はてなキーワード: 利己とは
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北縦貫自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも落選。対立候補の官僚出身の新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設は不要として事実上のイオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端なイオンリテールがオープンした。
八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。
車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街をシャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった
しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である。2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である。
私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテやホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポでたい焼きや今川焼きをもらったり、最終営業日の店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸の中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。
話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸の中心市街地はどうなったのか。
中心市街地には地元百貨店は最近まで2店舗あったが、コロナが瀕死の経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。
さくらの百貨店は若者向けではなく、郊外CSはラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列のホームセンターのサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンはリテールとスーパーのみ。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1993年 六ヶ所村で日本原燃の再処理工場の建設が着工する。原燃PRセンターに家族で行った帰りに、父からこの工場で事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にイトーヨーカドーの郊外型CSが開店、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。
ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターはあちこちにできた。
中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダンな空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間の商業施設は20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街へ商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモールを建設しても問題はなかったと思う。
郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
GMS衰退の潮流は止められず、地方の車社会は市民は無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画の教科書的には正しいことは理解している。
しかし、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設の建設に補助金が投入された。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車でイオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。
「ご自由にお持ちください」と書いて置いてあるモノを全部持ってっちゃう人のことをどう思うだろうか。
ホームセンターの端材置き場にある端材を軽トラで全部持ち去る。あり?なし?
ATMの脇に置いてある封筒を洗いざらい持ち去る。あり?なし?
スーパーのビニール袋のロールをガラガラ回してたくさん取ってく。あり?なし?
置いてあるビラの中から裏が白いものをメモ帳を作るために全部持ち去る。あり?なし?
物質的に豊かに育った人って、基本的にこういうことはしませんよね。恥ずかしいから。誰に対して?→自分に対して。
タダなんだからもらえるだけもらってしまえという行為が、〈自分から見て〉浅ましい、さもしい、卑しい、見苦しい、下品と感じて、抵抗をおぼえる。
このような、己の内なる線引きで自分の行為を律する規範を〈節度〉とか〈行儀〉と言う。
それは明文化された社会規範ではなく、環境の中で培われ、コンテキストでも変わる、相対的な規範だ。
生まれや育ち、性格といったさまざまなコンテキストをひとりひとりが持っているから、当然その規範も人によってさまざまだ。
なので、タダで持っていっていいものを「どのくらいなら持っていってもセーフか」という線引きも人によって異なる。
「全部持ってっちゃあかんの?」という人もいれば、それに対して「よしなよ、みっともないよ」という人もいる。
一方、置いたほうも置いたほうで、「普通はひとり1個しか持っていかんやろ」とか「ごっそり持ってくやつはおらんやろ」といった、〈置く人なりの線引き〉で置いている。
己の線引きでどうするかとともに、置いた人はどういう線引きでこれを置いているのか、まずは両者を引き比べるべきだろう。
両者に隔たりがあるのなら、どちらに沿うべきか考える。
己の線引きで行動するなら、それは〈利己的〉と呼ばれる。
提供する側の線引きを想像して行動するなら、それは〈空気を読む〉と呼ばれる。
そして、両者の線引きがもし異常にかけ離れていたら、それは〈非常識〉と呼ばれる。
〈常識で判断しろ〉〈ちょっと考えればわかるだろ〉というのは、他人が引いた線を想像することであり、世の中の大多数の人はどう捉えるだろうかと〈社会通念〉に思いを致すことだ。
タダで提供するなら全部持っていかれる肚を括れとか、全部持っていかれて腹を立てるなら最初から上限数はいくつまでと注意書きをしろ、と要求するのは、こうした〈社会通念と折り合いをつける努力〉の放棄にほかならない。
ある種の発達障害を持つ人にとってこうした〈暗黙の了解〉が理解できないことは承知している。
だが、ブコメを見ていると、一定の常識は持ちながらも能動的主体的に社会と折り合いをつけることに関しては拒絶する人、早い話が青い臭い反抗期のクソガキみたいなやつらがウジャウジャいて引いた。
安楽死の話題になるとすぐ、「そんなに安楽死がしたいならば自殺すればいいのに」という声が湧いてきて
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=85698
それが如何に的外れな難癖なのか、自分達で言っていて分からないのか?
