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2016-05-25

京大生が専業主婦選択した話が正直胸糞悪い

http://anond.hatelabo.jp/20160524045830


この増田が色々言葉遣いが悪いというか感情的な部分もあるのでブコメ脊髄反射的なのが多いけど

俺もこのエントリは少し問題があると思う。

http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352


問題点は3つある。

ノブレスブリージュの考えがない

音楽学を馬鹿にしてる

■「女であるのが悪いのかとか受精卵が云々」とつながる話がまったくない


現代日本民主主義だし、自由主義的な考え方も浸透してるし俺もそういう点はいいことだと思ってる。

でも国立大学学生学歴を与えるために学問を収めさせてるわけじゃない。


学生教育を施すことで社会がより良くなるために学問を修めさせてるわけだよ。

その為の税金は多数の国民から徴収されてるし。


もちろん、そういう学問を修めたけど結果として失敗して

全然関係ない職業についたとか、学歴に比べると社会的評価の低い職についてしまった。

っていう「失敗」によって専業主婦になったっていうならぜんぜん問題ないと思う。

少なくともおおっぴらに責めるのは違うかなとは思う。

他にもベンチャー企業を立ち上げて儲けようと思ったとけど失敗して借金塗れになったとか、ポスドクの人が悪いのかって言えばそれも悪くないと思う。

投資マクロ視点で見て、その一部がある程度失敗するのは仕方ないし当然ではあるよね。


けど、あえて専業主婦になったっていうならそれは違う。

エントリではあえて専業主婦選択したって言ってるよね?

京大音楽学科に入ったけど就職先がなくて専業主婦になったんならわかるよ。

けど違うよね?

ただ、勉強たかたから入ったって本文で書いてるよね?

それは国立大学では少なくともおおっぴらにするべきことではないと思う。

私立なら違うとは思うけど。


それともう一つこの人は言っちゃならないことを言ってる。

社会貢献とは、わたし勉強法わたし高校時代の様子をお前の子供に教えてやることなのか(教えてやらなかった)。研究を続けたら続けたで、音楽学は即座には社会の役に立たないことを、お前はどう説明するのか。なぜか音楽学を音楽社会学しか言わないお前にとって、たとえばシューマンオラトリオ楽曲分析は、社会貢献だと言えるものなのか、どうなんだよ、つまるところ、自分と同じ苦労をどうにか味わわせたいだけじゃないのか。自分言葉で答えてみやがれ。

これってさ、「即座には社会の役に立たない学問」を必要ないって言ってるのと同じことなんだよね。

大学文系学問とかを設立してるのって即座に役に立つわけじゃないし、目に見えやす社会貢献をしてるわけじゃない。

からたかやすいわけだけど。


でも、今現在一応文系学問によって社会が豊かになるとか文化が豊かになるとかそういう社会的な貢献ができるから国立文系学部があるわけでしょ?

文学研究することで社会に貢献してる。

少なくともおれはそう思ってる。


当然音楽だって社会に貢献してるはずなんだよね。

もちろん即座に反映されるようなもんじゃない。

でもどっかで文化的に貢献してるはずだし、私達の心を豊かにしてくれている、あるいは将来的にしてくれる可能性は高い。


それをこの人は自分音楽学を学んでいるにもかかわらず否定している。

というか考慮すらしていない。

これは大学に通ったことがある人の態度としては最低中の最低、下の下だ。

現在音楽学に携わってる人を馬鹿にするような行為だと思う。


国立大学に通ってる人は(自分選択して)専業主婦になってはいけないとかいう言うわけじゃない。

けど上位に立てる可能性がある人間ノブレス・オブ・リージュを求められるもんだよ。


重ねて言うけど、挑戦して失敗したんなら全く文句はない。

あるいはまともな人生を遅れる可能性が低いと思って、違う選択をしたんならそれもまぁ仕方ないかなと思う。

けど、選択肢がありながらこっちの方が私が幸せから専業主婦を選んだのはあまり開き直れることじゃないと思う。

少なくとも京大の話と絡めて話すべきじゃない。


なんかあの記事を書いた人の思想旧態依然としたジェンダー観とか文系を本当は必要ないって思ってるような嫌な思想が見え隠れしてるんだよね。

記事のいくつかで女性であることがわるいのかみたいなこといっててそれに騙されてそうな人がいるけど正直胸糞悪い記事

少なくともはてなリベラル派は肯定しちゃいかんと思う。

つうか受精卵がどうとか言ってるけど専業主婦選択した話とかと全くつながってないんだよね。

あれは何なの?

騙されて味方になる人が増えると思ったから無理やり入れたの?

あの記事内容薄くて本人のバックボーン全然見えないからもう少し詳しく聞けば事情があるのかもしれない。

けど、本文の内容自体はあまり褒められたもんじゃない。


余談だけど日本人寄付する文化がない理由ってのをまざまざと見せ付けられた気がする。

2016-05-24

舛添要一の一連の騒動により、俺の中で株が上がっている人物

片山さつき



知ってのとおり、舛添要一の二人目の妻である

舛添要一との結婚生活について片山さつきはボロクソに書いており、以前は「事情からして舛添に対する感情が悪いのは致し方ないと思うが、悪く言いすぎではないか

舛添がロクデナシなのはともかく、片山さつきが良妻だとも思えないし舛添の酷いエピソードも話半分くらいなのだろう」程度に思っていた。

だが、舛添の酷さが明らかになるにつれ「片山さつき政策同意するかどうかはともかく、それとは別に舛添との離婚は舛添が全面的に酷かったのではないか」という方向にシフトしつつある。

