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2017-01-20

飲み会悪口ばかりだから廃止しろと言い出した世界の中心マン

私は某企業新入社員サポート係をやっている。



うちの会社男性社員が多く、その殆どが口下手で無口。

自分ロッカー場所や、会社規則自販機場所

そんな細かなことまで、マニュアルに書いてやらないと分からない、同僚や上司に聞けない人間が多い。



新卒で入った彼らにはそこそこの研修費用が掛かっている。

から彼らが入社後すぐに辞めないように、小さな困りごとを解決してやったり、上司や同僚の架け橋役になったり、気軽に声を掛けて居心地を良くしてやるのが私の仕事

なんだけど最近つらい。辞めたくなってきた。

誰かを育てるくらいなら、自分バリバリ働いた方がマシ。



最近は「飲み会廃止してくれ」という要望があった。

自慢じゃないがコミュ障だらけの会社、もともとその手の付き合いはほぼ絶滅している。

さすがに歓迎会送別会くらいはあるものの、それすら自由参加。

歓迎される当事者すら欠席する、という自由っぷり。

今や我が社の飲み会は、酒好きな年寄りと数少ない女性社員癒しの場として存在している。

この人畜無害飲み会を、廃止する意味はあるのか。

そう問いただすと、「だって…」と彼は口を尖らせた。



最近ガチで、口を尖らせたり、にゃんとか言いだす男子存在する。

正直心底キモイ冗談は2次元だけにしてくれ。



だってどうせ俺の悪口で盛り上がるんでしょう?陰湿なんですよ飲み会なんてー!」

はっ?ねえわ。



…一行で否定してしまったが、彼の言い分はこうだった。

自分くしゃみがヘンだったり、アトピーキモかったりする。

そんな僕をヒマな主婦パートたちが給湯室なので嘲笑っている。

飲み会も僕タン悪口でもちきりに違いない。そんな陰湿飲み会廃止すべき!というのが彼の言い分だった。



いやいやいや、絶対にお前の話題なんて一言も出ないし、思い出しもしねーよ。

主婦パートも私も、この会社に長くいるベテランばかり。

から見慣れてんだよ、秋葉にいる程度のキモオタなんざ!



この会社には人知を超えた化け物がゴロゴロしている。

50キロ以下級でも、100キロ超級でもない、床掃いてんだろロングヘアでも、ハエたかるような服を着ている訳でもない彼なんてほんと普通

つか仕事が出来ればゴミ捨て場から掘り出してきたような服着てる人間でも許されるような職場で、アトピーときクスクス笑うだぁ?

会社保育所じゃねーんだぞアホンダラ。そんなクソ甘いイジメがあるか!



彼の脳内ではパートお気楽主婦ども。

人の動作挙動を見ては給湯室で陰湿悪口に盛り上がる…という設定になってたらしい。



あのさ、主婦である私はどっちかと言うとあんたの嫌いなそっちよりの人間なんですけど。

サポート係の前はパートしてたし。

あんたが暇な主婦は…、って言うたびに、私が眉根に寄せるシワ、気が付いてない訳じゃないよね?

もちろん○○さんはあんな奴らとは違いますけど、って私あんた寄りの人間なの?

一緒にすんなクソガキ。



私達は会社仕事しに行ってる。

定時に上がるためには、時間内に仕事を終わらせなくちゃいけないわけ。

そのばたばた忙しい中で、新卒のにーちゃんのくしゃみがヘンだから給湯室で笑ってただぁ?

アトピーで粉ふいてる肌がキモイと影で言ってるだぁ?

誰も見てねーよてめぇのことなんざ!



こういうガキみると、よっぽどチヤホヤされて育ってきたんだろうなって思う。

かまってちゃん被害者意識



もし幻聴が聞こえる系やガチイジメだったら困るから、一応周囲や会社契約してる精神科医先生にも相談したけど、問題は何もナシ、だった。



つか、私はこんな化けもんだらけの会社で、自分悪口対象になる!注目に値する!だなんて無邪気に信じられる彼のお幸せさに軽く嫉妬した。



ちゃんと構われてきたんだよねアンタ。

いいよね、自分世界の中心で。


よく、女の方が世界の中心だろって言う奴もいる。

『女はいいよな、化粧してかわいい服着てるだけでちやほやされて』



あのさ、そんなこと言う奴って大概本当の自分の方が価値があると思ってる傲慢野郎から

自分は男だから化粧やおしゃれが出来ないだけ。それさえクリアすればチヤホヤされる価値があると思ってる。

合コンなんて着飾って見た目だけじゃん、とか言い出す奴も同様。

虚飾を取り払った「本当の自分」にはちゃんと価値があるとか信じてんの。



言っとくけど、見た目やら知能やら、後付けされたもんを全部取っ払った本当の自分なんて言い出したら受精時代に戻るしかいから。

あんキモイもん、カワイイなんて喜んでくれるのはテメエの母ちゃんだけだからな?



