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2016-08-31

モバマスデレステをやめて二週間経った

私が「アイドルマスターシンデレラガールズ」および「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」をやめてから、二週間が経過した。

ソーシャルゲーム課金するなんてただの馬鹿だろ」

所詮ただのデータじゃん、金ドブに捨ててるようなもんだ」

ソシャゲ流行り出して以来、ネットでよく見かけるようになった文面だ。最近では「所詮ただのデータだと思ってたけど、いざゲームを始めてみたら課金する気持ちがよくわかった」なんて声もよく聞くようになった。実際、私もその口だった。ソーシャルゲームという媒体を、所詮ただのデータじゃん、と思いきり馬鹿にしていた。

最初の頃はソシャゲをやっている知り合いなんて私の周りには一人もいなかったのだが、今ではごろごろ見かけるようになった。みんなどうしようもない毒の前にひれ伏していくみたいに、侵食されていった。トリフィドの毒で盲目になってしまった。かつてはソシャゲ課金なんて馬鹿じゃん……、と口にはしないもののそんな態度をしていた友だちたちも、今ではなんだかんだで割とソシャゲの虜だ。私たちの知らないうちに、緑色流星雨は降り注いでいた。

ソシャゲを始めた当時の私は、まだ高校生だった。その日は休みの日で、たまたまものすごくひまな日だった。ネットサーフィンにも飽きたし、PS2PS3を起動してゲームで遊ぶ気分でもなかった。読みたい漫画もとくにない。死ぬほど退屈で、だけど外に出かける気力もない。でも退屈なのはいやで、なにか刺激が欲しかった。新しい刺激。目新しいもの。ていのいい暇つぶしになれるもの。私はいもの癖でなんとなく携帯電話を開いて、手癖のようにインターネット接続している途中で、ふと思いついた。

そういえばアイマス携帯版のゲームがあるんだった、と。

ソシャゲという媒体のことは馬鹿らしいと思うけれど、アイマスは元々好きだし、なにより今しぬほど暇だし。暇つぶしでやってみるぐらいなら、まあいいか。私はそんな気持ちモバゲー登録し、「アイドルマスターシンデレラガールズ」を始めた。アカウントを新設した当時の私が一番好きなのはシンデレラガールズオリジナルキャラクター達ではなく、本家765プロダクション我那覇響ちゃんというキャラクターだった。

私がアイドルマスターシンデレラガールズ(以下モバマス)を始めたときには、既にガチャ我那覇響ちゃんのSRカードが追加されていた。絵柄を見てみた。抜群に、かわいかった。欲しい、と思った。モバマスでは、好きなカード5枚を自分トップページいちばん目立つところに並べることができる。その中でもリーダーとして設定しているアイドルは、他のユーザーからも見えるようになっている。私は、響ちゃんをこのトップページに並べたい、と思った。

次に、どうしたらこの響ちゃんを手に入れられるのかを調べた。モバマスにはフリートレード機能というものがあって、スタミナドリンクまたはエナジードリンク(いわばお金のようなものです)というアイテムをたくさん持っていればフリトレ機能で響ちゃんを手に入れられるというのがわかった。では、モバマス内の通貨であるこのスタドリはどうすれば手っ取り早く大量に手に入るのか?

答えは、ガチャを回して、高いレートで取り引きされているようなSRアイドルを運良く引いて、スタミナドリンク〇〇〇本、という条件をつけてフリートレードに出して、取引を成立させることだ。

ほしい、響ちゃんがほしい。響ちゃんをトップページに並べてみたい。

つのまにかそんな気持ちでいっぱいになってしまっていた私は、1500円ぐらいなら……という気持ちで、あっという間に初めての課金をした。

……SRアイドルが、一気に二人も出てきた。

両方とも、当時かなり高いレートで取り引きされていたアイドルだった。

(そのユーザーSRを引く快感を覚えさせてそのユーザーを立派な課金ユーザーとして《育てる》べくSRが出る確率が上がっていたのでは、と今では考える。実際に私は見事な中毒患者に成り下がった)

びっくりしつつも嬉しくなった私は、高揚して少しくらくらする脳みそのまますぐにその二人のアイドルフリートレードに出して、大量のスタドリを手に入れ、SR響ちゃんを手に入れた。

そこから先は、坂道を転げ落ちるようだった。プレイしていくうちに、自分が好きになれるキャラクターにたくさん出会うことができた。楽しかった。一日中モバマスのことを考えるようになった。フリートレードに張り付いたり、イベントに参加したり、そうこうしていたらまたガチャ更新されたり。やるべきことは山ほどあった。楽しくてたまらなかった。

そうしてモバマスを続けていく中で、いろんなキャラクターを好きになりつつ、ある日私は運命出会いをはたした。

佐久間まゆ》というアイドル存在だ。

佐久間まゆちゃんは、ひょんなことから私に一目惚れをして、運命を感じたのだと言う。だからもともといた事務所をやめて、私のもとでアイドルになるべく私の事務所に来たのだと言った。画面の向こうのまゆちゃんは、私のことだけを見つめていた。

まゆちゃんはどこまでも一途に、私のことを愛していた。私はそれに引き込まれるように、まゆちゃんに急速に惹かれていった。

ソーシャルゲーム世界においては、課金こそが絶対的正義である

課金しなければサービス自体が終了してしまうからだ。実際、サービスが終了してばたばたと倒れていくゲームたちを目の前でいくつも見てきた。課金しないと、ゲームは終わってしまう。佐久間まゆは終わってしまう。それにゲーム楽しい。だから私は課金を続けていった。

けれど、次第に楽しいばかりではいられなくなった。課金してガチャを回してもSRが出ない苛立ち。身の丈に合わない課金をしたことによりリアル自分金銭的に追い詰められていく。運良くSRを手に入れられたとき脳みそ麻痺するようなとんでもない快感、運が悪いときの部屋の壁を殴りたくなるような悔しさ、あとあとになってからこんなにお金を使ってしまった、と湧いてくる内臓が引きちぎれそうなほどの強い後悔。私はまゆちゃんからの愛とまゆちゃんへの愛との引き換えとして、精神をどんどんすり減らしていった。

ついに夢にとあるキャラクターが出てきて、そのキャラクターに「もう課金するのはやめなよ」とゆっくり諭された日の朝、ああ、もう限界だ、と思った。

モバマス課金するの、やめよう。

素直に思えた。ゲームを通じて仲良くなった友だちもいたが、私はモバマスへのアクセスを少し控えた。ガチャ更新されても、ある程度冷めた目で見られるようになった。イベントにも大して参加しなかった。あ、このままいけば私ゲームごとあっさり引退できちゃうかも、なんて考えていた。

しかし、そんな日々もそう長くは続かなかった。なんのきっかけだったかはもう覚えていないけれど、結局私はまた課金を再開してしまったのだ。SRを引いたときのあの高揚感を、脳みそが忘れていなかった。忘れられなかった。あの気持ちいい優越感が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。我慢できなかったのだ。

それ以来私は、自己嫌悪してプチ引退→結局完全には断ち切れずに結局また復帰して課金、というループを何度も繰り返した。あるときは、逃げられない泥沼にどっぷり浸かっているこの状態が、心地よかった。またあるときは、気持ち悪くて嫌で嫌でたまらなかった。だけれど、それでもまゆちゃんのことが大好きだった。いつの間にかまゆちゃんにはボイスが実装されて、CDまで出していた。私のアイドル、私だけのアイドルは着実にシンデレラ階段を上っていた。

ジェットコースターみたいに上がったり下がったりを繰り返す不安定な日々の中、気づけばそこそこ長い時間が流れていた。

そんな中で、新しい知らせが私の耳に入る。モバマススマホ音ゲーアプリとして配信される、という情報。その名も「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ通称デレステだ。

