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はてなキーワード: 入院とは

2016-05-23

anond:20160523205635

それって統合失調とか?

危害加えてくるようなら警察相談して場合によっては入院措置させてもらったりとかしてもらえんのかなー

2016-05-21

介護必要な親父を復讐放置している

あれは40年近く前。

母親が妹を妊娠中、あまり経過が良くなかったらしく度々入院していた。

その時、俺は3歳。

親父が「祐くんが頑張らないとお母さん死ぬかも知れないんだ、だから頑張れるよな?大丈夫だよな?」と言いつつ俺を家に放置して浮気相手の所に通っていた。



ずっと1人でパン食って、1人で寝て1人で起きてTV見て両親が帰ってくるのを待って。

母親祖父母も親父が俺を世話してると思っていたんだよ、でも俺は1人放置されていたんだ。



病院に行っていたのでは無かったと両親がゴタゴタして知ったとき絶対に親父に復讐してやると誓った。

あんたも3歳の俺を放置してたじゃん。」つったら何も言ってこなくなった。

しっかり孤独老人として孤独死してくれ。

もう亡くなった母もきっとそう望んでいる。

労働で辛そうな人に「早く辞めたほうがいいよ」とアドバイスしてくれ

http://news.yahoo.co.jp/feature/188

この記事ブクマで「さっさと辞めなよ」というブコメが付き、その通りだとは思うけれど…

私の場合はこうなったということを書きます

私はWebシステム開発会社で、多い残業、強いストレスによる通院と体調を悪化させていました。

周囲に相談すると「早く辞めたほうがいいよ」とよくアドバイスされました。

つらい状況が2ヶ月ほど続いたとき、決心し退職しました。

しかしながら、今から思えばこのタイミングでの退職は失敗でした、なぜ失敗と思うのか。

休職活用していない

休養が欲しいなら休職という手段が手軽です。当時の私も考えましたが、とにかく環境を変えたいと退職を決意しました

しかしこの休職しないという選択肢は、職歴の短さ・準備期間の不足による履歴書空白期間の増加という悪影響を及ぼしました。

現在転職しましたが、労働時間こそ前職より少ないものの、ピリピリとした雰囲気の悪い会社に務めることになりました。

もっとしっかり病状を重くしておく

以前の労働期間中、メンタルクリニックに通院しており、うつという診断が下されました。

現在も処方された薬を飲みながら生活しているのですが、前職を辞めてから就職活動中に

なにか役立つことがあるかもしれないと、ネットで見つけたメンタルヘルス支援イベントに参加しました

そこでは私のような「うつ」戦闘力5のゴミ程度なもので、医師からキッチリ診断書を貰い入院するのが基本

手帳を貰えばまぁ一人前という雰囲気でした。

お金就労の面から見て、手帳はそれほど役立つものではないよと言われましたが、やはりそれがあると無いとでは大違いでしょう。

区役所相談に行った際も私のような、診断は受けているが自力で通院できて一応働ける人は全くの蚊帳の外でした。

建物地震で半壊したときには誰も見ていないうちに全壊にしておけ、というのは社会人にも当てはまりそうです。

今働いていて、生活保護よりは多いお金を貰えていますし、働けているので障害年金受給絶望的と言われました。

もっと前職時代に病状を重くしておけば、いろいろと打つ手が増えたのになと思っています

2016-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20160514104321

