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はてなキーワード: 役割とは

2012-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20120221235031

大学の授業に出てないぼっち男子割と多いぞ

彼らが何をしてるかというと普段はバイトして一人暮らし生活費稼いで出席が

単位に影響する授業だけ出てテスト前になると

初対面だろうがなんだろうが拝み倒して前に座っていた人達ノート借りてた

ゼミでチームで何やこれやするときも、ガリ勉と組んでただ座っているだけ

プークスクスいうやつらは、友達3人揃って座っていても前に座っているだけでプークスクスいう

から

どうしてもその人たちと会うのがいやなら教授相談してゼミ変えてもらえばすむ話だと思うけど。

私なら勉強の成果をまとめるのはリア充に任せて、2~3回だけ勉強会に出て後はバイトかいって出なくて

勉強発表会の席にはちゃっかり座っとく。全面的に投げられたら、勉強会でほぼ勉強一人でやらされてリア充達は

ろくに役割分担はしてなかったことを教授さりげなく匂わせる

大学生ゼミでの勉強発表会なんて幼稚園の「お遊戯会」とそう変わらないから深刻に考えすぎ

教授もたいした期待はしてないよってもう遅いか

2012-02-21

大学就職予備校としての役割さえ果たせてないだろ

アホか

2012-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20120215104908

専業主婦は甘えた怠け者と叩かれる

これ男が始めたことじゃなくて

同じ女のフェミニストが始めたことだよね

「家にいてしっかり家のことやってくれる」のが理想の嫁として広いコンセンサスだったのに

女性の地位と権利の向上を謳うフェミニストがそのあたりを激しく攻撃した

専業主婦はクソだし女にそういう役割を望むのは自信の無いダメマザコン男」みたいにね





結局よほど仕事に余裕がある男じゃないと育児には大した参加できないし

そんな奴にチョコチョコ手を出されても邪魔なだけってのがはっきりしてきた

また大抵の男は育児が凄い下手ではっきり言って不向きだった

でも今は専業主婦育児に専念してると女からも男からもどことなく「寄生虫」みたいな目を向けられる

昔は子供産んで育ててるってことはもっと社会的な評価が高かったのに怠けたアホ女扱い





日本フェミニストはほんといい仕事したね

社会経験が積めない問題

ドイツって前は失業率高かったじゃん?

特に若年層失業者が高かった。

日本も若年層の失業率や非正規労働が今問題になっている。

若年層が単純労働などしかできず、社会経験が積めないままが年齢が上がっていくのが問題とも聞いた。

年齢が上がっても年齢相応の役割活躍できず、経済的に日本は衰退すると。

これってきっとドイツも同じ状態だったんじゃないの?

でも今ドイツは景気がいい。

景気さえ良くなればそういう若年層のスキルが積めない問題は吹き飛んじゃうってことな気がする。

卵が先か鶏が先かって問題なんだろうけど、どうなの?

2012-02-06

足手まといが欲しい

なんかここんとこ増田で、専業主婦の嫁が自炊に興味なくて困るとか鬱の嫁が休んでいてくれなくて困るとか読んでいた。

話に加わる気になれなかった。

なぜか。

私はとても羨ましいと感じていたからだ。

どちらの元増田も、きっと真面目に深刻に困っている。でも私は、それが羨ましい。

だって、君たちは守るものがある。頼ってくれるものがある。それは、君たちを強力に現世につなぎ止め、君たちを君たちの主観で強烈に承認するものだ。

君たちは勇者で主人公だ。君たちがいなければ、二人の専業主婦の命が危ない。それはセカイの危機だ。

そして、本来優秀な嫁が社会に再進出したり、鬱な嫁が寛解したりするのが君たちのストーリーで、嫁の役割はそれまでは穀潰しだったり等身大ドールだったりペットだったり病人だったりするわけさ。

ところが私は、大変に存在が軽い。唯一仕事だけで社会と繋がっていて、今の仕事に別の担当が就いたり会社が無くなったりしたら、財産が尽きて路頭に迷う前にまず自分存在意義が無くなる。「xx担当増田さん」でしかない直結した存在なのだ

私はこれが大層怖い。

勇者増田はきっと私みたいなのを見ると苦労を知らない癖に馬鹿なことを言っていると思うだろう。確かにそうなのかも知れない。

でも私は、今の身軽すぎる自分が恐ろしい。

から今すぐにでも、足手まといが、欲しいのだ。

2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120204122245

「『家庭』の価値アウトソーシングできる」と思える人は、結婚なんてしなくていいんでないの?というツッコミにどう答えるの、ってことじゃないの。

まあ、

結婚には(世間の思う)100とかましてプライスレス価値なんてないよ、30くらいしかないよ、でも30は得だからすればいいよ、でも所詮30だから、得るも捨てるもこだわる必要なんてないよ

