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2017-01-19

ハルピュイアになりたい

宇宙を駆け回ってちょっと休んでたら地元の子供が羽根に登ってきちゃって

の子が飽きるまでじっとしてるの

薬学部にいて苦しい人達

そろそろ後期試験だろうか。

卒業試験だろうか。

それとも、薬剤師国家試験前だろうか。


私は4年制薬学部最後入学者で、1回生を2回やった。

講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)

真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。

こちらのほうが致命的である

私が親なら退学を勧める。しかし別学部卒で自身留年経験のある親は留年を許してくれた。

今思えば、

当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。

自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると。

ノートを頻繁に借りに来る友人を軽蔑したりもした。

留年してから自分は本当に惨めだった。

同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。

結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレート合格できた。


私学なので国家試験前は予備校先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由私たちにはそれがなかった。

今でも納得いっていない(笑)

ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室毎日自習した。

お湯を沸かすためのポット。

味噌汁スープコーヒーお菓子

青本と、過去問

大学入試で入れない日は、ドトールに行った。

こんなに頑張ったのは初めてだった。

大学入学すら追加合格

考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。

できない、というのはなんとなくだらだらして。

無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。

自分の底が見えてしまうような気がして。


実際底が見えた。

毎日毎日勉強していた、7年前の今日

勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して

行ったことのない駅で降りていた。

会社と反対側の電車にのるみたいな感じかな。


今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。

受験における全力の努力って本当につまらない。

毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。

解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。


悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。

今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。

そういう風に人間できている。

だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。


大学生活は貴重だ。

その気になれば沢山の経験ができる。

私は留年の後ろめたさから中途半端勉強に費やしたけど、

生保レディってそんなに駄目か?

勧誘ノルマがあるらしく、知人に頼まれ勧誘面接みたいのに行ってきたんだけど、

安いけど基本給は固定だし、

色んな種類の子供休暇が設けられていて簡単に休めそうだし、

保育園費用も何割か負担してもらえるし、

飛び込み営業も無い。

正直、子供保育園に預けて旦那扶養内でパートで働くくらいなら、

本当に必要ときに休暇がとれて社会保険にもきちんと加入出来るこういう会社に勤めた方がいいと思った。

まあ、私はやらないけど。

13歳のアイドル

HKT48が好きになった。

妹にしたいとか娘にしたいっていうのはこういう気持ちなのかとはじめて知った。

可愛すぎて死にそう。

さいきんは仕事中にShowroom聴きながら仕事してる。

今日今村麻莉愛ちゃんのshowroomを聴きながら仕事してた。

でも、なんかのきっかけで「13歳です」っていったのを聞いてショックを受けた。

俺は13歳の子の話を楽しく聴きながら仕事してるのか。。。

話上手いと思うし面白いけどほぼ3倍の年齢だわ。

握手会いってみようかな。





おでかけっ!

技術のタダ売り

気持ち的には、よくもやりやがったなって感じ。

俺は、技術のタダ売りって好きじゃなくて、つまり今回のNさんの件も凄い不愉快なんだけど、彼は現時点でもかなりの収益を算出しているし、実のところ広告収入とかで収入は途絶えないだろうし、さも「自分収入なんかどうでもいい!本が読みたくても読めない子どもたちの為に無料公開するよ!」という雰囲気を醸し出しておきながら「金の奴隷解放宣言」が笑えちゃうくらい今後も収益が出る事が尚更不愉快にさせる。偽善とはこのことだろうかと思わずにいられない。

確か、あの絵本は、自分が発案者だか発起人だかで、他の人の名前は出さないとかで、当時結構揉めてたんだよね。気のせいだっけ。曰く、「映画だって、何人もの人で作っているけど、監督名前しか出ない」とかそういう理由で、自分以外の名前は書かないと宣言してた気がするけど。

それでも、クリエイターは集まっているわけでしょ?まぁ、現時点までの収益で、彼らへの賃金は支払われているだろうけど、それにしても、なんというか、納得のいかない話だなと思う。

発売されたのが、3ヶ月前。世間ではクリスマス正月も過ぎているのに、こどもが本当に欲しがる2000円の本が手に入れられないってある?

