村が溜め込んできた周りの世界への鬱憤を知り、さよならを告げる仲村を思わず引き止める。自身のカミングアウトだけでなく、芸術作品のように自分の存在の全て教室にぶちまけて仲村の言う「クソムシの海」を創り上げる。完全なる自己の覚醒は住み慣れた世界との別れ。仲村とともに「向こう側」を目指すも、愛すべき社会を体現した佐伯が立ちはだかる。唾棄すべきもの、社会から忌み嫌われるものだったはずの「ありのままの自分」が佐伯から受け入れられ涙を流す。だが、一人で「向こう側」に向かおうとする仲村を思わず引き止める。引き止めたことに驚いたのは春日自身。言葉が出てこない。行くか戻るか2人から選択を迫られ引き裂かれる春日。普通に佐伯と「付き合う」ことができず、仲村の求める「変態」にもなれない、自分が空っぽであまりにも無力な存在であることを思い知らされる。
後半も「変態」行為が自己表現だが、その行為には一切の欲望や情念は込められていない。愛の表現そのものだ。愛は自己の表現であり、社会の価値観とは反するもの。峠の心理状態のまま時間が止まり、仲村にも佐伯にも歩み寄れない春日。3者は峠の出来事で自分の存在をズタズタに引き裂かれている。社会性の権化だった佐伯は親友木下に付き添われることで辛うじて社会生活を送り続ける。春日と仲村は以前にもまして社会とは関係を持てない。木下は佐伯と春日の関係修復を試みる。互いに相手から好きだと言われたいとの思いはあるものの、これ以上傷つきたくないというのが本音だ。もう引き裂かれる痛みに耐えられない。双方とも無表情を装い、相手を拒絶する言葉を放つ。佐伯と別れ、残るは干からびて死んでいくだけの日々。夢のなかで、それまで気づいていなかった仲村へのいとおしさに気づく。仲村への気持ち以外の他の全ては意味のない空虚な存在。自分の「向こう側」は仲村の中にある。仲村を笑わせるためならば、社会も自分自身さえも捨ててしまおう。愛の巣そのものの秘密基地を作り、佐伯を除くクラスの女子全員のパンツを盗む。変態行為は仲村への愛のメッセージであるとともに、佐伯には決別のメッセージ。佐伯への決別の決意を知った仲村はようやく春日の思いを受け入れ、世界で2人にしか分からない特別な関係、すなわち「契約」を結ぶ。
一方、決別のメッセージを受け取った佐伯は、自分の抑えこんできた欲望、自分そのものの萌芽を迎える。社会性の象徴である木下を伴いながら、春日と仲村が創りだす2人だけの世界を探求する。それは木下にとってはただ変態、犯罪者の異様な空間。だが、佐伯にとって、自分には絶対にたどり着けなかった世界。嫉妬と羨望と欲望の対象、世界の求める姿を演じることなく自分の好きなことを自分の思いで自ら創造する世界。彼女の求めたすべてがあった。悪行を社会に知らしめることは、春日と仲村の2人だけの絆をさらに深いものにしてしまうだけ。木下と決別し、麦わら帽子と共に自らの演じてきた仮面を脱ぎ捨てる。春日が仲村のために創り上げた世界を燃やし尽くし、春日をセックスで取り込むことで仲村から奪い、自分のものにするという欲望をさらけだすも、春日に拒絶され、仲村との対決にも敗北する。
仲村は勝利したものの深い傷を負う。後半の仲村は未知のモンスターではない。攻撃的な性質は持ち続けているものの、春日を受け入れるまでは、いばらに閉ざされた眠りの森の美女。春日を受け入れてからは愛の対象者として存在する。変態行為を求めることはない。ただ自分を喜ばせるためだけに、他のすべてを捨てて一生懸命になってくれる男の子、春日の存在を嬉しく思う一人の女の子だ。2人の間に割り込んできた佐伯の存在により、自分と春日の関係は誰からも祝福されないもの、自分の存在は周りを不幸にするだけのものだと思い知らされる。行き着く先は死か破滅しかない。だけど私は死にたくない。
