「当事者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 当事者とは

2016-05-29

中国が本当に崩壊するか知りたいのであれば

外務省が去年公表した政策提言レポート

20年後アジア太平洋地域秩序と日本役割」を読めばいいよ

http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/pp/page3_001196.html



ちなみに、外務省がこれみたいな政策提言公表するのは、1999年ぶり

金出して作らせたレポートなんだから、当然、政策当事者も目を通したはず

おそらく日本外交を占う上で計り知れない価値があるのでは

2016-05-27

はてな民シロクマをなんとかしろ

シロクマの屑籠というブログ。まず当事者性がない。文章力ではなくボキャブラリーだけで文章権威を与えているふうに装っている。よく読みこんでみると恐ろしく内容がない。

ブログ論を書いているが実際に彼オリジナル記事ワインだけであとは互助会分析ブログ分析などなど逃げ道を用意しただけのマウンティング文章

ホットエントリーにあがってきているのを見るがあれを読んでよく不快にならないのかと不思議だ。互助会よりもよほどきもちわるいのだが

2016-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20160524164501

関数型という枠組みの中にミュータブルな時間要素が純粋に収まるようにしているのがFRPだろ。

ストリーム関数の外部に持つFRP純粋関数型っていうのは少数派でしょ。

関数の結果が引数以外で決まるわけだからさ。

多分、純粋とかの定義もまた違うんだろうね。

関数型の拡張」で全部丸く収まると思うんだけど。

いやそもそも岡部氏が複雑なアプリになるとFRP必要

これはGUIアプリ(対話的なアプリ)ってことでいいのかな。

コンパイラだとかをFRPで書かないでしょ。

ユーザから入力リアルタイムに処理するプログラムにはFRP有効だよね。

事実、「駱駝」は「状態渡しはむしろ異常」って書いた上に、

OCamlでは」じゃないの?

全部純粋関数型(引数戻り値に収める、状態渡し)にするのを良しとするHaskellと違って、OCaml副作用部分的に使うのが普通で、IOモナドみたいな入出力までも純粋に書くための道具立てが揃ってない、それでちょっと冗長になる、ってことでしょ?

OCamlの元々の推奨スタイルならもっと短く書けるんでしょ?

俺はそう読んだけど。

それっぽい書き込みほどそうやって、事実誤認だ、と強調するから、なんで当事者でもないのに、そんなことが断言できて、電波だということになるんだ?

だって駱駝でも住井でもない面識も無い俺の書き込みが住井扱いされるんだもの

いやだから、どの関数で読み書きされようと、誰が書き換えようとも、時間にたいしてイミュータブルな定数なんだから、定数は定数なのよ。

いやだからグローバル変数使ってるプログラム欠点をそのまま持ってるじゃん

グローバル変数使ってるプログラム欠点説明する必要ある?

2016-05-24

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.あなたには「いい人フォルダ」や「嫌な人フォルダ」がありますか。

答えはNOだ。

私は相手をどう印象付けているかフォルダ分けはしていなくて、関係性で区分している。

いい人だとか、嫌な人だとかは気持ち的にはともかく、枠組みとしてはあまり意味がないからな。

一応、「他人フォルダ」とか「大衆フォルダ」とかはあるが、しばらくして使わなければ中身はごみ箱に入れる。

いずれ必要になったとき復元すればいいだけだしな。

真に他人に臨むときというのは総体的評価するときであって、仮に人をフォルダに入れるなら細分化された名前になるだろう。

なので、フォルダに入れても中にあるのは一人だけであまり意味がない。

から、私は関係性でフォルダ分けしている。

逆にそもそも腰を据えて臨むつもりがない相手ならば、容量を圧迫するだけなので残さない。

価値観多様性を認めることも、それらの枠組みも「自分が使いやすい、容量内で」という但し書きがつくのは周知だ。

でなければ私や君のPCはあっという間に容量不足になるからな。

これは他人立場から自分を見ても同じことだ。

こういう書き方をするとアレだと思われるかもしれないが、大抵の人にとってフォルダの分け方は当事者が期待しているようなものにはなっていない。

仮に君が「嫌な人フォルダ」に入っていたとしても、その中には君以外の人もたくさん入っているということで逆も然りだ。

サブフォルダがどうなっているか重要だという話であって、そういう簡易的なフォルダ分けに一喜一憂する必要はないということさ。

……ん? ここらへんのメディアの人たちはどうかって?