と言いたいのだろうとは思うけど

結婚プライスレスどころか100の価値もなくて、他でも得られる30程度の価値がないなら、何も苦労して結婚なんてしたくないなあ

という意見との違いは、結婚を「得るも捨てるも(簡単に)できるもの」という風に捉えるか「苦労してするもの」と捉えるかが違っているだけであってさ。




要するに、まだ余裕のある(手前の方の)アラサー女子非モテでは前提が違うということでないの。どっちがどう、つーんではなくて。




ついでに「どっちがどう」の話もしておくと、個人的には、「ものごとの面白さを味わう力のない人」に「面白いものはいわゆる「豚に真珠」だと思ってるので、気の毒だが、結婚に向いてない人・結婚面白さが分からない人・面白さを味わう力がそもそもない人なんかは、別に最初から結婚なんてしなくていいよ、むしろ、真面目に結婚をしたい人から見れば迷惑から手を出すなよ、としか思わない。勝間にそんなこと言われないと結婚する気もおきないなら、結婚なんてやめとけば?

ただ、社会的にはそういう人を少しでも上手に煽って次世代を再生産させないと困るから、いろいろ煽る人がいて、その意味勝間にも重要役割はあるんだろうなあ、とは思うけどさ。

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131203655

わからんけど、グラヒクスと音声は リップシンクがあるから必ずしも別じゃないし

そもそも、音声を鳴らすチップ自体が独立したコアみたいなもんだからなぁ・・・

ネットワークチップだって独立したチップのやつは 別のコアみたいなもんだぜ?

 

話はずれたけど、まともなマルチコア向けプログラムを書くとなると、いわゆる1スレッド役割みたいな処理は欠かずに

タスクシステムとか、スレッド役割分担システムみたいなもの自分書き下ろして、いわゆるマルチファイバーというか、マルチタスク的なシステム

組んでいくから、(マルチタスクを自前で組むことが必ずしも高速化ではなくて、いくつもノウハウがあるけど) あまりセマフォというかミューテックス意識することは少ないよ?

たとえば、ちょっと違うけど 通信が一万本合ったら、1万スレッド起こすのか?起こさないというのと同じかなぁ。

 

逆に言うと1つのタスク中に入りと出以外に何箇所もロックしたり、開放したりするシステムコンテキストスイッチの考え方からまりよくない。

リソースになるべく触らない、触ったらローカルメモリーに移しておく、なるべく長い時間つのスレッドを走らせる。リソースに触るときは処理終了して次のタスクにしてしまう。

などなど、そんな感じ。 スレッド役割を振り分ける というよりは、タスクで回していくという感じ。

もちろん、長々走るものもあるだろうけど。

逆にタイマー以外のタスクがなくなったら、眠って電力消費抑えたり。

2012-01-30

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1201/26/news045_2.html

もし仮に、『娯楽や情報への主要な情報源としてのテレビ役割』が なくなり インターネットシフトする。

のならば、すくなくとも NHK は 規模縮小して 解体してもいいよね。

NHKのために国民がいるのではなく、国民のためにNHKがあるのだし、営利企業でもないのだから

民間がいらないといえば、テレビ分野の規模縮小も時代の流れ。 テレビの影響力を維持する必要性が唯一無いのがNHK

インターネットシフトすれば良かろう。

NHK-インターネットは 当面は別会社として同じNHK法の下でやっていけばいいんじゃない。とか思う。別会社化は必要だと思う。(NTT東西DoCoMoみたいに)

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。



村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。



といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」



実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。



彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。



この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。



驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。



「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事



村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。



2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である



車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。



村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。



こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。



こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。



世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2012-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20120122001645

役割なくてふわふわしてるキャラが大半だしなあのアニメ

今石は自分監督としての適性や個性を見極めて次にPSG作ったと思う。

2012-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20120121222905

オレもさ。なんであんなにキャラとか、世界観とかに固執するのかあんまり分かんないんだよね。

でもアイドルが好きとか、この音楽家が好きとか、そういうのに熱中するのと同義だと思うし、

結局のところその人の価値観ってだけなんだろうね。

ちょっと愛し方が変わってるというか。

漫画映画も、全部暇つぶしだと思ってるよ。

だって、食うに困る人は必死になって現実と向き合って、出来うる限り働いたりするわけだし。

金もなくて時間もなければいらないんじゃなかろうか。

あ、でもトキワ荘時代ぐらいのころは、主に子供たちが夢を見るために読みあさってたんだよね。

時と時代によって役割は変わってしまうのかもしれない。

2012-01-21

右手を上げても治療を中断するとは一言も言っていない





ある、歯科医院での場面。






あなたの都合で止めるとは一言も言っていない


痛かったら手を上げて教えてくださいね



手を上げたら小休止しまから



とは、一言も言っていない。

勝手患者側が思い込んでいるだけ。





患者様だぞ!!



