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moondriver moondriver anime, オタク, 考察 "七話をきっかけにバーディの話が出るようになった" グレンラガン4話と同じでもはや(製作者側が)「電波ソング」みたいな扱いで「作画崩壊」を投入してるんじゃないの?という気さえする 2009/04/08 Add Star
グレンラガンの4話に関しては目的ははっきりしているでしょう。それは「金田伊功回」を擬似的に作り上げる事。
グレン企画当初のテーマとして「ロボットアニメの歴史の総括」があり、今石監督の原体験からして金田伊功の存在は外せなかったのは当然の事と思われます。
かつて金田氏が一話だけ現れて、全ての原画をやって大暴れして去っていったあのアニメ「ずっこけナイトドンデラマンチャ」第6話「ドンはカウボーイ」のように、もしくは「無敵鋼人ダイターン3」第22話「スターの中のスター」のように。それを自分の監督作で再現してやりたいと今石氏が夢想するのは想像するに難くないでしょう
そして誰がそれをやるのかについても拘ったはずです。「金田的であるか否か」という点を重視し、ただの「金田モドキ的作画」だけの回にはしたくなかったと推測します。
かつては今石氏も他人のアニメでそれを何度も実行してきました、「ミクロマン」第26話、「メダロット」第14話等がそれに該当します。しかしそれは「金田モドキ」回としては上等だったとしても、「金田伊功」回には成り得ませんでした。なぜなら今石洋之は金田伊功じゃないからです。
ただ、モドキ作画を繰り出すだけでは「金田回」にはならない。そうなれば、「どうすれば出来るか」ではなく、「誰がやるべきか」と考えたのではないでしょうか。上辺だけでなく、潜在的な意味での「金田伊功」に近い人間。
その結果、白羽の矢が立ったのは小林治氏です。何故ならば小林氏は「金田伊功ファンクラブ初代会長」だったからです。
このスタッフィングに異論は当然あるでしょう。もっと金田氏に限りなく近い人間は他にもいるだろうと皆さん思ったに違いありません。
ゲームムービーで一緒に仕事した関係とはいえ、まさか当時ゲーム会社所属の金田氏本人にやってもらうのは今石氏では難しいでしょうし、何かそれはそれで本末転倒な気もします。
今石監督の人脈の中で誰が一番適任者だったか、普通に描ける人では駄目なのです、異能者でなければいけないのです。その結果、小林治氏が抜擢された。何度も言いますが何故なら「金田伊功ファンクラブ初代会長」だったからです。
4話のスタッフをこの組み合わせでやれた時点で、おそらく今石監督は満足いったのだろう想像します。小林氏ならばグレンラガンをメチャメチャにしてくれる。それでもって「金田伊功」回の再現とするのだと。
結果ではなく過程が全て、それが天元突破グレンラガン第4話「顔が多けりゃ偉いのか?」だったのです。
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続く第8話では渡部圭祐氏にその役割を担わせたことが伺えます。
本編中で一番盛り上がる所を、金田系正統後継者(今石監督の私見)に任せてドラマを盛り上げるのに一役買ってもらう。
これはどうみても劇場版銀河鉄道999や幻魔大戦などにおけるスペシャルアニメーター金田伊功ポジションの再現です。
つまりドンデラマンチャの時の「暴走アニメーター金田伊功」を小林治氏に、
幻魔大戦などの「スペシャルアニメーター金田伊功」を渡部圭祐にそれぞれ託したのではないでしょうか。
■参考
今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!
第4話 顔が多けりゃ偉いのか?
http://www.style.fm/as/13_special/mini_080109a.shtml
今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!
第8話 あばよ、ダチ公
アベノミクス批判してる人の中には、しっかりした傾聴すべき意見も勿論多いが、一方であまりにも経済というものを理解してないものも散見されるような気がする。
理系の高学歴の人であっても、そういうのは学ぶ機会が無いからなあ…
例えば、
「誰かが得をしてるということは、誰かが損をしてるということなのです」
という言葉をよく聞く。
質量保存の法則のように、社会の富(価値)は一定であり、所詮は経済なんてゼロサムゲームである筈だ、という前提による世界観なんだけど、基本的にこれは正しくない。
なぜなら、(人間にとっての)「価値あるもの」は人間の活動(労働)によって作り出すことが可能だからだ。
そして、人間による価値創造活動を促すのが、経済(お金)の役割であり、経済活動がうまく回れば、社会全体が持つ全体価値は増えていくのだ。
「景気が良い」というのは、基本的に、全ての人間が得をする状態なのである。
それでも「それは日本国内(円経済圏)だけが得をするという意味だろう?」と考えて「日本の好況は世界の迷惑」だと思いこんでるような左翼も稀にいるようだがそれも違う。
何度も言うが全体としては、経済をエンジンに人類が労働によって価値あるものを生み出していくのだから、いずれその価値は国から湧き出でて、世界に恩恵をもたらすのである。
他には、「こんなのはバブルに過ぎない」と否定する向きもある。
バブルというのは、実体経済とマネーゲームによる経済が乖離した状態を指す。
これは確かに警戒せねばならない。マネーゲームは生産活動を促さない。まさに資本主義の罠である(必要悪なんだけど)。
そこで、市場に余ったカネがマネーゲームに流れすぎないようにするにはどうすればいいか。
実体(実労働)を要求する「仕事」を作り上げることで、そこに重要を引き起こし、「実体経済にお金が必要」な状況を作り出してやるのである。
そのためには、その「仕事」は、大量の材料・労働力・技術革新を要求し、さらに続く需要への連鎖性が高いものでなければならない。
よって経済対策を目的とした財政出動の対象は、そういった需要の連鎖性"だけ"を選定基準にするべきである。
2013年4月26日、アーケードゲーム業界に突如現れた大型爆弾、それがけいおん!放課後リズムタイムである。
今時ケータイをいじれば無尽蔵にあるようなゲームが、アーケードに登場した。
アーケードに興味のない方、またTCAG業界に詳しくない方も居られるだろう。ここで軽く紹介しておく。
TCAGとは、トレーディングカードとアーケードゲームを合体させたジャンルである。
カードを集めて、手持ちのカードを使って何らかのゲームを行う。
分かりやすく説明すると、ソシャゲーに筐体がついて多様かつリアルタイム性のあるゲームがプレイできるものである。
TCAGと言っても戦略ゲームやスポーツゲーム、シューティングゲームにリズムゲームなど、カードを使ってどのようなゲームを行うかは多岐に渡る。
ソーシャルゲームとの大きな違いはプレイに対して課金が必須であること、そして独自のインタフェースや機能が自由に設計できることにある。
一般的にソーシャルゲームよりもグラフィック面で大きく有利であり、凝った演出や操作がウリの一つでもある。