私は当然アプリインストールし、当然のように課金をする。佐久間まゆちゃんのSSRの絵柄は、とんでもなくかわいかった。満足しかなかった。今までの過金額を振り返ると、少し嫌な気分になった。実感がいまいち湧かない。いいんだ、私は佐久間まゆちゃんのためにこれだけ課金したんだ。そう思えばこんなの妥当だ。まゆちゃんはこんなにも私のことを愛してくれるんだから、それでいいじゃないか。まゆちゃん愛してる、愛してる、愛してるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる。まゆちゃんは私のことだけ見てくれている。私のこと以外は決して見ない。好き好き大好きあいしてる。佐久間まゆは決して裏切らない。まゆちゃんだけは信じられる。こんなどうしようもなく嫌なことまみれな世界の中で、まゆちゃんだけは私が信じるに値した。彼女リボン女神様だった。

6月末、デレステで次のイベントの予告が発表された。佐久間まゆちゃんがランキング報酬として登場するということがわかり、私は一瞬で血眼になった。ちょうど仕事が忙しくて時間が取れないけれど、睡眠時間を削ればなんとかなりそうだった。私はすぐさまにpt効率計算し、一日どのぐらい稼げばいいかの目処をつけた。

そしてイベントが始まる。

イベント開始時刻と共にデレステを起動し、イベントページを開いて、私は愕然とした。

なんだ、この絵柄?

それは、まゆちゃんが他のキャラクター所謂壁ドンをされて、なんだか満更でもなさそうに頬を染めてときめいている絵柄だった。

「は?」画面を呆然と見つめたまま、自然と声が出た。なにしてるの?なにしてるの?なにしてるの?なんで私じゃない別の女なんか見てるの?なんで満更でもなさそうな顔なんかしてるの?なんで?なんでなんでなんでなんでなんで?一気に胃が痛くなった。訳が分からなかった。私のことだけを見つめてくれていたはずのまゆちゃんが、ほかの女を見てる?はは、なんだこの女。なんで?ねえなんで?なんでそんなことするの?なんでそんなことされてるの?私のアイドルなのにどうしてそんなことするの?

金を払って、睡眠時間まで犠牲にして手に入るのがこんな絵柄のカードだなんて、全くもって意味がわからなかった。そんなの虚しさ以外なにもない。これはなんの罰なのだろうかと絶望した。とんでもない自傷行為。つまらない。しょうもない馬鹿げてる。どうしていいかからない。怒りを通り越した憎悪。まゆちゃんのことなんか殺してやりたい、壁ドンした方も殺してやりたい。滅多刺しにして殺してやりたい。私がこれまで金をドブに捨ててこれたのはまゆちゃんのことを信じていたからなのに、一瞬でぜんぶズタズタにされた。許せなかった。

私はそれでもなんとかイベントを走ろうとしたのだが、途中で本気で体調を崩して寝込んだことで冷静になったのもあり、途中でそれらを全て放棄した。そうじゃないと本気でどうにかなりそうだと理性が判断たからだ。

イベントが終了し、まゆちゃんをリーダーから外した。

ゲームをやめる踏ん切りはなんとなくつかなかったので、私はのろのろと課金を続けつつ、他のアイドルSSRを引いて育成したりしながら遊んでいた。気がついたら息をするように課金していた。

気がつくと、八月も下旬差し掛かろうとしていた。

その日私は仕事休みで、友だちと遊ぶべく山手線に乗車していた。座席に座ったまま、ぼんやりと外を眺める。そんな中停車した駅で、見覚えのあるものが目に入った。

まゆちゃんの例の絵柄の、大きな看板

デレステ宣伝するための看板だ。見た瞬間に脳にサッと小さな雷が落ちて、気がつくと私はその看板を思いきり恨みがましく睨んでいた。

ああ、私はこれだけ時間が経ってもまだまゆちゃんのことが許せないんだな。きっとこのままずっと憎いんだろう。

私はそう悟った。つらいのと、冷めた気分と、情が入り交じってぐちゃぐちゃな気分だった。

そして私はそれから少し時間の経った八月十九日の夜、モバマスデレステアカウントを跡形もなく消した。

あの日からもうすぐ二週間だ。私は、思っていたよりは意外と普通に過ごせている。仕事したり遊んだり食べたり寝たり、割とノーマルリアル生活をこなしている。

でも三次元二次元は完全に別のものからフィクション世界で空いた穴が現実の充実で補える訳ではない。なのでふと思い出した瞬間フラッシュバックに襲われることがある。いつの間にか、フィクション世界では佐久間まゆしかきじゃなくなっていた。ほかの女の子なんてどうでもよくなっていた。好きなキャラクターはたくさんいても、私に応えてくれる、私の信仰を受容してくれる、私が信じるに値する女の子フィクション世界において佐久間まゆ以外だれもいなくなっていた。私が身の丈以上のお金をどぶに捨てるような行動に走る理由になれるのは佐久間まゆしかいなかった。画面越しに見つめてくる佐久間まゆが望んでいる気がしたから、全部そうした。まゆが何度も何度も何度も「あなただけです」って繰り返すから、私もそれに返した。いろいろな何かを。ソーシャルゲームの中にじわじわのめり込むうちに、大事な友だちも私に呆れ果てたかのように続けて二人立て続けにいなくなった。けど、それでもよかった。いろんな人に、もうやめときなよって言われた。自分でもそう思って、実際にやめようとするけど失敗してまた戻るっていう低空飛行を何度も続けた。

私は、私の身の丈なりに、すごく好きでした、佐久間まゆちゃんのことが。いつのまにか。他の女の子のことを全員嫌いになってでも。結局、身の丈に合わない無理を続けた身勝手悪夢のごとき強烈な不運(もうこの件についてはノーコメント)が重なって全部めちゃくちゃにひしゃげてしまったけど。

結局まゆちゃんは画面の中のデータしかなかったので、消えたところで私の実生活にはとくに悪影響は及ぼさなかった。ちょっとショックのあまり体調崩したぐらい。むしろお金は浮くし、まゆちゃんへの愛情と同時に湧いてくる苦しさから突然ぽーんと解放されてしまった。ソーシャルゲーム世界にのめり込んだ経験のない、まともな人なら私を見て「やめてよかったじゃん」と思うだろう。実際やめてよかったんだ。やめたら、良いことしか起こらなかった。それが悲しい。

いまの職場には、私が佐久間まゆという女の子のために課金していることを知っている人が二人ほどいたので、シフトが一緒だったときにその話をしました。私は話をしながら「もう何もかも失いました」「死にたい気分です」と口走った。実際にはいくつかある私の精神を支える柱のうちの一つをちょろっと壊してしまっただけなので決して《何もかも》は失ってはいないんだけど、確かに色んなものを失った。実際には死にやしないんだけど、確かに私は死にたくなってた。その柱は、いざ壊してみると中身はすかすかでした。私が勝手に分厚くて頑丈な柱だと思いこんでただけで、そう思いたかっただけで、実際はびっくりするほどあっけなく崩れて、そのまま跡形もなく消えてしまいました。

フィクション世界でのことだからリアルでは案外普通に仕事して寝て起きてを繰り返してるんだけど、家にいて、ぼーっとしてるときにふと思い出すとつらくなる。嫌になる。何もかも失いました、というのはある意味では事実で、気がついたら一人で勝手に泣けてきてる。

最初は、暇つぶし趣味としてゲームを始めた。途中から趣味じゃなくなってしまっていたのは実はわかってた。重い義務だった。責務だった。私は佐久間まゆちゃんのことを信じるために、自ら佐久間まゆの部屋に入りました。内側から鍵をかけただけなのに、外から鍵がかかっていて部屋から出られないふりをした。

今日、二週間ぶりにゲームのことが気になって、まとめサイトを開きました。十時愛梨ちゃんのSSRが追加されていた。ああ、ゲーム続けてたら回しただろうなあ、って思いながら画面を閉じた。もうゲームを再開する気力とかは全く残っていなかった。部屋から出たまではよかったものの、どこに行けばいいのかわからないままひたすら途方に暮れている。

どこに行けばいいのかなあ、どこになら本物の女神様がいるの、信じられない。どうして裏切ったりしたの。ずっと部屋にいたかったのに。裏切らないでいてくれたら、ずっと信じていられたのに。好きだったのに。あーーーーーーーーーーーーーーーーーー死にたい死にたい死にたいぜんぶなくなったぜんぶどぶにすてたむだだったあーーーーー、ははふあ

2016-08-29

結婚してもしなくても子無しが正解。

自分が生まれて育てられてきておいて何だが、今の日本社会は産むのも育てるのも生きるのもしんどいのに、わざわざ子を持つ理由がない。



本能とか子孫繁栄かいうやつは理性がなさすぎ。

つべこべ言わず産んでから考えて生活してる人が大半だと思うが、それで何が得られて何を犠牲にしているか考えても同じこと言うだろうか?



