「文学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文学とは

2024-10-29

anond:20241028181233

やっぱり文学モノローグ。各月の上旬中旬下旬でざっくりまとめられていたもの現在に近づくに連れて先週、一昨日、今日と刻んでゆく様が臨場感あって良かった。

2024-10-28

歴史上最も偉大な弱者男性15選

1. 仏陀ゴータマ・シッダールタ

王族として生まれ仏陀は、物質的な豊かさを捨て、人生の苦悩を理解するために出家しました。彼の苦悩や探求は、彼を「弱者男性」としての立場に置き、真理を求める姿勢が後の教えに繋がりました。

2. ヤハウェ

旧約聖書に登場する神ヤハウェは、信者たちの裏切りや不信による苦しみを抱えています。彼の無限の愛と赦しは、強大な存在であるにも関わらず、孤独感を伴う「弱者男性」の側面を示しています

3. 安倍晋三

日本首相として多くの政治的困難に直面した安倍は、健康問題政治的圧力に苦しみながらも、自らの信念を貫きました。彼の背負った重圧は、彼を「弱者男性」としての立場に置きます

4. 紫式部

平安時代女性作家である紫式部は、当時の社会的制約の中で自己表現を追求しました。彼女作品は、当時の女性としての苦悩や孤独感を反映しており、「弱者男性」としての視点を持っています

5. 清少納言

清少納言もまた、宮廷生活の中で自己アイデンティティに悩みつつ、独自文学を生み出しました。彼女言葉には、社会の期待に反する「弱者男性」としての苦悩が色濃く見えます

6. 藤原道真

平安時代政治家である藤原道真は、流罪にされ、その後の彼の悲劇的な人生は彼を「弱者男性」として位置づけます権力の中での苦しみと孤立感が彼の業績を際立たせます

7. アレクサンドロス大王

大王として名を馳せたアレクサンドロスは、数々の勝利を収めたものの、孤独感や指導者としての重圧に苦しみました。彼の人生は「弱者男性」としての葛藤物語っています

8. スティーブ・ジョブズ

Apple創業者であるスティーブ・ジョブズは、革新を追求する中で多くの人間関係の摩擦を経験しました。彼の孤独感や苦悩は、「弱者男性」としての彼の側面を示しています

9. ビル・ゲイツ

Microsoft創業者であり、富を持ちながらも、社会的批判競争さらされてきたビル・ゲイツは、彼自身価値観人生選択を通じて「弱者男性」としての一面を持っています

10. ソクラテス

西洋哲学の父と称されるソクラテスは、真理を追求する中で多くの誤解や迫害に遭いました。彼の信念を貫く姿勢は、時に孤独を生み出し、「弱者男性」としての側面を強調します。

11. 孔子

中国の偉大な哲学である孔子は、当時の社会に対する批判理想を持ちながらも、政治的無力感に直面しました。彼の思想は多くの人々に影響を与えたものの、彼自身は「弱者男性」としての葛藤を抱えていました。

12. ガリレオ・ガリレイ

科学革命先駆者であるガリレオは、教会との対立に苦しみながらも、自らの信念を貫きました。彼の知識や探求心は、時には「弱者男性」としての立場から孤独を伴いました。

13. ウィンストン・チャーチル

第二次世界大戦中にイギリス指導したチャーチルは、厳しい状況下での孤独や苦悩を経験しました。彼のリーダーシップは「弱者男性」としての困難と向き合いながら発揮されました。

14. ニーチェ

哲学ニーチェは、自己の信念や存在に対する疑問を抱えながらも、独自思想を築き上げました。彼の内面的な葛藤は、彼を「弱者男性」としての立場に置いています

15. ヘンリー・フォード

自動車産業の巨頭であるフォードは、革新を追求する中で多くの批判課題に直面しました。彼のリーダーシップには「弱者男性」としての苦しみが色濃く現れています

2024-10-27

日本漫画史上最も重要漫画10

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20anond:20241012181121

週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要マンガ5選 anond:20241014232424

週刊ヤングマガジン史上、最重要漫画10anond:20241016182953

月刊アフタヌーン史上、最重要漫画10anond:20241017235116

月刊コロコロコミック史上、最も重要漫画10anond:20241018225514

漫画アクション史上、最も重要漫画10anond:20241020163403

週刊少年サンデー史上、最も重要マンガ10anond:20241021181149

モーニング史上最も重要マンガ10anond:20241023001913

ビッグコミックスペリオール史上最も重要マンガ5選 anond:20241024031536

ヤングサンデー史上最も重要マンガ5選 anond:20241024163903

鳥獣戯画12世紀13世紀

日本最古の漫画とされる文字通りの国宝800年この宝を守り残してくれた高山寺感謝しよう。

果たして現代漫画原画800年後も無事に守り伝えられているであろうか?

手塚治虫酒井七馬新宝島1947年

手塚治虫長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品

この漫画に衝撃を受け、多くの若者漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。

後に繋がる進化連鎖大元の要となる最重要作品

酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブルからその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョン存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。

(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)

手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。

辰巳ヨシヒロ「黒い吹雪1956年

最初長編劇画とされる作品

手塚治虫トキワ壮グループカウンターになるようなシリアス表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。

当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪地位は揺るがない。

劇画黎明期の様子は、同じく辰巳晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。

また辰巳海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipedia日本語版はないのに英語版存在している。

劇画といえば手塚との対立面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。

藤子・F・不二雄ドラえもん1969年

藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品短編大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。

いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。

萩尾望都ポーの一族1972年

旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都出世作

少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力文学性を持ち込み、後の多様性形成の礎となった。

世界の中で少女漫画市場現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである

萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。

鳥山明「Dr. スランプ1980年

体感漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明出世作

第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。

鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマわず多くのものが口を揃えて語っている。

鳥山明においては、Dr. スランプドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボール思い入れがある。

