はてなキーワード: 想像とは
さんざん叩かれてるんで「見積もり金額がバラバラなんていう非常識な事態」が起きる最大の原因は「発注者が素人すぎて、発注内容が何を買いたいのかも良く分からない中身、なんていう非常識な事態」だから、ということは理解出来たと思う。
とはいえ素人が一朝一夕に発注仕様をまとめるなんて無理。どうしてもその業務が投げ出せないなら
1.その手の予約システムはweb上にくさるほどある。片っ端からアクセスして予約して使ってみる。
2.そのシステムで予約やらキャンセルやら、その他色々な機能を使ってみる。
3.最後はキャンセルしてばっくれろw キャンセル料くらいは勉強代とあきらめて自腹でw
4.自社のやりたい業務内容に近く、備えてる機能に不足がないシステムが見つかるまで1-3を繰り返す。
5.「実はこんな感じのシステムが欲しいんです」でURLつけて各業者に再見積もり依頼。最低限それに会場数やら頻度やら分かってる全ての数字はつける。
6.こんな依頼の仕方をしたら逃げる所や、リスクを積んで一気に数倍値上げしてくる所が出るだろうが、それが正当なので諦めれ。
7.実システムを例にした所で、しょせんユーザーサイドからいじって判る部分だけだと業者が見積もりにあたって想定したシステム機能は主にバックエンド関連で漏れ落ちだらけのはず。
そのままの金額で作ろうとすると、仕様変更で金が膨らんで後で上に怒られる(もしくは使い物にならないシステムできあがり)のは目に見えてるので、まずは出てきた見積もりの倍くらいの予算感と考えるといい。
8.見積もりで真ん中高めくらいの所を数社呼んで話を聞く。一番仕様の相談に親身になってくれそうなところを選定。
9.選んだ所にぶっちゃけて、リスク積んだ高めの見積もりを出して貰って、それで契約。
10.上には選定経緯や価格の妥当性を追求されるだろうがなんとかしろ。気の利いた業者だと他社の相見積もりくらい用意してくれることもある。
11.実際に仕様を決めるのは価格交渉しながら、とか契約が済んだ後から本格的に・・・という話になるが、わりとそういう業界なので気にしなくて良い。
9.でぶっちゃけてついてくる業者なら、最低赤字にならん数字は出してるはずなんで少々の仕様不備や決定遅れに対する無理は利くはず。
12.拡張性とメンテ頻度は案外費用に大きく利くし、業者側も想像がつきにくい所だから、その辺は自社の担当部門と良く話し合っておけ。
13.業者に仕様書を突きつけられても良く分からないのが関の山。仕様書は仕様書として実際の機能についてはユーザー画面と運用サイドの画面遷移ベースで話し合って合意しておくのがたぶん一番両者間の誤解が少ない。
随分業者に有利な選定方法に見えるかもしれんが、素人が発注して失敗しないようにするなら「これは儲けられそう」と思わせて業者を味方にするしかない。
http://d.hatena.ne.jp/Lacan2205126/20120222/1329895239
この記事はとてもレベルが高いと感じましたが、どうも、とある登場人物に対する考察が欠けているように見えて気になったので補足的な意味で。
ヨブ記のすべての登場人物と読者のほとんどが信じたいと思っている、3つの命題を書きだしてみましょう。
A 神は全能であり、すべての出来事は神の意思による。神の意思に反しては何事も起こりえない。
B 神は正義であり公平であって、人間それぞれに相応しいものを与える。したがって、善き人は栄え、悪しきものは処罰される(勝者=正義)
C ヨブは正しい人である
ヨブが健康で経済的にも豊かであるかぎり、これら3つの命題は同時に無理なく信じることができます。しかし、ヨブに不幸が訪れ、財産や家族を失い、健康まで外してしまうとなると、ことは厄介になります。
この3つを、同時に正しいと考えるわけにはいかなくなるのです。どれか一つを否定して、はじめて残り2つを正しいと主張できる、という状態になるのです。
「神」や「ヨブ」が何を指すのかは読者の方々のご自由にお任せします。
個人的には、ワタミの前会長はABC全てが成り立つことを主張しているのだろうと思います。前会長側からすると、この建前が維持できない限り会社組織を維持するコストが膨大になってしまいますから。