突如2016-05-14にまた怒涛の連投自作自演乙 オッスオッス

躁鬱病入院がなんだってソースは?ああ、またキチガイ妄想か。

http://anond.hatelabo.jp/20160513154521

うちの祖母(90歳)も骨折入院した。

退院まで1ヶ月程度だった記憶だが、入院中あっという間に認知症が進んだ。

詳しくは分からんが「普段と違う環境」「将来への不安」で認知症が加速したんじゃないかと思う。

寝たきりにならなくても、入院するだけでも認知症には良くないらしい。

幸運を祈る。

2016-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20160506231736

3月24日のやりとりに対するレス5月6日に、岡部ブログ5月6日更新(笑))のURLを張り付けて行う執念深い岡部さんのファン(笑)の方、オッスオッス。

今回の入院は長かったですね。躁・鬱の間隔が長くなるのは良い傾向なので、その調子ご自愛ください

2016-05-13

ばあちゃんが転んだ

米寿を越えた足の悪いばあちゃんが自宅でコケ入院した

大腿骨頸部の複雑骨折らしい

手術をしないと歩けるようにならないらしいが、現状でばあちゃんは手術に耐えられるだけの体力がないらしい

しばらく入院して弱った身体機能回復させ、それから手術の可不可を判断するとのこと

手術ができなければもう歩くことはできないだろうとの見込みだ

ばあちゃんは軽い認知症で、もし寝たきり生活にでもなってしまおうものなら

さらに症状が進んでしまうだろう

俺が結婚するのを心待ちにしているばあちゃんは、いつ来るか分からないその日まで俺を覚えていられるのだろうか

頼むから元気になってくれ俺も頑張るから

2016-05-12

彼は18歳の夏に命を断つ。

両親ともに勤務医だった。それも代々続くような医師家系ではなく、自力で這い上がってきたタイプの。

保育園時代に「お風呂に入るのを嫌がるから」との理由で通わされたスイミングスクールは、毎回始まる前に女子トイレ嘔吐していた。

9歳のときいじめにあったが、親は学校側の対応に任せ放置した。学校側はからかいの延長と判断した。ゴミ箱に捨てられた教科書は、元のようには返ってこなかった。

少年学校1位の成績を維持し続けた。いい成績をとっても、親がほめてくれるようなことはなかった。浮かれるなとは言われた。

市立中学への入学部活に入らなければスイミングスクールを週3に増やすと言われた少年は、陸上部に入部するが、4カ月で不登校になった。本人にアプローチをかけることは親はしなかった。

その間、世間では引きこもり定義されたその間に、少年インターネットで様々な世界情報を手に入れる。

中卒15歳、高卒認定を6科目取り、理科2科目落とし、秋の受験で残り1科目までにして、

人生がわからなくなった。

とても生きづらい、つらいと感じて15歳で手首を切った。

市販薬乱用も頻繁に繰り返すようになった。

今まで溜め込んできたものが発露した、涙を流すだけでは耐えられなくなった。

精神科に行きたかった、楽に生きたかった、けど。

輸入した無水カフェイン錠をざらざらと水で流し込んで、げろげろと吐いて親に病院に連れて行かれた。

「親に対する敵意が妄想的」。精神科医が下した病名は統合失調症だった。処方も統合失調症の急性期に対するそれそのものだった。入院先は閉鎖病棟だった。少年は面会に来る親に退院させてほしいと要求するが、rejectされるばかりだった。医師に言ってもはぐらかすだけだ。それは主治医判断から、と言う。4カ月目に無断離院をし、退院の扱いになった。

