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はてなキーワード: 文学とは

2016-09-29

職 業 ラ ン キ ン グ で き た ぞ ー

SSS 82点   東大医学部教授

SS  77点  事務次官最高裁判事東京矯正区長東大教授(法)

    〝   東大総長

    〝   東大(数物)教授東大理研研究員

    76点 東大工学教授

    75点 東大教授経済文学農薬学)

    74点 総務省統計局法務省矯正局、有名大医学部教授

    73点 最高検検事

    72点 東京高検検事

    〝   東京地検検事東大学部長、中央省庁局長地方矯正区長刑務所

    〝   東京高裁地裁判事

    71点 都市部裁判所判事検事弁護士

             (      中          略      )

S   60点 県知事 県キャリア官僚

A   45点 福岡地裁高裁判事地裁判事地検検事

B   30点 市長 市役所幹部 地裁支部判事 検察庁支部検事

         副検事 判事補 大手予備校校長 大手予備校プロ講師

         大規模病院

C   20点 地方弁護士 大企業支部エリート 大手家電会社支店長

         ブックオフ支店長携帯電話会社支店長 私立進学校校長

         同理事長 私立進学校一般教員 図書館長 中規模病院

D   10点 市役所地方公務員 裁判所検察庁事務職員、中堅企業幹部職員

         公立学校長 公立学校一般教員 警察署長 副署長 地方新聞社社長

         拘置所所長 警察幹部 巡査 警部補 

E    5点 その他(主婦子供無職家庭教師塾講師一般会社従業員等)

F    0点 ゆとりクソガキクソニート(バクサイ、ニコニコ2ちゃんねらー、ツイカス等)

2016-09-28

コンテンツへの理解が浅すぎるkawangoにはまじで失望した

 ライトノベル主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。

――恋人能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。

 そうです。今は努力できる立派な人物主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学世界でもそうなってきていると思います


http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html

カドカワトップのくせして、この理解はまじで浅すぎやしませんか?

本当にいい作品を送り出す気があるのかと、100回は問いたくなる適当な物言いにイラッと来た。


そもそも、最初からチートを持って最強になることを「俺tueee」と揶揄されていたりするのはここ数年だけで、ジャンプなら北斗の拳るろうに剣心バスタードにBOY、過去作品をあげればきりがない。みんな大好きガンダムアムロだって最初からワンランク上の人種だったわけですよ(あぁ、若い子的にはコーディネイターキラ・ヤマト君の方が)。最強主人公が昔から愛され続けているのは明らかだ。

「努力に対して気後れする」というのは、どう考えても浅すぎる考えなので、ただのサラリーマンオタクである俺が、超主観的にけれどkawangoよりはまともに、「最近ラノベ」っていうのを推論してやろうと思う。

ちなみに、全て根拠のない仮説だから、定量データ大好きなコンサルマンは読まなくていいぞ。己の中のロジックで書き殴っているだけだ。

正直こんなことすること自体、市場に対しての傲慢であることは理解したうえでだが、「カドカワトップの発言」に怒りしか沸かないため、久しぶりに筆を取る。


自己投影がしやすいのは「努力云々」ではなく「異世界転生」の方である

努力云々が拒否されているかは正直わからん。少なくとも言えるのは、将棋天才が努力する「りゅうおうのおしごと!」は最近ラノベではピカイチ面白いってことだ。そして、幼少期からガチ人生を変えようと努力を重ねて、家族を守るために死にものぐるいになる「無職転生」もまた名作であることを俺は支持する。

俺が言いたいのは、自己投影は「努力できる立派な人物」にしづらいのではなく、「異世界転生」にしやすい、ということである。しやすいなんて言葉も生ぬるいくらいに「ファンタジー自己投影出来る現代最強の装置」と言っても過言ではない。

ファンタジーという題材自体、本来は自己投影には不向きなものだ。なぜなら、今の自分と照らし合わせて「そこにいる」ことを想像することが難しいから、ということは理解できるだろう。

我々が住んでいる現代、つまり高層ビルが屹立し、夜も煌々と電気の光が輝き、インターネット交流を重ねる世界」と「石畳を馬車が走り、騎士団が剣を振りかざし、魔法世界の理である世界」では、あまりにも違いが大きすぎる。そこで生まれ育った主人公感情移入するのは、本来はしづらいもののはずだ。

ただし「異世界転生」は違う。

自分が今いる現代、と、異世界であるファンタジー世界が、まずつながるところからスタートする。たったこれだけ、これだけで高水準の自己投影を得ることが出来る。

それは突然足元に現れる魔法陣か、はたまた気づいたら目の前に迫りくるトラックなのか。きっかけはどちらでも良い。今の自分が、異世界に行けるという想像力カジュアルに補間してくれるのが「異世界転生」である

何故か。

第一に、主人公がまんま現代に存在してそうな、ふつ~~うな人物であることが重要だ。もちろん最初から古武術マスターして、スキルを盗む能力を授かるような人外主人公もいたりするが、基本は自分を重ね合わせられる主人公である高校生帰宅部で友人は少ないが仲の良い親友もいる。進学はどうしようと悩む2年生。趣味ラノベ。ほら、想像やすいだろう。

第二に、異世界転生ってほんとにあるかもしれないだろ?という、諧謔が含まれるちょっとした夢である。死後の世界なんて誰もわからんし、宇宙にある元素だってまだわからん。もしかしたらマナを利用した魔法陣は発生するかもしれないし、事故で死亡したあとには神様スキルを選ばせてくれるかもしれない。

「異世界転生」なんてねーよ、と鼻で笑うことは可能だが、誰もそれを証明することは出来ないのである。だからこそ、現代と異世界のつながりを、「ないな」と思いつつも受け入れることが出来ているのだと、俺は考えている。

ほら、スパイラルマタイすると本当の自分になれるんだろ??

