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2017-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20170116122716

悪い所編

・最強装備は買える(トレジャーハント度が低い)

 ROとかはレアドロップ狙いみたいなとこありましたが、DQ10は装備は基本プレイヤー生産しているのをマーケットで買う。

 指輪ネックレスなどのアクセサリーは、入場券必要ボストークンを集める(現物が出ることも)

 従来のDQだと宝箱から出た武器防具が殆ど最終装備だったので悲しいといえば悲しい

トレジャーハント要素がクソ

 トレジャーハントをしたいという要望実装されたシステムがめんどくさすぎたので、

 もう今の時代レアドロップとかレアドロップ金策は肌に合わないのかもしれない

 過去の幻影を見てるんだよキミたちは

 多分ふくびきのがトレジャーハント感ある。

プレイしない職業レベルも上げないとならない

 FF14召喚士のみだったので他のキャラ放置してたけど、ドラクエは職レベルを上げる事で、

 キャラの素のステータスがあがるパッシブスキルがあるのでどの職もとりあえず50レベル前後まで上げないとならない

 今は緩和されて60までは経験値3倍とかだけど、このパッシブ上げが苦痛すぎて1年間休止したことある(当時も50まで2倍とかだったけど)

 まぁ、それで興味なかった職に興味を抱く、というきっかけにはなるかもだけど

・初期のクエスト報酬ケチくさすぎ

 初期実装マップ内の一度しかない宝箱の中身が笑っちゃうくらいクソ。

・それでいて、必ずクリアしないといけないクエストがある

 メインストーリの前提として、途中で必ずクリアーしないといけないクエストが科せられる。苦行

・バトルUIがクソクソ

 →たたか

  じゅもん

  とくぎ

  どうぐ

  さくせん

 じゃねーよ!!!!!

      とくぎ

 じゅもん たたかう どうぐ

      さくせん

って十字配置も選ばせろよクソが!!!

初心者向けにして却ってわかりづらい

 パーティ→なかま

 ギルド→チーム

 ってややこしすぎませんかね?

メニューがややこしい

 はなす、つよさ、どうぐなどのおなじみの物にまじって、

 せんれきとさくせんがイメージ難しい

 しかもよく使う作戦のが遠いし。毎日せんれきを間違って選んでしまう。

 それぞれの中に10項目くらい選ぶメニューがある。初期から煩雑になりすぎた。

スキルクールタイムが分かりにくすぎる

 基本体感でそろそろ溜まったなーってやる。クソか。

 一応バトルログにも表示されるけど、バトルログは基本画面に表示されず、

 開くと画面8割がふさがれる。バカか。

・バフアイコン欄が4つしか表示されない

 バフは5,6個とかすぐに超える。点滅で順番に表示される。

 しばらくアイコン注視しないと今かかってるバフを把握できない

・8人PTだと他の4人分の状況が見えない

 ホイミ選ぶ所でもページ送らないと見えないしマジクソ

視点が狭い

 最大に引いてても敵に密着するとカメラが寄る

 敵の行動の吹き出しが見えない。クソ。

NPCしゃべりが長い

 ドラクエ恒例の「ポロロロロ ポロロロ

 長い。石板っていう強化アイテム受け取るのに1個ずつしかもらえず、そのたびに2ページ分のセリフが流れるの本当クソ。

(その後のシステムもクソ)

・職の切り替えがしんどい問題

 昨今の強化システム弊害で、職業チェンジ後のセッティングがめんどすぎる。

 別に僧侶やりたくないのに切り替えめんどくて最近ずっと僧侶してる。

総じてバトル関係UIがクソ。

ドラクエらしさを重視しすぎてる。

はいえ、MMOとしては良いゲームだと思うよ~好きだよ~~

「死んではいけない」という呪い

「なんで死んだらダメなんですか?」

こう言う問いを投げかけると返ってくる答えは往々にして決まっている

世界には生きたくても生きられない人がいるから」

「親にもらった大事な体だから

「誰かが悲しむから」 など

宗教ならば、「神から貰った命を人間判断で断つことは許されない」とでも答えるだろう

たとえどんな反論が出ようとも、完全な答えは出ないだろうし

本当に死のうとしている人には無意味である

そしてこういう問いを投げかける人は「病んでいる人」として扱われる

私は別に死のうとも思ってないし、死んではいけない理由を追求しようとしているわけでもない

私が言いたいのは、自分根底

人生詰んだらその時死ねばいい」

という考えを持てば楽に生きられるということだ

必死受験勉強して大学に行って少しでも良い企業に入ろうとするのも

結局は「安定した生活を送るため」であり、突き詰めればそれは「生きるため」であり

そのレールに乗ることがいか重要かを幼いころから叩き込まれ

一方、そんな世の中に生きづらさを感じたり、どうしてもレールに乗れなかったりした人には「弱者」の烙印が押され

レールに自分を無理やり押し込むか、堕ちていくかの二択を迫られる

堕ちていくのはみんな嫌だから、結局はレールに自分を押し込んで

苦痛を訴え、目標を見失いながらも、ただ「生きていく」ために生きていくのである

「生きていく」ために自分を殺しながら生きていく

それは本末転倒ではないだろうか

そうするとこんな考えが浮かぶ

「辛い辛いと言いながら生きるより死んでしまったほうがマシではないか

「死んでしまえば悩みも苦しみも消えるのではないか

しかし「死んではいけない」というよく分からない呪いがかかっているせいで、大抵の人は自殺するまでには至らない

生物本能なのか、この呪いはなかなか強い

しかしそこで先程の

人生詰んだらその時死ねばいい」

という考えを持ったらどうなるか

まず、自分が生きる最低ライン自分で決めてしまうことで、それを基準として考えられるようになる

「ここまでなら死ぬ必要はない」

「こうなったら死んでやる」

誰も死にたくはないので、どうすれば死なないか考えるようになる

そうすると自分人生に何が必要で何が無駄なのか分かった気になる

そして生きる希望が湧いてくる。目標が見えてくるのだ

もし私が人生で失敗して、その時に本当に死ねるとは思わない。多分普通に生きているだろう

自殺していった人たちの苦しみは、それ以上の、形容できないほどのものだろうから

そして他人自殺を勧めているわけでもない

ただその考えを持つだけで、自分がこの人生の中で本当に何がやりたいのかを

探す気力が湧いてくるのである

終わりを意識することで始まりが見えてくるのだ

2017-01-14

苦痛の分類

①嫌なことをする過労や痛みへの苦痛

人生人格を損なわれる苦痛

③失うことへの苦痛

④できないことをさせられる苦痛

2017-01-13

苦痛日や苦痛時間への対策

苦痛時間は日にちを紙に書く

苦痛時間や日にちに対しては、「前もってやれること」、「準備」、「当日の流れ」、「終わった後のアフターに何するか」を書きだしておく。特に、初めてのことをやる場合は念入りに。