また、大人向けの戦国大戦やベースボールヒーローズなども有名であるが、一方でアイカツ!やジャイロゼッター、ムシキングなど子供向けゲームが盛んなジャンルでもある。「カードが手に入る」というのが子供にウケるのだろう。
けいおん!放課後リズムタイムはリズムゲームを題材としている。
つまり、けいおん!の絵が描かれたカードと、けいおん!の楽曲を使って音ゲーをプレイするのだ。
なるほど楽しそうだ。きっとアイドルマスターのように名もないクラスメイトのカードがカスカードとして出てきて、初音ミクProject DIVAのようにキャラクターを使ったPVが見れるのだ。
そして「ちくしょう軽音部のメンバー揃わねぇじゃないかよ!……でもこの子かわいいな!」となるわけか。期待に胸が膨らむな。
……賢明な諸氏ならお気づきかと思うが、ここで取り上げているのだから上記のような真っ当なゲーム要素は一切存在しない。一切。
では、実際の様子を順を追って見ていくことにしよう。
まず君は筐体に1コインを投入する。
すると、あずにゃんのSDキャラクターがゲーム上の注意を喋ってくれる。
なぜあずにゃんがメインキャラクターなのかと言うと、ランキング一位のプレイヤーの推しメンだからである。
つまりこのゲームは筐体一位を取ると筐体のナビゲートキャラクターを変更できるのだ。
カードが排出される。このゲームには描きおろしカードは一切存在しない。最上級のミラクルレアでも既存絵である。
画面が変わる。軽音部の五人から使用キャラクタを選ぶ。ここでカードは必要無い。今後のプレイではナビゲート役があずにゃんから使用キャラクタに変わる。
次はカードスキャンだ。スキャンしたカードが画面に表示され、合計ポイントが計算される。
もし組み合わせが良ければコンボポイントが追加される。例えば、3枚とも同キャラのカードで揃えるとか。
カードの意味はここで終わる。単にポイントとしての役割しかない。
ゲーム中に選んだカードによってスキルが発動するだとか、服装がチェンジするだとか、そういった機能は一切無い。
カード特有の要素は何もないのだ。ただ唯一、スキャン時にカードの画像が表示されるのみ。
次は曲の選択だ。2013年に出たゲームなのに、アニメ一期の曲しか無い。一応キャラソンも入ってはいるが。
ゲームを進めると追加される、と思ったら甘い。
このゲームは本当に一期の曲だけしか無いし、そもそもユーザー登録は無い。
曲のロード画面が映る。黒背景に白字で「ロードしています…」と表示される。他には何も無い。文字のスクロールすら無い。こんな殺風景なロード画面見たことない。せめてキャラクターの画像でも貼ってくれればいいのに。
ゲームが始まる。円形のライン上を赤・青・緑のアイコンが滑り落ちてくる。
同じラインで現れるのでボタン配置が分かりづらいが、1プレイもすれば慣れる。
最高難易度でもさして難しくない。長押しや同時押しが存在しないので、ゲームとしてはただ単調である。
だんだんと背景を見る余裕が出てくる。
……一枚絵だ。一枚絵がゆっくりと拡大されて、縮小して、また別の所が拡大する。
なんだこれは。3Dでダンスしたり、せめて、アニメ映像が流れたりはしないのだろうか。
百歩譲っても、スライドショーにはならなかったのか。同じ一枚絵が、ずっと、ずーっと表示されている。当然、この背景も既存絵だ。
ちなみにこの筐体はブラウン管であり今時のゲームとしては解像度が異様に低い。
というのも数年前のゲームである「めちゃモテ委員長」のゲーム筐体を流用しているためだ。
しかしめちゃモテ委員長は着せ替えができて3Dでダンスしたし、メモリーカードを利用したユーザー登録もできたのだが……。
「50コンボ!」唐突に言われて初めて気づく。このゲーム、コンボ表示が無い。
50コンボごとに声と表示で知らせてくれるが、リアルタイムのコンボ数は一切表示されていない。
選んだキャラクターがプレイ中に関係するのはこのコンボ音声だけである。
そういえば、合格ラインも無い。何点以上とか、何割以上とか、そういった基準が全くない。
かろうじてスコアは表示されている。しかし比較対象が無い状況で数字だけ見せられてどうしろというのだろう。もちろん、曲のハイスコアは表示されていない。
現れるアイコンに合わせて黙々とボタンを押す。背景も見飽きた。
…………ゲームが長い。一番が終わったかと思ったら間奏に入って二番が始まってしまった。
約4分、延々と代わり映えしない背景を見ながら、3ボタン単押ししかない音ゲーをやり続けることになる。
そもそも体力ゲージが無いのでどんなヘタクソなプレイをしてもゲームオーバーにもならない。
ハッキリ言ってTVサイズでも飽きる。それを4分。地獄である。
ようやく曲が終わる。ロード画面だ。「ポイント集計中」の表示が黒背景に踊る。いや、踊らない。ただ無機質に表示される。
ポイントは三種類の評価が下る。カード点、ゲーム点、コンボ点である。これを合算して最終スコアとなる。
「良いカード」を使って「ノーツが多い曲」で「フルコンボ」を出すことが稼ぎプレイの必須条件だ。
これはセーブがないのもあるが、「高スコアを取ってもどこにも発表されない」という意味でもある。
では得たスコアはどうなるのかというと、「使用キャラクターに」加算される。
これは軽音部五人の投票数ランキングであり、決してプレイヤーのスコアではない。
このランキングで一位のキャラクターが筐体のナビゲート役になるわけだ。
もちろん投票数は合算スコアなので、一位を追い抜くためには相当数のプレイが必要になる。
君が継続プレイするモチベーションは「自分の嫁をナビキャラにする」の一点のみ。
もしカードがほしいだけならばカードだけ買うモードがあるのでそちらで延々買われるのが良いだろう。
ただし、全て既存絵だが。
そしてプレイする動機となるランキングはスコアで決まるため、本当に必要なカードは「ポイントの高い上位3枚」に絞られる。
より高位のカードを手に入れた瞬間、これまでのカードは完全に単なる下位互換にしかならない。
さて、ようやくプレイを終えた君は立ち上がって横を見る。
アイカツの筐体と、そこで楽しそうにプレイする幼女が見えるだろう。
ここは大型ショッピングモールの子供向けゲームコーナーである。
このゲームはなぜか女児向けにデザインされており、多くの場合は他の子供向けアーケードゲームと横並びで設置されているのだ。
アイカツではスキャンしたカードと同じ衣装を着た3Dのキャラクターが画面内を所狭しと踊っている。
ジャイロゼッターは高らかに明滅しながら筐体が変形し、ロボット操縦レバーがせり出している。
いや、旦那にスナックに行かれるほう。つまり妻側。夫とは死別したんで、今は無職。元専業主婦。夫は「俺に家事・育児させるなー」と言うくらい、家の中のことが苦手で、夫婦の役割分担はうまくいってた。
けどさー。毎週金曜日にはスナックに飲みにいって、友だちと仲良くやってた。私は4年に1度の同窓会に出るのも、子どもの都合や家事の都合や、いろいろ調整しないと出かけられないのに、夫は「飲みに行ってくる」って、上着引っかけて行っちゃうんだよね。
出かける先がスナックだったら、まあ、いいけど。フーゾクだったら、私は何のために家族に自分の人生、全部掛けてるんだろとむなしくなったろうなあと思ったら、文句言わずにいられなかった。
フーゾク行くくらいなら、妻に「もっと優しく接して」って言えばいいじゃんっ!