2016-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20160523205635

自主的病院につれてく。病棟のあるところを推奨

そうすると全部あちらが判断してくれる

あるいは産業医に異議というか内部事情を話した上で再判断してもらうか…

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

近所付き合いが嫌いな自分家族晒し物にする連中と出会った

近所付き合いが嫌いだ。田舎に帰るとよく言われるだれそれが結婚したとか、あそこの家の息子はロクデナシだとかどうでもいい。

他所の家の事情なんてどうでもいい。金にもならないのによくそんなどうでもいい話題考える暇があるなと思う。

そんな自分が見ている投稿サービスで「ストリエ」というのがある。

スマホ意識しての「縦読み」に特化したUIで一部の人が見ると爆笑するか胸が痛くなるかもしれない。自分後者だ。

基本はユーザー投稿だが、ライトノベルレーベル提携して無料配信しているがやっぱり苦戦しているらしい。

最近露骨勧誘をしているようでアメブロやらライブドアやらtwitterやらなんでもかんでも引っ張っている。

残念ながらはてなユーザーは見つからなかった。

その中に家族を題材にしたブロガー連中がいた。どうも大量に引きいれたらしくエッセイ特集と銘打ち取り上げまくっている。

最初に書いた通りでそういったものも嫌いだが大衆に受けているのだから何かしら面白いところがあるのだろうと思って挑戦してみた。

一人目

自閉症の子供を育てているらしい。そこそこ読めたが別にドラマチックな展開も無いので2つくらい読んで飽きた。

調べたらそれなりにアンチがついているらしく炎上していた。

障害持ちの子供を晒し上げにするからこうなる。

二人目

二世住宅暮らしてる嫁のブログの再掲。やっぱり調べたら姑がボケたり死んだりしてた。

そんな状態人間使ってよくマンガ描いたりできるなと思った。

三人目

普通の子育て日記子供が喋ったとかどうとかで記事書いてる。それだけ。

四人目

同上。年の差兄妹なのが特徴らしい。一三歳と五歳くらいでそこまで言うほどのものなのだろうか。

五人目

海外で嫁いでる女の記事。夫が金持ちらしくひけらかしてんのかと腹がたった。

適当に読んでいたが五人目で心が折れた。何が楽しいのかさっぱりわからなかった。

○○ちゃんかわいいですね!じゃねーよ。ペット感覚か。

家族出来事とか世界中見世物にして何が楽しいんだ?ついでに障害持ちでもなんでもない家の様子とか見て楽しいか?

ビックダディもいないぞ?

それも大体コメントを見た見てないとかでヲチサイトとか出来てるんだよな。

ワールドワイド井戸端会議とか何考えてるんだよ。

意味がわからない。

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160315014322

うちは実家にそれなりに余裕があったから、わざわざアルバイトしたり奨学金うけたりしなくても修士まで行けたの本当によかったなあ。しか博士課程の学費学振給与で賄えるし。優秀な(こういう言い方もあまり好きではないけど)学生たちが金銭的な問題でどんどんD進を諦めてくれれば、国内競争相手も減って個人的には好都合ですね。

そんなこと続けてると日本学術どんどんズブズブになって近い将来(もう既に?w)間違いなく中国に質・量ともに太刀打ちできないくらい完敗するようになるだろうけど、お国事情なんか知ったこっちゃないこっちは自分アカポスにつけるかどうかが一番重要だもん~~

今盛り上がっているアイドル文化叩きを見てると

オタク叩きが無くならない理由がよくわかるよね。

事情を全く知らない奴の偏見に満ちた嫌悪感を発露しても誰もとがめるものはいないし、またそれが賞賛されたり支持を集める。

オタク叩きがなくなるってことは、今アイドル文化をよく知らないまま適当に叩いてるような奴らがいなくなるってことだ。

インターネットにはその分野ごとのオタク大勢いてそれぞれ小さな集団を作ってるけど、特にアニオタが最大派閥から、よくアニオタに対する雑な言及は咎められるけど、他の分野に対してはネットマジョリティは冷淡もいいところだ。

しろありえないほど雑に言及して、マジョリティ内での支持を集めて、マイノリティを叩き潰している。

全員がかなり高いリテラシー言論に対する謙虚さを持てば、こういう雑な叩きは無くなるけどさ。

それに言及出来るだけの知識と教養がまず前提にあって、同時にそのもの自体をよく理解してはじめて一定の水準を満たした言及ができるんだけど、

誰でも自由に思いついたことを無責任に書き込める今のネットでは不可能だし。

ブコメなんてスター偏見が増幅されるシステムだしなおさら酷い。

もしくは全員が口をつぐむか。でもそんなの無理だよね。




今回のようにある一件がきっかけで、アイドル文化に対してネットマジョリティ内でなんとなく感覚的で雑な偏見に満ちたヘイトが溜まってる様子が見られたけど、それはマジョリティに対してもそうだからな。

マイノリティ側はマジョリティに叩かれたことを忘れない。それが感覚的なヘイトへとつながっていく。ありがちな憎しみを連鎖だがそれが本質だ。

2016-05-22

同性からセクハラで、性的ものが受け入れられなくなった

小学校の時、受験のために塾に通っていたが、6年生の時一人の男の子が新たに入ってきた。

授業の合間の休み時間に、簡単自己紹介をした後に、彼はこう聞いてきた。

子供の作り方って知ってる?」

今思うと「こうのとりが運んでくる」やら「キャベツ畑で拾った」など、面白い答えを相手は期待していたのかもしれない。

当時、その方面の知識が皆無であった私は、何も考えずに「知らない」と答えた。

その後、彼はそもそも性行為とは何なのかを教えてくれた。物凄く丁寧に。

それから受験本番まで、休み時間の度に彼は性の知識を私や他の同級生披露してきた。

彼は、「入れる」や「なめる」など普通言葉をワザと性的な意味で捉えたり、当時流行していた歌の歌詞下ネタに替えて歌ってきたりしてきた。

休み時間、時折彼は股に手を当てて唸る真似事をしていたが、意味理解するのは後になってからだ。

女子がいる前でも彼は平気で下ネタ披露していたが、私と彼が受けていた第一志望特訓授業では、男子しかいないので普段よりもエスカレート

何度も私は彼に「止めてくれ」「下ネタはもういいから違う話がしたい」と伝えても、彼は「恥ずかしがることはない」「本当は聞きたいんでしょう?いい子ぶるなって」とお構いなしに続けてきた。

受験の結果、私は違う中高一貫男子校に通うことになったが、彼がどこの学校に行ったのか、今でも分からない。

中学高校は一貫制の男子校だった。とりわけ中1の時は性への関心が異常に強い級友もいたが、そのような話題を好まない生徒も一定数いるので、そのような人たちと仲良くしていた。別に下ネタを話さなくとも、別の話題友達は作れるので、一向に困らなかった。私が「下ネタは苦手」だと伝えると、きちんと配慮してくれる友人にも恵まれた。

なお、1年近く彼から性的言葉を聞かされ続けた結果、性的言葉下ネタを耳にしたり目に入ったりする度に彼のことを思い出して吐き気を催すほど気分が悪くなるようになってしまった。

電車の車内広告にある、グラビアアイドル写真や、男性向け週刊誌の際どい見出しなど、彼のことを思い出すので、そもそも目に入れたくも無かった。性描写が際どいライトノベルなど、挿し絵を見ただけで吐き気がしてしまった。

そもそもエロサイロ動画など、全く興味が持てなかった。

男子校だったので、そのことが問題だとは全く思わなかったし、そもそもどうして苦手になったのかすら話せなかったから、自分から触れたくもなかった。

次第に、彼の事例を元に、このような考えにいたった。

女性性的対象として見て、単なる性欲の捌け口として扱うのは失礼だ」。

例の彼は、女性を「モノ」扱いして独りの人間として扱っていないような気がしたからだ。

今でも基本的な考え方は変わっていない。

高3の時、予備校に通い同年代女子と話す機会があったが、特に問題無く話せた。あくまでも性的話題が嫌いなのであって、女嫌いなのではない。

ところが、大学入学後、状況は一変する。

年代女子とは普通に話せるし、気分が悪くなることは無かった。

しかし、私が下ネタが苦手であることを伝えると、一定数、恰も私の人格問題があるかのように接してくる人が現れたのだ。中には、私が同性愛者ではないかと「心配」してくる人も。

不思議なことに、男子校出身男子は「下ネタが苦手な人もいるよね」と一定の理解を示してくれるが、女子や、共学出身男子は上記のような対応をしてくる人が多かった。特に男性場合お酒が入ると下ネタが入ってくる人がいるので、飲み会が苦手な私には二重の苦痛となった。

初めの内は、「苦手なんですよね~」とお茶を濁していたが、きちんと話さないと色々と後で困ると考え、信頼出来る人には男女関係無く話すようにした。

話していて、どうも世の中には「男性女性性的な関心をもって当然」との「常識」があるのだと察するようになった。

後日、「セックスレス」という言葉を知った時、「愛し合う男女の間には定期的な性交渉があるのが当然なのか?」と疑問に思った。恋愛と性行為がどうしてセットになるのか分からない。

私には理解しがたい世界

とある女友達の「男の子ってそういうの好きなんじゃないの?」の一言は今でも忘れられない。その人は事情説明したら理解してくれたのが幸いだったが。

別に私は女性嫌いなのではなくて、下ネタばかり言う下品人間が嫌いなだけなのに。

そのまま時が流れた。

私は現在大学院博士課程。下ネタを聞いても吐き気を催さない程度には克服出来たが、依然苦手なまま。

信頼出来る女友達はいるが、彼女はいない。

研究職志望なので、将来の収入は安定しないし、そもそも出会いの機会に恵まれないだろうから、一生独身で終わることを覚悟している。

2016-05-21

ダンス嫌いを克服した

http://anond.hatelabo.jp/20160520232557

私と同じかわいそうな目にあった人をみかけたので、ダンス練習法を残しておきたいと思う。いくつかの条件があるので、役に立たないかもしれないが…。



私も体育のダンスはとても苦手であった。小学校運動会で踊ったRYDEENも辛かったし、中学校体育祭ダンスコーナーも最悪だった。休んで逃げたかった。高校フォークダンスは休んで逃げた。

運動も初期値でパラメータが高いわけではないので、体操系やマット運動などは嫌いであった。本当に公開処刑だよね。体育が嫌いな諸先輩方の主張の通り、体育は練習や訓練の場ではなく、ぶっつけ本番の発表の場なのだ



バレーボールでもバスケットボールでもサッカーであろうと、やっているというだけで、スポーツとしての本質に迫ることはなかった。

体育のサッカーは、みんながボールに群れるような状態で、戦略的コートの中を移動するクラスメイトは皆無であった。キャプテン翼サッカーのすべてのような情報量だったせいもあるのかもしれない。キャプテン翼再現としては顔面ブロックをして鼻血をだしてりもした。

社会人になってから誘われたフットサルでは、ボールがこなくても、キャプテンの指示のもと、コート縦横無尽に動くことを要求された。ボール位置相手ポジションに応じて、おのおのが相手戦略邪魔するようにコートを最大限の運動量で走り回らなければならなかった。

ボールがこなくても自分の動きで次第で、相手の動きが大幅に変わってくるので、それだけでも面白かった。

指導者の力量によって、スポーツの楽しみは大きく変わることが分かった。

私が出会った学校教員はそこまでの能力がなかったのであろう。指導者が悪くても学校は逃げ場がないんだよね。



閑話休題。話をダンスに戻そう。

ダンスに取り組んだのも社会人になってからだ。

いろいろな事情で、ハレ晴レユカイを踊らなくてはならない状況に追い込まれた。事情想像していただきたい。いっしょに指導してくれる人もいた。

その人から聞いたポイントは、以下のようになる。

・早い動きのところで、同じ動きを2回するところは1回に省略(見ている人は気が付かない)

・足のボックスの動きをずっと練習(とりあえず踊っているように見える)

指導者おすすめYouTubeの「踊ってみた」を見ながら振り付けを覚える(アニメ映像情報量が少ないことと踊る人によって、細部の解釈が異なっている)

・かっこいいところは練習量を増やす(それらしく見える)



指導者からノルマの通り、アニメED版の1分30秒を1日に10踊ってみた。正確には、フルコーラス版を1番で終わるようにつなぎ合わせて編集をしたバージョンだ。アニメED版は、1小節カットされているのだ。

2週間後にはなんとか体が動くようになった。そして、なんとか、本番のステージを乗り切ることができた。



この試練を乗り切ったあと、副産物として、体の動きについて、洞察力が深くなった。

たとえば、振り上げた指先の動きであったり、手のひらが体の前のほうを向いているか後ろを向いているのかなどといったことが区別がつくようになった。

さらフレーズというのか、定型的なダンス向けの体の動きがあり、それの組み合わせで、ダンスっぽく見えることが分かった。プリキュアEDダンスくらいであれば解析と再現可能となった。が、ほとんど使い道のない知見なのであった。



学生時代にその域まで達していれば、別の人生があっただろうにと思うととても残念に思う。しかし、視野が広がったのはよかったと思う。



ここまで書いてきて、サッカーときダンスときでいくつかの共通項がある。一つは、指導者存在だ。人に教えることがうまい人との出会いは上達することを容易にする。二つ目自分でやろうとする意志だ。やらされている体育ではここまでの持続的な情熱は持てないだろうと思う。



と、ここまで書いてきたのだが、この年になるとあのステージ以来、ダンス披露する場はない。もっぱらカラオケネタしか使えないのであった。

2016-05-20

この世の邪悪

◯◯と見せかけて……残念! ××でしたー!は非常に邪悪である。だったら最初から××のままで出せばいいのだ。ギャップ萌え? 知ったことか。◯◯への期待を返せ。


眼鏡っ娘と見せかけて……残念! 眼鏡しまーす!

イメチェンと称して以後コンタクトで固定。たいてい「こっちの方がかわいい」ということになる。言うまでもなく邪悪風呂・就寝・眼鏡を拭く等で外すのは普通なので、問題はない。

ロングヘアと見せかけて……残念! ショートヘアにしまーす!

手術のためとか農作業のためとかで切って、以後もショートで固定という……。あまり見ないが非常に邪悪。式典用にはかつらがあるからとかそういう問題じゃねーから最初からショートヘアで出せよ!

コスチュームものと見せかけて……残念! 脱ぎまーす! or 破きまーす!

三次元コスAVで本番で脱がせちゃうのが多いと言われているが、二次元ではコス破損が多い。特にストッキングは確実に破く。演技しづらかったり、コス汚れたりっていう三次事情分からんでもないが、二次元ストッキング破りの思考停止はなんなのだろうか。あと露出度低いコス局部切るやつも謎。じゃあ最初からビキニでも着せとけ。

コンドーム付けると見せかけて……残念! 生でヤりまーす!

用意しておいて付けない。もしくは無くなったからと生に移行。一番意味不明小道具。じゃあ最初から出すな。コマや尺の無駄だ。

ビッチ経験豊富なお姉さんと見せかけて……残念! 処女でしたー!

近年激増している邪悪ギャルヤンキーと見せかけて真面目もこれに含む。処女相手ならマウントを取れるとか、独占とか、そういう需要があるのは分かる。だが経験豊富なお姉さんに翻弄されたり、ビッチにヤり捨てられたり、そっちを期待した俺のこの哀しみはどうしてくれる。処女厨マジ害悪だわ消えてくれ。でもちょぼらうにょぽみ麻衣は許す。

電車自分の隣に人が座らない現象外国人説明できるか

電車自分の隣に人が座らない現象」を外国の人は自分差別されているのではないかと考えてしまうらしい。


日本にくる外国人あるある現象らしいんだけど日本人に聞いても「差別であるとは言われず大抵曖昧言葉否定される。

これは日本人ならなぜそう答えるのか大体わかるんだけど、いくら説明しても海外の人は差別であるといい続けるしその疑念がぬぐえないみたいだ。


まずそもそも「電車自分の隣に人が座らない現象」は外国人だけではなく日本人経験している人が多い。

その理由として挙げられるのは以下のような理由である


・顔が怖い、表情が怒っているように見える

・外観(髪型服装や態度)がガラが悪そう、ヤンキーっぽい、あるいはオタクっぽい

・不潔(非常に汗をかいている、風呂に入らない、服を着替えない)

特にワキガ自分では気付かないことが多い)。この中で最悪かも。

・太っている(隣に座れない、狭い)。

・一人の世界に浸ることが好き。独り言をよく言う、車内でパソコンなど場所を取ることをやる、等。

・足の位置(意外に重要)。足を組んだり、大きく開かないと安定が悪くて落ち着けない。他人迷惑です。

Yahoo知恵袋引用 -http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070593140


電車自分の隣に人が座らない現象」は多くの日本人自身がそもそも経験しており、更に上記のように複数理由が考えられるため

「外観が原因である。」

という理由だと特定できない。

まさか隣に座らずなぜか立っている人にいちいち聞くわけにもいかないし、そもそも特定できないのだ。

なのでネット上で検索すると「女性に席を移動された(意図不明)」「誰も俺の隣に座らない(臭いからか?)」「私の香水が臭かった?(よくわからない)」みたいな悲しい事例があふれるほど出てくる。


よって、「電車自分の隣に人が座らない現象」は差別が原因であるとは断定できず、更に考えられる理由複数あるため日本人反論は「差別とは限らない」みたいな曖昧な返事になってしまうわけだ。


なのでこの反論を聞いた外国人はかならず「本当は差別だけど日本を悪く言われたくないか日本人適当言い訳しているんじゃないか」と思うことになる。


上記の理由からかこの話題過去から現在まで延々とループし続けている。

海外ではこの現象は発生しづいか日本に来て目立つのか、そもそも日本人パーソナルスペースが広いとか干渉を避けたがるとか色々理由はあるとは思う。

でも差別が原因だとは容易に特定するのはそもそも不可能だ。

なにか外国人でもこの事情をズバッと理解できるような明快かつ簡単説明や例えは思いつかないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20160520051838

言い訳だよね?

結局、nonstarterは「状態渡し」でもFRPでも複雑なアプリになっても事情は全く同じということを主張しているのだから、その真実性を証明してくれと要求されているにすぎない。

2016-05-19

ニコニコ動画10周年

http://anond.hatelabo.jp/20160517114849



振り返る増田を読んで、自分も書きたくなった。

トラバ元を書いた方がよく見知っていた分野は、ニコニコ構造上廃れやすい分野だと思う。

一方で生き残る分野はどんなところか。それを書いてみたい。

生き残ると思しい分野に含まれる要素を先に述べておくと、「解説説明突っ込みを加えられる」と言うことに尽きる。

そういう「解説説明突っ込み」が希薄ジャンルは廃れる。



私は2006年大学二年生で、暇だったわけだ。クラスが同じMという男からニコニコ動画の話を聴いてサイトを使い始めた。

http://nicovideo.g.hatena.ne.jp/myrmecoleon/20080527/1211907817

に詳しいような、「おっくせんまん」の成立過程リアルタイムだったし、住宅街の人が初めて歌ったこともリアルタイムで見ていた。



その後東方の隆盛や音MADパンツレスリング淫夢歌ってみた踊ってみたゲーム実況やらなにやらがこの10年で興っては消えて行った。

10年見ていて思うことは、冒頭で書いた通り、「解説説明突っ込み」を入れられる動画が強いということだ。

例えば、先ほどの「おっくせんまん」は動画歌詞を加えたことで大きなムーブメントになって行った。こうした部分がニコニコ固有性だ。

一方、そういうのが基礎になり生まれた「歌ってみた」は、あまり解説説明突っ込み」を必要としない。動画を見て楽しむことがメインのコンテンツだ。

先に投稿した方が、もう誰もやってないと嘆いたのはこうした分野だからだろう。



ゲーム実況だと、初めは実況者の音声のみで、とにかくゲームをしていく、という内容が多かったように思う。

そのうち、ルールが細かいゲームや、難易度が高いゲームに「解説」しながら実況する人が多くなっていた。

ソウルシリーズオブリビオンなんかがそう。この時期で覚えているのは「テクテク」さんの動画だ。

また、TASRTAなど速さや面白さを競うゲーム実況も生まれた。

こちらはマリオFFドラクエなど比較的皆が知ってる、プレイしたことのあるゲームが好まれた。「魔界塔士」さんの一連の仕事が著名だろう。

どちらであっても、動画内で状況を「解説」する。そしてコメントでは、驚嘆を示すコメント・指摘や修正を加えようとするコメントが出てくる。これで動画が盛り上がる。

ゲーム実況では実況そのもの面白いももちろん多かった。しかしそれだけではニコニコ動画固有性が発揮されなかったのではないか

解説」を投稿者コメントを書き込む者も可能な点こそが、ニコニコ妙味なわけだ。そうした構造を持つジャンルは生き残っていく。



もう少しゲーム実況の話を続ける。RTA動画を多く投稿している「biim兄貴と呼ばれる人が創始した「biimシステム」というゲーム実況スタイルについて。

私はこのシステムこそがニコニコ動画におけるゲーム実況成熟であると思う。

biimシステム」は、ゲームプレイ動画本体を左上に据え、右に解説窓二つ、下部に解説窓一つの構造を持つゲーム解説スタイルだ。

下部の窓には、ゆっくり実況の音声が台詞として字幕表示される。右の解説窓ではクエスト確認や、敵やアイテムステータスチャートなどが示される。

このように「biimシステム」は、ゲーム実況を「解説」するに特化したもので、多くの追従者を生んだ。

こうした点を見ても、ゲーム解説実況は、分野として生き残っていきやすいと感じる。



次いで生き残りやすいと思う分野は、専門分野を解説する動画だ。たとえばナショジオとか。本当はアップしたら駄目なんだろうけど。

ニコニコ動画では、かなり以前からメーデー!」という航空機事故を紹介・解説したナショジオシリーズがアップされ続けている。

ここに、どこからともなくやたら航空機に詳しい奴が現れ、緑色でやたら細かい解説を加えて行く。

また、「メーデー民」と呼ばれる人々は、以前の動画で出てきた事故と、今回の事故とを比較コメントする。初心者さらに興味が広まる。

それと、軍事映画戦争映画は盛り上がる。いやが王にも盛り上がる。兵器解説シリーズもそうだ。

軍事オタク描写の正確性を論議し、また右寄り左寄りの意見で荒れることが頻繁だ。しかし活気がある。

あとは海外翻訳系も強い。「AVGN」という古いクソゲー好きのアメリカ人クソゲーに切れる動画ニコニコに輸入されていて、

英語に詳しい者もそうだし、古いクソゲーに詳しい者、日本アメリカゲーム事情に詳しい者が説明相互にしている。

こうした専門分野系の動画は「解説突っ込み」に馴染みやすい。生き残る。



あと地味にスポーツ放送が良い。野球とか相撲とか。夜中に再放送とかもしていて、疲れて帰ってきたら、西武楽天とかがやっている。

ここでは多分俺と同じようなアラサーの人たちがのんびり書きこんでいる。

楽天って左打者が誰が誰だかファンでないと解りにくいのだが、動画ちょっとその選手について質問するとすぐ詳しい人が教えてくれる。

こういうのはホント新規性が高い要素だ。



10年見ていて思うことは、こうした動画による双方向的な解説・やり取りこそが、ニコニコ動画が獲得した固有性だということだ。

生放送踊ってみた初音ミクその他の華やかな部分に目が行きがちだが、本質はそこにはない。

解説」こそがニコニコ動画の真の価値だと思う。

三菱自動車不正

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H8K_X10C16A5CR8000/

社内調査に対し、机上計算した開発部門社員は「当時は忙しく、走行試験過程が増えるので業務量を減らしたかった」と説明している。

たぶん気にしている人は少ないと思うけど、開発部門社員というのがポイントかなあ、と

まり三菱は開発の試験担当者型式認証用のデータを取ってるってことなんだよ


知っている限り、トヨタ日産ホンダあたりは認証用のデータ認証専門部署が開発とは別の試験設備を使ってデータを測定して認証業務をやってる。つまり、これらの会社は開発部門が出来たよ〜って開発完了した車を持ち込むと認証屋さんがデータを取ってチェックしてそれを国交省(交通安全環境研究所)に提出するという流れになっている。


それに対して、開発部門認証業務もやっているメーカー商品開発している担当者がよし出来た開発完了ですって言って、自分で取ったデータを提出して型式認証取得業務をやってるってこと。


どっちのやり方が不正に走り易いかわかるよね…規模が小さいメーカーはどうしても開発が認証をやらなければ回らないという事情はあるんだけどね

スズキ自動車メーカーとしては小さいし、開発部門認証もやってたんじゃないか想像する

2016-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20160518122811

ブルーカラーブルーカラーとして上を目指せばそれなりの収入を得られる構造になってればある程度解決できる問題だと思うんだけどね。

ん?日本産業においてはブルーカラーホワイトカラーもさほど明確な区別はないでしょ。

問題スキルの有無よりも、入った会社の規模と業界その他事情でほぼ収入が決まってしまう現状のほうじゃないのかね?

いくらスキルを磨いても収入に繋がらなければ、まずスキルアップなんか考えないでしょ。

はてブ植民地デマを飛ばすな

朝鮮植民地ではなかった説について」というページ

  http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

ホッテントリに入った。

  http://b.hatena.ne.jp/entry/www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

 

そのあと、はてブでは、これについて批判する意見が多い。「朝鮮植民地だったぞ」というふうに。

しかしこれらの意見は、デマだ。(デマというのは言いすぎかもしれないが、間違った偏った意見であるとは言える。以下で説明する。)

 

記事では

私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。

という話があった。はてブの多くの意見は、この話を批判しているが、これはおかしい。実際、彼ら元官僚は「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。

 

そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的社会弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

もちろん、日本朝鮮からいくら収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国アフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。

特に重要なのは欧米植民地化されなかったのはアジアアフリカ日本だけだったということだ。それゆえ日本戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。

  http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html

 

日本朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的社会を打破して、民主的社会建設し、日本を真の意味近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本米国占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインフランコ政権や、韓国朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。

日本米国占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。

そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本占領下の朝鮮の方が、はるか幸福社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

 

1936年ごろのソウルいかに発展していたことか。これは日本占領の前の土人状態朝鮮とは、大きく異なっていた。

  

参考文書

  http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html

  

 

ついでに一言

アフリカの人々は、欧米収奪されて、社会部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米植民地政策のせいだ。一方、日本占領下にあったアジア諸国は、欧米植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。

仮に、日本アフリカ植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国独立したのは、1960年代になってからだった。

  http://bit.ly/1OhZmF5

しかもその独立は、民主化よりも、独裁者誕生をもたらしたことが多かった。それが今日アフリカの混迷につながる。

 

歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴無知であるにすぎない。歴史現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。

 

2016-05-16

アイドルGやコンビ芸人の連絡方法事情

電話番号(メルアド)を知らない=仲悪い

というメディア認識をいい加減やめてほしいわ。

プリパラ性的消費をめぐって

最近プリパラ性的でどうこうって記事を目にした。

色々な点で不用意な記事だったと思うけど、言いたいことはわかる気がする。

プリパラ性的かどうかはさておき(それは誰が判断するの?という問題があるので)、性的に消費されている、そんな局面は多少ネットを掘っていれば目にする。

それを知った上で、プリパラを見る女児(あるいは娘)に無邪気に接することができるかというと、多少のためらいがあってもいいのではないか

無論プリパラ先進性はよくわかっている。男の娘キャラにそれは端的に現れているんだろうし、ブラ外しがどうこう叩かれていたが、それは正しさと正しさがぶつかりあった結果だろう。

そして、女児プリパラを見ること、あるいは女児プリパラを見ることを傍観することに対して何らかの断罪、ないし性的ニュアンスの感受をしたいのではない。

さらにいうと、「これは歴史的に反復しているものである」という指摘に反発するものでもない。

たとえば、CCさくら板の事情を知りながら娘がCCさくらを無邪気に見ている…そんな光景は用意に想像出来る。

これはそんな出来事の、ささやかな反復だ。

ただ、僕が言いたいのは、そのような構造に対し、多少のためらいがあってもいいのではないか

無論だからプリパラを見るのを辞めろというわけでは一切ないものの、上記の光景に接してググッと唾を飲む、そんな行為を許されるスペースがあって然るべきではないか?ということだ。

女児が無邪気にプリパラを消費する、そんな光景社会的に消費される、そんな光景を見守りながら「オタク」が(多少の背徳感とともに)いささかのためらいを覚える、そんな光景があってもいいのではないか

これは歴史的に反復していることなのだと自覚しつつ……。

多分僕は、「ためらい」こそが人間人間である由来なのだと無邪気に信じているんだ。

そんな安易さを自覚した上で、それでもこの主張をすることはできないのだろうか?

この主張が社会の片隅に登録されて、どこかの誰かの気持ちを動かす、そんな可能性にかけてみることは許されないだろうか?

追記(5/17

元増田です。

燃えそうにしか思えない話題なのに燃えなかったのはなんでだろ…。

酔ってて文章がゴチャゴチャしてるのは確かだけど。

いわゆる典型的に「フェミ」的「ジェンダー」的語り口を回避たからだろうか?

アンケート:手足の欠損フェチってどんだけメジャーなの?

自分は男でヘテロなんで女の子に対して妄想するだけなんだけど、別に男or女から男or女という組み合わせはなんでもいいとして、手足の欠損フェチまり腕なり足なりがぶった切られてるっていうことに対してフェティッシュ感情をいだくってのはどんだけマイナーなんだろう。

個人的にはもう理想女の子想像すると欠損しているのがデフォルトで、一昔前は四肢全部欠損しているのがブームだったんだけど、最近は両腕がないという程度もそれはそれで可愛いかなーという感じで、この辺の好みは千差万別だと思う。またさら個人的にはそもそも「ない」子を相思相愛的に愛でたいし痛めつけるつもりはないんだけど、ここは「ある」子をぶった切る過程のほうがむしろ主眼という人もいるかもしれない(私的邪道と言いたいが余計なお世話か)。

という上で、欠損フェチはてなユーザーかいないんだろか。あるいは、あんまりフェティッシュ感覚はないけどこのレベルの欠損ならオッケーとか。みんな欠損に関してどう思っているのか知りたいので、トラバなりブコメで教えてほしい。

極々個人的には、将来的に髪の色がどうこうとか胸の大きさがどうこうとかと同じ感じで片腕のあるないとかが扱われるようになると嬉しかったり。ラノベとかえろいゲームとかハーレムアニメとかで普通に欠損しているヒロインが混じってる感じになる未来希望してしまう。

追記:義手義足好きやそもそも機械キャラの欠損的フェティッシュもあるか。その辺の事情もどんどんぶちまけて呉れ。

2016-05-15

6歳の僕「正義ヒーローになりたい!」

24時間、命の危険があります

24時間人助けをしなければなりません。

・途中でパワーアップが出来るかもしれません。

基本的には誰もほめてくれませんが、ちびっこにはモテます

基本的には無償です。場合によっては恨みをかいます

ヒロインがつくかつかないかは、あなた顔面事情によります

38歳の僕「ええー、やっぱいいわ…。ブラックすぎる…。」

2016-05-14

県議会議員政経セミナーに行った

天気の良い爽やかな週末。議員所属する地域体育館にてセミナーがあり、知人から券(1000円支払い済み)を渡され、不本意ながら参加した。

券には通し番号が振られていた。券の購入者と出席率を紐付けされるんだろうか。ノルマあるんだろうな。


また、券は氏名・住所・連絡先を記入し回収されるようだった。馬鹿正直に記入すると勧誘電話が頻繁に来るらしく、空白で受付へ。

入場を拒否されれば儲けものと思ったけど、「事情により書けない」(事情=連絡知られたくない考え、なんですけどね)と受付に伝えると、あっさり中へ通された。


会場はほぼ満席で、聴講は400人くらい。地域おっちゃん・おばちゃん(50代前後)が多い。

雰囲気に飲まれない様にいろいろ観察しつつ、応援議員達の挨拶(計45分)や、どこぞの先生の話(1時間半)を流し聴く


議員の声の抑揚も上手だし、先生の話は笑いを起こして会場を引き込んでいく。

しかし「ちゃんと日本食を食べなくなっているからうんたら」と、炎上ホッテントリ食傷したような内容だった。


想像していたより洗脳らしき事も無いし、話も特に面白くないし、いざ県議会議員の講演に切り替わるところで退出した。

天気の良い屋外を散歩できたのが気持ちの良かった印象が残った休日だった。

パナマ文書

http://anond.hatelabo.jp/20160510063734

SKYTECH TECHNOLOGIES LTD

 

 

きょうはこれについて報道目的で解析する。

下関係部分を抜粋・一部訳。

"address":"SHOJI AIHARA 1243-52; KANASAKI; SHOWA KITA-KATSUSHIKA; SAITAMA JAPAN",

アイハラショウジ 相原商事?

日本埼玉県北葛飾郡庄和金崎1243-52(旧地名)

internal_id":"304774" 内部識別番号304774

"jurisdiction":"NIUE" 管轄:ニウエ

"struck_off_date":"13-MAY-2002", 2002年5月13日凍結

"service_provider":"Mossack Fonseca" 仲介者:モサック・フォンセカ

"countries":"Japan", 国:日本

"valid_until":"The Panama Papers data is current through 2015",有効期限 パナマ文書データ2015年時点有効

"ibcRUC":"004893",カテゴリーibcRUC? 004893

"original_name":"SKYTECH TECHNOLOGIES LTD.",

正式スカイテックテクノロジースレテッド

"name":"SKYTECH TECHNOLOGIES LTD." 氏名,スカイテックテクノロジースレテッド

"country_codes":"JPN",国番号 JPN(日本)

"inactivation_date":"20-MAY-2002", 凍結2002年5月20日

"incorporation_date":"13-SEP-1999", 設立1999年9月13日

"node_id":10193590}, ノードID 10193590

"id":169991, 識別番号169991

"type":"intermediary_of", 分類 仲介

"source":215429, ソース 215429

"target":193714, ターゲット 193714

"id":11000940,識別11000940

 

 

 

SKYTECH TECHNOLOGIES LTDはおそらくペーパー企業会社

日本法人とされるアイハラショウジ(相原/藍原/粟飯原/愛原/商事)も

おそらく仮想名。どこかの会社役員名前か、完全な偽名の可能性もある。

日本埼玉県北葛飾郡庄和金崎は旧住所で

現在日本埼玉県春日部市金崎1243-5と思われる。

埼玉県春日部市金崎1243-5は実在住所だが

あたり一帯は標準所得か、標準よりやや高い程度所得層が持つ低層住宅地

おそらく課税回避しようとしている企業役員か、

あるいはその役員の親戚の自宅かもしれない。

もちろんまったく無関係の住所である可能性もある。

 

設立1999年9月13日となっているが、口座開設という意味なのか

実体会社設立と同一日なのかはなんともいえない。

 

ニウエはペーパー企業仮想所在地

2013年現在ニウエの総人口は1,229人で、世界最小規模の独立国家

現地調査が極めて困難なタックスヘイブンひとつ

アジアでは日本を含め7か国しか外交関係がない。

国営ホテル台風でつぶれるような小さい村のような島国

グローバル企業実体会社があるはずがないので

ペーパー企業であることは確定的。

ニウエ最近まで日本と国交が無かった。

が、第3次安倍内閣国家承認をしたため現在公式外交

口座所有者はそういう外交事情に詳しい関係者かもしれない。

ちなみにニウエインターネットでは300万ページものアダルトページを有する

世界最大規模の事実上アダルトドメインらしい。

だとするとアダルト関係企業オフショアか?


なお、スカイテックという企業日本にはかつて存在した。

設立2004年なのでパナマ文書設立年と矛盾する。

ただ、オーナーの星出茂治をウィキペディア検索すると

スカイテック株式会社設立者アダルトDVDをとり扱う

株式会社ハウル2006年株式取得、とある

星出氏ならば仕事上、ニウエ事実上アダルトドメイン

という事実は知っていても不思議ではない。

だがそれとパナマ文書会社関係があるかどうかは現時点では不明

今後の実体調査を待つしかない。

 

 

パナマ文書」等のオフショアリーデータの閲覧はこちら

 

ICIJ Offshore Leaks Database

https://offshoreleaks.icij.org/

SHOJI AIHARA | ICIJ Offshore Leaks Database

https://offshoreleaks.icij.org/nodes/11000940

https://offshoreleaks.icij.org/nodes/10193590

 

 

租税回避企業商品は徹底的に不買したい

 

 

 

2016-05-13

当事者意識のない人って何なん?

仕事企画会議してても、遊びで役割分担してても

当事者意識のない人が凄い嫌。



自分でやりたいって参加しているなら、

俺これできるし、やりたいって言えよ。

空気呼んでなのか解らんけど、ずっと黙って座ってて

最後最後タスク振り分けの段階で

自分ができない理由を言ってタスクから逃げまくるの

(他の仕事が忙しくて無理、家庭の事情で厳しい)

なんなん?



ブレストにしても全く前向きな発言しないし、

時々口開いたかと思うと他の人の意見ディスるだけだし、

じゃあ対案あるのか?って聞いても、それは黙るし。

もう、本当なんなん???



これ、萎縮してる若い子だけじゃなくてオッさんでも

結構いるからたち悪いんだよ。

当事者意識なく若い人の意見否定するだけ否定して、

解決方法はお前ら考えろ。

助言してやって良かっただろ。ってアホか。

そのくせ邪魔から会議に呼ばないと

ホウレンソウががががががっ、ぴーピーピー!!!

とか顔真っ赤でぶっ壊れるし。本当消えて欲しい。

2016-05-12

海外日本ゲーム事情があまりに違いすぎて感覚が狂ってくるの追記

http://anond.hatelabo.jp/20160511210127


海外日本ゲーム市場が違いすぎて違和感を感じるという記事結構ブクマされてる。

なんかわりかし適当に書いたせいか論議を呼んでいるというか、あまりうまく伝わっていないので追加で書く。


元増田でいいたかったのは単に俺の直感に反していて違和感を感じる、つまり不思議だなぁというそれだけの話である


ドラクエがすごい人気!売上400万本とかだってよ!すげー!

とか思ってたら同じ日本製ダークソウルが300万本出荷したとか言ってる。

でも別に知名度で言えば日本ではドラクエとかポケモンとかとは比較にならない。

変なかんじだなぁ。


という単なる感想である

別に日本の現状が悪いとか海外を見習えとかそんなことは主題ではない。

なんかちょっと受け狙いで大げさに書いたのでネガティブに伝わった感があるがそういう意味ではない。


以下はブコメを見て感じたことである


面白いのは「ドラクエ日本での知名度」と「ダークソウル日本の知名度・アメリカでのダークソウルの知名度・イギリスでのダーク・・・

というのを比較した場合、圧倒的に「ドラクエ日本での知名度」の方が対人口比で言えば高いということである


まりこれはグローバルな視点でみると日本人向けキャッチーであったりカジュアルコンソールゲームを作るよりグローバルな人に向けてコアゲームを作ったほうが売れるのではということを意味する。

そりゃあ、コアなゲームばっかになるよなぁ。

と思うのであった。


あと全然関係ないけど、グラフィックが滅茶苦茶いいゲームって「大衆向け」か「コアゲーマ向け」かどっちだと思いますかね?

10年来の同僚に文句を言われてセックスレス解決方法がわかった

近頃、嫁さんを見ている感覚が何かに似ていると感じていたのだが、先日その理由に邂逅した。

それは、会社にて経理女性から請求書のことで文句を言われている時のことだ。



彼女とはもう15年以上同じ職場で働いていて、食事にも幾度なく行ったしこれといって仲が悪いわけでもない。

見た目も悪いわけでもなく性格が悪いわけでもない。

ただ、1度として恋愛対象として意識したことはない。

個人的に嫌っているわけでもなく、しいていえばそれほど好みではないという程度だ。

彼女男性事情は多少なり耳にするところだが、それに対して何か感想を持ったこともない。

別段友情が深いわけでもなければ、ただ単に、お互いが存在を認め合っている程度なのだ

きっと彼女結婚する男性はそつない結婚生活を送ることができるのだろう。

からといって自分結婚したいと思ったことはないし、いつも思考はそこでストップするのだ。

残念ながら酔った勢いで過ちを犯したことはないし、かつて手を握る程度のスキンシップすらない。

文句を言ってきたその日(といっても文句の原因はぼくの請求書の作り方にあったのだが)、彼女清潔感ある服装言葉遣いにも嫌味はなかった。

いつも通り「今日も綺麗にしてるな。」と、その程度の感想を持ちつつ眺めていたのだが、ふとそこに嫁さんの姿が重なった。



セックスレスの原因としてよく言われるものは、お互いが家族になってしまったというものだ。

家族なのだからセックス違和感があるというのだ。

だが、その意見には常々懐疑的だった。

なぜなら、家族と言うには血縁が薄いからだ。

愛情がないだとかそういうことではない。

やはり他人である以上、どれだけ時間をかけたとしても埋められない血の濃さがあるのだ。



そう考えていた時に、ふと嫁さんに同僚の姿が重なったことで色々なことが納得できた。

嫁さんとは結婚して10年だが、要するに色々知りすぎてしまったことで興味が無くなってしまったのだ。

そんなもの家族でも何でもない。むしろよく知る友人になったということなのだ。

何もそんなことかと思う結論かも知れない。

だけど大事なことは、その先にある。

今までセックスレスを解消するために行ってきたアプローチは、愛情を深める合うことだった。

お互いのときめきを取り戻そうとデートしたり、ムード演出して甘い言葉を囁いてみたりもした。

ただ、どれ一つとして何かを響かせることなく、ついぞ実ることはなかった。



しかし、もし相手との関係勝手知る友人同士だとしたら、どんな状況でならセックスをし得るだろうか。

過去恋人ではない付き合いの長い異性とのセックス経験したことがある(もしくは続けている)人ならもうわかったはずだ。

まりは、大切なことはノリと勢いなのだ

そこに愛情なんてものを持ち込もうとするから話はややこしくなり、最悪そのうちに愛情がないだなんて結論にまで至ってしまうのだ。

セックスをしなくても愛情があるのと同様に、セックスをするのに愛情必要ないのだ。

いうなれば夫婦セックスフレンドになるということが、セックスレスを解消し、お互いがつまら浮気やら愛情問題やらを持ちださずに済む一番の解決方法と言えるのだ。




ぼくの言っていることは、愛情あふれるカップルにはおかしなことに聞こえるかもしれない。

しかし、ぼくは至って真剣である

この考え方こそが、先の見えない暗澹たる人生の雲間にさした一筋の光明と思えたのだから

セックスレスを解消するのは愛情ではない。むしろセックスレスの原因を愛情と考えることこそがとても危険ことなのだ。

もし同じ深みにはまってしまっている人間がいるのであれば、ぜひ励みにして欲しい。