苦痛時間が終わるまでの時間脳内カウント。「1日後には終わっている」みたいな認識

苦痛の間の休みには全力で休めるように何もしないような時間を作る。

苦痛生活需要段階

苦痛時間認識しながら生きている段階

 これから10日間の内で、3日目と10日目に1時間苦痛時間があるな~位の認識で生きている段階

  

②楽な時間認識しながら生きている段階

 これから10日間の内で、3日目と9日目は何もない日だなー位の認識で生きている段階

  

苦痛と楽さをマネジメントして生きている段階

 10日の内で、123、56、9、10にきついことがわかっているのだから、4,7,8は楽に生きられる時間から、4の楽な時間にできるだけ休めるようにしないといけないな。位の認識で生きている段階

 (このあたりから、楽な時間苦痛時間を耐えるために消費されていく)

  

苦痛を薄く、圧縮して生きている段階。

 10日の内で、123、567、10がキツイのだから。 123でできる限り、567の苦痛を引き受けて、4は完全にリフレッシュできない可能性があるが、楽になった567を引き継いで何とか8,9の楽な日に到達するんだ。

 みたいな感じで、苦痛圧縮したり、薄くしたりして生きている段階。ギャンブルというか、期待値で1日1日を生きており、借金たまると詰む段階。

  

  

だいたい、こんな感じじゃねーか?

③になると、休みがあっても疲れるようになって、

④になると、ギャンブル的だから体が壊れるリスクが一気に上がる。

①か②の期間をできるだけ多く作れるように、1月をマネジメントしなきゃな。

  

大学院をやめたい

修士1年になってから1年が経とうとしている。

いまだに研究テーマすら決まっておらず、卒業時期を伸ばすかという話も出てきた。

もちろん単位もまだ半分程度しか取れていない。

どうしてこうなったのか。自分が今の状況を作ってきた理由は以下にあると思っている。

大学院の授業に意味を見いだせない

もちろん興味のある科目もある。ただ、単位取得のために長時間やりたくもないことに時間を費やしたくないのが正直なところである

そして必然的にそういった科目のやっている内容についていけなくなった。時間はかけているつもりだったが、とにかくモチベーションのないことをやるのが苦痛だった。

自分自身限界を感じた

上記のように大学院の授業についていけないと感じているが、そもそも時間をかけても理解できないことが多い現状を振り返ると、

自分自身能力的な限界という意味大学院にふさわしくない人間なのではないかと薄々感づいている。

ここは多くの中退エントリとは異なっている点だと思っている。自分場合中退すればただの逃げだと言われても仕方ないのだ。

研究ができない

学部時代は興味のかけらもなかった研究室に配属されたはずだったが一年間続けてこれた。結果的にやっていた内容についてためになったとすら思った。

それもこれも面倒見の良い教授陣の助け(当時はブラックブラックだと同期と愚痴をこぼしてはいたが。)と、同期に恵まれたからにほかならない。

そして院では興味のある研究室に進んだはずだったが今この有様である

自分の中に何かを知りたいという欲求は常に複数あると思っていて、研究分野に対する知的欲求は常にあったとは思う。

ただ、時間は有限だと考えるとその知的欲求を満たすことへの優先度が低かったのが事実だ。

加えて放任主義研究室がゆえに誰からも尻を叩かれることはなく、年を越してしまった。

まとめると、どう考えても自分が悪い。我ながらひどい性格だとも思っていて、こんな考えだと社会に出ても同じことになると言われても何も言い返せない。

しかしながらそれでも今修士課程を続けることに疑問を持っている。卒業時期の話が出て以降、この疑問は一気に加速した。やめたいという強い気持ちが出てきた。親は悲しむと思う。高い学費を出してもらってこの有様は本当に申し訳ないが、自分には大学院という世界はこの上なく合わなかった。

2017-01-11

慰安婦問題少女像関連で「韓国合意を守れ」と言ってる人たちって

慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から日本政府責任を痛感している。

 安倍内閣総理大臣は,日本国内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省気持ちを表明する。」

                                                      (外務省ホームページより引用http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

 

という日本側の立場についてはもちろん賛同してるんだよね。

いや、「合意を守るのが国家として当然のこと」って胸を張ってドヤ顔してる人たちが多いので今さら言うまでもないことだとは思うんだけど(そのわりには合意文書の曖昧な部分やそもそも明記されていないことを『合意』と断定してる人も多いけど)。

ちょっと気になったので聞いてみたくなった。

ゲーム動画で見るより実際にプレイした方が楽しい」は本当か

とあるゲームについて、動画配信をしながらこのゲームはまず自分プレイすることを進める、ということを配信主が主張していました。

まあUndertaleなんですが。

個人的には初見は見るなと言いながら初見の目に入るようなところに動画を上げてあまつさえクリアまで流すというダブスタに「そんなに初見に見てほしくないなら動画を上げないか、せめて布教するにしても途中までにしておけばいいのに」としか思えませんでしたが、それはそれとして配信主がそんな主張をしたのは「実際にプレイするのと比べて動画で見たのでは面白差が半分に減る」とか「実際にプレイした方が絶対楽しい」とか「その方が初見の驚きが味わえる」だとかそういう理由のようでした。

実際にこのゲームはまずは自分プレイするべき、という意見が多いようで、いいからまずはやってみろ、ときます

でもこのゲーム個人的には初見ネタバレなしで実際に自分自身プレイたからと言って必ずしも楽しめるゲームではなく、むしろ一部の人動画で見た方が楽しめるんじゃないか、と思ったのでだらっと理由を書いてみます

あくまで「一部」であって全員がそうとは思いませんが、「いいから騙されたと思ってやってみろよマジで絶対損しないから!」というゴリ押しが非常に気になりましたので。



※ここから先はUndertaleについてのネタバレを含むため、ネタバレしたくない人はご注意下さい。ゲームの楽しみを損なっても責任は負えません。必ず損なうとも限りませんが。



まず、なぜそんなに実プレイお勧めされるのかという背景を簡単説明すると、このゲームはかなりメタ的な構造をしておりゲーム内に「ゲームを実際に遊んでいるプレイヤー」のことを想定したギミックがあったり、プレイヤー自身に訴えかけるようなシーンなどが多々あります