大友克洋童夢1980年

鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋代表作。

漫画における超能力描写を完全に塗り替えた事はつとに名高い。

フランスに生まれメビウスという天才漫画家の開拓した表現大友を通して日本漫画界に合流し発展することにもなった。

後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである

童夢ではなくAKIRAを選びたい場合は遠慮なく(以下略

ちなみに大友AKIRAに書いた最後最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。

現在大友作品は、電子書籍版が出版されず現代若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。

宮崎駿風の谷のナウシカ1982年

独自出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品

途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿掲載したことは語り草となっているが、画力限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。

100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。

井上雄彦「SLUM DUNK1990年

連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説作品

従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現リアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。

大きな流れで見ると、手塚治虫平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代象徴となる作品となる。

東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版聖地巡礼鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。

諫山創進撃の巨人2009年

突然変異的に登場し、それまでの漫画常識を覆した2000年以降最大の問題作

少年漫画天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。

この漫画は終わらないだろうという世間心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。

実は諫山は福岡専門学校マンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎進撃の巨人原案を見せたことが巨人物語を始めたとされる。

少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。

おまけ anond:20241027152458

2024-10-26

anond:20241021131553

これは先日話題になった「みえないばけもの」と同じで非モテオタク寄り、と言っても文化系というだけでオタクほど知悉してるわけでもない男性嫌悪女性が書いたイマジナリー弱者男性ですね

全部抽象性の高い話で具体性が全くないしとにかく細かいところが雑、例えば

「小中のいじめ」…小学生レベル中学生レベルではかなり性質が変わってくるのでここをひとまとめにしてるのは極めて雑だし、ここでいきなり恋愛観に作用という発想がもうおかし

いじめ恋愛の相関なんて特に男子では低い、これは思春期女子いじめだと恋愛との相関が上がってくるからそのズレが無意識に出てしまっている

アニメ漫画ゲーム」…この一緒くたにするのもかなり雑だし、多分この増田高齢女性かな?10男子ゲームカーストは高いことを知らないみたいだから

このイマジナリー弱者の「芸術」とか「教養」とかが出てくる思考もかなりズレてるんだよね、それだったら文学を読んでいるだろうし、もっと勉強の話も出ているだろう

真の恋愛云々かんぬんはまあわかり手小山周辺が言ってそうなことを書き写してるだけかな、何も言ってないのと同じ

全般的に「男はこう考えているだろう」という思い込みが前のめりになっているコミュニケーション能力の低いカースト下位女性の作文ですね

あと余談として、俺は強者男性寄りで一通り経験してきたからしみじみ思うけど、ネットのこの種のミサンドリーの人が真のミソジニー男性であるモテてて女性を消費する生活をしている男性に対しては寛容で、ただの非モテの素朴な男性ターゲットにしたがるのは本当に女性本人たちにとっても深刻だと思うよ?

深いところで女性本人も自分非モテ性に対して向き合えていないか自傷的に非モテ男性に対して異性嫌悪を見出そうとしてしまっている

そこで結果として「もっとモテミソジニーになれ」というメッセージを発してしまっているのは何と言うか哀れでしかない

ホストクラブにハマる女性心理もこの延長線上にあるだろう

自分自身の価値も信頼できていない、自己肯定感の低さが根本にあるからモテミソジニーにモノとして扱われることすら望んでしまっているんだよね

真珠の耳飾りの少女」と元鈴木さんとRosalind

鈴木さん@Motosuzukisan

東京地方では文化資本が違うというのは別に美術館が沢山あるって話だけじゃないんだよね。

例えば美術館真珠の耳飾りの少女を見て真珠に興味が湧いたら、そのあと何ができるかに差が出てくるのよ。

東京だとミキモトにタサキ百貨店個人宝飾店に御徒町電車で安くすぐに行ける。ハイブランドからモールビジネス問屋街、全部の中から自分の行きやすいお店を選んで行くのもできるし、1日で全部見ることもできる。選択肢があるし目の前のリアルものに触れられるんだよ。

でも地平線まで田んぼな私の田舎では、個人の宝飾店にアコヤか淡水があれば良いって感じ。ハイブランド見たいなら地元なら質屋しかないし、片道1時間かけて地方都市に行ってミキモトがあれば御の字です。切符代も惜しかったらネットで見て学ぶしかないわけよね。リアルな学びを得るのが難しかったのよ。

経験上、線の上で滑らかに情報やモノに触れられるのは間違いなく東京だった。

ちなみに「フェルメール見て油絵やりたくなった!」と思っても同じような選択肢問題が出てきます。ハッキリ見えない選択肢に差がありすぎるのを私も大学生になってから知ったのでした。

https://x.com/Motosuzukisan/status/1845493760689680499

Rosalind@idiomsinaction

大のフェルメール好きを自認してるけど、真珠の耳飾りの少女を鑑賞して、じゃあ次はミキモトに行こうって発想が1ミリも無かったから新鮮な感想でびっくりした。

私もまだまだ人生修行が足りないな💦

https://x.com/idiomsinaction/status/1849386254166548755

鈴木さん@Motosuzukisan

なんであんな大粒の真珠を描いたんだ!?ってなったら、当時の真珠はみんな天然で…貝は何で…日本は御木本のアコヤ養殖が…養殖技術向上で価値が…ってみんな調べて見にいくもんだと思ってましたが、皆様そんな興味ないし私がオタクなだけでした😂

Rosalind@idiomsinaction

その調べる行動は素晴らしいと思いますが、それを調べる事は図書館美術書でも出来ますよね。ミキモトが近くにあるかどうかは文化資本とぜんぜん関係無いと思いますミキモト17世紀ネーデルラント真珠養殖についての資料があるなら別ですが。ただ絵の鑑賞に正解は無いので元鈴木さんの視点否定するわけではありません。

ただあまりにも自分と違う鑑賞方法だったので驚いただけです。

美術鑑賞に新たなら視点提示していただきありがとうございました。

鈴木さん@Motosuzukisan

私は予算の少ない地域で育ちましたが、図書館の蔵書も予算がないせいか限られていましたし親の手助けなしで行ける本屋も小さな1店舗しかありませんでした。欲しい本は買う前提で取り寄せしかありません。本を選ぶ選択肢から違うのです。