いか、女だって化粧してかわいい服着ただけでチヤホヤされる奴はほんの一握り。

大多数はばっちりメイクして、気合入れた服着てるはずなのに、ちゃんとメイクしろよーとかお洒落しろよーとか言われてますから

あんたらの言う『化粧してかわいい服着てるだけで』チヤホヤされてる姫は、たとえブサイクだって男ウケいいメイク勉強したり、頭がヤバいと疑われるような服で町を闊歩したり、常人には出来ねぇ努力をしてるんだよ。


それを女に生まれりゃ人生イージーモードだぁ?

自分に女になればチヤホヤされる価値があると思いこめるテメエの頭が一番イージーだわ。



最近、この手の若い男子を見るだけで反吐が出そう。

ヤバい、本気で病んでる。

仕事辞めたい。


だいだい、いくら仕事が出来るからって生ごみウェア出勤が許されてる当社もおかしいだろ。私のサポートは誰がしてくれんの。

もう人生無理ゲーだわくそったれ。

直木賞芥川賞の会見みて思ったこと

芥川賞の人にやけるのを我慢しすぎwwww

見ててすげーほほえましかったっつーか、こっちまでうれしくなるレベルwwww

作者も本もぜんぜんしらんしいまんとこ読む予定もまったくないけど、よかったねおめでとうって声かけたくなるレベル

いつぞやの誰かさんの斜に構えて馬鹿にした態度、発言するよりもこっちのほうがいいわ

当たり前だけど

恩田陸名前すげーよなあ・・・

あとビジュアル高校とき国語先生に似てる

薬学部にいて苦しい人達

そろそろ後期試験だろうか。

卒業試験だろうか。

それとも、薬剤師国家試験前だろうか。


私は4年制薬学部最後入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。

留年した人間国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。

書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。



◆なんで留年たかというと

講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。

こちらのほうが致命的である

私が親なら退学を勧める。

しかし別学部卒で自身留年経験のある親は留年を許してくれた。


今思えば、

当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。

自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。

ノートを頻繁に借りに来る友人を軽蔑したりもした。


留年してから自分は本当に惨めだった。

同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。

結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレート合格できたのだけど。


◆その国家試験前の話。

私学なので国家試験前は予備校先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由私たちにはそれがなかった。

今でも納得いっていない(笑)

ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室毎日自習した。

お湯を沸かすためのポット。

味噌汁スープコーヒーお菓子

青本と、過去問

無機質な真っ白の部屋に

これらを持ち込んで占有させて頂いた。

大学入試で入れない日は、ドトールに行った。

こんなに頑張ったのは初めてだった。

大学入学すら追加合格だったし。

考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。

できない、というのはなんとなくだらだらして。

無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。

余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。

ほら、やっぱり真面目系クズだ。


クズにも底が見えた。

毎日毎日勉強していた、7年前の今日

勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して

行ったことのない駅で降りていた。

会社と反対側の電車にのるみたいな感じかな。

風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。

そんな意味不明な1日。


その日以降はまた淡々勉強して、国家試験合格した。

(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物から追い出したいし…なので割愛。)


今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。

受験における全力の努力って本当につまらない。

毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。

解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。


悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。

今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。

そういう風に人間できている。

だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。


◆今、卒試国試前の人へ

6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。

ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。


留年した人へ

ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。

最後は、自分でやるしかない。

もっと残念な話をすると、勉強就職後も続く。

留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。

向いてないと思ったら、勇気ある撤退を。

それは全然悪いことじゃない。

自分人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。


それでもそこで踏ん張るなら、応援します。

上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。

必ず授業にはでること。

頑張れ。




これを読んだ人が、実りある人生を送れますように。

2017-01-19

まさかこのタイミング

修士論文提出3日前に、3か月前に報告済みの実験データの再解析を命じられるとは思わなかった。

もちろん提出に間に合わないではないが、地味に痛い。嫌がらせ炸裂って感じ。

つべものは良き師匠だなぁ。私のついている助教は修了したらどうせ会わないと思ってふざけたことをしてくる、チンケな野郎である

そして私は解析用のパラメータの設定を間違えて2時間の解析をドブに捨てたしょうもない院生である。いい組み合わせじゃないかって?やかましいわ。

発表が終わったらまた学生相談所に行って、私の研究室でのストレスをぶちまけていたカウンセラーにお礼を言おう。

あと、権力も華々しい研究成果もなくて、年下の助教小馬鹿にされていたけれど、時折気にかけてくれたあの先生にお礼を言いに行かなくては。

シロクマ先生患者は、

社会常識ソーシャルスキルを身に着けたいい子ちゃんしかいないので

暴れる精神病患者やある種のパーソナリティ障害者は他の精神科医に丸投げしております

いわゆる南京大虐殺論争について

アパホテルやらかした。

っていうか、中国人観光客激増中でアパホテルに限らずよく今までに問題にならなかったもんだと思う。でも、韓国人だって従軍慰安婦などの問題があっても日本にたくさん観光に来てるから、多くの人にはあんまり関係ないのかもね。