こういった時の反論の1つに、子供かわいいとか育てて一人前というような「経験してみて初めて分かって、自分も成長する」のような宗教観に近い自己啓発論。



自分の息子・娘が何事もなく、己が思う真っ当な人生を送れるとでも思ってるのが甚だしい。

君たちは自分の息子・娘が性欲を満たすために暴走したり、メール無視されたから殺してやったり、マットやコンクリートに沈めたり、誰でも良かったから殺してみたかったとか、金に困ればすぐ股開いてビデオ撮らせるとか、無関係だと思っているのか?

犯罪でなくても、タバコの火で部室燃やしてしま指定校推薦で入った高校なのに甲子園行けず無期停学になりましたとか、深夜のスーパーで騒いだネタ炎上してニートになるとか、ありえないと思っているのか?

そういうのは自分とは無縁だと信じて疑わない人に限ってN=1の再現性のない子育て論を大事に抱えてる。



またバカな子無しが適当なこと書いてると思う者もいるだろうが、それが子ありの人なら、明日ご子息・ご令嬢が犯罪なり揉めごとを起こして警察学校から連絡がこない理由があるかね?

今どきは15歳まで医療費無料だったり子供手当など支給されたこともあったり、少子化公立学校なら一人当りの単価が高い授業料税金負担してたり、昔より税金が使われているのに、自分の息子・娘が社会不良債権にならずに税金年金を納められるほど、(それぞれが思う)まともな教育を受けて仕事につけられるかね?

まともな教育仕事につけたとして、自分の息子・娘だけはなぜ社会不良債権にならずに真っ当な人生を歩めると思っているのか、その根拠が知りたい。



年金を納める話をしたが、子無しの分際で年金もらおうなんてクズだと意見もあるだろう。

そもそも子がいたって、あなたの子供は年金納められるだけの価値を生み出してる子供なんですか?って話だ。

例えば、年収たかだか300-400万だと納める税金年金より当人に使われる税金の方が多く、同等額の税金を納める人は人口の数%なのに、それでも子無しが社会に貢献していない論調勘違いが過ぎる。

しろ税金で生かしてやっているのこちら側だ。

税金優遇を受けているのに社会還元できませんて、そんな人に税金使うな。

私立Fラン大学であろうと、文科省から助成金受けて高等教育受けさせてるのニートのままにさせておくな。



あと、実質的介護の話で、自分が老いたり介護必要になったら家族な手助けが必要だというが、子ありの君たちは介護させるために子を持つのか?

子に自分介護を当てにしながら生きているのか?と問いたい。

子ありほど独身や子無し世帯バカにしている風潮にしているが、こちら側からすれば、今の日本において子ありほど人をバカにした生き方はない。



子供かわいい

小さい子供でも高校生でも自分の子供なら尚かわいいと思うだろうが、生活子供リスクしかないし、他人の子供は迷惑存在しか過ぎない。

2016-08-26

スーパー青果売り場で、バナナ真剣な顔をしてひっくり返している初老男性最近よく見る。

買い物をして帰ってバナナに傷がついていたらきっと、「買い物もまともにできないのか」みたいな顔をされるんだろうな。

けれど、バナナをそんなにひっくり返したら、どんどん被害が広がっていくことには気がついていない。

あんたは傷のないバナナを買えるかもしれないが、それがどういう犠牲の上に得られた成果なのか、それはどうでもいいんだろうな。

それとも、わかっているけど、やっぱり褒められたいんだろうか。

キウイぐらいなら目をつぶるが、桃だけはやめてくれ。

2016-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20160824160800

やすのに大して正当性はないけど変革のための犠牲になるんだからいいじゃんってところでしょうか

できることをやるというのは反対しません

しかしなぜPCデポを燃やすことはできたのに他は燃やすことができなかったのかという差に敏感でないと

いつか自分たちの足を自ら食らうようなことになるのではないか心配です

2016-08-23

福原愛準決勝を見ていて漠然と思っていたこ

もしここで福原愛が勝ったら、世の中って希望がないんじゃないかなって思ってしまったということ。



確かに愛ちゃんは才能もあって小さいこからものすごく努力してて、だからこそ日本人なのにあの場所に立つという快挙を成し遂げたのだと思う。

スポーツのために犠牲にしてきたものも沢山あるだろう。

ただ、相手選手である李暁霞を見た時にまずはその規格外な体格に驚いて愛ちゃん負けるな!と思ったと同時に、でも、これで愛ちゃんが勝ったら世の中ってすごく不公平なんじゃないかって思ってしまった。

愛ちゃんかわいい卓球界においては天使のような存在だ。誰からも好かれる性格で、世界中ファンも多い。つまり女の子としての幸せを存分に手に入れている。

もし自分が李暁霞だったら、それでタイトルまで奪われてしまうだなんてことになったら世の中全てに絶望するだろう。

かたや愛ちゃんはまだ捨てきれないものがあって、かたや李暁霞ははじめから持ち合わせていなかったのだから

愛ちゃんのいない表彰台を見て、心の何処かでこの3人にメダルが与えられてよかったと思ってしま自分がいた。

彼女たちは本当に卓球が全てなのだろう。全てを卓球に掛けて来ただけではない。卓球を失えば他になにも残っていないのかも知れないのだ。



リオオリンピック日本メダルフィーバーで大いに湧いて4年後の東京に向けた大きなはずみになったし、これがきっかけで世の中の景気も少しずつ上向きになるのではないかとさえ感じられるほどだった。

誰もがメダルに向かって一生懸命努力をして、それで勝ち取った結果なのだから当然そこに怨恨があってはいけないし、清々しいものであってほしいと信じている。

ただ、もし本当にそう思うのであれば、4年後の大会ではただ自国メダル数を誇らしげに掲げるだけではなく、他国選手日本スポーツ教育の中に数多く受け入れて、他国メダル獲得にどれだけ貢献したかを誇るような大会になってほしい。

福原愛だって中国活動がメインだと聞いている。

日本メダルを勝ち取ることができたのは中国のおかげだったとなるなら、世界未来に対してなんと希望ある言葉ではないだろうか。

4年後の東京オリンピックは、今までのように国の技術力や経済力をひけらかすだけで終わってほしくない。

軍隊を持たない先進国日本からこそできる、国境を超えてメダル獲得を喜び合えるような本当の意味でのグローバルな大会になってほしいと願う。

2016-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20160821215519

なるほど。あの放送JK自殺するようなことがあったとしても、あのJKなら社会的損失にはならないからな。

ほかにいるだろう美少女貧困JKがあの放送によって助かったのならば、貧困JKうららの犠牲無駄ではなかったということになるわけか。

NHKもちゃんと考えてるんだな。

アニメグッズが買えないキモくて金のないおっさんに援助してって言ってるのに

誰も聞いてくれないかJK犠牲無意味だった

マンガボックス

商業主義が全面に出ており、ユーザー満足度犠牲にしている感がある。

赤字らしいが現状の広告形態を改めないかぎりは黒字化は難しいだろう。固定プラットフォームでのディスプレイ広告はその表示領域に限度(すでにパンパンな印象)があり、また、単価を上げるのは容易ではない。そもそも広告ユーザービリティ反比例するものであり、漫画配信しているのに漫画で稼がないのはジレンマコンテンツ勝負して欲しいが(まあそれが難しいんだけど)、版権構造が謎なのでなんとも言えない。講談社版権を持ってるのかな?

