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2016-06-30

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。


泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

lgbtの「見せ方」について思ったこと。

なんとなく放送大学を見てたらlgbtのなんたらいう番組をやってた。男から女になった人と女から男になった人と司会の人で、まぁ内容としてはゴリゴリ勉強するというよりも鼎談みたいな感じのことをしてて。そこらへんはよかったんですけど。

出演者女性(元男性)が、派手な和装クラブママみたいな感じの人で新宿2丁目で働いてるらしいんですけど、番組最後歌謡曲を歌いだしたんですよ。いきなり。なんか「その演出いる?」と思って。なんか、いる? それいる? ってなって。

番組目的はよく知らないんだけども、「男らしさ」とか「女らしさ」とかい固定観念lgbtの人たちの足を引っ張る枷になってる部分もあると思うんですけど、「ゲイっぽさ」みたいのも固定観念じゃん。なんでそこをわざわざ強調する(ように見えることをする)のかなと思って。

死ぬほど当たり前のことを書くけど「男」の中にも色々いるわけじゃん。男がみんな車とロボットスポーツが好きな訳じゃないじゃん。ゲイの人にも色々いるわけじゃん。mtfの人も「派手な衣装メイク盛り盛りで人前で唄ったりするのが好きな人」ばっかじゃないじゃん。絶対に。

少数派、性的マイノリティのそういう生き方ex.新宿2丁目ゲイバーで働くmtf)があると知らしめる。それがひいては偏見をなくす道である。わかる。わかるが「マイノリティの中のマイノリティ」の生き方ばかりが取りざたされて、やたら目立ってしまうのは、「マイノリティの中のマジョリティ」にとって不本意なことではなかろうか。

直近の例では、とある裁判官の人が半裸の写真ネットに云々ていう、それは全然よくて。ああこの人はそういう人なのねって感じなんですけど。なんかそれをまた別の検事だかの人が支援かいってパンイチの写真アップとかしてて。それは余計じゃねぇの。普通に支援」を表明するだけじゃダメだったのって。

そういうの見てると「ゲイのおじさんて脱ぎたがりなの?」みたいなイメージなっちゃうような気がして。マイノリティの中のサイレントマジョリティではないが、ゲイのおじさんでも「自分の裸をネットにあげたくない人」の方が多いと思うんだけど(裏は取ってない)、そういう人の声ってわざわざ出てこないじゃん。ネットで裸を見せたがる人もいれば「好きな人の前じゃないと脱げない」ていう人も恐らくいるわけじゃん。

でも脱ぎたがりな人たちのそういうのばっかが見えてくる感じだと、ふっつーの、なんかもう着飾って人前で唄ったり、裸の写真をアップしたりしない、もう極めてありふれたふっつーの暮らしがしたいと思ってる人たちからすれば「自分は違うんだけど」みたいな、どうにもモヤモヤするというか、釈然としない気持ちになってんじゃないのかな、と思ったり。

果たしてゲイらしさ(とはなんだ、という話もあるが)をあえて強調することは、当人たちにとってなんか意味のあることなんだろうか。単にアイデンティティの発露(そういうクイアな部分が当人たちの精神的支柱になっているからもはや否定できないとか)なのかもしれないが。ゲイパレード映像に出てくるドラァグの人たちとかを見るたびになんとなく思う。あるいはそういう「おもしろいところ」から大衆に受け入れてもらおうという気持ちなのかもしれないが。それは諸刃の剣であるよな、という気もして。

念のため書いておくけどドラァグとか裸体をアップする人とかに「そういうのやめろ」と言いたいのではない。あの人たちは、それぞれそういう人ってだけのことであって好きにやったらよいと思うし。気になるのはそれを個人の特性と捉えず「mtfは全部ああいう感じの人なんだー」みたく十把一絡げに考えてしまう人が多いのではないかさらにそういった「らしい」部分を無意識に強調してしまうことが当事者の中でも少なくないのではないか? という点。

「そういう人もいるけど、そうでない人もたくさんいる」ていう意識一般的である状態に持っていかないといけないのでは? それにはふっつーの暮らしをしてるlgbtの人たちがたくさんいるってことをちゃんと伝えるべきなのでは、と思う。ところで放送大学番組に出ていたftmの人は、そこらへんにいそうな感じ(失礼)の兄ちゃんだった。「男から女になる」ことの難しさも一つの要因なんだろうな。

余談ではあるが以前からlgbtに対する風当たりの強さを理不尽に感じることが多くて、放送大学のやつがきっかけでなんとなく書いてみたんだけど、しかしこのエントリもまた自分自身の「差別意識」を赤裸々にするんだろうな。それを指摘されたい、という気持ちもまたあるので、ぜひ気付かせてほしい。

2016-06-29

共産党藤野氏と、もっと話を続けて欲しかったぞ

誰か「では、外国軍事予算、たとえばおとなり中国軍隊人殺し集団なのでしょうか?」

藤「他国他国でやっていること。他国のことに干渉するのは失礼なことだ。何も言えません」

誰か「では、日本の人が他国軍隊攻撃されても何も言わないんですね、あなたは。」

誰か2「共産党さんは、そのわりにアメリカに対しては結構いろいろ言ってらしていませんか?」

誰か3「藤野さん独自のご見解だと思えばよいのですか?党としてのご見解でしょうか?」

藤「あ、まあ私の見解ということです」

誰か3「そうですか、中央にいる藤野さんが党の方針と違う見解を述べられるのですか。共産党さんは足並みが揃っていないのですかね。建前と本音といいますか、やはり藤野さんに近いお考えの方も共産党さんの中にいらっしゃるとみて、私には不思議ではなく思えます

藤「。。。」

政治言葉で作られていく以上、政治家ってのは本当に口が災いするよ。ちょっとがっかりだね。

仮免総理だの、尖閣きっかけをつくった総理だのがいる、もと自民出身も多い民進党とちがって、純粋な対抗勢力として貴重だと思っていたんだがね。「今上天皇平和に貢献している」として、せっかく参議院開会式に出席するようになって、現実を見ている感があるというか、マイルドになった感があったのに。政党助成金今日まで拒み続けてきたのに。志位さんも「たしなめて解決した」ですって?

http://anond.hatelabo.jp/20160629195852

私の場合はやるゲームを増やすことと2chアンチスレに常駐することでだいぶプレイ時間を減らせた

去年夏までにパズドラに200万円以上課金して働きもせず一日の大半を費やしてきたけど、白猫プロジェクトデレステとゴ魔乙をやるようになってパズドラ課金を月2万円程度までで済ませることができ、プレイ時間も徐々に減ってきた

白猫とデレステとゴ魔乙合わせても課金額は一年で2万円程度で済んでる

今年に入ってからパズドラ半年で5万円程度、スタミナがあふれる日も増えてきた

トンスレと呼ばれている2chパズドラアンチスレはできた当時はまだそれほどパズドラに嫌気がさしていたわけではなかったのだけれど、自分パズドラスレに書き込んだひとことがきっかけでアンチスレ誕生してしまった

ずっとその時の書き込みをもとにしたスレタイがついているのでなんとなく義務感のようなものを感じてパズドラスレと並行してアンチスレも読むようになり、一年以上たった今も住人をやっている

まだ全然脱却できていはいけど、少なくとも生活の中心ではなくなった

本当になんとかしたくて、なおかつ上記の方法のような不確かで信頼できないやり方で時間無駄にしたくないなら、悪いこと言わないか精神科にかかるしかないと思う

依存症自力でなんとかするのはお勧めできない

20代結婚するならコミケナンパするしかない。

藤島康介の31歳差の結婚の話を聞いて、おっさん20歳の娘と出会方法を考えたらナンパが一番早いなと。

アニメマンガとかで描かれる出会いなんてそうそ簡単に起きるものではないからね。

例えば「アニメ漫画好き」な娘を探すとしたら、アニメイトとかで声をかければいいと思うけども、

もうじきコミケがある。

夏のコミケなら、出会いの機会は沢山ある。

2chで「熱さまシート」を渡したことがきっかけで付き合った人もいたらしい。

要は自分から動かないと、おっさん20歳の娘と付き合う可能性はできないわけだ。

からの紹介とかも結局は自分から動かないと得られない。

いつまでも受身だと、今、介護職とかで色々と問題を起こしている中年童貞になりますよ。

SNS疲れで若手俳優オタやめた話

だいぶ前はてブ等で長年同人をやられてた方がTwitterをはじめとしたSNSに疲れ同人卒業したり距離を置いたり…という記事を何個か見ました。

自分同人ではないのですが、2.5次元界隈でTwitterがしんどくなり、専用アカ消したりしたなあ…ということを思い出しました。


何がしんどくなったのか最初に箇条書きすると、



①色々な人と繋がり、共通フォロワーさんが増えたことにより、Aというフォロー外だけど苦手な人が出来た。フォローされないようブロック自衛していたが、Aがアカウントを変えたタイミングフォローされ、無視してたら、ほんのりフォロバを促すようなリプが来てしまった。(これが大きな理由)

②2.5次元2次元界隈でよく見られるゆるふあアイコン拒絶反応

金銭感覚の違い

イベントに行ける、行けない地方格差

自分フォローしている人達犬猿の仲になってしまった

引用RT空リプなどでの身内での変な馴れ合いに寒気



とかですかね…。

これらは未成年若いフォロワーさんに多かったように思えます



自分アニメ漫画といった作品に対しての熱は冷めにくいのですが、俳優声優さんアーティストさんといった人に対しての熱は元々熱しやすく冷めやすタイプでした。ところが、あるきっかけでとある俳優さんのことが気になりだし、気づけばめちゃくちゃブロマイド買っていたり、自分人生史上最大の沼に陥ったのです。こんなにハマった人始めてだしこんなハマり方したのも始めてだったのです。



そこで調子に乗った私は自分以外にもこの俳優さんのことが好きな人と知り合いになりたい!現場出合い厨とかしてみてぇー!と思って勢い余ってよくある繋がりたいタグでたくさんの方々と繋がりました。(といってもフォローは2桁でしたけどね!ちゃんと自分で見極めてフォローしたはずなんだけどね!)



