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はてなキーワード: ものとは

2016-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20160630035952

アラサー以上の非モテなら最初から結婚相談所行った方がいい。断言できる。

結婚相談所って昔の見合いみたいなもので、非モテを救済するための措置だし。

http://anond.hatelabo.jp/20160630031617

彼女ほしい(でも、付き合っても何したらいいのか分からない)




そうじゃなくて、どうやって付き合うまでの関係を詰めていくか

それがわからない方が問題なんだけど。。。

なんかもう、恋愛脳もってる人たちの中では、そういうのって自明ものなのね。



というか、付き合ったことないのに、付き合ったときのこと想像するとか無理すぎ。

就職する前に就職した後のこと想像したって、全然現実乖離するし。

ブスでも誰でもいいから、とりあえず付き合ってほしいけど、

全然誰にも相手されないのが非モテっていう奴なんだよー

相手選んでるから付き合えないなんて偏見もいいところ

(でも、非モテについてそんな風に考えてる人ばっかだけどね)

馬鹿アイマスPに告ぐ

アイドルマスターシンデレラガールズの「ハイファイ☆デイズ」のCDオリコン一位だそうで。

まずはおめでとうございます

長いアイマス歴史の中でも初めてらしいですね。











なーんて言うわけないだろうがよ

ライブに参加する権利抽選券」を一位にしたんだぞ。

貶され嗤われ、褒められるようなことじゃないんだぞ。

お前らが馬鹿にしてたAKB商法はまだ買えばとりあえずは会えて握手が出来るわけだ。

お前らのは何だ?

不確かすぎるだろうよ、その金で買ったやつ。

なんでそんなものありがとうって言ってるんだよ?

円盤に比べたら安いから」とかじゃねーの。

お前らがいつも「好き好き」言ってるアイドル楽曲をお前ら自身が汚したんだぞ?

http://anond.hatelabo.jp/20160629132908

http://anond.hatelabo.jp/20160629132908

天秤秤に4つ4つ載せます

真ん中の支点が中心軸になるように回転させます

回転を上げて行き、皿が傾くようになると、重力遠心力釣りあう高さに玉が寄っていきます

一つだけ違うものがあればそれが求める玉です。もしみな同じ動きなら、残りの1つが求める玉です。

2016 年 6 月版初心者向け JavaScript セキュリティ

JavaScriptUI を構築していると XSS がうんたらかんたらみたいな能書きをきちんと理解してきちんとやっていくのが一番よいというのはそうなのですが、 2016 年にもなってそんなことの学習時間がしがし使うのもおかしい気がする。おかしい気がしないというそこのあなたCPUFlash ストレージから自作して現代風のシステム全部作っといてください。

というわけで初心者は以下の原則を守ればいいと思う

JSjQuery作業しない

PHP だけでなにかを作る人間はもうたぶんいないですし、 JavaScript での UI 構築ももうそういうものだと思っていいのではないでしょうか。 React か Angular かなんか使っとけばいいと思います。 React おすすめ。これらの現代っぽいフレームワークを使っている限り XSS のような初歩的なミスはほぼ起きません。 React の場合危険機能には Dangerously Set innerHTML というヤバそうな名前がついていて便利です。

同一ドメイン内に決済とかあるサイトに関してはもちろん上の原則はあてはまりません。それは初心者が触るべきものではない。

から俺が挙げるものより「意外とありそうでないもの」ってある?

ズッコケ三人組」全作品を詳細レビューしたブログ

http://anond.hatelabo.jp/20160629201917

正解は「嘘つき村の住人はいない」でした。



解説

一見するとAの「私は嘘つき村の住人です」という発言が明らかに矛盾しているので論理パズルとして成り立っていないように見えますが、そもそもの「前提」が嘘を付いている、と考えることで矛盾が解消されます

まり、嘘つき村の住人は正直で、正直村の住人は嘘をつく、ということです。

そうなると、こんどはAはどちらの村の住人でも成り立ちます

Bについて考えると、Aが嘘つき村の住人であれば正しいことを言っているのでBも嘘つき村の住人、Aが正直村の住人であれば嘘になるのでBも正直村の住人になります

Cも同じように考えるとBと同じ村に住んでいることがわかります。つまりAとBとCは同じ村に住んでいることになります

続いて「問題」の内容を見ると、間違っていることがわかります。(「問題」が正しいとすると、嘘つき村の住人になるので正直村の住人は1人か4人で、2人にならない!)