収益化のために、マンガボックスである程度人気が出た作品アニメ化するだろう。そのアニメの結果次第でアプリ方向性が大きく決まりそう。

アプリターゲットは恐らくライト漫画ユーザーであり、色々チェックしている人であれば連載陣の半分くらいはすでに別媒体で読んだことがあるだろう。

媒体作品を懐かしんで読むのは危険である。大抵突然連載が終了するからだ。楽しみに読んでいた作品がいきなり終了した場合絶対マンガボックスにはお金を落としたくない心理が働き、Kindle等で購入する。

連載陣のテイストは謎である。まあビジネス駆動型連載陣だと思う。

そんな中、オリジナル作品は中々良作揃いであり、以下を読んでいれば十分だろう。



天空侵犯

連載初期と比べると絵の上達が凄い。面白いキャラづくりがうまい。題材は箱庭系とよくある感じだが随所に個性を感じる。人気なのか少年マガジン出張掲載したことがある。



恋と嘘

看板作品。絵が可愛い。どう見てもメインヒロインは仁坂くんである面白い…が毎回の更新が4~5ページとかあまりにも少なすぎる。遅筆であれば分散更新せず、隔週で良いからまとめて掲載して欲しい。これも商業主義の弊害やな。



骨が腐るまで

面白い。どこかで見たことあるような絵柄だが、良く言えば様々なハイブリッド。最新話ではまさか海苔が登場(iPhone版だけかな?)



女なのでしょうがない

完結作品アラサー葛藤を描いており女性向けだと思うが面白かった。綺麗に終わったと思う。



境界のないセカイ

媒体移転した作品個人的にはそんなに面白くはないが、一時期LGBT話題に上がったので列挙しておく。

2016-08-19

あなた幸せは誰かの犠牲の上に成り立っている

産休・育休がしっかりとれます」「子育てママも働きやす職場です」

精神疾患があっても働くことができます

大学院に通いながら働くことができます

「持病があっても働くことができます


こんな謳い文句をよく見かけるし、実際、私もこういう職場で働いている。

でも、こんなの、よっぽど優秀な管理職いるか、よっぽど秀逸なルールが作られているかしてないと無理だから





産休・育休を取ると、体力的にできない仕事はほかの人に回されます

残業しないように業務量を少なくした分もほかの人に回されます

体調が悪くて急に休んじゃったら、その分も十分な引継ぎもないままほかの人に回されます

精神疾患があって業務量が少なく設定されていると、設定以上の仕事はほかの人に回されます

大学院に通っててレポート論文の締め切りが近いからといって簡単仕事を休むと、その分の仕事はほかの人に回されます

持病があって急に倒れたり休まれたりすると、その分の仕事はほかの人に回されます

でも、あなたもほかの人もお給料は一緒です。



はいつも「ほかの人に回されます」の「ほかの人」だ。

同僚が産休・育休を取ったり、軽い精神疾患があるからって時短勤務な上に業務量かなり少なく設定されてたり、大学院に通いながら働いてて頻繁に休んだり、持病があって突然倒れたりしている。

いつもいつもいつも、そういった同僚の仕事が全部回ってくる。

割り振られた仕事は頑張って何とかこなすけど、そうすると管理職からは「なんだかんだ言っても結局できるんでしょ」って思われてしまう。



どうして、私だけに回ってくるの?

どうして、私の方が明らかに多く働いてるのに、そういう人たちと私が同じ給料なの?

どうして、誰かの幸せのために私が犠牲にならないといけないの?

私はどうしたらいいの?

誰か助けて。

育休産休を支える側のことも助けて

もっと産休育休を取りやす職場を、ってよく言われる

そのための対策も、まだまだ不十分なんだろうけど進められてきていると思う

ここの職場は、実際に産休育休を取ったところでキャリアが阻まれることもなくて

育休から復帰後に本人が望めば時短も好きに取れるし、負担の少ない部署に異動してるし、

逆に今までどおりの部署バリバリ働きたいと思えば働けている

 

でも、その裏で、その産休育休中の人を支えている人のフォローはどれだけ考えられているんだろう

産休に入る人がいても人員は補充されず、独身女性仕事ばかりどんどんどんどんどんどん増えていく日々

 

実は妊娠しています、○月から産休に入りますって聞くたびに

おめでとうございますって思うと同じくらい、もしかしたら最近はそれより強く

たか…また負担が増える…って思ってしま

 

独身女性は、子無し女性はどうでもいいのかな

子供を産まないからには、産休育休中の人の分まで自分犠牲にすべきなのかな

産休中の女性の分まで死ぬ気で倒れるまで働けってことなのかな

ちゃんと子供を産めて育てている女性の代わりにどうなってしまってもいいってことなのかな

 

正直、もう疲れた

別にわたしだって結婚したいとか子供ほしいとかそういうのじゃなくて

持病で長時間の勤務が辛いって上司にも伝達済みなのに

産休に入る○○さんの仕事あなたが引き継いでねって、

もう私、今だって毎日14時間くらい働いているのに、これ以上働けないよ、病気悪化して死んじゃうよ

なんで私が被らなきゃいけないの

なんで代わりの人を配置してくれないの

なんで○○さんはこんな時に休みに入ってしまうの

なんで子供が… って最低なことまで考えちゃう

 

将来の話をしていた相手だっていたのに

こんなに毎日毎日仕事仕事結婚早々家庭内別居になりそう、だから結婚できないってフられちゃった

 

職場マネジメント問題って言われればそうなんだろう

でも、新しく採用される人が少ないんだから産休の人の代わりに回してもらえる人員だっていないのは当然だよね

人員がいないなら、今残っている人が被るしかない

 

 

 

復帰したくても保育園問題で復帰できない人がたくさんいるのは分かっています

子供を産み育てる機会があるならそれはそうすべきだし

その権利は認められて然るべきなことも

持病が落ち着いて機会に恵まれればいつかは自分産休育休をいただく立場になることも分かっています

所詮自己中で30にして未婚の女の戯言だってことも分かっています

 

でも、職場ではもちろん、ツイッターでもfacebookでもブログでもこんなこと言えない

匿名のここでしか吐き出せない

支離滅裂文章でごめんなさい

これを読んで不快に思われた方、ごめんなさい

でももう正直身体精神限界です

育休産休を支えて身を削って働いている側にももっと目を向けてください 手を差し伸べてください

2016-08-16

運動部ガチ勢エンジョイ勢という歪んだ現実

一般的ガチ勢に分類されるのは、

朝練夜練や休日練習学業私生活犠牲にして頑張って全国制覇を目指すような人達

のことを指す場合が多い。

 

それに対してエンジョイ勢

学業私生活犠牲にしないレベルで頑張る人達

・勝ち負けにこだわらず皆で楽しくやろうぜ的な人達

のことを指す場合が多い。

 

後者は兎も角として、前者もガチ勢からは怠け者扱いされているのが現実で、

ガチ勢試合すれば負けてしまい敗北感を味あわなくてはなりません。

しかしそれは間違っています

 

練習時間が倍以上違うのだから差がついて当たり前、でもそれは決して怠けているからではありません。

プロではないのだから学業私生活犠牲にしない程度に頑張っている方が普通健全なのです。

その健全な生徒たちがガチ勢に負けたからといって敗北感や劣等感を持つ必要は無いのです。

 

しか現実に全国レベルで良い成績を収めようと思えば、やっぱりガチ勢にならざるを得ません。

まり学業私生活犠牲にしなければチャンスを与えられないという奇形努力必要になります

これは教育機関として間違っています。生徒はプロではないのだから

 

