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はてなキーワード: 崩壊とは

2016-05-26

昨日のよかった

朝無事に目が覚めてよかった。

パンを分解して、栄養素を取り出せる機構が備わった肉体のおかげで、栄養が取れて、動けてよかった。

うんこが液状で、血塗れでよかった。

水が飲めてよかった。

食器を洗うスポンジが、よく洗剤を吸い込んで、汚れがよく落ちてよかった。

資格勉強をすることで、資格の本を印刷した人と書いた人と編集した人と資格運営をしている人と表紙の絵を書いている人とそのほかの人がお金をもらえてよかった。

アパートの裏で子育てをしている猫が見られてよかった。

のしみを修正液で塗りつぶしたら、目立たなくなってよかった。

机に座っているとまとわり付いてくる小虫を潰すことで、動体視力と反射神経が上がってよかった。

書類選考で落ちて、仕事をするのが先にのびてよかった。

太陽があって、そのおかげで物が見えてよかった。

地球が自転してくれたおかげで、夜が暗くなって、涼しくなって、よかった。

宇宙崩壊しなくてよかった。

カラースターがなくなって、通知のメールgmailに届いてよかった。

エンピツナイフで削ることで、エンピツナイフで削る能力が上がってよかった。

筋トレをやる気力がわかなくて、余計なエネルギーを使わずにすんでよかった。

燃料を燃やして、蒸気が作れるおかげで、電気がうちにきて、パソコンができてよかった。

誰とも話さなかったので、発声エネルギーを使わなくてすんで、摂取するご飯が少なくすんでよかった。

夜のうちにゴミを捨てたので、今日寝坊してもいいのでよかった。

これから屋根の下で、程よく涼しいなかで、お布団に入れて眠れるのがよかった。

2016-05-25

金持ちだけ結婚して子供作る社会って悪いん?

経済格差の下の方にいる人が、子供作っても子供幸せにできないんだったら、結婚届出すのに莫大な金を払わないといけないようにして、

子供が生まれるたびに罰金かして払えないような人は、そのまま死んでいってもらう世界ってダメなんだろうか

国が崩壊するから次世代を残す必要があるといわれるかもしれんが、子供作らないんだったら死んだあとに国が崩壊しようが構わないだろうし

選民思想とか言われそうだけど。

アイコン艦これのまんまでガルパン二次絵とか描かれても邪魔なんだけどなあ

しかキャラ崩壊してるのがほとんどだしそういう奴ら

わかんねえそこまでして描くメリットなんかないと思うんだが

艦これ二次界隈が飽和してんのか

2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524121722

大地震インフラ崩壊したら増田みたいなやつが断然頼りになりそう

『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)

※「『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)(http://anond.hatelabo.jp/20160523231652)」の続きです。

ポイント1 この文書は何?

『レヴェナント』には、前編で書いた親子愛というテーマのほかに、「資本主義環境問題」というテーマがあります。ただ、このテーマはイニャリトゥ監督自身テーマというより、ディカプリオのテーマが混入したものではないかと思い、文書を分けて説明することにしました。

ポイント2 何で「資本主義環境問題」というテーマがあるって分かるの?

まず監督自身インタビューでそう言っています。加えて、映画の中にも2つ根拠があります

1つは、毛皮商人インディアンとの戦いがサブストーリーとしてあったことです。これは露骨資本主義環境問題対立を描いています

もう1つは、主人公グラス(ディカプリオ)がバッファローの大群に驚くシーンがあった後に、バッファロー頭蓋骨の山を定期的に夢に見るようになってしまい、悩むことです。この背景にはアメリカで実際に行われたバッファロー掃討作戦Wikipediaアメリカバイソンの項目を参照)があります。毛皮商人の一味であったグラスが、バッファローの勇猛さを目の当たりにして、自分が手を貸してきたことの重大さに気が付き、後悔するシーンではないでしょうか。

(加えて、劇中に出てきた「朽ち果て教会」が、タルコフスキーの『ノスタルジアから引用とみて、自然について語ろうとしているのだという見解も見られましたが、そこまで言っていいのか自信がありません)。

ポイント3 これがディカプリオのテーマだという根拠は何?