重要なことだからもう一度言うけど、「現代」と「異世界」をカジュアルにつなげる「異世界転生」は紛うことなき物語の発明である最初トラック走らせた人には3,000ガバスあげたい。


いつかは覚める。「異世界転生」が流行っているのはブームでしかない

「異世界転生」がすごいものであることは説明した通りだ。かくいう俺も、毎日仕事帰りにはブックマーク登録しているなろう作品を消化しつつ、健気にスコップしたりもしている。本屋の棚にならぶラノベも、以前よりも増えたなと感じることはある。実数はしらん。マーケティング大好きくん調べてください。けれども、これは現代若者云々のような下らない推論なんかによるものではなく、あくまブームの1つだと俺は考えている。

ところで、俺は30代前半のおっさんだったりするわけだが、中学生にはじめてブギーポップを読んでこの世界に足を踏み入れた。かどちんの作品は今でも全部読んでいるけど、ハートレスレッドが俺は大好きなんだ。あの頃は「セカイ系」なるものが流行っていて、なんだか薄暗いイメージ作品が人気を集めていた。細かいこたぁいいんだよ!と言わんばかりに、世界観設定などをあえて曖昧にして、読者に考えを委ねるような作品だ。正直俺はTVアニメエヴァンゲリオンが嫌いである。新劇場版は好きだぞ。

まぁつまり、今とは確実に違った主流だったと考えてよいだろう。

オタクの狭い世界でいうとその後に泣きゲーメインストリームを走り、鍵と葉をプレイしないオタクオタクに非ず、と総括しはじめるオタクもいたハード時代だった。その後はいわゆる「新伝奇(この言葉あんまりきじゃないんだけどな)」と呼ばれる作品にわかに注目を集め、PCゲーでは月姫・Fateラノベでは戯言シリーズ禁書シャナが生まれていった。まだ少し薄暗さやきな臭さみたいなもの世界に漂いつつも「物語を曖昧にしない設定」が練られた作品が多かったイメージだ。そんな中、生まれでたゼロの使い魔最先端だったんだろう、異世界転生の走りだった。お悔やみ申し上げます

物語のムーブメントはここでもまた変わっていたわけだ。時代時代においてムーブメントはあり、「異世界転生」もその系譜の1つであると考えても不自然ではないだろう。美味しいものがあれば、それを食べ続けたいと思うのは至極当然の話しだ。最高の自己投影が出来る「異世界転生」をひたすらむさぼるのも、ただの欲求の発露だろう。

人間は成功体験にもとづき、欲望を繰り返し続ける生き物らしい。ソーシャルゲームの初期ガチャでURが引けるのは、その辺の心理ゲームに応用している可能性があるから気をつけるといいぞ。俺はFGOに毎月1万円課金している微課金兵だから、安心していい。

1つ面白いものを引き当ててしまったら、次に何かが来るまで、同じ成功体験を求めて同じものを摂取する。それは俺が辿ってきたオタク人生を照らし合わせてみても、超主観的に正しいと主張させていただく。

正直「異世界転生」は飽きてきたんだけどな。


コンテンツ消費にかけるカロリーの許容値は下がり続けている

最後にこれも超主観的な仮説だ。

エロゲisコンテンツの頂点。SF小説isオタクの原書。ラノベis心のフレンド。最高の1冊は「天冥の標」と豪語する俺だが、最近コンテンツの摂取にカロリーが高すぎて億劫になってきてしまった。

昔のエロゲと言えば、長いプレイ時間を経て没入感が高まり、最高のカタルシスを最後の最後にぶちかまされる、そんな作品に90点が付いたものであるゲームもそうだ。長時間プレイするRPGは食指が伸びない、仮に触れたとしても10時間ギブアップ。本気でコンテンツと向き合うのに気力が必要なのだ


なぜかと考えてみると、コンテンツとの向き合い方が昔と大きく変わってきてしまったことに気づく。

例えば、インターネット。不覚にも、kawangoのdwagnoが作り上げた「ニコニコ動画」は短尺でコンテンツを楽しめる世界観を作り上げた。1本5分~15分程度のユーザークリエイティブ動画が数多く投稿され、それをつまみ食いする時代2007年くらいから始まった。当時はアイマスのXBOX版プレイ動画をただただ見ていた記憶がある。その後に初音ミク東方、まぁニコ動周りは色々とブームが起こっただろう。id3万番台の古参だからたくさん見てきたけど、今はたまにはてブに上がる動画を見るだけである

アニメでいえば10分尺が増えてきた。ややもすれば5分。手軽に見れる極致と言って良いだろう。あいまいみー作品構成は完璧だった。神アニメと言って良い。

デバイススマホ利用がメインユースである。スキマ時間にいじって、Twitterを見たり、ソシャゲのスタミナ消費したり(最近スタミナ系減ったね)、もちろんニコ動Youtube商品宣伝見たりするのも楽しいだろう。若い子ならsnowとかsnapchatとかもあるな。comicoリライフが地味に好きだから、毎週土曜日更新が楽しみだったりするよ。

それが気づくとスキマ時間だけじゃなく、家に帰っても弄っていたりする。これを読んでいる皆もそういうことが何度もあったはずだ。

そうやって俺たちは、気づけば「カジュアルに消費できるコンテンツ」ばかりを楽しみ、それに慣れてしまった。「うわ、これ疲れそう」なんて言いながら積んでいるコンテンツ、皆はないだろうか?俺はある。たくさんある。以前は何を差し置いても、翌日の仕事に差し支えたとしても、徹夜してでも、読む。プレイする。そんなコンテンツが、いまや時間のある時に消費するかと積み積み。

もちろん時間があればいい。気力を振り絞って得られるカタルシスが最高であれば、なお良しだ。ラノベ読んでてよかった、エロゲやっててよかった、この年になっても年1くらいで感じる瞬間だ。

でも、その時間はいつの間にか、生活を縛るカジュアルコンテンツ侵食されてしまっているのが現実であるカロリー計算をした瞬間に、さすがにラーメン二郎は無理、と避けてしまうのは年を取ったからではなく、現代生活カジュアルコンテンツに束縛されているからだと俺は考えている。

そんな中、最近ライトノベルやなろう小説には、カロリーに優しいコンテンツが多い。それが「安定して人気の出る作品であるというのが持論である。(爆発的ヒットではなく、一定数さばけるという意味である)


ポイントは2点である。「期待値を裏切らない」「スキマ時間に読める」

小説はそもそもコンテンツとして消費にかかる時間が長い。ハズレを引いてしまった時の時間的損失は読み手にとってつきまとう課題である。それを解決しているのが、昨今のラノベパッケージである理解している。

表紙、タイトル、帯、あらすじで、中身を想像出来る。そしてそれが期待値とずれないことが重要である。大ドンデン返しみたいな疲れるものはいらない。想像した快楽を得られ、時間というコストに対して最大限のパフォーマンスを出したいのだから。なろうの作品を読む前にタグをチェックして「ハーレム」を探しているそこの君。君だよ君。

そして、ここまで何度も述べているように、カジュアルに読み進められるパッケージとして、なろうの形式は最適化されている。1話あたり5,000~10,000文字の文量は便所でうんこしながらでも読めるだろう。通勤中であれば、2,3話読むことも出来る。区切りもつけやすい。はてブで糞みたいなエントリーを読むのと同じユーザー体験で、自分が好む小説を摂取できるのだ。そりゃあ楽な方楽な方に行きたくなるのが人というものだ。

kawangoの話はラノベのくだりだけはまじで許せなかったが、大筋同意できる意見も書かれている。

まりユーザー自分の好むメディア自分に都合のよい物語を選び始めているということです。もちろん昔から、人々は基本的自分にとって心地よいメディアを選んできたわけですが、まだ選択肢が少なかった。ところが今は、どんどんパーソナライズ化が進んできて、自分が信じたい情報、接したい情報だけが集まってくるようにするということが、ネットを通じてできるようになったということです。

心地よい作品を得たい、これは今に始まった話ではなく昔からそうだ。それを加速したのはネットであり、生活リズムによるものだと俺は考えている。

ジョブスのせいでエロゲをまともに出来なくなったから、あいつは地獄に行けばいいと思う。まぁiPhone7は買ったけどな。


次を作るのがあんたらの役目なのでは?