「顧客」「読者」というのは、本当はわかっているくせに、3つの命題が同時になりたつことものにしか正統性を認めない。正統性を維持するためには「例外」はあっても、原則として3つの命題は成り立つんだと言い張らなければいけない。なぜかそう考えてしまうようです。3つを同時に満たすのは理想であるから、その理想に向かって今回の件を反省し、改善していくという考えもあると思うのですが、今回はそれが選択されなかった。それは、今回の事件によってもAやBがほとんど揺らがないという自信があるからでしょう。
以前からワタミはネットではブラック企業として有名でした。しかし面と向かって、それこそマスコミがワタミはブラックだ。正統性を認めることができないという流れにはなっていない。それどころか立派な企業として扱い、前会長はまれに見る清廉潔白で誠実な人間ということになっています。ワタミという会社は立派な人がトップを務める立派な会社だ、ということになっている。そしてそれは今回の件でも揺らがない、そう思っているのでしょうね。
なぜかというと、ワタミを批判し、否定するためには、「なぜここまで低賃金で過酷な労働をシなければならなかったのか」「企業経営としてここまでやらなければならない理由は何か」「外食産業全体にのしかかる問題とはなにか」「神様=市場のルールはどうなっているのか」「神様に問題はないのか」と考えていかなければいけないからです。
そして、この問題を考えるのがみんなにとって嫌なことです。 それで、「ブラックであっても必要悪だ」「このくらい耐えられないなんで、自殺した奴がひ弱なだけ」という理屈を述べだす人が出てくるんでしょう。
自殺した人は、それぞれの立場からの主張の道具として引き裂かれ、あるいは例外処理されて切り捨てられ、踏みにじられる。コレでいいんでしょうか?本村洋さんにかんしてはやれ遺族や被害者へのケアだなんだと言ってる割に、問題が変わるとワタミへの、もっといえば前会長への攻撃というお祭りに浮かれているだけの人たちを見ていると、ぶっちゃけかなり胸糞悪いです。
追記。
http://www.watami.co.jp/pdf/120221.pdf
本日、一部報道におきまして当社グループが運営する店舗に勤務していた元社員につき労災と認定
とのこと。
顰蹙を買うのは重々承知の上で(いや前会長は本気かもしれないが)こういうリリースを書くあたり、
労災の認定がされることはともかく、それについて
「私に問題がありました」と認めることができない状況にあることが何となく想像される。
まさか待っていた人がいたとはw
こっからはまあオカルトが入ってくるんだけど、CがABとは別の場所にいたときでも、CさんはDさんがそこに居るような気になるのではないか?
このツリーの他増田が書いていたように
のようなことは起きるのだけれども、この「思い込んでいる主体」と「振舞わされる対象」との距離が常識的に想像できる以上に離れていても、影響を及ぼすのではないかと考えた。
親や先生がそこにいなくても、思い込んでいる主体と直接的な接触がなくても。
(と言っても、モバゲーゲームランキングでは男性カテゴリーにギリギリ入っている程度の順位ですが。)
では実際どの程度の成果をあげているのかを、ちょっと前にソーシャルゲーム開発をかじったことのある立場として考えてみたいと思います。
なお、あくまで今までの自分の経験から勝手に想像しているため、実際の数値とはかけ離れている可能性が大いに考えられますのでご了承ください。
まずソーシャルゲーム運営では、DAUと呼ばれる値が重要視されています。(ググれば簡単な解説が出てきます。)
これは会員数とは別に、実際に1日に何人がそのゲームをプレイしたのかの値です。
ここからは推測。
直近で開催されていたバレンタインイベントにアクティブに参加していた人数を考えてみます。
順位をそれなりに気にしていた人のtwitterへの投稿を少し見かけたところ、およそ5~6万位程度まで居るようです。
下の方の数字はあまりのめりこまずマイペースに参加していた印象ですので、もう少し数を絞って30000位台の人あたりまでは毎日コツコツアクセスしていたと予想することにします。
ちなみに継続率(チュートリアル以降もちゃんとプレイし続けている)は、一般的に初日が50%前後、そこからだんだんプレイ日数が進むごとに下がっていきます。
100万人のうち、半分以上は数日のうちにプレイしなくなっているということになります。
平均金額についてはゲームによってまちまちだと思いますが、せいぜい数千円というのが一般的だと思います。