の子の親は、子供に本を買い与えないタイプなのかな。それとも子供が、親がそれを買い与えるのを渋るほどの悪ガキなのかな。

まぁ、各家庭に様々な事情があるでしょう。で、買えなかったとしてさ。んなら図書館行けやって思っちゃうのは、俺がおかしいのかねぇ。

「本が高くて買えない」→「んじゃあ無料にするわ」って、いくらなんでもクリエイターとしては酷すぎる思考回路だと思うんだけど。

それって結局、その界隈の質そのものを下げるよね。

第三者の助言で「他のクリエイターに「タダにしろ」とか言うなよ」みたいなコメント追加したらしいけど、それを直接的に言わなくても、そうする事で確実に彼らは一部の非常識人間からそれを求められる事になると思うんだけど。

自分が作った作品であれ、何であれ、無償提供するとか、お前、金持ち道楽かよ。

技術のタダ売りが出来るほど、金に困らない生活してみたいもんだね。

金があっても、俺は技術のタダ売りは絶対しないけどね。

自分の子供の栄誉=自分の栄誉

こうなる理由がわからないんだけどどうしたらいいんだ?

血を分けても他人他人な気がする

http://anond.hatelabo.jp/20170108200326

http://anond.hatelabo.jp/20170119121433

未就学児といってもピンきり。よくいうことを聞く5才児なのか、一番泣く1才児なのか?

一人一人個別対応できればいいけど、明文化する決まりはどうしたってどこかで線引するしかない。それぐらいの事情はわかるでしょう?就学児であれば最低でも教室で着席して騒がないことぐらいは教えられているわけだから(できるできないは別として)そこで線引するのは妥当ルール趣旨をよく理解しておられるのだから「うちの子に関しては責任持てる」なら、別に身分証明書チェックするわけじゃなければ、1年生です、と書いて1年生のカッコさせてスーッと通すぐらいの悪知恵は働かせてもいいだろう。

どうしてこう「明文化するルールに全ての人の事情の面倒を鑑みろ」っていう要求が多いのかな?ルール責任もって欲しいのかな?

そんなのにいちいち噛み付いていたらいくら人生があっても無理だって

ルール趣旨をよく理解し」「何かあったら自分責任を取る、取れる」って姿勢さえあれば多少の融通をきかせていくほうがラクだよ。

電車

目の前に立ってる女の子が明らかに具合悪そうで「大丈夫ですか?」「座りますか?」って声かけたけど「大丈夫です」「次で一旦降ります」と言っていた。

の子は結局次の駅で降りたけどこれで良かったのかなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20170118121552

お前のようなバカ親のほうが今や絶滅危惧種だよ

そういう教育が悪影響を与えると最近の若者はよく知ってる

生きる力が強い(笑)

私立中学校にすら通わせられない親が正当化のためによく言ってるわ笑

あ、地方ではバカのほうが子供を産んでるって話?笑

バカの子は頭の弱いザコで底辺職として養分扱いだという事実は変わらないぞ笑

2017-01-18

宇宙人みたいに生きてきた

小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしま子供だった。

大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。

責任感がなく、ぼんやりしていて、空気が読めない。

人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。

なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。

今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。

学校に行くようになっても変わらなかった。

同級生たちからからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。

たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。

体育は大の苦手で、球技特にダメだった。ドッジボール最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。

勉強だけは比較的得意で、特に記憶系の教科は得意だった。

でも数学物理は、概念全然からなくて雲をつかむようだった。

父がアル中だったので、大学でなんとか家を出たいと思った。

から、苦手な数学物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。

大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。

就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。

そろそろ、社会から必要とされないダメ存在だということに気づき始めていた。

自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分判断はいつも間違っている。自分宇宙人のようだった。

けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。

その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。

からさまに自分からかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。

結婚し、子供もできた。

それでも、まだ、自分は人をイラつかせてしまう。

ああ、自分おかしいんだな、と思うことが日に一度はある。

自分おかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。

自分は、会話で何を話したらいいかからず、例文を読み上げるように会話をする。

自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。

どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。

また失敗した。

頭がおかしい、人をイラつかせてしま自分

最近自分は何のために生きているかからなくなってきた。

こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。

でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。

変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。

職も、せっかく得た家族も失ってしまうのかもしれない。

一人では生きられない。

宇宙人でも、一人では生きられない。

http://anond.hatelabo.jp/20170118183216

「大多数の子が本当は部活やりたくないのに悪の指導者によって強制的にやらされていて

毎年それを知らずに入部する新入生=犠牲者一定数発生する」

なんじゃこりゃ。

父親活動って月1日の休みが週2日休みになっただけじゃん?

部活やりたくないとか悪の指導者とか何いってんの?