最初はとても楽しかったです。毎日幸せハッピーって感じでした。推しに囲まれ生活最高ー!ってなりました。

でもこの頃から自分性格上②みたいなアイコンの人はあまりフォローしなかったしプロフもゆるふあ〜な感じの人はブロックしてたかな。

(ていうかぶっちゃけた話、ああいうゆるふあアイコンってどこが良いんですかね…はっきり言って痛いしダサいセンスない。本当にコラージュ上手くなりたいならそこらへんのアプリじゃなくてフォトショ使えば?写真の切り抜きとか透過とかスマホアプリよりフォトショGIMPのようなパソコンソフトのほうが優秀だと思うんですけどね。小さい画面で操作するのイライラしません?成人してもあんなのやってる人とかみると大丈夫?て思ってしまう…)





ところが、自分フォローをしている人達が段々と相互フォローで繋がっていき、⑥のように身内のノリみたいな変な馴れ合いが増えてきた頃から、少しずつ、居心地が悪くなっていきました。


元々「構ってちゃんタグ」とか「私のこと好きな人ふぁぼ」とかいうの好きじゃありませんでした。この頃からリプをURL引用したりする人とか出始めて、「なんで@でリプしないの?面倒臭すぎない?あんたと私の知らない人との会話とか興味ないし他所でやってくれ」って思ったり。あと内容のない薄っぺらいリプ合戦とかね。素で「〇〇好きあいちてる❤️」「私もやで❤️」みたいなリプ送りあってる人達よりも、「うんこ黙れ」みたいなリプ送りあってる人達の方が絆が強い気がします。(あくまでも個人の見解です)



また、③で前述した通り、どの界隈にもいると思うのですが、お金をたくさん使うのにお金にだらしない方はあまり良い印象を抱きません。

別に現場全通したりグッズをたくさん集める人全員嫌いという訳ではありません。が、現場行き過ぎたせいで、次のイベント代のお金を親から借りたりするのはどうなの…って思いました。このような発言をしている相互さんを見かけてかなり引きましたしそこからこの人のこと好きじゃなくなりました。趣味お金自分お金で遣り繰りしろよな。




④も2次元、2.5次元界隈ではあるあるではないのでしょうか。イベントってたいがい東京なんですよね。時々関西も少しあって、たまに福岡名古屋とか。アニメイベントだとほぼ首都圏ですね。当たり前ですけど、東京に住んでいる方はイベントに行きやすいですよね。

それに対し地方に住んでいる人は、チケット代以外にも交通費宿泊費もかかって、イベントが終わる時間曖昧だとドギマギしますよね。イベ終わりどうしよう、新幹線飛行機乗れるかな、いや一泊しようかな、夜行バス間に合うかな、最終じゃないと無理かな。とか。財布との戦いでもありますよね。公式よりも交通機関のほうにたくさん貢いでる…?!と気づいて絶望したり。TL見てるとイベントに行きまくる関東組とお留守番地方組とで闇を感じたりしました。

…え?関東に引っ越せばいいじゃんかよって?それが出来たら悩まねえよ!!東京家賃高すぎ!!いや家賃だけじゃなくていろんなもん高すぎ!!




このような事からだんだんTLを追わなくなっていき、裏垢に引きこもりがちになりました。



そしてある日、私は推しの動画付きツイートRTしたのですが、そのツイート主こそが前述したAでした。

私がリツイートした後「RTありがとうございました、もし良ければ相互になりませんか?」という内容のリプが来たのです。突然のことにびっくりした私は、そのままスルーしたのですが、②のようなゆるふあアイコン、そしてその人のツイート雰囲気が苦手で無理で…。

共通フォロワーさんが多かったのでいつかフォローされないように先に自分からブロックしました。




そして、数日後、Aがアカウントを移行した時にフォローされてしまいました。どうやらリプから察するに、少し前から私の事が気になっていたみたいです。フォローされた時はうわ、しまった…と大きなショックを受けたのを覚えていますプロフィール欄も詳しく書かれていなかったため、フォロー返すのやめよう、無視しよう、気づいていないフリをしようと思ったのです。実際それで昔自分が苦手なタイプの人からフォローきても何人かやり過ごしてたし。




ところがそのまた数日後にAからすみません!!!フォローさせて頂いたのですけど!!!」みたいな内容のリプが来てもう恐怖しかありませんでした。ツイート一字一句覚えてませんけど!が異常に多かったのを覚えています




今思えば普通にブロックしちゃえば良かったのにと思うのですが、その頃の私は共通フォロワーさんにAをブロックしたことをAに言いふらされでもしたら面倒なことになりそう…と変な考えを起こし、フォロバ後速攻ミューしました。

これあるあるだと思いませんか。共通フォロワー多すぎる苦手な人にフォローされてブロックしづらいの。

え、ないって?それはすまん。



色んなことが重なって重なって、もう大好きだったこのアカウントやTLが嫌になって、フォローしてる人も嫌になって、気づけばこの俳優さんを好きな気持ちも少し薄れていることに気がつきました。今までと同じポテンシャルでその方を応援できなくなってしまって、すごく残念な気持ちになりました。そしてフォローしてる一部の人に失礼な言動をして傷つけてしまった…。もうこれは本当に申し訳ないと思っているし、人間疲れが重なると言動が酷くなるんだなって痛感しました。


自分と同じ俳優さんが好きな人と繋がって想いを共有したいと思ったのに繋がった人が嫌いになってその俳優さんへの熱も薄れるなんて本末転倒じゃねえか!!くそ!!なんかとても悔しい。なんでこんなことで好きなものが離れちゃうんだろう。




その後私と同じような悩みを抱えていた付き合いの長いフォロワーさんと傷の舐め合いをしたり、やばいそれウケるめっちゃネタに出来るじゃんと励まされたり(?)したのは良い思い出。



この一連の流れから私が学んだことは、

Twitterで誰かをフォローする時はとにかく慎重に!石橋を叩きすぎることはない!

・なるべく年が近い人をフォローする!

(年が離れすぎてると価値観金銭感覚が明らかに変わるので)

共通フォロワーが増えすぎるのは危険複数人とのリプは楽しいがその分リスクを背負うことになる

……てところですかね。

結局今でもTwitterで長い付き合いがあるのは2.5次元にハマる前に繋がった2次元界隈の人ばかりです。

皆様も、TwitterSNSで少しでも疲れたなと思う時は早めに手を打たないと大変なことになりますのでお気をつけ下さい。




ちなみに⑤は、嫌になった方のフォローを整理して大丈夫な方だけ相互を続けていたらこんな感じの状態になってた。相互フォロー関係がいつの間にかなくなって、片方がアカウントを変えて悪口言ってた。これもあるあるじゃなかろうか…




あっちなみにAに前垢ブロックしてたのバレてたみたいです。もう最近ツイッタラー怖い。



※こいつ誰が好きだったんだろうみたいな詮索は呉々もお控え下さいませ。

2016-06-27

死にたくてしょうがない

先日、会社帰りの電車の中で死にたい気持ちになった。

もちろん比喩ではない。

私は最寄の駅にあるコンビニで、40度のウイスキー二本と梅酒炭酸ジュースを買って家に帰った。

そして「次に死にたくなったときのために」ととっておいた向精神薬(よく覚えてないが、ストラテラジプレキサトリプタノールなど10種類くらいあったと思う)を酒で煽るように飲み込んだ。

そうこうしているうちに夫が会社から帰ってきた。

私は夫が自室に入ったのを見計らい、薬・酒・財布・電話だけを持って逃げるように家の近くの公園に走り込んだ。

そこにあったベンチに座り、なにも考えず、とにかく飲み続けた。

私が覚えているのはそこまでで、気がついたら家の布団にいた。

夫に今何時?ときくと、日曜日の午前6時ですよといわれた。

私は驚愕した。酒を飲んでいたのは金曜日の話で、土曜日がなくなっていたからだ。

夫によると、公園で倒れていた私を誰かが通報したらしく、警官が私を家まで連れてきてくれたそうだ。それからずっと眠り込んでいたと。

もちろん、そんなことは一切覚えていない。

夫は泣きそうな目をして、君が生きて帰ってきて本当によかったと言った。一言も私を責めることなく、泥まみれになった私を洗い、トイレに連れて行き、ずっと私のそばにいてくれたようだ。

私は今、正規社員として勤め、そこそこの収入があり、優しい夫がいる。

それでも私は、会社で同僚に言われた一言に激しく傷ついた時、「これがきっかけで、やっと死ねるのではないか」と一種待ち遠しい気持ちになったのだ。

私が初めて死にたい気持ちになったのは小学生の時だった。当時見た「シックスセンス」の中で、母親食事に洗剤を混ぜて子供殺害したシーンをみて、「これだ!」と天啓を受けた気持ちになった。

私は観賞した数日後に、台所にあった味噌汁の中に洗剤を混ぜて飲み込んだ。何かに混ぜなければ、原液ではとても飲み込めなかったからだ。

だが、私の身体には何の変化も訪れなかった。

その後も、友達とふざけたふりをして体育館ギャラリーから飛び降りたり、完全自殺マニュアルを買って首吊りを試みたりした。

電気の延長コードカバンの中に入っているのを見た友人は不思議そうな顔をしていたが、まさか何時でも首を吊れるように持ち歩いていたなど知る由もないだろう。

自殺を試みていることを人に言ったことはない。 身体に跡が残るようなこともあまりしない(リストカットなどは考えたこともない。あれ、死ねないらしいから)。

自己啓示欲でも本当に迫れているわけでもないなら、私は何でこんなに死にたいのだろうか。

私が発達障害者からだろうか(でもそれならこの世に発達障害者はいなくなってしまう)精神科にはずっと通っているが、はっきりしない。

きっとまた、私は死にたくなるのだろう。

ブコメで「嫌なことから逃げ出したいけど確実に死ぬのも恐いから不覚時な方法をとって死ねたらラッキーくらいの気持ちなんだろう」とつきそうだし私もちょっとそう思う。

あと、さいとーさんのことは全く理解できないです。

世界日本に近づいている?