(モバマスがこの課金率や課金額の平均値に当てはまるのかは分かりませんが。)
ネットで話題になっている廃課金が、どれほど全体の平均値からかけ離れているのかが分かります。
数千人課金する中、一人で一日の売り上げの5~10%くらいをまかなっているわけですから。
そしてこの辺について意外と知られていないのかもしれませんが、アクティブユーザや課金率、金額はデイリーの値が重要視されています。
「昨日と比べて今日はこれだけ売り上げが落ちているのは何故か?」ということが毎日やりとりされ、
中期的なイベントに加え、イベントに有利なアイテムの24時間限定ショップがオープンするとか。
このような施策が事前告知も無く絶え間なく施されることになっているのです。
この先の予定について事前告知が無いため、これが射幸心を煽ることになっているのだと思います。
つまり限定ショップが現れても、近いうちにもっと少ない資金で本当に必要なものが手に入る可能性を考えて、
(実際バレンタインイベントでも、終盤に行くほどイベントを進めるのに有利なものを購入するショップが突然現れていましたし。)
色々書いてきましたが、一番注意することはごく一部の廃課金の金額につられて平均値を上回る金額をつぎこまないよう程々にしましょう。
ということです。
橋下大阪市長が府知事時代におこなった、自由主義的な行政改革を応援はしていたものの、
島田紳助の盟友だった、という事実のせいで、今ひとつ、彼を信用出来なかった。
なぜ、左翼連中に叩かれながらも懸命に働いている彼を信用出来ないのか、自分を責めたことすらある。
島田紳助は昨年、暴力団との親密な交際が発覚したという理由で引退したけれども、
本当に責められるべきはそこではなく、吉本の女性社員を、人気のない部屋に引きずり込んで、
壁に顔面を4、5発以上もたたきつけ、ツバをはきかける……という、度の越した暴力事件を起こしたことだ。
立場の弱い者に対して、数々の暴言や暴力をふるいつづけていたことが、ときおり報道されていた紳助。
彼の嗜虐性、異常性、卑怯性、利己主義ぶりなどは明らかだろう。
そして橋下は、紳助の暴力行為が発覚した後も、紳助の番組で長い間、人気弁護士として活躍を続けていた。
確かに弁護士は、人格が最低な人間の人権を守るために、活動しなくてはならない場合だってあるだろう。
だが、紳助の番組に出演する主な理由は、弁護士の矜持とは別物だ。
もしも橋下が倫理を重んじるタイプならば、紳助の暴力行為が明らかになった時点で、潔く番組を辞めるべきだった。
しかし、橋下はそうしなかった。
義理もあるだろう。
紳助がよっぽどうまく立ち回り、橋下ら「先生」には、自分も含めた芸能界の汚い部分を見せようとしなかった……
そんな可能性だってある。
それに、もしも橋下が番組を降板していたとしたら。
自分が裏切られたと感じた紳助が、橋下を許しはしなかったに違いない。
当時、芸能界に大きな支配力を発揮していた紳助によって、芸能界から干されてしまった可能性だって、ある。
そのことだけで、橋下という男の人間性を判断してはいけない……と自制していた。
ところが、である。
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
彼らにとっていたわるべき弱者は、強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
真の弱者、無能者や低能者に共感する能力が、完全に欠けているんじゃないのか。
それが彼らに共通する価値観なのではないのか。
努力をしても結果を出せない、という事実に思いを馳せる想像力、共感力が彼らにはない。
怠惰な連中を排除するのにはおおいに賛成だ。
だが、弱者が人並みの努力をして、人並みの結果を出せないことは責められるべきことなのか?
橋下らは、弱者が他人の数倍の努力をおこなうことは当然だというのだろう。
だが、他人の数倍の努力ができるのは、それだけの体力を持ち合わせた者に許された特権。
それが彼らには理解出来ず、共感も同情もできないのだ。
橋下の目には、帰国子女という恵まれた立場でありながら吉本のマネージャーをしている女性などは、努力を怠った無能者に見えたのかもしれぬ。
「無能者へ暴力を振るう人間」を許容できたから、橋下は紳助と盟友であり続けたのではないのか?