そうは言っても、先にも述べた通り、コンテンツムーブメントはいつか終わりがくると俺は思っている。あれだけ若いオタクの間で跳梁跋扈した東方ですら空気になりかけ、俺が大好きだったKeyだっていたるんが退社するんだ。時代は流れていく。それはもう人の手では止められるものではない。

その転換点は、代替となる成功体験でしかないだろう。

ブギーポップではじめて感じたライトノベルという時代の到来。雫、痕、ToHeartからはじまったビジュアルノベルの胎動。なろうで形作られた異世界への特異点

生まれ、壊され、生まれ、壊され。その繰り返しの中で、コンテンツは洗練されて進化を続けてきたのだから、今を変えていくのは強烈な快感を与える新しいコンテンツでしかない。

オタクコンテンツトップランナーであるカドカワもといKADOKAWAが、それを担わずして誰が全うするというのか。「努力できる立派な人物主人公だと、読む側が気後れする」だって?まじで言ってんのかあんたは?

そんな下らない仮説を振りかざして、閉じたコンテンツ世界を作り上げるのがあんたらのやりたかったことなのか?違うだろう?

今のライトノベルには面白い作品がたくさんあるぞ。エイルン・ラストコード読んだか?ライトノベルで熱血ロボットとか新しすぎだろ。最高にアガる作品だぞ。正直アニメ微妙だったけど、天鏡のアルデラミンも読んでて震えるわ。風呂敷たたみ始めるの早すぎてちょっとおっちゃん心配だけどな。

あんたの会社社員めっちゃチャレンジしてるんだぞ。わかってんのか?

にも関わらず、トップあんたがその斜に構えた態度でいるとか、作り手とユーザー舐めすぎだろう。看板背負っていることを、どうか自覚してほしい。一度御社ラインナップを洗ってみて、いかに自分の認識がおぽんちなのかを理解してくれ。ラノベ多様性があって素晴らしいものだぞ。

俺はあんたが作ったニコニコ動画という世界にはじめて触れた時、新しい時代の到来を感じたんだ。実際に、2000年台後半はニコ動時代だった。コンテンツのあり方を変えた1つの要因だったことは確かだろう。

サービスでもいい、コンテンツでもいい、もう一度それを作り出すくらいの気概を俺たちユーザーに見せ続けて欲しい。閉じこもった推論だけ振りかざしていたら、そこに未来はなくなってしまうんだから。



どうか。期待しています

2016-09-27

恋する寄生虫ver9

http://anond.hatelabo.jp/20160927040319

現在:P304-

9つの物語



比翼は傷付き飛べなくなるか

高坂からエロスにより卵を大量に植え付けられ、苦悩がなくなったりしないかなあ」と思ったり

相変わらず自分ゲスであるが、自らのダブルスタンダードを許すのは仕方がない

これも自分






さて、読了、読み終わり、読み終わった

なんともきれいに終わってしまい、感想はあまりない

自分自我違和感のある結論、結末ではなかったからだ

死一宇なら、生きていれば、否、生きるしかない、生きる理由は生きる以外にはない、つまりであるという結論を持つが故に

自分にとって、この後がいくら死だったとしても、生き汚く生に延びて欲しい、延びるべきであると思ってしまうのはどうなのだろうか

主観幸福を優先するといいつつ、死を根拠なく否定するダブスタっぷりに、呆れるばかりである

まあ、なんでもいいか




意図したわけではないが、章数と同じだけこちらもエントリを書いた

これから2chとげんふうけいのtwitterでも覗いてみようかと思ったが

わたしはもう、ねむい



人を選ぶ作品であった

正に、悲哀と苦悩を持たない、それも同じ質でない場合には触れ得ぬ作品であった

げんふうけいは、同じ時期に同じ体験をしたものを惹きつける何かを持っていると思う

そうした構造村上春樹である

しかし、あの当時のvip、そのネット文化、というよりその背景にあるなにかしらの共有物を持っているあの当時の人間として

そして、リアルタイムで進行するこの世代として、この経過がどうなるのか、一緒に流れていきたい

もう ねゆ はしってねゆ(ときかけ)

 小説はもと/\毒のあるものです。苦悩と悲哀を母胎にしてゐるのだからね。苦悩も悲哀もない人間は、小説を読むと、毒蛇に噛まれるばかり。読む必要はないし、読んでもムダだ。

 小説劇薬ですよ。魂の病人のサイミン薬です。病気を根治する由もないが、一時的に、なぐざめてくれるオモチャです。健康な豚がのむと、毒薬になる。

 私の小説を猥セツ文学と思ふ人は、二度と読んではいけない。あなたの魂自身が、魂自体ふるさとを探すやうになる日まで。

 私の小説は、本来オモチャに過ぎないが、君たちのオモチャではないよ。あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。