貿易関連の仕事をしている。

英語中国語もでき、客先もそれらの国なので常にそういった国の

価値観に接し続けて、日本グローバル化を望み続けていた。


でも、最近考えを改め始めている。


もちろんトランプ旋風とイギリス選挙きっかけだ。

グローバル化する事で出てきた多くの問題を、理想カバーし続けるも

もはや流入する移民対応しきれなくなっている国が増えている。

香港シンガポールなどの国も同じ傾向が続くとしたら、どこで

均衡するかを政府は決定できるのだろうか。


ある程度の保護を伴う社会民主主義的な政策が、中国を含めてもほぼ世界的に

デフォルトになりつつある現状、経済動向に依る人口比の急激な変動は

政策にも大きく影響を及ぼす。

そのリスクを考えるなら、今の日本のように移民外国企業の流入障壁

維持する方がむしろ長期的な成長政策も維持しやすい。そもそも貧困層であれ、

富裕層であれ移民メリットによって移動するリスクを取れる人々だ。

イギリストルコ化したら、誰がイギリスに魅力を感じるのだろう。


参入障壁は国=そのエリア個性も維持し、観光産業地政学的なメリット

維持しやすくなる。魅力をいつまでも保ち続けやすくなるのだ。

アイデア世界を移動するが、土地の魅力はそこに居続ける。そうなる方が

グローバルという言葉の魅力はむしろより強まるのではないか


まり世界はより現在日本のようになっていく。


こんな風に今日ふと思ったんだが、どうだろう。

あたらしい職業で必ずミスをしてしまうので死にたい

バイトでも今の職でも必ず新しい職業になると必ずミスをする癖がある。レジの打ち間違え(誤差を出すのではなく打つボタンを間違える)、飲食店料理持ってんのに派手に転ぶ、時間配分ミスで記録をパソコンに移すのが遅くなり他の人に仕事をしてもらわざるを得なくなる、など。店や社員さんに迷惑をかけることが必ずと言っていいほどある。もう20歳越えたのに高校生の時からいつもこうだった。

5回目過ぎたあたりから仕事に慣れて他の人よりも作業スピードが上がって正確性も上がる(というのも実際の仕事の成績から見て)のだが、初めのミスが凄いので信用されなくて辛い。そして極めつけは他の人のミスを私がしたのだと周りに思い込まれることだ。具体的には以下のような感じ。

飲食店で働いていた時にDQN客が来たのだが、清算後何分かして「おつりが1000円足りない」とその客が帰ってきた。店長に言ったところ「君のミス可能性があるからレジから1000円お客様に渡しなさい」と言われたこと。私は「確かに2回確認しましたので」と言っても「レジで誤差があったらお客様が怪しいけど、明日レジに誤差がもしあればね」と取り合ってもらえず結局1000円客に渡した。結果はレジ1000円きっかマイナスで、周囲の他店でも同様の注意喚起がなされたらしくDQN客がわざとやっていたと言うことがあとでわかった(私はこの仕事レジに関して誤差を出したことがなかった)

・同僚が誤って商品配送先を間違えたのだが、それが私のミスだとして店内のひとに広まっていたこと。距離的にいうと北海道に送るもの東京に送られていたくらいの間違い。朝突然何の脈絡もなく「仕事に気を付けなくてはだめよ」と数人から言われて訂正して誤解が解けたけど。(私は配送先を間違えるなどのことも過去にない)

倉庫荒らしがあったのを私がカギをかけ忘れたから&錠をなくしたからだと思い込まれ倉庫内がぐちゃぐちゃになっているのに警察も呼ばれず片づけられ数日間放置された。が実際は犯人チェーンソーで錠をぶった切ってたことが防犯カメラの記録でわかり即通報することに。(倉庫番でも他の人が確認作業するため鍵のかけ忘れをしたことがない)

他にもいろいろあるけど基本的な流れは「はじめ1週間で細かいミス連発で、初めのころに”ミスする人”の烙印を押される。(周りは普通にできるから余計にそれが際立つ)→ミスをしたことがない仕事内容でも「これからミスをするのでは」と思われる→他の人のミスを私がしたと疑われる→そしてそのしてもいないミスを私がしたということで広められている」だ。

どうやったら初めのころのミスをなくせるんだろうか。見た目がダサいから疑われるのかな。はぁ。

2016-06-26

相手を大切にしたい」という想いがいつも拒否される

23歳の学生院生)だが、生まれてこの方彼女ができたことがない。

気になる女の子に声をかけて、デートに誘って、一緒にご飯を食べるといった経験はある。だけどそれがいつも次のステップへと続かない。

行った後は「ありがとう!また会いたいね!」と相手方は言ってくれるのだけど、実際次に誘うと「ごめん、予定が合わない。」と拒否されてしまう。

社交辞令を真に受けてしまっているのだろうか。それとも、自分に何か足りないのだろうか。

考えられるものとしては、俺は年上の人が好きで、そうした人たちにアプローチをし続けてきたということがあるかもしれない。

選んでいるつもりはないのだけど、年下の女の子には今まで手を出したことがなくて、これまでに誘ってデートに行った女性は、サークルの先輩だったり、就職した同級生だったりである

だけど23歳にもなれば、女性ともなれば結婚を考える年齢だ。

時間はいくらでも工面できるけれど、定職に就かず、いまだに学生をやっている自分と比べたら、社会人でちゃんとお金を稼いで、大人のお付き合いができる人を選びたいと思うのが性であろう。むしろいくら時間が工面できたところでも、社会人学生生活リズムというのは完全に異なる。昼間に起きて研究室に行って、夜中に帰るような学生と、朝起きて、昼間に働いて、夜に帰ってくる社会人とだったら、社会人のほうが合うにきまっている。

そうしたところを含めて結局友達以上に行くことができなかったり、異性として見られなかったりしてしまっているのだろうか。

それとも自分コミュニケーション能力に難があるからだろうか。自分はずっと引っ切り無しにしゃべっているよりは、静かなところで静かに一緒に過ごせるような関係が好きだ。俺がそれを心地よく感じていても、相手にとっては「なんでこの人は喋らないんだろう」と不安に思わせているのかもしれない。そういうところはフォローしているつもりで、楽しかったよ、などとは伝えているんだけど、社交辞令に取られているのだろうか。

あるいは外見が相手の好みでなかったり、理屈っぽい性格がどうしても受け入れられないとか、そういったものだろうか。

そして、自分が「この人のことをもっと知りたいな」と思うきっかけは、性欲由来ではないと思っている。

ちゃんとこの人のことをもっと知りたいな、と思わない限り自分から誘ったりはしない。それさえ伝わらないのだろうか。

「いい人がきっと見つかるよ」「いいお父さんになりそう」といった励ましはこれまでに何度も受けてきた。果たして、本当にそんな人は現れるのだろうか。

腐女子だったけどBLが読めなくなった

から漫画が大好きで、中学生だった当時、銀魂リボーンDグレを読んでネット画像探したり今後のストーリー展開考察なんかをしてるときBL出会ったのがきっかけでハマった

最初二次創作系が好きだったけど、だんだんロマとか最初からBLとして書かれてるものを好むようになっていった


よく言う喪女っていうほどでもなく、それなりに男女ともに友達も居たし、彼氏普通に出来た

こんな感じで、高校までは趣味生活も安定してたように思う


大学に入って出来た友達は、漫画きな子から、全く漫画を読まずドラマばっかり見てるような、少し古い言葉を使うとスイーツ(笑)女子、ただのリア充から色々だった

身近にBLの話が出来る子が少なくなって、少しずつBLから二次元から距離を置きつつあったかもしれない


そんな感じの時、中学から仲良かった男友達が数少ない漫画の話を気軽にできる人になって、今までろくに連絡も取ってなかったのに大学入ってからよく連絡を取るようになって、3か月に1回くらいのペースでその友達の部屋に遊びに行って漫画を読んでた