同じ記事の話してるとは思えないや。

http://anond.hatelabo.jp/20170118182036

しろ何故あり得ないと思っているのかが分からんのだが…



「大多数の子が本当は部活やりたくないのに悪の指導者によって強制的にやらされていて

毎年それを知らずに入部する新入生=犠牲者一定数発生する」って方があり得んよ

http://anond.hatelabo.jp/20170118175605

自分で考えることでしょ

「みんなが犠牲になってくれなきゃうちの子が困る」って知るかい

プログラミングって「得体がしれない」よな

プログラミングって、これから始めてみようっていうとき、なんだか「得体のしれない行為」っていう感覚がありませんか?


ぼく自身は、プログラムを書いてる側の人間で、いまでこそ少しはプログラミング本質的な難しさをわかってる気になってます。でもつい数年前までは、プログラミングは難しくはないけど得体がわからない、という感じでした。

そのへんのコードを組み合わせて動くものはできるけど、何がどうなっているのかは知らんし、ググって分からないものはできない、という方向で、「プログラミングは難しい」と思ってました。


最近になって、プログラミング義務教育必修化の話題とか、コピペプログラマー話題とかを目にするたびに、かつて自分プログラミングに対して抱いていた「得体のしれない行為」という感覚が思い出されてしまい、少しざわざわした気持ちになったので、ちょっとここに書きなぐらせてください。


だいたいが個人的な話なので、そういうのがうっとうしい人は無視してください。


ぼくが世の中にパソコンという道具があることを知ったのは、たぶん中学生ときです。30年くらい前。当時、電気屋の売り場ではけっこうな床面積を使ってワープロ文章入力する専用マシン)が陳列されてました。文章を書くのは好きだったけど、字を書くのが死ぬほどめんどくさかった自分は、ワープロさえあれば自分小説とか書くのになあと思いながら指をくわえて電気屋の店内をうろうろしてました。しかし、ファミコンすら買ってもらえなかった家計ではワープロなんぞ買ってもらえるわけもありません。そのうち巡回してた電気からワープロが消え、それに代わってパソコンのコーナーが広がっていきました。このパソコンというのは、よくわからないけどワープロとして使えるっぽいし、どうやらファミコンを持っていない僕にもゲームができるらしい、おれに必要なのはこれだ、というわけで、中学生だった自分パソコンという存在に興味を抱くようになったのでした。


はいえ、だからといってパソコンを買ってもらえるような家計ではなかったわけなので、カタログを熱心に眺めるだけの毎日が続きました。その当時の自分にとって、パソコンが欲しいといったら、それはNECを買うかエプソンを買うかという選択でした。冨士通からパソコンが出ていることは知りませんでした。マッキントッシュっていうやつもあって、このPerformaっていうやつはなぜか安いとか、よくわからないけどシャープとかソニー独自パソコンを作っているぞとか、そういう情報パソコンに対する認識のすべてでした。当時の自分にとってのパソコンは、電気メーカーから発売されている商品一種であり、ラジカセとかテレビと同列の存在でした。


なんでこんな話がプログラミングにつながるかというと、ひょっとして自分プログラミングにずっと感じていた「得体のしれなさ」の源泉の一つは、こんなふうにパソコン電化製品として見ていた当時の感覚の延長だったのかもなあと思ってるからです。


ラジカセなら、CDだのテープだのを入れて再生タンを押せば、そのハードウェア機能物理的に体感できます。それに対してパソコンは、プログラミングちょっとやってみても、その行為と、そのハードウェアとが、感覚的に結びつきません。もちろん、プログラミングというのは、物理的なデバイスに結びつけて考えなければできない行為ではありません。しかし、パソコンを「カタログ商品」として見るところから入ってるばかりに、そこでやるプログラミングという行為ハードウェアとの結びつきが見えにくい状態に、なんとなく居心地の悪さを感じていたように思うのです。


もし自分スタート地点が、パソコンを使って文筆やゲームをするところだったら、パソコンは文筆やゲームのための箱だったでしょう。その後でプログラミングを始めていたなら、プログラミングという行為を、文筆やゲームに関連した創造的な活動として学べたかもしれません。


ところが実際には、自分はつい数年前まで、パソコンという電化製品に対する漠然とした行為としてプログラミングを捉えてた気がします。


プログラミングを始めたのは、高校生になって誰も使わないFM77が部室に置いてあったので立ち上げてみたらF-BASICインタプリタが起動したからでした。とくに何をプログラミングすればいいかもわからなかったので、教科書雑誌コードを転記したり、ループで線画を書いたりして遊んでいました。大学に入ってからも、授業でFORTRANとかLispをやらされたけど、基本的自分目的をもってプログラミングするのは数値計算くらいのものでした。そのころになると、本で情報を探して(まだインターネット検索は使い物にならなかった)適当コードをつなぎ合わせるのがプログラミングだと思ってました。そんなん面白くないなあ、とも思ってました。