これは、「患者大事に扱われるべきだ」という

患者側の権利意識、簡単に言えば大柄な態度と心理が関係しているのだと思う。

歯科医師も衛生士さんも、一言も「痛い=あなたの都合で、治療を止めます」とは発言していない。



教えたからって休止するとは一言も言っていない。

どこまで炎症が進んでいるかとか痛みがどのくらいの深さとか知りたい。


あくまで治療ベース治療に必要な情報であって

患者の心性や感じ方を知りたいわけではない。

あくまで、口腔の状態を知りたいのだ。






■逆誘導尋問


誘導尋問

間違った前提を気づかせない質問。


そして人は時に、

自分自身に誘導尋問的な事を行っている。


ようするに自分勝手に、都合よく解釈する。

見たい事実しか信じない。

自分大事にされるべき患者だ、という間違った前提を持っているか

痛い→不快→尊重してもらえる→小休止すべき、というイラショナルビリーフになる。






■プチ処方箋

こういった

晒し者にならないためには

人間自己中心的に考える生き物なんだ」と言う前提に立って、

相手の役割立場で物事を考える能力が必要なのではないか






□おまけ




歯周病にかかっていると早産のリスクが高まる。


歯周病菌は女性ホルモン栄養源として好み、女性ホルモンが大量に分泌されると

簡単に増殖します。












「歯が無い人が認知症になる危険性は、歯がそろっている人の約2倍。」

2012-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20120120165249

まあ本人に真面目さや必死さが足りないって言うのはその通りだけど

昔はそういうのでもいい歳になると適当に相手見繕って世話焼いてくれたんでしょ?

結婚後のいざこざとかも仲裁アドバイスしてくれて。

いいよねそういうの。

昔は暇で世話好きなおばちゃんがその役割をしていたんだろう。

見合いの減少は、そういったおばちゃんの減少の影響もあるのだろう。

若者プライバシーを重視するようになり、おばちゃんの干渉を「ウザい」と拒否する例が増えた。

・夫の収入の悪化でパートなどの労働に出なくてはならなくなり、若者に構う暇が無くなった。

・夫の収入に余裕があっても、若者に構ってウザがられるより余った時間お小遣い稼ぎをして、

 自分たちの暮らしを良くする方がよっぽど良いじゃないかと思うようになった。

・仲を取り持った結婚が失敗し、結局離婚してしまった場合、人から恨まれるリスクがあることに気付いた。

 

なんで必ずハイテンション恋愛とかしないといけないの。

そんな向き不向きが大きいもの必須関門として課すから

非婚化が進んだんじゃないの。

仲人結婚責任の引き受けを拒否することで、結婚した当人が結婚によるトラブル等の責任を負わなくてはならなくなる。

そうなると結婚は重責と苦痛しか感じないものになってしまう。

恋愛によってつくられる楽しい思い出は、結婚後の重責に苦しむ当人たちに癒しや救いを与える。

子供を預けて恋人時代のようにデートをし若い頃を思い出すことは、重責による夫婦関係破綻回避に役立つ。

 

恋愛は要らない、結婚だけしたい」という人間結婚するのは避けた方が賢明だと思う。

彼・彼女らと結婚しても、

ATM

産む機械

無料家政婦

無料介護

といった、自分の欲求を満たすツールとして「しか」見てもらえないからだ。

もちろん、夫婦生活を維持する上で、お互いが一定以上の有益さ・機能性を維持するのは必要なことだ。

ただそれらの働きに対する「感謝」や「愛情」を受けられず、機械的に使役され続けると大抵の人間の心は壊れる。

壊れない自信がある人なら是非高機能なツールになることを目指し、同じく壊れない自信のある異性の高機能ツールを探して結婚すればいいと思う。

 

結婚は要らない、恋愛だけしたい」という人間もまた、性処理(男の場合)や、従属的なチヤホヤお姫様扱い(女の場合しか求めていないので気を付けた方が良いだろう。

恋愛と、その先にある結婚」を望んでいる人間けが結婚に向いている。

2012-01-19

奥さんは切れてるわけじゃなく

http://anond.hatelabo.jp/20120119004000

真剣子供と向き合って、真面目に注意しているだけ。自分感情を包み隠さず。

でも、学童期になると、そうはいかない。何せ、学校で話される言葉の9割は「これがこうしてこうなったからこうなる」といった理詰めの話。だから、これから3歳、4歳と年齢が上がるにつれて、「理詰めで話す」ことにも慣れさせていかなくてはならない。でないと、小学校に入ったとたんに「先生、何言ってるのか、わかんないよー。わあああん」となる。