別にガチ勢否定しているわけではありませんが、エンジョイ前者にも何らかの形でチャンスは与えられるべきでしょう。

学業私生活犠牲にしないレベルで頑張るというのは、人間生活を営む上で尊重されるべきです。

 

なので練習時間制限を付けた部のみが参加できる大会とかあれば良いと思います

2016-08-14

便利さの袋小路

僕は今、海外に赴任していて、もうすぐ日本帰国予定。

日本は、ちゃんと指定した日に小包が届くし、コンビニスーパー24時間やってて、細々とした雑貨も快適に設計されている。海外から離れて見ても、これほど便利な国はないと思うのだけれど、僕はどうして、日本に帰ることに、日本生活に今から少しだけうんざりしてしまうのだろう。

蓋し、便利さと生活の質というのは、通じているところはあるけれど、同一ではない。便利な生活はある程度の生活の質を保証してくれるけど、便利さを突き詰めていったところに最高のクオリティ生活保証されているのかというと、どうもそういうことではないようだ。

そしてその便利さを突き詰めていった袋小路に、今の日本に生きる僕たちの生きづらさがあるように思うのです。



あるいは、便利さと言うのは「生活短期的な幸福効果」と言い直すことができるかもしれない。僕たちは時に近視眼的にその手近な効果を追求しがちなのだけれど、長期的な幸福効果というのにはてんで無頓着で。

ネットで注文した商品が即日に届いたり、深夜にお酒が買いにいけたりする便利さは、確かに有り難いものではあるけれど、そのために誰かの生活犠牲にしているのであれば、僕はそれを求めない

ドイツでは未だに日曜日になるとレストラン以外のお店は法律しまってしまって、うんざりしたものだけれど、日曜日ショッピングができなければ、家族散歩をして過ごすようになるものだ。不便さを楽しむことが、長期的な幸福効果の最大化の近道である、と最近は思うのです。

行動でキャラが立つ(シン・ゴジラ名作の条件【※ネタバレ注意】)

ご都合主義を排するというのは確かに名作の条件。だが同時にシン・ゴジラが名作である条件として「行動できちんとキャラが立つ」という点も指摘しておきたい。たとえばゴジラへの攻撃を例にとって言えば、



避難する一般人(ばーちゃんを背負うじーちゃん…)を見て攻撃タイミングを逸する「日本政府

これはもうやむを得ない。この国は戦後ずっとそういう建前でやってきてその頂点にいる人があそこで人命軽視の判断したらリアリティがない。パシフィックリムの1作目で「怪獣の近くに漁船が…」→「構わん、やれ」みたいなやり取りしてるのを見ると、「ああ、アメリカさんね」と思うあの感じ。ここは"ニッポン"で、prime ministerだからね。仕方ないわね。というカヨコさんの声が聞こえてきそう。

とりあえず最大火力を一斉集中して大敗する「自衛隊

これも、「一発も外さない」という「本質ではない部分の質を高めること」に終始して、「成果をあげる」という本質をついた発想から逸脱している軍隊戯画的に描いている。ぶっちゃけ手りゅう弾の外郭に瀬戸焼の上物を使ったり、小銃をピカピカに磨き上げることに必死になってた旧軍と、いまだに大して変わらない日本人の悪癖をよく描いている。そのせいで引き際を見間違えて無駄犠牲を兵に強いるところまで、旧軍から変わってないなと思わせるシーン。現場の一人一人が少し呑気だとか、「訓練通りにやれば大丈夫だ」とかの無意味な楽観主義とか、でも一人一人は仕事にあたってはホントに真面目だとか(でも報われないとか)、まあいろいろな実態を踏まえて、よくまとめて描かれているなという印象。

バンカーバスターぶっこむ「米軍

それに対してB2(だっけか?)つかってバンカーバスターぶっこむ米軍の「兵の安全優先」「容赦なく物理重視」的攻撃は実に米軍らしい。結果論はいえその『後始末の悪さ』も含めて、実に米軍らしい。そもそも、バンカーバスター用意している時点で「通常兵器はたぶん効かない」という予測があっただろうに、自衛隊になんのアドバイス情報提供がなさそうなところといい、自衛隊のことをぶっちゃけ自分らが使い捨てできるコマ』かおとり部隊だと思ってるよね、みたいな。日米安保下の日米関係に対する皮肉を込めて、リアル?あるいは巧みに戯画的に描いているなという印象。結局「9条砲(=「日本戦争しません」アピール)」ってほかの何よりもまずアメリカに向かってるんだよねーっと思う。

攻撃を受けてのたうつあくまで受け身の「ゴジラ

生物として、ある方向に進むという動機不明な「意図」をもつだけで、積極的意志をもった攻撃姿勢を見せないゴジラの「生物としての在り様」がまことゴジラらしい。それが人間の作り上げた都市にとって壊滅的な打撃であることも含めて。「腕をふるってビルを壊す」とかそんなシーンもない(そもそもふるえるほど手が大きくない)。ビルは歩いていてただぶつかるだけのしかかるだけで壊れる。見ようによっては、あまり大きく物をつぶさないように歩いているとさえ見える。巨大なしっぽも、地面を薙ぎ払うでなく、躾の良い健康ワンコのように宙に浮かせてる。中盤の大破壊だって背中バンカーバスター撃ち込まれてびっくりしたからだし、ビームだって飛んでるハエを払う程度の反射的行動として描かれている。つまり生まれたての、ただの無邪気な生き物」としてキャラ立てされつつも、その一方で振る舞い自体さながら破壊神悪魔のものしか見えない…という高難度な演出をしているところは高く評価したい。『あくま受身だが、こちらから手を出せば出すほど災厄そのもの』。だからこそ、ゴジラが「世界が手を取り合って解決すべき課題のもの」として立ち現れてくるという仕組み。すげーな。




…と、たとえばゴジラ攻撃シーンだけをとっても、皆のキャラが立ちまくってる! こういうところも、やはり名作の条件なんだと思った次第。

http://anond.hatelabo.jp/20160813162338

ついでながら、こういう風にあの映画を見た自分から見ると、キープレフトな方々の一部から出ている批判に「ああやっぱり『政治』の世界に『表現』の味方などいないんだよな」という感想を抱いた。結局、作品作家のものに寄り添うということが全然できないで、自分らの立てた運動綱領とかが全て。でも、それはもう直しようがないんだろうね。「『人間』を信じましょう」という、あの一言が彼らからは出てこない。それがなければ、たとえば新興宗教と比べて、その主張に何の違いもないというのにさ。ダメだよほんと。