春日の隠し事が徐々に露見し外出禁止となる。春日を閉じ込める家は地母神の胎内そのもの。放火の懺悔を決意した佐伯は春日の元を訪れ、2人で罪を告白し元の世界で生きる道を提示する。佐伯に心を引かれそうになるが、仲村を信じ想い続け、佐伯を拒絶する春日。行き着く先は破滅のみだと分かりつつも。佐伯の自白とともに、佐伯の分身とも言える木下の手で、すべての出来事が世界に露見される。誰一人幸せにできなかった。何一つできなかった春日。閉じ込められた檻を力づくで破壊し、閉塞した社会の胎内から春日を引きずり出したのは仲村だった。社会から拒絶されるならば、社会そのものを拒絶し、春日を殺し、自ら死ぬ覚悟をしていた。仲村にとって、自分の知らない自分を引き出してくれたのはいつでも春日の自己表現の爆発だった。春日がかぶっている皮を一枚一枚はがす度に、仲村は自分自身を発見していた。運命の夏祭りは明日。すべてが終わるのは明日。もう時間がない。向こう側を、自分自身を見つけなければ。全裸にし、皮膚をめくっても出てこない。バットで脳みそを叩き割れば出てくるのか。殺す気だった。だが、できなかった。私は春日くんを失いたくない。刺のある言葉を周囲に発して、無関心無表情を装って、硬い殻で閉じ込めて、ずっと守ってきた本当の自分、見たくなかった裸の自分自身。弱々しくて、壊れそうで、大嫌いな自分。世界がクソムシじゃない。私がクソムシ。私がいるから、こんなにも世界は生きづらくて苦しい。決して消えることのない自分。ありのままの姿をさらけ出した仲村を春日は魂の咆哮とともに抱きしめる。2人は心中することで、周りの世界のすべてを拒絶し、魂の永遠なる結合を図る。夏祭り、2人は世界に向けてありのままの自己、この世に生きた自分という存在そのものを叫ぶ。仲村は春日を愛していた。そして愛する春日が、両親や佐伯、社会から愛されるべき存在であることも知っていた。世界から拒絶され、孤独の深淵で苦しむのは私一人でいい。あなたは生きて。春日を突き飛ばし、一人で死へと突き進む。だが、その仲村自身も世界から愛されるべき存在。死から拒絶され、2人、いや佐伯を含む3人は、桐生市という地母神の胎内から外の世界へ排出される。そこで中学生編は終わり。
主人公の春日くんの心理描写はあるものの、仲村や佐伯についてはどのような心理状態でいるのかあまり描写がない。だが、2人とも自分にしか分からない悩みを抱え、自分の信念に基づいて行動している。物語の都合や作者の都合で動かされる人物ではなく、自らの意志で動く生きた人間だ。春日に自分の心の奥底に秘めた何かを求めてしまった2人の少女が作者の意図の範疇を超えて動きまわる。自らの意思で動く登場人物が自然と創り上げてしまった物語が惡の華の中学生編ではないか。仲村が、佐伯がどんな気持ちを抱えてその場にいたのか、想像を膨らませながら読むと深い、深すぎる物語。まるで恋人の心を探るような、自分を拒絶した異性の心を探るような、そんな作業にも感じられる。
面白いおもしろすぎる物語。エンターテイメントではない。現実の人々は、自分自身との関わり、愛すべき存在との関わり、社会との関わりの中で、必ず傷つき、苦しむ。この物語は生きる糧となる物語。魂に必要な食べ物。癒えることのない痛みを和らげる物語。閉じ込めて見ないようにしていた心の古傷を思い出させ、生きる歓びに涙を流させる物語。世界は悪意と欲望で満たされている。常に腐敗し悪臭を放ち続けている。自分自身も、かつては不滅の存在に思えていた社会そのものも、実は有限で不完全な存在に過ぎない。すべての欲望、情念、怒り、迷妄を捨て去った後、哀れみの心が生まれる。法隆寺、玉虫厨子の捨身飼虎の図で描かれるように、愛する人のため、社会のため、神に捧げる供物のように我が身を捧げることで、初めて完全無欠、永遠の存在を感じることができる。世界の中心はここにある。永遠は今この瞬間にある。神は常にあなたとともにある。
今日、写真撮影で高校生と中学生の二人を都内の公園でポートレート撮影してきた。
※もちろんエロではない。
撮影は問題なかったが、ふと大声がして振り向くと、怒鳴り声をあげているおじさんが居た。
もちろん「?」となるが、次第に変な人という事になった。
「酔っ払ってるのかなー」という話に、僕は「心を病んでるのかも知れないね」と返した。
すると、ふたりとも「そういう人は家の中に閉じ込めてほしい」と言った。
僕は表立っては言わないが、躁うつ病を持っている。もちろんある程度経過して、おおよそ症状は治まっているが、今でも通院している。
おそらく、そのおじさんは統合失調症の陽性症状なんだと想う。説教する相手が幻覚として見えているのかもしれない。幻聴で言いごたえされているのかも知れない。
僕は、それらをとても残念に感じた。
本当はマジメでいい人なのかも知れないけど、メンタルヘルスに理解が無いが為に(もしくは家族に恵まれなかった為に)、ただ放置されてしまっている事。