少なくとも私はそいつを異性として見ていなかったし、見られていないと思っていた

から、いつものように遊びに行ってそろそろ帰ろうかなと思っていた時にキスされてそのまま押し倒されたときビックリしたしショックだったし頭が真っ白になった

辛うじて女じゃ抵抗できないほど男の人の力は強いんだなぁとぼやっと考えるくらいの頭は残ってた



余談だけど、高校とき付き合った彼氏とは1年付き合ってたにも関わらず随分とプラトニックな付き合いをしていて、キスもしたことがなかった

何故かと言われたら、私はそういうことは大人がするもの子供には早いと思っていたし、セックスなんて子供つくりたいときだけすればいいという考えで、彼氏は単純に度胸がないヘタレだったか


そんな感じであっさりと初めてを奪われ、ずっと友達だと思ってた人から裏切られたような気持と、穢されたような思いと、初めて感じた「男」に対する恐怖でいっぱいになった

今まで考えてた未来彼氏とのキスとか、それ以上の事とか、一瞬で全部どうでも良くなった


それがあってからBL読んでるときにそういう描写があると頭の中にチラついて読むのを躊躇うようになっていった(腐女子ならわかるかもしれないけど、純ロマみたいな攻めの溺愛に対して嫌がる受けを無理矢理みたいなやつをよく読んでたから余計きつかったのかも)


何だかどうでも良くなって何となく忘れたくて、なかったことにしたくて、ちょうどよく私の事を好きだと言ってくれた3つ上の社会人と付き合ってみたけど、やっぱりどうしてもセックスの時は怖くてそれが伝わったのかだんだんレスになって、理由は他にもあるけど半年ちょっとで別れた

別れてから社会人と付き合って以来BLを1度も読んでなかったことに気付いた



私はBLを通して男の人に対する理想を見ていたんじゃないかと今になって思う

「こうであってほしい」「こう思っていてほしい」「こうしてほしい」って言う身勝手な思いと未熟さが創り上げた理想像

実際に体験してみたら、な~んだ、こんなことだったのか、ってなるようなことをバカみたいにハードル上げて夢に夢を重ねてた


それ以来BLを読んでもトキメキもドキドキもなくなって、バカらしくなって読めなくなった

今まで保存してたやつもpixivブックマークも全部消したら少しスッキリした



最後結論としては、もし腐女子を辞めたかったらセックスすることをお勧めする

表現規制派になってずいぶん経つ の続き

http://anond.hatelabo.jp/20160625202139 の続き

長すぎて途中で切れてしまった。続きは短いが、せっかく書いたしIDコールもしたので(できているよな?)、書いておく。

b:id:muryan_tap3

規制の結果性犯罪が増えて出生率が上がる…?偏見に満ちありもしない責任のなすり付けを女性にする規制反対派の脅しを入れてくるな。議論で摺り合わせしていくのは一番やらなきゃいけない事だろうがなんなのこいつ

申し訳ない。その部分は軽口だ。反省している。しかし俺は女性責任を擦りつけてはいないのだが。下品な軽口を解説するのもアレだが、規制により性欲が生身の女性に向くだろうから出生率もあがるかもしれんなという話で、女性問題とは言っていない。もちろん、女性を性欲の対象とするこの論理も酷いものだということは理解している。議論ですり合わせをしなければならないのは全く同意だ。俺の失言については謝罪する。

b:id:aomeyuki

なんだろう、こういうのが保守系リアリスト、キリ!って事なんだと思う。

落ち着いてほしい。相手レッテルはるの議論理解を妨げる。俺は保守系ではない。理想主義者ゆえに、その理想が断たれるだろうと絶望して諦観に至った人間だよ。相手意見はこうだろう、こう思っているんだろうと決めつけてしまっては、見るもの聴くものすべてがネジ曲がってしまう。どうか気をつけてほしい。

b:id:kohgethu

まあ、私はゾーニングしてくれるなら、表現規制まではしなくてもいいとは思ってるんだけど(こういうことでいいのかな?)、ゾーニングしてくれる気配、これっぽっちもないからなぁ。

まさにあなたの言うとおりだ。もう何年もゾーニング話題は進展しないし、出てくるのは極端な0か1かの意見ばかり。だから俺は諦観に至ったという話だ。

b:id:momyami291

自分が嫌いなもの公的規制しろか……規制されたらされたで文句言うタイプだよね、あなた

前半部分は明確に否定する。理由は上記のとおりだ。理解を願う。後半部分はそうかもしれないな。多分そうだろう。しかしこの世の中、あなたも含めて、そうでない人がどれだけいるだろうか?そういう人を責められるか?あなたは石を投げられる人か?

b:id:emuemu_1976

から思ってたんだけど、「規制」というわずか二文字にすべてを丸め込んでその是か非かだけを論じ合うから本質的議論から遠ざかってる気がする

俺のこの文章も、「嫌いなもの規制すべき」と受け取られてしまう現状。0か1かで議論するのはやめようということが全く伝わってなくてかなりびっくりした。前半で極論を言った俺が悪いが。

b:id:height168

積極的に根絶やしにだと?近代美術を退廃芸術と称して排除して回ったナチスとどう違うんだ?本当にいい加減にしろよ。こういう奴に「エログロホラーが大好きな人間」なんて自称しないでほしい。

その部分は極論過ぎた。謝罪する。しかし、「俺が好きなものは好きなものだ。俺が何者であるかは俺が決める。それを否定はされたくない。」というのは規制反対派と同じロジックだ。俺は今後も「エログロホラーが大好きな人間」である自称するし、それらが大好きでなお規制には諦観をもって賛成し続けるだろう。そういう人間がいて、それらを説得できるよう頑張って欲しい。

b:id:flower272

盲点に盲の字が入ってるから障害者差別だ」って言う人達はもしかたらこういう思考回路なのかもしれない、と思った。

俺の日記タイトルを読んでその意見を思いついたのだとすると、あなたも同じ思考回路になってはいいか?上記にさんざん書いたように、俺の思考は諦めだ。

b:id:kemononeko

こういう個人の好悪を根拠にして他人排除しようとする独善的大人になってはいけないと思う。

確かにきっかけは個人の好悪だ。だが、俺が憤ったのは「極論ばかりで建設的な半試合が出来ないネット論調と、それにおもねって業界の今後を考えない一部クリエーター姿勢」に対してだ。これもまた「個人の好悪」で片付けられるものなのか?俺は排除やむなしと考えている。それは、「俺がこう考えるからだ」でなく、「お前たちがそのままならそうなってしまうぞ」だ。この違いは理解されないか

b:id:neogratche

自分の好きなエログロホラーは高等な文化から安全だって確信を持ってるんだろうなぁ。楽観的だなぁ

そんな確信はもっていないよ。また、あなたが楽観的でないと思うなら、もっと危機感は持つべきではないか?高等だとか、確信だとか、そういう言葉を使って0か1かの話にしていくのは一利もないと思うんだよ。このことだけは伝わって欲しい。

長々と

レスみたいなものになってしまったが、俺の言いたいことはだいたい書いた。伝わってくれればと思う。

伝わらなくても仕方がないが。

日記最初過激なことを書いたのは反省している。コレのせいで論旨が伝わらなくなってしまった。

いずれにしても、会話を大切にしてほしいと思う。レッテル貼りではなく、会話を。

会話の機会がアレば謝れるし、認識も改められる。説明もできるし、説得もできる。

そういう議論が発達してほしいと思う。

才能がないと自嘲するひまがあるなら、退職願を書いた方がいいよ。

というか、書け。

才能のないプログラマは周囲にとって害悪しかならないから。

あなた一人がへばりつきたいというだけで、いつまでマウスキーボードと、テスターさんを消費し続けるつもり?



確かに、ソフトウェア業界宝くじみたいなもので、

満を持して仕掛けたタイトルコケる一方、

「何でこんなひどい作品、……バグだらけだよね?」というソフトが、

妙なきっかから売れ続けたりする。

プログラマとして、ヒット作を出せないまま数年が経過、というのも、よくある話だ。

でも、そのくじを引き続けていいのは、勘違いかもしれなくても、

自分にはプログラマとしての才能があり、いつか間違いなく当たる」

という確信を持つ人間だけなんだ。




あなたに強みはないの?




会社に対して、

「他のプログラマよりも自分はこの点で優れている」

「だから自分と一緒に頑張っていこう」

と誇れる点はないの?



それがないなら、「つぶしがきかない」とか「転職が厳しい」なんて自分のためではなく、

社会のために、職を辞さなくてはいけない。それはプログラミング仕事に選んだ人間の責務なんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160626021547

才能がないと自嘲するひまがあるなら、退職願を書いた方がいいよ。

というか、書け。

才能のない編集者は周囲にとって害悪しかならないから。

あなた一人がへばりつきたいというだけで、いつまで紙とインクと、作家さんを消費し続けるつもり?



確かに、出版業は宝くじみたいなもので、

満を持して仕掛けたタイトルコケる一方、

「何でこんなひどい作品、……いや文字列だよね?」という本が、

妙なきっかから版を重ねたりする。

担当編集者として、ヒット作を出せないまま数年が経過、というのも、よくある話だ。



でも、そのくじを引き続けていいのは、勘違いかもしれなくても、

自分には編集者としての才能があり、いつか間違いなく当たる」

という確信を持つ人間だけなんだ。



あなたに強みはないの?

作家さんに対して、

「他の編集者よりも自分はこの点で優れている」

「だから自分と一緒に頑張っていこう」

と誇れる点はないの?