このことによりプレイヤーゲーム世界を眺めている「物語の外の人間」ではなくて物語の一要素として内部に組み込まれて擬似的ではありますゲームの中、とまではいかなくてもゲーム現実中間くらいのポジションに立たされることになります

こうしたギミックの数々は、なるほど確かに実際にプレイして当事者になるのと動画視聴者として傍観者になるのではたとえ同じ風景を見ていたとしても感じ方は変わってくるでしょう。

それ自体否定しません。

ですがそこに一つの疑問があります。「では当事者でいた方がゲームを楽しめる、というのは本当なのだろうか?」ということです。


いくらゲーム現実中間にいたとしても、その役割どころが物語にとって些細なことであれば、やはり当事者とは言いにくいでしょう。Undertaleはちゃんとプレイヤー物語の中心に置いてくれますプレイヤー選択物語の根幹に関わり、どんな行動を取るかで登場人物のほんの些細な会話の内容から最終的なEDの中身まで非常に多くの場面で変化が起こります

当事者であるプレイヤーはその行動に責任を求められ、登場人物にとって好ましい行動であれば喜び、褒められ、登場人物にとって害ある行動であれば嫌われ、攻撃されます

そういった「当事者となること」を楽しめる人であればこのゲームはとても楽しいものでしょうしお勧めできますが、では誰もがそうして当事者として振舞うことを望むのか、と言われたら答えはNOだと思います

実際にここに、他のゲームはともかくとしてUndertaleというゲームにおいて当事者にはなりたくない人間が最低一人はいます

プレイヤー当事者として据えることでゲームとしての面白さを表現しよう、というつくりのゲームである以上、いくらその完成度が高く、素晴らしいものであっても当事者であることを嫌がる人にとっては「楽しくない」のです。

ここでいう楽しい、楽しくないというのはそのままの意味で、作品としての完成度が高いことは必ずしも楽しく遊べることには繋がりません。

結局楽しく楽しくないは最終的には趣味問題になってきます。そしてこのゲームはかなり極端なつくりをしているので人を選ぶ、好みによって好き嫌いがかなりばっきり分かれるゲームではないかと思います

私などは物語の裏に隠されている設定やらについてはとても興味深いとは思っていますが、ゲームというくくりで見るならまさにとても完成度が高く人気があるのも分かるけど好みじゃないし実際にプレイしても別に楽しくない、です。


さて、ではこのゲームを実際にプレイ動画で見たとしましょう。

先にも言った通りこのゲームにおけるプレイヤー当事者です。そしてプレイヤー動画配信主です。つまりUndertaleにプレイ動画という形で接した時、そこには自分プレイした時とは違う「傍観者」としての関係が生まれます

ここでようやくゲームとしてではなく、他の要素を持ち込まずに「物語」としてのUndertaleに接することができるようになるのです。

ゲームとしてのUndertaleはあわないけれど物語としてのUndertaleは好き、という人はこれまた一定数いると思います。二度目ですが、ここに私という実例がいます

ゲームとしてのUndertaleがあわない私には実プレイをすることは苦痛であり、動画を見て楽しむ方が百倍楽しい……というのは盛りすぎですが、まあ少なくとも動画で見る方がより楽しめます

まり実際にプレイした方が必ずしも動画で見るよりも楽しいとは限らないわけです。



とは言え、作者の方は表現方法としてわざわざゲームという手段を取ったわけですから動画しか見ていないと作者が伝えたいことは一部しか伝わらないというのも事実です。

ゲームプレイしたところで100%伝わる訳ではないですが、ゲームプレイするよりは伝わることが少ない……あるいは、作者が見せたかった風景とはずれる可能性が大きくなる、というのはその通りでしょう。

ですので「作者が表現たかったものを見てほしいから実際にゲームプレイしてほしい」というのは理屈としては正しいので、そう言った意味では私も「非常に完成度の高いゲームなので、作者の表現を実際に感じてみるために実際にプレイすることをお勧めします。

ただし、それによって楽しい気分になれるか、動画で見るのと比べて楽しめるか、という話になれば人によるので一概には言えません。

というか繊細な人にはプレイお勧めしません。一番平和ルートだけ動画で見るのが一番楽しめると思います

好みが激しくて実際にプレイすることでガチダメージを負い兼ねないゲームを「その方が絶対楽しいからゲームプレイお勧めする」のはそれこそUndertaleという主体性重要になってくるゲームプレイたにしては「当事者意識の欠けた無責任な行動」だなあと感じた、ということです。


Undertaleに興味がある人は、心の強い人、ゲームゲームと割り切れる人、打たれ弱い場合マルチED自分の苦手なEDが回収できなくても気にしない人、シューティングさらに言うなら弾幕避け)ができる人、あたりにはプレイお勧めします。

打たれ弱いけどコンプ癖がある人、メタを多用するゲームに抵抗がある人、キャラ発言の後ろにある作者の思惑が鼻につく人、シューティング弾幕避け)が苦手な人あたりにはプレイお勧めしません。

完成度は間違いなく高いので、好みに合わない、楽しめないことはあってもクソゲーではないと思います

2017-01-10

上司が俺を励まそうとアドバイスしてくるんだが。

悩み苦しみ、すべての原因がその上司によるものなので苦痛しかない。

アドバイスは要らないから、サラッと辞めさせてくんねーかな。

http://anond.hatelabo.jp/20170110093850

きっとあなた自分で気が付いていなかっただけで、ずっと旦那さんのことが好きなままだったんじゃないかな。

好きだから期待が大きくなってぶつかるんだろうし、ぶつかってもこの人は受け止めてくれるって思うからぶつかれるというか。

旦那さんも、嫌だって思っていたら寝ててくっついてきた時に避けると思う。

本当に心底嫌っている人とのスキンシップ苦痛だと思うけど、そうやってくっついていても文句を言わないんだから、少なくとも嫌われてなんかいないよ。

長い人生夫婦だってそういう時期があるよ。

そうやってくっついたり離れたりしながら、絆が深まっていくんだって思うよ。

へんな夢を見て、旦那への愛情が突然復活した

吐き出したくて感情のままに書きなぐったのですごく読みづらいうえにずいぶん長いです。ごめんなさい。

暇な人は読んでください。そしてこの感情の正体を教えてください。


結婚3年目、共働き子どもはいない。

マイホームを建てて、引越しだのなんだののバタバタのなかでケンカが絶えず、「離婚届を取りに行こう」という言葉年末旦那から出てきた。

建てたばかりで離婚なんかあんまりにも残念だと思ったし、ローンとかお互いの仕事の都合とかのもろもろで、離婚したとしてもたぶん家を出ていくのは旦那のほうになるんだけど、それはともかく、こちらももう実はずっと前から旦那に対する愛情とか愛着みたいなのを感じられなくなっていて、一緒にいても息苦しいばかりで、正直会話をするのも苦痛で、たぶんそれは旦那も同じで、何か月もレスだった。