なので、「問題」も正直村の住人として扱います。そうすると、正直村の住人が2人、というのが嘘でないといけないので、結果としてABCも正直村の住人になります

結果として、「前提」、A、B、C、「問題」の"5人"が正直村の住人であることがわかりました。

問われているのは「正直村の住人は誰か?」ですが、これも逆のことを言っているとみなし、解答すべきなのは「嘘つき村の住人はいない」となります



前提自体パズルの一分になってる論理パズルがあったら面白いんじゃないかと思いついてしまったクイズでした。

前提とか問題カギカッコで話してる風でしょ? へりくつですいませんでした。

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。


泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

くじは平等

くじが平等なのはそれがランダムに選ばれることによる。

ところで、人が誰に生まれるかは全くのランダムである

これにより人の生まれによる差は全て平等ものであることがわかる。

女が男を選別する暴力

身長の男。不細工な男。

コレラに対して、異常な嫌悪感を女は抱くらしい。

これは生理的ものからしょうがないらしい。

  

確かに、思ってるだけならセーフだ。

だが、女は自分を売るためにリア充なり、おっさんに枕なりで媚びる。

すると、女が下す不細工だの低身長だのの評価リアル底辺男の生活を脅かす。

女が上司と恋仲になれば、気持ち悪い男を淘汰させるだろう。気持ち悪い男仕事ができてもだ。

  

学校生活などでは、スクールカースト存在する理由はほぼ女。

女とセックスしたくてエエ格好しいの男が必ずでる。そういうキョロ充みたいなのが、底辺男子を『いじる』時にはいじめる。

女は、だけどリア充文化が無いと自分を売れないから、キョロ充と一緒になる。

  

これって完全に暴力だよなあ。

利益があるとわかって行動するのでは遅すぎる。利益がないと思っていて、善行を行っていたものに大きな利益が返ってくる。善行を行うのを趣味にするぐらいがいいのかも。

金持ちにはなったけど、最悪だ

頭の悪い大学のなかを歩いていると激しく腹が立ってくる。

そして、どうにもならなくて泣きそうになる。

街を歩いてもそうである

どいつもこいつも肌が綺麗で、自分の恐ろしく汚い深い凹凸がべったりと付いた頬やこめかみは一生どうにもならないとなると息が苦しくなるのだ。

正直、自分金持ちになった。

父親が育てている人魚が可愛くないなりに選ばれたのだ。

日本全国の人魚でも、たった4000にも満たない人魚のうちの1つになった。

父親はこれから資産価値を増やすのがゲームになるし、それを自分もやってくれという。

ただ、父親人魚価値というのは例えどんなに上がっても自分の醜い容姿はどうにもならないのだ。

大量に吹き出物が覆った顔が腫れ上がっていた学校でも、外でも今よりも苦しい思いをしていた高校生の時は、いつも父が育てている人魚が4000もいないものに選ばれたとき想像して耐えた。