もう一つは、撮影している彼女たちが無知・無関心であった事。。。
本当は、心の病気を持っている人はとても多くて、でも偏見から普段は何も言えないで耐えて居ること。
そして、将来自分たちにその病が振りかかるかもしれない事。。。
※うつ病の生涯発症率は、一般的に5人に1人と言われています。
僕は、立場的にメンタルヘルスについて企業のひどい扱いを、聞いたり体験したりしている。
日本の企業は、「心身共に健康で会社の為に稼いでくれる」完璧なサラリーマンを求めすぎている気がしている。
仮に障害をもっていても、障害者手帳を得ていないと何一つ優遇される事はない。(障害者雇用にならない。)
企業の人事担当者も、壊れてしまった人に「完璧なサラリーマン」を求めて病院に問い詰める事も、何度か見聞きしている。
もし、このテキストを観ている人がいれば、少しだけ関心と理解をもってほしい。
そして、メンタルクリニックの敷居が低くなったとはいえ、それでも理解しがたい変化に耐えている人がたくさん居る事を知って欲しい。
まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。未婚化は進むかも。
そして欠陥が判っていて政策が通った場合、同時に「政策を通した=国民としてその政策にある程度合意した」と見なされるため、「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
女は必然的に流れに従うか或いは逆らうかに分類されるが、男はそもそも流れの渦中にすらいない。
>まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。
なんで断言できんだよ。お前は預言者か何か?お前の中では、晩婚・晩産の原因は「社会的に環境が整わない」と「男に覚悟ができない」”しか”ないんだな。ある現象が起こるのはいくつもの原因があって起こると思うんだけど。俺が思うほかの原因は「適齢期の無知」な。俺だって「適齢期の無知」が改善されれば、晩婚・晩産が”すべて”解決されるとは思ってない。原因の”ひとつ”である「適齢期の無知」を解決すれば好転(=歯止めがかかる)するかもと思うから女性手帳を支持しているだけなんだが?
>「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。
>晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
晩婚・晩産した人は勝手にどうぞ。不利益を被るのは自分だし、高齢出産で苦しんでいる人を叩くような鬼畜な人間はふつうはいない。
かっこつけただけじゃん。説明になってない。
全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、ある特定の不利益の黙殺はすべて上から目線である。これは誰がどう思うかで変化することではなく、論理的にそうなのである。
>全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
知ってるよそんなこと・・・。そんなわかりきったことわざわざ書かなくていいから。
>客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。
客観的事実とは「”みんな”がそう思うこと」って書いただろ?なぜ”人数が多い”に変えた?おまえわざとやってるだろ。
>「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、
どこが論理的なんだよ。「私がそう思うからそう」って言ってるだけだろお前は。
何も変わらない。「不適齢期だから子どもを産むな」という従来の学校教育に対立する「適齢期だから子どもを産め」という女性手帳の内容、という対比にすぎない。
気に入らないなら「適齢期に」と読み替えても良い。
「適齢期だから子供を産め」→適齢期になったら有無を言わず子供を産め
「適齢期に子供を産め」→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産め
何が変わらないんだ?