銃社会ではない日本で実行出来る自殺方法は、失敗する可能性が高いものが多い。
自殺に失敗して後遺症を負い、再挑戦も出来ない状態になったらどうするんだと思うと簡単に実行なんて出来る訳ないだろ。
2.自殺は痛い、苦しい、怖い
安楽死を望む人達は文字通り「安らかに」「楽に」死にたいんだよ。
死ぬ時に痛い思いや苦しい思いはしたくない。当たり前だろ。
苦痛無く楽に死ねる自殺方法が身近に溢れているならば、それは既に安楽死が実現しているのと同じ事じゃないか。
首吊りなどは上記問題点が少ないと聞くが、それでも死体の処理で関係ない人達に迷惑をかけるのは避けられないだろう。
糞尿を垂れ流して部屋は事故物件になる。
仮に上記三点をクリアしたとしても、自殺して救われるのは自分だけでしょう?自分さえ良ければいいというのは利己的な思考。
この社会において今苦しんでいる他の人達のために、安楽死の実現を叫ぶ事の何がおかしいんだ?
それ以外の社会運動に対しては「自分だけ良ければいいだろ?」なんて言わない人達も、安楽死に対してだけは何故か平気でこれを言うのはどうして?筋が通っていないにも程がある。
ちなみに、ロード乗り(の大半)は、歩道より車道のほうが快適に走れることはわかってる。
歩道は人はいるし犬はいるしママチャリはいるしで危なくてスピード出せないし、舗装は悪いし脇道のたびに段差があるので乗り心地が悪くて疲れる。
高い金出してロードに乗るくらいには自転車の運転が好きなので、交通法規に対する意識も高い。ロードで走ってて逆走自転車と出くわすことは多いが、100%ママチャリだ(クロスバイクの大学生もこれに含む)。
ママチャリみたいに「従う信号がわからなくて無視になってしまった」みたいなのではなく、違反とわかってて無視しているだけにたちが悪い。
停止再加速がめんどくさい、ビンディングやトークリップをはずすのがめんどくさい、区間新記録を狙えるペースなのでスピードを落としたくないなど、利己的な理由で信号を無視するパターンがほとんどだと思う。
ショップジャージやチームジャージを着て、正しく信号待ちしているロードの横を通過して信号無視を決めていく厚顔無恥な選手もいるぞ。なるしまフレンドとかなるしまフレンドとか。
執着はしない
察してほしいではなく、言葉で伝える
誇張や取り繕うことをしないと振り向かせることが出来ないなら、自分にとってその人は本当に必要ではない
ダサかったり人間味がある箇所で魅力を感じてくれる人が、一緒にいるべき人
相手に対して「〜してほしい」という期待は一切抱かない、もし抱いたらすぐに捨てる
最も愚かなのは「俺が相手を思う気持ちと同じくらい、相手に俺を思ってほしい」と期待すること、唾棄すべきだ
勝手な期待を抱いて勝手に裏切られた気持ちになるのは、精神衛生上非常に良くない
俺は特別でなく、更にはある女性の特別になれるはずがない。そう願うのは、白馬に乗った王子様に見初められる以上に現実逃避した妄想だ
相手に対して「〜したい」という期待は一切抱かない、もし抱いたらすぐに捨てる
最も注意すべきは「言いたい」ことを求められてないのに話してしまうこと
相手から求められたとき、雰囲気的に乗るべきなとき、初めて話せばいい
つい自身の考えや経験を「言いたい」と思ってしまうが、相手が聞きたいことを話すべきであり、俺の考えや経験など相手は興味がなく知りたくも聞きたくもないし、反応に困るだけだろう
良し悪し問わず、もし感情的になってしまったら、口を閉じて時間を空けるべき