怠惰を改めない左翼でもなく、弱者を侮蔑する右翼でもなく、真実は真ん中にあるのじゃなかろうか。
怠惰を改め、無能者の努力を評価する。努力をおこなった強者は果実を得るが、その分、低能者の失敗もカバーする。
そして、お互いが尊敬し合う……それが私の目指す社会であり、橋下を応援出来なかったのは、彼と目指すべき理想が異なっていたからなのだ。
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20120220/1329742220
あの事件を調べていて痛切に感じたのは「ないがしろにされる被告人」だった。
正直な感想をいえば、差し戻し控訴審まで、そのような「直球の」弁護が行われていたとは
資料を読む限り、とてもそうは思えない。
この経緯説明は間違いですよ。
こりゃちょっと、一審二審までの弁護士への、事実と異なる中傷じゃないんですか?
一審二審の弁護士は無能どころか、無期懲役を勝ち取ってたんです。
安田弁護士達スター軍団による「直球の弁護」が行われ始めてからが連戦連敗で、ついに死刑まで行っちゃった。
というのが実際の経緯です。
(また、ブログの書き手の口振りだと
「直球の弁護」が初期から行われていれば世論は今のようでは無く、判決も違った。
…と言いたいようですが、その根拠は何なのでしょう?)
もう1パターンの誤解、
この書き手とは逆、
「あの弁護団がアホな弁護しなきゃ無期だったのに」
どうも経緯を理解してない人が想像以上に多いのかな?
元々は「反省してま~す」作戦で一審二審と無期を勝ちとってました。
けれど当時の被告が書いた
『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』
という友人宛の手紙が晒された事で流れが一気に逆転、
これが事実。
この大ピンチに弁護を買って出たのが安田弁護士達21人のスター軍団。
替わった時点で既に「反省してます」作戦が通用しない状況になっていたから、
「ドラえもん」云々の作戦に路線変更したのは戦略的かつ当然の判断。
要するに誤解2パターンとも、
「反省作戦は通用しなくなったよ、どうしたい?」と状況を説明して、
クライアントから出てきた希望・アイデアを元に弁護をしただけ。
(一審二審の弁護士だって同じようにプロの仕事をしてるわけで、
してなかったと勝手に推測して断言するブログ筆者の根拠があまりにも謎。)
一人目の誤解者、ブログ筆者が絶賛する「直球の弁護」は
(だから逆の「安田が変な路線変更したせいで死刑になった」も間違い。)
「直球の弁護」は
一審二審を担当した弁護士が控訴審以降も継続して弁護していたら
やはり類似の路線変更を余儀なくされただろうし、
やはり「反省」を前面に押し立てて戦ったと思われる。
クライアントの意思でもあった筈。
「直球の弁護」を褒めるなら、
(前略)政府の啓発は「自殺のサインに気付こう」の一点張りで、自殺予防で最も重要な情報を欠いている。「サインに気付いたら(死にたくなったら)、どこに相談すればいいか」という具体的な情報である。
民間団体の批判も、ここに集中した。自殺に傾いた人を支えた経験があれば、それがどれだけ過酷な営みか想像できよう。無責任な呼びかけだけでは、かえって支援する人を追い詰めかねなない。政府が取り組むべきは、自殺相談の受け皿を整備し、その受け皿情報を周知徹底することだ。
http://www.lifelink.or.jp/hp/Library/article_asahi20120220.pdf
「民間団体の批判も、ここに集中した」ってことは、「GKB47」って名前がチャラすぎる云々は言いがかりで、本音はこの「政府が取り組むべきは、自殺相談の受け皿を整備し」ってところなんですね。簡単に言うと「そんな宣伝に金使うなら俺らに金をもっと出せよ」とか?
