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はてなキーワード: 人生観とは

2017-04-24

孕むためだけに生まれてきたって言葉がすごい哲学的

巨乳美少女セックス中に中出しでもするとして、

その時にこの台詞を吐いたら皆凄い嫌そうな顔をする。

当たり前だよな

孕むためだけの人生ってそれ人生観否定されたも同じだもの

そして選りによってそんな事を言う奴のガキを孕まされなければならないなんて嫌だろ。

この言葉を吐く時、なんだろう。物凄い達成感と充実感、支配欲や征服欲が一気に高まって来る不思議

これを哲学と呼ばずして何と呼ぶ。




アニメの話です。

2017-04-13

価値観の違い」というマジックワードに逃げ込まないでね

>「故人の友人知人が嫌な思いをした」それはあなた想像しかない。

と言いつつ

>たしかにそういう人もいるかもしれない

…と言うからには、否定はできないのだよね。というか、いるだろうという想像妥当性は認めてるんだよね。

増田が「ちょっと嫌な思いをするくらいどうでもいい」と思う寛大な人であるのは自由だが、増田が寛大であることと世の中の人に同レベルの寛大さを期待できるかってのは全然別な話なわけで、そういう見込みや期待の下に動くのは、あまりに世の中の人に対して楽観が過ぎると思うのだがどうだろう。



>これくらいで店主をクサすような客ってロクな客じゃない

そうだよ。世の中にはロクな客もいればロクでもない客もいる。当たり前の話じゃない?

そして、ロクでもない客であろうが、その店(元の話に戻れば故人)は受け入れてきた。そして、重要なことだが、その「客」はまだ生きている。

なんで増田は好き好んでそういう「ロクでもない人間から悪意を買いたいと思うのかな。

元の店が気に入らないという理由なら分かる、と書いた。店に対する悪意があって、その悪意を広めたいというなら、動機としてはまだ理解範疇にある。

でもそうでないのなら、好きこのんでそういう人の悪意を買うようなやり方をするのは、決して賢明なことではないよね。店の権利者もそのロクでもない客も、そして、そこに諍いが起こることで迷惑する周囲も。誰も得しないね

そういう状況を避けるためにあるのが、これまでの歴史が生み出してきた「儀式」という名の知恵だろう、というのがそもそものこちらの話であって、誰も「俺はジョーシキなんてカンケーないね」っていう増田人生観の話なんかしてないわけだよ。価値観はいろいろだろう、ってそりゃそうだろう。誰も価値観の話なんかしてなくて、「トラブルを避けるための知恵」の話をしているわけだよ。



そんなんトラブルなんか起きねーよ、特に仲良くもない人の感情なんか傷つけてもどうせ大したことねーよ、ってのが増田の話。

わざわざ人の感情傷つけるようなことをするより、それを避ける知恵が世の中にあるんだから知っておこうよ、というのが俺の話。

価値観の違いとかじゃなくて、増田はそもそも俺の話を理解してないだろってこと。



ちなみに、元記事は消されたようだ。

非常識社会に広まることを少しでも防ぐという意味では、残しておいて欲しかったものだが、少なくともかような行動やその内心は隠すべき、と元記事書き手判断したのだとしたら、少しは結構なことだな。