まり、3歳までは感情に訴えて、3歳過ぎた(幼稚園に入るころね)ら、理詰めの話を織りまぜていく。

元増田の子育ては、これから

奥さんが感情を教えたのなら、元増田理屈を教えよう。

それが役割分担ってやつだ。がんば。

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118133033

多分、元増田さんとは違う人だと思うんだけれど。

郊外の(田舎の)人でも「まったりのほほん」してますよ。

ただ、そういう役割薬剤師には期待されている(できなければならない)って話で。

安くなるなら、そういう事を期待されない(同時服用で生じる危険や、強い薬の副作用などの知識も含め必要とされない)別の職種で呼べばいいだけの話。

「薬を売ることに対しての責任」が求められているわけだから、「田舎が」とかそういう話ではないですよ。

2012-01-17

株式会社KNDとの癒着認める】はちま起稿が特定され黒い関係が明らかに★98【閉鎖するまで許さない】

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1326774714/

306 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:26:19.67 ID:5lvh7Q8A0

今回の騒動に関して、俺も予想外に面白い事態になってきたので

金の亡者にならずに済んだ立場の俺が知ってる限りのことを吐いてみようと思う

ただし、詳しく言い過ぎると俺自身が怖い目にあうかもしれないのでフェイクはあるけど

とりあえず参考程度に聞いてもらえると助かる

 今起きていることをこっそりネタばらしすると

大手アニメゲーム・その他娯楽産業といった広告に力を入れている企業が2009年頃から目をつけたのが、”口コミによるなりすまし宣伝”。

この手法自体は昔からあるもので、別に珍しいものではなかったんだけどね。ただ、2chっていう匿名で誰でも書きこめて、しかテレビCMや評価サイトよりも辛口で率直な意見が多く、表というよりは裏の”信頼あるサイトであることは間違いなかった。

 そこで、この効果を更に高めるためにある方法が提案された。この時期から急激にコピペブログというものが増えだしたのはこれが理由。

それまでも面白コピペちょっとした抽出レスを紹介するブログはあったけどスレタイを乗せて、まるまる流れを紹介するっていうのが急激に増えたのは

それ自体が”世論操作の為にテレビで流されるニュース”と同じ役割を担うことが出来ると期待されたから。

 で、この時に企業の息のかかったコピペブログと、個人で趣味でやってるコピペブログが混在してカオスな時期があった。そこで、そういうブログを一掃したことがあった。

まり表立った話題にはならなかったけどね。傍から見ればどれがそうなのか分からないし。

 後に残ったブログが次に始めたのが、最初に述べた企業の関連商品の宣伝。1年近くかけて、やっと準備が整ったという訳。

これと同時進行で、ゲハニュー速を中心に対立スレ・アンケスレ煽りスレ、そういったもの中小IT広告系の企業がこっそりレスを増やすようになった。多分割合は2割ぐらいがサクラ、8割が住人。

これはすごく効果が高くて、あっという間につい最近までのν速の流れを作る礎になったのは事実だと思う。

 長いから次に続く

308 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [sage] 投稿日:2012/01/17(火) 20:32:51.46 ID:5lvh7Q8A0

よく見たら自分の書き込みに日本語おかしい部分があるけど

ちょっと興奮気味で書いてるからそこは容赦してほしい。で、続き

 そして最近嫌儲移転騒動や、他サイトステマ発覚っていうのは、企業にとって数年がかりの準備や積み上げてきたものが全て台無しになろうとしている緊急事態。

長年作り続けたネット上の意見の流れみたいなものが、現実の身近な生活にまで影響し始めようとして、良い感じだったところに、ほんとに偶然この騒動が始まったから本当に慌ててる。