私はゲートキーパーという言葉を知らなかったし、政府の自殺対策強化月間いうのがあることも知らなかった。「GKB47」が話題になって、今回初めて調べてみました。こうして勉強する人間が出てきただけでも意味があるのでは。
抗議文のなかに「広く国民に、ゲートキーパーとしての意識を持ってほしいというのは分かりますが、戦略として完全に間違いです。不特定多数の人にこんなキャンペーンで正しい意識が身につくわけがありません。(自死遺族支援)」というのがあったけど、まず興味を持ってもらわないことには正しいも正しくないも意識すら持たないでしょう。
「自殺に傾いた人を支え」ることが「過酷な営み」なのであれば、数少ない組織(NPO法人等)に頼るよりも、周囲の人が気付いてみんなで支えてあげたほうがいいのでは? お金(=補助金=税金)もかからないし。それとも、自殺対策推進室が言うところの「専門性の有無にかかわらず、国民一人ひとりが、それぞれの立場でできることから進んで行動を起こしていくこと」は困ることなんですかね? 専門性を持った自分たちの立場がなくなるとでも? 一人でも自殺者が減ることが目的なんでしょう。むしろ、いいことじゃないですか。
それに自殺したいほど困ってる人がいるときに「困ってるの? じゃああとは専門家へ」っていうよりも、「自分でよければ話くらい聞くよ。一緒に考えよ?」っていう社会のほうがステキだと思うなぁ、ぼかぁ。
話を聞いいていると、アルツハイマーになっても不思議じゃなくて、心配になる。
他人を馬鹿っばっかと見下している姉の言動が、非常に困ったものである。
それにちょっとでも反論すると、怒鳴る姉。
実家に帰省すると、姉と父が喧嘩してるので、空気悪くて、日帰りというパターンだった。
父がいた時でも、母に対しても、バカにして大きな声を出していたりした。
父のなくなった今の実家は、姉が母をバカにして大きな声を出す日常なんだろうと想像できる。
こんな状況だと、ストレスでアルツハイマーになるのも不思議じゃない。
母を自分が引き取るという判断もできるが、昔からの地域のコミュティのある実家から、全然知らない土地に移すのは、大丈夫だろうかという疑問がある。
さらに、経済的に厳しいしなぁ。
>人からどう見られているか、ということを気にしすぎのように感じる
まったくだ。
しかも「人からどう見られているか」ということ自体が、自分が勝手に想像した架空の意見で、実際のその人はなにも思っていなかったりする。
人として軸がブレているのかもしれないな
思いだして欲しい、あなたは小さい時に誰かに頼まれたりしてとお願いされてした事で怒られた事はないだろうか
もしかしたら嫌だったけれど断れなかったのかもしれないし、単に怒られるような事だとは想像もつかなかったのかもしれない
そしてこんな風に怒られる「○○君にそうしろって言われたら何でもするの?先生が死ねって言ったら死ぬの?」
誰も死にたくはない、むしろこれは死にたくなかったからこそ他人の指示に対し自分で考える事なく従ったという側面も
あるのではないだろうか、幼い子供にとって親の存在は計り知れない程巨大だ、親にとっては大したことのない一言が
酷く子の精神に影響を与えもする、例えばこんな光景を見た事がないだろうか
と、誰しも一度や二度、いやそれ以上このような事を言われ泣き叫び許しを請う子供の姿を見た事はあるだろう
子供にとって親は絶対だ、従わなければどうなるのか、産まれてきたばかりの幼子は、親から見放されるという事が
即ち死を意味する事を本能的に理解できていて、必死でしがみつき傍に置いておいてもらおうと懇願する
そして、恐怖から逃れるために、従う事を覚え、親の言う事に対し判断する事や疑う事、自分の頭で考えて
本当に従うべきなのかどうなのかを考える事をしないようにする、なぜならそんな複雑な思考をまだ大した経験もない
小さな子供が行っても時間がかかるし、そもそも簡単には答えはでないし、判断の元となる経験がない
そんな思考をしている余裕があったら、怒られないようにするにはどうしたらいいか、そして“そのまま従う”事で
恐怖という問題から自分を守る、そもそもそうするのはよく聞くように“まだ分別のつかない子供”だからである
そしてその分別のつかない子供が“他者に従う事”を自分の判断で答えがでない事に対して適用しはじめる
それが、前述した「○○君にしろと言われたら何でもするの?」の答えだろう
決して何でもするわけじゃなく、自分の知識と経験で判断できない事だから従ったまでであり
死は生命の本能として理解できるからこそ自分が死ぬような依頼に対しては拒絶できるのだと思う
そして悲しきかな、幼児や児童はこういった思考に基づいていたとしてもそれを説明できるという事は稀であろう
それでは、親の立場になりもしかしたらしてしまっているかもしれない虐待、洗脳について考えてみよう
もしあなたに子供がいるならその我が子に対し何かを強制したことはないだろうか?