http://anond.hatelabo.jp/20170203211316

2017-04-10

2017年某月某日、私は晴れて精神病患者になった

2017年某月某日、私は晴れて精神病患者になった



いくつかの長ったらしい病名と薬を与えられて、

二十と数年の人生に判子が捺された。



薬を飲むと、ぼんやりとする。

思考は奪われ、やる気も起きず、

もともと脱力気味な生活拍車がかかった。



加えて、嘔吐感。

常に吐き気がして、これも思考を奪っていく。



薬に効果があるかは、まだ分からない。

時間がかかるし、量も増える可能性があるらしい。





薬には想像以上にお金がかかる。

これだけで生活が圧迫されてしまう。

けれどまともに働ける精神状態でもなく、

それがまた私を不安にさせて、夜に眠れなくなる。



いや、そんなことはどうでもいいのだ。

確かに薬やお金仕事のことも不安だ。

不安不安でたまらなくて、

動機もするし涙も出るし、不眠にもなる。



でも、そんなのは些事なのだ

もっと強大な不安が、私を押し潰しているのである



人生だ。

これまで積み重ねてきたはずの人生が、

重く重くのしかかっているのだ。





から、人の心を理解できない人間だった。

普通に自然に、みんなと同じように、当たり前に。

そういうことができない子どもだった。



他人が悲しんでいる時に、

なぜ悲しんでいるのかわからない。

嘘泣きではないか偽善ではないか

泣いているというステータスを人に見せつけて、

自己保身をしているだけなのではないか

誇張無く、嘘偽り無く、

気取りや逆張りマウンティングでも無く、

純粋に、心からそう思っていた。



ということを、精神科医と話して初めて知った。

そして言われたのが

「それは普通じゃ無いんですよ」

という類の言葉だった。



他にもいろいろなことを話し、

いくつもの違いを指摘された。

そしてその後語られた症例が、

これまでの自分人生にあまりにも一致していて、

ああ、自分は心の病気だったのだ。

普通人間のように生きることができていなかったのだと、

その時に初めて知った。



そう、知ったのだ。

この時は知っただけで、まだ何も考えられなかった。

それからとりあえず

「いい薬があるから

という言葉と共に処方された薬を飲み、生活を再開した。



そして幾何かの時が流れて、はたと思い当たってしまった。

私のこれまでの人生はなんだったんだろう、と。



精神科医を訪れたとき

私は熱に浮かされたような状況だったから、

まともに何かを考えることは、当然できていなかった。



過去の苦悩が全て病気だったのだと知り、

一種安心のような、許されたような気すらしていた。



そしてそれは治療できるというのだ!

なんと素晴らしいことだろう!

私はようやく普通人間になれるのだ!



そう考えていた矢先、ふと、思ってしまった。

私のこれまでの人生はなんだったんだろう。



もしこれまでの私の人生が全て病気で。

病気ということは正常じゃない、間違った状態で。

それを薬を飲むことで治療できるとして。

その先にある、正常な私は、

これまでの人生を歩んできた私と同一なのか。

治すということは、これまでの人生否定ではないのか。



特に公言をしているわけではないが、

私には信念というか信条のようなものがある。

子どもの頃に行き着いた一つの結論で、

それを裏切らないように、生きてきた。

いまはいちいち意識しなくても、

行動は全てそれに準じている。

それは私のアイデンティティであり、

誰にも犯されたくない、一番大事ものだ。



でも、これまでの話を総合すると、

そのアイデンティティは、どうやら病気由来らしい。

病気によって生じた柱をもとに、二十数年を歩んできたのだ。



これまでの人生は、案外悪くなかった。

親とは不仲だし、顔を合わせたくもないし、

小学校の頃はいじめられていたが、

そんなことはどうでもいいくらいには、

自分人生を歩んできた自覚がある。



親との不仲も、いじめの原因も、

結局は病気由来だったことも判明したのだけれど、

それを含めても、まあ、歩いてきたなと思う。




社会人になって大きく躓いた。

激務に次ぐ激務だったが、

他の人間には、それができていた。

でも自分にはできなかった。

自分生活がを、人生犠牲にして働くことが、

自分には不可能だと悟った。

限界を感じていた。

そして仕事で失敗をして、

巡り巡って精神科医にかかることになったわけだけれど。




そして今回発覚したのが、病気だったということだ。

しかも、社会人になって発生したのではなく、

おそらくは生まれ持ってのものだった。




それを「治療」することが、途端に怖くなった。

これまで意識をしたことはもちろん無かったが、

自分人生病気によって作られたものなのだとしたら、

それを治療してしまったら、私は誰になるのだろう?

これまでの価値観は、人生観は、全部間違っていた?

薬を飲んで治れば「普通の人」になることができる?

病気を治すことは、過去自分否定ではないのか?

その時に自分は変わらず自分のままでいられるのか?

いままで歩いてきた人生はすべて間違っていたのか?