アニメが原作絵と違って気持ち悪いと評判の惡の華。1話を見て興味を持ち、ネットであらすじを探って、原作本を全巻購入し、幾度と無く読み返してもまだ飽き足らない。子どもじみた中学生らしい登場人物が、思春期特有の心理状況を抱えながら、自己を萌芽させ、徐々に顔つきも大人びてくる。当初はギャグテイストの悩みや災難も、次第に力を帯び、心をえぐり、魂をすりつぶすほどの痛みになる。登場人物は傷つきながらも正気を失わず、自分の心が発するの声にしっかりと耳を傾け、美しくも悲しい物語を紡いでいく。マンガやアニメの主要な購買層が求めている作品ではない。思春期で思い悩む少年少女とってのバイブル、恋愛や社会との関わりの中でひどく傷を負い、いまも人知れぬ痛みを抱える人々にとっては、癒しの物語となるだろう。
高校生編はまだ途上なので評価は避けたい。蛇足にならないよう願いたい。常盤さんと付き合うことになったが、仲村さんが登場するならば春日には破滅しかない。常盤さんという人物が、高校生となりある程度社会性を身につけた仲村さんとしての役割を担うならば、仲村さんは永遠に登場してこないだろう。
中学生編は、3巻の峠を境に前半と後半に分かれる。前半は主人公が、あこがれの娘の体操着という、無意識の海に落とし込んだ財宝とも言うべきものを盗むことから始まる。思春期は幼い子供だった時代と別れ、自我が覚醒する時期。親や学校、友人らと同一の存在であり、他とは異なる自分というものがなかった幼い自分に別れを告げる時期。未知の財宝を奪うという行為は、通常の意識よりも深いレベル、無意識から発せられる。さらに、住み慣れた世界から自己を引きはがす未知のモンスターが登場。深淵からの使者、仲村佐和に秘密を握られ、否応なしに「自己の覚醒」へと突き動かされる。すべての出来事は現実と同じく、良い結果と悪い結果の両方をもたらす。そして自己の表現とは属する社会の道徳とは相反するものになる。すべての結末は死、解体、別離。カミソリの刃先のような危険で細い一本道を命がけで渡る春日の姿は、一種の英雄譚のようだ。
自己の表現すなわち仲村の呼ぶ「変態」が本作のテーマか。分かりもしないボードレールをこれみよがしに見せつけて俺は他の奴らとは違うんだと悦に入る気持ち悪いネクラうじうじ男、春日。彼が未知からの召喚に応じ、キリストの受難のような試練を受ける。思わずあこがれの佐伯の体操着を盗み、思わず嫌われ者仲村をかばい、思わず佐伯をデートに誘って思わず告白する。仲村に本当の自分を黒板に書けと言われ、一度は断るものの、仲村が溜め込んできた周りの世界への鬱憤を知り、さよならを告げる仲村を思わず引き止める。自身のカミングアウトだけでなく、芸術作品のように自分の存在の全て教室にぶちまけて仲村の言う「クソムシの海」を創り上げる。完全なる自己の覚醒は住み慣れた世界との別れ。仲村とともに「向こう側」を目指すも、愛すべき社会を体現した佐伯が立ちはだかる。唾棄すべきもの、社会から忌み嫌われるものだったはずの「ありのままの自分」が佐伯から受け入れられ涙を流す。だが、一人で「向こう側」に向かおうとする仲村を思わず引き止める。引き止めたことに驚いたのは春日自身。言葉が出てこない。行くか戻るか2人から選択を迫られ引き裂かれる春日。普通に佐伯と「付き合う」ことができず、仲村の求める「変態」にもなれない、自分が空っぽであまりにも無力な存在であることを思い知らされる。
後半も「変態」行為が自己表現だが、その行為には一切の欲望や情念は込められていない。愛の表現そのものだ。愛は自己の表現であり、社会の価値観とは反するもの。峠の心理状態のまま時間が止まり、仲村にも佐伯にも歩み寄れない春日。3者は峠の出来事で自分の存在をズタズタに引き裂かれている。社会性の権化だった佐伯は親友木下に付き添われることで辛うじて社会生活を送り続ける。春日と仲村は以前にもまして社会とは関係を持てない。木下は佐伯と春日の関係修復を試みる。互いに相手から好きだと言われたいとの思いはあるものの、これ以上傷つきたくないというのが本音だ。もう引き裂かれる痛みに耐えられない。双方とも無表情を装い、相手を拒絶する言葉を放つ。佐伯と別れ、残るは干からびて死んでいくだけの日々。夢のなかで、それまで気づいていなかった仲村へのいとおしさに気づく。仲村への気持ち以外の他の全ては意味のない空虚な存在。自分の「向こう側」は仲村の中にある。仲村を笑わせるためならば、社会も自分自身さえも捨ててしまおう。愛の巣そのものの秘密基地を作り、佐伯を除くクラスの女子全員のパンツを盗む。変態行為は仲村への愛のメッセージであるとともに、佐伯には決別のメッセージ。佐伯への決別の決意を知った仲村はようやく春日の思いを受け入れ、世界で2人にしか分からない特別な関係、すなわち「契約」を結ぶ。
一方、決別のメッセージを受け取った佐伯は、自分の抑えこんできた欲望、自分そのものの萌芽を迎える。社会性の象徴である木下を伴いながら、春日と仲村が創りだす2人だけの世界を探求する。それは木下にとってはただ変態、犯罪者の異様な空間。だが、佐伯にとって、自分には絶対にたどり着けなかった世界。嫉妬と羨望と欲望の対象、世界の求める姿を演じることなく自分の好きなことを自分の思いで自ら創造する世界。彼女の求めたすべてがあった。悪行を社会に知らしめることは、春日と仲村の2人だけの絆をさらに深いものにしてしまうだけ。木下と決別し、麦わら帽子と共に自らの演じてきた仮面を脱ぎ捨てる。春日が仲村のために創り上げた世界を燃やし尽くし、春日をセックスで取り込むことで仲村から奪い、自分のものにするという欲望をさらけだすも、春日に拒絶され、仲村との対決にも敗北する。
仲村は勝利したものの深い傷を負う。後半の仲村は未知のモンスターではない。攻撃的な性質は持ち続けているものの、春日を受け入れるまでは、いばらに閉ざされた眠りの森の美女。春日を受け入れてからは愛の対象者として存在する。変態行為を求めることはない。ただ自分を喜ばせるためだけに、他のすべてを捨てて一生懸命になってくれる男の子、春日の存在を嬉しく思う一人の女の子だ。2人の間に割り込んできた佐伯の存在により、自分と春日の関係は誰からも祝福されないもの、自分の存在は周りを不幸にするだけのものだと思い知らされる。行き着く先は死か破滅しかない。だけど私は死にたくない。
春日の隠し事が徐々に露見し外出禁止となる。春日を閉じ込める家は地母神の胎内そのもの。放火の懺悔を決意した佐伯は春日の元を訪れ、2人で罪を告白し元の世界で生きる道を提示する。佐伯に心を引かれそうになるが、仲村を信じ想い続け、佐伯を拒絶する春日。行き着く先は破滅のみだと分かりつつも。佐伯の自白とともに、佐伯の分身とも言える木下の手で、すべての出来事が世界に露見される。誰一人幸せにできなかった。何一つできなかった春日。閉じ込められた檻を力づくで破壊し、閉塞した社会の胎内から春日を引きずり出したのは仲村だった。社会から拒絶されるならば、社会そのものを拒絶し、春日を殺し、自ら死ぬ覚悟をしていた。仲村にとって、自分の知らない自分を引き出してくれたのはいつでも春日の自己表現の爆発だった。春日がかぶっている皮を一枚一枚はがす度に、仲村は自分自身を発見していた。運命の夏祭りは明日。すべてが終わるのは明日。もう時間がない。向こう側を、自分自身を見つけなければ。全裸にし、皮膚をめくっても出てこない。バットで脳みそを叩き割れば出てくるのか。殺す気だった。だが、できなかった。私は春日くんを失いたくない。刺のある言葉を周囲に発して、無関心無表情を装って、硬い殻で閉じ込めて、ずっと守ってきた本当の自分、見たくなかった裸の自分自身。弱々しくて、壊れそうで、大嫌いな自分。世界がクソムシじゃない。私がクソムシ。私がいるから、こんなにも世界は生きづらくて苦しい。決して消えることのない自分。ありのままの姿をさらけ出した仲村を春日は魂の咆哮とともに抱きしめる。2人は心中することで、周りの世界のすべてを拒絶し、魂の永遠なる結合を図る。夏祭り、2人は世界に向けてありのままの自己、この世に生きた自分という存在そのものを叫ぶ。仲村は春日を愛していた。そして愛する春日が、両親や佐伯、社会から愛されるべき存在であることも知っていた。世界から拒絶され、孤独の深淵で苦しむのは私一人でいい。あなたは生きて。春日を突き飛ばし、一人で死へと突き進む。だが、その仲村自身も世界から愛されるべき存在。死から拒絶され、2人、いや佐伯を含む3人は、桐生市という地母神の胎内から外の世界へ排出される。そこで中学生編は終わり。
