はてなキーワード: 馬鹿とは
女性を扱った性表現に関して問題提起するフェミニストを冷笑してた人たちが
りりちゃん詐欺の件になると「被害者を馬鹿にするな!セカンドレイプだ!」と息巻いてるの見ると笑うしかない
お前どの口でそれ言うんだと
メルカリはZOZOUSEDのサブとしてブランドが利用してることもあるし(ZOZOUSEDにしか載ってない情報、状態、写真でほぼ同額で同時期に出る。転売ならUSEDの一点もので自転車操業なんかできない(タッチの差で簡単に商品不渡り起こすし、一回残念だったがつくとそのアカウントは半分死んだも同然だから、つまり複数在庫をもってる正規店か、ノルマで買わされた店員が在庫処理にこっそり利用してる))
悪いところをなるべく隠してくるし、実質よりワンランク上を申告する
実は、ちょっと思うことがあった。あるヤツの行動にムカついてしまった。先週末に投稿しようと思ったけど、頭に血が上っていてイマイチな出来だった。一度推敲をしてから投稿することにした。
自分は官公庁に勤めている。政令市のようなオシャレ庁舎ではなくて、関東の片田舎にある役場である。
まず言わせてもらうと、年齢に関係なくマナーがなってない奴がいる。「周りを不愉快にさせない態度や技術」がなってない奴だ。
目に余るヤツがたまにいて、イラっときた。そういうヤツは市役所を辞めてほしい。社会から消えるべきだと思う。どれだけ周りを馬鹿にしてるのか、わかってない。ぜんぜん自分から喋らない奴とか、話を振られても知らないフリをするヤツとか、上の人間にお酌を勧められても飲まない奴だ。人間社会をバカにしている。
以下、そういうヤツ(飲み会に非協力的な職員)について話していく。特定はされないと思うが、一応はぼかして書かせてもらう。私の自己責任だ。
まず、上に挙げた1人として30前後の若手職員がいる。飲み会では何の役割も果たさない。他部署では幹事を引き受けたことがないし、若い頃は断ったことすらあるという。さらに言うと、前の部署では職場の親睦会にすら入ってなかったらしい。噂で聞いた。
先週の飲み会は六時半に約30人で、洋風居酒屋の広間を貸し切ってスタートしたのだが、ほかの若い連中が皆のビール瓶を用意したり、誰がどの席に座るか決めたり、年配社員を周ってどのお酒を飲むか聞いて回ったりしてるというのに、そいつは何もしない。まだ一応は若手職員だというのに、ほとんど手伝わない。
それだけならまだいい。許しはしないが、まああり得る範囲だとしてやろう。世の中には自閉症とか発達障害の子だっているだろう。ただ個人的には、そういう障害のある人が公務員になってはいけないと思ってるし、私の上司(主幹、課長、部長)だってオフの場ではそう言っている。
悲しいけど、現実なのだ。公務員は困っている市民を助けられる人でないといけない。障がい者にはそれができないのだ……。
しかしだ。例のそいつは限界を超過していた。なんと、春の飲み会だというのに、ビール瓶を持って全体の座敷を周ることすらしなかった。周りのことを仲間だと思ってないのだ。いやマジで、自分の直属の上司にも酒を注ぎに行ってなかった。ただ飲み食いしてるだけ。
ただ、ほかの一部の連中とは会話をしてた。少しだけど。飲み会の広間の端っこに立って、後輩や年配の人と一緒に飲んだりもしてた。女と飲んでることもあった。でも、「みんな」と会話してるかって言ったら、そんなことはなかった。
さらに思い出したのだが、私はそいつがさらに若い頃を知ってる。確か、5,6年前も同じような態度で、上の人間から飲み会の最中に怒られて、「みんなに酒を注げ!」って命令されていたっけ。で、注ぐことはしたんだが、今度は「注いでやるからお前も飲め」と言われたところ、拒否したのだ。
私の記憶では、楽しいはずの飲み会の最中に、こんなやり取りがあった。
「帰りが自転車だったら飲んでもいいだろう。一杯だけでいい。上から勧められたら飲め」
「ここは呑んでおく場面だ。呑まなかったら男じゃない」
「酒を勧められたら飲まないと。特に上の人から。法律とかいう問題じゃなくて」
「お前。結婚してるか、する予定があるのか……ない? だったら、そこにいるあいつの方が『上』の存在だよ。婚約者いるんだからな」
「結婚できない人間は、お前みたいに人間性に問題があるやつが多いんだよ」
自転車だから、酒が飲めない……? それはあくまで法律上の話であって、そんなもん警察官だってわかってて見逃すよ。今だったらわからんが、当時だったら多分見つかっても、見逃してくれる。
それで、何度も何度も上の人間や先輩方に「酒を飲め」って言われてたけど、結局従わなかったんだよな。で、「お前は辞めろ!!」って怒鳴られてたけど、「労働者の自由です」って返してたっけ。
私の年齢は言わないが、はてなユーザーの平均と同程度かと思われる。ただ、私よりずっと若い人、特に民間企業の人から見ると、飲み会中にこういう行動はおかしいだろって、わかってもらえると思ってる。
その子は、飲み会中はほぼ1人でゆったりしてたよ。たまに誰かに話を振られて、「うんうん」って相槌を打つのが基本だ。別にこんなのを視界に入れたくないが、席が近いので入ってしまう。姑息にも、自分は喋らないのに、周りと同化して喋ってるフリをしていた。特に、直属の上司が近くを歩いてる時はそうだった。飲み物を注がれるのを回避してるのだ。
せっかくパートさんが酒を注ぎにきても、そいつは烏龍茶を飲んでいて、「自分は呑めないんです」とかほざきやがる。全く別の会合があった時、そいつが実は酒飲みなのを見ている。
私は、こういう飲み会で苦心した人を何人も知ってる。例えば、ヤツと同じ職場の若手社員は、この飲み会を運営するために必死こいてた。開催前は、いろんな先輩のところを公務中にもかかわらず廻って、おいしく飲める店を聞いていた。飲み会中は、男連中はグラスや酒を並べるとか、みんなの注文を取るとか、二次会の前にはタクシーや代行を呼んだりしてた。
女の子は、上の人間や年配社員の席に近くに行って、キャバ嬢並みとは言わないが、話相手になったりしてる。高校を出て就職したばかりの初々しい子も、内心ビビりながら、全員のところを周ってお酌をしたり、されたりしていた。
ある子は運悪く、ちょっと下品なこと(男性がビール瓶を○○に見立てて相手のグラスに酒を注ぐやつ)だってされたけれども、ニコニコしながら酒呑んでたよ。きっと嫌だったろうな。でも、みんな我慢してるのだ。私だって若い頃はそうだった。
一番悲哀があるのは臨時職員さんだ。昨日は、飲み会に臨時職員さんが4人きてた。会費が正規職員の半分だから来てるのもあるけど、その4人はみんな、飲み会に参加している人全員のところを周ってお酌をしてたんだよな。もちろん、そいつのところにも行ってた。
なぜそんなことをするのかって、正規職員、特に上司に嫌われると職場を追われるからだ。官公庁で働いている臨時職員の人事権は、人事部署ではなく担当課にあるのである。そういう必死さが、悲哀がある。だがそいつは、「烏龍茶なんで~お酒呑めないんです~」と彼女らからのお酌を断るために嘘をこいていた。マジでむかつく。氏ね。
飲み会に非協力的なヤツは理解できない。みんなで盛り上がるのが普通だろう。普段の人間関係だってさ、常にメンテナンスをし続けないと壊れてしまうだろう。飲み会はその一環なのだ。それがわかってない。人間は、生きてる限りは繋がらないといけないのに。