2016-09-26

マイルドヤンキー物語ラブライブ

私は常々不思議だった。何故ラブライバーヤンキーのような外見の人が多いのかと。

確かにアイドルライブには昔から「○○命」と刺繍を金糸で入れた特攻服に身を包んだ、近寄りがたい方々がいたがラブライバーはそのはるか上を行く。

全身に缶バッジをつけジョジョの奇妙な冒険第7部SBRに出てくるタスクACT4を思わせるような非人間的外観をした怪物がうようよいるのだ。

その溢れ出した自己顕示欲IQの低さはもはやヤンキーと呼ぶ他無い。

何故だ。

何故ラブライバーはこんなにもヤンキーなのだ



しかラブライブサンシャインを見終わりその疑問は氷解した。

ラブライブという物語それ自体マイルドヤンキー文脈に沿っていたのだ。

母校という地元(いばしょ)を守るため、チームメイトという仲間達(マブダチ)と、全国の頂点(テッペン)を目指す。

その根底に流れるものROOKIESスクール ウォーズ といったヤンキースポ根もの血脈だ。

主人公達の大部分が全くの素人であるという部分も上記の作品共通している。

そしてそれはラブライブサンシャインでいよいよその色を濃くしていく。

まず舞台田舎である。これはマイルドヤンキーの生息地として適切だ。

そして主人公達は地元民の期待を背負っている。この結束感こそがマイルドヤンキー魂の生まれる土壌だ。

その結束感ゆえ彼女らは大会ルールを叩き壊し、自分たち地元自分たちが盛り上がるためのパフォーマンスに興じる。

そう、彼女らは自分たちが内輪で盛り上がりかつ自分たち存在を知らしめんためにルールという檻を叩き割るのだ。

ここにラブライブヤンキー文学集大成を迎えたといえる。

一作目のラブライブは、この現代社会の中で自分たち存在を認めさせる方法としてラブライブ健全にのし上がるという方法を取った。

しかし二作目にしてついに、ラブライブルールという枠組みに囚われず自分たちの信じる道、自分たちがこの一瞬を輝ければ周りの迷惑も今後のアイドル活動すらも投げ捨てる道を選んだのだ。

最終回にこの話を持ってきたということは、制作側は視聴者にこの姿をロックだと感動して欲しかったのであろうことがわかる。

そうでないのならもっと前にこの話をやり、ルールを破るのは流石に駄目だと反省させる物語の作り方をするはずである

だが、これに感動できるのはヤンキーだけだ。

心をヤンキーにしなければルール無用大会荒らしで涙など流せはしない。

それならば結論は1つだ。ラブライブ最初からヤンキーによるヤンキーのためのマイルドヤンキーアニメだったのだ。

そう考えれば、あらゆる疑問の答えが出る。

2016-09-20

海外が凄いという風潮が嫌い

僕は京都大学に通っている.元々東京で育っていたがその大学への憧れと京都に住みたい実家を飛び出したいという気持ち京都大学への受験を決めた、そして何とか拾ってもらい今京都に住んでいる。

大学生になって実感したのは周りの人間がどんどん海外に行くということ。高校同級生と久々の同窓会で再会したときも、夏休みに数カ月留学してたんだとか、今度どこどこの国に行くとか、そういう話ばっかだった。

そういう人間は多かれ少なかれ海外に行ったことを示すためにTwitterFacebook写真投稿する。どんな人もまあそうするよね海外風景なんて珍しいんだから

でも行って何をしたかって言ったらサバイバル力磨いただけじゃないの?正直海外に行くことで何を得ているのかよく分からない。

単純に海外旅行に行って遊んできました~ならうわ羨ましいなお前でいいんだけど、留学、これは本当に何をしているんだ?

例えばサッカー選手海外に挑戦するみたいに、よりレベルの高い環境自分の力を試すなら分かる。自分の専門についてその本場で学びたいと言うのならよく分かる。「○○先生のところで勉強したくて!」って理由なら「おお頑張れよ!」って思える。

でも、大抵の留学に行く人間ってそういう理由で行ってないだろ?他人とは違う経験がしたいから、その場にあった留学に飛びついたんじゃないの?お前は何しに海外に行ってんだ?

1回気になって留学に行く人に「なんで留学に行くの?」って聞いたことがある。そしたらそいつは「なんでだろうね。でも行きたいんだ。君は留学行きたくないの?」って答えやがった。ふざけるな真面目に考えてくれよ。

正直に言って俺は英語が苦手だ。文章を読むことは出来るけど会話は絶望的に出来ない。これはまあ中高の英語教育が(喋ることを重視し始めているとは言っても)読み書きに偏重しているから、そういう訓練を積んでいない、それだけだ。

京都という土地外国人に道を聞かれることは多い。そういう時「OK」「there(指差し)」「I don't know」ぐらいしか言えないぐらいにはクソな英語力だ。しかも超キョドってる。我ながらひどい。

から、そういう英語弱者コンプレックスから海外に行く人間を妬んでいるのかもしれないって自分でも思うよ。でも、だからこそ海外に行くメリットをちゃんと教えてくれよ。英語の出来ない俺を見捨てて海外に行かないでくれ。

海外に行くのは凄く怖いことに思える。





http://www.suzutaro.net/entry/2016/09/18/174626

でもこういう記事を読むとやっぱり本当にムカつくんだよな。大学に通っていても勉強してないのはお前だろ。そういう留学に行く人間の方が授業を真面目に聞かないんだろ。ふざけるな。

俺は今京都大学で凄く授業が楽しいよ。そりゃ眠くなったり、全然集中出来ないときだってあるけど、それでも授業受けるだけでどんどん自分の中で知が広がっていく。特に哲学の授業なんかはこれまで考えもしなかったことを考えるんだ。俺はデカルト認識論観念論現象学講義を受けたけど今まで知らなかったことしかなくて本当に面白かったよ。でも友人はLINEで突然「○○の授業ってレポート課題出てたっけ?」とか試験直前に「○○の授業取ってるー?」とか聞いてきやがる。

今まで授業で一回も見なかった人間だ。他にも、授業後に「今の授業聞いてた?笑」とか聞いてくるやつだっている。興味ないなら来ないでくれよ。興味ないのに来るならもう少し申し訳なさそうにしてくれよ。。。

大学は授業出てるだけで面白いことはたくさんある。最初からそれを無視して勝手大学講義はつまらないとか行く価値がないとか言い切らないでくれよ。

上に貼った記事でも「ただ大学卒業して、」って書いてあるけど、それ自体面白いだって

他にも日本楽しいことはたくさんある。怪しげな地下イベントとか行ったことあるか?テレビタモリ倶楽部見たことあるか?展覧会は行ったことあるか?

本を読んだことはあるか?京都古本屋がたくさんある。古本屋で棚から棚へ視線をじっくり動かして掘り出し物探したことあるか?映画は行ったことあるか?ただあてもなく散歩したことあるか?何も考えずに路地裏を探検したことあるか?

毎日生きているだけで精神的に充実させることが出来てしまう。インターネットいくらでも面白い記事が読める。YouTubeMVを見てるだけで一日が終わったことがある。毎日生きるだけで楽しい。なあ、日本ってそんなにつまんないのか?

別にそんなことないだろ?京都にいるだけでも毎日を充実させようと思ったら出来てしまう。だから特別日本がつまらないって俺は思わない。

日本の文化面白さって言ったらなんか薄っぺらいけどさ、でも面白さはあるんだよ。日本の文化っていうよりもうそ自体面白い価値はよくわかんないけど好きだってものが。

から日本を軽く見て海外に目を向ける大学生はまずもっと毎日生活を見つめてみようぜ。音楽でも文学でもアカデミックでもスポーツでもゲームでも何でもいいからハマれるものにハマってみようじゃんか。

意外と面白いものって視界のすぐ外側とか隅っこにあったりするんだって。だから安易日本を捨てて海外に行くなんて言うなって。海外に素晴らしいものもたくさんあるだろうけど、日本で生きていたって十分面白い

2016-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20160919222546

元増田です

日本語テキストの中にクソみたいなのがあるのは首肯しま

しかし、「読みやすさ」という意味でクソでも、よくよく中身を吟味してみたら、一考する価値のある内容や、卓見があるかもしれませんよね

「読みやすい」文章が書けるようになってほしいという気持ちは、国語教員としてもちろんありますが、

「読みやすさ」を守るために、本質的理解を拒絶してほしくない、

読みにくくても内容を掴んで、せめてそれからクソと言ってほしいという気持ちもあります

---

また、「文学」という言葉が出てきましたが、いわゆる「文学作品」について、国語から切り離すべきとかそうじゃないとか、

いろいろ議論が紛糾している状況です

まだまだ勉強不足で、国語教育を取り巻く状況を正確に把握しきれていませんが、教科書のものが抜本的に変わる日も遠くないかもしれません

http://anond.hatelabo.jp/20160919221323

大筋から理解しようとするのが悪手に見えるのは日本語テキストが総じてクソだからだ。

細部にわたって全て読み込まないと全体が見えてこないとか、

どんだけもったいぶって文学してんだよって激おこだわ。

結論を後回しにして前置きばかり豪華な作品しか教えないとかどうかしてる。

自分がこうなった原因を過去のことを思い出して書きなぐってみる。

1,マウンティングする人間について

自分マウンティングしてしまういけ好かねー人間なのだが、

うちの親父も祖母マウンティングする人間だ。祖父母姉は表向きそういう態度を取ることはない。

自分の思いつく限り、そうなった原因は、祖母に、

比較されて育ったこと

かつ

色々な点で一番と褒めそやされて育てられたこと

だと思っている。

マウンティングって、確か、自分が優位であることを示そうとして、自分存在を誇示することであるので、

比較されることと自分が優位であることを認識することから始まるような気がする。

で、自分と父はそういう育てられ方を祖母にされたと思う。

唯一、祖母や父と自分が違うところが、

彼らはマウンティングを恥ずかしいことだと思っておらず、

自分は恥ずかしいことだと思っているのにやめられなくて苦しんでいるという所か。

マウンティングは他の動物人間とでマウンティングした結果もたらすものが違うかどうかはわからないけど、

少なくとも人間社会では、マウンティングは個の優位性よりも、協調性のなさや性格の悪さを表す指標として

使われていると思う。

ちなみにマウンティングという言葉流行りだしたのってここ2,3年の話なのか?



2、ひとりで行動できる人間について

数日前にツイートで、

学生時代協調性が重視されるのに、就活以降社会人はひとりで行動することがいきなり要請される

というものを見たのだが、そのとおりだと思った。

自分は長らくひとりで行動できない人間だった。

その理由は、多分、祖母に箱入りで育てられて母には放置されて育って、

自分のことを自分でできない人間として育ってしまたからだと思うんだけど、

どういうことをひとりでやればひとりで行動できる人間になるんだろう。

自分部活も進路も好きなことをやることを許してもらえない状況下にあったし、料理とか掃除教育も受けてないから、

本当に子どもの頃、ひとりで行動することも、その積極的動機インセンティブっていうの?)もなかったと思う。

やっぱり教育大事だし、好きなことなら一人でやる勇気も出たと思うんだけど、どうなんだろう?



3,根拠のない自信について

というわけで、自分には根拠のない自信が全くなくて、学生時代バイトも怖くて出来なかった。

根拠のない自信がないと、本当に何事にも挑戦できない、はじめの一歩も踏み出せない。

根拠のない自信➝行動➝成功体験根拠のある自信➝積み重ねてさら成功

という好循環の一歩目が欠落してるから、完全に思考停止の行動不能になる。

皆さんはどうやって根拠のない自信をつけたのだろう。



4,社会学政治学について興味のある人間心理学文学に興味のある人間

というわけでマウンティングするくせに、ひとりで行動できない、自信もない、クズ人間がここにいる。

父は公務員だし祖母も自慢できるから偉くなれ偉くなれという人なので、

多分社会において地位を占めることが重要プライオリティ?)だと考える人だと思うのだが、

自分はこういう自分がなぜダメ人間なのかということを考えるのが趣味内省人間しかメンヘラなのだけど、

その違いってどこにあるんだろうな、と考える。

社会に興味がある人間って多分自分の外をマシにしようと考えてる人で

心理に興味がある人間って多分自分の中をマシにしようと考えている人間なのだと思う。



どうでもいいけど、自分メンヘラクズ人間からどうすれば抜け出せるかわからなくて苦しい。


自分が一番興味のあることってなんだろうと思うけど、

興味のあることを追求できるのは学生時代までなんだよね。少なくともひとりで学習行動できない人間にとっては。


あぁ、変われないダメ人間

この文章だってちょっと頭が良いと思いこんでいる自分がそれをを見せつけたいと思っているから書いたのかもしれない。

自分に向いてる職業とかあるのか?メンヘラ無職。やっぱタンポポか。

2016-09-17

読書ステータスとして扱いたければ古典の名作以外は却下

漫画読書範疇に入るのか ネット議論、「読み手想像を働かせないか読書ではない」という声も

http://blogos.com/article/190879/



絵本ダメだし、画集ダメだし、

自己啓発本ファッション雑誌もアウト。

瞑想運動マインドフルネスに関する書籍も全部アウト。



夏目漱石とか福沢諭吉とかが書いてそうな本以外読書とは認められない。

全ては文学様のステータスのために。

2016-09-15

差別という言葉狩りの先にある文学

(*1)が(*2)で(*3)を(*4)したとき、(*5)な(*6)が(*7)(*8)。

*1 固有名詞は男女の性差別彷彿とさせるので使用してはならない。

*2 浜辺は海を見たことがない山間部や内陸に住む人たちを侮蔑する可能性があり、かつハマベという音がハランべの音に酷似しており、射殺されたゴリラから殺害予告とも受け取れるため使用してはならない。

*3 二枚貝の殻は女性器を暗示させ、また性器を隠す下着として使用されてきたことから下着そのものと言える。したがって貝殻は公序良俗に反する恐れがあるため使用してはならない。

*4 見つけるという動詞は生まれながらに目が見えない人を傷付ける可能性があるので使用してはならない。

*5 可憐という形容詞は、対義語として救いようもなく見るも痛々しい容姿を持つ生物を前提としていおり、容姿による差別につながる恐れがあるため使用してはならない。

*6 女の子という言葉は前述の通り性差別を想起させる。また「子」は男女のまぐわいの結果として生まれるため、不純異性交遊につながる恐れがあるため使用してはならない。

*7 笑いながらという表現には日々の生活に追われ笑って暮らせない人たちに対する配慮がないため使用してはならない。

*8 駆けよってきたという表現は、走ることのできない人に対する配慮が微塵も感じられないので使用してはならない。

から(*8)年くらいのノーベル平和賞(*9)の(*10)を(*11)る!

*8 年を明確にすることは老若の差別助長するため使用してはならない。

*9 受賞という動詞落選した人に対する配慮がかけているため使用してはならない。

*10 電話という名詞電話を持ちたくても持てない貧困者に対する配慮が求められるため使用してはならない。

*11 心待ちにするという動詞生活に苦しく将来に希望も持てない人たちに対する気配りがなされていないため使用してはならない。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907152913

産業革命ときからの流れといえばまさにそうだな。

勿論テクノロジーからしたら自分たち進歩するために人間使役して、人間側がその要求にこたえ続けてきた相互補助の関係性だったが、

ここにきて強いAI誕生してしまうとその関係性も一気に崩壊してしまう。

俺が恐ろしいのはAIが反乱を起こすとかハリウッド的展開ではなくて、

人類すべての結晶である真の人の子供とでもいうべきテクノロジー (この中には科学技術だけでなく言語学民俗学芸術等を包括した意味で使わせてもらう)が

完全に人間の手を離れて自立し、最初はお互い理解し合うことができていたのに

AI進化についていけず認識すらできなくなりテクノロジーは完全に独り立ちし親である人類不要存在として保護されたまま見捨てられていくのではないか

そういう漠然としながらも決して夢物語と言い切れないだけの不安が最大の恐怖だ。

もちろん強いAIこそが全人類希望の1つであるのは確かだが人類テクノロジーは対等な存在でいて欲しいという個人的希望が強い。

あと芸術の分野にしても文学AIが受賞したり(人間編集ありきだが)絵を描くAIが出てきたり、

不可能と言われていた将棋世界でも既にプロ棋士が勝てないことが証明されたり、決して聖域ではないという実感を募らせている。不安だ。

2016-09-06

増田文学 → 読み物系の増田

???? → 文学パロディネタ増田



何と言えばいいのかな

文学増田

2016-09-04

フェミニズムとの距離感~「性差別表現」は存在してよい/存在しない

●無条件に「性差別である表現存在しない



「全てのセックス性差別」とフェミニズムの一部が主張している、と俗に言われる。これは半分正しいが、半分間違いだ。

正確には、「マチズモが強く機能している社会においては」という条件下にのみ「全てのセックス性差別になる」という主張である

この条件さえ付ければ、「全てのセックス性差別」という主張は決して間違いではない。


しかし、だからと言って「セックスを滅ぼせ」という主張は、大半の人にとって受け入れられないものだろう。

現にフェミニストの大多数はそのような主張に与していない。

そもそも、そんな主張は受け入れる必要すらないのだ。

なぜなら、変わるべきはセックスではなく社会なのだから



アニメマンガについても、まったく同じことが言える。

無条件に性差別的な言動表現は、存在しない。

仮にある作品差別的だとしても、あくま特定社会状況下で差別的力学を発揮する、ということにすぎないのだ。



から性差別表現を含むフィクションを好むこと」と「性差別批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「性差別を含む表現」を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか



別の例で言い換えてみよう。

「(ミステリー小説など)殺人表現を含むフィクションを好むこと」と「殺人批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「殺人表現」を好むからこそ、殺人表現現実殺人へと結びつかないために、現実での殺人批判するとも言えるのではないか



いずれもまったく同じ構図だろう。


それゆえ、性差別に抗議する人が「性差別を含む表現」を愛好しても何ら問題はないのだ。




党派根性論点を捻じ曲げる



言うまでもないことだが、上手く書かれたフェミニズム批評は、正当な批評である

分析の仕方が卓抜で、深く作品を読みこんでいる批評であれば、それは正当に評価されるべきだろう。

しかしその批評の正しさを認めることは、決して批評された表現自体が悪であると認めることではない。


現に古典文学に対するフェミニズム批評は以前から行われており、たとえば『源氏物語』をフェミニズム的に読解する批評などはすでに存在している(興味がある人は探してみてほしい)。

しかし当たり前のことだが、これは決して『源氏物語』が劣悪で評価に値しない作品だということを意味しない。

批評理論は、「ジャンル批評」や「読者反応批評」や「精神分析批評」や「マルクス主義批評」や「文体論的批評」など、数多く存在する。

フェミニズム批評」はあくまでもその一つにすぎないのだ。



フェミニズム的な批判を認める」=「批判された表現をなくさなければならない」

と考えるのは、党派根性に基づく不当な飛躍である



からオタクは、別にフェミニズム批判の正しさを認めても構わないのである

(もちろん他の批評と同じく、低レベルフェミニズム批評まで認める必要はない)。



そしてこれはフェミニズム側についても同じことが言える。

性差別である」ことを理由としてただちに表現を取り下げよ」と主張するのは、基本的には不当な要求である


もっとも、厳密に言えば「表現を取り下げよ」と発話すること自体自由であるしかしその発話内容が不当である以上、当然批判殺到するであろう。

不当な主張をすることは自由だが、その主張に対する「評価」は本人が責任を負わなければならない)




たかも「オタクフェミニズム対立している」かのような構図をでっち上げることこそが、議論の妨げとなるのである

そういった点も踏まえて、後述するように「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張は退けなければならない。




結論



表現の自由」には責任が伴う、としばしば言われる。

では表現者が負うべき責任とは何か?