主人公の春日くんの心理描写はあるものの、仲村や佐伯についてはどのような心理状態でいるのかあまり描写がない。だが、2人とも自分にしか分からない悩みを抱え、自分の信念に基づいて行動している。物語の都合や作者の都合で動かされる人物ではなく、自らの意志で動く生きた人間だ。春日に自分の心の奥底に秘めた何かを求めてしまった2人の少女が作者の意図の範疇を超えて動きまわる。自らの意思で動く登場人物が自然と創り上げてしまった物語が惡の華の中学生編ではないか。仲村が、佐伯がどんな気持ちを抱えてその場にいたのか、想像を膨らませながら読むと深い、深すぎる物語。まるで恋人の心を探るような、自分を拒絶した異性の心を探るような、そんな作業にも感じられる。
面白いおもしろすぎる物語。エンターテイメントではない。現実の人々は、自分自身との関わり、愛すべき存在との関わり、社会との関わりの中で、必ず傷つき、苦しむ。この物語は生きる糧となる物語。魂に必要な食べ物。癒えることのない痛みを和らげる物語。閉じ込めて見ないようにしていた心の古傷を思い出させ、生きる歓びに涙を流させる物語。世界は悪意と欲望で満たされている。常に腐敗し悪臭を放ち続けている。自分自身も、かつては不滅の存在に思えていた社会そのものも、実は有限で不完全な存在に過ぎない。すべての欲望、情念、怒り、迷妄を捨て去った後、哀れみの心が生まれる。法隆寺、玉虫厨子の捨身飼虎の図で描かれるように、愛する人のため、社会のため、神に捧げる供物のように我が身を捧げることで、初めて完全無欠、永遠の存在を感じることができる。世界の中心はここにある。永遠は今この瞬間にある。神は常にあなたとともにある。
お前の言ってることを要約すると
ということなわけだが、要するにお前は奥さんに「優しい僕のママ」を求めてるということだな。
どんだけテンプレなんだよっていうか、もうあれだろ?http://www.amazon.co.jp/dp/406272796X/話題のこれ読んでその通りのペルソナ作って創作したんだろ?
「わがままでごめんなさい」的な開き直りか、あるいは被害者ぶった強い自意識と媚を感じるかもしれない。というか僕は感じる。
太宰の「女生徒」くらいむかつく。某「一つ上の男」広告にはどの程度クレームがあったのだろうか。
まあそれはどうでもいいのだが、やはりインターネットなんか見ていると童貞なんか幼稚で傲慢で堪え性が無くて生物として劣ってて…的な思想をもった人はいる(2chとかはてなとか狭い世界を見てるからだが)。
しかし童貞である以上、その意見に巻かれて「ほんとって幼稚だよなー」とも言えないし、「かくいう私も童貞でね」とか媚びたくない。かと言って「童貞が三十路を迎えたら魔法使いになれます(キリッ」ってほど自分の彼女いない暦ウィッチズ年齢にアイデンティティーもないし、とはいえもちろん「童貞は幼稚、ブタとキモオタは死ね、社会でてくんな」には賛同出来ない(死にたくないしね、働きたいしね)。単に嫌ならスルーしろという話なのだが、自分はその(2chとかはてな的な)狭い世界が嫌いじゃないし、やっぱりお互い言葉の話せる日本人なんだし、なんか上手く擦り合せてほんの少しは理解し合いたい。
「童貞が駄目だと思う」意見にも納得したいし、でも「童貞は男である」と思ってもらいたいと個人的には思う。
で、童貞から見たリア充が童貞を嫌いになる理由は…まあ色々あるよな…
今まで定義されて来た「童貞」の社会的役割が変化したのは、良いことだとか悪いことだとかの問題ではないのだけど(必然ではあったと思うが)
それによって同じ「童貞」でも一人一人の価値観がバラバラになりすぎてしまい、
「童貞だけど顔見ろや」
「童貞」がありとあらゆる注文と権利を主張して来るモンスターに見えるのは仕方ないことかも。
いやでも実際、両方主張している人もいるしなあ…それはきつい。まあ、主張しているからといってそれが受容されている訳ではないしね。
あとは、幼い頃から「モニター画面と便所の個室がすべて」という残酷なバイアスがかけられているため価値観の視野が狭く幼稚に見える(そして、童貞はキレやすい)とか?
あと、よく水商売に通うおっさんが言うような「童貞って得だなあ」っていうのは童貞向け紙芝居の数々のことを指しているのでしょうか?
童貞が考える理由なので、的はずれかもしれません。
「わがままでごめんなさい」的な開き直りか、あるいは被害者ぶった強い自意識と媚を感じるかもしれない。というか私は感じる。
太宰の「生まれて、すみません」くらいむかつく。某「男ですいません」広告にはどの程度クレームがあったのだろうか。
まあそれはどうでもいいのだが、やはりインターネットなんか見ていると女なんか馬鹿で傲慢で堪え性が無くて生物として劣ってて…的な思想をもった人はいる(2chとかはてなとか狭い世界を見てるからだが)。
しかし女である以上、その意見に巻かれて「ほんと女って馬鹿だよなー」とも言えないし、「でも私はわかる女よ!」とか媚びたくない。かと言って「女を馬鹿にするなキーッ」ってほど自分のジェンダーにアイデンティティーもないし、とはいえもちろん「女は馬鹿、ブスとババアは死ね、社会でてくんな」には賛同出来ない(死にたくないしね、働きたいしね)。単に嫌ならスルーしろという話なのだが、自分はその(2chとかはてな的な)狭い世界が嫌いじゃないし、やっぱりお互い言葉の話せる日本人なんだし、なんか上手く擦り合せてほんの少しは理解し合いたい。
「女が駄目だと思う」意見にも納得したいし、でも「女は人間である」と思ってもらいたいと個人的には思う。
で、女から見た男が女を嫌いになる理由は…まあ色々あるよな…
今まで定義されて来た「女」の社会的役割が変化したのは、良いことだとか悪いことだとかの問題ではないのだけど(必然ではあったと思うが)
それによって同じ「女」でも一人一人の価値観がバラバラになりすぎてしまい、
「女だけど対等に扱えや」
「女だからってなめてんじゃねえぞ」
「女」がありとあらゆる注文と権利を主張して来るモンスターに見えるのは仕方ないことかも。
いやでも実際、両方主張している人もいるしなあ…それはきつい。まあ、主張しているからといってそれが受容されている訳ではないしね。
あとは、幼い頃から「かわいいと恋愛がすべて」という残酷なバイアスがかけられているため価値観の視野が狭く馬鹿に見える(そして、女はメンヘラ的思考になりやすい)とか?
