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2017-05-19

校正の極意

昔、とある会社サイト掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。

この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。

4,5,6条が素晴らしい。

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

【第7条:文字パニックにご注意】

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

第9条:日々是情報収集

【第10条:校正の極意】

"

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。

校正には知識必要です。だから校正マンである自分仕事関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!

自分知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業プロフェッショナルなのです。

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

校正仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異ほとんど同じだと思っている時点で確認プロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題ひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネット情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体インターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネット情報を得る場合には、必ず複数データ調査し、公式サイトなどのデータ確認します。校正大切なことは、信頼できる情報確認すること!疑わしい情報確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正プロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態校正に挑むのが、確認作業プロフェッショナルとしての基本です。

「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

校正お仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミス発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります100点満点を目指すなら、200点目標確認作業をしてトントン校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。

校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミス可能性はなくならないのですから

校正作業完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚姿勢校正に対するのが、確認作業プロフェッショナルです。その謙虚姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マン廃業した方が賢明(…!?)です。

なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マン廃業すべし。

(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

校正お仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることな任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります制作社は、作品ケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミス校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作校正プロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから

【第7条:文字パニックにご注意】

校正(笑)一種に「文字パニック」という症状があります日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業プロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)

文字パニックとは別に校正マンがかかりやす病気として「本が読めなくなる病」もあります活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合子供学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイト情報プリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

何事にも興味を持ち、広く知識習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分知識確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます校正ではさまざまなジャンル文章校正するため、歴史社会自然科学技術産業芸術など広い分野の知識必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります校正に費やせる時間無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。

第9条:日々是情報収集

前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識習得するための心得をもうひとつ友達との何気ない会話、家族との日常職場で流れているラジオテレビ番組CM…等々、日々の生活情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報収集することはできませんよね。不特定多数対象情報提供してくるラジオテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体ちょっと意識するだけで、情報収集きっかけは生まれるのです。

校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マン能力があらわれてしまます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マン大丈夫?」という状況を引き起こししまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。

(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マン鉛筆で書き込んでおくこと。

【第10条:校正の極意】

校正に極意はありません。ただ「無心」で校正に対するのみ…

しかするとソレこそが、校正の極意なのかも!?

"

引用http://www.set-inter.com/creator/kotomi-t

2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515141913

芸術分野は一旦有名になっちゃえばどうにでもなるからね。

技巧を極めた人が抽象的なことやるのはいいかもね。

2017-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20170512165445

あと古流派体験してたから分かるけど、剣術甲野善紀先生が見せたような「体術」としての側面はスポーツに応用されるべきでしょ。

レスポンスありがとうございます

私はNHKに出てきたの見た限り甲野善紀さんをインチキさんだと見ています

何故か?

・動きがヨタヨタしている

ちょっと動いてみせるとフウフウ息が切れている

からです。


武術の深奥や真価など全然知りませんしわかりません。

けれどもそれ以前の問題外はわかります

甲野さんの動きは何かについて毎日ハイレベル練習をしている人の動きでは有りません。

ちゃんと毎日’相当期間練習して何かが身についた上で

その技術体系の優劣が問われるのであって、

ヨタヨタフウフウは問題外です。


凄く大雑把にいって、

運動家としてちゃんとしている」という土台の上に、

舞踊家として芸術性がある」だとか

武道家として実践性がある」だとかが乗るわけでしょう。

上に乗るものの真価は専門家しかからないのだとしても、

土台が酷いのは私でもわかるんですよ。


逆に

ヨタヨタフウフウを批判できず評価する人と言うのは

ちゃんと運動したことすらないんじゃないの?と思っちゃいます

足をドシンドシンてればパンチ力がつく、って説明に疑問を持て無いのも

運動経験がないからじゃないかと。


いやまあ別にいいんだけど、合戦武術としての空手形骸化したことと一緒で、ほぼ失伝している状況で言うのはよくわからんな。

否定肯定もできない。

「今あるもの過去名人とされる李書文の現代に伝わる逸話説明など含め)は全部本物と違うインチキ

といわれたら

かめようのない過去のものについては知らないですけどね。

でも中国戦争重要技術ってカンフーじゃ無くて騎射技術とかだったんじゃないですか?