しかし、人魚が選ばれてもとてもじゃないが安い金しか入らない。

そして、容姿が醜くくて惨めだ。

医者に見せてもじっくりと目立たなくなるのを待つか、良くなるかわからないレーザーをやるかという話で本当に現代医療ではどうにもならないという。

どこまでも自分は苦しい思いをしていくのだ。

ただ、見てくれの良い人間に尽くすような話を自分にする輩やらを見ると怒りが湧き出てくる。

マトモな容姿をいつか買いたいし、見てくれの良い人間特権を奪わなければいけない。

持病が再発したら、もっと酷い容姿になるのかもしれない。

最悪である

早めに損切りしたくなる時がよくある。

しかし、怒りと良くわからない気力が自分を耐えさせてくれる。

負けていられないのだ。

マトモな容姿を手に入れ既得権益を打破するという思いがとりあえずは自分を駆り立てる。

http://anond.hatelabo.jp/20160626145813

今まで自分仕事をきちんとこなしていけば仕事できるようになるとずっと思ってて、


上司と仲良くとか全然考えてなかったけど、


異動してたまたま気が合う上司と仲良くなってからは、上司の見えるものが見えるようになって


凄く仕事スムーズになった。

アイドル全般きじゃない

アイドル」といわれるものが好きではない。

他称による賞賛としての「アイドル」ではなく、職業としての「アイドル」だ。

はいっても、冷静に曲を聴くと「わりとちゃんといい曲だなあ」と思ったりする。

基本的に派手なショー的なものは好きなので、ライブも行ったら面白いのかもしれないと思う。

でも、好きじゃない。



何がこんなに嫌なんだろうなと思うんだが、

なんというか、思い出すのは、その昔バラエティでやってた「ポケビ」と「ブラビである

バラエティ番組の中で、彼らはときライバルとして競わされ、とき意味の分からない像を手売りさせられ、

「これに負けたら解散」「これができなきゃCD出させない」と散々に追い詰められていた。

当時子どもだった私は追い詰められる千秋ビビアンを心から気の毒に思っていたし、番組のゆくえにハラハラした。

そういう幾重の困難を乗り越えて出された曲も覚えて何度も口ずさんだ。

けど、不意に気がついた。

こんなの全部うそっぱちだな、と。

くだらない試合だの課題だの、それができなければこの世の終わりみたいに演出されてるけど、

そんなの全部番組のさじ加減一つだ。



彼ら彼女らはすごく一生懸命がんばっている(ように描かれている)けど、

そのがんばりは、言ってみれば、誰かがつくった回し車を一生懸命回しているだけだ。

あれだけボロボロになって涙を流してがんばってるのに、その努力の方向は「私たちはこんなにたくさん回し車を回せました!」なのだ

そんなの見ていられない、と思った。

歌いたいなら歌えばいいのに、なんでそれじゃだめなのだ

ASAYANが同じことをしてモー娘を売り出していたが、それは見てなかったのでよく知らない)