それがないなら、「つぶしがきかない」とか「転職が厳しい」なんて自分のためではなく、

社会のために、職を辞さなくてはいけない。それは編集を選んだ人間の責務なんだ。




あと、もう一つ。

もしもあなたの心の中から出版する各書籍に対してそれぞれ、

「この本を世に出すことで、少しでも社会の役に立てる。なぜなら……」という自負、あるいは願いが消えているなら、

退職願を出した方がいい。というか、出せ。即刻。

臭いことは承知の上だが、出版営業ノルマのためにするものじゃない。

出版は、出版によって世の中を良くするためにするものであり、その役立った結果と緩くリンクするのが売上なんだ。

このことを忘れて、売上だけ考えるようになっているのなら、もう潮時だよ。



版元編集者は「強者」に見えるんだろうなと思う。

漫画家さん、デザイナーさん、ライターさん、編プロさん安心してください

版元編集者にも逃げ道なんてどこにもないですよ。

なに寝ぼけたこと言ってんだ。

強者」に見えるんじゃなくて、実際に強者なんだよ。

強者にはな、義務があるんだ。

周囲の生活待遇もっと良くしていく、という義務がな。

その義務を果たさず、

「私にはあなたたちを良い方向へ導くことができません」

「でも私も逃げ道がないから、大丈夫。一緒にドボンしましょう」

って、クズの発想だよ。

クズの発想しかできないクズ編集者クズしか出せない。

当たり前だよね。



同じ書籍編集者として、ぐっとくるものがあったので、あなたへアドバイス兼、自分への備忘録として、増田に書き残しておく。

2016-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20151116021414

今更ながらに藤沢数希ブログ読んでみたけどこいつ物理学について無能であるだけでなく工学を基礎から理解していないな。

何がきっかけでαづらするようになったのか。恋愛工学とやらか?それにしても酷いが。

学問を修められなかった自分への慰めなのかも知れないが正直名乗らないでほしいね

ちな増田工学博士

2016-06-23

情けねえな民進党

ネットで話題になっていたのをきっかけに、民進党Twitterを見た。

6月22日12:03に投稿された、「#これでいいの日本  3分の2。それは憲法改正につながる数字。」と書かれ、動画が貼り付けられたツイート

https://twitter.com/MinshintoNews/status/745452007389986816

ツイートに貼られたURLを辿っていくと見られる「これでいいの日本?」というサイト

http://koredeiino-nihon.jp/

そこには「まず、2/3をとらせないこと。」「わたしたちは、このボーダーラインだけは、絶対に死守しなければならない。」と書かれていた。


なんだ民進党。防戦か?

自民党政権奪われて今は敗者、失うものなんて特にないはずなのに、全然攻めてない。

民進党だったら、こういう日本を創る」「自民党とは違う、こういう政策から景気が良くなる」とかじゃなくて、

「みなさん、自民党ってなんかイヤでしょ?憲法改正とか言ってるしさ。憲法改正しないためには、自民党なんかに投票しちゃいけない。だからさ、ほら、民進党投票しようよ?」って具合のことしか言ってない。


そんな後ろ向きで良いの?

5〜6年前はその戦略でうまくいったからこそ、民主党政権を奪取出来たのかもしれない。

でもさ、そんな後ろ向きな政権民主党に嫌気がさして、国民自民党を選んだわけじゃない。


「2/3をとらせない」なんて、自民党批判しか出来ないような政党国家運営なんて任せられないよ。




10年ほど前、郵政民営化を訴えた小泉純一郎は長期の政権を獲得した。

この時、皆が熱狂小泉政権応援していたのは、「日本を良くすると思われる政策を懸命に訴え、それを実現していこうとする熱い姿」に心を打たれ、「日本はこれからよくなっていくんじゃないか小泉総理に任せれば景気も回復されるかもしれない」という期待感に心が躍ったからじゃないかと思う。


2020年東京オリンピック賛否両論色々あるけれど、オリンピックが決まった時も皆が熱狂していた。2020年というちょっと先の未来に想いを馳せながら、それぞれに希望を持っていたように思う。


熱狂したいんだ。

何かが変わる、何かが良くなるといった希望を持ちたい。


沈滞した日本全体の将来を考え、日本未来を描いていく、それが政治家仕事じゃないのか。

日本を良くしていきたい、そんな熱い志を持ってなるのが政治家じゃないのか。



残念ながら、今の民進党にはそんな気概は感じられない。

「まず、2/3をとらせない」なんてお題目には熱狂出来ない。夢も希望も感じられない。

ただの消去法じゃないか


そんなことしか言えないなんて、情けないよ。

具体策と共に、日本を良くする政策の話が聞きたい。

そういう話が出来ない党には、政権なんて任せられない。

格差社会

私は家族との離別をきっかけに、所有している3LDKマンション

ルームシェアを始めて半年になる40代会社員である

これまでのシェア経験は2名でいずれも30代男性

明日からは先月退出した部屋に20代女性を受け入れる事にした。

年の差や性別心配されそうであるが、何とか上手くルームシェアリング出来ている。

それは私が若い頃、恋人との同棲生活やその後の結婚経験もあり、

他人との共同生活が初めてではないというのもあるが、

彼等がルームシェアに慣れているのが一番の要因だと思われる。

先月退出した男性は、同性愛者とのシェアカップルと3人のドミトリー経験もあると言っていたし、

明日から入居予定の20代女性も同様に、半個室やドミトリー経験があるそうだ。

何故そこまでしてルームシェアにこだわるのか聞いてみると、一様に生活費を削る為と言う。

確かに彼等の雇用形態を訊いてみると1名は正社員ではあったが、今居る男性派遣社員であり、

明日から入居予定の20代女性アルバイト生計を立てているそうだ。

いずれも年収は300万円以下で、正社員の様に何の雇用保障も無い。

ルームシェアをはじめて半年格差社会」が現実である事に身を持って経験した。

綺麗事を言うつもりは無いが、これからも私の体力が続く限り彼等を支えていきたいと思う。

2016-06-22

私が今まで受けてきたものライト虐待だったのだろうか。

アラサー世代女性で、小さい頃から父親から叱られる=父親から叩かれたり、頬をつねられたり、つまりは痛い目にあうことがデフォルトだった、という方はどれくらいいるのだろう。

叱られるのにはきちんと理由があって、自分でも「ああ、これが悪くて叱られているのだな」と思えるのだけれど、とにかく痛いし怖い。そして「お前はこういうことして叩かれているのだ、わかるなバカ者!」というような言葉サービスで付いてくる。すぐに思い出せる幼少期の記憶だと、リビングに貼られた九九表の前に私が立ち、泣きながら8の段を言っていて、間違えるたびに大声で「違う!!!!」と怒鳴られ、叩かれる情景が浮かぶ。思い出していて気付いたけれど、昔の父親記憶で怒られたこと以外の記憶ほとんどない。お風呂冗談で突き落とされて泣いたことを急に思い出したけどそれは今回あまり関係ないのでこれ以上思い出すのはやめようと思う。

私が叱られる原因の8割から9割は勉強のことだった。父親勉強至上主義で、「この世の中で勉強が1番楽しい」が信条だった。そしてそれを娘の私に身をもって体験させてくれた。お陰で私は幼少から東京に住み、一人っ子長女としてすくすく育ち、訳も分からないまま中学受験の為の塾に通い、やっとのことで第2志望の私立合格(補欠)、進学校を謳っている学校大学受験に向けてまた勉強、やっとのことで大学合格(滑り止め)した。

特に父親語学に厳しく、中学に進学してから私に徹底して英語を教え込んだ。

その頃は彼が単身赴任だったため、私としても気が楽だったが、中1最初英語の小テストが悪かった私に電話越しで大激怒。以来ほぼ週末ごとに帰ってきては何時間も何時間も私「と」勉強、私も夏休み連休の時には彼の元へ赴き、何もない暖かな田舎街でいつ飛んでくるか分からない鉄拳リモコンに怯えながら英語勉強をしていた。

叱られて叩かれるのが嫌なら自分勉強をして成績をあげれば何も言われないのでは、と思う方がたくさんいると思う。私もきっと昔はそう思っていた。自分なりに勉強したつもりで彼に備えていた。でも、私の一生懸命と彼の一生懸命が違えばまたそれで叱られることになるのだ。父親の彼が正しいと思う「ものさし」は鉄のように硬くて、私のような非力な子どもには曲げることができなかった。

そうなると、どうせ何やっても叱られるんだから何もしないでその場限りで痛い目にあってしのごう、という考えにシフトしていく。そうすると、どんどん「叱られている」という感覚が鈍くなっていく。「またいつものやつだから耐えよう」というある種のルーティンだった。反抗するなんて考えたことも無かった。それは「おとなしくしていればいつか終わるし、反抗なんかしたら絶対殺される」と思っていたからだ。寝ている間に殺されたらどうしようと眠れない夜を過ごした時もあった。反抗はしなかったけれど、殺られる前に殺ろう、とは思った。けれど、犯行がばれて自分人生を棒に振るのがもったいなくて実行はできなかった。母に迷惑もかかる。

そういえば母は私をこっそり助けてくれたけど叩かれている私をかばうことはしなかった。母も父親には逆らうことができなかったからだ。私も母が痛い思いをするのは嫌だったので何で助けてくれないんだろうという気持ちよりは母にとばっちりがいくことの方が心配だった。

いろいろ思い出しながら書いていたので長くなってしまったけれど、結局私はやっと終わると思っていた父親との勉強暴力コンビが終わらなかったことに耐えかねて(大学の授業には必修で語学がある為)、初めて反抗期を迎え、やる気を失い、いろいろあって今現在アラサーニートである

