「希望」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 希望とは

2016-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20160824150146

宇宙には人間以上の知的生命体もいるはず」って言われて

安心するか、希望を持つか、絶望するかは人それぞれ

パパ活調べてみた、そして「パパ役」側の本当の欲求とは

大体わかった。

 

パパ側はパパ活している女性金銭感覚崩壊させて人生壊れるところを観察したいのであって、

自尊心を満たしたいだとか愛が欲しいとかそんな理由からパパをやっているのではない。

金で人の人生を壊してそれを観察するという物凄いコストパフォーマンスのいい娯楽をしている。

可愛い子であればあるほどその子人生のものレイプするのを楽しんでいる。

普通の娯楽で他人人生破壊なんてできない。

性的要求もなく単にお金をあげているだけなので違法性も全くない。

もちろんコストは掛かるが、金持ちならその条件を満たせる。

パパ活してる女はこのどこまでも暗い欲求に気付かない、金の方が眩しいから。

パパ活は金をそういう使い方をするしかコミュニケーションを取れなくなった男の最後希望であり娯楽。

 

これは実況者に色々物を送りつけて支援して暴走して破滅するのを見るパトロンの欲求と全く同じもの

少し要求コストがあがるのと相手馬鹿から女の子に変るだけ。

ドラマ化にあたって原作者提示した希望キャスティングは、「リカ→『ベティブルー』のベアトリス・ダル」、「カンチマイケル・J・フォックス」、「三上ロブ・ロウ」、「さとみ→ダイアン・レイン」だった。より現実的希望として「カンチ内村光良」、「リカ小泉今日子」という案を出したが、まったく相手にされなかったという。

2016-08-23

母親結構な金が注ぎ込まれてる

母親がガンとの診断をうけて、もうすぐ5年半になる。

診断されたときには、ステージⅣで5年後生存率は20パーセントといわれていたが、幸運なことに、今でも調子がよいとき自分で車を運転して病院に通う程度に元気だ。




病院は、昔の社会保険病院(何年か前に制度改革名前変わった)だから、まあ公立みたいなもんで、いわゆる「保険範囲内」の治療を続けている。

最初の1年に2回ほど手術はしたが、あとは抗がん剤治療

基本的には、抗がん剤を月に一度うって、それから週一で検診をうけて、また抗がん剤うって、が基本パターンで、

だいたい抗がん剤うったあと数日はかなりダルそうにしているが、それ以外の期間は、病人とは思えないほど元気だったりもする。

その時期に人とあうと、誰も彼も「お元気そうでよかった!」というもんで、

「アタシだって病気なのに・・・」というのが数年来の悩みで、その手の愚痴はもう、聞くだけ聞いて右から左に流している。



で、ある薬が効かなくなったり、副作用が強く出てきたりしたら、新しい薬に変える。

薬が変わるごとに、医者から家族も同席した上で説明を受けるのだが、素人が聞いても分かったような分からないような話にしかならず、

結局は「先生のご判断にお任せする」しかない。




主治医は無愛想かつ若干コミュ障気味で、正直感じは悪い。

母がかかるようになった当初、入れ替わり立ち代り看護師が「愛想は悪いけど、腕は確かな先生ですよ」とフォローに来たくらいだ。

まあ、その分、ある意味で信用はしている。余計なお愛想や、変に希望を持たせることも言わないし。

でも、実際、この先生が合わなくて転院していった人が、いなくはないらしい。

なんっていうか、身もふたも無い言い方をしがちなので、そういう人がいるのはよく分かるし、

そういうときに、なんか笑顔でへんな希望をもたせる代替医療屋が近づいてきたら、コロっといってしまうのではないか、などと思う。




で、3ヶ月ほど前、また抗がん剤が変わった。

今度の薬は、数年前に認可されたばかりで、はじめは肺ガンにつかわれており、母のガン(卵巣ガン)に使われるようになったのはごくごく最近であり、

母の主治医は初めて使うらしい。

「高額の薬ですけど、保険が利くようになりましたからね」と説明を受けた。




幸い、母には向いていたのか(抗ガン剤の向き不向きは、その人の病状やら体質やらガン以外の持病やらによって千差万別らしい)、

最初の投与のときは、若干副作用が重く、体重もかなり減り、心配もしたが、

その後は、当初のときほど副作用が重くない様子で、血圧も安定し、なにより腫瘍マーカーの数値がよい。

で、食欲も旺盛で、下手したらガンになる前よりあるんじゃないか?というくらいになり、実によく食べている。

なのに体重は増えないようだ。

よく分からないが、ものすごい勢いで体内のがん細胞を殺しまくっているのかもしれない。

この夏も、暑い暑いといいながら、友人と映画見に行ったりしている。




というわけで、医学進歩は、はなはだありがたい限りなのだが、請求の明細を見ると、やはりいろいろと考えてしまう。

母の抗がん剤治療には、1回60万円以上の金が注ぎ込まれているのだ。

ところが、後期高齢者である母は、高額医療費免除勘定に入れれば、実質1万5000円程度しか払っていない。

この数字をみると、ここ数年、ほとんど医者にかかったことのない自分健康保険料が「高い!」などという気分は、吹っ飛ぶ。

こんな風では、確かにこの国は医療費でつぶれてしまうのではないか?と思わないでもないが、

そんなマクロな疑問を、目の前の親の病気というミクロな大問題を前に考えていられるほど、自分大人物ではない。




今の抗ガン剤も、いつまで使えるのかよくわからない。

一般論としては、どんなに長くても2年がせいぜい、らしい。

まあ、まだ使用例がさほど多いわけでもないので、医者もよく分かっちゃいないのだが、いずれ限界がくるのは明らかだ。

そこで、また新しい薬が出てきて、今度は1回100万(自己負担は2万数千円くらい?)みたいなことになるのかもしれないが、

そうなればまた、日本医療制度感謝して、淡々母親のことを見守ることになるのだろう。





なお、ちょっと話は変わるのだが、素人ながらに母親とその周辺にいるガン仲間をみていると、

今のところガンに特効薬は無いのだが、



1 日ごろから「ガン以外」は健康であること

2 食生活がちゃんとしていること




が、かなり大事なのだろうなと感じさせられる。

大体、ガン以外に持病があったり、肥満だったりする人は、正直、ガンになってから生存年数が短いようだ。

治療には体に負担がかかるので、「健康(ガン以外)」でないと絶えられないものらしい。

幸いにして母は、患う前、年齢の割には健康診断の星が格段に少ない人であった。


あと、やっぱり食事が偏った人や、食欲が無くなった人は、どんどん衰弱していく。

その辺は母も思うところがあるらしく、毎日時間をかけて野菜ジュースつくったり、いろいろ献立考えては買い物に行くのが

ちかごろの生きがいになりつつあるようだ。



はいえ、そんなのは対症療法で、結局は高額な薬を主軸とする治療に頼っていかざるを得ないのが現状なわけで

これから先、どのくらいの期間にわたって、どれくらいの金額が母の命に注ぎ込まれていくのか、

できるだけ考えないことにしている。

子供ほしいと思わない」男性が約半数! という記事

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160818-00000010-rnijugo-life

この記事によれば、

〈将来、子供がほしいと思う?〉

(※2040代の子供がいない既婚男性747人に調査

・「将来、子供がほしいと思わない」派 45.9%

・「将来、子供がほしい」派 54.1%

だそうだ。

結婚して子供が欲しければさっさと産んでいるから、比較子供いらね派が高くなる」というのはあるだろうが、

流石に半数近くも子無し希望だとは驚いた。

自分自身も既婚者で子供はいないし、将来含めて持つつもりはない。

ただ、それはとてもレア存在でだからこそ批判され、子供を持つつもりがないのはおかしい、とか言われるのだと思っていた。

別に、そういう批判をされるのはかまわない。

実際そんな人間レアだと思っていたから。

結婚したら子供を持つのが当たり前、と思われても仕方ないし、

その結果、逆の選択をしてる自分が奇異な目で見られるのは仕方ないと思う。

が、この結果とは驚いた。

半数もの人間が奇異な人間なのか?