 

南京大虐殺は、むかーし、個人的にかなり調べ上げてネットでよく議論してた経験がある。当時はよしりんだった。「戦争論」って著書がベストセラーになって、確か「新しい教科書つくる会」が世間を賑わせていた時期だったように思うけど、南京事件問題もかなり2ちゃんねるなどでヒートアップしていた。それ以前も、1980年代から教科書問題で幾度も議論を巻き起こしてきた問題である。なので、そのたびに議論が深まったかというと実はそんなことはあまりなくて、同じ議論蒸し返しのほうが圧倒的に多かったりする。今現在ですらも「当時南京市民は20万人しかいなかったのにどうして30万人も殺せるんだ?」みたいな事を言う人がなくならないって言うのがその象徴だろう。

 

からか、Wikipediaでも論争の内容や論争史がまとめられている項目なんかあったりする。

南京事件論争

南京事件論争史

 

発火点は日本からというのが定番で、南京事件については本格的には上のページにもあるとおり教科書誤報事件から始まっており、今回もまたか・・・って感じなのである。いわゆる保守右翼人達って、常に刺激を追い求めてでもいるんだろうか?と疑いを持ちたくなる。

 

ところで、南京事件論争って、やってみると分かるがそう簡単ではない。自分でも論争してた当時、様々な一般書籍を買ったり、図書館へ足繁く通い、資料を他の図書館から取り寄せたり、高い資料本を古書店を通じて仕入れたりと、結構な手間だった。流石に外国語資料までは手が出せなかったが、写真捏造疑惑を調べる為に1930年代アサヒグラフ図書館に無理言ってカラーコピーしてもらったのが懐かしい。ネット議論する為にスキャナまで買ったw OCR原稿読み取って長々と手修正加えたりしてたのが懐かしい。何れにしても、歴史問題を本格的にやろうと思ったら大変なんである

 

で、ほぼ大抵の場合右派はそんな手間はかけないんだな、これが。せいぜい市販本を鵜呑みにしてくる程度。当然のことながら、滅多な事で彼らはいわゆるサヨク側の本なんて読みもしないから(右派の本の1/10にも満たないだろうしね)、自身思想に都合のいい事だけが書いてある本などしか見てないか簡単に騙されてしまっている。あの当時何度「せめて中公文庫の秦先生の本くらい読めよ」って思ったことだろうか。その、近現代史で有名なあの秦先生ですらもおかしなことを言うくらい(秦郁彦氏の「スマイス調査(修正)」について)、南京事件議論ってば難しいのにね。

 

・・・とかつらつら思ってたら、「人工透析患者は殺せ!」で仕事失ったあの人まで参戦してきたみたいだね。どうしても一部の人は刺激に飢えているようで、困ったもんですね(やまもといちろうみたいな締めだなw)。

2017-01-18

{You're stupid. Yamato Nadeshiko has gone extinct}

I noticed that 10 years passed since I started writing blogs.

While the world is increasingly connected to NET and scarping the gap between those who have information and those who do not have it every day, I think that it is unhappy that violence due to concentration of wealth is increasingly increasing power.

It is "religion" that is surprisingly personally surviving.

A certain great scholar is said to have said that "Religion is a drug of the poor"

Now that mobile phones are spreading in countries called poorest countries and the Internet covers the world now

I want to wish that such common sense is another few years of life.

"Enlightenment" which is the difference between religious leader and believer is only a concept,

The fact that Islam society does not accept social advancement as much as treating women,

It does not match the present era.

I feel even dizzy to the extent of Americans who still do not believe in the theory of evolution,

I think that it is sick if you are watching Korea who is singing and saying that it is the place of origin of its own country keyy.

I welcome the fact that China, which is misunderstood as a nationwide all countries other than his country, is finally getting cold from a hangover,

I am impressed with Putin who is handling Russia brilliantly but vodka is about to expire soon.

President of the world's largest military superpower, Christians of discrimination will truly be overworked by esprit.

The door to World War III has been opening much more than I feel.