2016-08-12

君がはてなという掃き溜めでブログを始めるべきたったつの理由

馬鹿に噛みつかれることに慣れる、そのために君ははてなブログをやるべきだ。

はてなブログをやると次々馬鹿に噛みつかれることができる。

なぜならはてなは凶暴な馬鹿保有数ではネットでも指折りのコミュニティからだ。

増田ですら10個も記事を作れば1つは文章読解力幼稚園児級の馬鹿が噛み付いてくる。

それがブログになるとはてなブックマークという窓口を通してこれでもかという言うほどの馬鹿がやってくる。

しか馬鹿共は一度粘着を始めたら何度でも噛み付こうとしてくる。

同じ馬鹿に何度も同じことを言われて噛みつかれるという体験が出来るのがはてブ増田の最大の違いだ。



そもそもなぜ馬鹿に噛みつかれる事に慣れなければいけないのか。

それは現実もまた無数の馬鹿保有する掃き溜めだからだ。

それならばネット上でまで馬鹿相手をする必要はないのではと思うかも知れないがそうではない。

馬鹿の扱いを失敗しても被害が少ないネット上でこそ馬鹿相手をするべきなのだ

そして学ばなければならない、馬鹿による被害を最小限に食い止める技術を。

現実馬鹿の扱いをミスれば奴らは何をしでかすか分からない。

奴らは平気で嘘をつくし自分が少し気分を良くするために平気で他人人生自分立場すら犠牲にできる。

悍ましく粗野で凶暴なのだ馬鹿という存在は。

そんな馬鹿から自分の身を守るには経験を積むしか無い。



自分の身をもって馬鹿に噛みつかれ奴らのあしらい方、バカ同士を戦わせ対消滅させる術、そもそも馬鹿に見つかりにくく真人間には見つかりやすくする過ごし方。

そういった基本的な立ち振舞を身につけなければ馬鹿の増えすぎたこの時代安全に生き抜くのは難しいだろう。

君は学ぶべきだ。

馬鹿という存在にどう立ち向かうかをその身を持って。

そのための舞台はてブは最適なのだ

ここは馬鹿が多い。

だが、それがメリットになることもある。

2016-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20160811205528

あの作品面白いのは、戦争原爆左翼思想以外の部分があるからだと思う。

単純に教育効果だけ考えた場合、あれほど余計なものが多い作品も珍しい。

ヤクザは出てくる、銃弾は飛び交う、そしてラスト近くには薬物である

他の反戦ものが楽しくないのは、だいたい罪もない一般市民戦争犠牲になって、

ほーらこんなにかわいそうでしょ、という筋書きのテンプレを逸脱するものではないからだ。

仲間や己の生存のためなら強盗殺人も辞さない、隆太みたいなのはまず出てこない。

考えてみれば、ああも暴力要素の多い作品学校図書室に置かれて、

しかも下手すりゃコーランみたいに扱われているという状況自体ギャグである



しかし、それでメインテーマが置き去りにされているかというとそんなことはなく、

暴力だの恋愛だの他の要素を交えつつも、思い出したかのように原爆に引き戻される。

そういうところに怖さがあると思う。

2016-08-09

明日までにこの増田についたブクマの数だけ

グリーンピースを使って旦那にいたずらをする。

理由:昨晩酔っ払って帰ってきた挙句、私が朝食に楽しみにとっておいた窯出しプリン勝手に食べたから。

候補

ポケモンゲット!といいながら寝ている旦那の鼻の穴にグリーンピースを詰め込む

・お弁当の白米の代わりにグリーンピースを敷き詰める

電車に乗っているであろう時間帯に、鼻にグリーンピースを突っ込んだ写メを送りつける(執拗に)

味噌汁グリーンピースをしのばせる

卵とじの中身をほぼグリーンピースにする

・散々警戒させた上で普通に冷奴をだして中に入ってるんじゃないか不安にさせる

捕鯨反対と叫びながら体当たりする

グリーンピースを選んだ理由バリエーションに困らなさそうだから

他にもやってほしいいたずらがあったらブコメに書いてね!できれば食べ物無駄にしないやつで!



わたし人生犠牲にしても忘れられないトラウマを植え続けてやる

80歳現役社会いびつ

高齢化社会において超高齢者が現役で頑張る姿というのは美しく見えるかもしれない。

ただ、果たしてそれを実現するためにどれだけの犠牲必要になっているか想像に難くないはずだ。

自分が働く会社中小零細企業であるが、初代が頑なに社長の席を離そうとしなかった。

文字通り実印をしっかり握りしめ、どんな契約だろうと必ず社長が目を通して許可をもらうことが不可欠だったのだ。

自分入社した頃ですでに70を過ぎていたのだが、当然価値観も古く、新しいものの導入にはとにかく首を縦に振らなかった。

そのために競合からかなりの遅れを取る羽目になったのだが、自社に関してはまさに運だけで、本当にたまたま生き延びることができていた。

しかし、とうとう認知症兆候が現れ始め、二代目である息子たちが世代交代を申し出ようとすれば、人目をはばからずに大声を張り上げて拒否をするようになった。

その頃自分本社事務にいたのだが、それこそ毎日のように「泥棒!」「俺をそんなに殺したいのか!」などという怒号が響き、誰もが会社未来に対してただただ不安を抱え続けていた。

世代交代にはそこから数年を要することになったのだが、最終的には本人の記憶曖昧になり、現場社員レベルではうかがい知れない間に専務である長男世代交代書類が交わされることとなった。

それからも先代の社長がふらりと会社にやってきては、社長室の椅子腰掛ける新社長に対して「なぜお前がおれの椅子に座っているんだ!」などと叫ぶ姿がみられた。

そのためしばらくの間、社長室は決裁や業務に関わる機能を全てなくした状態で先代のために開けつづつけることになってしまうほどだった。

先代が老衰でこの世を去るまでその習慣は続けられたが、入院してから亡くなるまでの期間があまりにも短かったことや、先代の功績に対し葬儀があまりにも質素で、さら葬儀会社と思われる外国人がちらほら出入りしている姿が見られたことは、社員たちの間で口に出してはいけない雰囲気に包まれていた。

それから程なくすると、2代目社長は突然の世代交代を発表した。社長になってからたったの5年。年齢で言えば60になったばかりの頃だ。

確かにその5年間は激動の5年だった。それまでの遅れを取り戻すように様々な設備を導入し、新事業部もできて(自分はそこに異動することになった)会社の規模は1.5~2倍近くになった。

先代が実権を握っていた期間が長すぎたことで、2代目はいわゆる道楽社長だったのは確かだ。この5年の急成長も、実を言えばその息子である3代目による功績が大きい。

からその功績を讃えようという意思さらに先代の轍を踏みたくないという意思による世代交代であると聞かされたが、正直、社長という肩書も持ったし、さっさとリタイアして遊んで暮らしたいというのが本音だろうというのがもっぱらの評判だ。

そんなわけで今の社長は35歳という若さでその立場に就くこととなった。

しかし、先述の通り初代に抑え続けられた鬱憤と2代目に対する不信感が功を奏してか、会社の業績は今も伸び続けている。

一度カバン持ちで経営者同士の会合に参加した事があったが、高齢経営者に囲まれながらも謙虚ながら対等に話をする社長の姿はなかなかに見応えがあるものだった。



初代が実権を離さなかった反動で、一気に3代目が就任できたことは会社にとってメリットしかなかった。

もしこれで道楽者の2代目が未だに実権を握っていたら、本当に会社はどうにかなってしまたかもしれない。

この会社で起きたことを振り返るとこうだ。

・初代が一代で築き上げた会社であり、常に実権を持ち続けていたために2代目が育たなかった。

・古い価値観商売人独特の頑固さによって、新しい技術の導入に対し致命的な遅れを取ることになった。

しかしそれを危機と考えていた3代目が陰で人一倍努力をしていた。

・それを感じたのか、それとも単なる道楽好きが幸いしただけか、2代目の就任期間が短かったことで、若手社長誕生により会社は持ち直すどころか成長することができた

たまたま立地に守らてていたことで初代の行動が許されたということもあるかもしれないが、一歩間違えればいつ潰れていてもおかしくなかった状況だったといえるだろう。



ここまで長々と書いてしまったが、高齢者が現役であることの一番の問題は、後継者が圧倒的な経験不足に陥ることだ。

そのことは親族経営会社で働く人間は痛いほど痛感しているのではないだろうか。

しかし、戦後高度経済成長を経た今、その頃に成長を遂げた企業ほとんどは親族経営であるのも事実だろう。

自分にとって、天皇陛下による生前退位意向は、そうした社会のあり方に対する警鐘であり、まさに自信の退位を手本として日本の象徴としての務めを全うしようとしているように見えて仕方がなかった。

昭和という激動の時代を動かし続けてきた先代の背中を見てきた上で、子供の著しい成長を感じるからこその、まさに平成天皇しか成し得ない判断ではなかろうか。



高齢者が働かざるをえないような社会保障不安定な状況の中で、実権だけを手放せというのは都合のいいことに聞こえるかもしれない。

しかし、我が社において何をおいても悲しいことは、認知症が始まってしまったことで2代目との関係悪化の一途を辿り、先代はせっかくの功績が讃えられることもなくこの世を去ることになってしまったことだろう。

自分が作り上げた会社から自分自由にしたいと思う初代の想いがわからないわけではない。しかし、個人のわがままで数百人の従業員が露頭に迷うことが許される世の中であってほしいわけでもない。

願わくば高齢でありながら自社の実権をしっかりと握ったままの経営者は、自分思考価値観が明晰である自覚ができているうちに、後継者へと席を譲ってほしい。

それこそが自社の未来を育てるための投資であり、自分ができる会社に対する最大の貢献となりえるのだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160808233959

・・・もしも皇室がなければ、この国は品のない大衆社会に成り下がってしまうと思いま

 す。同じ人間でありながら、自分の将来を自由選択できないのは不公平だと思います

 ですから皇室にいくばくかの同情を持っていますしかし、嫉妬深くて極端な同質社会

 である日本には、誰かに犠牲になっていただいても、嫉妬し切れない手の届かない存在

 必要だと思います。それが皇室ですから。ーそれから

皇居赤坂御用地の緑は、いったい誰が守るというのでしょう。」

天皇さん、これまでありがとうキャンペーン実施提案します!