ブラウザキャッシュとか履歴は、基本的に残さなものだぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20160524161137

拡張なら「関数型的じゃない」っていわれたら「関数型を拡張してるから」って答えればいいだけの話

関数型という枠組みを拡張しているのではなく、関数型という枠組みの中にミュータブルな時間要素が純粋に収まるようにしているのがFRPだろ。「関数型を拡張してるから」というのは、また独自拡張だ、という批判を許すし、FRP関数型の拡張だというのは誤解を招くし、語弊もある。

FRPの効力を否定なんて誰もしてない(よね)

いやそもそも岡部氏が複雑なアプリになるとFRP必要だ、と批判すると状態渡しで充分だ、という反発があった。それが誤魔化しだとして、今に至るし、否定されているから一連のブログでの徹底的なまでの反撃がなされている。

「これが正しい関数型でお前らの状態渡しは間違ってる」みたいに言うから荒れる

事実、「駱駝」は「状態渡しはむしろ異常」って書いた上に、岡部氏のコードの倍の分量の複雑なコードしか示せなかった。あの無理して書いたのが第三者にもまるわかりの状態渡しの実装って間違ってるんじゃないの?

個人的電波だと思うのはこういう匿名書き込みを住井だ駱駝だ言い出すところ

これまでのアンチ岡部のやり方を眺めていると、被害者岡部氏の分析には一定の信ぴょう性が認められるよね?

しかも、それっぽい書き込みほどそうやって、事実誤認だ、と強調するから、なんで当事者でもないのに、そんなことが断言できて、電波だということになるんだ?という素朴な疑問がある。当事者から否定してるんだろ、と誰が見てもおもうだろ。

ストリームから定数とか、過去の値保存してるから定数とか言ってみたところで、プログラム内の色んな関数から読み書きされる可能性があって誰が書き換えたか中身読まないとわからないんじゃ、グローバル変数使ってるプログラム欠点をそのまま持ってるじゃん

いやだから、どの関数で読み書きされようと、誰が書き換えようとも、時間にたいしてイミュータブルな定数なんだから、定数は定数なのよ。

グローバル変数ってのはFRP関係ないだろ?

専業主婦「程度」あるいは家事「程度」の感覚

まあ聞いてくれ。

しょっぱなから話を聞いてもらいたい態度でないことくらい分かってる。

だけど「主婦って大変なのよ」「主婦だって間接的にお金につながっている」的な論に私は大反対なのだ

無職卑下する気もなければ主婦のものを見下すわけじゃないけど、前述のようなことをいう輩を私は批難する。

なんかね、そう言うことをいう人って「私だって頑張ってるんだもん!きゃぴっ☆」的な、あざとさというか名状しがたいぶりっこ精神を感じる。

自分で書いておいて何だが「いぶりがっこ」に空目した。

さて、まず旧帝大を出て専業主婦をやっている人に対する「もったいない」という他者感覚について。

これは論点先取して「何者にもなれない人たち」が欲している「何者かになれる可能性」を破棄しているからだと思う。

歴史教科書の1ページに載る悪逆者をせせら笑う人の99%は歴史教科書の1行にすら載らない、100年後には99.99%名前すらも思い出されない存在だ。

しか旧帝大に行ったことがない人は、旧帝大に行くといずれは役職就任し、社史の1行にでも、あるいはニュースの1枠、または雑誌の1ページにでも紹介される、言わば存在証明を残すことができると思っている。

これは単に勘繰り過ぎと思われるかもしれないけど、きっと年を取っていくに連れて意味が分かるものだと思うよ。

とにかく自分歴史上に存在したことが「親族以外の誰か」に認められる機会が多くなる。

子どもがいる」だけで自分存在が残せたというのはダメだ。

人は客観的評価を多少なりとも欲するわけで、親族から評価第三者委員会ならぬ当事者委員会から評価から満足しないんだ。

ともかくだ、言いたいことは「もったいない」に関することじゃないから、取り敢えずは

「何者にもなれない」人たちからすれば「何者かになれる可能性」を捨てていることだからもったいない」という言葉になるんじゃねーのかなーというくらいにしておく。

本題の勝手に命名した「専業主婦称賛論」だけど、本当にフ○ックだと思っている。

間接的にお金につながっているのは事実であろう。これは認める。

だけど、一人暮らしをしながら働く人たちがいるなかで何やってんの?