It might be a trial from Gaia against an overly populated population.

馬鹿だな。やまとなでしこ絶滅したよ}

ふとblogを書き始めて10年経過したことに気づいた。

世の中はますますNETにつながれ情報を持つ者と持たざる者格差を日々スキャルピングしているなか、富の集中による暴力ますます力を増大させているのは不幸な事だと思う。

個人的に生き残っているのが不思議なのが「宗教」だ。

とあるお偉い学者先生は「宗教は貧者の麻薬だ」と言ったそうだが、

最貧国と呼ばれた国にも携帯電話が普及してインターネット世界を覆っている今

そんな常識もあと数年の命であることを願いたい。

宗教指導者信者の差である悟り」は概念しかないし、

イスラム教社会女性を大切にするあまり社会進出を認めないのは、

今の時代にそぐわない。

未だに進化論を信じないアメリカ人の多さには目眩すら感じるが、

なんでも自国発祥の地だと謳いキーキー騒いでる韓国なんかみてると病気だと思う。

自国以外の国は全て属国勘違いしている中国最近やっと二日酔いから冷めつつあるのには歓迎もするが、

ロシアを見事にハンドリングしているプーチンには感心するもそろそろウォッカが切れてきた。

世界一軍事大国大統領差別主義キリスト教徒なんてさすがにエスプリ効きすぎだろう。

自分が感じるよりもずっと第3次世界大戦への扉は開きつつある。

増えすぎた人口に対するガイアからの試練かもしれないね

日本人漫画家発明した三大擬音と言えば

  1. 手塚治虫先生の「シーン」
  2. 荒木比呂彦先生の「ドドドドド」
  3. ワンピースの「どーん」
  4. カイジの「ざわざわ」

あと何がある?

宇宙人みたいに生きてきた

小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしま子供だった。

大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。

責任感がなく、ぼんやりしていて、空気が読めない。

人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。

なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。

今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。

学校に行くようになっても変わらなかった。

同級生たちからからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。

たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。

体育は大の苦手で、球技特にダメだった。ドッジボール最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。

勉強だけは比較的得意で、特に記憶系の教科は得意だった。

でも数学物理は、概念全然からなくて雲をつかむようだった。

父がアル中だったので、大学でなんとか家を出たいと思った。

から、苦手な数学物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。

大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。

就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。

そろそろ、社会から必要とされないダメ存在だということに気づき始めていた。

自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分判断はいつも間違っている。自分宇宙人のようだった。

けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。

その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。

からさまに自分からかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。

結婚し、子供もできた。

それでも、まだ、自分は人をイラつかせてしまう。

ああ、自分おかしいんだな、と思うことが日に一度はある。

自分おかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。

自分は、会話で何を話したらいいかからず、例文を読み上げるように会話をする。

自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。

どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。

また失敗した。

頭がおかしい、人をイラつかせてしま自分

最近自分は何のために生きているかからなくなってきた。

こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。

でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。

変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。

職も、せっかく得た家族も失ってしまうのかもしれない。

一人では生きられない。

宇宙人でも、一人では生きられない。

http://anond.hatelabo.jp/20170118174512

商業高校工業高校にもないし

アホ学校理系の授業が成り立たないとこもあるし

半数の生徒が大学エスカレータで上がる学校にもないよ。

かなり極論だけどね。

人格実績がなかったり

理系指導に適した先生がいない学校もあるんじゃない?

2017-01-17

田中芳樹先生 銀英伝外伝まだ待ってます

先生寿命が来るまで諦めません

中華なると先生の「ポキューン」って擬音

どんな人生送ってたらポキューンなんて擬音を思いつくの

いい年して10年務めた(といってもバイトだけど)会社をその場の勢いで辞めてしまった

勤め始めたころは、そこは比較的「屑のたまり場」だった。

うつ病の30代フリーター友達いなそうな大学生、暗い顔したバツイチおばさん、旦那浮気されてる腐趣味主婦

こんなメンツばかりだから20代前半フリーターの私でもそれなりに馴染みやすく、当時は友人や彼氏にも恵まれていたのでむしろリア充」のポジションだった。

完全に井の中の蛙ではあるが。

仕事も覚えが早く、当時はバイトの中では一番使えるメンバーだった。

当時、私は彼氏同棲していて、子供が出来たら結婚して辞める予定だった。

みんな肩書はともかくいい人で、私のようなコミュ障でも馴染みやすかった。

しか子供はできないまま時は過ぎ、バイトメンバーは続々と入れ替わった。

フリーターは辞め大学生就職バツイチ実家に帰った。腐趣味主婦だけは残っていたが…

そこに、昔だったらこんな仕事見向きもしなかったようなガチリア充や頭がよくハキハキした人やモテそうな美少女が入ってきた。

就職難だからなのだろうか?