 今までの祭りと違うのは、企業としては3~4年、下手したら5年ぐらいかけて作ってきた構造が、たかだか一介の祭りと同じように壊されようとしていること。

転載することが前提のコピペブログ

・何も疑うことなく話題に乗ってくれる多数の利用者

この2つが、まぁ今流行りの効いてる効いてるw煽りとかアドクリ頼むわーといった

荒らしで完全に機能しなくなっていること。加えて

転載不可の板への大量移住

ステマvs利用者という、一番あってほしくない対立構造

によって、決定的な打撃となっている。それを解消するには

転載可の板へ戻すこと

・利用者vs利用者の対立構造シフトチェンジさせ、目眩ましすること

これが早急な問題解決策になっている。

何が言いたいかと言うと、俺は祭りを楽しみたい。

少なくともこの祭りで職を失う奴も、路頭に迷う奴も出てくる。

高見の見物と言っちゃあなんだが、俺は知らんこっちゃ無い。もっと盛り上がってくれればそれで多いに結構

長文すまん

2012-01-16

「偉い」のは「嫌な事を我慢してやっている」からだよ

http://togetter.com/li/241932

日本男性場合(略)共働き母なら当然の家事育児の2割程度やるだけでも、父親は絶賛されるのはなぜか。

ひとつの推測に「性別役割分担を超えて頑張っているから」というのがある。男性は本来、家の中のことはしないのに、やっているだけで偉い、と。

ならば逆はどうか。女性は本来、家の外で働かないのに、仕事をしていて偉い、と言われるか。(略)

多くの働く母たちは、「母親は家にいるべき」的な考えを押し付けられ「稼いで偉いね」なんて言われることは、まず、ない。

ズレている。

何故なら、専業主婦である私も「家事育児を頑張っていて偉いね」と時々褒められるからだ。

(但し褒めるのは中年~年配女性だけで、若い女性男性から褒められる事は無い)



家事育児=皆やりたくない、嫌なこと」「仕事=皆がやりたがること」であると言う認識があるから

(勿論これは一般論であって、個々で見れば家事育児をやりたがる人も仕事をやりたがらない人も居るだろうけど)