いやいや、半数近くもその選択をしてるならばいうほどレアではないのではないか

少子化対策は「産みたいけど産めなくて困っている人を助ける」ことだろうが、この結果からすると、

「そもそも子供を欲しくないし困ってもいないから何かの施策を打たれたとしても産むことはない」という家庭が多いということか

それってもはや、詰んでないか

馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水をのませることはできないと同じ状態が既婚者の半数。


持つ気がない人よりもすでに持っていて二人目三人目を悩んでいる人にサポートしてやらんと意味がないのだろうが、

既婚者の半数がこの考え方じゃ何をしても無駄なんじゃなかろうか。

とにかくこの割合の高さにおどろいた。

http://anond.hatelabo.jp/20160823115419

結婚する前に、考えてみい。



この女と結婚して、子どもが出来たらその子幸せに育てられるかどうか。



あなた子どもが欲しい人かどうかはしらないけど、

子どもは親を選べない。だからせめてあなたはこれからまれてくるであろうあなたの子もの

幸せに暮らせる環境のことを考えてみてほしい。



その辺甘く考えてると、あなた彼女と同じ目にあう子どもが増えるだけだよ。



一生子なし希望なら関係ない話だけど。

福原愛準決勝を見ていて漠然と思っていたこ

もしここで福原愛が勝ったら、世の中って希望がないんじゃないかなって思ってしまったということ。



確かに愛ちゃんは才能もあって小さいこからものすごく努力してて、だからこそ日本人なのにあの場所に立つという快挙を成し遂げたのだと思う。

スポーツのために犠牲にしてきたものも沢山あるだろう。

ただ、相手選手である李暁霞を見た時にまずはその規格外な体格に驚いて愛ちゃん負けるな!と思ったと同時に、でも、これで愛ちゃんが勝ったら世の中ってすごく不公平なんじゃないかって思ってしまった。

愛ちゃんかわいい卓球界においては天使のような存在だ。誰からも好かれる性格で、世界中ファンも多い。つまり女の子としての幸せを存分に手に入れている。

もし自分が李暁霞だったら、それでタイトルまで奪われてしまうだなんてことになったら世の中全てに絶望するだろう。

かたや愛ちゃんはまだ捨てきれないものがあって、かたや李暁霞ははじめから持ち合わせていなかったのだから

愛ちゃんのいない表彰台を見て、心の何処かでこの3人にメダルが与えられてよかったと思ってしま自分がいた。

彼女たちは本当に卓球が全てなのだろう。全てを卓球に掛けて来ただけではない。卓球を失えば他になにも残っていないのかも知れないのだ。



リオオリンピック日本メダルフィーバーで大いに湧いて4年後の東京に向けた大きなはずみになったし、これがきっかけで世の中の景気も少しずつ上向きになるのではないかとさえ感じられるほどだった。

誰もがメダルに向かって一生懸命努力をして、それで勝ち取った結果なのだから当然そこに怨恨があってはいけないし、清々しいものであってほしいと信じている。

ただ、もし本当にそう思うのであれば、4年後の大会ではただ自国メダル数を誇らしげに掲げるだけではなく、他国選手日本スポーツ教育の中に数多く受け入れて、他国メダル獲得にどれだけ貢献したかを誇るような大会になってほしい。

福原愛だって中国活動がメインだと聞いている。

日本メダルを勝ち取ることができたのは中国のおかげだったとなるなら、世界未来に対してなんと希望ある言葉ではないだろうか。

4年後の東京オリンピックは、今までのように国の技術力や経済力をひけらかすだけで終わってほしくない。

軍隊を持たない先進国日本からこそできる、国境を超えてメダル獲得を喜び合えるような本当の意味でのグローバルな大会になってほしいと願う。

貧困JKの話

「みんなが当たり前に持っているもの自分の家にはない。みんなが普通にできることが、自分の家ではとても困難。自分貧困なのかもしれないと思った」

というやつ、確かに希望の進路を金銭的な理由で諦めなければいけないのは辛いと思う

でもその進路先がアニメ専門学校と聞くと急に印象が変わってしまう。

アニメ専門学校に進学したあとの未来が開けているとは思えない。

アニメーターになる条件で一番大事なのは都内実家住まいであることとか実家が裕福であることなんて言われるくらい、

卒業して望みの職に就いたとしても厳しい生活が待っている。

まともに芽が出ないでドロップアウトする人間大勢いる。

歪な業界ではあると思うので改善して欲しい気持ちはあるがそれが本題ではないのでさておき。

そういう進路を選ぶにあたり、親がお金を出すかどうかっていうのは、

貧困かどうかというよりも裕福かどうかの話なのではないだろうか。

子供の望む進路を叶えてやるのが親の務めという綺麗事もあるけれど、そこで踏み切れる親ってどのくらいいるんだろう。

続【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

前回のまとめと補足

前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。

その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テスト記述試験大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法採用を後押ししてしまっているという点にある。

いくつかのコメント飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。

しかし、その一方で、私は文科省国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解バイアス資質問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。

これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。

今回批判したいこと

今回私が批判したいのは、8月19日朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である

前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。

はじめに結論をかけば、

氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。

私が特に重要視している記事記述は次の2つの記述に集約されている。

この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。

記述問題形式

氏岡氏の8.19付解説記事最初記述について考えたい。

私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述問題において何を問うかという点に関する検討理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである

特に、「文章理解説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者可能になったと断定している点である

国公立大学二次試験国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章記述の内容把握や根拠説明要求するものになっている。

一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学2016年度だと例えば滋賀県立大静岡大首都大学東京島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。

では、新共通テスト記述問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。

高大接続システム改革会議の最終報告には、

国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報多角的視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)

とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句一見氏岡氏の記述合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分言葉説明することを指していると通常は解釈するように思う。

実際、

大学入学希望学力評価テスト仮称)」の記述問題については、現在国立大学二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力評価と採点等テスト実施に当たっての課題解決の両立を目指す。(p.56)

と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。

まり「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。

仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、

自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。

では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。

解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価観点を踏まえつつ、各大学学部)はアドミッションポリシーに基づき独自の採点基準採用することができ、各大学学部)の主体性が発揮できる。

ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。

というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものからだ。

全国共通試験への記述式・論述問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力評価するための大改革であり、適切にその能力評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧あり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。

これは、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテスト場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。

また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テスト問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいか記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである

また氏岡氏は自身ツイッターで次のように述べている。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。

しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。

読売新聞8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。

国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテスト1月中旬実施しても、大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。

「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。

上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?