仰るように本が文化資本であるなら、単純に蔵書数で私の地元文化資本が少ないと言えるかもしれませんね。

そしてだいたいどんなブランドでも東京本店があるせいか優秀な販売員の方が多い印象です。商品知識だけでなく関連する歴史についても造詣が深い方もいらっしゃるのでお話ししていて学びがありますよ。(御木本は西洋アンティークも扱っていたので特にです)

真珠ブランド名が並ぶと皆様拒否反応を示される傾向がどうやらありましたが、単純に絵画物語に出てくる物を実際のお店に見に行ってみるのは楽しいですよ!😉

Rosalind@idiomsinaction

なぜ絵画鑑賞をしてハイジエリー店員さんと話すと為になるのか私は理解できないのですが、元鈴木さんなりの鑑賞方法なのですね!

一昨年「フェルメール17世紀オランダ絵画展」にて背景が塗りつぶされていた作品を新たに修復した『窓辺で手紙をみる女』を鑑賞したのですが、数年前にドレスデンで鑑賞した時とは額縁が違っているような気がして、その場にいた学芸員さんに質問したところ額縁が以前の物と変わっていると正しい答えを教えていただきました。

絵画周りの知識を深めたいなら、店員さんより資格のある学芸員さんの方が良く無ですか?

と私は思うのですが、これは私の鑑賞方法なので、鈴木さんは鈴木さんの思う絵画鑑賞をされればいいと思います

あと情報格差や図書館蔵書ですが、今はネット上でいくらでも情報が得られますし、それこそどうしても読みたい美術書自分で購入して取り寄せる事もできますよね。それをしないのは、その文化にそこまで情熱が無いだけだと思います

鈴木さん@Motosuzukisan

しか絵画芸術なら学芸員さんに伺えば良いと思います

しかし私は絵画から真珠自体に興味が移ったら…という話をしていたので、その絵画自体理解を深めたいと言う話をしていません。やはり我々の興味は別の場所にあるのでしょうね😉

ちなみにその場合社員である販売員美術館で言う学芸員に当たると言えるでしょう。

Amazonで今は何でも取り寄せられますが、それは商品を買う前提なんですよね。

実物を開いて比較検討をすることができるのは体験としての差であると私は考えてるので、地元本屋や蔵書の話をしました。

情熱はもちろん大切ですが、根性の話をしだしたらキリがないかと思います

Rosalind@idiomsinaction

フェルメールの絵を観ることと、宝飾屋さんの広告を見ることが同じ視座の人もいるのだと大変勉強になりました!

私の人間理解がまだまだのようです😊

自分視点スノッブで嫌味すぎるのかなと混乱しましたが、美術批評しいては文学批評も鑑賞者が創作物にふれて己の内面を外在化する事で作品が完成すると言う基本に立ち帰れました!

鈴木さんがパワフルにアイディアを即実行商品化できる一端に触れられた気がします。憧れって大事ですよね✨

歴史上最も重要弱者男性10

1. ガリレオ・ガリレイ

天文学の父と呼ばれ、地動説提唱して教会から異端として迫害を受けた科学者孤立無援の状況でも真理を追求し続け、近代科学の基礎を築きました。

2. ニコラ・テスラ

電気工学革新者として知られるテスラは、時代の先を行き過ぎたために経済的な困窮と社会的孤立経験しました。彼の発明は、現代の電力システムに計り知れない影響を与えています

3. ソクラテス

アテネ哲学者で、批判的思考を通じて社会常識に挑戦しましたが、多くの敵を作り、最終的には死刑判決を受けました。彼の思想は後世に多大な影響を与えました。

4. フレデリックダグラス

アメリカ奴隷解放運動指導者であり、自らの苦境を乗り越えて黒人権利擁護しました。彼の言葉と行動は人権運動に大きな影響を与えました。

5. ヴィンセントヴァンゴッホ

彼の作品生前ほとんど評価されなかったが、後に美術界において革新的存在として認識されました。精神的な病に苦しみながらも、自らの芸術を追求し続けました。

6. エドガー・アラン・ポー

独特な作風世間から距離を置かれながらも、ホラー推理小説先駆者としての地位を築きました。彼の作品は後の文学に大きな影響を与えました。

7. ジャン=ジャック・ルソー

人間自然性や自由を強調した思想家であり、政治的社会的変革に多大な影響を与えました。彼の思想は、後の民主主義人権概念寄与しました。

8. ピョートル・チャイコフスキー

社会的孤立個人的葛藤を抱えつつも、革新的音楽を作り続けました。彼の音楽は多くの人々に愛され、クラシック音楽の一部として重要視されています

9. 孫文

中国革命の父と呼ばれ、清朝打倒を目指して奮闘したものの、反乱が失敗する度に国外へ逃亡を余儀なくされました。信念を持ち続けたものの多くの支持を得るのには時間がかかり、長期間わたり孤立無援の状態が続きました。

10. ヤハウェ

古代の神として、人間との関係性において弱者の側面を持つ存在特に貧困や抑圧に苦しむ人々を守るための存在として描かれ、信仰の中で「弱者男性」としての役割果たしてます

anond:20241026000035

2024-10-25

馬鹿からわかんねえんだけどよ

少年アビスラストがよくわからなかった

想像におまかせしますってやつなのか?

でも最近になってこういった作品の「ご想像におまかせします」の良さがわかった気がする。

面白い、興味のある作品であればあるほど、もっと知りたいとなるわけで

そこにこういった燃料を投下されると、そら想像したくなるわけよ。

なるほどなー。文学の初歩の初歩に入門した気分だぜ〜〜〜〜〜

ま、これ漫画なんですけどね。

異世界転生ものは、社会の傾向を反映している?