何度こちらの考えや気持ちを伝えてもなかなか変わることができず、悪い意味典型的九州男児男尊女卑亭主関白、家の中ではいつも横柄な態度で何もしない、いちいち一言多い旦那に愛想が尽き、わたしから離婚を申し出たことも以前あった。話し合った結果離婚はなくなったのだけど、こんなふうに何度か別れ話まで行きつきながらも結局別れずに今まで来ている。ふたりとも優柔不断からだと思う。どちらかが決断力のあるはっきりした性格だったらとっくに別れていると思う。

わたし自身も、横柄な父親とそれに不満を持ちつつ黙って従う母親のもとで育ったし、旦那実家も見ているとだいたい似たようなものなので、まあ育ってきた環境がそうなら本人もそう簡単には変われないだろうし、わたし自身も結局、手本となる母親がそうだったのでなんだかんだ言っても知らないうちに旦那の横暴を誘発しているところがあるのはわかっているし、まだまだ日本も過渡期だよな特に九州は、なんて勝手主語を大きくしたりしてもやもやした気持ちを無理やり押し込めながら生活してきた。

ただ、今回の年末の大ケンカの直後にわたしインフルエンザにかかってしまって数日間寝込んでいて、そんなときも以前は「自分食事自分で用意するから気にしなくていいよ(ドヤァ)」というアレを素で言ってしまう、嫁の食事およびその他の掃除洗濯についてはまったく考えを巡らせることができないほんとにテンプレ通りの困った旦那さんだったのだが、何度か話をするうちに、少しずつ面倒を見ようとするようになってきているのは感じていた。

今回は、それに加えて掃除をしてくれた。

掃除機をかけ、風呂を洗っている音が、熱でぼんやり寝込んでいるところに聞こえてきた。

ああ、ちゃんと考えてくれているんだなあ、と思った。

何度話してもわかってくれない、変わろうとしない、と思うときも多いが、そんなこともないよな、と思った。

だいたいこれもケンカの直後だけで、数日すると、すぐにもとの横柄な人に戻っちゃうんだけどね。それでまた不満が溜まっちゃうんだけど。

でもそのたびに、やれることが増えているのを感じている。それは本当にありがたいし嬉しい。

そういうことも、ケンカしたあとの話し合いのときにはその都度全部伝えている。

わたしもだから変わりたいな、と思って、不満とか違和感を角が立たない言い方で小出しにすることを日ごろから心がけていて、それでもやっぱり期待値が上がってしまうのかイライラが募ってしまうので、まだまだ精進が足りないなとは常々思っている。期待するから腹が立つのであって過剰な期待をはなからしてはいけない。これは完全に自分精神的な問題なので旦那がどうこうという話ではない。

あとはそもそもの話だがベースの部分の愛情がずいぶん少なくなっているか沸点も下がっているのだろうと思う。

そんなふうにベース愛情がなくなりつつあるので、話すのが苦痛、一緒にいても息苦しい、という気持ちをなかなか切り替えることができずにいたんだけど、こないだの3連休の真ん中の日に、夢を見た。

旦那が、キャバ嬢みたいな派手な身なりの女の子を3人、連日家に連れて帰ってきて泊めてやっている。

キャバ嬢と言っても平野ノラみたいな昭和な感じの人たちなのだけど、まあとにかく女の子がうちに泊まるようになった。

寝るときだけは、彼女たちの姿がなぜか幼稚園児ぐらいの幼い女の子になる。

そして旦那に、父親と娘のように屈託なく甘えている。

なんか、ひよこみたいだな、となんでかわからないけれど思った。

たくさんのひよこが一匹の大型犬にくっついたり乗っかったりしてて、大型犬も静かにそれを受け入れているという写真ネットで見たことがあるが、なんかそんな感じだった。旦那は大柄だから

何日目かの朝、彼女たちを送りだしてからわたし旦那に問いただした。

非常に迷惑している、一体何のつもりなのだ彼女たちに対する文句を言うと、旦那は腹を立ててわたしを蹴ってきた(一応書いておくけど現実暴力を振るわれたことはありません)。

実家に帰るとか、他の友達のところに泊めてもらうとかできないのかと問うと

「そんな場所が、あの子たちにあるわけないだろ」

と、悲しそうに旦那は言った。

そこで目が覚めた。

わたしは親と不仲で、ここ数年連絡を取っていない。向こうからメール電話は来るがすべて無視している(以前は着信拒否していたのだけど、そうすると母親義母電話をしはじめたらしく、義母から「困っている」と言われたので慌てて着拒を解除し、とりあえず義母への電話攻撃はやめさせた)。

家を建てるときも、うちの親に知られると無為に引っかき回して話をめちゃくちゃにするのは明白だったので、黙って建てた。

ただ、旦那の親にもわたし気持ちを話したのだけどやはり親の立場としては納得がいかないということで、旦那の親はうちの親と今も連絡を取り合っている。

旦那基本的に静観の立場を貫いている。

旦那旦那の親に、うちの親子事情のせいでこれ以上負担をかけられないと思い、先日、夫婦わたし実家に行って「家を建てた」という話をしたところだった。

うちの親はいわゆる毒親気味でこういうときに隙を見せると喜々として人格攻撃を始めるので、あえて最後まで儀礼的な態度を崩さなかった。

1時間ほどで話すことを話して、きりのいいところで引き上げた。

自分子どもができればまた変わるのかもしれないが、思春期を過ぎても両親を「気持ち悪い」と思う感情が消えてくれない。母親の卑屈な作り笑顔気持ち悪いし、父親理不尽人格攻撃や横暴も心底軽蔑している。大人になった今は、親としてというより人としてそれぞれどうにも苦手で、単純に接点を持ちたくない。

その直後にこういう夢を見た。

たぶん、3人の女の子わたしなんだろうと思った。屈託なく甘える一方で、わたし本来そこにいるべきでない存在だと思っている。わたし旦那に不満を持っているが、旦那わたし結婚して幸せになったようにはとても見えない。わたし旦那からいろいろなもの搾取している。わたしは、本当はこの人と結婚してはいけなかった。旦那に苛立ち、息苦しさを感じるたびに、同時にそんなふうにしか思えない自分を責める気持ちと、旦那への罪悪感も増していった。