怖くて仕方がない。



病気は治さなくてはいけないのだろうか。

でも、このままでは、生きていくことが難しいのだ。



お金も無い。人とのつながりも無い。親には関わりたくない。

きっとこのままなら、職も失う。



病気を治さないと、生きていくことができない。

病気を治すと、これまでの人生がすべて否定されてしまう。



私は何を選べばいいのだろう。

何も分からなくなってしまった。

2017-04-03

40超えてtwitterやってるジジババ

40超えたジジババのツイートは本当に気持ち悪い(ここで言うのは公開ツイートに対して)

まず気持ち悪いのはbio(自己紹介文)に「生年月日生まれの~です」って定型文だ(例:1972年8月8日まれオヤヂです(*^_^*)・・・

年を喰ってるのは圧倒的にディスアドバンテージなのにそれを堂々と書いてるのが生理的に無理。茶でも汲んでろ

次にユーモア若い人に比べて圧倒的にない。

もう未来も見え切ってる人間に無理な話だが猫と酒と政治といったクソマジメ&ユーモアの欠片もない話を連投してる割合若い人に比べて圧倒的に高い。

twitter機能をまるで理解していない。加齢臭が移るから若い人の見ていないところで発信してほしい。

最後に40にもなって若い人に対して意見しようとしてる姿勢がキショい。

1020代若い人達ちょっと世間知らずなこと言ってしまうのは当たり前なのに我が物顔で「俺も若い時は~」って感じの意見をするジジババが多すぎる。

次世代生産者若者なのにもう消費していくだけ(これは少し極論)のジジババが味わってきた加齢集たっぷり人生観押し付け行為害悪以外の何物でもない。

これだけ言っているが僕は年上の人が嫌いな訳ではない。現に僕は両親を尊敬しているしユーモラスな大人も数多く知ってる。

でも、twitterに常駐してるジジババに関しては7,80%は僕の嫌いなタイプの年上だろう。

今日入社式入社時を思い出したであろうジジババが大量にタイムラインに溢れ、目障りすぎたのでこんなに棘のあることを言ってしまった。稚拙文章申し訳ないです。

でも、僕は30切る前くらいにはtwitterはやめて結婚生活仕事趣味にその時間を割り当てるのが適切な人の在り方だと考えるしこれからも変わらない。

趣味twitterならもう知らん。

※追記

twitter他人の為じゃなく自分の為にやるもんだ!という意見を頂きましたが全くその通りです。いわゆる「生理的に無理!」ってだけです。

あと、ガキのツイートも同じくらい面白くないという意見についてですが上にも書いています10代の学生は未成熟なのでつまらないのは許容されるべきだと思います(これも個人意見ですけど)

2017-03-27

高卒非正規、酒飲んでウェーイ、な飲み会に参加した。

参加者は例えば、耳に大きな穴をあけ、仏様みたいになってる30過ぎた男。

そういう生き方別にいいんだけども、感じたのは、すごく情報が「クローズであること。

本を読まない、自分で学んだりしない、情報は常に耳から耳。

仕事基本的に紹介。

彼らの人生観がとても面白い

世の中には発信力のある人がいる。

ミュージシャンとかタレントとか。

その人たちとつながりを持てれば、自分も上に上がれる。

マグロ一本釣りみたいな人生設計

すごくカルチャーショック

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321155620

くだらねーのはてめえの人生観ダロガッカスゥー

2017-03-15

今の思春期って人生観が変わるような作品にどうやって出会ってるの?

少し前はエロゲっていう強力なメディアがあったけど今はすっかり先細って滅びかけてすっかりただのエロエロ紙芝居に戻った。

その前の時代だと漫画小説がまだまだ元気があって今みたいに目先のインパクトしか考えてない大衆娯楽ではな無かった。

じゃあ今の時代思春期ってどういう形で人生観を構築してるんだろう。

もしかしてYOUTUBERの実況動画とか?

2017-03-08

発達障害社会不適合者に生まれても不幸になるとは限らないと言いう言説は

言っている本人は発達障害者人生肯定するつもりで良いことを言ってるつもりなのだろうが

実際にやっていることは発達障害者自己啓発的な人生観運命論へと疎外しているだけである

LGBTに生まれても保育園に落ちても不幸になるとは限らないというのも運命論としては正しいが

やはりそれは不幸なことだという政治的コンセンサスがあり権利保護公的扶助対象として議論される

発達障害人生肯定するのであれば前者と後者差異について一度真剣に考えてみるべきであると言わざるを得ない

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304062442

からいわせてもらうが、だったら、わざわざ「世界観」なんて言葉は使う必要いね


もともと「世界」という言葉表現しきれないものがあるから世界観」という別の言葉存在するんじゃないの?