この感覚、完全に、いま揶揄されているコピペプログラマーのそれだったと思いますちょっと話はそれますが、ブロック遊びとか砂場遊びって、ほとんどの人はわりとコピペプログラミングと似たような感覚でやってるんじゃないでしょうか。パーツを勘で組み合わせたり、とにかく砂を盛っていったりすれば、家みたいなのができるよね、という感覚プログラミングは、自分にとってそれに近い作業でした。学生のころは、内心、自分にもパソコンサンプルコードさえあれば何かすごいものを作れるかもなあ、くらいに思っていたふしもあります


自分バカでした。パソコンがあるとかないとか、関係ないのです。パソコンさえあれば、なんて思う者に、本当のプログラミングがわかるはずがありません。


そんなこんなで、自分はまともにプログラミング経験しないまま社会人になったわけですが、幸いにもプログラミングに対するこの感覚は、仕事パソコンを日々使うようになってから徐々に変わっていきました。

具体的には、パソコンが、自分の中で「カタログ商品から武器」へと変わりました。それと同時に、プログラミングという行為が、武器開発という位置づけになりました。

武器というのは言い過ぎだとしても、ちょっとしたプログラミングは確かに業務上課題を打開しました。それなりに計算機科学教科書を読んで勉強をしたこともあって、いつのまにかプログラミングに対する「得体のしれなさ」も解消してました。


結局のところ、自分にとっては、プログラミングという行為の「得体のしれなさ」から解放されるまでにずいぶん長い時間必要だったことになります自分がそうだったからといって他人もそうだとは限らないですが、たとえば小学校で形だけプログラミングを教わっても、分かるとかわからないとか、好きとか嫌いとか以前に、なんかモヤモヤした気持ちになるだけの子もも少なくないんだろうなあ。それは不憫だなあ。


かといって、自分がいまプログラミングで少しは戦えてるのは、そのむかしパソコンに憧れがあって、得体がしれないなりにプログラミングをする機会が若いときたまたまあったからでもあるので、そういう機会になるなら小学校で形だけでも教えるほうがいいのかなあとも思います


オチがないので、このへんで。

目隠しだけして自分が隠れているつもりになる子

さな子供自分の目を隠して『隠れたつもり』になっているエピソードというのを前に読んで

「小さい子だからそういうものかなあ」

と思っておりましたが、どうもそれは違うようでした。

 

うちの世界一カワイイ2歳児が最近自分の両目が隠れただけで自分が隠れていると思うようになりました。もっと小さい頃は律儀に全身隠れていたはずなので、これは「成長した結果」と考えられます

 

自分から相手が見えない」

→「ということは相手から自分は見えないはず」

 

という(誤った)推論ができるようになったと理解すべきでしょう。

 

もちろん、もうちょっと大きくなればこの推論は誤っていて、やっぱり全身を隠さないと隠れられないことに気付くでしょう。

 

まり、何が言いたいかというと「うちの子可愛いな」ということです。

http://anond.hatelabo.jp/20170118143723

ていうか同じくらいの子供いる人もすげーパチンコ行ってるんだよね。

世の親とかって『パチンコ行ってくる』でこころよく預かってくれるのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20170117214149

パチンコをダシにしたイクメンマウンティングキター

っていうか、なんで田舎者が全員育児に手がかかる時期の子持ちという前提なの?

小学生でも高学年ぐらいになったらそんなに手がかからないし、習い事の送り迎えの合間とかけっこう微妙時間のスキマもあるし、育児に手がかかる時期の子持ちのほうが圧倒的に割合少ないやん。

http://anond.hatelabo.jp/20170118135125

爺ちゃんが明治終わり位の生まれだったりすると、その爺ちゃんの戸籍を辿ると丁度いいくらいに爺ちゃんの兄弟とその子供(通常は取得できないのだが、その時代戸籍だと孫まで記述されていたので見れる)が載ってて、なおかつ大体昭和20年前後戸籍を離れているような戸籍謄本が取得できるかと思う。

爺ちゃんの兄弟の子供とかも載ってるから、一つの戸籍謄本に2~30人の名前が載ってることも珍しくない。

戸籍謄本は、家を作って戸籍から離れるか死んで戸籍を離れるかくらいしか除籍される理由は無い。

しかし、死ぬことについては結構厳格で、「死んだ場所・死んだ日」が基本は明記される。兵隊であれば「戦死」ともちゃんと書かれる。

靖国合祀されるかされないか、遺族年金なんかがもらえるかもらえないかの話だからこれはちゃんとしてる。

それで戸籍謄本をよく見てみると、特に昭和20年以前に死亡したというような記述は見られず、普通に昭和20年以降に死ぬ結婚するかして籍を離れるような人間のほうが多いことに気づかれると思う。