年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保証にはならない。
適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、実際責任が取れるようになっているかどうかは誰にもわからない。どうすれば確実に責任が取れるようになれるかさえわからない。
>適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、
>そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。
議論というのは授業において、子どもたちが「適齢期に子どもを産む」という解に辿り着くには「どうすればいいか?」を検討する議論のことだ。
先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、授業で深く掘り下げて取り扱うことはできない。元々の設問が悪すぎる。
>先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、
女性手帳の内容→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい
現在の性教育の内容→子供を養えないのなら子供は産むな、つまり、養えるようになったら産んでよい
合わせると→子供を養えるようになったら、高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい
「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
お前は代わりに性的マイノリティに向かって「年をとると子どもは産めなくなる。これ特に女性は絶対知ってなきゃいけないこと」と吹聴してこい。
>「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
おし、言って来い。テレビのドキュメンタリーで見たからな。「ネットを検索すれば情報を得ることができたのだから、それをしないのは自己責任。たとえお前が高齢出産で苦しもうと、受け身であったお前の自業自得」ちゃんとこう言って来いよ。
お前、負けず嫌いだなあ。悔しいから俺が言ったことの文字を入れ替えて反論してんの?違うというのなら、自分で言葉で反論してみろ。
あと、お前は論破した気になってるけど、してないからな?無駄に堅苦しい言葉を使ってそれっぽく論じているだけで穴だらけ。ところどころお前の思い込みも見られる。
http://b.hatena.ne.jp/wideangle/20130518#bookmark-146112938
多分このあたりを指して言ってるんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130518194833
wideangle的には、青二才はもうすぐはてなからあぼんし、
青二才が器質性の病気であったこと、割とけなげなキャラであったことを知り
しみじみとした気分になりながら、増田を去ることになるのか。
wideangleのセンスが光るなと感心した
青二才が高校生の頃太宰を読みふけったという自己申告をしていたことも関係あるのかな
(追記)トラバでありがたい解説。
自分が物知らずに思われているのは、自分の頭が悪いからではなくて、あくまでまだ若いので経験や知識が少ないだけだ(だから努力さえすれば将来には自分は賢くなれる。そのためにこうして見聞を広めているのだ)…というようなところではないかな。実際には彼女には未来そのものが与えられて無かったのに、それでも純粋に将来を信じて(方向性はともかく)努力と向上心だけは欠かせて無かったというところが痛々しいんだよね。
なるほど、どちらかと言うとwideangelは青二才にこの痛々しさ、悲しさを見て眉山に例えたのかもしれない。
将来的にはシロクマ抜くだの店長抜くだのそんなことばっかり言ってたもんな。
でも実際は劣化版のあままことかありむー的な道を歩み、しかも将来お先真っ暗なのかと思うとたしかに哀れみを覚えずにおれない。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/243_20190.html