「嫌なこと」をやっている人は褒められて、「皆がやりたがること」をやっている人は褒められない。ただそれだけだよ。

「性別役割分担を超えて」だの「母親は家にいるべき」だのは関係ない。

「嫌なことを我慢してやっている人は偉くて(それ本当に「偉い」のか?と言う突っ込みは置いておく)、

皆がやりたがることをやっている人は別に偉くない」だけだ。

私が中年~年配女性からだけ褒められるのも、中年~年配女性の多くは自分も嫌々家事育児をやっているから他人も同じだと思うんだろう。

若い女性の多くはろくに家事をやっていない&勿論育児もやっていないから、それが「嫌なこと」であると言う認識がまだ無いし、

男性は「女性家事育児を嫌々やっている」と言う発想が無いんだろう。



働く母も、皆がやりたがらないような仕事をしている人であれば褒められるよ。

この人結構キャリアウーマンだし、自分は勿論周りにもそういう仕事をしている女性が居ないんだろう。

皆がやりたがるような仕事をしている人が「偉い」と言われないのは当たり前だ。男性だって言われないわな。「凄い」はあっても。

2012-01-13

リーダー恐怖症

私は今とあるプロジェクトリーダーをしているが、それを降りようかどうか悩んでいる。



発端は、先日の会議の後にとある個人から苦情を受けた事。



その内容は彼の私情もかなり入っていたのは承知で、その個人中傷に近い内容がまさに的確だったのが心に来た。

実は、一昨年リーダーをまかされた案件で、半ば失敗の形となってしまったものがあり、

その失敗がわかる前後によく指摘された事と今回彼に言われた事とがほとんど一致していたのだ。

ちなみに、その彼は去年に参加したメンバーの為、この事を知らない、はずなのにだ。




前回、失敗した案件について本当ならば何かしろペナルティを受ける所なのだろうが、

運良く(?)いろんなものが飛び込んできたおかげで、なぁなぁになってしま現在に至ってしまっている。

しかし、これは本当にラッキーだった。)だから、そのとき反省できなかったというのは、いいわけだろうか。




自己分析をすると、「リーダーに向いてない」ということなんだと思う。



具体的には、TOPを任されると、自分が動きすぎてしまったり、他人に対しては横暴になりすぎてしまう。

よって信頼されないタイプ人間に成り果ててしまっている———ということだ。



ただそれでも着実に仕事を覚えて、動いて、今の地位を得た。それはかけがえのない事実

しかし、現実問題として「リーダー」という役割ができないのだ。

ほんのちょっと前ならば、仕事をもらえるのであればどんな些細な仕事でも飛びついた。

そしてそれでそこそこの結果を残した。しかし、よくよく考えてみると、同期との距離はいつまでたっても縮まなかった。

それは決して仲が悪い訳ではない、しかし今でも対人すると仰々しかったり、ビジネスな話しかしない。

たぶんそれは、最初にあった時にあった壁は未だにそのままだからなのだろう。




周りを見渡すと、ふと「リーダー」という役職が恐ろしく見えてきてしまった。



私は、コミュ障人間が無理をしすぎた典型例かもしれない。




今回、彼の発言を乗り越えてまでこのプロジェクトを完遂する自信がなくなってしまった。



まだ企画段階だから、体よく他人に回す事も不可能ではない。



実は自分は打たれ弱い人間だという事に気がつく、同時に決めた事はやろうとする頑固な人間だとも。

からマイナス思考に行き着くと、それがプラスに行かずそのままガラガラ音を立てて堕ちてしまう、ああ駄目だなぁ。

幸福の科学モンハンに似ている

「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。

貧乏性から読んでみたけど中身スッカスカやなぁという感じ。

ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。



幸福の科学モンハンと似ている

彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。

というか、そもそも自分宗教団体に属しているという認識が薄いようです。

あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。

それよりも、ボランティア組織などがすごいらしく、

彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学グループだった、とかその程度らしいです。

社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。

自分の中でのイメージは、「幸福の科学は、モンハン」です。

そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。




以下「救世の法」から面白げなところピックアップ別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ



幸福の科学宗教争いの勝者である

世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました

幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています

世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。


幸福の科学が前提とする真理

人間本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります

 しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます

人生を生きるにあたっては善悪なるものがある。

 地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。



なぜ宗教は必要なのか

上記の真理に反すると地獄に落ちてしまます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。

霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。



エル・カンターレってなんぞや?

エル・カンターレ世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。

魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドブッダを越える大きな使命を持っています

そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。

私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。

なぜなら、私は創造そのものからです。私はこの地球創造力の顕現であり、この大宇宙創造力なのです。

これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。

クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。




真理を多くの人に広めるにはマーケティング意識する必要がある

他力信仰を説かない宗教は、あまり大きくならない。

他力の宗教マーケットは自力の宗教十倍あると言われています

わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります



なぜ政治活動を開始したのか

2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。

この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります

この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。

店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています



地球温暖化の原因

本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。

地球はやがてフォトンベルトからます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います

むしろフォトンベルト地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。



子ども手当を支給するよりも大川隆法の本を支給すべき

国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります

本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、

これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。

今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく



どうして幸福の科学を信じる必要があるのか

日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。

アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。

こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています



幸福の科学には他の宗派にはない救いの力がある

漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。

しか幸福の科学経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます



親鸞の教えに詳しい人ちょっと来い

信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。

わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります

また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。

死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分存在しないのですから何の損もないでしょう?

わたしの言葉を信じる人の場合あの世があるとき利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。

親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。

そして、わたしと一緒に地獄修行しましょう。


今は地球レベルの教えが説かれなければならない時代

幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。



慈悲こそが未来キーワード

慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。

運命は自らの力と努力によって創りだすことができます

ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。

そして平和を愛し、平和な人々を愛して下さい。

他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。

そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。

そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。

慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。

そのために人はみな修行をする必要が有るのです。



第三章から五章がおもしろすぎて生きるのが辛い

さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。

インド中国日本アジア三国志

ミハエルムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。

九次元霊マニがゾロアスターアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。

霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本から松下幸之助坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!

争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。


読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め





おまけ

幸福の科学グループのご案内。

基本理念三本柱。 愛・悟りユートピア建設

主な活動は以下のとおり

海外支援・災害支援」

自殺者を減らそうキャンペーン

「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア

学校法人 幸福の科学学園滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。

仏法真理塾 サクセスNo1」

不登校児支援スクール ネバーマインド

いじめからこどもを守ろう!ネットワーク

幸福実現党」で政治活動

幸福の科学出版

入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。

さらに信仰を深めたい人は三帰誓願式を受けることができます

月刊会員として「植福の会」に参加できます一口1000円からお布施をすることができます

2012-01-09

慰安婦問題

  • 慰安所の背景

占領下における兵士レイプ問題への対策として慰安所を設けるという考え方。

レイプ軍規違反だが、(所属した隊の気風にもよるが)多発していた。

戦闘活動などで、危機にさらされる状態が続くと、人によっては性欲が高まるのだろう。

日本側も敗戦後、大陸に居た日本人ロシアから国内ではアメリカから

広範な規模でレイプ被害をうけている。


売春業を選択した人間プロ売春婦)

・身内に売れらた人間(当時の時代背景においてはめずらしくない)

・ブローカーに騙された者

・完全に占領下におかれた際に、兵士にみつくろわれ、ブローカーに引き渡された例


強制性を訴える者においても、親による児童売買、ブローカによる騙しがその大半。

軍の方針としての強制連行存在しなかったが、個々の兵士

完全に占領下におかれた地で、村の娘を連れて行くような行為はあった。

兵士が関与している例は、軍全体の規模ではなく、あくまで兵士個人の腐敗だったと言える。


悪質な業者の取締りは一部に留まり、このように、手段を問わず女をかき集めて成り立っていた

慰安所の実態は黙認されていた。

(袖の下を受け取って見逃す図式は 現代の性産業警察の関係と一緒)