異世界転生もの」が近年の日本流行している背景には、社会の厭世的・現実逃避的な傾向が反映されていると言えます。これは文学史社会史、物語構造心理学視点から説明できます

 

1. 社会的背景と厭世観

異世界転生ものの人気は、現代日本社会が抱える厭世観ストレス特に若年層の現実逃避的な心理と密接に結びついています経済停滞、少子高齢化終身雇用制度崩壊過酷労働環境といった現代社会問題が、若者を中心に将来への不安や不満を募らせています。これらの社会的背景が、「現実世界での自分の状況から解放され、異世界で新しい人生を再スタートさせたい」という願望を反映した異世界転生もの流行を支えているのです。

文学的には、現実からの逃避をテーマにした物語は、古くから見られます。たとえば、トーマス・モアの『ユートピア』やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、理想郷異世界に行くことで現実問題から離れることを描いています。これらは現実逃避の一形態として捉えられ、異世界転生ものはこの流れを現代的にアップデートした形だと考えられます

 

2. 物語構造と「異世界

異世界転生もの物語構造は、現実から異世界へと主人公が転生し、そこで新しい力や知識を手にして活躍するというパターン一般的です。この「現実異世界→成長」という構造は、古典的英雄譚に見られる「出発→試練→帰還」というプロット構造に似ていますジョーゼフ・キャンベル提唱した「英雄の旅」や、フロイト的な成長過程に基づくこの物語の枠組みは、現代でも依然として多くのフィクションに取り入れられています

異世界での成功は、現実世界での無力感補償として機能し、異世界理想郷として提示されます。この「理想的異世界」では、現実での苦しみや失敗から逃れることができ、自己実現が容易になります。多くの異世界転生ものでは、主人公現実では平凡または不遇な人物として描かれますが、異世界では特別存在になり、圧倒的な力や知識を持って成功を収めます。この設定は、現実の閉塞感を感じている読者に対して、大きな魅力を持つのです。

 

3. 心理学視点

異世界転生ものは、現実逃避的なファンタジー一種であり、これは「欲求充足」の視点から説明できます現実での挫折や失敗、社会プレッシャーに対する対抗手段として、空想的な異世界での成功や満足感が提供されます心理学的には、これは日常生活でのストレスや不満を一時的に解消する手段として機能し、快感を得るプロセスです。

加えて、現代テクノロジーデジタルメディアの普及も、個人簡単現実から切り離され、異世界に没入する機会を提供しています特にライトノベルアニメマンガといったメディアは、デジタルプラットフォームを通じて広くアクセスでき、読者や視聴者は手軽に異世界への没入感を楽しむことができます

 

4. 文学史比較

異世界転生ものを、過去日本文学世界文学比較すると、たとえば村上春樹作品に見られる「現実世界と異なる世界」への移行の要素や、戦後日本文学における「現実逃避」をテーマにした作品共通点が見られます特に戦後日本の厭世的な感覚は、終戦後の荒廃した社会の中で理想郷や他の現実を求める心理を反映していました。このような流れが、異世界転生という形で現代において復活し、新たな形で表現されていると考えられます

 

結論

異世界転生もの流行は、現代日本社会の厭世的な感覚や、若者を中心とした現実逃避欲求を強く反映しています経済社会不安定さ、将来への不透明感が強まる中で、人々は理想化された異世界での成功自己実現を夢見ます物語構造としても、古典的英雄譚のプロット踏襲しつつ、現代的なテーマである現実からの逃避」を盛り込んでいるため、多くの読者や視聴者共感を呼んでいると言えます

2024-10-24

人民人民による人民のための○○

政治経済文学哲学科学

なんなら、戦争とか差別

なんでも当てはまってしま

AIはそういう過去の知見を参照するだけなので、あんまり希望は持っていない

気候変動や生物多様性問題についてや

それこそAIが電力をもっと必要とすることについて

AIが答えを出せるのか見もの

2024-10-23

【10月3週】LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

1. 気候健康

寒暖差に関する会話が多く、朝晩の温度差が驚きとして共有されました。

食事や体温調節の重要性が話題になり、健康管理への関心が伺えます

布団洗いやアレルギー対策ダイエットの話も見られました。

2. 食べ物飲食体験

うどんラーメンなどの日本食が多く取り上げられ、特に資さんうどん家系ラーメンに対する意見交換が行われました。

カレーうどんおでんパン神戸屋など)についての感想もあり、食事写真共有も活発でした。

ローソンシュークリーム新京極での食事体験の報告が印象的です。

3. アクティティ趣味

LUUPや自転車の使い勝手マイクロモビリティ話題があり、特に高齢者向け支援必要性議論されました。

最近参加した展示会やイベントシーテック、国際航空宇宙展)の体験が共有されました。

新しい趣味として銭湯巡りや筋トレゲーム話題も盛り上がりました。

4. メディアエンターテインメント

リラックマアニメ化RADWIMPSTシャツドラゴンボール声優変更など音楽アニメ話題が多く登場しました。

スチームゲームVR Chatへの興味が示され、カービィカフェの予約の難しさも話されました。

5. 社会問題ニュース

広告の寡占や不満、投資詐欺話題があり、資源ごみ捕鯨など社会的問題に関する意見も交換されました。

選挙や在宅勤務の話題も挙がり、選挙カーの音への不満が共有されました。

6. 個人的経験や思い出

同窓会や友人との再会に関する感想が語られ、連絡が途絶えた友人についての寂しさが表現されました。

過去場所(五條楽園ひろめ市場)の思い出が語られました。

孤独」や「寄り添い文学」についての考察も見られ、個人内面に関する意見が共有されました。

7. 技術製品

iPadの値下がりやシャオ製品配送予告に関する話題があり、Amazonセール情報も共有されました。

PC磁石に関する疑問や、ジョーカー映画感想が印象的でした。

この1週間の会話は、食べ物日常生活趣味社会問題など幅広いテーマわたりカジュアルで活発な情報交換が行われていました。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

2024-10-22

僕はかなりの過激主義強迫観念があって、

山手線の内側が上級人間の住む場所山手線環七の間が中級人間の住む場所環七環八の間がギリギリ人間の住める場所だと感じています

ホモ・セィピエンスの住まう場所ですね

それより外側は、漢字にも文学にも詳しく無いんだけどなんか蝦夷とか夷国とか荒野とかそういう野蛮で文明を知らないサピエンスのないただのホモの住むところだと

ちなみに僕の住んでる場所所沢です。

anond:20241022135905

物語のある文学映画漫画と違ってイラストってマジで絵柄しか個性表現できるものがないか模倣に対して過敏に反応するんじゃない?