中国武術オタクだった自分黒歴史との決着

世界鑑測 北村豊の「中国キタムラリポート

西洋格闘技20秒で惨敗した中国伝統武術現実

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/051000099/?ST=viewcomment




私も中高生時代中国武術ロマンと憧れを抱いたものですが、成人して分別もつきました。

当該記事コメント欄コテコテ神秘中国武術オタク、つまりかつての私が居ました。

黒歴史との決着の意味で対決させてもらおうと思いました。


武術は殺しの技術であり試合では真価を発揮しない」

まずは、目的が異なるものを同じ基準で競わせることにそもそも意味がない。急所を正確にしか相手に極力悟られることな攻撃することで一撃で確実に相手を屠ることを目指すもの(そのような性格から人に見せないことを前提として成り立っているもの)(いわゆる暗殺武術殺人武術)と、限られたスペースのなかで相手を極力傷つけることなく専ら体力を競い合う(最後まで立っている方が勝者となる)もの(いわゆる格闘技)を戦わせてどういう意味があるのだろうか、何をもって勝者とするのだろうか。まさか公開の場で相手を殺すわけにもいかないので、殺人武術暗殺武術)は何もできない。急所を狙えない武術はもはや体操しかない。殺しが禁じられたうえで最後まで立っている方が勝者となるなら格闘技に軍配が上がるのは当然である

まず、動く人間の狙った箇所を打つこと自体、やったことない人が思うほど簡単ではありません。

「悟らせないほどの手際で正確に急所を打つ」というのは

鍛えたボクサーがジャブで鼻や口元を打つより更にハイレベルな芸当であること言うまでもなく

そんなこと出来る技術と速度があるなら武術家格闘家だと言う以前にまず超1流の運動家なのです。

試合ではその超人的な運動能力を援用して、狭い急所のかわりに鼻でも打ってみせれば話はおしまいでしょう。

何故そうしないのか? そんな能力が無いからです。


凄すぎる技術なので本物は表に出てこない

西洋格闘技は元々ある恵まれた体格を利用したパワーとスピードが物を言います

中国武術西洋とは考え方が根本的に違う。

本当の技は殺人芸術とまでいわれ、一撃で人を殺すことができますが、それを万人に知らしめるわけにはいかないので、その技を教えられる人も知っている人も極めて少ない。

太極拳も同じです。

ただ、体をゆっくり動かして行う練習動作のものは、純粋に筋力維持に効果的なので“体操”として庶民に広まってます

動画を含め、今一般人が目に出来るのは精々そのレベルです。

記事の高段位者も多分同じでしょう。

「我々は超人過ぎる『本物』なので仙人のように高みに居ること。世間に出てはならない。技術を漏らしてはならない。」

そのような超人技術と高いモラルを併せ持った武術教団があったとして、

しかし悪い人は必ずいるもの。そして組織は必ず腐るもの


超人的に強くなれる技術習得したら掟を破って娑婆に出ていって

子分に教えて超人軍閥を作って都督を襲うなり天下を窺うなりする人間が出るはずです。

でもって、そうするうちに技術が更に広まっていって普及・陳腐化すると。種子島みたいに。

でもそうなってないでしょう。何故か?そんな威力のある技術など無いからです。

3000年の歴史自称しながらその超人術が世間に出たことのない事実こそ、

そんな魔法の術がないという証明です。


李書文に二の撃ち要らず。

李書文に二の撃ち要らず。

本物の達人は人前に出ず隠れてひたすら練習するもの、と、信じる事にしています

でました李書文。あの漫画ですよね。『拳児』。

李書文の強さの秘密は明快です。

パンチの際に踏み込む足をドシンドシンと力入れて踏む(敵の想定も無し)。

・その動きを1日中やる(動きを修正してくれる指導者もなし)。

・腕を前に突き出し空気椅子站椿)で功夫パワー養成

こうすると小男でも超人的なパンチ力を得て、ワンパンで敵が空飛んだり血を噴いたりする。

しかパンチは必ず当たり、カウンターを取られるようなこともない。天下第一名人


どういう理屈なんですか。全然意味がわからないでしょう。

真偽を計る以前に何故そうなるか説明が成り立っていない。

こんなことを信じる人は、まともに運動をしたことがない人です。

また、オカルト宗教に弱く批判的な思考の無い人です。


空気椅子を頑張ったらパンチ力が向上する」と言うのは

物理的にも運動生理学的にも説明のつかないことです。

(とか真面目にいうのもバカらしくないですか?)

