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2017-05-25

治安維持法って本当にそんなに悪法だったんだろうか

今までずっと学問政治思想っていうのは分けて考えていた

というか、学者自身思想の為に学問を捻じ曲げるようなことはしないだろうなと勝手に思い込んで教科書なんかも信じてた

でも、最近はどうだろう

テロ対策特別措置法共謀罪無罪市民が捕まると学者連中が囃し立てたり、憲法学者自衛隊合憲とか言い出す始末

そういう人たちが治安維持法についての本の記載を決めていたのかと思うと、相当に信用ならないなあと思えてきた

pixiv小説引用問題とそれぞれの論点について

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601


この問題、確かに出典を明記するべきではなかったし配慮が足りなかったとは思うけど、

それぞれの論点については疑問な点も多い。各論点についてどこが問題でどこが問題でないのか個人的な整理をしておく。


・「未成年が見れないようにしてあるのに、引っ張り出してきて有害呼ばわりする」について

有害」の定義について誤解が含まれている。

ここで言う「有害」あるいは「有害情報」というのは一種専門用語で、

たとえばWikipediaの「有害情報」のページには、

「主に青少年がその情報に接することによって健全な発達・育成を阻害する恐れが有ると考えられているコンテンツ総称とある

Wikipediaが信用ならないなら、「有害情報」「有害表現」で検索すれば、その意味で用いられている文章がたくさん見つかる。

まり、「有害な」=「未成年に見せるのには不健全な」という意味が、特に情報フィルタリング研究においては比較一般に用いられてる。

論文最初でもちゃんと「有害情報」の定義が述べられている。

そしてこの定義によれば、pixiv投稿されているR-18小説イラストは全て「有害表現」ということになるし、

別にこの文章は酷い、害だ、と揶揄する意味有害だと言っているわけではない。

ログインしなければ見れないような場所に置いてあるものを引っ張り出してきて有害呼ばわりする」ではなくて、

「"有害表現"だからログインしなければ見れないような場所に置いてある」。順序が逆。


・「BL晒し上げている」について

誤解。

論文中にある通り、ランキングのTOP10を拾ったら8件がBLだったというだけで、残り2件はヘテロカプ。

BL排除すべきだったとも思わないし、BLから選ぶべきだったとも思わない。

(じゃあなんでわざわざ「8件がBLで2件がNL」だなんて書いたのかという話ではあるが)


・「研究対象文化破壊してしまうのは問題だ」について

少しズレている。

たとえば文化人類学民俗学のような研究であれば、研究対象文化破壊してしまうのは「鯨を研究していたら鯨を絶滅させてしまった」ようなもので、

倫理的学問的に問題のある行為なのは間違いない。

ただ、この論文においてpixiv小説文化は「研究対象」というよりは「データセット」でしかない。

その場合でも倫理的問題はあるだろうけど、民俗学のような特別な慎重さが求められるような分野と一緒にして考えるべきではない。

このように目立たせることがタブーな界隈であることが想定できた/すべきだった、とまで言うのは難しいように思う。


・「二次創作グレーゾーンから隠れてるのに、わざわざ目立たせるようなことをしたのは問題」について

これって「お前がチクんなかったらバレなかったのによー」って言ってるのと何が違うんですか。


・「研究として使う以上作者の許諾が必要」について

一応公共の場に置かれている以上、十分に匿名化されていれば許諾は必要ないと思う。

たとえばchainerイラスト自動着色するシステムがあるけど、あれの学習に使うデータ全部に許諾が必要かというとそうは思わない。


・「公開情報をどう使おうと自由」について

それは言い過ぎ。

その理屈で言えば肖像権なんてものはない。「仮面付けないで街を歩いている方が悪い」みたいな話になる。

いくらネット投稿していると言っても、それが朝の全国ニュース勝手に紹介されることまで想定しているわけではない。


・「再現性のために出典を明示するのは当然」について

そんなことはない。

これは別に素材Aに触媒Bを反応させたら素材Cができた、というような話ではない。

たとえば100人アンケートを取ったとして、その100人個人情報全部を載せる必要があるかと言えば、「必要はない」し「プライバシー観点からも止めるべき」。

この件についても、「pixivから適当10件取った」以上の説明不要

そもそもサンプルが少なすぎる。

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかし意見代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り引用して差し支えない。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石作品中における接続詞使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないかコーパス使えないことはわかるけど、「有害表現フィルタリングのため」という目的用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究はいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだからレイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系と学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会の判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