それは、己の作品の「評価」を引き受けること、である

辛辣批評、伸びない人気、そういったことをすべて作者自身が引き受けることである(もちろん、低レベル無意味批評無視すればよい)。

フェミニズム的な批判を、何か特殊批判だと考えない方が良いだろう。基本的に、それは批評である

フェミニズム批評もまた一つの評価軸であり、その軸上における評価もまた、作者自身が引き受けなければならない。



そして表現者責任とは、「評価」を引き受けることがすべてだ。

(もちろん、プライバシー侵害など個別具体的な人権侵害等は例外だが)



酷評に耐えかねて、自ら作品を非公開にすることは、確かに一つの選択肢ではある。

しかし、それが強要されるのは決して望ましいことではない。



仮に「ある作品性差別的な効果を発揮する」としても、その効果を止める方法は「表現を取り下げること」だけではないだろう。

「その作品性差別的な効果を発揮している」と論理的に指摘できれば、それだけで性差別効果を止めるには充分である

「この作品における○○○○な描写は、性差別意味を持っている」と評すれば、充分に、現実世界で○○○○することが悪いと告発する効果を発揮できるから

(○○○○には任意性差別描写を当てはめてください)

そしてそれこそが、フェミニズム批評仕事の一つであろう。



批判的言説を生産することによって、ある表現が発揮しうる性差別効果を止めること。これは充分に可能である

批判的言説では飽き足らず、表現自体の取り下げ等を要求することは、(性差別解消につながるかも疑問だが)性差別以外の領域において不合理を引き起こす

(この点については、また別の機会に述べようと思う)。

そして、(あえて厳しい言い方をするが)表現の取り下げを要求することは、批評の力を、言論の力を、見くびる所業でもある。



ある表現へのフェミニズム批評は大いに結構だ。

だけど忘れてはいけない。

フェミニズム解釈妥当性を持つのは、作品外の社会的文脈があるからだと。

変えなければいけないのは表現ではなく社会だと。



そして、これも再度強調しておかなければならない。

「(現在社会的状況において)性差別(と位置づけられるような)表現を好むこと」と「性差別批判すること」は両立する。

どころか、前者を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか



妥当フェミニズム批評であれば、それは素直に認めればいい。

しかし、そのことだけを理由表現の取り下げや禁止要求することは不当である

同様に、そのことだけを理由に「フェミニスト表現の取り下げや禁止要求している」と早とちりすることもまた不当である



最後に補足を二点



もちろん私は、「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張には与しない。

たとえば大城房美が指摘するように、「日本少女マンガは、女性が周縁化されてきた20世紀後半のアメリカコミックスの状況を変える一因となった」という側面を見落としてはならない

大城房美編著『女性マンガ研究 欧米日本アジアをつなぐMANGA』青弓社 2015 p.25)。

日本においては、マンガによって女性表現する場所が確保されてきたのである

そして少女マンガ女性表現の源流であると同時に、いわゆる男性オタク向け表現の源流の一つでもある。



以上の指摘を受けて、なお「男性向けオタク表現については性差別である」と強弁する方がいれば、

たとえば佐倉智美先生によるこちらの記事などをご覧いただけると、その主張が極めて一面的で乱雑であることが理解いただけるかと思う。

http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5(「ラブライブガルパンフェミニズム評価すべき5つの理由 [メディア家族教育等とジェンダー]」)

クソ雑魚ナメクジでも読める! 古典新訳文庫面白い本ベストテン

http://anond.hatelabo.jp/20160903194513


選定基準

・他文庫で手に入りにくい

重厚長大作品は避ける(つまりロシア文学は大概除外)

ジャンル小説寄りだったり、わりとライトに愉しめる感じのやつ


順不同


・デュレンマット『失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選』

 脚本家ミステリ作家として有名なデュレンマットの粋が収められた傑作選。

 デュレンマット独特のケレン味の効いたツイストは、高度な本格ミステリに馴れた現代の読者にも新鮮な驚きをもたらす。

 ちなみに「巫女の死」は『オイディプス王』をベースにしているが、本文庫で『オイディプス王』は出されていない。すなおに岩波で読んでおこう。


・ウォー『ご遺体

 第二次大戦前後の暮れゆくイギリス貴族イギリス男性の生態を皮肉たっぷりに描くユーモア作家イーヴリン・ウォー、その傑作の一。

 セレブが利用する葬儀社兼霊園で働くことになった青年とりまく変なキャラたちが見どころ。


スティーブンソン『新アラビア夜話』 

 夏目漱石イギリス留学時代に部屋に引きこもって読みふけったという文豪スティーブンソン。

 日本知名度の高い『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』もこの文庫に入っているが、実は最高傑作と言われているのはこの『新アラビア夜話』。

 ボヘミア王子ロリゼルを主人公に、ミステリーのようなファンタジーのような摩訶不思議短編が並ぶ。


・ブッツアーティ『神を見た犬』、ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』、ロダーリ『猫とともに去りぬ』

 日本人にはあまり馴染みのないイタリア文学

 ここらでイタリア代表する三人の作家幻想短編集をつまんで、ラクしてライバルに差をつけよう。

 ロダーリはあたたかみのある笑いを、ピランデッロはどこかとぼけシニカルな味わいを、ブッツアーティ得体のしれない不安あなた提供してくれるはずだ。


マンシェット『愚者が出てくる、城寨が見える』

 文学はなよなよしていて、暴力が足りない?

 ならば,フレンチノワール法王(本当にそう呼ばれている)パトリックマンシェットだ。

 ノンストップという形容すらなまぬるいほどの疾走感で綴られる犯罪劇は、頭で理解するではなく、心で感じるんだ。


ムージル『寄宿生テルレスの混乱』

 エリート寄宿舎学校! 生徒内権力争い! 美少年! 同性愛! いじめ! 実存主義

 全部もってけ、あなたがたが欲しているものはすべてここにある。


・ロブ=グリエ『消しゴム

 すまない、嘘をついた。これはお文学だ。しかも分厚い。

 とはいえ、基本的にどうでもいい情景描写が七割くらいを占めているのでそこを飛ばせば一気に読めるぞ!!

 こういうのはあとがき解説を先に読んでから読もうな!!!


・マチャード・ジ・アシスブラス・クーバスの死後の回想』

 リオオリンピックは終わったが、文学の聖火はいつでもブラジル燃え盛っておるぞ!!!!!

 「死んでから作家になった人物が書きつづる」作品と聞いただけでわくわくしないか?????

 おれたちの読書オリンピックはこれからだっ!!!!!!!!!!!!