今となってはあそこまで露骨リアリティショーめいた見せ方をするアイドルも少ないだろうが、

結局、今もアイドルというものの売り方はそう変わっていないんじゃないか、と思う。

AKBにはAKBの中のルール規範があり、

ジャニーズにはジャニーズルール規範がある。

彼らは、基本的に、その狭い枠のルールの中で競い、勝ち取り、メディア露出する。

そしてファンたちもまた、そのルール規範を共有し、事情通がそれを解説したりする。

彼らがいま売り出されてるのはこうこうこういう理由なんだよ。



なんだか、スポーツを見せられてるような気分になってしまう。

どっかの眼鏡のふとったおっさんや、

90歳の少年趣味のおじいさんとその一族や、

そういう誰かがつくった、狭い世界の中の狭いルールで競うスポーツである

あそこで華やかにライトを浴びているのは、その、せっまい世界スポーツの勝者というだけだ。



彼らは歌唱力ダンスなど、本来の売り物については、非・アイドルに比べ多くを求められない。

というか、グループ内での優劣は苛烈なまでに強調されグロテスクなまでに書きたてられるのに、

グループの外の人間とは、比較されることもないし同じだけの技量を求められることもない。

あたりまえだ。彼らのスポーツグループ内でしかルールを共有されていない。

仮におなじ「アイドル」と呼ばれていたって、他のグループならば違うスポーツをしているのだ。



どこかのドラマに出たって、舞台に出たって、彼らは過剰な期待はされない。

外の人間も、「アイドル」という枠組み以上の技能がないことはある程度当然として受け止めるからだ。

けれどもなんだか釈然としない。

彼らが「アイドル」というマイナースポーツに興じているのは勝手だし、その勝者としてたたえられるのも勝手だが、

マイナースポーツの一流選手からといって、他のジャンルでまで彼らを尊重する理由があるだろうか。



ポケビブラビの対決に一喜一憂していたころ、私は「ウリナリ」というマイナースポーツルールを把握して、

その枠組みの中にいた。

けれど、今のアイドルたちのルールにははまれない。なんだかばかばかしいからだ。

音楽ダンスバラエティドラマも好きだけど、そのどの分野もきちんと優劣を競い優れた結果を残してる人たちがいる。

内輪のマイナースポーツいちばんになることに全力を注いできた人たちに、特別用はないのである



かんけいないけど「タイミング」は未だにいい曲だな…と思うし

奥田民生カバーとか聞くと涙出てくる。

2016-06-29

[] 朝の絵を塗ってみた

http://f.hatena.ne.jp/masuda_eleven/20160630002305

普段自分にはないやり方で、いつもの画風と違いすぎるくらい画面が爽やか。

というよりみんな普段こんなめんどくさいことしてんのかという雑感。

ウォーターフォールからアジャイルへ転換できるのか?

ウォーターフォールアジャイルは、別種の組織文化契約必要とし、経年を経て進化・変化・転換するものではないように思う。

アジャイル以前(80年~00年)

アジャイル最初からアジャイルという呼び名だったわけではない。

当初は「スクラム」「エクストリームプログラミング」など、著名なエンジニアが開発した様々な手法総称であり、軽量ソフトウェア開発手法呼称が好まれて使われた。

80年代において、コンピュータリソースは貴重であり、オペレーティングシステムは低水準のAPIしか提供せず、

ひとつの処理を作るのに数百~数千ステップ必要としたので、「処理を設計する」「コーダー実装する」というフロー合理的であった。

現在において、開発機のリソースは極めて安く、SDKライブラリ提供する高度なAPIの組み合わせによって機能を実現できるため、

コーダー実装(≒設計)を行い、必要に応じてドキュメント化する」というフローの方が合理的である

しかし「エクスリーム(極端な、過激な)プログラミング」という言葉に顕れているように、これらの手法は登場当初は正格な方式とは認められなかった。

アジャイルソフトウェア開発宣言2001年

私たちは、ソフトウェア開発の実践
あるいは実践を手助けをする活動を通じて、
よりよい開発方法を見つけだそうとしている。
この活動を通して、私たちは以下の価値に至った。

プロセスツールよりも個人と対話を、
包括的ドキュメントよりも動くソフトウェアを、
契約交渉よりも顧客との協調を、
計画に従うことよりも変化への対応を、

価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを
認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。

著名なエンジニアがこれまで「軽量ソフトウェア開発手法」に含まれていた技法を「アジャイルソフトウェア開発手法」と再定義した。

従来の契約計画を重んじるやり方を尊重しつつも、ソフトウェア開発においては適応的な手法の方がより優れているという宣言であり、

この時点ではUSにおいてもウォーターフォール的なプロジェクト趨勢支配していたことが伺える。

My Job Went to India: 52 Ways to Save Your Job(2005年

「私の仕事インドへ行った:あなたが職を失わないための52の方法」という本がプログラマの間で話題になる。これは現代でも名著として名高い。

2009年に発売された2版では、「The Passionate Programmer: Creating a Remarkable Career in Software Development」に改題している。