死亡が明記されている戸籍もあることはあるのだが、大体の死亡が明記されているものは「生まれから5年以内」のものだったり、下手すれば生まれから5か月とかそんなレベルのものだったりする。

七五三は「七歳までは神様のものだった」って言われていたように、昭和以前の人間戦争死ぬよりも子供のころに不慮の事故とか栄養失調とかで死ぬケースのほうが多かったのだ。

…っていうのが戸籍謄本を取得すると大体わかる不思議事実だと思うんだが、まあ家系によってはいろいろ状況は異なると思うけど、ワイの家系ではそれが事実っぽかったぜ。

ちなみにワイの家系東京の東付近が起点。

中学生でもできる! 素因数分解プログラムを書いてみよう(bashで)

http://anond.hatelabo.jp/20170117205622

より。

「ワイは全然すごくない」という増田書き込みに対して「いや全然すごいよ」みたいな書き込み散見されるようだが、ここではっきりと申し上げておきましょう。

素因数分解プログラムで解くとかとか中学生でもできるぞ」と。つまり増田全然すごくないし、この記事を書くワイも全然すごくない。

素因数分解というのはなんか用語だけ聞くと難しそうに思うが、要は「ある数字素数の組み合わせに分解」するだけの話である

数字素数で割っていけば自然素因数分解が行えるのである

というわけで増田全然凄くないの根拠として、以下に素因数分解を行うプログラムサンプルを挙げる。

このプログラムbashで書いてあるが特にbashである必然性はないのでphpなりCで書き直してみるといいだろう。

中学生のお子様がいるご家庭の方は、これをサンプルとして別の言語で書かせてみると、その子プログラミング素養が図れるかもしれない。

#! /bin/bash

n=$1;
a=2;
while [ $a -lt $n  ]
do
  #割って余りが0なら素因数やな!
  m=$((n%a));
  if [ $m == 0 ]
  then
    # $n は 素数やない! $a で割り切れんで!
    #a自体素数かどうか調べなあかんecho -n "${a}x";
    n=$((n/a));
    a=2;
    continue;
  fi
  #素因数やないので割る数を増やしてみるで
  a=$((a+1));
done;
#余った $n は素数やな
echo  $n;

最初ソースバグってた。ちょっとしました)

このソースtest.shなどのシェルスクリプトファイル作成してその中に記述する。ソース記述した後はchmod +x で実行権限をつけてあげることを忘れないようにしよう。

このプログラムは渡された一番目の引数に対して素因数分解を行う。整数以外を入れた場合動作保証できないので、適宜チェック処理を入れるなりしよう。

このプログラムを実行すると、結果は以下のようになる。

$ ./test.sh 114514
2x31x1847

結果が不安なら電卓計算してみればいい。必ず合うはずだ。

ついでにクリップボードコピーする

結果を出すのはいいとして、元増田クリップボードコピーして貼り付けまでを手動で行っていたそうな。

MacOSならばクリップボードコピーするまでを一貫して行うことも可能だ。pbcopyというコマンドを使う。

$ ./test.sh 114514|pbcopy

これでクリップボードコピーされた状態になるので、そのままニコニコなりのコメント欄コピーすればいい。これで俊速素因数分解コメントが書き込めるようになる。

また、いちいちpbcopyコマンドを打つよりも今回作成したシェルスクリプトの中でpbcopyまでを行ってしまうのもありかもしれない。

いずれにせよ、今回の素因数分解というプログラムはかなり簡単な部類になるため、初心者への課題としてはうってつけだ。

どうです、簡単でしょう? 