まりは働きながらでも多少は面倒であれ出来る程度のことなわけよ。

それを「専業主婦だって大変なんだから」とか「家事だって時給換算すれば・・・」と一体どの口が言うのか。

ところで、お金は「他者から絶対的評価基準の一つだと考えている。

仕事の程度を数値化したもの賃金で、他者からあんたの仕事なら、このくらいなら払うことができるね」という評価だ。

上述の「何者かになれる」かどうかの蓋然性は、この賃金で有る程度は推し量ることができると思う。

まあ何にせよ、知名度とか色々な対外的な要素はあるけれど、今は単純に考えて欲しい。

さて、主婦にはその絶対的他者から評価がない、つまり「これくらいなら出せるかな」という仕事としての対価はゼロだ。

時給換算すれば・・・という考えは、他者から評価という観点が欠落している。

そういう他者から評価というものお金であるのだから、時給換算できる性質のものではない。

まり主婦あるいは家事はそもそも仕事ではない。したがって主婦とは無職であるQED

無職を見下すつもりはないけれど、無職が「私だって頑張ってるんだもんっ☆」て宣のは感心できない。

個人的には家事などの時間仕事に使いたいと思っている。

家事代行サービスを隔週で頼んで、1回2時間の月額にして1万9000円のお支払い。

掃除洗濯からから何までピッカピカにやってくれる。

ゴミだって回収してくれるし、買い物も頼んでおける。

家事をしなくていい時間で2万円弱を生み出す仕事が出来るのだから万々歳だ。

そういう意味主婦は確かに間接的にお金につながっていると言える。

だけど月1万9000円と同じ働きならば正直パートにでも出て欲しいね

言い方は酷く悪いけど、その程度のことなんだ。

それを袈裟切りでもせんとばかりに「専業主婦だって大変なの!」というのは、ちょっと認識を改めた方がいいと思う。

そういうと、認識を改めるのは増田の方だと言われるかもしれないけれど、以下のことから専業主婦称賛論」に賛同できない。

一人暮らしでも出来ている程度のこと

主婦は時給換算できる性質のものではなく基本的無職であること

家事代行サービスで補える程度のこと

子どもが出来たなら、その時こそ専業主婦でいればいいと思う、なれるなら専業主夫でもいい。

ただ、その時に「専業主婦称賛論」が出るのであれば結婚生活を考え直した方がいいかもしれない。

将来的に化けるぞ、たぶんね。

その時にはもう遅いか

食べてしまいたいと思ったほど可愛く思えても、その時なんで食べてしまわなかったんだと後悔する日が来る。

きっとね。

2016-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20160523061412

一方で私がURLを示したサイトによると、先天的可能性を示唆していると書かれていますね。

正直、どちらが正しいのかは分かりませんね。

ただ、私の読んだ記事によると、ペドフィリアでない人たちが同世代性的欲求を持つときと「同じ」反応を、

子供に対して持つということが書かれていたので、

それならば、対象年齢が違うだけで本質的に同じものだということは変わらないと思います



もし当事者が「変えたい」と思ったなら、その理由のほうが気になりますね。

それは社会的抑圧だったり、差別が原因でそう思ってしまったのではないか

社会的弾圧されていた同性愛者が異性を好きにならなくてはいけないんだ!

という風に思いつめてしまうのと同じ状態なのではないか?と。

2016-05-22

当事者としていうけど~」←こういう意見って持ち上げられやすいけど

こういう「当事者としていうけど~」という意見は持ち上げられやすいし、ブコメスターがつきまくってるのを何度も見たことがある。

例えば、今日見かけたやつ。

広島人としては、いい悪いじゃなくね?と思う。 戦時中だし、いまと世の中の価値観も大きく違う時代の出来事に、今になって良い悪いを語るのはナンセンスだね。 大事なのは、過去の出来事を未来に活かすことだ。 - etherealcat のコメント / はてなブックマーク

まぁ、この意見自体は至極真っ当だけれど、枕詞の「広島人として~」という部分って必要だろうか?

普段、「主語が大きい」「サンプル数1」「生存者バイアス」などと言われ、こういった所属集団に対する言及は慎重に取り扱われている。

こういった風潮はいかがなものかと思うが、でも、上の例のような自分所属する集団代表しているかのように一個人の意見を述べるのに関しては、俺は主語が大きいもっと批判されるべきだと思う。

なぜなら、その人が所属する集団なかにはこの人と意見の異なる人が当然いるだろうし、そういうある集団のなかでの多様性みたいなものが、こういった一つの意見が支持を集める形で潰されるべきではないからだ。

上の例でいうならば、例えば広島出身の人の中には、「原爆投下は許されるべきではないしアメリカ謝罪しろ過去を忘れるな」という人もいるかもしれないし、また極端に言えば「もう一度戦争をするべきだろう」という主張の人がいるかもしれない。

そんな中で、上のような形の、勝手代表者としての意見の集約みたいな主張が無闇に持ち上げられるべきではないと思うし、もっと批判されてしかるべきだろう。

こういった当事者意見が持ち上げられる弊害は、その集団にその擬似代表者となった意見イメージレッテルとして貼られてしまうことである

ある意味一番その集団特性を殺しているのは、こういう代表者のようでいて一個人の主張にほかならない意見をいうことだと思う。

もちろん当事者性が最大限配慮されるべき事例というのはあって、外部から干渉を受けるべきでない問題が集約している事例や当事者関係者やその周辺人物が配慮されるべき事例では、当事者としての意見が一番効果を発揮するだろうし、当事者意見尊重されるべきだろう。

しかし、当事者性がほとんど影響しない、議論本質には影響を与えないが、持ち上げられてしまうという事例があり、これがいけない。

当事者から言うけど~」「当事者からいえるけど~」といった類の意見を述べるのはいいけど、周囲が無闇に共感したり持ち上げたりしない努力をする必要がある。

随所ですこぶる高評価なので「やがて君になる」を読んだ。

百合漫画ではカップルがどのような関係性であろうと、どこかに「デレ」が表現されているものだが、この作品では片方が完全に冷えきった冷凍マグロ。2巻の時点でイチャイチャキュンキュンすることはなく、他の百合漫画のような王道ストーリーとは異なり特殊性が際立つ。