筆者の妄想です。

ただ、イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』まで、環境問題テーマとして扱ったことがありません。というか監督は親子の問題ばかりをテーマにしていて、そんなに環境問題には興味がなかったと思われます偏見)。おそらく監督的には「今回は、大自然の中で、親子愛をテーマにして、『デルス・ウザーラ』みたいな映画が撮りたいぞ」ぐらいの気持ちだったのではないでしょうか。

そこにばりばりのエコロジストであるディカプリオが参加したことで、シナリオに影響を与えていったものと思われます

ポイント4 ディカプリオのテーマかどうかはともかく、結果テーマが複線的になったわけだけど、どうなの?

映像的には、バッファローの大群、頭蓋骨の山、朽ち果て教会など、感動的・印象的なシーンが増えてよかったと思います。背景に映る雄大な自然にも意味が出てきて、それもよかったかと思います

ただ、ストーリーはこれによりかなり難解になりました。特にラストシーンにおけるグラスの状況を考えると、①生きる意味(息子・復讐)を相次いで失ったことで精神崩壊しかかっているが、②自然の偉大さに感銘を受け自らの行いを悔いるエコロジストになっている、という複雑なことになっており、テーマが分かりにくくなっています




おわり

2016-05-23

『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)

『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督過去作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります

ポイント1 テーマって何よ?

イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマ映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます

ポイント2 何でそうだと分かるの?

主人公グラス(ディカプリオ)の台詞ちょっと考えてみれば分かります

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味のものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。

ポイント3 え、グラス死んでなくね?

死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。

ポイント4 は?じゃあその後立ち上がるのは何よ?

あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。

ポイント5 あまりにもオカルト解釈すぎない?

小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。

加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。

ポイント6 するとあの超回復力は何?

解釈問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。

最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています

次は狼です。これはインディアンバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたこから分かります

その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります

最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります

グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程回復していったと見ることができます

ポイント7 何でそんなことができんの?

愛です。

ポイント8 まあ愛の力だとして、人間の姿に生まれ変わらなかったのはなぜ?

ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。

ポイント9 では、場面を移して、ラストバトルで言ってた「復讐神の手にある」って何なの?

グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアンリーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。

ポイント10 戦いを終えた後、グラスさんがこっちをじーっと見るけどあれは何?

あの表情には元ネタがありますタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733ラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。

ポイント11 エンドロールがはじまってもグラスの吐息の音が聞こえるんだけど、あれは何?

あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っていますジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツレクイエム出現後のブチャラティを(略

ポイント12 結局『レヴェナント』ってどういう話なの?

愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。

ポイント13 ごちゃごちゃ言ってるけどテーマとかどうでもよくて、ディカプリオにアカデミー賞取らせたかっただけなんじゃないの?

ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影目標とした映画というのが、①黒澤明デルス・ウザーラ』、②コッポラ地獄の黙示録』、③タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォークフィッツカラルド』、⑤ヘルツォークアギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり監督映画史に残る過酷映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています

ポイント14 大体分かったけど、残ってる謎とかあるの?

掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品から引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。

それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞意味が実はまだよく分かっていません。特にエンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。





「『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く

http://anond.hatelabo.jp/20160523220708

というのが昭和的な日本学歴だったわけだけど、

日本経済破綻寸前にまでなってることだし、

既存価値崩壊したらそういう学歴意味消失するでしょ

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2016-05-22

はてなはいつまでキチガイユーザーを野放しにするのだろうか

古今東西あらゆるネットコミュニティ崩壊する流れは1つである

それはキチガイ排除を行わず「いじり」と称してキチガイと戯れることから始まるのだ。

1.ユーザーが増える

2.ユーザーの中に頭のおかしいのが現れる

3.一部の馬鹿がその頭のおかしい奴を玩具として受け入れる

4.まともなユーザーは頭のおかしユーザーと戯れている姿に違和感を覚えて日に日にいなくなる

5.全体における頭のおかしユーザーおよびそれで遊んでいると称する馬鹿比率が高まっていく

6.キチガイ馬鹿が内輪でつまらない妄言を繰り返すだけの空間になる

7.まともなユーザーはいよいよいなくなり新規ユーザーおかし人間だけになる

8.まともでない者達は無駄なことに時間を割いてばかりいるので創造性がなくコミュニティ生産性が0へと収束する

9.ユーザーキチガイ生み出されるものは0の救いようのないコミュニティが出来上がり遂に話題内輪ネタ無限ループ

10.さしもの馬鹿も同じことばかり繰り返す自分たちの愚かさに気づいていなくなる

11.キチガイはいつの間にか精神病院に送り込まれたり自殺したりしていなくなる

12.そして誰もいなくなった

粘膜蜥蜴を読んだ。暴力狂気で過剰に装飾されたホラー小説だった。

個人的には粘膜人間の方が面白かったかな。ひたすらに粗暴な幼稚さを見せ付けられるばかりだったかなという印象。大吉をバラしかける時の描写と、坂井がゼムリアに襲われるシーンなんかはぞっとしたけど、何よりも嫌らしい人間二人のインパクトが強すぎてうんざりさせられた。