あんなにも疎ましく思っていたのに、目が覚めると涙がぼろぼろ出て、旦那のことをどうしようもなく愛おしく思う気持ちぼんやりと湧いてきた。

横で寝ている旦那にくっつくと、旦那は少し驚いたようなそぶりを見せて、また寝た。

本当に、自分に起きたこの変化はなんなのだろう、よくわからない。

彼は煙草を吸うので、ときどき匂いに耐えられなくなることがあった。正直、近くにいたくなかった。寝言もうるさいし、夜中に目が覚めるたびにイライラしていた。

でも今は、旦那匂いも愛おしい。すごくいい匂いだとなんか知らんけど思う。寝言も愛おしい。

何がどうしてこうなった。さっぱりわからない。

ただ、それと一緒に罪悪感と自責の念もどんどん増えていく。

から、この気持ちの変化を無邪気に旦那に伝えることができないでいる。

旦那のほうは、もう無理なのかもしれない。

それはもう、仕方がないと思っている。離婚することになるのなら、仕方がない。そう思っている。

でも自分気持ちは、あのへんな夢を見てから突然変わった。理由はよくわからない。けれどとにかく変わった。

それだけは、まあとにかく伝えなきゃなあ、とは思っている。

どうすれば伝えられるのだろうか。そのまま話してわかってもらえる自信がないし、そもそも罪悪感がもうほんとに半端なくて、やっぱり好きだとかこれからがんばるとかそういうことを口にするのもはばかられるぐらいの罪悪感に押しつぶされそうになっている。それでうまく言えない。

そもそもこういう感情の振れ幅が大きすぎる女性というのが、自分が男だったらめんどくさすぎてもう駄目だろうと思う。

やはりわたし結婚などすべきではなかったのだ。

家族がほしい、と思うこと自体が図々しかったのだと思う。

話がしたい。話さなきゃな。

http://anond.hatelabo.jp/20170110062312

たぶん同期だけど。

個人的にはクォーター制で、1年通してみると授業自体はそこそこ選びやすくなった印象だったけど、そうでもないのかな。

文系科目はまだしも将来設計みたいな授業があるのに関しては非常に苦痛

私自身はインターンとか海外留学単位がもらえるし、と思って去年のクォーター丸々1個、授業取らずにインターン行くという方法を取った。

難しいけど、どこに行こうが制約はあるし、与えられた範囲で頑張るしか無いよなぁと思ってる。

2017-01-09

LGBTコミュニティに入れないし女も嫌い

いや、女叩きというわけではない。先に言っておくけれど

私はトランスジェンダーというわけではなくて、単純にゲイ寄りのバイなんだけど

所謂、男らしさだとか、ファルスというのを持っている自分死ぬほど嫌いなんだ。

大学部長とかもやったけど週2でゲロしてたよ。社会人になって人に物を頼むときも吐きそう。

ちんちん以外のファルスはいらない。


問題女性デートできないってことで、それはなんでかっていうと彼女等が男らしさを求めるからだ。

そりゃそうだよ、私より先にヤリチンやらモテ男やら星野源なんかと仲良くしてるんだから

彼らのおもてなしに慣れちまってる、というのは予想がつくし

私自男性おもてなしされて来たから、それを求めるのは分かるんだ

でもさ、それを苦痛に思う人間がいることは察してほしいというか

女らしくしろというのを暗に示されたら嫌じゃん

自分から化粧するなりヒール履くなり三歩後ろにいるのはいいけど

他人から強要されるのは嫌でしょ?そういう話なんです

こういうこと言うと大丈夫だの、気にしてないだの、本当に好きならだの言うけれど

見え見えなんだよ欲求がさ、気持ち悪い


で、なら男同士でしてろというけど、やっぱり社会ヘテロ主体から、女の方が都合がいい。

田舎から男の人相手じゃどうやったってコソコソしてしまう、自意識問題もあるけど。

コミュニティに入ってバイであることを公にするってのも手かもしれないけど

彼らいわゆるリベラルの悪いところを集めたみたいな存在で、つまり…わかるでしょ?

寛容なふりして排他的なんだ。LGBTコミュニティの外の人間は全てLGBTじゃないって考え方なんだよ

あと単純にコミュニティに入ることでファルスを手に入れるのが怖いというのもある


から、なんというか生きていて辛い

お互いに存在しか望まない人っていないのかしら

必要以上に欲しないのは人として当たり前のことと思ってたのだけれど

意外と欲まみれだよね、みんな

亜人ちゃん

いま亜人って言われても佐藤さんと田中くんしか思い浮かばんな

というか陳腐まりない設定をナレーションでいちいち説明されるのがものすごい苦痛

役所亜人用の課があるとか掃いて捨てるほど転がってそう

2017-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20170106011103

化粧するしない色々あるけど、化粧は他人の為にするんじゃなくて、自分の為にしてるんだと思うよ。

自分ブサイクな、ぼこぼこの肌、線みたいな目、腫れぼったい一重、大きい潰れた鼻、薄い唇、そういったものを隠して、ブサイク普通存在にしてくれるのが化粧だと思う。

私は自分の小さな目に、初めてつけまつげを付けたとき自分の目が信じられないぐらい大きく、可愛く見えて、感動したのを覚えている。

あなたは「似合ってないつけまつげ」って思ったかもしれないけど、それでも元のブサイクな顔がちょっとでも変わるのが、たまらなく嬉しかった。

今までずっとスクールカーストの最底辺で、なに一つ良いと思えなかった自分を、ちょっとだけ好きになれた。

それから化粧しているときは、普段より明るく過ごすことができるようになった。お店の店員と目を合わせることもできるようになったし、他人に笑いかけることもできるようになった。

男性と話すという辛くてどうしようもなかった行為も、そこまで苦痛ではなくなった。

化粧をしている、ただそれだけのことで、とびきりおしゃれなカフェで、ゆっくり紅茶を飲むこともできるようになった。

ある時、出先のトイレで鏡を見たとき、一瞬、自分がごくごく普通の女の人に見えた。

その時、心の奥の方から、ぶあっと自信が湧いてきて、ああもう私は誰かと話すときに怯えなくていいんだと思った。

ツイッターとかでみんな化粧をめぐって喧嘩するのは(特に化粧しろ派・ブランド派が強い言葉攻撃してくるのは)、怖いからだと思う。

化粧をどうにか学んで、みっともない姿を晒しながら、沢山のお金を使いながら、やっと可愛くなれた自分を、否定されるのが。

私はとても怖い。

やっと好きになった私のことを、根本から否定されるのがとても怖い。自分がやってきた化粧の努力を、馬鹿みたいだと一蹴されるのがとても怖い。

自分の化粧した顔を好きって言う人、やばいと思う」みたいなコメントを見るたびに、じゃあブサイクに生まれ自分は、この世界で、どうやって生きていけばいいの?みんなブサイクはひどい言葉いじめるくせにって思う。