人間の子供はとても弱い、また弱く生まれる事で社会能力を吸収する期間を設けたともいえよう
そんな大事な吸収期間に強制を強いられた子供は何を身につけるだろうか
例えば、泣き叫ぶ我が子を無視したり、他の事を優先し後回しにし放置し待つ事を強制した後に面倒だなと感じながらあやしたり
例えば、親の都合、親の価値観で、託児機関に預け父母との別れの悲痛な悲しみを与え強制的に他人の下に預けたり
例えば、断乳、親の都合で設定した期間、個々の子供の成長速度を無視し周囲に合わせた機関が妥当だろうか
例えば、食事の強制、貴方の栄養管理が妥当だろうか、子供の舌は添加物などに敏感なのかもしれない
本当に必要な物を不味いと感じるだろうか、また逆に美味しいといって食べ過ぎる事から予想される弊害もある
例えば、教育の強制、お習字やそろばん、ダンス、水泳など、本当に行きたくて行っているだろうか、塾に行かせる理由とはなんだろうか
悲しい事だが、一緒に居る時間を減らす目的で教室や塾に行かせる親も居る
本当に子供のためになると思っての強制だろうか、また嫌々やった事でその子の身に付くのだろうか
例えば、子供はあなたが主観で選んだ玩具をすぐ飽きるかもしれないし、子供が自分で選んで買った玩具もすぐ飽きるかもしれない
飽きてはいけないのだろうか、飽きてなお面白くもない玩具で遊ばなければならないのだろうか
飽きるという事はその玩具の性質を理解したからじゃないだろうか、いつまでも何十年も飽きなかったらどう思うだろうか
また、もっとその玩具で遊びたいのに正当な理由なく時間規制を設けてそれを強制していないだろうか
子供は幼少期に満たされない満たされる事がないと判断した欲求を覚えると、成人後自分の自由でその欲求を満たそうとしても
満たせない可能性がある。テレビゲーム等の遊ぶ時間に厳しい規制があった人ほど、一生飽きることのないゲーマーになるのでは
ないだろうか
例えば、お手伝い、将来できないと困るという理由で本当は自分が楽したいという思いを達成していないだろうか
なぜ、皿を洗う必要がある、なぜ掃除をする必要がある、なぜ他人を助ける
自分のため、他人のためにそうしてあげたいという気持ちがあったからこそ生まれた人間の行動ではないだろうか
頼まれたからしなければならないのでもないし、命令されたからやらなければならないのでもない
それらの行動が自分また誰かの為になると思ったからこそする行為であり、人が人であるなら自然に発生する気持ちである
それらの気持ちが自然に発生するのを期待し待つ事をせずに、押し付けられ精神の発生過程にまで指令を下されたら
そうしてあげたいという気持ちが出て来難くなるのではないだろうか
してあげようと思っていたのに、言われてしまうとやる気がなくなるという気持ちはだいたいの人に経験があるだろう
その貴方の中に自然に発生した“言われるとやる気がなくなる”という気持ちが確かなものなら、きっと貴方の子供も
同じように思うはずだ、たとえ、たとえ自分の言葉、自分の文章構成能力でそれら意思を明確に親に伝える事が叶わなくても
世の中には様々な強制がある、どうして我が子にだけは怒りや不満の感情や、身体的痛みを与えたり想像させる事で強制してよいのだろうか
確かに子供は見境なくあっちへそっちへ勝手に行ってしまうかもしれない、親が安全を管理した危険の無い空間に留める目的で、子供を移動したり
柵を設ける事とは意味が違う、それらをしなければもっと危険な状況に陥りかねないからだ
では、果たして自分より強制力のある存在、保育園では保母や保育師、幼稚園教諭、学校なら先生、クラブなら監督やコーチ、塾なら講師
社会に出れば、上司や先輩、それらの自分よりも支配力のある人間に従う事、命令通りに行動する事が全て正しいのだろうか
自分の判断は介さないようにした方が自身の為になるのだろうか、確かに、判断材料に欠けたり判断の時間がなく言われた通りにしなければ
ならない事をあるだろう、しかし本来の目的と違っていたり、当初の約束とは違う事を貴方は支配者から要求されるかもしれない。
貴方は“貴方自身”を大事にしているだろうか