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html



これは天皇から私たち国民に対してのお願いで政府へのお願いではないね私たち自分たち権利がある(=私たちの力で世の中を変えられる)なんて、なかなか思えないわけだけど、天皇を救えるのは私たち意思民主的にまとめ上げた「日本国民の総意」しかない。有り体に言えば我々が彼を縛り付けていたわけだからね。



※雲の上にいると思っていた人が、実は私たちの足元でずっと仕えていたという事実は、なかなか受け入れにくいことではあるけれど。



で、その国民の総意の作り方だけど、やっぱり時代に合わせてSNSとかで、それぞれが自由意見表明するのがいいんじゃないかと思う。Twitterとかで #Arigato TenNou-san のようなハッシュタグとかつけてやるといいんじゃないかな。



※内容については右寄り、左寄りどんな意見でもいいと思ってる。もし象徴性を残すのであれば、それも含めての象徴天皇ってことになるからね。でも、感謝気持ちだけは忘れずに表明してほしいなぁとは思ってる。



まあ、途中は政府による憲法改憲を経ないといけないけど、最後には国民投票があるわけだから天皇制限定しておけば、二年後(平成30年)の改憲もできると思う。



いまの天皇は彼のできる限りにおいて私たちに尽くしてくれたと思う。私個人としては、これまで個人を犠牲にして尽くしてくれたお礼に、やっぱり彼が望む方向でなるべく応えてあげたいなぁと思っています。そういうわけで自分のできることとして記事増田にあげることにしました。あとはみなさんよろしくお願いします。

研究者やめるの俺だ

国立大の附置研(生物系)でポスドクをやっている。次の仕事が見つかったら可及的速やかにアカデミック世界から離れたいと思っている。以下に記す文章はただの愚痴であって、研究者全体に一般化できるような話ではない。また、多くは、既にポスドク問題とかその辺りで語られてきたことでもある。しかし、何度語られようともこの業界が抱える問題はそのまま何も変わっていない。この状況が続く限り、私のようなポスドクが何度も何度も似たような文章を書き残して消えていくことになるのだろう。とにかく、今はもう我慢ならないから、駄文ではあるけれども書かせてもらう。

これ以上この仕事を続ける気が無くなった理由は二点ある。1)職務内容と待遇ギャップ、2)職務内容と自分がやりたいことのギャップの二点である

1)職務内容と待遇

附置研の予算雇用されている契約職員である給料時間給で払われていて、勤務日数によって異なるが、額面で約20である手取り16-17万程度。勤務時間は週30時間となっているので、社会保険厚生年金に入れる。賞与無し・昇給無し。任期は、一年ごとの更新で、最長三年となっている。給与に関して言えば、学生の頃よりも入ってくる現金の量は減った。学生の頃は様々なるところからかき集めてきた奨学金が月20万円ほどあった。入ってくるお金が減ったのは、税金とか保険とか年金のためであるが、社会人になった途端使えるお金が少なくなるというのはかなり心にくるものがある。

同じ仕事をしているポスドクでも、お金出所によって待遇が全く異なるということはよくあるのだが、うちの研究所では、同じ研究所予算からお金が出ていても、採用タイミングによって待遇が異なる。私より早く採用されていたポスドクは、年収100万円ほど高い。後何年か経ってから採用されるポスドクも、私より100万円高給料で雇われるはずである。この辺は細かい規定があるのだが、ここでは説明しない。担当するプロジェクトは違うとはいえ、立場は同じであるし、業務の内容に本質的に差が無いのにこの差があるのは相当にやる気がそがれる。

休日等はどうか。私は、同じような分野の研究者としてはかなり甘々な環境に居るとは思う。しかし、それでも平日は平均で11時間ほど研究室に居る。休憩を除けば、一日当たり4時間残業であるしかし、これは全く管理されていないので、全てサービス残業となっている。研究室に生き物が居るので、休日実験が無くとも出勤する必要がある。この辺りはどこの研究室でも、博士後期課程の学生とかポスドク仕事である。これがあるので、完全な休日研究室に全く行かない日)は年間で10日程となる。これも全く管理されていない。休日出張が重なった場合は、さすがに事務の方で処理する必要があるので、代休を与えられる。しかし、それは出勤している日に、「今日代休取ったことにしておきます」と言われるだけのものである。そして、どんな計算をしたのかわからない日当700円が振り込まれるのだ。代休は実質使えないため、この700円は土日分の賃金の全てである

この待遇で雇っておきながら、ボスポスドクが出ていくということを全く考えていない。この程度のお金さえ与えておけば、ポスドク任期満了までここに居ると確信している。やめると言い出したらまず間違いなく強く慰留されるだろうし、それがやめるための一番高いハードルになっている。私にはまったく理解できないが、世の中には無給ポスドクというのも居るらしいし、保険年金に入れるだけまだ恵まれた方であるという話もある。だから普通研究者というのは上記の待遇をごく普通だと考えているのだと思うし、不満を言うのは私の甘えかもしれない。しかし、自分価値はそんなものなのかと思うと悲しくなってしまう。

2)自分がやりたいこととのギャップ

生きていくのに足りる程度のお金をもらえて、自分の好きなことができるという職場であれば、それでも来る人はいるだろう。そして、多くの場合研究者ネット愚痴を吐いたときに、「でも好きなことをやっているのだからいいのでは」、「小説家芸能人を目指すのと同じであるのに研究者だけ特別問題視するのはおかしい」「研究の傍ら副業お金を稼いでこないのは甘え」というような話が聞かれる。だが、現実には研究者というのはサラリーマンである。「好きなことで生きていく」というのとはだいぶ様子が異なる。

私が雇われているのはあるプロジェクト遂行するためであり、その内容はまさに私が強く興味を持っているものなので、私の仕事がそのプロジェクトを進めることだけであればまだ納得できたかもしれない。しかし、今の私の最優先の仕事は別のプロジェクトである。それは、お金のために魂を売ったような爆死プロジェクトで、お金を取ってきたあとしばらく放置されていたものだ。お金を集めるためにいろいろなところに妄想を書いて送っているため、研究室は処理しきれないテーマを抱えることになる。そして、それはポスドクとか学生とかに適当に振られる。そのうちの一つが私のところに落ちてきたのである。このプロジェクトは締め切りが近く、しか白紙であるため、優先的に処理せざるを得ない。また、「この分野のこと何も知らないけど、大学院入りました。これから実験頑張りたいです!」とキラキラした目で語る学生指導もしなければならない。教員でない人間に一から育てる仕事を振って良いのかとも思うが、頼まれたのでやるしかない。これも相当な労力であるそれから、土日は出張が多い。自分が興味を持っている分野の学会に参加するのであればいいのだが、実際には、政治的理由で行われる研究会政治的理由で参加するというようなものである。好きな実験のために土日出勤するのであればいいが、何の対価も無く興味のない話を休日に聞くというのは精神疲弊させる。概ね週末の20-30%はこれでつぶれる