片方は自分感情「恋」ではなく「利害一致による関係性」と「相手への気遣い・やさしさ」と捉えているよう。まだその感情理解できていないだけで、展開が進むに連れ一気に落ちる雰囲気は感じる。

ただ、全体的に当事者たちの感情や行動について、説得力に乏しく薄っぺらい印象を受けてしまう。悩みや葛藤がある故の関係性なのにその感情描写が非常に希薄で、物語的には進展しているけどただひたすら淡白に展開される。



うーん、設定が嫌いってわけではないんだけど…刺さる人には刺さるのかな? あまり続きが気にならない。。

レビューの異常な高評価は何なんだ… 俺が…俺の心が…擦れてしまっただけなのか!!

2016-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20160521113820

こういう考え方が当事者にもあるから余計にオネェキャラが増えてるというか、それにはまれない当事者が辛いというか。

統計に出る性同一性障害の中でMtFレズビアンが何故か多い理由もこの辺に原因が有るかもしれない。

2016-05-20

男性痴漢の怖さを伝えるたとえ話を考えた

冬頃だったか、『男性痴漢の怖さを伝えるたとえ話』として、『女性男性をいつでも咬みつく世界』っていうのを見た。

 

 

それは、わたしとしてはイマイチぴん、と来なかったし、

実際、『美女に咬まれるならご褒美です』と言う男性も見かけたりしたので

わたしとしても同じくたとえ話を考えたのだった。

 

  

一般的エロ』と『BL』の立場が逆転した世界

 

あなたは、17歳の健康優良男子である趣味野球とかサッカーで、太陽の下で爽やかに汗をかく。最近クラスに気になる女の子なんかもいる。

 

 

あなたはふとコンビニに立ち寄った。若い女性が笑みを浮かべて、雑誌コーナーの角に常設されたBLコーナーで18禁BL立ち読みしている。

それは日常にありふれた当たり前の風景なのだが、エロBLの表紙に浮かぶ『健康野球少年鬼畜コーチにゆっくり脱がされて……?』なんて見出しを目にしてしまった時は

ああ、俺はなんて失敗をしてしまったんだろうと自分を責めた。

胸に感じる不快感は、自分がうっかりあのコーナーを見てしまったせいだ。あれは見てみぬふりをしなければならない。

そもそも、何でコンビニ18禁BLコーナーがあるのか、という問題提起をすることはなかった。生まれた時からある、当たり前だからだ。

 

 

 

あなたには仲の良い友達がいる。それは、クラスメイトかもしれないし、部活仲間かもしれない。

あなた電車通学だ。友達と一緒に電車に乗り、他愛もない話をしながら下校している。

ある日、あまり友達の話が面白かったから、少し過剰にスキンシップをした。それは、頭を撫でたりとか、胸を叩いたりとか、そこまで派手ではないアクションだ。

しかし、瞬間近くにたまたま居た女性が、鼻息荒く傍らに居た、彼女の友人らしい友達に話しかけた。

「ネェ、あの子たちどっちが攻めかしら!」

「えーわたしは髪が短い子かなぁ」

そこから先は、あなた友達の濡れ場が、さも楽しそうな猥談として展開された。近場に居る人はそこそこ耳にしているはずなのに、誰も彼女達を咎めない。

それどころか

「ちっ……公衆面前でイチャつくからこうなるんだよ」

と、あなた友達を責めるような声まで聞こえた。あなたはたまらなく恥ずかしくなって、急いで次の駅で降りた。

 

 

降りた駅で、友達と話した。

「一緒に下校するのやめようか」

「ええ、俺はなにもわるいことしてねぇよ! おかしいのあの腐れた女たちだろ!!」

あなたはそう抗議したが、友達はその日以降一緒に帰ってくれなくなった。

 

 

悔しくなったあなたは、いくつか上の兄に相談をした。

「あのなぁ、人様の見えるところで過剰なスキンシップを取るお前が悪い。俺だって課長に目を付けられないように注意して……」

しかし、兄の職場愚痴に変わってしまった。

兄は兄で、仲の良い同僚と一緒に居ると、セクハラ上司として名高い課長に「やっぱり兄くんはそういうところが受けなんだよ~~」とからかわれるらしい。

それは、昔からよくあることで、デフォルメされて何回もドラマ漫画に登場している、本当にありきれた話だ。

ありきれた話なのに、いざ自分当事者となると、あなたは悔しくて悲しくてしょうがない。

ついには匿名掲示板でそのうっぷんを晴らそうとするが、帰ってくる反応は

イケメン自慢乙」「つーか自分に自信がなきゃそんなこといえないよねwww」

「女だってブサメンイチャイチャしてるのはイヤだし」「本当はそう言う気があったんじゃないのwww」

と、からかわれるばかりで、あなた心配してくれたのは少ない人数だった。

 