例えば、お使いや使いっ走りを貴方の意思を問うことなく頼まれたり命令されたり
例えば、何か他の誰かに迷惑になるような行為を業務上させられたり
例えば、人格を否定されたり
確かに、自分で考えることなく上からの指示や強制、命令を疑う事なく実行する能力は、奴隷として非常に優秀かもしれないし
統率者の倫理感、目的達成能力、社会正義に適っていて、貴方の想像を超えて貴方自身にとっての幸福にもなるのなら良いのかもしれない
しかし、どうだろう
筆者の主観かもしれないが、言える所で本当の気持ちを言ったり、不満ばかりがたまっていないだろうか
貴方は貴方の本当の気持ちを大事にしたいからこそ、そういった本音や不満がでるんじゃないだろうか
何かが間違っている、そう何か漠然とした思いがあるんじゃないだろうか
共感、他者を感じる事、他社の気持ちを自分のことのように感じる事
他人の喜びや楽しみを自分のことのように喜び楽しみ、他人の悲しみ、苦しみを自分の事のように悲しみ苦しむ
そんな人として大事な感覚をなぜかあまり使わないように使わないようにする親子関係が非常に多いのではないだろうか
社会生活は複雑で多重に絡みあっている
何かの社会的生活様式や行動を子供に理解させるのは非常に難しいので
本来の順序説明が面倒になり端折って、簡単な怒りや痛みから守る事を動機にした
行動の理由説明をした方が楽なのかもしれない
貴方は怒る時、怒る感情の理由や前提として
気持ちの奥底に“悲しみ”がないだろうか?
例えば、子供がそんあ方向に行ったら大事な子供が怪我をするかもしれない
例えば、そんな計算能力や文字の汚さでは将来誰かの為に何かしたいと思った時にそれをできないかもしれない
例えば、食の偏りが身体の健全な発達を阻害して、不健康等の元となり病気などで苦しむかもしれない
きっと、それらの起こりうる未来を想像し自分も悲しくなるし、子供にそんな思いをさせたくないと思うから
親として教育しなければならないと思っているはずだ
子供は自分が素直で正直である以上に、親である貴方にも素直で正直であることを望んでいる
大人になると他人の前で悲しんだり涙を見せるのは、恥ずかしい事かもしれない
でも子供の前ではどうか素直になってほしい、正直になって欲しい
たとえ貴方の説明が難しくて理解できなくても、表情や態度から何かもっともな理由があるのだろうと理解するだろうし
そういった経験がいずれ本当の理由を理解する時の助けになるはずだ
まず、親である貴方自身が自らの“悲しみ”“苦しみ”に素直になって、そう思うからこそ
子である貴方にもそんな思いはさせたくないと、させたくないからこそそうして欲しいんだと伝えてあげて欲しい
そして、これを読まれている貴方は、既にそんな時期はもう過ぎた、子育てはもうしてしまった終わったよと思う方もいるかもしれない
そうならば、貴方の娘や息子も貴方と同じ苦しみを将来の子育ての中で感じるかもしれないし、子育ての最中であるなら
今まさにそういった思いを感じているかもしれない
人はコミュニケーションを取る動物だ、その能力だけで今の社会を築きその恩恵に預かっていると言えなくもない
是非、素直な気持ちで過去を振り返り、その思いを子や娘と共有して欲しい
ここまで読んだ貴方にはその勇気がある、過去を振り返り、もし乗り越えて成長したいという思いがなければ
こんな駄文をここまで読む事はなかっただろう、人はいくつになっても成長できる
よりよい自分を想像し、また過去を振り返り思いを共有すべきだと考えるからだ
そう考えるからこそ他人の書いた文章を読み、自分の経験と照らし合わせ、そして何かを得ようとしているじゃないか
僕は貴方が本当にしたい事をすべきだと思うし
みんながそうあるべきだと思う
どこかで何かが少し噛み合わなかった事で、自分で考え、自分で判断し、自分の思いを成す事を
阻害してしまいっている要因があるのなら、それは自分の手で取り除く事ができる
とても勇気の入る事だ、自分自身を振り返るただそれだけでも既に多くの勇気を振り絞っただろう
メール、手紙、チャット、電報、FAX、また人から人へと間に人を介して伝えたり