それからは病者を扱うかのような態度で親は少年に接する。

「薬は毎日必ず飲め」

毎日××kmは歩け」

勉強しろ、夜9時から朝6時まではルーターの電源を切るからネット禁止

インターネット少年にとって、狭い世界から脱却できる、同じ時間を生きる人がいると実感できる唯一のツールだった。

だいぶ前に契約した超低速SIMカードけが救いだった。

高卒認定は16歳の夏に合格した。

医療は何の役にもたたなかった。

外来診察には診察室に親が入ってくる。そしてうっかり「死にたい」とでも言ったものなら、主治医がちらつかせる「入院」のカード

少年は親のためだけに、元気な表情であり続けた。心の中がすごくぐちゃぐちゃでも、元気な振りをし続けた。

主治医「××くん、表情いいし大丈夫だね。処方同じで2週間後」

母親うつ病で、SNRI睡眠導入薬が処方されていた。当時連絡を取っていた閉鎖病棟時代の友人が自殺するというので、着いて行った。

母親に処方された睡眠導入薬と自分の持っている睡眠導入薬、ざっと数えて100錠、冬山で凍死計画。

でも、目の前の15歳の命が失われることが怖くなって、少年らは山を降りた。

捜索願で警察保護され、親元に帰される。警察の前では「生きていてよかった」と口にするが、家に帰れば

母は

病院帰るのッ!? とりあえず薬増やせ!!」

「薬だけは飲んで!!!」

父は

「薬は元の場所に戻しとけよ」

主治医

「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」

と言った。

言われたとおりに薬を飲んで、死にたいと思ってこっそり腕を切っては、過食嘔吐を繰り返した。

求められる「笑顔」を演じながら。

18になる直前に、病院を変えると少年は言った。両親は納得しなかったが、今の病院にはもう二度と行かないと言ったら、県立精神科病院への転院を認めてくれた。

案の定診察には親がいるので好きなようには話せないが、抗精神病薬漸減され、ADHD向けの薬一つに処方が絞られた。

「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」

過去医学部生として、今臨床に携わるものとして、主治医の話を聞いて頷いたあなたがたは今。

「診断名出てよかったね」

ADHDかー、俺もそうだと思っていたんだよ」

少年は今年の春に東京大学入学し、親元を離れた。

なにがしたいのかわからない。なにもしたくない。つまらない。

親の支配からの脱却を願っていたのに、なんで、なんで。

今の主治医はこう言う。

自己同一性確立できてないんだろうな」

彼は18歳の夏に命を断つ。

近くの12階建ての団地から飛び降りる。

もうやり残したことはない。

2016-05-11

最近350m缶ふたつで酔えなくなってきた

お酒飲まないと寝れんくなってから

350缶を二つだけって決めてきたのに、いつの間にか足りなくなってるっぽい

最近、二缶目が軽くなってくるとすごく残念な気持ちでいっぱいになる。

小学生とき学芸会が終わった後とか、夏祭り終わって帰るときとかに感じた感情に似てるかも。

大抵次の日の仕事のことを思い出す。

別に仕事でいびられてるわけじゃないけど、なんだろうね。


さっき二缶目を飲み終わった。

コンビニに行こうかな。最近はこのあとコンビニに行ってお酒を買い足していくことが多くなった。

大抵買いすぎて次の日つらい。たまに無理やり吐く。


職場は老若男女入り乱れて使い捨てーな派遣社員巣窟なんだけど

そういえばアル中入院から退職って何人かいたなあって思い出した。

自己責任なんだろうね。派遣社員でこの年まで生きてきた報いで酒に逃げるくらいしかドーパミンが出ないんだ。

もーそのうち死のう。

体力をつけるために運動する体力がない

3週間ほど入院したらめっきり体が弱ってたので運動でもして体力を回復したいんだけど詰んだ

服を買いに行く服がない、よりよっぽど深刻だと思う。(体力は通販では買えない)

2016-05-10

39度のとろけそうな発熱にやられながら考えたこと

ここ42時間ぐらい39度近い発熱を繰り返している。息苦しく、頭が割れそうになり、思考もままならない。こんな状態を何度もやってきて、決定的に身体が消耗してきたのを感じる。熱が上がってくると男ながら情けなくも泣きたい気持ちになるが、うっすら目がにじむだけで、涙粒にはなりやしない。今、身体は男のセンチメンタリズムにつきあって、涙を製造している暇などないのだ。うぅ合理的。血も涙もないとはこのことか。


病気のおかげで、ひとつ哲学的な問いに対する答えが見つかった気がする。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。

もともと守るものなんてなんにもないと思っていたクチで、私はひどく働いていた。フリーランスになったばかりで頂いたお仕事ひとつも断りたくなかったのだ。業種や詳細は控えるが、朝起きて仕事して倒れるように寝て、また仕事、そんな生活。これは滅私奉公というやつで、守るものがないからこそ発揮できる強さだ。自分の身体のことなんてチリほどにも大事にも思っていないから、こういう働き方ができる。

結果、身体を壊して入院した。そして、発熱を繰り返すと、否が応でも自分の身体のケアを考えなければならなくなる。ただ元来が、滅私奉公型で働いてきた人間ゆえに、自分のためだけに頑張るという発想ができない。一体誰のためにいつまで続くともしれない発熱や痛みと戦えばいいのか?陳腐オチ申し訳ないが、頭をよぎったのは、入院に際していろいろと世話をしてくれた彼女存在だった。守るべきものがある強さとは、身を粉にして働くこととは正反対で、守るべき誰かのために自分自身をも守れる強さなんじゃないだろうか。だっていつまでもこんなところでへばっていたんじゃ、気を尽くしてくれた彼女に対して申し訳がたたんだろう。

さて一度、話を戻そう。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。前者は、自己犠牲型で強力なパワーを発することができる。後者は、他者のために自分をもいたわることができる。どっちがいいのかは置かれた状況次第だか、長生きしそうなのは後者だと思った。