私はこの論文にほんとムカついてる。めちゃくちゃすごい論文ならともかく、こんなゴミ発表のために何人もの小説書きさんが作品非公開にしちゃったりしたんでしょ。それでもって研究という営みや研究者への不信感を増大させている。オタクとしても研究をかじった者としてもほんとふざけんなという話だけど、それは無断引用違法からじゃないよね、って話。批判者たちが無断引用だ何だと言わず、なんだよこのクソ論文うちらを外から「分析」してんじゃねーよ上から目線でムカつくんだよ死ねよ、という主張で攻めていたら私は喜々として石を投げる側に加わっていたけどね。万死に値する大罪人でも間違った罪状で処刑されるのはやっぱり駄目だよ。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20170525141902

いや、盛ったもん勝ちというよりも、ペーパーに表れていない部分まで評価すると、加計学園に任せるのが順当なんじゃないの?と。

いくら実績のある教授を入れても、京産ネームバリューあん田舎学生なんか集められんでしょ。

京産の方が学問的にクオリティが高いものができる可能性が高くても、学校の維持に不安のあるところには任せられない。

そういうことなんじゃないの?

買い物行ってきてください。じゃ。

2017-05-19

地方からどーたら

地方だけはどんだけ叩いてもいいみたいな高学歴都市住民?様にいちいち地方地方はって文句言われて話が先に進まないの

ほんとうざいんだけど低学歴でも対応できる方法とかないんですか?

本気で困ってる。

地方」つってもいろんな地方があるわけで、どうせ地方民だからどうこうだのといちいち文句つけるのがそんなに「理性的」なのか。

だいたい自分が見てきた数少ない地方民がそうだったってだけのことを行ってくるだけじゃん。

お前は自分の関わったことのある地方民が北海道の人だけだったら、沖縄の人でも毎冬雪に苦しんでいるという前提で語るのかってレベルの人もいる。

地方」という言葉侮蔑的にかってにくくるというのが納得がいかない。

もちろん、その人が言うところの「地方論」にあてはまる地方地方民もいるってことは確かだが、

からといってそれが毎回そんなに割合が高いとは限らないんだよ。

文献を調べたり、調査をしたりして統計的学問的に「地方民」はこうだ!って言えるのならいいけど

たかだか自分の周り数人ごときをみた「感想」ぐらいのことを人を過剰に罵倒にする根拠に使うなよ。

せいぜい地方論なんてのは何県の何地域はこういう人が多いぐらいまでであって、それでも結構当てはまらない人がいるぐらいなのに、

地方」でくくれるわけ無いじゃんってのが、「地方民」の一人としての感想だ。

くくれる「場合もある」ってのは無論承知している。

しかし、だからといってそれがために何でもかんでもくくるのは違うと言いたい。

地方底辺がこんなことを吠えてもどうせ理解されないんだろうけど

それでもこういうことを思う人がいるってことは知ってほしい。

この意見馬鹿だと思うのならそれでもいいが

バカはこう思う」

ってのを認識してほしいわ。

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

目次 [非表示]

1 概要

1.1 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

1.2 書名の由来

2 脚注

3 刊本

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要[編集]

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。

文中、鍋島藩である鍋島直茂武士理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏併記しており、鍋島氏龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。

当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君浅野長矩切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別相手に突っかかることはできないのである」と評している。

この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

明治中期以降アメリカ合衆国出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしま気概覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜    常朝

白雲やただ今花に尋ね合ひ    陣基

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集]

葉隠記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻玉砕自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。

しか山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナー指南書や礼法マニュアルに近い記述ほとんどである。また衆道男色)の行い方を説明した記述等、一般近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。