また国公立二次試験を見ても、単独で200~300字の記述要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である

もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。

今回のまとめ

まり考えられることはいろいろある。

といったことだ。

 しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告から乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。


 実は、国立大学協会論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。

そもそも、記述式・論述問題評価すべき能力いか構造化できるかは、根源的な課題である評価すべき能力構造化があって初めて、各大学学部)はアドミッションポリシーの中に、記述式・論述問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識ノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力構造化に向けた記述式・論述問題設計理論構築、体系化が喫緊課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学個別試験における記述式・論述問題に関する実績を調査分析することなど、この課題積極的に取り組んでいきたい。

これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述問題形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。

貧困女子高生について思うこと。

私が高校生だったころ、一時期保健室登校だったのだが、毎日睡眠をとりに来る女子がいた。

彼女は一学年下で、睡眠時間を削ってバイトをしているため、寝にきていた。

それは、先生たちも承知の上だった。


そもそも、私の通っていた高校バイト基本的禁止

だけど彼女の家庭は、かなりの問題を抱えていた…らしい。

私は、睡眠のために遅れてしま彼女学業の面倒を見ていた。そのとき、ちらほらと話をしてくれた。

両親ともにパチンコ狂いで、共働きだけど給料は全部パチンコに使ってしまう。

もちろん、彼女学費も、まだ小学生の弟・妹の給食費その他学費も出してくれない。

から彼女バイトをして、自分学費・弟妹の給食費などを出している。

そのバイト代さえ、ときどき親が持って行ってしまう…。

学校側はできる限りのことをしているようだった。

まず、彼女バイト先は学校が紹介したところだった。

なるべく時給がよく、でも危険ではないバイト

昼間は学校に通っているから、自然バイト夕方~夜間になる。

から、その時間帯に働いていても女子高生というブランドを持つ彼女危険さらされないような(つまり風俗だとかそういういかがわしい界隈ではない)仕事を探して、紹介していた。(私が高校に通った当時は援助交際真っ盛りで、女子高生というブランドさえあれば、いかがわしい方法で数万円稼ぐのは楽な時代だった)

そもそも、彼女の家は収入自体がないわけではないから、どんなに日常生活に困窮しても生活保護は受けられない。

収入自体が少ないわけでもないから、奨学金対象にもならない。

福祉課の人や学校の人が何度足を運んでも両親はパチンコでいないか、いたとしても話を聞かない。

あんな親ならいないほうがいい、と、彼女は何度か泣いた。

私は、かける言葉が見つからなかった。うちの親もある意味で毒親で、そのせいで私は病んだけど、彼女と違ってお金に困ったことはなかった。

からとにかく、彼女学業の遅れだけは取り戻させてあげようと、頑張って勉強を教えた。

彼女の、夢の話は聞いたことがない。

彼女が何かをやりたいと思っていたとしても、おそらく進学は無理だろうし、まだ小さい弟・妹のために高校卒業したら働く、と言っていたから。

高卒での就職は、希望する就職先に成績順で割り振られる。「ここに就職したい」という生徒が二人いたとしたら、成績が上の子面接権利を得られるのだ。

から就職希望であっても成績はいいにこしたことはない。

出席時間数はぎりぎりで調整していて、それだけでも不利だからちょっとでも勉強頑張ろうね、と励ました。

そして、(幸い私も勉強だけはできたから)彼女に教えられるだけのことを教えて、私は一足先に大学に進学した。

大学入学してからも、時間に余裕があるときは母校の保健室に行き、彼女勉強を教えた。

そして彼女卒業のころ、保健の先生が、彼女希望していた就職先に就けることが決まったと教えてくれた。

金融関係仕事で、お給料高卒としては高いほうらしい。

できるだけ早く独り立ちして親から離れ、弟と妹の面倒を見ながら暮らしたいと言っていた。

よかった、と思った。

就職が決まったお祝いに、ちょっといいペンケースと筆記用具一式をプレゼントした。(大学に入ってからは私もバイトしてたから、そのお金で)

同情とかじゃなく、純粋彼女応援たかたから。だから勉強を教えたし、卒業後も時間を見つけては保健室に顔を出した。

たぶん彼女は、趣味に使うお金なんて持っていなかった。趣味に使う時間もなかったと思う。

彼女の家庭は、収入だけ見れば「貧困家庭」ではない。だから生活保護奨学金も受けられる対象にはならない。

だけど、彼女は間違いなく例のうららちゃんより「貧困」だ。

救われるべき「貧困女子高生」だったと思う。





型にはまった貧困家庭NHKの例の番組でいうと、家にクーラーないとか、パソコン買えなくてキーボード練習とか)は、わかりやす視聴者イメージさせるための「演出」かもしれないけどね。

でも、ちょっと詰めが甘いんじゃないのかなぁ。

貧困女子高生って設定で番組に出すなら、ツイッター関連なんかあらかじめ調べておくべきでしょ。

女子高生なんてツイッターやってる可能性高いんだし、すぐ特定されるようなことしてるから炎上ちゃうんだよ。

しかも例のうららちゃん、ツイッター削除する前に捨て台詞で「貧困じゃない」みたいなこと書いてたとか。

あと、最近うららちゃんの姉とかいう人が現れてたり。

ぼろが出すぎなんだよ。

スマホも普及して、これだけみんなが簡単ネットアクセスできる状況で、暇を持て余してる人だっているわけで。

あん簡単ツイッター特定されて、散財っぷりがさらされてるのは、NHKの落ち度だよ…。

テレビって、いまだにヤラセをがつがつやってるけどさ…。(業界の人が一般人装って街角インタビューされるとか)

そんなの、すぐ特定されるってそろそろ気づいたほうがいいんじゃないのかなぁ。

貧乏ですー学費ないので学校いけません」とか言いながら、あれだけ散財してたら、そりゃ叩かれるよ。

うららちゃんが、私が勉強教えた子みたいな感じだったのなら、叩かれなかったと思うよ。

探せばもっと適切な人材はいたと思うけどね。

うららちゃん側から売り込んできたのか、NHK側が打診したのかわからないけど…。




これからあい番組やるなら、「ツイッターで散財っぷりを公開してないですよね?」の前確認絶対必要だね。

http://anond.hatelabo.jp/20160822235856

かしこま!」or「ぷりぷり」はどう?

特に「ぷりぷり」を希望

手品先輩の作者アズ先生ツイート全削除

8月27日19時頃、過去変態ツイート淫夢語録が発掘され本スレに投下される

http://i.imgur.com/BLM09dW.jpg

http://i.imgur.com/p9mWWjj.jpg

21時頃ツイート削除、その後ブログで「4月ごろからツイート削除を希望していた。単行本を出したことで許可下りたので消した」と説明

http://i.imgur.com/gLMoaZN.jpg

2016-08-22

勝手に答えよう(シン・ゴジラへの一省察

不満点はそれだけか(http://anond.hatelabo.jp/20160822144854)の突っ込み面白かったので勝手に答えてみる。なお当方は一応2回見た。

さて増田の疑問の半分くらいは「非常時なんだから仕方ねえ、という意味リアル範囲内」と感じた。これは個人的感覚避難者の行動も、巨災対メンバー挙動も。私物持ち込みにしたって、そもそも非常時のほぼ非正規組織の中でのことなんだからセキュリティレベル下げ本人の希望最優先でとなるのも納得できなくはない。ただ、「地震の時のように避難するのはおかしい」というのは、作中描写があったので(都庁本部で「対策マニュアルがない」と問題にしているシーンと、消防隊員か何かが「地震用の避難マニュアルでは役に立ちません!と本部らしきところと通信しているシーンが有ったので、多分そういう点も柔軟に対応できず結局既存地震マニュアルしか避難指示が出せていないと見ているものに悟らせ、絶望感が一段と増す描写)この点については、特に不審には思わなかった。地下鉄民はゲロから助かるのか、という点は、まあ東京地下鉄防空壕使用になっているという都市伝説でもって勘弁してやってくれ。そこは国家機密なので(笑)