退院したら、きちんと彼女にいつもありがとうと伝えよう。あなたのおかげで今頑張ってます


入院中の病院より高熱にうなされながら

2016-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20160508154230

同性愛キモいというのは、本当に申し訳ないが、感情としてはある。

ただ、キモいから排斥してよいとなると自分に返ってくるから、それは言いたくない。

以下、ちょっと頭の中を整理させてほしい。



同性結婚を認めれば少子化になる論

これはおそらく正しい。少なくとも、偽装結婚して子供までもうけるケースもあったみたいだから

その分は間違いなく減ってしまうだろう。

そして、それの何が悪いんだと思う。

今の少子化は様々な要素があって起きたことだが、世間体強制力が弱まったことが一因として挙げられる。

その強制力を復活させるべきという論も時々見かけるが、今更無理だろう。

今や皇族恋愛結婚されている(少なくとも、建前上そういうことになっている)のだ。もうどうしようもない。

個人的には、世間体というのは総じてクソだと思うので、それに縛られた結婚は不幸の始まりと考えている。

故に、なくなるならそれに越したことはないし、そのせいで少子化になろうが知ったこっちゃねえのである

世間体排除異性愛には認めて、同性愛には認めないというのは理屈が通らない。

からこの点に関しては堂々とすればいいと思う。



でも公に認めるのは別問題なんだよ

おっしゃる通り、ペド場合は片方に責任能力がないから、そこにつけ込むのは問題外だ。

けど、例えば近親婚。これもLGBTの人らが一緒にすんなってうるさそうだけどさ。

現代感覚だとやはりキモいと思われるが、制度禁止されているのはそれだけじゃなくて、

まれてくる子供障害が出やすいという実際的問題があるからだろう。

から関係を結ぶこと自体は法的に禁じられてないけど、公のサポート基本的に得られない。



民間経済活動だと、同性カップルだろうが金を落としてくれればそれでいいから、

最近やたらと寛容になりつつある。結婚式場なんかも前向きだ。

テーマパークでやるのは、周りの目もあることだから、もう少しハードルが上がってしまうが。

あと、病院入院した時に困るというのがあったが、これはむしろ認めない方がデメリットが大きいだろう。

ただ、それらを認めるのと、公の承認サポートを与えるのは別だと考えたい。

現在、老若男女様々な愛のカタチがある中で、成年の異性愛(それも全ての異性愛ではなく限られた)

カップルにだけ、法律婚という優遇策が与えられている。

それは言うまでもなく子供存在があるからだ。

子供の有無に関わらず優遇しているのは、それでも高い蓋然性でもって子供が生まれてくるからだ。

同性愛には今のところそれがない。

何の責任も負わず、ただただアヘアヘしてるだけの輩に、優遇策まで与えたくねえというのが本音だ。

そういうのにありつけてないからひがみで言ってるのは認める。




結論

結論としては、同性結婚は認めるべきである

そして、子持ちの家庭は異性愛同性愛、実子養子区別なく優遇し、代わりに今ある優遇策は

結婚しているだけでは得られないようにする、というのが落としどころとしては妥当だと思う。

たぶん将来的にはそういう方向に進んでいくんじゃないだろうか。

その場合、割を食うのは異性愛の子なし家庭で、故に彼らが敵に回るのは覚悟する必要があるだろうけど。

あと、近親カップル養子をもらっても、やっぱり優遇すべきなのか、これはまた改めて考えたい。

父の人生

本人が過去を語ったことは殆どない。



父は75年前、とある海沿いの温暖な田舎町に生まれた。祖父はそこそこの有力者であったが暴力的で、祖母陰険な人であったと母は教えてくれたが、それ以外のことを私は何も聞いていない。

高校卒業証券会社就職したが半年で辞めた父は、その後数年、伯父に生活費を援助してもらいながらニート生活を送った。

幸か不幸か伯父は真面目でお人好しだった。自ら脱サラし、地方都市電気工事会社を立ち上げそこに父を雇い入れた。父はしぶしぶ電気工事士として働き始めたが、貰った給料はすぐに博打に消えてしまったらしく、伯父はその度に別途生活費を渡していたという。

のんべんだらりと生きてきた父だが、38歳の時に運命的な出会いをする。母は田舎から地方都市に出てきたばかりで、当時20歳だった。

付け焼刃でがむしゃらに働き始めた父の姿に母はまんまと騙され、二人は半年でゴールイン。が、結婚してすぐ父は元の姿に戻ってしまい、電気工事士仕事を時々サボっては給料博打で溶かすようになってしまった。

金が足りなくなると父はすぐ祖父母に金の無心をした。その度に祖父は母を殴り、祖母はなじった。

母は再就職し、伯父と連携を取りながらなんとか父との生活を維持した。離婚しようとは思わなかったらしい。父には常に虚無的な空気が漂っており、放っておくとこの人は本当に社会から取り残されて死んでしまう。自分がなんとかせねばといつも思ったようだった。



父47歳、母29歳のときに私が生まれた。

私は物心ついた頃から父が苦手だった。なんというかいつもガサツで、汚くて、暗い人だった。人を絶対に寄せ付けない空気が娘の私でも感じられた。

それもあって18歳の時に大学進学を言い訳に無理やり家を出た。成人式の時は伯父の家から出発し、母が駆けつけてくれた。28歳の現在、私は別の地方都市一人暮らしをしている。

父とは5年前に数時間会ったきりで殆ど顔を合わせていない。



そんな父と、このゴールデンウィーク回転寿司に行った。伯父が入院することになり(大した病気ではない)病院からの帰りに父を車で送らなければならなくなった。

お腹が空いたと言う。「牛丼屋か回転寿司がええ。他のはいらん」。店員となるべく話をしたく無い様だった。仕方ないので回転寿司を探して入り、カウンターに並んで座った。父は席を二つくっつけて、靴を脱ぎ、そこに胡坐をかいて座った。