私は、いつまでたっても子供が出来ず彼氏に振られ、ただのフリーターのおばさんとなっていた。

当然、見下しの対象になった。

頭のいいポジションの奴が首謀者で、コソコソとこちらの悪口を喋っては美少女クスクス笑い、リア充がニヤつきながら収める、それがお決まりの流れだった。

趣味主婦は気が強いのでうまくそ対象からは逃れ(彼らからすれば母親よりも年上だから、というのもあるかもしれないが)、完全に私はサンドバッグとなっていた。

はじめの頃の「仕事ができる」ポジも、今では見る影もなく。ストレスからかありえないミスを連発するようになった。

こんな10以上も若い子たちに恐怖心を抱いている自分が情けない。

中学生の頃、生徒にいじめられて辞めていった先生もこんな気分だったのだろうか。

ずっと、情けなくて怖くて耐えていたが、昨日、ついに足が動かず、体が固まり出勤できなくなった。

職場から電話がかかってきても、手が固まり取れなかった。

時間ほど、玄関で立ち尽くしていた。

何とか電話を返し、社長と話し合い、もうこの職場は続けられないと伝え、2月で辞めることになった。

いい年して次の仕事も決まってないのに離職。屑の極みだ。

だが、このままあの場所にいるくらいなら死んだ方がマシだと思ったのだ。

こういう時、頭のいい人なら仕事を頑張って正社員になるのだろうか。愛嬌のある人だったらダメお姉ちゃんポジションとしてうまくやっていくのだろうか。

私にはそのどちらもない。ついでに言えば天涯孤独で帰る実家もないのだ。

これからどうするのがベストなのか私にはわからない。寮付きの仕事を探すか、どうせ妊娠しないなら熟女系のデリヘルにでも行くべきか。

どちらにしても、私はもう一般的な「幸せ」は掴めないのだろう。

将来の不安

自分は進学実績で名の通った高校の二年生だ。ここまで読んで「自慢か」と思う人がいるかもしれない。

だけど、一応私について書かせてほしい。



私が今の学校中高一貫)に入学した時、親族にちやほやされた。

「将来は東大だね」とか「親族一の天才」とか言われて、正直うぬぼれていた。

で、私はこのころ周りを見下すようになっていた。



進学校へ行っている人はわかると思うが、入学していくらかは、学校勉強をせずとも

受験知識でそこそこいい成績が取れる。学校の中でいい成績を取った私は、

同級生まで馬鹿にするようになった。私は勉強で手を抜くようになった。

定期テストはあらかた一夜漬けで乗り切るようになった。

学校先生が「自分の力で勉強しなさい」と言う意味もわからずに、だ。

ちなみに私は中学の時は塾へ行かなかった。塾へ行くのを馬鹿にしていたからだ。



高校生になると、初めて模試を受けることになった。

結果は言うまでもなく、悲惨だった。学校別の順位で、私は半分より下だった。

東大の判定は「D」だった。

私は焦ったが、勉強ができなかった。体が勉強拒否するのだ。

勉強から目を背けようと部活に熱中した。気付いたら陰キャラになっていた。



ついこの間、私は塾へ行くことにしたが、

東大の判定はいまだに「D」だし、

この間のセンター同日試験は900点中700点しか取れなかった。

同級生は750点とか800点とか取っているのに、

やっぱり同級生に追いつくことができない。



ふと立ち止まって、「なぜ東大を目指しているのか」考えてみた。

日本一だし、親が行けって言ってるし、同級生みんな目指しているし……

積極的理由が思いつかなかった。

(ちなみにこのことを同級生相談したら、「高卒で働け」と言われたorz

それでもなぜか東大へ行きたいし、行かなきゃならないという気持ちが私の中にある。

多分「東大目指すのやめろ」と言われても目指してしまうと思う。



もうセンター試験まで一年を切ってしまった。東大二次試験もあと400日くらいだ。

主要科目を固めて、副教科をやって……明らかに一年足りない。

浪人だけはしたくないのに……いったいどうすればいいんだろう。やるしかないんだけど。

進学校(笑)でこの文章力……ひどいですよね。こんな駄文すみませんでした。

togetterで発信する有村先生

https://togetter.com/li/1071370

togetter有村関係のまとめで氏が情報を発信してるのを、凍結された人の最終ラインみたいな感じで使えててなんかすごいなあとおもった。

そしたらなんとご本人が「有村悠 @y_arim の独房」というタイトルでまとめを作っているのを発見した。

凍結されたあともコメントできていたのが、惰性でコメントをかくだけではなく、まとめを作って情報発信スペースを作るというのは初めて見た。

なんかやっぱ頭ええなあと頭の悪い僕は思うのであった。


個人的には、ブログとかで本格的情報発信をしてほしいし、はてなに帰ってきても良いのでは、と思った。

0.77%、0.72%、0.67%、0.45%

これは、阪神淡路大震災で、特に被害の大きかった神戸市東灘区神戸市灘区神戸市長田区・神戸市長田区における、当時の人口あたりの死亡率です。ザックリ言うと、これらの地域では、「あの日、200人につき1人死んでいる」ってことですね。