それをやってるだけで相手とのパンチ応酬の為の技術まで身についているというのは

更に滅茶苦茶な話です。


おわりに

中国武術については「独特の歴史と趣がある保存されていくべき舞踊」という評価をもっています

また舞踊としてレベルの低いインチキ継承者(まともなもの継承していない、ろくに練習していない)も少なからず居て

そのようなインチキを根絶することは伝統継承と発展に資すると思います

格闘狂人は頑張って欲しいですね。

2017-05-11

ちいさいこいいよね

小路あゆみさんの本のタイトルだが、はてなーならこのタイトル芸術性を理解してくれると思ってここに来た

なんつーか、今でも漫画とかオタクってリアルだと差別されてるんだよな

ちいさいこいいよね

小路あゆみさんの本のタイトルだが、はてなーならこのタイトル芸術性を理解してくれると思ってここに来た

なんつーか、今でも漫画とかオタクってリアルだと差別されてるんだよな

2017-04-26

転売禁止でわからないこと【追記】

同人界隈の転売禁止ってよくわからないんだけど

自分作品に値段がつくことの何が嫌なの??

発行部数以上求められてそれに値段が付くのって当たり前の話で誇るべき事だと思う。

転売の値段で買われてもその分は自分に入ってこない、損だってのはわかる。

でも値段がつくことに、そしてその値段でも買い手がつくことを嘆く理由がよくわからない。

同人という著作権グレーな界隈だから??

http://anond.hatelabo.jp/20170426005857

同人創作物だと思うので、販売というより芸術枠かと思ってた。

大体の芸術家表現者は、自分作品価値がつけば自分価値がつくことと同じなので嬉しいのだと思ってたからその界隈への『転売品買わないでください』の注意を見て素直に疑問だった。

でもせっかく作ったものが『商品』でしかないならそういう注意をするのは納得だ。

2017-04-25

このよしこは嫌いだ

櫻井よしこの講演料は150万! 講演で稼ぐ安倍応援団実態

 しかし、辛坊竹田はまるで冗談かのように茶化していたが、これは本当の話だ。ある在京テレビ局関係者が言う。

「いまのテレビ政権というか官邸の顔色ばかり伺っている。企画だって政府批判につながりそうなもの露骨に上の受けがよくないし、だいたい弾かれますよ。

スタジオでも言葉遣いひとつひとつに、偏向だとか言われないように細心の注意を払う。その意味では、やっぱり安倍政権好意的コメンテーターは使いやすいんです」

 しかも、こうして一度“安倍礼賛”の陣営はいれば、いみじくも『委員会』で辛抱が暴露したように、講演会によってガッポガッポと稼ぐことができる。

もちろん、そういう「講演会」というのは、書店トークショーなどでのこじんまりしたものではない。

JC青年会議所)やライオンズクラブ、有力企業保守系政治団体などが主催し、ホテルなどの大箱で催されるもので、目当ての“顧客”は、一般人ではなく企業経営者地元の実力者。

いきおい、講演料は大学市民団体などでの講演とはくらべものにならない高額になる。

 たとえば、講演会での講師派遣などを手がける株式会社エスエンタープライズHPによれば、“保守女神”こと櫻井よしこの講演料の「目安」は実に100万〜150万円と記載されている。

大阪市長橋下徹の講演料が「90分200万円」であることも有名な話だ。人によってピンキリではあるが、相場は50万〜200万円と言ってもいいだろう。

 ようするに、こうした文化人にとって数時間でこんな大金を得られる講演会ほどオイシイものはないのである。付け加えると、「『委員会』に出て、講演で稼ぐ」という構造も本当だ。