でも「同じ」ものだったら、わざわざ別の言葉をひっぱってくる必要はない。

やたらと「意味ありげ」な言葉をもってきてハッタリかますのは、頭悪い奴がやりがちだけど。




あと、人生観についていくら語っても人生と同じ意味にはならなかったんですけど、どうしたらいいですか?センセ。

http://anond.hatelabo.jp/20170304000205

世界」と「世界観」は違う言葉なんだから、使い分けたほうが良いに決まってんじゃん。

そこを理解できないってのは、頭が粗雑な証拠

人生観」と「人生」が一緒とかいうやつがいたら、会話難しいわな(笑)

2017-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20170303233438

それはせっかちなやつの人生観じゃないのって話で

愛とか恋とか人生はこうだとか歌って表現してるのは人生観じゃないのだろうか

それらは別の世界表現してるわけでもなんでもないし

邦楽でいうなら東京コンクリートジャングルだとかそういう文明社会の外側から視点を持ち出すあたりが

世界観という言葉が正しい使い方かどうかの境に思えるけど

それも内側の人間が外側ぶってるという洒落(それが悪いというわけではない)の域を出ているかというと怪しいわけで

http://anond.hatelabo.jp/20170303222753

まり詳しくないんだが、多分アニメ界隈で、作品をほめるのに「世界観が凄い!」とか言い出したあたりから妙なことになっていったんではないかと思う。

(多分、『エヴァ』が元凶

それをJポップのアーティスト()あたりに波及して、「西野カナ世界観が好き!」みたいな言い回しが出始めたように記憶する。

西野カナ世界観って、よーするに恋する女の子の、はるかからある平凡な感情をわかりやす言葉表現してるだけだと思うけどw


別にヘーゲルのいう「世界観」みたいな大仰なのにこだわることはないけど、にしてもねえ。



人生観は、結局「人」にしか使いにくいから、あんまり被害でてないんではないかな?

作品に流れている作者の人生観」とか言い出すと、なんだか重すぎるし。

http://anond.hatelabo.jp/20170303220814

近い言葉の「人生観」には、まだ被害が出てないのかな

どうして差が出てしまったのか

2017-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20170302112844

めっちゃ分かるww 旅行行ってる自分アクティブ!!とか思い込みすぎww

職種海外旅行に行く同僚が多くて「海外は良いよ!!一度行ってみなよ!!人生観変わるよ!!」って言われるけど、「いや、変わってるのにこんな会社で居るのやめてくださいよww」で終るww

2017-02-22

美人から奢ってくれるって言うけど違うだろ

男性食事に行ったらおごられるの、普通だと思ってる。



29だから女の子っていう年齢ではない。

自分でいうのもどうかと思うけど、自分のことをわりと美人だと思ってる。

仕事バリバリキャリアウーマンというわけではないけど、上司意見提案もするし、事務とか腰掛けOLではない。

休みの日には副業もしてる、収入上げたいんだよね。(ちゃんと会社には副業の申告してるよ)



ただ、美人から奢ってもらえるんだよ〜っていうのは違うと思うんだよね。

奢られると嬉しいし、美味しいもの食べられるから、奢ってもらえるように多少気を使っているだけ。



でもご飯に行くと、大体おごってもらえるかほとんど出してもらうかのどっちか。



から友達とか知り合いと話していて、全然奢られないとかそういうの聞くと「そんなに奢られないの?」って不思議

面と向かっては言えないけどね。



実際にはこんなこと言ったらケンカ売ってると思われるから、ここに書いた。



ずうずうしくしてるつもりは全くないけど、世の中の男性はどう思ってるんだろう。



奢ってもらえないって言ってる人は「サバサバした性格から」とか「男っぽくて」とか「女性扱いがいやで」とか言ってるのを聞く。

サバサバとか男っぽいって、ただ単にガサツだったり言葉遣いが汚いだけ。

女性扱いがいやっていうのは良くわからないけど、女性なんだから別に良いんじゃない?