私のフェイスブック友達の数は190人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

LINEの友だちの数は185人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

高校同級生が300人。ザックリ言うと、この中で1〜2人死んでいたでしょう。

小学校同級生は50人。これなら、誰も死んでいないかも知れない。でも、親兄弟を含んだら?親戚を含んだら?兄弟友達恋人は?あのとき担任先生は、何人の教え子の訃報を聞いた?

校庭に仮設住宅が建ち、体育館だけでなく教室の中にも避難者がいる中で、残った数少ない教室や図工室、音楽室で授業を受けていました。部活レギュラーだった同級生が転校してポジションが変わりました。身近なところに死者がいなかった私は、いつもどおり朝起きて「あれから何年経ったか」を確認する。

2017-01-16

婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

今年87歳になった婆ちゃんに、

正月田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。

当時「この世界の片隅に」のすずと、

同じような年齢で戦争経験した婆ちゃんに本当のところは、

どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。



婆ちゃんは7人兄弟の三女。

婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて

物心いたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。



婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業成功していたらしく

家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、

戦争前に事業に失敗。

家は途端に貧しくなったらしい。



たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、

小学校先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て

婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。

当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、

授業料免除手続きなどをするなど、

本当に熱心に動いてくれたらしい。



結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて

全寮制の女学校に行けることになった。

戦争は、そんな女学校時代に起こった。



戦争が始まる前、日本満州での事業で盛り上がっていたそうだ。

大陸未分化な国を日本配下に置いて発展させることは、

とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。

学校では、天皇陛下神様と教えられて、

天皇陛下の元、男子兵隊さんになるのが当然だと思っていた。



近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。

婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、

子供心にショックを受けたそうだ。



戦争が始まっても、ばあちゃんの日常は変わらなかった。

普通に勉強していた。ただ、農作業時間が入ったそうだ。

女学校同級生みんなでさつま芋を育ててたらしい。

そのうち、普通の授業の時間はなくなり、

富山工場女学校の全員で働きに行く事になった。



毎日10時間ミシン兵隊さんの洋服を塗っていたそうだ。

女学校勉強できなくなるのは残念だったが、

天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだかしょうがないと言っていた。



徐々に女学校日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、

戦争はずっと勝っていると思っていた。

新聞ラジオ毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。



そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。

芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。

お腹が空いて寝れない日が普通になった。

友達とは、毎日食べることばかりを話していた。

炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。



そんな日常の中、空襲が婆ちゃんの工場を襲った。

焼夷弾が次から次へと降ってきて、

花火のように火を吹き上げるんだそうだ。

婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。

町中が灼熱地獄のように暑かった

ただ、ただ、山の上に逃げた。



当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、

一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。

結果、それが婆ちゃんの命を救った。

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。

そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。

川に逃げた人はみんな死んだ。



空襲が止んで、友達は半分も残らなかった。

婆ちゃんの働いていた工場も完全に破壊された。



その後、近くで何度か空襲があったらしいが

運良く婆ちゃんの所には直撃せず、

次の工場への移動が決まり、準備を進めていた。



そんな矢先、唐突戦争は終了した。

天皇陛下の敗北宣言を聞いた時、

戦争に負けた悲しみよりもなによりも、

もう爆弾が降ってこないことが嬉しかった。



もう、爆弾が降ってこないんだ。



と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて

本当に本当に辛かったんだなあと、

聞いてる俺も泣きそうになった。



その後戦後の本当の食糧不足や、

食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、

だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。



今の日本海外若い人たちが

戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと

から恐ろしくなるし、

あん経験を俺や俺の娘にはさせたくないと

強く言っていた。

DQ10のいい所・悪い所(いい所編)

ROマビノギFF14TOS、DDONなどやっていた。

ほか、無料MMOMOなど数えきれないくらい。あと、FF派。

いい所

動作が軽い。これに限らず国産MMO基本無料だろうと総じて動作が軽い。

 グラフィックはそこそこでいいので動作が軽いのが本当ありがたい。

 マビノギROも割と軽かったけどマビノギサーバーちょっと弱かった

グラフィック可愛い、見やすい、分かりやす

 FF14は画面を引きにできすぎるのでせっかく作ったキャラの顔とかあんまりからない

・モーションが凝ってる

 同じ武器を構えても、職業性別種族で違ったりする。(男女で同じ物の場合もある)