あと、よく若い男の子が言うような「女って得だなあ」ってうのは女向けマーケティングの数々ことを指しているのでしょうか?
女が考える理由なので、的はずれかもしれません。
まあ、だいたいのことは「そういう女もいる。そういう男もいる。」で解決してしまうのだけどね…
俺もたぶん障害独身なのでオワコンならオワコンでもいいんだけど
あそこまで頭悪い論拠しか提出出来ないようじゃ首肯できない。
問題の記事しか読んでないけど
中公新書「韓国の軍隊」という本を読んだが、これが実に面白かった。
ご存知の通り韓国の軍隊は徴兵制を敷いているが、このことにより、韓国の成人男性は、様々な体験をしていて、
様々なリテラシーを身に付けている。
例えば、いろいろな設営作業に従事するので、土木関係者でなくても土木リテラシーが身に付くし、
「対民支援」ということで、過疎地の農作業支援に従事するため、
ソウル生まれのソウル育ちの都会っ子でも、農作業リテラシーが身に付いてしまう。
※韓国軍が、一見軍事とは縁のない過疎地の農作業支援を行うのは、
「過疎化が進行してしまって、限界集落・無人化してしまうと、そこが即ち北朝鮮の工作基地になってしまうため、
国防的には最低限の農村集落居住を維持させたい」という国家の意思が働いているようである。
しかし、韓国徴兵制の最大のメリットは、「権力者リテラシーを、ほぼ全員に身に付けさせられる」という、巧妙な仕組みにあった。
最初は二等兵で入営するが、早くて8ヶ月程度経ると一等兵に昇進し、更に早くて6ヶ月程度経ると上等兵に昇進し、
更に早くて5ヶ月程度経ると兵長に昇進するらしい。
逆に、よほど「素行が悪い」「体力的に劣っている」ということがなければ、大体の男性は、除隊までの24ヶ月の間の最後の方で、
兵長にまで昇進するらしい。
通常、兵長は10人程度の下等兵を束ねることになる。
つまり、「10人程度の組織のリーダー」を、徴兵期間の最後の数ヶ月間、体験することになる。
こういう仕組みが成立する前提としては、
「徴兵入営のタイミングが、月によって「平準化」されている、というカラクリ」が前提となる。
例えば第99兵団で、2013年4月入営の徴兵兵が1人、
常に毎月1人入営のペースを維持していれば、
「2011年6月入営、2013年5月除隊の兵士」から見たら、
「2013年5月時点では、自分の周囲は23人の後輩兵」ということになる。
「入営時期を平準化させ、コンスタントに後輩兵が誕生する仕組み」を作っておくことで、
「徴兵期間の最後の時期に、下等兵を指揮するリーダー体験を味わうことができる」という仕組み。
「徴兵当初はキツかったが、除隊直前の兵長体験が非常に心地よかった」という体験。
「兵長を体験したことで、権力の魅力がわかった、除隊後一般社会に出ても、権力者を目指したい」という男性が、結構多いらしい。
「リーダー経験、権力者経験を、等しく成人男性に積ませることで、
歳をとるごとに好みが変わったせいか、
使っていくうちに味が出てくる。
そんなとこに魅力を感じます。
でも、
ふと思ったのですが
使っていくうちに味が出てくるのは
そう思ったのも、
社会人1年目に買ったiPod miniを引き出しの奥にみつけたんです。
ちょっと奮発したHeadporterのケースに入ったやつを。
まともに動かなくなったので、
使わなくなってしまったんですねけどね。
もう2度と本来の役割として使うことはない
このiPod miniですけど、
捨てられないんですよねぇ。。
ちょっとした傷とか、
塗装のはげている感じとか。
あぁ、これはオレのiPod miniなんだと。
動かないし、動いたとしても
今の基準で考えると使う理由もない。
これって、味が出ているからということなんだと思うんですよね。
皮じゃなくて金属にも味は出るんですよ。
デジタルガジェットなんて、
ほぼ金属です。
ケースに入れて大事に使うのもいいけど、
無骨に使って味を出させるのもいいものだなと
そう思った次第です。
ものを粗末に扱っていいというわけではなくて、
自分だけの唯一の味が出ると。
傷のないキレイな新品は誰でも手に入れられるけど、
自分の味のある逸品っていうのは
だから、
なんでもいいんですよね。
皮にこだわるとか、意味がない。
http://anond.hatelabo.jp/20130510163712
id:ssig33さんが「山岸和利の話」というエントリーを公開しているから、
彼についての技術力とか、金額が妥当かどうかは、そっちを参照。
僕は、この人にあったこともなければ、技術力も知らないので。
それはともかく、僕も昔、ウサギィに見学に行ったけれども、良い印象を持たなかった。
とにもかくにも、社長の態度が悪いです。見くびっていたのでしょうね。
こちらの技術力とか、経験とか、雰囲気を見て、下に見る感じでした。
非常に失礼な応対だったので、同行者がいなければ、さっさと帰ろうと思ったほどです。
イラツキ半分、どうしようもないなぁ半分という微妙なきもちで、彼らの会話を見ていました。
それでいて「ウサギィでは何を作っていらっしゃるんですか?」と問うと「守秘義務だから」って、何も言わぬし。
そんな会社に、なぜ自分の実績や経験を話さなければならないんだ。って気分になりました。
いや、守秘義務は守秘義務だけどさ。君らの手札を見せないで、なんでこっちの手札を見せる必要があるんだろうね。
それとも「コイツには手札をチラ見させる必要もない」って判断をされただけかもしれませんが。
小規模ベンチャーにありがちな、技術力至上主義的な考え方を持っていらっしゃるようでした。
でもさ。はっきり言って、飛び抜けて技術力持ってる。って訳じゃないよね、ウサギィの中の人。
もちろん、得意不得意分野はあるだろうけれど。
何か専門分野の特許を持っている訳でも、それに相当するような研究開発をしているわけでも、
特定の業種に特化してソフトウェア開発しているわけでも、不特定多数の人に使われるソフトを公開しているわけでも、
オープンソースの世界でバリバリ活動しているわけでもなく(WikiにRailsの機能紹介があるくらい)
何やっているかと言えば、いろいろな会社の社内ツールとか作ってるんだよね?ウサギィって。
でもさ、ウサギィ規模の会社が、外部非公開&守秘義務縛りの社内ツールしか作っていないって、結構つらいんじゃないかな?
7年(だっけ?)も会社やってるのに、訪問してきた人に、1つも話す実績がないって、なにやってきた会社なんだよ。どういう契約なんだよそれ。
そりゃ、お邪魔しても海鮮丼食べておしゃべりして帰るしかないよ……。
別にコンサルタントみたいなこと言うつもりもないが、会社として軸足持った商品開発した方が良いんじゃないでしょうかね。たぶん。
ウェブページに業務内容書いてるけど、多すぎでしょう。
その全部がプロフェッショナルとして価値を提供できているんだろうか。あの人数で?
もしそうなら、すごい逸材ですね。かずー氏も町裕太社長も。
それから。会話でも採用情報でも、「デザイン、デザイン」ってやたら言ってるけれども、
ウサギィのウェブサイトは何年前のデザイン・センスだよ!!!!リニューアルしてこれかよ!!!!
いくらペーパプロトタイプで裏側設計をデザインしても、表向きの表現力がないなら、ただの残念ウェブサイトです。がんばりましょう。Adobeも月額5000円で使えるんだし。
えーっと。技術力がある人って、ウサギィみたいなことやっている会社に魅力を感じるんでしょうか?どこに?