 

 

本屋でもDVD屋でも、基本的にはキラキラとしたイケメン揃いのものばかりだった。

男性ターゲットとしたかわいい女の子商品は、『殿方向け』と固有ジャンルとして呼ばれ定着していた。

最近は『殿方向け』もその数を増やしていたが「最近は『殿方向け』ばかりが多くなってアニメ自体面白くなくなった」「『殿方』は文化衰退の敵」と

過激な事を言う女性も少なくなかった。

『殿方向け』愛好家は、ひっそりと愛好家同士で繋がりをもち、自慢のエロ披露していた。

それは本当にクローズドものだったが、昨今のSNSの発達でその存在感を示し、その存在認知されはじめた。

はいえ、テレビではBL的なものはあたりまえに流れるにも限らず、『殿方向け』に限ってはNHKなどで特集され、やや特殊オタク、として扱われていた。

まだまだ、BL一般エロの間には溝があるのだ。

 

 

こんな問題もあった。ある時期、性悪な男が「今、この人俺に向かってひどいことをいいました」などと女性に吹っかけて、名誉棄損罪で訴えたり、金銭要求したりしたのだ。

時にはグループで行ったりもしたこの『クサレ冤罪』は社会現象となり、それ以降、冤罪に怯えて女性たちは電車に乗った。

いつ、目の前の男性自分を指さして名誉棄損で訴えて来るかわからない。『絶対に声がでないマスク』が流行し、女性たちはそれをつけて電車に乗った。

いわく、このマスクをつけていたから、彼に対してBL妄想など口走ってません、というモノである

 

 

しかし、冤罪の恐怖は本当におびえている被害者さえも萎縮させてしまった。

あなたいくら自分の身に起きた悔しい思いを訴えても「大げさ」「冤罪目的なんじゃない?」とフタをされてしまったのである

あなた高校生のうちに、何度か同じような目にあった。スポーツマンタイプ高校生腐女子の好物なのだろうか、数えれば一週間に一度は『自分対象としたエロ妄想』を耳にした。

ひどいと写真を撮られたりもした。ひとりで居ても、妄想を話されることもあった。3人で居たら3P妄想だった。

男子高生のあなたは、酷い性的暴力の嵐の中に居た。

でもあなたは諦めていた。これはそういうもので、逆に商品価値さえあるんだ。自分は貴重なんだよ、うん…………

そう思うことで自尊心を保ち、生きづらい世の中を、あなた今日電車通学していくのである


 

 

読んでイヤな気分になったのは

書いていて思ったが、読んでイヤな気分になったのは、男性自身よりもむしろ腐女子のみなさんではないかと思う。

一般エロBLを逆転してみた結果、そもそもの目的が『男性痴漢の怖さを伝える』っていうのもあり、BLが完全に悪者になってしまった。

しかし、性的なモノを扱うって言うのは時に酷く対象を傷つけると思うのだ。

腐女子には古来より『隠れる』『当て字』『専門用語』と身を隠す忍者の様な文化があるが、それはきっとその為だろう。

SNSの発達により、そういったものが廃れつつあるが、わたしとしてはある程度の『隠れ』は必要だと思う。

 

 

そして、男性のみなさんも、もしこちらを『腐女子ってサイテーだな!』と思ったのならそれはお門違いだ。

ほとんどの腐女子公衆面前で、聞こえるところで萌え話はしない(まぁ、一部のキチガイは除いて)

本人に無理矢理干渉し、自分妄想リビドーを果たす、それが痴漢なのだ

もし、『腐女子ってサイテーだな!』って思ったのなら、それが女性が日頃思っている『痴漢死ね』の気持ちである

怪談怖い話の虚偽

怪談話ネットで見ていてげんなりすることがある。

それは、当事者が「誰かの視線を感じた」「誰かに見られている感じがした」と表現することだ。

普段生活において「誰かに見られている」という感覚は、健常者であればあり得ない。

人間は誰かの視線を感知する器官持ってないでしょ。冷静に考えて。視線を投げかけているのを見たならともかく。

普段感ぜられない感覚を、なぜその時だけ感じられるのか。それが視線だとなぜわかるのか。

繰り返す。人間は他の人の視線は感ぜられない。視線を投げかけている人を視認した場合のみ視線を感ずるのだ。

そのあたりを物語の中でしっかりクリアしていない怪談話が多すぎる。

語る・騙るなら、流例になっている表現をただ使用するのではなく、もっとちゃんと練って語ってほしい。

読者を舐めないでほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20160520003354

また同人辞めたのババアか。糖質あるあるだが、自分当事者だと物事がやたら大きく見えるんだ。最初から大した事無いことだったのさ。

2016-05-19

anond:20160519080055

岡目八目 第三者には、当事者よりもかえって物事真相や得失がよくわかること。

2016-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20160518164005

そんな「状態渡し」の話はもう周回遅れでとっくに終わってる。

複雑なGUIアプリ関数型で「状態渡し」で書いたら、そのうちスケールしなくなる、ってのは例の当事者が認めてて、

FRPに話がようやく移ったのが今。

http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2016/05/timeengine-frp.html

何故そんなに熱くなれるのか

炎上を見る度に思う。

特に当事者ではない人が感情をむき出しにして攻撃する。

10年ぐらいインターネットROMを続けてきたがよくわからない。

感情インターネットに撒き散らすことで何か得られるのか?