 その典型が、東京新聞長谷川幸洋長谷川はある時期から急速に安倍応援団色を強め、

いまではネトウヨ番組ニュース女子』(TOKYO MX)の司会者として沖縄ヘイトを垂れ流すまでになったが、その長谷川が夢中になっているのが「講演ビジネス」らしい。

長谷川テレビで共演したことのある評論家が苦笑しながらこう語る。

長谷川さんの方から、『あなた、何で稼いでるの?』と言ってきて、『講演やった方がいいよ、講演は儲かるよ』と力説していましたね。

なんでも、土日は講演で地方にいて、ほとんど東京にいない、と自慢していました。うれしくてしようがない様子でしたよ」

 しかも、講師派遣サイト「講演依頼.COM」の紹介ページを見てみると、長谷川は「実績」として堂々と『そこまで言って委員会NP』や『ニュース女子』 “売り”として記載している。

 そんな長谷川がどんな講演を行なっているのかといえば、昨年6月には新潟県内のホテルで、「安倍政権と今後の日本」と題した講演会を行なっている。

主催は、新潟県異業種交流センター県央支部で、後援は燕三条青年会議所燕三条JCの告知ページではこのように宣伝されていた。

読売テレビそこまで言って委員会NP」など、多数のメディアにご出演されている長谷川幸洋氏より、参院選前の官邸の様子、永田町の様子などホット話題提供していただきます

普段テレビでは言えないような発言も飛び出すかもしれません。お聞き逃しなく!〉

 こうした安倍政権応援団の“講演会ビジネス”の実態をまざまざと見せつけられると、ひょっとして、こうした小遣い稼ぎ(といっても大金だが)のために、

テレビ安倍首相を礼賛して沖縄米軍基地に関するヘイトデマを垂れ流しているのでは、という疑念が頭をもたげてくる。

 だが、こうしたビジネス長谷川だけの話ではないだろう。

毎日新聞伊藤智永氏は「サンデー毎日」(毎日新聞社4月2月号に寄せた「安倍首相を担いだ『保守ビジネス』」のなかで、近年の日本社会のなかで〈「保守」が思想ではなくビジネスになっている実態〉を指摘している。

 伊藤氏はそのなかで、東条英機元首相のひ孫である東條英利氏のエピソードを紹介している。

東條英利氏は現在一般社団法人国際教養振興協会」の創設理事長を務め、神社ライターとしての執筆活動や各地での講演会を行なっている。

伊藤氏の取材に対し東條氏は、竹田恒泰代表を務める「竹田研究会」に出入りしてノウハウを学んだという。

竹田研究会といえば、〈日本研究し、日本の文化芸術を振興し、かつ、青少年健全な育成をすることで、日本人が輝きを取り戻し〉などという触れ込みで全国に支部をおき、各地で竹田講演会を開催している団体

事実上竹田資金め組織のような役割を担っているが、昨年10月竹田の片腕としてその竹田研究会幹事長をしていた前山亜杜武氏が、詐欺容疑で逮捕されたことも記憶に新しい。

 伊藤氏は、東条氏のように、この竹田研究会で学んだノウハウ独立し「保守ビジネス」を起業した男性2人に取材。彼らの話を総合すると、その実態はこういうことだという。

セミナー屋だね。会費3000円で1回25人も集まれば成り立つ。あとはネット塾。私は月1000円で約1400人に歴史時事問題面白い言論配信している。

毎月定期的に140万円。売れっ子Kさんは月5000円、Mさんは月3000円で常時1000人以上。やめられないよ。運動なんかしない、商売もの

自己啓発とか異業種交流とか似たモデルは他にもあった。1990年代から保守が売り物として成立するようになった」

 この複合証言なかに出てくるK氏とM氏は〈ウィキペディアにも載っている業界の中堅どころ〉だという。

いずれにせよ、「日本研究し、歴史伝統継承する」などと大上段に構え、「保守」を自認する安倍政権を讃えることが、彼らにとって格好の金稼ぎの手立てとなる。

委員会』で辛坊治郎暴露した“講演会ビジネス”もそうだが、そうしたビジネス蔓延しているということなのだ。

 結局、彼らの言う「保守」というのは、金儲けのための“看板”みたいなものなのだろう。つくづくため息が止まらないが、

安倍政権がこうした“ビジネス保守”の連中を活用することで、世論をつくりあげていることも事実だ。圧力に屈して政権忖度するマスコミと、

その流れをフルに活用してマネタイズするカッコつきの保守人士たち、そして、それを養分政治体制を盤石にする安倍政権――。そのサイクルは、わたしたちが思っているよりもはるか構造化しているのかもしれない。