悪いコトばかり書きすぎるのもアレだ。かわいそうだ、うん、ごめん。さて業務について良さげな点を記そう。
開発環境の構築&業務フローの最適化については、しっかりしていると思いました。
こういうの、小さい会社ほど小回りがきく分野ではありますが、誰かが旗を振って導入しないと難しい。Gitとかペーパプロトタイプ導入とか。
別に珍しい手法を取り入れている訳ではなさそうだけれども、ちゃんと業務が流れているんだなと一目で分かった。
大きな会社であっても、ダメな所はてんでダメ。その点、ウサギィの業務フローはしっかりしてるように見えた。
そのあたり、かずー氏の得意分野なのでしょうか。
これが出来ている会社だと、従業員が増えた時の進化が早くなります。
渋谷あたりでソシャゲ作ってる弱小ベンチャーとかでよくある話ですが、
アプリがヒットしてエンジニアを大量採用したものの、情報管理や連携が取れなくて死屍累々って例は無数にあります。
しかし、もしかしたら。ウサギィにはそういう問題とは無縁かもしれません。
いつかウサギィに主軸事業ができ、会社が大きくなる時、比較的スムーズに開発業務を拡大できるのではと感じました。
「Twitterは宣伝道具。広告費がないから、Twitterで人を呼んで、優秀な人材を集める」
と言っていましたし、まぁそれもひとつの戦略なんだろうな。と思うものの、
人を安値で買い叩いてるっていうなら、もちろん感心はしない。
まぁ、そこはあまり僕の知っている範囲じゃないから、控えるけど。
ウサギィにインターンやらで行く学生が、僕の周りにいたら、止めるねえ。
今回の噂もあるが、それ以上に、ウサギィは体制が整っていない会社だ。
ウサギィ社長が言っていた「女性こそ、プログラミング能力を身につけるべき」という考えや
独立志向の思想(Independentな考え方)は、大変結構なことと思う。
せいぜい、ベンチャー企業の中身をちょこっと覗かせて、場所を提供して、終わり。ってレベルでしょう。
この業界、女性エンジニアというだけで、大した技術力や経験がなくても、引く手あまた。
教育してくれるところも、資金があるところも、いろいろあるからね。
ウェブサイトで「ウサギィの女子力!!」とか書いちゃってるけれど、女性エンジニアのタマゴは別にこんな会社に行く理由はない。
結局のところ、ウサギィは何をやっているかわからない、すこしTwitterで人気な、零細企業なのである。
まぁ、それを魅力に感じて働きたいという人は、行けば良いと考えますが。職業選択の自由です。
ウサギィの人達がよく使う「おもしろいことを、仕事にしたい」って、なんなんだろうね。
僕には、君たちの考える面白さが、分からなかった。伝わらなかった。
直接話したかずー氏も町社長も、リアリスティックでニヒリズムに満ちた発言ばかりだった。
Twitterでは、クールで知的なキャラクターにうつる。しかしリアルで会うと、ただの尖った思想のコミュ症ではないか。
君たちに実際に会って「ウサギィ、面白い、クールだ」って感じる人、どれくらいいるんだろうか。
経営者の役割って、一緒に働く人に、なにかしらの夢やら目標やら、見せるものじゃないかな。
そういう点で、ウサギィってどうなんだろうね。
ステッカーを大量に配りまくるのも、Twitterで知名度得るのもいいけど、
本気でブランディングしたいなら、もう少し考えた方が良いんじゃなかろうか。
君たちの目指す"おもしろさ"って、なんだい?
自嘲的 だとか
他人事のように
だとか
いちいち形容詞つけないといけないのかなあ
まあしんぶん赤旗なんてとってる
必要なのかもね
「日本維新の会」の石原慎太郎共同代表が「維新は賞味期限を迎えつつある」「昇り龍にあるとはいえない」と発言していると報じられていることについて、橋下徹共同代表(大阪市長)は9日、「『日本維新の会』は、そうじゃないですか」と人ごとのように認めました。市役所での会見で述べました。
橋下氏は「だって今(「維新」が)国会議員として国民の共感を得るような態度振る舞いができているかといえば、そうではない」と発言。「野党になってしまうと、与党の追及や何か提案をやったりとかで国民の共感を得ていかなければいけないが今『日本維新の会』としてそれがないのは確かだ」と語りました。
自民党政治の「補完勢力」にすぎないという同党の抱える本質的な矛盾をかえりみることもなく、「市政・府政の執行権は持っているんで、『維新』の考え方を大阪で示すのが、僕と松井(一郎大阪府)知事の役割」などと述べました。
また、党内から橋下氏の参院選出馬を求める声が上がっていることについて「僕が国会議員になってもクソの役にも立たない。僕は国会議員としてはなんにも仕事ができないし、僕が出たところで国民が何かそれで動くってこともない。僕がなっても税金の無駄遣いですよ」と自嘲的に語りました。
①
>これはそういうゲームなのです。
ゲームは現実を基礎として可能性や実現度に関して人間の知覚において擬似的に体験させることで快楽を得る嗜好の形態です。
現実がゲームに似ているのではなく、ゲームは現実を基礎として現実の世界において存在できるように作成された商品です。
ゲームが現実の下位クラスであることを認識するには大人になって感覚による知識などを得ることが必要ではないかと想像されます。
現実のルールを基盤にしていないゲームがなにかひとつでもありますか。
たとえば「夢」は現実にはいまのところ存在していませんが、夢と似た構成のゲームがありましたか。
「Aさんに声をかけたらBさんだった。Bさんはカエルで、私は橋を渡ろうとしたら足元が崩れてちがう商店街に移動して、お店で飲み物を買おうとしたらそこは実家だった。実家は農家でまわりに民家はなく。」
みたいなストーリーを自分自身がたった一人体験したという以外の話を、夢という記憶に近い情報を共有できていない現在の段階で聞いたことがありますか。
現実のルールを基にしてはいますがそれをゲームという感覚で共有しようとしている行動自体が「夢みたいなもの」ではないですか。
あなたの夢見た世界を現実にする手段としてはゲームがあると思いますが、世界はオーナーもメーカーもユーザーも無いですよね。
世界を支配しているのは特定個人だ、という「夢」も抱くのは自由です。それをおしゃべりして受け入れられる友達は、社会に出たら数が少なくなっていくのではないでしょうか。
②
>これから数十年後、日本の子供達は公務員の家族の子供がメインになります。
匿名掲示板で自由を謳歌されているようですが、匿名なので個人について意味はありません。どれが僕の文章ですと開示いただいた分だけをまとめとして情報を総合的に得ますがさらに他にも文章があったりまたは他人の文章を項目に加えても判りようがありません。
それを踏まえて匿名の方が特定個人や団体を指摘しても「フィクション作品にでてくる団体が実在しているか、またはそれらを具体的に指摘しているものか」という価値観には疑問を匿名である私個人は抱きます。
もちろん今後それが発生するか、その市場規模はと思い図ることができる情報でないことではあります。歴史上成功例があるから効果があるだろうというのは意味の無い発言ということになります。
では転じて意味のある発言と考える候補とすると「歴史上成功した例を私が実際に取り組み始めます。この結果がでることは自分は確信しております。」ということになります。
実行すること自体にのみ「意味」という他人の評価を得る結果を生成します。
行動すれば結果はでる、だがしないまたは行動しても結果は目に見えているという情報そのものはその時点で情報としての役割を終えている末端消費商材ですので、情報を得た時点で取引が終了しているものと同等の価値、転売時にどれほどの価値になるであろうかと考えます。
特定の業界を席捲した成功者がいかにして市場の全てを掌握できたかという伝記本を情報として販売したとしても、その業界にはもう他者の立ち入る隙は無いという裏づけ情報を手に入れてもその市場に入るための手段に自身の研究として使う以外、転売したりするときに本の値段以上の価値が発生するものでしょうか。
これからの時代、これがメインになる、これが大多数になるであろう、こういう流れになる、はどの業界のどの部分がどういう方向になるのか、ただ大きなタイトルをもってきて「こうなる」というのでは「大きな船は遠くまで旅ができる、しかし小さな港につけることはできない」といったなにやらすごい発言のようですが実際の船を所有するオーナーはそんな名言を教えていただかなくてもわかっている話で実際そういった条件を前提に行動をされていくことと思います。