対等じゃないのがいやってことなんだろうか。対等ってなにをもって対等なのかが分からない。

そういう人に「美人は〜」的なこと言われると、じゃあ少しは女らしくするとか気を使えば?って思う。

それが嫌なら割り勘で良いんじゃない。



とりあえず、飲みの席ではにこにこして愛想良くしておけば、奢ってもらう機会は増える。



一応お会計の時に「いくらくらいですか?」って聞くけど、大体「いいよ、いいよ」って言ってくれる。

なので「すみませんありがとうございます」と素直に奢られている。



たまに、会計時に頑なに「払います!」っていう人いるけどレジとかでそういうやりとりするのが好きじゃない。

2回くらい聞いて「払わなくていいよ」って言われたなら、引き下がるのも大事だと思う。



大体おごってくれる人って、自分より収入多くて立場が上な人が多い。

から頑なに払います!っていうのも、ある意味失礼なんじゃないかなー。



おごってもらう時のパターンは以下みたいな感じ。



これ以外のパターン、例えば同僚の場合はやや少なめに払う。

この間、飲み友達になった人は40歳で、今のところほとんど払ってない。

2人で8000円だっ時は2000円だけ払った。

払ったとしてもこくらいのことが多い。

割り勘することはほとんどない、飲む量も食べる量も違うから



あと、美人は良いよね〜とか、○○さんは美人からっていう人はどういう意味で言ってるんだろ。

嫌味?悪いことしてるわけじゃないし、責められるように言われるとイライラする。



ちょっと身だしなみとか会話に気を使えば、普通におごってもらえるよ。



気を使うって具体的に何かっていうと、身だしなみ整えてガサツなことはしないようにしている。

それはぶりっこするわけではなくて、お行儀よく。

オシャレが好きだから服装に気を使ってるというとちょっと違うかもしれないけど、女らしい格好をしている。

露出はしてない、美人百花に出てくるような服装がメイン)

毎回奢ってもらって感謝しているので、たまに旅行出張お土産食べ物お酒)を渡す。



会話も大体年上やそれなりの役職経営者であることが多いから「そうなんですね〜」「知らなかった」「へぇ〜」って聞き役に徹してる。

年下の若造経験とか知識を語っても「なにいってんだこいつ」ってなりかねない。

あと会話は仕事とか人生観趣味が多くて恋愛話とかTV芸能人の話みたいな女子会トークはしない。



会話の中で多少セクハラっぽい発言が出ても流すし、変な反応はしない、しかめっ面もしないし笑顔

「なに言ってるんですか〜」って笑っておけばいい、不快セクハラってそんなにないし、そもそも不快な人と食事には行かない。

終電には必ず乗る、帰らないといけない時間スマホタイマーかけておけば乗り遅れることもない。



そこまでして奢られたくないしっていう人も当然いると思う。

けど、そういう人と行くお店って自分では行けないところとか美味しいお店であることが多い。

それに仕事の話や考え方もけっこう参考になる。

自分の知らないことを知る機会でもあるし、適当に相槌してるわけじゃなくて素直に「そうなんですね〜」「へぇ〜」って言ってる。

知ってたことでも「知らなかった」って言っておけば良い。会話にも多少の気遣い必要

からといって、上の役職経営者の人であっても変にかしこまる必要はないし、お互いお酒が楽しく飲めるようにしている。



何回かご飯に言ってつまらないと思ったら行かないか、ほかの人も誘おうと提案する。

頭悪い人との会話はつまらない、学力っていう意味じゃなく。

経済とかマーケティングニュース勉強しておけば話もわりと盛り上がる。



最近、「美人は〜」とかよく言われて「いやいや、そうじゃないだろ」って辟易してたので、今の気持ちを素直に書いた。

美人可愛いみたいな見た目の問題よりも愛想だと思う。

あとご馳走してもらったら「すみません」じゃなくて「ありがとうございます」って言いまくってる。



奢ってもらうご飯は美味しいし楽しいよ!