ここまで娘がおかしくなってしまったので(父親プランでは娘の私は大学を4年で卒業し、そこそこ名前の知られた企業就職して、今頃は結婚して子どもがいる予定だった為)最近では暴力を振るったことに対する謝罪も聞くことができるようになったが、あくまでも彼の暴力教育の一環、延長であり、虐待とは違う、という思いであるらしい。あと、教育以外のことにはほとんど口出ししてこなかったではないか、とも。確かに交友関係などには口出しされた覚えはないけれど、でもマンガ捨てろとか、スカートが短すぎるとか、化粧濃いとか髪の毛染めるなとか、言われてたぞ。勉強関係ないことをやりすぎとか、思い出してみると結構言われている。


周りに私のような体験をした人がいないので、とても気になって今回色々と書いてみた。こうやって育てられたけれどもきちんと優秀な成績を修めて大学卒業して就職して今幸せ、という人にはどうやって親を克服したのかぜひ教えて欲しい。

それから条件付きとは言え子どもに手を上げてしまうような教育をしている方は即刻やめてほしい。状況とか回数とかそういう問題ではないから。少なくとも私にはそうだった。頭を殴られた痛みはしばらく続くし、またそういうことをされると思うと萎縮してしまう。放たれた暴言はわんわんと脳みそに響きわたり、ふとした瞬間に思い出されて苦しい。多分教育効果もない。上にも書いたけれど、自分行為反省するきっかけにはならなくて、暴力暴言に耐える修行みたいになってくる。

あとお子さんが私のように大人になってから爆発すると、親子関係がとてもギスギスする。お互いの距離感が掴めなくなるからだ。距離は縮まることはほぼないと思う。

タイトルには、虐待だったのだろうか?というタイトルをつけたけれど、これが虐待だろうがそうでなかろうが、今となってはどうでもいい。痛みに耐えるだけの思春期はもう遥か昔のことになってしまって、取り戻せない。ただ自分が考えているより今までがしんどかったので今回文章にまとめてみた。お前よりもっとしんどくて苦しい人はいると言われたって私の辛さは私だけのものだと思っている。長くなってすみません

同人活動結婚(既婚者から意見)

齢30、腐女子として生きてきての年数が年齢の半分に到達した私です。

腐女子といえど、様々な形態があると思う。読み専でもpixiv等の無料漫画で満足できる人、スマホ本屋さん、アニメイト通販で本を買う人、買い漁る人。それだけじゃ満足できずコミケイベントに参加して、自分の足で同人誌新刊を買い集める人。創作が好きで、年に何回かサークル活動をする人、オンリーイベント中心に年に何回も新刊を出す人。活動の功を奏して商業デビューを果たすもの二次創作が好きで漫画を書く合間に漫画を描くような生活をしてる人。もちろん今はコスプレ文化ゲームも個人で作ることが可能になってきたので、その世界の中で、ディープであれライトであれ、様々な「オタク」がそれぞれの形態活動しているわけだ。

もちろん、ディープになればなるほど 知人もディープオタクが大半を占めてくる。Twitterリツイートで見たツイートだけど、周りがディープになっていくにつれ、世界オタクに溢れてるような感覚になり、同人誌まで描いているようなディープオタクは案外少ないという事実がかき消されてしまう。感覚麻痺するのである

私もかつて、いや、今もディープオタクである結婚前は年に10冊のペースで新刊を量産し、毎週末のように大阪東京に遠征に行き、仕事から帰れば朝まで原稿を書き、Twitterに入り浸り、そこでも1日100ツイートは好きなキャラ萌え語りに明け暮れていた。それでも語り足りなくて、活動ジャンル専用のブログを作り平均5000文字程度の萌え語りやキャラ考察ジャンル考察を繰り広げていた。それができる位の好きなキャラがいたのも大きいけれど、活動人生の支えであり、毎日沢山の方から反応やいいねを頂き、それによって承認欲求を満たしていたのは事実だ。オフ会と称してよく近隣のオタ友と飲みにいったりもしたが、リアルでの友達ゼロ。というか原稿する時間を捻出したいがあまりに短時間高収入お仕事(という文章で察してほしい)をしていたため、同僚といってもお互いに関わり合うこともなく、個室待機さえ選べば空き時間ネームだってできた。集団待機でも特にしかけなければ話しかけられることも少なかったのでTwitterpixivを眺めることができ、妄想だってし放題だった。まともな社会人生活放棄し、学生からストレートにその道に入り8年。私はいからか、本名で呼ばれる機会は病院の待合室のみという悲しい状態に陥っていた。それでも、好きなキャラのことを考えている日々は幸せだったし、好きなだけ原稿ができ、締め切りがやばそうなら入れてた仕事電話一本で休める環境に満足していた。私は結婚は一生しない。一生この生活をしていくのだと本気で考えていた。

でも、何事も転機が訪れる。まず普通に活動ジャンルが衰退してきた。同人誌の売り上げがなくても活動できるくらい本業で稼いではいたけど、年齢を重ねるにつれそれも厳しくなってきた。齢27、とうに旬は過ぎ、体力も落ち、体型も自分しか気付かない範囲であれ崩れてきた。顔も急に変わるわけではないけれども徐々に衰えを感じてきて、焦り始めた。

それ以上に焦っていたのは、ここまでの活動をしてきたにも関わらず、私の同人者としての知名度はほとんどなく、若くて上手な人には絶対に敵わないという事実だった。自分の絵柄はどんどん古くなり、特にデッサンが整っているわけでもないからそれで注目をされることはまずない。その分考察を深め、原作尊重した上で自分の最大限を込めたストーリー作りに力を入れていたのだが、これは本当にやったことのある人にしかからないと思うけど、とても疲れる。原作が鬱傾向の話だったりすると自分気持ちまで引きずられて、脱稿後3日くらいは死んだような気分になるし、常にストーリー妄想を繰り広げるのは容易でない。そこまでやっても、ディープファンがついてくれど大手作家エロ本には勝てない。積んで積んで積み重ねても、私がそれをやめたら一瞬にして崩れ落ちるということに、疲れを感じていた。

長く同人をやっていると、諍いや嫉妬に巻き込まれることもあった。そういう人間関係にも嫌気が差していた。オタクって、言っちゃ悪いし私も人のことを言えた口ではないけど、評価の仕方が極端だし、性格に難ありの人間が多いのは確かだと思う。好きな作家が高尚様で嫌われないようなツイートをするのも必死ジャンル派閥問題であっちからもこっちから悪口を聞き、そのどっちにも良い顔をしているうちに、何やってるんだろうな自分と思うことも多かった。自由萌え語りの場はいしか、パワーゲームの場になりつつあって、それでも自分自分と曲がらずに立っていたかったけどそこまで精神的にも強くなくて、一時期は完全に病んでしまっていた。それでも本は作っていたのだから、今の自分からしてみればすごいなとは思うけど(笑)

そんな時、ひょんなきっかけで彼氏が出来た。私の仕事のお客さんだ。見た目が好きな声優に似ていて元々好感を持っていたのだけど、相手も気に入ってくれたこともあり、驚くほどあっさりと交際スタートした。

彼は隠し事はしないで欲しいというので、私はバカ正直に自分の描いた同人誌(R18)を持って行った。彼は多分その段階で私にベタ惚れだったのもあると思うけど、私の描いたものを誉めてくれた。その段階で思った。「この人と結婚しよう」と。

私がやったことはまず、Twitterアカウントの消去、そしてイベントでの引退宣言だった。もう二度とこの地は踏まないつもりで参加した最後イベントは、とても楽しかった。沢山の差し入れを貰い、沢山の感謝言葉を頂き、大型のオフ会まで参加させて頂き、朝まで遊び呆けた。連絡先を交換している同人の知人には結婚するので辞めるが、オタクをやめるわけではないからどうかこれからも仲良くしてほしいと告げ、長年続けてきた商売も辞め、真っ当な昼の仕事に付いた。彼とも一緒に暮らしはじめ、アニメを一緒に見るようになった。そして半年後くらいにプロポーズ結婚と相成った。その時は、もうこれ以上の幸せはないと本気で思っていたし、この人と普通に子供をつくり、将来は庭付き一戸建てに住み(これはもう既に叶ってはいるが……)幸せな家庭を作るものだと、本気で思っていた。

ここまでなら、へーよかったね、同人若き日の思い出だし、旦那にも理解してもらえて、20代結婚できて幸せだね、今はさぞかし平穏な日々を送ってるんじゃないの?と思う人もいると思う。私もまさかそうじゃなくなるなんて思いもしなかったし。確かに、旦那に絵を描く趣味を隠してないことはプラスに働いていて、今でもイラストを描いたりエロマンガを描いていても咎められたりはしない。それならよかったじゃん?って思う人もいるかと思うけど、違うのである

自分は、自分が思う以上に「真性(演技性)同人者」だったのである

から貼るURLは、同人者と結婚についての考察を記したものなのだが、1996年に書かれたものだということにビックリした。同人文化

オープンになり、多少世間目的ものはこの時点よりは向上したとはいえ、まんまこの通りで笑ってしまった。

http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/yellav/link4.htm

(敢えてこのページのみを貼るけれど、時間がある方は他のページも読んでほしい。色々と興味深い研究結果が纏められてます)