要は表現の幅が狭いかヒステリックになるんだよ

まぁ絵師ツイッターを見る限りその絵柄すら似たようなもんしかねーなーって思っちゃうけど

そもそも「絵柄をパクられたくない!」って考え方自体傲慢だよね

絵師やその取り巻きの界隈がよくいうセリフに「絵柄パク」ってのがあるけど、あれマジで意味わからん概念だよね

AI関係議論が活発化したのと比例して「絵柄をパクるなー!盗むなー!」みたいな主張も増えたようだけど、そもそもAI蔓延る前から絵師界隈ではよく絵柄パクについて学級会が行われていたように思う

本気で不思議なんだけど、絵師様って自分の絵柄は自分だけのものだと本気で思ってんの?

もっと言えば、自分の絵柄は過去のどの絵柄も模倣していない唯一無二のものだと本気で信仰しているの?

芸術全般に言えるけど、あらゆるアートスタイル模倣から始まっている

例えば文学なら自然主義とか新感覚派とか派閥の中で相互スタイル模倣し合ってそのジャンル内で色々な創作物を作り上げてきた

映画だってヌーベルバーグとかヒッチコック風とかスコセッシ風とか基本的には先人の作った映画スタイル模倣してそれを受け継ぐことで新しい芸術を生み出している

っていうか絵師様と同じ美術範囲に限って話してもいいよ

絵師様はダリキリコパクリ!とかヒプノシスマグリットパクリ!とか言っちゃうわけ?

何ならサブカル分野に限ってものを話してもいいよ

今の絵師様の描いている絵なんて大概は大友克洋の丸パクリだよ?

大友克洋が切り開いた漫画における写実表現の先に桂正和がいて、そして桂正和が切り開いた「顔はアニメ調で体はエロテックな写実表現」って画風の先に今の絵師様の絵柄があるわけで、そこらの絵師様の絵柄ってのは先人たちの模倣の域から全然脱していないわけじゃん

先人たちの積み重ねてきた画風を丸パクリしておきながらそのことを自覚せず「絵柄パクは犯罪!」ってのたまう絵師様は流石にいくらなんでも傲慢が過ぎると思うよ

じゃあ今すぐ自分がこれまで読んだ漫画の作者なり見てきた画集の作者なりに謝罪しなよ

自分の糧になっているはずの先人たちの芸術作品に敬意も持たず自分の絵柄を自分だけのものだと思い込むのは大げさに言えば芸術活動貶める最低な振る舞いだよ

AIなんかよりもその振る舞いのほうがよっぽどイラスト価値毀損しているし、何なら一般層に嫌悪される最大の要因だとすら思うわ

絵師様やその取り巻き模倣という行為に対して発揮する敵愾心は本当に異常

あれって一体何なんだろう

まがりなりにも絵師』を自称するなら絵柄をパクられたときには「俺の芸術スタイル追従者が現れた!やったー!」って喜ぶべきでしょう

自身AIについては色々と議論すべき部分も多いだろうとは思ってる

でも、絵師特有のこの内向きに閉じた教養のなさ、傲慢思考ってのが垣間見えるたびにAI規制論は絶対に支持されないだろうなって暗澹たる気持ちになる

2024-10-20

anond:20241020195723

お前香ばしい

この文章まさか衒学的だと感じてしまってるお前の文学への造詣の浅さとコンプレックスが滲み出てる

米見たら誰もそこを評価してるわけじゃないのに突然なんか目立ちたくなったんだろな

まあそれ以上にわざわざ衒学的というワードチョイスで知的には見られたいっていう下心が結構臭ってるぞ、気をつけろよ

2024-10-15

(仮定の)文化衰退も理系偏重の行き着く先らしい

まだ引き起こされてない文化衰退に対して

文系軽視理系偏重の行き着く先。こういう洞察にアッと気付かされるからXは良い。 (略)


(以下に対する引用ポスト 何をもって文学芸術等の衰退とするかという旨で)

(略) すべてが「友か敵か」という政治ロジックに回収されていくことなんだろうな

起きていないことすら文系を重視しないせいとか言われてもですね…

理系偏重であったとしても、理系自体には文学芸術排除の傾向はありませんので文学芸術の発展衰退を大きく揺るがすことはほぼない

人文学が衰退するときも、理系が引き起こすものではないので責任を負わせるのも無理がある

15年前の村上春樹1Q84』 ネタバレバッシングトーク

村上春樹批判が盛り上がっているので、2009年の読後感想日記を掘り起こしました。こういうところがキモかったです。

1Q84買って貸してくれた友人と感想を話し合ったよ>

「いやはや、正体見たりですね」

「おシャレぶっていたけど、結局着いたところが渡辺淳一と同じという」

「違う道を通ってきたけど出会っちゃった。渡辺淳一の方が自覚あるだけまだいい。登場人物もそれなりに高齢になってくし」

「これでノーベル賞候補とか、どうしよう」

「いや、これ遠のいたでしょう。褒める所がひとつもない」

「わからないよ、川端康成だってとったんだし。同じ流れで」

ロリコンですか。ジャパン伝統芸ですか」

「読んでいるとき不愉快だし、読後感も不快なのに、上下巻1000ページを一気に読ませるというのがすごい。それはすごい。そのノウハウを身につけたらいい商売になるよ。何書いても売れるね。そこは知りたいわ」