最終部にて判明する事実を元に、富蔵の心中を冒頭から追想すると物語のコクというか、深さが味わえるんだろうけど、そんな気力が湧かない。間違いなく月之森一族はこの期崩壊するんだろうけど、倫理観崩壊した基地害どもが死滅するだけだと思うと、悲しさとか切なさなんて微塵も浮かんでこないし、むしろ良かったじゃないって気になっちゃう。

なんかところどころギャグっぽいのも微妙な感じ。ホラーなら雰囲気作りを統一して欲しいんだけど、あまりにも過激はっちゃけている人物が主要な立ち位置にいるもんだからバランス崩壊ちゃうのかなって思った。

二章で描かれていた熱帯の冒険面白かった。間宮は屑だけど。

あんまり自分には合わない小説だったかなあ。

2016-05-21

英語なんて大学時代ふつうやるでしょ

なんでやってなかったんだろうな自分

あほだな。って思って社会人10年くらいになる。

ちょこちょこと勉強する毎日

なんで学生時代ちゃんと真面目にしなかったんだろう

プログラミングでも、起業でも、ちゃんと未来のこと考えてたらやるはずだ

おそらく、自分怠惰だったからやらなかっただけじゃないか

モラトリアムなんか満喫して無為人生過ごして…



20そこらの気持ちって簡単に忘れてしま

あの時は哲学にハマっていた

ハマっていたというか、自分の生きていく辛さを整理するために

過去偉人の本を読んで考えを整理してたんだ

なんであんな大切な時間を無いものにしてたんだろう

本当に久しく忘れていた

哲学なんて考えるのは、仕事するうえで非常にマイナスになる

馬力が出ない。

毎日必死に送っている価値観絶対とみなさなければ

おれ自身現実への嫌悪感崩壊してしま



色々回りくどく書いたけど

20代気持ちをすっかり忘れてしまう事に驚いている

それは本当の気持ちなのに、覆い隠せてしまうことが本当に驚きで

40代の人とかどうなんだろう

このまま振り切っていってるんだろうか

2016-05-20

学校ダンスの授業が嫌いだった

本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。

個人的ダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しか学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったか無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。

嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である自分学校進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校ダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンス振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチ集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。

また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から全然上がらないんです。

嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近学校はどうだか知らないが、自分学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」であるしかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団運動神経神経悪い芸人の共演であるテレビだったら死ぬ面白い絵面だろう。しか自分芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。

最後の嫌いな理由は「練習であるイソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生時間練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しか勉強に比べてダンス技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。

応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人から特に脱出出来なかった。

因みに自分学校期末試験の終了数時間後に、体育祭ダンス練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。

しか学校ダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれダンスの授業を嫌がっていた。


他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。

数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛時間しかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか

自分ダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。

実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい


後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しか普通の人にとっては自分運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。