自分語りになってしまった上に、なんかクソリプみたいになってしまった。お恥ずかしい。

私みたいな人間すっぴんで外を歩ければ、化粧をしないあなたの肩身が狭くなることもなかったのかもしれないって、ちょっと思って。

2017-01-06

ファッションや化粧を「自分のもの」にするための方法

http://anond.hatelabo.jp/20170106011103

思ったことを取り留めなく書いてみる。

増田が化粧を嫌う理由は以下2つだよね。

[1] 母との関係

[2] 社会から押し付けが嫌



[1]に関しては他の増田が言う通り「就職戦線に打ち勝つという大義名分」ぐらいしか私には思いつかない。それか実家出るか。

[2]に関しては「社会から押し付け」だと思うから反発したくなるわけだよね。なら、化粧を増田自分自身の美意識の発露として自発的に選べれば苦痛はなくなる(減る)と思うから、そのやり方の一例を以下に書いておく。

余計なお世話だったらゴメンね。

たとえばジャニーズが好きなら、ジャニーズの誰かが着ていたブランドの服を古着で買う。

(たとえばブラウスを7千円で買うなら、定価7千円の物を新品で買うより、定価3万円の物を古着で7千円で買う方が圧倒的に良い。)

まり華美な服だと悪目立ちするかもだから普段着にできそうで、かつ定価がまあまあ高い服を選ぶ(定価が安い服は着ても感動が少ない)。

それを着ると、「私でも意外に似合うじゃん」とか「素敵な服を着ることは快楽だ」という発見があるはず。

素敵な服を着てると次第にノーメークに対する違和感がでてくるでしょう。

なぜって服で着飾るなら、顔も着飾らないとアンバランスということに気付くから

そこまで行けば、もう社会から押し付けとか関係なく、「自分自分による自分のための化粧」を勝ち取ることができる。

別にジャニーズじゃなくて好きな俳優女優、好きな作家でもいい。アニメキャラが好きならアニメキャラの服に似た服を探してもいい。

増田がもし芸能人ミュージシャンアニメキャラに一切ときめかない人だったらこ方法は使えないけど。



[追記]

kyo_ju "芸能人ミュージシャンアニメキャラときめく"が"真似したい"とリンクする人は限られてると思うが

その通りですね。

から別に「真似したい」とか「同じアイテムを所持したい」という願望がなくとも、あこがれの人の服をとりあえず買ってみて、着てみて欲しいところです。

ジャニーズ芸能人が云々というのは、「質の良くて素敵な服を着る」という体験をするためのエクスキューズです。

いきなり服屋さんへ行って自力で「質が良くて素敵な服」を選ぶ困難さに比べ、好きなジャニーズの服をネット古着屋で買う方がハードルが低いでしょう。

まあ、着てみても何の感動もなければゴメンナサイ。

日本東京五輪に向けて旭日ハラスメント解決すべきである

日本の正月は何処を見ても旭日モチフにした新春や賀正の文字が踊っており、

訪日外国人に耐え難い苦痛を与えている事は非常に有名な常識である

これをなんとかしない限り、東京五輪で大問題国際問題、超問題になる事はメハクであり、

日本国債国家として世界に認められるには、旭日モチ規制を法的にヘイトに盛り込むべきなのは間違いない。

同様に日の丸も諸外国に対して非常に不快であり、ハケンロイツと同等である

犯罪旗をいまだ使い続ける国は日本だけである

日本鬼子汚名返上するには、新しい国旗中国師弟である事を示す

オストラリアとニュジランドの様な関係国旗とするか、韓国の弟としての

太極旗デザイン使用させて貰うべきであること絶対必須です。

早急に法整備しなければ、日本死ねであるます

安い化粧品を使う段階にすら至らない女もいる

文章が下手な人間の、拙いただの自分語りです。

今日化粧品に関する議論Twitterで盛んで、それで私はなんだかつらくて泣いた。

(今から書くことは、なんだか無性に悲しくて、しんどくて、そういう気持ちを吐き出したかっただけで、「ここが正しくない」とか「こうすればいいだけじゃん」っていうのは、もうどうでもいいです。)

内容は安いコスメ使ってる人間を下に見たようなツイートと、それに同調、または反論するたくさんのツイート群。

私は元ツイートマウンティングされる側にすら入らない1人だ。

大学生で、顔面偏差値低いのに化粧はしない。安いコスメ以前の問題。化粧をしない。お金を使うのはもっぱら漫画アニメ関係友達は少ない。サークル飲み会文化に馴染めなくて辞めた。そんな絵に描いたようなカースト底辺人間



なぜ化粧をしないのか。

そもそも、女は高い化粧品使って化粧してるのが当たり前で、それが社会に対する礼儀常識なんだ、という社会規範が嫌いだった。

女にだけ見た目の商品価値をつけられているように感じ不快感すら感じた。

化粧自体も嫌いだった。公立校に通っていた中学時代女子の間ではすっぴんサイゼリヤに集まって、食事をするテーブルに持ち寄った化粧品を広げみんなで化粧をするのが常識だった。頻繁にあることなのでサイゼリヤ店員も注意を諦めていた。

普通に馬鹿なんじゃないか、と思った。でもそこでの"普通"はサイゼで化粧することだった。"馬鹿"はそこに馴染めない私の方だった。そんな空気絶対同調したくはない。けれど注意はできなかった。空気の読めないことを言う奴は無視されていじめに発展する、ということを理解していたから。「私はブスだし化粧しても変わんないからやらなくていいや〜笑」なんて言ってごまかして切り抜けていた。

化粧なんて低脳なダメなやつのすることで私は化粧なんてしないいい子でいたいって思っていた。親もそういう私を求めていて、そういう考えだった。




大学に入ってから急に化粧を要請されるようになった。化粧の仕方なんて分からない。私は元々ひどく不器用であるということも手伝い全然うまくいかなかった。小学校とき公園遊具で下手くそな化粧してた先輩や、サイゼリヤで似合わないつけまつげをつけていた同級生は、もう化粧がうまくなっていた。

なんだ、それ、必要プロセスだったのか。化粧に憧れて、みっともない姿を晒して。そうやって失敗して、100均化粧品サイゼで化粧してた子たちは、シャネルかわいいメイクをしていて。"そっち側"の人間を、社会は求めていたんだ。最悪。