それよりも、あらためて増田の指摘で気付かされたのは、振動の少なさ」「逃げ遅れ」「海自の見失い特にコレは、鑑賞時に自分もやや引っかかっていた点なので、それを思い出させてくれたことを感謝したい)そして「地面踏み抜かない」といった非常によい指摘から、明確に一つの結論が導かれるということだ。上映中、これらの点について、自分がそれほどの違和感を感じなかったのはなぜか、ということ、それから、今回のゴジラの最大の特徴であるあのゆらゆらと宙に揺れる巨大な尻尾違和感とを含めて、それにこたえたい。




ここから導かれる結論は、シンプルだが「あのゴジラは実はスカスカなのだということだ。もちろん一定の重量はあるだろうが。一番最初総理記者会見は、今から思えば伏線だったのだ。「陸上であの巨体の生物自重を支えられるとは考えられない、だから上陸はしない」と。だが上陸した。なぜか? 答えは簡単だ。「巨体に見合う重量がないから」だゴジラのもたらす圧倒的な破壊のせいで、劇中の人物も、見ている我々もうっかり忘れそうになるのだが、今振り返ってみればおそらくそなのだ。見ている人が、どこかで「重量があまりないこと」にも心の底で気付けるようにした様々な仕込み…それが増田の指摘ポイントなのではないだろうか。

海自が見失った原因もおそらくそこにある。まあ、レーダーまで装備する(笑)生き物なのだからソナー打ち消す能力くらいあってもいいのかもしれないが、海中でいったん質量に見合った大きさに戻ったとみる(そして上陸前に海辺まで近づいてから巨大化した)のが妥当ではないか。「折り紙、食べてないんだ」という間准教授気づき重要だ。折り紙の鶴のように中身がないのだ、最初から。だから時間にあれほど爆発的に巨大化できたのだ。外殻こそ固いが内部はスカスカ…というのは、バンカーバスター命中シーンでも思えば描写されていたようにも思う。本来あれは、外殻を突破して内部を破壊する爆弾だったはずだ。だが、想定外スカスカな内部のため、ゴジラの体をあっさり「突き抜けてしまった(だから内部にはそれほどダメージを与えることができなかった)」のではないだろうか? また、血液凝固剤があれほど一気に巨体に浸透したのも、東京駅真上にいたのに(地下30mまであるのに)地盤を踏み抜いていないことも。あれほどの銃弾爆弾を跳ね返す体皮の固さを持ちながら、列車突撃ビル崩壊といった質量攻撃に意外ともろかったことも。こう考えると、劇中の様々な謎が解けそうな気がする。



自分が、増田の指摘した点について、正直鑑賞中に上のようなことを考えて納得していたわけではない。あくまで「不自然に感じなかったのは、うっすらとこういうことを感じていたせいではないか」と、後付けで言語化してみただけだ。異論反論は認める。できれば二度目の観劇を踏まえて。


http://anond.hatelabo.jp/20160822144854

(追記)

一個忘れてた。「パターソン日本語ます問題」。これは、まあアレだよ。その分英語上手くないところから推察して、つまり忙しい両親でなく被爆一世である日本人祖母に育てられたんだよ! 日本語上手いのに敬語苦手なのもそれが理由だよ。そのせいで子供のころからいじめられてきて、それが彼女の強烈な上昇志向アメリカという国へのプライド原動力になってるんだよ。以上、解決

シン・ゴジラは、 『特撮好き』なら失神レベルの大傑作で、『一般人』なら視聴に耐えうる娯楽作

シン・ゴジラの真価は、これから広がるであろう一見さんによる批評の中にこそ有る。

まり、「満点からマイナスされうる特撮映画」が帰ってきた、と言う意味だ。

1週間ほど前に話題ゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。

が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。

シン・ゴジラそんなに言うほど面白いかあ??

シン・ゴジラには、決着のカタルシスが無い。

確かにその通りで、それは欠点だ。

それは、長年特撮ファンが受けたくても受けられなかった指摘だ。

特撮ファン向けの映画から一般人向けの映画に

「まあ、子供向けの怪獣映画にしては良く出来てたよね」という感想からの脱却。

対象年齢を考えても酷い」とか「大人の視聴に耐えうる人間ドラマ」とか

そういった「オヤクソクを共有している視聴者」向きの話じゃない。



まり、「ファインディング・ドリーと比べて」とか

ゴーストバスターズの脚本比較して」みたいな、

一般的な映画と比肩しうる水準に特撮映画を押し戻した。

からこそ「大傑作」であり、それ故に「まあまあ面白かった」という感想が併存しうる。

今あるものでやるしか無いんだ。

特撮は、リソースがないことをイイワケにしてきた過去がある。

平成に入ってからゴジラをどれでも良いから観て欲しい。

シン・ゴジラ比較するべくもないヒドイ作品ばかりだ。

一般人から見れば。



最近は「ゼロからプラスして積み上げる特撮映画」しか無かった。

「(全体の質はハリウッド比較しようも無いけど)特撮部分は良かった」

「(全体の質はハリウッド比較しようも無いけど)ドラマパートはヒドイ」

みたいな「邦画予算規模で制約の多い特撮映画において」という限定が常についていた。

シン・ゴジラは、正面からそれを覆してみせたと思う。

イイワケの無い、特撮映画としてのゴジラ

粗はある。荒削りでもある。

世界最高峰の映画では無く、手を入れるところもまだまだある。

それでも恐らくは邦画現場における特撮映画のベストを尽くした映画だと思う。

それは特撮ファンなら邦画の環境に絶望せずに希望を見いだせる一筋の光であるし、

一般人から見れば、「怪獣映画だけど面白いらしいよ」と観に行ける映画になってる。

まり何が言いたいかというと

日本特撮映画として100万点」のシン・ゴジラで終わるならソレまでだ。

でもきっと「世界の映画の中で70点」のシン・ゴジラだと評価してもらえる。

怪獣を通じて、日本災害を正面から描き、国のあり方をポリティカル視点から捉える。

世の中は稼いだもの正義で、投資してもらえるのは評価された作品だけだ。

その意味で、きっと一般人からみても、投資に一口のれる出来じゃないだろうか。


おまけ

ダシに使ったので、不満点に共感しつつ、違う視点提供しておくよ。

映画観に行った後のファミレスでダベってる感じで読んでもらえればと思う。

(人は感じたことが全てであり、反論しようとは思っていない)

登場人物ゴジラへの理解度が要所要所で不自然に高い』

主人公矢口会議中に巨大生物言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネットの動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。