俺が冷めてるだけなのだろうか?

それともROMを続けている間に「感情の生き物」と呼ばれる「人間」ではなくなったのだろうか?

2016-05-17

原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』を読んで

このエントリを書いている私とは別の人が、 http://anond.hatelabo.jp/20160517150742 で間違いや思うところを挙げている。

本当はこのエントリを書く予定は無かったが(だって書いたとしても、簿記管理会計を知っている人から見れば自明だし、知らない人から見ればどちらが良いのかなんて判断できないので、結局自分時間がすり減る以外の効果がないのだ)、↑の増田に触発されたので自分も少し書いてみることにしたよ。

(なお、元のエントリである原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 http://www.yutorism.jp/entry/costing 、および↑のエントリ、そしてこのエントリは(たぶん)すべて別個の人間が書いている。前の2つはもしかしたら同一人物かもしれないが、すくなくともこのエントリを書いた私は、前の2つのエントリとは何の接点も持たない人間であることを表明しておきたい)

では参ろうか。なお、これ以降の「元のエントリ」は、『原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 を意味する。

元のエントリの全体の印象

元のエントリ最初にちょろっと「原価計算とは何か」とか、「原価計算目的」について書いてあって、それらは正しい。前に話題になった簿記の基本の話のときは、最初からずっこけたんだけど、今回はずっこけなかったので「これは成長したなあ」なんて思って読み始めたが、やっぱりというか、だんだん原価計算の基本とは異なる「よくわからない何か」になってゆく感じだった。とりあえずその中から自分が気がついたところをいくつか指摘する。(全部は大変なのでやらない)


原価計算基準とは何か

そもそも原価計算基準について、元のエントリを書いた人はどういう認識なのかな? この基準は当時大蔵省がまとめたものなんだけど、拘束性がない。原文を参照してみよう。

原価計算基準 - Wikibooks

しかしながら、この基準は、個々の企業原価計算手続を画一に規定するものではなく、個々の企業有効原価計算手続規定実施するための基本的なわくを明らかにしたものである。したがつて、企業が、その原価計算手続規定するに当たつては、この基準弾力性をもつものであることの理解のもとに、この基準にのつとり、業種、経営規模その他当該企業の個々の条件に応じて、実情に即するように適用されるべきものである

というものなので、財務会計のいくつもある会計基準と比べるとかなりルーズである。「原価計算実施する企業体合理的にやってね」というくらいの基準。(合理的というのは、その企業体原価計算目的を達成できる程度の合理性という意味合いで、何か法令で○○製品は☓☓法で処理しなければならない、などと決まっているわけではない。したがって、同じ製品製造している企業でも、企業によって異なる原価計算手法採用していることはありうるし、実際にあると思う。さらにいえば、この大蔵省原価計算基準に載っていない計算方法であったとしても、その製品計算において合理的であれば採用してかまわない。)

そういった説明が無いので、おそらく何も知らない人から見ると、「原価計算は同じものに対して何個も処理法があってよくわからない」みたいな感じになるのでは?、と思う。

くわえて原価計算基準でも指摘しているように、企業毎に原価計算目的計算方法が異なるのが通常なので、「○○が一般的」などということは、一般的には言えない。元のエントリはところどころに「○○が一般的です」といった説明があるが、何をもって一般的判断しているのか?、より詳しい説明が聞きたいところ。

費用の分類

で、次に進む。青い太字で「分類は『誰が、どの時間軸で見るのか?』によって変わる」とあるんだけど、「誰が」とは誰なんだろう。原価計算担当者以外、原価計算を行うもの企業内でいるとは思えない。だとすると、計算担当は一人(あるいは当事者といってもいい)しかいないだろう。複数の「目」を仮定しているからこそ「誰が」という話になるんだけど、ここでなぜそういう仮定を置いているのだろう?