自分の顔が好きではなくて鏡を見るのすら苦痛ということもあり、化粧なんてしたいはずもなかった。でも社会は最低限化粧のできる人間を求めていた。そんな社会規範に縛られずに自由に生きていけばいいだけだと思って、大学でも化粧せずに普通に過ごしていた。髪のセットの仕方なんかも分からないままだった。



化粧したいと思うこともあった。

大学では友達が1人だけできた。その友人はお化粧もちゃんとしていて、良識もあって、大変真面目でいい子で、そしてかわいかった。

自分が恥ずかしくなった。自分社会に後ろ指さされようが、社会規範の方が間違ってるんだよ!で生きてきたけど、今この社会の中でその友人が私のことを「化粧しない常識のないブス」ととらえていたら。怖い。すでにむこうにとっては数多くの友人の中の1人の、冴えないオタク女にすぎないかもしれないけど。嫌われたくない。友人はそう思ってなかったとても、周りの人間からの私の評価が低いせいで、友人の評価も低くなるということはあってはならない。

化粧をしなければ。

しかし私は自分を変えることはできなかった。

私は実家暮らしで、家庭環境が別段悪いというわけでもなく、母親との関係も良好だ。

母親は私のことを中学時代のこともあり「化粧に興味を示さない娘」と認識していた。

なぜか、化粧したいなんて親の前で絶対に言えなかった。家での「母親の中での私のイメージ像」に沿わない行動をすることができなかった。

親に化粧を禁止されてるなんてことは一切ない。しかし、「化粧なんてめんどくさいと思ってるタイプ」という親のレッテルから逸脱することは難しい。本当に、なぜかは私もよくわからないけど。でもそれには本当に勇気がいることで、私はその勇気を持っていなかった。化粧したいなんて絶対に言えない。絶対に親に逆らえない。親に笑われたくない。自意識がクソでかいだけなんだけど。つらい。美容に興味のある態度なんて、見せれるわけない。親からの目が怖い。「この行動は私のキャラじゃない」という考えに縛られて、何もできない。ファッションメイクに関する相談をできる友人もいない。もうどうしたらいいんだ。わからない。




本当は、親の目関係なく家で安かろうが高かろうが化粧品使って身なり整えたいですよ。メイクしたい。メイク文化コミットしたい。

もっと本当は、女子の化粧なんて必要ない世の中になってください。社会規範は最悪。メイクしたくない。メイク文化ダメ





追記:

「もうどうでもいいです」って書いたとおり、解決策を求めたわけではなくもやもやした気持ちの行き場がなくどこかに書いて終わりにしよう、と思って書いたのですが…起きてみれば想像以上にレスポンスをいただいてびっくりしました。少しだけ書きます

いろいろ書きましたが、なにもかもご指摘の通りです。私はただの自意識が巨大な病人です。化粧だけじゃなくて結局就職も親の求める方に行こうとしているし、元々そういうこじらせた性格なんですね。親が、友人が、社会が、と言っていますが、結局自意識感情の塊なので、親の目が、友人の目が、社会の目が気になって仕方ないだけです。きっと友人にメイク教えてって言えば教えてくれますし、親にメイクしてみたいなって言えば多分協力してくれますし、社会はそれほど私を気にかけてはいません。わかっています。でもそうできない。その勇気がないまま今まで生きてきました。これからもその勇気を出せる気はしません。早く自意識小さくなりたいな。はい。そういうことです。化粧しなくても許容される世界を求める気持ちは本当ですが、私に世界を変えられる力なんてありませんしね。

コメントくださった方、ありがとうございました。

2017-01-04

Googleアルゴリズムは、天国で生まれ

 Googleアルゴリズムは、天国で生まれた。

 基になったのは、有用論文は多くの論文引用されている、という気づきだ。

 このアイディアを基に、有用情報は多数のページからリンクされているという仮説を立てて、それを検索順位に反映するアルゴリズムGoogleは作り出した。

 誰もが自分サイトに載せている情報専門家であった天国の様な時代には、それで良かったのだ。

 Google検索順位付けは素晴らしく、当時のYahoo!の様なインデックス型の検索エンジンを瞬く間に駆逐した。

 しかし、そのアルゴリズム悪用して中身のない広告ページが検索順位の上位に現れるということが起こる様になった。

 つまり、役に立たない広告ページが狙ったキーワード検索上位を占めるという現象だけ見ると、それはWelq問題が起こるはるかから起こっていたこなのだ

 Googleはその度にアルゴリズムに変更を加え、悪質なサイト排除してきた。そしてGoogle自ら、健全で中身のあるウェブサイトガイドラインを公開してきたのだ ((ウェブマスター向けガイドライン品質に関するガイドラインhttps://support.google.com/webmasters/answer/35769?hl=ja)) 。

 それは、天国で生まれGoogleにとって、顕現してくる地獄に引き摺り下ろされるような苦痛を伴う作業だったのではないかと思う。

 それまで悪質なサイトで行われていたのがGoogleアルゴリズムの隙をついて検索順位を上げるブラックものだとしたら、そのガイドラインに沿ってサイトを作り検索順位を上げることはホワイト行為だと見なされてきた。

 間違えてはならないのは、Welqをはじめとしたキュレーションメディアはそのガイドラインに沿った『ホワイトな』コンテンツ作りをしてきたという点だ。たとえそれが倫理的に劣る行為であったとしても。だからこそ、Google検索で軒並み上位を占める結果を出したのだ。

 ここでGoogleはまた、キュレーションメディアのスパマー達(あえてこう言わせてもらう)とのいたちごっこスタートに引き摺り下ろされたのだ。Google検索アルゴリズムは変更を余儀なくされるだろう。

 だが、今回の件は『倫理的に劣る行為である』という点から火がついた。そこをカバーする新アルゴリズムというのはどんな姿になるのだろう?機械人間倫理理解するには、まだ早すぎはしないだろうか?人間が考える倫理機械に明け渡してしまうことは、本当に正しいことなのだろうか?それは地獄へ続く道ではないのか?

 おそらくそれよりは、信頼できるドメインが信頼できる情報を発信しお互いにリンクし合うという、かつてGoogleが生まれた時に存在した天国を再び目指すべきなのではないだろうか?

 いや、本当はそんなことは出来はしない。時間の針を逆に戻すことなど誰にもできやしない。それに、機械判断した『正しさ』を鵜呑みにして生きることだって、多分そんなに悪いことではない。

 自分が正しいかどうか判断できない情報を目にした時、それの『正しさ』を保証してくれるのが機械だろうと人間専門家だろうと、信じることができればどちらだって同じじゃないか自分の頭の中身がいつの間にか機械にすり替わっていたとして、それに気付ける奴なんてどこにいるんだ?