ちなみに実行速度ですが、よほどデカ素数でもない限りジョン・フォン・ノイマン暗算よりは早いはずです。多分……

リーガーだった。(自己保存用)

リーガーだった。

つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約サッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。

山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま選抜に選ばれて、地元広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。

田舎中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブ練習をしていた。中学校卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。

サッカー部部員100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部寮生活上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除雑用もこなした。なぜか女子マネ雑用ほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。

3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後全国高校サッカー選手権スタンド応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。

大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグクラブアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグ活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカー真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活顧問コネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず邪魔から帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約オファーが届いた。

C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学女の子から告白されたりした。

ガラガラ会議室入団会見をして、住み慣れない土地寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約オファーはなかった。そしてサッカー選手引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。

プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号ユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号ユニフォーム応援イベントに来てくれた。

引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブから斡旋で、某民間企業インターンシップ半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。

年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報高校時代のチームの結果が載った新聞記事サッカー部員として大学パンフレットに載った時の写真入団が決まった時の記事Web配信されたニュース記事印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。

偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052

キャッシュttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)

魚拓 archive.is/3Xff2

名探偵コナンラストガチで予想する。当たりすぎて青山豪商を驚嘆させてオチを変えさせてコナンが、あのコナンがだぞ、あの国民的漫画ラストが、つまらなくなる覚悟で俺は書く。



まずコナンは復活する解毒剤の副作用で新一とコナンに分裂する。

新一は蘭と結婚する。コナンのほうは灰原とくっつく。

灰原も分裂する。小さい方がコナンとくっつくのは先述のとおりで、お姉さんの方は光彦とくっつく。



新一と蘭の子である工藤久作は黒の組織を復活させる。

コナンと灰原は新生黒の組織により葬られる。ここまで第二部未来少年探偵コナンザグレート(100巻)。



毛利小五郎と妃英理との晩年の子である毛利太郎が、新生黒の組織ボス工藤久作を滅ぼす。

太郎は、光彦と灰原の子である円谷有栖とくっつく。

指輪フィリピンルソン島にあるピナトゥボ火山に投げられ、永遠に失われる。

円谷と毛利西方浄土に旅立ち、第三紀は終わりを告げる。ここまで第三部アリス探偵局(100巻)。

2017-01-17

私がダンオタになった理由

私はダンオタである

一年前の今日、某テーマパークに行きパレードに出演している男性ダンサーを好きになった。

ダンオタというのはテーマパークダンサー好きな人たちのことで、だいたいどこのテーマパークにもいる。夢の国にも、関西映画の国にも、忍者村にだっている。

流行りの服装で一眼を持ってショーやパレードを待っている女の子がいたら、ほぼダンオタだと思って間違いないだろう。

では、何故どこのテーマパークにもダンサーオタクはいるのか。それは私がのめり込んでしまった起因でもある。

ダンサーは、パレードの主役じゃないからだ。

一般的テーマパークには多くのキャラクターがいて、ショーやパレードの主役はそのキャラクターたちだ。

ミッキーキティちゃんエルモアンパンマンなどなど、テーマパークで行われるショーの主役は彼らであり、彼らを中心に物語が描かれる。

キャラクターだけいればショーは成立するのでは、そう言われればそれまでで、最もその通りなのだが、テーマパークの広大な敷地のすべてにキャラクターを配置することはまず不可能だろう。そして、それが可能だとしても、絵面は寂しくなりそうだ。

そこで、テーマパークダンサーが現れる。主役のキャラクターを引き立て、ショーを盛り上げる。あくまでも、引き立て役であり脇役なのだ

なら、どうしてそんな脇役にオタクがつくのか。

私は元々ゴリゴリジャニオタだった。月に一回は何かしらのコンサート舞台に行き、自担くんの出演舞台は全通もした。チケットいくらかかったかはもう想像できない。大学生の時ですら、年間3桁の額を使っていた。

自分の服や化粧、食費は最低限で、バイトをいくつも掛け持ちしていたし、友達ゼミ飲み会には一切参加しなかった。今思うと、悲しすぎるキャンパスライフである

しかし、それでもよかった。365日のうち300日はどこかで踊っている自担くんが大好きで、彼を見に行けるなら他のことな必要なかった。

どうして自分自担に対し盲目的でいて、そこまで必死に頑張れていたのか理由は分かっていた。

私の自担は、Jrだったからだ。

ジャニーズJrというのは、デビューしている先輩もしくは後輩のバックで踊っているダンサーのことで。Mステなんかで嵐が歌っているとき、やけに背景がうるさいなと思ったことはないだろうか。そういうときバックで踊っているのがJrだ。

Jrでいる間は事務所をいつ辞めるのかは自由で、昨日までいたのに今日はいなくなっているということはザラな世界だ。しかも、いつ辞めるという知らせは一切ないどころか、辞めたかどうかすらはっきりと分からない。