  • 友達とは割り勘している
  • 年下とご飯の時は自分が払う
  • 彼氏には会計時いったん全部払ってもらって、あとから半分渡す
  • 変な男女の関係になることはない
  • 変な関係になろうとする人とは距離を置く、2人にならない
  • ご飯に行く時はお金はちゃんと持ってるし、財布を出す動作はする

2017-02-21

[]池辺葵プリンセスメゾン」3巻まで

マンション探しを8年も続けている女性主人公

主人公とりまお話や、終の棲家を買うことに対する人生観などをさまざまな人の立場から描く

セリフは少なく、間で読ませるタイプマンガ



面白い

タイトルだけ知ってたのなんでだろうと思ったけどドラマ化されて新聞でみかけてたからだったんだな

ドラマ見ればよかった・・・

んでぱらっとめくってあっこれ繕い断つ人のマンガやん!ぜってーおもしろそうと思ったら個人的にはあれよりも面白かった気がする

絵柄とか間とかがどことなびんちょうタンっぽくてなんともいえないかわいい絵で、めちゃくちゃきゅーんとする

かとおもいきや能面みたいな、どちらかというと繕い断つ人のタイプの絵柄もあったりして

マンション購入するってどういうこと?ってのが、フィクションとしても実用的にも役に立つところがある

早く4巻読みたい

2017-01-30

おおむね同意しつつも

元増田は、恋愛観、人生観的に、自分とは大きな隔たりのある人間グループに取り囲まれているようだ。もちろん、性的成熟後の特定他者との「好き」が「やりたい」だけにはならない関係社会は、人間に限らず動物の中にもあるし、現代の「常識」ではむしろそちらの人間グループ問題があると見なされる、という点については全面同意

ただその上で、相手の属する「常識」と自分の「常識」に折り合いをつけながら、その相手と一緒に新たな「常識」を作っていくという面倒な作業をしてもいいと思える程度に「好き」でなかったのだとしたら、元増田はその相手の「つきあって」に軽々しく「いいよ」と答えるべきではなかっただろう、とも言える。異文化・異なる常識というのは、世の中には存在するものなのだ。その際、お互いがお互いの正義だけを振り回しあったら、殺し合い(比喩しかなくなって人類滅びる。

まあ「つきあう」って、相当面倒くさいもので、だからこそその先に楽しいこともあるんだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20170130043220