素直に訳すなら、「情熱プログラマーソフトウェア開発者として注目されるキャリアの作り方」となるだろう。

日本語版サブタイトルはそれぞれ「オフショア時代ソフトウェア開発者サバイバルガイド」「ソフトウェア開発者幸せ生き方」とかなり意訳している。

2005年にはウォーターフォール式のプログラミング開発はほとんどが単価の安いインドに投げられるようになった。

当時の文献にはドットネットバブルが弾け、IPO目当てでコンピュータサイエンスを志す学生が目に見えて減ったという記述が出てくる。

そしておよそ10年後(2016年

アジャイルソフトウェア開発技法は洗練され、継続的デリバリーと紐付き、DevOpsへと深化を果たした。

要件定義、外部設計、内部設計実装単体テスト結合テスト、受入テスト、納品、運用、そして緩慢に死を迎えるのを待つのではなく、

顧客要求に対して適応的に実装が行われ、無駄の多いテスト自動化によって省力化され、

デプロイ自動化し、運用によって得られた知見が開発へフィードバック・新たな要求となる、新しいソフトウェアライフサイクルが定着した。

このためには様々なソフトウェア開発の原則に通じ、実装技術に秀でており、かつビジネスのコアバリューを理解できる必要がある。

USにおいて、そうした優れたソフトウェア開発者成功者・高給取りとして知られるようになっている。

ちょっとまて、10年間に何があった

単価の安いオフショア仕事を投げていた企業はどうなったの?インド人に職を追われたプログラマは?10年間に何があったの??

クラウドビジネスの売り込みのために、DevOpsをキーワードにしている大企業の影はちらつきながらも、

USで労働集約ビジネスをしていた中小ソフトウェアハウスが、近代的なソフトウェア企業に生まれ変わり従業員に多額の給与を支払うようになったという類の逸話はないのはなぜか。

おそらくは、

  1. USの従来型の労働集約ソフトウェアハウスほとんど死んだ
  2. 有能な人材ベンチャー企業で新しく画期的サービスを立ち上げるようになった
  3. 有望なベンチャービジネスMSGoogleAppleなどの超大企業に買収されるため、1~3のループが続いている

ということなんじゃないのかなと思う。

つまるところ10年間に起きていたのはウォーターフォールからアジャイルへの転換ではなく、死と再生だったのではないかっていう仮説。

彼女が実は関西人だったので別れた。

まれた時から東京人だと思っていた。ナチュラルボーン東京人だと。メトロポリタンアンニュイハイソでビーバップ東京人だと思っていた。

でも、実は関西人だったなんて。思わずなんでやねん」という怒号が襖を揺すったほどだった。そのなんでやねん人生初のなんでやねんとしては、プロ関西人を思わせるほどで、身振り手振りはまるでフィギアスケートのような柔と剛を重ね備えた完璧なんでやねんだった。

そのなんでやねんのあまり発音のきれいさに、改めて自分関西人であることを悟った。その日から私は関西人になった。全てを受け入れた。NOVAにかよって関西弁練習さえもした。関西人とは関西人であるのではなく、関西人になるものなのだ。どちらかといえば関西方言を忌み嫌っていた私が実か関西人だったなんて。通りで、お好み焼きがやたら好きだと思っていた。お好み焼きにご飯を合わせて食べる側の生き方をしてきた。広島焼きに他意なき敵意さえ抱いていた。それは、私の血液に流れる関西人DNAによるものなのだ

吉本も録画するようにした。探偵ナイトスクープも見るようにした。雑煮白味噌にした。いざとなれば道頓堀から飛び込めるように、プールで飛び込みの練習もしている。一流の関西人になるために、私は日々、関西人努力を重ねる。いつか憧れの聖地オーサカにいけるように、私は日々、関西に祈りを捧げ続けた。

しかし、問題が1つある。彼氏関西人嫌いなのだ。いつも私はそれに乗っかり「そうよね。六甲おろし国家地域なんて激しすぎるわよね」と言っていたのだった。まさか、そんな私が関西人だなんて。

でも、避けて通れない。私は携帯で、彼氏電話番号を押す。自分関西人とわかってからの一ヶ月会ってない。

電話に出る彼氏他愛のない雑談。そして、私は言う。

「ごめん。私実は関西人だったんだ。そんな彼女嫌よね、別れましょう。でも、どうしてあなた関西人をそこまで嫌うの?」

「俺も関西人からやで」

なんでやねん!」

http://anond.hatelabo.jp/20160628063357

「男は女の最初のオトコになりたがるが、女は男の最後のオンナになりたがるものだ」

…って言われるけれど、これ嘘だよなあと思う。

遊びまくって来た不良債権男を女に押し付けるための方便だろ

女だけど普通に最初の女になりたいわ

だけど一般的には良い男は童貞の訳ないから諦めてるだけじゃない?