戦後軍国主義書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術マニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書出版されている。

戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。

書名の由来[編集]

本来葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公大義とするという説。さらに、西行山家集葉隠和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。

http://anond.hatelabo.jp/20170518013524

妥当とは言い難い前提を元に長年に渡って合理的思考を重ねた結果、妥当でない観念が染みついてしまった事例。

増田は、「人の価値は才能で決まる」「才能のある者が本業以外に関わるのは、全てリソース無駄である」といった教条を無批判に信奉しているように見える。

おそらく、人文思想から離れた学問を専門としていて、自己思想のありようについて自覚的に学んだり人と対話して理解を深めたりする機会に恵まれなかったのだろう。

2017-05-18

「神は存在しないと認めよ」って神学者に言えるの?

みたいな事を思いました。

はいなくても神についての学問意味があるとか、戦争はムダで人道に反していても、研究成果には価値があるとか。

はてなブックマーク - 「日本地震予知きぬと認めよ」 学者科学誌に論考:朝日新聞デジタル

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK5K6HQ7K5KUBQU014.html

ただ。地震予知研究は、個人的には予算を割く理由が少ないとは思います

2017-05-17

辞世の句

東京暮らした14年間は本当に楽しかった。仕事拘束時間は長かったけど、それでも東京に居られるので基本心は軽かった。給料は、私一人が暮らすには十分だった。貯えもできた。

田舎のほうが暮らしコストが安いとの意見を目にする。田舎で生まれ育った自分からすれば、自動車を持たねばならず、なにをするにも誰もが同じ量しか持っていない「時間」をコストとして払うのは金銭と異なり取り返しがつかない。

両親が年老い、ついに私も時間切れとなった。実家とは、田舎とは、呪いだ。逃れられない。田舎暮らしについては今から億劫で仕方がない。おそらくもう私は死んだも同然だろう。そのうちに田舎になじみ、パチンコを楽しみに、飲酒運転日常にとりこみ、他人の行動ばかり監視して、他人の話ばかりする人間に入れ替わっていくだろう。両親が死に絶え、田舎の軛が外れるころには私は別人だろう。田舎学問より京の昼寝とは真実である

から、これは私の辞世の句だ。もう、増田を書くこともないだろう。

2017-05-15

ミソジニーと言う語句はもう腐ってる

http://anond.hatelabo.jp/20170515130323

すげー大雑把に言うと

ミソジニーって言葉語源はともかくフェミニストがほぼ寡占的に多用する言葉

フェミニスト男性との対決の間で産まれ言葉なんだよね


それでフェミニスト側に立つ人は当然

自分たちミソジニーと呼ぶ感情や動きを

「善であり瑕疵のない私達に悪くて弱い奴が向けてくるもの」と思いたがるけど

実際にはそんなことは無くて

フェミニストからもいろんな憎悪や敵意をガンガン発散しまくってて

単にその反動由来の成分が多分にある


フェミニストが「弱者男性ミソジニー」を問題にしたがるのもまさにそれで

弱者男性ってどういう人?

・非弱者男性女性嫌悪しないの?

・なんで特に弱者男性が的なの?