父は席に着くなり「どうせ何食べても同じ」と宣言し、「全然うまないな」「どうせここにいるのはこの程度のあれ(仕事しか就けない奴ら」と言っては、回ってくるサーモンを取ってはクッチャクッチャと音を立てて食べ続けた。

父は明らかに耳が遠くなり、誤嚥が増えていた。ろれつもあまり回っていない。話をしようにも「あれがああなるからあれ、あれ」で、単語が出てこない。歳をとったなぁと思った。

結局父とは殆ど会話をせずに店を出た。私が会計をしている時も一言も発さない。ただ、爪楊枝をクチャクチャとしがみながら「はよ車開けろ」とだけ言った。爪楊枝は駐車場の地面に吐き捨てられた。私は注意したが、父は何も応えなかった。

車の中で父は自分語りを始めた。最近小遣いを全然貰えないかパチンコに行けない。一日中テレビを見て、飽きたら家の外に出て、何もせずブラブラ歩き続けるという。「他に何か趣味を持てば」と言うと「何も気力が持てん」「もうすぐ死ぬ明日死んでもええような気がする」「でも自分から死ぬ気も起らんし、あれやったらお前が殺してくれてもええ」と。



父の人生は何なのだろう。父はこの人生で成し遂げたことは何も無い様に私には感じられた。私のことを育ててくれた筈なのに。

今でも父のことはあまり好きではない。しかし、このまま父が死んでしまったら、あまりにも空しい様にも思う。

でも何もしないのが父の意思であれば、私は何もすることができないし、関わったら関わった分だけ損をするのは目に見えている。放っておくしかないのかもしれない。



もっと生き生きとした父親が欲しかった。

2016-05-05

知られざる! ドクターコース

あらすじ

軽い気持ち学部修士と内部進学してきたハカセさんは、おなじ大学の「研究室」に入院することになる。しかし、そこは自分を含めてドクターコースわずか5人の学校だった。居室には「センセーに気をつけろ」の置き書きがあり、論文は3年間に1本しか出ないほどのクソ教官の下での、ハカセさん、アイヤーが口癖の中国人留学生リーさん、キムチの苦手な韓国人留学生キムさんら博士課程学生の、日々の研究を描く。

各話

episode 1 「NEW RESEARCH! きょうも研究がんばるぞい!」
  • はじめは誰しも夢をもって研究室に入ってくるものです
episode 2 「ガンガンロンパ 希望ゼミ絶望研究室
episode 3 「あの日見たプロシーのタイトルを僕達はまだ知らない」
episode 4 「とある科学の国際会議シンポジウム)」
episode 5 「がくしん!」
  • 頑張って書いても落ちました 中の上
episode 6 「極黒のカケンヒ  KAKENHI in the Darkness
  • アイツにはでる旅費 俺にはでない旅費
episode 7 「俺のデータがこんなに正しいわけがない」
episode 8 「英語論文だけど愛さえあれば文法は)関係ないよねっ」
episode 9 「DOCTORS;HEAD 修正地獄論文執筆
  • もうすこし、やさしく添削してくれても良かったんじゃないですかね!教授
episode 10「やはり論文リジェクトはまちがっている。」
  • どうしておれが...
episode 11「僕は業績が少ない」
  • そしてこうなる
episode 12「落第博士英雄譚」(最終回






つづく?

精神疾患攻撃

このあいだも同じような事件があって執行猶予つき判決が出ていた(「精神障害の長女を殺害した父親に長男「よく我慢してきた」)が、こちらの長女の場合他罰的症状を伴う「強迫性神経症」で入退院を繰り返していたとのこと。



統合失調症場合幻覚妄想をもとに暴言暴力などの他害や迷惑行為が現れる場合「も」あるが、双極性障害躁状態自閉スペクトラム症ADHDパーソナリティ障害などでも他害や近所に対する迷惑行為が起こる場合がある。



身近にも現在進行形暴言暴力や近所に対する迷惑行為を行い措置入院を繰り返している者がいるが、診断名は強迫性障害である

精神科に定期的に通院をし服薬もしているが、抗うつ薬睡眠薬は飲むものの、抗精神病薬に関しては副作用錐体外路症状が出やすいせいか、飲んだり飲まなかったりと服薬アドヒアランスは不良(副作用止めも出ているがあまり効かない様子)。