お焼き屋で隣の女子高生が言っていたこ

私が住んでいる場所北海道士別市という場所で、そこにはくら寿司はおろかマクドナルドさえない。

から「隣りの女子高生」の会話メソッド作文をなすには、学生がよくいくお焼き屋に舞台を遷さねばならない。

北海道田舎はどこもそうだろう。



お焼き屋に行くと、富川という私より25歳ほど上の男が店番をしている。

元来、私の学生時代富川の母が店主であった。私たち富川のばばあだとか、富川のばあさんと呼んでいた。

富川の息子、今店番をしている男は、若いころから数年前まである政党党員として、近隣の名寄市旭川市活動していた。

富川のばばあが高齢になったから、今は店を手伝ってよくいる。それまでは市議道議なんかと活動を共にして走り回っていた。



富川お焼き屋は、お焼きはもちろんそれなりだが白玉善哉が美味いことで知られている。

私もそれを頼む。それとアイスコーヒー



私は旭川高校から北海道大学経済学部に進み、沼田町役場に奉職した。

から3年前、仕事を辞めた。仕事は嫌いではなかったし熱意もあったのだが、書いていた小説がかなり売れるようになって、家族とともに故郷士別引っ越した。

妻の実家はこれまた近くの秩父別町にあるから、まぁ親孝行なもんだ。



富川の店に2人のJKがやってきた。そしていよいよ、彼女たちの会話が始まる。

平成金時価格低すぎない?」

「やんぬるかな」

「それときらら8087xの取引価格がまた小樽相場師によって引き下げられとるわ」

「え、とーさん大丈夫だべか?」

「やんぬるかな」

士別でも組合つくらんとならんと思ーよ」

旭川の方では軍が言って組合作って自分らで検査しとるそうだ」

「うっちじゃそれ無理っぺよ! まとめんの出来る人居るの?」

「やらんといつまでも小樽相場師の言い値さ」

「折角景気も天気もいいのにこれじゃいつまでも銭こはいらんやね」

「わややわ! やんぬるかね!」

「すったこ~」



2089年に勃発したモンゴル神聖ローマソヴィエト第三二重帝国民主主義人民共和国との抗争は、この北海道の小さな町にも好景気をもたらした。

内地敦賀鳥取長崎代表される人体機械製品・生体兵器CBM生産による圧倒的な戦時景気ではない。

戦争の際は、北海道のこの土地生産物ユーラシア兵士の食料になる。今も昔もそうだ。

どちらの陣営にも食料は必要から、豆やコメの値段はだいたい五倍くらいになる。

CBMの景気の良さには到底及ばないが、片田舎にも相応の贅沢をもたらした。

ただし、一つ問題点があった。

士別市田舎すぎて、自前の公定検査組織を持たず、経済都市小樽相場師がやってきて買い付けて行く。

憎き小樽相場師は、それを時にため込み、時に吐き出し、戦争に支えられる好景気とはまた別の次元で儲けを生み出していた。

どこにどういう価値の変動があるのか巧妙に隠されている。

しかしどうやら、士別の人々が幾ばくかの損をしていることは間違いないようだ。

北海道農協制度2050年代に崩壊し、ほとんどの自治体は後継機関を持たなかった。



私はJKちゃんに話しかける。

「それならば君らが組合を作ればいい」

「ふぇえ、無理無理無理ぺよ」

無理なことはない、かもしれない。彼女たちの世代は全く新しい教育体系を得た世代で、理論を建てる訓練や説得力のある思考に関する訓練をを相当積んでいる。

かつて明治という時代近代的な学制が施行された際、子どもたちの多くは親よりも文字が読め、文字が書けた。かつてそういう世代があった。

いま彼女たちはそれと同じような時代を生きている。閉鎖的な親たちの社会、見識、学識をネット社会成熟が打破したわけだ。

糞みたいな田舎でも、都会の清廉な学生が受けるような学習の「効果」が期待できるようになった。

それを一身に受けた世代彼女たちだ。先ほどの経済の話もかつての世代高校生ときにやる話ではない。




彼女らと富川を引き合わせた。

私の役割は多分ここまでだろう。あとは記録し100年先にこの出来事を記そうと思う。

富川の店は若い世代地域政治地域経済議論する場になるだろう。

富川は母の様子を気にしながらも、この士別政治を考え、次世代に伝えることが出来るだろう。

外国のカッフェのようだ。

JKたちはまだ自分能力に気付いていない、だけだ。




こうして、あの富川のしがないお焼き屋が、士別農協が復活するとき拠点になったわけだ。

総理って事実上立法府の長じゃない?

だって、衆参の議長って、議事進行はするけど、なにかの決定に関与しないし。それよりは、所属議員党議拘束をかけることができる最大与党党首こそが、立法府で一番権限を持っている人のような気がするけどな。