そんな儚い存在ジャニーズJrが目指すものはみな一様にデビューだ。CDデビューをして初めてJr卒業する。それまでは、バックダンサーという立ち位置しかなれない。

そう、コンサートの主役を引き立てる脇役なのだ

長くJrをやってデビューすると、こう言われがちである、「Jrの方がよかった」。せっかくデビューして事務所を辞める心配がなくなって、なおかつCDを買ったりコンサートツアーをやったり、活動する場所はどんどん増えていくのにだ。そして、何より夢にまで見た主役になる。

しかし、広いステージの真ん中でマイクを握る姿より、ステージの片隅で踊っている姿の方が良かったと思えるのだ。

世の中、なんでもそうだと思う。漫画人気投票で主役よりも脇役の方が人気なことは多いし、コンテストで優勝した人よりも審査員特別賞の人の方が売れたりする。真ん中に立ち、スポットライトを浴びることだけが魅力ではないのだ。

ライトが一切当たらない暗がりを見ている人はいて、その暗がりにいる脇役を見つけたときは何とも言えない優越感がある。主役は誰にだって見える、というか見せるためにいる。主役が見えることは当たり前で、見えたときの感動はそう大きくない。

大勢の人が主役を見ている中で、私は脇役を見ている、私だけが脇役の演技を知っている。その感覚が常に私を頑張らせていた。

Jrは夢を持つ、目標を持つ。その誰にも見えない夢を私は応援たかったのだ。

Jr好きな人がみなこんな理由応援しているとは限らない。たまたま私の自担舞台仕事バックダンサーが多かっただけで、バックにつかずテレビに出て活躍しているJrの子もたくさんいるし、そういう子のファンは違う感覚を持ち合わせているはず。

ただ、少なからずこういう感覚もあるということだ。

そして、件のテーマパークダンサーだが、彼らもまるでジャニーズJrのようだなと私は感じた。

テーマパークという枠に囚われ仕事を与えられ、主役になることを夢見ながら脇役として仕事に徹し、いつの日か音もなく目の前から消えていく。

誰かに気づいてもらいたいと思いながら懸命に踊る姿は、見た人の胸にそれは刺さるだろう。

私の場合も、「笑顔かわいい人だなぁ」と思って見ていたら目が合って、手を振ってもらったのが始まりだ。「見つけた」「見つけてくれた」の瞬間である

そんなこんなで、テーマパークダンサーJr担の性癖に見事にジャストミートした。

皆が皆、同じような気持ちダンオタをやっているとは思わない。ダンスが素敵だったから、顔がかっこよかったから、理由は人それぞれだが、ショーの脇役を見て好きになった境遇は同じなはず。

まり脇役脇役いっていると怒られそうなのだが、ダンサーもショーの重要な一部だということは分かっているので悪しからず。

そんな私も盲目的にテーマパークのしきたりを守りながら追い続け、今現在は顔と名前を覚えられているところまでいった。パレード最中に目が合うと「あっ」という顔をされ、今も「見つけた」「見つけてくれた」の関係は続いている。しかし完全にその立場は逆転し、今は私が見つけてもらう側になっている。なんでもそうだが、オタクが優位でいられるのは一番最初、好きになった瞬間だけであるから、これはもう致し方ない宿命だ。

これは私事だが、ダンオタというのはジャニオタに比べれば懐に優しい趣味だが、ダンサーというJrよりも一般人に近い存在オタクをしている性質上、メンタルが抉られる事案が多いなと感じる。距離が近いため、手紙に書いた内容が次の日のパレードに全てダイレクトに反映されるのだ。そのレスポンスの速さたるや、自動返信サービスかと思う。

ファンサされたり、干されたり、機嫌の良い悪いですぐ態度をころっころ変える一般人に振り回される毎日だが、それでも楽しくてやめられずに1年経った。

ちなみに私の自担くんは今もJrだ。デビューはもうできないだろうと言われている。

脇役だろうとなんだろうと、私は好きな子はいだって主役だった。

スポットライトを浴びることを夢見て踊る姿は、誰よりも輝いていたし、この子を好きでいることは自慢だ。

Jrテーマパークダンサーも、儚い存在だけど何よりも強い存在感を放つ。それが人を惹き付ける魅力なんだと思う。

自担くんは今日劇場で踊っている。テーマパークダンサー今日パレードに出演している。

きっと、今日も誰かの主役になりながら。

本物のアイドルはいいぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170117115317


12年くらいとあるアイドルとその所属グループを追ってるけど、12年間の思い出がありすぎる。

全部幸せな思い出。


3次元からもちろん容姿とかは劣化していく。(といっても一般人とはレベルが違うので全然綺麗だけど)