興奮状態ときこそ薬を飲んで欲しいが、そういうときに限って頑なに頓服を飲まない。

福祉事務所にも何度も相談に行っているし、警察沙汰にも何度もなっている。

つい先日も大暴れして緊急措置入院になったものの、入院継続とはならず24時間以内に退院してきた。



上記リンク先の長女もそうだったようだが、暴れている時以外は人並み以上に優しくておとなしいという面がある。

なんらかの地雷を踏むと暴れだすのである



本人は統合失調症などの精神病患者自分は違うという自負があり、施設入所などは断固として拒否している。

医療福祉警察に頼ることができる状況にあっても、何か事が起きないかぎりはどうにもならない状態になっている。

2016-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20160502125755

小5のとき、まさにGW初日盲腸入院、即手術したよ。

それから2週間入院したw

GWとか肝心な時に盲腸になったことある人ってきっといるよね?

土曜日の朝から右下腹がシクシク。

大分痛みはひいてきたけど、いま病院行ってきたら、盲腸の診断。

抗生剤で散らして様子見となったゴールデンウィーク

手術、入院ゴールデンウィークよりは遥かにマシなので良しとしておく。

はいえ、トホホであることには違いない。

2016-05-01

二度と産まない

予定日より2週間早くおしるし出血があり、陣痛が始まり、夜中に入院

破水があり、分娩室で頑張ったものの、赤ちゃんは出てこない。

医師が吸引を試みるも、やっぱり出てこない。

赤ちゃん心拍が弱くなり「帝王切開に切り替えます」という医師の声。

スタッフが慌ただしく手術の準備をする中、看護師からあなたは十分頑張ったわ、あとはこちらに任せてね」と言われた。

夜中の入院から7時間以上経過しており、眠っていない私の意識朦朧としていた。

麻酔科から質問にもうまく答えられず、付き添いの母が代わりに答えてサインしていたようだ。

とにかく、陣痛の痛みを何とかしてほしいのと、赤ちゃんを助けてほしいだけ。


手術室に移動して、腰に痛み止めの注射麻酔を打った。

しばらく待って麻酔の効き具合を確認され、感覚が残っている箇所があったけれど、赤ちゃんが危ないので切開することに。

メスを入れられたのは分かった。

でも、陣痛の痛みを経験したせいか、痛いとは思わなかった。

下に降りていた赤ちゃんをグイッと取り出すのも分かった。

赤ちゃんは無事に誕生して、早速新生児室へ移動。

私は後処理と縫合。

少し痛みを感じて、麻酔を追加で吸入した。

麻酔科医がずーっと話しかけて、眠くて仕方なかったので「眠っていいですか?」と聞いたら「ダメです」と言われた。


手術が終わり、医師からあなたは今後も普通分娩では産めないから、次は2年ぐらい空けるように」と言われた。

頭骨盤不適合とのこと。

やっと病室に戻れたものの、しばらくは麻酔チューブが付いたまま、体を起こすこともできない。

医師新生児室で赤ちゃん写真撮って持って来てくれたので、それをずっと眺めていた。


夜、夫から電話がかかってきた。

「おまえ、頑張りが足りなかったね」

第一声にわが耳を疑った。

お疲れ様でも、ありがとうでもなく、頑張りが足りなかったと。

頑張りが足りなかったか普通に産めなかったんだと。

電話を切ったあと、涙が止まらなかった。

この人の子どもは二度と産まないと心に誓った。


入院中、姑は仕事の昼休み毎日やって来た。

私のいた病院では、帝王切開だと点滴が外れるまでの間、赤ちゃん新生児室で過ごし、母乳時間だけ看護師さんが連れて来るというスタイルだった。

ある日、たまたま病室に来ていた看護師さんに姑が聞いた。

「この部屋にはどうして赤ちゃんがいないの?」

看護師さんが病院方針説明すると

「ふーん、部屋に赤ちゃんがいないから産んだ気がしないでしょう?」と私を向いて言った。

看護師さんの表情は固まり、私はこの人の孫は二度と産まないと心に誓った。


子ども誕生日が来ると毎年思い出す、悲しい記憶

小町にかけっていわれるかもしれないけど

ある急性症状で急いで近隣の救急指定病院にいった。

そこでまた夜勤看護婦のAちゃんのママにあった。

Aちゃんのママはしっかり聞き取りをして医者にとりついでくれたあと、

待合いでちらっと「Aのママです、いつもおせわになってます」と

いって良い感じに微笑んだあと忙しそうにさっと立ち去った。

 

Aちゃんは、うちの子中学高校で一緒の子。(クラスは1度だけいっしょ)