 だからこそ、ウェブの海を渡るのに自分オールを持っていることが何よりも大切なんだと思うよ、今まで通り。

発達障害一人ぼっち生活が好きな私が結婚した結果

苦痛以外の何物でもなかった。

子供産んでみたけど、やはり苦痛

独身貴族が一番最高。

夫も子供もいらない。

結婚出産も、私には合っていない。

私はADHDでこだわりが強いため、夫や子供といえど、他人生活するのキツイ

自分だけのペースで生きたい。

結婚出産も大失敗。

http://anond.hatelabo.jp/20170104014856

早漏からオナニーのし過ぎで遅漏になった俺から言わせれば、早漏のままでいた方がいい

セックスでいけなくなる方がよほど苦痛

膣圧程度じゃ、ゴムつけたらチンコが入ってる感覚すらもないからな

早漏の頃は何しても気持ちよかった

1週間もオナニー我慢したら、パンツで擦れるだけでいきそうになるくらい敏感で

オナニー気持ちよくて気持ちよくて仕方がなかった

今は性欲処理になんとなくしてるだけ

むっちゃ分かる

http://anond.hatelabo.jp/20170101194020

料理に関しては女性がするのは日頃やってるだろうから得意っていうので分かるんだけど、お皿を下げたりコップを用意したり出来た料理テーブルに持っていったり、そういう誰でもできることすら手伝おうとする気持ちがない!そして感謝もない。

正月とか親戚とかは関係ない話にはなるが、

うちの場合は兄がいる。母親が何でもしてあげるからただただ享受してる。兄が仕事から帰ってきたら母は「ご飯は◯◯よ〜 △△は美味しいから温めとくね」とかって優しい言葉をかけてあげながら飲み物(お水)を用意してあげる。ご飯もついであげて、兄は食べ終わった後は片付けずに部屋に戻る。兄から母への感謝言葉は一度も聞いたことはない。

わたしがいる時は「それくらい片付けたら?」って言う。言わないとしない。

ちなみに兄は40歳超え・独身・たぶん童貞・100kg超え・ハゲ・部屋が汚い&臭い仕事場でもたぶん臭いやつみたいに思われてる。雑巾臭みたいなんするやつ。最悪やんね。

良いところもあるけどね、平和的で優しいところ。(わたし喧嘩っ早いので尊敬する)でもそれだけじゃ彼女はできん。

こんなどうしようもない兄が何で家で堂々と母親メイドにしてふんぞり返ってるんだ?身の程を知ったらいいのに・・・

元ネタにある、テレビ正月特番)に対して偉そうにコメントするっていうのがあったけど、それそれそれってなった。

ちなみに両親の出身九州九州って男性のふんぞりかえり方はんぱない。女性はそれに従うしね。親戚集まった時まじで苦痛

2017-01-03

老人ホームに入っている祖父母に会いに行った

今日祖父母が入居している老人ホーム家族新年の挨拶に行った。


祖父母が入居しているのはいわゆる「サ高住サービス高齢者向け住宅というやつだ。

都心から遠く離れており、最寄り駅もどこかわからないような場所


そこには独特の匂いが漂っており、訪れるたびにどこか隔絶された空間のように感じた。

祖父痴呆が進んでおり家族でも認識ができない状態になっている。



僕は小さい頃祖父に本当に可愛がってもらった。

それだけに変わってしまった祖父の姿を見るたびにどこか寂しさを感じた。


人は歳をとる。 


それはどうしようもないことだが、歳をとった先に痴呆になり、

自分が誰かさえもわからないのに、毎日生かされているなんて苦痛ではないか


正直僕は自分自身としてはそんな状態になってまで生きていたいと思える自信がなかった。


将来、自分が歳をとったらそういう状態になる前にオランダとかに行って安楽死したい。


本気でそう思ってる。


苦労して頑張って生きて年老いた先にあるものって、虚しすぎやしないか



そう思っていた。


帰り際になって、祖父母がベッドに隣同士に座って両親と喋っている時、

呆けて状況が理解できていないと思われる祖父の手を祖母が握っているのが気づいた。

それを祖母に言うと、祖母は「いつも”仲いいご夫婦ですね”って言われるのよ」と嬉しそうに言った。

祖父も照れたのか、噴き出すように笑った。


本当に祖父がわかっているのかはわからないが、その時の二人は幸せそうに見えた。




人生には生きている限り、不意にこういう瞬間が訪れるんじゃないか


それを見て、歳をとるのは、生きていくっていうのはそんなに悪いもんじゃないのかな。とふと思った。


生きていく中で不意に訪れる小さな幸せな瞬間があるなら。

どんな状態になっても生きていくってことには理由があるなと感じた。


新年早々、大切なことに気づけた気がした。


頑張って今年も生きよう。

2017-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20170101084606

わかるなぁ。

私も増田と同じように、人が苦手で人付き合いは苦痛しかない孤独好きなんよ。

で、流されやすいし優柔不断から、下手したら結婚してたかもしれないし、大嫌いな子供も産んでたかもしれない。

幸いにして(?)そういう状況には至らず、1人での生活を謳歌してますが、こうやって1人で静かに自由生活していられることはなんて幸せなんだろうと感じます

私の場合は生まれ育った家がかなり荒れてたので、家族他人って苦痛をもたらすものという認識しかないんですよね。

増田投稿は、「結婚していたらこうなっていたであろう自分」というパラレルワールドとして読んでしまった次第です。

孤独好きは生来のもので治らないんですよね。。

2017-01-01

詰パラというアプリがすごかった

詰将棋アプリなんだけど、詰将棋という苦痛が伴うもの勉強法として、かなり優れていると思った。

  

①他の人が解いたコメントが見れる ←かなり面白いニコニコ動画コメントがついてるようなもの

②1作ごとにタイトルがついている ←大量の詰将棋が載っている本にありがちな無味乾燥作業感」が無くなるためよい。自分ならどういうタイトルをつけようと思える。いうなれば、ボケてみたいなもの。いいタイトルだと、解く楽しみが増える

③作者の顔が見える ←作者コメントが付くし、作者の作品連続して解けるので、詰将棋作家側の感情も見えて面白い

  

これって、大量暗記系にはかなり有用手法なんじゃないかと思う。

特に、①な。多くの参考書は、嘘でもいいから、コメントねつ造しておくと、学習者にとってかなり励みになるんじゃないかと思ったw

②は、自分タイトルつけるならと想像することが大事なんだな。

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