中学のころから議員内閣制の三権分立って崩壊していると思っていたけど、だれか反論してー。

宮崎正弘先生の著書

2006年中国瓦解 こうして中国は自滅する」

2007年中国猛毒を撒きちらして自滅する 全世界バブル崩壊の引き金を引くのも中国

2008年崩壊する中国逃げ遅れる日本 北京五輪後に始まる戦慄のシナリオ

2010年上海バブル崩壊する ゆがんだ中国資本主義の正体」

2011年「自壊する中国 ネット革命連鎖

2013年中国バブル崩壊が始まった」

2014年中国時代は終わった」

2015年中国経済破綻

2016-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20160424163052

たか女児向けアニメエロいから子供に見せたくないとか、

20年前の「ジャップエロい変態アニメ我が国の子供達を崩壊させようとしている!即刻放送中止すべきだ!」ってセーラームーンに対して騒いでたアメリカキリスト教白人主義右翼と言ってることが全く同じ。

人を潰す組織

どんどん人が辞めていく。

3人くらい採用しても、それ以上に人が辞めていく。

若い社員が多く、未熟なところもあるが、皆いいところ・いいものを持っている。

これからの伸びシロはたくさんあるのに、マネジメント側の育て方が悪くて何人もの若手社員が潰されてしまった。

結果、事業拡大できるだけの利益経営力はあるが、常に人手が足りず、そのうち会社のもの崩壊するんじゃないか危惧する。

しか能力的にも年齢的にも次の仕事絶望的。

そんな思いをしてまで働くくらいなら自殺するか生活保護のほうがはるかにマシ、と考えて就職しないニートひきこもり気持ちがわからないでもない。

2016-05-18

もう日本は誰がババを引くかという団塊まできている

少子化による福祉破綻年金制度崩壊

増大していく国債デフォルト

 

そういったものを、どの世代が被るのか。

どの世代から福祉のない重税の時代辛酸をなめなければならないのか。

みんな、ババを引きたくないから、

そういう絶対的破綻を先送り、先送りにしてごまかしている。

 

遠い未来か近い将来いずれか、

定年という概念もなくなり死ぬまで働き続けなきゃいけなくなるようになる。

 

金のあったころの日本なら、物価が高かったらから

移民低賃金で働かせて、自国民だけ高待遇高賃金みたいな欧州みたいな方法でも

移民にとっては高給で日本で働くメリットがあったが、国際競争力金もない今の日本では

低賃金で働くくらいならもっと給料高く働ける国がいくらでもあるから

そうやって移民搾取して自国民を守ることすらもうできない。

 

今それをやれば

非正規雇用の人と移民労働力供給過多になってしまった労働市場で互いに食い合って

今よりも賃金が下がっていくだけだろう。

 

誰かが日本リセット犠牲にならなければならない。

それが誰になるのか、どの世代になるのかの押し付け合いをしているだけに過ぎない。

結局、選手活躍すれば東京オリンピックだって盛り上がると思う

はてな界隈だと、東京オリンピックなんてさっさと返上しろというのが意見の主流だけれど、

なんだかんだいって、4年後の夏には、それなりに盛り上がるだろうし、

選手活躍さえしてくれれば、「やっぱり東京オリンピックをやって良かった」というのが、世論の主流になると思う。



なぜ、そう思うかといえば、長野オリンピックの時のことを思い出すからだ。

長野オリンピック招致が決定したとき、今回の東京とは比べ物にならないくらい、盛り上がってはいなかった。

1991年のことだから、すでに、バブル崩壊兆しが見えていて、

まあ「失われた20年」がそのあとやってくるとは思っていなかったけれど、

不景気入り口で、あん土建屋がもうかるだけのプロジェクトやって大丈夫なんかという雰囲気があったし、

そもそも、なぜ長野オリンピックを呼んだのかといえば、

西武鉄道グループ総帥堤義明を中心にした政財界利権のためだと、みんな思っていたからだ。



しかも当時、ウインタースポーツスターといえば、フィギュアスケート伊藤みどりくらいで、

しか彼女長野まで競技生命が続く感じではなかったし、

(実際、92年のアルベールビル銀メダルは取ったが、長野には出てない)、

カーリングなんてスポーツがあること自体も知らなかった。

日本冬季オリンピックを見たい、という需用自体が、それほどなかったんではなかろうか?