中学のころから、Aちゃんのいるクラスだけ頻繁に盗難がおこる。

しかも、金品より授業であたりまえに使うものがなくなる。

授業でそれをつかわなくなったころ、置き忘れとはいえないところからでてくる。

犯人クラスにいる高校生のだれかであることは確か。

犯人は「返すんだから」といやがらせのつもりかもしれないが、

実技テスト中に盗難が起こると成績が犠牲になる。

親は早急に買い直しに走らされている。

やはり実害はあるし盗難だ。

 

この4~6年は、毎年クラスがえがあった。

高校になると選択授業も増える。

かなり天文学的場合分けのなかから

Aちゃんがいるときにそれがおこるとの状況証拠はかなり蓄積されてしまっている。

(Aちゃんにだれかが意図的に罪をかぶせるとか、脅迫してやらせるとかまでいれると、

絶対に100%とはいえない可能性があり、

学校では積極的対処まではできないとのこと。

常識ならそれは証拠になるということもあるんですが)

 

Aちゃんのママは、「常識ならそれは証拠になるということ」を面談でつきつけられても

やはり、「うちの子という証拠がないのであれば、うけつけられない」「私はうちの子を信じている」と言っていたとのこと。

立場としてそういわざるをえないだろうとも思うけれど。

 

余談だけどAちゃんの他にもなんかいろいろなこまった生徒(恫喝暴行)と、それを全くフィードバックされておらず、

子供を信じることに徹しているママ中学から高校にかけているみたいです。

懇談会でも全く悪びれないので、ママには伝わってないらしい。

うちは進学校です。

 

しっかりした看護婦さんでも、いや夜勤して家をはなれて患者のためにつくすような人だからこそ、そうなんだなって。

憎むわけでも哀れむわけでも迷惑がるでもなくて、なんだか、本当に純粋に辛い。

一度でも盗まれた子、困らされた子は、同級生を疑って警戒しながらリラックスして学校生活するという

難易度EXのストレス生活をおしつけられてるのも目の当たりにしてる。

海外修学旅行で一緒のクラスになった子のおかあさんは、

パスポートとられたら帰国できないから先生にあずけてないとき絶対に体からはなすなと言い聞かせたそうだ。

風呂どうしたんだろね。

全体への説教なら先生はなんどかしているはず。

本当にどのママも、ハイティーンの子供を

学校の指示にあわせて食べさせ寝させ

学校に送り出すことで手一杯なんだろうなと思う。

たぶんこのまま35歳児とかになったりすることもあるんだろう。

 

高校生の子供は、母親に対して、子を100%信じることを要求し、絶対的保護要求しておきながら、

それを内部から突き崩すようなことを平然と行う。

警察も、教師も、母親が「うちの子を信じる」と唱えれば退けてもらえると信じているのかもしれない。

母親が「自分は一人の女だ。脆いのだ、今立っているだけで精一杯だ。

よりかからずに一人で立ってくれ、つぶれる」と

悲鳴をあげても母性信仰蔓延する世間にはとどかない。

高校生ですか、もうそろそろ手がはなれますね、楽ですね。」

世間子供の板挟み、専業でもつらいよ。

孫がうまれたら、世間にこうやって子供をだすつらさを、うちの子にも味わわせるの、つらい。

3歳児だったらまだ嘘も見抜けるし叱れるけれど、

ハイティーンもつ親にはもういちど子供と向かい合いなおすための育児休暇などない。

  

うちの子供もけっこうキてて、薬のんでるんだけれど、

そこにもっていくまでにもどたばたあって

私が、すっかり駄目になってしまっている。

ストレス健康診断d判定を連発した。

更年期障害だという人も多いらしい。

 

うちの子も、盗む側にも、盗まれる側にも、絶対に立たせたくない。

父親でもだれでもいいから子供のうけいれる説教がいえる人はいないのか。

入院して治してくる間、うちの子は、夕御飯は家でたべて、起こさなくても自分で起きて、寝て、

薬くらい一人でのんでくれるのだろうか。

実家はもう要介護スレスレで手助けなど呼べない。

働いてたら辞めたくなってるとおもう。

「信用できない」は一番ひどい病気のもとだとおもう。

駄目人間でもいいんだから、信用くらいさせてくれ。

信用と安心がなければ生きていけないあまっちょろい親子は

進学校なんかいかせずに、公立+塾でもいかせておけばよかった。

 

 