とか色々疑問が湧く言葉姿勢だけど

これなんなのかっていうとフェミニズム憎悪駆動してる証拠でしょ結局


自分たちに逆らう人間は男の中でもよわっちい奴なんだ」というのは分析と言うより憎悪侮辱の為の設定であって

フェミニストなんてブスかメンヘラか構ってちゃんの女がやってる」とかと変わらないただの嘲笑だよね

もう学問でもなんでもなくなってんじゃんという


フェミニストの中にはそういうミサンドリと思想が混ざってる人やほぼミサンドリだけの人もいるけど

フェミニスト同士でそのような人間批判し合うことは少なく、フェミニズムの枠組みを制定する動きすらなく

まずい人が現れても「フェミニズムは一人一派」とか言ってただ都合の悪さだけ遠ざける処置をする

あれにくらべたら切断処理のほうがよほどちゃんとした処置といえる


女に変な悪意を持つ男や悪意もなく抑圧する男が沢山居るとはおもうけど

それを指摘する為だったはずのミサンドリーと言う語句は既に、

フェミニスト学問から切り離せなかった自身の悪意と敵意によって腐りきってると思う

2017-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20170514174918

学問に興味を持ってもらいたいというのは結構だけど放送大学がその役目を持つことはない

あれは既に興味を持った人たちのためにあるもの

そういう理念を持った番組としては他に民法NHKいくらでもやってるし、

多くの国民はそれを見てもなお学問の崇高さと尊敬を持ち合わせることはない

http://anond.hatelabo.jp/20170514173841

印刷教材で補完しないとダメなのは否定しないけど、触りとしては十分だろ。

そういう事言ってるからいつまで経っても学問研究に対する一般理解が得られないんじゃないの?

学問に興味を持って欲しいと各方面努力してる先生方がそれ聞いたら泣くよ。

2017-05-09

クソ田舎高専教員やってみた

この春に高専採用されて一ヶ月働いた感想

4月は着任4日目から授業って、どうやればいんじゃと悶絶。

4月も中旬になると慣れてきて、何が合っても「まあいいか」とおおらかな気持ち仕事ができるようになったよ。

4月が下旬になると、サボりかたを覚えてきた。学生よ、ごめんねダメ教員で。

GWが終わって絶賛5月病発症中です。もう明日は授業やりたくない、天気が良いか休講にしたいぞい。

学校雰囲気

高専田舎にあると聞いていたが、クソ田舎すぎる。

高専というもの大学でも高校でもない」と言われていたが、まあ確かにそのとおりだ。

しかし、高専ってのは高専大学線型結合だ。つまり、全く新しい何かではなく

高専) = 0.7 × (高校) + 0.3 × (大学

って感じだよ。

学生は一様に都会への憧れを抱いていて、これじゃあ地方未来はないよなあとため息が出る。

研究

卒研ニコ動の「やってみた」(技術部)が許される雰囲気なので、研究テーマ考えるのが苦手な自分にはハードルが低くて良い。

レベル高い研究室は、学会発表くらいまで持っていけそうな雰囲気学会高専生が発表すると微妙雰囲気になる理由がわかった。

高専に来て、間接的に「大学のクソみたいな教育でも大学生を育てているのだなあ」と感心し

高専の1年生だって卒業までには大きく成長してますよ。ただ、ゴールが違うだけです。

教育

数学を捨てたエンジニア未来はあるのか? と思うほど学力崩壊してる。

就職率は高く、なんだかんだで卒業までに職を見つけているか社会的には許されるのだろう。

学校の使命は果たしているだろうと思う。

しかし、コレまで当たり前のようにしていた会話

わたし)「この積分って解析的にできると思う?」

 (後輩)「めんどくさいから、級数解法でやってみたら傾向がみれていいんじゃないスカ」

こんな感じの会話ができないのは辛い。

高専生は数学が弱いのは事実だけれど、いいところもあるよ。

学生は「こまけえこたぁいいんだよ!」なんて言わないが、いつも何も考えず装置を使ってる。

こういう大胆さってとき大発見につながるからちょっと羨ましい。

へーきへーき、学生によって得意ちがうから

学生指導

飲酒を注意したり、遅刻学生声かけてみたり、チャリの乗り方にイチャモンつけたり

月に一度の看守ごっこしてみたり、体育祭を盛り上げてみたり...