ストーリーが割と良くできてる。

 初期はおそらく子供プレイすることを想定されていたので大分幼稚だけど、

 続きが気になる感じではあった。

 それでも安直ハッピーエンド、生き返るとかは従来のDQのように無し。

モンスターの動き、表情が可愛い

 ここをしっかりやでばドラクエは8割成功ではないだろうか。

 3Dにしても違和感のない鳥山先生の確かなデッサン

 キングスライムふわふわ柔らか感が最高に好き

ソロゲームの8割を進めることができる

 ソロでも、他のプレイヤーNPCとしてレンタルできる「サポートシステム」があるので、フルパーティが組める。

 サポキャラAI自動で動いてくれる。それなりに優秀な動きをしてくれる。

・エンドコンテンツプレイする必要が全くない

 報酬必須のものではない。(おしゃれ装備とか)現状の最難関コンテンツを、他の人に誘われるまで放置してた。

・装備そこそこで大体行ける

 装備の強化度が0~+3まであるけど、ちょこちょこ+2装備でも全然いける。

・金策がゆるい

 大儲けはもちろん難しいが、2,3職をやるつもりで毎日ちょこちょこインで十分な装備は買える。

・そもそも最新の装備じゃなくてもいける

 今一番レベルの高い防具は90LV以上のなんだけど、いまだにメイン装備は75LVの装備。

 2年くらい着てる…(これは僧侶がぶっちぎりの強職な事もあるけど。ヒーラーは不足しがちなので、参入敷居を低くしてある。鎧職は基本最新を要求される)

 防御力より状態異常を防ぐのが重要なのでそれがそろってる装備の方が使い勝手が良い

 武器は装備と違って1本とかなのでなるべく更新した方がいい。(付加効果にもよるけど…)

著作権問題、決着ついたぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170115194932

はてな民なんか意識してんのかお前?ダセえな。

町山智浩先生ホット見解を見てないのか?

https://twitter.com/tomomachi?lang=ja

ネット違法アップロードした動画は即保存してください。推奨します」(大意)

これが答えや。

町山先生ファンもみーんな従っちょる。

著作権侵害ネット文化、華やでwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2017-01-15

センターおわったーーーー

俗に言う自称進学校文系3年1組3番のセンター試験が終わった。

長かった長かった前日は不安で大泣きしたしセンター利用も人より少し多く出願した。私、撃沈。

やーーまさかね、まさかほんとに努力って報われないとはーーー思わなかった。すごい。こんなに、こんなに生まれによって人と差がつくなんて、ね。

報われないなら先に言っておくれよー、もう、努力でどうにかなると思っちゃったじゃーーん

その努力、消えるよ。って某スポーツ王子様の打球が消える時みたいに先に言ってくれればよかったのに!!!

オタク特有国語の得意さで国語イケると思ったんだよーーー。もうあたし受験始まってからオタク封印してたの忘れてたなあーーーーーー。おげれつ先生新刊も日課だったモバマスデレステも溜めてたニチアサも全部全部封印してたんだったわーーーー。

クソーーーーーーーーーこの世はクソ!センター制度消えてからまれるべきやったのにーー!!!!!バカ!めいのバカ!もうしらない!!!!!!!!!!!!!!!!!!