その無智と図々しさと騒がしさには、我慢できないものがあった。
下にお客があっても、彼女は僕たちの二階のほうにばかり来ていて、そうして、何も知らんくせに自信たっぷりの顔つきで僕たちの話の中に割り込む。
あまりひどすぎて一座みな興が覚め、誰も笑わず、しかめつらになった。
「トシちゃん、下にお客さんが来ているらしいぜ。」
「かまいませんわ。」
「いや、君が、かまわなくたって、……」
「白痴じゃないですか、あれは。」
「いかに何でも、ひどすぎますよ。この家も、わるくはないが、どうもあの眉山がいるんじゃあ。」
「あれで案外、自惚れているんだぜ。僕たちにこんなに、きらわれているとは露知らず、かえって皆の人気者、……」
「わあ! たまらねえ。」
おかげで僕たちが、ほら、いつか、冤罪をこうむった事があったじゃありませんか。
僕たちの仲間には、そんな乱暴な昇り降りするひとは無い。でも、おかみさんに僕が代表で注意をされたんです。面白くないから、僕は、おかみさんに言いましたよ、あれは眉山、いや、トシちゃんにきまっていますって。すると、傍でそれを聞いていた眉山は、薄笑いして、私は小さい時から、しっかりした階段を昇り降りして育って来ましたから、とむしろ得意そうな顔で言うんですね。その時は、僕は、女って浅間しい虚栄の法螺を吹くものだと、ただ呆れていたんですが、そうですか、学校育ちですか、それなら、法螺じゃありません、小学校のあの階段は頑丈ですからねえ。
しかし、御不浄へ行く前でよかった。御不浄から出て来た足では、たまらない。何せ眉山の大海といってね、有名なものなんだからね、その足でやられたんじゃ、ミソも変じてクソになるのは確かだ。
「私ね、小さい時、トシちゃんはお便所へいちども行った事が無いような顔をしているって、言われたものだわ。」
「貴族なんだそうだからね。……しかし、僕のいつわらざる実感を言えば、君はいつでもたったいま御不浄から出て来ましたって顔をしているが、……」
「まあ、ひどい。」
でも、やはり笑っている
眉山ごときに、僕の名前や、作品を、少しでもいじられるのが、いやでいやで、堪え切れなかった。いや、案外、小説がメシより好き、なんて言っている連中には、こんな眉山級が多いのかも知れない。それに気附かず、作者は、汗水流し、妻子を犠牲にしてまで、そのような読者たちに奉仕しているのではあるまいか、と思えば、泣くにも泣けないほどの残念無念の情が胸にこみ上げて来るのだ。
「子供? お前が? へえ?」
「ミソ踏み眉山は、相変らずですか?」
「いないんです。」
「え?」
「きょう行ってみたら、いないんです。あれは、死にますよ。」
ぎょっとした。
「いい子でした。」
と、橋田氏は、落ちついてしみじみ言い、
「いまどき、あんないい気性の子は、めったにありませんですよ。私たちのためにも、一生懸命つとめてくれましたからね。」
「でも、ミソ踏み眉山なんて、あれは、あなたの命名でしたよ。」
「悪かったと思っているんです。腎臓結核は、おしっこが、ひどく近いものらしいですからね。ミソを踏んだり、階段をころげ落ちるようにして降りてお便所にはいるのも、無理がないんですよ。」
「きまっていますよ、少しでも、ほんのちょっとでも永く、私たちの傍にいたくて、我慢に我慢をしていたせいですよ。階段をのぼる時の、ドスンドスンも、病気でからだが大儀で、それでも、無理して、私たちにつとめてくれていたんです。私たちみんな、ずいぶん世話を焼かせましたからね。」
「ほかへ行きましょう。あそこでは、飲めない。」
「同感です。」
僕たちは、その日から、ふっと河岸をかえた。
眉山に関していうと、いまだにトシちゃんの最後の言葉「わたし、子供なのよ」ってどう解釈していいのかよく分からってない。
だれか解説してほしい
最近妙に疲れている。
理由はもちろん仕事。わかってますそんなこと。今日も休日出勤してましたし。
仕事仲間や上司とそれほど関係が悪いつもりもないけど、友人はいない。独り言も増えた気がする。会社でも部屋でも。
疲れていると頭が働かないことがあるし、自分でも説明のつかないことをしたりする。
こないだは買ってきたコンビニ弁当を部屋に着いたら、そのままゴミ箱に投げ入れてしまった。
投げ入れてから台所にいって冷蔵庫を開けた瞬間に気がついたよ。
それでも他人には迷惑かけていないし大丈夫かなと思っていた。昨日までは。
昨日の朝、電車の中で、知らない女性の手を触ってしまいました。