それでも、東北上越以来、久しぶりの開通となる長野新幹線工事が進んだり、

志賀高原では、難易度が高く見せ場のあるコースをつくりたいスキー連盟と、コース設営が自然破壊だとする地元環境団体がもめて

なかなかコースが決められなくてマスコミを騒がせたり、

そもそも、長野というのは、当時、冬季オリンピック開催地としては最南端で、

年によっては、十分に雪が降らないこともあったりしたもんで

利権のためにオリンピックなんか呼びやがって、まったく、今からでもやめられないのかね?」という世論

それなりに蓄積されていた気がする。

当時は今ほどネット成熟してなかったから、今ほどそれが顕在化することもなかったけれど。




そうこうするうちに開会式の日を迎えたのだが、それでもまだ、盛り上がりには欠けていた。

開会式がけっこうひどかったからだ。

IOC大スポンサーであるアメリカテレビ局に逆らえず、

放映時間の時差の関係で真昼間に開会式を挙行しなければならなかったので

花火や照明をつかった鮮やかな演出が使えなかったというのは、確かに気の毒なのだが、

それにしても、浅利慶太演出はひどかった。


大体、浅利慶太がなぜ総合演出を手掛けることになったかといえば、

自民党の御用文化人だったから、というのはみんな分かっていたことで、

そもそも、あの人は、確かに政治権力に近づきつつ、日本においてミュージカルを「ビジネスとして成立する」ものにまで育て上げたのは

物凄い功績だと思うけれど、まあ、芸術家演出家)としての評価推して知るべしである

ちなみに、先ごろ亡くなった蜷川幸雄は、すでに80年代には「世界のNINAGAWA」の名声を得ていたんだけれど。

これも、「オリンピックなんて、偉い人の利権コネで進められている」ことの一つの証拠と思われていた。



開会式当日、なぜか、現代風にアレンジした巫女風の衣装をきて聖火台に点火する伊藤みどりの姿は、

なんだか、見てるこっちが恥ずかしくって、

日本女子フィギュア初の銀メダルをとった偉大な選手に、なんてことをさせるのかと憤ったものだ。

なぜかBGMにはプッチーニオペラ、「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」が流れていたが、

あれは、かつて政治力を駆使して、イタリアでこのオペラ演出したことのある浅利慶太自己顕示欲コンプレックスがないまぜになった

選曲だったと信じている。

当時、伊福部昭は存命だったし、坂本龍一も、今ほど政治的な色もなくて純粋に「教授」として尊敬されていたし、

久石譲だって、すでに「宮崎アニメ作曲家」として評価を得つつあったのに、なんでそういう人たちに作曲させないで、

西洋クラシック使うかね。



そんなこんなで、開会式を迎えても盛り上がらなかった(当社調べ)長野オリンピックだが、

日程を重ねるにしたがって、日本中の人々をテレビにくぎ付けにすることになった。

それは、日の丸飛行隊の、活躍であったり、キング・オブ・スキー荻原の雄姿であったりの、素晴らしいドラマがあったからだ。

スキージャンプ団体で、大雪が降りしきる中、原田雅彦が大ジャンプを決め、後続の船木選手を、

今にも泣きそうな顔で「ふなき~! ふなき~!」と見守っていた映像をご記憶の方も多かろう。

このとき団体メンバーから外されメダルを取れなかった悔しさが、

結果としてレジェンド葛西紀明を生んだ、ともいえる。



閉会式の司会が萩本欽一、というのも、当時、「オリンピックについて決めている偉い人たち」のずれ具合を

如実に示す出来事だと思われていて、

すでに萩本欽一は「テレビ的に過去の人になるつつあるタレント」だったし、

欽ちゃん的なボケとかツッコミっていうのは、日本人同士で通じるもので、

あのノリを世界に向けて発信したら壮大に滑るんじゃないかと、自分の周りの人たちはみな心配していたが、

なにしろ、競技自体が盛り上がって、会場に集った選手たちが盛り上がってくれたせいか

そんなにひどい体たらくは見せないですんでいた記憶がある。

萩本欽一も、さすがに、わきまえた人なのか、

いわゆる「欽ちゃん節」は抑えて進行していたし。



かくて、無事、オリンピックは無事終了し、ウインタースポーツに新たなスター伝説が生まれ

テレビには「感動のオリンピック総集編」みたいな番組が溢れることになったのである



その後、長野財政オリンピックのせいで、けっこう苦しいことになったらしいとか、

西武株式をめぐるごたごたで有罪となり、表舞台から退場したはずの堤義明は、

つの間にか日本オリンピック委員会最高顧問になっていたらしいとか、

いろいろあるのだけれど、

それはそれとして、長野オリンピックは見事成功したのである

多分、東京オリンピックも、同じように成功するはずだ。

選手さえ、頑張ってくれれば。