まあ、たまには計算担当が引き継ぎなどで変更されることがあったり、別の会社の似たような事例を参考にすることはあるので(そんなふうな試験問題もある。例えば会計士試験などでは、「ある原価計算担当者は『〇〇』よりも『☓☓』が良いと主張している。どちらがより適切か論じなさい」みたいなやつ)、絶対に無いかと言われるとちょっと怪しいけれど、「誰が」が、問題になることは、ほぼ無いのではないかな。

ちなみに、このちょっと前の、

管理可能性に基づく分類・・・自らの意思で減らすことが出来るかどうかZ

というのの最後は「Z」ではなくて「?」だろうね。分類の説明もかなりアヤシイところがあるね。(4の操業度の説明は、「製造量」で良いのかな? 操業度と製造量は別個の概念だと思うが)

製造費用の分類の画像も知らない人が見ると混乱する要因がありそうに思った。

原価計算の難しいところ

で、あまり気にしないでどんどん進む。このあたりから、いろいろとどうなの?というところが増えていく。

費用と原価がざっくりまとめられているんだけど、この説明はこれで大丈夫なのかなあ。この原価の説明はなんか、はじめて聞いたくらい。「費用を今期分に調整」って、それが原価なの? 期間に着目して原価を説明するのは無理なんじゃないかな。(製造した製品視点がどうしても必要だろう)

このあと、いらすとやさんの画像を使って、カレー/カレーパン/シチューを作る例で話が進むのだけど、カレーカレーパン工程は、少なくともパンを作る工程くらいは入れるべきだろうね。(脱線するけれど、カレー画像緑色のものが載っているけれど、これはなんなのだろうか。グリーンピース?)

事務員さんによるサポート(赤矢印)」という太字のところは「赤」ではなくて、「青」だよね。

原価計算の手順

で、進む。部門別原価計算の例で進むけれど、部門別原価計算って、一番シンプルな例で進むとしたら、部門別である必要はないのでは?費目と製品別で原価計算の基本は説明できると思うけれど。実際に簿記2級で最初に習う一番シンプルものはそんなところだったはず。

だんだん疲れてきたので

このあたりで終了。やる気のある方は、この続きや自分の指摘以外の箇所をやってください。「計算金額:実際原価計算 と 標準原価計算」の箇所もどうかな?と思うところがあったり、他にもいくつもありますが、疲れたので終了します。久しぶりに管理会計原価計算の本を見たりして、ぐったりした。

これらが「原価計算の基礎と基本」なのかな? すごいトリビアルな箇所があったり、説明が適切ではないところがあったりするので、知らない人からみると相当混乱するのではないだろうかと思っているんだけど、どうだろうなあ。

前の簿記エントリ http://www.yutorism.jp/entry/2015/11/11/100336 を見ると、コメント欄に初学者の方が質問されているようだけど、その質問に対する回答も無いようなので、知っている人から見れば「ちょっと変だなあ」くらいで済むけれど、知らない人から見ると理解の妨げになりそうな感じがしております。まあそれも仕方ないのかもしれないけどね。

※ 前の簿記エントリについて、私が書いた増田が読みたいという(奇特な)方は、

- 『簿記の人気エントリhttp://anond.hatelabo.jp/20151112103436

- 『簿記エッセンス(簿記という言葉意味を間違えないために。)』 http://anond.hatelabo.jp/20151113140308

を参照していただきたい。

http://anond.hatelabo.jp/20160517123407

>やはり、「Qiitaグルになってる」、ということでしょうか?

いや、それアピールしながら、後ろめたいのか、バレたらまずいのか、削除編集してるのがおまえらなんだけど?w

運営バンザイ!...」とか勢い余って書き込んだのが、マズイとおもったのか削除、あと「学内」→「身内」

学内」でネガキャンしてる当事者だという書き込みしといて、学会で、とかどの口で言ってるんだ? 「学内」の誰かさんよー


ノンスタ兄貴記事がしっかり残って、反発コメントがほぼ全滅(アカウント削除処分)という状態なのは、あざやかだよね。 あれのお陰で学内の周知もらくになったわw 運営バンザイ!...

↓ 編集削除

http://anond.hatelabo.jp/20160516161735

ノンスタ兄貴記事がしっかり残って、反発コメントがほぼ全滅(アカウント削除処分)という状態なのは、あざやかだよね。あれのお陰で身内への周知もらくになったわw

2016-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20160516195833

当事者じゃない、高みの見物だけど、岡部氏vsアンチで、例の教育者らしい東北大の先生解説があまり役に立たなかったのは事実

また、岡部氏に酷評されている例の教育者らしい先生のまずい説明拡散されているならば、しっかりとした批判を加えることはよほど教育者らしいことをしていると感じる

こう書いたらまた本人扱いされるんだろうが、それでも別に良いですよ(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20160516071512

うつ病に関しては、女性のほうが有病率が高いけど、その転帰については男女において明確な差は認められないという研究結果が出てたと思う。

境界性パーソナリティ障害女性に多い(全体の約75%を占める)けど、これはおそらく男性が同じような問題を抱えている場合反社会性パーソナリティ障害自己愛パーソナリティ障害と診断される傾向があるため。