http://lite-ra.com/2017/04/post-3100_4.html

K=小池塾? 5000円

不倫しても叩かれない方法

http://anond.hatelabo.jp/20170425101829

うんこだのトイレだのが公の場でハラスメントでもなく高尚な抽象芸術扱いされる世の中で何言ってんだ?

うんこを置いとこうがちんこまんこ飾っとこうが恥ずかしくも何ともねえわ

2017-04-23

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 49話

ここでトガタに語らせることによって、妹のセリフ真意を数十話越しに、遠まわしに描く構成は悪くないと思う。

まあ、立場や状況も違うから再現ってわけではないのかもしれないけれども。

そこからは怒涛の展開といった具合だが、これまで丁寧にやるべき箇所をかなぐり捨てて、作者が見せたいところだけクドいくらいに見せて、そしてこのタイミングでも本筋をああいった風に描写されると咀嚼に難儀するなあ。


すすめ!ジャンプへっぽこ探検隊! 3話

企画自体は興味深いし、様々なしがらみを気にしない前提で感想を述べるならば、面白かったと思う。

特に4枚目の発想は恐れ入った。

そこを切り取るのか、という。

しかし、基本ジャンプ男子向けだとはいえ、野郎どもだけで女子トイレマークデザイン考えるという構図のマズさは気になる。

このノリは例えるならアレだ、学校休み時間に同性が集まってする猥談のノリに近いと感じた。

その規模を人様向けに、大人たちがやった結果、本質的問題がより浮き彫りになってしまったという印象。

少年ジャンプ+編集フットワークが良くも悪くも軽くて、それが功を奏するケースもあるんだけれども、今回はそういったのが悪目立ちしているケースだなあ。

ジャンプ+では『おかずサイト』っていう読み切り作品があるんだけれども、あれを読んだときも「大丈夫か、コレ?」って思ったもんなあ。


ROUTE END 7話

殺人鬼動機として芸術だとかそういった理由は、個人的辟易しているんだよなあ。

ただ、まあその後語られる持論そのものは分かりやす理屈を述べているのは良いと思う。

「とりあえず支離滅裂な、狂っている言動やらせとけばいいだろ」みたいに描かれるサイコキャラ陳腐しかないので、そういうところでクレバーさを表現することは大事

相手がどう動くかが何となく分かっているのに、その上でタイミングに怯え、取り返しのつかない事態になってもおかしくないという緊張感も上手く描けていると思う。

これは主人公にも言えることで、後半の向こう見ずな行動はハラハラさせてくれる。

他人に止められるまで気づかないとか、かなり頭に血が上っていたことが分かる。

事件の謎もそうだけど、こういった登場人物たちがどう行動し、どのような結果に繋がるかっていうのも気になるところだ。

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417005128

結局この世のすべての事象は数式で書けるだろうから

因果律説明をすると朝起きてパンを食ったってことも数式になってしま

芸術にも人が心地よいと感じる数式が元々あってそれを解いているに過ぎない

まり数学物理学を極めた者が全ての学問を究めたことになる

2017-04-11

浅田真央が嫌いだ。

浅田真央引退するらしい。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170411/k10010943961000.html