感情的になると、密かに抱いていた「〜してほしい」「〜したい」ことが漏出しがち
そうして俺なんかと卑屈自虐にもなりがちだが、それらは相手にとっては不愉快なだけで、自己満足の押し付けであると恥じる
行動指針が卑屈そのものによるのは否めないが、だからといって卑屈に振る舞わず、もっぱら自己批判・自制の道具にすべきだ
一方通行な罵声に近くなることすらあり、言われた相手も困るだけで全く建設的でない
録画録音されて全世界に配信されたとしても大したダメージはないような、そんな振る舞い、会話を目指すべきであろう
チャットで会話するときは原則、相手が話す以上の文字数で話さない、相手が取った間より大きな間を取るよう心掛ける
もしかしたら「自分のことを話してほしい」「俺になにかを尋ねてほしい」、「俺のことを話したい」「相手になにかを尋ねたい」と思うかもしれない
そういった気持ちを整理した状態で、上の制約を守ると、俺に知って欲しいとか俺を知りたいとか、そういう興味を全然抱いてくれてないんだと現実がわかる
会話は止まるかもしれないがそれでいい、そもそも相手は俺と会話したいなどと思ってはいない
暇な時間を潰したいとき、偶然気紛れに目に入った俺のメッセージに、考えなしのそれっぽい文字列を返しているだけだ
血の通った会話をしてると思っているのは俺だけで、相手は思考停止して無機質な文字列を返す暇潰しをしてるだけだ
人類の半数は女性であり、外見は否が応でも他人の目に入ってしまうわけだが、価値観の大きな乖離があるとき、キモいという感情を抱かれるかもしれない
半数からどう見られ考えられても、他人だから知り得ないから俺には関係ない、と考えるのは利己的で幼稚であり、あまり望ましくないだろう
TikTokやInstagramなどのアプリが女性ないし若い年代に普及?したことにより、彼ら彼女らの「自分がどう見られるか」という意識は思いの外相当に高いであろう
俺が望むのは隠れて生きることであり、努力で緩和できる価値観の乖離を放置することによって、目立ち謗られてるという疑心暗鬼は少しでも減らしたい
年頃の女性の外見に対する意識や努力を尊敬して倣えば、もし小さく縮こまっている俺の姿が視界の隅に入っても、あえて取り上げて謗られはしない程度になれるかもしれない
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
文章生成AIが実用化できるレベルで流行ったタイミングは23年なので「最後にLINEしてから2年」という時点でそもそも時系列グチャグチャで、どれだけ好意的に見ても何割かはフェイク入ってるんだろうなと思ったが、以下、「この記事に幾ばくかの真実が書かれている」という前提で垂れ流すけど(釣られたのなら普通に笑ってくれ)。
行間から「A子が悪い」という思いがにじみ出ててるので、そう感じてるうちはあなたが悪いとしか言いようがない。賭けてもいいけど、終盤での既読スルーされてるときに送ったLINE、多分一度も謝ってないでしょ。
「それって、何も反省してないヤツの考えだよ」と。
何がダメだったかってこれが最悪の間違いでしょうね。誹謗中傷されてる友人が悩んでるときに、自分が傷ついたこと過去の出来事にかこつけてこれ言うの普通にアウトでしょ。友人のことを何一つ考えてない。なんなら友人を傷つけるつもりで言ってるよね。
あなたとA子さんとの間の問題で言うなら別にいいよ。でもこれ別案件で言ったんだよね。そこには悪意しかないよ。
罰したかったんでしょ?罰した結果相手から距離取られたんでしょ?