「だいたい女子高生気持ち悪くて。何ですか、普通と違う才能があってまともに話せない胸の大きなパイパン美少女17歳?『ダイジョウブ、セイリないからニンシンしない』吐きそう」

「いわゆる不思議ちゃん。でも女子高生は話の中ですごく重要ポジションじゃん。それをこんな書き方しかできないってのが作家として限界っていうか、ほんと正体見たりですね」

「あと、胸のことをしつこく言ってるのが気持ち悪かった。なんなの?おっぱい大好きですか。年とったらそーなっちゃったのかね」

「 『ノルウェイの森』でも胸のことは言ってたよ。ショートのコもロングのコもいいわ、ていうアレ。昔から同じと言えば同じか」

「でもあれは時代過去から60年代末にはこんなこともあったのかな、て、一種風俗検証と思えば済むところはあったんだけど、これは現代でしょ、今の風俗を描こうとしてんでしょ。全然描けてないそのズレが致命的」

自分の年の半分の人間仮想とはいえ現代舞台に描こうっていうのが、若いつもりで足つってる。三人称ったって俯瞰してるわけでもなくてさ、別に今までと変わらないし。むしろ悪い」

「それに、宗教をどう捉えているか興味があったのね、『アンダーグラウンド』とかオウムを見てきて、新興宗教というものが何なのかの作家としての考察を。それが何にもない。ほんっとに薄っぺら脳内世界

「むしろオウムに謝れと思うよ。そんなんじゃねえだろ、人間ひとりひとりがアレだけのことをするっていうことは。リトルピーポーかよ。みんなリトルピーポーが悪いのかよ」

「いや、リトルピーポー的なものはいてもいいよ。でもその書き方の問題なのよ。あまりに中身がなさすぎる。ありそな顔してるのがまた腹だたしい」

さなぎの中にイド?なんだっけ別の私がいて、それは実体じゃないか幼女だけどレイプしてもしていないとか。なんですかエロアニメファンタジー?」

しかも、トラウマですべて説明しようっていうのがペラペラだね」

NHKの集金に連れられて歩くのがイヤだったとか。新興宗教勧誘に連れられるのがイヤだったとか」

「まあイヤだろうけど、30歳にもなって引きずる話?」

トラウマ話は天童荒太に任せとけばいいんだよ。もっと熾烈な目にあってる子どもはいっぱいいるよ。そんな、殺し屋になるほどの話かね」

殺し屋(笑)。なんかヘンな映画でも見たんじゃないの。フェイ・ダナウェイに似てるとかってさ。ラストシーン日本未公開でDVDで出てたちゃちなアメリカ映画を見ているようでしたね。殺し屋はともかく、男の方が腹だたしくてさ~。なにもしてないしさ。殺し屋が『愛のために』って命はってる時に女子高生リードされてドリームセックスですよ。『セイリないからニンシンしない』って。アホか」

ちょっと笑いすぎだから。あと殺し屋女は禿げた中年男が好みとかってね、そんな女会ったことねーよ。ショーン・コネリーじゃあるまいし鏡見たことねーのか団塊世代に都合のいい双方向妄想ありがとう。むかつくわ」

「ていうか、下手なAVなんかよりずっとタチの悪いしろものだよ。文学気取りでさ。性犯罪助長するよ。電車の中であの本を読むってのは巨乳ロリコン漫画雑誌を読むより恥ずかしいと知ってほしいね

「読んじゃったけどね。またあの終わり方がね。終わってみてびっくりよ」

「いつもあんなんじゃん。それにしても今回が最低だけど」

「 『私には愛があります』ていうのもホントびっくり。手を握ったきり20年会ってませんがその訳の分かんない思い込み。何か美しいとでも?」

「愛ってね。とんだ飛び道具だしてきたね。いい年して」

「言えるのは、本当に年はとりたくないってことですね。こんな、他の資質カバーしたり自分セーブしたりしてきたのだろうのに加齢により浅はかさがだだ漏れになって正体見たりとか言われるなんて。それなりに世間評価を受けて自分を律してきただろう人ですら、こんなになっちゃうなんて、年とるのが怖いよ。どんなに頑張っても人間老い劣化していくだけなのか」

ガルシア・マルケスみたいな年とり方はできないのかね、ジャパン作家は」

ワールドワイド活躍してきたけど、結局ドメスティックだったってのが泣けるわ」

「これがすごい売れてるってのも驚き。読んだ人みんなどう思ってるの?ホントどうやっても褒める所がひとつも見つからないんだけど」

団塊世代は支持するんじゃあないの。まだ実際以上に若いつもりだから

「このバッシングの輪を地道に広げていきたい」

「そうだね、仲間を増やしたいね

実はこう思ってたよ、という女性たちの声が大々的に可視化されてよかったですね。

そういう声に耳ふさいで日本社会が連綿とアップデートせずに狭い縄張り自己陶酔しているうちに世界の遥か後方に置き去りになってますけどね。まあがんばってこ

2024-10-14

anond:20241014113706

かれこれ30年近く読者ではあるけど、増田が指摘しているとおりで長編よりは短編のほうがおもしろい。

紀行文も。『遠い太鼓』や『雨天炎天』は今でも読むに堪えうる。

長編インターネットで読者と絡むようになってから一時期、おかしな感じに変わっていったと思ってる。

ノーベル文学賞に値するかどうか以前で、そもそも文学なのか?という疑いが消えない。

今となってはコミットメントよりもデタッチメントのほうを追究してほしかったな。それが残念。

anond:20241014173402

村上春樹は、日本および世界文学において、いくつかの重要文学的達成を遂げたと評価されています。以下、多角的視点からその功績を分析します。

1. 文学史における位置付け

村上春樹は、1980年代から現代にかけての日本文学代表する作家の一人であり、特にポストモダン文学文脈で高く評価されています。彼の作品は、従来の日本文学伝統テーマから脱却し、グローバルな感性ポップカルチャーサブカルチャー積極的に取り入れることで、新しい文学スタイル確立しました。これにより、村上日本文学世界文学文脈で再定義する役割を果たしました。