結論からいうと、同人をやめたはずの私は、また同人を始めているし、同人誌を作っている。旦那にはそれを煙たがられているし、私自身も今の活動では満足できていない。

どうしてこうなったかというと原因は2つある。まずは、同人関係の交友関係を断ち切れてなかったことだ。

最初に、ディープ活動をすればするほどディープな友人が集まると書いたが、その中の一人が、今沼ってるジャンルこれだからやろう?とゲームを薦めてきた。そのゲームは基本プレイ無料のもので、スマホさえあればできるものだったので、暇つぶし程度ならいいかと始めたら、存外ハマってしまったのだ。友人は、私に○●(ゲーム内のキャラクターカップリング)を描いてほしいとお願いしてくれ、私も描くだけならいいかと1年以上封印していたペンタブレットで絵を描いて、名前を変えればバレないだろうとTwitterアカウントを別名で取り直し、そのイラストTwitter経由で友人に送った。これが過ちその2である

ここで私は久しぶりに経験してしまったのだ、「いいね」をもらえる快感を。自分二次創作が沢山の人に読まれる楽しみを。

これまでだって、確かに旦那や周りの人間いいね!と言ってくれたことは多々あれど、生命活動維持のための食事を誉められても、生命活動維持のための金の確保のための仕事内容を誉められても、嬉しくはあれ脳汁が溢れ出すような快感はなかった。でも、描いた絵を載せること、萌え語りや話を載せて得られるのは、顔も身なりも知らない人たちから賞賛、なんの役にも立たないはずのものが誉められる快感に私はまたのめり込み、活動再開から半年足らずで地元イベントに顔を出し、本を頒布し、Twitterでの知人とオフ会を開いた。正直、結婚後には味わえなかった最高の幸せであった。私自身は、やはりこの世界が一番楽しく、充実した自分でいられると思った。

ただ、もちろん弊害は多々ある。同人活動をやめていたころ楽しかった職場の同僚とのおしゃべりは雑音になり、邪魔になり、飲み会苦痛になった。旦那との会話や家事もそうだ。こんなに頑張っても一人にしか認めてもらえない家事夫婦生活をする位なら、一枚でも多く絵を描きたい、友達との萌え語りに没頭したいという思いが募り、夫婦間の会話は減り、喧嘩が増えるようになった。仕事休みがちになり、職場での評価もぐっと下がった。それでも週末のイベントがあるから楽しみで、生きるのは苦痛でなかった。

だがとうとう旦那の堪忍袋の緒が切れたようで、まず私の働いた給料は全額私が使うことが出来なくなり、何に使ったのかを逐一報告しなければいけなくなった。同人関係の出費があると、こんな無駄なことに金を使って、との小言つき。そしてとうとう月一万の小遣い制→給料の3%の小遣い制になり、通帳やカード差し押さえられ、前のような同人誌の発行ペースは不可能になった。こうなると私は働くことに意味を感じられなくなり、今は仕事を辞めてパートのみで生活している。月1000円のお小遣いではゲーム課金すらできず、私は毎日家で荒れ狂っているが、それを旦那幸せだという。きちんと貯金が出来、私の昼夜逆転や突然の欠勤もなくなり、ゲームに月数万も課金することがなくなり、家事毎日してくれる。これで精神が安定してくれたらいつでも子作りができるのになぁと言う。私はとても幸せだと思えず、生活のために仕方なくやっているパートに疲れ、ゲームログインボーナスを受け取るだけ、あんなに楽しかった絵ですらもう3ヵ月も描いていない。そもそも、また絵柄が古いことや流行りの絵でないことで劣等感を感じているし、イベントに行けないことで前みたいに作家さんと交流することもできないので仲良くもなれない。せいぜいSkype手紙のやりとりくらいだ。ストレスがピークに達し、毎晩自殺するか離婚するか考えているが、積んだキャリアなど何もなく、もう体型は崩れ、前のように時間自由が利いて高収入仕事に就くのは絶対にできない。今は奴隷のような生活を死んだ目で続けるしか、私の生命活動維持方法はないのだ。

私はクズだと叩かれてもいいので、この文章を書いた理由を話させて頂きたい。とんだ長い前置きですみません。ここからが本題です。

ここまでクズの極みの考え、人生腐女子はそうそういないと信じたいのだけど、部分的には共感してくれた人もいると信じたい。その中で、結婚を考えていたり、今後の人生漠然とした不安を抱えて生きている腐女子もいると思う。基本的腐女子ディープになればなるほど孤独な生き物だと思う。生計にできるレベルまでくればちやほやされるし好きなことで飯喰ってけるわけですが、そんな腐女子は多分一握り。殆どの人が、人より中途半端に絵は描けるけどプロになるほどではなく、それなのにいっぱしのプロのつもりで漫画家ごっこ、本屋さんごっこを続けてきた方だと思う。ジャンルの話や萌え語りはできても、日常の話となると境遇が違いすぎて相談する相手共感してくれる相手もいない人が大半で、適齢期でもあれば家族にまだ結婚しないの?なんて聞かれて蹴飛ばしてやりたくなると思う。

そんな人にただ一つ言える真実は、結婚して今の活動レベルを維持できると思うな。という事です。特に同人活動依存している傾向のある人ほど、よく考えてほしい。

維持したかったら、世帯収入が潤沢にあり、家政婦を雇うレベルでなおかつ妻の趣味に口を出さない人と結婚すること。子供は望んではだめです。お母さんが子供より大切なものがあるなんて、いくら自分勝手な私でもダメなのはわかります

そして、そんな自分ダメだなんて思わないで下さい。人生一回きり、楽しむも悲しむも自分選択次第です。同人活動以外に喜びを感じられないのだったら、後先考えず突っ込むのもまた人生です。その代わり女としての人生は失います。私はどちらも手に入れようとして、どちらもダメになりました。もはや私は旦那の思う幸せを叶える道具に過ぎません。二兎を追うものは一兎も得ないどころか、すべて奪われるのです。(まぁ、それは私のやり方やのめり込み方に問題があったからなので、旦那の言うとおり自業自得なのですが…)

まずは自己分析から始めて下さい。

そして、途中で貼ったURLを隅々まで読んで下さい。

沢山の人から評価で生かされてきた人ほど、それを失う結婚生活に耐えられるのか、よく考えて下さい。また、続ける気なら、それができるのか、不測の事態にも耐えられるのか、精査して下さい。

誰も声を挙げないし、まだ若い人の文化から明るみに出ていないけれど、評価への依存アルコールタバコ匹敵するものだと思います。断ち切るには、勇気と強い意志必要です。

最後になりますが、私がそれでも離婚しない理由はただひとつです。

だって、彼は私のことを、名前で呼んでくれるから

愛と趣味共存を、私はまだまだ貪欲に探そうと思います。罪滅ぼしに。また、ちゃんとした人間になるために。自分人生の半分を無駄にしないために。

答えが見つかるころには、もっとまともなアドバイス記事が書けるようになるといいなと思ってます

2016-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20160621152011

批判が多いのも分かってた、と口だけでは言ってるけど、

追記で反論したくなっちゃったことこそが、自分とは異なる意見を受け入れること出来なかった証拠しかなくて

またきっかけがあればDVする可能性はぜんぜんあるから赤の他人のこと気にしてないで自分メンタル気をつけた方がいい。

追記: 高校生の時、俺はとんでもないDV野郎だった

http://anond.hatelabo.jp/20160621003527 の追記

 あの記事趣旨は、まだ気づいていない同じような加害者たちに伝えるためで、懺悔のためではなかった。だからブコメで真っ当な人たちにボコボコにされているこの反応は当然だと受け取っている。犯罪者だな、と言い捨てられるような、真っ当な人たちには理解できなくて当たり前だよ。真っ当な素養を持って生まれた人には、崖の端っこを歩いている、若しくは踏み外してしまった人間思考回路はわからないんだと思う。でも、そんな真っ当な人間ばかりじゃないんだよ。犯罪者素養という爆弾を持っていても、それを外から見つめてうまく自分コントロールして、何とか普通に社会で、胸を張って生きれるようになりたいんだよ。俺は、ボコボコにされるとわかっていながらも、こういう文章を書く。同じような過ちを犯しそうな奴らには早く気づいてもらいたい。それが俺が社会に対してできることだと思っている。じゃないと叩かれると分かってて書かない。俺の文章は、まともな人たちに向けて書いたんじゃない。俺の文章は、俺のキモい思考回路がそのまま入ってくるような、同じようなやつのために書いたものだ。なぜ俺が「皆」と、呼びかけたのか。それは、ただ「DV加害者の皆」と呼びかけても、当人たちは気付いていなわけで、一般化することで、自分のこととして考えて欲しかたからだ。それが、誰かの気を逆撫たかもしれない。

 その後、被害者側に立った話もあるけど、ずっと後の話で、俺はその人を変えられなくて、そもそも人を変えることなんて無理で、そこからは離れた。だから被害者側の気持ちも多少なりと分かるけれど、それとこれとは別の話だし、「本当の意味でお前は分かってない」と結局罵られる。だからその話はしない。一人っ子だったことだけが原因ではないことは理解してるけと、半生を語るわけにもいかいから、その話もしない。人は逸脱行為理由を、単純化抽象化して理解したがるものから、そういうものだと思っている。

 例えば「恋人貴方のやりとりは、友達にそのまま見せられるか?」と問われて気付いて、行動を変えて、それから「成長した俺、かっこいい」と思っていたとして、それはキモいことだけど、それでDVが止まれば、結果的社会にとってはいいことじゃないかなと思う。