この時点では矢口は単なる夢想家レベルである

矢口の人物像について、多少のフォローはされている。

シン・ゴジラ主人公である長谷川博己演じる内閣官房副長官矢口蘭堂は、

竹野内豊演じる内閣総理大臣補佐官国家安全保障担当)の赤坂秀樹から

会議結論ありきで進んでいる。かき回すな」と助言を受けている。

また、エレベーターの中で、立場が上の人間に対して「楽観やこうあって欲しいという願望が、先の大戦で何百万人も殺した」とワリとハッキリ苦言を呈している。

矢口生物と断定しているのではなく、「巨大生物の可能性を俎上に載せないのはマズイ」と判断しているのではないだろうか。

ネット上の映像フェイクであれば、それを作った人間動機テロで無いことを確認するまで安心しないタイプ

ニュース映像での「巨大生物尻尾」について、ニュースの真偽を問うシーンがないのは映画の都合だと思う。

ニュース第一報だと見るのが妥当なシーンだし、それならアレは何のジョークだと笑うのが現実的ではなかろうか。

同種の別個体については、検討は並行で続けているが、映画の都合でカット、じゃないかな。

個体だとすると、観客は「ゴジラ対究極生物なのか?」という疑念を抱きながら観ることになり集中力が削がれる。


『人の死の描き方について』

(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)

 この点はあまり大きな不満という程では無いのだが、どうにもモヤモヤとしてしまった部分だ。

たぶん、残りの一箇所は、自衛隊戦車が潰れるシーンか、注入第一部隊の全滅の部分じゃないかな。

マンション荷物を詰めていてマンションごと押し倒される家族、川からの逃げ遅れ(たぶん画面の奥側に向かって走る男性)は、

災害の描き方の問題で、ゴジラによる人死を描いているわけではないと思う。

あの一連のシーンで感じる「いまどこに災害が近づいてきているか一般市民には把握できない」という恐怖は演出として一貫していると思う。

(状況把握のしようがなく、気がついた時にはもう遅いという恐怖は、5年たってやっと直視できるようになった映像だと思う)

ただ、予算の都合による表現の制限を感じる部分ではある。

病院とか今まさに災害現場は出てこず、災害が通り過ぎた後の映像だしね。

密室俯瞰した映像に寄る災害描写は、予算制約を逆手に取った脚本の作り方の問題であり、

その意味で「巨大不明生物がなぎ倒したビルにも当然人が残っている」というのを伝える手法に限界があったのかな、と思う。

ほぼあの家族しか直接の被害は確認できないのに、それ以後の緊迫感は違う。

だけど、アレ入れて欲しくない、というのも判る。


石原さとみキャラが明らかに浮いている』

浮いてると思うよ。これはシナリオの歪みが集中してるせいだと思う。

これ、後でちょっと付記するけど、「シナリオの都合の上で」リアリティラインは高く見えるようにしてあるんだと思ってる。

例えば、東京駅前に当然あるはずの広大な敷地について劇中一切言及されていない。明らかに不自然。

筋論として、日本が米国に頼り、米軍日本国内武力行使する、という流れのハズ。

仮にも主権国家に対して、他国が熱核攻撃を短期間に強行する理由がない。

米軍による強行じゃなくて、国連安保理での決議言うてたし)

日本が壊滅するまで自由にさせておき、主権が及ばないところに出てから攻撃になるはず。

ちょっと日本以外のまとまりが良すぎるというか、世界があまりにも日本に対して冷淡すぎる。

日本に核攻撃」という荒唐無稽な一手と、

ゴジラを生み出したのは、牧元教授という日本人では?」という点、

外務省駐在武官無視して政権が直接軍事について外交を行うと言う部分を抑えると

祖母が原爆による被害者であり、日系人アメリカ政権に対して一定の譲歩を引き出しうる通常外交ルート外の存在は、

石原さとみ演じる米国大統領特使のカヨコ・パタースン以外であっても、

やっぱり荒唐無稽に見えるだろうし、どうしても浮いてしまうのは仕方がないと思う。

彼女シナリオの不備による歪みを一手に引き受けて浮いているのだと思う。

まあ、じゃあどう直せば良いかって言うと、アメリカ側を描くには予算が足りなそうだな……

『ヤシオリ作戦について』

ゴジラ原子炉載せて、排熱への対処(生存本能)で進化するって道筋つけると、焼却 or 凍結ってのは判りやすい。

シナリオの都合でアメリカに熱核攻撃を担わせると、日本特撮的な花である爆発(焼却)を使うのは難しい。

そもそも「カタルシスを得られない」ということそのものが、演出意図なのではないかなと思う。



一応、血を流すことから排熱に血流を用いているのではってのは合理性があるし、血液凝固材も30種類?試して効くのは確認してる。

元素変換する相手ならどこに投与しても一緒って意味では、口に見える部分に引っ掛けて体内注入するってのは効果的とも思う。

仮定仮定を積み重ねて、地味な作業原子炉の終息にもってくってのは、福島第一原発事故対応への直喩だろうし。

「ショボい」処理で、しかも「まだ終わってない」ってのを、東京駅に凍結させたゴジラで示しているのでは、と。

政府冷温停止宣言したのも、冷やし続ける必要があるってのも、同じ構図だよね)

 加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。

 せめて矢口本人が言うように「自分現場にいる事で出来た微妙判断」が描かれていればスッキリはしたかも知れない。

一応は、逃げ遅れた人がいるかもしれないけどやる?とか、線量が予定よりも多いけど続行するのか?とか、判断はあったと思う。

どっちかというと、多分最初に感じたであろう「え?総理大臣は逃げるの?残らないの?」みたいな感覚

「いや、指揮官は後方に控えてないと死んだら終わりだから」に観客の気持ちを変えたかったんじゃないかな、と思う。

それでもまあ、良くあるヒーロー映画みたいにゴジラに触れるような最前線までは最後まで行かないし、良かったんじゃないかな。

(良く言われる「陣頭指揮」を観客がどう捉えるかが、映画を見た後で変わったのではないか

『「国」のアピール

 総体としての「日本」とゴジラとの戦いを描くのがテーマであるのであれば、

 あそこまで「東京」のみの話に終始したというのはどうなのだろうと思う。

正直に言えば、予算の都合で、東京のみの話にしないと収拾が付かないと思う。

ただ、あれは東京一極集中への軽い皮肉にも見える。

福島第一原発事故」が「東京駅」で起こったとして、煽りじゃなくて日本としての機能がどうなったか考えるとゾッとする。

その俺の思いと重なるが、何度も「経済的」な話が出てくる。

経済的には莫大な損失とか、熱核攻撃を受けて世界から支援を受けないと復興できないとか。

損得勘定で熱核攻撃を仕方がないと受け入れる「論理」と、象徴的な意味で核攻撃を受け入れられない「感情」との対立軸にも見える。

「国」とは何なのかを観る人に問うシナリオになってたんじゃないかな、と。

まあ観たひとに届かないのであれば、そりゃ成功してないわけだけど。

その他のダメ出しポイント

まあ、観たひとに届かない思いは独り善がりなワケでダメなんだと思うけど、

最初に書いたように、そういう「普通の映画のダメ出し」してもらえるところにシン・ゴジラ価値がある。

と、思うわけで、やっぱり気になる点を俺も最後に列挙して置こう。

東京駅のど真ん前の話が無い

東京駅の正面真っ直ぐに、東京の中心である大きな空間がある。

熱核攻撃をあの付近で行うことに対して、日本人が触れないってのはあり得ない。

「彼らはここがニューヨークでも同じことをするそうだ」とはセリフにあるけど、あれ「ワシントン」じゃないんだよね。

あくまでも経済の中心であるというセリフであって、象徴的なんだけども)