いや、ただ……唯一褒めるところがあるとすれば、奴は、自己紹介タイムの時は堂々としていた。「自分フツーに頑張ります!」みたいな感じで、めっちゃ堂々とした感じで、自分が正常な人間みたいに振る舞ってる。一応は笑いだって取っていた。意外なところでスマートにボケて、全員の笑いを搔っ攫っていた。それを見てる人達が「おー」みたいな雰囲気になってる。錯覚なんだけどな。人を騙す天才である。
結局そいつは、ほぼ手伝いをすることもなく、まったりと1人につき7千円のメニューを堪能していた。烏龍茶を無限にグビグビ飲んで、二時間半の飲み会が終わると、上司の目を盗んでサーっと消えて行った。
ああいう自己中心的なヤツを見ると、マジで職場から消えてくれねーかな、と思う。ああいうのが年配になると、いわゆる老害職員になる。職場歴が長いからって、偉そうな顔をして職場で好き放題に自己中ムーヴを取るのだ。
それで、若い子がそういう連中と接して、仕事が嫌になって、東京都にあるイマドキな会社に転職していくんだよな。これまで見た限りだと、大学や高校の事務職員とか、リクルートの分社とか、フリマアプリの会社とかだ。有能な職員から消えていくのは悲しい限りである。
私は今、四十代だ。これを読んでいるあなたはどう感じただろうか。もしあなたが、会社の飲み会に参加して数十年とかだったら、ぜひ感想を聞いてみたい。
AIは(あなたが読んだことのない物含め)この世に存在する文章を可能な限り読んだ存在です。
それが「それらしい理論」として出してくる物は、そうしたものの中にある論理あるいは意見そのものを拾ってきてるのだから、それはあなたが知らないだけのよくある理論と言えるのです。
それを読んだことがない、のみならずそういう意見があると想像もしなかったのは、あなたの見識の狭さを意味するだけです。
それはもちろん意見の正しさを意味しません。たとえば陰謀論の類いも「よくある意見」ではあります。
しかしそれは、「よくある意見が正しくないこともある」という話であって、「それがよくある意見であること自体を否定する」のはただの馬鹿です。
チャットAIに物を書かせることは、それが陰謀論であれ本当の常識であれ、それを知らない人間の視野の狭さを教えてくれるのです。
維新の会共同代表の吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子の投票は親が代理して行う)を提案し、維新のマニフェストに加えたいという意向だという。
(https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html)
これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートをリツイート(リポスト?)していた。
吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベルが心配になる
海外の議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本のSNS界隈の反応はそのレベルに達してない
吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが
ドイツの連邦議会で議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分の議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。
第一に、このPDFはドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである。調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本の国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会で議論されたことになるのだろうか。
第二に、調査局の報告書という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人の意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典(日本国憲法のような)にあたる法である。
要約すると、
・親に子どもの数分の選挙権を付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙の原則に反するし、平等原則の原則は20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法(憲法)改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)
・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察が必要になる。(同)
・基本法38条2項(選挙権年齢)の改正が必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正の限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれる平等選挙の原則にこのようなモデルが適合するか否かである。
・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身の投票権行使と子の投票権行使は区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度は普通選挙原則(選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)
・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義の正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実の問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的である。そもそも代理投票という仕組み自体、子どもは成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論と矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権が一身専属的な権利であり、国家の意思形成に責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11)
ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能性自治体」があるからとかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由が提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由の馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的な政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義は平等選挙原則も同様に要請するから、ドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。
平等選挙原則に反しないというためには、親自身の投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツの連邦議会と調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツの議論は話の枕に使われているだけで、ドイツの議論を真面目に受け止めて、そのような制度が可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人の意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票の秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票の秘密を守ろうとすると、親の投票意向をコントロールすることはできない。それでは子から投票を付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つのは母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事は制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。
そもそも、ここから分かるように一口に子どもといっても投票が可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから、投票が可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権が議論されていると聞いた覚えがある。このような議論は真剣な考慮に値すると思う。
繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度が平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツの議論を踏まえて、この制度の賛同者は、この制度が平等選挙原則に反しないようになる制度の可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義にコミットしていないと思われても仕方がない。上記の議論では、平等選挙原則は基本法(=憲法)改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。
※興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正の提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会のHPで確認する限り、提案は委員会に付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。
https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939
※※
これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正の限界という純法律的な論点を脇に措いたとしても選挙権の平等を真面目に考えないことが民主主義者であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本国憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差が問題にされることはない)が、平等選挙原則の排除が憲法改正の限界に引っかかる理論的可能性はあるだろう。
(追記)
それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理」モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言を自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能性自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義の根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_1009/n_17499/
これ
経済犯罪くらいのおおざっぱなひろーい枠組みで重い軽いなんて言っても全く説得力がないでしょ
性犯罪といっても色々あるんだから軽いというなら具体的に何が何より軽いのかとなるのが当然で、当たり前の流れなのに何で性犯罪の一本やりなの?
具体的な罪名知らないのかな?さすがにそこまで馬鹿じゃないよね
だから強制性交のイメージを利用して厳罰化を狙う意図はあるんじゃないかな、と邪推しなくもない
「性犯罪の罪が軽すぎる」みたいな主張って凄く不誠実だと思うんだよね、わざと誤認を狙ってる
強制性交でもなんでもいいけど、どの性犯罪がどんな罪と比べて罰が軽いと感じるのか具体的に主張して欲しい
でも、正直、殺人より痴漢の方が罪が軽いのはおかしいなんて言われたら、馬鹿なのかな?で終わるので量刑バランスを考えて主張して欲しい
そもそもそういう人達、性犯罪しか興味なくて他の罪の相場、軽重を全く知らないでしょ?
あれを刑事で裁くとしても相当軽い罰にしかならないからね、あれだけ子どもが死にまくっていても軽いままだからね
それに比べれば性犯罪は相当重いよ
当たり前だけど最高刑は死刑でその間を埋めていくことになるので、今の性犯罪は相応に重い罪なのでそれ以上となると全体的な厳罰化を望んでいるに等しくなる
子供の頃から、世の中の「闇」というものに対して、異様に怖い感覚がある。
「闇」と言うと感覚的だが、「悪」の定義を少し広げたようなものだ。馬鹿にする、見下す、茶化す、ネタにする程度のものや、冷たい、メシウマ、突き放すなどの冷酷さ、そういった負の感情や行動に対する強い恐怖心がある。
そういったものは、ざっくり「闇」という名前で括っている。簡単に言えば「正義とルールとマナーが守られていて、暖かみのある人間や場所」しか安心できず、それ以外の存在に対する極度の恐怖心である。
そしてこの「闇」への恐怖心は、田舎の廃墟であったり、あるいはボロアパート、あるいは場末のスナック、あるいは薄暗いビデオショップなどの、私の中のある種の「貧しさ」のイメージと、密接に繋がっている。あとはバッドエンド系の青年向け漫画なども、そういった「闇」を感じさせられる。
子供の頃はこの「闇」が消え去った、誰も不幸にならない、完成された世界を作り出したいと願っていた。だがその闇は年月を追えば追うほど、私の生活の周りに這い上がってくる。振り解けば解こうとするほど、闇は私の近くに差し迫ってくるように感じる。
「闇」というのは、おそらくは「貧困」「孤立」に対する恐怖心の、私の中の原初的なイメージの事だ。私の家庭は一言で言えば「貧困家庭ではないが機能不全家庭」であり、故にそうした貧困への恐怖は、実際の貧困家庭出身の人間以上に、「見えない」からこその恐怖心が肥大化している。