自分を大事にしてくれない相手から距離とるの当たり前じゃん。それは身から出た錆としか言いようがない。
私はA子を大事にしているつもりだった
こことかマジで矛盾してるからね。「喧嘩した方がいい」はギリギリ信じてもいいけど、相手を傷つける気満々の発言が「大事にしているつもり」なわけないじゃん。「大事にする」とは相手を中心にして考える言葉であって、自分をベースに考える言葉じゃないよ。人間なんて利己的な生き物なので自分を大事にしてくれない相手に怒るのはわかるけど、「相手を大事にする」とは「自分を傷つけないような行動を取るよう相手の行動を強制する」ことではないよ。
しかもこの場合はそのやり方が悪い。「自分が傷ついた」ということを相手に理解してもらうためにやるべきことは「自分が傷ついたことを相手に伝える」ことであって、「自分が傷ついた分、相手を傷つける」ことではないよ。
相手を傷つけたいという気持ちはあなたの性格の問題であって、相手は何一つ悪くない。
というか20年一緒にいて相手が自罰的か他罰的かの判断すらできないならまともにその人のことみてなかったんじゃないの?
喧嘩をすることと相手を傷つけることは別の行為だよ。本当に反省した方がいい。
「本当に」相手のことを大事にしたいんだったら、次からは自分が傷ついたときやるべきことは「私はあなたの言動で傷つきました」と伝えることだよ。A子さんが本当にかわいそうだ。
元々顔見知りだったというトコと、境遇を知ってたからというので色々縁があって付き合ったんだけど、半年も持たなかった。
というのも、捨てた男が全面的に正しかったのではと思うようになってしまったから。
⇒ちょっとした事でも誰かのせいにしないと気が済まない。
俺が全く関与してない事も勝手に俺にせいになってたりする。
・利己的すぎる
⇒自分の利益の為に他人がどんな気持ちになろうが絶対に気にしない。
例えば流行りのゲームがオンライン配信されたら深夜だろうが気にせず遊ぶ。
なんなら配信までしてたりする。
・手際が悪すぎる
⇒単に要領が悪いを超えている。例えば料理をする時、使う材料がある程度決まってる場合先に出しておくと思うが、
1個出しては切って、また次の材料を取りに冷蔵庫へ戻って・・・を繰り返す。
当然やり忘れみたいな事も頻発する
しいて言うなら子供との仲が良いのは良い事だと思った。
2人で楽しく生きてくれ。
元旦那と話した時、「ああ~わかる。疲れるでしょ。」と意気投合しちった。
俺にはもう無理だ。
おもしろい。自分は寄付をする人間で、存分に選り好みして寄付しているのでその観点から書こうと思う。また自分は犬には寄付しない。ほとんどは被災者である。
自分は寄付には差別的要素があると思う。そして、そもそも寄付は究極の善でもないと考えている。
それから自分がやっている寄付は全く善と考えていない。もっと利己的なもので自己満足感を満たすためにやっており、投資や物品購入に近い考え方をしている。
どちらかといえば自分がやっているのは贖宥状購入のような悪徳に基づく行為である。
ただしここで「差別的要素があるならすなわち善ではない」と考えると危険であると思う。それは完璧主義的な意見だろうと思う。
これは自分は、世間の欺瞞に対する挑発だとも考えている。普段は比較的「悪」なくせに、そういうときだけ調子のよいことを言う人間がいる。あたかも「自分は善側の人間ですよ」と振る舞っていること・自分が選んだものを助けたことに満足していてその他には一切憐憫の情を向けない「ほかを悪と断罪するための正義」を感じているのもあるのではないか。「やらない善よりやる偽善!」と言って、やらない者を「悪」側に落とす文句もある。
もし多くの人間に対する不信感がある場合、選ばれなかった方に目を向けたくなる。彼彼女らが助からないのなら、それは善といえるのかという話のようにも見える。
自分には、増田は「嫌われている方を助けたい」という考え方があるようにも見えている。ちょうど増田が考えていることはロールズの「無知のヴェール」の話にも通じるのではないか。これは個々の立場を忘れるヴェールを被ってから正義を考えようという概念である。この概念はそこそこ有名だが、それほど一般的ではない。ほとんどの人々は伝統的な倫理観にしたがって寄付などを行っているはずだ(※ べつに揶揄しているわけではない)