 あの記事謝罪したところで、彼女には届かないし、あの記事で謝っても話の焦点がブレてしまうし、俺のための懺悔しかならないから、あそこでは特別に謝っていないけど、俺はあの後数年かけて彼女に謝り続けたんだよ。書かれていない背景を想像して徹底的にコメントで叩かれているけど、それは書いていなかったことだから仕方ない。もう別れていてたけど、学校という同じ空間にい続けた。言葉だけの謝罪なんて意味がなくて、自分が変わりつつあること、変わったことを示し続けることでしか、信頼を回復できないと思った。最初は口も聞いてくれなかったし、怯えた目で俺のことを見ていた。けど、数年経って、態度が柔らかくなってきて、それからはお互い恋人がいる状況でも困ったことがあれば相談してくれてそれを本気でお互い解決したりもして、お互い結婚した今は向こうから声をかけてくれるくらいのお茶友達だよ。実際心の底で許してくれてるかなんてわからないし、許して欲しいと思っていないし、許されないことをしたことは変わらないけど、それ以上どうしたらよかったんだろうか。




 「またきっかけがあればきっとやるよ」「殴る相手がいなかったから殴らなかっただけ」「サイコパス野郎」と言われても、その後同じようなタイプ大人しい子とも付き合ったけど殴らなかったし、暴言も吐かなくなったし、今は本当に大人しい奥さんだけど、同じような状況になっても殴る気持ちなんて起きない。そういう人は俺が刑務所に入れば満足するんだろうか。その人は、俺が刑務所に入っても、当人たちがもういいと言っても、俺がどんなに変わっても、きっと満足しないで、犯罪者レッテルを張り続けて、俺を社会に参加させないようにするのかもしれない。10年そういった行為をしないでいるけど、それでもお前の本質は変わらないよと言われる。俺は、どんなに更生しても一生犯罪者と呼ばれて、やり直せないのかもしれない。

 犯罪心理学ラベリング理論というものがある。非行に走る者に非行者というレッテルが貼られて、社会からつまはじきにされるせいで、非行者たちが自暴自棄になって非行を繰り返したり、非行者たちが集まって更なる非行行為に走るというものだ。おそらく貴方たちの中で俺のレッテルは、一生剥がれないのだと思う。もうそれでいい。周りが何と言おうとどう見られようと、俺は俺の意思で、もう二度と人を傷つけない道を選び続けるから、それでいい。素質や頭の中がどうであろうと、俺はもうやらないし、今目の前にいる人たちや、当時被害者だった彼女をかけがえのない友人として大事にするから、それでいい。




 何度も言うけどDV加害者加害者であると気づかないこと、密室内で行為が行われて第三者が介入できないことが深刻な社会問題だ。そして、被害者からはそこから逃れられない。手が出なくても、機嫌が悪くなったり、舌打ちや態度で威圧して、相手コントロールするだけでもそれは精神的なDVモラハラ)なんだよ。一度もそんなことをしたことがない人間っているのかな。いるのかもしれない。多分そういう人は聖人なのだと思う。そういう人が社会の大部分なんだと思う。手は出ないけど、そういう理不尽な親父とかたまにいるじゃん?それで、家族が顔色を伺って、気を使うというやつ。あれもDVで、その家族DV被害者なんだよ。そしてその家族たちも、それがDVであることに気付いていなかったりする。それ、DVから気付いてくれよ。加害者が変わんないとダメなんだよ。

 ガキのころと違って、社会に出たら自分の思い通りにいくことなんて少ないし、人の心なんてコントロールできるものではない。世界自分の思い通りになんかいかない。自分を守るために、人を傷つけるようなことはしてはいけない。15のガキだった俺に説教しても分からいかもしれない。俺はただ、とにかくこういった行為が無くなることを望む。

寿司からゴ○ブリの続き

http://anond.hatelabo.jp/20160620131129

寿司からゴ○ブリの続きです

昨日22日月曜日指定時間きっかりにインターフォンが鳴りました。

商業施設の地下売り場担当者課長、そして当該店舗取締役本部長と部長の計4名でお越しいただきました。

もとより部屋にあげるつもりはなかったので、失礼ながら玄関先での対応となりましたので、お越しいただいてから帰られるまで10分ほどのことでした。

結論から言うと、充分な対応だったと思います

商業施設を間に入れたこと、その場に引っ張り出せたことも結果として功を奏したと思っています


まず、一番好印象だったのは店舗側の会社自らすすんで保健センターに連絡済みだったことです。

保健センターに事案を報告済み。

から営業を一時中断して殺菌、清掃作業実施済み。

商品確認して、内容を精査後、一週間を目処に連絡をすること。

丁寧な謝罪

以上のことをお聞きした時点で、私としては混入事件についてこれ以上責める気持ちを失いました。

但し、店長対応については重ねてクレームを入れさせて頂きました。

そのことについてもお詫びの言葉を頂いたので、とりあえずは溜飲を下げました。

また、弁償云々については、朝の電話で『その話はしないでほしい。こちらは金銭目的ではない。まずは事実確認をして、それから対応を考えて欲しい。』ということを伝えてあったので一切ありませんでした。


全て信用したわけではありませんが、これ以上長引くのもこちらもストレスですし、ゴネたいわけでもないので、混入商品保健所へ提出するという言葉を信じることにしました。ですから商品はお渡ししました(当然しっかり写真は撮ってあります

食べ残し商品も全てお返ししました。


以上のことから、私としては最終的には充分な対応だったと思いますので、現状では商業施設店舗名前公表するのは控えさせて頂きます

今後の対応次第ではありますが。


以下ブコメへの返信です

You-meさんの保健所へ、というブコメが一番人気ですが、リンク先のPDFを開くと異物混入案件消費生活センターへ連絡というのが正しいようですね。

そしてその消費生活センター地域ごとに分かれているのですが、だいたいが市役所区役所等に間借りしているような感じなのでしょうか。16時くらいまでしか相談できないのが残念ですね。今後の参考にさせてもらいます


あと案の定粘着質だ、というコメント、笑いました。

確かに。自覚してます


それと、さっさと示談ですませろという意見

アホか。おまえらみたいなんが全部金で解決してきた結果がこれじゃろがい!とは思います


あとソーシャル拡散して炎上させろっていう意見簡単な反面リスキーだと思います

ペヤング事件告発学生、どうなったんでしたっけ。「ペヤング 学生」で一度検索してみることをオススメします。

私は結構な神経を使って元増田記事を書きました。

起こったことのメモと、何か対応について有意義意見が得られるかもしれないという気持ちが8割。恥ずかしながら、共感が欲しかったのが2割です。この記事をバズらせて告発したい、という気持ちゼロです。

anond:20160620150215

オッサンはゴキペヤング忘れたのかよ、ツイッターゴキブリうpたから大騒ぎになって工場建て替え直すきっかけ作ったんだぞ、今すぐやれ

2016-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20160620002756

これオススメAmazon.co.jp: 習慣の力 The Power of Habit: チャールズ・デュヒッグ, 渡会圭子

いかにも自己啓発本だけど中身はわりと真面目で、アルコール依存症とかニコチン依存症とか過食のしくみとかをわりと神経心理学的に解説してた。気がする。あとは、爪を剥きまくってしまう癖があって手が血だらけになっちゃう子がそれをどうやって直すか、とか。まあ自己啓発本から自分がつけたい癖/習慣をどうやってつけるか」というネタにつながるのだが。ジムに行くとか。だいぶ昔に読んでうろ覚え。以下そのうろ覚えの知識から頑張って思い出して書いてみる:


「決意」をしただけで行動を変えるのは難しいらしいです。なぜかっていうと人間は身についた「習慣」で無意識に行動することが多いから。だから何かしらの「きっかけ」(本の中では「キュー」って言ってた気がする)があると、脳内意識的に考える前に、無意識に身体が動くそうです。「あ〜なんかさみしいな」って思った瞬間にタバコに手が伸びるとか、仕事から帰って疲れてソファに座った瞬間にポテチに手が伸びるとか。その「キュー」によって無意識的に引き起こされた「アクション」の部分を特定することができて、それを他の「より良いアクション」で置き換えられれば、習慣を変えることができる〜〜みたいなことが 書いてあったような気がする 


でもこの本を読んだ私も結局ジム通いは3日坊主で終わりました。この本に書いてあるような「神経心理学方法論」を知ることもいい戦略だけど、たぶんやっぱりそれを「ちゃんと使って」自分を変えようとする「決意」が強くないと、どうしようもないのだった。私の決意は浅かった。ジムかめんどくさい。

でも元増田は紐で縛ったりトランクしまったりいろいろしてるし決意は大きそうなので、方法論さえ学んだら、ヘルシーなネット生活に戻れるかもよ。ネット自体楽しいけどそれを罪悪感もってやりすぎるっていうところがなおしたいのだろうし。私もダイアルアップの時代ネットはじめてプチ依存症時代もあったがPCに手が伸びそうな時に代わりに本に手を伸ばしてみた、、ら、、わりと健康ネット生活に戻った。

2016-06-19

増田創作歌劇団

増田書き込みを一から疑うようになったきっかけの一つ↓

http://anond.hatelabo.jp/20160604020123

ほんと、こういう小細工すんなよ。

本当に困ってる人が迷惑するから釣りでも創作でも、嘘書くには後々のことを考えてから書きやがれ。