2017-01-27

田舎も都会も両方わかる人ってほとんどいないよね

俺は大都会の真ん中で生まれ育って、そのエリア国立大大学院まで行ったので、まあ、都会の人間だと思う

大学は望めば誰でも行けるものと思っていたし、勉強嫌いな人や、特に他にやりたいことがある人が行かないよね、程度に思ってた



でも、学位取ってからしばらく前、すっごい田舎暮らしていた

言うとバレそうだけど、辺境人口10万人程度の街の高専先生をやっていた

高専なので、当然、ここに来る人は1年次から普通に受験して大学に行くことはない

都会に近い高専なら、7割くらいは大学に3年次編入するけど、僕のいた高専では、大学編入者は半分以下だった




最寄りの大都市まで行こうと思うと高速でも3時間程度かかるような田舎で、大卒ほとんどいない街で、大学に行かない子供達を教育し、進路指導する

こういう経験を何年かするとね、ああ、田舎ってこうなんだなぁーってものが見えるようになって来る

ああ、俺、田舎って知らなかったな、って

そういう学生と関わるからこそ、ただ田舎に暮らすだけじゃ見えない田舎文化も見えるようになる

しか高専生はそこそこレベルが高いので、田舎であるがゆえに、優秀だけど大学にはやれない家庭、みたいなのとすごく関わるんだよね

田舎の中でもただ貧しい子、ってわけじゃないんだよね




このくらい、都会と田舎の両方を肌で理解して、都会論田舎論語ってる人って、はてなじゃほとんどいないよねーって思うわ

都会も田舎も、文化の違いであって優劣じゃないんだよ、ほんとに

都会が劣ってるところも腐る程あるし、田舎のつらいところも腐る程ある

田舎暮らしは言うほど安くない!って騒ぐ人も多いけど、単身者じゃあんま変わらないし、中流家庭を築くコストはどうやっても田舎のほうが安い

自分家族構成ライフスタイル趣味趣向によって、合う街合わない街があるだけ

色んなところで色んな人と暮らしてみると、いろいろ人生観変わると思うよ

まあ、俺はもう田舎お腹いっぱいだけどね

今は転職して私大先生です

2017-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20170122201326

上物のインテリJDに生中出ししたら人生観変わったぞ。

理屈は良いからまず若い女と生でやれ。

2016-12-30

子どもを持ちたいと思う理由

http://anond.hatelabo.jp/20161229111558


一応子持ち。

ちょっと無駄煽りが過ぎるけど、このアホの言うことは部分的にはわからんでもない。特に、この一点に関しては。

自分人生が終わる時、引き継いでくれる存在から

みんないつかは死ぬじゃん。どんなに金があっても、どんなに才能があっても「いつか必ず死ぬ」ということに関しては人類みな平等じゃん。自分がこの世から消える、もうすぐ消えるその時に人は何を思うのかっていうと、「自分はこの世に生まれてきて、一体何をこの世界に残せたのだろう」ってことだと思うんだよね。文学やる人なら自分作品とか、仕事に熱中してる人なら仕事成果物とか、ゲームに夢中な人ならやり込み尽くしたアカウントデータとか。何を残したいと思うかは、その人の人生観価値観に大きく左右されるんだけど、必ず人は何かを残したいと思うんだ。ほら、この前解散したSMAPだって歌ってたじゃないか。「あれからぼくたちは何かを信じてこれたかなぁ」って。

子どもは、そういう残したい「何か」の究極の形態だとぼくは思うわけだ。

自分が今生きているのは、はるか太古から脈々と誰かが命を繋いできた成果だ。どこか一点が途切れていたら自分という生命は現世に存在し得なかった。命がなめくじみたいな存在だった頃からバトンをつないできてくれた。ぼくが生きているということは、そうした無数の命がこの世界存在したことの証明でもある。

それを敷衍するなら、子ども自分存在したことの証明となる。「この世界に何かを残す」というこの一点において、これ以上のものはない。子どもを残すということは、自分が親から受け取った命のバトンを次の世代に引き継ぐということだ。そういう存在がこの世界にあるということが、もうすぐ命が尽きようとする人間の心をどれほど救うと思う?

それに比べれば老後の介護問題なんて瑣末な話だよ。子どもがどんだけいようと、自分介護してくれるかどうかなんて結局わかりゃしないんだから。少なくともぼくは、自分の子どもにそんな期待はかけてないよ。



一応言っとくと、ぼくは「子どももつことが正しい」なんて思ってないよ。第一「正しい」っつったって、一体「誰」にとって「正しい」んだよ。ぼくか? それとも君か? 日本か? アメリカか? わかりゃしねえよそんなことは。何十億年も繋がれてきた命のバトンに比べりゃ、現代人達が言う「正しさ」なんてちっぽけなもんだよ。たかだか100年くらいの歴史しか持たないただの幻想しかねーじゃねぇか。

まぁその流れで言うと、元増田が言う「子供を作っても良い環境が与えられないから作らない」という人に対しては、しいて言えば「もったいない」という感想になる。だってそうでしょ? 結局自分の行動を他人の「正しさ」に縛られてんじゃん。世の中の人と比べてどうだとか、収入がないからどうだとか。もっと言うと、生まれてもいない自分の子もも他人の「正しさ」に縛られるって決めつけてんじゃん。「こんな環境自分を産んだ親を恨みます」って思うかどうかは、あくまでその子が決めることであって、親が決めるわけじゃないからな?

自分がどうしたいか基準はそれしかないじゃん。その結果が「子どもいりません」なら、この世界の誰もその人に文句は言えねーよ。

ただ、その判断の要因が「他人と比べてどうこう」だったら、気にするべきじゃない部分を気にしすぎているし、その人まで必死につないできた命のバトンもったいないなって思う。ただそれだけ。

2016-12-22

自分のために…

投稿です。ここで文章を記して少しでも某大学の小論対策にでもなればなあ、と思っています。早速ですが自分人生観について記したいと思います

私は「他人のために」という言葉が嫌いです。皆さんの中には「会社のために」仕事をしている人はいますか?「お客様に喜んでいただくために」仕事をしている人はいますか?もしいるのなら、その仕事給料が全くつかなかったとしても(全くは言い過ぎかもしれませんが)、その仕事をやりますか?「No」と答えたのならば、偉そうな顔した上司などには大バッシングを食らうかもしれません。しかし、私はここで「No」と答える人が素直で正しいと思いますいくらその仕事が好きだとしても、お金がなければ生活できません。その能力は、自分が働いてお金を貰うためにあるのです。