陸上理由が判らない

突然地上にさまよい出た、排熱の為に進化した、冷却のために海に戻った。

突然さまよいでることも、デタラメに動くのも、再冷却の為に海に戻るのも災害っぽい。

鎌倉から上陸する理由がわかんないんだよね。

進化の方向性として陸上に特化してしまったとして、海水を捨てて地上に出てくる理由不明

牧元教授が好きにした結果、ゴジラを生み出して、意思を方向づけたなら判らなんでもないけど。

配偶者を原爆で亡くし、国と核を憎んだ牧元教授なら、先の大戦の直接の責任者である国の象徴にまず向かい、その後アメリカ上陸を目指すのは理にかなっている)

国連安保理が核攻撃容認するのが判らない

途中、スパコン計算能力貸して欲しいって海外の研究機関に依頼するときに、

一旦「ウチの技術を盗むかもしれないから断ろう」みたいなセリフがあるんだけど、

もしも「間に合わなかったら首都が熱核攻撃を受ける」みたいな状態なら、

「ひとを信じよう」みたいなのんびりした話にはならないと思う。

人類ってそんなに日本に冷淡なの?と言う。

秘密裏国連安保理が熱核攻撃容認するって、日本外交ゼロってことになる)

(そうすると、フランスと裏取引する外交技術との整合が取れない)

駆除一本槍なのに違和感がある

シナリオ福島第一原発事故念頭に置いてるからなんだろうけど、

ゴジラに対して調伏(焼却or冷却)しか選択肢が無くなってるのに違和感がある。

最初に言ってたけど、追い出すか、退治するか、保護するか。

保護が無理、退治が難しそうなら、通常は追い出しの手段検討するんじゃないか

餌で釣るのか、行動パターンを読むのか、押し返すのかは別にして。

追い出しにリソースが避けないって言う描写は欲しかったかな……

(これはほとんど「他の個体についての言及がない」ってのと同じポイントだな)

とは言え、

映画を見ながら、実際に災害になったらどう逃げようか俺は考えた。

かなり踏み込んで災害を描いてるような気がするけれども、どうかな。

自殺島11巻

http://fuufu2.hatenablog.com/entry/2016/08/22/070726

上の記事の人は良い人なんだろうけどいきなりこんな話を聞かされるとぶしつけだとか無神経だと受け取る人は多いだろう。((良かれと思って己の幸せをばらまきたがるのは、はてな賢人のorangestarさんですら一度その罠にはまったくらいであから、「自分幸せ普遍性確認したいだとか己の幸せ世界に祝福してほしい」という感情は理性をはるかに超越したものであると思うので仕方ないけどね))

いわゆる「己の達成や幸福単純化して人に押し付けて回る」やつね。まぁ私はこの人の意見無視するしほかの人もそうするだろうから、あとは「私にできたんだから貴方にもできるはず」を子供押し付けて不幸にしないようにだけお願いしたいです。


とりあえずちょっとだけイラッとしたので、ちょっとだけ意地悪をしよう。

上の記事を書いた人は、こういうことにならないように気を付けてね(ニッコリ

<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>


>http://transpersonal.jp/1494/>

親も、周囲の人たちも、そして、子供も、その実態がつかめないというのが、「見えない虐待」のこわさです。わかりにくいために、被害者には、だれも気づかないうちに大きな傷がついてしまます

その代表例が、「ダブルバインド」と「ミスティフィケーション」と呼ばれる、主に親から子になされる介入です。

ダブルバインド」は、ほぼ同時に矛盾するメッセージを伝えるということです。「なんでも好きなことを言いなさい」と言われて、自分意見を述べたら、「そういうことは、おとなになってから言いなさい」と言われてしまうような介入を指します。「ダブルバインド」を受けた子供が戸惑ってしまうのは、当然のことです。なにしろ親の言うとおりにしたら、逆に怒られてしまったのですから。「ダブルバインド」を受け続けると、自分が何を感じ何を考えているのかがわからなくなってしまます

ミスティフィケーション」は、イギリス精神科医R.D.レイン提唱していた概念で、子供感情搾取してしまう巧妙な介入です。例えば、子供希望が明らかではないうちに、あるいは、子供希望をまったく無視して、「○△クンは、女の子なんかには、興味ないんだよねー」なんて言ってしまうやり方です。こんなことを言われ続けたら、女の子にワクワクする気持ちは、罪悪として認識されるようになってしまいかねません。それって、とても不健康な状況ですね。

ダブルバインドミスティフィケーションは、どこの家庭でも時には、行われると言ってよいでしょう。たまに行われるのなら、問題ほとんどないのですが、それがひっきりなしに行われてしまうと、深刻な心の傷を子供に与えます

<<

シン・ゴジラの尾頭課長補佐最後セリフ勘違いしてる奴

なんか課長補佐母体心配をさせる役割を与えてるの気持ち悪いとかなんとかいってるやつをしばしば見て意味不明だったんだけど

こういうのとか

id:mitimasu ラストで「女性妊娠可能確認されました」と聞いて尾頭が安堵で顔をほころばせる。一度も笑顔がないの、女性描写がないのはこのシーンのためだと思ったし、つまりジェンダー的古臭さでは公式からそうだとしか

映画見なおしてやっとわかった。

除染」を「女性」と聞き違えてたんだな。

(というか上のやつは幻聴レベルだけど…

 

都内女性希望が見えてきました」

じゃなくて

都内除染希望が見えてきました」

だよ

 

半減期20日程度!→除染らくちんよかったね!(笑) って話で女性限定要素いっこもない

[]福地翼サイケまたしても

1巻はシュタゲバタエフェ)かよと思わせる展開だったけど次はバトルに勝つまで同じことを繰り返すというのを丁寧に書いて、それ以降は「もう同じことしてるってわかったでしょ」とばかりにぐいぐい話を進めていく、そのソツのなさには感服させられたけど、

結局うえき的な福地翼センス炸裂した能力バトルものに堕しちゃって残念

能力研究者が出てきたところはONEワンパンマンとかモブサイコ100を髣髴とさせられたけど、結局そんな古臭い感じじゃなくて能力バトルに持ってったのは少年漫画的だなあと

1巻、2巻まではよかったけど、3巻で敵?のでっかい組織が出てきて本格的にバトル展開になりそうなところでちょっと読むモチベ下がっちゃったな

もうこのテンションをドキワクしながら読むほど心が若くないか

無気力だけど実はリア充に憧れてて一念発起ヒーロー目指すってテンプレも、今の少年少女が読んで感化されるのかもだけど、心が枯れた自分みたいなおっさんが読んでも何も響かない・・・

最初こそ無気力だったけど、結局蓋を開けてみればそれは序盤だけで、本筋だとずっと希望を失わない・ずっとがんばる熱血まぶしすぎる・お前がリア充だよっていういかにも少年漫画的なまっすぐキャラで、読んでる自分とくらべてこっちがげんなりしちゃうくらいだし

【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

朝日新聞8月19日記事にかかわる経緯

2016年8月19日朝日新聞1面および4面に、新共通テストセンター試験の後継となる試験)の記述問題採点方法に関する記事掲載された。これらはいずれも、朝日新聞 編集委員 氏岡真弓 氏による署名記事だった。