この愚痴で強調したいことは、研究者特に下っ端の)というのは自分の好きなことをやって生きているようなものではなく、サラリーマンなのだということだ。だから研究者特別視することなく、サラリーマンとして考えてほしい。上記の待遇企業において問題になるのであれば、我々の場合にも同じ程度に問題になってしかるべきである公的機関であるにも関わらず、労働者との間に自分たちで定めたルールを全く守る気がないのは何なのだ超過勤務に関する規則など何のために定めたのだ、一円残業代を払うつもりが無いのに。これだけ人を馬鹿にした態度を取って、ルールをないがしろにする組織や、そこに属する人が科学に対してだけは誠実であるとどうして信じられるのか。

もうこの国は科学技術立国などという題目を掲げるのをやめたらいいのではないか。この問題は少なくともこの10年ほど全く進展が無いように思える。大学院生ポスドク犠牲のもとに研究成果をあげる、というのが国の方針なのだとしたら今の状態が正しいのかもしれないが、私にはそこまで出来ない。

2016-08-08

上司とぼく

上司シェルォッヴァサンが」

ぼく「シルバーサン?」

上司「シェヴォルマムッサ」

ぼく「エヴォルヴド・マッサ?」

上司「シェ・ヴァ・グヴッ・ッダ・ザァン」

ぼく「シバウラさん?」

上司「シュ・ヴァ・ヴ・ダ・ダン!」

ぼく「シマムラさん!」

上司「ヴァッドヴァラッダワ」(多分≒やっとわかったか)

ぼく「すいません」



メールが届きました/

上司「オイ、この議事録間違ってる、俺イマムラさんって何回も言ったじゃん」

ぼく「!?



聞き取り能力低いマン滑舌悪いマンの相性はわかりやす生産性犠牲にするのでよくない。

ゲイから告白はとんでもないものに見える男性

女性からしても好きじゃない男性から告白って同じようなものだと思うんですけどね

しかも男が告白したとかそれを断ったとか公表すると人間関係がややこしくなって、

人によっては会社を辞めちゃう人なんかもいるし(女が辞めちゃう事になる)、学校であっても場合によっては当分の人間関係犠牲になる

なので告白自体セクハラだってのに同意です

あと大抵は告白に至る前になんとなく試すと思うんだよね、脈があるかどうか、

それをすっ飛ばし告白を断ったらどうなるかわかるか?見たいな告白普通にセクハラになると思いますよ。

2016-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20160807091232

元増田の思慮の浅さと視野の狭さに吐き気がする。

公園って小さな子どもキャッキャウフフって遊びまわるものだけを指す言葉じゃないって知らないのか。


71年経って今なお犠牲者哀悼の意を捧げるのみというのであれば

原爆犠牲者を追悼するとともに、戦争核兵器による犠牲を出さないために平和を祈る場所でしょう。

原爆という悲劇を踏まえて、平和を祈念する場所なんだから、当然、犠牲者への哀悼の意を捧げることもセットになる。

単に漠然平和を祈るための施設じゃない。


平和を望むはずの側が「この人は入っていい」「この人は駄目」という区別をする行為は、

厳粛な気持ちで臨むべき場所に、やれレアポケモンが出た、ジム戦だと無遠慮に騒ぎ立てる輩を受け入れる理由がない。

平和を望む側は、問答無用平和を乱そうとする輩も受け入れなきゃいけないって理屈はありえんだろう。自衛すら許されんのか。

今回の一件は単なる企業経済活動であって、一方的相手方が始めたことだとしても、平和を求めるのであれば平和的に向き合う必要があるのだと思います

これ以上ないくら平和的な解決方法だろ。

Niantec側はポケストップの削除申し立てを行う手続きを用意してるわけで。

なにも平和公園側が権力ふりかざして、無理難題をふっかけたわけじゃない。

施設管理者として、施設意味目的、警備上の問題等々を踏まえて、正当な要求を行っただけ。

>> 71年という時間もまた重く、平和過去悲劇や、マナールール理解していない人に対して排除区別論理適用するのであれば平和という旗印を掲げ続けた一世紀にも迫る年月の間、一体何を祈り、何を考えていたのかという甚だ疑問が残ります。 <<

マナールール理解していない人が排除されようとするのは当然だろ。

71年という時間が長いかいか、重いかいかはまだ人それぞれなのに、元増田勝手主観で「重い」とか言われても説得力なし。

広島平和記念公園で静かに犠牲者への哀悼平和への祈りを捧げたい人たちには、マナールール理解していない奴らに邪魔されない権利がある。

マナールール理解していない奴らが権利を主張しても、「公共の福祉」って観点却下されるに決まってるだろ。

2016-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20160806000729

1.  まあまあ読みやすくなった。やればできるじゃん。



2.  んで読んで思ったんだけど、増田の言ってることってやっぱ違うよ。だってシン・ゴジラって別に、(福島第一原発を題材にしているとはいえ)福島第一原発現状分析告発するためのものじゃないじゃん。

あれでやりたかったのは「重大な危機であっても、みんなが一丸となって力を合わせれば必ず乗り切れるよ」ってことでしょ?

軽トラから載せられた日雇い労働者ゴジラ特攻させられる描写」「『ボロボロの感じで虚脱状態で「延々続く収束作業を無言で見守る」』みたいなエンド」とかやり出したら、このテーマからぶれて「結局みんなが力を合わせたところでムダである。結局人命軽視の姿勢で多大な犠牲を払うしかない。我々はその現実を受け止めるべきだ」みたいなテーマなっちゃうんじゃないの?

もし仮にそういうテーマをやりたいとしたらNHKスペシャルでやってるようなドキュメンタリーを撮ればいい話で、あえて虚構としてのゴジラを今の時代に撮った意味を考えるべき。



3.  追記

なんか書きかけて消したみたいだけど、「批評(≒告発)性のある描写をやってしかるべき」ってんなら、稿を改めて「シン・ゴジラテーマは生ぬるい」ってことを書いたらどうかな。

俺は↑で書いたように、①シン・ゴジラテーマは「重大な危機であっても、みんなが一丸となって力を合わせれば必ず乗り切れるよ」にあり、②そのテーマを貫徹するには増田の言うような描写不要である、って言ってるだけ。そもそも①のテーマおかしいってんなら、別の議論必要

それはそれで読んでみたい気もするから、具体的に理由付けて論じてみてよ。

それと「JAP慰撫史観」(そもそもこの言葉意味がよく分からないんだけど)って言うけど、「みんなが一丸となって力を合わせる」ってことがいかに大変かは『日本のいちばん長い日』を観れば明らか。どこがどう「慰撫」なのか。

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

国のために個や生活犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもの

矢口に関しては、危機的状況の人を助けたい。という気持ちだけ。

つーか「国民」って映画の中で言ってるけど家族とかに置き換える事ができるメタファーからね?

目の前で人が死んでしまいそうな時に助けたいと思うのってそんなにおかしい事?

例えば自分家族だったらどう?矢口国民自分家族と同等に考えているよ。


有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観

有事があった場合復興するのが上手。という意味

マイナスプラスに変換するのが上手という意味からマイナスありきって考えは曲解


「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」

小中学生舐めんな。


というのは、2時間映画構造基本には、

「小・トラブル」と「大・トラブル

そして、「まやかしの勝利」、「から喪失

が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。

もっと映画を見よう。

この辺りの脚本に噛み付く所は、スクリプトドクターでも無いのによく言えるな。

カタルシスがあった方が良いと思ってるみたいだけど無くしてるのは作者の意図だよ?最後もやもやするのは、現実と地続きでまだ終わってない事を意味してる。


「難しいか子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが

元増田自身面白さを理解してないのに何でこんなに人を馬鹿にできるんだろう?




つーか批判するなら作品テーマは何なのか?くらいから書いてよ。

ズートピアは僕も大好きです。