2. 小説技巧

村上春樹作品は、独特な語り口、現実と非現実交錯するメタファーシンプルながらもリズム感のある文章で特徴づけられます。彼のスタイルは、読者を異世界に誘いながらも、同時に自己反省存在意味を問いかける要素を含んでいます。また、村上作品には、オープンエンディング多義的解釈可能な要素が多く、読者の解釈を促す手法が多用されています

3. 他の小説家との比較

村上春樹は、アメリカ作家であるレイモンド・チャンドラーカート・ヴォネガットジョン・アーヴィングなどの影響を受けていることを公言しており、それらの作家たちと同様に、日常に潜む異質な出来事シュールユーモアを取り入れていますしかし、彼の作品はそれを単なる模倣ではなく、独自日本的な視点感受性を織り交ぜて再構築する点で独特です。このことが、村上を単なる「翻訳的」作家にとどまらない存在にしています

4. 後世への影響

村上春樹の影響は、日本国内だけでなく世界中の作家たちにも及んでいます。彼の作品スタイルテーマは、多くの若手作家たちに影響を与え、村上の影響を受けた「ポスト村上世代」ともいえる作家たちが台頭しています。また、彼の作品世界中で翻訳され、幅広い読者層を獲得していることから村上日本文学国際的認知度を高める役割を担ったともいえます

5. テーマ普遍性

村上作品では、自己探求、孤独、失われた時間人間関係の複雑さなどの普遍的テーマが頻繁に描かれます。これらのテーマ現代社会の不安感や疎外感と強く共鳴することにより、多くの読者が村上作品共感を抱いています特に、彼の作品に見られる現実逃避や非現実との対話は、現代人が抱える精神的な問題自己探求の葛藤を反映しています

6. ポップカルチャーとの融合

村上春樹作品には、音楽特にジャズクラシック)、文学映画などのポップカルチャーが頻繁に引用されます。この要素が彼の作品に親しみやすさと多層的な深みを与え、特に若い世代の読者層に支持される要因となっています

結論

村上春樹は、ポストモダン文学旗手として、日本文学に新しいスタイル視点をもたらし、グローバルな視点での文学交流を推進しました。彼の作品現代社会の問題に対する鋭い洞察普遍的テーマを兼ね備え、後世の作家文学に大きな影響を与え続けています。その文学的達成は、技術的な革新だけでなく、世界的な文学文脈での再評価を促す点においても顕著です。

大学生が全員しょうもなくて絶望している

 誰とも一緒に居たくないし、一人で居るのも楽しくない。本当のことを言えば、大学入学した時から今に至るまでずっと仲良くしてきて、もうこの頃には少しの沈黙も気にしないような関係の友人が欲しかった。

 私が人間関係について完璧主義すぎるから、生きる上での野望やポリシーを持たずにふらふらと生活しているような大学生がものすごく嫌いで、そういう奴とは友達になりたくなくて、そうやって自分から人間を遠ざけてきた。芯があるからって誰でもいいわけじゃない。自己肯定感がやたらと低かったり、相手のことを考えずに早口で喋ったり、自分自身に対して選民的な意識を持っている人も苦手だ。どこか妥協して、誰でもいいから話しかけるべきだったのかもしれないが、なぜか私はまず最初にそういった欠点から居心地の悪さを感じて、もう会いたくないな、と思ってしまうのだった。自分に都合の悪い奴とは仲良くしない。自分と話が合わなければ価値観を合わせるなんてしたくない。

 相手差別的思想を持っていたとして、それを打ち解けたと思ってくれたのか私に見せてくる。私にはそれに対して注意するとか怒るとかの偉そうなことは出来ないが、我慢して関わり続けるというのも出来ない。Twitterで流れてくる男女対立投稿煽動されたようなことを言ってくる人、浅い「ポリコレ」という語の理解で「ポリコレ」を叩く人、「LGBT」を突然現れたものかのように語る人、全てにうんざりする。社会学かいうやんわりとした学問たか学生のしょうもなさ。そういう中途半端な「思想」を振り翳すぐらいなら、何も知らないのと変わらない。基礎演習の授業で様々な社会問題についての文献を読んでみんなで話し合うという活動をしたけど、教室の誰からも驚かされるような意見は出なかったし、ほとんどその文献の要約と、「考えなきゃいけないと思った」というような感想だった。先生だけは物事本質理解していたけど、その先生言葉は誰かに響いていたのだろうか。間抜けな顔で、飲み会と異性のことばかり考えて外見だけ気にして、お高そうな服を着ているけれど、情熱としてもお金としても、無駄リソースの使い道のように思う。

 結局、自分妥協出来ていないだけなんだろう。「中にはそうじゃない人もきっといる」と思って探しているのにまだ出会えない。しょうもないしょうもないんだ、ここの大学生って、頭が悪いんだ。ボーダーフリー大学ではないんだけど。世間的には、頭がいいとされているんだけどな。

 休み時間ほとんどをイヤホンで耳を塞ぎながら過ごす。金木犀の木の横のベンチで、どうにか環境を変えられないかということを考えている……。



2024/10/15 追記

 はじめてはてな匿名ダイアリーというのを使ってみました。そもそも見る専でもなかったのでusersとかいうのがなんのことだか分からないし普通こんなにコメントがつくものなのかも分からいくらいです。昨日はかなり寝不足だったんですが、1日寝たらこの不満はなんか消えました。しかし不健康状態の時に強くなる不満というもの普段から日常的にうっすらと感じていることなのでしょうか?この時は些細な不満を書いているうちに(妄想のように)増幅させていました。大学内に友達がいないとは書いたのですが実は2,3人は毎日LINEをするほどの友人がいて、学外でも古くからの友人たちとよく連絡をとっていますし、全員に尊敬できる部分があります。その友人たちのことを考えると大学しょうもないとは到底言えないです笑。それでも自分大学にいる人間の9割は中身ないなーと思ってますタイトルに関しては、クリックされやすいかと思って「大学生」という広い範囲を指すワードを使ってしまいました。