ぼーーーーっとしていて、気がついたら隣の席の女の人の指を揉んでたよ。
正直に言います。隣の席の女性がもたれかかってきて「おっ、ちょっと得したかも」くらいは思ってた。
女性の手が自分の腿にあたったときにも、うへへへ……くらいは思いましたよ。ええ。
ぼんやりとその手を眺めているうちに、つい手のマッサージをしてしまった。
幸いその女性は気がついたのか気がつかなかったのか、何も言わずに立ち去ったけれど。
悪化しないうちに病院に行ったほうがいいのだろうか。
最近よく思い出す人がいる。
思い出すと言っても顔も知らないし、声を聞いたこともない。
とあるオンラインゲームで知り合いになって1,2年メールのやりとりをしていた人のこと。
みんな同じのイケメン顔。
声じゃなくて文章だ。
始めた当初は当たり障りのない知り合いができて、そこそこ楽しんでという感じ。
よくある寝食惜しんでのめりこむということはなかった。
そろそろこのゲーム飽きてきたな、っていう時期にその人と出会った。
思うに向こうも同じような時期だったのかもしれない。
お互い一人で居ても仕方ない所に一人同士だった。
それからログイン時間が合うこともあって、ゲームの中でよく落ち合うようになって
色々なところへ一緒にレベル上げに行ったり、金策に出かけたりするようになった。
その人とのつながりは細く続いた。
向こうはどうか分らないけど、私はいつも小さな嘘を混ぜて
だけど向こうは結構なプライベートをばんばんあけすけに送ってくる。
自分の部屋の写真や自分の顔(もっとも一部ではっきりわかるわけじゃない)
だんだん私は面倒になってきたのと人の生活を覗いているような好奇心とで
クラクラしてきた。でも関係はその後も続く。
向こうがいくらそういうものを送ってくれても私は一切の自分の情報を提示しなかったけど
不思議と要求されることがなかったのが長く細く関係が続いた理由だと思う。
だけど私が新しい仕事を始めて、ゲームはおろか自宅のパソコンさえ触る時間がなくなって
そのたび小さなイライラが募ってきて
元々返信率は悪かったし最初は私からの返信がなくとも、一定のメールが届き続けていたけど
一か月程返信を一切しなかった。
かといって面倒で受信拒否にもしていなかった。
返信をしなくなってから3か月ほどはずっとメールが届いていた。
メールが来なくなって、薄情だけど私はすぐにその人のことを忘れてしまった。
熱のあるコミュニケーションをしたわけじゃない。
顔もしらない、声も知らない、知っているのは全部数字と記号に変換できる情報だけ。
なのに最近とてもよく思い出す。
あの時期私は時間を持て余すと同時に一生懸命気を紛らわせて生きていた。
都合のいいことだけ話して都合のいいことだけ聞けばいい相手。
だけど確かに救われてたんだなと思ったら
最後の別れがなんて失礼だったんだろうと恥じている。
せめて謝罪しようかとメールを作ったけれど送れなかった。
時間も経過しすぎた。
ここを見るかはわからないけど
この場を借りてその人に御礼を。
これからもどうかお元気で。
三ヶ月ぐらい風俗行ってなかったんだけど、最近風俗を話題にしたエントリが多過ぎて風俗行きたくなっちゃったよ。
思うに、今回の騒動でそんなにイイもんなら行ってみるかとか、久しぶりに行くかなって思う層はそれなりにいると思うの。
しっかし、三ヶ月サイト見てないと知ってる子が結構消えてたり。今回は評判がわからない子を予約してドキドキだわ。
ハズレだったらまた三ヶ月風俗行かなきゃいいし、まぁ、なんつーか風俗ってアレですよ。女体使ったオナニーですよ。
そんな僕の一番好きなプレイは、プレイを早めに切り上げてお風呂で背中を流してもらう事です。
>>
ポケモンBW2対戦においても、対策がなされたとはいえ、未だに「切断」という行為が非常に多く見受けられる。もちろん、回線エラーである可能性もあるということは忘れてはならない。それが故意であると断言できない以上、なるべく切断に関するコメントは控えておいた方が良いと思われる。回線エラーにより勝敗がつかないことは確かに不快であるだろうし、勝利目前となれば尚更ではあるが、心を広く持とう。
前述の通り、ポケモンBW2環境ではBW環境と同じくDSをつかうので、バトレボの様に回線が安定していない。 うp主が切断と断言して、晒す行為をして視聴者側に対戦相手の批判を求めた場合それは 「勝敗が決する直前まで追い詰め、相手に切断させた」 要するに勝ちとしてとらえることが出来るので対戦相手を批判する代わりにうp主に拍手しておこう。