この文章をはじめ、なにがどうなるというのを行動もせず発言すること批評すること、批評について賛同者に実行者を含めない場合または評論自体が感覚として自身が認識したことを羅列するだけでは「自分の感覚を自己紹介しているだけ」ということになります。
自己紹介自体には自己という存在を相手に知らしめることとして十分な意味がありますが、匿名である状態での自己紹介にはなんら意味はありません。
②が文章の大半を占めるので、お伝えしたい内容のほとんどになりますが最後に
日本、世代、現実、経験、理論などはご感想に述べられていることについてご自身と、お話をされていることとに一切関係がありません。
世界のなにがどうなっても、いつもどおりの仕事をしていつもどおりのお給料をもらって、いつもの買い物にいったらいつもと違っていてショック、ということになるかと思いますがご自身には変化が一切なく供給されるものについての変化にご自身が感想を抱くだけで、それはご自身単体の感想です。
「世界が変わったのにみんな何にも思わないのかよ俺だけが世界の異変に気付いているのかよ」とかフィクション作品にまみれているという雰囲気がまた未成熟さを感じさせるのだと思いますが、大人になればそこまでピュアな心を維持できません。
他の方がとくに顔色を変えずに消費税が割り増しされた商品を買っていく様子をみて「社会がおかしい」とかよりも自分の家計と会社の残業時間を鑑みることなどを一例にしたいと思います。
自分の残業時間で生産された商品が流通市場の何割り増しになってコストをいくら下げて売上がどれほどあがってそこからの納税分で社会サービスがいくら向上して社会がよくなるとか、考えなくても日々の業務を懸命にすることで成果はでるはずなので考慮する必要も意味もありません。
そのうえで労働と対価と社会性についてご自身の環境を疑問に思うことがあれば、発言の方向性はまたちがったものになるのではないかとおもうところから「社会生活が充分ではないのではないか」という感想を受けることになるのではないでしょうか。
総理がバカで右翼で経済が滞って日本人の意識が低くて戦犯で商品のレベルが下がった、とそういう見識をお持ちだとお話をされてなにがどうなるのですか。
だれが、どうするのですか。
ご自身が満足する以外に、ご自身が満足するためだけに自分のストーリーを人に「そうだね」といわせしめんとしている以外が、なにか文中に存在していましたか?
教育現場では「うんそうだね」とは言われなくても実際に今後行動する指針や論理の基盤としての知識をできるだけ記憶の引き出し上部にもってこようと繰り返し伝達したり、行政は「うんそうだね」という書き込みだけではなく実際に生産、消費、成長を促すことを紙切れに書いた文字や電子の塵にしないように印紙をはりつけて価値のある物質として約束を物質化したり発言を物質化したりしていますが、末端で消費する個人は自身の時間や身体能力などを消費して自分自身を切り売りしなくてもよい備蓄を得て、それを交換に他人の生産物と交換していますが、ご自身は消費するだけで他人から金銭を必要とするような生産、再利用性や価値を文中のどこに含まれていたかを考えて、「無料で匿名なのに再利用価値がある情報だ」という評価を一人の対話者から得ていることで「一人からは義務教育以下の消費行動である」と認識されている可能性があります。
世界に問題があふれているなら、解決してください
それをしている大人がわるい、というならだれが悪いのか、だれと話をしてどういう方向にすすめれば問題は解決するのか、個人名または団体に発言者ご自身が依頼できる数の案件を挙げてみてください。
たとえば、日本は最低でなんの価値もなくて失敗ばかり、なら日本以外の成功している国に移住してください。
移住できない理由について、移住を許可しない人間の名前と、移住を許可するための条件を教えてください。
移住先が見つけられないのであれば、日本よりよい国の条件を挙げてみてください。
また日本をよくするのであれば、誰がどうするかという意見はもちろん重要ですが、その人たちを動かすための方法とコスト回収方法を教えてください。
それらを解決しましょう。
移住したいがお金がない、とかあるかもしれませんがそれならお金を稼いでください。
どうやったらお金がかせげるか、それをご自身で考えるのは大人であれば必要だと思いますし、しろといわれたことをするのであればご自身の生活を24時間ソーシャルメディアで流せばいいのではないかと私は意見します。人にいわれたことに隷属しねぇ、とか言われるのでしたらご自身で考えてください。ご自身でお金の稼ぎ方が思いつかないのであれば、それがご自身の「国内での価値」なのだと思います。
「そういうのはわかんないんだけど、雰囲気として自由じゃないなーってゆうか、なんかもっとでかいことしたいし。俺を満足させられない世間って、俺さえも満足させられるようにするってことが社会じゃない?」
とか、権利は主張して責任、責任といっても「なにかしろ」という命令ではなく「自身に対する入金先の明示と、交換する有価物の項目を明示する」ことを責任と称しその責任を放棄している状態を「中学生みたい」と言われているのではないでしょうか。
買えもしない車の乗り心地を評論したり、いやなら出て行ける店に居続けて文句をいったり、こうするともっとよくなるという意見について実行内容に一切加担する要素がない状態のことを「きみのその行動をもし実際に行うとしたら、君ではできないので他に代理として行う人がいるのか」という状態を保護者つきという状態と表しているのではないでしょうか。
大人さんの方でしたら「税金、おさめてるし」以外の社会参画とご自身で取り組める改革についてご意見を発してみてはどうでしょう。
子供の方でも税金は納めてらっしゃいます。もちろん保護者の方のお財布から。
保護者の管轄化にあることが「子供」と評価される基準で年齢や容姿ももちろん含みますが「親に生活を維持してもらっている状態」を何歳になっても「子供」だと評価されることもあると思います。
子供である場合は「保護者の生活がよくなりますように」といった意見の出し方が理想的という基準からも「子供」と揶揄するにあたって、評価者の見解から小学生やら中学生などといった表現をすることがあるかもしれません。
仕事もお金もなくても、デモには参加するとかいう人も、いると思います。
行動だけじゃない、言葉にも意味がある、というのであれば公証人役場にいって印紙を貼るべきです。
有料サービスのWebメディアを使うことでも、それなりに価値はあるのではないかとも、思います。
この「私個人」という匿名の相手に対して一言一句、ご自身の感想を述べるのはご勘弁いただければと思います。匿名の私とあなたがなにをどう交流してもお互いにも閲覧される状態にも何も意味がありません。
私自身も、匿名のアノニマスダイアリーという日記をつかって自分の文字を自分のために書いただけであって、お返事を全文引用されて書かれても拝見できませんしお返事も差し上げることができないと思います。
もし返事をされても匿名ですので、返事を「送った相手からの反応」という事実としてお返しすることができません。
もちろん「私はこの文章があなたのものだと確証しているので、こう書いた」と「日記」に「自分の思い」を書かれるのはご自由です。
重ねて「そんなことはない、俺は大人だ。」という主張をする方法として挙げたいのは「ご自身の社会参画と憂思する案件に対するご自身の取り組みの紹介」を用いるで、指摘された「存在理由をビーコンのように発するのは出席簿に返事をする学生みたいなもの、哲学的にハイと返事しようが理化学的にハイと返事しようが大人は子供の夢想をにっこりわらって処理するだけ」を回避できるのではないかと、私は思います。
人に見せたりしない日記に、誰かや何かに対して、どうしたほうがいいとか、書いたりしたこと、ありますか。
匿名の日記が「日記」であることは、ご自身のためだけに記録する媒体であることを意味するにちょうどよいタイトルなのではないかと感じています。
アノニマスダイアリー自体に閲覧数が多いからそこに便乗して自己を個人として紹介していっても、だれにも見せない日記に本当の俺はちがうんだといくら書いてもというそれに似ていませんか。
世界を変えるにはまず自分から、その自分のために自分以外の書き込みもある日記という存在はなんだか有効に活用できそうではないかと、私は感想を持っています。
なんか毎回同じこと書いてないか?