生きる目的とは

この時期おなじみの研究室ネタです。

研究室に配属されてから、ずっとこのことを考えている。

もはや何のために生きているのか全くわからない。

もう疲れた。ゴールしたい。

死んだらウンタラカンタラという人はよくいるかも知れないけど、正常じゃない精神をもっているひとは死ぬのが一番ラクな方法であることをしっている。

せっかく死ぬんだから死ぬつもりで頑張れといっている人もいるけど、やっぱり死ぬのが一番ラクなんだ。

ただ、まわりに迷惑をかけたくないからコトを起こさないだけ。

どこでこんなふうになったのか、ちょっと振り返ってみるとする。

これを読んでいる人の反面教師になれれば幸いである。


小学生の頃

そこまで人生に悲観するような人ではなかった。あたりまえだ。このころから壊れていたらそれこそ怖い。

自発的物事に取り組めていろんなことを楽しんで経験できたと思う。

だけど、今思うと凶兆はでていたのかもしれない。

この頃から負けず嫌いだった。負けたくなかった。

ただ要領はよかったので、少ない努力他人を打ち負かすことができた。

この時からか、勝ち負けにこだわり続けるようになったのか。


中学生の頃

この時も持ち前の要領の良さを活かして勝負ごとではそこそこの成績は残してきた。

だけど、嫌な逃げ癖を覚えてしまった。

部活剣道をやっていたが、練習がとても厳しくよくサボっていた。

しか練習をただサボるのではなく、練習中にわざと倒れたり、持病があるといって病院に行くと嘘をついたりしていた。

まり外面を守りながらサボる、クソみたいなサボり方だったのだ。

わざと過呼吸を起こして家に帰ってゲームをしていたということもあった。

救いようが無いな。


高校生の頃

要領が良かったので、地元トップ高校に入ることができた。

しかも無勉強で入ったといろいろな人に誇張していた。

実際は毎日2時間勉強していたのにな。

まり見栄っ張りだったのか、この時からも。

そのせいであとで自分の首を締めることになるとは思ってもいなかっただろうに。

地元トップという理由高校に入った自分は何の目標もなくのうのうと生きていた。

部活中学校の時みたいに苦労したくなかったので、ほとんど遊んでいる登山部に入部した。

この3年間は本当に無駄時間を過ごしていたと思う。

高校3年の夏、担任先生志望校を伝えたら鼻で笑われたから、頭にきて大学受験勉強をした。

それだけだったな。振り返ってみると

大学生の頃

そこそこの大学(旧帝)の理系に入ることができたが、入った目的担任先生を見返してやりたいということだけだった。

入ったあと無気力になり、サークルにも入らず家に引きこもるようになる。

厳密には大学には行っていたので引きこもりでは無いが、授業を受けて帰宅してネットサーフィンをするという日々を繰り返していた。

無論友達ほとんどいない。どこの大学はいるのが重要ではなくて、大学に入って何をやるのかというのが重要であると気付き始める。

このときから、生きる目的を探すように、探すことにすがるようになる。

研究室配属

生きる目的人生目標も無い私は、学年トップの成績がなければ配属競争に負けるという噂があった研究室名前を配属希望書に書いて提出した。

単なる見栄だ。自分他人より優れているということを証明たかった。

いま思うとこれが人生最大の過ちだったと思う。

もちろんその研究室の専攻分野に興味を持っていたのは確かだった。しかし、大まかな動機は上にあったソレだ。

ここの研究室の人たちは皆優秀だった。噂通りだった。

しかもみんな背骨のあった人であった。(http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090222/p2

自分にはなかった。もっと言えばこの時に育てることができなかった。

見栄で研究室内でだれもやってない難しいテーマを選び、玉砕した。

そのテーマ研究企業との共同研究だったため、強い責任を感じていた。

また誰もやっていないテーマだったため、質問しにいっても迷惑がかかると思い、質問にあまり行けなかった。

行ったとしてもすごく辛かった。迷惑を掛けている気がして。

次第には研究室に行かなくなった。教授に、先輩に、同期に、クソ野郎レッテルを貼られるのがいやで。

順調に悪循環を築き上げていった。

卒論は糞みたいなのを書き上げて卒業した。自他共に認める糞だった。

大学成績が良かったため、大学から賞を戴いたが、自分は糞製造機にしか過ぎず、もらうには不適切だと思って更に気分が落ち込んだ。

大学院生

旧帝の理系学生は院に行く、というよくわからないしきたりに流されて、大学院に行った。

これも間違いだった。糞製造機と成り果てた自分はもはや研究に熱意もなく、ただただやらなければならないことをこなすだけだった。

面白くもなく、楽しくもない。

昔は楽しかったのかもしれない、もうよくわからない。

M1だが、生きる目的目標もなく、割り振られた仕事すら放棄し、研究室にも行かず、ここ増田愚痴を書いている。

精神科にも行った。カウンセリングにも行った。だけどやっぱり何のために生きているかからなかった。

もうなにもしたくない。生きる目的もない。

こんな苦しいことが続くなら、とっとと楽になりたい。

振り返ってみると、糞野郎になった原因は、逃げて逃げて楽して見栄をはったからだとわかる。

至極当たり前だ。しかも中身がない。

そんな人が、中身のある集団研究室)に放り込まれた結果、病んだだけ。

なるほど。

22年間生きてきて学んだことがこれだけかと思うと涙がでてくる。

あとはどうやって皆に不便を掛けずに退場する方法を考えるだけである

http://anond.hatelabo.jp/20170115010004

割とよく聞く話ねぇ。

性欲はなくなっても、手コキくらいサービスでしてあげたら良いとはおもう。

メンタルクリニック先生は、状況説明の下手さ加減からADHDを疑ったのかもしれない。

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