まり他人のために」という言葉は、何某かが自分のために他の人が動くよう「自己犠牲」を美化して惑わしているに過ぎません。仕事をするにも他の人に優しくするのも全部自分のためです。

情けは人の為ならず」という言葉は非常に的を射たことわざなのですね。

こんなこと考えてるからモテないんだろーなー

2016-12-08

東日本大震災は未曾有の危機だった、日本人人生観を変えたと言われる。

自分はびっくりしたけど、何も変わっていない。

そういうことを言うと「フクシマ家族を失った人のことを考えてみろ」と言われるから黙っている。

一般的交通事故家族を失った人もいるだろうし、誰から理解を得られない不幸に見舞われている人もいるので、大震災での不幸だけ特別視して考えられない。

メディアが大騒ぎしていたので、不幸を想像やすい、くらいに考えています

2016-12-07

コンビニ自動化が始まるのか

確かに画一的フォーマットが、そもそも自動化やすそうではあった

標準化して普及させると、イコール自動化のしやすさも上がる

雇用はどうやって守るべきなんだろうか



昨日行ったくら寿司では満席フロアを2人程度のスタッフが走り回っていた

いずれ会計も席案内も机の清掃も自動化されるのだろうか

食品工場食事する感覚を覚えそうだ



未来の子供たちは何を目指すべきなんだろうか

まだまだ人手不足もあってブルーカラーにも希望はあるが

ホワイトカラーも同じく「単純作業地獄行き」みたいな人生観にはなっていくのだろうか

教育の中で自動化されやすさを教えるのだろうか教えられるのだろうか

教師自動化されるのだろうか



消費性向中間が居なくなりそうだ

もう既に居ないのだろうか



雇用が減るスピードと創られるスピードとは結局前者が勝るのだろうか

いずれ創出の余地が消えたとき、一体どんな社会なのだろうか

2016-12-06

[] 遠藤周作沈黙』 ※追記

なんかマーティン・スコセッシ監督人生五指に入るほど好きな映画監督)が遠藤周作の『沈黙』を映画化したらしいので、積ん読していたのを読んだ。以下はそのメモ(間違ってるかも)。



どうもテーマは以下の3つらしい。

信徒がどんなに辛い目にあっても神が彼らを助けもせずに沈黙しているのは何故か(神はいないのではないか

クリスチャンと言えど、拷問に対する恐怖から踏み絵を踏んでしまう心の弱い者もいる。これら弱き者は救われないのか。

日本キリスト教が伝来しても、それは日本特有の何かに変容してしまって、本来キリスト教日本根付かないのではないか



テーマ① 神の沈黙理由

結論:神は沈黙しているのではなく、信徒に寄り添い、その苦痛・苦悩を分かち合って下さっている。

◇考えたこと:神がいるならなぜ苦悩に満ちた人生で何か声をかけてくれないのか、とは誰しもが考えたことだろう。それに対する卓抜な回答だと思う。辛い人生の慰めになる。

本作の元ネタの1つはヨブ記だろうけど、この解釈ヨブ記に逆照射すると面白いかもしれない。信徒に苦悩を与えるヤハウェと、それを分かち合ってくださる「仲保者」(=キリスト)ということになるか。



テーマ② 弱き者は救われないか

結論:弱き者も救われる。弱き者には弱き者なりの苦悩があり、踏み絵を踏むことを拒否して拷問を受ける信徒と変わりはない。

◇考えたこと:これも大変慰めになる。誰しもが踏み絵拒否できる強い信徒ではないし、むしろ弱き者の方が大多数だろう。そんな中でのこの結論は心強い。



テーマ③ 日本キリスト教受容

結論:書いてない?

◇考えたこと:神の存在聖書というテキストで表されている以上、そこには解釈が入らざるを得ないし、解釈に際してはその人の人生観世界観がそこに入り込まざるを得ない。

その意味で、西洋キリスト教日本キリスト教は違うと言われても、そらそうだろうという感じだった。



おわり。一読目だし、『切支丹屋敷役人日記』がいまいち理解できてないしで、間違ってるかも。

日本小説だけあって、論文ネット上にpdfでいくつか転がっているので、読んでみたい。



[追記]

本作にまつわる良いQ&Aがあったので貼っておく。

http://q.hatena.ne.jp/1344564565

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