次に対戦相手やうp主が高種族値のポケモン(いわゆる厨ポケ、ガチポケ)、準伝説ポケモン、害悪と言われるようなポケモン(無限型、回避型、複数催眠など)、運ゲー型ポケモン、マイナーポケモンなどをPTに入れていた際、対戦相手を批判してしまうと、視聴者やうp主に迷惑がかかる。 うp主が使っているのが嫌な場合、動画としてのあなたに合わないということなので素直にブラウザバックをするのが良い。
ポケモンというゲームは非常に幅広い戦法があり、十人十色の戦い方ができるゲーム。どのようなポケモンをPTに入れていても自由であるし、技構成・戦法についても同じく自由である。
結局言いたいことは対戦相手を中傷するのはその動画の質を落とし、あなたが見る動画のうp主に迷惑がかかるので相手を中傷しないこと。
そして、動画をうpされてる方も、対戦相手を批判しないように心がけよう。
対戦相手の名前に関して
最近、動画内でよく議論に上がるのが「対戦相手の名前を隠すか否か」という問題。
まず、動画内で視聴者同士喧嘩をするのは好ましくないので気をつけましょう。
さて、先述したとおり、ポケモンBW2は、DSでのランダム対戦が可能です。当然、見ず知らずの人同士で当たる事が殆どだろうと思います。
そして、このランダム対戦の動画を上げることについては、相手の許可を取っている訳ではないから、せめて隠しておくべきではないかという意見が出始めています。
さらにその意見の多くに共通していることが、「自分の動画が勝手に上げられて見ず知らずの人にあれこれ言われるのは嫌だ」といったものです。
対戦を上げるだけなら、ポケモンBW2にはバトルビデオというものがあります。 ここにアップロードされることは納得したうえで、皆ランダム対戦を楽しんでいると思います。
バトルビデオとニコニコ動画の決定的な違いは、やはりコメントの有無かと思います。他にも投稿者の実況や編集なども大きな違いですね。
そしてこのコメントにより、自分の知らないところで、自分が罵倒されている・・・という事態も起こってしまっているのが現状です。
その対策として挙げられた一つが「対戦相手の名前を隠す」という方法。
とはいえ、投稿者に強制することはできませんし、この方法については賛否両論の状態です。
そして、「視聴をする際の注意点」と内容が重複するのですが、私たち動画視聴者が対戦相手を批判するようなコメントをしなければ、このような事態は起こらずに済むのです。
動画投稿者は、「視聴者に向けての注意喚起」、「悪質なコメントは投稿者権限で非表示にする」といった対策を取る必要があると思われますが、
われわれ視聴者がコメントを打つ際、投稿者も動画内の対戦相手も"画面の中にいるから何を言っても大丈夫な相手"ではなく、"喜怒哀楽のある自分と同じ人"だということを意識してコメントして頂ければと思います。
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俺はアルコール依存症からなんとか立ち直って、今は依存症者の支援をする仕事をやってる。
世間ではあまり知られていないだろうが、依存症から立ち直った俺みたいなやつを雇ってくれる病院や施設なんかがあって、そういう職員をリカバード職員なんて呼んだりするんだわ。
生活保護もらって持ち逃げするやつなんて珍しくない。
保護観察中に保護観察官から連れてこられた奴を面倒見てたら、再飲酒して記憶吹っ飛んで暴力沙汰起こしてまた捕まるとか、日常茶飯事。(実刑確定)
発達障害の依存症のやつなんか、笑顔で心をえぐるようなこと言ってくるし。
こんな奴らのことをくそまじめに考えていたらこっちの精神がおかしくなる。
まあ、こんなやつらはまだいい。
病気なんだから仕方ないし、傷つけられるのも仕事の一部だと思って割り切ってる。
こっちもセルフケアの手法は勉強してるから、なんとかなってる。
問題なのは立ち直ったあとにめちゃくちゃになるやつだ。
アルコール依存症なんだが、こいつは依存症から抜け出したと思ったら、「俺は依存症から立ち直ったから何をやっても良い」と勘違いして職場の上司にたてついて、家から家族を追い出して、職場も家庭も自分からめちゃくちゃにしている。
いや、抜け出したように見えるだけだ。本人が勘違いしているだけだ。酒が止まっているだけで、生き方は何も変わっていない。
ねじ曲がった木のように醜い。