合コンに初めて行った話

社会人になって数年が経った。

合コンに行った。

合コンの中で、「テンションが上がってわーーっ!と感情高まるものってなに?」という話になった。正直に言ってそんなものは私にはない。日常ってそんなに刺激に満ちあふれたものか?刺激に満ち溢れている必要があるものか?

いや、正確に言うと確かに仕事の中でスリルやドキドキを持つ場面はあるだろう。だけど、単発で瞬間的に感情が高ぶって、我を忘れて感情を露わにするようなものがあるか?マジックを見て、それが現実だと思ってしまって騒ぎ出す幼児じゃあるまいし、社会人にもなっていまだに何かに感情を爆発させていたら普通に生活を送ることなんてできるんだろうか?

まぁ、そんなことを言って場がしらけるのも何なので、黙ってその質問には答えないでおいた。すると二つ下の後輩が「え~私は家を出て、雨が降っていた時ですかね~~。濡れちゃうじゃないですか~~~」と宣った。


いや、そうじゃないだろ。

明らかにそうじゃないだろ。

家を出て雨だったら嫌だけどさ、そこで感情を爆発させるか?近所にそんな奴いたら絶対やばい奴だよ。

おかしおかしい。なんなの?紙なの?雨が生殺与奪権を握ってる訳?いや、仮にあんたが紙だったとしても、その時わたしなら有給とるよ、叫びはしないよ。。。。。。。。。

そもそもこういう話ってキャリア論とか人生論になるはずのものだったんじゃないの?いや、合コンからそれはないか。結局かわいいこをGETできればそれでいいんだよな。

けど質問にはちゃんと答えるのが、かしこ女の子アピールには必要でしょ。。。ってことは、やっぱりだめだよそんなの。

と、ひとり思いながらカシオレを流し込んでたけど、男どもは「わかる~~~!!」って大合唱

お前らも紙だったのかよ。。。。。。。。。。


追記

後でわかったんだけど、実はその男どもは大手製紙メーカー勤務で、そこから後輩は仕事自慢の話につなげていた。後輩のこと、今度から敬称つけよう。

パンピーほとんど嫌い

パンピーほとんど嫌い。無知で中身ぺらっぺらのくせにオタクや変わり者を攻撃することだけはいっちょ前だから

なぜオタク同士のコミニケーションが心地いいかわかった。


変わった趣味嗜好でも認め合う寛大さ

オタク趣味に費やす財力とパワーがある

目的意識がある

博識で話がおもしろ

特技がある(絵がうまいカメラ技術がある等)



パンピーはこれとは真逆人間が多いように感じる。もちろんパンピーにも上記に当てはまるような人はいる、だが非常に少なく感じる。比率的にはピラミッドの上の方、くらいの割合に思える。

これに気が付いた時、パンピーに何を言われても気にする必要はないのだと悟った。映画字幕にも追いつけない、ちょっと熟語慣用句を使おうものなら何それ?となって会話にもならないような人間いかに煽られようとも、どうでもいい。