日本死ねなんていえないけれど、なんかもうほんと、辛いよ。

なんで高校ってひっこさないと転校できないのかな。

GWの間検査結果ききにいけなくて、毎日痛み止め握りしめてる。

にのんでから時間たったとか、ききにくくなってるとか、自分で判定しないといけないんだってさ。

早く手術の日程きめてくれないかな。

臓器とっちゃったら楽になれるんだってさ。

それだけ。

2016-04-30

妻が流産した

高齢での妊娠から覚悟はしてたんだよね

まり期待しすぎると二人とも後で辛いし




でもやっぱり悲しかったなー

赤ちゃん心臓が動いてないってLINEで知らされた時は仕事中だったんだけど、

トイレでしばらく涙が止まらなかった

その日は定時ですぐに帰ったんだけど、

俺を見た妻の目は赤くて、すぐに二人で泣いた




妻は俺よりかなり年上で、もともと赤ちゃんにはそこまで乗り気じゃなかったんだよね

でも、俺が赤ちゃん希望してたから、最初はいろいろありつつも、

不妊クリニックに行って注射とか打ったり薬とか飲んだりしてくれてた

妊娠が分かったときは二人で本当に喜んだよ

3回ぐらい検査薬使って、嘘じゃないよねって




妻は手術受けて一泊入院して今は家でゆっくり生活してる

まだ二人とも諦めてないから

しばらく休んでからまた頑張ろうって二人で言い合ってる




だけど、やっぱりまだ悲しいよなー

さっきも、俺をお父さんにしてあげたかったなあ、って言われてまた二人で泣いた

2016-04-28

気圧が下がると 苦しい。

気胸で手術した。

気胸だけでなく影がある、炎症痕か腫瘍か、更には良性か悪性か取って調べましょう。」ということで、

検査も兼ねた、胸部を開く手術だった。胸部と言っても背中だけど。

影は炎症痕で肺がん等ではなかった。めでたしめでたし...のはずだった。

当初は、胸腔鏡手術の予定で、小さな穴を3か所開けるだけだからということで署名したのに、

その後のCTで、影が...となり、開いて手術します に変わったのだ。

入院中はそんなに痛くなかった。強い痛み止め(カテーテルを使うやつ)が凄く効いていたからだ。

海外発症したので、入院、待機、医療搬送入院して待機、手術まで2週間以上と長かったのだが、

手術が終わったら、3日で退院となった。

!?そんなもんかよ。心配して損した。と思っていたら...

自宅療養開始して2日頃から、痛みが始まった。

痛い。

強い痛みどめを飲んでいても効かない。凄く眠くはなるけど。

薬を変えてもらったけど、痛みがゼロになるわけではない。

雨の日、気圧が下がるとなんだか息苦しく感じる。気のせいか?

医者からも言われていたが、「雨の日とかは痛くなるかも...」。

理屈からいえば、気圧が下がる分肺が膨らめないから、息苦しくて正解、かもしれないが。

肺の手術、開胸の手術をした人しかからない痛みなのか。

どれほど続くのだろうか。

安楽死施設がほしい

25歳の誕生日になんてタイトルをつけてるんだろう。我ながら素敵な人生だ。

大学新卒で入った会社、6:00ー23:00まで働く会社でした。

残業代もなく、使い捨て、という言葉がよく似合う会社だった。

私はは平均以下の人間だった。精神を壊し、半年後に精神病棟に隔離入院させられた

半年近くの入院を経て一人暮らしをしようとしたが、できなかった。障害者2級らしい

買い物や排泄をするのでいっぱいいっぱいだった。

それでも徐々に回復をして最近就職活動をはじめた。転職エージェント相談をしたのだ。

が、半年会社をやめるような人間どこもとりませんよ。というのが先方の主張だった

もっともだ。 とおもった。

そのとき社会人手不足だが使えないニートはいらないとかいったコピペを思い出しながら

帰りの電車でないた。

眠れなかった。

街行く人々のように生活ができない人間わたしだけ別世界にいる気がする。


未来がないのに生命活動を維持する、というのはなんとも愚かだなと思えて仕方ない

国はなぜ安楽死採用しないのだろう

生きれない人間なのだから、使ってもいいじゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20160427232500

似たような体験したことがある。

身体を壊して大学病院入院中、暇なので「生物と無生物のあいだ」っていう新書図書館で借りてきて読んでたんだけど、同い年くらいの看護師さんに「増田さん、よくそういう本読みますね〜。私、仕事でもない限りそういう本読まないですよ〜」的なことを言われた。

新書だし、そこまで難解な本でもないのに、なんで看護師さんからそんなことを言われなくちゃならんのか。と思った記憶がある。

普通に女子っぽくVOCEとか読んでたら、からかわれなかったのかな。

入院中なんだがお母さんに甘えたい

なぜか突然この症状

もう30だし今まで特に甘えたいとか思わなかったのに

実家は遠いので1度もお母さんは来てないんだけどな