余談ですが、

行為に不適切な生理前の小学生程度の子供を使っている慰安所を黙認し

通っていた兵士達は、真性のロリコン下衆野郎でしょう。

原発やくざがピンはねするように)当然、給与のピンはねもありました。

酷い事例だと12才で連れて行かれて昼夜を問わないレイプ下におかれた上に

ブローカーに中抜きされて、手元にお金は届いていなかったという例もあります


軍人には尊敬できる方もたくさんいたはずなのに、

そのように占領側としての立場を使って、幼女に性行為を働き、悪質なブローカーから

リベートを受け取って見逃してきた人間糾弾されるべきでしょう。

占領下のレイプを防ぐために慰安所を半公認で許すというアイディアは間違ってないと思います

ですが悪質なブローカーをコントロールできず、プロ大人の女性による淫売業だけにできず

結果として、“性奴隷=慰安所=日本軍”という最悪のイメージを流布することに

なってしまったのです。

その質を管理できないのであれば、慰安所を認可するべきではなかった。

管理面における政策的失敗なのです。(戦争中という危機下で手が回らなかったとも言えますが…)


韓国中国の方々は、自国のブローカーが果たした役割認識し、そのような経路で財を獲得した人間を、

徹底して糾弾すべきですし、ひいては現在国内がかかえる人身売買の問題撲滅の契機とするべきです。


日本国内でも、<軍規にそむいたレイプ>や、幼女慰安婦の黙認、袖の下をうけとり悪質業者を黙認した等

慰安所のうまみをなめた人間を裁いてほしいと思います。(もうほとんど死んでるでしょうが


問題の所在をあいまいにしたまま、なあなあでごまかそうとしてきたために、

当時を知っており、責任の一端を担う人々がほとんど生き残っていないということが

もはや解決を限りなく不可能にしてきたのですね。



ちなみに、日本慰安婦裁判支援の、もっとも最悪な点は

売春婦に自発的になりたいと思う人間はいない。それは貧しさや女性差別を背景にしたもので本人の責任ではないのだから、元売春業の女も、占領下の村で兵士によってブローカーにひきわたされた幼ない少女も、平等補償をうけるべきだ。」などという詭弁を弄してきたことだと思います