ただし差別うんぬんよりも、もし「すべてを救えないのなら救うべきでない」とすればこの世のほとんどは何も救えないことになる。われわれは有限の資源の中で生きているので、絶えず不足にさらされている。不足している中では選別が必要となる。
このあたりはトリアージ等の動画を見ると非常によくわかる。属性のせいで助けてもらえないというのは悲しいものである。何もないまま助からなかったよりも、助けられそうな資源が目の前にあるのに助けてもらえなかったという絶望はたしかなものだ。それが現実である。現実は理不尽であり不公平である。しかしポメラニアンを助けている人も、何も黒い大型犬に思いを全く馳せていないわけではないかもしれない。助けたいが、資源が足りていないために助けられないのだ。
どのように「公平に選別するか」も重要な問題である。こうした点がトロッコ問題などで考慮されていた。選別しなければならないのだ。ポメラニアンと黒い大型犬はその「愛らしさ」に焦点をおいているので、その独善的な部分に嫌悪感を感じるのではないか。善という正義の皮をかぶって差別を正当化しているように見えるのかもしれない。通常、笑って朗らかな態度で選別してはいない。血涙を流しながら、選べないという自分の無力さ無能さ愚鈍さとどこかで折り合いをつけて、否応なく選別している。
そして誰も救わない場合、「どうにも俺と同意見の人間が増えたとして世界が良くなるとは思えない」と言っているとおりのようになるだろう。もしそれが現実となったとき、考え方はどうであれ実際に起こるのは「誰も寄付しない世の中」である。つまりどれだけ困窮しようが誰も何も手を差し伸べはしない。それはポメラニアンや黒い大型犬のみならずすべての生き物が平等に絶望しなければいけない事態であると思う。
人々から金銭を徴収して再分配することはODAなどで一応おこなわれている。
一方で寄付は、自発的に自分の所有財産から抜いておこなっているものだ。これは財産権という強固な概念で守られている。
われわれは「自分の持っているものを自分の使いたいように使っていい権利」を持っている。これらをとりあげて自由に使用することは、自由権や民主主義を否定するものである。
またこれは単純に「世界中で増税する」ということに他ならない。国はそれほど信頼できるだろうか。国同士は同意できるだろうか。現在の世の中ではかなり厳しいものとなる。
また、マクロな問題を持ち出して、ミクロの問題のやらないことの根拠に含めてしまうのはズルであろう。個人的な寄付をすることと、国家群が寄付を集めて再分配することとは次元が違う問題である。
結局増田が言っているのは理想論なのではないか。「あるべき理想の姿」があまりに現実と違いすぎる。今この瞬間にはどうしようもないことを前提としすぎている。遠い将来にそれが普通になることはあるかもしれない。しかし周りから見ればそれは「ただやっていない」「ただ誰も助けていない」のである。
そして実際にその浮いた100円は何に使っているかといえば、個人的な実益に対してなのではないか。これはどう言い繕っても「誰かを助けるよりかは、自らの幸福を高めたい」という行動である。この言はずいぶん切れ味の鋭いものだが、それが事実である。われわれは見ず知らずの黒い大型犬の命よりも、見ず知らずのポメラニアンの命よりも、コンビニのお菓子の方を選ぶことがある。そちらの方が自分にとって幸福だからだ。
増田はもしかすると「誰からも助けてもらえなかった」と感じているかもしれない。だから自分も手を差し伸べはしないのだと。しかし本当は助けられたかったのではないだろうか。助けてもらえない者たちから見れば、この世は邪悪な方が都合がいい。この世が邪悪だから助けてもらえないのだと考えられる。それほど邪悪でないのに助けてもらえないなんて諦めがつかない。
寄付だろうがなんだろうが人の行動は利己的なものであり、己のためにするものだと思う。どちらかといえば、寄付することによって自分が救われているのだ。