人は様々なコミュニケーション手段を持っている
貴方が貴方の思いを誰かに伝えるだけでも、貴方は成長できるだろう
それは今日かもしれないし明日かもしれない何ヶ月後、何年後かもしれない
私が私らしく貴方が貴方らしくあるべきであるように、皆がそうあるべきだ
自分に正直に、自分に素直に、そして周りの人間にも素直に正直に
そういう世界を創っていこう。
@awaikumo
金が無いから結婚出来ないけどモテるから遊び相手なら豊富に居る、と言う男も居るかもしれないが。
でも50になっても金無しで女を確保出来る男って想像つかないなあ。歳食った男と付き合ってる女ってほぼ金目当てだし。
子供は若いうちに産んどいたほうがいいわよ、とか
その年齢なら結婚もまだ考えられないよね、とかよく言われる。
どうも大多数の人にとって結婚して子供を産むということは当たり前に訪れることらしい。
でもその当たり前に訪れるらしい幸せが私に訪れるとは考えづらい。
単純に能力的に結婚できるかできないかとか、出会いがどうとかという話ではなく
私にそんな幸せが訪れるということが信じられないのだ。
ぞんな幸せは遠い世界の事であって私とは関係のないことのような気がする。
手が届くようなものでもない気がする。
想像しただけで泣けてくる。その幸せを想像しただけで涙が出る。
でもその幸せを手に入れることはできないような気がする。
だいたい想像してた通りだった
まあそんなことはどうでもいいけど
会話も自然とインターネットの話をするわけだけど聞き慣れない横文字ばかり言う上に話がつまらん
ソーシャルゲームの話とかの話をするとしても
なんかよくわからん横文字を並べて厳密に言うわけ
んなくだらねー話どうでもいいから
しかも笑い話がない
所詮プログラマーなんて言われたことやってるだけの仕事だからクリエイティブでもないというわけだからつまらん
そんなことないっていうやつもいるけどそれは全体の数%の話だろ
どうせガキの頃からパソコンの前に座りっぱなしで勉強したりの人生だったんだろうな
想像通りなので仲良くなる必要なし
そりゃ東電は原発事故の被害者を全力で救済すべきで、風評被害も含めて手厚く補償しないといけないと思うよ。予測できない事故だから免責なんて、そんな主張をするつもりはない。
でも俺がもし、決定権を持つ立場だったら、たとえば2006年の時点で福島第一の津波対策に予算をどのくらい出せたか?津波にさらわれない位置に予備電源を移動させる決断ができたか?自信がない。
今回の津波は、「過去にあのあたりで何度もあった」という人もいるけど、実際にどのくらいのがあったのか検索してみると俺の探し方が悪いのか三陸海岸の津波とか861年?のとかがヒットするだけだ。三陸海岸とはまるで地理的条件が違うし、過去最大の津波が38mだからそれに耐えられるようにしろって、福島第一に38mの津波が来るようなら三陸海岸は100m超えちゃうよ。1000年以上前の津波なんて文献が信用できないし(昔の人は何かと大げさだからね)逆に言うと1000年以上来てないのに対策するって決断できる?俺にはできない。
共産党が津波の危険を指摘していた(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-02/2006030201_01_0.html)というのも、これ予備電源が流されちゃうよって内容じゃないよね。実際に起こったトラブルを予言しているわけではない。正直言ってアカの手先のおフェラ豚が訳のわからないことを言ってるぜ、と思ってしまいそう。津波が来るような地震ならどうせ緊急停止しているんだし、引き波なんて1時間もすれば収まるんだからそのあと取水しても間に合うっての。っていうかピンポイントで「地下に予備電源があると冠水したときやばいよ」って指摘だったとしても、どうかな、ポンプがあるから冠水なんてしませんpgrってところだろう。
これは俺の個人的資質に欠けるところがあるからかもしれない。想像力に重大な欠陥があるせいかもしれない。でも自分が東電の立場になったら同じ事故を起こさないと断言できるかどうか、自信がない。