僕は以前から浅田真央が嫌いだったが、

こういう節目に際しての文章の中には思いがけない名文がしばしばあるし、浅田真央の事が観測範囲に入らなくなって暫く経つから

しかしたら、僕の知らないうちに彼女に何か変化があって、意外と名文に出会えるかもしれない、

そう思って、引退表明のブログ文を読んだ。

期待はずれだった。

そして予想どおりだった。

書かれていたのは空虚言葉だった。

書かなければいけないことを通りいっぺん書いただけ。

応援に対する感謝】【これまでの実績】【引退を考えるようになったきっかけ】【引退を決定づけた出来事】【これから展望

そこには「浅田真央でなければ書けないこと」が何もなかった。

定型文のようなどこかで聞いたような言葉ばかりである

誰かに何かを伝えたいという情熱がなかった。表現がなかった。


そして、それは彼女の"演技"に常に感じていたことだった。


彼女の演技を初めて見たのはいつだったか

彼女の最盛期がいつなのかは分からないが、世間の流れに疎い僕でも彼女存在認識した訳だから

多分、選手としてはかなり能力の充実していた良い時期だっただろう。


当時、テレビで見る度に、なにやらレポーター解説者達が興奮して誉めそやし、確かにいい得点を出していた。

しかし、すごいはずの彼女の演技を見ても自分の中にはなにか漠然とした印象しか残らなかった。


技術的にはすごいんだろう」

自分はそう思った。

「一方で、芸術点はあまり高くつかないはずだ」

そうも思った。


しかし、現実には芸術点でも高い得点を出していた。それも結構安定して。

(多分そうだったと思う)


正直、自分感性おかしいのかもしれないと思ったし、今でも少しそう思う。


しかし、自分にとっては、例えば村主章枝安藤美姫高橋大輔の演技のような迫力・表現したいという欲望を感じなかった。

かと言って、例えばプルシェンコのような優美さも見受けられなかった。

ただ無機質な身体の動きがあるだけだった。少なくとも"表現"と言うにはあまりにも味わいがなかった。


身体を使ってする表現とはなにか。

それは"言葉にならない言葉"を全身から振り絞ることでないのか。

形にしきれない情念を見るものに対し訴えかけることではないのか。

あるいは、興奮や緊張、その上にの存在する楽しさなど、自らの心向きを寡黙な雄弁さで伝えることではないのか。


僕の言っていることがピンとこないなら、例えばバレエを見てほしい。

若手の登竜門であるローザンヌコンクール、中でもコンテンポラリーおすすめである

https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8C+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC


ともあれ、彼女は確かにアスリートなのかも知れないが、芸術家ではなかった。

表現したいものがなかった。

初めのころはお子様だから仕方がないと思っていたが、いつまで経ってもそうだった。

ただ技術を高めたいというスポーツマンとしては立派な動機があるばかりで、

表現をしない自分勝手さを本当に見苦しく感じたし、

僕はそんな浅田真央が嫌いだった。

2017-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20170403213152

http://anond.hatelabo.jp/20170403213152

ご回答ありがとうございました!

「大きな力で小さな見返り」、「コストをかけることに価値がある」

うーん、まったく否定できないですね。産業構造的にもそれを助長しているしなあ。

ぶっちゃけwebソフトウェアほとんどは芸術であって工学ではない。

これは確かに自分も感じますねえ。工学というほど体系化されてないし実践されていないのは事実

http://anond.hatelabo.jp/20170403210050

ぶっちゃけwebソフトウェアほとんどは芸術であって工学ではない。

と言ってみることはできると思う。

さな力で大きな見返りを得るのが工学で、大きな力で小さな見返りを得るのが芸術

工学コストを下げることに価値があり、芸術コストをかけることに価値がある。

なので万年デスマーチプログラマエンジニアリングしてないので、エンジニアと呼ぶにはふさわしくない。

2017-04-02

オナ禁してわかった。精子くさすぎ問題

11歳で精通して以来14年ぶりに、18日間射精しなかった。

気持ち良く2発抜き、翌朝目覚めて風呂に入ろうとしたとき衝撃を受けた。

おれの精子本当にくさい。

毎日のように励んでいた頃は全く気付かなかったけど、本当に吐きそうになる。

口臭とか汗臭さとはまた違う、刺激臭。

イカくさいとか、金木犀香りとかでは表現できない身の危険を感じる臭い

慣れてしまうと気づけないけど、他の人は絶対に気づいている。

石鹸で一回軽く洗ったくらいでは落ちないから、ケアが雑だとすぐばれると思う。

今日の子生理くさいわーw」とか言ってるやつ、おまえのほうが精子くさいぞ。

今日〇〇君、精子くさいなー」って会話、絶対女子会でもしてるだろ。

 