正直、この方面はあまり興味がないのでテキトーにやって楽しむぞと思っている。

待遇

給料田舎手当を出してほしい

博士課程への進学を投資として捉えれば、たぶん生涯賃金では回収できないだろうと思う。

だけれど、上司からプレッシャーをかけられたり、追い詰められたりしないので良い。

残業代がデないという噂は本当だった、残業の付け方さえ教えてもらえなかった。

チョットでも準備をしようと思うと、帰宅時間20時を超えてしまうので、終末に向けて疲労が貯まる。

土日は寝てるだけ。これはつまら人生だな。もうすこし早く退勤する方法検討中

てか、システムが基本高校から朝は勤怠管理されるし勝手休講出来ないのがつらい。

学校の外

職場の外では先生として見ないでください。学問の手本くらいにはなれますが、人生の手本にはなれません。反面教師です。

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(追記)2017/05/10(水)

2017-05-07

しかにね哲学とかそれを敷衍して法とか政治とか作ったのは文系仕事だし

学問重要性はわかるけど

いまのカルスタポリコレ左翼巣窟みたいな日本文系大学重要かといと

???って感じになる

文系を選ぼうが理系を選ぼうが

公立を選ぼうが私立を選ぼうが海外に行こうが

それだけで批判理由にそもそもなるべきではないんだけど

学問に対する尊敬のなさすぎる国ではまあ無理なんだろうなあと。

どうせ世間様のお気に召すような種類の大学に行っても

それは学生として、学問をやる人間として評価されるわけではないんだろうし。

おかし

id:frkw2004 って奴がこの記事に対して

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51615

"「科学目的は真理を探求することではなく、現実説明することです。」これはいい言葉だ。宗教科学対立するものではないことを示してる。"

ブコメし、53もスターを集めているがこれはおかしい。

全く「良い言葉」なんかじゃない。

現実説明するのは「世間科学に対して求めている事」であって、「科学目的」全てがそれに当たるという事は絶対に無い。

なぜなら、そもそも科学の中で我々が生きているこの現実についてを論じている部分は一部でしかいから。

分かりやすい例で言うと代数学だ。

この学問なんか殆ど現実世界に当てはめられない。

現実世界には有り得ない世界設定だけれど、公理主義的に考えればこうなるハズ」という理論を追い求める、

正しく「"真理を探求"しつつも"現実説明"しない学問」だ。

科学ジャンルなんてもう大量にあるんだから勝手な事言って矮小化してんじゃねえよ!虫酸が走るわ!!!

2017-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20170505230812

俺はむしろ国立大学予算私学助成金も大幅カットして、教育予算は全部奨学金に振っちゃえばいいと思う。

賢いやつは安く学問を身に着けられる。

学びたい学科の学びたい分野の最先端が、国立大学にあろうが私立大学にあろうがそれなら大丈夫

[]

父親コミュ障な感じだが高学歴で高給を稼ぎ家族を養っていた。私は父親に似ているといわれた。

父親は好きではなかったが私もあのようになれると思った。今では不可能だ。

算数が好きな子供だった。ほかの子供より計算が早いのを鼻にかけていた。学問の道に進めると思った。

書店の棚に並ぶ様々な本を見て勉強が続くとわくわくしていた。

私は勉強しなかった。今は高校数学ちょっとした問題吐き気を催す。計算ミスがひどい。私は頭がそれほど良くなかった。

一般向けに書かれた理系の読み物が好きだった。学問に対してあこがれはある。だが高校程度の勉強も満足にできない。

塾に通っていたおかげで多少は英語ができた。英検二級を取った。自慢だった。

同じ学校に一つ学年が下で英検二級を取った子がいた。私は井の中の蛙だった。そもそもコミュ障英語は使えない。

英語勉強をやめた。続けていれば今頃楽だったろう。中学時代と今とで英語力に大差はない。

子供の科学プログラミング発見した私はVisual C++ 6.0を親にねだった。入門書を買って動かして遊んだ

ネット技術記事を読んでは本を買って読んだ。今では家に何十冊とコンピュータの本が並んでいるが私は自信を失った。

千行以上のプログラムを書ききったことがない。手を動かさな人間プログラマになれるだろうか。

ずっと昔にWindowsを消してLinuxを入れたコンピュータは何年も前に壊れたままだ。

私はきっと何物にもなれない。どんな仕事もつける気がしない。大学に行きたいのは人と同じになりたいだけ。

普通の人はレールに乗って巡り合った職につくのだろう。十年も遅れた無能はどうやって生きればいいんだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170505044413

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