8月19日朝日新聞1面記事新テストの記述式は各大学が採点へ 当面国語のみで検討

8月19日朝日新聞4面解説<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案

この1面記事タイトルは新共通テストの採点方式は、各大学が採点する方式で行われることを示唆したものであり、本文の冒頭から

大学入試センター試験に代わり2020年度に始める共通テストで導入する記述問題について、文部科学省は、受験生が出願した大学が採点を担う方向で検討を始めた。国立大学協会入試委員会委員長=片峰茂・長崎大学長)の提案を受けた。

と書いている。さらに後半では、

一方、今回の改革について「検討積極的に参画する」としてきた国大協も入試委で採点方法議論国語で出題▽入試センターマークシート式の採点を担う▽記述式を利用する大学受験生記述式の解答をセンターから送ってもらい、採点する――という独自案をつくり、7月末に文科省も同席した会議で示した。

とある

しかし、4面の解説記事の中では、

入試委員会は、文部科学省検討してきた2案と独自案のそれぞれの長所短所について論点整理をまとめ、近く公表する方針だ。

とある。そもそも文部科学省提案したとか、文科省も同席した会議で示したにも拘わらず、それがその後で論点整理が行われるというのは奇妙な話ではないだろうか。

そして、国立大学協会入試委員会における論点整理は、この記事掲載されたのを全く同じ日、8月19日に公開された。

大学入学希望者学力評価テストの実施時期等に関する論点整理~とくに国語系記述式試験の取扱いについて~

この文書の中で、

今回の文書は、表題の通り「論点整理」であって、特定結論を述べているものではない。国立大学協会としては、今後の文部科学省大学入学希望学力評価テスト仮称)」検討・準備グループ検討状況を見極めながら、真に意味のある改革が着実に実現されるよう、今後とも柔軟かつ積極的検討していく用意があることを、最後付言しておく。

とはっきり述べている。

しかもこの文書のp.5には、大学側が記述試験の採点を行うことに対する論点課題が9項目にわたって列挙されている。この文書は、大学側が記述試験の採点を行うことを提案した文書ではない。

にも関わらず、8月19日付けの朝日新聞の氏岡氏の記事では、あたか国立大学協会入試委員会が、大学側による記述試験の採点という独自案を文科省提案たかのような形の記述になっている。これは国立大学協会による論点整理の内容を明らかに踏み越えた表現であると言わざるを得ない。

しかも1面の記事の中では

 入試委は独自案について、各大学が2次試験合格発表までに採点すればよく、時間に余裕があるので出題の幅が広がると判断。また、センターが示す共通の採点基準に加え、各大で独自基準採用できるとしている。

 同省幹部入試委の案について「本格的な記述式の出題が可能になり、改革理念を実現する道を開く有力な案」と話す。

しか言及せず、この方式に多くの問題点が残っていることに一切触れていない。4面解説記事の中で

独自案の課題は、どれだけの大学が採点の負担を負ってでも利用するかだ

とだけ述べているが、現実には、この方式は単に大学負担問題にとどまらない非常に多くの問題点があると国大協の「論点整理」は指摘しているのである

朝日新聞は、国立大学協会論点整理を受けて、翌日8月20日の誌面に次の記事掲載した。

朝日新聞8月20日記事センター試験にかわる共通テスト、国大協が論点整理提出

この記事は氏岡氏の署名記事ではないことに一応注意しておく。

しかし氏岡氏は自身ツイッターの中で

センター試験にかわる共通テスト記述式、国大協が論点整理提出:文科省2案と国大協独自案の論点を表にしました。

と述べているのだから、この記事無関係ではありえないだろう。

この記事の中には次のような記述がある。

いままで通り大学入試センターが採点を担うことを前提に文科省検討していた2案([1]12月中旬などに前倒しして実施[2]現行通り1月中旬実施)と、入試委の独自案(1月中旬実施し、その後、受験生が出願した大学が採点を担う)の計3案について考察した。7月末以降、委員らの意見を集めてまとめた。

もし19日と20日の記事の通りだとすると、

国立大学協会入試委員会は、

これは明らかに矛盾した対応である。「提案」したあとに「委員意見を集めて論点整理」などというのは順番があべこべで、このような経緯はにわかには信じがたい。

しか20日付の記事には、論点整理の表が付けられているものの、本文中では、

[1]案は「高校教育への負の影響」を指摘。[2]案については「極めて少数の短文記述式設問に限定される」とする一方、採点をマークシート式と別にして各大学に結果を知らせるのを2月下旬に延ばせば、第一段階選抜には間に合わないが、「相当程度の問題内容の充実が可能」とも記した。

 独自案については、「採点のための時間的余裕が生まれ、出題の多様性の幅が拡大する」「各大学独自の採点基準採用できる」とし、「大学責任物理負担が極めて大きくなる」「大学によって対応が分かれる可能性」などとも指摘した。

記述し、独自案のメリットデメリットの部分を逆接で結ぶことすら避けている。[1]案へデメリット、[2]案にデメリットと逆接で結んでメリット記述しているにもかかわらずである

氏岡真弓氏は取材の経緯を説明するべきだ

以上の経緯のもとで、私は、氏岡氏が19日の記事を書いた経緯を説明する必要があると考えている。

具体的には以下の点だ。

  1. 19日の記事における提案の内容把握】氏岡氏は19日の記事で、国立大学協会入試委員会が、独自案を文部科学省提案したと書いた。その提案が行われたとする7月末の文科省同席の会議とはどのような会議であったのか。またそこでの提案」はどのようなものであったと把握しているのか。その会議では問題点などの指摘は国立大学協会から何もなされなかったのか。
  2. 19日の記事と「論点整理」の関係】氏岡氏が国立大学協会入試委員会による論点整理」の内容を見たのはどの段階でなのか。19日を書く前に「論点整理」の内容について取材したのか。それとも19日の記事は「論点整理」の具体的な内容については一切取材をせずに書いたものなのか。また国立大学協会が19日に「論点整理」を公開することを記事を書く段階で把握していたのか。
  3. 国立大学協会への取材の有無入試委員会が「各大学が2次試験合格発表までに採点すればよく、時間に余裕があるので出題の幅が広がると判断。また、センターが示す共通の採点基準に加え、各大で独自基準採用できるとしている。」と述べたとする記述は、国立大学協会論点整理を見て書いたものか、あるいは事前に取材したものによるのか。特に文科省担当者からの伝聞情報によるものなのか、直接国立大学協会取材したものなのか。もし直接取材したという場合国立大学協会からは、「特定結論を述べているものではない」との表明はなかったのか。
  4. 19日と20日の記事整合性】19日の記事にある「7月末の文科省同席の会議」と20日の記事にある「7月末以降、委員らの意見を集めてまとめた」との記述整合性事実関係をどう把握しているのか。
  5. 20日の記事記述20日の記事において、国立大学協会が「論点整理」の中で「特定結論を述べているものではない」としていることや「独自案」について、9項目にわたる論点課題を付記していることに一切触れていないのはなぜか。

もし印象操作がなされているなら重大な信義違反

今回の氏岡真弓氏の19日付の記事には強い違和感がある。19日の記事の中で文科省担当者が「八方ふさがり」と述べていることが紹介されているように、新共通テストに関する多くの課題が指摘され、様々な点が先送りされている現状がある。記述式の出題という点を実施するためには、どのように採点するかという点のクリア必須だが、現状の文科省の案には批判も多く実現困難な状況にあった。