べつにこれは自分個人の意見だが、「全員を助けられないのなら寄付しない」と考えるのならば、あまりにもったいないと思う。
誰かを救いたいのなら救えばいいのではないか。
おまえの小さい器が、かってにバイアスで偽善に仕立て上げてるだけ
以上
にゃるほどぉ。20年間で初めて知ったは。ありがと。
つまりワイがイラついてたのはこの言葉じゃなくて、当時の2ちゃんで善行に対して「偽善でしかない」とかほざいてた質の低いねらー達にだったんだな。
20年で日本人の民度も上がってるから無駄なイラつきだったは。ありがと。
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい
気にすることなく、作り続けなさい
気にすることなく、助け続けなさい
たとえそれが十分でなくても
地震が起きてから、Twitterのいやなところがより目につくようになっている。なんかもう、デマを流してる人とか陰謀論を唱えている人がやばいのはもちろんなんだけど、それに対して「この人達はやばい」とわざわざピックアップして拡散してあーだこーだ言い合っている人達の存在のほうがだいぶ目障り。あなたたちがいるおかげで、デマも陰謀論も迷惑系youtuberの活動も、本来伝わる範囲よりも100倍も1000倍もおおきな範囲に伝わってしまっている。
インターネットに荒らしとか自演するやつとかヤバイこと言い続けているやつがいるなんてのは昔から当たり前のことなのに、それをわざわざ指摘して「災害時にデマを流す人に対して私は怒っています」みたいな投稿をしたり、陰謀論者のどうでもいい言説をわざわざスクショして拡散したり。そんな当たり前のこといちいち言わなくていいから、やばい人はスルーして一切反応しなければいいのに。
やばい人達の存在は自然災害みたいなものだし昔からインターネットに一定数は必ずいるもんだから、最早なんとも思わないんだけど、それらの人をスルーせずにわざわざ引用リツイートなりスクショなりして拡散して、「こんなことするべきじゃない」って意見表明して、結果的ヤバイ人達の主義主張を拡散しちゃってる人やニュースメディア。もううんざりする。ネットのやばいやつはスルーするのが基本でしょうが。
今も迷惑系youtuberだか私人逮捕系youtuberだかが利己的な行動原理で被災地に現地入りするのに対して、「今は行くべきじゃない」「渋滞の原因になる」「むしろ邪魔」とか言ってTwitterで迷惑系youtuberの活動を結果的に拡散してしまっている人達がいる。本人達はそんなの百も承知でしょうが。そうやって耳目にさらされインプレッション稼いで売名するのが目的なんだから。
迷惑系youtuberは「今被災地に行くことに対しては賛否両論あるし、なんなら迷惑なんだろうな」と思って被災地に行くのに、それに対して「今被災地に行くのは迷惑です」ってわざわざ拡散する人、何がしたいの? もう君も迷惑だよ…
そういった迷惑なやつらを本当になくしたいなら、今あなたがやることは「迷惑系youtuberの○○が今被災地に行くのは非常識だ!」って感情をあらわにして彼らの行動の宣伝に加担することじゃなくて、ただただスルーするのが正解でしょう。
迷惑系youtuberだって完全にスルーされたら存在しないのと一緒だけど、結局彼らの行動に反対している人達が一番彼らの存在を大きくするファンネルの役目を担っちゃっている。2ちゃんの時から荒らしはスルーって言われてたでしょ。もうインターネット半年ROMったところで、ROMったインターネットがこんな感じで最悪だから、今後も最悪なインターネットをROMったやつが連鎖してどんどんインターネットは最悪になっていくんだろうな。
もうみんな、スルーしようよ。インターネットのやばいやつはスルーされるのが一番堪えるんだよ。インプレッションも再生回数も知名度もスルーすれば減るんだから。逆に怒って彼らの非常識っぷりを拡散したら、そんなのは彼らの思うつぼじゃん。そんな奴らが主役なインターネットはもういやなんです。お願いだからさぁ…!そんな奴らからインターネットを取り戻すためにさぁ!やばいやつのことかまってあげるのやめてさぁ!みんなでスルースキルを発揮しようよ!!!!