首都圏は金が無ければ認可保育園に入れない(本来の認可保育園の役割考えたら本末転倒なんだが)=共働き出来ないので
自分が働いてみると自分より仕事能力が劣る男は魅力的に見えない
自分より劣る女にうまいこと頼られると気持ちがいい男の心情はまあ理解できる
頼られて心地良く感じるって男性的に感じる
女だと姉御肌とかそういう部類
部署なんかの役割としてそういう立場になることはやぶさかではないが
家庭でというか、結婚を視野に入れてお付き合いする場合は拒否したい
子供が欲しいのだけれど、自分よりニブい男がいると邪魔そうだから
専業主婦なら我慢できるかもしれないけど(でも離婚リスクがあるから仕事辞めたくないなー)
共働きなら我慢できなそう(でもいちいち頼りにしてるアピールするのも面倒くさいなー)
(せめていっぱい稼いでくれるなら余分に家事してもなんとも思わないんだけどなー)
女性は男性に対して、学歴、職業、収入を求めます。 男性は女性にそういったことはシビアに求めません。
このため男性の方が「いいな」と思う女性が増えることになります。
平成17年版 国民生活白書 女性は結婚相手に対して経済力を重視している http://goo.gl/g3jMM
女性の92.1%は経済力も理由に配偶者を選択するが、男性は30.2%でしかない
注目すべきことは、女性においては、これらに加えて相手の「学歴」、「職業」及び「経済力」について、重視又は考慮すると回答した割合が高い点である。
学歴がある程度職業選択に結び付き、また職業に応じた所得格差が存在することを踏まえると、
後で見るように、結婚生活においては夫が家計収入を稼ぐべきという意識を女性は持っていると言うことができる。
一方、男性が女性よりも重視する又は考慮すると回答した割合が高い条件は、相手の容姿のみである。
男性は、単純というか、好みの幅が広いというか。
(「俺は高学歴女性じゃなきゃ絶対ダメ」って男性は少ない。逆に「私以下の男性は嫌」って女性はそれなりにいる)
高学歴男性が学内で釣る、というのは有ると思います。 一緒にいる時間が多いしマッチングしやすい。
ただ男性側で社会にでて多様な女性に出会う機会が多い場合、男性は相手の幅が広いので選択可能になってしまう。
高学歴女性は学内にいるうちに、ある程度、関係を築いておく必要があるでしょう。
※女性は「男性に収入を求める傾向がある」ので、逆に男性観点では「自分より年収が低い女性との方が関係が安定」します。
家族を養える訳ですし。嫁さんのリソースは家庭での活動に集中してもらいたいようです。
この辺も高学歴女性がキャリアパスを考える上で問題になるケースがあるかもしれません。
http://nurse-time.com/blog/2011/02/02/3935.html
産婦人科医であることが結婚や婚活の妨げになったと感じている女性医師が43.3%に上り、
男性医師の24.5%を大きく上回ることが、日本産科婦人科学会の調査で分かったそうです。
他にも、
「産婦人科女性医師の未婚率、離婚率は男性より高く、子どもの数は少ない。」
「男女ともに未婚者、また、子どもが少ないほど仕事満足度が低く、抑うつが強いことも明らかであり、未婚者の精神的支援が必要。」
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?23,2597062,page=11
女性 63.9% 32.7% 3.5%
男性 15.1% 31.3% 53.7%
女医は、医者との結婚では有利だが、生涯未婚率は一般女性は(10.6%)の2倍以上。
↓逆に低収入男性の方が女性に働いてもらいたい傾向が若い世代では見られます。
変わる性別役割意識 - ベネッセコーポレーション
http://benesse.jp/berd/berd2010/center_report/data37.html
2007年の調査では、若者の意識が変化する兆しが表れている。
図1に示したように、男性は若年層ほど性別役割分業の肯定率が低く、分業に否定的である。
30歳代、20歳代になるにしたがって分業を肯定する意識が強くなっている。
一見すると、ハッピーな結果である。「妻は働きたいのに、夫が反対する」といったアンマッチが減少するからだ。
しかし、東京大学と共同研究によって行った「都立高校生の生活・行動・意識に関する調査」を分析していくと、
この調査でも「家事・育児の分担」(図2)についてたずねているが、
男子は「夫と妻が同じくらい」を、女子は「妻が中心」を最も多く選択している。
さらに、「結婚・出産後の妻の就労」(図3)に対する回答では、
男子の3人に1人は「仕事を継続」することを望むのに対して、それを望む女子は2割に満たない。
東京という都市部に住む高校生のデータであることを考慮しなければならないが、男子のほうが分業に否定的で、女子のほうが肯定的という結果には、少なからず驚いた。
問題は、誰の意識が変化しているのかという点にある。
分業に否定的(=夫婦同等の家事・育児負担/結婚・出産後の妻の仕事継続を希望する)な男子は、大学進学率の低い高校に多い。
彼らは、希望する職業がある割合が低く、自分に自信がもてていない。
雇用条件のよい職業に就くことが難しいと考え、妻の仕事継続を期待しているようである。
さらに、分業に肯定的(=妻中心の家事・育児負担/出産による妻の仕事中断を希望する)な女子も、
大学進学率の低い高校に多かった。彼女たちもまた、条件の良い職業に就くことが難しいと考えて、
意外にもフェミニストが求めていたリベラルな男性は低収入男性であった、という事になるかも。
高学歴男性が保守的な女性を選択する傾向があることも考えると、高学歴女性と高学歴男子が結びつくのは難しいでしょう。
女性の年収が上がれば、あるいは学歴が上昇すれば適当な相手が見つかりづらくなるのは当然です。
これを防ぐためには女性自身が上昇婚をやめること(自分と同程度、ないし自分より低い収入の男性と積極に結婚する)ですが、
個人的には日本人女性にそういった変化が可能かよく分かりません。
高学歴女性には結婚ではない方法で幸せになってもらうのも一つの方法だと思います。
子供を残すだけでなく、文化的な何かを残すことも意義があることです。
トラバどうも
学歴が高くない人が多い(失礼)看護師も独身者が多い事は有名だろ。
元々病院ってのはかなりの女社会だから必然的に女が余りがちだし
金融機関でも同様の傾向が↓
高学歴トラップ なぜ高学歴女は売れ残るのか? http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/25610490.html
トラバ先さんへ
http://anond.hatelabo.jp/20130512214047
この問題は「年収300万円の壁」としても話題になりました。
http://anond.hatelabo.jp/20130513213558