そこに国立大学協会入試委員会に関する何らかの会議で「大学側が採点する」という案(?)が俎上に上った。様々な日程的な点からもそろそろ結論を出さなければならない時期である以上、多少問題がある案であっても国立大学協会提案したということを免罪符に押し切ろうとする意図文科省側になかったか。そして氏岡氏は意図的にせよ結果的にせよ19日の記事で、本来様々な検討に付している最中のものを、国立大学協会独自である宣伝し、その路線を既成事実化するために一役かっていることになりはしないか

しかも、19日4面の記事や氏岡氏自身ツイッターを見ると、この方針に概ね氏岡氏が賛成しているようにさえ見える。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

このツイートでさえ「国大協の委員会ででた案」という非常に不正確な言葉が使われている。それはひとまずおくとしても、氏岡氏は自分賛同できる案が出たために、その案を後押しする記述をしているとさえ見えなくもない。20日付けの記事で、論点整理の表の中では、独自案に○が2つ付けられている点や、先に指摘したように、記事本文の中で「独自案」に対する問題点の指摘に関する言及が一切なく、しかデメリットの印象が薄められているかのような記述になっている。

4面の記事にある

といった文言は氏岡氏がこの案に概ね賛成なのではないかと感じさせる。しかし、「国立大学側の独自案」とか「国立大学協会入試委員会が示した大学採点案」などというような記述は、明らかに「論点整理」のトーンとは異なるものである

氏岡氏は、意図的であれ結果としてであれ、今回の「大学が採点を担う」という方法を、国立大学協会入試委員会)が正式提案し、しかもそれにはデメリットを上回る長所が多いかのような印象操作を行ってしまっているように見える。もしそれが意図的ものだとしたら重大な信義違反だと言わざるを得ない。

19日の報道が流れた後、もちろん多くの関係者がいろいろなコメントをしたように思う。しかし、大学関係者の中には、もし実際に採点するとなれば一番現実的な案はこれしかないのだろうとか、もうこの方向で動き出してしまったのだろうから変えるのは難しいのだろうというような、嘆息とも諦観もつかないようなコメントも見受けられた。氏岡氏の記事が、意図的であれ結果論としてであれ、問題の多い案を採用するように後押しし、もう引き返せないという雰囲気づくりに加担したことは否めないと感じる。水漏れの多い方法のまま現場を混乱させるような形で見切り発車する形になりうることに対して、氏岡氏の記事は、十分な想像力識見を欠いていると思う。

19日の記事国立大学協会の「論点整理」を比較すると、19日の記事の具体的な内容にはさらに多くの問題があると考えるが、それは別の記事で指摘したいと思う。

2016-08-21

NHKは女・子供扇動するのをやめるべき

テロリスト人質になった人とか、唐沢弁護士とか、ホモビデオに出演した人とか、

有名になって馬鹿に見つかった人は、個人情報暴かれたり誹謗中傷されたり脅迫されたり、ろくな目にあってないじゃん!

しかも、「保育園落ちた日本死ね!!!」を発端に保育園より朝鮮人学校を優先した都知事が叩かれ出して

ついにスキャンダルでやめちゃって、今の都知事嫌韓派と目されているというね。

 

そんなご時世にNHK貧困(?)女子を顔出しで全国放送するとか馬鹿じゃないの?

絶対淫夢民とかやきう民とか露悪的なことが好きな馬鹿共の玩具にされたり、

政治的対立から悪意を持った者たちに攻撃されるに決まってるじゃないか

保育園落ちた日本死ね!!!」の件から政治家もノリノリで参戦する始末だし…。

 

確かにさ、自分PCケータイのない高校時代を送り、良くわからないまま進路決めたものから

PCくらいは義務教育費用(税金)でなんとすべきだし、

進路アドバイザー的なもの返還不要奨学金を充実させるってのは正しい方向性だと思う。

 

しかし、社会運動に参加したりライブ行ったり映画見に行ったりできるような

文化資本に恵まれなかった田舎出身から見ると彼女環境はまったっくもって羨ましいものだが、

こんなに恵まれ環境貧困一直線のデザイン系志望とか言い出すのかとか、

それを周りの大人が制止しなかったのかとか、こんな醜態を全国にさらすのかとか、行き場のない怒りを覚える。

結婚相手年収千万以上を希望の40台婚活女性を見せられても晩婚化の問題提起にならないのと同じような残念さがある。

わざとこんな番組作ったなら首を吊るべきだし、わざとじゃないならもっと勉強してくれ。

 

メディア社会問題社会に伝えるとき

統計による説明社会が動いで問題解決されるのがベストなんだけど、

統計にするのが難しいような小さい範囲の重大な問題もあるわけで、

そういうとき可哀想な女・子供という画に頼らないでどんな説得する方法を見つけ出さないといけないね

50代未婚貧困男性とか自殺多いのに全然社会問題にならないし。

 

http://anond.hatelabo.jp/20160821110947

確かにJK自殺心配する時期だよね。

オリンピック

国威発揚イベントとかキモイし盛り上がってるマスコミは愚の極み、という考え方はわかる。そこには何の異存もない。

しかし俺は同時に、室伏ケンブリッジなどの「日本の変化」を感じさせる選手を見る事が出来るのが幸せだとも思う。

ゆとり世代」のスポーツ選手成功を見ると、日本にも個性が育てられるんだとも思う。

絶望のあとに残った微かな希望に期待したい。

今日聖書を読む読む

ロマ書の続き。



信仰効果は以下の3つ。



1. 義とされること:罪を許された状態になる。

2. 恩恵に入ること:①罪の苦悶がなくなる、②心に平和が来る、③天国をしのん現在の艱難を耐えることができる、④天命にしたがって確信をもって行動することができる状態になる。

3. 神の栄えにあずかること:神に似た者に化せられること。



また、信仰により、苦難を耐えることができる、忍耐により信仰は練達する、信仰が練達すれば決して裏切られることのない希望を得られる、とある



マルクスが「宗教民衆アヘンである」っつったのはこの辺なんかな。

2016-08-20

普通に捏造、というか「演出」の範囲内だと思ってた

普通に考えてみれば分かると思うんだけど

未成年女子生徒を、「この人は家が凄く貧乏で苦労してますよ」と、実名も顔も全国ネット晒すとかあり得ないでしょ?

いくら本人が希望したとしても、子供の言うことなんだからいい大人が真に受けるわけないじゃん?

あとで保護者から我が子の人権侵害されたと訴えられるリスクだってあるわけじゃん?

それでも放送したってことは、要するにそういうことでしょ

から放送を見たときは「話を盛るにしてもちょっと手抜きしすぎじゃねえの」くらいにしか思ってなかったんだけど…

2016-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20160819232753

私も同じ側。不遇感半端ない

けど、あなたが働けない側になったら、周囲は同じようにフォローしてくれる。これは事実

産休育休、傷病による時短勤務、介護休暇、ぜんぶ組織制度から

納得いかなかったらそちら側に実際に行ってみるといいよ。

結婚出産を急ぐでもよし、体調不良部署異動を願い出るのもよし。

自分は体力的・精神的な負担理由に異動希望を出した。

異動希望は通らなかったけど、とりいそぎ負担の少ない業務になるよう配慮してもらった。

一度ちゃんと言ってみるべきだと思う。

続☆希望ランキング

第一位

雨の日に酔っ払いの無謀運転で轢き殺される

第二位

オランダ安楽死

第三位

睡眠薬で眠っている間にローラー圧死

第四位

心臓局部麻酔後突き刺し

第五位

福島第二原発汚染水水遊び