だったら次は、依存症で迷惑をかけた家庭や職場、社会に恩返しする番だろ。
植物に毎日太陽が当たって、適度に水が与えられるように、俺たち職員や社会が適切に接して、少しずつ成長してくように回復していく。
依存症の回復は依存症者本人が成し遂げるものじゃない、周りの協力が欠かせないんだ。
そして、苗が倒れないまっすぐな大木に育った時、依存症から回復する。
だが、上に書いたような、ねじ曲がって育った木はだめだ。
上に書いたようなねじ待った木を、まっすぐに戻す方法はないものか、職員全員で考えたのだが見つからなかった。
結局、この依存症者は、酒は止まったが病院から出て行ってもらうことになった。
きっと、短くて数ヶ月、長くて数年で、再度飲酒するだろう。
社会から孤立して、行き場を失ったアルコール依存症者は、また酒に戻るしかない。
それが現実だ。
俺が持ってる依存症からの回復の方法では、回復までにだいたい半年から1年はかかる。
それも全員に使えるやり方ではない。ある程度の素直さがない奴には効かないし、少しでも知的障害なんかがあると効かないことが多い。
今のところ、俺が担当して「回復の方法をやり遂げた奴は」幸いにしてまっすぐな大木に育っている。(やり遂げるのは10人中1人いるかどうかだ。残りは途中で逃げ出してしまう)
彼らは社会で立派に活躍している。(会社員、職人等の職に就き、きちんと社会的に経済的にも精神的にも自立している)
こいつらが俺の心の救いだ。
アルコール依存症から助けられたものとして、これからも出来るだけ多くの依存症者を助けたい。
内科医へ
肝臓が悪いとか膵炎の患者に「アルコール依存症かどうか」の判定をしてくれ。自分で面倒が見れないなら精神科に回してくれ。アルコール依存症なのに気づかないまま死ぬ奴が多すぎるんだよ!
精神科医へ
依存症の患者を回復させられないなら回復を請け負う施設なり施設を持つ病院に回してくれ。それと依存症の患者に「2度と飲まないなら入院させてやる」とか言うな。そんな約束が出来る奴はいない。そんな約束が出来たら依存症じゃない。そんな台詞で逆に怖くなって飲酒する奴がたくさんいるんだ。依存症者の気持ちがわからないなら下手なこと言わないでくれ。それと安易に処方薬を出すな。処方薬依存は違法薬物依存より厄介なんだ。俺の仕事増やさないでくれ、頼む。。。
時間があるのをいいことに起きるのは正午近く。朝めしは前の日に買ったパンをもそもそ食べる。一日中寝巻ですごしたりもした。
そんな暮らしも飽きてきたので、田舎に帰ることにした。犬もいるしな。犬はかわいいよな。
両親はもうふたりして還暦を過ぎている。体を壊しては元も子もないので、最近ではディナーを予約制にして、ランチタイムだけ営業している。
店では自家製の野菜を出していて、畑と庭の手入れというのがなかなか重労働らしく、ふたりとも腰だの肩だのが痛いといつも言っている。
そんなところに帰ってきてみろ、母はぼくにぽいっとエプロンを渡すなり、友達と遊びに行ってしまった。
シェフが料理を作って自分でサービスするなんて非効率すぎる。ぼくはしぶしぶ店を手伝うことにした。
うちの店は、あまりはやっていないのだが、ランチタイムはなかなか忙しい。
スープを出してハンバーグを出して、食後にコーヒーを出す。そしたら次の客が来るのだ。世間の昼休みは60分しかない。それなのに飯を食いにいって、料理が出されるのが遅かったらもう2度とそんな店に行かないだろう。ぼくはぼんやり社会人時代を思い出した。あんまり外食しなかったけどな。
ランチタイムはぼく自身も腹がぺこぺこだ。でも自分たちはいっさい食事はできない。それでもうまそうなにおいのハンバーグだのオムライスだのを次々客に出さねばならないのだ。
ああ、全国の飲食店のみなさま、おつかれさまです。
15時になって、やっと我々の食事である。もうこの頃になるとへろへろだ。
まかないはシェフ(っつっても親父だ)が作ってくれる。オムライスだ。
ぼくは5秒で皿を空にした。
みんな 全国の無職のみんな。
都会の一流レストランに行かなくてもうまい飯を食うことができる。
なんでそんなにうまかったのかって、うちのシェフの腕が特別いいとかそういうことじゃない。わかるよな。
外に仕事に行けないんだったら家の裏の草むしりでもなんでもいい。親に困ってることがないか聞いてみろ。ばあちゃん畑仕事で腰が痛いんじゃないか。手伝ってやったら喜ぶぞ。
働いて、それから飯にしよう。