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160831234137

"肉体的"なんて文学では出てこねーよ。肉感的とごっちゃになってんだろーな。

2016-08-20

haruhiwai18さんのタグ芸はとっくに最高峰文学の粋に達している

割とマジでいま日本語圏で一番ノーベル文学賞狙える位置にいると思う

2016-08-19

ブサメン金持ち>>>>>>イケメン貧乏>>>>>女

イケメンは確かにモテル。

しかし、イケメンは女をAV風俗に流す。

ブサメン金持ちは確かにイケメンのせいで「モテない→まったくモテない」まで落ちるわけだけど。

その分風俗クオリティが激上がりする。

  

まり、「リアル生活イケメンに女を取られてしまデメリット」より、「風俗AV美女あさり放題のメリット」がでかい

というより、ブサメンが単に『愛』だけでセックスできる女のレベルなんてたかが知れてるし、セックスできるプレイレベルたかがしれている。本来その序列は変わらない。

しかし、金で女を買えば、一通りのプレイはできる。しか美女側が媚びる。

圧倒的に効率いいわけだ。

  

一方でイケメン貧乏はどうか。

多分、一生松屋でも食ってるんだろう。

まともな人間的な文学理解できない、大学もいけない、知的な会話やこの世がどういう風に成立するかも分からないんだろう。

馬鹿から金を多少持ってもスグ身を持ち崩す、馬鹿から

しかも、その松屋で溜飲を下げられるほどのモテモテすら、寿命は数年。

その時期がすぎればゴミ以下の生活しか残ってない。

  

女にしても、確かにリアル生活ではブサメン馬鹿にするだろう。

しかし、その女の中で整形含めての勝負の中でトップレベル風俗で楽に抱ける。

リアル生活で多少頭を下げても、風俗美女相手王様気分で振舞えばどーでもいい。

というか。イケメンに媚びて女が消費されるってのを考えると。

しろから得られる利益は今の時代は昔の時代よりはるかに上がっている。

まり、女に対してもブサメン金持ち圧勝している。

  

よーするに、女も、イケメン貧乏も、ブサメン金持ち家畜なのだ

    

そう考えると、食物連鎖の頂点は圧倒的にブサメン金持ち

よかったよかった。

2016-08-17

パソコン美少女ゲーム歴史大全1982‐2000

にゃるらさんとこで知って読みてえと思って調べたら軒並みオンライン書店AUTO

amazon転売ヤーの餌食で定価2kが10kにつりあげられてるレベル

でもciniihttp://ci.nii.ac.jp/ncid/BA81663460)によれば京都大学 文学研究科 図書館に置いてあるらしい

うぐぐ~

http://anond.hatelabo.jp/20160817010838

後塵警察です。

後塵は「車などが通ったあとの砂埃」のことですが、それ自体は「遅れを取っている」という意味を持ちません。

この言葉は、中国西晋時代の賈謐にまつわる故事に由来しています

武帝の没後、恵帝の皇后である伯母の賈后(賈南風)と図った上で、武帝外戚で権勢を誇っていた楊駿ら楊一党を滅ぼし、権力を握る。「賈謐二十四友」という文学集団形成し、潘岳や石崇などその取り巻きが賈謐にへつらう様は、乗車する馬車の塵を拝むほどであったため、「後塵を拝す」の故事を生んだ。

賈謐 - Wikipedia

ですから、「後塵を拝す」までワンセットで一つの慣用句となります

2016-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20160814222136

嬉しい評価してくれるじゃないの。

でも実際を拙い言葉で書いただけなんだ。

ちゃんとセクハラ文学書いてみる!かも!

吐いちゃうやつを!

映画見てても小説読んでてもアニメ円盤売り上げを気にしてしま

アニメ化された際の円盤売り上げ枚数って面白さを測るためのスカウター的要素あるじゃない

原作信者が多い漫画エロゲでもアニメ化されたら容赦なく売り上げ撃沈しちゃって原作信者の正体が

でんでん現象の渦中にいるゴミ作品を持ち上げてる声がでかいだけの信者」と証明されてしまことなんて多々あるよね

アニメ円盤売り上げ枚数ほど具体的な数字で正確に作品面白さを表してくれる指標って他にないはずだよ



から最近俺は

有名な古典文学とか読んでても「盛り上がりとかないしアニメ化されてもそこら辺のラノベアニメの方が売り上げ上だろうなー」とか

とか、香港アクション映画見てても「可愛い女の子かいないしごちうさの方が売れちゃうだろうなー」

みたいな分析をしながら作品エンジョイしてるね



夏目漱石江戸川乱歩黒澤明スピルバーグ

ふん、全員束になってかかってきてもきららアニメの足元にも及ばないだろうね

アニメ化されてもごちうさより売れないであろう作品はどんな媒体であろうと

ごちうさより格下だと証明されたってことなんだよ

2016-08-11

映画文学に詳しいくらいで教養ぶらないでほしい

俺たびたび目にするんだけど、何か文学とか映画、各種高尚なエンタメに詳しいだけで

やたらと教養人ぶる人たちって何なの?



いつも思うのは、それって教養じゃなくて 雑学 ていうんだよってこと。

源氏物語エピソード引用してみたり、怪獣映画批判性を指摘したりとか、

まあ好きなら好きにしてって感じだけどそれをもってして、

ほら俺って教養人だろ!一目置けよ!みたいなオーラ気持ち悪すぎ



どんなに濃い思想性があるが、伝統的なものだろうが所詮エンタメエンタメなんだよ。

お前らだって俺が金持ち男&貧乏女の格差恋愛ばっかり描く韓国ドラマをもってして

「これは文豪バルザックの描く極端な上昇婚指向が見られた19世紀フランス現実のものである

格差婚への渇望は 労働市場の歪みによって貧困に陥る若年女性韓国社会への絶望を色濃く反映している」

とか批評的に書いたら ウッザー! クッサー! メンドクサー! って拒否反応示すだろ。



エンタメときで偉そうにすんな。所詮は娯楽だ。

高能はてな民様なんて、パチスロ人生語るヤツなんて見たら石ぶつける勢いだろ

映画やら文学を語って偉そうにしてるのも、パチスロ人生語るのと大同小異だわ、、

2016-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20160809133351

「影響を与えない」とか「可能性はゼロ」とか藁人形すぎるだろ。

文学演劇映画音楽と比べて特別に影響が大きいわけではない」とか

可能性はゼロとは言わないが規制必要なほどではない」とかだろ。

2016-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20160804124110

これはもう、文学のせいですよ。

何となくつの単語が並んでたら対義語な気がしちゃう

戦争と平和』の他に『罪と罰』も。

でもよく考えたら、両方とも対義語じゃない罠。



戦争武力行使)』とは二者間の対立姿勢から

対義語はどちらかというと『話し合い』。

平和』は世の中が混乱なく状態対義語は『混沌』『動乱』。



ちなみに『罪』の反対は『功績』。

『罰』の反対は『報償』。

人生に、文学を。」に疑義を呈すとアニオタ扱いされる

街で女の子に絡んでいる不良を咎めたら「おまえ、この女の恋人か?」と凄まれる、といったような漫画のワンシーンを想起してしまう。

恋人でもなければ助けない。

好きでもなければ擁護しない。

ニーメラーニーメラー