中身のない話を時系列でダラダラ話して人の時間を奪うお前らのほうがよほど気持ち悪いわ。

MMORPGネトゲオプション体験課金

ソシャゲ承認欲求課金がメインってかんじがするけど

MMORPGネトゲオプション体験課金というところもあるのではと思う

もちろんネトゲだって課金した方が強くなるという商品もある

各種の強化アイテムだったり、装備のガチャだったり

けどペットだったり乗り物だったりは、追加体験に金を払ってるってとこもあるんじゃないか

購入してはじめて体験するユーザーインターフェース操作感覚ってそれだけで楽しいものだと思う

まあ、そんな風にネトゲを語ってみても、引退してから早数年ではあるんだけどな

今どうなってんのかな、マビノギ

http://anond.hatelabo.jp/20160629205948

よくないものでも声優とオマケがつけば売れる業界において

ビビッドレッドオペレーションの半分~三分の二程度の売り上げというのは

普通に企画として失敗といって差し支えないのでは

ネコは、御存知のとおり、着地がうまい

しかし、半端でなく高いところから落ちたネコはどうなるだろう? 




1984年の5ヶ月間に、ニューヨーク市高層マンションからネコが落ちた事故のうち、何階から落ちたかという獣医師の記録があるのは129匹である(2階~32階)。

うち、死亡は8匹だったが、驚くべきことに、階が高いほど生存率も高いという事実が判明した。

7階以上から落ちたネコ22匹のうち死んだのは1匹だけ。9階以上から落ちた13匹はすべて生き延び、しか骨折は1匹だけだった。




なぜ高階層から落ちたネコのほうが生存率が高いのか?

獣医師説明によると、ネコは、落ちると「終端速度」(それ以上速くならない最高落下速度)にすみやかに達する。

それは時速60マイルで、人間大人の終端速度の半分。この終端速度に達するまでは、ネコは脚を突っ張って抵抗するので、着地したとき怪我をしやすい。

しかし終端速度に達した後は、ネコリラックスし、脚をムササビのように広げるので、空気抵抗が高まり、着地時に衝撃が均等に分配されるのである




さて、統計数字のものに間違いはなかったのだが、後に、この統計根本的な誤解にもとづくものであることがわかった。

まり、高階層ネコのほうが下階層ネコより生き延びやすいという事実はなかったのである

統計現実との間にズレが生じたのは一体なぜだろうか?

生物進化するにつれて大きくなる傾向があるという法則がある。

アメリカの古生物学エドワードコープ提唱したものだ。


確かに、ある系統生物化石年代順に並べてみると、年代が新しくなるにつれて体が大きくなっていく傾向が見て取れる。

珊瑚も、アンモナイトも、恐竜も、哺乳類も。

生物界全体についても同じことが言える、小さなバクテリアから細胞生物へ、魚、爬虫類哺乳類へ。

生物界には「巨大化パワー」のようなものが働いているのだろうか?

増田を辞めたい。

 十年前にインターネットを歩いていたら黒尽くめのイヌ拉致されて、

 それからずっと奴隷増田として働かされている。


 上級増田たちは俺たちが稼いだ10users20usersの記事を吸い上げて、

 毎晩ザギンで500users級の豪遊をしているらしい。

 かたや俺たち最下層の奴隷増田は、エリート増田たちが当てた体験談釣り記事の「追記」を下請けする業務や、愚にもつかない脱糞ネタ記事新人増田底辺増田に唯一オリジナル記事投稿することが許されたカテゴリ)を投稿する日々だ。


 だが、もう限界だ。

 増田を辞めたい。

 しかし辞められない。

 辞めようとすれば上級増田と手を組んだブクマカたち(互助会なんてものじゃない。悪の枢軸だ)のはなった刺客によって、抹殺されてしまう。

 俺にはそこまでして脱走に賭ける度胸はない。


 俺たち増田武器は、増田記事だ。

 だから、こうして俺の告白を綴っている。これが俺にできる最大限だ。

 上級増田たちの息の掛かったもののに見つかれば、たちまち削除されてしまうかもしれない。


 もし、この記事がきみの目に触れたのなら、

 是非心に留めておいてほしい。

 あなたがたが日々消費している増田記事凄惨搾取によって成り立っているのだと。

 ホッテントリ記事一つあたり、平均で3.2人の底辺増田たちの生命が消費されているのだと。

 どうか、その重みを噛み締めながら、増田を読んでほしい。

 俺たちは命がけなのだ