笑えば目尻に皺が見える。

熱愛報道もちょこちょこされてる。

トークいまいちで未だにバラエティハラハラながら見るし、

価値観が合わなすぎてラジオを聞いていてイライラしたりもするけど、

それでも歌って踊ってメンバーと仲良い様を見ていると日々の疲れも消し飛んで

気になるところも腹立つところも全てひっくるめて好きだって思える。

もっと笑い皺見ていたい。


10代の頃は好きすぎて、結婚して養いたいと思っていたけど

今はテレビの向こう側でにこにこしてたまに歌って踊ってくれればそれでいいと思ってる。


何年も観察し続けていると、アイドル側の成長を感じる機会も多い。

歌うまくなったなーとか、昔はああいうこと言ってたのに丸くなってきたな、とか。

しっかりと後輩のフォローをしていたりするのを見ると、あぁこういうこともきちんと出来るようになったんだな、と思えてしまう。

まり来ないけど、極たまに大きな仕事が入ったりすると世間社会にこの子のいい部分が認められたのか、と天にも昇る気持ちで喜ぶ。


もはや親目線なのかもしれない。


昔ほど本腰入れての応援はしなくなったけど、ずっとこのアイドルのことを好きだと思うし

これからもずっと応援してる。


本物のアイドルはいいぞ。

自己嫌悪

コミュニケーションが上手くいかない人の話をいくつか

書いてたらちょっとブチギレ過ぎちゃったてへへ

もともと人付き合いが上手くないと自負していて、そんな自分交流させるのが申し訳なくてよそよそしくなってしまう。

それじゃだめだ!人付き合いは自分からやるもんだぞ!と試みた結果、異常に馴れ馴れしくなってしまう。

誰でもある程度のキャラ作りはするものだろうけど、私の場合触れ幅がでかすぎてドン引かれてしまうのだ。

大して仲良くない人とでも上手くやれるようになったのなんて最近のことで、こんなんだから所謂カースト下位の人間だった。(カーストと言われるほどすごいあれはなかったが)

最近とても苦手な人ができた。といっても気が強かったりするわけではなくて、逆におとなしい……大人しすぎるといったところか、どことなくおどおどしているような感じの人。

苦手な人の印象なので嫌な言い方になってしまったが。

決して悪い人ではない。そんなことはありえない。ただ逃げ腰というか、見ているとイライラする。

実際あの人が逃げたエピソードちょっと考えたら結構あった。言わないけれど。

これは過去自分を見ているようでイライラするのか、私はこんなに頑張ってちょっとは苦手なことなくそうと努力してるのに逃げやがって!!!バカにしやがって!!!ということなのかはわからない。

ただ今まで嫌いになった人は態度が悪かったり悪意がある人だった。

悪い人ではない人を苦手になってしまった自分に腹が立つ。

回りから見たら私達の立ち位置なんてさして変わりないんだろう。私だって今まで何あの地味女みたいな扱い受けてたから人の痛みとかわかるようになりたかったしちょっとはなったつもりだった。

大変イライラして、強い言葉を言ってしまったこともある。なんだか私が一番嫌いだったいじめっこになったみたいで気分悪い

人の気持ち分かろうとしたらいじめっこの気持ちまで理解できちゃうのかよ。最悪だな

そうやって私と行動してたあの人とちょっと距離ができた。

自然に、私から離れていってそうなった。別に喧嘩とかではなく。

でも偽善者マンが私の心の中にはいて、あの子ひとりにしたんならおまえもひとりになんなきゃね!!!みたいな気持ちがわいてきて今は一人で静かに教室勉強してるよ。

自分にはありがたいことに能力的にはいろいろ恵まれてるし勉強部活成功した方の人だと思う。

自分能力は好きだよ。いろんなことがある程度できるって楽しいよ。

でもそれと自分が好きかどうかは別!!!!!!

多分人生の楽しさは楽しいことがあるかどうかもあるけど自分の心が幸せを受け入れるようになってるかどうかがでかいんだと思う

でも私は私のこと私のわけわかんない性格嫌いだから!!!!!!一生付きまとっていく私の体の中に入ってる私の脳みそのなかでぐちゃぐちゃ動いてる私の心が考え方の癖が嫌い!!!!!!

こんなこと誰にも言えなかった。いつも物静かでたまにぶっ壊れるクラスメイト増田ちゃんだし明るくて面白くて後輩思いな増田先輩だし人付き合い苦手だったけど最近ちょっとずつ覚えてきたみたいで安心な娘(孫)・増田だし。

誰も見てないだろうこの時期にゲロゲロしとこ。

どうせまた病み期終わったら幸せ期くるんだよ

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