2016-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20160506153855

小さい子供に「スマート生活」はまったく通じない。

ナチュラルに「スマート生活」は無視できるマイルドヤンキーが強いのはそこ。

スマート主義者崩壊するさまを見ることが出来て、ちょっとくそ笑んでいる。

2016-05-15

いよいよスピンできなくなってきたApple

ポエマーの方もついに出てきて面白くなってきた感じではあるが、

もう少し広げて考えると、本社日本サイドもリーク含めて上手にスピンしてきたAppleだけど、もうそろそろシステムが回らなくなってきたということか。


みのもんた」なんか「朝ズバ」で、新しいiPadが出るたびに、一年前にやっていたのと同じように驚いてみせていたけど、その時点でやらせと気づいていた人も多かったと思う。

もしかしてビッグウェーブさんも、最初自由意志だったかもしれないけど、途中からは仕込みになったのかな。



今はどこもやっていて、立ち位置の分からない「エバンジェリスト」というのを始めたのもAppleだったような気がする。

この前の本社会議室エンジニアが「自殺」したとかいう件はその後どう処理されたのだろう。



「悪の帝国」と言われたマイクロソフトバルマーという人が嫌われ役を買っていたように思うが、それでも開発者エコシステムへの参加者)には優しかったような気がする。

今のiOSアプリ審査なんか、リジェクトされる理由意味不明。公開されている基準整合性のない理由ばっかり。

それでいて、それなりの権限があるはずの人は表に出てこなくて、権限のない下っ端の担当に無理させている。




ジョブズの言った、"The Computer for the Rest of Us"は成功したのかもしれないが、



Appleハードごと定期的に買い換えさせる商法に疲れてきて、

もう、今のでいいよ、別に新しくなくてもいいよ

という感じになってきている。



新しくない物を新しく見せかけるのに無理が出てきており、

ついにiPhone SEのように開き直った物も出てきた(ユーザー要望などは聞かずにユーザーの求めている物を生み出すのがAppleではなかったか?)

案外、帝国崩壊も早いかも。



まだAppleで消耗してるの? ってイケハヤさんが言い出すまであとどれくらい?

共働きじゃないとやってけない意味

職場おっさん

共働きじゃないとやっていけないという人が多いのは、給料ほとんど上がってないのに物価ばかり上がるからでしょうか?」と聞いたら

「というか、生活水準が上がったからじゃない?昭和の水準の暮らしをするなら共働きしなくても十分にやっていける気がする」と答えがあった。

なるほど、便利で快適な暮らしには金がかかるということか。

確かに全自動洗濯機ルンバや追い炊きの風呂を手に入れるのにはたくさんのお金必要だ。

それに子ども大学専門学校にやったりするのも、海外旅行へ行くのも「普通」のことになった。

そういう生活を何十年と維持するには、どちらかがある程度の高給取りでない限り共働きであったほうがいい。

すると家から専業主婦がいなくなるので、全自動洗濯機ルンバや追い炊きの風呂、あと自動車のような便利なものがあると勝手がいい。

更に、女であっても大学専門学校を出た方が待遇の良い仕事に就きやすい。

まり、それらの購入費や学費がどんどんかさんでいくということ。

その費用を捻出するのには共働きである必要があって…

快適に共働きをするためには便利な生活環とある程度の学歴必要で…

それを維持する費用を捻出するのには共働きである必要があって…

ってわけわからなくなってきた。

働きたい人が働いている場合は別として、「平成20年代の普通生活」という贅沢のために共働きをせざるを得ないみたいな感じなのか。

昭和主婦家事について話を聞いたことがあるが、その厳しさは結構壮絶だった。(もちろん何十年代かにもよるだろうが)

あれに比べれば今の9時5時の兼業主婦って天国だなと思う。

そう考えると、何に対して労力をかけるかが入れ替わっただけなのかもしれない。

共働きじゃなくても誰もが余裕で生活できて、且つ家事がそこまで負担ではなかった時代っていうのを経験してないか

そこからどういう変化があったかはいまいち分からない。終身雇用崩壊とか色々あるんだろうけど。

2016-05-14

女が入ってくるとコミュニティ崩壊ジャンルは衰退する

男が男だけで楽しむ場所を作る

面白いので人も増えてくる

女が寄ってくる

女が自分たちの住みやすいように主張し始める

マスコミや女目的の男が嗅ぎつける

男が去っていく

その分野が完全に腐る

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