 普段自分エライスゴイという主張をしないのですが(このように叩かれることが明確だからです)、匿名なのをいいことにかなり自尊心を出してしまいました。小学生の頃からずっとずっとこんな中二病だけど、それが痛いのは分かっているから表には出さないというか、分かっているふりをしているだけなんです。本当は心のうちでこう思っている同世代の人が多くいるのではないか?と考えたのがアップした理由です。それこそ、こういった人間の醜いイキリ、世界の狭い若者の尖りをリアルなままさらけ出すことが「文学であるという意見もあるようで、そういう面でも素直に書いてみました。

 多くの批判コメントを頂きましたし、ためになるアドバイスもありました。中には本当に稀ですが“大人”の目線から優しい言葉をかけてくださった方もいて、とても嬉しいです。最後まで読んでくださった皆さんありがとうございました。

2024-10-13

文章読めない人って知らない文脈で出てきた言葉自分の知ってる意味合いのまま読んで、それに合わせて無理矢理全体の整合性を取るような気がする。

特定単語脊髄反射で飛びついて、あーハイハイ文化資本の話ね、とかバズワードを使って分かった気になってみたりもするかもしれない。

現代文試験ってまさにこの癖を矯正する事が求められるんだと思う。

試験なら制限時間があるけど、そうでなきゃじっくり読めばいいのにね。

まあ試験じゃなくとも人生には制限時間があるし、全ての文章をじっくり読み解く道理もないんだけど。

それならそれでいいけど、インターネットでろくに内容を理解してないのにやたら上から目線言及するのはアレだなって思う。社会性の問題ですよこれは。

同じ文章と言っても理屈理解出来るものなら、読み違えてる事を整合性のつかなさでなんとなく気付けるのかもしれない。自分の読み方を疑わず文章が変だと言い張るかもしれない。その方がマシかもしれない。

もっと感覚的な事を言ってる内容だと、自分感覚に落とし込んで、なんとなく分かった気になったままになってしまう事もあるのかもしれない。

まあでも文学なんかはそれで別にそれでもいい気はする。それで心が揺れるなら、道筋は違えど目的は達成してるかもしれない。ある視座から体験を追う中で実感の伴った批判視点を養う、とかを置いくなら……

でもそういう読み方ばっかしてると、何を読んだ所でもとより自分大事だと思っているものを整理したりせいぜい気付かされたりするばかりで、他人のものの考え方、感じ方というのをそのまま理解する事も、他人言葉を借りて新しい感覚を知ることも出来なくなっちゃうんじゃねえかなって思う。

おれもグラントリノ観た時、移民系のアジアのガキと保守的偏屈白人ジジイという要素を見て安易な受け取り方をした。

ハイハイ多様性とか、ヒューマニズム人種を超えるとかそういうのね。

イーストウッド2008年時点でこういうの描けるような人だったのね。

とか思ってた。

SNSで色々漁りつつ、アメリカンスピリット継承と言われてんのを見て初めてそれがしっくり来た。

文学作品ネットのノリで要約する人嫌い

わかる人いる?

Xとかで古典文学とか有名作品を読んでない人向けに要約してpostする人いるじゃん。

普通日本語で書けばいいのにいちいちネットスラングとか寒いノリで書く人多いの何なんだろうね。

別にわかりやすくなってないし「俺面白いっしょ!」感満載で気持ち悪いんだよね。

anond:20241013071100

文学愛してるとは大袈裟

ファンとか狂信者の間違いだろ

なんでそうやって大袈裟にいうかな

 

本は好きだけど「男が雑に女食いまくりのキメェ小説多いな」って思ってる

官能小説的な内容でしか売れないか

エロいれてんなって感じ

 

エロなしで純粋ストーリーや内容で勝負できる人って少なくて

文豪と言われてる人間の中にも

エロ入れてる奴いるし

 

純粋物語テーマで読ませることができる才能のある人間の方が「読ませる」力は優れてるから

 

そっちの方が評価されるのって正常じゃん

エロ入ってたらゴミストーリーでもみんな一応見るじゃん。漫画と同じだよね。

からエロの分売り上げが実力以上にブーストされるんだからそれを引いて考えろって話じゃん

 

エロ規制されたら死んでしまましゅ

みたいなのを隠して表現の自由ガー!!

っていってるのオタクとおんなじ

anond:20241013064120

横だけど誰ですかChatGPTに答えさせるのは…

その指摘は全然鋭くなくて、先生性別も書かれてないのに、先生男性でありその権威が脅かされることを恐れてそういうことを言ったんだと決めつける、ポリコレの1番悪いところがでてる文章ですよね。

AIはまだその機微を読み取ることは難しいから、これは課題に持ってこいの例文ですね…)

性別関係なく文学愛する人間がそこに危機感を覚える気持ちは十二分に理解できるものだし、そういうのを読み取れない人間がやるポリコレくらい危ういものはないと思うんですが。

村上春樹作品ポリコレガン無視云々で思い出した恩師との会話

ノルウェイの森キモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたこしか覚えていない)。

そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反キモい小説禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。

それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。

恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアル留年するレベル卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。

昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月大学早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。

挨拶やら近況報告やらを経て、話題A先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生退職理由について「学内の過剰な『コンプラポリコレ意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。

私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラポリコレ重視派」というか、フェミニズム共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。

私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。

A先生は、最近学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。

そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHK地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写暴力自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。

大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキング経験咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」

といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。

また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。

「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」

と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。

ポリコレ」つまりポリティカル・コレクトネス」とは本来政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮対象となるのはあくま現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクション評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品非難対象となっている。

だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラポリコレ意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。

1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。

最後に、フィクション受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。

私は昔から小説漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物クラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定グループ所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み自己肯定感が下がっていった気がする。

それでも、私の基本的スタンスは「傷つくのは受け手事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的フィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクション同義ではないのか。

以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん