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はてなキーワード: ものとは

2016-05-25

普通の人が書く等身大日記が好き」とかいう奴

こういう奴に限って全然そういうのを読んでなさそうなんだよな。

ファッション感覚ってことがバレバレ

たまたまバズったこのタイプ日記か、偶然目に入ったこのタイプ日記を読んで好きだと言ってるイメージ

アメブロ読んでます??ライブドアは??FC2は??ヤフーブログは??はてなダイアリーは??はてなブログは??

そういうところに普通の人の普通日記いくらでもありますけど。

よくあるサブカル系のやつがファッションでよく知らないものを好きだと公言してる感。

こいつらからは同じ匂いがする。

http://anond.hatelabo.jp/20160524175814

仕事から帰ってきてからやる」

じゃなぜいかんの?

早く帰ってきたからって、帰ったらすぐ洗いものしなきゃならんわけじゃないでしょ。

邪魔なら積んどけばいいんだから

人にはそれぞれペースがあるでしょ。

「帰ってきてからやる」が夫のペースなのに、なぜすぐやらせようとするの。

放っておくと約束を破るというのなら「今やって欲しい」でもいいけどさ、

そうでないなら、かなりイラっとする言動だよそれ。

グッズの高額譲渡転売屋と同じですよね。

この頃、どうにも腹立たしくて、どこかに吐き出しておかないと気が済まない事があるので綴ります

既に別のどなたか文章にしている話題だったら申し訳ないのですが、個人の愚痴として見逃して頂きたいです。


私は具体的にいつのからそのような風潮・文化蔓延しだしたのかは知りません。

近頃、こと女性向けのアニメ漫画ゲームのグッズを収集する界隈において、定価を大きく上回る高額譲渡が当然のように行われている、という現状があります

そうした行いをしている人達晒し上げるためにこの文章を書いているわけではないので、直接そのような事案をお見せすることはできませんが、フリマアプリTwitterなどで、女性向け(特に乙女向け)の人気作品名前やそのグッズ名などで検索すれば容易に見つかるかと思います

勿論、年を経て付加価値がついたものや、一点物など、いわゆるプレミアグッズに高値がつくのは昔からよくあることで、そちらに関してはとやかく口を挟むつもりはありません。

しかし、一般販売されたグッズで定価は数百円から千円を少し超える程度のものが、2倍や3倍は当たり前。

下手すると、5~600円程度のものが、3000~5000円で取引されていたりします。

これは明らかに目に余る、高額譲渡です。

しかし現状として、売る側がいれば、それを買う側もいるのです。


このような高額譲渡パターンは、おおまかにふたつあります

ひとつめは、単純に高値をつけていくパターンです。

人気キャラクターから順番に、高値をつけていきます

その作品で最も人気のキャラクターのグッズには定価の10倍近く、譲渡希望者が現れなさそうな人気の低いキャラクターのグッズには、定価以下がつけられることもあります


ふたつめは、抱き合わせでの譲渡です。

人気の高いキャラクターのグッズを定価や定価プラス数百円で譲る代わりに、人気の低いキャラクターのグッズを定価程度で一緒に買い取らせる、というパターンです。

一緒に買い取らせる抱き合わせのグッズが求めているグッズと同数のこともあれば、ひとつに対して複数買い取り必須になっていることもあります

こちらのパターンは、グッズひとつ辺りの値段は定価程度ということになりますが、自分が求めているグッズを買い取るために不要な別のグッズも買い取らねばならないことが多く、結果として人気キャラクターのグッズを譲渡してもらうためには定価の数倍の費用がかかることとなります


公式のグッズの準備数が少なく、手に入りにくい。

キャラクター間の人気の格差があり、グッズが手に入りにくいキャラクターと、余っているキャラクター存在する。

様々な事情があって、このような現状が生まれたのだと思います


それでも、定価を遥かに上回る明らかな高額で譲渡を行うのは、立派な転売行為じゃないでしょうか。

昨今、転売屋による公式イベントチケット転売は許されない、と明言されるようになりました。

一般認識も、転売屋イコール不当な利益を得る悪いもの、と浸透してきたと思います

では、グッズの高額譲渡は良いのでしょうか。やっていること、仕組みは同じなのに?


「愛があればいくらでも出せる。出すはずだ。」

高額譲渡に手を出している人から、よく聞く言葉です。

そうした考えは立派だと思います

でもそう思うこと・そのような気構えでいることと、実際に行動に移すことは違うと思います

好きだったら何をしてもいいのでしょうか。

高額譲渡をしている人達は勿論のこと、買っている人達も同罪だと、私は考えています

定価を超えた金額は、公式原作者権利元・販売元などには1円たりとも入りません。

汚い言い方をすれば、売った側の利益になります

それでいいのでしょうか。

本当に好きなら、高額譲渡に支払うその余分なお金を、公式側に渡る形で使って楽しみませんか。


高額で売り買いする人達がいるジャンルだと分かれば、転売屋は次々に流入してくるでしょう。

ファンの中で高額譲渡をする人、初めから転売目的で購入し高額転売する転売屋、どちらもせめぎ合うようになれば、ますますグッズを入手することが困難になる可能性があります

グッズに留まらず、公式イベントチケットまで狙われるようになるのではという危惧されます

それでいいのでしょうか。


グッズの交換や譲渡という行為自体は、いいことだと思います

購入して開封するまで中身の見えないブラインド商品が増えた現在、そうしたやりとりは避けては通れないことだと思います

でも少しだけ、やり方を考えてみませんか。

人気のキャラクターが金儲けの道具のように扱われたり、人気の低いキャラクター不要物のように押し付け合いになったりしているのを、私はもう見たくありません。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ツイッター字数制限を解除すると思いますか。

未来のことは誰にも分からないし、私は関係者でもないので断言は出来ない。

ただ、「するべきではない理由から推測して答えることは可能だ。

ではまず本質的なことからいうが、大衆ネットアウトプットする行為基本的に「つぶやきなのだよ。

考えてもみろ、不特定多数読み手存在する場所で、理想読み手を期待して書くことを。

というより、そもそも「理想読み手」なんてもの存在しないがな。

それは、大体の人にとって孤独作業なのだよ。

まあ、仮に読み手に寄り添わないとしても、極端な話「壁にでも話している」としても本質的には同じことだが。

でも、そうやって「何かを特定場所で発露すること」が、多くの人にとって必要ことなのさ。

個人のリソースの割き具合によっては「承認欲求」だの「自己顕示欲」だのと表現しても良いが、その次元にすら達していない行為表現するのに「つぶやき」ほど適切なものはない。

これはネット一般層に普及するずっと前からビデオゲームにすらいわれていたことだ。

しばらくして、その行為に特化したコンテンツであるツイッター」が出て、普及するのは必然だったわけだ。

まりツイッター字数制限を広げるべきではない理由は、ウリを捨てる行為からさ。

ツイッターでは日々、様々な人が思い思いにアウトプットしているが、いずれにしろつぶやく」ことは本質的な、核となっている部分だ。

字数制限が上がっただけで、別に140字内で書いていた人はそのまま使えるし、連続して関連したツイートをしたい人にはそっちの方がいいと一見思えるかもしれない。

だが、短い字数の中で何かを書くことをいくら連続させたところで、それらをまとめて書くこととは似て非なるものだよ。

今回、学ぶべき教訓はこうだ。

「『1400』と、『140×10』を同じだと即答する人間に、ツイッターを使うことは難しい」

短歌だったり詩だったり小説だったりラノベだったり、雛形が変われば書きたいことは同じでも内容は変わってくるということさ。

もし君が変わらないタイプなら、それは個人にとって何かを発露するために適した雛形が他にあるということ。

現時点でのツイッターUI100%満足できるものだというつもりはない。

だが、人々が何かを発露する行為が「つぶやき」ではなくなるとかでもない限り、字数制限を広げるのは英断はいえないね

まり質問の答えはNOだ。

はいったものの、「なぜ発露するのか」を自分ですら良くわかっていない人が多いのが実情だから運営的な側面から見た場合は答えは変わってくるだろうがな。

……私か?

前に答えただろう。

子供の頃の俺の家は一夫多妻みたいな状態だった

うちの家系で俺の父だけが唯一経済的一定成功を収めていたということを最近知った

そして俺の親類縁者の多くが、俺が生まれてすぐくらいの時期に大きな借金を背負っていたようだった

そのため、父は路頭に迷いそうになっていた親類縁者の世話をそれなりにしていたらしい

の子時代母親記憶が非常に曖昧なのもそれが原因だと知った

俺の母親は父と共に今も健在なのだが、俺自身の「母親」の記憶に実母の印象はあまりない

何故ならば、当時の俺の家には母と同年代女性が何人も住んだり出入りしたりしており、全員が何らかの形で俺の母親の役を演じていたからだ

母の姉妹、父の妹(要するに俺の叔母)、父の従姉妹と、時期や期間にばらつきはあるが、俺が「母親」と認識していた女性は(実母も含めて)5人か6人いたと思う

幼稚園卒園式、小学校入学式、毎年行われる運動会授業参観小学校卒業式中学校入学式あたりまでは常に前述の女性陣の誰か一人か二人が出席していた記憶がある

あるとき親しい友人にそれを話したら「まるで現代一夫多妻制だな」と呟いてなるほどと感じた

もっとも、父と母以外の女性達の間には特にこれといったものはなかった

実際のところ俺が十歳になるまで父と母と俺は同じ部屋で川の字になって寝ていた

居候していた女性も一人は最初から既婚者で、残りは俺の家から離れた直後に結婚していた(むしろ結婚が決まるまでの間だけ俺の家に住んでいた、というべきか)

特にそれ以上のドラマオチがあるわけではない

何となく今思い出したのでここに書いてみた

しまずに死ね方法が知りたいです

ODでどんな薬で眠るように死ね方法が知りたいです。

一次の気の迷いではありません、死ねることが幸せなのです。

助けて欲しいという気持ちも、もうありません。

眠るように安らぎをお求めています

個々の底から死ぬことが幸せだと考えています

わたし幸せのためにどうかアドバイスしていただけないでしょう?

アドバイスしてくださった方には、

わたし幸せ理解してくれた恩人だと、死後も永遠に感謝し続けます

首吊りは、何度も失敗しました。

マンション屋上から飛び降りましたが、失敗し大手術しました。

社会的には成功している方だと思います、けれどわたし子供のころからこの世界絶望しています

もう、楽しかったり苦しかったりするのに疲れました。

死ねなかったり、後遺症が残るリスクのあるものは極力さけたいです。

死ぬのがいけないというステレオタイプの人には聞いていません。

死ぬことも、ひとつ幸福選択だと理解している人からアドバイスが聞きたいです。

死ぬことさえ許されない、この社会から助けてください。

具体的に苦しまずに死ね方法を伝授してくださる方、わたしあなたのこと悪人とは思いません。

それもひとつ幸せの形と理解してくださっている方と思います

脆さが隠せていない

元の増田が克服できていないであろう・これから直面するであろう問題を指摘している。

非常に思いやりに溢れていた文章だ。

しかしながら、この増田もまだまだ自分の抱える問題を克服できていない、かつ、

それを自覚していそうなのが少々心にくるものがある。

 

簡単言葉で表すと、「自分人生を歩めなかったこと」が彼女を蝕んでいる。

そんな自分を認めることで、それすらも認められていない人間差別化し、プライドを保っているように思えるのだ。

プライド空虚ものだと自覚しつつも、

彼女は未だにプライドに縛られ、本当にやりたいことを抑えているだろう。

仮に編集者になることが本当にやりたいことであるならば、

形がなんであれ彼女の年齢からでも達成可能なはずである

彼女は、ある程度自分プライドが保たれるレベル組織編集者のみを想像しているのではないだろうか。

それは結局、編集という仕事に対する情熱ではなく、自らのプライドを保つための餌でしかないのではないだろうか。

もしくは、「編集者になりたかったこと」自体防衛機制に過ぎず、自身へ向かうネガティブ感情の原因をそこに向かわせることで、

他のコンプレックスから目を背けようとしているのではないだろうか。

 

内心彼女はどんな行動をすれば清々しい人生になるか気づいているのだろう。

それをしてうまくいかなかった時、プライドが傷つくのが怖いのである

まり親の期待に応えることだったかもしれないが、

このままではいつまでたってもプライドを保つために生きていくことになるだろう。

10年後には自分人生に対し、別の原因を持ち出して正当化している姿を想像してしまう。

それを打破し、本当に自分人生を生きるためには、

やりたいことを考え、一度プライドを砕かない限り難しいのではないだろうか。 

 

ネットには行動力のない人間が多いように思える。

しかし、現実の人々は自らのコンプレックス立ち向かいプライドをズタズタにし、血みどろになる経験をしているものだ。

向こう見ずなり、愚かなどではなく、自分欲望人生に対して真摯なのだ

そこから逃げてきた人たちが、逃げてきた自分正当化するために脆弱理屈をこねくりまわし、

プライドを保とうとしているのをよく目にする。

だが、彼ら彼女らを救う手段は、主体的な行動のみなのだ

 

http://anond.hatelabo.jp/20150309011809

靖国神社エビデンス

靖国英霊感謝気持ちを伝えよう!と訴えてくださる方に質問です



現代科学の初歩的な共通認識では、脳の活動が停止すると意識消滅するとされています

まり英霊感謝気持ちを伝えようとするなら、英霊の皆さんの脳活動必要となるということでよいかと思います

ところが英霊の皆様は亡骸になられて久しく、脳活動どころか脳組織のものが失われて70年、構成していた分子もおそらく地球上に散逸している状態です。



このような状況で、英霊のみなさんに感謝が伝わるとするのは、あまりにも根拠が薄弱なのです。

どれくらい薄弱かというと、水素水でいうと、H800Oくらいであると思います



それにくらべれば、体組織が保存されていたキリストの復活のほうがまだましです。それでもH300Oくらいイッてると思いますすけど。



それでもなお、靖国英霊へのマジ感謝を訴えたくなるのですから、皆さんには何か理由があるはずなのです。



というわけで拙案ですが、みなさまの理由をある程度分類させていただきました。

自身の当てはまると思うものに丸をおつけください。あるいは下に属さないご自身カテゴリを教えて下さい



1.科学では計り知れない領域があるよ。英霊の皆様はそちらにおわしますよ。その領域水素水くらい神聖だよ(紅茶キノコ派)

2.SYI(支持者で有権者意見なので派)

3.中国の敵の敵は味方(三国志派)

4.そんなの信じてるわけねぇけどw、他人を従わせる快楽目的なんで(マイルドヤンキーリーダー派モコモコ団)

5.いたずらです。あとでテッテレ~奏でる(バラエティっ子派)

6.俺が童貞派遣社員なのは国民靖国神社への感謝が足りないせい(アイアムアヒーローときどき登場派)

7.愚民統治には、綿々と140年も続く歴史的根拠ある信仰で束ねることが大事だ(粉もんマキャベリ派)

8.俺が大川って総裁だァー!(プラモ作ってたら火事派)

9.神聖領域科学で計ろうとする増田がバーカ(水素水科学判断するな派)

2016-05-24

AIがはびこったら一体何がどうなるっていうのか

とりあえず貯金はたいてAI買っておけば

代わりに働いて稼いで来てくれるはず。

食うに困らなくなるはずなのに、

大勢が失職して生きていけなくなるみたいな話になるのはなぜだろう。



それはもちろん、人があくせく働いている部分があるからこそ、AIの優位性をもって世間アピールできるからだ。

AIを作ったら自分のところで囲い込みをして、他の会社との競争を有利に進めるというのが基本戦略になるはずだ。

他所会社よりクオリティが高く、人件費が安く、納期も短く、信頼性の高い商品を圧倒的なAIパワーで供給する。

要するに石油を掘り当てるようなものである

さな店がどんどん姿を消したことについて考察する

こんな記事を読んだ

http://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/miwa04


初めに述べておくけど私は発達障害者だ。

発達障害ならではのどうしようもなさ、うまくいかないしんどさをかれこれ長い事味わってきた。

そうこうするうちに、なんとなく発達障害の人についてはピンときて、この人は自分同類ではないのか?と鼻が効くようになった。

なったところで何も役に立ちはしないけれども。

発達障害と診断される人は年々増加の一途を辿っている。

というのも発達障害診断基準がはっきりしてきたのはここ20年くらいのことで、それ以前に子供だった人はかりにその特性があったとしても発達障害認識されなかったからだ。

そういう、ある程度年のいった発達障害の人はどのように生計を立てていたのか。

おそらくだが、小規模の小さな商いをひっそりとやっていたのではないか

小規模の自営業者であれば、調子が悪いとき商売を休むことも可能だし叱責してくる上司もいない。

ところで1990年には全国の自営業者は1395万人だったそうだ。これが2011年になると541万人へと減少する。(総務省調査

この中の何割かは高齢化によるものであったと考えられるが、自営業者とりま経済環境が厳しいものへと変化したことを裏付けている。

自営業者の数はここ20年でどんどん数が減っている。

資本力のとぼしい小規模の自営業者不景気とか消費税だとかそういった変化のあおりに耐えられないのだ。

もちろん店主自身高齢化などもある。地方経済の衰退にも原因はあるだろう。いずれにしろ減っている。


時代が進み、人々はより快適なオートメーション化された安価サービスへと移行していった。

低級国民として働く人たちは、マニュアルの下で歯車になることを強いられる

悲しいか発達障害の人は優秀な歯車になることができない。能力があまりにも凸凹すぎるからだ。

ここ20年ほどで日本は衰退した。とんでもない衰退だ。

自営業者の人が1400万人近く存在したのは景気がよかったからだ。まわっているお金があったからだ。

少し年配の人なら「どこにも雇ってもらえなかったしラーメン屋でもやるか」という話はどこにでも転がっていたんだけど、

このところラーメンもどこもかしこレベルが上がってとんでもなく敷居が高い

人々は価格以上のサービスを当たり前と思い、提供されるものは質が高くなければ消費者は不満を言う。

安価で質の安定したサービス提供するためには、ある程度の規模のシステムを構築する必要があり、それを個人商店に求めたら破綻してしまう。

そしてその安定したサービスのため必要とされるシステムには、凸凹歯車は順応できないのだ。

こうして高齢フリーターの数や非正規労働者の数は増え、さらsnepと呼ばれる呼び方が出現した。

さなお店の人たちはどこへいったか

やはりこういった弱者と呼ばれる層へ否応無く吸収されていったのだろうと推測する。

さて最初のところへ戻ろう。

ここの店主はおそらくなにがしか発達障害を持っているだろうなと個人的には思う。

自分発達障害なのでわかるのだが、おもしろいことにその凸凹の部分を強烈に気に入ってくれる人が存在する。

発達障害不具合を見いださず、いびつさを愛してくれる人が実際に存在するのだ。

地方都市にぽつぽつ存在してきた「やる気のない店主がいる汚い店」というのは、肩に力が入らず来るものをホッとさせるところがあって

その存在感一部の人を強烈に惹き付けるのだ。

私はこのような店が日本のあちこちに残っていて欲しいと思う。「そんなに頑張らなくていいよ」という無言のメッセージであるからだ。

政治クラスタ人達というものがわからない

なんであんなに朝から晩まで気に食わない政治家のことを考え続けられるんだろう

そいつに関するニュースをずっと監視して

そいつの失点になりそうなニュースなら鬼の首取ったように興奮しながら嘲弄コメントを付け

そいつの加点になりそうなニュースなら顔真っ赤にしてなんとか腐そうとし。




その時間精神的・脳メモリリソース自分人生に使おうと思わないんだろうか?

あれだけのエネルギーの浪費をたとえば2年やめたら、すごい豊かな人間関係が拓けたり大型の資格が取れたりすると思う。

その2年の間あなたが憎い政治家監視活動をお留守にしたせいで国政が傾くかと言ったら

全然傾かないし、もっと言えば、あなたの不在はその政治家に良い影響も悪い影響も1ミリももたらさない。

馬鹿でないあなたなら理性で考えればわかるはずだ。

文学部価値とは何か

京大卒、東大卒文学部の方々の文章を読んだ。どちらも有意義文章だが社会において文系価値が軽視されがちになってきている趨勢を感じるこの時代に書き残しておきたいことがあります

何のために学問をおさめるのか、主婦になるのは大学教育必要ない?東大卒プライドを捨てなければ自己肯定できないのか?

どちらも境遇が違うのですが共通して言えることがあるので増田に書いてみたいと思います文学部存在する大きな意味ひとつに「無限文脈」を得るためということがあるでしょう。

たとえば仏教人生は苦しみであると説きますしか人生は苦しみであるという言葉だけではなにをもって人生が苦しみなのかわからないので人生とは~~~ゆえに苦しみであるという~~~を獲得するのを助けるのに文学ほど有用学問はないと確信しています。これは論理実験では決してうまらない人間人間たる存在問題であるのでバッチリこれが答えだなんて言いいきれるものではありません。それが理系文系の決定的な違いなのではと思うのです。文系学問経済学社会学政治学などを含めて全て勉強すればするほどに断定的な物言いが難しくなる側面があります文系は人文系とも呼ばれますがまさに文学人間混沌理解するため、ではなくどう見つめるかのその過程を追求するためにあるのではないでしょうか。

から社会的実益を生むわけではないので文学は時に軽視されることになりますしかし自らの人生を追及するために文学ほど役にたつもの存在しないのです。それは一般的労働従事するかぎりにおいてはほとんど役にも立ちませんがそれでも個人の人生という物語形成する重要な要素にはなるのです。

おそらくそれが京大文学部を出て主婦になった方が感じる最も根幹に感じる違和感の正体ではないのでしょうか?大学を出て社会的な成果を出さないとは何事かと人は言います。けれど文学人間の外面ではなく内面をどう料理するかを学ぶ学問なのですから主婦になろうがどうしようがそんな社会的なことは甚だどうでもいいものしかないのです。むしろその京大で学んだ文学的素養を発揮するのに主婦子育てほど適した職はないとも私は思っています

文学価値というのは学生の時には傾倒し教授と談義にふけったりそれはそれはとても面白いものですが社会に出れば時に忙殺されてしまます。実務に追われ気づけば学生の時に追求した私は~~~だからであるの幼い文脈すら仕事一言に置き換わってしまます。それは理系文系京大Fラン高卒関係なくです。しかしそんな何のために働くかわからなくなった名もなき乾いた砂粒のような人間にこそ文学必要なのですよ。

アダルトビデオを借りる層

ツタヤで働いてるんだけど、暖簾をくぐる客が結構いる。18と大きく書いてある暖簾だ。



これだけネット動画が散乱してる時代にわざわざレンタルするのはどういう心持ちなのか。

初めは「どうしてもこの女優のこの作品が見たい!」ってお決まりの一本があって、それがネットに転がってないのかと思ったがどうやら違ったようだ。

みな目的もなさそうにぶらぶら歩いている。夢遊病者みたいだ。目だけに性的な光を散りばめていて気持ち悪い。

とにかく、お目当てのコーナーに一直線、無ければ即退散みたいな客はいない。



あと、年齢層として若者は皆無だ。みんなオヤジだ。友達同士でケラケラ笑いながら入ってくる高校生はたまにいるけど。



多分、生活習慣を急に変えられないように、性の満たし方みたいなものも変えられないのかも知れない。

ある年齢層の人達にとっては、パッケージタイトルを流し見ながら自分アンテナに引っかかれば手に取ってみる。そしてまた棚に戻して歩き始める。

といったまさしく足を使ってオカズを探す狩猟スタイルがしっくりくるのだろう。

彼らは決してネットが苦手なのではない。ただ、「巨乳 女子高生 盗撮」みたいなワードポチポチ打ち、瞬時にサムネが羅列されるというのは彼らのスタイルではないのだ。

10年後か20年後、「なんであいつわざわざ女優名で検索してダウンロードなんかしてんの?○○のがずっと楽なのに」って言われる日が来るかも知れない。

俺もアダルトコーナーを徘徊するオヤジ達同様、その新しい波に乗れる自信がない。

AVに望むこと

絶対気持ち良くないとわかるような不安定体位はやめて欲しい。

絶対気持ち良くないとわかるような超早いピストンはやめて欲しい。

絶対気持ち良くないとわかるような超早いフェラや手マンもやめて欲しい。

女優の不自然にでかすぎるあえぎ声はやめて欲しい。

ホストみたいなの、ヤクザみたいなの、オッサンすぎる、不潔、怪物みたいなの、という

 どこから連れてきたのか訝しいほどの気持ち悪い男優使うのはもうやめて欲しい。

 主張が強すぎるスター気取りのマッチョとかもやめて欲しい。

 プレーンな容姿フツメン以上の男優を使って欲しい。

中途半端な芝居はやめて欲しい。ドラマ仕立てならドラマ仕立て、そうじゃないなら無駄学芸会は要らない。




ここに上がった様な要素が好きな人は要ると思う。

その人達趣味をないがしろにするつもりは毛頭無い。

しかしこれらの要素がメジャーもののようにしょっちゅう出てくるのはおかしい。

絶対そんな需要は無い。

作り手が高齢化したり新陳代謝なくて自家中毒したりして

変な決まりごとや定石が改定されずにずーっと来てるように思う。




昨今ポツポツ増えてる女性向けAVの方が男から見てもずっと良い。

あれは努力もしてるんだろうが、そもそも老害AV回の決まりごとから無関係でいられるのが強いのだと思う。

AVも進化して欲しい。

進化できない爺はニッチに進んで欲しい。

メジャーにずっといられるのは迷惑だし社会の損失だ。

最近の何が良いのかわからないもの

babymetal。ギミチョコという曲を何かのテレビ歌番組で見たのだが、これが見てるのが辛いくらい何が良いのかわからなかった。

それからしばらくたって、そうは言っても海外でも注目されているらしいし、もう一回確認した方がいいんじゃないかと思って、Amazonミュージックでギミチョコを聴いてみた。

やっぱり何が良いのかわからない。

音楽なんて聴いて良さが分からないもの説明されたってわからないだろうけど、できれば自分好き嫌いとは別に、世の中で評価されているものがなぜ評価されているのか知りたい気持ちはあるんだよな。

噛みごたえだけ

しばらくスルメにはまっていて、毎日晩酌時にはスルメイカをトースターであぶってマヨネーズと七味で食べていた。

昼間は昼間でグミを切らさずに食べてて。商品名忘れたけど、ちょっと固いやつが結構好きだった。

ふと思ったのだけど、ただ単に「噛みごたえ」だけの嗜好品があったら結構いいんじゃないか。

味とか栄養かいらなくて、ただ噛むだけ。食後の爪楊枝が果たしている役割に近いかもしれない。栄養も味もなにもない代わりにはき捨ててもいいし、飲み込んでもそのまま排出される。

それか、飲み込んだあとは体内を掃除してくれるようなものでもいいけど。

あごが鍛えられるし、ストレスも発散できるし。喫煙者の人にはタバコの代わりにもなりそう。

そういう用途商品てもうあるのかな。王様のアイディアで売ってる?

周りは自分相談を持ちかけてくる。

相談と言う名の聞いて欲しいだけ、承認して欲しいだけだ。

「あー、それわかる」

だけ欲しい。

「それわかるけど、キミも考える余地があるのでは」

と言うと、必死正当性を語る。

面倒くさくなって

「ソウダネ、キミワルクイネ

と言うとホッとする。

自分セックスでいうところのサセコだ。

ヤりたいときだけやってきて、出すもの出したらそれでいい。

こちらの都合は聞いてない。

ヤらせるオレも悪い。

天賦の才としての高学歴

京大を出て専業主婦とかもったいない

このブログが、人気だ。

「「京大出て専業主婦なんてもったいない」と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか」

http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352

京大を出たが、就職したり、研究者になったりせず、専業主婦になったことに対して、他の人からその行為を「もったいない」と言われたという話だ。

東大卒のおばさんの話も基本的にそれを肯定的に捉えている。

東大文学部卒おばさんが、何がもったいないのか解説するよ」

http://anond.hatelabo.jp/20160524012315

一方で、高等教育コストが掛かるんだよという意見をいう人も居る。

「まじで教育はタダだとでも思ってんの?教育投資だろ。 」

http://anond.hatelabo.jp/20160524045830

天賦の才としての高学歴

このエントリーあんまり出なかった視点の話をする。

それは、「天賦の才能は神から与えられたもので、返す必要がある」という指摘だ。

これはもしかしたら、上のブログもったいないと言ったという話に繋がるかもしれない。

東大京大に入る程の頭脳は神から与えられた天賦の才能だ。天賦の才能を持つ人は社会にその才能を還元する義務があるのではないかと考えている。例えば、プロスポーツ選手は単に試合をするだけではなく子供スポーツを教えたりする。それは単に人気取りの為だけではなく、彼らが与えられた天賦の運動能力社会還元させるという目的もある。

ハテブの中にノブレス・オブリージュの話が出ていたが、優れた能力を持つものは、より多く社会に貢献すべしという主張に通じるのかも知れない。

京大を出て専業主婦をする人のエントリーに関して感じる違和感は、「天賦の才能」に対する意識の欠如だ。彼女頭脳彼女努力の賜物ではあるが同時に、神から与えられたものでもある。その意識が低いように感じる。

研究者になったり企業人にならず、専業主婦を選ぶことも立派な人生だ。それでも、自分が「天賦の才能」を与えられていることを時々は思い出して、例えば自分の子供だけでなく、貧困層の家庭の子供に勉強を教えるとか、恵まれない人にも何かを教えるとか、与えられた才能を活かす方法を考えてみてほしいな。

ちなみに私は、ソフト開発に天賦の才があったようで、良いソフトウェアが書ける。

から私は仕事としてのソフトウェア開発だけじゃなくて、休日githubソースコードを上げたり、qiitaコードを書いて検証した結果を上げたりしている。

自分に優れた能力があると思っているのなら、その能力自分一人に独占するんじゃなくて、他人社会還元する方法を考えてみてはどうだろう。

キズナイーバー1話切り

迷い家3話切り

くまみこも5話くらいでついていけなくなってもう見てない

年のせいかなんか知らんけどアニメ観るのしんどい

hulu海外ドラマももう何ヶ月も見てなくて会員費の無駄になってる

本もなかなか読めず図書館で借りたエンタメ小説一冊読むのに延長はさんで4週間あっても足りるか足りないかというところ

いくつかやってたソシャゲログインだけしかしてない

パズドラとかスタミナ余りまくり

うんこあんまり出てない気がする

古き良き時代増田みたいに駅で盛大にブリブリっと投稿とかしてみたいけど無理そう

そんな気力も体力もない

今年で34歳

職はなく彼女もいない

半年に一度くらいすごく気力が充実しているときハローワーク行って障害者求人見たりするけど精神障害者雇ってくれるところなんてないしそもそも面接が無理だから向こうがその気でも関係ない

でも不思議と死にたくはならないのはおそらくお薬のおかげ

でもこれ以上薬増やせないところまで来ているらしいので事態好転する兆しは見えず

よく「○○(アニメタイトル)を観るまで死ねない」とか言うけどそのときに観る気力があるかなんて分からないし、なんも観る気が湧かなくても案外生きていけてしま

しかし惰性で生きてるようなものなので楽に死ねるなら死ねたほうがマシという気もする

いま生きてる理由が「死ぬのを後回しにしてるだけ」でしかない

でも鬱とか関係なく人間なんてそんなもんか

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.あなたには「いい人フォルダ」や「嫌な人フォルダ」がありますか。

答えはNOだ。

私は相手をどう印象付けているかフォルダ分けはしていなくて、関係性で区分している。

いい人だとか、嫌な人だとかは気持ち的にはともかく、枠組みとしてはあまり意味がないからな。

一応、「他人フォルダ」とか「大衆フォルダ」とかはあるが、しばらくして使わなければ中身はごみ箱に入れる。

いずれ必要になったとき復元すればいいだけだしな。

真に他人に臨むときというのは総体的評価するときであって、仮に人をフォルダに入れるなら細分化された名前になるだろう。

なので、フォルダに入れても中にあるのは一人だけであまり意味がない。

から、私は関係性でフォルダ分けしている。

逆にそもそも腰を据えて臨むつもりがない相手ならば、容量を圧迫するだけなので残さない。

価値観多様性を認めることも、それらの枠組みも「自分が使いやすい、容量内で」という但し書きがつくのは周知だ。

でなければ私や君のPCはあっという間に容量不足になるからな。

これは他人立場から自分を見ても同じことだ。

こういう書き方をするとアレだと思われるかもしれないが、大抵の人にとってフォルダの分け方は当事者が期待しているようなものにはなっていない。

仮に君が「嫌な人フォルダ」に入っていたとしても、その中には君以外の人もたくさん入っているということで逆も然りだ。

サブフォルダがどうなっているか重要だという話であって、そういう簡易的なフォルダ分けに一喜一憂する必要はないということさ。

……ん? ここらへんのメディアの人たちはどうかって?

ブラウザキャッシュとか履歴は、基本的に残さなものだぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20160524203646

うそう。

返答って肯定的なのと否定的なのがあって、同じ内容でも肯定的なのが好意的

「甘いもの好き?」に対して

「甘いもの嫌い」(否定的

「甘いものより辛いものが好き」(肯定的

ただし、好意的な返答は義務ではないので、どちらを選ぶかは自分次第。

Webメディアって最近進歩してない感じ

これから情報発信しなきゃ!と言ってもヤフー大手メディアに取り上げてもらうまでは全然まらないし、Webサービステレビ広告打たないと人数増えない。

Twitterで数千リツイートされたとしても、フォロー数が劇的に増えてるところは見ないし、テレビ雑誌で有名な人をフォローするというのが変わってない気がする。

Instagram有名人モデル広告打つという形であって、メディアとして進歩してない気がする。

技術がよくなれば、個人メディアでも対抗できるかと思ってたけど、ニコニコ動画プロが作ったものの方が継続的に人気出るし。

Web技術は日々進化してる感じはするのだけど、あんまり進歩してないなーと。

昔のことであるが、学生時代就職活動をしていて、A社から内定をもらった。

自分としてはA社に就職することにして、就職活動も止めた。

A社にはその旨告げたが、A社は「学校から推薦状を貰って来てください」と言ってきた。

推薦状と言うのは本来会社に対して「御社が第一志望です」という意志を表すことで、会社としても「そういうことなら」と好意的面接するものである

そこで会社から内定を出せば、学生としても内定辞退しづらい(というか第一志望なんだから辞退するわけない)ものである

ところがA社は内定後に推薦状提出を申し出た。

意図はもちろん「内定辞退しません」の保証である

もしそこで推薦状を出さなければ「それって、ウチ以外に行きたい会社があるってこと?」というツッコミは免れない。

理不尽要求と思いつつも、その会社に決めたわけだし、提出した。

ただし、学校からすれば「その推薦状の使い方は不適切である

そして、会社からすれば「そういうことをイケシャシャアとするような学生採用してよいものか?」である

しかし「そうやってお世話になった母校を裏切るような人材は、いつかウチも裏切るのではないか?」とは思わないようだ。

最終的にA社に就職したが、しばらくして転職した。

転職理由はいくつかあるが、その理不尽な推薦状的な文化が大きい。

幽霊を見たことがない

世の中には幽霊となった人が恋人危機を救うだとか素敵なメッセージを残していくだとかそういった話も多々あるようなので

そういう存在もいてもいいかなくらいには思うのだが、そういう世界の扉を開けたことは一度もない。

そういうものを見た、何かが写っていた、気持ち悪かった、などという話に聞くたびにいわゆる『霊界』『死後の世界』『あの世』などと呼ばれるものに疑問を挟んでしまいうまく信じることができない。

 

『死』を受け入れられないというわけではない。

私が死んでも世界は変わらんと思っている。私という存在が消え去るだけだ。

死んだという報せを聞けば何人か悲喜こもごもあるだろうが、それこそ49日ほど過ぎれば死んだことすらどこかへ行く。

たまに思い出されて、「ああいたなあそんなやつ」。そんな人たちもいなくなれば、完全に消滅だ。そういうもんだと思っている。

 

からこそ確認したいのだ。本当に死の向こうに、霊体だけが暮らす新世界があるのだろうか?

 

あらかじめ書きたいが、別にかの世界特定宗教等を否定したいわけではない。

○○は××だからwwwwwはい論破wwwwwww などとやる気は一切ない。むしろ逆だ。可能であれば完全に存在証明されて論破されたい。

これを見て、こういったモノに詳しい誰かが非の打ちどころのないコメントを残してくれるのを見たい。それを心待ちにしている。

 

 

(1)心霊写真ってどう思う?

昔々はちょっとしたブームになり、織田無道だとか宜保愛子だとかが毎週のようにTV番組に出てきていたこともあった。

今は「おわかりいただけただろうか」か。流行の強弱はあれ、ずっと続いている心霊写真ブーム

 

ところで、あの手の番組に出てくる写真動画、構図や被写体って似すぎてやしないだろうか。

人間の体は頭、胴体、両手両足、股間まわりと大まかに言ってもこれだけパーツがあるが、

心霊写真って、ぼやっと全身が写っているか部分的ものは頭と手ばかり写っているように思う。

「顔と手には思念が残りやすい」などという話を聞いたりもしたが、それならケツや乳に思念が残ったっていいじゃないかと思う。

短小をバカにされて自殺した童貞男の幽霊がいて、夜な夜な女の宿泊客の顔にBUKKAKEてくる……とかさ。逆にデスペニスでもいいよ。

 

もうひとつ言うと、人間が霊体を認知するのって圧倒的に視覚じゃないかと思う。

音は幽霊描写としてよく使われる手段ではあるけども、この音がするから幽霊だというのはイマイチ証拠に欠ける。

ラップ音の正体も温度差等による建物の軋みなんかの音だとか。

においというのはある種個性として認知されるものだが、『この建物はなんだか幽霊くさいぞ』とは聞いたことがない。なんせチョコボっぽいし。

 

 

(2)人間ばっかり出すぎ問題

いわゆる『向こうの世界からくるものが圧倒的に人間ばかりだと思う。人間すぎる。

旧日本軍兵隊や髪の長い細身の女性幽霊の話はごまんと聞くが、ヒグマサメ幽霊が暴れて人が死んだという怪談話稲川淳二がしたことがあるだろうか。

霊はこの世に未練があってなんちゃらかんちゃらと言うなら、人間さまのご都合で殺されまくった動物悪霊なんてアホほどいそうなもんである

忠犬ハチ公幽霊はご主人が帰るまで待ち続けたのだろうか?そんな話も一切知らない。

 

地獄という場所も圧倒的に(宗教的に)悪いことをした『人間』を懲らしめることに特化した施設のように思う。

今どきはペットだって洗礼を受けるし、葬儀だって開くわけだろう?

動物には動物天国地獄がある』と主張する人もいるようだが、その世界観が取り上げられたものはほぼないように思う。

どうすれば天国でどうすれば地獄か、どうすればより高次の生き物に輪廻転生できるか、などという判断人間さま向けの基準だ。

吸血や捕食を生業とする生き物に転生したら、殺したり奪ったりしないと生きられんわけで。

そんな生き物に転生させといて殺すな奪うなと言ってもじゃあどうすりゃいいんだよ……ってなもんじゃいか

 

 

(3)あの世パンは焼ける?

(2)ともちょっとリンクする部分があるが、見出しのままだ。あの世パンは焼けるだろうか?酒が作れるか?と言ってもいい。

例えばパン職人ひとすじでこの世を去った人がいたとしたら、天国でボサッと呆けてるとは思えない。そりゃ、いっちょ自慢のパンでも焼くかと思い立つだろう。

逆にパン職人だったお父さんを見送った遺族だって、「お父さんはきっと天国でもおいしいパンを焼いてるよ……」とか言うだろう?

お父さんの生き生き天国ライフをかなえるには穀物と菌の存在必要である。まあいい。生きたものあの世には行かれないだろうから生きてはいないはず。

つまるところ、『植物菌類幽霊』なるもの存在するかどうかだ。

 

存在するとして。

パンを作るためには穀物をすり潰して粉にしたものをアレコレしたあと菌によって発酵させて、焼くという工程必要だ。

工程最中穀物は当然として菌も死ぬよね。焼かれるわけだし。だとして、幽霊が死んだらどこへ行くんだ??

すぐに生き返って元に戻る、だとしたら最悪だ。イースト菌の霊からしたらなんべんも焼かれては生き返ってまた焼かれるわけだ。

ダンテ神曲に出てきた地獄の図とまったく同じことが天国にいながら天国に行ったパン職人によって引き起こされる。鬼かオヤジ

さらに死んだ者用のナニガシが存在するとなると、それは無間地獄である天国にいながら地獄という図は変わらないのではないか

 

存在しないとして。

パンはどうしたら作れるだろうか?

墓参りの時に、生前好きだったものを供える習慣がある。寺の坊主に言わせると、お供え物の霊的なナニガシだけを受け取るのだとかなんとか。

これを使えばイケそうな気もするが、毎日墓前に小麦粉イーストパウダーお供えする遺族なんて存在しないだろう。なんせ傍から見てどう考えてもおかしい。

せいぜい跡継ぎ息子が焼いたパンをお父さんもぜひ試食してくれ旨いだろうと供えられる程度である

お父さんも天国パンを焼きたいのだが、このままではこの世に未練が残ってしまいお父さんが化けて出てしまう。

 

 

焼くことが可能だとして、パンはどうなるのだろう?幽霊パンを食うだろうか?

死んでるんだから食わないというのなら、飢えに苛まれ地獄というのはよくわからない存在になりそうだ。

それに、そう、お供え物だ。我々が良かれと思って供える故人の好物や茶などは、実はありがた迷惑ということに……。それは悲しすぎる。

かと言って普通に食べるということにしてしまうとそれはそれで大変だ。これまでン万年の間に死んだ人間はそれこそ星の数ほどいるわけで。

食い物が、足りなさすぎる。

 

 

 

考えれば考えるほどよくわからなくなってくる大霊界丹波先生がご存命だったらズバリ回答いただけただろうか?

……そもそも丹波先生にお会いするのが大変か。