余談

精子について書いてたらふと思いだした、インターネットコミュニティ歴史を以下に記録する。

アフィブログ騒動を経て今でこそ隆盛を極めている2ch嫌儲板がまだ過疎っていた7年前の話。

独特のまったりした雰囲気と、独自文化極左けいおんスレ花言葉さん、ペンギン博士フリゲスレハワイアン声優生理周期予想)があって居心地が良かったのだが、1日のレス数が100を切るようなあまりの過疎っぷりに危機感を覚えた有志が板起こし運動を始めた。

それがミニコミ誌Zartanの制作くそまらなった)、嫌儲の日といった催しにつながったのだが、最大の盛り上がりを見せていたのは天下一射精会だろう。

これは毎年クリスマスの0時から24時までに何回射精できるかを競う祭で、ライダーと呼ばれる男が30回前後射精していつも優勝していた。回数を競う一方で、日々の射精活動の成果を見せ合う芸術部門もあり、皆思い思いにフィギュアへのぶっかけ画像投稿していた。

その中でも特に称賛を浴びたと同時にドン引きされたのが、「ザータン」と「きのこの山の箱」だ。

ザータンとはザーメンタンクの略で、日々放出した精子を貯めたペットボトルのことだ。確かにこの方法ならティッシュの処理に困ることもないだろうが、黄味がかった精子が一杯に入った2Lペットボトル数本の画像を開いた時は思わず鳥肌がたった。

しかし密封保存されているだけまだましだろう。もう一方は、もう想像がついたとは思うが、射精の的となり干からびたザーメンの層が幾重にも重なって厚さ数センチに達した、きのこの山の箱だ。精子が染み付いたせいで箱全体がヨレヨレになり、箱の中の一種神秘的な白さを完全に失ったザーメンは腐敗した茶色固形物となって、掃除を怠った排水口の様だった。あれに比べたらザータンのほうがまだ清潔だ。画像を思い出すだけで、あの独特の、むせ返るような魚臭さを思い出す。

中に出されまくったまんこは、あの箱と同じ状態になっているはず。

まんこの臭さと中出しの回数は絶対比例している。

日本詩集流行らないのは

話す言葉すべてが詩となり芸術となる

俺という存在いるからでは?

2017-03-29

忖度がはやっている今なら言える

スーザン・ソンタグの「反解釈」を読むと、芸術鑑賞の姿勢が一変するのでおすすめ

現代美術が何でああいうことになってるのかもわかるぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20160507000113