日本政府を責めることにばかり時間をさき、個々の兵士の腐敗の問題、

悪質なブローカーの実態から目をそむけてきたように感じます

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2012-01-06

韓流ドラマを認めることは現代の「悪貨は良貨を駆逐する」である

韓流ドラマコストの割に視聴率(リターン)が~という言説を信じるとして、

これって諺「悪貨は良貨を駆逐する」の現代版なんだな。

悪貨だって、素材自身の価値が低いから悪貨と言われるけれど、

通貨としての価値保証されているから、そういう意味では価値がある。

まり

百円という額面>良貨:素材の価値95円>悪貨:素材の価値50円なんだけど、

良貨も悪貨も百円として通用するから余裕のある人が良貨を溜め込んでしまうわけだ。

良貨:日本ドラマの良質なものと悪貨:韓流ドラマでそれなりのものと当てはめると、

余裕のある人、つまり優れたドラマと見る目のある人は裏番組を見るか別のことをする、

余裕のない人、つまりドラマの善し悪しがわからない人と少数の好みに合った人が韓流ドラマを見る。

そして社会、すなわち番組から良貨は駆逐され、悪貨が居座る。

悪貨:韓流ドラマだって放送枠ふさぎの役割果たしているし、

額面:建前は担っている、

だもんね。

現実問題、経済で「悪貨は良貨を駆逐する」状態になっても、鎖国してれば経済は廻るわな。

それしかないんだもの

2012-01-04

インターネット

原文:The Un-Internet by Dave Winer



この世界無限ループに陥っている。



こう書くのは初めてじゃない……

って、だからこそ無限ループなんだけれども。

毎回全部書き下ろす必要はないわけで、

もはや様式美になってきた感がある。



何回繰りかえしたかとかは置いておいて、

さあ、もう一回はじめようか。



問題は「コントロール」、これに尽きる。



どういうわけか、IT企業の重役はこれを欲しがるんだけれども、

最後コントロールを手にするのは、いつもユーザーだ。



1994年、この繰り返す世界年代記を書き始めたばかりの私はこう言った

「私たちよりもユーザーがまた一枚上手だった。

 この業界ではだいたい15年周期くらいでこういうことが起こる。

 私たちが足元を見失って、ユーザーが反乱して、新しいソフトウェアビジネス降臨する。」



そこではこうも言っている。

ユーザーは一度コントロールを手にしたら、二度と返してくれない」。



御存じの通り、いまそれがTwitterコミュニティで起こっている。

そして次はTumblrコミュニティで。



コントロールを欲しがるというのは、別にあいった企業の重役の倫理観のせいじゃない。

短期的にはそれが最善のやりかただからだ。

ありうる道は、ユーザー手綱をうまくかけられるか、競争に負けるかしかない。

IT業界法則が書き換えられない限りはそうであって、

法則はそうそう書き換えられない。



若いころの起業家としての私であれば、そのくらいのことはわかっていたんだろうと言われるかもしれないけれども、そうじゃなかった。

自分たちのソフトウェア海賊版を作られることが、怖かった。

簡単にコピーできるものをどうやって商売にしていいか、分からなかった。

から、詳しくない人にはコピーできないようにするためのコントロール方法を編み出した。

すると、私たちのソフトウェアコピーするためのソフトウェア市場ができあがった。

けっきょくの問題は、ユーザーは私たちの意図に反することをやろうとする人なのかどうか、ということだった。

ユーザーの皆さんは誇りのある人たちだった。

から私もするだろうことをした。

私たちの製品使うのをやめたユーザーたちから

200ドルはするそのディスクをハサミで真っ二つにしたものを入れた封筒が、次々に送られてきた。

手紙意図するところは明らかだった。

ある日、ユーザー全員がコピープロテクションを外したのだ。

そうやって欲しいものを手に入れた。

私はようやく、いつもこうなるんだということを思い知らされた。



訳注:原文初版ではここにミッキーマウス画像



今回は、Appleユーザーコントロールしようとする勢力の親分だ。

ユーザーを守るというAppleの説明は、ある程度までは正しい。

iPadソフトウェアダウンロードするとき、害が起こさないということはかなりの程度、信頼できる。

危険な奴らから私のコンピュータを守ってくれる。

そこまでで済むんだったら、私は何も言わない。

ももちろん、そこまででは済まない

済むはずがない。

相手には、どのソフトウェア自分プラットフォームで出まわってもいいかを決める権力がある。

そうなれば、言論も規制されるのは避けようがない。

その意味で、iPadプラットフォームディズニーランドのようなものじゃないだろうか。

ディズニーランドPixar映画にないようなものは、そこにもない。



悲しいのは、Appleが若い世代に対する悪い見本になってしまっていることだ。

若い世代というのは、Appleみたいに「ユーザーエクスペリエンス」をコントロールしたがってそうな、

TwitterTumblrといった、比較的小さな会社のことだ。

彼らは、自由市場の不確実さよりも自分たちの品質管理のセンスのほうが優れていると思っている。

から同じようなコントロールを掛ける。

Twitterでは、Twitterパートナーとして指定したところのコンテンツしか表示できない。

どうやったらパートナーになれるかは、誰にもわからない。

誰にも見えないようにされている。



Tumblrあるブラウザアドオンおすすめしないと言い出した。

これを問題にするのはきっと、それなりの数のユーザーが使いたがったからこそだろう。

この決定は開発者だけじゃなくてユーザーまでも巻き込むことになる。

ユーザー「教育」しなければならなくなる、というのが問題だと彼らは認めた

あれ? これって聞き覚えがあるような………

ということで、最後には逆の結果に落ち着くだろう。

そうならなきゃならない、

ということを、インターネットが教えてくれた。



私がインターネットに初めて触れたのは大学院生ときのこと。

1970年代、それはまだインターネットとは呼ばれていなかった。

その単純さと、コントロールされていないところが好きだった。

あれを載せてはいけない、これは載せてもいい、と命令する人はいなかった。

門番はいなかった。

インターネットが育った周りの環境、つまりメインフレーム世界では、壁はものすごく大きかった。

個人はコンピュータを持てない。

使いたければ企業はいるか、大学に行くかしかなかった。



それからループが回るたび、IT業界が持ってくるコントロールを解毒するというのが、インターネット役割だった。

IT業界は毎回、理由とそれなりの妥当性を提示した。

アクセスできる人を無闇に増やせば悪夢が起こる、と。

でも最後には、私たちは壁を乗り越える。

そうするとまた次の壁がやってくる。

成り上がったプラットフォームが数の力で支配しようとする。

そしてまた、おなじ過ちを犯す。



これはインターネットと反インターネットの勝負だ。

そして、おそらくいつも、インターネットが勝つ。

2012-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20120101191355

確かに。

プロも「家政婦」は女性だけど、「庭師」つったら男性イメージだよなあ。



サザエさん見てると、カツオが悪さした時に叱るのは波平役割だしね。

大昔はそういう風潮があったのが、高度成長期に「家の事は(子供の事含めて)全て女性仕事」となったんだろうか。

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