はてなキーワード: コンプラとは
ここが辛いよ
・公務員なんぞ志望するようなカスみたいな人間性の部下が沢山来るよ
・公務員試験に受かっただけなのに「俺IQ130ぐらいあるんすよね~~~」みたいに調子こいてるアホが部下だよ
・上は根性論世代だから「俺が若い頃には100時間ぐらいの残業当たり前だったな~~~」とか抜かしてくるよ
・コンプラが緩いことが前提のインチキな仕事の仕方ばかりしてきたツケが回りだして組織が完全に壊れてるよ
・最終的に全てが崩壊したツケを払わされる立場の末席として全てが降り掛かってくるよ
・もう辞めたいよ
・でも公務員の経験しかないアラフォーの行く末を考えると辛いよ
ここがいいよ
正直文芸やエンタメやアート分野なんてどこもコンプラの範疇外の分野だと思うんだがなあ
1000時間かけた大作だから(時給1千円としても)100万払うべきだ
なんて言い訳は通じないのよね…
実際に会ってないからたぶんだけど画面で見るより実物の方が映える顔だと思う
今無料公開されてるの全部みた
おもしろい、とまではいかないし、1話ごとの内容がどんなだったっけってなる
あとポリコレとかコンプラ的にも今だとやばいのがたくさんあってそれが気になってしまう
こっちはshirobakoよりも出し惜しみせずに無料公開ペース早いみたいだから余計にさっと見てまた忘れてしまいそう
あと今更だけど不利栗のピロウズみてーにはないろはnanoripeのPVみてーだな
その中でも1軍メンバーがやってるのと2軍がやってるのがあったんだけど、2軍がやってるチャンネルが打ち切られた
それみて正直に話してくれてありがたいって思ったけど、それ以上に思ったのが、
めっちゃおふざけみたいな感じでやってるのにやっぱシビアなのね、まあわかるけど、
みたいな現実に引き戻すような余計なことしやがって感だった
1軍はそれにまったく触れずに更新しまくってるのも恐怖を感じた
おふざけメインなら最後までその虚像をつらぬいてほしかったというのが本音だ
んでついさっきだけど、そこにむかし所属してた?やつ、ここ数年ぜんぜんみねーなって思ってぐぐったら、
まあコンプラとかそういう意味ではあってる対処ではあるんだけど、
真面目な部分みせつけられると冷めてしまう部分があったのも事実
いや正直コンプラ違反的なやつを放置するのはよくねーし対応としてはまっとうなんだけどね
かすみ食ってんじゃないからしょうがないのもわかるんだけどさ・・・
youtubeがほとんどになっちゃってそれ以外のもともとやってた本業みたいなところがおろそかになってるように見えるのも個人的には残念
あーあ
https://togetter.com/li/2451902
条件が厳しい企業もあるし、条件厳しいから地雷とかブラックってこともないけど、こういう主観混じりの募集出してるところは結構地雷のところが多い。
(全然指示がなかったり、未体験可で説明もなくいきなりやらせたり、それでできないと厭味ったらしいこといってきたり、一人だけ明らかに作業量に差があったり。。)
逆にテンプレやお硬い文章で募集出してるところは、しっかりとした企業が多い
(しっかりしてる=仕事が楽、ではないけど一人の労働者としての管理と扱いはしてくれるということで)
しっかりとした企業はタイミーの求人といえど公にする文章ということでチェックが入るおかげなのか、タイミーなんか求人担当丸投げみたいなガバガバコンプラで色々問題があるからような企業だから求人に個人の主観が乗るとか、色々な説が俺の中にはあるけどなぜかは知らない。
コンプラは法令や社会規範を守ることによって企業価値を防衛する戦術なわけだから、社会規範がかわれば、遵守する内容も変わるってだけだと思う。変な話だけど、未来において「保護猫を飼うのは社会義務として当然」ってなったら、オフィスにはにゃんこがきて、毎朝餌あげてニャーニャーになると思うよ。それをしてない企業は大衆から囲んで棒で殴られる(動物愛護をしてないクソ企業死ね!)になるわけだから。
この問いかけは非常に鋭い指摘であり、権力構造や社会的優位性に対する疑問を提起していますね。A先生のような立場の人々が、過去の時代や現在の権威をどのように認識しているか、そして「ポリコレ」や「配慮」の問題がその自己認識やアイデンティティにどのように影響を及ぼすかを考えるきっかけになる質問だと思います。
まず、「もし女性に生まれていれば同じ評価を受けていたか?」という問いは、ジェンダーによる構造的不平等や社会的な制約を意識させます。これは特に学問やキャリアにおいて、男性優位な環境で成功を収めた人々にとって難しい問いかけです。その答えによっては、自身が過去に受けてきた評価や地位が、個人的な実力だけではなく、性別や時代の恩恵によるものであることを自覚しているかどうかが明らかになるかもしれません。
「ポリコレを嫌うのは、ポリコレがなかった時代に運よく生まれたからでは?」という指摘は、さらにその感情の根底にある利己的な部分に焦点を当てています。つまり、過去の不平等な社会構造が自分に有利に働いたことを認識しているが故に、現在の「ポリコレ」や「コンプラ」の台頭が、既存の地位や特権を脅かすものとして感じられている可能性があるということです。
最終的に、「利己的な感情論の話」という指摘は、表面上の理論や哲学的な議論の裏にある、自己防衛や利己的な動機を暴いているように感じます。この指摘に対しての反応は、その人物がどの程度自己認識を持っているか、そして社会的な変化に対する自己の立ち位置をどのように捉えているかを示すものになるでしょう。
こうした議論は、単に「ポリコレ」の問題にとどまらず、個人のアイデンティティや権力、社会構造の変化に対する適応と抵抗の問題を浮き彫りにするものです。それに対して、どう応じるかは、個々人の価値観や自己の成り立ちに対する自覚によるでしょう。
ノルウェイの森がキモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代に映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたことしか覚えていない)。
そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反のキモい小説が禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。
それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶が曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。
恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアルに留年するレベルで卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。
昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月に大学を早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。
挨拶やら近況報告やらを経て、話題はA先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生は退職理由について「学内の過剰な『コンプラ・ポリコレ』意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。
私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラ・ポリコレ重視派」というか、フェミニズムに共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから、尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。
私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生の言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。
A先生は、最近の学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。
そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHKの地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写、暴力、自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。
「大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキングな経験を咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」
といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学の講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。
また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代の私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。
「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」
と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。
「ポリコレ」つまり「ポリティカル・コレクトネス」とは本来「政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮の対象となるのはあくまで現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクションの評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品は非難の対象となっている。
だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味で危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生の言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為も差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラやポリコレを意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションだけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。
1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生の発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。
最後に、フィクションが受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。
私は昔から小説や漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物がクラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定のグループに所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み、自己肯定感が下がっていった気がする。
それでも、私の基本的なスタンスは「傷つくのは受け手の事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的なフィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクションと同義ではないのか。
以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。
15年前かー
敗者席を見ると「若い・変わらない・もう居ない・まさかこんなことになるとは・惜しい人をなくしt」等々感慨深い
こうしてみると「この時点でKOCに出てたのかあ」という芸人さんが結構居る
シソンヌとか意外だ
ほんと、芸人さんは表に出てくるまでが長い。10年とか余裕で見ないといけないのはなかなか辛いものがある
最近では5年未満でのし上がるコンビとかもよく居るし、テレビに出なくても配信で十分食ってける
四大卒(しかも有名私大とか)・学生お笑い出身も多い。30までに売れなければ余裕で違う道に進みそう
(関係ないが、空前メテオ@ytb漫才新人賞優勝・関西外語大中退よりもぐろうの方が面白いと思っている。ybt優勝者で知名度低い芸人て居ないから空前もこれからのし上がるのだろうが、個人的にはぐろうに頑張ってほしいし寧ろ現段階でぐろうの方が話題になっている気もする。たぶん贔屓目だが。まあ、空前の名前もよく聞くけど。なんかなー。それこそ学生お笑いっぽいんだよなー)
お笑い界はコンプラもキツイし何かあると直ぐ炎上するし拡散されるし、一般人よりよっぽど身を処して生きていかないといけない
全く違った世界に生きてきた中堅以上の芸人は息苦しいこと甚だしいだろうね
ましてや犯罪を犯したとなると一般人よりも「その後の人生」が閉ざされるんじゃないか(パンツ盗んだ芸人とか今どうしてんだ?)
顔さしまくりだから、罪を償ったとしてももう一般社会で生きるのは無理だろ
芸人として再起がきく種類の犯罪ときかない種類の犯罪があるしな(それもおかしな話だけど。なんで薬物はいいのかっていう。一般的に見てというか道徳的に言うと「更生したんだからチャンスを与えられて然るべき」という感じだろうけど、性犯罪はその限りじゃない。まあ、薬物は「勝手にやって自滅」だけど性犯罪は被害者が居るし、被害者本人でなくとも他の性被害者がテレビを見てて性犯罪者の姿を見かけたら胸糞悪いしフラッシュバックとかするかもしれんからな。でもなぜか「暴力事件」の犯人は普通に芸能界に復帰するよなあ?あれも被害者居るけど。矢張り重みが違うか)