西洋画(芸術)みたいな昔の絵柄よりも今の絵柄のほうが抜けるから好きな人間もここにいます

2017-03-28

結婚願望について

もう4年くらい前になる。

人生ではじめて付き合った女性と別れた時、言われた言葉がこれだった。

あなたみたいな子供が産まれたら、ぜんぜん可愛く思えないわ!愛せない!あなたみたいな性格だったら悪夢!一匹だってこんな辛いのに、こんなのが二匹も!」

なにも反論できなくて、反論すべきかもわからなくて、とにかく落ち着けと言っても聞いてくれず、もう寝ると言って布団をかぶった。

勝手に寝れば?私も勝手に続けるから!」

とその後ずっと罵倒言葉は続いた。

彼女は俺のことを好きではなかった。

思い返せば、自分彼女を好きではなかった気がする。

昔、一度告白して断られた女が、高齢無職になってすり寄ってきて、押し切られて同棲

自分のほうにも、ババアをもらってやってるみたいなおごりが確かにあった。

あれから、いくつかの変化があった。

まず、実家とは疎遠になった。

それと、他人に嫌われることが平気になった。

好かれたり嫌われたりは、人間価値とは無関係と思うようになったからだ。

ピーマンが嫌いと叫んでも、ピーマンピーマンしかない。

世の中には嫌いな人もいるだろう、そのくらいに思えるようになった。

それに加えて、他人感情シンクロすることがなくなった。

凄惨事件にも悲しくなることがなくなり、葬儀送別会映画でも悲しくなることはなくなった。

タイタニックの船が縦に沈んで、人がバラバラ落ちる描写や、鼻水を凍らせながら愛を語るシーンで笑えるようになった。

これらの変化は、あの夜以降、一つの気づきがあったためだ。

人は、(相手の心は)(現象は)こうあるべきなのにそうではない、ということで怒ったり悲しんだりする。

褒められるはずなのに褒められない、愛されるはずなのに愛されない、ずっと一緒に居たいのに、別れないといけない、などなど。

自分勝手に前提条件をつけて、自分が苦しむ。

他人他人で、他人気持ち絶対からない。

自分気持ち相手には決してわからない。

自分の願望と、目の前の事実関係ない。

そういうことに気付いたのだと思う。

ただ事実だけをみつめて、結果だけを受け止めれば、なにを言われても平気に、誰と離れ離れになっても、誰が死んでも、わりと苦しくない。

感情がなくなったわけではない。

絵や、舞踏みたいな、非言語芸術を楽しめるようになった。

場の空気前後文脈や、他人感情干渉されずに、思うままに、感じるままに、生きられるようになった。

好きな服を着て好きなものを食べ、好きなことをする。

幸せと呼ばずしてなんだろうか。

長い前置きだったが、本題に入る。

恋人が出来た。

また、相手もいい歳だし、結婚も考えてるのだと思う。

しかし、自分結婚には向いていない。

恋愛をしたいと思って付き合ったけれど、自分にとっての恋愛は、夏の虫取りくらいの重みしかなく、セックススポーツで、結婚なんて微塵も考えられない。

このことを伝えるべきだろうか?

追記

人の感情に流されなくなってから投資で失敗することがなくなった。

例えば、今年はトランプ大統領誕生しようと、イギリスEUから抜けようと、パニック相場が動いてるのを冷静に見て取れて、大きく利益がでた。

あらやだ、キャッシュが見つかっちゃった☆

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:x6DUlHQBFfAJ:anond.hatelabo.jp/20170328105441+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-b

絵師(笑)無償絵師に絵を頼む人はこれ読んどけ」ドヤァ

…つうてミケランジェロ芸術に関するエピソード(たった10日で仕上げるために30年の修行を積んだ。それを分かったうえで正当な賃金払えや的な話)載せてるけど糞サムイ。

単なるたとえ話なんだろうけど(そもそもこの内容なのに『無償依頼の』たとえ話になってんのか?)そもそも自分等が世界芸術家と同等の立場で絵を描いてると思ってんのがなんとも言えない。そういうこと言ってる奴に限って普段落書き程度&イベントサークル参加しただけでプロフェッショナル気取りっつうのがね。

まるで無償で絵を頼むのが全て悪みてーな言い方だけど、

そんなに無償が嫌なら堂々と「金取ります見積A4サイズで~円です」と掲げりゃいいだけの話。

絵描きタグ乱用しておいていざリク貰ったら「はーどうせ自分の絵はタダ同然の価値しかないよねー」なんて誘い受されるほうがよっぽど迷惑で悪質だわ。

http://tureota.blog.jp/

↑ここのアフィCMのためにわざわざidにアフィURLを混入させたみたいね

今は消して釣ってやった感満載ってところかしら。いえいえ。そう思っているかどうかはお釈迦様でも分かるめえ。

あとオマケね。

http://anond.hatelabo.jp/20170328110804

IDでてるぞ消せ

絵師ディスってた人turaotaって人らしい。

速攻でコピーした。楽しそう。


http://anond.hatelabo.jp/20170328123453

2017-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20170327070448

よほどの前衛芸術でない限り、大抵の作品神話をもとにした類型で語れるじゃん

けもフレ民はこういう、今更感あるモノで無理に「意味がある」と騒ぎ立ててるだけなの?

かーなしー

2017-03-25

アイドル=歌!踊り! という発想はなぜ

可愛い子を見ることに価値があるのであって、別に完璧歌唱力EXILEレベルダンスも求めていないわけ。

可愛い子が何かをするだけなら歌踊りじゃなくて良くない?

確かに大衆に発信するって意味では最適だと思うけどそれがすべてじゃなくね、

マジックでもいいし寸劇でもいいし大道芸でも体操でもバレエでもyoutuberでも乗馬でも芸術活動でもいいと思うの

個人的には可愛い子がピアノバイオリン弾いてるの見たいわ

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

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