転帰に男女差があるのかどうかについては「?」。ネット論文を調べれば分かるのかも。手元にある資料には書いてなかった。

解離性障害解離性同一性障害・解離性健忘・離人感)は詳しくないのでよく分からない。



「救われました!」と書いているような人でも、しばらくするとまた再燃してたりすることもあるので、当事者ブログ記述はあまり参考にならないと思う。

(「救われた」という感覚自体病気の症状という可能性もあるので。とくにBPD。)

2016-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20160515092335

フォロー関係云々というのはTwitterというSNS固有の内々の「システム」の話でしょ。

Twitterであろうがブログであろうが、同じことだと思うけど。

いくら相手のことを名指ししていなくても、誰のことを書いたのか明白なことってあるし。

そもそもネットに何かを書く以上は本人の目に留まる可能だって当然あるわけで、

さくらいも馬鹿じゃあるまい。そのことを想定していないわけがないんだよ。

さくらいは最初から女々しい対応してるんだよ。言いたいことがあるならハッキリオバサンに告げれば良いことで、

それを煮え切らない一人事で延々と念仏唱えてりゃ、当事者だって反応するだろうよ。

やりたいことはある、でも挫折して終わる

「やりたいことがない。」

「何をしたらいいかからない。」

趣味でも仕事でも当てはまるだろうけど、時々耳にする言葉だ。

そういう人が居るのは事実であり、その悩みもなんとなくは分かる。


だが自分の悩みは少々ずれる。




「やりたいことはある、でも成し遂げる前に挫折する」




そう、やりたいこと自体は色々浮かんでくる。

しかし行動に対して成長速度が思わしくない。

停滞も失敗も大事経験として価値があるのは認めるが、何回も味わってくると断念したくなる。

他者比較したり、短期的な期待を持ちすぎなのかも知れないが、出来ない自分を見ていて楽しめるほど強くもない。




出来ないという表現に指摘されるのは、「調べればわかる」「ググれ」のようなものがある。

現代は学ぶ上では恵まれ時代だ。

検索すれば、ありあまるほど手に負えないほどの情報を得る事が出来る。

ただ、情報があったところで成長に直結しない事を痛感する部分でもある。




例えば自転車に乗る為に、「自転車の乗り方」を学んでも乗れるようになるわけではない。

自転車に乗る為には、自分筋肉コントロールする感覚必要なためだから。


ペダル外して蹴り続ければ早く乗れるとか理屈を学んだり、練習していれば「いつか」は乗れるようになるだろう。

しかしそれまでの道が長すぎて、自転車を放り投げてしまう。

期待値を忍耐値が超えてしまう。





模範解答をそのまま書き写すだけで正解・成長というなら、情報あふれる現代は素晴らしい答案閲覧時代だ。

皆が技術習得することが容易な時代と言える。




だが問題は、情報を整理して自身感覚と照らし合わせる段階。




ここは教科書にも載っていない、自分経験しないといけない部分。

言語化できない感覚的内容を、脳にたたき込めるようになれば問題ないのだけども。



情報を入手したものの、この段階で整理が出来ずに成長が繋がらない。

ここでモチベーションの維持が出来ずに挫折に至る。



成功者は辛い過程の中でも諦めなかった者だ。」みたいな言葉を聞いたりする。


確かに成功例として聞けば美談である

自分も諦めない事は素晴らしい事なのかと錯覚もする。

しか当事者として、先が見えない現状を継続する執念が持てるか?と言われたら心はゆらぐ。



「これを続けるべきなのか、やめるべきなのか。」



場合によって不向きであり、諦める方が賢明場合もあるわけで。

その結果、現状よりも興味を抱いたものに移る。

この繰り返しに自分は迷い込んでいる。



「やりたいことがない」という言葉は、「実際やりたいことはあるけど、必死になれるほど執念を持てない」という気持ちなのかもしれない。


そして執念を持つにしても、自身の行動をどこまで信じたらいいのか、諦めたら良いのか。


あふれかえる情報を、どうしたら自身感覚的部分に反映させられるのか。



挫折を繰り返すごとに、自身向上心が薄れてしまう気がして怖い。

2016-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20160512190607

私がますますベッキーを嫌いになるのは変に擁護の声が大きいか

(矢口擁護あんまりなかったからどうでもいい)

ていうか当事者じゃないから怒るのがおかしいという理屈理解できない

悪い事は悪いんだから誰が怒ってもいいでしょ

不倫当事者問題だというのなら、いじめ当事者以外は怒れない事になるな

ALS患者出席拒否事件への証言の一部

http://togetter.com/li/974568

与党理事当事者意見を直接聞くことも大事だが、参考人質疑の限られた時間ルール考慮して協会意見をしっかりやり取りしていただける方が望ましいという主旨での発言で、協会委員会で視察に行くという代案も提案していた。「拒否」は明らかな事実誤認

この発言に尽きるように見える。限られた審議時間内で最善を尽くそうとすることが差別呼ばわりって、差別ってなんなんですかね。