Universe25とかいう大昔の実験が話題になっている。水や食料が豊富な場所にマウスを放つと、繁栄するどころか争った末に社会性が失われて絶滅するというもので、
この結果が正しければ、進化論や利己的遺伝子論に対する世間一般の解釈も修正が必要になってしまうだろう。
そうなっていないのは、60年前の時点で少子高齢化が喫緊の課題になっていなかったことと、実験の確度についてあまり信用がなかったことが挙げられるが、
そもそも提唱者が示していたのは「生物個体の過密状態によって行動の崩壊が生じること」であり、水や食料が豊富=ユートピアというネーミングに関しては誤解があるものと思われる。
滅びゆく世界にもヒーローが現れたりはせず、ただ滅びゆくだけだというのは殆どの生物にとって常識だが、現生人類にとっては受け入れ難い。
ネット上でワンパンマンやフリーレンが人気を博したのは偶然ではなく、サイレントテロは彼らが思った以上に大成功する。
賽は投げられた?いやいや、もう決着はついてんだよ。
https://www.thesun.co.uk/fabulous/25057540/melissa-persling-never-married-kids-selfish-meaningless/
以下Google翻訳
なんてこった私はもうすぐ40歳ですが、子供が欲しかったことは一度もありませんでしたが、今では私の人生は空虚で無意味で、ただ利己的だと感じています – 私は「フェミニズム」のせいです
米国アイダホ州出身のメリッサ・パースリングは、過去 20 年間のほとんどを自分のキャリアに集中して過ごしました。
メリッサさん、若い頃に子供を持たなかったことを後悔していると語る
メリッサさんは22歳のときに幼なじみの恋人と結婚したが、8年後にお互いが望んでいることが違うことに気づき離婚したとBusiness Insiderに明かした。
彼は子供と妻のいる伝統的な家族を望んでいましたが、彼女はもう少し自立して仕事で優秀になることを望んでいました。
現在38歳のメリッサは、FOXニュースとのフォローアップインタビューで、 「利己的」で「フェミニズムに裏切られた」と感じていると語った。
「私にとって、それは間違いなく空虚で無意味に思え始めています。
「人生のこの時点で、それが幸せをもたらす人生ではないことに気づきました」と彼女はネットワークに語った。
「私はフェミニズムに信じられないほど裏切られたと感じています」と彼女は付け加えた。「フェミニズムを運動に載せたくないのは、あなたは自分で選択するものだと信じているからであり、人生のこの時点まで私がしてきたことはすべて私の選択でした。そしてそれは私にあります。
「しかし、私は女性が何でもできるという考えを常に植え付けられていました。実際には男性は必要ありません。
「私は、何人かの教師やコーチのところに戻って、こう言いたいです。『どういう意味ですか?だって、私たちにはすべてをやることができないからです。』
現在、メリッサさんは、自分の家族を築く「機会をすでに逃している」ことに「恐怖を感じている」と語った。
そしてそれだけではありません。彼女の話が広まって以来、メリッサはソーシャルメディア上で執拗に荒らされていると告白しました。
彼女は、自分が「ひどいこと」と言われていること、そして双方の人々が彼女のことを「愚かなフェミニスト」と呼んだり、彼女の混乱を嘲笑したりするなど、厳しい態度をとっているとなだめた。
メリッサさんは、自分がフェミニストであるとは「まったく」考えていないにもかかわらず、少なくとも部分的にはフェミニズムが自分の状況のせいだと考えている。
X(以前はTwitter)では、多くの人が後年も子供を持っていると指摘し、メリッサの立場に疑問を呈する人もいた。
「あなたはまだ30代です。フェミニズムが問題なのではありません。基本的な生物学の認識が欠如しているのです」と、ある人は書いた。
https://apieca.com/why-short-stature-is-low-income/497/#toc1
https://president.jp/articles/-/74294
https://toyokeizai.net/articles/-/86622
https://apieca.com/why-short-stature-is-low-income/497/#toc2
・身長を伸ばす手術は痛い上に高額
他にもあったら上げて欲しいが、人権がないとまで言われこれほどまでに差別されてる低身長男性についてほんの少しでもいいので思いを馳せて欲しい。